国境を越えて

4月13日

「お金持ちの、セレブリティのスキャンダルに、私は今それほど興味がないの」
 オスカーの授賞式でのウィル・スミスの平手打ちについて持ち出した時、ママ友のエフゲニアはいつになく神妙に私にそう答えた。彼女の三十六歳のお誕生日のお祝いに、二人で飲みに出かけた夜のことだった。
 エフゲニアはアメリカ人の旦那さんと結婚してマディソンに暮らすロシア人だった。幼い頃、母親の仕事の関係でウクライナに数年間暮らしたことがあり、ロシアにもウクライナにも彼女にはたくさんの友達がいた。1ヶ月半前、最初にロシアがウクライナ侵攻を始めた時、エフゲニアはまだ元気そうに「ニュース見た?」と私に声をかけてきたものだった。その頃、職場に持参するサラダにいつも「ロシアンサラダ」と書いていたエフゲニアは「今日は実はロシアンって書かなかったのよ」という冗談を言って笑うほどの余裕があった。だけどそれ以来、楽観的に捉えていた戦争が長引くにつれ、エフゲニアはソーシャルメディアの活動をパッタリとしなくなり、彼女はここひと月半ほどウクライナのことで頭がいっぱいのようだった。
 ロシアに残した彼女の母親やロシアに対する制裁の影響を私が心配すると、エフゲニアはいつも「ロシアのことは心配いらない」とキッパリと答えた。もちろん海外の会社に勤務していたロシア人の友人は失業し、海外にそのほとんどを頼っていた医薬品などの輸入が滞り、日本の製品を買おうとした友人がその品物を買うことが出来なくなるなど、ロシアを取り巻く情勢が厳しく変わっているのは確かだったが、彼女にとってそんなことはウィル・スミスの平手打ちと同様に大した話ではなく、その心はいつも、彼女がかつて幼少期を過ごし、同じスラブ民族である友人が多く住むウクライナにあるようだった。
「だけど、この戦争は避けられなかったのよ」
 諦めたように情勢を見守りながらそう話すエフゲニアは、「プーチンが何を考えているのか分からない」とため息をついた。そしていつもこう言うのだった。「これはプーチンの戦争なのだ」と。

 ところが興味深いことに、中国は吉林省に戻った朝鮮族のフミンさんの心境はエフゲニアとは真逆の様相を呈し、その心はウクライナではなくロシアにあった。
「私はロシアを応援しています。悪いのはアメリカです」
 久しぶりに電話をした時、フミンさんは電話口でそうあっけらかんと言うと、今、中国ではロシアを応援するためにロシア製品が飛ぶように売れているのだと教えてくれた。その上フミンさんはプーチンのことを「セクシー」だとも表現した。中国の女たちはみんなプーチンが好きで、悪いのは全てアメリカなのだ、と。
「中国の報道とアメリカや日本での報道は真逆みたいだね」
 私がそう答えると、フミンさんはふふふ、と笑って「そうでしょう」と言った。
「それから私は韓国も嫌いです」
 付け加えるようにフミンさんがそう言ったので、私はまた驚いてしまった。フミンさんといえば、中国に住む朝鮮族である。彼女が育った中国の吉林省延吉は朝鮮族の多く住む地区であり、結婚式にもチマチョゴリを着るほどに彼女は自分のアイデンティティは中国というよりは韓国にあるといつも話していたからだ。
「何かあったんですか?」
 私がそう聞くと、フミンさんは先の北京オリンピックがきっかけだと言った。なんでもオリンピックの開会式では中国に住む多様な民族のコスチュームが紹介されたそうだが、その中で吉林省の人たちがチマチョゴリを着て出演したことに韓国のメディアが苦言を呈したのだと言う。
「元々、私たちは戦争で逃げられなかった朝鮮族なんです。たくさんの朝鮮族が国に戻ることができましたが、私たちは逃げられなくて吉林省に残ったんです」
 フミンさんはいつになく感情的にそう言った。歴史的な背景を考えれば当たり前のことだとわかるのに、韓国のメディアは「中国人がチマチョゴリを着た」と悪意ある報道をし、そのことがフミンさんにとって韓国を嫌いになるきっかけになったのだと言う。
「私たちは朝鮮族なんだから、チマチョゴリを着て何が悪いんですか?」
 
 久しぶりのフミンさんとの長電話でそんな話を聞きながら、だけどふと、私はやはり、スラブ民族に、ウクライナに思いを寄せるエフゲニアのことを考えずにはいられなかった。
 アメリカでは、いや、マディソンでは最近、あちらこちらでウクライナの国旗を見かけることがあった。そしてエフゲニアはよく出かけ先で見つけたそんなウクライナの国旗の写真を携帯に収めていた。ブラジル人のルアナの家の玄関にも、小さなウクライナの国旗が先月くらいから吊るされるようになった。近くのスーパーでもウクライナを支援する寄付金を求められることがよくあった。
 住む場所が違うと言うことは、耳にする言葉、目にする情景、手にする情報が変わるということだった。そして国境という当たり前のようにそこにある線引きによって引き裂かれた時、私たちの心はいともたやすく悪意にも好意にも変わり、元々一つであったものでさえ、思いもかけないほど遠くへと引き離されてしまうようだった。
 もちろん、エフゲニアもフミンさんも、マディソンで出会ったかけがいのない友人に変わりはなかった。だけど今、そんな友人たちを取り巻く全く別の環境の変化を感じながら、私はそんな世界のあり様を興味深いと思うよりはむしろ、残酷だと思わずにはいられなかったのである。