東海地方は亜熱帯
7月14日
うぎゃあ。
身体が・・・
全身に、蕁麻疹。
ここ3日ほど前から、体のあちこちがかゆかった。
おそらく、汗を大量にかいているところに、金属アレルギーが出たのであろう。
金具が直接肌に触れたところが、かぶれたように赤くなってかゆみを伴っていた。
熱帯夜が続いているので、じわ~っと汗がにじむ。
あせもかもしれへん。
今朝は洗濯をして、それから出勤したのだが、すでにハンドルが熱くてもてない。
予想気温は35度やったけれど、車で外の気温を見ると37度。
これで、クーラーの効いたところとそうでないところをうろうろするのだから、体がおかしくなってしまう。
ああ、蕁麻疹って、見ているだけでも気持ちが悪い・・・
そういえば、汗をかいている割には、身体が浮腫む。
毒を溜め込んでいる感じ。
水分も十分に取っているつもりなのに・・・とりわけこの1週間は、自分の身体じゃないみたいだ。
7月13日
廃人同様。
もう、あかん。
とはいえ、7月末まで講義は終わらない。
気力だけで乗り切っているのに・・・
清志郎が入院?喉頭癌?
ショック・・・
喉頭癌なんて、歌手生命にかかわるやん。
清志郎さんに恋したのは、小学生のとき。
ませたガキやった。
みんながたのきんとかに熱を上げているのをよそに、RCのレコードを小遣いためて少しずつ買うたし、お金がないので中古レコードも漁った。
そういえば、勝新太郎も喉頭癌やなかったっけ。
彼は「役者」信念ゆえ、手術を拒んだ(顔や喉にメスを入れられたくない)というエピソードが残っている。
真偽のほどはどうでもええ。
清志郎は初期段階で発見されたのだろうか・・・
全然詳細が分からない。
今朝、出勤のときに何気なく「RCを久しぶりに聞こう」と思ったのは、なぜなんや。
ネットの前で、呆然。
家に帰って呆然。
おまけに暑い。
倒れそうや。
7月12日
うちの学科には、夏休みの読書課題というものがある。
学生があまりにも本を読まないことから、考案されたらしい。
それぞれの先生方が新書か文庫を2冊推薦し、その中から1回生と2回生は2冊選んで、要約と考察を書く訓練をするものだ。
今日、その本の一覧を見ると、なんとよく知った題名が・・・
『先生はえらい』『子どもは判ってくれない』
ちなみに、推薦者は私ではない。(なんて恩知らずな・・・)
最初は、私も『寝ながら学べる構造主義』を選ぼうかと思ったのだが、結局『表徴の帝国』と『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』の2冊にした。
一応、自分の専門というか今でも邁進したい研究分野である「日本文化」「日本映画」にかかわるものにこだわってみたのだ。
で、推薦した先生に「あの本の著者は、実は私の恩師でして」と世間話をする。
「いやあ、読みやすくて面白い本ですよね」と言うてはりました。
しかし、『先生はえらい』というタイトルをみて学生が選ぶのだろうか・・・
『子どもは・・・』のタイトルで、フランソワ・トリュフォーを想起する学生もいなさそうだし・・・まあ、これは関係のない話だが。
これで、どっと学生が選んで購入したら、印税の一部でおごってくれないかなあ・・・
7月11日
卒業研究の中間発表。
今日も、ほぼ全員にコメントをしました。
しなかった人は、他の先生方がすでに十分コメントしたときと、コメントのしようがなかったとき。
これでしばらく4回生は私に近寄らないでしょう。
しんどかった。
でも、今日はとても嬉しいことがありました。
本当に、本当に嬉しかった。
一つは、今日で前期最後の講義だった科目に聴講生として熱心にきいてくれはったおじさまから「面白かった。後期もまたよろしくお願いします」といってもらえたこと。
こんな若造に、映画のことなんて何が言えるんだ、えらそうに、と思われてもおかしくない。
映画とは怖いものなのです。
でも、お世辞にも「面白かった」といっていただけたのは、光栄です。
もう一つは、昨日のことなのですが、非常勤の講義でのこと。
講義が終わって片付けていると、一人の学生が来て、メディアに対する考えが広がりましたと、感想を言いに来てくれたのだ。
これもたとえお世辞や冷やかしでも、講義が役に立ったと言ってもらえたのは光栄の限りです。
そうか、先生業を辞められない人が多いのは、きっとこの瞬間の喜びなんやな。
なんか、忙殺されている自分の要領の悪さに、落ち込む毎日だったのだが、光がさした気分。
しかも、非常勤のその講義は、昨日と先週とあまりにも私語がうるさい人がいたので、「うるさいねんけど、出てってくれへんかなあ」と叱り、昨日など「しゃべりたかったら出てって」と再度怒ると、ほんとうに10人以上も出て行ったのだ。
そんなに、つまらない話を私はしているのかと、内心ひどく落ち込んでいた。
だから、一人でもそういう風に受け取ってくれた学生がいたことに、感激してしまった。
ありがとう。
7月8日
研究会。
日文研へ行く。
自分の所属する研究会以外に、むかいの部屋でもう一つの研究会が行われている。
そのおかげで、まったく予期していなかった先生にお会いできて、お話しすることができた。
