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Ottobre 2005 アーカイブ

10.10.05

リタイヤは大変

9月28日(水)
とうとう、夫の9月末での定年退職までカウントダウン状態。
思えば、6月の頭に夫が退職届けを出した時には、わかっていたこととはいえ軽くパニック状態になったが、今は、10月からどんな風になるのだろう、と少しは落ち着いたものの、楽しみと不安とが入り混じった気持ちだ。

義父の死後、生きる気力を失った義母の状態は相変わらずよくなく、毎週末door-to-doorで4時間かけて里帰りをしているが、それでは追いつかなくなってきた。その母のため定年退職の時期を早めることを決めたと一人息子である夫から聞いたとき、「とうとう来たか」と観念したが、正直なところ戸惑いのほうが大きかった。

年がずいぶん離れている夫と一緒になったとき、夫のリタイヤ後、私の(仕事)都合中心の生活を思いっきり思い描いていた。
夫が家を守ってくれるので、比較的自由に仕事が選べるとも思った。
それが、夫のリタイヤのせいで、折角見つけた仕事をやめなくてはいけないとは・・・。

ショックではあるが、義母がひとりで生活するのがむずかしくなってきて、お手伝いさんを受け入れてくれない以上、一人息子である夫が世話をし、またその世話をしたいと思っている夫の気持ちももっともだと思うし、夫婦は常に一緒にいるものだ、とも思っているので、私としては選択肢が限りなくひとつに近いわけだ。

今日、夫は会社でパーティーをするらしく、あらかじめ注文しておいたプチケーキやつまみものを取りに行き、ワイン1ケース、その他お菓子や飲み物を車に積んで、一足先に家を出た夫の会社まで届けた。会社の内部にはセキュリティーが通してくれないので、夫が会社から出てくるのを待つ。一緒に出てきた夫の同僚とにこやかに握手を交わし、彼らがオフィスと往復するのを待っている間、なんだか私まで仕事を終えるような感覚になり、このまま家に帰りたくなったが、そういうわけにはいかない。

私の仕事自体は、非常に単調だ。
1年前に比べるとバタバタ度も低くなり、ルーティンワークばかりをこなす中、はっきり言って、手持ち無沙汰な時間が多い。余計なお世話だが、私が抜けたところで、仕事の支障はほとんどないだろう。そういう意味で、「辞めます」と言うのに何の後ろめたさもなく、迷惑もかけないだろうから、安心して何時でも言える状態だ。それなのに、私を置いてくれている上司には、いるだけで給料がもらえているのだから感謝しているのだが、はっきり言って、面白くない。ここのところそういう時期が続いているので、体だけ拘束されて、変な意味で「窓際族」のようなプレッシャーみたいなものを感じ、なんとなく体調も悪い。それで、家で夫に「私も早く辞めたいなぁ。」と言うと、
「君のその給料は僕たちにとってはありがたいものなんだよ。もうちょっと頑張んなさい。」
「僕もそういう状態が3年以上も続いているけど、給料をもらうために我慢したんだ。」
などと聞かされると、改めて考えさせられる。そうなんだ。家族がいるっていうのは、こういうことなんだな、と。

なんだか言っていることがまとまっていないが、要するに、私は今年いっぱいまで働く予定でいる。
そして、来年からは義母のいるところに住むことになる。
その間、夫は里との間を行き来し、今の家を売り払い、引越しの準備も同時に進める。
さらば、トリノ!である。
(トリノの冬季オリンピックの直前だなぁ。その時期に人に貸したら一儲けできるかしら。なんちゃって。)

そして、パルマ郊外の田舎町に住み、また一から出直し。
私は海外赴任を除くと引越しをしたことがなく、新しい地でまたすべてを仕切り直しというのに慣れていない。
言葉がわからなく(方言)、友達もいない、お店も知らないところに行って、ネットワークがゼロのところで新たに仕事を探すことを考えただけで、胃がキリキリと痛くなる。
あのイタリアに来た当初の苦しんだ日々がよみがえる。
慣れている人にとっては、どうってことはないのだろうが、真っ白な状態で、自分のテリトリーを切り開いていくことを考えるだけで、「どうしよぉ。」と不安になる。日本から家族や友達がそろって反対する中、イタリアへ飛び出してきたことを思えば、軽いもんだ、と思い込もうとはするが、何が一番不安って、稼ぐ手段が見つかるか、ということだろうか。
夫との時間は私の一生の間、ずっと続くわけではおそらくないので、経済的に私は自立していないと不安で仕方がないのだ。
おそらく、夫は私によかれと思って取り計らってくれるだろうが、義理の娘、息子たち、そして、何よりも怖いのは元妻の存在。夫の死後、自分の身は自分で守らないといけない。常にそのことが頭にあるので、自分ひとりでも生きていける状態になっていないといけないと思っている。義理の娘や息子とは特に波風が立っているわけではないが、元妻には夫の退職金の半分は持っていかれるらしい。離婚が成立しているのに、いつまでたっても元妻の影が脅かす。私がイタリアの法律にうといこともあるが、そんな事実がやはり私の不安に輪をかけるのだろう。時折届く弁護士からの手紙。支払いの要求。そういうことから、夫の退職後は解放されるのだろうか。一抹の期待を持っている。

