ジムに学ぶ

9月9日。語学学校の秋のセッションが始まった。何人かの生徒は帰国したり学校を去ってカレッジに進んだり、また前のセッションで授業を落とした人などもいて、クラスのメンバーもガラリと変わった。私も400のレベルのクラスから500へと一つレベルアップしたので、今期からは朝の8時半から授業を受けている。加えて今月から私は、ウィスコンシン大学の「フィルム学への招待」という人気の授業へ聴講生としてもぐりこんでいる。というのも、ここマディソンにあるウィスコンシン大学は欧米でも屈指の影響力を誇る映画研究者の巨匠デヴィッド・ボードウェルが教鞭を取った大学であり、その流れをくむ「フィルム学」の授業がいくつも開講されているのである。私の聴講している授業もデヴィッド・ボードウェルのテキストを使って行われている。また、大学には無料でコアな映画を観られる「シネマティーク」という劇場まであり、月に何本も鼻血もののアートフィルムが上映される。大島渚の『少年』なども上映予定である。また、それ以外にも週に二度ある大学の講義のうち月曜日は午後に映画を見るだけの時間になっていて、映画が大好きな私にとってはこのマディソンは願ってもない環境だったのである。

大学の授業を聴講に行くにあたって、もう一ついいことがあった。聴講の許可を得るメールの添削を語学学校のジム先生にしてもらったことだ。ジムは語学学校のベテランのおじいさん先生で、日本に住んでいたこともある親日家のアメリカ人だ。優しくて面白い先生なので聴講に行くためのメールの添削をお願いしたことから少しだけ仲良くなった。そんなジムが映画なら小津安二郎が好きだと言い、清水宏監督の『按摩と女』などの古い映画も快く観てくれたので、私はここぞとばかりに時々放課後にジム先生に映画の話をしに行くようになったのである。

 そんなジムとの英会話の中で、一度ジムに小津安二郎の『晩春』には謎の「壺のシーン」があるという話をしたことがあった。その「壺のシーン」について有名な批評家は「日本的な“間”を表現しているのではないか」との見解を示していると私が話したところで、すかさずジムが「“間”って何?」と聞き返してきた。間…。そこで私は初めて“間”というものについて日本語でもきちんと説明できないことに気付いたのである。とりあえず、「今日は説明できません。」と言って保留にし、私は後日改めて“間”というものが「時間的概念を含む日本独特の美意識」であることを説明したが、これはとても新鮮な経験だった。

 ジムと話していると、こういうことが時々起こる。小津安二郎の『お早う』では、どうして子供たちはおならを出すために「軽石」を食べていたのだ?と聞かれても、私は答えられないからである。ホーソーンの小説「スカーレット・レター」は日本語のタイトルでは「緋文字」になるが、「緋」とは何のことだ?と聞かれて、私はそれが「赤色」だということをすぐには答えられない。さらには、なぜ「ひもじ」ではなく「ひもんじ」と読むのだ?と言われた日にはお手上げだった。苦々しく「知らない」と答えるしかなかった。
 
 今日も、「秋刀魚」と書いて「さんま」と読むし、「秋桜」と書いて「こすもす」と読む。と言うと、なぜそんなことが起こるのか?とジムは聞いてくる。私は答える。「知らない」。また土下座を教えた日には(土下座させたわけではない。絵を描いただけである。)いつ使うのだ?と聞く。土下座は今の時代、なかなか使わないものだと伝え、ついでにこの間ニュースになったコンビニの店員に土下座させた事件について教えてみるとジムはすかさず「なぜ彼らは土下座させたのだろう?」と聞く。私は考える。「知らないけど…もしかしたら半沢直樹の影響かもしれない。」ジムは聞く。「半沢直樹って誰?」そしてまた、私は半沢直樹についてまたウィキペディアを用いながら話をするのである。

思いがけないことの積み重ねである。だけど、私はジムと話をすることで確実に脳みその何かがエクササイズされているのを感じる。日本文化についてだけではなく、会話の中でも深く掘り下げて考えることの大切さを教えられることがあるからである。だからこそ、大学の映画の聴講とジムとの英会話、この二つが今期私が一番楽しんで取り組んでいることかもしれないと思うのである。