ウッキーの浮き憂き日録 2003年版
12月31日(水)
大晦日の昼も大分過ぎた頃、帰省のため、阪急電車に乗る。
「いまから帰るよ」と連絡を入れるのもなんだか億劫で、電話したのは、うちを出てから30分ほど過ぎた頃だった。
携帯電話を手に持ちながら、(便利になったものだ)と思う。
そして、年末年始を過ごすための数日分の荷物と、哀愁漂う昭和初期の青年のようないくらかの「帰省みやげ」を抱えながら、親元に電話をかける。
西に向かうJRの車中は当然のようにがらがらで、4人座席に荷物を広げて置いても、誰も困らないほどだった。「おひとりさま、ひと座席」指定でもなされているかのようだ。
静かに本のページをめくる。
ワタシにとっては、おそらく久しぶりの空間のはずなのだが、しんみり昔を思い出すことがない。それは、家から大学まで、懇々と通い詰めていた車中のことも、さらには大学のことも、記憶に遠いからである。
あの頃、通学をしていた頃、平日の朝も夜も遅ければ、当然のように電車は込んでいた。
空いていた電車に乗った記憶はほとんどなく、大学時代も生活も、いまほど明るいものじゃなかった。何かにつけて斜交いにモノを言うわけでも、斜に構えているわけでも、勉強がいやでも、いじめられているわけでもなかった。学問をすること自体は刺激的だったが、どこか前に進めなかった。あらゆることばが話せずにいた。その意味でワタシは、何かしらの病に犯されていたのかもしれない。「ただただ、大学という空間になじんでいなかった」、それの理由でだけで片付くことではないだろう。ぱっとした記憶がない。記憶がないというより、そこだけ記憶が飛んでいることがある。
もしかしたら、本人も気づかないほどに、あんまりいい思い出がないからかもしれないが、たとえいい思い出や記憶、友人もあったとしても、わりと前のことは忘れている。出来事や事実や状況については、それぞれ細かく覚えていることはあるが、時代として括った場合、ざっくりと今では「過去」と呼ばれるものを忘れてしまえる性分である。案外それは、「捨てる」ことに近いだろう。「捨てる」のは快感だ。
「捨てる」ことに、別にとやかく思わないのである。それで誰かと縁を切るわけでもないし、心の片隅にはとどめている人はいまでもいる。これはもう、精神的な関わり方の問題であり、飛躍すれば、記憶との関わり方のあるいは人間関係のあり方の趣味嗜好の問題なのだと思う。まあ、そういうことにしておきたい。だからこそ、数年後にひょんなことでご縁が繋がっていたことを確信することがしばしばである。年賀状なんかはそのよき例だと思う。年賀状は好きだ。
閑話休題。
電車に乗ったワタシは、そのまま小雨の降るなか、実家の最寄駅に降り立つ。(もちろん屋根があるので濡れはしないが)。
駅を大改装しているとの話は聞いていたが、かなり概観が変わっていた。
「ウラシマ」とまではいかないけれど、完全にワタシが知る駅でなかった。それもまた、もう違う場所になっていた。
決して戻りたいわけではないが、入口が一階から二階からに変更し、コンクリートの新しい匂いばかりがする場所に、親切に表示された東西南北への行き先が示されてあると、つい違った再確認をしてしまう。この駅で合ってるんだろうか?と。
夜は、「レコード大賞」と「紅白歌合戦」を見た。この日だけで「ひととよう」の「もらい泣き」を3回聞いた。変わった歌詞だなあと思った。歌そのものも、声も、まあまあいいけれど、「次はどうするんだろう」と、次回に不安を抱かせる歌手だった。格闘技はどれも見なかった。痛いのは、見るのも嫌いである。
幼い頃は、ここに確実に「ドラえもん」が加わっていたのだから、我ながらたいしたものだと振り返る。いったいどうやって、いくつもの番組のそれぞれの網目を縫うようにして、同時並行的に視聴していたのだろう。今みたいにいくつもの番組をいっぺんに見られないときに。不思議に思った。
振り返りついでに、今回は、久しぶりに見たい番組のひとつに加えようかと思ったが、「ドラえもん」について、ここ数年の内容がつまらなさは、未だ継続しているようだったので止めた。(だいたい作者である藤子・F・不二夫の死後、ドラえもんの顔がまるで違う。原作者とは得てしてそういうものだ、と言われても、ワタシは我慢できない。こどものわがままと言われても)。
このような儀式的とも言える年末恒例の番組を見ることによって、ワタシは家族時間に移行していく。これをしないと同調できないのかもしれない。ということは見なければ、ひとりで年越しも可能ということか。
いやはや、2003年が暮れる。
12月30日(火)
ことしは、想像もつかないほどの、たくさんの新しいことがありました。
ひととの出会いを始め、場所、もの、出来事、情況、事態、感覚、感触、感情、ことば・・・。
挙げ出したら、きりがありません。
触れ合うことの多くが、身体をいろいろとよくしてくれているように感じます。
これからも、身体と正しく付き合う方法を見つけていきたいと思います。
今年一年、お世話になりましたみなさま、ありがとうございます。
どうぞ、よいお年をお迎えください。
12月29日(月)
大小合わせて、ことし最後の忘年会が無事に終了した。
これでもいくつかは参加を見送ったり、機会を改めたりしたのだが、記されたカレンダーによれば、結果的に七つの忘年会に参加していたみたいだ。
いやはやなんとも。
こりゃあ、胃も落ち着かないわけだ。
「結婚」については、ひとこと物申したい気分である。
12月28日(日)
合気道部の先輩、澤奈緒さんの御父上の通夜に参列した。
「先輩」といっても、ワタシは合気道を始めたのが大学の終わりごろなので、澤さんの年は、いくつか下になる。(この学年の人たちは、ワタシのすぐ上の先輩に当たる)。
訃報の知らせを受け、その夕方には、内田先生と江口さんと一緒に、先生の車で会場に向かった。
通夜を終えた澤さんと、交わすことばがうまく見つからなかった。
理由は、同世代の親御さんを見送るという経験がないということだけにとどまらない。
御父上は享年57歳。天上のご冥福をお祈りいたします。
12月27日(土)
ざざざっと掃除して、忘年会をする。
思い切った「年末大掃除」をしている暇がないので、それは、「年度末掃除」に切り替えて、最低限のものを捨てる。
12月26日(金)
じつは仕事納め。御用納めの今日である。
12月25日(木)
身体がだるいと思っても、うがいをしても、依然として喉は、快方に向かわない。
薬を飲んだら眠たくなるばかりで、まるで作業がはかどらない。
それでも、朝から、納会に出す一品料理だけはなんとかつくる。
求めていた葉付大根が思ったとおり手に入った幸運により、ざっと30分ほどで出来上がる。(作品名「ご飯がすすむ大根の葉」)
午後からは講義の補講。
担当講師が出張してくださるはずの時間に、まだ辿り着かない。
もちろんのように開始予定時間の午後1時前には、「30分遅れます」との連絡が入っている。が、その時間を過ぎてもまだ、誰も来る様子がないのである。
どうどうの午後2時前に講師到着。
何を言っても、時間は戻ってこないので、詳しく理由を聞くよりも先に、静かに補講開始。延々と休憩なしに5時半まで。
理解の難しい本を読んでいたので、かなりいろいろと考えた。「頭が悪い」のは、「存在」していること自体悪だと、また思う。生きていたい。賢くなりたい。ああ、この一生かかっても。
補講が終わるや否や、慌てて芦屋へ行って、合気道の稽古納め。
喉の痛みのせいか、全身だるっとしている。
受けさせていただける身体に感謝して、きょうはイレギュラーに1時間半の稽古がすむ。
納会では、昼に作った一品を披露。
今宵のコンセプトは「クリスマス」。誰かとのダブりを回避された参加者の敬遠策が裏目に出たのか、見事に「肉もの」「ケーキ類」の並ばないテーブル。
ひとつくらい、甘いケーキを食べたいと、わがまま言うのは、やっぱりうっきー。
(寒いなか、ありがとうございました!)
愉快な夜はとても長い。長い夜には、語ることの苦しみ、聴くことの楽しみ、自身の省みもまた、ともにやってくる。
12月24日(水)イヴには誰も胃内科。
クリスマスイヴに内科に行った。
扁桃腺だった。
幼い頃から喉が弱い。身体が悪くなると、すぐに喉を痛める。わりと弱い。わりと痛い。
12月23日(火)
こんな夢を見た。
ワタシは、どこか見覚えのある駅のプラットホームで電車を待っている。
時間はいつ頃なのか、詳しいことはわからないが、まだ日は高く、明るい感じだ。
ワタシは、どこかに向かう電車を待つための列をつくろうと、向かいのホームの下側に記された「ドアの開く位置」を示す標識のある場所まで歩いている。
列には誰もいない。そのため、一番前に並ぶ。
立ち止まった瞬間、ワタシの眼には、一心不乱にウォータークーラーの水を飲んでいる人物の姿が眼に映る。それが誰なのか、夢の中のワタシには、はっきりとはわからない。わからないのが、「知っている誰か」だということだけは認識している。(これは夢特有の感じ方であるだろうか)。
名前もまた、よく思い出せない。だが、顔は見たことのあるワタシの友人であり、それは、女性である。それはきちんとわかっている。
知らぬふりをするのも何だから、声でもかけようかと迷っている夢の中でワタシは迷っている。しかし、相手は、まだ水をがぶがぶ飲んでいる様子だ。声をかけようか、どうしようかと思案しているうち、一瞬、ワタシはうつむいた。
顔をあげると、水を飲んでいたはずの見覚えのある友人の姿が見えず、その人は、いつの間にか、向こう側にある反対車線のプラットホームに来る車両のなかに座っている。
しかし、ワタシはそれすらもまた、不思議とは思わない。何の驚きもない。
水飲み場には、その友人が置き忘れて行ったイヤホンが置いてあるのが見えた。ワタシは、何の気なく水のみ場に近づき、残されていたイヤホンを耳にはめてみた。すると、いま、その友人が聞いている音が聞こえてくる。
何かの音楽だ。ことばのようにも聞こえる。
夢はここでぷっつりと終わる。
なんという夢だろう。
12月22日(月)冬至
年末ぎりぎりの、この月曜日まで開講されている、至って真面目な大学カリキュラムに従い、今日も大学へと出かける。
この大学では、後期の「月曜日」のコマ数が少ないからという理由で、本日まで授業が行われる。(そういや「体育の日」も振替平日となって、開講されていた)。
風がうなるほど吹く寒さの上に、時間が経つに連れ、学内に学生らしき人はまばらになってくる。どことなく活気がなくなっている。それが余計に寒くさせる。
12月21日(日)
先週診察に行ったら、身体がほんとうに歪んでしまうほど胃の具合が悪くなっているらしく、昨日今日は、三宅先生に言われたとおり、「りんご」ばかりを食べている。
おなかが空いたら、りんごをむき、喉が渇けば、りんごをすり、お茶やら紅茶以外は、何も飲まず食わずである。
せっかくなので、久しぶりに体重を量ってみると、おお、なんと、痩せているではないか!
ダイエットをした経験は、ことしの6月頃に一度しかないので、その効用に驚いてしまう。世に言う「りんごダイエット」というのが、ここまで成果をあげるものとは、まったく知らなかった。
三宅先生から、「週末の二日間で大丈夫、元に戻る」とおっしゃっていただいたとおり、胃は静かな様子を取り戻しつつあるようだ。そして、今宵、ようやく「りんご」から解放される。(おいしかったからいいけど)。
しかし、知人から、りんごが山のように送られてきたあと、ちゃんとそれらを「食べるためのことば」も一緒に送られてくるのだから、なんとも不思議なものである。
12月20日(土)
全国的に雪が降り、急に寒くなった。
寒さを凌ぐダウンコートが、ちょうどよい気候だった。
モリカワさんが20歳になった。
12月19日(金)
風が唸っている。
大学にいると、窓ガラスがガタピシ言う。
建物が古いので、自然の音がはっきりと聴こえる。耳を澄ませば、もう冬が眼の前だ。
夜、FMラジオをつけると、どこかで聞いたことのある声がしている。
また耳を澄ませば、それはキムタクの声だ。
彼がラジオ番組を持っていることなど、まったく知らなかったが、さほど聞きにくい音声ではなかった。
もしかしたら、声の方がいいのかもしれないなあ、顔を見るよりも。
演技をしているときも別に問題ないのだけれど、と、そんなことを思う。
さらに、もしかしたら、この人は、止まっている状態じゃなくて、動いている状態のほうが、いい感じに見えたり、聴こえたりするのかもしれない。時々見る雑誌なんかの表情はあまり好きではないな。と、そんなことを考える。
でも、ラジオから聞こえる話はつまらない。
だって、「携帯電話は電話するためのものだ」っていうのを、公共の電波を借りて叫んでいるだけなんだから。そんなこと、とっくの前からわかっているよ。今更言わなくたっていいさ。何もいまさら。メールがあったっていいじゃない。写真が取れてもおもしろいじゃない。
…と言いつつ、先日、機種交換した際、「写真撮らないからカメラ付じゃなくていいです」と店員に告げワタシは、「カメラ付じゃない携帯電話」を探していた。尋ねた店員によれば、いまでは、「老人用」に作られている携帯しかないという。ドコモの場合。(標準タイプよりも、文字が大きくなっているのが売りだとかいうことらしい)。「ふーん、そうなのですか」と、かなりの近眼なのもあって、いっそのこと、それにしようとしたら、さすがに、店員に、「いや、若い方は…」と、止められてしまった。
12月18日(木)
足捌きって、難しい。
12月17日(水)
礼拝に出る。いわゆるチャプレンや講演者の話を聴くのではなく、出演する側として礼拝に出る。
毎年、アドベントの頃には一度は礼拝に出ている。かれこれ3、4年になるだろうか。
その間、いろいろな方が、この時期に急遽結成されるその名も「総文音楽隊」に参加された。恒例行事のように続けさせていただけるのは、まことにもってありがたいことだ。慌しさのなかに、ほんのひととき、クリスマスを感じることができる。メンバーの一員として合奏するワタシの担当は、今年もまたアルトリコーダー。
毎年、同じ時期に同じことをすると、どんなに忙しくても、日付を忘れていても、立場が変わっても、「ああ、ことしもこの季節が来たなあ」と思い出す。だから、同じ時期に同じことをするのは、好きである。
12月16日(火)
大学院のゼミで発表する。テーマは「テレビ」。
なかなかうまくいかないものだ。
プレッシャーがプレッシャーを生んで、うまくいかない。
それだけならまだしも、自分のなかでも、うまくまとまらない。まとまるばかりがよきことでもないが、とりあえずの着地点が見つからず、「ざわっ」とした感触を残したまま、発表を終えるのが精一杯だった。
よくないなあ、まずはここで、辛くなる。
その後は忘年会に行って、いろいろ飲む。ご近所に座った方々と話をしたり、聴いたり、反省したり、刺激を受けたり、考えたり。
年齢も性別も職業も趣味も考えも思考も立場も何もかも違うと、どんな小さな出来事でも学ぶ場になる。教室に入って、最初に交わす挨拶ひとつからしても、相手によって、タイミングや仕草がいろいろで、ほんとうに刺激的なのだ、ワタシは。
交流の場が「宴会」と題される時間と場所に移されると、たちまち貴重な出来事の放出度は高くなる。
しかし、今宵は、考えすぎた。またすこし辛くなった。
すぐに反応できないかもしれないが、反応していないのではない。身体は精一杯、ことばの意味を汲み取ろうとしている。
12月15日(月)理想は「先生」のように。
5限にあった「杖道」の授業を担当する。
それは、机の並んだ教室で、「学生」が椅子に座って、「先生」が教壇に立ち、板書し、説明を加え、解説するというような、いわゆる講義形式の授業ではない。かといって演習形式でもない。言うなれば、体育館で行う「身体形式」の講義である。
「杖道」というのは、武道の一つである。
太刀と杖とを使って行う形稽古であり、杖にも太刀にも、基本となる動きと形がいくつかある。この講義では、全剣連によって定められた制定形の12本のうち、いくつかを覚えて稽古する。
稽古を目的はさまざまにある。
まずは線を意識し、相手のとの間合いを計ること、力点の多くはそこに求められているように思う。早く切ったり、がんがん打ち込んで相手を倒したりすることが目的でない。
