物書き稼業で西東
6月4日(日)
岸和田のプロ仕様のだんじり関連用品店(旗、幟、法被、襷、飾物一式と名刺には書いてある)、「祐風堂」で「岸和田だんじり讀本」の打ち合わせ。
この書籍は、平成17年度筋海町若頭でだんじり研究家の泉田祐志氏、大工町の元だんじり会館職員の萬屋誠司氏がメインの書き手で、宮本町若頭で歯黒猛夫氏とわたしが編集する前代未聞のエキスパート向けだんじり解説書である。
見物客相手のガイドブックなどでは決してない。
このところ、この長屋日記がベースとなった「だんじり若頭日記」(晶文社)の出版もあってか、書き物の受注が多い。
連載は『ミーツ』の「街語り」、『あまから手帖』では京都で最も予約が取りにくい割烹・祇園 さ々木の移店ルポルタージュ「祇園さ々木流」を6回、そして朝日新聞系の週刊PR紙では画家の奈路道程さんとのコラボ「街を恋う」が7月早々から始まる。
「執筆に少し軸足を…」ということをチョロっと話にはしたことはしたのだが、おかげさまで、である。
月に締め切り6回はちょっとしんどいとも思うが、なんとかやってみようではないか。
昨日は昨日で、グルメ雑誌『dancyu』の焼肉特集の取材があった。取材には違いないが「元ミーツ編集長・だんじりエディターがおすすめする」みたいな依頼で、ライターのM本くんを神戸花隈の「満月」へ案内する。
オレは決して焼肉体質ではないが、ミーツ、岸和田だんじり、といった絵札カードが「焼肉」に直結するんだろうか、ちょっと複雑な気持ちである。
久しぶりの満月はやっぱり凄くうまくて、M本くんは大感激していたが、オレは店がエラいだけなのに、その旨さをまるで自分のことのように勝ち誇ったように自慢していた。
この店ももう予約が入らないほどの盛況で、開店が午後5時なのに撮影が終わるその10分前にはすでに予約客が2~3組、店の外のベンチで待っていた。
撮影を終え、大阪・中之島のオフィスに戻ると、『料理通信』から「大阪、京都、名古屋のお値打ち感とお値打ち店」という特集企画のコラム執筆依頼が着いていた。
締め切りは12日(月)。ちょっとキッツイ、か。
さて岸和田では、筋海町の祐風堂に着くやいなや、狙い澄ましたかようにM雄からケータイ電話が入る。
まだ4時前なのにM雄は酔っ払った口調で「M人とこで飲んでるし、はよこんかい。仕事? 日曜日に何やってんなぁ」と調子がいい。
「岸和田だんじり讀本」は320Pの大作である。 いろいろ話は、紛糾しそうになったが版元のブレーンセンターさんの「世に残るものを」「岸和田の皆さんで納得いくものを」「祭前の出版予定が、仮に遅れたとしてもそれはそれでいい」という太っ腹を意気に感じ、「これは、やならあかん」と遣り回し前みたいな気合いが入るのである。
萬屋さんが地元の写真家や写真館を回って集めてきてくれている。
いくら書籍とはいえ、やはり図解や彫物紹介頁はしっかりデザインしなくてはならない。
そのあたりを詰める。
午後6時を回って編集会議、いや編集の寄り合いは終了。
旧い街並みをとぼとぼ歩いて、テーラータカクラへ行くと、M人M雄とM人の弟のS吾、それから今年若頭に上がったばかりのKタカが仕舞た屋の店で焼酎の水割りをしこたま飲んでいる。
M雄はろれつがあまり回っていない、と思っていたらカウンターに突っ伏して寝だした。
S吾とKタカが「口の利き方」で言い合いをしている。
昨年度若頭筆頭のM人が「お前ら二人とも情けないわ」と説教をかます。
S吾は突然、『若頭日記』に出てくる「なかむら」のお好み焼きの焼きそばと、その娘さんと同級生だったという話をして涙ぐむ http://nagaya.tatsuru.com/kou/archives/2005_12.html(12月20日)。
「ヒロキくん。あの話聞いた時、寄り合いの最中やったから、へぇー、ほんまですかぁ、て答えただけやったけど、住所わかるんやったら年賀状でも出さなあかん」
すまんS吾、住所聞くの忘れたわ。西方寺の住職のハジメさんに聞いたら多分知ってると思う。
Kタカもその娘さんをよく知っているとのことで、小学校の頃の昔の想い出話を語る。
「なかむらの焼きそばもそうやけど、お前とこのトルコライス、もいっぺん食べたいのぉ」
とみんなでKタカに言う。テーラータカクラの3軒隣にある彼の実家は「じゅあん」という洋食屋で、ドライカレーにトンカツと目玉焼きがのっているトルコライスが名物だったし、その頃サーフィンをしていて大食いだったオレには、胸焼けなんて言葉はなかった。
そしていつの間にか、トルコライスのじゅあんも店を閉めていた。
岸和田五軒屋町のこういう話は甘くて少しほろ苦い。