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 ウッキーの浮き憂き日録 2003年版

 

12月31日(水)

大晦日の昼も大分過ぎた頃、帰省のため、阪急電車に乗る。

「いまから帰るよ」と連絡を入れるのもなんだか億劫で、電話したのは、うちを出てから30分ほど過ぎた頃だった。

携帯電話を手に持ちながら、(便利になったものだ)と思う。

そして、年末年始を過ごすための数日分の荷物と、哀愁漂う昭和初期の青年のようないくらかの「帰省みやげ」を抱えながら、親元に電話をかける。

西に向かうJRの車中は当然のようにがらがらで、4人座席に荷物を広げて置いても、誰も困らないほどだった。「おひとりさま、ひと座席」指定でもなされているかのようだ。

静かに本のページをめくる。

ワタシにとっては、おそらく久しぶりの空間のはずなのだが、しんみり昔を思い出すことがない。それは、家から大学まで、懇々と通い詰めていた車中のことも、さらには大学のことも、記憶に遠いからである。

あの頃、通学をしていた頃、平日の朝も夜も遅ければ、当然のように電車は込んでいた。

空いていた電車に乗った記憶はほとんどなく、大学時代も生活も、いまほど明るいものじゃなかった。何かにつけて斜交いにモノを言うわけでも、斜に構えているわけでも、勉強がいやでも、いじめられているわけでもなかった。学問をすること自体は刺激的だったが、どこか前に進めなかった。あらゆることばが話せずにいた。その意味でワタシは、何かしらの病に犯されていたのかもしれない。「ただただ、大学という空間になじんでいなかった」、それの理由でだけで片付くことではないだろう。ぱっとした記憶がない。記憶がないというより、そこだけ記憶が飛んでいることがある。

もしかしたら、本人も気づかないほどに、あんまりいい思い出がないからかもしれないが、たとえいい思い出や記憶、友人もあったとしても、わりと前のことは忘れている。出来事や事実や状況については、それぞれ細かく覚えていることはあるが、時代として括った場合、ざっくりと今では「過去」と呼ばれるものを忘れてしまえる性分である。案外それは、「捨てる」ことに近いだろう。「捨てる」のは快感だ。

「捨てる」ことに、別にとやかく思わないのである。それで誰かと縁を切るわけでもないし、心の片隅にはとどめている人はいまでもいる。これはもう、精神的な関わり方の問題であり、飛躍すれば、記憶との関わり方のあるいは人間関係のあり方の趣味嗜好の問題なのだと思う。まあ、そういうことにしておきたい。だからこそ、数年後にひょんなことでご縁が繋がっていたことを確信することがしばしばである。年賀状なんかはそのよき例だと思う。年賀状は好きだ。

閑話休題。

電車に乗ったワタシは、そのまま小雨の降るなか、実家の最寄駅に降り立つ。(もちろん屋根があるので濡れはしないが)。

駅を大改装しているとの話は聞いていたが、かなり概観が変わっていた。

「ウラシマ」とまではいかないけれど、完全にワタシが知る駅でなかった。それもまた、もう違う場所になっていた。

決して戻りたいわけではないが、入口が一階から二階からに変更し、コンクリートの新しい匂いばかりがする場所に、親切に表示された東西南北への行き先が示されてあると、つい違った再確認をしてしまう。この駅で合ってるんだろうか?と。

夜は、「レコード大賞」と「紅白歌合戦」を見た。この日だけで「ひととよう」の「もらい泣き」を3回聞いた。変わった歌詞だなあと思った。歌そのものも、声も、まあまあいいけれど、「次はどうするんだろう」と、次回に不安を抱かせる歌手だった。格闘技はどれも見なかった。痛いのは、見るのも嫌いである。

幼い頃は、ここに確実に「ドラえもん」が加わっていたのだから、我ながらたいしたものだと振り返る。いったいどうやって、いくつもの番組のそれぞれの網目を縫うようにして、同時並行的に視聴していたのだろう。今みたいにいくつもの番組をいっぺんに見られないときに。不思議に思った。

振り返りついでに、今回は、久しぶりに見たい番組のひとつに加えようかと思ったが、「ドラえもん」について、ここ数年の内容がつまらなさは、未だ継続しているようだったので止めた。(だいたい作者である藤子・F・不二夫の死後、ドラえもんの顔がまるで違う。原作者とは得てしてそういうものだ、と言われても、ワタシは我慢できない。こどものわがままと言われても)。

このような儀式的とも言える年末恒例の番組を見ることによって、ワタシは家族時間に移行していく。これをしないと同調できないのかもしれない。ということは見なければ、ひとりで年越しも可能ということか。

いやはや、2003年が暮れる。

 

12月30日(火)

ことしは、想像もつかないほどの、たくさんの新しいことがありました。

ひととの出会いを始め、場所、もの、出来事、情況、事態、感覚、感触、感情、ことば・・・。

挙げ出したら、きりがありません。

触れ合うことの多くが、身体をいろいろとよくしてくれているように感じます。

これからも、身体と正しく付き合う方法を見つけていきたいと思います。

今年一年、お世話になりましたみなさま、ありがとうございます。

どうぞ、よいお年をお迎えください。

 

12月29日(月)

大小合わせて、ことし最後の忘年会が無事に終了した。

これでもいくつかは参加を見送ったり、機会を改めたりしたのだが、記されたカレンダーによれば、結果的に七つの忘年会に参加していたみたいだ。

いやはやなんとも。

こりゃあ、胃も落ち着かないわけだ。

「結婚」については、ひとこと物申したい気分である。

 

12月28日(日)

合気道部の先輩、澤奈緒さんの御父上の通夜に参列した。

「先輩」といっても、ワタシは合気道を始めたのが大学の終わりごろなので、澤さんの年は、いくつか下になる。(この学年の人たちは、ワタシのすぐ上の先輩に当たる)。

訃報の知らせを受け、その夕方には、内田先生と江口さんと一緒に、先生の車で会場に向かった。

通夜を終えた澤さんと、交わすことばがうまく見つからなかった。

理由は、同世代の親御さんを見送るという経験がないということだけにとどまらない。

御父上は享年57歳。天上のご冥福をお祈りいたします。

 

12月27日(土)

ざざざっと掃除して、忘年会をする。

思い切った「年末大掃除」をしている暇がないので、それは、「年度末掃除」に切り替えて、最低限のものを捨てる。

 

12月26日(金)

じつは仕事納め。御用納めの今日である。

 

12月25日(木)

身体がだるいと思っても、うがいをしても、依然として喉は、快方に向かわない。

薬を飲んだら眠たくなるばかりで、まるで作業がはかどらない。

それでも、朝から、納会に出す一品料理だけはなんとかつくる。

求めていた葉付大根が思ったとおり手に入った幸運により、ざっと30分ほどで出来上がる。(作品名「ご飯がすすむ大根の葉」)

午後からは講義の補講。

担当講師が出張してくださるはずの時間に、まだ辿り着かない。

もちろんのように開始予定時間の午後1時前には、「30分遅れます」との連絡が入っている。が、その時間を過ぎてもまだ、誰も来る様子がないのである。

どうどうの午後2時前に講師到着。

何を言っても、時間は戻ってこないので、詳しく理由を聞くよりも先に、静かに補講開始。延々と休憩なしに5時半まで。

理解の難しい本を読んでいたので、かなりいろいろと考えた。「頭が悪い」のは、「存在」していること自体悪だと、また思う。生きていたい。賢くなりたい。ああ、この一生かかっても。

補講が終わるや否や、慌てて芦屋へ行って、合気道の稽古納め。

喉の痛みのせいか、全身だるっとしている。

受けさせていただける身体に感謝して、きょうはイレギュラーに1時間半の稽古がすむ。

納会では、昼に作った一品を披露。

今宵のコンセプトは「クリスマス」。誰かとのダブりを回避された参加者の敬遠策が裏目に出たのか、見事に「肉もの」「ケーキ類」の並ばないテーブル。

ひとつくらい、甘いケーキを食べたいと、わがまま言うのは、やっぱりうっきー。

(寒いなか、ありがとうございました!)

愉快な夜はとても長い。長い夜には、語ることの苦しみ、聴くことの楽しみ、自身の省みもまた、ともにやってくる。

 

12月24日(水)イヴには誰も胃内科。

クリスマスイヴに内科に行った。

扁桃腺だった。

幼い頃から喉が弱い。身体が悪くなると、すぐに喉を痛める。わりと弱い。わりと痛い。

 

12月23日(火)

こんな夢を見た。

ワタシは、どこか見覚えのある駅のプラットホームで電車を待っている。

時間はいつ頃なのか、詳しいことはわからないが、まだ日は高く、明るい感じだ。

ワタシは、どこかに向かう電車を待つための列をつくろうと、向かいのホームの下側に記された「ドアの開く位置」を示す標識のある場所まで歩いている。

列には誰もいない。そのため、一番前に並ぶ。

立ち止まった瞬間、ワタシの眼には、一心不乱にウォータークーラーの水を飲んでいる人物の姿が眼に映る。それが誰なのか、夢の中のワタシには、はっきりとはわからない。わからないのが、「知っている誰か」だということだけは認識している。(これは夢特有の感じ方であるだろうか)。

名前もまた、よく思い出せない。だが、顔は見たことのあるワタシの友人であり、それは、女性である。それはきちんとわかっている。

知らぬふりをするのも何だから、声でもかけようかと迷っている夢の中でワタシは迷っている。しかし、相手は、まだ水をがぶがぶ飲んでいる様子だ。声をかけようか、どうしようかと思案しているうち、一瞬、ワタシはうつむいた。

顔をあげると、水を飲んでいたはずの見覚えのある友人の姿が見えず、その人は、いつの間にか、向こう側にある反対車線のプラットホームに来る車両のなかに座っている。

しかし、ワタシはそれすらもまた、不思議とは思わない。何の驚きもない。

水飲み場には、その友人が置き忘れて行ったイヤホンが置いてあるのが見えた。ワタシは、何の気なく水のみ場に近づき、残されていたイヤホンを耳にはめてみた。すると、いま、その友人が聞いている音が聞こえてくる。

何かの音楽だ。ことばのようにも聞こえる。

夢はここでぷっつりと終わる。

なんという夢だろう。

 

12月22日(月)冬至

年末ぎりぎりの、この月曜日まで開講されている、至って真面目な大学カリキュラムに従い、今日も大学へと出かける。

この大学では、後期の「月曜日」のコマ数が少ないからという理由で、本日まで授業が行われる。(そういや「体育の日」も振替平日となって、開講されていた)。

風がうなるほど吹く寒さの上に、時間が経つに連れ、学内に学生らしき人はまばらになってくる。どことなく活気がなくなっている。それが余計に寒くさせる。

 

12月21日(日)

先週診察に行ったら、身体がほんとうに歪んでしまうほど胃の具合が悪くなっているらしく、昨日今日は、三宅先生に言われたとおり、「りんご」ばかりを食べている。

おなかが空いたら、りんごをむき、喉が渇けば、りんごをすり、お茶やら紅茶以外は、何も飲まず食わずである。

せっかくなので、久しぶりに体重を量ってみると、おお、なんと、痩せているではないか!

ダイエットをした経験は、ことしの6月頃に一度しかないので、その効用に驚いてしまう。世に言う「りんごダイエット」というのが、ここまで成果をあげるものとは、まったく知らなかった。

三宅先生から、「週末の二日間で大丈夫、元に戻る」とおっしゃっていただいたとおり、胃は静かな様子を取り戻しつつあるようだ。そして、今宵、ようやく「りんご」から解放される。(おいしかったからいいけど)。

しかし、知人から、りんごが山のように送られてきたあと、ちゃんとそれらを「食べるためのことば」も一緒に送られてくるのだから、なんとも不思議なものである。

 

12月20日(土)

全国的に雪が降り、急に寒くなった。

寒さを凌ぐダウンコートが、ちょうどよい気候だった。

モリカワさんが20歳になった。

 

12月19日(金)

 

風が唸っている。

大学にいると、窓ガラスがガタピシ言う。

建物が古いので、自然の音がはっきりと聴こえる。耳を澄ませば、もう冬が眼の前だ。

夜、FMラジオをつけると、どこかで聞いたことのある声がしている。

また耳を澄ませば、それはキムタクの声だ。

彼がラジオ番組を持っていることなど、まったく知らなかったが、さほど聞きにくい音声ではなかった。

もしかしたら、声の方がいいのかもしれないなあ、顔を見るよりも。

演技をしているときも別に問題ないのだけれど、と、そんなことを思う。

さらに、もしかしたら、この人は、止まっている状態じゃなくて、動いている状態のほうが、いい感じに見えたり、聴こえたりするのかもしれない。時々見る雑誌なんかの表情はあまり好きではないな。と、そんなことを考える。

でも、ラジオから聞こえる話はつまらない。

だって、「携帯電話は電話するためのものだ」っていうのを、公共の電波を借りて叫んでいるだけなんだから。そんなこと、とっくの前からわかっているよ。今更言わなくたっていいさ。何もいまさら。メールがあったっていいじゃない。写真が取れてもおもしろいじゃない。

…と言いつつ、先日、機種交換した際、「写真撮らないからカメラ付じゃなくていいです」と店員に告げワタシは、「カメラ付じゃない携帯電話」を探していた。尋ねた店員によれば、いまでは、「老人用」に作られている携帯しかないという。ドコモの場合。(標準タイプよりも、文字が大きくなっているのが売りだとかいうことらしい)。「ふーん、そうなのですか」と、かなりの近眼なのもあって、いっそのこと、それにしようとしたら、さすがに、店員に、「いや、若い方は…」と、止められてしまった。

 

12月18日(木)

足捌きって、難しい。

 

12月17日(水)

礼拝に出る。いわゆるチャプレンや講演者の話を聴くのではなく、出演する側として礼拝に出る。

毎年、アドベントの頃には一度は礼拝に出ている。かれこれ3、4年になるだろうか。

その間、いろいろな方が、この時期に急遽結成されるその名も「総文音楽隊」に参加された。恒例行事のように続けさせていただけるのは、まことにもってありがたいことだ。慌しさのなかに、ほんのひととき、クリスマスを感じることができる。メンバーの一員として合奏するワタシの担当は、今年もまたアルトリコーダー。

毎年、同じ時期に同じことをすると、どんなに忙しくても、日付を忘れていても、立場が変わっても、「ああ、ことしもこの季節が来たなあ」と思い出す。だから、同じ時期に同じことをするのは、好きである。

 

12月16日(火)

大学院のゼミで発表する。テーマは「テレビ」。

なかなかうまくいかないものだ。

プレッシャーがプレッシャーを生んで、うまくいかない。

それだけならまだしも、自分のなかでも、うまくまとまらない。まとまるばかりがよきことでもないが、とりあえずの着地点が見つからず、「ざわっ」とした感触を残したまま、発表を終えるのが精一杯だった。

よくないなあ、まずはここで、辛くなる。

その後は忘年会に行って、いろいろ飲む。ご近所に座った方々と話をしたり、聴いたり、反省したり、刺激を受けたり、考えたり。

年齢も性別も職業も趣味も考えも思考も立場も何もかも違うと、どんな小さな出来事でも学ぶ場になる。教室に入って、最初に交わす挨拶ひとつからしても、相手によって、タイミングや仕草がいろいろで、ほんとうに刺激的なのだ、ワタシは。

交流の場が「宴会」と題される時間と場所に移されると、たちまち貴重な出来事の放出度は高くなる。

しかし、今宵は、考えすぎた。またすこし辛くなった。

すぐに反応できないかもしれないが、反応していないのではない。身体は精一杯、ことばの意味を汲み取ろうとしている。

 

12月15日(月)理想は「先生」のように。

5限にあった「杖道」の授業を担当する。

それは、机の並んだ教室で、「学生」が椅子に座って、「先生」が教壇に立ち、板書し、説明を加え、解説するというような、いわゆる講義形式の授業ではない。かといって演習形式でもない。言うなれば、体育館で行う「身体形式」の講義である。

「杖道」というのは、武道の一つである。

太刀と杖とを使って行う形稽古であり、杖にも太刀にも、基本となる動きと形がいくつかある。この講義では、全剣連によって定められた制定形の12本のうち、いくつかを覚えて稽古する。

稽古を目的はさまざまにある。

まずは線を意識し、相手のとの間合いを計ること、力点の多くはそこに求められているように思う。早く切ったり、がんがん打ち込んで相手を倒したりすることが目的でない。

なぜなら、相手をやっつけてしまうと、出来事は「そこ」でストップしてしまうからだ。

それに、「はい、切られちゃったね、終わりっ。ちゃんちゃん」では、なんとも味気ない。

元来、形稽古はそんなことをするためにあるのではない。形稽古は、形をなぞるためにある。形を確実になぞること。それは簡単でいて、もっとも難しいものである。

武道などしたことのない人にもまた応用できるものとして、この講義がある。

つまり、講義は、経験者を優遇するためにあるのではなく、如何にこの形が、日常のなかに、活かし、活かせれるか、そのためにある。突き詰めれば、そういうことだと思う。

「合気杖」と呼ばれる合気道の中にある杖の稽古法にも取り組んでいる。(このうち、「組杖」といわれるものは、多田先生が作られたものである)。

前者が「形の杖」であれば、後者は「柔らかい杖」である。

とまあ、これらをいろいろ云々考えながら、指導する立場となったわけだ。今日は。

杖を使って基本的な動きをしてから、内張、全剣連の1本目(着杖)と2本目(水月)を行う。仕打ち交代して同じ形をする。

学生のみなさんと一緒に稽古しながら、何度も見回りながら、見せながら、確認しながら、形稽古を行う。形の手順さえ覚えてしまったならば、しばらくは、なんとかなりそうなものだが、まずは、この手順を覚えることが難しい。

次に手順を覚えても、注意点が無限に出てくる。つまり、より「形」に近いものを目指さなければならないわけだ。それも一段階できれば、「じゃあ、次はここんとこを確認してみよう」ということになる。

よって、注意点は半永久的に消えることはない。それは、この10月が初めてといった人たちばかりであっても、何年も杖道を稽古していても、同じことである。

「知らない人に知らないことを、どういう手順で教えるか」

ここに困難をきたすのは、ひとつには、そのシステムを持たない人に、まったく知らないシステムを導入することから始めなければならないために、難しいのだろう。

じつは、後期が始まった初っ端も、この講義を担当したのだが、そのときよりは、まだよかっただろうか。などと考える。しかし、その審判を誰がするのか。

うだうだと、精一杯の90分の授業を終える。

今回は、内田先生から、何か大きな教育的配慮とか教育実習とか模擬授業といった名目で、これを行ったわけでもない。偶然に起きた事情がそうさせたのであるが、偶然こそが、すごく学ぶ場としてくれた。

そのままクラブの指導も担当し、相手が気心の知れた「部員」に変わっても、やはり指導は難しいものだと、再認識。

これがもし、合気道の授業であれば、どうしただろうか。あるいは、それが、社会や国語の授業であったなら、どうやって教えるのだろうか。

「教える」ということをしているときの私が一番「教えてもらっている」ことには違いない。現段階でのワタシの再認識の意識であり、収穫である。

そしてもうひとつは、「先生」になりたい。そう呼ばれるものになりたい。やっぱり、これである。

 

12月14日(日)当然休みではない。

半年ほど前に結婚した従兄とその結婚相手が、東京やら名古屋やらから神戸に来たついで、ワタシの実家に来るという。来るというので、親元から「戻って来なよ」とのお達しが出る。素直に従って、戻ることにする。

どーッと行って、っがががーっと帰ってくる。当然日帰り。ひとり討ち入りの気分。

 

12月13日(土)

稽古に行く。

やたらと人数が多いのは、気のせいではない。

 

12月12日(金)

合気道部恒例「シングルベル」パーティの夜。

シングルである人もそうでないひとも、どどどっと集まり、ざくざくっと稽古して、ちゃんちゃんと舞台に立つ。

いやはや、これぞ伝統である。ぶふぶはっ。

 

12月11日(木)

松井、松井と、松井ばかりがメジャーリーグに行く。アメリカに行く。

しかし、ワタシが「松井」と聞いて思い出すのは、小学生のとき、何度か同じクラスになった「松井くん」という男の子である。

いまでもよく覚えているが、小学生とは思えぬほど聡明で、物事をよく知り、しゃべり、おまけに探究心の強い人間であった。(と記憶している)。

反面、彼は、授業中は自らの好きなことをし、先生から与えられた宿題や夏休みの課題も、あまりきちんとはしてきたことがなく、おまけに日常使う机の中はぐちゃぐちゃで、いつも、何のプリントが、どこにあるのかもわからないような有様だった。加えて、「多動性」とまでは行かないにしろ、割と落ち着きのない人でもあった。(席替えをすると、なぜだか近くになることがよくあったので、知っているのである)。

授業なんて、まるで聞いていない割に成績はよかったようで、テストをするといつも満点に近かったようである。本読みをさせても、とても明瞭な声で読み上げ、その声には、クラスの誰もが一目置いていたようにも思う。(ワタシがそう思っていただけかもしれないが)。また、なぜか水泳がうまかった。えらくうまかった。

いったいいつ勉強するのか、勉強のできないワタシにとっては、彼の行動が不思議に思えてばかりだった。授業だけに関して言えば、塾に行って必死になって勉強しているふうでも、家庭教師がついて、何か特別な勉強をしているふうでもなかったからである。

とにかく、「頭のいいひと」なんだなあと思った。ほんとうに、彼としゃべるのは、かなりおもしろかったから。

そんな「松井くん」は高学年になったいつだったか、ある日、どこかへ転校していってしまった。

いまでは、どこで何をしているのかまったく知らないけれど、おそらく彼のことだから、あのまま行けば、かなりおもしろい人物になっているのではないかと想像するのだ。

 

12月10日(水)

三宅先生のお話は、たいそうおもしろい。

何がおもしろいって、そんなこと、ひとことでは言えない。

これで済ますと、この話はこれで終わってしまうし、「ひとこと」にするとつまらなくなる。途端にまとまってしまって、おもしろくないものである。

とにかく、先生のご関係の幅広さや不思議さがまずあって、さらにはどんな小さな話でも、出てくるタイミングが、とても素敵に感じるのである。気が付けば、するするっと、お話の渦に巻き込まれていく感じなのである。

ご一緒させていただける時間は、ほんとうに大切で大事なものだと思う。なぜなら、「素敵である」ことの意味を、身体で、肌で感じられるからである。

さて、こんなふうに言えるのも、そして、その場にいられたのも、(また急な話だが)、やはり内田先生のおかげである。偶然が引き起こした、ありがたい時間に感謝せずにはいられない。

内田先生のお話も、いつ聴いても、何度聴いても、どんなふうに聴いても、おもしろい。そう思える。文章化されたものにも、まったく同じことが言える。どうしてなんだろうねえ。不思議だ。

100年後くらいに誰かが、先生の伝記を書かれることがあったら、そこいらを分析してください。

ところで、ご一緒させていただいたイワモト氏は、なんだかすこし弱っているらしい。

強いから弱るのか?弱いから強くなるのか?それにしても、二項だけで物事を考えるのは、なんとも窮屈なことよ。(「弱るから強い」という発想自体が問題なのかもしれないが)。

ま、中華でも食べよう。いや、食べに行きましょう。いやいや、連れてってください。

三宅先生のご子息は、いつお会いしても、たいへんに感じの良い方である。ムチャクチャにいいひとである。世の中、ああいう人が、もうすこしたくさんいればいいのにと思う。

初めてお会いした衛生士の方も、並んで座っておられたとある書店の方も素敵である。

素敵な人たちにお会いできたワタシは、よいひとたちの心地よい空気に囲まれて、すこしだけ「よい子」になる。月がきれいな夜だから、それがまたすこしだけ、「よい子」にしてくれる。

よい子は、さっさと眠るのである。寝る子は育つ。

 

12月9日(火)

「先ごろの先生は、『男の価値を決めるのはアチーブメントではなく、可塑性』である」とおっしゃった」。

以下は、そのとき、考慮に入れるべく提示された条件である。

「(1)何でも美味しそうに食べる

(2)どこでもくーすか寝る

(3)人にものを上げるのが好き

という条件を満たしている男なら、原石としてはかなり上等だ。(1)と(2)は『リソースには限界がある』ということを知っているということであり、(3)はその『限りあるリソースを自分は独占しない』という生き方をしているということである。(1)と(2)は『生物としての人間』の生存戦略上の要諦であり、(3)は『人間としての人間』の本質である。 学歴だとか年収だとかせこい条件で探していては、いい男はみつからんぞ。」

うーむ。むむむ。

解説のところはどうかわからぬが、ワタクシってのは、これら条件に、かなり等しく一致するんですけど〜。(…と自分では思っている。)

これって、「男」に限られたことですか!?

 

12月8日(月)

一日中、ずっと頭が痛い。何をしていても痛い。歩いていても、ご飯を食べても、薬を飲んでも。天気がいいのに、調子が悪いとは。おかしい・・・。

風邪の前触れ、偏頭痛の再発?あるいは、首がないからなのか?それとも、ジョン・レノンでも降りてきた?

身体がぞくぞくっとして、寒くもなって、だのに、じっと横になる時間がないので、ちゃんと治る暇がない。

結局、起きている時間中、頭がうまく働かない。働かないのに休めもしない。なんだか、無駄にもったいない日だと思う。

ぽよよんとするだけで、まったく生産的じゃない。かといって、消費するものもない。

 

12月7日(日)

風の音が聴こえる。

「寒くなったな」と冬を感じる。

ぴゅぅ〜るりぃ〜と、肌寒い風が吹いている。

いちにち座りっぱなしで、お尻が痛くなる。

けれども、以前のように、「ああ、背中が痛い。ワタシは背中がいがんでしまうほど、姿勢が悪いのだろうか?」と思うことは、まったくない。ああ、ありがたや〜。

 

12月6日(土)

調べ物をして過ごす。

 

12月5日(金)

「びょういん」に行って、「びよういん」に行く。きょうもまた、偶然にも教育番組の言葉遊びみたいな日になった。

あっ、そうだ。髪を切るのは「床屋」でないですよ。こんなワタシでも、ね、せんせい。

 

12月4日(木)

何やねん、これ?どういうことよ。

納得できんぜ、勝手にこんなことされてはよ。

どない責任とってくれるんや?どんな説明してくれるんや!

ま、あんなことされては、こちとら信用するもんも、信用できんようになりますわ。

 

12月3日(水)

さて、そのブロッコリーは、どうやって食べようかと思案している。

 

12月2日(火)

広告メールがじゃんじゃん届く昨日、携帯メールアドレスを変更した。

知らせた人からは、いろんなリアクションがあって、結構おもしろいものだと知る。たまには、変更もよろしかろう。

これとはまったく関係ないが、ブロッコリーをもらった。

 

12月1日(月)

来月が正月かと思うと恐ろしい。

 

11月30日(日)

夏ごろから加熱してきたプロ野球で阪神が優勝して以来、いや、それ以前も、あまり集中してテレビを見続けることのないワタシだが、昨日今日ばかりは、珍しくチャンネルを合わせている。

見たのは、「流転の王妃・最後の皇弟」。文化庁芸術参加のドラマらしい。(それがどういうものであるのかは知らぬが)。

作品の時代は、清朝末期と日本の関東軍の頃、つまり、かつての満州国が建国された頃のことであった。時代の波に翻弄された人々の辛く激しい生き様が描かれていた。愛新覚羅溥傑に竹之内豊、その妻、浩に常盤貴子というメインキャストである。

 この二人は、珍しく嫌いな俳優ではないので、絵的にはきれいであった。また、ほかの役者にしても、大きくミスキャストというわけではなかった。だが、これは物語であって物語でなく、真実であってそうではないように見えた。今だから語られるのか、今だからこそ語るべきことなのか。現実味があるのかないのか、その辺りの見極めがかなり難しい部分があった。そういう印象を拭えなかった。

おそらく製作したのは日本なのだろう。日本の製作者は、どういう意図でこの作品を作ったのだろうか。意図もあるが、なぜ「いま」これをつくったのか。

それでも、見たあとは、どっと疲れ、身体の節々に痛みが感じられた。

たとえ、それがテレビのなかで組み立てられたドラマからの情報であっても、「辛い」という事実は充分に伝わってきたからかもしれない。

戦争はいやだ。すごくいやだ。

誰もが不幸になるばかりで、幸せな者などひとりもいやしない。

すぐに止めるべきだ。早く止めるものだ。

いや、止めなければならない。すぐに止めなければならない。

日本がすべきことは戦地への自衛隊派遣ではなく、戦争の食い止めを訴えることではないのか。暴力も武力も行使することなく、止める方法は、ほかにいくらでもあるはずだ。

しかし、いま直ちに、例えば私にできることは何もないことを思い、その無力さを痛感すると、悲しくなるばかりだ。

 

11月29日(土)

雨が降ると、誰とも、ほとんど口がきけなくなる。そういう体質である。それにしても、きょうの雨はひどいぜ。ひどいぜぜぜ。「ぜぜ」は滋賀県。

 

11月28日(金)

手塚治虫記念館に行く。

雨を心配してしまうどんよりとした曇り空だが、日頃の行いがよいのか、悪いのか、果てまた単に偶然か、あるいは偶然を呼び起こすだけの必然性があるのか、まあ、何はともあれ、移動中、ひどく雨に見舞われることなく済む。

この記念館は、今年の春に改装されたらしい。じつは、それ以来、初めての来訪である。

企画展が変わる度に、ちゃんちゃんと足を運んでいた頃を思えば、じつに、ひさしぶりことである。(遠のいていた理由のひとつは、「企画展」が気に入らなかったから)。

さて、今回の企画展は「ブラック・ジャックのDNA展」。

手塚治虫による「ブラック・ジャック」が世に登場して、ことしでちょうど30年。その生誕30年を記念して、この作品の生い立ち、流れ、その後に続く医療マンガの類を紹介したものであった。

どういうわけか「ブラック・ジャック」は、作者健在の頃からそうでなくなった後も、映画化、舞台化、テレビ化、アニメ化など、ほかのメディアに移し変えられる機会の多い作品である。よって、手塚マンガのなかでは、それなりに知られたものになっている。そいう観点も手伝っての開催のようにもみえる。

現にきょうも、記念館に来られたどこかの見知らぬおばさんたちは、そこいらに置いてあるモニターから流れてくる映像を見るたび、「へええー、ほら、ああ、なんとかやって〜」「ああ、これって、そんなことやったんかあ〜〜」など、いちいち、それも大声で画面に反応しておられるのだから、まあ、おばさまたちにも受け容れやすい作品だということか。

全体としては、まあまあだなあと、とくにピンッと来る箇所もなく、戻ってくる。気のせいか、段々と企画モノが貧弱になっていくように感じられた。気のせいだと思いたい。

ところで、「記念館改装」と聞いていたので、もうちょっと全面的に建物の内部でも、きれいになるのかと思っていたが、まったくそうではなかった。ただ単に「掲示物」への表示が増やされたり、階下のアニメ工房のパソコンが一新されたりしていたくらいである。

「まあ、そうそうは変わりませんわなあ。なんてったって、公立(市立)の建物だし・・・」などと、ひとり勝手に宝塚市の財政を気にしながら、記念館をあとにする。

それにしても、天気が悪いと、こうもローテンションになるものか。

せめて晴れていれば、もうすこし笑って過ごせたものを。どことなく静かな一日となった。

 

11月27日(木)

もくもくっと木曜日。

 

11月26日(水

数週間前の水曜日も、同じ人と、同じような時間に、同じような場所で食事をした。

そして、これまた同じように人間講座を見た。きょうは最終回。

違うのは、食べた場所、バームクーヘンをいただいたこと、NHK方面と関連のテレビを見まくったこと、いろいろと「きれいな顔」を見たことである。

10月の初めが、とても遠い昔の出来事のように感じる。やっぱり異様に早い月日だ。来週はもう12月である。

 

11月25日(火)

憂国忌。

で、ピントがあったから、やっぱりこれにしよう。

 

11月24日(月)

ふむふむ、振替休日。

 

11月23日(祝)勤労感謝の日

たっぷりの良い天気なので一日中うちに篭って、書いていく。

肩がこりこり、背中がばりばり。

静かに耳を澄ますと、冬の音がしてきた。

 

