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2006年05月 アーカイブ

2006年05月22日

父と娘

5月15日(月)

「去年の秋から社員全員に対して強制です」という総務担当の言葉の一つが嘘であると知り、退社後も守秘義務を遂行しますという意の「誓約書」に判を押さぬまま、ここは秘密国家かと恐れいななき逃げ切り退社を敢行。そして、8年の時間という財産を背中にしょって京阪神エルマガジン社から(株)140B(http://www.140b.jp/)に移籍。といっても、140Bの社員じゃなくて居候だ。「だ」とか威張ってる場合じゃないんじゃん…。てことで、中島淳さん、江弘毅さん、石原卓さんという愉快なオッサンたち&居候仲間の煙草を吸う顔がゴルゴな松本創さんと、早速、新しいミッションに取り組んでいる。

ご挨拶が遅れましたが、在職中お世話になった皆さま、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。そして、早速、お仕事など下さった皆さま、ありがとうございます。精進いたします。

株式会社140Bにて、仲良くして頂いている出版社から女性誌などを送ってきて頂いたので、久しぶりにエビちゃん系雑誌をパラパラ繰っていると、「おしゃれなパパが自慢です」という特集企画に手が止まる。サブタイトルは「ちょい不良(と書いてワル。本気と書いたらマジ)パパからBRIOパパまで」。そこにチンチンカモカモと写る「パパと娘」たちの2ショット。ていうか、年下の愛人を自慢するオジサマと、お金に惹かれてオジサマに付いて行く自称モデルの女…という構図にしか見えないんですけど。「二人でハワイや韓国に行きます」「パパからプレゼントされたロレックスです」としなを作る娘。そんな娘の知らないところでは、パパが騙したり騙されたりしてる女にも同じことしてんでしょー、きっと。いや、たぶん娘もそれ知ってるよ、絶対。でもそんなことどうでも良くて、知らないふりできるから、「パパから娘へのメッセージ いつまでも無邪気で可愛い娘でいてください」なんだろうな。結構、パパもわかってんじゃん。

Meets Regional編集部に在籍中の2000年の秋、二度目の脳梗塞で倒れた父は、以来、左半身が麻痺し、障害者手帳では体幹機能で5級の身となった。車椅子は嫌だとリハビリに励み杖で歩けるようになったが、年齢もあって長時間は難しく、ふとした拍子によろけてこけたりもするので、母親がつきっきりで生活の補助をしている。というか、倒れる前から「おい、それ」「あれ、ちょっと」の関白宣言なので、つきっきりは以前から変わらないのだけれど。娘はいま、父とは別に住んでいる。母に申し訳なく思いつつ、父からの解放感に引き止められて、もはや自宅にはなかなか帰らない。先日のとある夜、母親が実家の用事で帰宅が遅くなるということで、母不在の中、そんな父と娘の「二人で晩ご飯を食べてちょうだいね」というミッションが下された。「二人で仲良く」はミッション・インポッシブル…のようにも思われるが。

「ただいま」と素っ気も愛想のない娘の声に、テレビに顔を向けたままの父の「あぁ」という声だけの返事。勉強も素行も出来の悪すぎる娘は、ついでに口まで悪い。まだ入院中の頃、ふと目をやれば、ベッドに腰掛けいつも動かなくなった左手を無表情にじっと見つめていた父。それが目に入る度に目を潤ませる母。という、闘病ドラマな状況の中、 パラリンピックに出なアカンねんから、のんびりしてる場合と違うよ。射的やったらいけるいける。カッコええやん」と、身内しか笑えないギャグで見舞客を震撼させる娘。さらには、待てど暮らせど嫁にも行かず、二度目の失業までして帰宅する35の娘。そんな娘と、半身は麻痺しても哀れみは不要。オレの方が偉いんや〜の父が囲む食卓の会話…どう考えてもハードコアパンクだし、社会的には状況が暗すぎる。似たもの親娘でもあるので、そこらへんは心得ているから、二人きりなのに当たり障りのない会話しかできない。


「今日は暑かったねえ」
「明日はまた冷えるんや」

…。

「春子おばちゃんは元気なん」
「相変わらずや」
…。

静かだけれど根底に重い空気の流れるダイニング。背後のテレビからは、細木数子の子供を産めや増やせやとまくしたてる声が聞こえてく る。子供→孫→結婚…じ、じ、地雷じゃないか。ただでさえ耳障りな細木の声が余計に憎らしく聞こえてくる。娘、焦る→話を逸らしてごまかす↓