なぜなら、相手をやっつけてしまうと、出来事は「そこ」でストップしてしまうからだ。
それに、「はい、切られちゃったね、終わりっ。ちゃんちゃん」では、なんとも味気ない。
元来、形稽古はそんなことをするためにあるのではない。形稽古は、形をなぞるためにある。形を確実になぞること。それは簡単でいて、もっとも難しいものである。
武道などしたことのない人にもまた応用できるものとして、この講義がある。
つまり、講義は、経験者を優遇するためにあるのではなく、如何にこの形が、日常のなかに、活かし、活かせれるか、そのためにある。突き詰めれば、そういうことだと思う。
「合気杖」と呼ばれる合気道の中にある杖の稽古法にも取り組んでいる。(このうち、「組杖」といわれるものは、多田先生が作られたものである)。
前者が「形の杖」であれば、後者は「柔らかい杖」である。
とまあ、これらをいろいろ云々考えながら、指導する立場となったわけだ。今日は。
杖を使って基本的な動きをしてから、内張、全剣連の1本目(着杖)と2本目(水月)を行う。仕打ち交代して同じ形をする。
学生のみなさんと一緒に稽古しながら、何度も見回りながら、見せながら、確認しながら、形稽古を行う。形の手順さえ覚えてしまったならば、しばらくは、なんとかなりそうなものだが、まずは、この手順を覚えることが難しい。
次に手順を覚えても、注意点が無限に出てくる。つまり、より「形」に近いものを目指さなければならないわけだ。それも一段階できれば、「じゃあ、次はここんとこを確認してみよう」ということになる。
よって、注意点は半永久的に消えることはない。それは、この10月が初めてといった人たちばかりであっても、何年も杖道を稽古していても、同じことである。
「知らない人に知らないことを、どういう手順で教えるか」
ここに困難をきたすのは、ひとつには、そのシステムを持たない人に、まったく知らないシステムを導入することから始めなければならないために、難しいのだろう。
じつは、後期が始まった初っ端も、この講義を担当したのだが、そのときよりは、まだよかっただろうか。などと考える。しかし、その審判を誰がするのか。
うだうだと、精一杯の90分の授業を終える。
今回は、内田先生から、何か大きな教育的配慮とか教育実習とか模擬授業といった名目で、これを行ったわけでもない。偶然に起きた事情がそうさせたのであるが、偶然こそが、すごく学ぶ場としてくれた。
そのままクラブの指導も担当し、相手が気心の知れた「部員」に変わっても、やはり指導は難しいものだと、再認識。
これがもし、合気道の授業であれば、どうしただろうか。あるいは、それが、社会や国語の授業であったなら、どうやって教えるのだろうか。
「教える」ということをしているときの私が一番「教えてもらっている」ことには違いない。現段階でのワタシの再認識の意識であり、収穫である。
そしてもうひとつは、「先生」になりたい。そう呼ばれるものになりたい。やっぱり、これである。
12月14日(日)当然休みではない。
半年ほど前に結婚した従兄とその結婚相手が、東京やら名古屋やらから神戸に来たついで、ワタシの実家に来るという。来るというので、親元から「戻って来なよ」とのお達しが出る。素直に従って、戻ることにする。
どーッと行って、っがががーっと帰ってくる。当然日帰り。ひとり討ち入りの気分。
12月13日(土)
稽古に行く。
やたらと人数が多いのは、気のせいではない。
12月12日(金)
合気道部恒例「シングルベル」パーティの夜。
シングルである人もそうでないひとも、どどどっと集まり、ざくざくっと稽古して、ちゃんちゃんと舞台に立つ。
いやはや、これぞ伝統である。ぶふぶはっ。
12月11日(木)
松井、松井と、松井ばかりがメジャーリーグに行く。アメリカに行く。
しかし、ワタシが「松井」と聞いて思い出すのは、小学生のとき、何度か同じクラスになった「松井くん」という男の子である。
いまでもよく覚えているが、小学生とは思えぬほど聡明で、物事をよく知り、しゃべり、おまけに探究心の強い人間であった。(と記憶している)。
反面、彼は、授業中は自らの好きなことをし、先生から与えられた宿題や夏休みの課題も、あまりきちんとはしてきたことがなく、おまけに日常使う机の中はぐちゃぐちゃで、いつも、何のプリントが、どこにあるのかもわからないような有様だった。加えて、「多動性」とまでは行かないにしろ、割と落ち着きのない人でもあった。(席替えをすると、なぜだか近くになることがよくあったので、知っているのである)。
授業なんて、まるで聞いていない割に成績はよかったようで、テストをするといつも満点に近かったようである。本読みをさせても、とても明瞭な声で読み上げ、その声には、クラスの誰もが一目置いていたようにも思う。(ワタシがそう思っていただけかもしれないが)。また、なぜか水泳がうまかった。えらくうまかった。
いったいいつ勉強するのか、勉強のできないワタシにとっては、彼の行動が不思議に思えてばかりだった。授業だけに関して言えば、塾に行って必死になって勉強しているふうでも、家庭教師がついて、何か特別な勉強をしているふうでもなかったからである。
とにかく、「頭のいいひと」なんだなあと思った。ほんとうに、彼としゃべるのは、かなりおもしろかったから。
そんな「松井くん」は高学年になったいつだったか、ある日、どこかへ転校していってしまった。
いまでは、どこで何をしているのかまったく知らないけれど、おそらく彼のことだから、あのまま行けば、かなりおもしろい人物になっているのではないかと想像するのだ。
12月10日(水)
三宅先生のお話は、たいそうおもしろい。
何がおもしろいって、そんなこと、ひとことでは言えない。
これで済ますと、この話はこれで終わってしまうし、「ひとこと」にするとつまらなくなる。途端にまとまってしまって、おもしろくないものである。
とにかく、先生のご関係の幅広さや不思議さがまずあって、さらにはどんな小さな話でも、出てくるタイミングが、とても素敵に感じるのである。気が付けば、するするっと、お話の渦に巻き込まれていく感じなのである。
ご一緒させていただける時間は、ほんとうに大切で大事なものだと思う。なぜなら、「素敵である」ことの意味を、身体で、肌で感じられるからである。
さて、こんなふうに言えるのも、そして、その場にいられたのも、(また急な話だが)、やはり内田先生のおかげである。偶然が引き起こした、ありがたい時間に感謝せずにはいられない。
内田先生のお話も、いつ聴いても、何度聴いても、どんなふうに聴いても、おもしろい。そう思える。文章化されたものにも、まったく同じことが言える。どうしてなんだろうねえ。不思議だ。
100年後くらいに誰かが、先生の伝記を書かれることがあったら、そこいらを分析してください。
ところで、ご一緒させていただいたイワモト氏は、なんだかすこし弱っているらしい。
強いから弱るのか?弱いから強くなるのか?それにしても、二項だけで物事を考えるのは、なんとも窮屈なことよ。(「弱るから強い」という発想自体が問題なのかもしれないが)。
ま、中華でも食べよう。いや、食べに行きましょう。いやいや、連れてってください。
三宅先生のご子息は、いつお会いしても、たいへんに感じの良い方である。ムチャクチャにいいひとである。世の中、ああいう人が、もうすこしたくさんいればいいのにと思う。
初めてお会いした衛生士の方も、並んで座っておられたとある書店の方も素敵である。
素敵な人たちにお会いできたワタシは、よいひとたちの心地よい空気に囲まれて、すこしだけ「よい子」になる。月がきれいな夜だから、それがまたすこしだけ、「よい子」にしてくれる。
よい子は、さっさと眠るのである。寝る子は育つ。
12月9日(火)
「先ごろの先生は、『男の価値を決めるのはアチーブメントではなく、可塑性』である」とおっしゃった」。
以下は、そのとき、考慮に入れるべく提示された条件である。
「(1)何でも美味しそうに食べる
(2)どこでもくーすか寝る
(3)人にものを上げるのが好き
という条件を満たしている男なら、原石としてはかなり上等だ。(1)と(2)は『リソースには限界がある』ということを知っているということであり、(3)はその『限りあるリソースを自分は独占しない』という生き方をしているということである。(1)と(2)は『生物としての人間』の生存戦略上の要諦であり、(3)は『人間としての人間』の本質である。 学歴だとか年収だとかせこい条件で探していては、いい男はみつからんぞ。」
うーむ。むむむ。
解説のところはどうかわからぬが、ワタクシってのは、これら条件に、かなり等しく一致するんですけど〜。(…と自分では思っている。)
これって、「男」に限られたことですか!?
12月8日(月)
一日中、ずっと頭が痛い。何をしていても痛い。歩いていても、ご飯を食べても、薬を飲んでも。天気がいいのに、調子が悪いとは。おかしい・・・。
風邪の前触れ、偏頭痛の再発?あるいは、首がないからなのか?それとも、ジョン・レノンでも降りてきた?
身体がぞくぞくっとして、寒くもなって、だのに、じっと横になる時間がないので、ちゃんと治る暇がない。
結局、起きている時間中、頭がうまく働かない。働かないのに休めもしない。なんだか、無駄にもったいない日だと思う。
ぽよよんとするだけで、まったく生産的じゃない。かといって、消費するものもない。
12月7日(日)
風の音が聴こえる。
「寒くなったな」と冬を感じる。
ぴゅぅ〜るりぃ〜と、肌寒い風が吹いている。
いちにち座りっぱなしで、お尻が痛くなる。
けれども、以前のように、「ああ、背中が痛い。ワタシは背中がいがんでしまうほど、姿勢が悪いのだろうか?」と思うことは、まったくない。ああ、ありがたや〜。
12月6日(土)
調べ物をして過ごす。
12月5日(金)
「びょういん」に行って、「びよういん」に行く。きょうもまた、偶然にも教育番組の言葉遊びみたいな日になった。
あっ、そうだ。髪を切るのは「床屋」でないですよ。こんなワタシでも、ね、せんせい。
12月4日(木)
何やねん、これ?どういうことよ。
納得できんぜ、勝手にこんなことされてはよ。
どない責任とってくれるんや?どんな説明してくれるんや!
ま、あんなことされては、こちとら信用するもんも、信用できんようになりますわ。
12月3日(水)
さて、そのブロッコリーは、どうやって食べようかと思案している。
12月2日(火)
広告メールがじゃんじゃん届く昨日、携帯メールアドレスを変更した。
知らせた人からは、いろんなリアクションがあって、結構おもしろいものだと知る。たまには、変更もよろしかろう。
これとはまったく関係ないが、ブロッコリーをもらった。
12月1日(月)
来月が正月かと思うと恐ろしい。
11月30日(日)
夏ごろから加熱してきたプロ野球で阪神が優勝して以来、いや、それ以前も、あまり集中してテレビを見続けることのないワタシだが、昨日今日ばかりは、珍しくチャンネルを合わせている。
見たのは、「流転の王妃・最後の皇弟」。文化庁芸術参加のドラマらしい。(それがどういうものであるのかは知らぬが)。
作品の時代は、清朝末期と日本の関東軍の頃、つまり、かつての満州国が建国された頃のことであった。時代の波に翻弄された人々の辛く激しい生き様が描かれていた。愛新覚羅溥傑に竹之内豊、その妻、浩に常盤貴子というメインキャストである。
この二人は、珍しく嫌いな俳優ではないので、絵的にはきれいであった。また、ほかの役者にしても、大きくミスキャストというわけではなかった。だが、これは物語であって物語でなく、真実であってそうではないように見えた。今だから語られるのか、今だからこそ語るべきことなのか。現実味があるのかないのか、その辺りの見極めがかなり難しい部分があった。そういう印象を拭えなかった。
おそらく製作したのは日本なのだろう。日本の製作者は、どういう意図でこの作品を作ったのだろうか。意図もあるが、なぜ「いま」これをつくったのか。
それでも、見たあとは、どっと疲れ、身体の節々に痛みが感じられた。
たとえ、それがテレビのなかで組み立てられたドラマからの情報であっても、「辛い」という事実は充分に伝わってきたからかもしれない。
戦争はいやだ。すごくいやだ。
誰もが不幸になるばかりで、幸せな者などひとりもいやしない。
すぐに止めるべきだ。早く止めるものだ。
いや、止めなければならない。すぐに止めなければならない。
日本がすべきことは戦地への自衛隊派遣ではなく、戦争の食い止めを訴えることではないのか。暴力も武力も行使することなく、止める方法は、ほかにいくらでもあるはずだ。
しかし、いま直ちに、例えば私にできることは何もないことを思い、その無力さを痛感すると、悲しくなるばかりだ。
11月29日(土)
雨が降ると、誰とも、ほとんど口がきけなくなる。そういう体質である。それにしても、きょうの雨はひどいぜ。ひどいぜぜぜ。「ぜぜ」は滋賀県。
11月28日(金)
手塚治虫記念館に行く。
雨を心配してしまうどんよりとした曇り空だが、日頃の行いがよいのか、悪いのか、果てまた単に偶然か、あるいは偶然を呼び起こすだけの必然性があるのか、まあ、何はともあれ、移動中、ひどく雨に見舞われることなく済む。
この記念館は、今年の春に改装されたらしい。じつは、それ以来、初めての来訪である。
企画展が変わる度に、ちゃんちゃんと足を運んでいた頃を思えば、じつに、ひさしぶりことである。(遠のいていた理由のひとつは、「企画展」が気に入らなかったから)。
さて、今回の企画展は「ブラック・ジャックのDNA展」。
手塚治虫による「ブラック・ジャック」が世に登場して、ことしでちょうど30年。その生誕30年を記念して、この作品の生い立ち、流れ、その後に続く医療マンガの類を紹介したものであった。
どういうわけか「ブラック・ジャック」は、作者健在の頃からそうでなくなった後も、映画化、舞台化、テレビ化、アニメ化など、ほかのメディアに移し変えられる機会の多い作品である。よって、手塚マンガのなかでは、それなりに知られたものになっている。そいう観点も手伝っての開催のようにもみえる。
現にきょうも、記念館に来られたどこかの見知らぬおばさんたちは、そこいらに置いてあるモニターから流れてくる映像を見るたび、「へええー、ほら、ああ、なんとかやって〜」「ああ、これって、そんなことやったんかあ〜〜」など、いちいち、それも大声で画面に反応しておられるのだから、まあ、おばさまたちにも受け容れやすい作品だということか。
全体としては、まあまあだなあと、とくにピンッと来る箇所もなく、戻ってくる。気のせいか、段々と企画モノが貧弱になっていくように感じられた。気のせいだと思いたい。
ところで、「記念館改装」と聞いていたので、もうちょっと全面的に建物の内部でも、きれいになるのかと思っていたが、まったくそうではなかった。ただ単に「掲示物」への表示が増やされたり、階下のアニメ工房のパソコンが一新されたりしていたくらいである。
「まあ、そうそうは変わりませんわなあ。なんてったって、公立(市立)の建物だし・・・」などと、ひとり勝手に宝塚市の財政を気にしながら、記念館をあとにする。
それにしても、天気が悪いと、こうもローテンションになるものか。
せめて晴れていれば、もうすこし笑って過ごせたものを。どことなく静かな一日となった。
11月27日(木)
もくもくっと木曜日。
11月26日(水)
数週間前の水曜日も、同じ人と、同じような時間に、同じような場所で食事をした。
そして、これまた同じように人間講座を見た。きょうは最終回。
違うのは、食べた場所、バームクーヘンをいただいたこと、NHK方面と関連のテレビを見まくったこと、いろいろと「きれいな顔」を見たことである。
10月の初めが、とても遠い昔の出来事のように感じる。やっぱり異様に早い月日だ。来週はもう12月である。
11月25日(火)
憂国忌。
で、ピントがあったから、やっぱりこれにしよう。
11月24日(月)
ふむふむ、振替休日。
11月23日(祝)勤労感謝の日
たっぷりの良い天気なので一日中うちに篭って、書いていく。
肩がこりこり、背中がばりばり。
静かに耳を澄ますと、冬の音がしてきた。
11月22日(土)
すっと身体が透明になる瞬間って、どういうものだろう。
