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2007年07月 アーカイブ

2007年07月27日

「岸和田だんじり讀本」校了

「岸和田だんじり讀本」をやっとこさ校了した。
http://www.140b.jp/blog/2007/07/post_26.html

昨日夕刻、校了紙を印刷所から引き上げて、さらに
朱書きを入れた。
なぜなら、泉田祐志氏から夜半のメールで、1ヶ月
前に草稿をお送りしていた彫刻師の西本五葉師のお
孫さんから連絡があり、「母(五葉師の娘さんにあ
たる)によると、父(五葉師)は高村光雲の弟子で
あり、山本瑞雲の弟子ではないと記憶する」との知
らせがあったからである。
これは、直さなくてはならないのである。

時あたかも天神祭の本宮で、大阪北新地周辺は混雑
しているので、それを避けてわざわざ一つ手前の新
福島駅で降りる。
そうすると、どこからか紛れもなくだんじり囃子が
聞こえてくるではないか。
鉦や太鼓の音に惹かれるように歩いていくと、そこ
は福島天満宮で、浴衣姿の男女でにぎわう境内では
御輿数基と子供だんじりが置かれていて、舞台の上
では中学生くらい少年たちが、梅鉢紋が入った法被
姿でだんじり囃子を奏していた。
こんなところにも天神祭があるのであった。
オレは数分、彼らの演奏を聴いて境内を出て、神社
数軒隣のたこ焼き屋でたこ焼きを買って編集集団1
40Bの事務所に校了作業に向かった。

岸和田方面から「だんじり本は、どないなっとんね
ん。ブログで何も書いてへんわし。本、買うちゃれ
へんど」という声が多数あり、ついさっき直接、電
話でもあったので、これから書いていくことにする。

というより、5月半ば以降、土曜日曜は、書き手で
ある岸和田の泉田祐志氏の祐風堂http://www.140b.jp/blog/
2007/07/post_9.html
か、だんじり大工の吉為工務店隣の
萬屋誠司邸、あるいは表紙〜カット〜本文レイアウ
トをやってもらっている籔内画伯の針金工場跡の蚊
が入りまくりのアトリエで、編集作業にいそしんで
いた。
ほんまにこうしてパソコンのキーボードをたたいて
いる暇がなかったのである。
そして、ことだんじり関連については、なんでもそ
うだが岸和田でやらないと仕事にならない。
「おお、この写真ええわし〜。迫力あるのぉー」
「よっしゃ、ほたらこのページに入れといちゃろ」
というように、岸和田弁でないと編集が進まないの
であった。
それら一連の仕事は、基盤となるコミュニケーショ
ンの上に乗っかるものでしかない。
だから、この2ヶ月はほかの仕事はレギュラーの連
載以外、一切していない。
放送関係も6月は休んだ。

「取材12年、執筆6年」と表紙帯に大書している
ように、この本は並大抵の本ではない。
この「取材12年」も正確には17年なのであった
が、泉田氏が「ちょっと割り引いとこか」というこ
とで12年にしたほどである。
そして思い出すのは、このブログが元になった「だ
んじり若頭日記」(05年8月発行 晶文社)で、すで
に「何としても、泉田祐志氏のだんじり本を上梓し
たい」と書いたことである。
http://nagaya.tatsuru.com/kou/kou.html 7月19日(土)

まことに言葉というのは行為遂行的で、若頭筆頭を
03年にさせてもらい、この長屋でブログを書き、
05年に「だんじり若頭日記」を本にしていただ
き、06年にエルマガジン社を辞め、編集集団140B
を設立した。 
それからすぐにこの「だんじり讀本」にかかろうと
していて、台割りまで出来ていたのだが、写真の件
や「街的ということ」の執筆や諸事情があり、去年
は出せなかった。
今年になって満を持して台割をやり変え再編集し、
とうとうここまでこぎ着けたのである。

版元のブレーンセンターのI田社長には、2年間
待っていただき、また当初「300頁には収めま
す」と言っていたのだが、それが320頁になり最後は
344頁にもなった。
カラー頁も「48頁くらい」で、写真も「だいたい100
点です」と言っていたのだが、それぞれ大幅に増
え、カラー頁が200頁を超え、写真点数も200点は
軽く超えてしまった。
その都度「I田社長、ご相談なんですが…」と言う
と、I田社長は毎回「やりやすいようにしてくださ
い」と意気に感じるご返事だった。
ふつう、カラーページが3倍以上になったり、総
ページ数も50頁増えると、「それでは値段も」と
なるものだが、「それはそれ、当初通りで行きま
しょう」と税込みで2000円のままである。
「これを見たら今後だんじり本を作りたくなくなる
ような、納得いく本を」とおっしゃるI田社長は、
まことに太っ腹であり、岸和田だんじり精神を知る
人である。