「そうや、細木数子のお姉さんの旦那さんて、安藤組の幹部やねんて。『週刊現代』に書いてあったわ。そら、怖くてだれも逆らわれへんよねぇ(あたふた)」

「安藤組か…」

父、つぶやく。

その反応を見て、娘、すかさず最近仕入れた「神戸893ネタ」を披露する。

花隈の…五代目の…ドンパチ…加納町の…(保安のためスキップ再生)。その娘の話を遮るように、「昔は柳川組がえげつなかったんや…」と父。にわか「噂の真相」覆面座談会となる青山家の食卓。娘が初耳の現地取材報告もあり、10年ぶりぐらいに父の言葉に真剣に耳を傾ける娘。娘と父は、他人の過去をほじくり返し、盛り上がる。そんなドンパチトークも一段落し、再び静まりかえる食卓。

皿を片付け、麩饅頭と茶を出しながら娘は言う。

「そういえば、『薔薇と薔薇』が閉店したよ。ママさんが講談社から本出してた」と娘。

「あそこは甲南女子と松蔭のコが多かったんや」と昔話を始める父。

神戸で一番と言われるクラブ『薔薇と薔薇』。店からの年賀の挨拶は、ホステスの写真一覧。男というものはみな、クラブやスナックで遊ぶものと信じ込まされていた母も一緒にその写真を眺めたものだった。母は酒場というものに出向いたことがないから、父がクラブやスナックにて女の子と一緒に飲んでいるだけで、それの何が楽しいのかわからない。楽しさがわからないので、怒る理由もない。ある時、母が娘に尋ねた。
「ゆみこちゃんはバーに行ったことがあるんでしょ。バーにはちょっと陰があって憂いのある表情をしたマスターがいるんでしょ。いいわねえ」。父は言う。「お前は何もしらん。バーは女の子がいるとこや」。
ていうか、どっちもガセネタやん、と娘は思う。父はバーとスナックとクラブを区別しない、昭和の哀しき商売人、ついでに一時は小成金。

そんなこんなで、薔薇が咲き乱れるお水の花道話を10Pほど展開し、そこからスライドした、娘が最近始めた麻雀への「遅いのはアカン。瞬間の判断力や」という指南が続き夜は更けた。思いのほか長居したけど、久しぶりにこんなに話をしたなあと娘が思っていると、「もうちょっとで帰るから、ゆみこちゃんもそろそろ帰ってちょうだい、ありがとうね」という母コール。で、実家を後にした。

帰宅すると、母から再び着信。
「パパねえ、心配してたけどなんだか機嫌がいいのよ。二人で仲良くしてたのと聞くと、うるさいと言ってたけど。何の話してたの?」

「え〜、別に」

エビちゃん系雑誌の「パパと娘」のパパよりも、うちの方が、「ちょい不良(ワル)パパ」じゃん。でも、「週刊現代」な企画だな、こりゃ。

お金で買われた夜だった

5月20日(土)
先日の父との夕べで、以前に書いたブログ記事を思い出した。失業記念の大盤振る舞いで、三夜連続の893スペシャルとして再録をする。しかしなんですなあ、こんな話ばかり書いているような…。

★893スペシャル第一夜
続・やくざ考「やくざの共犯性」。 

常々「やくざ」というものが気になって仕方がない。いや、好きではない。しかし、気になるのである。

ワタシの父はパチンコ店を経営していた頃、店の前でやくざに、所場代よこせ、何いやだ? この野郎。で、ボカンと殴られたことがある。

昭和40年代の昭和な遊技場の扉は、まだガラガラと開ける木枠のガラス扉で、殴られてよろけてぶつかった扉が外れ、ガラスが割れた。その音で従業員やらがやってきて、警察を呼ぶ。覚えとけよとやくざは逃げる。覚えるもなにも、父はやってきた警察にあんたらがしっかりしてくれへんから困ると文句を言い、ちゃんと事件にして逮捕してくれ。そやないと、夜も怖くて寝れませんとごねる。

折しも、この昭和40年代前半は、警察が全国的に暴力団取締を展開していた「第一次頂上作戦」時。父を殴ったやくざは「姫路のもん」で、指名手配中であった。そして、それから程なくして大阪で逮捕された。兵庫県警としては、ここから芋ヅル検挙を狙いたい。