11月22日(土

すっと身体が透明になる瞬間って、どういうものだろう。

ワタシは透明になりたい。

それにはとりあえず、食事よりも睡眠が必要だと思う。

 

11月21日(金

イタリア語 途中で止めたら リタイア語

イタリア語の試験を受けながら、ふとそんなことを思う。しかしまあ、途中で「えいやーっ!」と、ほったらかすことなく、きちんと提出した。が、どうしてもできなかった箇所がひとつ。あーあ、これは、一生忘れないだろうなあ。

試験というのは、あまり好きではないが、「自分自身をチェックするという指標」という意味では、たいへんに役立つものだと思う。

阪急御影駅から東(大阪方面)に行きたくて、ホームで時刻表を確認すると、必ずといっていいほど西(神戸方面)のホームに立っていることに気づく。慌てて、大阪方面のホームに移動し、やってきた電車に飛び乗ることもしばしば。(「駆け込み乗車は危険です。お止めください」)。

もうこれで何度目のことだろうか。

習慣と言うのか、身体の癖と言うのか、どうも、ひとには、その「場所」に来ると、決まってとってしまう行動があるように思う。

かつて、阪急御影駅から乗車すれば、ワタシは西に向かう電車に揺られていたものだ。

 

11月20日(木)

龍谷大学社会学部学会シンポジウム「身体の歌を聴こう」に行く。

昼前に小雨のぱらつくなか、龍谷大学は瀬田キャンパスへと向かう。

これが思ったよりも遠い。今いる場所(西宮)から「毎日通え」と言われたら、ちょっと敬遠してしまう距離だ。週一くらいならともかく。ちょっとしんどいだろうなあ。

シンポジウムのパネリストは、岩下徹さん、内田樹先生、甲野善紀先生である。司会は、龍谷大学の亀山佳明さん。

岩下徹さんの即興ダンスは、先日の身体運動文化学会で拝見したので、二度目のことである。しなやかで、それこそ「何が起こるかわからない」のだから、眼を離せない。手の動きが、眼の動きが、足の動きにぐいぐいと引き込まれていく。すべてが「踊る」ためにある身体というのは、きれいなものだ。

不思議な感覚が生じてくる。

拝見しているうち、自然と自身の柔らかくなってくる気がしてきた。

「ことば」では追いつけない身体のおもしろさと不思議さがあるように感じる。

甲野先生の新しい動き、「平蜘蛛返し」をナマで拝見する。素晴らしい。

どうやって足を使っているのだろう。身体はどこにあるのだろう。力がどういうふうに動いているのだろう。

シンポジウムで実技を説明される甲野先生は、冗談っぽく、「こういうふうに身体のこの部分を使っているということをお見せしたくても、私の身体の中で起こっていることですから、切ってみせることもできませんからね」と言われる。

不思議である。でも、それをされている方が実際にいる以上、ほんとうのことなのだ。そういう確信だけが、見ている側に感じられる。

そして今回、「言語派」であられた内田先生。

ここのところ三日間、内田先生のお話を聴いたが、そのうちどれもが重なり、どれもが違うのだから、なんとも興味深く、これもまた不思議なことであると思う。とにかく、すべてがおもしろいのだ。

身体は動かすのがいい。静かに身体を聴いてみようという気になる。脳も身体の一部なのだ。

とてもよい時間で、とてもおもしろいシンポジウムだった。

未だにうまく「ことば」を持たないワタシは、それらに関して、ただ、「すごいなあ」としか言えないけれど、よい時間を過ごしたという感触と興奮は尽きるところがない。

そして、よい時間を過ごしたという記憶は、その場所すら好きにしてくれる。そんなわけで、龍谷大学の瀬田キャンパスがわりと好きになった。

 

11月19日(水)

朝日カルチャーセンターで、内田先生の2回目の講座の日。

雨が降ったけど、動きにくかったけど、すこし冷えそうだったけど、おもしろかった。

かなりおもしろかった。ほんとうにおもしろかった。早く本が読みたい。お聞きしたい話題が盛りだくさんだ。

開始時間ぎりぎりに行ったのに、なぜか一番前の席が開いていたので、「あそこは、ワタシのために開いているのだわ!」とかなり大きな勘違いをして、座る。

いろんな意味でよい場所だった。

 

11月18日(火)

うっかりして、また大学に忘れ物をしてきてしまった。

別に、取りに戻らなければ困ることもないし、うちにいったん戻ってしまうと、再度大学に向かう気力はまったくなくなるので、また明日くらいにでも持って帰ることにする。

忘れてきたのは、自転車。しかも、これが初めてではない。わりと、よく忘れてくる。

そして、その「忘れてきたこと」をさらに忘れて、下宿の自転車の置き場に行ったとき、「あ!自転車がない!」と驚いたのも、一度や二度ではない。

 

11月17日(月)

「ん?なにこれ?胃が腫れてるじゃないの。いけませんねえ」。

「げげげっ。やっぱりですか。はい、静かに過ごします」。

自らの行動が愚かしく、恥ずかしいので、敢えて、どこでの会話かは申し上げませんが、さすがに先週の食べ続けが原因で、胃を悪くしたようです。

反省して、今週は静かに過ごします。

誰からもお誘いを受けませんように。

 

11月16日(日)

ここのところ、誰かと、「急に」食事する日が続いている。

ごちそうになったり、割り勘したり、ちょっと断りにくいことだったり・・・とまあ、中身はいろいろ、人数もさまざまだが、どの食事のときにも感じるのは、誰かと食べるときは必ず会話があり、それが食事のうまさを盛り上げていることである。

もちろん無理をして相手の話に合わせているのではない。話しているうち、段々と、笑いがこぼれてくるのである。それに大前提として、「一緒にご飯を食べる」という行動に至る相手なのだから、会話は当然のように沸き、笑いが生じる。これも当然といえば当然のことである。

要するに、ここのところのワタシの食事時間は、皿とにらめっこしている状態ばかりではないということだ。

今宵もまた、そのような日である。(またかね、と言われそうですが、これだけが前々から決まっていたことでした)。

しかし、人間とは欲張りなもので、それは楽しい。楽しいのだが、そろそろお茶漬けが恋しくなる。

 

11月15日(土

カレーを食べたくなって、カレーを食べた。

食べたいときに食べたいものを食べられる。これ、一人暮らしの利点。

♪ありがたや ありがたや〜 ありがたや ありがたや〜

(「ありがたや」。そう書きながら、いつぞやの内田先生の日記を思い出した)。

 

11月14日(金)

なぜかは知らぬが、一週間日付を思い違っていた。新聞を読んでも、誰と会っても、話をしても、カレンダーを見ても、ずっと、きょうが21日だと思い込んでいた。気づいてよかったとは思う。

 

11月13日(木)

稽古のあと、久しぶりの友人に会う。

 

11月12日(水)

眼鏡をかけて、もうひとつ、別の眼鏡を鞄に入れて、さらには、コンタクトレンズを両眼、持って行っている。

いったい、いくつ眼があるんだ!と、我ながら思う。

 

11月11日(火)

またしても雨。

気のせいだろうか、火曜日は、雨の日が多い。

なぜだろう。空で、誰かが泣いているのだろうか。

あるいは、空が泣いているのだろうか。しかし、空は悲しいときに、涙の雨を降らすのだろうか。それとも、悔し涙の雨だろか。

ともあれ、「相変わらず」息苦しい朝である。

世界中の暦から、火曜日の朝だけを、消し去ってしまいたい。

午後の講義のあと、突然、夕食に誘われる。

韓国、中国、オーストラリアからの留学生の方々と日本の寮に住む人とワタシといった、わりとインターナショナルな面々である。交わすことばがおもしろく、英語と少しの韓国語と日本語の混ざる会話が興味深い。

帰り際、中国からの留学生の方はワタシの声を、「声がいい。心地いい」と褒めてくださった。

ああ、なんてうれしいんだ。声なんて、いままで褒められたことがないので、かなりうれしい。

そういうことを言っていただけると、それだけでもう、じゃんじゃん、しゃべってしまいそうだ。

 

11月10日(月)

雨。たくさんの雨。

その音を聴くと、必然的に静かになる。ことば少なになる。

それは、いつものワタシより、いくらか穏やかにもなることであり、愛想がない状態になることでもある。

 

11月9日(日)

選挙の日。直感としては、なにかが変わる気がして、変わってもらわないと困る気もして、投票に行く。ちゃんと投票権を使ってくる。

 

11月8日(土)

ひさしぶりに朝がゆっくりの日。昼になる少し前の11時に起きる。もう、うれしいったら、ありゃしない。

何でそんなにうれしいのかわからないが、気分がよい。

気の向くままに洗濯し、気の向くままに料理し、気の向くままに片付ける。

気分がいいと、何事も、よくはかどる。

 

11月7日(金)まるい地球の水平線に、何かがきっと待っている。

今宵、ガバチョッと、ドン・ガバチョになる。

現地では、同じくひょうたん島の「はかせ」さんと「サンデー先生」と合流し、しばらくぶりの再会を喜び、確かめ合う。そして、島民一同は、めでたく「似合っているで賞」を受賞(^^)v。

参加者の熱意溢れる仮装と荒れ狂う様子、愉しい風景は、近々、どこかで発表されることでしょう。ぶふぶはっ。コケーッコッコッコッコッコッコ!

 

11月6日(木)

おいちゃん、おめでとう。

 

11月5日(水)

ちょうど1ヶ月前の水曜日も、同じ場所で、同じ人と、同じような時間に食事をした。

そのことを、食べているときや話しているときは、微塵も思い出さなかったけど、うちに帰るなり、急に思い出した。

違うのは、今晩はひとりで、人間講座を見たことと、お天気がよくなかったこと。

異様に早いこの1ヶ月。たった30日前なのに、大昔のことみたいである。

月日の経つのが早いのは、それだけ充実しているからなのか、それとも忙しすぎるからなのか。

 

11月4日(火)

ようやく気づいたが、もう11月である。

 

11月3日(月・祝)

すやすや、おやすみ。

哀れなる哉、勘違いなるひとたちよ。

 

11月2日(日)

昨日の打ち上げのあと、下宿に泊まった1回生が朝ごはんを作ってくれる。

ご飯を洗ってくれていたシラカワさん、買い物に行ってくれたナカセさん、食器を出したり、魚を焼いたりしてくれたニキさんである。

当初の三人の予定としては、ワタシが寝ているうちにご飯を作って、並べておくというものだったらしい。が、思わぬタイミングで(そして、これも予想外に穏やかに!)ワタシが起き出してしまったため、予定が変わってしまったそうである。(気の毒に)。

昨晩の「オタケビウッキー」だか「ヨビダシウッキー」だか何だか(※多くは本人の記憶の範疇ではない)を目にしている三人でもあるので、起きてくるワタシに多少の不安を抱かないでもなかったらしい。(かわいそうに)。

しかし、実際は、二日酔いもなく、爽やかな目覚めのワタクシであったため、安心したのだそうな。昔から寝付きと寝起きだけはよい。

そんなお三方は、これまたえらく愉快にご飯を作ってくれている。

なので、邪魔せず、「ほっほっほっ」と、まるで縁側にでも座っているおじいさんのように、のんびりとお茶を飲み、新聞なぞを読みながら、出来上がりを待つことにする。

普段から同期の三人だけあって、片づけから、作ることから、役割分担から、そのチームワークは、見事なものでした!

さて、食卓に並べられたのは、ご飯、たまねぎと豆腐の味噌汁、納豆、玉子焼き、しゃけ、ちりめんなどなど。

おいしい。

とてもおいしくいただいた。ごちそうさま。

やっぱり、ごはんというものは、誰かと食べるとおいしいし、誰かに作ってもらうと、ただそれだけで、うまさが増しますね。

そのまま、べらべらしゃべっているうち、さらに愉快な時間となりました。

 

11月1日(土)演武会2日目&打ち上げ!

緊張感とハイテンションで、時は過ぎ、演武会も無事修了。

内田先生をはじめ、ワタシ自身の好き勝手を寛大に受け止め、お許しくださった合気道部のみなさまのおかげで、この度は7回も出場できました。この喜びは、何物にも変え難いものです。ありがとうございます。

主将をさせていただいていることを始め、どれだけ感謝しても、しつくせるものではありませんが、ほんとうにありがたい、そればかりの日々であり、時間です。この一瞬、一瞬を一緒に過ごさせていただけることにもまた、深く感謝いたします。

演武終了後は打ち上げ。

もう何がなんだかわからず、これまた盛会のうちに、気が付くと知らぬうちに、戻って寝ていたのです。

各方面に多大なるご迷惑をかけたのではないかと、本人は思うのですが、そこいらの事実を判定し、確認するにも、証拠となる事実や事柄を、すでに本人が断片的にしか頭の中に持ち合わせていない状況なので、なんとも言えないのが苦しいところであります。

それでも愉しい時間を過ごせる仲間がいるというのは、とても良いことで、そのような人たちに出会えたことがまた、とてもうれしいです、と、このようなことを思った記憶だけは、はっきりしております。そして、この日は、めでたく邪道七段をいただいたという記憶も併せて。

ありがとうございました。

いろんなごはんがおいしかったです。日本酒もおいしかったです。

このような者ですが、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

10月31日(金)演武会初日

学祭の初日。年一回の大学のおまつりイベントみたいなものだ。

とはいえ、「おまつりだわ〜ん、キャッ、キャッ!」などと、どこかのヤマザルか何かのように騒いで、遊んでいるわけではない。

合気道部の出し物は演武。ということで、ちゃんと演武をするのである。

個人的には、朝は8時半に到着し、着替えて、道場に行く。杖を振って、稽古をする。ぶんぶんぶんぶん。

早めの稽古をしようと約束していた方は、想像していたとおり、約束の時間には現れず、さらにひとりで、ぶんぶんぶんぶん。(いや、何、杖を振っていると、ときどきこういう音がするのです。ワタシの心の音ではありませぬ)。

今年は、主将なので、それなりに気の張るところもある。

演武は、じゃんじゃか、じゃんじゃか、出させていただく。

宙に浮いたり、飛んだり、いろいろと出させていただく。

この緊張感が燃え尽きる頃には、どどどっと、打ち上げだろうか。

ともあれ、全身に染み渡るさっぱりした緊張感がある。

演武会がひととおり終わると、いつものたこ焼きと焼きそばを食べる。学祭のときのお昼は、いつもこれだ。うまい。

そのあと、親切なひとたちに買ってきてもらったクレープを食べていたら、「得体の知れないどうぶつみたい」とか「ハムスターみたい」と言われた。(誰のことばであるのかは、申すまい)。

それにしても。

どうもこの手の甘いものを食べるのは、昔から上手ではない。ほかのものに比べると、甘いものを食べるのが遅いのである。のろのろしているわけでもないのに。標準時間で食べることができず、型崩れ甚だしい。決して嫌いではないの。でも、なんでか遅い。そして、結果的には食べ方が幼く見えてしまう。というわけだよ、シラカワさん。

 

10月30日(木)

きょうは、魚の話、美味しい魚の話ばかりを耳にした。

食べたくなって、夜は秋刀魚を食べた。

 

10月29日(水)

髪を切った。髪を染めた。

去年の今頃なんかを思えば、髪がいくらか長くなったように思う。

髪を染めたはいいが、「染めた」印象が薄い。

というのも、「染める」とは、たいてい「色」をつけるのだろうが、今回、ワタシがしたのは、「シャドーカラー」とかいうもので、赤系の色(らしきもの)に染めたうえに、さらに「黒」の影を入れたのである。

斯様な注文をした覚えはまるでないが、全面的におまかせしているうち、こんな染め方になっていた。ま、嫌じゃなかったから、文句も言わずに帰ってくる。

数年前を思えば、落ち着いた色になったなあ。

ああ、少しは変わったのだろうか。せめて外見だけでも変わったんだろうか。

 

10月28日(火)

長いのか、短いのか、わからない、そんな一日。

 

10月27日(月)

ううっ、頭が痛い。

いや、比喩じゃなくって、ほんとに痛い。明日あたりも、また危ない。倒れそうだ。

きょうは、月曜日にだってのに、いいこともあると感じる瞬間があった。

まったく期待していない分、えらくうれしかったりする。

それにしても、うつくしいほどの秋晴れ。歩くにはちょうどよい。

7戦続いた、日本シリーズが終わり、歴史的な瞬間の幕が閉じられる。

阪神が、ダイエーが、どうこういう問題じゃない。

こういう時代に、野球をみることができて、ほんとうによかったなあと思う。

仙ちゃん、どうもありがとう!

この人の歴史もまた、伝記ものだと思う。

 

 

10月26日(日)身体運動文化学会@神戸女学院大学:ワークショップ

きれいに晴れた日の午後、校庭でワークショップがある。

昨日から開催されている学会の一環として、この大学にある「身体」や「運動」や「文化」にかかわるクラブや同好会が、それぞれ何かを見せることになっている。(太極拳、なぎなた、チアーリーディングなどなど。一部は室内で)。

合気道部は、表で演武した。

初めて転んだ芝生の上で、ころころと受身を取る。ころころころころ。

犬のような、くまのような、コアラのような気分。(え?わざわざ言わなくても、見たらわかるって?)

表があんなに気持ちの良いものとは思わなかった。ありゃあ、癖になる。うひょひょ。

気分がよすぎたのか、身体のノリがよくなったのか、いろいろあって、ワタクシ、本日、邪道六段に昇段いたしました。いやあ、めでたい。

 

10月25日(土)身体運動文化学会@神戸女学院大学

身体には、身体では計り知れないほどの可能性があるんだということを、つくづく実感した今日である。

シンポジウムに来られた先生方は、実践されている分野はさまざまだが、すべてに、共通している箇所がいくつかあるように思われた。

それは、互いの先生方が影響し、されあっているからなのか、元を辿る方々が共通する師があるからなのか、あるいは、身体を軸にすればこその考え方なのか。

ともあれ、身体という、かたちはさまざまでも、誰しもにあるものを、よく見聞きし、わかり、そして忘れずにいたい。

自身の、いちばん近くにありながら、いちばん遠く、よく見えて、よく見えないもののような気がした。

身体論や舞踏やダンスや民族舞踊というものへの意識や考え方も、多方面に、さまざまにあることを知った。おしえていただいた。とても充実した時間だ。

司会者のコバヤシ先生による、感動的なまでの美しい身体論概論やコーディネートにも、触れることができてうれしかった。

どれもこれも、とてもおもしろかった。

 

10月24日(金)

全身疲労により、遂にダウン。

頭と腹のそれぞれに、大合唱のごとく強烈な痛さが蔓延したのは、来週ではなく、きょうのことになった。

いつものように起き上がるはずの朝は、それだけのこともできず、急なことだったが、休む。(病気とは大概急なものである。多少の兆候があることもあろうが、大概、それに気づかぬふりをするか、気づく時間がない。だから、急にダウンすることになる)。

もしかしたら、きょうは、なにか特別な予定があったかもしれないが、知らない。記憶にない。思い出すほどの気力もないもないまま、夜も早いうちに眠る。

 

10月23日(木)

いかん。

こりゃあ、来週、倒れる。

 

10月22日(水)

ほんの少しだけ、コマが動き始めた。

 

10月21日(火)なぜ、ひとはひとを傷つけることを喜ぶのだろう。

 

傷つける誰かを見つけることで、自分自身の位置を確定させたいからなのか。あるいは、自己の優越感を味わいたいのか。それとも、傷つけている者が、傷つけている、そのことすらわからないうちに、無意識に、誰かを傷つけているのだろうか。

こんなことを考えるワタシは、どうなのか。

「まあ、嫌いではないのかもしれないなあ」と危険なことを思う。

いや、いい加減なことは言うまい。「好きだ」と大見得を切ることもないが…うん、ま、嫌いなことではないのかもしれないね。

確実なこたぁ、わからない。

でも、必要以上に誰かの困っている顔を見たいわけでも、いじめたいわけでもない。

これまでにも何度か、「いじわる」と言われたことがあるという事実くらいは、報告しておくべきかもしれないが。

しかし、言われるくらいなのは、まだ問題ないのだと、当人は、断然そう信じている。

ところで、きょうは、かなりイラッとすることがあった。ここに文句というか、ブツクサ、書きます。不快な思いをされたくない方は、必ず読み飛ばしてください。

誰かを「バカだ」と判断するとき、そこには、何の温かみも哀れみも憂いもない。ただただ、バカを「バカだ」と判断する、それだけだ。

誰かを、そのように判断するとき、ここにもまた、「じゃあ、あんたは?」と聞かれる可能性は多分にある。

こたえは、「イエス」。

だって、バカだもんね。だから、賢くなりたい。ワタシはそう思って生きている。

しかし、まあ、バカの種類にもいろいろある。そういうふうにも思う。

ワタシが思うに、この世で一番のバカは、自分自身で、「バカだと気づいてないバカ」と「バカにされていることがわかってないバカ」である。

どちらも、「バカ」という呼称が、自身の付随していることなど、知る余地もないのだろう。だから、困る。もう、どうしようもないからだ。

それなら、「バカだと気づいているバカ」のほうが、先に挙げたバカよりも、少しだけ、ましかと思う。気づいている分の少しだけ知性、そんなものがあるなら、ほんのひとコマぶんくらいだけ。

(ところで、最近の書店にゃあ、「バカ」の付く本と「頭がいい(よい)」が題目に付く本が、よく並んでますね。なんでしょう、この現象。「バカ」と「頭がいい」の単なる二項対立でしょうか。これらのことばの対象になるのは、本の中身によってさまざまのようで、一概に「身体」ばかりではないようで。うーん、不思議な感じですね)。

話を戻して。

とにかく、さっき挙げたようなバカのひとたちは、話が通じない。それこそ、「おはなしにならない」場面を招き入れる。

面と向かっているのに、話をする場面が設定されているのに、議論とまでいかずとも、他愛のないことばのコミュニケーションすら成り立たない現状というのは、非常に苦しい。

最近では、身体の節々が痛くなるし、心が閉じられる。背中が痛くなる。

会えば必ず、苦しい場面を引き起こす人とは、終いには、会いたくなくなる。避けるようになる。

しかし、状況がそれを許さないことがある。

たいていは、苦しい場面のなかで、「おはなしにならない」時間となる。そして、怒りが巻き起こり、ときには、それが憎しみに変わる。最後には、キレそうになる。

やりきれない怒りが身体に保ったままにあること、これがまた、たいそう身体に良くない。

この手の怒りを感じたとき、ワタシは何も、関係のない人まで巻き込むつもりはない。

しかし、つもりはなくとも、巻き込んでしまうことがあるかもしれない。できるだけ、怒りの負のエネルギーは、代償として、発散するようにし、コントロールできる限りは抑制し、怒りそのものに囚われないようにしている日々を過ごしている。

でも、限界がある。

急に爆発するおそれもある。だから、せめて、そう感じたら、近づかないでください。すみませんけど。

この頃は少し、怒りを感じる自分を見つけたら、思うことがある。

「修行が足りぬ」。

 

静かな夜、三宮を歩いていたら、偶然にも、いづみちゃんに会う。

最近、周囲の人と話していると、話題に出ることが多かったので、「そろそろだなあ」と思っていた。

そろそろ会う頃だと感じていたら、ほら、やっぱり会えた。

会わなければならない人に、ちゃんと会えるのは、じつにありがたいことだ。

わりあい元気みたい。

昨日とは言わないまでも、一昨日くらいに会ったみたいに、自然に会話が出来た。

声だって何だって、挨拶だって、手を振るしぐさことだって、コミュニケーションの始まりにはすべて、タイミングがあるのではないか。

何の変哲のないことばが、「史上最悪の恨みの行為」になることもあれば、「永遠に人を救うことば」にもなりうるのだと思う。少ない人生経験のだけれど、そんなふうに感じる。

 

10月20日(月)

人生何度目かにして、ワタシはまた、「月曜日」が嫌いになった。

 

嫌いの理由は、週の始めであること、翌日が「火曜日」であること、全般に縛られた感じがすること、「月曜日」という音を好まないこと、何より昔から暗い印象がある。あるいは、ある時点から。月曜日の憂鬱みたいなもんが必ずある。

この手の理由は、考え出したらキリがない。

 

10月19日(日)

久しぶりの日曜日。

きれいに晴れた空が見える。

天気が良いので、昨日に続いて、またもや洗濯。

どういうわけか、幼い頃から、「洗う」という行為が、かなり好きである。もしかしたら、物事を「水に流す」行為が好きなのかもしれない。

天気がよく、気温もほどよいと、身体の調子もよくなってくる。

調子のよいまま、のんびりと家にいると、身体もすこし、休まってくる。ほんとうは、前々から、今日の夕方にも「お誘い」があったのだが、何となく断ってしまった。

「きっと身体が乗らない」と、未来の自分を思ったからだ。

案の定、ワタシは、じっとしていることを求めていた。

そのうち、好きな音楽を聴くと、さらに快調で、好きな本を読むと、さらに充実してくる。

こんな日の夕方もまた、たいてい気分がよい。

 

10月18日(土)「とーいや」

ふと思う。

この前、出て行った、もとい、元の場所に戻って行ったヤツは、いまも元気なのだろうかと。

実際、しばらく、ここにいたことで、元の場所を離れていた時間がある。

だから、「元の場所」が物理的な距離や空間としては同じところであっても、感覚的には、以前と同じ「元の場所」ではないような気がするのですよね、ワタクシ。

考えすぎかな。

まあ、元気なら、それでいい。

でも、なんだか、とーいや。

偶然にも、「きょう」の日のことだから、たとえ、しょーもない駄洒落と感じても、どうか大目に見たってつかーさい。しかし、なにやら、いまいちのデキ。(あるいは、誰にも気付かれず、さむーく見過ごされてしまうのでしょうーか???)

 

10月17日(金)

この秋初めての鍋をする。

ワタシは、「鍋を囲むのは、好きな人」と、たいてい相場が決まっている。

だって、そうでなきゃ、大好きな日本酒も、まるで飲んだ気がしないから。もちろん鍋だって、食べた気がしない。

 

10月16日(木)

昨夜観た『私はあきらめない』とかいう、かなりけったいな題名の番組に出演していた山本寛斎と、ワタシは同じ誕生日である

 

10月15日(水)

 

よい天気。

これをして、シンクロナイズしていると言うのだろうか。

カルチャーセンターで受け取った、内田先生の資料の最初の引用は、ワタシがその場所に来るまで読んでいた本の、まさにページの同じ箇所だった。そういうことってあるんだねえ。

線まで引っ張っている。わーお。

身体がひとりでうれしくなっている。

予想どおり新ネタがあった。これも身体がうれしくなっている。

 

10月14日(火)

 

午後から雨が降る。

どうやら雨の季節になったのらしい。

夕方の風が肌寒く感じる。

 

10月11日(土)〜10月13日(月)多田塾合宿2003

 

年一回の恒例行事ともいえる多田塾合宿に参加する。

この三日間もまた、これでもかというくらい多田先生シャワーを浴びる。

一緒に稽古に励むことができたことに、たいへんありがたく感じた。

気の感応の稽古をすれば、相手と仲良くなれると多田先生が言われた途端、仲良くなりたい相手を探している自分を発見した。

合宿中は、時間を過ごすほどに、「合気道ハイ」に近づいていく。

気で満たされていく全身になる。おかげで、稽古と稽古のちょっとした合間には、ずっと笑っている。笑いっぱなしになる。

充実した時間だ。とても嬉しい時間だ。

それは、ことばで簡単に「こんなもの」と言えるものではなく、身体でなんとなく、「こんな感じ」というものだ。

幸せであることには違いない。

満たされた身体は、これでしばらく、笑いっぱなしだ。

 

10月10日(金)

 

「びょういん」に行った。「びよういん」に行った。

教育番組のことば遊びみたい。

かつての体育の日だったこの日への実感は、年々薄らいでいくように感じる。

明日から、合宿。やっほー!

 

10月9日(木)

 

昨夜、甲野先生が出演される「人間講座」を拝見した。とても静かに見つめていた。

テレビの画面の前で、張り詰めて、しばし呼吸することも忘れるくらい凝視したのは、久しぶりのことである。

じっと見据えて聞き入る話は、おもしろい。

出てこられるはずの内田先生は、最後の音楽と共にすこしだけ。また来週かな。

 

10月8日(水)なが〜い夜

 

一年ほどだったが、親しんだ友が元の場所に帰って行く。今日は、ベランダから、夕焼けがきれいに見える。

また会えるだろうか。

きっと会えるだろうよ。だから、今度、会うときまでには、少しでいいから、大きくなっていてね。

「愛すべきモノは、この世に、まだまだ多く存在する」。

ワタシは、そんなふうに考え、思い、感じ、おまけに出会うモノやひとへ、感謝できるこの身の上を、とてもありがたく感じるのである。

ありがとうございます。

 

10月7日(火)

そして、ミナミには、「なんばパークス」がオープンしたのである。

 

10月6日(月)

久しぶりに雨が降る。しとしとと降る。

きょう、言われたことだが、学内を歩いているときのワタシは、ずいぶん早足なのらしい。別に急いでいるわけでもないが、自分自身では、たらたら歩いている意識はないので、そうかもしれない。

問題は、早足のため、自分でも気付かぬうち、知り合いの人たちに、たくさん会っているらしいことなのだ。さらに、申し訳ないことに、そのひとたちに、何の挨拶もなく通り過ぎているようなのだ。

もちろん、歩いているワタシは、知り合いがいるとは、まったく知らず、ずんずん前に進んでいる。ときには、急に立ち止まって、なにやら考え事をしていることもあるということだ。

教えられて気付いたが、ひとりの人間でも、歩き方もいろいろである。

しかし、たぶん、ワタシには、時間がないのだろう。

何をするにも、「いま」しかないのだ。そして、「いま」の積み重ねられた終点は、かなり綿密に決まっているのだろう。

 

10月5日(日)

できるとわかった東京日帰り。できるとわかった空中浮遊。(以下略)。

世紀の顔合わせのその意味が、じっくりと身体に染み渡るには、私には、もう少し時間が必要である。あるいは、無意識に身体は反応していても、それが、頭のなかで、「ずんっ」という響きとして伝わるのは、いつのことだかわからない。そのことしか、今の私には、わからない。

とにかく、ものすごいものでした。

 

10月4日(土)

朝から謡と仕舞の稽古に行く。

きょうから「橋弁慶」。

謡というのは、なかなかに鋭く、重みと深みと渋みのあるものだ。なんだかいい。好きだなあ。(何をえらそうなことゆってやがんだい。新米のくせして・・・ははは)。

先週のおさらいと、これまでの復習と、新しい形を教えていただく。

褒めていただく瞬間があると、すごくうれしいものだ。張りが出る。やる気がさらに出てくる。

午後からは、合気道の稽古。

ご不在の内田先生に代わって、本日を担当されるはずの松田先生は、なにやらご多忙のご様子。さらに代わって、ワタクシが担当する。

両手取りをした。

やっぱり毎回の説明に一番耳を傾けているのは、どうやらワタシ自身らしい。偶然の機会が、またもや自らが最も学ぶ場所になる。

稽古後に、みなさまに、褒めていただいた。すごくうれしかった。褒めていただくのは、やっぱりうれしい。悦んでしまう。(なかには、惚れ直した方もいるらしい!?)

夜には母が急にやって来て、うなぎを食べた。

関西にも、うなぎのうまい店がある。

 

10月3日(金)

神戸では、「マルイ」が開店したらしい。

 

10月2日(木)

三日月がきれいだ。こんな夜も珍しい。

きょうは、いきなりコバヤシさんに会う。(阪急電車を降りた階段で見かけたのだから、かなりの偶然である)。

ワタシは、駅のホームや電車など、瞬間的な時間を選ぶ場所で出会う人に、かなりのご縁を感じる。

ご縁のある方々には、よく三宮で出会うものだ。そして、集うものだ。

 

10月1日(水)

東京には、「品川駅」ができたらしい。

 

9月30日(火)

ご存知、内田樹先生のお誕生日。

敬愛するジェームス・ディーン忌。

決して比較するものではないが、いま世間じゃ、どっちが有名だろう?