残るは参考文献と協力リスト、表紙回りや帯、つま
り奥付と付き物である。
「協力」や「写真提供」はほんとうにいろんな方か
ら助けていただいた。 
ここに叩頭して御礼を申し上げます。
みなさんどうもありがとうございました。

取材や写真撮影については、祭当日以外、各町のだ
んじりは人目に触れることはない。
それ以外にだんじりが非公式に出るのは修理や段取
り時だが、われわれ書き手全員が祭の当事者なので
各人は自町でそれをやっている。
なので他町のだんじりについては、取材はおろか写
真撮影なんて出来ない。
だから写真はいろいろな方に探していただきお借り
して揃えたし、各町地車についてあえてお話を聞い
たり写真に撮ることは、わざわざ地車を出していた
だき、普段取り付けられている地車の金網を外して
いただいたりと、祭礼関係者のお手を煩わせること
となった。
なのでスペシャル・サンクス欄には非常に気を遣う
のである。
そして只でさえ「度胸千両系男稼業」の方々が多い
土地柄、「あの人の名前が載っていてなぜ自分が載
らないのか」「順番がちがうのでは」ということが
予想される。
そういうことのないように沢山の方の名前をクレ
ジットしよう、というのは素人考えと言うもので、
こういう場合は極力人数を絞ろうということになる。
そのあたりの微妙な意思統一が、全員が岸和田それ
も旧市出身で祭の当事者の書き手、デザイナーだか
らこそ可能なのであった。

だからこそ、今回は各町個別のことがらに関しての
記述は最後の最後まで気を遣った。
要するに何を書いて、何を書かないか、というとこ
ろである。

この本の発売日は8月半ば、盆休み絡みなのでまだ
はっきり出ていないが、これからこの長屋において
今回の「だんじり讀本」編集執筆のこぼれ話を9月
だんじり祭の本番まで、わたしは書いていくことに
する。
われわれは1年中なにを置いても「だんじり」であ
り、それをこうしたメンバーで1冊の本に出来たの
はほんとうに奇跡のようなことであると思う。

なのでとりあえず今日のところは、著者紹介をして
おく。

著者
泉田祐志(いづた・ゆうじ)
岸和田市筋海町に生まれる。
幼少の頃から古い大工の家系を有する岸和田祭好き
の祖母、親戚や近所に大工・職人が多く住むという
環境の中で育った。小学生の時に自町の地車を調べ
始めたのをきっかけに、その他の町の地車にも興味
を持ち調べ始める。
その後、地車大工・彫物師からの聞き書きを重ね
る。21歳の時、地車研究の若松均氏に出会い多く
の教示を受ける。筋海町では昭和60年青年団団
長、平成9年拾五人組組長、平成17年若頭筆頭を
務める。
また平成13年から岸和田だんじり祭振興会のホー
ムページ内で「祭狂爺爺」のペンネームでだんじり
コラムを執筆している。

著者
萬屋誠司(よろずや・せいじ)
岸和田市大工町に生まれ、幼少時よりだんじり祭に
親しむ。
平成11年〜16年岸和田だんじり会館に勤務。見
學稔氏、泉田祐志氏の師事のもと、だんじりの調
査・研究に打ち込む。
岸和田だんじり会館十周年記念誌『岸和田のだんじ
り』を編集(平成15年9月発行)。
現在、大工町新調委員、私立飛翔館高校「だんじり
コース」非常勤講師(平成17年〜)。

著者・編者
江 弘毅(こう・ひろき)
編集者。岸和田市五軒屋町生まれ。だんじり祭で育
つ。
京阪神エルマガジン社で「ミーツ・リージョナル」
「西の旅」誌編集長ほか取締役編集本部長を歴任。
06年退社、大阪・中之島に編集集団(株)140
B設立。
著書に『岸和田だんじり祭だんじり若頭日記』(晶
文社)、『「街的」ということ〜お好み焼き屋は街
の学校だ』(講談社現代新書)など。
平成15年五軒屋町若頭筆頭。京都精華大人文学部
非常勤講師。

絵・書籍デザイン
籔内 博(やぶうち・ひろし)
画家。岸和田市中町生まれ。
80年代は、演劇活動(劇団「天使の誘惑館」を主
宰)に没頭、
90年代、グラフィック・DTP活動を経た後、画家生
活へ。
演劇仕立ての絵画作品と平行して、地元では毎年だ
んじりの絵を制作、発表している。
かたわら幼児・こども対象の絵画教室「アトリエズ
ガ」を設立し、本人曰く明日の日本のため、こども
たちと絵や工作で格闘中である。

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