神戸地方裁判所に指定された日に到着すると、裁判所の入口付近には目つきのよろしくない方々がうようよいる。やくざ初心者ではない遊技場経営者とはいえ、やはり怖い。門を通過して建物の方へ歩く父の両脇に、不気味な空気をまとった男が寄り添うよう足並みを揃える。「わかってるやろな」とつぶやきぐっとその顔を父の前につきだす。父は下を向いて建物に入る。男たちはそれ以上はついてこない。法廷に入ると、傍聴席にも態度もガラもよろしくない男たちが見える。歩く父に小さな声で「頑張りやぁ」と声をかける。

名前は失念したが、当時その作戦中に関西のやくざから敵にされていた検事がいて、その検事がその事件を担当していた。

証言の段になった父は、その検事と裁判官に向かって言った。あんたたちは法に守られているかもしれない。裁判官さんも裁判所を出ても警察がついていてくれるだろう。しかし、私は裁判所入口で脅しを受け、この法定内でも威圧感を与えられ、これで証言して法廷を出たら、身の安全があるとは到底信じられない。やくざもひどいけど、あんたらももっと質が悪い。それをなんとかしてもらわな、なんにも言えません。そして、法廷を後にした。

数日後、その検事さんから、あんたの言うことはもっともや、すいません。と電話があり、法廷ではなく個室で被告人とも対面せずに証言をすることになった。どういうことかは分からないが、とにかくそういう手段を取ることになったんだそうだ。それからも、時々その検事さんは父に連絡をしてきて、話をしていたとか。そういうのも昭和な話である。

そんな話を家族の誰にも言わず…というなら、格好がいいのだが、好奇心満々のお年頃になった子どもたちに、酔うとこの話を含めたヤクザなネタを大げさに話すし、だいたいがどこまでがホンマなんかと子どもに疑われる始末。お調子者というなんというか…そんな父はやくざが大嫌いだ。にもかかわらず、任侠映画や小林旭を好む彼の遺伝子を、間違いなく受け継いでいると実感している。


関西弁に「〜させてもらう」という物言いがある。これは、知らないうちに相手に贈り物をさせる、とても便利で友好的な言葉である。

「すいませんけど、お邪魔させてもろてもええですか?」。

この場合なら、「ワタシがお邪魔する」というのと、「アナタがワタシをお邪魔させる」というのを同時に含む。いきなり他人が他人ではなくなる。アナタとワタシはもう共犯。全国各地にやくざがいるが、やくざ標準語が関西弁となるのは、この関西弁特有の共犯性によるものではないだろうか。

嫌がる店主に「また寄せてもらいますわ」。一言も発せずいたとしても、やくざがそう言った瞬間に、店主は「寄せてあげる存在」として立ち上がってしまう。同意がなくとも共犯にされてしまう。やくざという存在は、目を付けられると逃げられないような恐怖感を抱かせる。関西弁の優れた部分を裏目に使い、どんな相手であれ共犯者に仕立てることができるこのお家芸にして「悪芸」が、それに一役買っている。

ナニワノワールな作家・黒川博行さんのミステリーを読むと、いつもその話芸に唸らされる。やくざ的言い回しを関西弁風ならいいんじゃないかと勘違いしている書き手もあるが、黒川博行さんはそういうやくざと言葉のはらむ性質を知り尽くした上で面白がって書いているように思う。だから黒川博行さんの作品に登場するやくざな会話は、喫茶店でその筋の方の話を小耳に挟んでいるようで、面白くてたまらないのである。
2005年3月26日(土) at 20:24 


★893スペシャル第二夜
やっぱり「セルシオ」は値打ちがある。 

味噌カツと出逢えた喜びを噛みしめながら、その未練を断ち切るために濃いコーヒーを求めて名古屋・大須の商店街を徘徊。そして、すぐ脇の路地でふと呼び寄せられ、純喫茶[コンパル]の扉を開けた。

東京でいうなら[ルノワール]か。社会の澱も含んだ由緒正しい街の喫茶店。色調もそんな感じで、客層もとりとめなく浮ついたところがない。浮つくには生活が滲みすぎている。若いカップルすら熟年夫婦のように倦怠感と惰性を含んでいる。こういう喫茶店では、ワタシが急に鼻をほじってもあんまり気にされない。いや、ほじりませんけどね。知らぬ街とはいえ、地図を広げてのぞき込むことが、少しカッコ悪いと心配していた異邦人にはうってつけ。匿名性の高さは、街のいい喫茶店の第一条件であろう。

扉を開けたすぐ前の、ゆったりとした4人掛けのテーブルがひとつポツンと空いている。カバンを置きコートを脱いでいると、通路を挟んだ左隣のテーブル席の二人連れから視線を感じ目をやると、首の太く短いアイパーのおっちゃん二人。