 

9月29日(月)

後期開始。・・・これでもう、完全に夏休みが終わったことを確信する。

そんな5限は、生涯スポーツ「杖道」の時間。

公務多忙につき、講義に出られない内田先生に代わり、TAのワタクシが、登録された方々に向けて、杖道についての簡単な説明と講義についての注意点を申し上げる。

せっかく来てくださったのに、きょうは、杖を持っている人間は、ワタシひとりしかおらず、実際の形をお見せすることはできなかったのが残念である。(杖道では、ふたりで、ひとつの形を行うのが常である)。

説明をしている間、静かに聴いてくださったので、よかったと思う。出席をとり、解散となる。

続く、杖の稽古には、杖道会の1回生、合気道部の1回生2名などが参加。

基本的な動かし方の説明をして、実際に身体を動かしていく。

じっくりと、細かく、ぶつぶつ言いながら。

しかし、それができなければ、形稽古にはならないから、基本というものは、やっぱり知っておかなければならない。

ところで、指導とは、じつに困難かつ面白いものであり、誰より、一番自分が熱心に自らの説明を聴いているのだと、本日、実際に取り組んでみて感じた。

偶然とはいえ、このような機会に、深く感謝した。

 

9月28日(日)

数年ぶりに、浴衣に袖を通す。

緊張するかと思ったが、そうでもなかった。緊張はしなかった。

 

9月27日(土)

めでたいくらいの秋晴れである。

こんな日に洗濯しないほうが損な気になる。

雲ひとつない、とても気持ちのいい青空が広がっている。非常に爽やかである。

稽古に行く。

適度な人数でよい。合宿あとのよいリズムが、誰しもにあるのか。

夕方、相当な眠気に襲われた。

 

9月26日(金)

夕方、メガネを求めて三宮に出る。

センター街を歩いていたら、なにやら、ひょこひょこ、こっちに近づいてくるものがある。

センター街のなかでも、わりにセールスが多い通りだったので、また何か渡されるのか、声をかけられるのかするのだろうと思い、ワタシは見向きもせず、一心不乱に歩いた。前ばかりを向き、近寄るなにかを遮ろうとした。が、そのなにかは、いやにニコニコと近づいてくるのである。前だけしか見ていない状態でも、その様子はうかがえた。

「ん?」と思いつつ、ちらっと見ると、なんと橘さんである。

「あれえ、こんなところでお会いするなんて・・・」

「あれっ?なにしとーん?」(以下略)

とまあ、陽気なソムリエ、橘さんに、偶然にお会いする。

メガネを買いに来たいきさつを話すと、すぐさま、橘さんはお店を紹介してくださると言う。

一緒に行くと、とても感じの良いフレームや面白い形のものがいろいろとある。全体の雰囲気として、とても品のよいモノが並んでいる。「それでは、ここで・・・」と、いざ、つくりにかかろうとするのだが、経済的な面で、あまりに身の丈に合わず、そのお店は断念した。(橘さん、ごめんなさい)。

結局、メガネは、別のところでつくり、なんとか、当初の目的を果たす。

その後、ご挨拶を兼ねて、ふらっとリセットへ。

出来事を話し、お礼を述べて帰るつもりが、ちょっとビールを1杯。

カウンターには、内田先生の最新本があったので、お借りして、まえがきの「大人になるための方法」を読ませてもらう。

アルコールを摂りながら、先生の本を読むのは、これが初めてかもしれない。

大人の空間(バーですね)で、「大人ではない」と公言される著者(真実はわかりませんが)によって書かれたモノを、「大人ではないと自称する者」(ワタシのことです)が読みながら感じたのは、「ワタシはいったい、何者なんだろう」ということだった。

ことばが、大人の空間に合うのはおもしろいなあ、不思議だなあと感じる。

大人ではないワタシが、なぜにそういうことを感じるのか?謎めくところだが。

ともあれ、そんな思いを過ぎらせるうち、調子が出てきて、すこし料理も頂くことにした。ワインも飲んで、カウンターごしに橘さんに、いろいろお話していただきながら、さて、そろそろとお暇しようとしたところに、「じゃじゃーん」と効果音を入れるとぴったりなくらいのタイミングで、ミーツ編集長の江さん登場。(アロハシャツがかなり素敵です)。青山さんもご一緒に来店。しばらくすると、まるで呼び寄せられたかのように、中原さんまでいらっしゃる。

というわけで、電車のあるうちに帰る機会を逸してしまったワタシのそのあとは、ま、ご想像のとおりである。

 

9月25日(木)

母方の祖父の命日。

3年前のきょうは、たしか月曜日で、汗が出るくらい、天気がよかった。快晴だった。

3年後のきょうは、ちゃんと木曜日で、歩くのも苦労するくらい、ひどい雨だ。大雨である。

東の空を見上げながら、賞味期限がきょうまでの饅頭を、またひとつ食べる。生前、祖父と交わした約束を思い出しながら。

ワタシなりの供養の日である。くよくよはしない。

 

久しぶり(一年ぶりくらいになるのかな)に、飯田先生が帰ってこられた。

えっ?「飯田先生」ってのが、誰のことだかわからない?

そりゃあ、しゃーないですねえ。ワタシが、ここに、日録を掲載していただくようになってからは、あんまり登場されてないでしょうからねえ。

いいじゃないですか。

おいおいわかるってくるもんですよ、おそらく、この日録をご覧いただければ・・・。

なんてゆーか、ま、おいおい。

 

おいちゃん、元気?

 

9月24日(水)

水曜日。しかし、雨なので、物事は、そうそう、すいすいっとは行きません。

『ミーツ・リージョナル緊急別冊 2003年度阪神タイガース優勝までの128試合』を買う。(やたらと長い題名だ)。

別に阪神ファンでも何でもないが、歴史的な意味合いを込めて購入した。

先日から、阪神優勝を大喜びされているI先生は、優勝翌日の新聞は、珍しいからといって保存するものではなく、毎年更新されるのが望ましい、とのことである。

たしかに。

なにはともあれ、ここにもちゃんと、「デイリー」の踊るトラの尻尾がありまする。

 

 

9月23日(火)

洗濯の日。

 暑さ寒さも彼岸まで。

合宿から帰ると、「待ってました!」とでも言わんばかりに、寒くなった。

いつもの饅頭を食べながら、ふと3年前のことを思い出す。

彼岸花が好きな祖父がいた。

その人が逝ったのも、ちょうど、あの秋の合宿から戻った日の翌日で、彼岸花がきれいに咲いていた。

食べ物の味と外の匂いが、誰かを思い出させることがある。

 

 

9月20日(土)−22日(月)神戸女学院大学合気道部秋合宿

秋合宿である。

創部以来おそらく初めてと思われる、「合宿のしおり」をつくる。

先日、みなさんに依頼した自己紹介は、日程や注意事項と共に、その末尾に掲載した。

しおり作成の理由は、合宿参加する、しないにかかかわらず、合宿日程や部員の名前、ちょっとした個人情報を知るくらいは、よきことだろうと思ったことにある。

それに、「あの人は誰?」、「何をしている人?」、「いつの先輩?」という質問を、いろんな人から、何百回となく尋ねられると、いくらバリエーションをつけたところで、答えるのにも、いくらか飽きてくるからである。もちろん、それ以外にも、合宿参加への意識向上も狙いのひとつである。

あるいは、どこかのパクリ!?という噂もあるが・・・。

 

 

20日(土)

それはともかく、神鍋高原で迎えた合宿初日の稽古は、ゆっくりと身体をほぐすところから始まる。(うっかり寝そうになった)。

技を確認しながら、身体を充分に細かくしていく。ほぐしていく。

食後には、前代未聞のミーティングをし、恒例行事であったとされる小宴会(合宿初日の宴会)は、諸般の事情で、公的には取り止め、夜稽古に変える。

 

 

21(日)

二日目の朝稽古は朝稽古らしく、開始時間は6時半に変更。7時の開始では、すでに日が高く昇っていて、朝稽古らしくないからである。

朝の合気杖は、これまた、ゆるやかに練ることを心がける。練り練り練り練り・・・・・・。

 

片手取りの技では、師曰く、簡単なものほど難しく、簡単なものこそ、奥義である。

現に、それらの技に取り組む度、難しさや困難や確認事項が発見される。まさに奥義である。極意である。それだけに、何度でも新しい発見や確認がある。深い技である。おもしろさもまた際限がない。

審査は午後に行われ、今回は昇級される方々が対象となった。(昇段審査なし)。

昇級されたました方々、おめでとうございます。

 

途中、秋風が吹かれたのか、じっと待っているのに疲れてきたのか、急に寒くなってきた。見苦しいとは思ったが、道衣の袖を伸ばして寒さを凌いでみた。「傍観」は「防寒」に変わったけれど、身体の寒さに変わることはなかった。時間が経つほどに、ぞくぞくしてくる。局所的な痛みが頭を襲う。数年ぶりに感じる激しい頭痛だ。そして、頭痛の絶頂期は、ちょうど審査の終わりを告げる頃と重なっている。

実際、審査拝見後のワタシは、いつになく青い顔をしていたらしい。何人ものひとに、「大丈夫ですか?」と聞かれた。

原因はおそらく、夜稽古だろう。(ということに、後になって気付いた)。

例年、審査前夜は、部屋で転換したり、組み合ったりして、誰もが夜な夜な稽古しているのだが、今回は、割合人数も多いし、初めての人もいて、いろいろと面倒なので、自由参加のふりした全員参加で、夜稽古に臨んだのである。

「ひとのために善行を施すと、身体の具合が悪くなる」のは、どうやらほんとうらしい。

身に合わないことは止めにして、次回からは、予定通り、さっさと寝ることにする。

 

 

22日(月)

最終日は、気の感応の稽古。肩取り。

3日間、道場となった体育館は、片付けられると、またもとの何もなかった状態に戻る。

なんとなく寂しいが、さっぱりする。これもまた、うつろいゆくものの儚さか。

さて、3日間を通して、とくに、一教が好きだということをひしひしと感じた。あの身のこなしがたまらなく愉快である。感動が興奮に変わるくらい身体が悦ぶ。

過ごした3日間は、たいへん楽しく、たいへん充実した時間だった。

内田先生のおかげです。ありがとうございます。

大きな筋肉痛もなく、睡眠だけが足りなかったくらいで過ごせた日々に、お世話になった宿の方々に、合宿参加されたみなさまに、アクエリアス50本の差し入れを頂いた三宅先生に、心から感謝します。ありがとうございます。

ところで、今回のワタシには、合気道の審査はなかったが、いきなり「邪道四段」をいただいた。(じつは、合宿中、二段、三段と見る見るうちに昇段し、最終的にいただいたのは、「四段」だったのです、内田先生。「二段」の時代は一日、「三段」になると、わずか30分といった超短期間でした)。

「邪道」についての説明は、長くなるので割愛。

詳しくは、邪道家元、内田先生のページにありますので、お知りになりたい方は、どうぞそちらをご参考ください。

 

9月19日(金)

髪を切った。とてもさっぱり。

中華を食べた。とてもうまい。

歌を歌った(正確には、選曲されたものを片っ端から歌っていったので、「歌わされた?」かしらん)。とても久しぶり。

そんな三宮では、ピーター・フランクルがいて、芸を披露していた。

一連の芸が終わる直前に見たのか、彼の芸は、すぐさま、「大道芸人は、みなさまのお志で成り立っています」のことばに変わる。聞いた途端、現実世界に引き戻された気がして、なにやら興ざめした。

せっかくナマで見たのにね。

 

9月18日(木)

昨日、いきなり思い立って、かつての実家に帰った。

「けえったぜ、おっかさん」

「あれま、うき坊、いささか早いお着きだねえ」

などとは、誰も言わないが、「ただいま」というのが、少しはばかられた。向こうにとっては、「おかえり」と言うのは、何でもないことのように見えた。

なぜだろう。

ワタシのうちであり、ワタシのうちでない気分がしたのである。

夕方、再び西宮へと戻ってくる。

「おう、けえったぜ」

 

9月17日(水)

家中の掃除。いらないものを捨てる、捨てる、捨てる。

結局それが、ストレス解消法だったりするのさ。

 

9月16日(火)

努めて阪神ファンというわけではないが、社会現象まで引き起こした歴史的瞬間の翌日に限って新聞休刊日というのも、皮肉なものである。哀れなものである。

新聞休刊日などというものがあるのは、どうやら日本だけらしい。いるのかなあ。

 

9月15日(月)

感動の渦巻き起こし甲子園、空に舞い飛ぶ星野仙一

 

9月14日(日)

興奮して眠れない。

まるで遠足の日の前のこどもみたいだ。

いや、そうでもないか。

だって、ワタシは、遠足の日だろうがなんだろうが、何かに緊張して眠れないことなんて、ほとんどなく過ごしてきたのだから。増してや、憂鬱な遠足が楽しみで眠れないなんてことは、一度もなかった。遠足なんて、できれば、行きたくなかったのだから。

早起きして、だんじり祭りを観に行く。

南海電車に乗って、岸和田駅に着いたのは、8時半である。

9時45分から始まる駅前パレードをはじめとして、移動しながら、昼過ぎまで、多くの御輿を見た。

暑い。熱い。なんて、アツイのだろう。

だんじりまつりは何て熱いのだ。

 

9月13日(土)

夏のような9月。

ひたすらに汗が出る。もうよろよろしている。

かき氷を食べても、それが充分に美味しいと感じるのだから、やっぱりまだ夏みたいである。

 

9月12日(金)

偶然と言うか、必然と言うか。

ワタシは、だいたい同じ頃に同じことをしているらしい。

きょう、タケハラさんに会った。

去年の同じ頃、正確には、テロが起きてから一年が経った9月11日に会っている。(日録に、そう書いてあった)。

前年(つまり、テロが起きた年)には、タケハラさんは、「ニューヨーク」にいた。(日録に、そう書いてあった)。

そして、今年は、また日本で会う。

違うのは、会った場所が、去年の「神戸」から、今年の「徳島」に変わったことだろうか。

去年と同じく、マスイさんも、ちゃんと一緒だし。

まあ、元気ならそれでいいんだが。

 

9月11日(木)

きょうもまた暑かった。とても暑かった。汗はだらだら〜。

さあ、明日からハードな日々になるぞ。

 

9月10日(水)

きょうも、無事に一日が過ごせたことに感謝しよう。

 

9月9日(火)

救急の日。

 

9月8日(月)

夕方、稽古に行く。

またしても大量の汗。

スタメンフル活動の選手のように、ずっとでずっぱりだったからだ。これでまた、いくらか痩せただろうか。例え、見た目にはわからななくも。

 

9月7日(日)

芦屋のベリーニで、さほど間を開けずにご馳走になる機会が続いた。幸運なことである。

幸運なことではあるが、そのままにしておくのは、なんだか申し訳ない気がしてきた。昨日の食事の帰り道、「カルマ」の話が出たからである。というわけで、ワタシはワタシで、できる範囲で、誰かに何かの食事をパスしようと考えた。

今日は、ちょうど、グラタンが食べたくなる。夕方、オーブンで焼く。

焼きながら、誰にしようか考えた。誰と一緒に食べようかと思った。いろいろな条件を考える前に、ふと、頭にマチコさんが浮かんだ。

マチコさんちで、グラタンを食べる。まるで、ひとりで、勝手にデリバリーである。

そりゃ、もちろん一緒に食べたけど。用意してくれたパンと野菜も食べた。

持参した赤ワインは、グラスに注いで右回転させてみた。うまくなった。

左に回すと渋くなった。(「硬い」という印象も同時に受けた)。もう一度右回転させてから飲んだ。

満腹になりながら、話は、思わぬ方向に弾んで、気が付くと、ワタシの話に聞き入るマチコさんがいた。

ふと我に返ると、まるで、説教をしているような気分だった。

 

9月6日(土)

やっぱり暑い。

残暑が厳しいとか、夏の暑さが戻って来たとか、どうやら、そういう次元の問題でもなくなってきたようだ。「暑い」ことの理由が見つからないからだ。

とにかく暑い。

稽古しただけで、数キロ体重下減る。(減らせるだけの体重があるってことか・・・)

夕方、内田先生に、芦屋のベリーニでお相伴に預かる。

ご一緒させていただいたイワモトさん、サトウさんと共に、じつに、「食べることだけに専念する」食事会であった。

たいへんおいしかったです。ごちそうさまでした。

汗となって減った体重は、食後には、見事にきちんと帳尻を合わせています。

 

9月5日(金)

暑い。

 

9月4日(木)

久しぶりの稽古である。

9月なのに、涼しいどころか暑い。汗が滴りまくる。

ついつい、そのままに放っておいた一月前の左足の膝小僧。「かさぶた」になった膝小僧。おおう、受身を取ると、思ったより痛いぜ膝小僧。

ところで、昨夜見た「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」、気の感応の映画に思えてならない。その前に見た「猟奇的な彼女」は、うるるっときてしまった。あのセリフが、たまらない。「運命は〜」の件。あれもセレンデピティなのだなあ。

偶然にも、スピルバーグつながり。

 

9月3日(水)

ドラえもんの誕生日。

これに先駆けて、先週の金曜日、いつもの放送時間内で、「ドラえもんの誕生」のアニメをしていた。どうせ違う話になっているのだろうと思いつつ、画面を眺めた。案の定、やっぱり話が違っていた。原作とは、大きく話がずれている。マンガがアニメになるときには、まあ、よくある話だけど。

でも、初めて見た人は、それがドラえもんの謂れだと思ってしまうのだろうね。

製作者もアレンジを加えたいのはわかるけど、ちょっと設定が無理している気がした。

 

9月2日(火)

葉書を頂いた。

差出人は、関東のお住まいの女性、主婦の方。

ほんとうは、先月末には届いていたようだが、そのことにワタシが気付いたのが、今日になってからだったのである。すみません。(さんきゅー、モリカワ氏)。

内田先生のホームページをご覧になるうち、この日録もまた、見てくださっているとのことである。

こういう励ましのお便りは、生きている喜びにもなります。ありがとうございます。

さて、その方のお葉書にも、先般、たいそうお世話になった浜松の鈴木さんのお知らせにもあったのだが、浜松での内田先生の講習会の様子が、数日後の静岡新聞で記事になっていたらしい。

どんなのか見たいなあと、今更ながら、思いました。うーん、見たいよう〜。

 

 

9月1日(月)祝、勝手に一周年。

きょうは、9月1日。

世間的には、防災の日である。

個人的には、日録の全面公開というか、全面掲載していただくようになってから、一周年の日である。

ここに至るまでには、じつは、なが〜い歴史がある。

しかし、ときに、長い話は、書き出すと、くどくなり、読み手に不快感を生じさせることがある。それは、なんとなく申し訳ないので、書かないでいよう。(話す方が楽な場合もあるしね)。

ところで、きょう、献血をした。

勧められるまま400ml。我ながら、元気だねえ。

 

8月31日(日)

31日目にしてようやく、一日中家にいた。そこから一歩も出ずに過ごす日である。

ふ〜う。残暑厳しい。

 

8月30日(土)

雨が降ったり、止んだり、また降ったりする。

親のありがたみを肌で感じた人生で何度目かの今日、何も考えずに、皿が洗えるようになっていることに気付いた。

 

8月28日(木)

夏の帰省、第2弾。

電車の乗り換えと用事とで、三宮辺りを歩いていると、またしても、とんでもない雨に見舞われる。運がいいのか、悪いのか。やれやれ。

 

8月27日(水)

 火星が接近するらしい。

「ウエスト・サイド・ストーリー」(ミラノスカラ座バージョン)を観たせいか、たららららーんと、小刻みに走りながら空を見上げる。

夜が深深と更けてきた頃、屋上に上って、もう一度、空を見上げる。

 

8月26日(火)

帰った日からいきなり雨。

とくに夕方は、なにもかもが壊されそうな勢いで雨が降てくる。

「もう、なんなんさっ!?これ!?」

洗濯できねーじゃねーかよ。

 

8月25日(月)はれ

昨夕まで、あると思っていた朝稽古、今日ばかりは、ないのである。

というわけで、朝寝をして、7時40分に起きる。

朝食のために、大広間に出ると、朝まで騒いでいたらしい人々の、落ち着きどころのない目が散見される。(チーム「すごいグループの人々」)。

荷物をまとめて、午前の稽古に向かう。

これで、今回の合宿、最後の稽古である。緊張ではなく、充実した感覚がある。

身体は満ち足りたまま、多田先生をお見送りし、我々も、関西に戻る。

名古屋まで、ウチコガ号でお送り頂き、名古屋から神戸へ。とろけるように眠りにつけるのは、ほんとうに幸せなときだからである。

今回、たくさんの、いろんな方から、技をはじめとして、いろんなことを、教えていただいた。とても楽しく、充実した合宿だった。

新しく出会えた方も、これまでに存じ上げていた方も、誰もが親切に、丁寧に対応してくださった。とてもうれしかった。ほんとうに、ありがとうございます。

まさに、合気道を通じて感じられるご縁だなあと感じるばかりの5日間でした。機会があれば、また参加させてくださいね。ほんとうに、ありがとうございました。

 

8月24日(日)はれ

連日のよい天気。

朝稽古、午前の稽古、午後の稽古。午後の稽古では、審査が行われる。

3級から4段の方まで、総勢43名の審査である。

ひとりの持ち時間が5分としても215分。まさに大長編映画を観る心地である。

その間は、ずっと正座しているのが気錬会の慣わしである。以前は、何人審査されようが、休憩なしの座りっぱなしだったそうである。最近では、一回のグループごとに、休憩が入るらしいと聞いて、少し安心した。

初段審査の方は、誰もが線がきれいだった。ピシッとしていて、技のキレも冴えもあった。いいなあ。

北澤さんの4段審査を拝見した。

初めて見る「審査」である。北澤さんのおそるべき凄さと大きさと強さを感じた。

夜は、昇級昇段審査を祝っての打ち上げ。

少しずつ、顔を覚えながら、気錬会のみなさんとのご縁に感謝した。

 

8月23日(土)はれ

富士山を背にしながら朝稽古に行く。

まだ日の早い光を背にしながら、道衣を着て、草履を履いて、歩いていると、なんだか武道家になった気分である。

稽古を終えて宿に戻るときは、光に向かって歩く。富士山が、さらに美しい。

これだけでも、来て良かったと思える。

朝食後に朝寝したせいか、午前の稽古が午後みたいだ。

今日からお見えになったテラサキさんに、少しだけ、稽古をつけていただく。

道場も、だんだんに暑くなる。大量の汗をかく。

夜は、多田先生の講義。

ことばにはうまくできないけれど、瞬間的に、ふわっと身に沁みた。構造がどうとか、形がああだとかいうのではなく、感覚として、ふわっと。なにか、どっかーんと大きな衝撃を受けたみたいだ。

カチッと、何かが音を立てて、私の身体の中で、変わったような気がする。「どれ」とは言えないけれど。ドキドキしている。

ドキドキしながらも、洗濯して、眠る。

 

8月22日(金)はれ

二日目の朝は早い。

朝稽古は、午前6時半からである。

何時に寝ようが、何時に起きようが、開始は6時半である。

しかも朝は、宿からの送迎バスは出ないので、歩いて道場まで行かなければならない。慌てずに歩いても、10分ほどかかる。ということは、逆算すれば、自ずと起きる時間が決まってくるわけだ。(その後、洗面所の数と合宿参加人数と起きる時間が、うまく合致しないといった学習がなされたため、個人的には、起床時間が繰り上げられることになる)。

多田先生から、呼吸法を充分にこなす仕方、そして、胆力、その意味を教えていただく。

午後の稽古が終わって、夕食を摂り、夜はバーベキューと花火。

今日のお昼から参加された、ヨネザワさん、カナタニさん、マスダさんもお元気そうである。

知っている人にお会いできるのは、やっぱりうれしい。

 

8月21日(木)〜25日(月)合宿だよ!山中湖:はれ

東京大学合気道気錬会(以下、気錬会)の夏合宿に参加させてもらう。

名古屋駅のバスターミナルから、午前7時40発のバスに乗る。

発車時間になって、バスの乗務員が乗車人数を数えている。人数を確認し終わり、結局、出発したのは、予定時刻の10分後。

関西(主に神戸や大阪)では、このように、発車時刻に人数を数えることは、ほとんどありえないと思う。おお、これぞ名古屋時間と実感する。

途中、大きな渋滞はなかったものの、山梨県に入った辺りの市内の道で事故があり、車線が一方になったため、予定時刻を1時間ほど送れて宿に到着。

着替えを済ませて、主将の井上さんらと一緒に1階のフロアにいると、多田先生がお見えになる。

まさに感動の一場面である。

道場となる体育館までの600メートルほどの道のりは、宿の送迎バスしてもらう。

着くと、気錬会のみなさんは、すでに準備体操を終え、足捌きをされていた。そこには、なぜか、ボストンにいるはずのたかおくんまでもがいた。

 

8月20日(水)

朝から、パッキング。大荷物を持って、名古屋へと向かう。

明後日から、気錬会の合宿に行くためである。今回の合宿場所は山中湖。涼しそうです。

出発の朝が早いので、かなちゃんち(名古屋の内古閑家)に泊めてもらう。東京に出てから、山中湖にヘアピン移動するのも、なんだか変な気がしたからでもある。ということで、ひとまずは、アーバンライナーで名古屋へ。

8月19日(火)俳句の日

食すれば 腹は悦ぶなり テールシチュー(投稿名、匿名希望:グリルうき坊)

さて、本日の学習。

余りにも腹が膨らみすぎると、顔がほころぶ。お酒がすすまなくなる。そして、何より、にこにこする(^^)

良い日である。

 

8月18日(月)

メロンパンを見ると、つい、「へぇ〜」と言ってしまいたくなるこの頃。

 

8月17日(日)

ふとした瞬間に、「あ、あの人は元気かなあ」と思い出すことがある。

ワタシにとっては、そういう人が、この世に何人かいる。

思い出すと、そのまま、手紙でも葉書でも、何でも良いのだけれど、とにかく、「ワタシの文字」が記される方法で、たらっと何かを書く。もちろん相手の顔を思い出しながら。

肉筆が踊る紙面が好きだ。

最近では、キーボードを打つ手(実際には指だが)が、ことばの切れ端のような、ことばのつながりのような拙い文章であれ発信することができるのなら、見てはいないと知りつつも、ワタシはここに書くのである。

「元気ですか?」

 

8月16日(土)

 夕方、下宿に戻る。

 

8月15日(金)

 帰省中。

 

8月14日(木)

 大雨に降る昼過ぎに、僧侶が来る。
 お盆の供養をしてもらいながら、経を唱える声をじっと聴く。
近くの親戚に挨拶して、梨を買ってもらう。
昨日の夜、先に来ていた父母の車に乗せられて、実家に帰る。祖母も一緒だ。祖父は他界している。

 

8月13日(水)

 たらふく朝食を食べたあと(「ああ、よかった。ダイエット止めておいて」と思う瞬間である)チェックアウトをして、待ち合わせのロビーへ。

 浜松駅までは、鈴木先生にお見送り頂く。内田先生に続いて、ご挨拶する。

「ではまた秋に」。 
 そうなのだ、次にお会いするのは、秋なのである。ああ、なぜか切ない。

 内田先生とは、浜松から名古屋までご一緒する。三重県に祖父母宅があるため、ワタシは、名古屋で下車したからである。

ちょうど昼頃なので、ここでまた、うなぎを食べることもできたが、朝にたらふく食べたせいで、昼の時間になっても、おなかがいっぱいである。

そのまま、祖父母宅に向かっても良かったが、天気の良い日の名古屋を見過ごすこともなかろうと思い、急遽、名古屋観光でもしようかという気になる。

駅近辺では、行ったことがないのは、熱田神宮くらいだ。駅員に最寄り駅を聞くと、「JR」と「名鉄」があるという。「名鉄」には乗ったことがない(と思う)ので、それに乗ることにする。切符を買おうと財布を取り出し、「神宮前」までの値段を見る。

この瞬間、「犬山」という文字がワタシの目に留まる。

「イヌヤマ!?」

そうである。あの「明治村」のある「犬山」である。ということで、5秒ほど前まで行こうと思っていた行き先をあっさり変更し、明治村最寄り駅への切符を買う。なぜそこに行きたいのかは、説明すると長くなるので、割愛。念願の場所であったこということだけ付け加えておけば、充分かと思う。電車、バスを乗り継いで、ワタシはそこへ向かい、不思議な感覚に襲われながら、歩いていたのである。無意識に、怖そうなところには立ち寄らなかったけれど。(ふふふ。それにしても文学はいい)。

 

8月12日(火)

 「浜松の鈴木さん」こと、浜松市にある天竜中学校の先生、鈴木文夫先生のご招待で、合気道の講習会に出かけられる内田先生にご一緒させていただいて、初めての浜松に行く。

 内田先生と新大阪駅で待ち合わせ、一路、浜松へ。
 新幹線は、やはり快適な旅である。乗車駅も少ないし、何より静かである。
 昼過ぎに浜松に到着。これまでにお見受けしたことがないほどに、ラフな姿をされた夏休みヴァージョンの鈴木先生が、にっこりと改札口で待っておられる。(これまでご一緒させていただいている講義では、もちろんのように、スーツ姿しか拝見したことがない)。
現地の大坪先生の運転される車に同乗させていただき、うなぎ屋へと向かう。

 じつは、うなぎには目がないワタシにとって、これは最高の悦びである。夏が近づくと、ふらふらとうなぎ屋に走るのである。うなぎを口にしているのである。大好きである。「浜松と言えば?」と聞かれたら、即座に「うなぎ」と答えるくらいだ。

 創業125年の老舗「中川屋」で、「とろろうなぎ茶漬け」なるものを頂く。
 うまい!!!まさに「美味なり」の食感だ。(食べ終わったあと、何もせず、そのまま帰っても文句はないほどにうまかった)。

 午後から、天竜中学校の女子ソフトテニス部の部員40名の方にご指導される内田先生の講習会を拝聴しながら、テニス部の生徒さんたちと、一緒に稽古する。途中、10分ほどの休憩を挟んで、都合2時間半ほどの講習会は、とてもおもしろかった。
楽しかった。中学生の素直さを身に沁みて感じた。

 夜は、地元の先生方との懇親会に混ぜていただき、たいへん刺激的な時間を過ごす。
 楽しい時間の感覚を身体に受け、浜松城の見える快適なホテルの部屋で、ワタシは、とても楽しい日を思った。
たまたまつけたテレビでは、BSだろうか、ビートルズが出ている。幼い頃から、どんな機嫌が悪いときでも、これを聴けば、立ち直り、機嫌の良いときなら、なおさらよくなった。大好きだ。とても気分のよい夜に、つけたテレビで出会えるビートルズだった。

うなぎと合気道とビートルズ。最高にうれしく、楽しい日は、目が覚めると、いつも朝である。

 

8月11日(月)

 「ハリー・ポッターと秘密の部屋」を観る。

前作に続いて、いぢわる金髪少年と親が登場したり、仲の良い友達の家族が登場したりと、話は広がるには広がって入るんだが、なんだか、もひとつね。前作の方が、全体にすっきりしていて、おもしろかった。

それから、続けて撮影したわりには、声変わりしてそうでした、どの子も。とくに男の子たち。うーん。痛いところだ。

 

8月10日(日)

 ひー、日曜日だ。

 

8月9日(土)

 夏仕様ということで、髪を短くカット。

 これで、ぼさぼさ頭から少し解放された。

 それはそうと、どこに行ったのか、探していた腕時計が洗濯機の奥底から出てきた。ああ、またやってしまったよ。でも、時計の針はちゃんと動いている。強いね、スウォッチ。念のため、干してみる。

 

8月8日(金)

 Happy re-birthday to me.

