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2006年12月 アーカイブ

2006年12月18日

神戸元町別館牡丹園夜想曲


ミル貝からはじまって、次々と円卓に載せられる大皿を、瞬時に順次に10人が食べ尽くしていく。指揮がいないのに交響曲を奏でるオーケストラのように、それぞれが料理を讃え、自己紹介代わりの小咄を披露し、紹興酒を熱燗のようにポンポンと空けてゆき、3時間の大演奏は幕を閉じたのだけど、その圧倒的な一体感は空気を振動させて、その興奮は私の心もぶるぶると震わせた。忘年会という名目で、福山、京都、大阪、淡路島から、港町に集結した「神戸元町別館牡丹園」の夜。


エントリーしたのは、哲学する俊足ラグビー選手ヒラオくん。世界一食いしん坊でロケンロールな精神科医青山シンスケ。永遠に夢を語り続けながらなぜかソロバンもはじける医者崩れ弁護士予備軍ハシヤ氏。青山シンスケとハシヤ氏の悪ガキ仲間である歯科医・ドラゴン。いつも微笑みを浮かべているホテル支配人・永末嬢。面倒ごとを粛々とこなす140Bの編集者、大迫力と書いてオオサコチカラ。新聞記者→雑誌編集者、とメディアを模索する駆け出し編集者・デカ長。ハシヤ氏の阪大ロースクール同級生のツジイくん(24歳・窪塚クン似)。アオヤマが編集者・ライター講座でナンパした次世代編集者の予感・森あきひこくん(24歳・武豊似)。そして不肖・乱れ髪アオヤマ。


大迫くんが「異業者交流会より激しいですね」と評した脈絡のない面子だからこそ、予想もしない話の展開となり、それが聞いたことのない交響曲を奏でたのだけれど、バラバラの奏者をまとめ上げたのは、何よりも圧倒的に完璧な「神戸元町別館牡丹園」の中国料理ありきだろう。その皿たちが、私たちに話をさせる。飲ませる。食べさせる。そこにはもう自分たちの意志ではない何かがあることを感じたし、それを全員が感じ取ったからこそ実現したのだろう。今までにも何度かこういう感覚を味わったことがあるけれど、10人の円卓でひとつの壮大なシンフォニーを奏でるというのは、初めての経験に思う。


いま編集をさせてもらっている『トム・ソーヤー・ワールド』の2月号(1月頭発売)に、内田樹先生にも『村上(春樹)文学における「朝ご飯」の物語論的機能』というお代のコラムを寄稿いただいたのだが(7ページに渡る大作です)、そこでもこんなことが書かれていたのを思い出した(ちょっとフライングで極一部抜粋)。

『「個食」「孤食」という食べ方が私たちの社会にはしだいに浸食してきているが、これには「共同体への帰属を拒否する」という社会的記号として解釈することができるし、現にそう解釈されている。というのは、「共食」(「ともぐい」と読まないでね)こそが人類にとって最も古い共同体儀礼だからである。共同体成員が集まって、同じ食物、同じ飲み物を分かち合う儀礼を持たない集団は存在しない。
 それは一義的には生存のための貴重なリソースを「あなたに分かち与える」という「友愛のみぶり」である。
 同時に、同じものを繰り返し食べることを通じて、共食者たちは生理学的組成において相似し、嗜好と食性を共有し、やがて同じような体臭を発するようになる。そのようにして人々はある種の「幻想的な共身体」のうちに分かちがたく統合される。』


私がまったく接点のない誰かと誰かを繋げたいとき、そのたいていの場合に「場」として「神戸元町別館牡丹園」を無意識的に選んでいたのは、信じがたく料理が美味しいのもあるけれど、そこが大事な儀礼の場としても最高に機能するということも大きいのだと改めて感じた。それには、ご主人の王泰康さんという装置がまた多分に影響するんだけれど、いったい何なんだろう。説明するのが難しいのだけれど、圧倒的な強い個性は瞬間的にその場にいる全員に共通の思い出を作り出すということを教えてくれた人でもある。そして、あれほど真剣に料理と対峙する料理人はこれだけ店の数があってもやはり多くはいないし、あれほど人を面白がる店主というのも、私はあまり知らない。昨夜も厨房から怒号が聞こえていたけれど、そういえば厨房も激しい交響曲を奏でていた。