黒いセーターと黒いボンタンのような太いスラックスを、産まれた時から身につけているかのような着こなし具合で、横が広がり丸顔になった頭部にちょぼっとついたお目目はつぶらだが鋭い。100人に聞きました。この人たちの職業はなんでしょう? 100人が100人とも答えるだろう。「ヤクザ!」。ここはミナミの丸福珈琲店かっ。

一般人とそのスジの方は、他人を見るその所作が決定的に違う。ワタシがいて、ワタシ以外の人間がいて、という並列的な距離感が彼らにはない。ワシがいて、ワシに従属するお前がいる。つまり、ワタシは既にワシの世界に含まれている。この二人もワタシをそんな風に見るのである。

[コンパル]のコーヒーは最高潮に熱かった。ちびちびと飲みながら机に地図を広げるも、隣の会話があ〜気になる。「神戸の…」などと聞こえるから、我慢できずにチラリと見ると、年の頃は50も過ぎた全身むくみ過ぎのアイパーたちが、(後から知ったが)名物のエビカツサンド一皿を、二人で半分っこしながら片手で掴み、わしわしと食べていた。

そんなアイパー二人の横で地図を広げ、次なる目的地を検索していると、扉に背を向けて座った一人がどうやら用を足しにか席を立つ。すると、扉に正面向いて座っていた一人もさっと席を立ちレジへ向かう。レジには誰もいないが、すぐ横に置かれていたナプキンを迷いなくガシッと掴み、席に戻る。厠帰りのアイパーが席に戻るや、もう一人がナプキンのビニールの袋をポンッと叩いて開け、取りだしたナプキンをさささっと差し出す。一般社会なら上司のアイパーは慣れたようにナプキンで手を拭く。

ほどなく、コーヒーを飲み干したワタシがコートを着ようとガサコソしていると、どうやら二人もお帰りになられるようで、上司アイパーがレジに向かう。先をお譲りして後ろに並ぶワタシの横を部下アイパーが小走りで通り過ぎ、上司を残して店を出る。上司アイパーは2000円を、「ほれ」という感じの絶妙のパスで放り投げる。普段からお金を投げていないとあんな投げ方はできませんな。

「投げつける」では乱暴になるが、そうではなくなんていうか…「ほれ」という感じである。江戸の悪徳商人がお気に入りの下女に下心満載でお小遣いをあげるような計算が入り交じった所作。お金の扱い方で人が分かるというのはこういうことなのだなぁ。と、感心しながらのぞき見た札入れは、分厚い。新札なら100万。そうではなさそうだったので、たぶん45万円ぐらいであろう。市原悦子となったワタシはそれが多いのか少ないのかを考え込んだ。

アイパー上司が支払いをすませ釣りをきっちり受け取ると店を出た。慌てて支払いをすませ、同じく店をでる。フィリップ・マーロウとなったワタシは、部下アイパーが先に出たのはクルマをまわす為だったことと、店の前に止まった濃紺の大きなクルマがセルシオであることを確認し、さすがトヨタのお膝元。なんだかやっぱり値打ちあるぜ、と深く納得させられたのであった。
2005年3月25日(金) at 18:42 


★893スペシャル第三夜
お金で身を売った夜。

神戸からのロケハンの帰りに読む本がなくなったので、『話し手/吉本隆明 聞き手/糸井重里 悪人正機』を元町駅の[ジャパン・ブックス]で購入。

このJR元町駅西口にある[ジャパン・ブックス]は、気になる本屋だ。溝口敦さんの講談社α文庫から出ている山口組シリーズが、いつも平積みされている。時に、実録シリーズがスペシャルコーナーになっている時がある。

確かに、元町駅を北上し、花隈方面にいけばあの組の、東口からみんながお買い物にいくあのあたりのあそこらへんにはあの組の事務所があった。そこからさらに北上すると、今もその筋の方々が事務所を構えている。神戸はまぁ、そういう土地柄なワケです。

もうずいぶんと前になるけれど、終電間際の元町のとあるバーで、よく知っているおっちゃん店主と二人でお話しながら飲んでいて、もうそろそろ帰らなきゃなぁという頃に、年の頃は50代後半の見るからに金持ちそうで華やかな女性が、いつものように、という感じで扉をがらりとあけて入ってきた。

ちょっと酔って誰かともっと話したくて、という雰囲気で、どうやら昨夜もそんな調子で長丁場になったらしく、おっちゃん店主が、しきりとワタシに話を振ってくる。なんとなくその女性の話に相づちを打っていると、彼女が透明のビニールでできたケリー型のバッグからタバコを出すのを目にしたので、「うわぁ。それ雑誌で見ました。売ってないやつですよね〜。初めてみました」とバカみたいな感想を言うと、「たいしたことないわ。あらそう、こんなん人気あるわけ?」と、まんざらでもなさそうにのたまった。