朝起きて、またもや言ってみたいことばのひとつを口にしてみる。(日本語訳「裏誕生日おめでとう!」)

今日は、ワタシの「裏誕生日」なのだ。(村上春樹の提唱による。各人の持つ誕生日の、ちょうど裏側の日のことを言う)。

誕生日とは、また違った角度で喜べる。

 

8月7日(木)

 所用で池田に行く。
 歩いている途中、「インスタントラーメン発明記念館はこちら」、と指示する看板が眼に留まる。そうである。ここは池田、インスタントラーメン発祥の地であった。

偉大なる安藤百福氏の恩恵は、年に数回、突発的に受けている身なので、行かないわけにはいかない。(ときどき、インスタントラーメンを欲することがある)。ということで、てくてく歩く。どういう性分かは知らないが、見知らぬ地をてくてく歩くのが好きである。

発明記念館に到着。

思ったよりもきれいな建物で、すっきりとしている。どんなだろう?と思いつつ入ると、入場は無料。これにも驚いた。

展示場では、インスタントラーメン、つまりチキンラーメンのクイズがあった。10問中8問以上正解すれば、記念品がもらえる。ちゃっかりもらって帰ってきた。

 

8月6日(水)

 まるで、夢を見ているようだ。そんな日もある。

 

8月5日(火)

 朝から、壊れていたらしいクーラーの排水管をなおしてもらう。出かける前だったので、少し慌てたが、何とか無事に済む。

 昼から、梅田に出る。暑い。汗も出る。
 東京の研究者の方にお会いして、接待。
…と言うほど、大仰なものでは決してなく、ランチを食べて、観覧車に乗るくらい。
(実は、ワタクシ「観覧車」好き。これまでにも何度も乗っている)。

しかし、同じ人は、そうそう何度も誘うこともできないし、乗ってくれないので(ま、そりゃそうだわな)、遠くから来た友人知人、近くの人でも、興味がありそうなら、何となく誘って、同乗しているのである。(今日は運良く、先方も観覧車好きであった。ありがたや)。

晴れていたので、くっきりと大阪城が見えた。しばらく乗らぬ間に、500円になってましたぜ。

ここで、おしらせ。

ワタクシと観覧車に同乗されていない方で、観覧車好きな方は、もれなく、「うっきーが観覧車に誘うチャンス」が残されています。これを「特権」と見るか、「不運」と考えるかは、アナタ次第!?

さあ、みんなで観覧車にレッツゴー! うひゃひゃ。

 

8月4日(月)

「マトリックス」とは、実によくできた映画である。

「マトリックス・リローデッド」は、実にアジア色の濃い映画である。なぜかな。

 

8月3日(日)

 気になるので調べてみたら、やっぱり「ピーナッツ」だった。

え、なにがって? いやあ、歌詞ですよ、歌詞。これまで、ワタシは、ずっと、そう歌ってきたし、そのように思い込んでいたんだけれども、昨日、歌が流れる場で、多くのひとから、「ヴィーナス」だと言われてしまった。瞬間、慌てたので、「ピーナッツ」だと強く反論できなかったのである。そのため、ここで調査結果をご報告。

つくった歌い手の声は「ピーナッツ」、公式ホームページでも調べてみても「ピーナッツ」と表記されている。ワタシの持っている歌詞カードだけが、「ピーナッツ」と誤植されているわけではない。

歌詞の意味を深く考えても仕方ないが、「チャコ」ときて、「ミーコ」ときて、「ピーナッツ」となる。いきなりな展開に、凄まじい名曲だと未だに思える秘密があるのだろうか。
♪星は何でも知っている〜のなら、教えて欲しい。ああ、「チャコの海岸物語」よ。

 

8月2日(土)

 矢部さんの送別稽古。

 長く親しんできた友は、これでまたひとり、すぐ近くにいなくなる。
物理的な距離が生じるのは、たしかに寂しいことである。それが精神的な距離となるのかどうか、それは、わからない。しかし、たとえば、いま、ワタシの真横に座っている誰かがいるとして、そのひとと心を通わせることができるかといえば、そうとは言い切れない。近くにいたって関わりのもてない関係は、いくらでもある。

 稽古のときから、矢部さんは、「涙の矢部さん」だった。
 相変わらずの優しさと、愛想の良さと、柔らかさがあり、ことばを使っての説明は、とてもうまかった。眼を赤らめて、泣きながら決して話さない。笑い顔で相手と接し、道場のなかでは、誰に対してもそうなのだ。

 はなむけの演武では、ヤベさんと同期のクスさん、キタガワさん、スエマツさんが受けを取った。(ワタシもすこしだけ加えていただいた)。

ヤベッチとクウのふたりのコンビネーションのよさは、日頃から、たいへんよく知られたもので、ここにキタガワさんと加えた3人のセッションになると、もう誰も入り込めない境地である。「きょう」という日には、それが見事に集約されていたと思う。あれほどまでに、「飛ぶ!」クスさんを、ワタシはこれまで見たことがない。

 稽古後は、壮行会。

 誰とは言わず、涙が流れ、誰とは言わず、笑いが起きる。
 紡ぎ取られたことばは、ひとつひとつ丁寧に、大事に交わされ、編まれ、交換される。ここでもまた、そこにいた誰もが、瞬間、瞬間を大事にしていたように見えた。

矢部さんは、この9月から、アメリカはミネソタ州セント・ポールで日本語を教えに行く。合気道部のひとつの時代は、こうしていま、海を渡る。

 これまで、ほんとうに、いろいろありがとうございました。
また地球のどこかで会いましょう。元気でね。

 

8月1日(金)

 初めての夏らしい休み。いや、休みらしい夏か。ま、きょうだけ。

 

7月31日(木)

 部屋中掃除しまくる。

 

7月30日(水)

 篭ったままにいると、いつから今日になったのか、わからない。昼みたいな夜と夜みたいな昼。でも、ほんとうの夜が来たら、街に出て宴会。

 

7月29日(火)

 終日篭る。

 

7月28日(月)

 終日篭る。

 

7月27日(日)

 昨日の翌日である今日は、三宅先生にお誘い頂いた「三軸自在研究所」関係の方々が集まる講演会に参加する。(世界は広い。こういうものもあるのだから)。

 パート1の午前の部では、内田先生の講演を拝聴。1時間半ほど。
「響き」をテーマに、頭(脳)が作っていると思いがちである身体のほうが、実は脳よりも随分賢く、それを「聴く」というお話。発想の転換から来る身体の話は、とてもおもしろく興味深い。リアルタイムに共感できる部分も多々あり、いつものごとく刺激を受け、考えながら、身体を使って、ワタシは聴いた。最近の先生が考えられていることを、まとまって聴けるよいとても機会だった。
 お昼の休憩を挟んで、パート2の午後の部は、池上先生の講演とセミナーが4時間ほど。
 三軸自在修正法の創始者であられる池上先生の雰囲気は、とても柔らかく、おもしろく、素敵である。説明のされ方も、素人にとっても、とてもわかりやすい。相手を誘い込むようなタイミングで、パッと出して、さっと引き下がる感じである。
海を渡る潮風が、反対方向から事も無げに颯爽と吹いてくる風を、さらっと綺麗にあしらったような方である。
池上先生の話されることばのなかで、とくに印象的だったのは、「三軸といった、こういうやり方があるというので、いいんです」とか、「それぞれに合う方法を探してください」というところである。「これでなければだめだ!」という強制は、どこにもない。だから、楽に聴けるし、何の気負いもなく、三軸の凄さに感動してしまうのである。(おかげで、「ほら、できるじゃん」などと言われて、すぐさまその気になってしまうのだから凄い)
三軸を使って、ワタシも、いくつか、ごりごりぐりぐり、してもらう。
と言っても、直接身体に触れずに、障らずに、「ごりぐり」してみせてくださるのだから、あら不思議。緊張がほぐれて、ゆがみも取れて、先日までに三宅先生に治してもらったところが、さらによくなっていた。ああ、三軸ってすごいや。身体って、ちゃんと共鳴するようにできているんだなあと、つくづく思う。やっぱり身体は楽器みたいである。

そういやこれまでにもワタシは、幼い頃から何度か、近い友人や知人、家族の具合が悪くなると、それとは知らずに、自分自身の身体がおかしくなっていることがよくあったのを思い出した。「共鳴する」とは、こういうところにも?がるのかしら。
とにかく、あー、おもしろかった。こんな世界もあるんだなあ。
恐るべし三軸自在修正法。恐るべし「池上ワールド」(@三宅先生)である。
三宅先生の凄さとそのパワーの発信源に驚き、池上ワールドの壮大な渦に巻き込まれた時間だった。このような素晴らしい時間を共有させていただいた幸運に、深く、深く感謝した。このような流れの中に導いてくださった内田先生に、また改めて感謝した。そして、ワタシは、全身でにこにこしながら、芦屋の夕日を浴びていた。

(後日談:ところで、昨日まで、この日は、マンガの講演会みたいなのに行くことにしてました。でも、どーも、それには行けないような気がしてたんです。前々から行く予定で手帳にも、カレンダーにも書いてたし、申し込んでもいたにもかかわらずです。なぜかはわかりません。ほんとに、「なぜか、よくわかりませんんが」という理由付けしかでかない。自分でもなんだか不思議だなあと思いつつ、今日という日が来た。来たら来たで、ことの運びがこうなったもんだから、「あら、これだったのね」と、ひとり腑に落ちる。急遽お誘い頂いた講演会を選んだワタシの身体。もう少し正しく信じてみようという気になった。大事にしよう、ワタシの身体)。

 

7月26日(土)

 昼から合気道の稽古に行く。
 ゆっくりと身体をほぐしながらの稽古。それでもたくさんの汗をかく。注意点は際限なく溢れ出てくる。
小休憩ののち、再び芦屋へ。目指すは、芦屋のベリーニへ。
今宵は、三軸自在研究所の三宅先生のご高配により、内田先生がお会いする池上先生(三宅先生の師匠にあたられる方)と、三宅先生、池上先生の関係者の方々ご列席の場に混ぜていただく幸運に恵まれたのである。
食事開始と共に繰り広げられる興味深い話を拝聴する。じゃんじゃん運ばれてくるおいしい料理とワインを堪能させていただく。「幸せだなあ〜、ぼかあぁ〜、こういうふうに食べるときが一番幸せなんだ」とでも、歌いたくなる。末席を頂戴しながら、内田先生に頂いたご縁に深く感謝するばかりの夜。

ところで、ベリーニと言えば、もう3年ほど前になるのか、一度、お誕生日祝いをしてもらいに来たことがある。(正確には「お祝いしあった」である)。お店のひとに、「誕生日のお祝いで来た」と告げると、デザートのケーキを特別に用意してくれて、写真を撮り、耳元で歌まで歌ってもらった。あのとき、耳元で歌ってくれたおじさんは、いまも、お元気そうに、お祝いの方へのケーキを配っていた。

 

7月25日(金)

 働いて過ごす。

 

7月24日(木)

 事務的に過ごす。日々の作業を片付けながら。

 

7月23日(水)

 どういうわけか、朝から急に右足の付け根の関節が痛くなっている。
「こりゃたまらん。いっそのこと、ぼこっとはずせば治るだろうか」そんなことを思ってしまう。ああ、『どろろ』じゃあるまいし。昨日までは、なんともなかったのにな。

 

7月22日(火)

 よい天気、にこにこしながら洗濯し、顔文字なんか出してみる(^0^)/

 

7月21日(月)

 「今日は海の日の振替休日という名のお休みかあ〜」などと思っていたら、夕刻になって、どうやら今日がその「海の日」だったらしいことに気付いた。
あーはずかし。
世界中に恥をばら撒いた気がする。ま、いまさら別にいーけどさ。誰も気に止めやしてないだろうよ〜。

 さて、前回辺り、「みなさん、こんにちは」などと書いて、学校給食のときのことを思い出した。ワタシが通っていた小学校には学校給食があって、毎日毎日、給食時間になると飽きもせず、給食委員か何かの人の放送が必ず流れていた。(※当然のようにワタシは、そのような面倒な当番が回ってくる委員にはならない)。給食時間になると、毎度流れてくるその放送を聞くでもなく、聞かないでもなく6年間を過ごしていたせいで、結構変な記憶が残っている。
放送の出だしは、「みなさん、こんにちは。給食の放送の時間です。今日の献立は、パン、牛乳…(以下略)」という感じで、献立紹介のあとは、豆知識というか、カルシウムだの、炭水化物だのの効果やお話があったように思われる。(いったい誰が選んでいたんだろう!)話の内容について、いまではこれ以上は何も覚えてないのだけれど、どうでもいい出だしの方だけは、いまでもほとんど反射的に覚えている。おかげで、「みなさん、こんにちは」という(とくに「のべたーん」とした感じで言うのがコツみたいでしたなあ)上の句には必ず、「給食の放送の時間です」と下の句が続いてしまう。こういう刷り込みって怖いなあと思う。とくに大きな害もないことだから、まあ、いいか、というふうに過ごしている。
それにしても給食はまずかった。悪知恵も働く高学年になると、使えるだけの手を使って、ほとんど食べずに過ごした記憶しかない。こんなこと言うと叱られるかもしれないけれど、給食というのは、ほ・ん・と・うー!!!にまずいっ。給食を通して、「栄養バランスのよい食事」とか、「ちゃんと食べ物を作ってくれた方に感謝しよう」ということを教えようとしていたのかもしれないけれど、それより先に給食の中身自体を見直したほうがいい。それから、根本的に身体によくない思いをさせることをとおして、「よいこと」をしつけようとするのには無理がある。それ自体、かなりバランスが悪いことなのだということに、早く誰かが気付かなければならないと思う。そこに気付いてもらえない限り、ワタシみたいな者は、ある種の拷問を受け続けるわけですわーね。

 あと、「みなさ〜ん」というふうに、「さ」と「ん」の間に「〜」で現す伸ばす音を言うと、たちまちドン・ガバチョを思い出してしまう。
「相変わらず例えが古いなあ」と言われても、これはどうやら体質みたいなものなので、変更ができるのかどうかは謎である。体癖ならば、さらに謎である。

 

7月20日(日)

海の日。来年からは第三月曜日になるらしい。ふーん。

 

7月19日(土)

光岡英稔先生が来られる。5時間ほどの講習会だったが、あっという間だった。

身体の使い方は、こちらの理解をはるかに超えたものであることは、いちおうはわかっていたつもりだが、実際に見るとまた凄い。動きに美しさがあり、しなやかさがあり、どこにも凝り固まりや「ため」のようなものがないのである。いらないものは「すぐに捨てる」姿勢にも驚きながらも、かなり感動した。

要点を正しく抑えて理解し、身体の正しいあり方を学ぶこと。

自分自身の身体の動きの変化に注意すること。

正しいあり方を教えてくれる人に出会うこと。

 

あれほど気さくで、感じがよくて、にこやかで、謙虚な方をワタシは知らない。そう感じてならない素敵な方である。何らかの宿命があの方にあるのなら、それは至極当然のことだろう。宿命によって導かれる方としてのあり方を見ると、人間のすさまじさを目の前にしているような気分になるし、そして何より生きていてよかったと思える。

 

7月18日(金)ダイエットについて

みなさん、こんにちは。突然ですが、ワタクシ、本日を持ちまして、「ダイエット」をやめることにしました。

「え?ダイエットなんてしてたの?知らなかったよ」とか、「ダイエットしてたのは知ってたけど、ちっとも様子が変わらないから、もうとっくの前にやめたのかと思ってたよ」などという声が、全国各地から聞こえてきそうですが、いえ決して止めてはおりませんでした。きのうまで、曲がりなりにもちゃんと続けていたのです。微々たる名誉のために申して上げておきますと、これでもいくらか痩せたのです。まあ、数量にしておよそ2キログラムというところですが。ちょっとだけスリムになって、ズボンも結構だぶっとしてしたりなんかして、本人も割と喜んでいたのです。というようなわずかな成果もありながら、今回、やめることにしました。

理由は簡単です。朝食が食べたくなったからです。朝食を摂らないのは、身体によくないと思ったから、それだけのことです。

実は、ワタシはこれまで人生で一度も「ダイエット」と名の付くものを実践したり、取り組んだりしたことがありませんでした。もちろん「痩せた方がいいなあ」とか、「もうちょっとバランスのよい身体になりたいなあ」などということは、数十回は思ったことがありますが、いつもそこまでで、何らかの実行に移すことはなかったのです。

それが先月、従兄の結婚式に参列することになり、スーツを着ることになりました。

ワタシの式ではないのですから、そう張り切ることもがんばることもないのですが、うっかり太ってしまって、「服が入らなかったから欠席します、ごめんね」と言わなければならないことほど、哀れな欠席理由はありません。そんなことをしたら、おそらく一生その従兄から笑われるでしょう。笑われるくらいならまだいい方ですが、恨まれるかもしれません。いくらワタシでも、親戚とはいえ、何もわざわざ恨みを買うようなことはしたくないので、一念発起してダイエットをすることに決めたわけです。それが先々月の下旬の話です。しかし、それまで一度もダイエットなんてしたことがありませんから、どうすればいいのか、まるでわかりませんでした。

そんなとき、内田先生がちょうどダイエットをされていることを知り、とりあえず、道具も何も要らず、すぐにできる方法のようだったので(なんだか何かに似ていますが)、それを教えていただきました。(先生のホームページをご覧の方ならご存知でしょうが、いわゆる「朝昼二食抜きダイエット」というやつです)。

三度三度のメシを大事に生きてきた人物にとって、これは、割と過酷なものになりそうでした。ですから、始めて三日くらいのうちは、初日に朝だけを、二日目には昼を、そして三日目から夜だけに…という具合に段階を経て食事を抜いていきました。

おかげで、三日目からは、すんなりその体制に入ることができました。そして毎日、大量の水分を取る日々が始まったのです。それ自体は健康によさそうでしたが、「水太りしないかなあ」と、反対にそのことが気になりました。実際、そんなことはありませんでしたが。

続けるうち、いらぬ肉は落ち、スーツも入り(ほんとうは、それまでも入ってはいたようですが、「見てくれよく」ということばが付いたかどうかはわかりません)誰にも恨みを買うこともなく、無事に式にも出ることができました。ダイエットは、そこで止めてもよかったのですが、それはそのままワタシにとっての「願掛け」となりました。「学会発表」という名の。

なんとかそれも済み、そこで止めてもよかったのですが、その頃には、ダイエットにまた別の目的が付いていたのです。そうです。なぜだか楽しくなっていたのです。食べないで水を摂る食生活にも結構慣れてもいたのです。

そんな今日、突然、朝食が食べたくなりました。ダイエット期間中にも、朝食や昼食を何度か口にすることもありましたが、ちゃんとしたモノではなく、だらっとつまむ程度で食べるくらいでした。訳もなく、朝食を食べたくなりました。というわけで、やめることにします。

そもそもワタシがダイエットをしていたことをご存知でない方にとっては、「ふーん」で済む話でしょうから、そのままにしておいてください。ご存知だった方は、「あーそうなの」という程度には、受け止めてもらえるんでしょうか。

長い話になりましたが、ひとまずは、トントントントン……と、朝に時間があるときは、ぜひまた、それをしたいと思います。

 

7月17日(木)

用事があって、卒業以来、一度も寄り付くどころか、行ったことのない高校に行く。

高校三年のときの担任は、風の噂どおり、まだ勤務されていた。

「先生、お変わりなく」

「おおお、元気か。おまえも変わらんなあ…あ、でも、メガネが…」

「はい、コンタクトにしました…大学に入ってすぐに…」

「そおかあ、ふーん」(以下略)

 

そういや卒業間際のワタシは、日常的にメガネをかけていたことを思い出した。それまでももちろん、生まれたときから近眼だったが(じつは「先天性近乱視」である)、メガネをかけるのがいやで、必要最低限しかかけていなかったのだ。とくに生活に不便はなかったからである。教室では席替えのたびに前の方を選び、授業も黒板を見るためだけにかけていた。しかし、それにも限界が来た。

ある時、歩いていて、(おそらく歩いているときの自分自身の目つきが悪いと感じた、人生で何度目かのことだろうと思うが、とにかく)遠くが見えにくいために、しかめっ面になることがいやになったのである。メガネをかけたまま歩いてみた。すると、はっきりと遠くのモノが見えた。(当然である。メガネとはそういう役目も果すものだ)

メガネをいうものは、日常的にかけていると、鼻の辺りがとても暑くなる。とくに、汗かきには優しくない道具だ。夏なんかとくに。まあ、というわけで、大学入学を機にようやくコンタクトにした。

別にそれまでにもコンタクトにする手はいくらでもあったけれど、ワタシは当時から(そしていまでも)極度の面倒くさがりなので、友達から、コンタクトの扱い方の話を聞くだけでも充分に難儀だったから、避けていた。

 

当時の担任の先生と話した帰り、ふとこんなことを思い出した。

あんまり時間がなかったので、先生との会話の時間は知れたものだったので、また改めて会いに行こうと思う。というのもこの先生は、フフフフフ…。

ではまた次回。

 

7月16日(水)

タカハシ先生とキムラさんと会食。

ひょんなご縁で知り得たキムラさんは、とても気さくで、じつに気持ちのさっぱりしたひとである。素直に「いいですね」と思えるひとである。(とワタシは、会うたびにそう思っているのである)。こういうひとはワタシにとって、「大切な友達」なので、ときどき混ぜていただく光栄な食事の機会を楽しみに、とても大切にしている。

また、先生との話をうかがっていると、こういう関わり方もあるのだなあと、いろいろと勉強になるのがほんとうのところ。

質問したり、刺激を受けたり、意見を述べたりしながら過ごして食べた料理が、これまたうまい。おいしい食事は楽しい会話と共にある。

 

7月15日(火)

心地よい日。天気もいいし、気温もいい。そして、なんてたって湿度が低そうなのがよい。風もさらっとそよいでいる。そよそよ〜。

 

7月14日(月)

フランス革命の日。

 

7月13日(日)

とんでもなく雨が降る。どうなってんだよ、空は。

 

7月12日(土)

大学の総合文化学科主催のシンポジウム、「新しい教養教育をもとめてー総合文化学科の取り組みー」の講演を聴きに行く。講演者は佐藤学さん。題して「市民的教養とは何か」。

いや凄かった、凄かった。聴き終わったあとの率直な感じは、いきなり後ろから、斧か何かで頭を殴られたような気分。頭上には、マンガ的な星がきらきら。叩かれたショックで出てくるアレですね。それらが、いくつもいくつも、ぐるぐると頭の上を回る。

なにか全身を貫かれたような感覚だけが残される。

耳で聴いた「学ぶ」ことの大切さ、「教養」の重要性、「型」の根源的な必要性のそれぞれが、私の全身をいっきに駆け抜けて行く、そんなふうだ。

あるいは、海岸をぼんやりと歩いていたら、いきなりドドドドドッーと大きな波が打ち寄せてきて、全身が水浸しになる。急なことで波から逃れられない。波はお構いなしに、いくらもやってくる。次第に緩やかな波に変わるうち、ようやく潮がひく。潮がひけば、海岸には波が残した貝殻がいくつも転がっている。私は海岸でそれらを拾い歩き、きちんと手にすることができるだろうか。

「学び」について説明されるとき、佐藤先生は、「学」という漢字の旧字体や新字体を取り挙げられた。その途端、いや、もうそれだけで、「教養」とは、人間が生きるうえで持ちあわさなければならぬものであり、極論すれば、それがなければ、生きていくことさえままならないように思えた。

「挨拶」については、これが「学ぶ」ことやそれ以外のことのすべての始まりであると、佐藤先生は言われたように思う。(…ように理解した)。幼い頃から、礼儀と挨拶だけは、恐ろしいほどしつけられたせいか、おかげでいまの私には、それらに大きな苦はない。

そして、ときにワタシは、挨拶ができない人間を「人間として生きていくのは考えものだ」と思ってしまったり、挨拶は、言葉にさえすればそれでよいというものではなく、きちんと「対話」のなかで成立してこそ「挨拶」なのだとまで思ったりしてしまう。

これは、「挨拶」を日々実践して取り組んで生きているうちに得た私なりの感覚である。昨今は、このことをさらに強く感じるようになっていた。

挨拶の話が出たとき、私は挨拶をとおして、自ら感じ、思っていることを言ってくださる大人に、またひとり出会えた気がした。「自らのうちで感じたこと」を「大人」のひとに少しでも肯定されると、とてもうれしい。講演を聴きながら、「こういう形での『学び』の形態もあるのかなあ?」とふと思った。

それにしても。

「教養」のなさは、何かにつけて素養のないことを再認識してしまうのだから、私にとっては、まさに赤面の至りである。しかし、このような赤裸々な姿や自身のことをさらけだすことでまた、羞恥の念にかられるのだから、もう泣きたくなってくる。二重に哀しい。

しかし、生きるしかない。…というか、生きるための充分なヒントや刺激があり、ワタシはこれを書いているいまもまだ、フレンドリーな佐藤先生の聴衆をいきなり引っ張りこむようなあの話ひとつひとつが忘れられずに、鳴り響いているのだ。

 

7月11日(金)

♪知ってる人は知っている〜知らない人は知らない〜 アンパンマン♪

それこそこんな歌、どなたがご存知なのかはわかりませんが…ま、とにかく、あの日から、ちょうど一年経ちました。

 

 

7月10日(木)

まただ。いい加減していただきたいものである。腹を立てる方の身にもなってくれ。ただでさえ暑いこの頃なのだ。せめて余計なエネルギーを使うようにしむけないでくれ。頼むから。わからなんのかね、そんなことも。

ああ、イライラは治まらず、心は乱れてばかりである。かといって、こんなところにその事実を書きたてるほど、いやなことはない。(だって、書くと後に残るし、残るとあとからまた思い出して、きっと気分が悪くなるでしょうから。二重三重に気分が悪くなるのは、最初に気分が悪いのとは、また少し違った感覚が伴って気分が悪くなるので、結局は二重三重に身体によくない)。

うちに帰ってから、ジーンズを切る。ちょっとそのままでは穿きにくいほど「だぶだぶ」になった(はいほー!痩せたのです!)のを切る。短パンにした。

 

7月9日(水)

ありがとう。どういたしまして。

数ある「ことば」のなかから、どうして私たちは、これを選んだのだろう。

この「ことば」を手に入れたのだろう。

 

7月8日(火)

晴れる。そろそろ明けるんだろうか、梅雨。そんなふうに思わせる空だ。

5限が終わると異様におなかが空いたのを感じた。少しのエネルギーも無駄には使えないほど消耗していた。だから、ほとんど誰とも眼をあわさず、誰とも口を利かず、一目散に山を降りた。そして、うちに帰って、すぐにご飯を作って食べた。…と言いたいところだが、冷蔵庫にはいますぐ食べられるものが何も入ってなかったので、すぐまた買い物に出かける。おなかが減っているときは、いらないものまで買ってしまいそうになるのをぐっとこらえながら。 

 

7月7日(月)

七夕。珍しくよい天気。

 

7月6日(日)

穏やかに日曜日。

細々とつけている合気道日誌なるものがある。きょうそれを何の気なく読み返すと、結構荒れていたりする。「日誌」ならメモ程度であってもいいはずなのに。また時が経てば、同じようなことを思うのだろうな。それはまた楽しみでもだけれど。

ところで、肩凝りって、なで肩人間にもあるものなのだろうか。

 

7月5日(土)

髪を切る。

髪を切る前のシャンプーは、いつもどおりではなく、「スケルプシャンプー」とかいうのをしてもらう。(たぶん、こんな名前だったと思う)。

洗ってくれた方の説明によれば、毛根だか毛穴だかから髪をきれいにするものらしい。日頃の汗や埃を洗い流すことで、次に生えてくる髪もまたきれいになるという仕掛けだそうだ。

前を向いたまま、後ろから聞こえてくる声に耳を傾けながら、そう聞いた。仰向けになった状態である。経験のある方なら、瞬時に想像がつくだろうが、こういう状態で話を聞くというのは、意外に難しい技が必要である。

で、そのシャンプーは、初めての試みだったので、どのような効果があるのか、いまはまだよくわからない。ま、頭はずいぶんさっぱりしたのだ。

 

7月4日(金)

アメリカ独立記念日。

 

7月3日(木)

「なぜだかは知らないけれど、最近不調だよ」と、突然身体がワタシに訴えた。

静かに冷静になって(あるいは、なったつもりで)考えてみると、どうやら近頃文句を言うのを忘れていたらしい。いけない、いけない。

悪口は定期的に言うべし。

これは、これまでに学んだなかで何よりも実践している教訓である。

ということで、さて、文句である。しかし、これをどこに吐き出すか。うーん。

 

 

7月2日(水)

ワタシは、疲れすぎると、昼だろうと夕方だろうと、お構いなく、そして、どこでも眠ってしまう体質である。おそらく、「疲れすぎて眠れぬ」ことはない。

 

7月1日(火)

欲を言えば、ワタシは、いちごののっかった白い生クリームのケーキが食べたかった。

それを求めるのは、いまのところ、最期に口にしたいのは、やっぱりこれだと思っているというような理由があるからでもあるが、単に「いちご好き」という理由からでもある。

きょうは、入った店が初めてでよく知らず、いちごののっかった白い生クリームのケーキがなかったので、その店で一番おいしそうに見えたのを食べた。バウンドケーキの上に白いクリームといちごがそっと置いてあるのにした。スポンジが少し堅かったのが惜しい。

究極の「いちごののっかった白い生クリームのケーキ」を求めて、またどこかで食べるとしよう。

…というのが、7月初日の出来事のひとつ。

 

6月30日(月)

嵐のような6月も今日で最終日となった。

明日からは7月である。7月になっても、嵐は止むことなく、これまでの嵐のなかの雨や風が、さらに強くなりそうである。

 

6月29日(日)

大阪の児童文学館に行く。見つかった資料を手にし、いくらか読みふける。しかしながら、今日に限っては長居もできず、昼過ぎに西宮へと戻る。近隣の図書館に立ち寄るためである。今度は、図書館で書籍のいくらかを借りて調べるが、そこでもばたばたと慌しく過ごしてしまった。さらに西へ、三宮に出る。タワーレコードで予約しておいたCDを受け取るべく入ったのだが、レジだけで結構並ばされた。梅雨の晴れ間の休日とくれば、やはり人が多いのだろうか。どこもかしこも、いつもの倍は人がいるみたいだ。

移動の合間に(失礼!)斉藤孝『スポーツマンガの身体論』(中公新書、2003)を読了。相変わらず、よく本を出す人だなあと思う。

ようやく夕方の5時に、いつもの待ち合わせ場所にたどり着き、すぐさま地下鉄に乗って、驚異の居酒屋へと向かう。何が驚異かといえば、料理のうまさが半端じゃないことだ。

ジュワっとコロモがいい感じに口に広がるアジフライや、恐ろしいほどに火加減がいい韮玉がある。穴子寿司になると、もう「…!?」な状態だ!(うまさの表現が稚拙だ)。

とにかくあの味に会いに、また行ってしまいそうである。

 

6月28日(土)

朝から夕方までの集中講義。そのあと、新歓コンパに駆けつける。

 

6月27日(金)

遂に『マトリックス・リローデッド』であるよ。観てしまったのであ〜る。

朝からの予定には、どこにも入ってなかったが、時間を見つけて観に行こうと常々思っていたのと、毎週エグチさんに、「『マトリックス』観ましたか?」と尋ねられていたのとで、おそらく本日の身体が、勝手に映画館を目指したのだろう。(…と、身体のせいにする)。  

最終の上映時間に飛び込めば、感想は「おもしろい」の一言に尽きる。(観終わった瞬間、二度観たくなるエグチさんの気持ちがとてもよくわかった)。次へのつなげ方もいいし。

今回は画面の要所、要所で気になる図柄があったので、それが気になっている。少しもやもやしている。次号を見れば、この「もやもや」観がいくらか晴れて、いくらか謎が解けるだろうか。ああ、秋が少し待ち遠しい。

それにしても。キアヌ・リーブスの背中はなんと美しい。

 

6月26日(木)

VIAに出る。これで出るのは5回目、見るのは6回目。

どうやら、ワタシの場合、何か事を始める場合、決まって最初は、「拝見する」という行為がある。「見学する」とは少し違う。とにかく、拝見してから、事を始めるような流れになっているような気がする。幼い頃から。

しかし、楽しかった。

 

 

6月25日(水)

はっきりと見えにくくなってきた。

前に買ったのはいつだろうかと思い出してみても、はっきりした記憶がない。あの人と会ったときには、既にかけていたなあとか、「似合うね」と言われたことがあったなあという断片的な記憶はあるのだけれど。

とにかく、今のままの視力じゃ、ちょっと遠くのものが見えにくくなってきている。

危なくならないうちに新しくしなければ。ほとんど身の一部なのだから。

ああ、メガネが欲しい。

 

6月24日(火)

思ったよりも神戸新聞を読んでおられる方が多かったと実感した今日、それはまた、さまざまな人に助けられ、応援され、励まされて、「ワタシはいまここにいる」と実感した今日でもある。

夕方から、これでもかっ!というくらいの大雨が降った。雨は降ったり止んだりしながらも、打ち上げの席をたったときには、まだ降っていた。まるでこれからの人生みたいに思えた。

 

6月23日(月)

遂に疲れが出たのだろう。終日誰とも連絡を取らず、時間も何も考えず、ただただ眠り込んでしまう。偶然の休講に少しだけ感謝しながら、どこにも行かず、うちで寝込んでいる。

 

6月22日(日)

学会発表。

つまり、それは、世間さまへワタシのバカさ度合いを公表する日でもある。

緊張した。

とはいえ日頃の胆力(?)と、学会員の方々の暖かなお言葉、ご配慮のおかげで、何とかかんとか済んだのである(…ということにしておいてくださいまし、見ておられた方々!)。ありがとうございます。

当然だが、学会というだけあって、これまでに当たった論文や本の中で拝見したお名前の方々の発表があったり、実際にお会いしたり、お話させていただく機会に恵まれたりする。「すごいー!あ、あの人だ、わあ、○△さんだ!」と、ひとり静かにミーハーになっている場合ではないのである。(それでもサインをもらった方もいるのであるが…ひみつ)。

雨の日の、緊張した長い一日に乾杯した頃、ようやく京都の暑さも静まりを見せ始め、夜は深深と更けていった。そして、ワタシは今日が夏至だということに気づいた。

 

6月21日(土)

夕べから、うだるように暑い。ゆでだこになりそうだ。

身体の赴くまま稽古に行く。明日が明日なので、昨日までは稽古に行くことはやめておこうと思っていたのだが、今朝の身体が行きたがるのでそれに従う。

稽古の終盤になると、やっぱり行ってよかったと思えた。ちゃんと笑うことが出来たし、なんかふっきれたからだ。

そうそう、本日めでたく新聞デビューさせていただいた。

 

6月20日(金)

きょうは相当に暑い日。

洗濯するには最適だと昼前から洗濯機を回し始めるが、ちょうど脱水の頃になって、突然、きーん、ぱこーんと変な音がしてくる。いつもならそのまま放っておくのだろうが、余りに奇怪な音だったので、気になって覗きにいく。原因はわからず、再度脱水だけをするように設定し直す。状況は変わらず、同じである。聞こえるのは、きーん、ぱこーんの音である。これは、つまり、「壊れた」ということである。

瞬間、ワタシの脳裏には、次のことばが浮かんだ。

「おうっ、これで学会発表はうまくいくっ!」

一見、呑気にも聞こえるようなこのような思いを巡らせたら最後、洗濯物はもうどうでもよくなっていた。

 

6月19日(木)

非常にじめじめする。ちょっと昼夜逆転している。

夜中も起きて、朝も起きて、昼に寝て…。おかげで合気道の時間にも眠くなる。眠くなる。

 

6月18日(水)

雨のような、曇りのような、そして、晴れのような日。

 

6月17日(火)

新聞社の取材を受ける。

これまで進めてきた研究や経緯について、いろいろ聞かれる。写真もぱちぱち撮られる。

わかっていることは、もちろんはっきり話したが、予想外の質問もいくつかあり、その場の勢いに任せてべらべらしゃべってしまったところもある。

記事は、これから数日のうちの神戸新聞に掲載されるらしい。わお。うれしいけど、なんだかすこしどきどきである。

 

6月16日(月)

詰め込み始動。

 

6月15日(日)

駆け込み開始。

 

6月14日(土)

夕べから、お天気はいまいち。朝もまだ曇り空が続く。

傘をさすのはあまり好きではないけれど、雨に濡れるのはもっと好きじゃないので、ちゃんと傘をさして大学に行く。午前中から夕方まである集中講義なのである。

講義は、話の区切りのいいところで終わったため(こういうのはいいね)、予定されていた時間よりも少しだけ早く済む。そのまま、すかさず自習室へと向かい、来週の準備をする。偶然来ていたドラちゃんに会う。やっほー、元気そうだね。

 

雨も少し収まりを見せかけた頃、慌てて山を降り、ひーこら、街に出る。

お約束の「三宮に7時前」までの合間を縫って、ひとまず元町へ。伸びた髪を少しだけ整えてもらう。終えてすぐさま、待ち合わせの三宮駅周辺に向かうも、土曜の夕方の人込みをかきわけるのは、そうそう容易なことではない。おかげで2分ほど遅刻してしまう。(すみません)。

お待ちいただいていたのは、サトウさんとコバヤシさん(どちらも仮名ではない)。

行き先は、かの有名な、あのステーキハウスである。そう、今日は、ワタシにとっては、一週間後の本番に向けて精をつけるべく肉を食べる日なのだ。

 

てくてく歩いて、お店に着く。

いつもと違って(失礼!)カッコいい国分シェフの実に鮮やかな手さばきによって運ばれてくるお肉は、口の中でさまざまな感触を示す。焼加減によって、味の伝わり方や、届き方がまるで違うのだ。神戸牛万歳!