期待していることといえば、毎週末の移動もなくなって、落ち着いた生活がやっとできるようになるだろうか、ということ。
結婚してすぐに妊娠したが、あいにく流産し、悲しむ間もなく義父の調子が悪くなり、そのころから毎週末の里帰りが始まった。それで日記を書くペースもすっかり乱され、仕事も給料はなかなかだが面白くないし、子作りに励むも、やはり心身ともに充実していないから、なかなか授からない。最近は「不妊にきく」という台詞に敏感に反応し、友人の子供と楽しそうにしている様子をみると、心がズキズキすることもある。子供が成人するまで夫には生きていて欲しいし、できれば義母にも新しい孫を見て欲しい。そんな風に自分で自分の首を絞めていることもあるのかもしれないけど、新しい環境であらためて少し「ゆったり」とすることによって、望むような結果につながることを期待している。

そんな風に当初の「退職」ショックから、少しずつ心が晴れ始めている。
そのきっかけは、ある週末に訪れた夫の友人のところで行われた会話を聞いたときだった。
「お前のリタイヤ後、彼女はどうするんだよ。」
「彼女もリタイヤ生活をするのさ!(ニカッ(笑))」

そっか、私も「(擬似)リタイヤ生活」を楽しめばいいんだ。
頭の中でパズルがパチリとはまった感じだった。

夫の周りにはリタイヤした友人がたくさんいるが、共稼ぎのカップルが増えている中、片方が定年でも、もう片方がまだ数年残っていたりして、いわゆる理想的な夫婦のリタイヤ生活というのはなかなかできていなかったりする。中には、リタイヤ・シンドロームとでもいうのだろうか、夫が家に常にいることに双方が慣れなくて、離婚してしまった人もいる。それが怖くて、リタイヤする数ヶ月前からそうならないためのコースに夫婦で通ったりする人もいる。そういうのを見ていると、リタイヤというのも人生の関門のひとつなんだなと思う。私にとって、リタイヤ生活というのは、夫婦仲良く時間を気にすることなく、ゆったりとやるべきことをやりながら、好きなことにも遠慮なく時間をさくってことかなぁ。そう意味で、私たちはしばらく理想的なリタイヤ生活を送ることにしよう。

とはいえ、年明けまで3ヶ月ある。
なにはともかく、10月から夫は家にいて、私はまだしばらくは仕事。
「やっと主夫として家でゆっくりできる!」
と喜んでいる夫は、里に行かない日は、言葉どおり、きっと家でゆっくりするんだろうな。
それは実際目の当たりにすると、
「ずる〜い。私もゆっくりしたい。」
と思ってしまうに違いない。
そうすると、
「さあ、君はがんばって家のために稼いできてねー。僕は家のお守りをしているよ。いってらっしゃ〜い。」
とでもおどけて言われるだろうか。

全く、どこの誰のせいで、私は本人と同じぐらい稼ぐ仕事をやめることになったことやら・・・。

20.10.05

そして、ダ・カーポ

10月18日(火)
どうやら気管支炎になりかかっているようで、胸が痛い。
のどが痛くて、鼻水が出だし、せきも頻発するようになっていたが、ただの風邪と思い放っておいたものの、胸まで痛くなるとさすがに心配になり、医者に行って来ると、3日間の養生を言われた。胸が痛い以外の症状は軽くなり、特に辛いわけではないので、会社に行こうと思えば行けるのだが、すでに働く気なし。ただ単に、月曜日休んだ病欠の書類だけ欲しかったのだが、思わぬ展開に、
「え?家にいないといけないのですか」
「今日だけでいいんだったら、そう書きますけど」
「いやいや、3日間でいいです。」
ってバカみたいな会話をしてしまった。
夫にそのことを報告すると、
「やっぱり薬の影響がもしあったときのことを考えて、車とかで外に出て欲しくないんじゃないの?」
そうなのかもしれない。薬もちょうど3日間分だし。

