暖房もシャワーもない環境なんて酷すぎる環境だが、だからといって寒さを凌ぐことができないわけではない。お湯が必要なのであればキッチンで熱湯を作って水と混ぜれば適温のお湯ができる。
部屋の電気を付けておけば室温は少し上がる。布団を重ねれば体温は保存できる。
電気と水が止まれば流石にもう打つ手はないけれど、まだ電気と水はあるし。こういう積み重ねで病気をしないくらいの環境を作ることができないわけではないと思う。しかし環境が劣悪だということに変わりはない。さすがにこの環境の長期化は無理だ。
いいアパートに住むために高いお金を払ったり、怪しげなパートナーを見つけて二人以上で住んだりするのがいいかというと(そういう方法を取る人がいる)、それは僕は危険だと思う。そもそもパートナーがいないとまともに生活できない環境についてちゃんと警戒すべきだ。その環境は自立を否定している可能性がある。それよりは自分に強いられている劣悪さを直視し、その程度と性質を分析して、お金にも友達にも頼らないで生き延びる方法を自分で考えるのが確実だと思う。頼れる人がいたらいるに越したことはないけれど。
問題は暖房のあるなしだけではなく、移民に対して暖房すら与えないモラルの方にあるのだから、表面的な解決だけを追っても仕方がない。呆れるような攻撃は寒さだけではなく、バスが平気でアジア人を乗車拒否するとかそういうところ(こういうことをされるせいで予定が邪魔される。)にも現れているのだから、対策は慎重に考えないといけない。
人間にとって本当に必要なものはそう簡単に他人が奪うことはできない。電灯と毛布があれば本は読める。パソコンがあれば映画が見られる。紙と鉛筆があれば手紙が書ける。
中途半端な貧乏は惨めだが、貧乏を極めてしまえば知恵の宝庫である。