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2005年02月25日

先生はつらいよ

2月24日(木)

新聞各紙が、「総合的な学習の時間の削減」(1/18)、「生活科の見直し」(2/4)と、このところ立て続けに報じていたので、次は学習指導要領の改訂だあとは思っていたが、案の定2/15付け朝刊各紙には、「ゆとり教育、全面見直しへ 指導要領は06年度にも改訂」(朝日新聞)などの見出しで、中山文科相が中教審総会で「現行の学習指導要領について、今年秋までに全面的に見直すよう要請した」ことが報じられていた。

「ゆとり教育路線」へのシフトは1980年代半ばの臨教審に端を発している。企業の週休2日制にリンクしつつ、ゆるやかに「学校週5日制」へと移行していく過程で、学習内容の削減が行われていったのである。

殊に、平成に入ってからは「教育改革」の御旗の下、「ゆとり」・「生きる力」・「新しい学力観」などをキーワードに、「生活科」や「総合的な学習の時間」が相次いで創設され、授業をはじめとしてあらゆる「見直し」が求められた。

この間、学校現場はかなり混乱した。

「新しい学力観」に基づく教授法の見直しや、「生活科」・「総合的な学習の時間」などおよそ今まで教師自身の経験がない授業を実施していくこと、学校行事を次々と削減していくことなどが求められたからである。

もちろん、その頃から「学力低下」を懸念する声はあった。しかし、いったん軌道に乗り出した「ゆとり教育」の路線を変更するまでにはいかなかった。

そして、「学校週5日制」の完全実施(平成14年度)によって、「ゆとり教育」はそのピークを迎えたのである。

ところが、ようやく制度的な成立をみた「ゆとり教育」を、わずか3年で「全面見直し」をするというのである。何が、どう問題で、「全面見直し」をするのか、その具体的な根拠や調査結果なりをいったい誰が示してくれるのだろう。

今回、予想されたこととは言え、「ゆとり教育 全面見直しへ」という新聞の見出しを目にした時の、手前のえもいわれぬ心情を理解していただけるであろうか。

手前が奉職したのは、昭和55年(1980年)である。つまりは、手前の教職生活のほとんどは、「ゆとり教育路線」とほぼ同列に経過してきたことになるのである。

大した教育実践をやってきたわけではないが、そんな手前でもこの20年以上にわたる歳月のことを思う。

『失敗の本質-日本軍の組織論的研究』(中公文庫)には、以下のような記述がある。

「日本軍の現地軍は、責任多く権限無しともいわれた。責任権限のあいまいな組織にあっては、中央が軍事的合理性を欠いた場合のツケはすべて現地軍が負わなければならなかった。『決死任務を遂行し、聖旨に添うべし』、『天佑神助』、『能否を超越し国運を賭して断行すべし』などの空文虚字の命令が出れば出るほど、現地軍の責任と義務は際限なく拡大して追求され、結果的にはその自律性を喪失していったのである。」

先日、「教育課程研修会」なる会合が催され、中教審委員でもある高木横浜国大教授の講演を拝聴する機会があった。

講演の冒頭、高木教授は1月28日付朝日新聞の記事を紹介しながら、メディアの報道のあり方に疑念を呈された。

1月28日朝日新聞の記事とは、「漢字の読み書き 子供1万5000人調査」の結果を報じたものである(以下、その記事の一部)。

「調査は03年の5~6月に実施。全国の53校の約1万5000人の子どもを対象に、小学校で学ぶ1006の漢字すべてについて各学年ごとに身につけたかどうかを調べた。同研究所は80年にも同様の調査を行っている。80年調査と正答率を比較すると、読みは1ポイント増、書きは5ポイント増だった。学ぶ漢字数に大きな変化はなく、全体としては漢字の読み書きの力は落ちていない。」

高木教授の指摘は、「読みは1ポイント増、書きは5ポイント増だった」のに、なぜ「全体としては漢字の読み書きの力は上がっている」と書かずに、「落ちていない」と書くのだろうかというものであった。

「学習指導要領」が現行のように改訂されるまでは、さかんに受験競争等による子どもたちの「ゆとりのなさ」を追及していたメディアが、巷間の「学力低下を憂う」声を聞けば、すぐさま「ゆとり教育」糾弾を主唱するというメディアの節操のなさについては、今さら何をか言わんである。

注目してほしいのは「漢字の読み書きの力は落ちていない」という調査の結果である。

高木教授はそれを、「現場の先生方の指導が優れているから」と結論づけられていた。

もちろん、高木教授の言葉は、現場の先生方を前にした講演での甘言とも言えるかもしれないが、素直に実際の指導があったればこその調査結果だと受け取りたい。

そういうことなのだ。

お上がどんな教育方針を採用しようとも、現場の教員は、子どもたちに「確実にこれだけは身につけさせねばならない」という学習内容については、指導方法を工夫しながら着実に身につけさせようと努力してきたのだ。

こうやって、現場に「自律性」が残っているかぎり、日本の教育は何とか命脈を保つことができるはずである。


投稿者 uchida : 2005年02月25日 20:17

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