なかでもベリーレアは、ベリーグッド。

「もうこりゃ、たまりませんなあ〜」の連続である。

 

6月13日(金)

たくさんの雨が降った。昼から晴れた。

 

6月12日(木)

木曜日だよ、じゃじゃじゃじゃ〜ん。

遂に、あの『ブラック・ジャックによろしく』を読む。なんとな〜く、読みたいようで読みたくなかったマンガなので、じつは敬遠していた。が、題目が題目だけに、常に気になってもいた。で、ようやく手に取る。

あれが現実なら、あるいは現実の一部を見せているのなら、医療の世界とは何と恐ろしい。医者とは、ほんとうに何なのだろうと考えさせられる物語だ。さてと、こうなりゃ、次は、妻夫木くんのドラマだな。(それにしても珍しい名字だこと。これは本名か?)

 

6月11日(水)

中国は広東省からの留学生リンさんが帰国する。

いままでいろいろありがとう。心からそう思えた。忘れることのできない、素晴らしい人なので、ほんとに会いにいくだろう。だから、今度は広州で会いましょう。

夕方の講義は休講になったので、ちょいと近所に買物に行く。時期的な贈り物と、こまごました日用品を買う。贈り物は日曜日までには届くらしい。これでひと安心だ。ま、たまには親孝行だね。はいほー。

 

6月10日(火)

近畿地方は、きょうの午前中に梅雨入りしたらしい。

朝から学校にいたので、なんとなく空模様から、「きょうがそろそろじゃないかしら」という気がしていたので驚くことはなかった。やれやれ、これで日本じゃ、傘を持つといった難儀な日々が始まるわけだ。しかし、「梅雨入り」と聞くと、「ツユ入り」という具合に、そうめんなんかにつけるあの「つゆ」を思い出してしまうのは、ワタシだけだろうか。

ところで、きょうの夕刊には、性同一性障害を理由に性別変更を認める方向で話を進める特例法の法案が、国会に提出されることになったとある。いくつかの要件をクリアすれば、申し立てが可能になり、家庭裁判所の審判により、性別の変更が可能になるという仕組みのようである。要綱案については、当事者からの要望もさまざまにあり、3年後には必要な見直しをするという条文が盛り込まれているらしい。

ふーむ。むむむ。

性別って、そんなに簡単に変更できるものなのか?条文ひとつで、そんなに簡単に対応できるものなのか?

ちょっと疑問で、すごく難問だな、これ。

 

6月9日(月)

忙しい月曜日。天気はよい。

 

6月8日(日)

半休、半勉、半掃除。そして、半飲食に半外出。

ま、きょうは、いちにち、いろいろやったということで。

 

6月7日(土)

従兄の結婚式のため、東京に行く。

幼い頃から、わりとよく会うほうの親戚だったから、式に出ていると、どことなく月日の流れを感じた。相手の方を初めて見たが、なんとなく感じのよさそうな方でよかった。身内のことで恐縮だが、とてもよい挙式だったようにも思う。

その日のうちに関西に戻るため、慌しくその場を立ち去る。

やっぱり、いつも慌しい。ていうか、いつも「帰るよ!」と言ってから数分後には、みな帰る仕度が整っている。これがワタシの育った家族の行動である。このような様子は、周りの人にとっては、ときに台風の目ように映るらしい。

今回は、帰りの飛行機がすでにとってあったから急いだとはいえ、列席したほかの親戚から、われわれはまた、「台風一過」ならぬ「台風一家」と見られてしまったことだろう。

 

6月6日(金)

♪6月6日にUFOが〜〜〜

この日になると急に歌いたくなる結構有名なこの曲だけど、考えてみると、意外に恐ろしい歌詞だな、これ。

 

 

6月5日(木)

お昼に送別会があったので、久しぶりに昼食を摂る。ああ、おなかいっぱいだ。

 

6月4日(水)

自販機で買ったミルクセーキを飲んだ。

決定ボタンのヨコには、「昔懐かしい」などと触書がしてある。それが指す「昔」と言われる頃にはまだ生きていないはずなのに、「懐かしく」感じて飲んでしまうのだから、何とも不思議なものだ。

 

6月3日(火)

なんだか楽しい日だった。

 

6月2日(月)

礼拝で留学生リンさんの話を聞く。

彼女の日本語会話の堪能さもさながら、文章の美しさに感動した。すっきりとしていて、表現が美しい。礼拝が済んでから、「やあ」と声をかけると、ワタシが聞きに来ていたことを知って、少し照れくさそうにしていた。

本日の礼拝の司会をされていたイイ先生とも眼があったので、会釈してご挨拶すると、先生は開口一番、「いやあ、連勝がストップしてしまったよ…」と、とても悔しそうにされていた。そう、先生は、大の阪神ファンなのである。

 

6月1日(日)

湊川神社神能殿にて、下川正謡会を拝観する。

内田先生の『船弁慶』は、素人目にも素敵だった。おそらく先生が、この会に出られるようになってから、それこそワタシも、しつこいくらいに毎年ずっと出かけているように思うが、いやあ、今回はこれまでのなかで、いっとう素晴らしかった。

やっぱりワタシも習ってみたいなあという思いがさらに強さを増す。

途中の謡にとろけてきた頃(失礼!)、これも毎年やっていることのひとつである湊川神社を参拝して学業と健康と祈願し、おみくじを引く。

今回ひいたのは、一番の大吉!

「やっほーっ!」と喜んだのもつかの間、よく見ると、大吉のわりには、いろいろと注意書きめいたことが書かれている。くくりつけてきたので、実際のことばは忘れたけれど、大体こんな感じだ。

「誰かに対して親切にしたことの見返りは願ってはならない。誰かに対して親切にしてもらったことへの感謝を忘れてはならない」。

なるほど、そのとおりである。さらにはこんなことも。

「正しい行いをしなさい。それによって救われる。色と酒に溺れてはならない。災いがある」。

なるほど、そのとおりである。だから、普段から、真面目にやんなさいってことか。

やんわりと厳しい指摘だが、あまりにそのとおりだと納得してしまう自分がいたので、教えてくださった神様に、ありがとうございますと感謝して、境内近くの椅子に座り、ひと心地つく。

そのうち、向こうから、ふぁら〜と音がしてきて、結婚式の人の新郎新婦と参列者がゆるゆると歩いてきた。楠公会館で式を挙げた方々が、神社に移動されてきたようである。

ほほう、みなさん、きれいだなあと、ついつい眼を細めて見てしまった。(相変わらず着物に「弱い」ことであるよ)。

どうも今年に入ってから、予測もしないところで、結婚式をよく目にしている気がした。

 

5月31日(土)

テレビをつけると、阪神対巨人戦をやっている。

試合はちょうど9回表の阪神の快進撃のところである。

阪神のバッター金本のヒットをくらった巨人のピッチャー川原は、華々しい活躍もないまま即ベンチに戻されていく。(前から、好感の持てるピッチャーではなかったので、私情が混ざって、ケケケッと心のうちで思ってしまう)。

そして、巨人のピッチャーは交代。しかし、阪神の勢いは衰えるどころか、火がついたように激しくなり、打線は、ぐるっと一巡し、またもや金本の出番。ボール三つのところまで粘った甲斐があったのか、金本は、プロ野球史上45人目の通算250本目の打線をホームランで決めた。かっこいい!

4対2の巨人リードで始まった9回表だったが、裏の交代までに、阪神はなんと11点もの大量得点。続く9回裏の巨人の反撃もむなしく1点追加止まり。結果、阪神の勝ちとなった。

野球に深い興味はないけれど、こんな勢いのある試合はすごいし、やっぱり見ていておもしろい。星野さんって、案外監督向きなのかもしれないね。

 

5月30日(金)

宴会@うき家。

今回作った料理は、きのこのクリームパスタ、ペンネアラビアータ、鶏肉のバルサミコソテー、大根と人参とモヤシと鯛のサラダ、いわゆる「神父のグラタン」、それから餃子。

以上のメニューに、うちに来てくださった方々持参のメロンと生ハム、生野菜サラダ、鶏肉のボイルしたもの、ビール、ビール、ビール!が加わる。(ほかに、ご持参にいただいたワイン、アイスクリーム、果物類には及ばす…残念)。

とりとめのないものばかりだが、作りすぎたこと以外には、残ることなく、皿はきれいになったので、よかったなあと思う。

朝から何にも食べずに料理をしたので、作っている途中におなかが減って食べてしまうかと思ったけれど、作っている途中は、意外に満腹になってくるものだ。

いつ買ったのか忘れた(あるいは、もらったのかもしれないがそれすら記憶にないが、ま、とにかく)うちにあった赤ワインを開けて、乾杯。

ワタシは即座にビールに切り替えて、ごくごくと飲む。

ふうー、うまい。冷えたビールはやっぱりうまい。暑いときは、これでなくっちゃ。

 

5月29日(木)

暑い。まだ5月だというのに。でもまだ強情に半袖は着ない。

 

5月28日(水)

だから、せめて「拷問」のような講義ならば、時間内に収めていただきたい。

ただでさえ、90分がその10倍くらいの長さに感じられるのに、時間を延長されては、もう身が持たない!たまんない。

講義終了の鐘と同時に「きょうの授業」が終わるのが理想でないの?鐘が鳴っても、だらだら締まりなく垂れ流しのように続くのは、こりゃあ、ある意味ルール違反だよ。

 

5月27日(火)

つまらん講義は、ある意味、拷問を受けているようなもんだ。

 

5月26日(月)

死生観について話す。

話していた数人のうち、「ひとりを除いてみんな同じ答え」。死後の世界があると答えた。

ワタシも死後の世界があると思うひとりである。その場では理由をちゃんと述べられなかったので、書いておこうと思う。

 

理由(1)そもそも死後の世界だ、生前の世界だと割り切るのがおかしい。なぜなら、この切れ目は、生前の世界にいる人間の側の発想であり、かなり恣意的に定められたものだと思うからである。「輪廻転生」ということばもあるように、どちらもつながっているはずだ。「つながっているのなら、そんなものないのでは?」と言われそうだが、それでも死後の世界は存在する。というのは、この世のことばや体験では、どうにも理解できない事柄がたくさんあるからだ。

 

理由(2)ご先祖様を大事にしたいし、この世を去ってなお行き続ける人たちがいるというのはどういうことだろう。幽霊にせよ、お化けにせよ、天の声にせよ、そういうものたちが、この世でうろうろしているのは、おそらく「あの世」に行けなかったからである。あるいは、「あの世」から通信しているからである。「あの世」というのが死後の世界の俗っぽい言い方だとすれば、やっぱり死後の世界は存在する。

 

理由(3)たとえば、このワタシは、いま突然にここにいるわけではない。これまでの何かの偶然と何かの必然と何かの物質と何かの巡り合わせによってここにいる。このような関係を考えるとき、死後の世界も生前の世界も関係ない。とはいえ、ひとつの固体を生み出すには、生み出すための世界が必要である。その世界を、生きている世界に対して、死後の世界と区切っているのだろう。

 

なんとなく、どれも関連しそうなものだが。

ともあれ、誰もが、どれもが、「宇宙のなかにいる」のであり、何もかも「宇宙からできている」ことを思えば、本来は、死や生といったつながりもまた、宇宙に何かの印らしき区切りを入れているだけのことかもしれない。(もちろん、供養とか儀式といったものは、とても大切なものだと思う。成仏したり、されたりするためには、大事なことだと思う。だから、そういうことは時代の流れで多少簡略化される部分があっても、止めずにいよう)。

広い宇宙からしてみれば、誰かがこの世からいなくなる世界とは、その誰かがこの世に誕生する前の状態に戻っただけのことなのかもしれない。

 

5月25日(日)

朝から合同稽古。

全日本の翌日は、例年、東大五月祭があり、演武会に参加させていただいたが、今年は日程が変わって五月祭は来週らしく(来週は六月なのに五月祭!)、今年の翌日は、合同稽古になる。(当初は三大学合同稽古だったが、早稲田は、「伝統的な?」幹部交代式の日らしく、不参加)。

合同稽古は、気練会主将の井上さんによる指導稽古が一時間、休憩を挟んで、内田先生の指導稽古が一時間半行われる。たっぷり汗をかく。

稽古後は、20名ほどで渋谷近くのお店で昼食。もちろんのようにビールを飲んで、おいしいランチを食べた。アジのフライがえらくおいしかった。

おやつの時間頃の新大阪行きの新幹線に乗り、プチ宴会をするが、すぐさま眠くなり、睡魔に襲われて、目を閉じる。閉じれば、そこはもう夢の中。

二日間とても楽しかった。

合気道の何がいいって、こういうふうに感じられる瞬間があることがいい。

それにしても、寝てばかりの新幹線の車中であることよ。

 

5月24日(土)第41回全日本合気道演武大会@日本武道館

ことしで出場は4回目、参加は5回目の演武大会である。

毎年、演武時間1分半のために、神戸から数時間かけて東京に向かう。

「演武時間1分半」のために、何時間もかけて東京に向かうこと。それは、取りようによっては、驚きを隠せない事柄であるようだ。事実、演武会のことを話した友人には、「それだけのために?」と驚かれてしまった。

しかし、ワタシにとって、「移動時間」は問題ではない。

なぜなら、クラブのみんなと一緒に出かけることが楽しみのひとつとなっているというのや、継続することに喜びを感じる性分というのもあるが、それ以上に、この演武会が年に一度の大会だからだ。日本のみならず、世界各国各地の合気道をしている人たちが参加する非常に大規模なものであることに、大切さを感じているからである。会場の武道館で作られた空気を感じ、同門の方々に会い、合気会の方々の演武を拝見するだけでも、充分に魅力的なものなのである。

新大阪7時56分発の新幹線で東京に向かう。

しばらくの睡眠不足もあって、ワタシは、車中で朝食を摂るなり、ほとんどしゃべることもなく、眠る。ぼんやりしながら目が覚めると東京。

会場の日本武道館では、前日入りの方々のおかげで、ことしも「黄色の畳の前の席」を陣取ることができる。ありがとうございます。

開会式前に腹ごなし。朝から何をするでもなく、寝ていただけなのに、やっぱりおなかが減っている。(「よく寝るねえ。よく食べるねえ」とは天の声)。

開会式の途中から更衣室に移動し、午後1時過ぎに、「神戸女学院大学」として共に出場。

今年は主将なので、こちらにも出させていただく。先日のリハーサルの甲斐もあって、1分半の時間はスムーズに使うことができた。

続いて「神戸女学院合気道会」の列に加わる。今度も1分半。4人で組んで演武。

例年より出場者が少なかったため、畳は広く使えたが(4人で30畳ほど)、もう少し人数がいてもいいように思った。

多田先生の演武は、ことしもいっそうかっこよかった。受けの方が、5人もおられたので、その分たくさんの多田先生の技を拝見できた。

それにしても、多田先生ご自身が、次の演武を待っておられるときの姿が、またすばらしくかっこいい!立っているだけで、かっこいいひとというのは、世界中探しても、そうそうはおられないような気がする。

演武会終了後は、恒例の九段会館のビアガーデンにて多田塾の打ち上げ。

今年もまた、同じ場所で同じ顔のみなさんと合わせることができて、ほんとうにうれしい。毎年同じ場所で会える喜び、そこにいられる幸せ、少しずつ友達が増えていく実感がたまらなくいい。ほんとうに、今年もまた、新たなお友達ができた。

ビアガーデン会場では、多田先生にも少しだけご挨拶ができた。(しかも、話の流れで、先生の手がワタシの腕に触れる瞬間があった!きゃあ〜)

とても心地よい風が吹いている。

 

5月23日(金)

誰かに好かれているという実感は、ときに生きる励みになる。生きる活力になる。

一等始めに、「ワタシはひとりじゃない」っていう気持ちが起こり、次に親切な人や心温まることばをかけてくれる人たちに出会った喜びを感じる。仕舞いには、そのこと自体に感謝することができる。

誰であれ、出会った幸運を忘れずにいよう。こんなふうに感じられることをまた、「幸運」と呼ばずして、なんと呼ぼう。

やっぱり人間でよかった。

 

5月22日(木)

暑い。

きょうの稽古後は、今度の演武会のためのリハーサルがある。都合30分ほど、投げたり、投げられたりする。合気道の授業も、通常の稽古も初心者が多かったので、あまりたくさんの受身がとれなかったから、結構充実した時間が過ごせた。

 

ご存知、『私の身体は頭がいい』を読む。

装丁がきれいで、これまでのなかで一番好きだ。「黒」の配色の感じがとてもいい。

中身は、これまでに読んだものもあるはずなのに、改めて読むと、また違ったところで考えたり、感じたりする。何度でも読み返してしまう。

読み進めていくうち、本の向こうから、ふと内田先生の声がしてくる。まるで、先生が柱の向こうから、語ってくださっているかのように。ほんとうにしてくる。

 

5月21日(水)

夕食に食べたお肉が脂っぽい。

 

5月20日(火)

一度ならぬ、二度までも、「疲れてる?」と聞かれてしまった、きょう。

とっさにワタシは、「そんなことないよ」と応えたが、そう言ったあとで、二度とも心のうちでは、本当は疲れているのかもなあと思う。

というのも、なぜだかきょうに限って、強がってしまったのか、「うん、疲れてる」と、ことばを口にした瞬間から、ほんとうは疲れていなくても疲れてしまう気がしたからだ。そう応えることを避けたがる自分がいた。

あ、でも、今になって、疲れてきたな。もしかしたら、疲れているのかもしれない。

うん、ほんとは、最近疲れているのだ。こんなの自称でしかないけど。(ま、こういうものは、自称するもんだからいいや)。

うーん、休みが欲しいですな。ホントに欲しい。何にも気にせず、うちでパジャマを着たまま、何にも考えずに、何をするでもなくごろごろしていたい。一日でいいから。

 

5月19日(月)

眼が覚めた。

 

5月17日(土)〜18日(日)国際気の錬磨講習会

前日の金曜日の夕方から東京に向かう。

代々木オリンピックセンターの宿泊所に泊り込み、17日の朝から講習会に参加する。

今回は、命のあり方、使い方、安定打坐についてのあり方、呼吸法、現代に生きる武道についてお聞きした(ように思う)。

「ように思う」というのは、多田先生のお言葉は、どれも、たいへん素敵な声で明瞭に語られるのだが、いかんせん、うかがっている私のほうが聴き取れるだけの技量*や能力などを、さまざまに持ち合わせていないため、「あ!これだ」とか「なるほど」というふうに、すぐさま「腑に落ちる」(と言うと、たいへん無礼な申し方になるが)瞬間が、極めて少ないのからである。(稽古年数も、おそらく年も若いから、わかる方が不思議なのだが)。

身体に沁みないとでも言おうか。

 

このような筋のことを、帰りの車中で、内田先生に申し上げると、「いつかふっと、『あ、あのときの多田先生のことばはあれだな』と思う日が来るよ」と言ってくださる。

いつか来る、そんなふうに感じ、思える日を待ち望むわけではないが、来ればいいなあと思う。感じられる(思える)瞬間まで長生きしたい。

多田先生がおっしゃっていることを音声として聴きとるのが精一杯な状態の講習会だったが、話された事柄を耳はもちろん、身体全体を研ぎ澄まして聴いていた。

せめて聴き取れた事柄を稽古のなかで、してみるしかない。具体的な稽古は、何度も練ってみるしかない。大事なことは、最初に覚えることでもあるのだから。

多田先生も、先生が描かれる世界にも、改めてスケールの大きさを感じた。

 

5月16日(金)

夕方から東京に行く。

 

5月15日(木)

眠る前のひととき、「きょうはいい日だったな」と思えることがひとつでもあれば、それまでの時間に何があったところで、その日は結局「いい日」になるんだと思う。そう思う。

問題は、そういうひとときがひとときとして存在するか、つまり、自分が自分というものと向き合えるチャンスがあるかどうかだ。

ま、そろそろ、ひとりで考える時期だな、こりゃ。

 

5月14日(水)

きょうはとっても眠たかった。ついに、初めてと言ってもいいくらい、講義を聴いている途中、ペンを床に落としてしまった。普段から、とってもお世話になっている合気道関連の先生(の授業)なのに。なんだか心苦しい。が、実はこの時間、毎週寝てしまっているのだ。なぜだ?

きっと、お昼のピザがおいしかったからだろう。きょうのところは、そうしておこう。

 

5月13日(火)

赤いシャツを着ると、やっぱりどこか客観性に欠ける(気がする)。

でも、客観性っていったい何?そもそも、そんなものってあるのかよ。ん?

 

5月12日(月)

月曜日。

 

5月11日(日)

母の日は、かーさんどうもありがとう。

 

5月10日(土)

朝早くから散歩をしたせいだろうか、身体が暑い。

日差しもまぶしく、ゆえに洗濯日和である。というわけで、洗濯してから出かけることにする。ひと仕事してから出かけるなんて、まさに夢のように理想的な休日の始まりだ。

午後からは稽古。どういうわけか、ひとが少ない。

稽古を終えて、おいちゃんとうどんを食べる。朝食がいつもより異様に早い時間だと気づいたワタシの一存で(8時半には終えていた)、うどん屋に入る。べらべらひとりでしゃべりまくって、ごちそうになる。おいしかった。ごちそうさま。

その後、コンタクトレンズを買いに行く。そういや、そろそろ買い替えの時期だなと思ったのが誕生日の頃だったなあ。自らのプレゼントにしようっと思いながらも早くも経つ数ヶ月である。そしていま、ようやくとれた時間と決断により、病院で検査。

思ったとおり目のカーブがきつく、在庫がないため注文になる。いつもどこでもそうである。何かと面倒な体質なのだ。

それも終えて帰ろうとすると、自転車の鍵がないことを事実として確信する。「事実として」というのは、「そういや、鍵をどこへやったかなあ?」という思いが、稽古後、いつになく頭を過ぎり、そのままぼんやり過ごしていたら本当になったからである。記憶を辿れば、そのとき既に、鍵をどこかへやっていたことになる。こんなふうにも、ときおり当たる自分の勘が恐ろしい。(現に昨日だって、「あ、そろそろだな」と思ったら、ちゃんと友達がやって来たんだから)。

しかも今日は、「珍しくいい天気なので自転車に乗ろう」と思い、「新しい自転車が欲しいのだ」という思いがぼんやりしたものから強い思い入れに変わり、自転車屋さんを見つけ、そこへ買いに行く段取りまで決めてしまった日でもある。だから、もしかしたら、これまでの自転車に、これらの思いが伝わってしまったのかもしれないな。そして、怒って、代表で、鍵がどこかへ行ってしまったのかもしれないな。ともあれ、「ないものはない」ので、こりゃあどうすることもできないなあと思いながら、ゆっくり空を眺めている。

それくらい、当のワタシは不思議なくらい落ち着きを払っている。どこにも驚きも哀しみもなく、増して慌てる様子もまるでない。自転車がないと、おそらく困ることもあるんだろうに、わあわあ騒ぐことも、青い顔をすることもないのである。「なぜなんだ?」とワタシが自分に問い合わせても、理由は一向にわからない。その点、慌ててくれたのは、親身になって鍵を探してくれた友人たちである。(みなさんどうもありがとう)。

結局、自転車の鍵は、近くのバイク屋さんで切ってもらった。消えた鍵は、後部車輪のところに付いている頑丈な鉄の輪を開け閉めするためのものだったので、動かすには、そうするしか、なかったからである。

こうして、幼い頃からの自転車運のなさは、またさらに更新されることとなり、理想的な休日は、その始まりだけが理想的なままとなったのである。

 

5月9日(金)

じつは、このところ、どこか心に潤いらしきものが足らないなあと感じていた。

今度の日曜日に合わせて、ワタシもひとつ自分用に花でも買ってみようかと思ったのだけれど、自分のために買う花というのも、いまは何だかもの寂しい気分になるだけなので(深い意味はないが)、それは止めて、何が足りないのかをひたすら考え続けることにした。

夕方の受診が案外早く終わったのをいいことに、そのまま「山海の街」に出る。(梅田と区別するため、今後、神戸のことをこう呼ぶことにしよう)。

日が沈む一歩手前のここを歩くというのも、考えてみると久しぶりのことだ。

「久しぶり」……一瞬その言葉にどこか引っかかりを覚える。即座に足らないものは音源だと気づく。街が騒がしくて、いろんな音が鳴っていたせいもあるが、それ以上にCDを「久しく」買っていないことだと知ったからだ。そして「久しぶり」にCDが売っている店に行く。(すべての原因は、このところ店に足を運んでいないことにあったのだろうと、実際に来てみて、さらに気づく)。

先日から、頭のどこか片隅で気になっている曲を探す。最近、つとにお世話になっている偉大なる岸和田だんじりエディター、コウさんお勧め、あのフラメンコの曲である。

店に入ると、わりとすんなり見つけた。

改めてパッケージを眺める。なかなかよい。封を切って聴いてみる。醒めて聴いてもよいはよい。今度は映画を観てみようかなあと思う。

何度か聴いているうち、“VENGO”が「弁護」に読めてきた。たいへんだ。これってワタシの無意識だろうか。

 

5月8日(木)

まるで水の中を歩いているほどに激しい雨が降っている。(この時間には表を歩いていないので飽くまで推測)。で、雷も落ちる。

こういう日は、偶然にも先週から出ていた午前中の休講に心の底から感謝する。

 

5月7日(水)

5月の今頃にようやく開く新入生歓迎コンパ。

夕刻、大学の近くの「イタリア料理を出すのになぜか店名はフランス語」のお店で新入生をお迎えする。今年度、比較文化学専攻に入学された前期後期合わせて7名のうち、本日参加されたのは5名。

新たに「ミッチー」と命名された人生の先輩コンドウさんを筆頭に、ワインのような渋みを持っていそうなクールな寺っ子カワムラさん、オバちゃん自称のコンビは、やっぱり謎めいてばかりのクラヤさんと元気の洪水!ラスカル・マツナミさん、そして、あのナオミ目指して奮闘中のカクダさんが参加される。(もうひとりの新入りイハラさんは残念ながら不参加。「他称」おっさん的なひとらしいが、個人的には「多少」であってほしいと願う……)。

誰にも承諾を得たわけではないので、ひとまずのご紹介は、この程度に留めておくが、実に愉快な人たちで、話していても見ていても、とてもたのしく、笑いが止まらない。

それぞれは知らないまま、ばらばらに進学して来たらしいのに、まるで旧知の友のようである。それくらい相当に仲良しで、吸引力の強さというか団結力と凄さといったら、ここ1か月のものとは思えない爆発ぶりだ。

そんな様子から、やっぱり運命みたいなものの存在を感じ、そういうのってあるのかしら?とひとり大袈裟なことを思ってしまう。いいなあ、ともだちって、ということもまた。

ま、要するに、楽しい夜なのでありました。

 

5月6日(火)

わーい。探しモノ見つかった! こんなところにあったのかあ!

夕刻からは顔合わせコンパ。

総勢31名の大宴会である。すーごーいー人数。でも、これでも全員が参加したわけじゃないのだから、さらに驚き。わお。

 

 5月5日(月)こどもで、ひっー!

