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2006年06月 アーカイブ

2006年06月07日

物書き稼業で西東

6月4日(日)

岸和田のプロ仕様のだんじり関連用品店(旗、幟、法被、襷、飾物一式と名刺には書いてある)、「祐風堂」で「岸和田だんじり讀本」の打ち合わせ。
この書籍は、平成17年度筋海町若頭でだんじり研究家の泉田祐志氏、大工町の元だんじり会館職員の萬屋誠司氏がメインの書き手で、宮本町若頭で歯黒猛夫氏とわたしが編集する前代未聞のエキスパート向けだんじり解説書である。
見物客相手のガイドブックなどでは決してない。

このところ、この長屋日記がベースとなった「だんじり若頭日記」(晶文社)の出版もあってか、書き物の受注が多い。
連載は『ミーツ』の「街語り」、『あまから手帖』では京都で最も予約が取りにくい割烹・祇園 さ々木の移店ルポルタージュ「祇園さ々木流」を6回、そして朝日新聞系の週刊PR紙では画家の奈路道程さんとのコラボ「街を恋う」が7月早々から始まる。
「執筆に少し軸足を…」ということをチョロっと話にはしたことはしたのだが、おかげさまで、である。
月に締め切り6回はちょっとしんどいとも思うが、なんとかやってみようではないか。
昨日は昨日で、グルメ雑誌『dancyu』の焼肉特集の取材があった。取材には違いないが「元ミーツ編集長・だんじりエディターがおすすめする」みたいな依頼で、ライターのM本くんを神戸花隈の「満月」へ案内する。
オレは決して焼肉体質ではないが、ミーツ、岸和田だんじり、といった絵札カードが「焼肉」に直結するんだろうか、ちょっと複雑な気持ちである。
久しぶりの満月はやっぱり凄くうまくて、M本くんは大感激していたが、オレは店がエラいだけなのに、その旨さをまるで自分のことのように勝ち誇ったように自慢していた。
この店ももう予約が入らないほどの盛況で、開店が午後5時なのに撮影が終わるその10分前にはすでに予約客が2~3組、店の外のベンチで待っていた。
撮影を終え、大阪・中之島のオフィスに戻ると、『料理通信』から「大阪、京都、名古屋のお値打ち感とお値打ち店」という特集企画のコラム執筆依頼が着いていた。
締め切りは12日(月)。ちょっとキッツイ、か。

さて岸和田では、筋海町の祐風堂に着くやいなや、狙い澄ましたかようにM雄からケータイ電話が入る。
まだ4時前なのにM雄は酔っ払った口調で「M人とこで飲んでるし、はよこんかい。仕事? 日曜日に何やってんなぁ」と調子がいい。
「岸和田だんじり讀本」は320Pの大作である。 いろいろ話は、紛糾しそうになったが版元のブレーンセンターさんの「世に残るものを」「岸和田の皆さんで納得いくものを」「祭前の出版予定が、仮に遅れたとしてもそれはそれでいい」という太っ腹を意気に感じ、「これは、やならあかん」と遣り回し前みたいな気合いが入るのである。
萬屋さんが地元の写真家や写真館を回って集めてきてくれている。
いくら書籍とはいえ、やはり図解や彫物紹介頁はしっかりデザインしなくてはならない。
そのあたりを詰める。
午後6時を回って編集会議、いや編集の寄り合いは終了。

旧い街並みをとぼとぼ歩いて、テーラータカクラへ行くと、M人M雄とM人の弟のS吾、それから今年若頭に上がったばかりのKタカが仕舞た屋の店で焼酎の水割りをしこたま飲んでいる。
M雄はろれつがあまり回っていない、と思っていたらカウンターに突っ伏して寝だした。
S吾とKタカが「口の利き方」で言い合いをしている。
昨年度若頭筆頭のM人が「お前ら二人とも情けないわ」と説教をかます。
S吾は突然、『若頭日記』に出てくる「なかむら」のお好み焼きの焼きそばと、その娘さんと同級生だったという話をして涙ぐむ http://nagaya.tatsuru.com/kou/archives/2005_12.html(12月20日)。
「ヒロキくん。あの話聞いた時、寄り合いの最中やったから、へぇー、ほんまですかぁ、て答えただけやったけど、住所わかるんやったら年賀状でも出さなあかん」
すまんS吾、住所聞くの忘れたわ。西方寺の住職のハジメさんに聞いたら多分知ってると思う。
Kタカもその娘さんをよく知っているとのことで、小学校の頃の昔の想い出話を語る。
「なかむらの焼きそばもそうやけど、お前とこのトルコライス、もいっぺん食べたいのぉ」
とみんなでKタカに言う。テーラータカクラの3軒隣にある彼の実家は「じゅあん」という洋食屋で、ドライカレーにトンカツと目玉焼きがのっているトルコライスが名物だったし、その頃サーフィンをしていて大食いだったオレには、胸焼けなんて言葉はなかった。
そしていつの間にか、トルコライスのじゅあんも店を閉めていた。
岸和田五軒屋町のこういう話は甘くて少しほろ苦い。