どうやら彼女は常磐津のおっしょさんで、元町山手にお住まいらしい。

「あの、そろそろ電車があるんで…」

「なんや、アンタ。家どこなん」

「垂水なんです」

「タクシー乗って帰りんかいな」

「いや、でも…」

「ほら。これで帰りや」

と、強引にワタシの手の中に5000円札を握らせた。他人からお金を意味なくもらったのは2回目で、1回目の話はまたするけれど、やっぱりどうも納得できないというか、どうしていいのかわからない。しかし、こうした人に無下に返すとプライドを傷つけて逆上される場合もあるし…。

という感じでモジモジしていると「あのな、人からお金タダでもらえるってことはないやろ。あんたな、ワタシが家に辿り着くまでしっかり見届けてや。それがアンタの仕事や」

そのきっぱりと、しかも言い慣れた物言いに圧されて「はぁ〜」となっていると、「ほな、いこか。あんたなぁ。今日はあんたが、普段しらへんような面白い世界見したげるわ」と、意気揚々と歩き出した。

まぁ、それからの話は割愛するけど、ゲイカップルがやっているスナックや、そっち系のショーパブや、ホストみたいな若い男の子と、それが目当ての若いゲイの男の子が来ているバーなんかに連れ回られた。もう、飲まなやってやれへん〜! なんだけど、飲んでる場合じゃない。ワタシには使命がある。5000円で買われた身なんだから。うぅ。

そして、二軒目のパブのママかマスターかわかんないおっちゃんが、おっしょさんに旦那の話を振っていた。どうやら旦那も常連らしいが、旦那は歯が痛くてここんとこ家にこもっているらしいのだ。そして、どうやらその旦那には正妻が別にいるらしく、おっしょさんは「あんなうるさいおっさん、もう家帰って欲しいわ」と本気でこぼしていた。

そして、どうやらおっさんは「その筋の方」で、しかも相当に偉いようである。おっしょさんの旦那の話になると、あきらかに、ママかマスターかわかんないおっちゃんの物言いも合いの手も違う。

それまではおっしょさんの話に過剰に反応していたけれど、旦那を立ててかおっしょさんになんでもかんでも味方をするわけではない。なんとなく、ぎりぎりでとめている。

おっしょさんは常磐津の名手でもあるようだが、そうした私生活が原因で不当に芸が評価されないのだ。という愚痴をくどくどとこぼしていた。詳しくはわからないけれど、もっと会社でいうと昇進するはずなのに、 ワタシのことを2号や思てバカにしてるんや、あいつらは。な、そうである。

なんやかんやで、4軒ハシゴして(1軒あたりがまた短いんだか)ようやく気が済んだおっしょさんをタクシーに乗せ、おっしょさんの家に無事送りつけた。おっしょさんが無事なのはワタシの無事。だって、5000円の仕事をしなきゃいけないんだから。そして、ご自宅は、やっぱり明らかに高そうなマンションでしたよ。はい。

そこから、西へ向かうタクシーの中で、なんとなく泣けてきた。それは朝の太陽の光が目にしみたからか、その夜があまりにきつかったからか。

おっしょさんにはそれから一度も会っていないんだけど、たぶんもし ばったり会っても、ワタシは彼女を覚えているけれど、彼女はワタシを覚えていないだろうと確信できる。他人の時間をお金で買う人間は、そんなこと覚えてなんかいない。覚えていたくないから、他人をお金で買うのだ。ワタシでなくても誰でもいいから、お金で買う。

誰かにお金で自分という存在を買われた瞬間に、ワタシはワタシでなくなる。と、思うことでしか、自分を救えない。自分が自分でなくなることを肯定し続けるのは、精神的にあまりよろしくないような気がする。そのうちに自分なんてあっという間になくなっちゃうよ、きっと。いや、もともとそんなものないのかもしれないけど、ある、と信じているから生きていけるんだけど、もう「あるかも」とも思えなくなるんじゃないかな。

そして、日常のいたるシーンで実は私たちは「身を売る」危険にさらされている。女子高生の援助交際とかいうよりもっと悪質に、普通に「身を売る」オトナがたくさんいる。

そこに自覚がないのに、実は症状は社会に垂れ流されていることが、怖い。

2004年12月16日(木) at 17:55

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