こどもの日(正確には端午の節句か)なので、柏餅を食べる。桜餅も好きだが、これも同じくらい好きだ。

そして、この日ばかりは、もちろんのように、「こども」になるワタシなのである。

 

5月4日(日)

母が来る。連休なので遊びに来たらしい。

ワタシと同じく、思い立ったら突然に行動するところがある人であり、混んだところが嫌いようなので(というか結果的に似たのはこっちということになるんだろうが)、誰にも会いそうにないところを求めて、やって来たのらしい。

「誰もいないところ」と聞いて、思い浮かんだのは大学。夕方の涼しくなった頃を見計らって、てくてくと学内案内をすることにする。

思ったとおり誰もいない。誰もこんなときに、こんなところに来たり、歩いたりなんぞしないのだろう。

「こちらが平井堅の歌ったチャペルの裏です」に始まり、「そこが吉永小百合も座った場所」で「これが図書館」、「あれが道場のある建物」、そんでもって「ここが講堂」、「この木は桜」などなど、基本的なこともいろいろと含めながら歩く。

改めてじっくり歩いてみると、とても静かで、きれいな木々や建物の並ぶ、美しい学校であると感じた。結構長く通っているが、こんなにも落ち着いた気分で、静かに見たのは初めてかもしれない。

休みなので、校舎内に入ることこそできなかったが、緑が生い茂る学内は、ほんとうに歩くだけでも心地よかったし、風も涼しかった。そして何より、案内した母も意外に喜んでくれたのでよかった。ふう、やれやれ。

明日は、こどもの日。誰がこどもになるのやら。

 

5月3日(土)

聞いた話じゃ、きょうは6月初旬の陽気らしい。さすがに暑い。

何を思ったか、午前中に着て出かけてしまった上着が、まるでいらない午後である。

そのため、稽古の帰りは、上着は手に持って帰る。こういうときは間違いなく、「北風と太陽」の話を思い出している。

連休初日のせいか、電車も道路も混んでいる。いつもより人が多い。そのせいか、さらに暑く感じる。

 

夕方からは宴会。さすがに、これには涼しい格好に着替えてから出かけた。

うまい料理と存分にいただきながら、飲んでは笑い、話しては聞く。

口の流れに身を任せ、じゃんじゃん喋る、飲む、食べる。そのうち、すっかり満足満腹状態になり、急な睡魔に襲われて、気づけば、意識は心地よいまどろみのなか。

つまりは、ぐー、でありました。

 

ところで、ラッツォ?でしたよね?いまじゃ、とっても怪しい記憶なんですが、そんな気がします。ニーチェではなかったですよねえ?それだけは、なんとなく覚えてるんですが、ねえ、コバヤシさん。

 

5月2日(金)

昨日から5月になった。そして、4月は先月になった。

 

5月1日(木)

飽くまで消費者なので、きょうも休まず、元気よく生きるのであーる。

 

4月30日(水)

あら不思議、背中の痛みが消えちゃった。

 

4月29日(火)みどりの日ぃ〜。

「みどりのたぬき」でも食べてみようか。好きじゃないけど。

それとも、みどりのシャツでも着てみようか。似合わないけど。

 

4月28日(月)

いい天気だ。

 

4月27日(日)

市議会議員選挙投票日。これで表は、少しは静かになるはずだ。…と思いきや、また朝から、「みなさーん、選挙に行きましょう。もう選挙に行きましたか?」というフレーズをやかましく撒き散らす、お節介な選挙管理委員会宣伝カーが走っている。

やれやれ、ご丁寧なこって。言われんでも、ちゃんと行きますから。

ああ眠い。こりゃ春だな。

 

4月26日(土)

どうもよくない。感じがよくない。

笑えないし、落ち着かない。ホッとしないし、昼も夜もない。

いや、あるんだけど。でも、ないんだな、これが。

身体は、ずしんと重い。だからって、それは体重が増えたせいじゃない。どっちかっていうと、減ったくらいだ。(知る人ぞ知る、去年の今頃を思えば…の話)。

なんなんだ、これ?

 

4月25日(金)

「悲しくて仕方ないときはバナナを食べるといいよ。三本目までに必ず笑える」。

落ち込んだときの励ましのことばとしては、最高の部類に入ると思う。バナナが嫌いな人にとっては、最悪なものかもしれないけれど。

幸いなことに、ワタシは、バナナは好きだし、さっちゃん体質でもないので、ちゃんと笑えそうである。しかし、肝心のバナナがいま手元にない。それが問題だ。

 

 

4月24日(木)

なんだかんだ言ったって、合気道をしているときのワタシというのは、きっと愛想がいいはずなんだ。自分でも気づかぬうちに、きっとまったくそうなっていると思うんだ。ほんとうにそうだと思うんだ。たぶんだけれど、おそらくだけど。あ、なんとなくでもあるんだけれど。そんな感じがするんだけど。

…どうかなあ。え、違うって?そりゃあ、ごめん。きっと、きょうという日が、どことなく落ち着けなかったせいだよ。

 

4月23日(水)

肩凝り、居眠り、宙返り。

 

4月22日(火)

またまた、どんどん、いろんな新しいひとに会う。

なぜだかいま、単純に人間が好きな時期なので(「…と断定するキミはナニモノだ?」というような問いは、この際、脇に置き、自らを特化してしまおうではないか)、ひとと会うのがおもしろいのである。会えば会うほど、自分というモノがなんであるのかわかったり、どういう一面を持っているのか知ったりするときは、さらにそうだ。なにもこれが、人生のすべてを支配するわけではないけれど、ときには、こういうモノの見方も必要だなあと思う。誰かに、活かし活かされている関係を、こんなかたちで引き受けてみるのもいいもんだ。

大人になるっていいことだ。なりたいなあ。

 

4月21日(月)

パスタを茹でる。

本にあった分量そのままに使ったら、二人分になってしまった。

こういうときって、どこか物悲しい気分になる。いくら食べるのが好きだからって、そんなには食べらんないんだし。

 

4月20日(日)

雨だっ、雨だっ、雨だあっー。

 

4月19日(土)

4月とは思えないほどの暑ーい日。

汗が出る出る、汗が出る。緊張するする、緊張する。

そしてまた、汗が出る出る、汗が出るのだ。

 

雨上がりの夜、のぼせた頭が表の空気を吸いたくなって、ふらっと外に出てみる。

ついでに近くの道を歩いて、歩いて、歩いてみる。文字どおり「のぼせた頭」を冷やすためだ。気づけば、その根本的な解決のことなどすっかり忘れて、ひたすらに歩いていた。それが、「散歩」と呼ばれるものだと知るそのときまで。近代の産物のうちに、自らがいるのだと感じるそのときまで。

 

4月18日(金)

「こんにちは!」爽やか笑顔で走るはエグチ。遠く手を振るワタシはうっきー。

いやあ、いいねえ。実に良き絵だこと。

 

4月17日(木)

甲野善紀先生の講習会。

久々にたっぷり3時間の講習会なんだと思いきや、学外からの来校者数が多く、前半は講演会、後半から講習会となる。それでも今回もいろんな技を拝見する。

即座におもしろく思えたのが(ていうか、いまからでもすぐに使えそうなのが)、床に寝込んでいる人を起こすもの。うーん、これならいけそうだ。今度誰かを起こしてみよう。

あとは、とにかく驚きの連続である。拝見するほどに不思議な印象と感覚だけが強く残っていく。見るほどに、不思議で、不思議でたまらなくなり、次第に心地よいオーラに包まれていく。

甲野先生の身体をとおして表現される何かについて、即座に「それは、これこれこういうものですよ」という具合にうまく理解も解釈もできないけれど、それでもいつも、ワタシの身体をじんわりと、ふんわりと心地よい気分にさせてくださることだけは、確かである。そういうことを間近で感じられる機会があることは、とても幸運だなあと思う。

 

講習会後は懇親会。

会場は、二転三転して、結局元の予定地である芦屋の内田先生のご新居となった。

そこでもまた、たくさんの楽しく愉快な人たちに出会えた。再びのご縁と新たなご縁に感謝した。やっぱり、ひとって、「きっと、どこかでつながってるんだなあと思わずにはいられないこと」の連続を感じるばかりだった。

これもまた、♪グーーッ、グーーッ、グーーッ、グッドヴァイブレーショ〜ン♪である。

ぬふふふふ。ぶはははっはー。(ちょっと酔っているかな?あ、でも、アルコールのためじゃないよん)。

 

4月16日(水)

何がなんだか。何なんだか。いろんな人に会いますね、この頃。

 

4月15日(火)

遂にあの講義も始まる。そして、少年は荒野をめざすのである。

 

4月14日(月)

過去のある一時期を共有した人に再会すると、「いろんな時間が経ったんだなあ」と実感することがある。もう一度会えるご縁もまた、大切にしたいもののひとつであることには、変わりない。

 

4月13日(日)

へらへな。言い間違いから来たこの春の新語。

夜は気分転換がてら?選挙に行く。

 

4月12日(土)

朝から晩まで一日中、ずーっと「しゃべって」いたように思う。それ以外は寝るか、食べるかしかしていないような気がする。

 

4月11日(金)

加山雄三の誕生日。

 

4月10日(木)

2003年度前期授業開始。遂に始まったー。

 

4月9日(水)

う、疲れた。

 

4月8日(火)

朝から行く手を阻むほどの大雨。…と思ったら、瞬時に道が開けるかのような快晴になる三時頃。

 

4月7日(月)鉄腕アトムはどこにいる。

何気なくラジオのチャンネルを合わせると、アトムの歌が流れている。山下達郎のあの歌だ。いまはまた、別の角度から懐かしい響きを漂わせている。

♪僕らはアトムのこどもさ〜

意識的に朝刊を開けると、いくつかアトム関連記事がとりあげられている。明治製菓のあのチョコだ。最近は見なくなった気がしていたが、それは気のせい。久しぶりに食べたくなる。

♪マ〜ブル マ〜ブル… 

学校に行くと、ワタシが「おめでとう」と言われる。反射的に「あ、どうも」と返している。自分でも「あはは」と笑える瞬間だ。

♪たんたん たたんた た〜〜んいつもそこに歌がある。

 

ぱたぱたと年度始めの行事をこなす。

昼を過ぎてもまだ雑用をこなしている頃、ようやくミヤタケ氏登場。(おおっ、いつの間にか呼び捨てが「氏」になっているではないかっ!ここんとこ結構重要。公私共に、相手の年齢によって態度が急変する実にわかりやすい性格なのだよね、これが)。

学校案内も兼ねて一緒に桜並木の学内を歩く。途中で、いくらかワタシの個人的な用事も続けながら花見をする。ことしは、幾分暖かな日が続いたせいか、もう葉桜になりかけていたけれど、やっぱり桜はきれいだなあ。

さらに、ぶらぶらしながら下宿へと向かう。(近くに、これといった「よい場所」が浮かばなかったため)。

突如遊びにやって来たミヤタケから急にリクエストされたワタシは、歌を歌うことになった。普段から自分でも気づかぬうちに鼻歌まじりで歌っていることはよくあるが、遊びに来たひとから斯様なリクエストを受けたのは、これが初めてである。今更のように声が低いことを感じながらも独唱したのがよかったのか(テノールだからねえ)、先方はそれなりに満足して帰って行ってくれた。(その後のワタシにはすこしの間、「あれでよかったのだろうか?」という思いと「やっぱりヤツは変人の指標なのだろうか?」という思いが、交互に頭を過ぎることになる)。

ともあれ、春からどうぞよろしゅうに。

 

 

4月6日(日)

海遊館でクラゲを見た。

なんとなくモントレーで見た、あの吸い込まれるような神秘的なクラゲのことを思い出していた。残念ながら、時を忘れて立ち止まるほど魅力的な電気クラゲのようなのには、出会わなかったけれど。

いくらか歩くうち、モントレー湾にいるらしい魚のコーナーも見つけた。そのときは、モントレーという場所と水族館のことをさらに強く思い出していた。でも、ここでは「モンタレー湾」と表示されていたので(カタカナ表記なのでどちらが正しいとは言えないけれど)、最初はなんだか似た地名があるのだなあと思ったに過ぎなかったんだが。

夕方、観覧車に揺られて見る大阪の街は、それをなんだと感じる前に時間が経ってしまった。それくらい、ぼんやりとしていた。きっと、まだ日が高かったからだろう。あるいは、桜の運んできた春があまりに心をゆらゆらさせていたからだろう。

ともあれ、こうして春休みが終わる。

 

4月5日(土)

手塚治虫には弟がいる。

これは、ドラえもんに出てくるスネ夫には弟がいるというのに比べれば、幾分か知られた事実だろう。もちろんワタシ自身は、「弟がいる」ことは存じ上げていたが、遠目とはいえ、この人生のうちで、まさかお会いする機会があるとは思わなかった。(というのも、この方、メディア等のものに関して、まったく表に出ない方なのである。その点、妹さんは割合テレビなどでよく顔を出されている。別に、出たがりというわけではないが)。

「鉄腕アトム」誕生を記念した講演会が手塚治虫の生まれた豊中市岡町というところである。講師は、手塚治虫の小学校時代の同級生の大森俊佑さん。豊中第三中学校の元校長先生らしい。その講演後のトークセッションに、ご存知手塚治虫の実妹である美奈子さんが来られると知り、「一度くらいは親族のお顔を拝見するのも良かろう」と、小雨のぱらつく中、初めての街へと向かったのである。

そこに予定外に現れたのが、これまた実弟の浩さん。ホントなら所用で参加できないはずが、急に都合がついたとかで参加されたらしい。この兄妹で、いまは亡き兄の知られざる一面を語るのである。それを聞くのは、なんとも不思議な体験であった。

これまで書かれたり、言われたりしてきているものにはない話、門外不出の資料公開などあり、結構おもしろく過ごせた。例によってサインももらってきたし、なにより歯に衣着せない物言いをされる(と見た!)弟さんのトークがおもしろかった。フフフフフ。

聴衆は、ざっと百人は集まっていたろうか。それ以上かもしれない。会場には立ち見まで出ていたから、その意味では盛況な会だったのだろう。

しかし、司会進行者に対して生じる苦痛(これまでどこかで聞いたような話のタイミングの悪い引用とあまりにくどい喋り方)、トークにすこし関わった主催者のマニアックぶりのご披露からくる聴衆者の切り捨て的な態度、コアなファンの余りに無節操で品のない質問攻めには、辟易した。だから途中から、聞きたくない話のときには、大概目を閉じて寝ていたのは言うまでもない。

 

4月4日(金)

桜満開の大学では、めでたく入学式が挙行される。しかし、そとは生憎のお天気。

この学校は、学部別に入学式も卒業式も行われるため、式の日には、一日に二度、式典が催されている。いわゆる二部形式である。

午前中は曇り空で済んだが、午後からは激しい雨が降る。だから、ビラ配りもひと苦労。

というのも、受け取る方は傘をさし、鞄を持っているから、両手がいっぱいでうまく手が使えず、渡す方もまた傘を持っているから、ここぞというポイントにビラをもって行きにくいからである。相手の傘を持っている手を差し止めてまで渡すのも、なんだか気の毒だしね。

ともあれ、何人かでいいから入ってくれますように。おもしろいんだからさ、合気道。

ま、そんなこんなのきょうという日は、株屋の美女はやっぱり美女だと、つくづく感じるものである。

 

4月3日(木)

恐るべし、三軸修正法!

 

4月2日(水)

レスリー・チャンが自殺した。

 

4月1日(火)4月のバカ

そんなふうに呼ばれる日を、いったいぜんたいどこの誰が考えたのかと、いまさらながら気になって、手元の辞書でいろいろひいてみた「エイプリルフール」。するとどうやら、きちんとした謂れがあるらしい。

……フランスのルイ14世が1564年に暦を新しく変えたところ、旧暦の4月1日が元旦にあたったのだが、新暦に対応せず、旧暦に固着したまんまの人もいて、そういう人のことを‘April fool’と言ったことから始まったのらしい。

ふむふむ、そうだったのかあと、なるほど、ここまでは納得する。(…というか、微かな記憶だが、遠い昔に調べたような覚えがある。うーむ、あるいは夢か幻か)。

俗に「万愚節」とも言うらしいことを知ると、なんて、すごい言い方なんだろう!と思う。

さらには、かつぐのは正午までだ、と言われれば、嘘は早めにつくのがよいということだね、とにんまりする。

ん?それにしても。

あれれ???変だな。

どうしてフランスなのに英語なんだろう?

…と、新たなる疑問を抱いてしまう。

そこまでは辞書にも載っていない。

載っていないとなると余計に気になる。気になってくる。

ああ、なんで、なんで、なんで〜?なんでフランスなのに英語なの?(…当方、歴史にめっぽう弱い。…弱いくせに人間臭いのや、泥臭い歴史はえらく好き。バカだねえ)。

 

3月31日(月)3月末、年度末には、ひとを待つ。

引越しをする。

とは言っても、それは住んでいる場所ではなくて、大学院で使っている部屋のこと。

春からの人数の加減で、いろんなところでちょっとした変更があったらしい。その一環で、ワタシには、「部屋替えしてね」とのお達しが下ったわけである。

指定された新しい部屋の別の机を見に行く。

さほど悪くない位置である。そう思った途端、その机の周りにあった「ワタシにはゴミに見える訳の分からないものたち」をざくざく捨てにかかる。なかには、どうしてこんなものを後生大事に置いているのか不思議に思うものもある。

わからない。ああ、わからない。

だって、そうでしょう?どこにも残りのない使えない糊の入ったケースやら、書けないボールペンなんて、いったい何に使うんですかい?

 

しばらくして、元の部屋に戻る。

たとえ数年間とはいえ、慣れ親しんだ部屋を去ることに、一抹の寂しさを覚えないでもなかったが、それは瞬間的なもので、ちょうど、ずーっとおんなじ部屋のおんなじ場所で、おんなじ机に向かっているのも、なんだかおもしろくない(ま、要するに同じ場所に飽きてもきていた)ので、これ幸いと一切合切かなぐり捨てて、ためらいもなく新しい部屋へと移る。ついでに、これまでの部屋に残ったいらないものと、過去の思い出もまた一気に捨てる。おおう、じつにさっぱりした。

 

なぜだか、「捨てる」ことに快感を覚えるこの頃だ。

こんなふうに感じることは、これまでは予測できないような出来事のひとつだと思う。

となると、ああ、この次は何を捨てるんだろう。そして何を思うんだろう、いやいや待てよ、その前に。たとえば、いまから一年後。とんでもなく想像もつかないようなものを捨てるような事態になっているとすれば、どうだろう。そんなときの変化なら、おもしろく受け止められるような気がする。

ばしばしっ、とね。結構いい音だ。

 

3月30日(日)

日毎に春の匂いが濃くなっていく。さ、準備だ。

明日は無事に完了できるかな。

 

3月29日(土)

表に出ると、春の匂いがする。いったい、どこから春がやって来たんだろう。

 

3月28日(金)

異動、就職、結婚、引越し、帰国の知らせが届く。それぞれに春を感じるものである。なかには、季節としての春を感じ、自ら「春になる」メールが送ってくれるひともある。

とても多くのひとが動くこの時期は、心も動く。身体も動く。

それは楽しくもあり、哀しくもある。なぜなら、表裏一体の感覚があることへの喜びと同時に、生きている実感があるからだ。ワタシはひとり、そのことにまた悦ぶ。

自分の思いや感覚、世界の動きがどうなったところで、この地球に直ちに異常現象でも起きない限り、ここでは桜は芽を出し、春は訪れる。誰もいなくても春はやって来る。

 

3月27日(木)

昨日なのか今日なのか、あまりよくわからないまま、家を出る。外はすこし曇り。半日帰省して、用事をこなして、また戻る。いつも間にやら、外はすこし雨。

 

3月26日(水)

終日篭る。

 

3月25日(火)

『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞を受賞しました。

あ、そうですか。

しかし、ワタシには、どうも受賞でした意味がよくわかりませんでした。

あ、そうですか。(「先日の市川新之助」口調で)。

 

ま、何ですね。

ホントにホント、あれのいったい何が良いのかよくわからないのです。

だから単純に、どうして受賞するはめになったのか、いまでも理解できないのですよね、ワタクシ。

別に頭ごなしに批判するわけじゃないんですけど、どうも受け付けないのですよね、今回のものが。

いったい、どこがおもしろいのでしょう???

わかるものなら、知りたいです。どなたか教えてくださいまし。

 

というのも、今回のものには、これまでの宮崎作品を切って貼って、てきと〜につなげたような印象をどうしても拭いきれないからなんです。つまり、映画全体がこれまでの「二番煎じ」みたいな感じがするんですよね。(『千と千尋〜』を好きな人には申し訳ない言い方ですけども)。

 

それに、いわゆる「オチ」もなかったですし。

すべてのものにテーマを!オチを!と求めるわけでもないんですけれど、何度も観たいという気には、まるでなりませんでした。悶える感じだけが残って、最後まで気持ちが悪かったですね。結局、何がどうしたかったのでしょうか。個人的な理解力の欠損ですかね。だとすりゃ仕方ないですが。

 

まあ、あれしか観ていないアメリカ人だったから受けたんでしょうかねえ。あるいは、ヨーロッパ人に。そりゃあ日本のアニメは、緻密で美しく、構成もきれいに取れていることはたしかなので、どこに出しても恥ずかしくないほどの仕上がりです。宮崎作品は、そのなかでもとくにそうです。一級品としての「でき」ではあります。

しかし、やっぱり、これまでの宮崎作品を見ている者としては、これまでの方が断然よく見えるんですよね。ストーリーも、キャラクターの描き方も、数段良いのですよね。

だから、もし受賞したのが、今回のもの以外であれば、たとえば、「ラピュタ」とか「ナウシカ」なんかだったら、まだ納得がいくところなのですが。

「昔はよかった」というわけじゃないんですけど、この頃、段々と宮崎作品が嫌いになっていきますね。商業的というか、「二番煎じ」というか。とにかく、つまらない。

次回のジブリ作品(宮崎駿の事務所は、こういう名前なのですが)なんかも、さらにしょーもなさそうですね。あーあ、宮崎さんは、やっぱり『もののけ姫』で引退した方が、いろんな意味でよかったような気がします。

いろいろ考えるうち、今回の受賞は、結局、ブームがブームを呼んだだけのことのようにも思えてもきました。こういうのは趣味の問題なので、いろんな見方や考えがありますから、いいですよね。ちょっとくらい。ぶつぶつ言っても。

というわけで、たとえ非国民と呼ばれても、ワタシは、ずっとこの映画を解せない立場をとることでしょう。おもしろくないって言うことでしょう。

 

3月24日(月)

帰るなり夕方から雨。うーん、やっぱりな。

…でもさ、今頃降ってくれても何にもならないんだよな。洗濯物がうまく乾かないだけでさ。あーあ、ワタシも乾燥機ほしーい!

 

週末に録画しておいた『高校教師』を見る。

ある意味、世間的な評価ともいえる視聴率は低かったようだが、何がどう災いしたのか、ワタシにとっては「近年稀にみる継続的に見続けたドラマ」だった。そのため、最終回にあたる留守中の前回も、えらく真面目に予約までして出かけた。しかし、最近の傾向なのかしらん。最終回というものは、いつもより数十分ほど長引くものらしい。

そうとは知らず、今回もいつものように予約をしておいたものだから、肝心の最後数分が切れているといったありさま。そのため、見ている途中、「プツッ」と音を立てて、画面が消える。消え方自体、「突然訪れた死」みたいで、余計か哀しい。(このドラマは非現実的であるが、いちおう「死」を扱っている)。

結局、あのくらーい歌が流れるなか、いったい最後の最後、結末はどうなったのか解からずじまいである。こういうのは、非常に気になるし、非常に気持ちが悪い。

あーあ、誰か録画した人、いないかなあ。

 

 

3月21日(金)〜23日(日)合気道春季合宿

 恒例の名色高原ホテルにて春合宿。

 これまでワタシが参加したなかで、もっとも少ない参加者で(のべ13名)、まっ

たく知らなかった隠し扉の向こうの存在を知り(2階に宿泊)、経験したことがない

ほどの晴天に恵まれる(三日間、一粒の雨も降らない)。

 

 合宿中は、ご飯、風呂、宴会、稽古…の繰り返し。

それぞれが中心の三日間なので、文字というものをまともに目にすることがない。テ

レビくらいはちらっと見たけれど集中してみることもない。暇があれば、しゃべる

か、寝るか、稽古するか、お風呂に入るかしているのだから。

だから、いま世界がどうなっているのかとか、普段友達のみんな今頃どうしているの

だろう?といったことは、ほとんど思い出さない。思い出されない。現実世界が、ほ

とんど別世界の出来事のように感じられてしまうのだから、皮肉なものだ。

 

 さて、この度の合宿では、審査を受け、弐段を允可された。

ありがとうございます。今後とも精進です。心も身体も賢くなりたいです。

 

また、この度の合宿後から、どういう巡り合わせか、主将を仰せつかった。

 …というわけで、来年度は、「体育会系になる」という噂もあるようですが、そん

なことはありません。大丈夫です。ご心配なく。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 帰宅後は、とろけるように就寝。

 じつは、不覚にも帰りの車のなかから気を失いかけていたし、電車のなかもそう

だった。

何時に寝たのか起きたのかわからぬまま、とにかく睡眠時間12時間以上もとる。こ

れぞ春眠の始まりである。

 

3月20日(木)

 緊迫した情勢が遂に動いてしまった。アメリカのイラクに対する攻撃が始まった。

いまさら何ができるというわけではないが、まさかの事態に直面すると、やっぱり混

乱してしまう。改めて自らの無力さを感じることしかできない。それもなんだか苦し

い。

 

3月19日(水)

 卒業式と修了式。

きょうの良き日を迎えられたみなさま、おめでとうございます。

 

合気道をとおして知りえたかなぴょんとやべっちも、きょうは、遂に卒業である。

学部生のぎりぎりの時期(4年の3月)におしかけるように合気道を始めたワタシに

とって、彼女たちは最初に刺激を受けたセンパイだ。年上のワタシと接してくれるこ

とに、ときには不自由もあったはずなのに、どこにもそんな素振りをみせることな

く、ためらうことなく受け入れてくれた。おまけに「うっきー」と気さくに呼んでく

れた。よき友である。ありがとう。(この同期の人たちはみんな、そう呼んでくれ

た。そのことがまた、とてもうれしかった)。

大学のゼミやらクラスやらをとおして知りえたフルタサンも、遂に卒業である。

この方とのご縁については、話が長くなるので割愛。それでも、ただひとつ確信を

持って言えることは、彼女もまた、よき友であることだ。ありがとう。

 

 人生は、長く、短く、緩やかで、険しい。

そして、無駄が無駄だとわかる人生。勉学を通して、ワタシはそれを学んでいる。

 

3月18日(火)

 NHK朝の連ドラ『まんてん』を見る。といっても見たのは録画。毎日毎日、続け

て見るのはいろいろとたいへんなので、週末に一週間分まとめて放送されるのを予約

しておき、翌週にそれを見ることにしている。(そのため、実際に毎日放送されてい

るものより、話の内容がすこし遅れる)。

今回もまた、ドラマの展開がじつに早い。展開の速さの原因は、NHK大阪が担当だ

からだろうと思う。「大阪」が担当の場合は、大概ドラマのテンポがよく、世間的に

も受ける傾向にある。別に物語の端々に大阪弁がはびこっているわけではなく、基本

的には標準語だが、どういうわけか話がトントンと運んでいくのである。いわゆる

「ノリ」がいいのだろうか。そして、だいたいにおいて視聴率もよい。これは、近年

の「大阪」担当の作品を思い返してみてもそうだと言えるだろう。

 さてさて、3月でこのドラマも終了なので、話もいよいよ大詰めの段階。きょうも

また、うるうると涙してしまった。いやはや。

 

3月17日(月)

 少しずつでも前に進もう。

なぜだかそういう実感が、心に強くある日だった。

 

3月16日(日)

 無理矢理のオフ。昼の頃は雨なり。

 

 久しぶりにラジオを聴く。

たまたま合わせたチャンネルでユーミンが流れている。懐かしい。

そういや初めて買ったCDは、ユーミンだったな。中学生に入ったばかりの頃。

すごく聴きやすくて、歌いやすくて、いい歌だと思った覚えがある。どこかで、やっ

ぱり、(すこしだけ)老けた中学生だったのかもしれぬ。

その後しばらくして、時代は『魔女の宅急便』が公開され、映画を観るなり、即座に

「あ、あの人の声だ」と気づいたのだから、生きている時間からすれば、割と長い付

き合いだ。

 

3月15日(土)

 不思議なことに、すこし前まではっきりと感じていた飛び受身に対する恐怖が、

きょうはすっかり消えてなくなっていた。

うまくできるかどうかは別にして、それをおもしろいと思えるようになっていた。

何が災いしたのか原因はさっぱりわからないのだけれど。

ま、いいことなので明るい。そうこなくっちゃ。

 

3月14日(金)

 “希望の轍”を歌うひとの声また、割れているように聴こえる。

 

3月13日(木)

 站椿功(たんとうこう)なるもの。

「身体を割る」とは、内田先生の最近の例えでは、(昨今の日本では、すっかり流行

りも定着し、いまでは特別な説明もなくて済むかに見える)ビーズクッションであ

る。身体と呼ばれる物理的にも存在する物体を、できる得る限り小さく細かく、細胞

の段階にまで割り込んで、活かして活かしきることである。

さて、この割る対象となる身体内部の数なりモノなどが多ければ多いほど、身体自体

はどうなるか。おそらく動きは多面的となるだろう。それは、単純に「数が多い」こ

とが、柔らかさの度合いの理由となるからだろう。

 

ビーズクッションについての感覚は、既に体感済みである。

というのも一年ほど前、かの師匠から頂いたそれは、我が家に鎮座するかのごとく存

在し、普段のワタシは言うまでもなく、訪問客を、柔らかくしなやかに迎え入れてく

れるのである。動きはまるで「身体を割る」行為であるかのように、暖かい。

そう、暖かくもあるのだ。柔らかさとは。

 

クッションに出会って数ヶ月。

「悪行」とまではいかないだろうが、ワタシの生活のあらゆる面をこれと共に過ごし

てきた。いまでは、座り心地の良さは当然、触り心地の良さや状態をほとんど瞬時に

判断できる。いや、実際はそうではない。おそらく、判断しているのはクッションの

ほうだろう。

瞬時に、どういった状況のものでも受け入れてくれる柔らかさを先方が持っているの

だろう。そのほうが道筋としては正しいのではないか。

…と、このような大事なモノの上にどかどかと座りながらこれを書いているのだが、

いまのところ、この例えがもっとも想像しやすく、身に沁みる。ワタシは日毎、この

体感の実践を間接的に試みている。

 

ところで、きょう、稽古をしていて思ったことがある。

身体を割れば割るほど、動きが滑らかになり、硬さも消え、身体そのものが使いやす

くなるということを逆に考えてみれば、どうなるだろうか。つまり、身体は元々宇宙

の塵でできたものであり、その集まりがいまのところ、人間に身体という目に見える

形で存在しているのだと。一個一個は数えるのもひと苦労なくらいの小さな小さな塵

だとすれば、身体はその集まりだと考えることができる。割るのではなく、身体の中

にある塵の再確認。

最初から小さな粒なのだ。粒だったのだ。それが引っ付きすぎて凝り固まっていた宇

宙の塵。ゆえに宇宙塵なのである。我々は、宇宙人でもありながらも宇宙塵であると

いうのなら、なんて素敵なことだろう。とてつもなく素晴らしいことではないか。

なぜだかこんなことを思った。

 

 

3月12日(水)

 期限がまだ大分先の、いつまででもよいような仕事を早めに片付け、締め切りが間

近に迫ったものを、あとへあとへと先延ばしにする。先延ばしにされたものは、いっ

たいいつするのだろう。時間は刻々と迫ってくるというのに…。これがバイトなら、

まだすこしは、笑って済ませられるものを。ははは。やれやれ。

それでも妙な達成感がある。それは、きっと、黒くなって汚れていたホワイトボード

を磨き上げたからだろう。小さい目的が果たされると楽しいもんだ。

 

3月11日(火)

 タカハシ先生とキムラさんと会食。

場所はいつものワインバー。…と言っても二度目だが、いつ来ても、ここはうまい。

 お会いするのは、割と久しぶりの方々なので、何となくうれしい。

話題は、さまざまな分野に飛び交った。犬、イタリア、ワイン、トイレの話、研究、

マフィア、家族についてなどなど…。出てくる話題のどれもが、これまでにない方向

からの質問や刺激や話題へとつながり、とても興味深い時間を過ごせた。

「なんとなく」という曖昧な表現しかできないが、やっぱり人と会うのはいい。元気

になるし、刺激になる。それに知らないことを知るというのは、やっぱり楽しい。今

夜もまた、ありがとうございます。

 

3月10日(月)東京なんか怖くない。

 昨晩の二次会のあと、宿泊組みの女学院合気道部員のみなさまと、有楽町にてお茶

などをしながら喋る。午後11時をまわって、ようやく表参道のホテルに辿り着いてか

らも、まだ喋る。その割には、翌朝の身体は楽だ。

きっとよく寝たのだろう。睡眠時間は8時間ほど。いつもより、多いではないか。

チェックアウトぎりぎりにホテルを出る。

 

表参道のカフェにてブランチ。

 こんなに優雅にのんびりと過ごせる場所があるなんて、いいなあと思う。下町だけ

が東京じゃない。一度旅行してみたいな、たくさんの行ったことのない場所を見てみ

たいなあと、東京という場所に対して、生まれて初めて出かけてみたい気になった。

 路線図も地図も何も持っていないのに、急に地下鉄というものの位置関係が分かり

出したからかもしれない。「霧が晴れるように位置関係がわかる現象」は、ここでも

起きた。

表参道をぶらぶら歩く。歩いていても、さほど居心地が悪くない。月曜の昼だという

のに、なぜか人は多いのだけれど。

 

昼食は寿司。

せっかく「江戸」に来たのだから、江戸前寿司を食おうではないかと、昨日のうちに

しておいた、マスイ、カタギ両氏への提案を実行。(ほんとは、先週末、無性に寿司

が食べたくなったからだけど)。

渋谷に出て、「回転すし渋谷本店」に入る。学生なので回転すしなのは仕方ないが、

「日本一速い回転すし」が「売り」のここは、まあまあおいしかった。

 

帰りは羽田からJALに乗る予定が、訳あってANAに搭乗して、大阪へ。

ま、そういうこともあるさ。人生の税金ならば、なおさらそうさ。

そんでもって、こういう出来事もまた刺激的。

 

3月9日(日)

 かなちゃんとうちこがさんの結婚式。めでたく晴れた東京會舘で行われる。

 ほぼ朝一のJALで羽田に直行し、10時50分頃会場に着く。実は、今回初めての羽田

空港から東京へルートであり、東京會舘だったが、難なく到着したのでひと安心。サ

ンフランシスコに行ったおかげだろか。スムーズに日本語が読めることの喜びを感じ

ることがある。

 11階フロアでは、久しぶりに会った人や女学院の合気道部員との再会、対面を果た

す。

みなさま、たいそうきらびやかなドレスを着たり、ヒールを履いたり、ショールを巻

いている。ほほう。素晴らしい。どれもこれもきれいだな。

「一番きれいな好きな色は、どれっす?」などと下らぬ駄洒落を思い浮かべるワタ

シ。

 11時半より礼拝に参列。御父上と共にヴァージンロードを歩くカナちゃんと見たと

き、目頭が熱くなり、うるっときた。余りにきれいだった。

 12時半より披露宴。宴は16時半まで催され、その間、新郎新婦のご来賓の方々のス

ピーチ、友人の方々の余興などがあった。どれもこれも、これから始まる二人への幸

せと祝福を願う暖かな人たちのからの贈り物だった。

 お開き後、花嫁が投げたブーケは、どういうわけか瞬時に身体が反応してしまった

ワタシのところにやって来た。(かなちゃんは、後ろを向いて投げていたのに…

ね)。

内田先生曰く、この結果は「大穴」。さてはて、このジンクス。真実のところや如何

に。

 

 披露宴後は、銀座パルクにて二次会。

 たくさんの余興やこれまた多くの食事に囲まれる。披露宴には出席されてなかった

気錬会の面々もあるので、披露宴とは違った雰囲気。

 「にわかカールスモーキー石井」(その場で瞬間的に名付けてしまった)のよう

な、非常にファンキーなお兄さん(ウチコガさんの大学時代のご朋友)の司会進行に

より、とても楽しい時間を過ごす。21時頃にはお開き。

カナちゃんとウチコガさんにご挨拶し、お礼を述べ、幸せを祈りながら、その場をあ

とにした。

ご結婚おめでとうございます。どうぞお幸せに。そして、楽しい人生を!