ワタシは透明になりたい。
それにはとりあえず、食事よりも睡眠が必要だと思う。
11月21日(金)
イタリア語 途中で止めたら リタイア語
イタリア語の試験を受けながら、ふとそんなことを思う。しかしまあ、途中で「えいやーっ!」と、ほったらかすことなく、きちんと提出した。が、どうしてもできなかった箇所がひとつ。あーあ、これは、一生忘れないだろうなあ。
試験というのは、あまり好きではないが、「自分自身をチェックするという指標」という意味では、たいへんに役立つものだと思う。
阪急御影駅から東(大阪方面)に行きたくて、ホームで時刻表を確認すると、必ずといっていいほど西(神戸方面)のホームに立っていることに気づく。慌てて、大阪方面のホームに移動し、やってきた電車に飛び乗ることもしばしば。(「駆け込み乗車は危険です。お止めください」)。
もうこれで何度目のことだろうか。
習慣と言うのか、身体の癖と言うのか、どうも、ひとには、その「場所」に来ると、決まってとってしまう行動があるように思う。
かつて、阪急御影駅から乗車すれば、ワタシは西に向かう電車に揺られていたものだ。
11月20日(木)
龍谷大学社会学部学会シンポジウム「身体の歌を聴こう」に行く。
昼前に小雨のぱらつくなか、龍谷大学は瀬田キャンパスへと向かう。
これが思ったよりも遠い。今いる場所(西宮)から「毎日通え」と言われたら、ちょっと敬遠してしまう距離だ。週一くらいならともかく。ちょっとしんどいだろうなあ。
シンポジウムのパネリストは、岩下徹さん、内田樹先生、甲野善紀先生である。司会は、龍谷大学の亀山佳明さん。
岩下徹さんの即興ダンスは、先日の身体運動文化学会で拝見したので、二度目のことである。しなやかで、それこそ「何が起こるかわからない」のだから、眼を離せない。手の動きが、眼の動きが、足の動きにぐいぐいと引き込まれていく。すべてが「踊る」ためにある身体というのは、きれいなものだ。
不思議な感覚が生じてくる。
拝見しているうち、自然と自身の柔らかくなってくる気がしてきた。
「ことば」では追いつけない身体のおもしろさと不思議さがあるように感じる。
甲野先生の新しい動き、「平蜘蛛返し」をナマで拝見する。素晴らしい。
どうやって足を使っているのだろう。身体はどこにあるのだろう。力がどういうふうに動いているのだろう。
シンポジウムで実技を説明される甲野先生は、冗談っぽく、「こういうふうに身体のこの部分を使っているということをお見せしたくても、私の身体の中で起こっていることですから、切ってみせることもできませんからね」と言われる。
不思議である。でも、それをされている方が実際にいる以上、ほんとうのことなのだ。そういう確信だけが、見ている側に感じられる。
そして今回、「言語派」であられた内田先生。
ここのところ三日間、内田先生のお話を聴いたが、そのうちどれもが重なり、どれもが違うのだから、なんとも興味深く、これもまた不思議なことであると思う。とにかく、すべてがおもしろいのだ。
身体は動かすのがいい。静かに身体を聴いてみようという気になる。脳も身体の一部なのだ。
とてもよい時間で、とてもおもしろいシンポジウムだった。
未だにうまく「ことば」を持たないワタシは、それらに関して、ただ、「すごいなあ」としか言えないけれど、よい時間を過ごしたという感触と興奮は尽きるところがない。
そして、よい時間を過ごしたという記憶は、その場所すら好きにしてくれる。そんなわけで、龍谷大学の瀬田キャンパスがわりと好きになった。
11月19日(水)
朝日カルチャーセンターで、内田先生の2回目の講座の日。
雨が降ったけど、動きにくかったけど、すこし冷えそうだったけど、おもしろかった。
かなりおもしろかった。ほんとうにおもしろかった。早く本が読みたい。お聞きしたい話題が盛りだくさんだ。
開始時間ぎりぎりに行ったのに、なぜか一番前の席が開いていたので、「あそこは、ワタシのために開いているのだわ!」とかなり大きな勘違いをして、座る。
いろんな意味でよい場所だった。
11月18日(火)
うっかりして、また大学に忘れ物をしてきてしまった。
別に、取りに戻らなければ困ることもないし、うちにいったん戻ってしまうと、再度大学に向かう気力はまったくなくなるので、また明日くらいにでも持って帰ることにする。
忘れてきたのは、自転車。しかも、これが初めてではない。わりと、よく忘れてくる。
そして、その「忘れてきたこと」をさらに忘れて、下宿の自転車の置き場に行ったとき、「あ!自転車がない!」と驚いたのも、一度や二度ではない。
11月17日(月)
「ん?なにこれ?胃が腫れてるじゃないの。いけませんねえ」。
「げげげっ。やっぱりですか。はい、静かに過ごします」。
自らの行動が愚かしく、恥ずかしいので、敢えて、どこでの会話かは申し上げませんが、さすがに先週の食べ続けが原因で、胃を悪くしたようです。
反省して、今週は静かに過ごします。
誰からもお誘いを受けませんように。
11月16日(日)
ここのところ、誰かと、「急に」食事する日が続いている。
ごちそうになったり、割り勘したり、ちょっと断りにくいことだったり・・・とまあ、中身はいろいろ、人数もさまざまだが、どの食事のときにも感じるのは、誰かと食べるときは必ず会話があり、それが食事のうまさを盛り上げていることである。
もちろん無理をして相手の話に合わせているのではない。話しているうち、段々と、笑いがこぼれてくるのである。それに大前提として、「一緒にご飯を食べる」という行動に至る相手なのだから、会話は当然のように沸き、笑いが生じる。これも当然といえば当然のことである。
要するに、ここのところのワタシの食事時間は、皿とにらめっこしている状態ばかりではないということだ。
今宵もまた、そのような日である。(またかね、と言われそうですが、これだけが前々から決まっていたことでした)。
しかし、人間とは欲張りなもので、それは楽しい。楽しいのだが、そろそろお茶漬けが恋しくなる。
11月15日(土)
カレーを食べたくなって、カレーを食べた。
食べたいときに食べたいものを食べられる。これ、一人暮らしの利点。
♪ありがたや ありがたや〜 ありがたや ありがたや〜
(「ありがたや」。そう書きながら、いつぞやの内田先生の日記を思い出した)。
11月14日(金)
なぜかは知らぬが、一週間日付を思い違っていた。新聞を読んでも、誰と会っても、話をしても、カレンダーを見ても、ずっと、きょうが21日だと思い込んでいた。気づいてよかったとは思う。
11月13日(木)
稽古のあと、久しぶりの友人に会う。
11月12日(水)
眼鏡をかけて、もうひとつ、別の眼鏡を鞄に入れて、さらには、コンタクトレンズを両眼、持って行っている。
いったい、いくつ眼があるんだ!と、我ながら思う。
11月11日(火)
またしても雨。
気のせいだろうか、火曜日は、雨の日が多い。
なぜだろう。空で、誰かが泣いているのだろうか。
あるいは、空が泣いているのだろうか。しかし、空は悲しいときに、涙の雨を降らすのだろうか。それとも、悔し涙の雨だろか。
ともあれ、「相変わらず」息苦しい朝である。
世界中の暦から、火曜日の朝だけを、消し去ってしまいたい。
午後の講義のあと、突然、夕食に誘われる。
韓国、中国、オーストラリアからの留学生の方々と日本の寮に住む人とワタシといった、わりとインターナショナルな面々である。交わすことばがおもしろく、英語と少しの韓国語と日本語の混ざる会話が興味深い。
帰り際、中国からの留学生の方はワタシの声を、「声がいい。心地いい」と褒めてくださった。
ああ、なんてうれしいんだ。声なんて、いままで褒められたことがないので、かなりうれしい。
そういうことを言っていただけると、それだけでもう、じゃんじゃん、しゃべってしまいそうだ。
11月10日(月)
雨。たくさんの雨。
その音を聴くと、必然的に静かになる。ことば少なになる。
それは、いつものワタシより、いくらか穏やかにもなることであり、愛想がない状態になることでもある。
11月9日(日)
選挙の日。直感としては、なにかが変わる気がして、変わってもらわないと困る気もして、投票に行く。ちゃんと投票権を使ってくる。
11月8日(土)
ひさしぶりに朝がゆっくりの日。昼になる少し前の11時に起きる。もう、うれしいったら、ありゃしない。
何でそんなにうれしいのかわからないが、気分がよい。
気の向くままに洗濯し、気の向くままに料理し、気の向くままに片付ける。
気分がいいと、何事も、よくはかどる。
11月7日(金)まるい地球の水平線に、何かがきっと待っている。
今宵、ガバチョッと、ドン・ガバチョになる。
現地では、同じくひょうたん島の「はかせ」さんと「サンデー先生」と合流し、しばらくぶりの再会を喜び、確かめ合う。そして、島民一同は、めでたく「似合っているで賞」を受賞(^^)v。
参加者の熱意溢れる仮装と荒れ狂う様子、愉しい風景は、近々、どこかで発表されることでしょう。ぶふぶはっ。コケーッコッコッコッコッコッコ!
11月6日(木)
おいちゃん、おめでとう。
11月5日(水)
ちょうど1ヶ月前の水曜日も、同じ場所で、同じ人と、同じような時間に食事をした。
そのことを、食べているときや話しているときは、微塵も思い出さなかったけど、うちに帰るなり、急に思い出した。
違うのは、今晩はひとりで、人間講座を見たことと、お天気がよくなかったこと。
異様に早いこの1ヶ月。たった30日前なのに、大昔のことみたいである。
月日の経つのが早いのは、それだけ充実しているからなのか、それとも忙しすぎるからなのか。
11月4日(火)
ようやく気づいたが、もう11月である。
11月3日(月・祝)
すやすや、おやすみ。
哀れなる哉、勘違いなるひとたちよ。
11月2日(日)
昨日の打ち上げのあと、下宿に泊まった1回生が朝ごはんを作ってくれる。
ご飯を洗ってくれていたシラカワさん、買い物に行ってくれたナカセさん、食器を出したり、魚を焼いたりしてくれたニキさんである。
当初の三人の予定としては、ワタシが寝ているうちにご飯を作って、並べておくというものだったらしい。が、思わぬタイミングで(そして、これも予想外に穏やかに!)ワタシが起き出してしまったため、予定が変わってしまったそうである。(気の毒に)。
昨晩の「オタケビウッキー」だか「ヨビダシウッキー」だか何だか(※多くは本人の記憶の範疇ではない)を目にしている三人でもあるので、起きてくるワタシに多少の不安を抱かないでもなかったらしい。(かわいそうに)。
しかし、実際は、二日酔いもなく、爽やかな目覚めのワタクシであったため、安心したのだそうな。昔から寝付きと寝起きだけはよい。
そんなお三方は、これまたえらく愉快にご飯を作ってくれている。
なので、邪魔せず、「ほっほっほっ」と、まるで縁側にでも座っているおじいさんのように、のんびりとお茶を飲み、新聞なぞを読みながら、出来上がりを待つことにする。
普段から同期の三人だけあって、片づけから、作ることから、役割分担から、そのチームワークは、見事なものでした!
さて、食卓に並べられたのは、ご飯、たまねぎと豆腐の味噌汁、納豆、玉子焼き、しゃけ、ちりめんなどなど。
おいしい。
とてもおいしくいただいた。ごちそうさま。
やっぱり、ごはんというものは、誰かと食べるとおいしいし、誰かに作ってもらうと、ただそれだけで、うまさが増しますね。
そのまま、べらべらしゃべっているうち、さらに愉快な時間となりました。
11月1日(土)演武会2日目&打ち上げ!
緊張感とハイテンションで、時は過ぎ、演武会も無事修了。
内田先生をはじめ、ワタシ自身の好き勝手を寛大に受け止め、お許しくださった合気道部のみなさまのおかげで、この度は7回も出場できました。この喜びは、何物にも変え難いものです。ありがとうございます。
主将をさせていただいていることを始め、どれだけ感謝しても、しつくせるものではありませんが、ほんとうにありがたい、そればかりの日々であり、時間です。この一瞬、一瞬を一緒に過ごさせていただけることにもまた、深く感謝いたします。
演武終了後は打ち上げ。
もう何がなんだかわからず、これまた盛会のうちに、気が付くと知らぬうちに、戻って寝ていたのです。
各方面に多大なるご迷惑をかけたのではないかと、本人は思うのですが、そこいらの事実を判定し、確認するにも、証拠となる事実や事柄を、すでに本人が断片的にしか頭の中に持ち合わせていない状況なので、なんとも言えないのが苦しいところであります。
それでも愉しい時間を過ごせる仲間がいるというのは、とても良いことで、そのような人たちに出会えたことがまた、とてもうれしいです、と、このようなことを思った記憶だけは、はっきりしております。そして、この日は、めでたく邪道七段をいただいたという記憶も併せて。
ありがとうございました。
いろんなごはんがおいしかったです。日本酒もおいしかったです。
このような者ですが、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
10月31日(金)演武会初日
学祭の初日。年一回の大学のおまつりイベントみたいなものだ。
とはいえ、「おまつりだわ〜ん、キャッ、キャッ!」などと、どこかのヤマザルか何かのように騒いで、遊んでいるわけではない。
合気道部の出し物は演武。ということで、ちゃんと演武をするのである。
個人的には、朝は8時半に到着し、着替えて、道場に行く。杖を振って、稽古をする。ぶんぶんぶんぶん。
早めの稽古をしようと約束していた方は、想像していたとおり、約束の時間には現れず、さらにひとりで、ぶんぶんぶんぶん。(いや、何、杖を振っていると、ときどきこういう音がするのです。ワタシの心の音ではありませぬ)。
今年は、主将なので、それなりに気の張るところもある。
演武は、じゃんじゃか、じゃんじゃか、出させていただく。
宙に浮いたり、飛んだり、いろいろと出させていただく。
この緊張感が燃え尽きる頃には、どどどっと、打ち上げだろうか。
ともあれ、全身に染み渡るさっぱりした緊張感がある。
演武会がひととおり終わると、いつものたこ焼きと焼きそばを食べる。学祭のときのお昼は、いつもこれだ。うまい。
そのあと、親切なひとたちに買ってきてもらったクレープを食べていたら、「得体の知れないどうぶつみたい」とか「ハムスターみたい」と言われた。(誰のことばであるのかは、申すまい)。
それにしても。
どうもこの手の甘いものを食べるのは、昔から上手ではない。ほかのものに比べると、甘いものを食べるのが遅いのである。のろのろしているわけでもないのに。標準時間で食べることができず、型崩れ甚だしい。決して嫌いではないの。でも、なんでか遅い。そして、結果的には食べ方が幼く見えてしまう。というわけだよ、シラカワさん。
10月30日(木)
きょうは、魚の話、美味しい魚の話ばかりを耳にした。
食べたくなって、夜は秋刀魚を食べた。
10月29日(水)
髪を切った。髪を染めた。
去年の今頃なんかを思えば、髪がいくらか長くなったように思う。
髪を染めたはいいが、「染めた」印象が薄い。
というのも、「染める」とは、たいてい「色」をつけるのだろうが、今回、ワタシがしたのは、「シャドーカラー」とかいうもので、赤系の色(らしきもの)に染めたうえに、さらに「黒」の影を入れたのである。
斯様な注文をした覚えはまるでないが、全面的におまかせしているうち、こんな染め方になっていた。ま、嫌じゃなかったから、文句も言わずに帰ってくる。
数年前を思えば、落ち着いた色になったなあ。
ああ、少しは変わったのだろうか。せめて外見だけでも変わったんだろうか。
10月28日(火)
長いのか、短いのか、わからない、そんな一日。
10月27日(月)
ううっ、頭が痛い。
いや、比喩じゃなくって、ほんとに痛い。明日あたりも、また危ない。倒れそうだ。
きょうは、月曜日にだってのに、いいこともあると感じる瞬間があった。
まったく期待していない分、えらくうれしかったりする。
それにしても、うつくしいほどの秋晴れ。歩くにはちょうどよい。
7戦続いた、日本シリーズが終わり、歴史的な瞬間の幕が閉じられる。
阪神が、ダイエーが、どうこういう問題じゃない。
こういう時代に、野球をみることができて、ほんとうによかったなあと思う。
仙ちゃん、どうもありがとう!