また、山田先生にもお目にかかれてよかった。
共同研究会は刺激的な場所である。
そして、「あかん。もっと勉強せな」と痛感させられる場所でもある。
ほんまに、勉強せなあかんなあ。
今日の名言。
「ここに集まってくる研究者は妖怪である」
もう一つの研究会が「妖怪について」だったのをみて、一緒にいた研究会のメンバーの人が「私最近思うんだけれど、私たちって妖怪とかわらないんじゃないかと思って。急に気になりだして、小松先生の著書とか読んで妖怪についてちゃんと知ろうと思うの」と言い出したのだ。
確かに、暗くなった日文研から懇親会に行くためにぞろぞろと歩く姿は、百鬼夜行かもしれない。
私ももちろん、その中に含まれている。
7月7日
七夕。
七夕にしか来られません。。。と泣きながら、主治医のところに駆け込んだ。
今日の心にしみたお言葉。
「日本にはな、昔から悪代官と越後屋と百姓しかおらへんねん」
夜は、DVD三昧。
必要に迫られて、『リング』日本版とハリウッド版、『呪怨』日本版とハリウッド版を見る。
なんか、書きたくなってきた。
7月6日
日焼けしたスポーツ大会の打ち上げと言うか、委員をつとめてくれた学生の慰労会をする。
「先生の授業難しい」といわれてしまった。
すみません。
「黒板を消すのが早い」としかられました。
申し訳ない。
考慮いたします。
7月4日
卒業研究の中間発表。
自分が学生だったとき、卒論に中間発表などなかった。
修士のときは・・・覚えていない。
なかったと思うが、いろいろな授業内で中間発表にかわる場を与えてもらっていたような。
博士のときは、思い出したくもない。
あんなにつらかったときはない。
まあ、そのおかげで、今の私がいるのだから、そんなことを言うては罰が当たる。
だが、思い出したくもないと言うことは、忘れることもできないということでもあるのだ。
ああ、こわい。
そう思うと、学士の段階で中間発表とは。
来たときは、卒業研究と言う名称に戸惑ったが、映像作品を製作したいという人もいるので、卒論にならないらしい。
なるほど。
一人3分で何が喋れるの?と思っていたが、これが大変。
私は幸いにも4回生を担当していないので、ほとんど面識のない学生たちである。
誰が、誰のゼミかも知らない。
最初のほうは、様子をみながら他の先生方がコメントをするのを聞いていた。
なるほどねえ。
後ろに座っている先生から「小川さんもコメントして」と言われる。
まあ、基本的なことなら。
そう思って、内心「こんなテーマは10年かかっても無理でしょう」と思われるようなものなどに「絞ったほうがいいですよ」とか、コメントしていたのだが、だんだん「来年、うちのゼミ生たちは大丈夫かしら」と不安になってきた。
司会をしている先生が、質問のときになると、私のほうを見るので、眼が合う。
何を言ってほしいのか、これが手に取るようにわかるので、「ああ、今これを言うのが私の役割なんやわ」と思い込まされ、気がつけば、ほぼ全員にコメントしていた。
どうも4回生を恐怖に陥れてしまったようだ。
あの恐ろしい鬼婆はなにもの??
でも、だいたい同じことをどの先生も言うのだから。
時間通りに進行するはずがなく、昼の13時半から始まって、18時過ぎまでデス・マッチ。
ちなみに3回生も、これに参加することになっている。
来年の自分たちの姿を見ておくわけだ。
来週と2回に分けて行われるのだが、前半の今日が終わったとき、後ろから私の講義をとっている3回生がやってきて、「すべてにコメントしてこわい人がいると思っていたら、先生だったんだ」といわれた。
どういう意味?
終わってから他の先生方と話をしていると、今回司会をしていた先生が、去年の私の役割だったそうだ。
どおりで、こっちに振るわけだ。
槍持ち部隊は、ちゃんと仕事をこなしました。
7月1日
ゼミの同期の結婚祝賀会。
といっても、10人ほどで同窓会がてらにお食事会をしただけ。
彼女は、今年に入って同棲し、4月には入籍をしていたそうだが、一言もそんな話を聞いていなかった。
水臭いやつめ。
知っていた友人の一部が「じゃあ、私たちでお披露目祝賀会を計画する」と言い出したそうで、ゼミの同期である私ともう一人に連絡が来たのだ。
大家である内田先生のゼミ2期生。
3人だけだった。
考えてみれば、よく3人で遊んでいた。
ゼミ旅行の香港を皮切りに、ゼミ旅行OG参加で、3人でタイにもバリにも行ったし、先生に運転をさせて、温泉まで行った。
しょっちゅうつるんでいたわけではないが、なんだかんだと思い出しては集まったりしていた。
久しぶりに3人揃ったのだが、ぜんぜんお互いかわっていない。
おまけに集ったメンバーは、みんな中高部からの友人たち。
中高部のときから考えると、ゼミ3人の組み合わせもそうだが、今日集まったメンバーは当時仲良しグループで一緒にいたわけでもない。
不思議な組み合わせである。
排他的な仲良しグループにとらわれずに、彼女のために集まる友人たちがいる。
彼女の魅力なんだろう。
本当に、懐かしいメンバーで楽しかった。
今度は、3人で集まろうかな。