「そうか、9月になったんだな」
そう思ったのは、アパートの窓から見える家々の、屋根と屋根を結ぶように取り付けられていた国旗の装飾が外され、一気に街全体が色を失ったような気がしていた時だった。
8月17日が独立記念日であるインドネシアでは、8月1日からの1ヶ月の間、建物という建物が「メラ・プティ」と呼ばれるインドネシアの赤白旗でピラピラと装飾され、お祭りのような賑わいを見せる。駅やコンビニ、モールの入り口、道という道に赤と白のリボンや旗の装飾が取り付けられると、普段は見かけない出店なども立ち並び、あっという間に街全体が非日常のお祭りムードになるのだ。
さらに8月の第2週目に入ると、私のアパートでは、従業員が仕事そっちのけで、真っ昼間から赤いTシャツを着て熱心に踊りの練習に取り組み始め、街の上空では毎日、戦闘機が空中パフォーマンスのために練習飛行を繰り返す騒音が聞こえてくるようになった。
だから私は、「よっぽどインドネシアの人は独立記念日が嬉しいんだな」と思っていた。こんなにもインドネシア中の建物が国旗で埋め尽くされ、人々が一丸となって8月17日に向けて準備をするなんて、どれだけこの国は愛されているのだろうか。
「大人も子供もいろんなレースをします。綱引きをしたりしてとても楽しいです」
我が家に来てくれているメイドさんであるアプリナさんに独立記念日のことを尋ねると、アプリナさんも楽しそうに、17日の独立記念日の日に、自分の地域で行われる催しについて教えてくれた。地域ごとで様々な催しがあるようだが、当日、独立記念塔(モナス)では朝からパレードが行われ、毎日のように上空を飛び交っていた戦闘機は、81周年にちなんで81機用意されると、練習通り朝から方々で空中パフォーマンスを繰り広げていたのである。
空中で81と文字を描く戦闘機もあり、極め付けは、17日にちなんでインドネシア陸軍精鋭部隊17名によるパラシュートのパフォーマンスなんかもあった。上空3000メートルから次々とスカイダイビングをした先鋭部隊はその手に各々、独立記念日を祝う幕を広げて完璧なランディングを披露し、国中の話題をさらったのである。
だけどそんなお祭り騒ぎの一方で、この8月というのは年間を通じて、インドネシアで最もデモが発生しやすく、大規模化しやすい時期でもあった。
昨年には独立記念日が終わった翌週、8月25日から1週間近くにわたって歴史的な規模のデモが起こり、死者十数名、全国で7000人規模の逮捕者を出す大惨事となったが、その前の2024年にも8月22日に国会側が全面降伏をし、「民衆の勝利」とも言われる歴史的なデモが起きていた。
今年も17日の独立記念日のお祝いムードも冷めやらぬまま、翌日の18日には、再び学生による熱いデモが起こり、街中にゴタゴタした雰囲気が続いていた。8月末ごろには、いよいよ最大級のデモに向けて注意喚起や在宅勤務推奨のメールがあちこちから届くようになって、月末には大量の「デモ遠征バス」がジャカルタに向かって出発したという報道が入ると、案の定、デモ当日は6000人規模のデモと18000人規模の治安部隊が衝突し、交通機関が一時ストップするなどの混乱が起こった。
だから、そんな血の気の多いデモやらお祭りやらで、とにかく8月というのはずっと狂騒的だったというのが、私の印象だった。その上、前回書いたように、こちらでは毎日のように火事が起こる。外では戦闘機が飛び回り、出店で賑わい、どこもかしこも燃えるような赤白旗がひらめき、挙げ句の果てにデモと火事、である。最初こそ、街の熱気に心躍らせていた私だったが、なんだかだんだん落ち着かなくなってきたのだった。
加えて、8月11日、ジャカルタ中心地から2時間ほど離れた郊外のボゴールという所で、国旗を掲げなかった床屋の店主が区長に叱責されるという事件が起きたとき、私は高まっていた独立記念日への期待が、一瞬でもなんとなく鼻白らむような感覚を覚えたこともあった。
この事件で、国旗を掲揚しなかった床屋のアブイ氏は、「インドネシアは独立していない」と区長に言い返したのだが、それは国民の生活苦や物価高の皮肉として「経済的に、本当の意味でインドネシアは独立していない(豊かになっていない)」ということを意味していたのだという。そしてこれがSNS上で大きな議論を呼び、結局アブイ氏は次の日、「インドネシアはもう独立していました。すみません」と言って国旗を持った姿で公開謝罪をすることになったのだった。
まあまあ大きな事件だったので、私はこれによって初めて、8月1日から31日までの1ヶ月間、インドネシアでは自宅やオフィスで国旗を掲げることが「憲法で義務付けられていた」のだということを知った。「人々の喜びの象徴」だと思っていた赤白旗は、実は自主的なものではなくて、「義務」だったのである。
それから、人々がお祭りどころではないほど、生活に苦しんでいるということも、アプリナさんや他の報道からも分かって来た。独立記念日のお祝いは大きな祝日なので、たくさんの催し物にお金がかかる。人々はお揃いの赤いTシャツを来てお祝いをするし、地域ごとのレースの景品もたくさん用意しなければならない。だけど仕事を失った人、お祝いどころではない人々もいるのである。7月に発生した山火事だってまだ鎮火されていなかった。独立の喜びも、不満も、あらゆる感情が、一気に熱を帯びて燃え上がって、ジャカルタの8月というのはとにかく色々と忙しない月だったのである。
もちろん、9月に入ったからと言って、何かが劇的に変わるということではなかった。8月27日から28日に起こったデモは380人程の拘束者を出す程に過激化した後、一旦は収束したが、その後、9月に入ってからも、小さな残留デモのようなものが散発的には起こっていた。火事ももちろんしょっちゅう起こっていて、隣のアパートが燃えているのを、自分のアパートの窓から見たのは昨日のことだ。今朝になると、スンダ海峡にある火山も噴火した。
だけど、なんとなく気持ちが先月よりも穏やかなのは、外をピラピラと舞うあの赤と白の旗が取り外されたからではないかと、私はふと思うのだった。
国旗を青色に変えるわけにはいかないだろうが、赤というのはどうも、静けさを求めたい人の心には、似つかわしくなかった。床屋の店主が拒絶した国旗掲揚だったが、少しくらい旗の数が減ったって、バチは当たらないのではないだろうか...。街中を舞っていた赤と白の装飾が取り外された街を歩きながら、私はどこか8月が終わったことを、ホッとしている自分がいるのを感じていたのだった。