この人の歴史もまた、伝記ものだと思う。
10月26日(日)身体運動文化学会@神戸女学院大学:ワークショップ
きれいに晴れた日の午後、校庭でワークショップがある。
昨日から開催されている学会の一環として、この大学にある「身体」や「運動」や「文化」にかかわるクラブや同好会が、それぞれ何かを見せることになっている。(太極拳、なぎなた、チアーリーディングなどなど。一部は室内で)。
合気道部は、表で演武した。
初めて転んだ芝生の上で、ころころと受身を取る。ころころころころ。
犬のような、くまのような、コアラのような気分。(え?わざわざ言わなくても、見たらわかるって?)
表があんなに気持ちの良いものとは思わなかった。ありゃあ、癖になる。うひょひょ。
気分がよすぎたのか、身体のノリがよくなったのか、いろいろあって、ワタクシ、本日、邪道六段に昇段いたしました。いやあ、めでたい。
10月25日(土)身体運動文化学会@神戸女学院大学
身体には、身体では計り知れないほどの可能性があるんだということを、つくづく実感した今日である。
シンポジウムに来られた先生方は、実践されている分野はさまざまだが、すべてに、共通している箇所がいくつかあるように思われた。
それは、互いの先生方が影響し、されあっているからなのか、元を辿る方々が共通する師があるからなのか、あるいは、身体を軸にすればこその考え方なのか。
ともあれ、身体という、かたちはさまざまでも、誰しもにあるものを、よく見聞きし、わかり、そして忘れずにいたい。
自身の、いちばん近くにありながら、いちばん遠く、よく見えて、よく見えないもののような気がした。
身体論や舞踏やダンスや民族舞踊というものへの意識や考え方も、多方面に、さまざまにあることを知った。おしえていただいた。とても充実した時間だ。
司会者のコバヤシ先生による、感動的なまでの美しい身体論概論やコーディネートにも、触れることができてうれしかった。
どれもこれも、とてもおもしろかった。
10月24日(金)
全身疲労により、遂にダウン。
頭と腹のそれぞれに、大合唱のごとく強烈な痛さが蔓延したのは、来週ではなく、きょうのことになった。
いつものように起き上がるはずの朝は、それだけのこともできず、急なことだったが、休む。(病気とは大概急なものである。多少の兆候があることもあろうが、大概、それに気づかぬふりをするか、気づく時間がない。だから、急にダウンすることになる)。
もしかしたら、きょうは、なにか特別な予定があったかもしれないが、知らない。記憶にない。思い出すほどの気力もないもないまま、夜も早いうちに眠る。
10月23日(木)
いかん。
こりゃあ、来週、倒れる。
10月22日(水)
ほんの少しだけ、コマが動き始めた。
10月21日(火)なぜ、ひとはひとを傷つけることを喜ぶのだろう。
傷つける誰かを見つけることで、自分自身の位置を確定させたいからなのか。あるいは、自己の優越感を味わいたいのか。それとも、傷つけている者が、傷つけている、そのことすらわからないうちに、無意識に、誰かを傷つけているのだろうか。
こんなことを考えるワタシは、どうなのか。
「まあ、嫌いではないのかもしれないなあ」と危険なことを思う。
いや、いい加減なことは言うまい。「好きだ」と大見得を切ることもないが…うん、ま、嫌いなことではないのかもしれないね。
確実なこたぁ、わからない。
でも、必要以上に誰かの困っている顔を見たいわけでも、いじめたいわけでもない。
これまでにも何度か、「いじわる」と言われたことがあるという事実くらいは、報告しておくべきかもしれないが。
しかし、言われるくらいなのは、まだ問題ないのだと、当人は、断然そう信じている。
ところで、きょうは、かなりイラッとすることがあった。ここに文句というか、ブツクサ、書きます。不快な思いをされたくない方は、必ず読み飛ばしてください。
誰かを「バカだ」と判断するとき、そこには、何の温かみも哀れみも憂いもない。ただただ、バカを「バカだ」と判断する、それだけだ。
誰かを、そのように判断するとき、ここにもまた、「じゃあ、あんたは?」と聞かれる可能性は多分にある。
こたえは、「イエス」。
だって、バカだもんね。だから、賢くなりたい。ワタシはそう思って生きている。
しかし、まあ、バカの種類にもいろいろある。そういうふうにも思う。
ワタシが思うに、この世で一番のバカは、自分自身で、「バカだと気づいてないバカ」と「バカにされていることがわかってないバカ」である。
どちらも、「バカ」という呼称が、自身の付随していることなど、知る余地もないのだろう。だから、困る。もう、どうしようもないからだ。
それなら、「バカだと気づいているバカ」のほうが、先に挙げたバカよりも、少しだけ、ましかと思う。気づいている分の少しだけ知性、そんなものがあるなら、ほんのひとコマぶんくらいだけ。
(ところで、最近の書店にゃあ、「バカ」の付く本と「頭がいい(よい)」が題目に付く本が、よく並んでますね。なんでしょう、この現象。「バカ」と「頭がいい」の単なる二項対立でしょうか。これらのことばの対象になるのは、本の中身によってさまざまのようで、一概に「身体」ばかりではないようで。うーん、不思議な感じですね)。
話を戻して。
とにかく、さっき挙げたようなバカのひとたちは、話が通じない。それこそ、「おはなしにならない」場面を招き入れる。
面と向かっているのに、話をする場面が設定されているのに、議論とまでいかずとも、他愛のないことばのコミュニケーションすら成り立たない現状というのは、非常に苦しい。
最近では、身体の節々が痛くなるし、心が閉じられる。背中が痛くなる。
会えば必ず、苦しい場面を引き起こす人とは、終いには、会いたくなくなる。避けるようになる。
しかし、状況がそれを許さないことがある。
たいていは、苦しい場面のなかで、「おはなしにならない」時間となる。そして、怒りが巻き起こり、ときには、それが憎しみに変わる。最後には、キレそうになる。
やりきれない怒りが身体に保ったままにあること、これがまた、たいそう身体に良くない。
この手の怒りを感じたとき、ワタシは何も、関係のない人まで巻き込むつもりはない。
しかし、つもりはなくとも、巻き込んでしまうことがあるかもしれない。できるだけ、怒りの負のエネルギーは、代償として、発散するようにし、コントロールできる限りは抑制し、怒りそのものに囚われないようにしている日々を過ごしている。
でも、限界がある。
急に爆発するおそれもある。だから、せめて、そう感じたら、近づかないでください。すみませんけど。
この頃は少し、怒りを感じる自分を見つけたら、思うことがある。
「修行が足りぬ」。
静かな夜、三宮を歩いていたら、偶然にも、いづみちゃんに会う。
最近、周囲の人と話していると、話題に出ることが多かったので、「そろそろだなあ」と思っていた。
そろそろ会う頃だと感じていたら、ほら、やっぱり会えた。
会わなければならない人に、ちゃんと会えるのは、じつにありがたいことだ。
わりあい元気みたい。
昨日とは言わないまでも、一昨日くらいに会ったみたいに、自然に会話が出来た。
声だって何だって、挨拶だって、手を振るしぐさことだって、コミュニケーションの始まりにはすべて、タイミングがあるのではないか。
何の変哲のないことばが、「史上最悪の恨みの行為」になることもあれば、「永遠に人を救うことば」にもなりうるのだと思う。少ない人生経験のだけれど、そんなふうに感じる。
10月20日(月)
人生何度目かにして、ワタシはまた、「月曜日」が嫌いになった。
嫌いの理由は、週の始めであること、翌日が「火曜日」であること、全般に縛られた感じがすること、「月曜日」という音を好まないこと、何より昔から暗い印象がある。あるいは、ある時点から。月曜日の憂鬱みたいなもんが必ずある。
この手の理由は、考え出したらキリがない。
10月19日(日)
久しぶりの日曜日。
きれいに晴れた空が見える。
天気が良いので、昨日に続いて、またもや洗濯。
どういうわけか、幼い頃から、「洗う」という行為が、かなり好きである。もしかしたら、物事を「水に流す」行為が好きなのかもしれない。
天気がよく、気温もほどよいと、身体の調子もよくなってくる。
調子のよいまま、のんびりと家にいると、身体もすこし、休まってくる。ほんとうは、前々から、今日の夕方にも「お誘い」があったのだが、何となく断ってしまった。
「きっと身体が乗らない」と、未来の自分を思ったからだ。
案の定、ワタシは、じっとしていることを求めていた。
そのうち、好きな音楽を聴くと、さらに快調で、好きな本を読むと、さらに充実してくる。
こんな日の夕方もまた、たいてい気分がよい。
10月18日(土)「とーいや」
ふと思う。
この前、出て行った、もとい、元の場所に戻って行ったヤツは、いまも元気なのだろうかと。
実際、しばらく、ここにいたことで、元の場所を離れていた時間がある。
だから、「元の場所」が物理的な距離や空間としては同じところであっても、感覚的には、以前と同じ「元の場所」ではないような気がするのですよね、ワタクシ。
考えすぎかな。
まあ、元気なら、それでいい。
でも、なんだか、とーいや。
偶然にも、「きょう」の日のことだから、たとえ、しょーもない駄洒落と感じても、どうか大目に見たってつかーさい。しかし、なにやら、いまいちのデキ。(あるいは、誰にも気付かれず、さむーく見過ごされてしまうのでしょうーか???)
10月17日(金)
この秋初めての鍋をする。
ワタシは、「鍋を囲むのは、好きな人」と、たいてい相場が決まっている。
だって、そうでなきゃ、大好きな日本酒も、まるで飲んだ気がしないから。もちろん鍋だって、食べた気がしない。
10月16日(木)
昨夜観た『私はあきらめない』とかいう、かなりけったいな題名の番組に出演していた山本寛斎と、ワタシは同じ誕生日である。
10月15日(水)
よい天気。
これをして、シンクロナイズしていると言うのだろうか。
カルチャーセンターで受け取った、内田先生の資料の最初の引用は、ワタシがその場所に来るまで読んでいた本の、まさにページの同じ箇所だった。そういうことってあるんだねえ。
線まで引っ張っている。わーお。
身体がひとりでうれしくなっている。
予想どおり新ネタがあった。これも身体がうれしくなっている。
10月14日(火)
午後から雨が降る。
どうやら雨の季節になったのらしい。
夕方の風が肌寒く感じる。
10月11日(土)〜10月13日(月)多田塾合宿2003
年一回の恒例行事ともいえる多田塾合宿に参加する。
この三日間もまた、これでもかというくらい多田先生シャワーを浴びる。
一緒に稽古に励むことができたことに、たいへんありがたく感じた。
気の感応の稽古をすれば、相手と仲良くなれると多田先生が言われた途端、仲良くなりたい相手を探している自分を発見した。
合宿中は、時間を過ごすほどに、「合気道ハイ」に近づいていく。
気で満たされていく全身になる。おかげで、稽古と稽古のちょっとした合間には、ずっと笑っている。笑いっぱなしになる。
充実した時間だ。とても嬉しい時間だ。
それは、ことばで簡単に「こんなもの」と言えるものではなく、身体でなんとなく、「こんな感じ」というものだ。
幸せであることには違いない。
満たされた身体は、これでしばらく、笑いっぱなしだ。
10月10日(金)
「びょういん」に行った。「びよういん」に行った。
教育番組のことば遊びみたい。
かつての体育の日だったこの日への実感は、年々薄らいでいくように感じる。
明日から、合宿。やっほー!
10月9日(木)
昨夜、甲野先生が出演される「人間講座」を拝見した。とても静かに見つめていた。
テレビの画面の前で、張り詰めて、しばし呼吸することも忘れるくらい凝視したのは、久しぶりのことである。
じっと見据えて聞き入る話は、おもしろい。
出てこられるはずの内田先生は、最後の音楽と共にすこしだけ。また来週かな。
10月8日(水)なが〜い夜
一年ほどだったが、親しんだ友が元の場所に帰って行く。今日は、ベランダから、夕焼けがきれいに見える。
また会えるだろうか。
きっと会えるだろうよ。だから、今度、会うときまでには、少しでいいから、大きくなっていてね。
「愛すべきモノは、この世に、まだまだ多く存在する」。
ワタシは、そんなふうに考え、思い、感じ、おまけに出会うモノやひとへ、感謝できるこの身の上を、とてもありがたく感じるのである。
ありがとうございます。
10月7日(火)
そして、ミナミには、「なんばパークス」がオープンしたのである。
10月6日(月)
久しぶりに雨が降る。しとしとと降る。
きょう、言われたことだが、学内を歩いているときのワタシは、ずいぶん早足なのらしい。別に急いでいるわけでもないが、自分自身では、たらたら歩いている意識はないので、そうかもしれない。
問題は、早足のため、自分でも気付かぬうち、知り合いの人たちに、たくさん会っているらしいことなのだ。さらに、申し訳ないことに、そのひとたちに、何の挨拶もなく通り過ぎているようなのだ。
もちろん、歩いているワタシは、知り合いがいるとは、まったく知らず、ずんずん前に進んでいる。ときには、急に立ち止まって、なにやら考え事をしていることもあるということだ。
教えられて気付いたが、ひとりの人間でも、歩き方もいろいろである。
しかし、たぶん、ワタシには、時間がないのだろう。
何をするにも、「いま」しかないのだ。そして、「いま」の積み重ねられた終点は、かなり綿密に決まっているのだろう。
10月5日(日)
できるとわかった東京日帰り。できるとわかった空中浮遊。(以下略)。
世紀の顔合わせのその意味が、じっくりと身体に染み渡るには、私には、もう少し時間が必要である。あるいは、無意識に身体は反応していても、それが、頭のなかで、「ずんっ」という響きとして伝わるのは、いつのことだかわからない。そのことしか、今の私には、わからない。
とにかく、ものすごいものでした。
10月4日(土)
朝から謡と仕舞の稽古に行く。
きょうから「橋弁慶」。
謡というのは、なかなかに鋭く、重みと深みと渋みのあるものだ。なんだかいい。好きだなあ。(何をえらそうなことゆってやがんだい。新米のくせして・・・ははは)。
先週のおさらいと、これまでの復習と、新しい形を教えていただく。
褒めていただく瞬間があると、すごくうれしいものだ。張りが出る。やる気がさらに出てくる。
午後からは、合気道の稽古。
ご不在の内田先生に代わって、本日を担当されるはずの松田先生は、なにやらご多忙のご様子。さらに代わって、ワタクシが担当する。
両手取りをした。
やっぱり毎回の説明に一番耳を傾けているのは、どうやらワタシ自身らしい。偶然の機会が、またもや自らが最も学ぶ場所になる。
稽古後に、みなさまに、褒めていただいた。すごくうれしかった。褒めていただくのは、やっぱりうれしい。悦んでしまう。(なかには、惚れ直した方もいるらしい!?)
夜には母が急にやって来て、うなぎを食べた。
関西にも、うなぎのうまい店がある。
10月3日(金)
神戸では、「マルイ」が開店したらしい。
10月2日(木)
三日月がきれいだ。こんな夜も珍しい。
きょうは、いきなりコバヤシさんに会う。(阪急電車を降りた階段で見かけたのだから、かなりの偶然である)。
ワタシは、駅のホームや電車など、瞬間的な時間を選ぶ場所で出会う人に、かなりのご縁を感じる。
ご縁のある方々には、よく三宮で出会うものだ。そして、集うものだ。
10月1日(水)
東京には、「品川駅」ができたらしい。
9月30日(火)
ご存知、内田樹先生のお誕生日。
敬愛するジェームス・ディーン忌。
決して比較するものではないが、いま世間じゃ、どっちが有名だろう?
