生きていれば

 弟は今どこで何をしているだろうか、生きてれば。と思うことは、1年に1回あるかないかです。それは薄情では、というご意見もあるかもしれません。そうですね、自分では薄情な方だと思います。それなのに、なぜこういうフレーズが出てきたのかというと、術後連日連夜、韓流ドラマを観ているからなんです。
 以前は、観ようと決めた作品しかみませんでした。コロナ禍前くらいまでの韓流ドラマは最終回までの放映回数が多く、『チャングムの誓い(原題:大長今)』なんて全54話でしたし、見出したら止まらなくなることはわかっているからです。あれやこれやと思いつくもんですから、朝から寝るまで、暇さえあればパソコンの前であっちに連絡こっちへ依頼、どんどん貯まる執筆宿題にダラダラ取り組む日々の中にどっぷりいたので、そんな時間は取れないな〜と思い込んでいました。ですから、観たことのある韓流ドラマは、『冬のソナタ』『オール・イン』『チャングムの誓い』『イ・サン』で一旦止まり、『愛の不時着』(これは2周しました)で再開し『ミスター・サンシャイン』でまた一旦停止。
 人生2回目に入院した時(初回は、難産のため1泊だけでとっとと助産院へ転院)、あまりにも暇なうえに部屋から出てうろうろできない、という事態に置かれ、はたと「韓流ドラマでも観よう」と思い至ったのでした。さて何を観るか。済州を第二の故郷と思う(そもそも第一の故郷が「ここ」というところがないのに)私は、以前から道友に勧められていた『俺たちのブルース』を観始めることにしました。最初は、撮影場所が済州のあちこちであることがわかってしまう(1年に3〜4回、30年も通っているせいです)、一つの村であるかのように構成されることへの違和感や、済州出身の俳優であるコ・ドゥシム(海女の親分)と地元のエクストラの方々以外の出演者が頑張る済州語が耳についたりして、慣れるまでしばらくかかりました。有名俳優を配していることもありますが、ストーリー構成も面白く、続けてみていると「自身との和解」の物語であることがわかり見応えがありました(最後の漢拏山登山はちと長すぎるけど)。
 ちょうど退院し、食事はゆっくり時間をかけ食後もしばらく休憩という体に変身したので、そのまま夕食後に1本いくか!という調子です。韓流ドラマに別の理由で距離を置いていた相方も、結局引きづられて一緒に鑑賞。あっという間にのめり込み、検索魔なので作品情報やら俳優の履歴や日常について、娘や私よりも博識になっています。一作品観終えると、次に何を観ようかとなるのですが、私はすでに教えてもらった情報はほぼ忘れているので提案なし(あんまり観たくない感覚を持つ作品はある)。そこで、次第に脚本+俳優陣という観点から相方が選んでくるようになってきました。その中で、今のところ最も筋書きの予想が難しかった作品は『シスターズ』。女性の多様な顔(欲望)を描き出す脚本、すごいですね〜、チョン・ソギョン。そして、今観ているのは『ザ・キング』です。
『ザ・キング』主演の一人、イ・ミンホは私が制作に関わったAppleTVドラマ『パチンコ』でもメインキャストの一人。人気俳優のようですが、私の従弟に少し似ているという変な理由で何となく積極的に彼を観たいとは思えないところ、『ザ・キング』はストーリー推しということで視聴開始。脚本は、『ミスター・サンシャイン』『太陽の末裔』『トッケビ』などを手掛けた金銀淑(キム・ウンスク)。1894年建国の大韓帝国が現在まで続いている世界と大韓民国がある世界、パラレルに存在するこの二つの世界が交錯していくことになる展開です。同じ顔の人間が、それぞれの世界にいるという設定。であれば、大韓民国ではすでに死んだ人も、大韓帝国では生きているかもしれない。主演の一人、キム・ゴウン演じるチャン・テウルは、大韓帝国皇帝イ・ゴン(イ・ミンホ)に連れられ別世界への扉の中へ。そこで彼女が思い立ったのは、5歳の時に死別した母と同じ顔の人がもう一つの世界では生きているかもしれないということでした。8話まででは会えず終いですが、このエピソードに私は「その手があったか」と不意を突かれた感じがしたのでした。ドラマでは、王朝もののような儀礼が必然的に出てくる作品以外は、なかなか日常での祀りごとの場面は出てこないですが、何となく死者との対話が顔をだすと作品の流れにぐんと厚みが出るような気がします。あったかもしれない時空と今いる自分を振り返る機会は、ありそうでなかなかないものです。ドラマを観る時間を持つようになり、いろんなリハビリにもなっているようです。
 明日8月19日からは久々に済州に行きます。村のオモニの祭祀です(他にも仕事がありますが)。祭祀に行くと、あるいは実家や叔母の家にある仏壇に手を合わせるとき、たまに行く墓参りで、そこに眠る人の当時や、もしやの今をふと思います。その瞬間が、時空を超え亡き人と共にいる静謐なひとときなのかもしれません。