9月28日(水)
とうとう、夫の9月末での定年退職までカウントダウン状態。
思えば、6月の頭に夫が退職届けを出した時には、わかっていたこととはいえ軽くパニック状態になったが、今は、10月からどんな風になるのだろう、と少しは落ち着いたものの、楽しみと不安とが入り混じった気持ちだ。
義父の死後、生きる気力を失った義母の状態は相変わらずよくなく、毎週末door-to-doorで4時間かけて里帰りをしているが、それでは追いつかなくなってきた。その母のため定年退職の時期を早めることを決めたと一人息子である夫から聞いたとき、「とうとう来たか」と観念したが、正直なところ戸惑いのほうが大きかった。
年がずいぶん離れている夫と一緒になったとき、夫のリタイヤ後、私の(仕事)都合中心の生活を思いっきり思い描いていた。
夫が家を守ってくれるので、比較的自由に仕事が選べるとも思った。
それが、夫のリタイヤのせいで、折角見つけた仕事をやめなくてはいけないとは・・・。
ショックではあるが、義母がひとりで生活するのがむずかしくなってきて、お手伝いさんを受け入れてくれない以上、一人息子である夫が世話をし、またその世話をしたいと思っている夫の気持ちももっともだと思うし、夫婦は常に一緒にいるものだ、とも思っているので、私としては選択肢が限りなくひとつに近いわけだ。
今日、夫は会社でパーティーをするらしく、あらかじめ注文しておいたプチケーキやつまみものを取りに行き、ワイン1ケース、その他お菓子や飲み物を車に積んで、一足先に家を出た夫の会社まで届けた。会社の内部にはセキュリティーが通してくれないので、夫が会社から出てくるのを待つ。一緒に出てきた夫の同僚とにこやかに握手を交わし、彼らがオフィスと往復するのを待っている間、なんだか私まで仕事を終えるような感覚になり、このまま家に帰りたくなったが、そういうわけにはいかない。
私の仕事自体は、非常に単調だ。
1年前に比べるとバタバタ度も低くなり、ルーティンワークばかりをこなす中、はっきり言って、手持ち無沙汰な時間が多い。余計なお世話だが、私が抜けたところで、仕事の支障はほとんどないだろう。そういう意味で、「辞めます」と言うのに何の後ろめたさもなく、迷惑もかけないだろうから、安心して何時でも言える状態だ。それなのに、私を置いてくれている上司には、いるだけで給料がもらえているのだから感謝しているのだが、はっきり言って、面白くない。ここのところそういう時期が続いているので、体だけ拘束されて、変な意味で「窓際族」のようなプレッシャーみたいなものを感じ、なんとなく体調も悪い。それで、家で夫に「私も早く辞めたいなぁ。」と言うと、
「君のその給料は僕たちにとってはありがたいものなんだよ。もうちょっと頑張んなさい。」
「僕もそういう状態が3年以上も続いているけど、給料をもらうために我慢したんだ。」
などと聞かされると、改めて考えさせられる。そうなんだ。家族がいるっていうのは、こういうことなんだな、と。
なんだか言っていることがまとまっていないが、要するに、私は今年いっぱいまで働く予定でいる。
そして、来年からは義母のいるところに住むことになる。
その間、夫は里との間を行き来し、今の家を売り払い、引越しの準備も同時に進める。
さらば、トリノ!である。
(トリノの冬季オリンピックの直前だなぁ。その時期に人に貸したら一儲けできるかしら。なんちゃって。)
そして、パルマ郊外の田舎町に住み、また一から出直し。
私は海外赴任を除くと引越しをしたことがなく、新しい地でまたすべてを仕切り直しというのに慣れていない。
言葉がわからなく(方言)、友達もいない、お店も知らないところに行って、ネットワークがゼロのところで新たに仕事を探すことを考えただけで、胃がキリキリと痛くなる。
あのイタリアに来た当初の苦しんだ日々がよみがえる。
