1月5日(日) かわいくない学生

 国立で、国内では1番の大学という自負のある組織的に「かわいい仲間」とは、やはり非有色人種で、家族神話を大切にするような旧いタイプで、ことの理非が通らなくてもある程度蓋をする人間像なのではないか、と「中途半端に頭のいい人間」の僕はそう思う。

 有色人種で、家族神話や結婚神話を全然信じていなくて、気持ちの悪いものが混じっていると"No thank you"です...と一歩引くような学生は、最初は物珍しがられるが、次第に「かわいくない仲間」となり、割りを食う。

 ボタンのかけ違いは「『上司』に気に入られないと死ぬ」という強迫観念を心に秘めているかどうかの違いだと思う。『上司』とは現実には文字通りの上司であったり、先生であったり、先輩であったりするわけだが、問題は『上司』が気に入らない『部下』を「殺す」という行動である。

 例えばハンガリーという国に住み着いたとき、住みついたのが早い順番に大きい権力を分配していき、後から来た人たちのうち目障りなものたちを「殺していく」というシステムを「いいこと」だと思っているかどうかの違いである。

 僕はそれを全然いいことだと思わない。

 その『上司』の脅しこそが人権侵害であり、『上司』がそんな酷いことをしなければいいのだ。僕は本当にハンガリーの話をしているのだろうか。これはアメリカの話の気がしてきた。アメリカによる介入以前はもしかすると今よりもアジア人含む移民に寛容な社会がハンガリーにも存在したのかもしれないという気がしないでもない。どちらにしろ上の立場の人間が下の人間をいじめちゃダメだろう。その脅しが自由な気風と政治の流動性を奪う。

 とにかく、「えらい人はひどいことができるのだ」という考えについては僕は心底みっともないと思うからやめてほしい。