9月29日(月)
後期開始。・・・これでもう、完全に夏休みが終わったことを確信する。
そんな5限は、生涯スポーツ「杖道」の時間。
公務多忙につき、講義に出られない内田先生に代わり、TAのワタクシが、登録された方々に向けて、杖道についての簡単な説明と講義についての注意点を申し上げる。
せっかく来てくださったのに、きょうは、杖を持っている人間は、ワタシひとりしかおらず、実際の形をお見せすることはできなかったのが残念である。(杖道では、ふたりで、ひとつの形を行うのが常である)。
説明をしている間、静かに聴いてくださったので、よかったと思う。出席をとり、解散となる。
続く、杖の稽古には、杖道会の1回生、合気道部の1回生2名などが参加。
基本的な動かし方の説明をして、実際に身体を動かしていく。
じっくりと、細かく、ぶつぶつ言いながら。
しかし、それができなければ、形稽古にはならないから、基本というものは、やっぱり知っておかなければならない。
ところで、指導とは、じつに困難かつ面白いものであり、誰より、一番自分が熱心に自らの説明を聴いているのだと、本日、実際に取り組んでみて感じた。
偶然とはいえ、このような機会に、深く感謝した。
9月28日(日)
数年ぶりに、浴衣に袖を通す。
緊張するかと思ったが、そうでもなかった。緊張はしなかった。
9月27日(土)
めでたいくらいの秋晴れである。
こんな日に洗濯しないほうが損な気になる。
雲ひとつない、とても気持ちのいい青空が広がっている。非常に爽やかである。
稽古に行く。
適度な人数でよい。合宿あとのよいリズムが、誰しもにあるのか。
夕方、相当な眠気に襲われた。
9月26日(金)
夕方、メガネを求めて三宮に出る。
センター街を歩いていたら、なにやら、ひょこひょこ、こっちに近づいてくるものがある。
センター街のなかでも、わりにセールスが多い通りだったので、また何か渡されるのか、声をかけられるのかするのだろうと思い、ワタシは見向きもせず、一心不乱に歩いた。前ばかりを向き、近寄るなにかを遮ろうとした。が、そのなにかは、いやにニコニコと近づいてくるのである。前だけしか見ていない状態でも、その様子はうかがえた。
「ん?」と思いつつ、ちらっと見ると、なんと橘さんである。
「あれえ、こんなところでお会いするなんて・・・」
「あれっ?なにしとーん?」(以下略)
とまあ、陽気なソムリエ、橘さんに、偶然にお会いする。
メガネを買いに来たいきさつを話すと、すぐさま、橘さんはお店を紹介してくださると言う。
一緒に行くと、とても感じの良いフレームや面白い形のものがいろいろとある。全体の雰囲気として、とても品のよいモノが並んでいる。「それでは、ここで・・・」と、いざ、つくりにかかろうとするのだが、経済的な面で、あまりに身の丈に合わず、そのお店は断念した。(橘さん、ごめんなさい)。
結局、メガネは、別のところでつくり、なんとか、当初の目的を果たす。
その後、ご挨拶を兼ねて、ふらっとリセットへ。
出来事を話し、お礼を述べて帰るつもりが、ちょっとビールを1杯。
カウンターには、内田先生の最新本があったので、お借りして、まえがきの「大人になるための方法」を読ませてもらう。
アルコールを摂りながら、先生の本を読むのは、これが初めてかもしれない。
大人の空間(バーですね)で、「大人ではない」と公言される著者(真実はわかりませんが)によって書かれたモノを、「大人ではないと自称する者」(ワタシのことです)が読みながら感じたのは、「ワタシはいったい、何者なんだろう」ということだった。
ことばが、大人の空間に合うのはおもしろいなあ、不思議だなあと感じる。
大人ではないワタシが、なぜにそういうことを感じるのか?謎めくところだが。
ともあれ、そんな思いを過ぎらせるうち、調子が出てきて、すこし料理も頂くことにした。ワインも飲んで、カウンターごしに橘さんに、いろいろお話していただきながら、さて、そろそろとお暇しようとしたところに、「じゃじゃーん」と効果音を入れるとぴったりなくらいのタイミングで、ミーツ編集長の江さん登場。(アロハシャツがかなり素敵です)。青山さんもご一緒に来店。しばらくすると、まるで呼び寄せられたかのように、中原さんまでいらっしゃる。
というわけで、電車のあるうちに帰る機会を逸してしまったワタシのそのあとは、ま、ご想像のとおりである。
9月25日(木)
母方の祖父の命日。
3年前のきょうは、たしか月曜日で、汗が出るくらい、天気がよかった。快晴だった。
3年後のきょうは、ちゃんと木曜日で、歩くのも苦労するくらい、ひどい雨だ。大雨である。
東の空を見上げながら、賞味期限がきょうまでの饅頭を、またひとつ食べる。生前、祖父と交わした約束を思い出しながら。
ワタシなりの供養の日である。くよくよはしない。
久しぶり(一年ぶりくらいになるのかな)に、飯田先生が帰ってこられた。
えっ?「飯田先生」ってのが、誰のことだかわからない?
そりゃあ、しゃーないですねえ。ワタシが、ここに、日録を掲載していただくようになってからは、あんまり登場されてないでしょうからねえ。
いいじゃないですか。
おいおいわかるってくるもんですよ、おそらく、この日録をご覧いただければ・・・。
なんてゆーか、ま、おいおい。
おいちゃん、元気?
9月24日(水)
水曜日。しかし、雨なので、物事は、そうそう、すいすいっとは行きません。
『ミーツ・リージョナル緊急別冊 2003年度阪神タイガース優勝までの128試合』を買う。(やたらと長い題名だ)。
別に阪神ファンでも何でもないが、歴史的な意味合いを込めて購入した。
先日から、阪神優勝を大喜びされているI先生は、優勝翌日の新聞は、珍しいからといって保存するものではなく、毎年更新されるのが望ましい、とのことである。
たしかに。
なにはともあれ、ここにもちゃんと、「デイリー」の踊るトラの尻尾がありまする。
9月23日(火)
洗濯の日。
暑さ寒さも彼岸まで。
合宿から帰ると、「待ってました!」とでも言わんばかりに、寒くなった。
いつもの饅頭を食べながら、ふと3年前のことを思い出す。
彼岸花が好きな祖父がいた。
その人が逝ったのも、ちょうど、あの秋の合宿から戻った日の翌日で、彼岸花がきれいに咲いていた。
食べ物の味と外の匂いが、誰かを思い出させることがある。
9月20日(土)−22日(月)神戸女学院大学合気道部秋合宿
秋合宿である。
創部以来おそらく初めてと思われる、「合宿のしおり」をつくる。
先日、みなさんに依頼した自己紹介は、日程や注意事項と共に、その末尾に掲載した。
しおり作成の理由は、合宿参加する、しないにかかかわらず、合宿日程や部員の名前、ちょっとした個人情報を知るくらいは、よきことだろうと思ったことにある。
それに、「あの人は誰?」、「何をしている人?」、「いつの先輩?」という質問を、いろんな人から、何百回となく尋ねられると、いくらバリエーションをつけたところで、答えるのにも、いくらか飽きてくるからである。もちろん、それ以外にも、合宿参加への意識向上も狙いのひとつである。
あるいは、どこかのパクリ!?という噂もあるが・・・。
20日(土)
それはともかく、神鍋高原で迎えた合宿初日の稽古は、ゆっくりと身体をほぐすところから始まる。(うっかり寝そうになった)。
技を確認しながら、身体を充分に細かくしていく。ほぐしていく。
食後には、前代未聞のミーティングをし、恒例行事であったとされる小宴会(合宿初日の宴会)は、諸般の事情で、公的には取り止め、夜稽古に変える。
21(日)
二日目の朝稽古は朝稽古らしく、開始時間は6時半に変更。7時の開始では、すでに日が高く昇っていて、朝稽古らしくないからである。
朝の合気杖は、これまた、ゆるやかに練ることを心がける。練り練り練り練り・・・・・・。
片手取りの技では、師曰く、簡単なものほど難しく、簡単なものこそ、奥義である。
現に、それらの技に取り組む度、難しさや困難や確認事項が発見される。まさに奥義である。極意である。それだけに、何度でも新しい発見や確認がある。深い技である。おもしろさもまた際限がない。
審査は午後に行われ、今回は昇級される方々が対象となった。(昇段審査なし)。
昇級されたました方々、おめでとうございます。
途中、秋風が吹かれたのか、じっと待っているのに疲れてきたのか、急に寒くなってきた。見苦しいとは思ったが、道衣の袖を伸ばして寒さを凌いでみた。「傍観」は「防寒」に変わったけれど、身体の寒さに変わることはなかった。時間が経つほどに、ぞくぞくしてくる。局所的な痛みが頭を襲う。数年ぶりに感じる激しい頭痛だ。そして、頭痛の絶頂期は、ちょうど審査の終わりを告げる頃と重なっている。
実際、審査拝見後のワタシは、いつになく青い顔をしていたらしい。何人ものひとに、「大丈夫ですか?」と聞かれた。
原因はおそらく、夜稽古だろう。(ということに、後になって気付いた)。
例年、審査前夜は、部屋で転換したり、組み合ったりして、誰もが夜な夜な稽古しているのだが、今回は、割合人数も多いし、初めての人もいて、いろいろと面倒なので、自由参加のふりした全員参加で、夜稽古に臨んだのである。
「ひとのために善行を施すと、身体の具合が悪くなる」のは、どうやらほんとうらしい。
身に合わないことは止めにして、次回からは、予定通り、さっさと寝ることにする。
22日(月)
最終日は、気の感応の稽古。肩取り。
3日間、道場となった体育館は、片付けられると、またもとの何もなかった状態に戻る。
なんとなく寂しいが、さっぱりする。これもまた、うつろいゆくものの儚さか。
さて、3日間を通して、とくに、一教が好きだということをひしひしと感じた。あの身のこなしがたまらなく愉快である。感動が興奮に変わるくらい身体が悦ぶ。
過ごした3日間は、たいへん楽しく、たいへん充実した時間だった。
内田先生のおかげです。ありがとうございます。
大きな筋肉痛もなく、睡眠だけが足りなかったくらいで過ごせた日々に、お世話になった宿の方々に、合宿参加されたみなさまに、アクエリアス50本の差し入れを頂いた三宅先生に、心から感謝します。ありがとうございます。
ところで、今回のワタシには、合気道の審査はなかったが、いきなり「邪道四段」をいただいた。(じつは、合宿中、二段、三段と見る見るうちに昇段し、最終的にいただいたのは、「四段」だったのです、内田先生。「二段」の時代は一日、「三段」になると、わずか30分といった超短期間でした)。
「邪道」についての説明は、長くなるので割愛。
詳しくは、邪道家元、内田先生のページにありますので、お知りになりたい方は、どうぞそちらをご参考ください。
9月19日(金)
髪を切った。とてもさっぱり。
中華を食べた。とてもうまい。
歌を歌った(正確には、選曲されたものを片っ端から歌っていったので、「歌わされた?」かしらん)。とても久しぶり。
そんな三宮では、ピーター・フランクルがいて、芸を披露していた。
一連の芸が終わる直前に見たのか、彼の芸は、すぐさま、「大道芸人は、みなさまのお志で成り立っています」のことばに変わる。聞いた途端、現実世界に引き戻された気がして、なにやら興ざめした。
せっかくナマで見たのにね。
9月18日(木)
昨日、いきなり思い立って、かつての実家に帰った。
「けえったぜ、おっかさん」
「あれま、うき坊、いささか早いお着きだねえ」
などとは、誰も言わないが、「ただいま」というのが、少しはばかられた。向こうにとっては、「おかえり」と言うのは、何でもないことのように見えた。
なぜだろう。
ワタシのうちであり、ワタシのうちでない気分がしたのである。
夕方、再び西宮へと戻ってくる。
「おう、けえったぜ」
9月17日(水)
家中の掃除。いらないものを捨てる、捨てる、捨てる。
結局それが、ストレス解消法だったりするのさ。
9月16日(火)
努めて阪神ファンというわけではないが、社会現象まで引き起こした歴史的瞬間の翌日に限って新聞休刊日というのも、皮肉なものである。哀れなものである。
新聞休刊日などというものがあるのは、どうやら日本だけらしい。いるのかなあ。
9月15日(月)
感動の渦巻き起こし甲子園、空に舞い飛ぶ星野仙一
9月14日(日)
興奮して眠れない。
まるで遠足の日の前のこどもみたいだ。
いや、そうでもないか。
だって、ワタシは、遠足の日だろうがなんだろうが、何かに緊張して眠れないことなんて、ほとんどなく過ごしてきたのだから。増してや、憂鬱な遠足が楽しみで眠れないなんてことは、一度もなかった。遠足なんて、できれば、行きたくなかったのだから。
早起きして、だんじり祭りを観に行く。
南海電車に乗って、岸和田駅に着いたのは、8時半である。
9時45分から始まる駅前パレードをはじめとして、移動しながら、昼過ぎまで、多くの御輿を見た。
暑い。熱い。なんて、アツイのだろう。
だんじりまつりは何て熱いのだ。
9月13日(土)
夏のような9月。
ひたすらに汗が出る。もうよろよろしている。
かき氷を食べても、それが充分に美味しいと感じるのだから、やっぱりまだ夏みたいである。
9月12日(金)
偶然と言うか、必然と言うか。
ワタシは、だいたい同じ頃に同じことをしているらしい。
きょう、タケハラさんに会った。
去年の同じ頃、正確には、テロが起きてから一年が経った9月11日に会っている。(日録に、そう書いてあった)。
前年(つまり、テロが起きた年)には、タケハラさんは、「ニューヨーク」にいた。(日録に、そう書いてあった)。
そして、今年は、また日本で会う。
違うのは、会った場所が、去年の「神戸」から、今年の「徳島」に変わったことだろうか。
去年と同じく、マスイさんも、ちゃんと一緒だし。
まあ、元気ならそれでいいんだが。
9月11日(木)
きょうもまた暑かった。とても暑かった。汗はだらだら〜。
さあ、明日からハードな日々になるぞ。
9月10日(水)
きょうも、無事に一日が過ごせたことに感謝しよう。
9月9日(火)
救急の日。
9月8日(月)
夕方、稽古に行く。
またしても大量の汗。
スタメンフル活動の選手のように、ずっとでずっぱりだったからだ。これでまた、いくらか痩せただろうか。例え、見た目にはわからななくも。
9月7日(日)
芦屋のベリーニで、さほど間を開けずにご馳走になる機会が続いた。幸運なことである。
幸運なことではあるが、そのままにしておくのは、なんだか申し訳ない気がしてきた。昨日の食事の帰り道、「カルマ」の話が出たからである。というわけで、ワタシはワタシで、できる範囲で、誰かに何かの食事をパスしようと考えた。
今日は、ちょうど、グラタンが食べたくなる。夕方、オーブンで焼く。
焼きながら、誰にしようか考えた。誰と一緒に食べようかと思った。いろいろな条件を考える前に、ふと、頭にマチコさんが浮かんだ。
マチコさんちで、グラタンを食べる。まるで、ひとりで、勝手にデリバリーである。
そりゃ、もちろん一緒に食べたけど。用意してくれたパンと野菜も食べた。
持参した赤ワインは、グラスに注いで右回転させてみた。うまくなった。
左に回すと渋くなった。(「硬い」という印象も同時に受けた)。もう一度右回転させてから飲んだ。
満腹になりながら、話は、思わぬ方向に弾んで、気が付くと、ワタシの話に聞き入るマチコさんがいた。
ふと我に返ると、まるで、説教をしているような気分だった。
9月6日(土)
やっぱり暑い。
残暑が厳しいとか、夏の暑さが戻って来たとか、どうやら、そういう次元の問題でもなくなってきたようだ。「暑い」ことの理由が見つからないからだ。
