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どうぞそのママ

「北新地 銀座 提携」という360級(適当)ぐらいの大見出しが目に入り、思わずキヨスクでその新聞を手に取ったら、やっぱり夕刊フジだった。「東西代表 夜の社交場」というベタにもほどがある見出しにも胸がわさわさとなり、もれなく購入。早速、駅のベンチで読みふける。


内容は…不況のあおりをくらいアップアップの北新地、これはマズいと北新地社交料飲組合が、銀座社交料飲組合に話を持ちかけた。てか、この状況マジヤバくない? でさ、考えたんだけど〜。普段オレのシマで飲んでる客が、アンタのシマへ行くじゃんか。でも、しらねー店はこえー。だから、行かない。それ勿体なくね〜? だからさ、オレッチの客をここなら安心だってアンタとこに回すし、アンタんとこの客もウチなら安心ってまわしてよ。オレッチ潤う、アンタ感謝される。逆もしかりで万万歳。ほら、スタンプラリーとかもしよーぜー。おー!!(握手)


もー、こんな記事を1面トップにする勇気、いや男気ならぬおっさん気は、夕刊フジにしかないよなあ(黒川博行さんの連載『大阪バガボンド』も、本当におっさん丸出しで楽しすぎるし)。それはさておき、でも、この記事はそもそも誰にそのメッセージを向けているのだろうと不思議に思った。


もちろん、このシステムを喜ぶ人もたくさんいるはず。私のところにも北新地のおっちゃん飲み友達から、「今、銀座やねんけど、ケイコママのとこぐらいの値段で、ええことしらん? ウィ〜ッ、ヒィ〜ック。そこ右や、いやちゃう左いってくれ(タクシー風)」などと、たまに夜中にろくでもない電話が入る。ほんまにもうー、おっさん、命がけである。


同じくおっさん体質極まりないアオヤマは、この記事の背後の、そのまた奥にいる命がけなおっさんの気配に鼻がひくひくとなった。

北新地を庭と豪語するデスク部長は言う(以下、妄想)

「タカノ(注1)のおばはん(注2)とこも大変んみたいやなあ。こないだも、えらい酔うて言うてたで(注3)。そういうたら、なんや河口のおっさん(注4)が銀座と組むんやーて言うてるなあ。それ決まったら、トップ(注5)いったれや。お、ほんまか、アゲインのマミ(注6)もそんなこと言うてたなあ。いったれいったれ。絵ぇ(注7)は、新地は本通りや。銀座は和光でええやろ」

注1:タカノ→座ると2万、ボトルを入れた日は5万のクラブ。ママは北新地で1番と言われたクラブで雇われママをしていて独立。誰もが知る有名なひと。こうなると、名前ではなく店名で呼ばれることが多い。ジュンコとか名前を言うより、なんとなく名字をそのまま店名にした方が、値打ちっぽい。ちなみにタカノは仮名

注2:おばはん→親しいママをなぜかわざわざ「おはばん」と言いたがるのが、おっさんという生き物

注3:えらい酔うて言うてた→オレには愚痴までこぼす…つまりそういう親密な関係。ということを暗示した、大人っぽくさりげない自慢

注4:北新地社交料飲組合の河口貴賦理事長のこと(実名)。たぶん、きっと、おそらく何度か一緒に飲んでいる。もちろんお互いが会うときは、役職付きの呼称で呼びあう。それが大人の礼儀。なぜか、肩書きが大層になるほどに、親しくない人からも陰で「おっさん」よわばりされるのが関西風味。知事も社長もセンチュリーに乗るようになったら、一般人からは「おっさん」扱いされる


注5:でっかく一面にドーン!といったれや〜。タカノのおばはんも喜ぶやろ(と心の中で思っている)

注6:永楽町のスナックの女の子(仮名・自称23歳・よく言えば崩れた常盤貴子風)。クラブとか面倒くさいから、スナックの方が気楽でええわ、と週に4日だけヘルプのような状態で入る。だからなんでも責任なくペラペラ喋る。

注7:紙面を語るメインカット。 北新地はやっぱり本通りがメインストリート。でも、両方がネオン街の写真になると絵がかぶる(似てくる)ので、銀座はちょっとイメージカットっぽく澄ました感じにしてみた。関西人ならではのメリハリ


という感じに、これは北新地の中に向かう、ママや女の子への励ましのメッセージであるような気もしなくはないが、でも、これだけ妄想を掻き立てるってことは、何百万のおっさんの同胞も同じようにニヤニヤと読んで、久しぶりにチカんとこに顔だすか!なんて張り切っているに違いないのである。ちなみにチカちゃんは、アオヤマがミーツ時代に連載をはじめた「ダメよだめだめ北新地」というコラムを書いてくれている、座って4万円ぐらいのクラブのホステスさんである。


さてはて、北新地と銀座のタッグ話を聞き、思い出したのがクラブKのさっちゃんママ(仮名)。今までたくさんの先輩に揉まれてきたアオヤマであるが、このさっちゃんは思い出深い。北新地で遊び始めた頃にご紹介いただき、以来ものすごく可愛がっていただいたけれど、それは同時にぶるんぶるん振り回された数々の夜を思い出させ、もう眠いよぉ帰りたいよぉ家がどこかわからないよぉ〜と泣いた涙のしょっぱい味も、同時に思い出すのであった。打ち止め宣言の出せない夜は、朝になろうが終わらない。さっちゃんママが「もういらない」と言うまで、止まらないわんこそば。ママという人種について、体にいろんなものをたたき込んでくれた人だった。相手には断らせないけれど、自分ではいともたやすく断る。それがママというものである。これ、結構難しい。どちらかといえば芸に近い。


このさっちゃんママがもう何年か前になるけれど、本業のクラブ経営以外に触手を伸ばし、創作和食店を出店したことがある。値段もこなれた居酒屋風で、なかなかいいお店だった。なので、ある本で掲載しようとしたことがある。それは総集編の別冊だったので、写真は以前に撮影したものを流用しようと考えた。けれども、写っているスタッフが変わったので再撮影をしてほしいとママ。わかりました。撮りました。本ができ上がりました。やれやれ。その翌日、アオヤマの携帯に着信。さっちゃんママは不機嫌に言う。「店、閉めたから」。えっ? 「もう、小さいことやってらんないわよ」。ママはその時期、銀座にも出店した2軒目のクラブ経営に夢中だったので、私が作っているような「ちっぽけ」な雑誌なんてもうどうでもいいワケである。ただひたすら絶句する私の気配を感じたさっちゃんママ、幾多のおっさんをゴロリと崖の下に転がしてきた甘い声で囁く。「久しぶりに遊びましょうよ〜。今週末あたりなんて、どうでちゅか〜。あぁおぉやぁまぁさぁ〜んん(ハート)」


「北新地 銀座 提携」の夕刊フジを読んで思った。「これはさっちゃんママ、追い風やなぁ」。そして、その追い風に乗りまくりほくそ笑むさっちゃんママの顔を想像すると、怖くて逃げたいのにちょっぴり会いたくなるのはなんだろう。それもママの、ママたる芸というものなんだろう。

コメント (1)

竜宮の乙姫 [TypeKey Profile Page]:

totemo omoshoroku waratte shimaimasita!
nazeka kana dato bakemasu ほらこんな
doshitara iino?

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2006年12月19日 21:42に投稿されたエントリーのページです。

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