日記を久々に更新したのを機に、今度からは頻度よく更新しようと思って、毎日少しずつでも書き出すのだが、どうもその日中に書き終わらない。書くスピードが以前と比べると非常に遅くなっているようだ。であれば、毎日、なにそれがありました形式ではなく、ここのところの総括という形で、ちびちび書いてみよう。

夫のリタイヤ後の生活の変化は、やはり多少ある。
夫が家にいるときは、昼間にお皿あらいやアイロンがけをしておいてくれるので、余裕度がぐっとあがる。
今までもどちらか疲れていない方が家事をやってきていたが、今は心置きなくお願いができるというか、イタリア人にしては珍しい何でもやってくれるタイプの夫を持って、こういう生活はいいなぁ、と正直思う。

ただし、半分以上は里に帰っているので、会社から帰っても誰もいなし、特に10月の頭は雨が降り続き、セントラルヒーティングもまだついてこないし、屋内も冷え冷えとしていて、心までひょーひょーと寒くなり、ついついオフィスから出るのが遅くなったりしていた。別に明日やればいいようなことを、ついつい終わり間際に始めてしまうからだ。そして、チンタラチンタラやっているうちに帰りそびれるというか、ある種の一人身の気楽さである。
あわてて夕食の準備をする必要もないし、冷蔵庫の残り物を適当に使って、机にテーブルクロスを敷くこともなく、思いっきり適当に食べる。
当然味はおいしくない。
やはり食事は誰かと一緒に食べたいものである。
そんなこんなで、突然友達に電話し、無理やりOKを言わせて食事に押しかけたりした。
カップル単位だと気を張るが、私一人だというと、案外友人たちは気軽に引き受けてくれる。

アルゼンチン人の弁護士さんは、離婚して一人身。
彼女には植物を3種類ほどお土産に、というか、引越しする前に少しでも植物を減らそうと、ご協力を頂いて、訪ねてみた。
町の中心部の素敵なパラッツォの屋根裏部屋。屋根の傾斜と木の支柱に白い壁。私のドイツにいたころのアパートを思い出す、非常に心地いい空間に住んでいた。でも、彼女の置かれている状況は相変わらずで、おしゃべり相手にもそれほど恵まれていないのか、数ヶ月ぶりに会う私相手に堰を切ったようにしゃべりだした。どうやら、まだ元夫との離婚ショックを引きずっているようで、それにいたった経緯を詳しく説明してくれた。弁護士としてそれなりの生活をしていたのに、イタリアではまだ定職も見つけられず、頼ってきた親戚ともなかなかうまくいっていない模様。誇り高い彼女にとって、なかなか辛い時期を過ごしているのがビシビシと伝わる。まだどこでどう暮らしていこうか、思いも定まっていないようだ。両親がイタリア人なので、彼女はイタリア国籍も持っているとはいえ、異国の地で、あの小さな肩にすべてを背負って生きていくのって大変だろうな、と、明日はわが身じゃないけど、本気でご同情申し上げる。
話の途切れに、彼女は席を外した。
小さい部屋なので、トイレを使用している音がドアの向こうから聞こえてくる。
彼女はまず水を流した。
あれっ?こういう音を気にするのって女性でも案外日本人だけだと思っていたけど、意外だった。かといって、話題にしてもいいのかわからなかったので、あえて聞かなかったけど・・・。
そんなこんなで彼女の愚痴をひたすら聞いているうちに、時計は23時をまわっていた。家に帰ると、夜中。時間を気にせずに、友と語らうっていうのも、一人身じゃないとできないことよね。

10月の第1週末は、トリノで、夫の同僚と私の友人をごちゃまぜにして、退職おめでとうの夕食をして、里に帰らなかったので、その後、早々に里に行った夫が、第2週末には「是非来てくれ」というから、何事だろうかと里にかけつけてみると、特に用事はなし。ただ私に「来て欲しかった!」ということだけらしい。1週間離れていて、寂しかったのね。肌のぬくもりを感じて安心するのは私も同じ。やはり、夫婦は常に一緒にいなくては・・・。

