12月29日

 2024年3月に内田先生のブログ長屋に入居させていただき、年の瀬を迎えています。タイトルは内田先生が決めてくださるということで、どんな看板になるのかな〜と楽しみにしていました。いただいたのは「イヂチノリコのコリアタウンに霧が降る」でした(イヂチがイジチでないところはさすが!です)。
 この「霧が降る」という下りが絶妙だな〜と思い、「夜霧よ今夜もありがとう」という歌が思い浮かんだので、ここからの援用でしょうかとお尋ねしたところ、そうではなく「哀愁の街に霧が降る」からですとのお返事でした。内田先生が6歳くらいの時の流行歌だそうです。子どもの頃にこの歌を歩きながら歌っているとお母さんにどやされたというエピソード付きで紹介いただいたので、こちらにも挙げておきます。歌手の山田慎二さん、素敵なお声です。
https://www.youtube.com/watch?v=lPxHc7g7v54
「霧が降る」つながりで、いろいろ検索してみると椎名誠の『哀愁の街に霧が降るのだ』がヒットしました。内田先生が以前、「若い人にお薦めする本」のアンケート本に取り上げたほどの椎名誠の最高傑作とのことで、早速購入しました。1944年生まれの椎名誠が学生時代を過ごした1960年代初頭の東京の片隅にあった、一筋縄ではいかないけど何となくまとまっているようにも見える共同生活の場「克美荘」の日々が描かれています。面白すぎで声を抑えられず笑いながら読み、思わずページに頭を突っ込みそうになりながら読みました。時代も、生育の背景も、地域も、ジェンダーも違う、なのにどこか「懐かしい」んです。私は、この「どこか懐かしい」という感じが好きで大事にしたいな、と思っています。
 大阪コリアタウンに「鳥よし」という鶏屋さんがあります。鶏肉だけを扱う店で、仕入れた丸鶏を、店内で解体して唐揚げと照り焼き、蒸し鶏を店頭で売っています。蒸し鶏は丸まま蒸して店頭に置かれ、丸一羽でも、半羽でも、頼めばこれらをぶつ切りにしてくれます。店内は通りから全面丸見えなので、丸鶏を出刃包丁でバンバン切り分け、唐揚げ粉をガンガンまぶして、たっぷりの揚げ油の入った業務用フライヤーにどんどん放り込み、カラッと揚がった鶏唐が網でザブザブ掬い上げられているのを観ているとウキウキします。作業場の奥で仕上げられた手羽、手羽先、ムネ肉の照り焼きは、「これ1パック」というつもりの口を「やっぱり2パック」と言わせてしまう強力な照り照りぶりと香ばしい匂いを発しています。なんせ、手羽先7つ入って500円という料金設定は今どきのおかず市場でなかなかお目にかかれない、「どうや!買ったってや!!」というお店の心意気を感じるものです。そんな大阪のコリアタウンのど真ん中からちょっと東にある「鳥よし」ですが、お店の方は、皆さん、淡々と作業し、静かに客と対応して商品を捌いておられます。
 その中で、店主の娘さんと思われる女性がいます。私は、その人とやりとりするのがとても好きなんです。年齢は、私より10歳ほど下のように思われる彼女は、作業中に店頭に客が来ると、目の片隅でピシッとまずは相手を確認し、全く愛想など入れない調子で「なにしましょ?」と対面に来てくれます。それは無愛想という態度とは全く違っていて、店内で展開される鶏の解体や調理の流れから店頭にやってくる、という風にみえます。店頭で注文数に迷いが出た私を静かに観察するようにまっすぐ見て、決して急かす雰囲気はなく、ただ待ってくれています。私はおかずを買う時、即決が苦手で、食べる人の顔や場を思い浮かべながら注文する、かなり面倒な客なので、後ろに人が並んでいると「イラつくだろうな〜」と思いながらも「急いては事を仕損じる」という立ち止まりが同時多発するので、「迷惑」な客となるのですが、彼女は「そんなことは気にしていません」とばかりに待ってくれています。ようやく決意して、「唐揚げ1袋」(これも500円で10個ほど入っている)、「やっぱり2袋」と揺れた結論を出す私の注文を、やや低めの声で「2袋で」と受け取り、熱々になるよう二度目の揚げにかかり、ザブサブと私の唐揚げをたっぷりの油に泳がせてくれるのです。ここの唐揚げは、肉に最低限火が通った段階で一旦店頭に並べ、家で二度揚げする場合はそのまま、しっかり揚げ切った段階で持ち帰る場合は、二度揚げを店内でしてくれます。
 私の唐揚げがフライヤーで泳いでいる間に、彼女はもちろん別のオーダーを待ち、隙を見ては他の店員に短い指示を低い声で出し、全体を観察しながら事を進めているのですが、その無駄のない動きを店頭の隅で見ながら唐揚げを待つ間、何か懐かしい時間に戻るようにも思えます。ぼうっと立っていると、「はい、お待ち」と袋を差し出されハッとなり、ああ立ち去らないと、と思います。袋を差し出す彼女の目はとても澄んでいて、ほんの少しだけ笑みを含んでいるようにも感じます。そんな差引のないやりとりの余韻が、懐かしさなのかもしれません。今年は、年末最後まで大阪コリアタウン歴史資料館の展示改訂作業で、稽古納めには参加できなかったのですが、ちょうど「鳥よし」で直会の一品を買う機会にもなり、彼女とも年末のやりとりができたのでした。この大阪コリアタウンにできた大阪コリアタウン歴史資料館物語は、また別の機会に。
 皆さま、良い年をお迎えください。安寧!