とにかく暑い。
稽古しただけで、数キロ体重下減る。(減らせるだけの体重があるってことか・・・)
夕方、内田先生に、芦屋のベリーニでお相伴に預かる。
ご一緒させていただいたイワモトさん、サトウさんと共に、じつに、「食べることだけに専念する」食事会であった。
たいへんおいしかったです。ごちそうさまでした。
汗となって減った体重は、食後には、見事にきちんと帳尻を合わせています。
9月5日(金)
暑い。
9月4日(木)
久しぶりの稽古である。
9月なのに、涼しいどころか暑い。汗が滴りまくる。
ついつい、そのままに放っておいた一月前の左足の膝小僧。「かさぶた」になった膝小僧。おおう、受身を取ると、思ったより痛いぜ膝小僧。
ところで、昨夜見た「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」、気の感応の映画に思えてならない。その前に見た「猟奇的な彼女」は、うるるっときてしまった。あのセリフが、たまらない。「運命は〜」の件。あれもセレンデピティなのだなあ。
偶然にも、スピルバーグつながり。
9月3日(水)
ドラえもんの誕生日。
これに先駆けて、先週の金曜日、いつもの放送時間内で、「ドラえもんの誕生」のアニメをしていた。どうせ違う話になっているのだろうと思いつつ、画面を眺めた。案の定、やっぱり話が違っていた。原作とは、大きく話がずれている。マンガがアニメになるときには、まあ、よくある話だけど。
でも、初めて見た人は、それがドラえもんの謂れだと思ってしまうのだろうね。
製作者もアレンジを加えたいのはわかるけど、ちょっと設定が無理している気がした。
9月2日(火)
葉書を頂いた。
差出人は、関東のお住まいの女性、主婦の方。
ほんとうは、先月末には届いていたようだが、そのことにワタシが気付いたのが、今日になってからだったのである。すみません。(さんきゅー、モリカワ氏)。
内田先生のホームページをご覧になるうち、この日録もまた、見てくださっているとのことである。
こういう励ましのお便りは、生きている喜びにもなります。ありがとうございます。
さて、その方のお葉書にも、先般、たいそうお世話になった浜松の鈴木さんのお知らせにもあったのだが、浜松での内田先生の講習会の様子が、数日後の静岡新聞で記事になっていたらしい。
どんなのか見たいなあと、今更ながら、思いました。うーん、見たいよう〜。
9月1日(月)祝、勝手に一周年。
きょうは、9月1日。
世間的には、防災の日である。
個人的には、日録の全面公開というか、全面掲載していただくようになってから、一周年の日である。
ここに至るまでには、じつは、なが〜い歴史がある。
しかし、ときに、長い話は、書き出すと、くどくなり、読み手に不快感を生じさせることがある。それは、なんとなく申し訳ないので、書かないでいよう。(話す方が楽な場合もあるしね)。
ところで、きょう、献血をした。
勧められるまま400ml。我ながら、元気だねえ。
8月31日(日)
31日目にしてようやく、一日中家にいた。そこから一歩も出ずに過ごす日である。
ふ〜う。残暑厳しい。
8月30日(土)
雨が降ったり、止んだり、また降ったりする。
親のありがたみを肌で感じた人生で何度目かの今日、何も考えずに、皿が洗えるようになっていることに気付いた。
8月28日(木)
夏の帰省、第2弾。
電車の乗り換えと用事とで、三宮辺りを歩いていると、またしても、とんでもない雨に見舞われる。運がいいのか、悪いのか。やれやれ。
8月27日(水)
火星が接近するらしい。
「ウエスト・サイド・ストーリー」(ミラノスカラ座バージョン)を観たせいか、たららららーんと、小刻みに走りながら空を見上げる。
夜が深深と更けてきた頃、屋上に上って、もう一度、空を見上げる。
8月26日(火)
帰った日からいきなり雨。
とくに夕方は、なにもかもが壊されそうな勢いで雨が降てくる。
「もう、なんなんさっ!?これ!?」
洗濯できねーじゃねーかよ。
8月25日(月)はれ
昨夕まで、あると思っていた朝稽古、今日ばかりは、ないのである。
というわけで、朝寝をして、7時40分に起きる。
朝食のために、大広間に出ると、朝まで騒いでいたらしい人々の、落ち着きどころのない目が散見される。(チーム「すごいグループの人々」)。
荷物をまとめて、午前の稽古に向かう。
これで、今回の合宿、最後の稽古である。緊張ではなく、充実した感覚がある。
身体は満ち足りたまま、多田先生をお見送りし、我々も、関西に戻る。
名古屋まで、ウチコガ号でお送り頂き、名古屋から神戸へ。とろけるように眠りにつけるのは、ほんとうに幸せなときだからである。
今回、たくさんの、いろんな方から、技をはじめとして、いろんなことを、教えていただいた。とても楽しく、充実した合宿だった。
新しく出会えた方も、これまでに存じ上げていた方も、誰もが親切に、丁寧に対応してくださった。とてもうれしかった。ほんとうに、ありがとうございます。
まさに、合気道を通じて感じられるご縁だなあと感じるばかりの5日間でした。機会があれば、また参加させてくださいね。ほんとうに、ありがとうございました。
8月24日(日)はれ
連日のよい天気。
朝稽古、午前の稽古、午後の稽古。午後の稽古では、審査が行われる。
3級から4段の方まで、総勢43名の審査である。
ひとりの持ち時間が5分としても215分。まさに大長編映画を観る心地である。
その間は、ずっと正座しているのが気錬会の慣わしである。以前は、何人審査されようが、休憩なしの座りっぱなしだったそうである。最近では、一回のグループごとに、休憩が入るらしいと聞いて、少し安心した。
初段審査の方は、誰もが線がきれいだった。ピシッとしていて、技のキレも冴えもあった。いいなあ。
北澤さんの4段審査を拝見した。
初めて見る「審査」である。北澤さんのおそるべき凄さと大きさと強さを感じた。
夜は、昇級昇段審査を祝っての打ち上げ。
少しずつ、顔を覚えながら、気錬会のみなさんとのご縁に感謝した。
8月23日(土)はれ
富士山を背にしながら朝稽古に行く。
まだ日の早い光を背にしながら、道衣を着て、草履を履いて、歩いていると、なんだか武道家になった気分である。
稽古を終えて宿に戻るときは、光に向かって歩く。富士山が、さらに美しい。
これだけでも、来て良かったと思える。
朝食後に朝寝したせいか、午前の稽古が午後みたいだ。
今日からお見えになったテラサキさんに、少しだけ、稽古をつけていただく。
道場も、だんだんに暑くなる。大量の汗をかく。
夜は、多田先生の講義。
ことばにはうまくできないけれど、瞬間的に、ふわっと身に沁みた。構造がどうとか、形がああだとかいうのではなく、感覚として、ふわっと。なにか、どっかーんと大きな衝撃を受けたみたいだ。
カチッと、何かが音を立てて、私の身体の中で、変わったような気がする。「どれ」とは言えないけれど。ドキドキしている。
ドキドキしながらも、洗濯して、眠る。
8月22日(金)はれ
二日目の朝は早い。
朝稽古は、午前6時半からである。
何時に寝ようが、何時に起きようが、開始は6時半である。
しかも朝は、宿からの送迎バスは出ないので、歩いて道場まで行かなければならない。慌てずに歩いても、10分ほどかかる。ということは、逆算すれば、自ずと起きる時間が決まってくるわけだ。(その後、洗面所の数と合宿参加人数と起きる時間が、うまく合致しないといった学習がなされたため、個人的には、起床時間が繰り上げられることになる)。
多田先生から、呼吸法を充分にこなす仕方、そして、胆力、その意味を教えていただく。
午後の稽古が終わって、夕食を摂り、夜はバーベキューと花火。
今日のお昼から参加された、ヨネザワさん、カナタニさん、マスダさんもお元気そうである。
知っている人にお会いできるのは、やっぱりうれしい。
8月21日(木)〜25日(月)合宿だよ!山中湖:はれ
東京大学合気道気錬会(以下、気錬会)の夏合宿に参加させてもらう。
名古屋駅のバスターミナルから、午前7時40発のバスに乗る。
発車時間になって、バスの乗務員が乗車人数を数えている。人数を確認し終わり、結局、出発したのは、予定時刻の10分後。
関西(主に神戸や大阪)では、このように、発車時刻に人数を数えることは、ほとんどありえないと思う。おお、これぞ名古屋時間と実感する。
途中、大きな渋滞はなかったものの、山梨県に入った辺りの市内の道で事故があり、車線が一方になったため、予定時刻を1時間ほど送れて宿に到着。
着替えを済ませて、主将の井上さんらと一緒に1階のフロアにいると、多田先生がお見えになる。
まさに感動の一場面である。
道場となる体育館までの600メートルほどの道のりは、宿の送迎バスしてもらう。
着くと、気錬会のみなさんは、すでに準備体操を終え、足捌きをされていた。そこには、なぜか、ボストンにいるはずのたかおくんまでもがいた。
8月20日(水)
朝から、パッキング。大荷物を持って、名古屋へと向かう。
明後日から、気錬会の合宿に行くためである。今回の合宿場所は山中湖。涼しそうです。
出発の朝が早いので、かなちゃんち(名古屋の内古閑家)に泊めてもらう。東京に出てから、山中湖にヘアピン移動するのも、なんだか変な気がしたからでもある。ということで、ひとまずは、アーバンライナーで名古屋へ。
8月19日(火)俳句の日
食すれば 腹は悦ぶなり テールシチュー(投稿名、匿名希望:グリルうき坊)
さて、本日の学習。
余りにも腹が膨らみすぎると、顔がほころぶ。お酒がすすまなくなる。そして、何より、にこにこする(^^)
良い日である。
8月18日(月)
メロンパンを見ると、つい、「へぇ〜」と言ってしまいたくなるこの頃。
8月17日(日)
ふとした瞬間に、「あ、あの人は元気かなあ」と思い出すことがある。
ワタシにとっては、そういう人が、この世に何人かいる。
思い出すと、そのまま、手紙でも葉書でも、何でも良いのだけれど、とにかく、「ワタシの文字」が記される方法で、たらっと何かを書く。もちろん相手の顔を思い出しながら。
肉筆が踊る紙面が好きだ。
最近では、キーボードを打つ手(実際には指だが)が、ことばの切れ端のような、ことばのつながりのような拙い文章であれ発信することができるのなら、見てはいないと知りつつも、ワタシはここに書くのである。
「元気ですか?」
8月16日(土)
夕方、下宿に戻る。
8月15日(金)
帰省中。
8月14日(木)
大雨に降る昼過ぎに、僧侶が来る。
お盆の供養をしてもらいながら、経を唱える声をじっと聴く。
近くの親戚に挨拶して、梨を買ってもらう。
昨日の夜、先に来ていた父母の車に乗せられて、実家に帰る。祖母も一緒だ。祖父は他界している。
8月13日(水)
たらふく朝食を食べたあと(「ああ、よかった。ダイエット止めておいて」と思う瞬間である)チェックアウトをして、待ち合わせのロビーへ。
浜松駅までは、鈴木先生にお見送り頂く。内田先生に続いて、ご挨拶する。
「ではまた秋に」。
そうなのだ、次にお会いするのは、秋なのである。ああ、なぜか切ない。
内田先生とは、浜松から名古屋までご一緒する。三重県に祖父母宅があるため、ワタシは、名古屋で下車したからである。
ちょうど昼頃なので、ここでまた、うなぎを食べることもできたが、朝にたらふく食べたせいで、昼の時間になっても、おなかがいっぱいである。
そのまま、祖父母宅に向かっても良かったが、天気の良い日の名古屋を見過ごすこともなかろうと思い、急遽、名古屋観光でもしようかという気になる。
駅近辺では、行ったことがないのは、熱田神宮くらいだ。駅員に最寄り駅を聞くと、「JR」と「名鉄」があるという。「名鉄」には乗ったことがない(と思う)ので、それに乗ることにする。切符を買おうと財布を取り出し、「神宮前」までの値段を見る。
この瞬間、「犬山」という文字がワタシの目に留まる。
「イヌヤマ!?」
そうである。あの「明治村」のある「犬山」である。ということで、5秒ほど前まで行こうと思っていた行き先をあっさり変更し、明治村最寄り駅への切符を買う。なぜそこに行きたいのかは、説明すると長くなるので、割愛。念願の場所であったこということだけ付け加えておけば、充分かと思う。電車、バスを乗り継いで、ワタシはそこへ向かい、不思議な感覚に襲われながら、歩いていたのである。無意識に、怖そうなところには立ち寄らなかったけれど。(ふふふ。それにしても文学はいい)。
8月12日(火)
「浜松の鈴木さん」こと、浜松市にある天竜中学校の先生、鈴木文夫先生のご招待で、合気道の講習会に出かけられる内田先生にご一緒させていただいて、初めての浜松に行く。
内田先生と新大阪駅で待ち合わせ、一路、浜松へ。
新幹線は、やはり快適な旅である。乗車駅も少ないし、何より静かである。
昼過ぎに浜松に到着。これまでにお見受けしたことがないほどに、ラフな姿をされた夏休みヴァージョンの鈴木先生が、にっこりと改札口で待っておられる。(これまでご一緒させていただいている講義では、もちろんのように、スーツ姿しか拝見したことがない)。
現地の大坪先生の運転される車に同乗させていただき、うなぎ屋へと向かう。
じつは、うなぎには目がないワタシにとって、これは最高の悦びである。夏が近づくと、ふらふらとうなぎ屋に走るのである。うなぎを口にしているのである。大好きである。「浜松と言えば?」と聞かれたら、即座に「うなぎ」と答えるくらいだ。
創業125年の老舗「中川屋」で、「とろろうなぎ茶漬け」なるものを頂く。
うまい!!!まさに「美味なり」の食感だ。(食べ終わったあと、何もせず、そのまま帰っても文句はないほどにうまかった)。
午後から、天竜中学校の女子ソフトテニス部の部員40名の方にご指導される内田先生の講習会を拝聴しながら、テニス部の生徒さんたちと、一緒に稽古する。途中、10分ほどの休憩を挟んで、都合2時間半ほどの講習会は、とてもおもしろかった。
楽しかった。中学生の素直さを身に沁みて感じた。
夜は、地元の先生方との懇親会に混ぜていただき、たいへん刺激的な時間を過ごす。
楽しい時間の感覚を身体に受け、浜松城の見える快適なホテルの部屋で、ワタシは、とても楽しい日を思った。
たまたまつけたテレビでは、BSだろうか、ビートルズが出ている。幼い頃から、どんな機嫌が悪いときでも、これを聴けば、立ち直り、機嫌の良いときなら、なおさらよくなった。大好きだ。とても気分のよい夜に、つけたテレビで出会えるビートルズだった。
うなぎと合気道とビートルズ。最高にうれしく、楽しい日は、目が覚めると、いつも朝である。
8月11日(月)
「ハリー・ポッターと秘密の部屋」を観る。
前作に続いて、いぢわる金髪少年と親が登場したり、仲の良い友達の家族が登場したりと、話は広がるには広がって入るんだが、なんだか、もひとつね。前作の方が、全体にすっきりしていて、おもしろかった。
それから、続けて撮影したわりには、声変わりしてそうでした、どの子も。とくに男の子たち。うーん。痛いところだ。
8月10日(日)
ひー、日曜日だ。
8月9日(土)
夏仕様ということで、髪を短くカット。
これで、ぼさぼさ頭から少し解放された。
それはそうと、どこに行ったのか、探していた腕時計が洗濯機の奥底から出てきた。ああ、またやってしまったよ。でも、時計の針はちゃんと動いている。強いね、スウォッチ。念のため、干してみる。
8月8日(金)
Happy re-birthday to me.
