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Noviembre 08, 2005

スペインの万葉歌と携帯語と恐竜的覚醒

 スペインにいて、まわりはだいたいスペイン語を話している。
 テレビを見れば、ジャッキー・チェンが妙にテンションの高いスペイン語を話しているし(吹き替えはいつも同じひと)、『アルプスの少女ハイジ』のテーマ曲は「アブエリート、ディメ・トゥ♪(=おじいちゃん、教えてよ)」からはじまる。
 ドラえもんは、空を飛ぶためにジャジャーンと取り出した道具の名前を、"Esto es gorro-coptero"と高らかに宣言する。「ゴーロ・コプテロ」=キャップ(頭に被る)・コプター。「竹」という要素が、すっかり吹っ飛んでいる。ま、竹とんぼなんてないもんねぇ。

 ことばは、世界を描く筆である(違うか?)。知らないと、頭の中の「世界」から、そこに対応する光景がすっぽり抜け落ちてしまう。「ゴーロ・コプテロ」を楽しむスペイン人の頭に、しかし、夕焼け空をゆるやかに飛んでゆく竹とんぼの風景は映らないように。
 その逆もまた真実。というか、スペイン語力がさほど高くない私の場合、ひょっとしたら、かなりシュールレアレスティックな「スペインの絵」の中で、暮らしているのかもしれない。

 というわけで。そんな、ここでの毎日の生活そのものであるスペイン語が、今日のテーマであります。


■サンス・ビジャヌエバはこう云った:
「最古のスペイン語は、アラビア語で書かれていた」

 紀元前3世紀のポエニ戦争から、スペインはローマ帝国の支配下に入り、ラテン語が話されるようになった。というか、19世紀まで、一部の公式文書はラテン語だったらしい。
 でも、話し言葉は、地方ごとにどんどん変貌を遂げる。
 たとえば10世紀前後のスペインには、全土にさまざまなロマンス語(ラテン語から変化した言語。イタリア語やフランス語も)があったらしい(インド=ヨーロッパ語に属さないバスク語を除く)。
 そのうち、いちばん内陸にあって、しかもいちばん訛がきつい(アクセントの置かれる母音を開いてしまう。例:porta「ポルタ(扉)」→puerta「プエルタ」)言語が、たまたまその地方で興った国が後にスペインを統一したため、今日のいわゆる「標準スペイン語」となった。支配したものの勝ち、である。
 この「標準スペイン語」のことを、現在4つの公用語をもつスペインでは、国獲り合戦に勝利したそのカスティージャ王国(わが故郷長崎の『カステラ』の語源だ!)にちなんで、「カステジャーノ」と呼んでいる。
 だから、私がペラペラと喋っていると、市場のおじさんから、「あんた、カステジャーノが上手だねぇ!」と言われるのだ。「スペイン語が」とは、あまり言われないの。

 という歴史をもつスペイン語(つまりカステジャーノ)の最古の文学的テクストは、つい50年ほど前に発見された。それは10世紀頃、アンダルシア地方のモサラベ(イスラム教徒の支配下のキリスト教徒)が用いていたというロマンス語の作品。
 しかも、エジプトで発見された。
 アラビア世界で有名な詩人による、神殿への奉納を目的とした長くてかっこいい詩の最後に、なぜか数行だけ残されていた謎のことば。アラビア語では、まったく意味をなさない、文字の連なり。
 実はそれが、「アラビア語を使って書かれた、スペイン語」だった。

 アラビア語は、子音しか用いない。右から左に書かれるそれを左から右へと書き直し、いちいち母音を補ってみたら、スペイン語の詩が現れたのだという。最古のものは、1040年制作とされる。
 中国語と万葉仮名の関係と、似ているかもしれない。新しく生まれた言語を、誰かが必死で音だけを拾って、ぜんぜん違うことばで書きつけたのだろう。
 この、初々しいスペイン語による最古の詩というのを、実際に読んだ。どれも女の子が主人公で、その恋や喜びや嘆きや悲しみをうたっていて、シンプルで、力強いものだった。「あかねさす紫野行き標野行き」という詩歌を、思い出した。万葉ブリブリ、ってやつね。


■マリア・エレナ・コルテスは、こう云った:
「言語はすべて、省エネ化の方向に進みます」

 言語学の授業。マリアはいつも、白髪混じりの美しいワンレングスを揺らしながら、つま先まで完璧にコーディネートされたスーツ姿で現れる。とある雨の日は髪をくるりとまとめ、ピンキーとキラ-ズ風の帽子を被って現れた。もちろん、そのままで授業を進める。まるで舞台を観ているようで、その過剰さがまさにスペインらしい、と、いつも惚れ惚れしてしまう。

