何を隠そう、これでいいのだ。
何を隠そう私は尺八部出身である。
ただしすぐに飽きてやめてしまったので、吹けるのは「しいろおじいにいああかあくう」の「日の丸の旗」だけである。
しかし尺八を初めて持ったそのときから割合きれいな音が出た。
先輩に「紙のように薄べったい空気を吐け」と言われて、その通りにしたらボーという汽笛のような音がすんなり出た。
「なんだ、音出るじゃん」と得意になったが、まあそれこそただ出たというだけのことで、尺八本来の音なぞゆめゆめ出ようはずがない。
しかしあのまま修行を続けていたら、今頃は新進気鋭の尺八吹きとして演奏会に引っ張りだこ、「竹の王子様」としてお琴のおばさまたちにちやほやされていたかもしれない。
今では居酒屋でビール瓶を吹き鳴らして嫌がられている。
劇場の仕事がたてこんできて苦しいなと思っていたら、本業以外の仕事も色々と仰せつかった。
だから単に仕事量が増えて辛いかというとさにあらず、楽しい仕事に熱中していると嫌な仕事を忘れられるし、楽しい仕事でエンジンの回転数が上がった余勢で嫌な仕事をぱっぱと片付けられる。ありがたいありがたい。ぱっぱっぱ。
近いところでは21日に上野の芸術的な大学で一日だけの集中講義。こちらに呼んでいただくのは三度目である。
前にも書いたが各種講座でお喋りをするのは伝統芸能業界にとって大変重要な責務であると思っていて、「アルバイトの暇があったら仕事しろ」と言われようが、びしっとリキを入れてお座敷をつとめるように心がけている。
レジュメを作りながらうきうきと話の組み立てを考える。
出席の諸君は歌舞伎の興行・運営の歴史と現状およびその問題点についての瞠目すべき考察の一端を垣間見て思わず腰を抜かすことであろう。
通信社系国際硬派週刊誌からは二回続きでスペースをいただけるとのご連絡。
前回は「中国の軍事改革」「ミャンマー政権の孤立化」などに混じってイタリアの「解剖学教室」や「蝋細工標本」について喋り立てるという暴挙に出たが、今回は「明治時代のヘンテコ歌舞伎」について書くつもりである。
なにしろ前回のはイタリアの文化財保護政策を鋭く批判したものだし、今回のは明治期日本の〈外国人〉イメージの形成を歴史社会学的に追究することになろうから、国際硬派誌にはうってつけであるのだ。
これでいいのだ。