朝起きて、またもや言ってみたいことばのひとつを口にしてみる。(日本語訳「裏誕生日おめでとう!」)
今日は、ワタシの「裏誕生日」なのだ。(村上春樹の提唱による。各人の持つ誕生日の、ちょうど裏側の日のことを言う)。
誕生日とは、また違った角度で喜べる。
8月7日(木)
所用で池田に行く。
歩いている途中、「インスタントラーメン発明記念館はこちら」、と指示する看板が眼に留まる。そうである。ここは池田、インスタントラーメン発祥の地であった。
偉大なる安藤百福氏の恩恵は、年に数回、突発的に受けている身なので、行かないわけにはいかない。(ときどき、インスタントラーメンを欲することがある)。ということで、てくてく歩く。どういう性分かは知らないが、見知らぬ地をてくてく歩くのが好きである。
発明記念館に到着。
思ったよりもきれいな建物で、すっきりとしている。どんなだろう?と思いつつ入ると、入場は無料。これにも驚いた。
展示場では、インスタントラーメン、つまりチキンラーメンのクイズがあった。10問中8問以上正解すれば、記念品がもらえる。ちゃっかりもらって帰ってきた。
8月6日(水)
まるで、夢を見ているようだ。そんな日もある。
8月5日(火)
朝から、壊れていたらしいクーラーの排水管をなおしてもらう。出かける前だったので、少し慌てたが、何とか無事に済む。
昼から、梅田に出る。暑い。汗も出る。
東京の研究者の方にお会いして、接待。
…と言うほど、大仰なものでは決してなく、ランチを食べて、観覧車に乗るくらい。
(実は、ワタクシ「観覧車」好き。これまでにも何度も乗っている)。
しかし、同じ人は、そうそう何度も誘うこともできないし、乗ってくれないので(ま、そりゃそうだわな)、遠くから来た友人知人、近くの人でも、興味がありそうなら、何となく誘って、同乗しているのである。(今日は運良く、先方も観覧車好きであった。ありがたや)。
晴れていたので、くっきりと大阪城が見えた。しばらく乗らぬ間に、500円になってましたぜ。
ここで、おしらせ。
ワタクシと観覧車に同乗されていない方で、観覧車好きな方は、もれなく、「うっきーが観覧車に誘うチャンス」が残されています。これを「特権」と見るか、「不運」と考えるかは、アナタ次第!?
さあ、みんなで観覧車にレッツゴー! うひゃひゃ。
8月4日(月)
「マトリックス」とは、実によくできた映画である。
「マトリックス・リローデッド」は、実にアジア色の濃い映画である。なぜかな。
8月3日(日)
気になるので調べてみたら、やっぱり「ピーナッツ」だった。
え、なにがって? いやあ、歌詞ですよ、歌詞。これまで、ワタシは、ずっと、そう歌ってきたし、そのように思い込んでいたんだけれども、昨日、歌が流れる場で、多くのひとから、「ヴィーナス」だと言われてしまった。瞬間、慌てたので、「ピーナッツ」だと強く反論できなかったのである。そのため、ここで調査結果をご報告。
つくった歌い手の声は「ピーナッツ」、公式ホームページでも調べてみても「ピーナッツ」と表記されている。ワタシの持っている歌詞カードだけが、「ピーナッツ」と誤植されているわけではない。
歌詞の意味を深く考えても仕方ないが、「チャコ」ときて、「ミーコ」ときて、「ピーナッツ」となる。いきなりな展開に、凄まじい名曲だと未だに思える秘密があるのだろうか。
♪星は何でも知っている〜のなら、教えて欲しい。ああ、「チャコの海岸物語」よ。
8月2日(土)
矢部さんの送別稽古。
長く親しんできた友は、これでまたひとり、すぐ近くにいなくなる。
物理的な距離が生じるのは、たしかに寂しいことである。それが精神的な距離となるのかどうか、それは、わからない。しかし、たとえば、いま、ワタシの真横に座っている誰かがいるとして、そのひとと心を通わせることができるかといえば、そうとは言い切れない。近くにいたって関わりのもてない関係は、いくらでもある。
稽古のときから、矢部さんは、「涙の矢部さん」だった。
相変わらずの優しさと、愛想の良さと、柔らかさがあり、ことばを使っての説明は、とてもうまかった。眼を赤らめて、泣きながら決して話さない。笑い顔で相手と接し、道場のなかでは、誰に対してもそうなのだ。
はなむけの演武では、ヤベさんと同期のクスさん、キタガワさん、スエマツさんが受けを取った。(ワタシもすこしだけ加えていただいた)。
ヤベッチとクウのふたりのコンビネーションのよさは、日頃から、たいへんよく知られたもので、ここにキタガワさんと加えた3人のセッションになると、もう誰も入り込めない境地である。「きょう」という日には、それが見事に集約されていたと思う。あれほどまでに、「飛ぶ!」クスさんを、ワタシはこれまで見たことがない。
稽古後は、壮行会。
誰とは言わず、涙が流れ、誰とは言わず、笑いが起きる。
紡ぎ取られたことばは、ひとつひとつ丁寧に、大事に交わされ、編まれ、交換される。ここでもまた、そこにいた誰もが、瞬間、瞬間を大事にしていたように見えた。
矢部さんは、この9月から、アメリカはミネソタ州セント・ポールで日本語を教えに行く。合気道部のひとつの時代は、こうしていま、海を渡る。
これまで、ほんとうに、いろいろありがとうございました。
また地球のどこかで会いましょう。元気でね。
8月1日(金)
初めての夏らしい休み。いや、休みらしい夏か。ま、きょうだけ。
7月31日(木)
部屋中掃除しまくる。
7月30日(水)
篭ったままにいると、いつから今日になったのか、わからない。昼みたいな夜と夜みたいな昼。でも、ほんとうの夜が来たら、街に出て宴会。
7月29日(火)
終日篭る。
7月28日(月)
終日篭る。
7月27日(日)
昨日の翌日である今日は、三宅先生にお誘い頂いた「三軸自在研究所」関係の方々が集まる講演会に参加する。(世界は広い。こういうものもあるのだから)。
パート1の午前の部では、内田先生の講演を拝聴。1時間半ほど。
「響き」をテーマに、頭(脳)が作っていると思いがちである身体のほうが、実は脳よりも随分賢く、それを「聴く」というお話。発想の転換から来る身体の話は、とてもおもしろく興味深い。リアルタイムに共感できる部分も多々あり、いつものごとく刺激を受け、考えながら、身体を使って、ワタシは聴いた。最近の先生が考えられていることを、まとまって聴けるよいとても機会だった。
お昼の休憩を挟んで、パート2の午後の部は、池上先生の講演とセミナーが4時間ほど。
三軸自在修正法の創始者であられる池上先生の雰囲気は、とても柔らかく、おもしろく、素敵である。説明のされ方も、素人にとっても、とてもわかりやすい。相手を誘い込むようなタイミングで、パッと出して、さっと引き下がる感じである。
海を渡る潮風が、反対方向から事も無げに颯爽と吹いてくる風を、さらっと綺麗にあしらったような方である。
池上先生の話されることばのなかで、とくに印象的だったのは、「三軸といった、こういうやり方があるというので、いいんです」とか、「それぞれに合う方法を探してください」というところである。「これでなければだめだ!」という強制は、どこにもない。だから、楽に聴けるし、何の気負いもなく、三軸の凄さに感動してしまうのである。(おかげで、「ほら、できるじゃん」などと言われて、すぐさまその気になってしまうのだから凄い)
三軸を使って、ワタシも、いくつか、ごりごりぐりぐり、してもらう。
と言っても、直接身体に触れずに、障らずに、「ごりぐり」してみせてくださるのだから、あら不思議。緊張がほぐれて、ゆがみも取れて、先日までに三宅先生に治してもらったところが、さらによくなっていた。ああ、三軸ってすごいや。身体って、ちゃんと共鳴するようにできているんだなあと、つくづく思う。やっぱり身体は楽器みたいである。
そういやこれまでにもワタシは、幼い頃から何度か、近い友人や知人、家族の具合が悪くなると、それとは知らずに、自分自身の身体がおかしくなっていることがよくあったのを思い出した。「共鳴する」とは、こういうところにも?がるのかしら。
とにかく、あー、おもしろかった。こんな世界もあるんだなあ。
恐るべし三軸自在修正法。恐るべし「池上ワールド」(@三宅先生)である。
三宅先生の凄さとそのパワーの発信源に驚き、池上ワールドの壮大な渦に巻き込まれた時間だった。このような素晴らしい時間を共有させていただいた幸運に、深く、深く感謝した。このような流れの中に導いてくださった内田先生に、また改めて感謝した。そして、ワタシは、全身でにこにこしながら、芦屋の夕日を浴びていた。
(後日談:ところで、昨日まで、この日は、マンガの講演会みたいなのに行くことにしてました。でも、どーも、それには行けないような気がしてたんです。前々から行く予定で手帳にも、カレンダーにも書いてたし、申し込んでもいたにもかかわらずです。なぜかはわかりません。ほんとに、「なぜか、よくわかりませんんが」という理由付けしかでかない。自分でもなんだか不思議だなあと思いつつ、今日という日が来た。来たら来たで、ことの運びがこうなったもんだから、「あら、これだったのね」と、ひとり腑に落ちる。急遽お誘い頂いた講演会を選んだワタシの身体。もう少し正しく信じてみようという気になった。大事にしよう、ワタシの身体)。
7月26日(土)
昼から合気道の稽古に行く。
ゆっくりと身体をほぐしながらの稽古。それでもたくさんの汗をかく。注意点は際限なく溢れ出てくる。
小休憩ののち、再び芦屋へ。目指すは、芦屋のベリーニへ。
今宵は、三軸自在研究所の三宅先生のご高配により、内田先生がお会いする池上先生(三宅先生の師匠にあたられる方)と、三宅先生、池上先生の関係者の方々ご列席の場に混ぜていただく幸運に恵まれたのである。
食事開始と共に繰り広げられる興味深い話を拝聴する。じゃんじゃん運ばれてくるおいしい料理とワインを堪能させていただく。「幸せだなあ〜、ぼかあぁ〜、こういうふうに食べるときが一番幸せなんだ」とでも、歌いたくなる。末席を頂戴しながら、内田先生に頂いたご縁に深く感謝するばかりの夜。
ところで、ベリーニと言えば、もう3年ほど前になるのか、一度、お誕生日祝いをしてもらいに来たことがある。(正確には「お祝いしあった」である)。お店のひとに、「誕生日のお祝いで来た」と告げると、デザートのケーキを特別に用意してくれて、写真を撮り、耳元で歌まで歌ってもらった。あのとき、耳元で歌ってくれたおじさんは、いまも、お元気そうに、お祝いの方へのケーキを配っていた。
7月25日(金)
働いて過ごす。
7月24日(木)
事務的に過ごす。日々の作業を片付けながら。
7月23日(水)
どういうわけか、朝から急に右足の付け根の関節が痛くなっている。
「こりゃたまらん。いっそのこと、ぼこっとはずせば治るだろうか」そんなことを思ってしまう。ああ、『どろろ』じゃあるまいし。昨日までは、なんともなかったのにな。
7月22日(火)
よい天気、にこにこしながら洗濯し、顔文字なんか出してみる(^0^)/
7月21日(月)
「今日は海の日の振替休日という名のお休みかあ〜」などと思っていたら、夕刻になって、どうやら今日がその「海の日」だったらしいことに気付いた。
あーはずかし。
世界中に恥をばら撒いた気がする。ま、いまさら別にいーけどさ。誰も気に止めやしてないだろうよ〜。
さて、前回辺り、「みなさん、こんにちは」などと書いて、学校給食のときのことを思い出した。ワタシが通っていた小学校には学校給食があって、毎日毎日、給食時間になると飽きもせず、給食委員か何かの人の放送が必ず流れていた。(※当然のようにワタシは、そのような面倒な当番が回ってくる委員にはならない)。給食時間になると、毎度流れてくるその放送を聞くでもなく、聞かないでもなく6年間を過ごしていたせいで、結構変な記憶が残っている。
放送の出だしは、「みなさん、こんにちは。給食の放送の時間です。今日の献立は、パン、牛乳…(以下略)」という感じで、献立紹介のあとは、豆知識というか、カルシウムだの、炭水化物だのの効果やお話があったように思われる。(いったい誰が選んでいたんだろう!)話の内容について、いまではこれ以上は何も覚えてないのだけれど、どうでもいい出だしの方だけは、いまでもほとんど反射的に覚えている。おかげで、「みなさん、こんにちは」という(とくに「のべたーん」とした感じで言うのがコツみたいでしたなあ)上の句には必ず、「給食の放送の時間です」と下の句が続いてしまう。こういう刷り込みって怖いなあと思う。とくに大きな害もないことだから、まあ、いいか、というふうに過ごしている。
それにしても給食はまずかった。悪知恵も働く高学年になると、使えるだけの手を使って、ほとんど食べずに過ごした記憶しかない。こんなこと言うと叱られるかもしれないけれど、給食というのは、ほ・ん・と・うー!!!にまずいっ。給食を通して、「栄養バランスのよい食事」とか、「ちゃんと食べ物を作ってくれた方に感謝しよう」ということを教えようとしていたのかもしれないけれど、それより先に給食の中身自体を見直したほうがいい。それから、根本的に身体によくない思いをさせることをとおして、「よいこと」をしつけようとするのには無理がある。それ自体、かなりバランスが悪いことなのだということに、早く誰かが気付かなければならないと思う。そこに気付いてもらえない限り、ワタシみたいな者は、ある種の拷問を受け続けるわけですわーね。
あと、「みなさ〜ん」というふうに、「さ」と「ん」の間に「〜」で現す伸ばす音を言うと、たちまちドン・ガバチョを思い出してしまう。
「相変わらず例えが古いなあ」と言われても、これはどうやら体質みたいなものなので、変更ができるのかどうかは謎である。体癖ならば、さらに謎である。
7月20日(日)
海の日。来年からは第三月曜日になるらしい。ふーん。
7月19日(土)
光岡英稔先生が来られる。5時間ほどの講習会だったが、あっという間だった。
身体の使い方は、こちらの理解をはるかに超えたものであることは、いちおうはわかっていたつもりだが、実際に見るとまた凄い。動きに美しさがあり、しなやかさがあり、どこにも凝り固まりや「ため」のようなものがないのである。いらないものは「すぐに捨てる」姿勢にも驚きながらも、かなり感動した。
要点を正しく抑えて理解し、身体の正しいあり方を学ぶこと。
自分自身の身体の動きの変化に注意すること。
正しいあり方を教えてくれる人に出会うこと。
あれほど気さくで、感じがよくて、にこやかで、謙虚な方をワタシは知らない。そう感じてならない素敵な方である。何らかの宿命があの方にあるのなら、それは至極当然のことだろう。宿命によって導かれる方としてのあり方を見ると、人間のすさまじさを目の前にしているような気分になるし、そして何より生きていてよかったと思える。
7月18日(金)ダイエットについて
みなさん、こんにちは。突然ですが、ワタクシ、本日を持ちまして、「ダイエット」をやめることにしました。
「え?ダイエットなんてしてたの?知らなかったよ」とか、「ダイエットしてたのは知ってたけど、ちっとも様子が変わらないから、もうとっくの前にやめたのかと思ってたよ」などという声が、全国各地から聞こえてきそうですが、いえ決して止めてはおりませんでした。きのうまで、曲がりなりにもちゃんと続けていたのです。微々たる名誉のために申して上げておきますと、これでもいくらか痩せたのです。まあ、数量にしておよそ2キログラムというところですが。ちょっとだけスリムになって、ズボンも結構だぶっとしてしたりなんかして、本人も割と喜んでいたのです。というようなわずかな成果もありながら、今回、やめることにしました。
理由は簡単です。朝食が食べたくなったからです。朝食を摂らないのは、身体によくないと思ったから、それだけのことです。
実は、ワタシはこれまで人生で一度も「ダイエット」と名の付くものを実践したり、取り組んだりしたことがありませんでした。もちろん「痩せた方がいいなあ」とか、「もうちょっとバランスのよい身体になりたいなあ」などということは、数十回は思ったことがありますが、いつもそこまでで、何らかの実行に移すことはなかったのです。
それが先月、従兄の結婚式に参列することになり、スーツを着ることになりました。
