マディソン~パリ

 7月6日。知っていたことだが、パリジャンはオシャレである。思い返せば、ウィスコンシン州マディソンではすれ違う人のおよそ6割が“ウィスコンシン州産”のTシャツを着ていると言っても過言ではなかった。そもそもマディソンには“バジャーズ”というウィスコンシン大学の有名なアメフトのチームがあり、“バッキー君”という穴熊の人気のご当地キャラクターが存在している。そしてそのご当地グッズのショップがマディソンのメインストリートにはいくつも存在するのだが、マディソンの道行く人々は老若男女問わず、6割以上が必ずバジャーズのトレーナーやTシャツを着て意気揚々と闊歩しているのである。これが、アメフトのハイシーズンともなれば、試合のある日はその率が6割から9割に跳ね上がる。トレードマークの怒り顔の穴熊バッキー君がプリントされたTシャツ、あるいは真っ赤なトレーナーにマディソンやウィスコンシンのマークのほどこされたものを着た嬉しそうな人々が町中に溢れかえるので、赤い服を着ていないのはアジア人か変わり者くらいなものである。語学学校では、ジム先生だって普段からバッキーを着て教鞭を取っているし、感化されやすいティーンたちの何人かも渡米してすぐに購入したであろうバッキーTシャツを着て授業を受けていたりする。もちろん、私だってバッキー君の靴下とバジャーズの毛布を愛用していたし、マディソンに住んでいるとバッキー君を身に着けることは、何と言うことはない「普通のこと」だったのである。

 だけど、そんなバジャーズの世界から花の都パリへ来てしまうと、私たちは嫌でもその違いを目の当たりにしないわけにはいかなかった。美しい街並み、美しいパリジャンたち。パリジャンのスタイルは、私たちが知っているアメリカはマディソンのスタイルとは180度違っていたからである。私はすぐに週末、アニエスベーで服を購入し、シャンゼリーゼ通りで鞄を、白井君は革靴とベルトとシャツを購入した。マディソンでは一度も着ることのなかった類の服や鞄をパリで持つことに抵抗がなかったし、マディソンで着ていたカジュアルな服やバックパックは逆に、パリでは到底使えるとは思えなかったのである。私たちはすっかりパリの洗練された空気に魅了され、早くも嬉々としてその空気に染まろうとしていたし、時にあれほど愛していたバッキーTシャツに疑問を投げては、「そもそもアメリカというのはどうしてああも大ざっぱでコーラとバーガーしかないのか」などと一週間で発言するようにもなっていた。

 そんな昨日のことである。二人でパリ市内を散策し、メトロのエスカレーターに乗っていた時のことである。歩き疲れた私は、前に立っていた白井君に寄りかかるようにしてエスカレーターに立っていた。早くアパートに帰って休みたいと思って少し目をつぶってさえいた。その時である。なぜか分からないが、急に背後で嫌な気配を感じたのである。振り返ると、今まさに、私のショルダーバッグの外側のファスナーがぱっくりと開けられ、見たこともない白人の女の子の小さな顔がその中を覗き込んでいた。少女は、その白く美しい手を私の鞄の中に入れようとしている瞬間だったのである。いつの間にこんなにぴったりと私の背後にくっついていたのだろうか。咄嗟にその外ポケットには携帯電話を二台しか入れてなかったということを頭の中で思い起こし、しかもまだその携帯電話がそのポケットの中に納まっていることを目で確認しながら、急いで私は鞄を少女から引きはがした。見ると少女の後ろに、その少女よりは少し背丈の高い別の少女が、これまたぴったりと下から掏摸の現場を見られないようにカモフラージュのようにして立っているのも目に入った。すっかり混乱しながら私が急いでファスナーを締めると、少女たちは悪びれもせず、悔しそうな顔をしてエスカレーターを降り、階段を逆方向へかけて行ってしまった。背の高い方の少女はiPhoneでもいいから盗めばよかったのにといった雰囲気である。

 「斜め掛けのこういうショルダーを買った方がいいですよ。」パリに到着直後、パキスタン人のマンションのオーナーが私たちにそうアドバイスしてくれた言葉が思い出された。「掏摸がいますから。」そう言って若いオーナーは胸の位置に来るように一番短く調整されたショルダーバックを私たちに示したが、私はそのショルダーバックはパリジャンにしては少しダサくないだろうか、などと感じたものだった。考えてみたら、マディソンの人々は少しダサかったけれど、そんなセカンドバックを大事そうに抱えている人は居なかった。今日は今日で、二人の若い男の掏摸がアジア人女性の荷物を持つふりをして近づいており、フランス人の男性が大声で彼らに警告をしている姿を見た。「アタンシヨン!」フランス人の男性は厳しい口調でアジア人女性に向かって叫んだ。二人の少年はすぐに蜘蛛の子を散らすようにして気まずそうにどこかに消えて行ったが、その図星そうな顔を見れば二人が親切心で女性の荷物を運ぶのを手伝っていたわけではないのだというのは誰の目にも明らかだった。

恐ろしいパリ!そしてオシャレなパリ。同じ海外とはいえ、ここは私たちが一年間過ごした平和で美しいマディソンとは全く違っていた。ここにはスタイリッシュで洗練された人々が居る代わりに、何の見返りもなしに親切にバス代をおごってくれるバスの運転手、ピザを一枚おまけしてくれる店員、カフェで隣に座っている人に自分の荷物を見ていてくれと無邪気に頼む人たちは到底いなさそうだった。代わりに乳飲み子を抱えて一家で物乞いをする難民、むき出しの拳銃に手をかけて警護する警察隊、観光客を狙った掏摸が当たり前のように暗躍する、そんな世界でもあったのである。