さてはて、そんな演奏の感動と興奮が、こうして私に久しぶりにここで書かせている。私が書いている、ではなく、神戸元町別館牡丹園に書かされている。そういうことにもぶるぶると心が震える。そして、そんな場を一緒に創ってくれたみんなに感謝したい。ふくよかな人生の一部はこういう夜の連続でしか作れないと思うと、みんなもっとご飯を食べに行ったりお酒を飲みにいったりした方がいいんじゃないかな。ということを、ミーツ・リージョナルという雑誌は昔書いていたように思う。


久しぶりの更新で大変失礼しておりました。その前日の内田樹先生と平尾剛さんの朝日カルチャーセンターでの対談が、むちゃくちゃ面白かったという話や、その「場」でまたご縁ができた神鋼ラグビー部のウイング瓜生靖治選手と、偶然にもその瓜生選手と小倉高校の先輩・後輩であると発覚したミキハウスのオガワさんとの出会いなど、書きたい話が山盛りなんだけど、まとめて読むのは面倒だろうし、てかもうちょっとバランスよく更新しろよという声が聞こえなくもないので、小出しにしたいと思います。


それにしてもラグビーは本当に面白い。そして奥が深い。むー。平尾剛さんに相談していたのだが、来年、いろんなチームの各ポジションから一人一人の方に、そのポジションについてや、生まれ育った環境などインタビューしたいと考えている。街の先輩である金村さんがいるラグビー酒場「サードロウ」にて今年現役を引退された元神鋼ラグビー部の鶴長健一さんに偶然にお会いし、彼のポジションであった「プロップ」についての話を初めて聞いて面白かったせいもある。面白いというか、泣けてきて、それは私にはラグビーになぜ自分が惹かれるかの原点があるようにも思えるし。インタビューしたものをどうするかはまだ漠然としか考えていないけれど、誰よりも私が読みたいものが書けたらいいなと思っている。それを想像すると楽しすぎてまた心が震えるのであった。


2006年12月19日

どうぞそのママ

「北新地 銀座 提携」という360級(適当)ぐらいの大見出しが目に入り、思わずキヨスクでその新聞を手に取ったら、やっぱり夕刊フジだった。「東西代表 夜の社交場」というベタにもほどがある見出しにも胸がわさわさとなり、もれなく購入。早速、駅のベンチで読みふける。


内容は…不況のあおりをくらいアップアップの北新地、これはマズいと北新地社交料飲組合が、銀座社交料飲組合に話を持ちかけた。てか、この状況マジヤバくない? でさ、考えたんだけど〜。普段オレのシマで飲んでる客が、アンタのシマへ行くじゃんか。でも、しらねー店はこえー。だから、行かない。それ勿体なくね〜? だからさ、オレッチの客をここなら安心だってアンタとこに回すし、アンタんとこの客もウチなら安心ってまわしてよ。オレッチ潤う、アンタ感謝される。逆もしかりで万万歳。ほら、スタンプラリーとかもしよーぜー。おー!!(握手)


もー、こんな記事を1面トップにする勇気、いや男気ならぬおっさん気は、夕刊フジにしかないよなあ(黒川博行さんの連載『大阪バガボンド』も、本当におっさん丸出しで楽しすぎるし)。それはさておき、でも、この記事はそもそも誰にそのメッセージを向けているのだろうと不思議に思った。


もちろん、このシステムを喜ぶ人もたくさんいるはず。私のところにも北新地のおっちゃん飲み友達から、「今、銀座やねんけど、ケイコママのとこぐらいの値段で、ええことしらん? ウィ〜ッ、ヒィ〜ック。そこ右や、いやちゃう左いってくれ(タクシー風)」などと、たまに夜中にろくでもない電話が入る。ほんまにもうー、おっさん、命がけである。


同じくおっさん体質極まりないアオヤマは、この記事の背後の、そのまた奥にいる命がけなおっさんの気配に鼻がひくひくとなった。

北新地を庭と豪語するデスク部長は言う(以下、妄想)

「タカノ(注1)のおばはん(注2)とこも大変んみたいやなあ。こないだも、えらい酔うて言うてたで(注3)。そういうたら、なんや河口のおっさん(注4)が銀座と組むんやーて言うてるなあ。それ決まったら、トップ(注5)いったれや。お、ほんまか、アゲインのマミ(注6)もそんなこと言うてたなあ。いったれいったれ。絵ぇ(注7)は、新地は本通りや。銀座は和光でええやろ」

注1:タカノ→座ると2万、ボトルを入れた日は5万のクラブ。ママは北新地で1番と言われたクラブで雇われママをしていて独立。誰もが知る有名なひと。こうなると、名前ではなく店名で呼ばれることが多い。ジュンコとか名前を言うより、なんとなく名字をそのまま店名にした方が、値打ちっぽい。ちなみにタカノは仮名