ワタシの式ではないのですから、そう張り切ることもがんばることもないのですが、うっかり太ってしまって、「服が入らなかったから欠席します、ごめんね」と言わなければならないことほど、哀れな欠席理由はありません。そんなことをしたら、おそらく一生その従兄から笑われるでしょう。笑われるくらいならまだいい方ですが、恨まれるかもしれません。いくらワタシでも、親戚とはいえ、何もわざわざ恨みを買うようなことはしたくないので、一念発起してダイエットをすることに決めたわけです。それが先々月の下旬の話です。しかし、それまで一度もダイエットなんてしたことがありませんから、どうすればいいのか、まるでわかりませんでした。
そんなとき、内田先生がちょうどダイエットをされていることを知り、とりあえず、道具も何も要らず、すぐにできる方法のようだったので(なんだか何かに似ていますが)、それを教えていただきました。(先生のホームページをご覧の方ならご存知でしょうが、いわゆる「朝昼二食抜きダイエット」というやつです)。
三度三度のメシを大事に生きてきた人物にとって、これは、割と過酷なものになりそうでした。ですから、始めて三日くらいのうちは、初日に朝だけを、二日目には昼を、そして三日目から夜だけに…という具合に段階を経て食事を抜いていきました。
おかげで、三日目からは、すんなりその体制に入ることができました。そして毎日、大量の水分を取る日々が始まったのです。それ自体は健康によさそうでしたが、「水太りしないかなあ」と、反対にそのことが気になりました。実際、そんなことはありませんでしたが。
続けるうち、いらぬ肉は落ち、スーツも入り(ほんとうは、それまでも入ってはいたようですが、「見てくれよく」ということばが付いたかどうかはわかりません)誰にも恨みを買うこともなく、無事に式にも出ることができました。ダイエットは、そこで止めてもよかったのですが、それはそのままワタシにとっての「願掛け」となりました。「学会発表」という名の。
なんとかそれも済み、そこで止めてもよかったのですが、その頃には、ダイエットにまた別の目的が付いていたのです。そうです。なぜだか楽しくなっていたのです。食べないで水を摂る食生活にも結構慣れてもいたのです。
そんな今日、突然、朝食が食べたくなりました。ダイエット期間中にも、朝食や昼食を何度か口にすることもありましたが、ちゃんとしたモノではなく、だらっとつまむ程度で食べるくらいでした。訳もなく、朝食を食べたくなりました。というわけで、やめることにします。
そもそもワタシがダイエットをしていたことをご存知でない方にとっては、「ふーん」で済む話でしょうから、そのままにしておいてください。ご存知だった方は、「あーそうなの」という程度には、受け止めてもらえるんでしょうか。
長い話になりましたが、ひとまずは、トントントントン……と、朝に時間があるときは、ぜひまた、それをしたいと思います。
7月17日(木)
用事があって、卒業以来、一度も寄り付くどころか、行ったことのない高校に行く。
高校三年のときの担任は、風の噂どおり、まだ勤務されていた。
「先生、お変わりなく」
「おおお、元気か。おまえも変わらんなあ…あ、でも、メガネが…」
「はい、コンタクトにしました…大学に入ってすぐに…」
「そおかあ、ふーん」(以下略)
そういや卒業間際のワタシは、日常的にメガネをかけていたことを思い出した。それまでももちろん、生まれたときから近眼だったが(じつは「先天性近乱視」である)、メガネをかけるのがいやで、必要最低限しかかけていなかったのだ。とくに生活に不便はなかったからである。教室では席替えのたびに前の方を選び、授業も黒板を見るためだけにかけていた。しかし、それにも限界が来た。
ある時、歩いていて、(おそらく歩いているときの自分自身の目つきが悪いと感じた、人生で何度目かのことだろうと思うが、とにかく)遠くが見えにくいために、しかめっ面になることがいやになったのである。メガネをかけたまま歩いてみた。すると、はっきりと遠くのモノが見えた。(当然である。メガネとはそういう役目も果すものだ)
メガネをいうものは、日常的にかけていると、鼻の辺りがとても暑くなる。とくに、汗かきには優しくない道具だ。夏なんかとくに。まあ、というわけで、大学入学を機にようやくコンタクトにした。
別にそれまでにもコンタクトにする手はいくらでもあったけれど、ワタシは当時から(そしていまでも)極度の面倒くさがりなので、友達から、コンタクトの扱い方の話を聞くだけでも充分に難儀だったから、避けていた。
当時の担任の先生と話した帰り、ふとこんなことを思い出した。
あんまり時間がなかったので、先生との会話の時間は知れたものだったので、また改めて会いに行こうと思う。というのもこの先生は、フフフフフ…。
ではまた次回。
7月16日(水)
タカハシ先生とキムラさんと会食。
ひょんなご縁で知り得たキムラさんは、とても気さくで、じつに気持ちのさっぱりしたひとである。素直に「いいですね」と思えるひとである。(とワタシは、会うたびにそう思っているのである)。こういうひとはワタシにとって、「大切な友達」なので、ときどき混ぜていただく光栄な食事の機会を楽しみに、とても大切にしている。
また、先生との話をうかがっていると、こういう関わり方もあるのだなあと、いろいろと勉強になるのがほんとうのところ。
質問したり、刺激を受けたり、意見を述べたりしながら過ごして食べた料理が、これまたうまい。おいしい食事は楽しい会話と共にある。
7月15日(火)
心地よい日。天気もいいし、気温もいい。そして、なんてたって湿度が低そうなのがよい。風もさらっとそよいでいる。そよそよ〜。
7月14日(月)
フランス革命の日。
7月13日(日)
とんでもなく雨が降る。どうなってんだよ、空は。
7月12日(土)
大学の総合文化学科主催のシンポジウム、「新しい教養教育をもとめてー総合文化学科の取り組みー」の講演を聴きに行く。講演者は佐藤学さん。題して「市民的教養とは何か」。
いや凄かった、凄かった。聴き終わったあとの率直な感じは、いきなり後ろから、斧か何かで頭を殴られたような気分。頭上には、マンガ的な星がきらきら。叩かれたショックで出てくるアレですね。それらが、いくつもいくつも、ぐるぐると頭の上を回る。
なにか全身を貫かれたような感覚だけが残される。
耳で聴いた「学ぶ」ことの大切さ、「教養」の重要性、「型」の根源的な必要性のそれぞれが、私の全身をいっきに駆け抜けて行く、そんなふうだ。
あるいは、海岸をぼんやりと歩いていたら、いきなりドドドドドッーと大きな波が打ち寄せてきて、全身が水浸しになる。急なことで波から逃れられない。波はお構いなしに、いくらもやってくる。次第に緩やかな波に変わるうち、ようやく潮がひく。潮がひけば、海岸には波が残した貝殻がいくつも転がっている。私は海岸でそれらを拾い歩き、きちんと手にすることができるだろうか。
「学び」について説明されるとき、佐藤先生は、「学」という漢字の旧字体や新字体を取り挙げられた。その途端、いや、もうそれだけで、「教養」とは、人間が生きるうえで持ちあわさなければならぬものであり、極論すれば、それがなければ、生きていくことさえままならないように思えた。
「挨拶」については、これが「学ぶ」ことやそれ以外のことのすべての始まりであると、佐藤先生は言われたように思う。(…ように理解した)。幼い頃から、礼儀と挨拶だけは、恐ろしいほどしつけられたせいか、おかげでいまの私には、それらに大きな苦はない。
そして、ときにワタシは、挨拶ができない人間を「人間として生きていくのは考えものだ」と思ってしまったり、挨拶は、言葉にさえすればそれでよいというものではなく、きちんと「対話」のなかで成立してこそ「挨拶」なのだとまで思ったりしてしまう。
これは、「挨拶」を日々実践して取り組んで生きているうちに得た私なりの感覚である。昨今は、このことをさらに強く感じるようになっていた。
挨拶の話が出たとき、私は挨拶をとおして、自ら感じ、思っていることを言ってくださる大人に、またひとり出会えた気がした。「自らのうちで感じたこと」を「大人」のひとに少しでも肯定されると、とてもうれしい。講演を聴きながら、「こういう形での『学び』の形態もあるのかなあ?」とふと思った。
それにしても。
「教養」のなさは、何かにつけて素養のないことを再認識してしまうのだから、私にとっては、まさに赤面の至りである。しかし、このような赤裸々な姿や自身のことをさらけだすことでまた、羞恥の念にかられるのだから、もう泣きたくなってくる。二重に哀しい。
しかし、生きるしかない。…というか、生きるための充分なヒントや刺激があり、ワタシはこれを書いているいまもまだ、フレンドリーな佐藤先生の聴衆をいきなり引っ張りこむようなあの話ひとつひとつが忘れられずに、鳴り響いているのだ。
7月11日(金)
♪知ってる人は知っている〜知らない人は知らない〜 アンパンマン♪
それこそこんな歌、どなたがご存知なのかはわかりませんが…ま、とにかく、あの日から、ちょうど一年経ちました。
7月10日(木)
まただ。いい加減していただきたいものである。腹を立てる方の身にもなってくれ。ただでさえ暑いこの頃なのだ。せめて余計なエネルギーを使うようにしむけないでくれ。頼むから。わからなんのかね、そんなことも。
ああ、イライラは治まらず、心は乱れてばかりである。かといって、こんなところにその事実を書きたてるほど、いやなことはない。(だって、書くと後に残るし、残るとあとからまた思い出して、きっと気分が悪くなるでしょうから。二重三重に気分が悪くなるのは、最初に気分が悪いのとは、また少し違った感覚が伴って気分が悪くなるので、結局は二重三重に身体によくない)。
うちに帰ってから、ジーンズを切る。ちょっとそのままでは穿きにくいほど「だぶだぶ」になった(はいほー!痩せたのです!)のを切る。短パンにした。
7月9日(水)
ありがとう。どういたしまして。
数ある「ことば」のなかから、どうして私たちは、これを選んだのだろう。
この「ことば」を手に入れたのだろう。
7月8日(火)
晴れる。そろそろ明けるんだろうか、梅雨。そんなふうに思わせる空だ。
5限が終わると異様におなかが空いたのを感じた。少しのエネルギーも無駄には使えないほど消耗していた。だから、ほとんど誰とも眼をあわさず、誰とも口を利かず、一目散に山を降りた。そして、うちに帰って、すぐにご飯を作って食べた。…と言いたいところだが、冷蔵庫にはいますぐ食べられるものが何も入ってなかったので、すぐまた買い物に出かける。おなかが減っているときは、いらないものまで買ってしまいそうになるのをぐっとこらえながら。
7月7日(月)
七夕。珍しくよい天気。
7月6日(日)
穏やかに日曜日。
細々とつけている合気道日誌なるものがある。きょうそれを何の気なく読み返すと、結構荒れていたりする。「日誌」ならメモ程度であってもいいはずなのに。また時が経てば、同じようなことを思うのだろうな。それはまた楽しみでもだけれど。
ところで、肩凝りって、なで肩人間にもあるものなのだろうか。
7月5日(土)
髪を切る。
髪を切る前のシャンプーは、いつもどおりではなく、「スケルプシャンプー」とかいうのをしてもらう。(たぶん、こんな名前だったと思う)。
洗ってくれた方の説明によれば、毛根だか毛穴だかから髪をきれいにするものらしい。日頃の汗や埃を洗い流すことで、次に生えてくる髪もまたきれいになるという仕掛けだそうだ。
前を向いたまま、後ろから聞こえてくる声に耳を傾けながら、そう聞いた。仰向けになった状態である。経験のある方なら、瞬時に想像がつくだろうが、こういう状態で話を聞くというのは、意外に難しい技が必要である。
で、そのシャンプーは、初めての試みだったので、どのような効果があるのか、いまはまだよくわからない。ま、頭はずいぶんさっぱりしたのだ。
7月4日(金)
アメリカ独立記念日。
7月3日(木)
「なぜだかは知らないけれど、最近不調だよ」と、突然身体がワタシに訴えた。
静かに冷静になって(あるいは、なったつもりで)考えてみると、どうやら近頃文句を言うのを忘れていたらしい。いけない、いけない。
悪口は定期的に言うべし。
これは、これまでに学んだなかで何よりも実践している教訓である。
ということで、さて、文句である。しかし、これをどこに吐き出すか。うーん。
7月2日(水)
ワタシは、疲れすぎると、昼だろうと夕方だろうと、お構いなく、そして、どこでも眠ってしまう体質である。おそらく、「疲れすぎて眠れぬ」ことはない。
7月1日(火)
欲を言えば、ワタシは、いちごののっかった白い生クリームのケーキが食べたかった。
それを求めるのは、いまのところ、最期に口にしたいのは、やっぱりこれだと思っているというような理由があるからでもあるが、単に「いちご好き」という理由からでもある。
きょうは、入った店が初めてでよく知らず、いちごののっかった白い生クリームのケーキがなかったので、その店で一番おいしそうに見えたのを食べた。バウンドケーキの上に白いクリームといちごがそっと置いてあるのにした。スポンジが少し堅かったのが惜しい。
究極の「いちごののっかった白い生クリームのケーキ」を求めて、またどこかで食べるとしよう。
…というのが、7月初日の出来事のひとつ。
6月30日(月)
嵐のような6月も今日で最終日となった。
明日からは7月である。7月になっても、嵐は止むことなく、これまでの嵐のなかの雨や風が、さらに強くなりそうである。
6月29日(日)
大阪の児童文学館に行く。見つかった資料を手にし、いくらか読みふける。しかしながら、今日に限っては長居もできず、昼過ぎに西宮へと戻る。近隣の図書館に立ち寄るためである。今度は、図書館で書籍のいくらかを借りて調べるが、そこでもばたばたと慌しく過ごしてしまった。さらに西へ、三宮に出る。タワーレコードで予約しておいたCDを受け取るべく入ったのだが、レジだけで結構並ばされた。梅雨の晴れ間の休日とくれば、やはり人が多いのだろうか。どこもかしこも、いつもの倍は人がいるみたいだ。
移動の合間に(失礼!)斉藤孝『スポーツマンガの身体論』(中公新書、2003)を読了。相変わらず、よく本を出す人だなあと思う。
ようやく夕方の5時に、いつもの待ち合わせ場所にたどり着き、すぐさま地下鉄に乗って、驚異の居酒屋へと向かう。何が驚異かといえば、料理のうまさが半端じゃないことだ。
ジュワっとコロモがいい感じに口に広がるアジフライや、恐ろしいほどに火加減がいい韮玉がある。穴子寿司になると、もう「…!?」な状態だ!(うまさの表現が稚拙だ)。
とにかくあの味に会いに、また行ってしまいそうである。
6月28日(土)
朝から夕方までの集中講義。そのあと、新歓コンパに駆けつける。
6月27日(金)
遂に『マトリックス・リローデッド』であるよ。観てしまったのであ〜る。
朝からの予定には、どこにも入ってなかったが、時間を見つけて観に行こうと常々思っていたのと、毎週エグチさんに、「『マトリックス』観ましたか?」と尋ねられていたのとで、おそらく本日の身体が、勝手に映画館を目指したのだろう。(…と、身体のせいにする)。
最終の上映時間に飛び込めば、感想は「おもしろい」の一言に尽きる。(観終わった瞬間、二度観たくなるエグチさんの気持ちがとてもよくわかった)。次へのつなげ方もいいし。
今回は画面の要所、要所で気になる図柄があったので、それが気になっている。少しもやもやしている。次号を見れば、この「もやもや」観がいくらか晴れて、いくらか謎が解けるだろうか。ああ、秋が少し待ち遠しい。
それにしても。キアヌ・リーブスの背中はなんと美しい。
6月26日(木)
VIAに出る。これで出るのは5回目、見るのは6回目。
どうやら、ワタシの場合、何か事を始める場合、決まって最初は、「拝見する」という行為がある。「見学する」とは少し違う。とにかく、拝見してから、事を始めるような流れになっているような気がする。幼い頃から。
しかし、楽しかった。
6月25日(水)
はっきりと見えにくくなってきた。
前に買ったのはいつだろうかと思い出してみても、はっきりした記憶がない。あの人と会ったときには、既にかけていたなあとか、「似合うね」と言われたことがあったなあという断片的な記憶はあるのだけれど。
とにかく、今のままの視力じゃ、ちょっと遠くのものが見えにくくなってきている。
危なくならないうちに新しくしなければ。ほとんど身の一部なのだから。
ああ、メガネが欲しい。
6月24日(火)
思ったよりも神戸新聞を読んでおられる方が多かったと実感した今日、それは