落語とは、最初の出会いがよくなかった。2005年1月、僕は、「高津宮」へ行った。毎年、この時期になると「高津宮」では、「とんど祭り」が開催されるのだが、僕の目的は、憂歌団の木村充揮のフリーライブを観ることだった。木村のライブは、予想をはるかに上回る素晴らしいもので、これがただでいいのだろうかと聞いている方が恐縮するような内容だった。ライブが終わり神社の中を、うろうろしていると、一枚のポスターが目に止まった。そこには桂文枝がいた。僕は、暇に任せ、文枝の「高津の冨」を聞くことにした。僕にとっては、初めての落語だった。高座にいたのは、若い頃テレビ番組「素人名人会」で観た小文枝ではなく、すっかり年を取った文枝だった。文枝の声には張りがなく、時々聞きづらい部分もあったりした。あとから知ったのだが、実は、この口演が文枝の最後のものだった。その約二か月後、文枝は肺がんで亡くなっていた。つまり、僕が初めて聞いた落語は、文枝の最後の口演だったのである。文枝の落語は、当時の大阪の夜の街の雰囲気がリアルに体現できるようなもので、なんとも艶があり、一体この色気は、どこから出てくるものなのかと落語というものに非常に興味を持った。それから、何度か寄席に足を運び、いくつかの落語を聞いたが、どれもこれも、僕には、ピンとこないものばかりだった。文枝のような、色気はどの落語にも感じられなかった。僕は、そのとき、落語というのは、「老人芸」なんだと思った。思えば、若い頃から、浴びるように聞いてきたイギリスのロックは、いわば「若者芸」と言えるわけで、落語はその対極に位置していて、僕がその魅力に惹かれたのも、分かりやすい話ではある。しかし、文枝で「落語デビュー」した僕は、その後、落語から遠ざかってしまった。最初に食べたのが、極上のフレンチのようなもので、その後何を食べても美味しくないというのは、なんとも不幸なことである。
それから17年の時を経て、ある落語家の落語を体験する。「桂二葉」だった。二葉は、女性として初めてNHK新人落語大賞を受賞し、何より内田先生の一押しの落語家だった。先日、凱風館寄席で、二葉の口演を拝聴し、最初は彼女の甲高い声に少し違和感を覚えたが、聞いているうちに気にならなくなり、むしろ、その声で演じる「こども」が愛しく思えてきた。文枝のような色気はなかったが、二葉の落語には、文枝にはない疾走感があり、それもある瞬間からハイスピードになっていくのが、新鮮に思えた。新しかった。普段着の二葉は、大変おしゃれな方で、コムデギャルソン(おそらく)の服を着、ドクターマーチンの靴を履くセンスに僕は共感を覚え、彼女の落語の持っている疾走感は、ロックが通底しているように勝手に妄想している。
二葉は、「アホ」に激しくこだわり、そのまなざしは、どこまでもやさしい。その「アホ」の象徴は、「男の子」として、しばしば二葉の落語に登場する。元「男の子」として思うのだが、「男の子」ほど「アホ」な存在は、この世に存在しないのではないだろうか。アホの順番でいくと、男の子>男>女といったところだろう。
自分の子供時代のことを振り返ってみても、「アホ」のオンパレードである。実家に初めて電話が設置され、唯一知っている電話番号「110」に電話をかけ、びっくりしてすぐに電話を切ると、警察からすぐに電話がかかってきて、母親に激怒されたこと。森進一の代表曲「襟裳岬」の歌詞の中で「遠慮はいらないから~♪」という箇所を「燃料はいらないから~♪」とずっと信じていて、何とも世知辛い歌だなと思っていたことなど、あげればきりがない。
二葉は、こんな「アホな男」が大好きである。凱風館寄席で、二葉の落語を拝聴し、その後、繁昌亭で「桂二葉NHK新人落語大賞受賞記念ウィーク」を観に行った。共演する落語家は、さすが二葉セレクトによるもので、どの落語も大変面白かったのが、とりわけ二葉が愛してやまない「笑福亭仁福」は、抱腹絶倒という言葉しか思いつかない、そんな存在だ。仁福は、仁鶴の二番弟子で、御年72才である。仁福の落語は、虚実をないまぜにしたもので、ネタとその場の思いつきがぐちゃぐちゃに混じり合い、ときには客席をいじるという飛び道具も使うなど、およそ落語とは呼べないものかもしれないが、とにかく仁福の「アホ」ぶりがいい。二葉も「仁福師匠の落語はスカスカ」と言い放っているが、二葉はそんな仁福を「桂二葉NHK新人落語大賞受賞記念ウィーク」の全公演に唯一出演させている。
繁昌亭に行き始めて気付いたことがある。それは、寄席というのは、大変気軽に行けるものだということ、そして、客の大半が、老人だらけだということである。しかも殆どは、おじいさん。そんな観客に混じって僕は、「若手」なのかもしれないが、こんな年寄りの世界も悪くないなと思い始めている。そんなことを思いながら、僕は、「仁福の会」をスマホで予約した。