ちゃらちゃら宣言
義太夫三味線・鶴澤寛也さんの「はなやぐらの会」で
前説。
仕事帰りとて開演時間ぎりぎりに駆け込み、その勢い
でお客様の前に飛び出すと、なんだか見知ったお顔が
ずらりと並んでいる。
後ろの方には職場の先輩方がちらほら。
N峯プロデューサーもいらっしゃる。
最前列には金原瑞人センセイ、客席のど真ん中には橋
本治センセイがご鎮座まします。うう、調子が狂う。
とりあえず「柳」は大好きな浄瑠璃であるので自分の
思うところをぜいぜいと述べ、いよいよ浄瑠璃が始ま
るときにはもう息も絶え絶えであったが、たちまち背
筋がしゃきんと伸びた。
仕事柄、見聞きした芸の良し悪しをどうこう申すのは
厳しく自制しておるのであるが、これはきちんと申し
上げておこう。
竹本駒之助師の浄瑠璃が実に素晴らしかった。
ヒロインのお柳さんは柳の精霊である。
前世からの契りを果たすため、仮に女と変じて姿を現
している。
したがって浄瑠璃も三味線も「普通の人間ではない」
というところを表現しなくてはならない。
浄瑠璃でどうやってそれを表現するかというと、音程
を「ぜんぶはずす」(駒之助師)のだそうである。
そのはずす幅がもちろん半音とかそういう騒ぎではな
くて、聴き手の鼓膜が「?」と生理的な違和感を感じ
るか感じないか、まあ普通は感じないよな、というく
らいのほとんど微分積分音波分析的レベルでズレた声
を出すのである。
これをやられるとこの「?」という違和感が聴き募る
うちに実にもうなんとも居心地の悪い怪し恐ろしの気
配となってひしひしと身に迫ってくる。
で、普通の人間の部分を語るときにはまたオーソドッ
クスな音程にすとんと戻らなくてはならず、かといっ
てその落差を感じさせられると聴いている方は興醒め
になる。
そういう精妙な音程の操り方をオンヅカイ(音遣い)
というが、すぐれた太夫は、オンヅカイひとつでこの
世とあの世を行ったり来たり聴き手を振り回す、まさ
にマホウツカイなのである。
それでいて物語の骨格は「柳の木が一本すーっと通っ
てるって感じでしょ」(橋本センセイ)とあくまでか
っきりとしている。
こんなに身を乗り出して義太夫に聴き入ったのは久し
振りだった。
終演後、うだうだと閑談。
橋本センセイに「キミはこういうチャラチャラした仕
事いっぱいしてさ、『ああこいつには組織の重要な仕
事は任せられないな』って思わせてさ、早く『おめこ
ぼし』みたいな部署に左遷されちゃえばいいんだよ。
うっしっし」と言われ、感涙を催す。
ああ、このお方はなんでもお見通しなのだ。
初日打ち上げはN峯プロデューサー、H凡社のS口・
F田両氏とビールを飲みながら悪だくみをめぐらす。
チャラチャラ。
二日目はさらにパワーアップした浄瑠璃光線を浴びて
腰くだけ。
客席ではハンケチを目に当てる方が続出している。
2008年の東京新宿南口のビルの8階で、座布団に座っ
て250年前の浄瑠璃を聴いて泣いている人がいる。
こういうのは大変すばらしい文化的光景であると思う
のだが、現代日本の文化シーンにおける義太夫節をは
じめとする伝統芸能の取り扱われ方というようなもの
を思い合わせると少し暗い気持ちになる。
終演後は寛也さんのご紹介で辻原登センセイと一献と
いう、これまた夢のごとき光栄に浴する。
「私はたとえ純米大吟醸でも熱燗でいただきます。ひ
やでそこそこおいしかろうと、燗をしておいしくない
酒は、それはダメです」
「ははあ、ひやだとごまかしがきくわけですね」
「そうです。本当にいい酒はひやでも燗でもおいしい
、いや燗をしてこそお酒本来のふくよかな甘みが味わ
えるものです」
というセンセイのご指導のもと、銘酒を一合ずつ次々
にあけていく。
名高い「吉本」だけにきっとお燗の温度もよろしいの
だろう、どのお酒も個性がはっきりしているにもかか
わらず、ふわっとやさしい味がする。
肴はイカと胡瓜の塩もみ、花わさびのおひたし、ナマ
コ酢、お造り、山菜の天ぷら。
どれも美味。それになにより上品ぶっていないで量が
どどんとあるのが喜ばしい。
恥ずかしながら『遊動亭円木』『円朝芝居噺』路線の
きわめて偏った読者でしかない私は、辻原センセイが
気難しい方で酒席の途中で口をきいてくれなくなった
りしたらどうしようと密かにハラハラしていたのだが
、初めてお目にかかるセンセイは大変に色っぽいジェ
ントルマンで、いっぺんに惚れてしまいました。ぽー
。
「はなやぐらの会」にお運びいただいた皆様、どうも
ありがとうございました。
今後も精出してチャラチャラさせていただくことにし
ます。って誰に宣言を。