 さて、スペイン語には単複あわせて6つの人称があって、かつ、3つの話法において計15の時制変化がある。語学に詳しくないから説明が間違っているかもしれないけど、つまりひとつの動詞が、「私(一人称単数)/恋する(直説法現在形)」「あなたたち(二人称複数)/恋をしていたとしたら(接続法過去完了形)」など、90通りに変化するのだ。うえー。
 そんななか、スペイン語学習者にはありがたいことに、理論上はあってしかるべき「接続法未来」(「恋をするなら」)という時制が、ない。それはなぜかといいますと。

 かつて16世紀には、接続法未来形はあった。『ドン・キホーテ』にも、この活用がでてくる。しかし、と、マリアは髪を慎重にかきあげながら言う。
「だけどね、面倒でしょう? だから、どんどん接続法現在形(「恋をしているなら」)で代用されるようになってきて、ついにはとうとう『ない』ことになってしまったの。すべての言語は、自然と、省エネ化の方向に進むものなのよ」

 この「省エネ化」、実は現在のスペイン語でも起こっている。直説法未来形(「恋をするでしょう」)もまた年々使われなくなっていて、すでに大多数が、現在形を用いているのだ(「明日、恋をする」)。さらには同じ直説法の不確定未来形(「恋をしていたかも」)や不確定未来完了形(「恋をしてしまっていたかも」)も、より一般的に使われる線過去形(「恋をしていた」)に取って代わられつつある。

 さらに最近では携帯メッセージの普及によって、通信代節約のために、言語の大幅な置き換えが行われている。発音しない子音はカット(ahora→aora)、同じ発音の短いスペルがあればそれを代用(es→s、que→k)、意味が通じるなら記号で代用(más→"+")……。結果、「息子から送られたメッセージが読めない」親が急増し、そのため先月、言語の分野でもっとも権威ある王立スペイン語アカデミーが、「携帯文字辞典」を完成させたという。

 外来語の氾濫(だいたいもともとスペイン語の1割くらいはアラビア語由来らしい)も、思い出したように、何度も話題になっている。
 どこもおんなじだねぇ。
 携帯電話という同じツールが広まり、文字数に応じた課金という同じシステムが採用されれば、レストランで音楽をかけないほど喋り好きなスペイン人だってやっぱり、「あけおめ、ことよろ」になるらしい。


■カルメン・サンチェスはこう云った:
「世界でいちばん短い物語は、7つの単語でできています。それは、"Cuando despertó, el dinosaurio todavía estaba allí."です」

 テクスト分析の授業にて。カルメンもかなりユニークなのだが、その詳細はまた今度。
 さてこの文章、直訳すると、「目覚めたとき、恐竜はまだそこにいた。」となる。
 主語は通常、スペイン語では表記されない。ここでも表記されていないが、三人称単数なので、彼、彼女、あなた、あるいは誰でもいい誰か、というあたりになる。
 動詞を見ると、「目覚めた」というのが点過去形で、「いた」というのが線過去形。ということは恐竜は、目覚めた行為よりも前から「いた」ということになる。さらに「まだ」と言っているくらいだから、かなり前からいたのだろう、「そこ」に。
 「そこ」とはどこのこと? そして恐竜とは?

 作者は、アウグスト・モンテロッソ。グアテマラに生まれ、アメリカへ渡り、さらにメキシコに移住した作家である。この作品(ちゃんと「小説」として発表されている)は、1959年に、メキシコで書かれた。

 当時のメキシコでは、PRI(制度的革命党)が政権の座についていた。1929年の結成時から与党であり、59年の段階で、すでに30年が経っていた。
 30年。教室での反応によると「民主主義に立脚する現代社会ではちょっと想像を絶するほどの長期間」も与党であり続けることができるほど、PRIは巨大で、権力的で、圧倒的な力をもっていた。だから、彼らは「恐竜」と呼ばれていた。

 メキシコで彼(あるいは誰か)が目覚めたとき、「恐竜」は、まだ、そこにいたのだ。

 時代の閉塞感を表した小説、と、説明できるかもしれない。そこはわりと、どうでもいい。
 それにしても。
 この「小説」の主人公である彼(あるいは誰か)は、目覚めたらまだ恐竜がいたことにがっかりして、もう一度寝ることにしたかもしれない。でも、再び目を覚ました彼が見たものは。
 これを書いた時点でアウグスト・モンテロッソは知らなかったはずだけど、「恐竜」PRIは、結果として2000年の大統領選に至るまで、実に70年間という「現代社会ではあってはならないほどの長期間」も、政権の座にとどまり続けたのだ。

 あるいは作者は、そのことをもすら、知っていのだろうか。ゴヤが『カルロス4世の家族』で、彼らの身に降りかかる暗澹たる未来(トラファルガーの海戦で「無敵艦隊」壊滅、そして引き入れたナポレオンによるスペイン侵略)をすら描き出した、と言われるように。
 あぁ。そういえば直説法線過去形は、不確定未来形の代わりにも用いられうるのではなかったか……。

 「芸術家」たちはいまこの瞬間も、どこかに「恐竜」を見て、それを描き出しているのかもしれないなぁ。

投稿者 uchida : Noviembre 8, 2005 10:05 AM

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