慣れている人にとっては、どうってことはないのだろうが、真っ白な状態で、自分のテリトリーを切り開いていくことを考えるだけで、「どうしよぉ。」と不安になる。日本から家族や友達がそろって反対する中、イタリアへ飛び出してきたことを思えば、軽いもんだ、と思い込もうとはするが、何が一番不安って、稼ぐ手段が見つかるか、ということだろうか。
夫との時間は私の一生の間、ずっと続くわけではおそらくないので、経済的に私は自立していないと不安で仕方がないのだ。
おそらく、夫は私によかれと思って取り計らってくれるだろうが、義理の娘、息子たち、そして、何よりも怖いのは元妻の存在。夫の死後、自分の身は自分で守らないといけない。常にそのことが頭にあるので、自分ひとりでも生きていける状態になっていないといけないと思っている。義理の娘や息子とは特に波風が立っているわけではないが、元妻には夫の退職金の半分は持っていかれるらしい。離婚が成立しているのに、いつまでたっても元妻の影が脅かす。私がイタリアの法律にうといこともあるが、そんな事実がやはり私の不安に輪をかけるのだろう。時折届く弁護士からの手紙。支払いの要求。そういうことから、夫の退職後は解放されるのだろうか。一抹の期待を持っている。
期待していることといえば、毎週末の移動もなくなって、落ち着いた生活がやっとできるようになるだろうか、ということ。
結婚してすぐに妊娠したが、あいにく流産し、悲しむ間もなく義父の調子が悪くなり、そのころから毎週末の里帰りが始まった。それで日記を書くペースもすっかり乱され、仕事も給料はなかなかだが面白くないし、子作りに励むも、やはり心身ともに充実していないから、なかなか授からない。最近は「不妊にきく」という台詞に敏感に反応し、友人の子供と楽しそうにしている様子をみると、心がズキズキすることもある。子供が成人するまで夫には生きていて欲しいし、できれば義母にも新しい孫を見て欲しい。そんな風に自分で自分の首を絞めていることもあるのかもしれないけど、新しい環境であらためて少し「ゆったり」とすることによって、望むような結果につながることを期待している。
そんな風に当初の「退職」ショックから、少しずつ心が晴れ始めている。
そのきっかけは、ある週末に訪れた夫の友人のところで行われた会話を聞いたときだった。
「お前のリタイヤ後、彼女はどうするんだよ。」
「彼女もリタイヤ生活をするのさ!(ニカッ(笑))」
そっか、私も「(擬似)リタイヤ生活」を楽しめばいいんだ。
頭の中でパズルがパチリとはまった感じだった。
夫の周りにはリタイヤした友人がたくさんいるが、共稼ぎのカップルが増えている中、片方が定年でも、もう片方がまだ数年残っていたりして、いわゆる理想的な夫婦のリタイヤ生活というのはなかなかできていなかったりする。中には、リタイヤ・シンドロームとでもいうのだろうか、夫が家に常にいることに双方が慣れなくて、離婚してしまった人もいる。それが怖くて、リタイヤする数ヶ月前からそうならないためのコースに夫婦で通ったりする人もいる。そういうのを見ていると、リタイヤというのも人生の関門のひとつなんだなと思う。私にとって、リタイヤ生活というのは、夫婦仲良く時間を気にすることなく、ゆったりとやるべきことをやりながら、好きなことにも遠慮なく時間をさくってことかなぁ。そう意味で、私たちはしばらく理想的なリタイヤ生活を送ることにしよう。
とはいえ、年明けまで3ヶ月ある。
なにはともかく、10月から夫は家にいて、私はまだしばらくは仕事。
「やっと主夫として家でゆっくりできる!」
と喜んでいる夫は、里に行かない日は、言葉どおり、きっと家でゆっくりするんだろうな。
それは実際目の当たりにすると、
「ずる〜い。私もゆっくりしたい。」
と思ってしまうに違いない。
そうすると、
「さあ、君はがんばって家のために稼いできてねー。僕は家のお守りをしているよ。いってらっしゃ〜い。」
とでもおどけて言われるだろうか。
全く、どこの誰のせいで、私は本人と同じぐらい稼ぐ仕事をやめることになったことやら・・・。