一緒にトリノに帰ってきて、しばらくすると、また里に向かった夫。
残されたトリノでの日々を有効に過ごすために、私はまた友達に連絡をとった。
近所に住む唯一の日本人の友人。お互い仕事を持っているから、なかなか会えなかったりするんだけど、「ひとりなんだったら、近くなんだし、ウチで夕食食べなよ」と誘ってもらい、お邪魔した。
イタリア人のダンナは「粉系の料理で遊ぶのが好き」らしいので、やはり、何か「粉系の遊んだもの」を持っていくべきかナ、と思い、たまたま手元に残っていた白玉粉を利用して、白玉団子のお饅頭を作って持っていった。
小豆はたまに買って、まとめて煮て、粒あんにしたのを保存しておくので、それを冷凍庫から出してチン。あとは白玉粉を水で練り練りして、そこにあんこをつめて、またレンジでチン。初めて挑戦してみたが、案外簡単に出来た、白玉団子。ヴァリエーションとして一部には白ゴマを表面にまぶして、なんだか、点心みたい。表面がプルルンとしていて、われながらおいしそうに出来た。
こういうお遊びができるのも、夕食を作る時間を気にしなくてもいい、一人身の特典かな。
セントラルヒーティングもはじまって、家の中は快適。なんとなく心までホクホクと暖かくなってきた。
友人宅では、そのダンナさまが粉を調節して作った自家製のパンをはじめ、また違う家庭の味を堪能。結婚してみて思うのは、やはり自分以外の人が作った料理って、とってもありがたいのよね。たまに息抜きしたくなっても、外食は高いし、里の義母は当てにできないし、友人宅にもそうそう気軽にいけないし、実家ははるか彼方。夫は最近同じものしか作らないし、私の貧しいレパートリーの中から、いつも似たようなものばかり食べていて、飽きるのである。やっぱりたまには、友達とこうやって食事っていいもんだなぁ、としみじみ。
また、この9月に日本に3週間ほど行っていた彼らは日本からたんまりと食料を調達してきたようで、ノリやら、デリケートな味付けの昆布やら、非常においしいものを出してくれた。
和食万歳である。
トリノでは、日本の食材は大抵中華系のお店で調達するが、品揃えは大したものではない。しかも、賞味期限が切れたものを上からシールを貼って隠し、平気で売っているのも中国風である。
彼女はパリで見た日本人街の日本人用の商品充実度を目を輝かせて話してくれた。
私が、「ミラノより充実してるの?」なんてピンボケな質問をすると、
「当たり前じゃない!日本人の数が違うわよ。」
と言われてしまった。
なんだかんだいっても、イタリアは田舎ですからねぇ。華のパリと比較しようというのが間違っていたのね・・・。
そのトリノよりさらに田舎の、ど田舎村に引っ越す私は、やはり日本から持ってくるしかないのかしら・・・。

だいたい、日本から持ってくるといっても、一人で持てる荷物なんて、たかが知れてる。
彼らはカルピスのパックを2つも持ち帰ったのである。
「液体なんて重いじゃない!」
「そんなぁ、こんなの重いうちに入らないわよ。1キロもないんだし。」
彼らは弓道をしているので、その弓やらお道具などを持ち帰るために、JALやANAで特別枠をもらっているらしい。それもちゃっかり2人分。
それで、いろいろ持ち帰れるらしい。
そんな言い訳もない私は普通のエコノミーだし、ちょっとつめただけですぐに20キロをすぐに超えてしまう。
その昔、香港へスーツケース1個で赴任を言われたとき、超過料金のことを知らなかった私は、ありったけつめて行った結果、その超過料金だけで、軽く手取り月給近く吹っ飛んだ経験がある。その当時は非常に超過にシビアだった。エアラインにもよるのかもしれないけど。

それにしても、今回は弓道の試合が見れただの、四国を旅行してきただの、食料調達してきただの、本当にうらやましい限り。
夏休みに夫婦で帰国する人はたくさんいるけど、みんな大抵、1ヶ月ぐらい滞在するらしい。もっとも往復の事を思えば、それぐらいいないともったいない。
うちもやってみたいとは思うけど、その受け入れ先が、諸手広げて歓迎というのと、あんたはダメというのでは、やっぱり感触が違う。
未だに夫のことは受け入れてもらえず、夫がいると、家にさえ入れてもらえない。
今年年初の兄の結婚式のときに、がんばって交渉してみたが、やはりダメだった。
一度強行に帰国したことがあるが、その時は逃げられてしまった。
今度押しかけると、どうなるかと思うが、いざって時のために、ホテル代やら、お友達に頭を下げて転々とするか、なんて考えるだけで、気持ちが萎えてしまう。
私だけ帰国すると今は問題ないのだが、夫と長期間離れているのは気になるし、いやだし、どうしても腰かけ程度の滞在となってしまう。
夫がリタイヤした現在、仕事を休むことを気にすることもないし、私自身の仕事はなるべくリモートでコントロールできるような形を目指して、一度落ち着いて夫婦で日本に滞在したいと思っている。もっとも義母の事もあるので、それが落ち着いてからということになるだろうけど。

