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Julio 2007 アーカイブ

Julio 5, 2007

スペイン人反省してる?

■オルデン・ヒメーネスはこう云った:
「インディオはスペイン人に『発見』されるまでは、とても幸せに豊かに暮らしていました」

航海には多額の経費がかかる。
しかも時代は「大航海」だ。さぞかし「大」経費がかかったことだろう。
この出費の埋め合わせと、スペイン人に新大陸でのインセンティブ=やる気を与えるという2つの目的のもと、1503年、切り取り御免の農園経営制度・エンコミエンダ制がスタートした。
手元の辞書はこの制度を、「インディオ搾取に利用された。」と叩っ切る。
そりゃそうだ。スペイン人からすると、「新大陸は見つけた俺のもの、インディオも見つけた俺のもの、がっつり使わにゃ損損」ってとこだもの。
とはいえ人間は(私だけかと思ってたら)意外にみんな気が弱いらしく、これを正当化する根拠を欲した。
ましてそれが「正義」であってくれるなら、こいつは万々歳の棒棒鶏だ。
で、コネコネ考え出した。

曰く、
1)すべて人類は、神が創りたもうたアダムとイブの子孫である。(本人がそれを知っているかどうかは関係なく)
2)そして神は、地上でのキリストの代理権を、ローマ教皇に授けたもーた。
3)さらにローマ教皇は、そのスペイン領での代理権を、スペイン王に授けられた。(なんたってスペイン王は、カトリックを擁護する善き王なのだ)
4)そんなスペイン王は新大陸に、その代理として、聖職者たちを遣わせなすった。
その目的は、あまねく祝福されるべき神の子たちに、人間らしい暮らしを教えること。
こりゃもう神の御心に沿うことはなはだしい。
やったね! これって正義だ正義だワーイワーイ。

こうして無事に名目も立ったことで、新大陸でエンコミエンダ経営がじゃんじゃん行われるようになる。
土地とともに囲い込まれたインディオたちは、宗主国スペインが欲する農産物の生産に従事させられた。
それまで必要があるときに森に入って食料を調達しながらのんびり暮らしていたインディオ(註:思想史教授オルデンの説明による)は、いきなり、なんだかわからないまま「西洋的労働」を強制されることになった。
西洋的労働とはつまり、ただひたすら命令に従って朝から晩まで働くこと。
おお、神に祝福されたという西洋的ライフのなんと、今日的視点からすると「非人間的」なことよ。

とはいえ、この労働には給料が支払われた。
いくらスペイン人でも、タダ働きさせるなんて、まさかそんなひどいことはしない。
しかも、時計に基づいて行動する西洋式の生活習慣を身につけてぐうたらなインディオたちが効率的に労働できるように、もとい、野蛮なインディオが幸せな西洋式ライフを満喫できるように、住宅までが用意され、入居を遠慮する謙虚なインディオを含む全員がそこに押し込められた。
わあ、親切だなあ。
なんせ神は、すべての人類をあまねく祝福しちゃったもんで、ね。
ただしそんな慈悲深き神、の代理のローマ教皇、の代理のスペイン王、の代理の聖職者たるエンコミエンダ経営者は、インディオに給料を支払う際、住居費や食費などの必要経費をがっぽり差っ引いた。
……って、寮完備をうたう現代日本水商売のやりくちじゃないっすか。気がつきゃ借金返すために働いてる羽目になるからくり。なんて、非人間的な。

とはいえ、インディオには選択の自由があった。
いくらスペイン人でも、神の子たちを一方的に奴隷化するなんて、まさかそんなひどいことはしない。
神の代理の(以下略)エンコミエンダ経営者は、インディオの前で、ローマ教皇とスペイン王の名において、彼らの自由や意思は尊重されるという文書を朗読することを義務づけられた。
たとえそれが現代日本金貸しのCMの「ご利用は計画的に」というアナウンス、および、同じ画面の下に異様な速度で流れる微小な文字の注意事項と同じようなものだとしても。
そしてこのエンコミエンダの文書朗読にも、そんな「但し書き」があった。
ひとつ。上記の「自由や意思は尊重」されるのは、インディオが祝福されるべきカトリック教徒に改宗した場合のみである。
ひとつ。もしもインディオが改宗を拒んだ場合には、当人ばかりかその女房・子どもすべてが奴隷にさせられあらゆる不利益を被るだろう。
この不利益は「宣告の効果」と呼ばれ、朗読を聞かされる本人が内容を理解したかどうかには関係なく効力を発するものとされた。
「いやお客さん、ちゃんとここに小さく書いてあるじゃないですか、ほら」
こういうザ・資本主義的なやり方もまた、西洋式ライフともに新大陸に渡ったのだろう。
タバコや梅毒をヨーロッパにお返ししたくらいじゃ足りなかったかもね。


■アタウアルパはこう云った:
「私にはさっぱり聞こえません」

もうひとつ、スペイン側は勝手な「宣告」をした。
そこにキリスト教徒がひとりでもいれば、彼を護るため、インディオに戦争を仕掛けることができるという内容。
これは中世においてレコンキスタ、つまり対イスラム戦争で用いられたのと同じロジックだった。

