12月30日(月)ビーガンの口に肉を押し込むことについて

 動物性の食品を食べないと公言している人間に対して、その人間の口に無理やり肉を押し込むということはどういうことなのだろう。

 一般的にヴィーガンという生き方がいいか悪いとかいうことについて僕は話していない。それはもっと複雑な問題だ。まあ本音で言えば、相手が動物性の食物を食べるかどうかについて一度聞いておく程度の想像力は持っていてくれ、と思う。

 しかし今考えることが必要なのはそれではなくて、ヴィーガンを公言している人に対して、その人がヴィーガンだと知っている人が、その人の口に無理やり肉を押し込むとはどういうことなのか。たった一つのその論題についてのみ考えたい。

 12月22日に僕は無理やり肉を食わされた。それまで約一年間動物性のものは口にしていなかった。

 後で、もしかしたらその人は僕がヴィーガンだと知らなかったのかもしれないという万一の可能性に賭けて「あれはやめて欲しかった」と伝えたら、「その場で拒否しなかったあなたが悪い」といきなり責められるだけだった。

 しかし、僕としては、言わなくても気がついて欲しかったのだ。僕が肉を食べることについて一度もはっきりyesと言わなかったことに、気がついて欲しかった。ずっと嫌そうな顔をしていることに気づいて欲しかった。

 肉を食べたくなかった。そして、相手には間違いを認めて欲しかった。

 機内食でもナッツとフルーツしか食べず、ブダペストでは野菜と穀物を中心に料理した。卵を含む麺類は使わず、白砂糖を使った調味料も使わないようにした。小麦でできたパンを食べ、ジャガイモで炭水化物を摂取した。そうして料理していると人体は意外に肉も卵も牛乳も必要としていないことがわかり、動物性の食物がなかったらなかったでどうにかなるんだな、と気づくことが日々の楽しみになっていた。

 だから、その楽しみを意図的に邪魔にされたことに対して真剣に腹が立った。

 少なくとも、「noと言わなかったあなたが悪い」という言い分は、ただ単に尊厳を踏み躙るだけのレイプだった。レイプの肯定。食事を出したのはハンガリーの大学講師だ。僕に罪悪感だけを強いたのはその子供で、かつて僕が友達だと思おうとした人だ。どうしてyes means yesが理解できないハンガリーのみっともないレイプカルチャーを開陳せずにはいられないのだろう?