里からの夫の報告によると、義母はまた目の周りに黒いクマを作っていたらしい。
夏休みに帰ったときに私が見たときも、まるで漫画の世界でパンチをくらったかのように、みごとに真っ黒けのパンダちゃんになっていた。
どうしたの、と聞くと、コケたと言うのだが、その説明が1時間おきに変わってくる。本人はその時は本気でそう思っているのか、私たちを心配させまいとウソを言っているのか、とにかく説明がコロコロ変わっている自覚はまったくない。
ただ、死にたいと繰り返すのみの義母は、食べないし、悪いことに、アルコールを飲みはじめた。
それも好きで飲んでいるのではなく、体に悪いことを知っていて、わざと飲んでいるのである。食べずに飲んでばかりいるから、唇はどす黒い紫色になり、目の周りも赤くなっていることも多い。幸か不幸か、足腰が丈夫なので、ひとりで買い物に行く。そして、いつも何があるかを忘れて、同じものを買ってくるので、冷蔵庫の中は古くなったサラミとチーズとトマトとフィノッキ、卵などばかりで、奥のほうには賞味期限が切れたバターなどが山積みになっている。その時に、「料理に使う」といって、パックに入った安物のワインを買うのである。
店の人に「母にはワインを売るな」とも言えないし、私たちがいないときにどうしているかもコントロールできないし、どう手を打てばいいのかわからない。とにかく、年末に私たちが引っ越してくるまで、なんとか持ってくれ、と願うばかりである。引っ越したからといって、状況が改善するとはわからないが、少しぐらいはブレーキをかけるよう、プレッシャーをかけることはできるだろう。少なくとも、アルコールと栄養不足でフラフラになって、倒れて、どうして目の周りにクマがあるのか記憶がない、という状況だけはないようにしたい。

そんな状態のことの報告を受けていたが、夫の「この週末来る?」に対して、NOと言ってしまった。
確かに、義母の状態はよくない。私の都合を優先させることによって、後で後悔はしたくないと思う。そして、夫が母の弱りように悲しんでいることにも心がぐっと打たれるのも事実。
でも、私にも私の生活がある。悪い嫁/妻にはなりたくないが、もう1年以上も毎週末里帰りしているのである。私にも私の時間が欲しいのである。
もうすぐトリノを去るんだから、少しぐらい自分の時間をとりたいというのは、身勝手なのかしら。
こんな言い方をしたら、必要以上にきつく響くかもしれないが、「ああ、もうだめかも」という状態がいつまで続くかわからないし、それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。そう思うと、あと少し私のわがままを許してと思ってしまうのは、やはり血がつながっていないからかもしれない。

そして、この土曜日には、また別の友達と一緒にランチした。
ああ、なんて楽しんだろう。「私の」友達と日本語で心置きなくおしゃべりするのは、最高である。
ブラブラとトリノの街中を散歩し、気軽に中華料理屋に入り、姉御肌の彼女は、私の分も取り皿に取り分けてくれる。ああ、いいねぇ。もっとやって、っていう感じ。
その後、トリノオリンピック用の仕事口登録をやっているらしいと彼女から聞き、一緒に登録に行った。
就職セミナーみたいな感じで、各社のブースがあり、そこに履歴書を持って、トリノ中から集まったイタリア人、外国人、老若男女が担当者の話を聞いている。すごい数の人が来ていて、会場は熱気でムンムンだった。履歴書など、持って来ていなかったので、とりあえず、オンラインで登録できるものに、入力し、めぼしいブースを回って、メールアドレスを聞き、あとで履歴書を送ることした。が、よく考えてみると、そのときには、私はトリノにいなし、家もない。まあ、声がかかるかどうかもわからないし、実際にかかってから、対策を考えることにしよう。
あっという間に夕方になり、会場近くのバールでアイスクリームを食べていると、彼女の夫が迎えに来た。楽しかった一日に感謝して、私はバス停へ。人込の中にいたせいか、疲れた。
そして、ダ・カーポ。

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