怒り

3月26日

 WHOによるパンデミック宣言からちょうど二週間目の3月25日。ここ、アメリカウィスコンシン州ではトニー・エヴァース州知事による『Safer-at-home(家でなるべく安全に)』という自粛の発令の日を迎えていた。  
 前日の3月24日、州知事は「明日発表される『Safer-at-home』はシカゴのあるイリノイ州などの厳格な外出禁止命令ではない」と住民に伝えてはいたものの、刻一刻と変わりゆく感染拡大のニュースの影響からか、結局、その次の日の朝8時より施行されることとなったルールでは、"生活に欠かせない活動以外のビジネス"は全て閉鎖、公私を問わずいかなる人数の集まりも禁止、自宅滞在命令に従わない場合は250ドルの罰金(散歩やランニングは可)といった厳しい内容が盛り込まれており、それは結局のところ、ウィスコンシン州が今後一か月にわたり、事実上のロックダウンに入ることを意味していた。
 3月25日、アメリカが中国を抜いてコロナウィルス感染者数ナンバーワンに躍り出た前日のことである。

 だけど私にとって、このロックダウンの発令はさほど大きな意味を持たなかった。この発令のもう一週間以上も前から、ウィスコンシン大学は出入り禁止となっていたし、カフェやバー、シアターなど人の集まる場所の営業も禁止、意識の高いマディソンの友人達は発令が出る前から「ステイ・アト・ホーム」と言ってすでに誰も会ってはくれなくなり、「なぜ州知事はロックダウン宣言をしないのか?」という声さえ上がって「遊ぼう」などと言える雰囲気ではなくなっていたからである。だからすぐに、私たちはパンデミック宣言のあとずっと、「家から出ないことが自分たちに出来る最善のことなのだ」という認識を当たり前のように受け入れて過ごし、定期的に会う友人達とはSNSなどのツールを使ってバーチャルで会うようになっていた。

 もちろん、そんな生活は楽しいものではなかった。だけどアメリカの感染拡大の速度はあまりにも速く目を見張るものがあったので、私はいつしか日々上昇していく様々な数字を毎日追うことに一日の多くの時間を費やすようになった。たくさんのニュースに一喜一憂し、焦りや不安を感じながらも、こうして情報を集めることこそがパワーだという使命感に駆られるようになってもいた。あまりにも突然、長時間インターネットの記事を睨むようになったので、頭痛と肩こりに悩まされるようにもなった。だけどそうやって必死でかき集めた有力な情報はすぐに友人達にシェアするべきだとも思って居た。それが今、私が家に居て、個人でこの世界的危機と戦える最善の手段だと思っていたのである。

「セイコ、いい加減にしろ」
 とつぜん、名指しでそう怒鳴られたのは、会えなくなった仲の良い友人数名とグループチャットをしていた時のことだった。そのうちの一人が、突然、コロナウィルスの話の最中、私一人に怒りを向けてきたのである。
「お前は、人の気持ちを全然考えていない」と。グループチャットにコロナウィルスに関する情報の投稿をすることで、気分を害する人が居る。暗い話は聞きたくないのだ、と言うのである...。
 私は必死で今、情報を持つことがどれほど大切なのかを説明しようとした。助け合うこと、シェアすることがどれほど大きな力となり、人々の意識や行動につながるのか...。だけど彼は聞く耳を持たなかった。ただただ「セイコ、いい加減にしろ、人の気持ちを考えろ」と言って怒るのである。
 ショックと驚きを受けたまま、私はその日のグループチャットを切らざるを得なかった。どう考えても彼の言うことは一方的で、矛盾や腑に落ちない点が多かったが、それよりもそもそも私はこういった「攻撃」に慣れていなかったのである。良かれと思って発していた自分の中の精一杯のパワーが、突然「他者の怒り」として跳ね返ってくることは、世間ではよくあることなのかもしれなかったが、こんなことは初めての経験だった。そしてそんな風に一方的にぶつけられた「他者の怒り」のパワーをうまくかわせるほどに、私は経験豊富ではなかったのである
 だから電話を切った後しばらく、私は一人、暗い気持ちを抱えて考え込んでしまった。なぜ、温厚な友人があれほど私に対して怒りをあらわにしなければいけなかったのか。なぜ、コロナウィルスについて考えることをストップしたいと言うのか...?

 だけどコロナウィルス蔓延に伴い、もう一つ、人々の間にゆるやかに「怒り」が浸透していっていることも、無視することの出来ない大きな事実でもあった。それは内側から私たちを支配する、目に見えないもう一つの力であり、目に見える形で他人を傷つける発動力だった。
 世界中が、アメリカが、今、凄い勢いで危機に瀕していた。マディソンでもたくさんのビジネスがストップした。そのせいで地元のローカル誌はすぐに休刊となった。たくさんの企業が潰れかかっているとの報道があったし、富裕層はすでに自分たちでは外に買い物に行かないのだという噂を聞いた。(彼らは貧困層に買いに行かせるのである。) 混乱のさなかに、銃の売れ行きが伸びているとの報道も目にした。アジア人に対する風当たりが強くなった事例も聞いた。ウィスコンシン大学で大構内に「ウィルスは中国から来た。チャイニーズ・ウィルス!」と壁に落書きがあったと報道されたのはつい昨日のことだった。
「僕は今、強い怒りを感じている」
 そう語ったのは、私の所属するミートアップのオーガナイザーであるフィリピン人の友人だった。
「僕はとても怒っている。ウィルスに、政治に、全ての一連の出来事に...」
 それは、外出禁止令が発令される少し前のことだった。

 だけど今、そうした人々の怒りは、これからどこに向かって投げられようとしているのだろうか?今日、思いがけず向けられた他人からの怒りにさいなまされながら、私はそんなことを考えていた。日々生み出される怒りは今後、いったいどこに放たれるのだろうか?と。