4月4日
「エヴァンジェリカルの人とは真に友達にはなれない」とは、多くの人から受けた助言だったけれど、結局私はずるずるとキリスト教福音派・エヴァンジェリカルの宣教師であるマットとジョーダンと不思議な友人関係を続けていた。マットもジョーダンも優しかったし、時々神について話し出すことがあったとしても、それが世間が騒ぐほどに彼らとの友情関係を直ちに辞めなければいけないという理由にはならなかったからだ。
マディソンで出会う以前、マットとジョーダンは2020年3月まで中国の重慶で宣教活動をしていた。そもそも中国では宣教活動そのものが禁止されているので、彼らの活動は秘密裏に行われていたが、ある時は彼らの部屋で盗聴器を発見することがあったり、ある時は一人一人の時間をバラバラに設定して会合に集まるという工夫がなされたりと骨の折れることが多かったという。だけどその反面、そんな重慶での彼らの滞在時期が一番信者の伸び率が高かったそうで、その頃のエヴァンジェリカルの中国でのグループは水面化で急速に花開いたのだとマットは懐かしそうに語った。
だけど2020年3月といえばパンデミックの始まりだった。3月、ちょうど休暇を取って他の宣教師の仲間とタイへ旅行に出ていた二人は、思いがけず旅先で中国への再入国が不可能となってしまい、そのままどこにも動くことができなくなってしまった。中国でのアパートの家賃を払い続けたまま、彼らは何ヶ月もタイに留まり中国に戻る日を待っていたが、そのうち中国に戻ることは諦めるようにとの指示が出されると、彼らは全ての荷物を中国に残したまま泣く泣くアメリカに舞い戻り、ウィスコンシン州マディソンに集められたのだった。
2020年秋、私がそんなマットとジョーダンに出会った頃、彼らはマディソンでせっせと日本語を勉強をしていた。中国での活動再開が不可能となった今、彼らの次なる宣教活動の地は「日本」との天啓を受けたからである。だけどもちろんコロナ禍のもとすぐに日本に渡航できるわけもなく、二人はその後実に長い間、マディソンで根気よく、日本のビザ申請の許可が降りるのを待つ事となったのだった。
ところで中国で活動していたので、二人はもちろん中国が大好きだった。特にマットは中国で過ごした期間が長かったので、「日本よりも中国が好き」だと臆面もなく私に言ったが、それは普段中国に対するネガティブな意見を聞くことの多い私の耳には新鮮に聞こえた。
「中国人は本当にフレンドリーで楽しいんだよ」
マットがそう語るたびに、私はまた数ヶ月前に中国に旅立ったカイルと言う友人のことを思い出すことがあった。カイルは大学時代、アラビア語を勉強していたが、それは9.11があったからだとかつて私に語ったことがあった。あの頃、アメリカではイスラム教徒への風当たりが強く、いろいろなバイアスが渦巻いていたというが、そんな風潮をきっかけにしてカイルはアラビア語を勉強することに決めたのだと言う。
「僕は自分の目で、耳で、真実が知りたいだけなんだ」
カイルは私にいつもそう語った。そしてだからこそ、今度は中国に行くのだと言って、実際に中国へ旅立ってしまった。カイルを冒険に導くものはいつも、アメリカ社会の中に蔓延る偏見に起因しているようだったし、私はどちらかと言うと、そうやって社会の中に浸透してしまっている目に見えないバイアスや物の見方にあえて疑問を持ち、立ち向かおうとする友人に惹かれる傾向があった。なぜなら、そうやって様々な無意識のバイアスをきちんと把握することそのものが、実際にはとても難しいものだ言うことを自分自身についても思うことが多々あったからだ。
ところで、今年の三月に入り、エヴァンジェリカルのマットとジョーダンはついに日本滞在のビザ取得がうまく運び、私よりも一足先にマディソンを去ることになった。一年半の待機の末の、活動再開である。二人とも嬉しそうに「次は日本で会おう」と言った。
最後の日、マットは私にやっぱり聖書をくれた。そして丁寧に「ここの箇所を読んだらいいよ」と言って、読んで欲しい場所に栞を挟んでくれた。
「一年半もビザの申請を待っていて、本当に長かったね」と私が言うと、まあね、と彼は答えた。それから、「だけどそれで良かったんだよ」と言うと、おもむろにそばにあった紙に小さな時計と大きな時計を描いたのだった。
「ほら、これが僕の時計、そしてこっちが神さまの時計」
小さな時計はマットの中にあった'マット時間'で、大きな時計は'神さまの時間'なのだとマットは説明した。マットはずっとすぐにでも日本に行きたいとばっかり思っていた。だからマディソンで出国の日を待つ日々は辛いと思うことがあった。だけどそれは神さまの時計とは食い違っていたからで、今のタイミングで行くべきだと言うことに気づいてなかったからなのだと言う。
「だから僕は小さな時計で考えてたから知らなかったけど、神さまはこの大きな時計で見てたから、全部知ってたんだよ。」
マットはそう言った。そしてにっこり微笑むと、「だからこそ僕はセイコと友達になれたし、マディソンでいい思い出がたくさん出来たんだよ」と言ったのだった。
たくさんの人が私に、エヴァンジェリカルの人とは付き合うなと忠告した。私自身、宗教に興味があるわけではないので、このまま友達で居ても良いものかと悩むこともあった。だけどそれでも今、マットが教えてくれた大きな時計と小さな時計の話を私は心から面白いと思った。そんな風に世界を「神様」の視点から見るということ、あるいはそうやって全く違う世界を生きている人たちがいるということを垣間見ることは、私にとってそこまで悪いことではないと気づくことができたからである。