 

3月8日(土)

 稽古に行く。芦屋を歩く。天気は曇り。

 

3月7日(金)

 ご来阪された東京のマンガ研究者の方に会う。

いろいろお気遣いいただいたのか、よく喋ってくださった。

話をするのも、聴くのも好きだが、どちらもタイミングが難しい。

初めて会う場合はなおさらそうだ。緊張感にも似たものを感じながら思う。

雰囲気がほんのすこし、どことなくこれまで会った誰かに似たものがあった。面と向

かっているときは、誰なのかわからず、「あ、あの人だ」と唐突に気が付いたのは、

帰りの車中のことだった。

これも、脳がつながりを見つけたのだろうか。

 

3月6日(木)

 昨晩、急にとある仕事を頼まれた。締め切りは翌日。

一晩、いろいろ考えて、書き散らしてみた結果、ワタシには、そこまでの技量はない

のだと(嫌いなものを好きだとは、やっぱり言えない、言えやしない。できないな

あ。そんなオトナじゃないし)丁重にお断りする。選んでいる立場ではないと言われ

ても、それが礼儀と知ったから。

 しかし、功を奏するとはこうことを言うのか。それがもとで、「何で嫌いなのか」

の経路を発見する。論文にするほどではないけれど、これまで「感覚」として、胸の

うちにはっきりしていた「嫌な感じ」を、今回は「言葉」でさらに確信できた。一

本、筋が通ったようで清清しい。

 さて、大雑把に分ければ、「嫌いなもの」といっても、いくつかの段階があるよう

に思う。

「嫌いだから見るのも触るのも考えるのも嫌。それに時間を裂くなんてまっぴらごめ

ん!もってのほか!」というのと、「嫌いだけど、それについての嫌いの分析ができ

る程度には関心がある」というのと、「嫌い嫌いと言いつつ何かしらの関わりを持と

うとする」の三つくらい。この度は、二番目のものか。

 やっぱり嫌で、嫌いなものは、触れたくないし考えられない。ワタシの場合。

なにがどうしてそうなったのか、遺伝子レヴェルの問題か、果てまた趣味思考のこと

かも知れぬが、「好き」と「嫌い」の選別は、はっきりしている。わざわざ「研究」

というような枠にはめなくたって、日常世界の出来事でも何でもそうだ。嫌なものに

触れたり考えたりしているときに、気分のよくなる人っていないと思う。思わないの

は、身体のどこかに支障をきたしているのでは?とワタシは思います。だって、嫌な

感じって、結局身体に悪いんだもん。

この手の感受性って、生きてくうえで、結構重要なことじゃないのかなあ。

 

3月5日(水)

段取りよく運んだ仕事の後、とある占いサイト

(http://stars.metawire.com/japan/)を見ていたら、こんなことが書かれていた。

「今週、あなたが地球にやってきた本当の目的を思い出すことができそうです」と。

たかだか一週間かそこらの占いで、人生を大きく動かすような、なんとも大袈裟な書

き方である。しかし、これは、このページ独特の書き方と思われるので、「わお!」

とそのまま素直に鵜呑みにし、「なんだろう、何が起こるんだろう(起きるんだろ

う)」と、どきどきしながら読んでしまう。

そう思ったのは、偶然にも、自らの存在やあり方についてばかりを考えている今週だ

からだ。占いの内容を見たのは、ついさっき(3月5日の夜)で、考えはじめたの

は、掲載よりもさらに先のこと。だから、これは、占いに従った行動をとったのでは

ない。むしろ逆であり、行動していることが、たまたま書かれたことに沿っている

(た)だけのことである。これをして、「当たる」というのだろうか?

こんな具合に、インターネットの占星術に、一喜一憂するのもどうかという向きもあ

るだろうが、「今回はこれだ!」と信じて見てみるのも悪くない。たまには面白かっ

たりするものだし。

困ったときの神頼み。

もくもくと生きるだけが人生じゃないのなら、ときには、ちょっとした流れを変えた

り、考えたりするための、きっかけみたいにでもなるんじゃないかと、ま、いまはそ

んな風に、占いなどというものを捉えているのだ。思うのだ。(おみくじも、この意

味で好き)。

それに都合のいいことに、嫌なことは、わざわざ記憶しておかないたちなので、(て

いうか、嫌なことほど囚われ生きていたくないしねえ)結局、よいことしか記憶され

ない。というわけで、実は根本楽観的人間には、さらっと流す程度の占いほど、風通

しのよいものはないのである。

 

3月4日(火)

 粉雪舞い散る近畿地方。寒波だよ、いまごろ。もう春のはずだぜ。てやんでい。

 

3月3日(月)

 雨。雨なのだ。降ってるんだよね、雨がさあ。

 

3月2日(日)

 きょうも元気だいなごーず。

会合約5時間。その間、ほぼ誰一人として、噛むことも意を休めることもしなかった

のだからすごい。未だ食べ盛りの時期を過ぎない面々である。健康的。

 あー、食べ過ぎた。うー、食べ過ぎた。おー、食べ過ぎた。

 あ、センセイ。ごめんなさい。

 

3月1日(土)

 かなちゃん送別稽古。その後、知らずにいきなり宴会。

わああ、参加してえーんかい。これで三つに増えてしまったなどと思いつつも参加。

楽しかった。すこし飲んでしまう。

なにはともあれ、かなちゃん、どうぞお元気で。そして楽しい人生を!

 

2月28日(金)晴れ:いきなりの月末

【関西国際空港】

 帰国。飛行機に乗って日本に着くと既に翌日。行きに得した分、帰りの帳尻あわせ

というところ。ほんのちょっとウラシマみたい。

 「楽しかった」という余韻に浸る間もなく、荷物を解くだけで精一杯。

早めに就寝して、うっかり時差ボケにならないようにする。

 

2月27日(木)曇りのち晴れ:旅の出入り口

【サンフランシスコ国際空港】 

空港へ向かう。イイダ先生のお見送りを受けて、ひとり飛行機に乗って帰国。

相変わらずのまずい機内食と行きも帰りもあたりの悪い席(行きは、一番前でモニ

ターが固くて上がらない状態。飛行時間の半分は画面を覗くこともできず、どこを飛

んでいるのかもわからないありさま。帰りは、いっさいの音楽、ビデオ、読書ランプ

等が使えないうえに、遠慮なく足を広げて寝入り、そのまま動かなくなるおじさんが

隣。けっ。どちらも文句を言って問題が起こるのも面倒なので適当に過ごす)につい

ては、忘れるとして。 

楽しかった日々を思う。さまざまな刺激と感動と笑いと食事と街と人と場所に感謝

し、少し太った自分を反省した。

そして、イイダ先生に感謝した。感謝しても、まだし足りないくらいだけど。

放電し、充電できたよい旅だった。これは、人生のなかでも、きっと強烈な印象を残

すものとなるだろう。(この旅行記、じつはショート・ヴァージョンなのだよね…)

 

2月26日(水)曇り:ひとり歩きのサンフランシスコ

【パロアルト→サンフランシスコ市内→パロアルト】

こっちにいるうち、一度は電車に乗りたくて、現地を走るカルトレインに乗る。

 先生方は、立て続いたハードスケジュールのせいか、きょうはオフらしい。よっ

て、きょうは、いつもよりさらに単独行動だ。

 パロアルトから1時間ほど列車に揺られ、降り立ったところに広がるのは、もう治

安の悪いアメリカはサンフランシスコの南側。昨晩、入念な計画を立てたにもかかわ

らず、結構緊張する。殺されても文句は言えない。

まずは、サンフランシスコ近代美術館を目指す。親切なのか不親切なのかわからない

駅の事務室にいるおばさんにバス乗り場を尋ねて、それから乗る。発車前に乗ったバ

スの運転手さんもまた、親切なのか不親切なのかわからないほど無愛想。はっきりし

た大声で、最寄り駅を教えてくれた。

 美術館前の通りで降りる。

静かだ。瞬間的によぎったいやーな予感は的中。やっぱりだ。休館だ。電車を降りる

寸前、ガイドブックでそのことに気付いていたが、よくある間違いかもしれないと、

一応出かけてみたのである。ということで、これは事実。水曜日休館とはね。参った

よ。

 仕方がないので目の前に位置する「画期的な場所」で時間を過ごす。主に現代アー

トの集まった場所や庭。いくらかすると飽きたので歩く。ふらふらしているうち、気

付くと、教会で演奏を聴いていた。なぜだか知らぬが、誘われるように教会で座って

いるワタシがいる。どこにも行く予定などしていないのに。この度、サンフランシス

コでは二度目のこと。数十分の演奏を聴き、それから街の中心地へと向かう。

 中心地へと出た途端、パロアルトからサンフランシスコ市内の地図が飛び込んでき

た。まるで霧が晴れたかのように。ここ数日間、自分がどこにいて、どこに行き、ど

こを歩いて、どこに行くのか、急に頭の中にはっきりと頭の中に記されたのである。

天気こそ悪かったが、頭の中は晴れだった。すごくうれしかった。何かが開けた気が

した。やっぱり実際に自分の足でちゃんと歩かなければ、右も左も上も下もわかるも

のではない。経験って大事だね。

「霧が晴れた」あとはもう、きょうのもうひとつの目的であるカストロ・ストリート

に向かう。いわずと知れたゲイの街、ハーベイ・ミルクのあの場所だ。

ここに住む人の様子は、なぜだかみんなフレンドリー。ガムを買った店も、本を買っ

た店も、物色した店も通りも、なぜか人の愛想がいい。気さくに挨拶してくれる。サ

ンフランシスコに来て、初めて感じがよいひとに出会えた気分(パロアルトは、言う

までもなく感じのいい人が多いけど)。

歩いていると、ほとんど女性には会わなかった。電車の時間があるので(「暗くなる

と危ないから、ちゃんと早く帰って来なさいよ」とは、身代わり母もどきの声)、結

局1時間半ほどしかいられなかったが、会った女性は一人か二人。

わお。こりゃ驚いた。やっぱり今度はツアーに行こうと思う。

電車に揺られ、6時過ぎにはパロアルトに戻る。近くの通りを物色して楽しんだ。

夕食後、明日の帰国のための荷物をまとめ、一日のいろんな緊張と感動と感激を思い

ながらも、なるべく早く眼を閉じた。

 

2月25日(火)晴れ:見事な出会い

【パロアルト→(サンフランシスコ国際空港→)モントレー→カーメル→モントレー

→パロアルト】

サンフランシスコ国際空港で、モリナガ先生をお見送りしてから、逆戻りしてモント

レーへ。そこの水族館で、神秘的な「クラゲ」を見た。見事に魅せられた。電気が

走っているさまは、どれだけ眺めていても飽きない。一日でも、一週間でも、一ヶ月

でもガラスの前に座っていられそうだった。いまでもその様子ははっきりと浮かぶ。

 昼過ぎ、現地の語学学校に来ている女学院の卒業生のオカモトさん(同期らしい

が、特に面識はなく、互いに「どこかで見たような…」といった対面)と在学生のマ

イコさん(人間科学部を休学して留学中らしい)に会う。

 その後が、スタインベック博物館、カーメル(観光地)に行き、モントレーに戻り

ながら夜景を眺め、にわかフォレスト・ガンプになって戻ってくる。オカモトさんの

見事なガイドとエスコートで、きれいな夜景や夕日が落ちる瞬間を目にすることがで

きた。感謝。

「またどこかで」と言いつつ手を振る。そんな一日。

 

2月24日(月)曇りのち雨:スタンフォード再確認

【スタンフォード】

午前中は大学へ。図書館に行って、アジアもの、特にマンガの類について調べてみ

る。

 昼に待ち合わせた視察団先生方と学内で合流し、そのまま昼食、歓談、散歩。散歩

は、スタンフォードの近くにある丘に登る。通称“foot-hill”。天気がイマイチ

だったのだが残念だったが、綺麗な景色や大きな大学を再確認した。

 再び大学に戻って、女性学センターに行く。それからはまた別行動。ワタシは図書

館へ、先生方はラウンジへ。

 図書館にいるうち、激しい雨に見舞われ何かと思うほど暗くなったが、親切なライ

ブラリアンのおかげで、素敵な時間を過ごす。

 またまた、待ち合わせの時間に合わせて図書館を出る。

車に乗って移動して、本格的な夜が来る。

 

2月23日(日)晴れ:ワインの国からこんにちは

【ナパヴァレー→サンフランシスコ市内→パロアルト】

 フィッシャーマンズワーフでは、アザラシを見て親近感を覚えた。ピア39では、土

産物屋のマグネットに喜んだ。ケーブルカーに乗り、サンフランシスコのチャイナタ

ウンに行けば、飲茶を食べ、偶然に来た獅子舞とゴージャスな葬式の一面を見た。

チャイナタウンの摩訶不思議な店を物色は、とてもおもしろいし、いつまで経っても

飽きない。日が暮れかかった頃、ユニオン・スクエアで塔を眺め、Fラインに乗っ

て、フィッシャーマンズワーフで夕食。カニを食べた。

 

2月22日(土)晴れ:現地視察団のお出迎えとナパ!

【パロアルト→サンフランシスコ国際空港→ナパヴァレー】

午前中は日本からの視察団2名(ミスギ先生、モリナガ先生)をサンフランシスコ国

際空港でお出迎えし、そのまま、カリフォルニアワインの産地、ナパヴァレーへと向

かう。ハイウェイでは、アメリカの大地に切り開かれた風景を感じ、窓を開けて風を

感じる。

どの車もスピードが速い。100キロが遅く感じるくらいだ。

ここはアメリカだと思う瞬間。

 

予約していただいていたB&Bに到着。

荷物を降ろし、再度車に乗り込み、向かうは、ワインのあるところ。

「そこに行ったら、本場のカリフォルニアワインをひたすら飲むことしかしない」と

言ったのは、村上春樹だったか。たしかにそうすることは、とても重要。しかし、こ

こでは、広がる風景を楽しむことも付け加えてもいいように思う。だって、広がるワ

イン畑(いや、実際にはブドウ畑だが)や山、家々、道、空といった素晴らしい風景

を見落とすわけにはいかないくらいに美しいのだ。この美しさは、ことばでは表現し

にくい。百聞は一見に如かず。なので、興味のある方は、お出向きください。行かな

い損はあっても、行った損はありません。

 いくつかのワイナリーを周る途中、昼時間になってきたので昼食。ピクニックみた

いに日の光を浴びながら、ワインやパテ、チーズ、パン、果物を食べる。この頃、初

めて毛穴が開いてくる。

 夕食は、B&B近くのイタリアン。これもやたらとうまい。宿の人のお薦めのお店だ

けのことはある。わいわい言いながら食べるせいか、やたらとうれしくなってくる。

 

ほんっと、うまいなあ。アメリカの食事を見直す瞬間。

 

 宴も酣。偶然だろうが、隣近所の席には、ゲイのカップルやゲイの「合コン」(@

モリナガ先生)らしきものを開いているひとたちが座っている。

わお。いきなり。やっぱりここはアメリカだなあと、ひとり思う瞬間。

 

2月21日(金)晴れ:スタンフォード大学その周辺2

【スタンフォード大学】

学内見学を続ける。きょうはbikeを借りてにわかスタンフォードっ子と化す。

 これで移動が楽ちん。乗りながら地図で位置確認し、走りながら学校の大きさに改

めて実感する。大学の端から端をブーン、ゴゴゴゴゴゴーとこぐ。天気もよく、2月

だというのに暑くて汗が出る。とてもよい運動だ。

15時半からの学内ウォーキングツアー(そういうものがあるのですよね。日に2度行

われているらしい)に参加。あれこれとヴォランティアか何かの学生の説明を受けな

がら見てまわる。週末のせいか、15人から20人ほどのチームが三つもあるほどの大盛

況。結構人気のツアーであるようだ。VISITORはワタシくらいだったが。ほかの参加

者は、現地の高校生や留学生、1回生やその親御さんなどである。ツアーは1時間ほど

で終了。

その後は、学内のロダン美術館に行き、ロダンの彫刻をべたべた触れながら、感動し

ているうちに、「アンタもう閉館なんだから出っててよ」という容赦ない合図で、17

時の閉館時間きっかりに見事にシャッターが閉められる。

ちぇっ。あの背中に感動していたところなのに、ううっ残念。

匂いに誘われるまま入り込んだラウンジでオレンジジュースを買い求め、飲みなが

ら、しばし休憩。コリコリとこれを書く。18時過ぎには大学を出て、またゴーゴーと

自転車をこぐ。もぐりスタンフォードっ子の暑い一日。

 

2月20日(木)晴れ:スタンフォード大学とその周辺

【スタンフォード大学】

すっかり現地時間になった朝に眼覚める。

大学の中心に位置するフーバータワーに登り、学内の敷地を一望。予想していたこと

だが、さすがに広い。校舎はどれもスペイン風で、落ち着いた雰囲気が漂う。近代的

なものよりも重層感があって個人的には好み。天気がいいので風が心地よい。

地図を手に入れ、ふらふら歩いているうちに昼。さすがに広いと歩く甲斐がある。

(いま、手元の地図で総面積を見てみると、CANPUS DRIVEに囲まれたところを敷地と

すれば、縦横2.5kmほどの広さがある。その先の緑のところも敷地と考えれば、縦横

に6kmはくだらない)。あっちの校舎からこっちの校舎への移動には数百メートルは

ある。結構時間がかかる。というわけで、多くの学生は自転車に乗っている。スタン

フォード大学は自転車天国。

昼時間に待ち合わせたセンセイと落ち合い、学内で食事。スパニッシュ系の包みのよ

うなものを選んだが、これがやたらと量が多く、食べきれない。サイズがでかい。

食後も見学続行。本屋やショップ、建物の名前や場所を確認。一旦、大学を出て、近

所で過ごす。ホールフーズで買い物をして、夕食後には再度大学へ行く。19時半の映

画観賞に参加するためだ。小津安二郎の『早春』。ここまで来て、小津を観るとは思

わなかった。初めてのこれは暗い。ちょっと苦しく、明るさに欠ける印象を持つ。

 

2月19日(水)晴れ:日本脱出と眠りの現地

【関西国際空港→サンフランシスコ国際空港→パロアルト→サンノゼ】

 午後15時45分の関空発、サンフランシスコ直行便で日本脱出。現地到着予定時刻

は、同日の午前8時25分。しかし実際は、予定の20分ほど早く着く。

イイダ先生の暖かなお出迎えに喜ぶのもつかの間、着いた瞬間から、どんどん予定を

こなしていくハードスケジュール。初日はサンノゼ。博物館や通りを楽しみ、夕方に

は、アイスホッケーを観戦。お約束の乱闘騒ぎや退場騒ぎに喜ぶ。一日を何時間も得

した気分になるものの、数時間に一度は、唐突な眠気に襲われる。とにかく長い一

日。

 

2月19日(水)〜28日(金)Ukky in Stanford!

「あら、うっきー、久しぶり。最近見かけなかったけど、どこか行ってたの?」

「うん、ちょっとアメリカに…」

「『ちょっとアメリカ』って。何だよそれ。いいのかなあ、そんな言い方しちゃっ

て。で、アメリカのどこに行ってたの?」

「スタンフォード。それからサンフランシスコとその周辺…西海岸の辺り。おーもし

ろかったあ」。

「へえー、どれくらい行ってたの?」

「うーんと、一週間ちょっと」

「なんだかえらくうれしそうね。顔が満足げだわ。楽しかった?」

「うん、そりゃもちろん!見事に充電してきたし、元気にもなったよ。向こうにおら

れる飯田先生とも、たくさんお話しさせてもらう機会があったしね!充電なんて、ス

トックまで持ち帰れるほどにたくさん!」

「へええ!そりゃあよかった!いいことだあ。で、おみやげは?」

「あ、おみやげ?おみやげね。あ、おみやげね、おみやげ。おみやげ…っと。えーっ

と…」

「あれ、忘れたの?仕方ないなあ。忘れたんなら、そうだと正直に言えばいいのに。

別に期待はしてないよ。いつものことだから」

「うーん、そういうわけでもないんだよ…。たしかに気が向いたときしか…買わない

けど。ほんとに忘れたわけじゃないんだよ、キミのことも、おみやげのことも…。た

だね…、そのぅ、なんていうか、ハハハハハ……」。

「『ハハハハハ……』って何よ?え?あ?!」

「もう飲んじゃったのだ…ワイン。ごめんよぅ〜」

 

 

 

 

 

2月18日(火)

 朝から、ぱたぱたと仕事をこなし、夕方ころ、うちに戻る。

 

 明日からようやく日本脱出。しばらくぶりの海外だ。次回の日録では、その旅行記

を掲載できるはずである。(ま、そんな、たいそーなものでもないだろうが)。

というわけで、ご購読いただいている、世界中のみなさま、どうぞお身体に気をつけ

てお過ごしください。ではまた来月まで。ごきげんよう。

 

2月17日(月)

 引越し!のお手伝い。

 午前9時から開始と聞いていたので、それに間に合うように早起きをして、御影の

内田先生宅に向かう。既に大方の荷物は片付いているので、御影の朝日をしみじみと

眺めたりなんかしているうちに、ぱたぱたと新居の芦屋へ移動。

新居の方では、噂の「街レヴィ」のみなさんと一緒にキッチン掃除要員となる。その

まま、引越し祝い宴会要員となり、お手伝い員全員でわいわい騒ぐ。

今回は、引越しのおもしろさを追体験したのみならず、ワタシにとってのニューフェ

イスな方々と、新しくお友達になれたことがよかった。ひじょーにおもしろい人たち

だし。(ミヤタケ、元気?って、まさかこんなの読んでないよね。とにかく、よろし

くご指導お願いします。コバヤシさーん!有限実行。楽しみにしてますぜ。う

ふっ)。

それにしても、クロネコヤマトの「らくらくパック」が、あんなに楽なものとは知ら

なかった。名前どおりだ。着替えまで持っていていたけれど、着替えるほどに忙しく

なかったし、楽しかったので、ほんとによかった。

 引越しはいい。なにがどういいのかわからないけれど、疲れるはずのことをしてい

るはずなのに、元気になるから不思議だ。

 

2月16日(日)

 使い捨てコンタクトを買いに行く。

使い捨てのものにも、てっきりハードレンズはあるものだと思い込み、店に入ってし

まったのだが、聞けば、そういうものは、生産されていないのだという。(ああ無

知)。

「じゃあ、ソフトのほうで」と言えば、実に話は早いのだが、ワタシの目は、近眼だ

けならともかく、乱視が強く入っているうえ、眼球のカーブがきついといった、非常

にややこしいつくりになっているため、「とりあえず、それで」というわけにも行か

ない。結局、眼科で乱視の影響などが少ないことなどをじわじわ確認してから、何日

分かを購入。

そういえば数年前、コンタクトレンズをつくりなおしたとき、ハードからソフトに変

えようとしたことがある。でも、当時は、眼球自体は大きいわりに瞼が重く、大きく

開かなかったので、レンズを装着うまくできなかったことと、強い乱視が入っている

こととで、やっぱりハードレンズにした。あのときのことを思えば、きょうはすんな

り取り外しができた。瞼が軽くなったんだろうか?それでも、まだ少し、装着の瞬間

に、指が眼に直接触れるかのような感覚が恐ろしく、気持ちも悪い。なんでかなあ。

とはいうものの、使い捨ては便利だねえとも。だって、毎回毎回、規定の液体で洗っ

たり、充電したりしなんぞしなくてすむから。

長時間使用のレンズの場合なら、断然ハードだ。ソフトの手入れなんて、聞いただけ

でややこしくって、ワタシの性格上、使い続けるのは無理なこった。だから、これか

らも、ワタシの主流はハードだろう。のび太みたいに、大人になって近眼でも治らな

い限り。

 

2月15日(土)

 法事。会ったことはあるが、記憶にはほとんどない母方の曾祖母の23回忌に行く。

 

2月14日(金)

 本日はヴァレンタインデーなり。

用事があって梅田に出ると、もう夕方もとっくに過ぎているというのに、近隣のデ

パートはおもしろいほどの賑わいをみせている。この時間になって、両手に抱えきれ

ないほど大量に購入している人がいるのを見て、「きょう渡すものをきょう買うのは

どういうわけだ?」という疑問が湧いた。

『クローン人間ナマシマ』観賞。哲学的なオチであるのはおもしろい。

 

2月13日(木)

 きょうもお誕生日!のことば、そして品々!をもらう。やっぱりうれしい。どうも

ありがとうございます。

 

 

2月12日(水)

 ぼんやりしたままうちに戻る。いつもよりもさらに顔が膨らんでしまった。

薬のせいだろう。胃のせいだろう

 

2月11日(火)

 昨日から胃が痛い。原因は不明。そして雨。

 

2月10日(月)

 それまでも好きだったが、下宿してからというもの、さらに好みが倍増した納豆を

食す。

とくにきょうは、先日知人から送られた「鎌倉から取り寄せた納豆」をもらう。とて

もうまい。すごくうまい。こんなにうまい納豆は初めて食べた。そこいらで売ってい

るのとは、味も、香りも、粒の大きさも、粘りも、食感もすべて違うのである。こん

なのを普段から食べられる関東の人はうらやますぃ〜。

 

2月9日(日)

 昨日の大雨が嘘のように晴れたきょうは、その晴れ間を縫うかのように帰省。昨年

末にできなかった分の用事と、引越しした際の忘れていた残像を整理するためであ

る。

着くなり、鞄を下ろすと、そこには、ワタシのためのくつろぎ用ではなく、掃除用の

服とエプロンが用意されていた。ということで、「きょうは掃除」との指令。従順に

従っているうち、夜が来る。

 

2月8日(土)

Happy birthday to me.

朝起きて、いつの日か言ってみたいことばのひとつを使う。(あと、ほかにどれくら

いそういうことばがあるのかはわからないけれど)。しかし、これは、言ってみたあ

と、案外内向きな言葉だという感想を持つ。

 

その日のうちには、お祝いのメッセージ、声、メール、品々が全国世界各地から届け

られた。みなさま、どうもありがとうございます。ほんとに、ほんとにうれしいで

す。

思い出していただける幸せ、そして、その喜びを声にできる幸運に感謝します。

 

 午後からは稽古に行く。帰り道には、(自分でも未だ訳のわからぬ理屈だが)誕生

日を理由に、一直線に駅に向かわず、道場周辺の知らない芦屋の街をうろうろと歩

く。(あるとき、いきなり歩きたくなる性分であるところまでは本人も理解してい

る)。

歩くうち、ここは、実に穏やかなところであるなあと感じ、あの街を求めて止まない

人が、全国にいくらでもいることもわかる気がした。仕舞いには、ワタシも死ぬまで

に、ぜひ住んでみたいなあとまで…。

気ままな思いにふけりながら、のんびり川を眺めたり、店を横目にしたり、電車を見

たり、建物を覗いたり、空を見上げたり(相変わらず曇っているなあとか思いつつ)

した。こうしている時間は、とても心地よい。生まれたことに感謝した。

そのうち、誕生日について考えた。ご存知の方もいるかもしれないが、ワタシは誰か

の誕生日を聞くのが好きである。それは、なぜなのだろうかについて考えたのであ

る。

 

実を言うと、これまでに、そんなことを一度も考えたことがなかった。尋ねることが

当然のことのように過ごしてきたし、既に小学校の頃から続いているこの行為に対し

て、とくに咎められることもなかったからである。何の違和感も覚えぬまま過ごして

きたのだ。

だから、初めて、なぜなのかを考えた瞬間は、「ああ、そうか」と、幼い頃からの趣

味志向の問題という具合に片付けようとした。しかし、それでは、いささか問題が簡

単すぎるのではないか?何かほかに何か理由があるのではないか、と自分を疑ってみ

る。そうして、これまでの記憶や経験を辿る。

 

誕生日を聞いても、記憶違いがあること、占星術なんかのためだけに聞いたり、覚え

ていたりしているときがあること、また、今ではもう会わない人なのに、忘れない

(忘れられない)人だって、たくさんいることがある。会わない人のことは、ずっと

記憶しっぱなしというよりも、その日が来て、「あ、あの人、あ、この人」というふ

うに感じで、突如蘇ってくるという次第だ。

こりゃまたどういうわけだろう?