注2:おばはん→親しいママをなぜかわざわざ「おはばん」と言いたがるのが、おっさんという生き物

注3:えらい酔うて言うてた→オレには愚痴までこぼす…つまりそういう親密な関係。ということを暗示した、大人っぽくさりげない自慢

注4:北新地社交料飲組合の河口貴賦理事長のこと(実名)。たぶん、きっと、おそらく何度か一緒に飲んでいる。もちろんお互いが会うときは、役職付きの呼称で呼びあう。それが大人の礼儀。なぜか、肩書きが大層になるほどに、親しくない人からも陰で「おっさん」よわばりされるのが関西風味。知事も社長もセンチュリーに乗るようになったら、一般人からは「おっさん」扱いされる


注5:でっかく一面にドーン!といったれや〜。タカノのおばはんも喜ぶやろ(と心の中で思っている)

注6:永楽町のスナックの女の子(仮名・自称23歳・よく言えば崩れた常盤貴子風)。クラブとか面倒くさいから、スナックの方が気楽でええわ、と週に4日だけヘルプのような状態で入る。だからなんでも責任なくペラペラ喋る。

注7:紙面を語るメインカット。 北新地はやっぱり本通りがメインストリート。でも、両方がネオン街の写真になると絵がかぶる(似てくる)ので、銀座はちょっとイメージカットっぽく澄ました感じにしてみた。関西人ならではのメリハリ


という感じに、これは北新地の中に向かう、ママや女の子への励ましのメッセージであるような気もしなくはないが、でも、これだけ妄想を掻き立てるってことは、何百万のおっさんの同胞も同じようにニヤニヤと読んで、久しぶりにチカんとこに顔だすか!なんて張り切っているに違いないのである。ちなみにチカちゃんは、アオヤマがミーツ時代に連載をはじめた「ダメよだめだめ北新地」というコラムを書いてくれている、座って4万円ぐらいのクラブのホステスさんである。


さてはて、北新地と銀座のタッグ話を聞き、思い出したのがクラブKのさっちゃんママ(仮名)。今までたくさんの先輩に揉まれてきたアオヤマであるが、このさっちゃんは思い出深い。北新地で遊び始めた頃にご紹介いただき、以来ものすごく可愛がっていただいたけれど、それは同時にぶるんぶるん振り回された数々の夜を思い出させ、もう眠いよぉ帰りたいよぉ家がどこかわからないよぉ〜と泣いた涙のしょっぱい味も、同時に思い出すのであった。打ち止め宣言の出せない夜は、朝になろうが終わらない。さっちゃんママが「もういらない」と言うまで、止まらないわんこそば。ママという人種について、体にいろんなものをたたき込んでくれた人だった。相手には断らせないけれど、自分ではいともたやすく断る。それがママというものである。これ、結構難しい。どちらかといえば芸に近い。


このさっちゃんママがもう何年か前になるけれど、本業のクラブ経営以外に触手を伸ばし、創作和食店を出店したことがある。値段もこなれた居酒屋風で、なかなかいいお店だった。なので、ある本で掲載しようとしたことがある。それは総集編の別冊だったので、写真は以前に撮影したものを流用しようと考えた。けれども、写っているスタッフが変わったので再撮影をしてほしいとママ。わかりました。撮りました。本ができ上がりました。やれやれ。その翌日、アオヤマの携帯に着信。さっちゃんママは不機嫌に言う。「店、閉めたから」。えっ? 「もう、小さいことやってらんないわよ」。ママはその時期、銀座にも出店した2軒目のクラブ経営に夢中だったので、私が作っているような「ちっぽけ」な雑誌なんてもうどうでもいいワケである。ただひたすら絶句する私の気配を感じたさっちゃんママ、幾多のおっさんをゴロリと崖の下に転がしてきた甘い声で囁く。「久しぶりに遊びましょうよ〜。今週末あたりなんて、どうでちゅか〜。あぁおぉやぁまぁさぁ〜んん(ハート)」


「北新地 銀座 提携」の夕刊フジを読んで思った。「これはさっちゃんママ、追い風やなぁ」。そして、その追い風に乗りまくりほくそ笑むさっちゃんママの顔を想像すると、怖くて逃げたいのにちょっぴり会いたくなるのはなんだろう。それもママの、ママたる芸というものなんだろう。

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