ダラルの恋

 10月14日。ずっと仲良くしていた台湾人のジエルが一年間の語学留学を終えて台湾にいよいよ帰国することになり、サウジアラビア人のダラルが、急きょ続けざまに私を誘ってディナーやお茶会を提案した。友情を重んじるダラルは授業をサボってまでジエルのために時間を作ることにし、お茶に行く前にそのことを丁寧にジム先生に断りに行った。「ジエルが最後だから授業には出られません」とダラルがきっぱり言うとジム先生はぽかんとして「今日の成績はゼロになるけどいいの?」と聞いたそうだが、ダラルは憤慨して「いいです!ジエルが最後なんだから!」と言って教室を出てきたそうだ。そしてダラルは自分の車に私とジエルを乗せると、あらかじめ決めていた台湾カフェ(ジエルは台湾に帰るのに。)へと私たちを連れ出した。

 学校で仲良しの二人とはいえ、外でゆっくりと話したことはなかったので、私は今までダラルがサウジアラビアの大学の教授だということを、こうしてしっぽりお茶をするまで知らなかった。それにダラルがPhDを取得するための難しい奨学金を得ているということも知らなかったし、それは他のサウジアラビア人のティーンの奨学金とは違った種類の奨学金で、月に2500ドルが得られるもの、一年半は語学学校で過ごせるものなのだということを初めて知った。だから、実はこの夏、サウジアラビアの政権が変わったことでこれまでサウジアラビア人のティーン達が大量に留学できていた奨学金制度がすべて打ち切りになり、のらりくらりと語学留学に来ていた彼らが夏の間にこぞって帰国してしまったのに対して、彼女は今期もマディソンに残って引き続き勉強が出来ているのだそうだ。その上彼女には月々、大学教授としての給料1500ドルが入ってくる。シングルマザーで大学教授で息子二人を育てながら勉学にいそしんでいるのだというダラルの知られざる身の上話に、私もジエルもとても興味津々に聞き入っていた。

 ダラルの話は、結婚話にも飛び火し、ダラルの子供たちの父親であり前の夫である人は、彼女の従兄弟なのだそうだ。そしてサウジアラビアでは、結婚をするとき親族全員にお伺いを立て、家族全員の了解が得られなければ結婚できないのだとダラルは教えてくれた。だけど、そこはサウジアラビア人である。たいてい結婚に反対するとき「辞めた方がいい」とは思っていても、そんな否定的なことは決して口にしない。ただ、「分からない。私には何も言えない。」と言えば、それは直ちに「結婚反対」の意思表明となり、その結婚は破談になるのだそうだ。「離婚したら女の人も再婚出来るの?」と私が聞くと、「何十回でも出来るわよ。」とダラルは言う。そして「私、再婚したいのよ。」と言って豪快に笑うと、実はアメリカに居る間に二人の男の人に告白をされたのだと打ち明けた。

 私とジエルが色めきたったのは言うまでもない。そして、ダラル自身、珍しくその浅黒いエキゾチックな頬をほんのり紅く染めながら、一人はイラン人で今乗っている車をダラルに譲った人で、もう一人は黒人のアメリカ人のムスリムなのだと言った。二人とも美人のダラルの事を好きになったそうだが、ダラルは親戚が反対するのは分かっているから、どちらとも結婚することは出来ないと伝えたと言う。サウジアラビア人以外の国の人と結婚するなら、アメリカ人の白人かヨーロッパ人の白人のムスリムでなければ必ず反対されるとダラルは言う。ジエルが試しに「黄色人種は?」と聞くと「ノー」とダラルは即座に言う。「こっちに居るサウジアラビア人の男の人はどう?」と私が聞くと、「一人、バツイチで子持ちの男の人がいるけど…」とダラルは言った。「友達よ。」そう言うと、ダラルは携帯に入っている一つの画像を私とジエルに見せてくれた。

見ると、ヒジャブを身に着けたエキゾチックで目元の涼し気な男性が写っていた。どうやらこの人がそのバツイチのサウジアラビア人のようだ。「ハンサムなんじゃない?この人」と私が言うと、「ハンサムだと思う」とダラルは言い、「ただの友達」だともう一度強調してから「彼は娘が居るからいろいろしてあげたくて、私は買い物とか手伝ってあげているだけなの。」とポツリと言った。聞いてもないのに「私は愛してないわよ。」とまでダラルが言うので、試しに「この人がダラルに告白したらどうするの?」と私が聞くと、ダラルははにかみながら「結婚する。」と迷うことなく言ったのである。

 「だけど、私は愛してない。だって、分かるでしょう?私たちの国では女の人からそんなことは言えないし、思うこともないの。もちろんこの人が結婚しようって言ったらするけど、私からは何も言わないし、思うこともないの。」私とジエルが顔を見合わせていると、「私は愛してないし、ただの友達。」とダラルがまた言った。「だってこの人は、いつも自分の娘のことばかり考えているんだもの。電話してもメールしても娘のことをいつも考えているもの…。でも、ただ私は手伝ってあげたいからイスタンブールマーケットに一緒に行ったりしてあげるの。夫婦以外の男の人と歩くのは誰が見てるかわからないから、私たちは夫婦のフリをして、手をつないでイスタンブールマーケットに行くの。ただそれだけ。」私もジエルもそれ以上、何も言わなかった。日本ではそれを『恋』と呼ぶことがあるのだけれど、ダラルはきっとそれを認めないだろう。台湾人のジエルの送別会だったのだけど、その日は思いがけずダラルの、サウジアラビアの恋愛事情を聞くお茶会となった。