2006年06月13日

祇園割烹作法

6月10日(土)


「料理通信」のエッセイ執筆の取材ために京都に行ってきた。
大阪、京都の「お値打ち感」とは? というコーナーでのコラムである。
電話とメールで打ち合わせをして、書こうとしている内容は、大阪のお値打ちはうどんやお好み焼きや串カツとかの日常のファーストフード的なものにあり、京都はやっぱり祇園や木屋町や先斗町といった旧い花街にある割烹にある、ということだ。

そのために明治26年創業の 南船場の「うさみ亭マツバヤ」の元祖きつねうどんと京都祇園の割烹「橙」を取材する。
マツバヤのきつねうどんは550円で、それはリーズナブルやコストパフォーマンスといった物言いや物差しでは到底書くことが出来ない。
このところよく使われる「リーズナブル」という言葉は「これぐらいの素材で、こういう手間がかかっているからこの価格である」だったり「高いけれど、それ以上においしいから納得」という、価格とクオリティや量のマッチメークのさまを指すが、そういう七面倒くさい理屈上の物差しは、街場の大阪では通用しないからだ。
こちらでの「お値打ち感」は、店側の額面通りのそのものズバリ「これでどや」、そしてそれを受けた客側の「はい、よっしゃ」という感覚であり、ここに小気味がいいコミニュカティブな浪速気質が現れている。

祇園の割烹は、基本的に一見お断りである。
一見お断りというのは、裏を返せばその店の馴染みになってこそその真価が分かる、という側面があり、長い時間をかけてしっかりその店とつきあえるかどうかが「値打ち」を左右する。
だから店側がその客の好み、その日のシチュエーションなどなどのいろんな要素を察知するからこその「自分だけに依怙贔屓をしてくれる」カスタマイズがあり、それを目の前で、割烹すなわち包丁と火によって実際にパフォーマンスとして演じてくれるところに京料理としての真髄がある。
「橙」は祇園花見小路と四条通の門にある「一力亭」の斜め向かいにある。
比較的「地方の客」に開かれた店で、東京からのお客も多い。
佐野眞一著の『阿片王 満州の夜と霧』はA級戦犯・里見甫の満州利権と阿片にからむ怪奇な生涯を描いた会心の長編だが、京都時代の里見が入り浸った、と第八章に書かれたお茶屋「万イト」の1階部分はこの店だ。
そして万イトは一力亭(万亭だったがいつのまにか一と力が切り離されて一力となった)の暖簾分けである。
もう70歳になる大将の山村文夫さんから、その大正時代の麻製の「暖簾分けの暖簾」を見せて頂く。
だからどうだ、というわけでもないが、人と歴史が磨いてきた京都ならではの、何ものでもない「店の気」のようなものは、そこの最上の料理や酒を所望しただそれを消費しようと欲望するだけでは理解できない。
そしてそういう「お値打ち」は計量不可能だから、情報誌にはデータとして載っていない。

取材撮影を終え、バッキー井上と久しぶりに祇園で飲む。
錦市場の漬物屋であるかれは、自転車に乗って、祇園に現れた。
まだ6時という早い時間なので、井上がオレを連れて行こうとする「祇園サンボア」ほかのお目当ては、残念ながらまだ開いていない。
2~3軒さまよった後、「いそむら」で水割り2杯を飲み、「安参」で軽く肉をつまみコップ酒を飲み、お茶屋改造の「大仲」でケーキとミュスカデを飲み、ハワイアンバー「ケルト」で7日に亡くなられた大橋節夫のファイナルコンサートのビデオを観る。

明くる10日になって、飲んでるだけはダメで書かねばならぬ。なので「草稿になれば」とメモ代わりにそんなことをパソコンに書き散らかし、デスクトップに残したまま、午後7時過ぎに内田センセのお宅に行く。
ドクター快気お祝いを兼ねた甲南麻雀連盟の例会があるからだ。
結果はすでにアップされた内田先生のブログ通り。
最後の半荘で何年ぶりかの四暗刻を自摸ったのだが、トップは取れなかった。
うー、悔しい。

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