経験や記憶を辿れば辿るほど、自分という人間がよくわからなくなってきた。わかる

のは、いま、目の前にいるから覚えている、いないから忘れるというわけではないと

いうことであり、その逆のこと、つまりは、目の前にいても忘れていることがあると

いうことだけだ。

 そして、「覚えている」ことに関して別の発見もあった。それは、覚えているから

といって、なにか特別な贈り物をするわけではまったくないし、プレゼントをするた

めに覚えているわけでもないということである。どっちかといえば、まめなタイプで

はないので、プレゼントは、急に思い立ってするほうだ。至って「ムラ」のある人間

なのだ。それに実際、記憶に応じてプレゼントしていたら、毎日忙しくて身が持たな

いだろうということもわかった。

 

ああ、なぜだ。なぜなんだ。

混乱はさらにさらにと深まるばかり。ぐだぐだと思いをめぐらせるばかり。

 

ここで来て基本に帰る。誕生日とは、いったい何なのか?

 

単純に考えれば、それは誰かが生まれた日である。そして、おそらく誰もが持つ日で

ある。そのような日は、それなりに特別であり、これまでの経験では、多くの場合が

喜ばしい日としても受け止められているようだ。それに気づいた瞬間、はたと、「な

ぜ」の答えが出てきた。

 

そうだ。そうだったのだ。

喜びに溢れる日の瞬間に、誰かに贈り物をしたいのだ。そういう欲求が、「ウッ

キー」(「うっきー」「うっきひ」など)で呼ばれるひとりの人間のなかに、ずっと

ずっとあったのだ。

 

このときの贈り物とは、眼に見える「かたち」あるものだけのことではない。「かた

ち」のないものも含まれる。いや、むしろ、「かたち」のないもののほうが、変化は

しても、壊れないという意味では、多様性を持つものではなかろうか。「かたち」あ

るものは、遅かれ早かれ、いつかは壊れてしまう運命には決定的だ。

 

自分でも知らぬうちに、ワタシは、この「かたち」のないものを贈ることで誰かとの

つながりを感じ、開かれる喜びを享受したいという欲求を持ち続けていたのだろうで

はなかろうか。それを、ずっと身体のどこかに存在させていたのではなかろうか。幼

い頃から誰かの特別な日へのメッセージがそうだとすれば、最初のきっかけが誕生日

を尋ねることであっても不思議はない。

矛盾する言い回しだが、きっと、たぶん、そうなのだろう。

 

理解が間違っていなければ、人間の本質を言葉と財と女の交換であり、それをコミュ

ニケーションとして明晰したのは、レヴィ=ストロースであり、これら交換するもの

を次へ次へと動かすことを「パス」と呼んだのは、自らの師である。

 

誕生日の記憶と、そこへ向けることば。そこから開かれる状況、事態、出来事。

ワタシにとっての「パス」が「おめでとう」なら、それを使える瞬間は、ワタシに

とって、自らが誰かとつながることができる人間としての証だ。誕生日とは、そうい

うことを確認できる大切な日なのかもしれない。

 

2月7日(金)「南大阪だよ、おっかさん」

 大阪に買物に出かける。

今回の目的はスーツ。…ということで、いろんな意味で母が登場。

哀しいかな、いつも時代の流れに沿わない身体と志向と好みをしているので、フォー

マルなものを買うときは、いつもかなりの時間を要する。しかし、今回は、意外にス

ムーズに手に入れることができた。そのため、午後からの残された時間は、南大阪の

街をうろうろしてみることになる。

そのうち、目の前に道具屋筋の入口が現れた。ということは、斜め後ろにゃグランド

花月だ。時間が許せば、それを見るのもよかろうということになり、プログラムを確

認するが、メインのものがちょうど始まったばかり。待つのも面倒、ということであ

えなく断念。

このとき、大阪出身でもないのに、若い頃から、テレビやら花月やらを懸命に見てい

たという事実を持つ母の残念がる姿に驚く。(意外な吉本好きだと初めて知った)。

そのまま、いくつかの盛況しているラーメン屋を通りすごして、づぼらや、くいだお

れ人形、かに道楽に引っかけ橋、グリコのおじさんなどに、いちいち眼をやりなが

ら、ぶらぶらする。

結局、心斎橋から難波、ずるずる本町まで歩いた。さすがに梅田までは電車に乗った

が。

あの夏の日の南大阪(そういうディープな旅に参加したことがある)にいくつか重な

るところがあったので、ワタシは懐かしく思い返していた、小春日和の、25歳最後

の日のことである。

 

2月6日(木)

 買い物のついでに『ギャング・オブ・ニューヨーク』を観る。

感想は、「じつに、製作費のかかった映画だなあ」というもの。

以上、本日の報告。

 

2月5日(水)

 何があったか、あんまり記憶にない。

 

 

2月4日(火)立春

 現実の世界は、まだまだ冬。

ところで、この冬は、まだ一度も「冬」ということばを使ったことがない。それは、

きょう、「ふゆ」という発音が、ここ数ヶ月で初めての感触であることに気づいたか

らだ。

 

2月3日(月)

 節分である。豆まきは、先週末、早々にしていただいたので、今宵は、置き土産と

なった鬼の面を眺める。それにしても、このごろのは、案外可愛い顔をしている。

 

2月2日(日)

 ざくろを食べた。たぶん、生まれて初めてだと思う。でも、「ざくろ」って何?

 

2月1日(土)

 鍋をする。まあ、「旧正月」ということを名目にした宴会である。

今回、お集まりいただいたのは、合気道稽古後のクラブ関係のみなさん。

滞在時間は、2時間半から24時間の人までさまざま。しかし、それだけ、いろいろ

な話題があって、入れ替わり立ち代わりで楽しい。こういうところまで、パタパタド

アのような感じがあるのは、いい。いろいろな笑いからご馳走、豆まき、片付けま

で、お付き合いいただいた皆様に感謝感謝。

よければ、また来てください。看板出しときますんで。

 

1月31日(金)

 大学入試二日目。今週初めの極寒のような気候を思えば、寒さは、いくらかやわら

いだ。

1か月前が大晦日だったなんて。早いねえ、やっぱり1月ってのは。

ほんとにばたばたするだけで済んでしまった感じだ。

 

1月30日(木)

 またもやマチコさんが夕食を作ってくれるというので、さまざまな仕事を済ませた

あと、ごちそうになりに出かける。

きょうは、ほぼ時間通りに到着したため、料理もいよいよ大詰めを迎えているところ

である。メニューは、麻婆豆腐、ご飯、「ふ」を小麦粉で炒めたもの(名称失念した

が、えらくうまかった)、サーモンサラダ。それから、持参のワイン。

急に飲みたくなったので、ワイン片手に出かけたのだが、勢いよく、開いたドアの玄

関先で、片手に酒瓶を持った姿は、奇異に映ったらしい。しかも、「徳利を携えたタ

ヌキ」の姿のようにも見えたらしい。あれまー。まんまやんか!

実に巧妙な表現である。

 

1月29日(水)

入試直前の大学というのは、いささか緊張感が漂っている。ぼんやりと冬の仕事を片

付けている学生とは違う。

そりゃあ、そうだよな。全教職員あげての年間最大行事だものなあなどと、その様子

をいくらか垣間見た者としての率直な感想を抱く。そんなきょうもまた凍るように寒

い。最高気温は1度だそうだ。ここいらでも、毎日雪がちらついている。

 

1月28日(火)

 今宵もまた寒空。歩いているだけで凍りそうだ。

 

1月27日(月)

 どういうわけか知らないが、マチコさんが急に夕食を作ってくれるというので、稽

古の後、ごちそうになりに出かける。

 けれど、早すぎたのか、到着した時間はまだ準備中。先に来ていた留学生のリンさ

んは、せっせと手伝いをしているようだが、こんなときのワタシは、手伝うどころか

客に徹するため、コートを脱ぐなりソファに座り、ニコニコしながら出来上がるのを

待っている。

 そんな様子に気づいた家主のマチコ氏は、「アンタ、何にもしないのね!」のひと

こと。

しかし、途中から手伝っても要領を得ないし、言われたことは事実なので、反論する

ことなく、その声を素直に肯定するだけで、結局やっぱり何にもしない。

そうこうするうち、金沢土産の「さい川」とかいう上品そうなお菓子がテーブルの上

にあるのを見つけたので、ひとり心静かに頂くことで、何かしているふりをする。こ

れがどうしてなかなかうまい。

しばらくすると、食卓にはメニューが並べられる。

メインはシソちりめんの豚カツ。付け合わせのキャベツに、ご飯、オクラの入った味

噌汁、黒豆、大根のうま煮。カツのソースも手作り。デザートは、持参のバームクー

ヘンと紅茶。これら全部、きょう初めて作ったというのだからすごい。料理上手は得

である。

どれもこれもうまかったあ。ほんとにうまかったあ。(「おいしかった」というより

も、「うまかった」というほうが、よりおいしさが倍増する)。

 

食べたいときに、食べたい分だけ作る。これ、一人暮らしの基本。

料理をしてもらうときに、何も手伝わず、ただただ作るところだけをうれしそうに見

る。これ、料理をしてもらうときの基本。それはまた、料理をさらにうまく頂くとき

の、おそらくコツ。

どうも、ごちそうさま。

 

1月26日(日)

 あるところに、期間限定のアトムがいました。

そのアトムが偶然目の前に現れて、握手を求めてきました。

とっさのことで驚きましたが、「ありゃあ、人間が入ってるのさ!」などと、ひねく

れたことを思ったり、「なにさ、こどもだましの人形じゃないか!」などと、筋違い

に癇癪を起こしたり、「なになに、登場する時間が決まってるだって?じゃあ、なに

か?彼は時間労働者なのか?」などと、現実的な疑問も抱いたりすることなしに、

ちゃんと握手しました。しかも握手をしながら、にっこり微笑んでしまいました。と

くに笑おうと意識したわけではないのですが、気がつくと、自然と笑みがこぼれてい

たんですよね。

これには、本人も意外でした。実際、笑いかけるなどとは、夢にも思っていませんか

ら、未だに原因はわかりません。急な登場に驚きながらも、ひとりぼんやりと突っ

立っていたところに、アトムがやって来て、握手の手を差し伸べてくれたので、それ

で微笑んでしまったのでしょうか。

なんであれ、このことは、うれしかったです。例によって、うれしさを強く顔には出

すことはなかったですが、ほんとは、かなりうれしかったです。

周りにいた大人もこどもも、誰もがみんな、喜んでいるように見えました。世代も人

種も性別も超えて、喜んでいる風でした。みんな楽しそうでもありました。そんなふ

うに案じさせてくれるアトムは、偉大だなあと思いました。

カメラがあれば、一緒に納まることもできたみたいですが、持ってなかったので、心

の中に焼き付けて、てくてくと歩いて帰ってきました。

これは、夢でも幻でもなく、ほんとうの話です。

 

1月25日(土)

 いつもより、ゆっくりした土曜日の朝。

朝食を摂り、新聞を読み、洗濯をする。溜まっているごみをまとめ、アイロンをか

け、晴れ間を狙って布団を干す。部屋の埃をはたき、風呂掃除をする。ああ、水遣り

も忘れちゃいけない。それから、ほんのすこし、騙し絵のような模様替えもする。

掃除は中掃除。「中掃除」とは、小掃除が普段の掃除だとすれば、それよりもランク

が上であり、大掃除よりはランクが下のものを意味する。(すべては、いまワタシが

勝手に命名したもの)まあ、掃除の徹底度の水準だと思ってもらえればよいだろう。

年末は、大掃除に至るような年末的気分なれなかったこともあり、中掃除で留まっ

た。こんども中掃除くらいのもので済ますことにする。

あちこちに散らかっていたり、出したままになっていたりする「こまごましたもの」

や「でかでかしたもの」も片付ける。眼に見えないものから見えるものまで。

さまざまにあるそれらのうち、いらないものは捨て、必要のない記憶は消去し、出し

たままのものや必要なものは、元の位置へ戻したり、残したりする。そんな作業をも

くもくと繰り返す。これは意外に時間がかかった。

でも、捨てることは、じつにさっぱりして、気持ちがいい。部屋が片付くし、必要な

ものとそうでないものをはっきりと分けることができるからだ。ワタシにとって、そ

の様子に行き着くことは、晴れ渡る日の海岸で、輝かしい空の青と海の青、そして照

り付ける太陽と浜辺を同時に眺めるのと同じくらい、すがすがしい気分を味わえる瞬

間でもある。だから、いらないものを思い切って、がしがし捨てられるゴミの日は、

開放的で、結構好きだったりする。

 

ひと段落つき、大分気分もさっぱりしたところで、慌てて近くの図書館に行く。だ

が、閉館時間をとっくに過ぎていた。借りた本は、返却ポストに放り込めばそれで問

題ないのだが、今回は「きちんとカウンターに返す本」も借りていたので、その分だ

けはまた、出直しである。あ、めんどうくさいな。

知らぬふりをして、ポストに放り込んで来てもよさそうなものだが、そういうことを

する利用者というのは、案外記憶されてしまうものだ。もちろん、よくない印象−決

まりを守らない人−というものと共に、である。印象がよくない記憶を残すからしな

い、というわけではないが、わざわざ、そういうへんてこりんな記憶を残すのは、双

方の立場を経験上、あまり喜ばしいものではないことを知っているので、とにかく止

める。

また返しに行かねばと思う。そう思いながら、どういう文脈からかはわからないが、

カレーがつくりたくなる。

 

1月24日(金)

 せやねん、どやねん、なんやねん。

なんやゆうても、きょう(アクセントは「きょ」。「う」は上がり調子。また、場合

によっては「う」の発音は「お」に近くなる)は、金曜日やってんなあ。

 うっかり、『千と千尋の神隠し』を観てしもたわ。あー、えらいこっちゃ。

 

 

1月23日(木)

いーち、にーぃ、さんッ! ダー!!!

夕べからすごく激しい風が吹き、朝になってみれば雨まで降っている。

 

1月22日(水)

 水曜日である。申し訳なさ程度に、のほほんとした日である。

 

1月21日(火)

 火曜日である。とても多忙な日である。

 

1月20日(月)

貴乃花が引退した。

夕刊の一面には、でかでかとその記事が載っている。これまで、相撲以外にも何かと話題を提供してくれた人であるだけに、残念である。

そんな彼は30歳だったらしい。そのことが、とても不思議な気がする。もっと年を食っているような、そうでないような印象があったからだ。15年も相撲をとっていて30歳。始まりが早い分、去るのも早いということだろうか。

若貴全盛期の、そして曙も元気だったころの場所中(かれこれ10年くらい前になるかしらん)は、学校が引けるなり一目散にうちに帰り、張り付くようにしてテレビを見ていたもんだ。当時は相撲に活気があったし、若乃花の様子も貴乃花の様子も健全っ!ぽかったからなあ。いまではもう辞めてしまったいろんな個性的な力士がいて、それがまた、おもしろかったし。

さて、このたび、引退する貴乃花に日本相撲協会から贈られるのは、一代年寄「貴乃花」と特別功労金の1億3千万円である。(ほらやっぱり「年寄」くさいじゃないの。…と言うのは冗談で)横綱がいなくなれば、これで、ますます相撲離れが激しくなるのだろうか。

 

日本のプロ野球に続いて大相撲。

かつて、日本の成長と共に歩んできたこれらの競技(…でいいのかしら?)が、次々に衰退していくように感じられる。それらはいったいどこへ行くのだろう。この先どうなるのだろう。

結局、「玉子焼き」だけが残るのだろうか?

それもなんだかすこし残念である。

 

1月19日(日)

 何かがベタっとへばりつくように、ずっと頭が痛い。(もちろんこんなことを書いているいまは、それも多少やわらいだからである)。

 昨夜はその痛みで、何度も眼が覚めた。薬を飲んでもすぐに効くはずもなく、痛みは止むどころか確実なものとして受け取られるばかりである。それでも眠くはあったので、目を閉じるが、痛さでうまく眠れない。いい加減、眠りを妨げられてくると、どうにかしてこの頭を割ってやろうかとまで思ったくらいである。それほど強く感じる痛みだった。

小学生の頃から頭痛持ちではあったが、どういうわけか、ここ数年は調子がよくなり、そのことすら忘れるくらいの日々を過ごしている。だから、最近では、急な痛みに耐えかねることがある。久しぶりなものは、新鮮である反面、同時に重く感じるものだ。

しかし、頭の痛さなどは、久しぶりだろうが何だろうが関係ない。まったくもって、うれしいものではないだけの話である。頻度のほどは関係なく、ただ痛みさえ消えてくれれば、それでいいのである。

ああ、かつての偏頭痛がまた蘇ってきたのだろうか。

それは困る。大いに困る。それだけで生きることが辛くなる。生きていけなくなる。

何を大袈裟なことを、と言われるかもしれない。しかし、想像してもらえばわかるだろうが、頭が痛いと何にもできなくなる。「頭が痛い」状態を除いて何にもできないということは、つまり、時間が時間として成立しないのである。これは、比喩でもなんでもなく、現実的な意味のことだ。ほんとうに何もできなくなるのである。

それはいやだ。いやだねえ。

 

1月18日(土)

 朝から近所がえらく賑わっている。なにかなあと思い窓を開ける。

♪窓を開ければ〜〜〜、港は見えないが大学が見えるぅ〜。

いや、たしかに大学は見える。きょうはセンター入試の日である。しかし、試験開始時間はとっくに過ぎているため、受験生の姿はない。賑わう様子の原因は、道路沿いに所狭しと並べられた屋台やら店に来た人たちである。

そう、きょうは、門戸厄神の厄神祭なのだ。

門戸厄神駅に行き着くまでの道路はもちろん、駅のホームには、これでもか!というくらいの人、人、人で溢れかえっている。

ああ、こんなに有名だったんだ、門戸厄神。いままでまったく知らなかったよ。

 

 あれは、19になる年の1月頃だったろうか、いや2月だったかもしれない。「厄年」だと聞いて門戸厄神に行ったことがある。と言っても、特別ななお払いをしてもらったわけでも、何かを買って帰ったわけでもない。ただ、お参りしてきたことがある。

 その年のワタシは、それまでの経験にはない災難に見舞われた。

4月の自動車接触事故に始まり、盗難、胃痙攣と続き、突発的に中耳炎一歩手前の状態にまで、耳を悪くし、休みの日は、通院と静養に費やされた。(「耳を悪くした」というのは神経からだろうと判断される。それまでに、耳など一度も悪くしたことがなかったし、風邪を引いていたわけでも、耳に水が入ったわけでもなかった。とにかく外的要因は何もなかった)。

しかも、奇妙なことに、これらのどれもが偶数月のゾロ目の日に起きた。

だから、恐ろしく悲惨なその年の師走のゾロ目の頃にはもう、最新の注意を払って過ごしたものである。大袈裟な言い方だが、ほんとうに、その月を無事に過ごせるかどうかだけに、全神経を集中させていたのだ。あれで19の厄なら、次のときは、果たして無事に生き延びられるのだろうか、とまで思い悩みもしたものである。

しかし、あとから落ち着いて考えると、たぶん、あそこで「厄」を払うどころか、拾って来てしまったらしいという気がした。初詣に出かけたのなら、まだ問題はなかったかもしれないとも思った。

そういうわけで、あれ以来、厄神祭の屋台でたこ焼きを食べることはあっても、門戸厄神の敷地内には、一歩も寄り付いていないのである。

 

1月17日(金)

 あの日の前夜、ぼんやりと月を眺めていた。

 朧月夜というような感じの夜でもなさそうなのに、いやに月がぼんやりとしていて、さらに遠くに感じられた。月の曇り方がいつもより暗かった。変な月だった。

 あの日の朝、午前5時頃、しなければならないことがあって、ゆるゆると眼を覚ましかけていた。身体を起きる体制へと準備し始めていた。

当時は、成人の日が1月15日であり、それが日曜日だったので、16日が振替休日になっていた。17日はその連休明けの火曜日だった。週末はセンター入試だった。

あの時間、ものすごい揺れがあり、はっきりと眼が覚めた。何かが起きたことは直感的にわかった。でも、いったい何が起きたのか、それはわからなかった。

 

8年前は、震源地となった神戸や西宮、淡路からはすこし離れた県内に住んでいたので、被害の大きさはテレビやラジオで繰り返される情報でしかわからず、繰り返される映像を横目にしながら学校に行った。しかし、もちろん、すぐに帰された、揺れはまだ感じられもした。その頃には、何が起きているのか、ようやくわかってきた。

8年後にいまは、あのとき、想像すらしなかった自身の変化にもまた驚く。同時に、あの日のことを振り返る。震災の被害はまだ完全に元には戻っていない。「完全に」戻すことは不可能なこともあるかもしれないけれど、それに近い状態にはできるかもしれない。できないかもしれない。

 年月は、人も環境も事実もすべてを変化させる。それは、いい意味でも悪い意味でも。

いま、ワタシは、あの西宮にいる。

 

1月16日(木)

 うってかわって、昨日までとは、違う冷え込みを感じる朝。

昨日の昼頃には、雪が舞い散っていたから、きょうはその延長だろうか。

寒さの感触は外に出てわざわざ確かめるまでもない。窓を開けて風を通すだけで充分である。いつもより厳しい寒さが感じられたので、ダウンのジャケットを引っ張り出す。

色が白(クリーム色)なので、それを着ると、まるで雪ダルマが歩いているように見えるのだが、寒さには敵わない。

結局、「防寒」の意味では、その格好は正解。しかし、動作が緩慢になるため、着ている間中、物事を「傍観」の一手で引き受けてしまうことにもなりかねない。

 

1月15日(水)「成人の日」だった日

 夕べから、それなりに身を入れて勉強し、朝からも少しドキドキしながら、ひーこらと、高くも低くもない山を登って辿り着いた学校。その先の掲示板には、どういうわけか、休講掲示が出ている。あるはずのテストがいきなりレポートに摩り替わっているのだ。

えーっ!こんなのってアリ!?と思いながら、すでに手は、レポートの課題について、メモをとる。(ドキドキの理由は、論文の提出日だったからなんだけど←なんでワタシが!?)「きっと、あの先生は問題作成されるのがいやだったんだろうよ」などと、結論とも言えぬ安直な結論を導き出しながら。

 

1月14日(火)

 遅くまで学校に残っていると、だんだんと誰もいない静かな学校になってくる。

もっとも、部屋に篭っているので、間近にその様子を見て取るわけではないので、「そうなっている」場所をあとから見るのが大半だが。

気づくと、廊下も階段も電気が消されている。この学校特有の校舎のつくりのせいもあるだろうが、ほんとうに段階的に暗くなるのは、ゆっくりと怪談が似合いそうな雰囲気を漂わせる。(怖い話は好きではない)。

明日は修論提出日なので、もう少し誰かに会うかと思ったが、誰にも会わない。ただひとり、印刷をしに来たひとを除いては。

 

1月13日(祝)成人の日

 成人の日でおやすみ。はやく「大人」になりたいよ。

 

1月12日(日)

時間を記憶し間違えていたせいで、うっかり『ラジオ深夜便』のトークを聴き逃してしまう。朝からずっとたのしみにしていたのにとても残念でならない。複合的に細かな理由も手伝っているし。(わあああああああーん)。

どういう話がなされたのか、今ではもう知る由もないが、そうなるとますます聴きたくなるのが人間の性でありまして…。ああ、誰か録音したひと、いないかなあ。おられましたら貸してください。

テレビのほうでは、『武蔵』を見逃してしまう。

これはまあ、来週に再放送があるようだからなんとかなるというものの、きょうはどうも「NHK運」が悪い。

 

このところの急なぶっ続け的な時間の過ごし方のせいだろうか。それで集中力が落ちているのだろうか。いやいや、別のことに集中しすぎていて周りがよく見えないこともある。

とにかく、よくないよくない。

頭の中がこんがらがってしまわないうちに、なんとか整理せねば。

 

1月11日(土)鏡開き

 年末年始の日程調整のためか、きょうに変更になった大量の「資源ごみ」を出すところから朝が始まる。昨日のうちに転送されてきた大量の年賀状の返信を、慌ててポストに投函するところからもまた。(遅くなった方々スミマセン)。

そして、朝から昼過ぎまで、ほぼぶっ続けで補講。ただでさえ分厚い瞼が余計か重い。

終えると学校でいくらかの用事を慌てて済ませ、慌ててうちへ戻り、また慌ててうちを出る。ようやくお善哉とお屠蘇のところに辿り着いたのは、暮れかかった頃であった。

しかし、この日は、武道における大事な儀式のある日なので、休むわけには行かないのである。(それだけに、昨年は這うような様子で顔を出した)。

会場である御影へと参ると、すでに楽しそうな顔、顔、顔。新しい面々もまた面白い。

瞬時に初めからその場にいたかのように溶け込み(いったい、どういう本能だろう!)、大笑いして、おいしいものを頂き、楽しく愉快にしゃべる。

帰りには、乗せていただいた車の窓から真っ暗な外を眺めているうち、ひょっこり、この一年のいろんなことを思い出していた。「おおうっ、なんだか新年って感じじゃん」などと思いつつ、夙川駅周辺を(なぜだか)なつかしいなあと感じつつ…。

 

1月10日(金)

 朝から眠い。なんとなく眠い。

どういう了見かは知らないが、やっぱり規則正しい生活を始めると、自ずと睡眠時間が少なくなるようである。午後5時ごろになると、もう全身ふにゃふにゃ。

 

1月9日(木)稽古始め

 身体は痛くないが遠い。ことしは身体が感じられるようになりたい。

身体の内側から考え、身体の内側から感じて生きること。何事においてもそれが大切だ。

(たまたま関係最近読んだ本にもそうある。武道に関連したものではないけど)。

 

1月8日(水)

 「さあ今日もがんばろう」といったひきしまった気持ちで朝が始まる。

 

1月7日(火)

 年末年始冬休みも終わり、きょうからまた学校が始まった。

 しかし、これほどまでに意識が明瞭な休み明けというのも珍しい。もしかしたら人生で初めてくらいのことかもしれない。思えば小学生のときから、正月休みというのは疑いようもなく「正月時間」で過ごすものと決まっていて、明けてからあとの始業式なんて、朝早くに起きるのが、もう辛くて辛くてたまらなかったからなあ。

 

聞いた話だが、人間は2週間同じペースで生活を続けるとそれが自分の生活リズムになるらしい。そのリズムを利用してコンディションを整えるのはスポーツ選手である。(すべての人がそうなのかどうかは知らないが)。走り込んだり、早起きの習慣をつけたりするにはこういう方法をとるようである。

このような作用は、スポーツ選手に限らずとも経験することがある。長期間で海外過ごしてきた日本の人が、日本に帰ってきたとき、すぐには身体が日本時間に対応しないことがそれだ。時差のあるところから戻って来たのだから当然と言えば当然のことであるが、理屈としては、2週間以上にわたり習慣づけられてきたリズムを覚えこんだ身体が、すぐさま日本時間になじまないから、夜中に起きたり朝に眠くなったりするのである。日本時間に完全に戻すには、これまた2週間という時間が必要とされる。

しかし、これは日本にいながらにしてもよくあることだ。たとえば、「いつも正午前に起きて夜中の3時に寝る」などということが習慣づいている人にとっては、それを2週間以上続けると身体がそのリズムを覚えてしまい、肌にも健康にもよくないことになる。

 

さて、話を戻して…

とにかく、正月に限らず、休み明けの日は、時間ぎりぎりに跳ね上がるように布団を抜け出し、朝食もそこそこ、普段よりもさらにボーっとしながら通学路をかけ、眠い眼をこすりながら大欠伸で始業式に出るのが常であった。おそらく髪なんかも跳ねていたんだろうねえ。眠いのをこらえてやって来たところで、大しておもしろくもない始業式に出て、年末に大掃除をしたはずの、その後は誰も使ってないはずの教室をまたもや掃除なんかさせられてからしか、うちに帰してもらえないのは、じつに不愉快だったなあ。

あの頃を思えば、初日からちゃんと正しく講義がある大学というところはとてもよい。大義名分がはっきりしている。それに掃除もしなくていいし(掃除の方々に感謝!)、なにより、欠伸をするのを忘れるくらいおもしろい話しからは程遠い、つまらぬ校長先生の話がないのがよい。

 

1月6日(月)

 きのうあった寒波を思うと、きょうはどことなく暖かな日差しがある。

 なんとなく春を思わせる心地よい日の光が舞い込む。

 明日から学校が始まる。予定の半分しかことが進んでいない!

 

 

1月5日(日)

 『新春特別公演 舞初メ、謡初メ、笑初メ。』を観に行く。

場所は、神戸オリエンタル劇場。出演は、茂山千乃丞、茂山あきら、茂山千三郎、茂山正邦、茂山宗彦、茂山茂、茂山逸平。

観劇理由は、…当方兼ねてからご贔屓の茂山逸平くん「も」出ていたから。

いやいや、しかし、それだけだと単なるミーハーである。

それも何なので、きょうも誤解なきよう申しておけば、「本来なら狂言師であり、その舞台を主とするひとびとがが、滅多に出ることのない現代劇に出ていること…」というのはこの前の言い訳でしたねえ。えーっと、今回は間違いようのない狂言なのでして、ま、新春なので観に行った、それだけのことであ〜る。

 

前半は「室町歌謡組曲」。

どうものかはよく知らないが、いろんな歌謡集を狂言の節をつけたものらしい。中堅どころの方々の重さがいまひとつと感じられず(あきら、千三郎、正邦のお三方で、舞ってはおられたが、てんでばらばら。調子を合わせているのか、ずらしているのか、それがどちらなのか素人目には検討もつかない)。もうひとつ張りがなく、落ち着きが悪い。

そのうち、千乃丞さんが正月の挨拶を交えて、客席と一緒に歌うコーナーになる。

まずは最初に客席の笑いを取るところから始めるのだが、それがいまいち。おせじにも笑おうという気にはなれないワタシは、寒波で寒くなった外の様子よりもさらに寒くなった。比べるものでもないが、やはり千作氏とは違うなあと感じるところである。そして、おもしろくもない歌が眠けを誘い、中盤でこっくりと舟をこぐ。

休憩をはさんで後半は狂言。「萩大名」と「止動方角」。

お正月なのに「萩」の話(「萩大名」)と、未年になったのに「うま」の話(「止動方角」)であった。(トーク@茂)それなりに笑えるおもしろいものであったことはよかった。

後者の狂言では、逸平くんが太郎冠者の役で出ていた。

夜の部は、「うま」の役らしかったが、それも大事な役だろうが、あれでは、まったく誰だかわからないので昼の部でよかったなあと思う。

 

そうそう、それから、例の宗彦くんだが、きょうは丸刈りに近いくらい髪が短くなっていた。半月ほど前までは長かったのに。

もしかして聞こえたのかしら?この前の文句ぅ〜。だったら、ごめんねぇ〜。

 

2003年1月1日(水)−1月4日(土)

 あけましておめでとうございます。

旧年中はたいへんお世話になり、ありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

さて、年末からの「帰省中」(といっても、それは虫ではない)には、生まれてこのかた、だらけることしか知らなかったり、動作が緩慢に見えたりする動物(アザラシ、シロクマなど)のようにだらだらし、全身の脱力感のうちに過ごす。たとえばそれは、暮れに見たペンギンのように、ボーっと一点を凝視しているうちに時間が経つようなものであり、間違ってもハイエナのように、何があっても落ち着きなく歩き周っているわけではない。

 

4日の昼過ぎには、赤穂の大石神社に初詣に出かける。あの大石蔵之助所縁のところだけに、付近には忠臣蔵300年を知らせるのぼりがたくさん立てられている。

それが風になびくのを見ながら、えらく寒いときに討ち入りしたもんだなあとか、江戸まで遠かったんだろうなあなどと思う。

「ここには、たしか去年も訪れたはずなのだが…」といった非常に曖昧な記憶を呼び起こしつつ、ひとりふらふらとおみくじを引く。(おみくじ好きであるため、どこででもうれしそうに引く性分である)。

でたのは、なんと「18番の大吉」。

大吉なんて、じつに8年ぶりのことなので喜ぶ。(どこで引いたかは忘れた)。

「18番」という数字も、どことなく縁起がよい。

「こりゃあ、ことしはいい年かもしれないなあ」などと思いつつ、にこにこしながら神社をあとにする。

張り切って行こう2003年。笑う門には福来る。

 

(♪ピンポンパンポーン。数日前まで、「年始」を感じないなどと言っておいて、年が明けた途端にこうなんだから、現金なヤツだなあなどと思わないでください。こういうヤツなんです。念のためのおしらせでした。ピンポンパンポーン♪)

 

 

 

ウッキーの浮き憂き日録2002年版