1532年、現ペルーのカハマルカという町の広場。
ピサロともうひとりのスペイン人コンキスタドール、そして聖職者ビセンテの3人が、数多くのインディオを従えたインカ帝国の王アタウアルパと向き合っている。
通訳は、改宗インディオがつとめた。
「我々は、友好を深めるためにやってきました」
スペイン側がまず、まるで腹黒い宇宙人のようなことを言う。
「わざわざ遠くから、ほんとうによくお越しくださいました」
アタウアルパは、礼儀正しく答えた。スペインという国の遠さを考えると、彼らの言うことがまんざら嘘とは思えなかったのだ。
聖職者ビセンテが、口を挟む。右手に十字架を、左手に宗教関連の書物を掲げている。
「蛮国とはいえ神つまりローマ教皇と交誼を結ばれるのならば、十字架を崇め、神の福音を信じなさいますね?」
「は?」
アタウアルパは、ことばの意味をつかめないまま、誠実に答えた。
「いえ、私どもには不死の太陽がありますので、その他になにも信じる必要はありませんが。あの、そのようなことを、いったいどなたが仰ってるんですか?」
「この書物が。」
聖職者ビセンテは、左手に持った書物を高々と掲げた。
アタウアルパはビセンテに乞うてそれを手に取り、しげしげと見つめた。
「へぇ、これがですか……。どれどれ」
アタウルパは本を耳に当てると、しばらく待った。
やがて痺れを切らし、首を傾げて本を耳から離すと、つまらなさそうにパラパラとページをめくった。
「おかしいですね? これはなにも言いませんよ。私にはさっぱり聞こえませんが」
アタウルパは用意してあった玉座に戻ると、その本を無造作に投げ返した。
その瞬間、聖職者ビセンテの雄叫びが広場にこだました。
「皆の者! とくとその目におさめたに違いない。これら異教徒どもは、我々の信仰をないがしろにする者である。それはつまり、我らがスペイン王に、ローマ教皇に、神に、弓引く者ということに相違ない。いざ出でよ、銃口の狙いを定めよ、そして皆殺しにするのじゃ!」
このことばに、それまで広場を囲む建物の陰からこわごわと様子を観察していた兵士たちが弾かれたように立ち上がり、銃を構えると、その場に居合わせたすべてのインディオを蟻を潰すかのように殺戮しつくした。
以上、ほんとの話。(私が付け足したのは「腹黒い宇宙人」くらい)
正義、の効果はすごいなあ。


考えてみればややこしい。
もし人間が自然と「分捕ったものは好きほうだい搾取し、邪魔なものはしゃにむに殺す」ような生き物だったら、わざわざこういう理屈やら正義やらをこね出さなくてもいいはずだ。
でもどんなに正義を説かれたって、他人の排泄物を好きほうだい口に入れるとか、長年慈しんで育ててきた子を家が狭くなったからとざっくり殺すとかって、ふつうはあまりしないだろうから、とするとやっぱり人間は、本当は搾取やら殺人やらをできる生き物なのかもしれない。
でもそういうのをするには、「それが○○のためになる」という正義を欲するらしい。
それも、すごく強く。
だじゃらスペインはそれをひり出すため、当代の最高の知性を結集させてまで、ああいうザ・資本主義なやり方を編み出した。
それがなかったら、いくらド貧乏なエストレマドゥラ州出身のコンキスタドーレスどもとて、あないな虐殺はしなかったかもしれない。
「正義」が人間を野蛮にできる、ということか?
ああややこしい。

「俺は本当はこういうことをしたくはまったくないんだけど、○○(自分以外の誰でも)のために仕方なくやるんだ」と言い訳しながらじゃないとできず、でもいざやるとなるとけっこうむちゃくちゃやる。
ひょっとしたら、「そういうことを実はけっこう楽しみつつむちゃくちゃやってしまう」自分をあっさり認めてしまうとなんかしらデメリットがあるから、その部分は「自然には起動しないもの」として設定しているのかもしれない。
自分でかけた錠を正義という「ことば」で外したのは自分なのに、あくまでも鍵はよそからやってきたものと言い張り、しかも錠を外されて「それをやる」自分はあくまで「自分」ではないものと措定しないとやってられない。
ああややこしいったらややこしい。

コロンブスが新大陸を発見した10月12日はスペインのナショナル・ホリデーで、国王列席のもと、軍のパレードがにぎにぎしく行われる。
たぶん、国家の行事としてはいちばん大きなものだ。
例年、この日には旧植民地の国のひとびとが反対のデモを行うのだが、パレードが縮小されたという話は聞いたことがないし、そんな機運もちっともない。
とはいえ、いまどき「新大陸でスペインはいいことをした!」と無邪気に言い張るひともいない。
どうも、内心は悪いことしたと思っている分だけパレードが盛大に行われる、そんな気がする。
アメリカが「原爆のおかげで戦争が早く終わった」と思い出したように言うのも、そういうところがあるんじゃないだろうか。
そうでも言わないと、どうにもやってられない思い。
人間って、みんなわりと気が弱いのかもね。
(と書いてたら、まさに地元長崎出身の久間防衛相辞任の話が。原爆のむごさをよく知る被爆地出身で、でも戦争放棄した国の防衛相=同盟国アメリカの出先機関のトップだったからこそ、ああいう「正当化」発言が誘い出されたか? しかし今回、誰もが「『久間大臣、爆弾発言』っていうかこりゃ『原爆発言』だよね」と思っただろうに、書いてないね。これって、タブー?)
最近、日本で第二次大戦中のいろいろを正当化する発言が続くのも、逆に、「どうやら日本はけっこうひどいことをしたらしい」って認識が浸透した反動なのかもしれない。
「俺はやってない」が無理なら「たしかに俺がやった、が、それは俺のためじゃなく○○のため正義のためだったのだ」とでも思わないと、まあしんどいもんねえ。
とはいえ、いちばんしんどかったろう「殺されたひとたち」は、正義とかなんとかを借りてきて自分の死を正当化したりはできないわけで。
やっぱり「俺」だけサッパリするのは、どうも申し訳ない気がするなあ。
というわけで、10月12日のパレード中継はなるたけ見ないことにしています。

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