お休みの一年でしたが
気がついたら去年の三月から更新していなかった(や
はり表紙の日付だけは新しくなっていくが)。
えー、ごぶさたいたしまして相済みません。
間抜けですが新年おめでとうござい。
去年の三月からこっち、私は一体何をしていたのだろ
う。
手帳をぺらぺらと繰ってみたが、手帳を繰らなくても
答えは分かっている。
一、仕事。
二、育児。
以上。
総合的にはかなり不調な一年であった。
顔にひっかかった蜘蛛の巣のように、かすかにまとい
つく邪気を感じながら、時間がない時間がないと無暗
に焦りながら過ごしていた。
年男(黒沢ではない)だからといって別に良い年にな
るとは限らないということがよく分かった。
文化活動についてはほとんど休止状態の一年であった
。
仕事を除いて芝居も映画もろくに観ていない。
寄席にも行ってない。
新刊情報もフォローできていない。
論文執筆も滞ったまま、夏には「単位取得満期退学」
というかねて軽蔑していた肩書を得た。
よく硬めの本の著者略歴に載ってるやつだ。
「なんでえ、こんな妙なことを書きやがって。修了で
いいじゃねえか修了で、なあ」と下町のおやじの口調
で常々そう思っていたのだが、よく伺ってみると実は
修了とは間違っても書けない事情があったのである。
「博士課程修了」は、学位論文を提出し、それが審査
をパスし、博士の学位を取得してはれて名乗れる学歴
である。
それに対して、所定の期間課程に在籍し、所定の単位
を取得した状態で、学位を取得しないまま退学するの
を「単位取得満期退学」という。
これは所定の単位数や在籍期間を満たしていない「中
退」ともまた違う。
みなさん単位取得満期退学と書くしか道がなかったの
である。
かように世の中には自分の知らない色々な事情という
ものがあるので、迂闊に腹を立てるととんだ恥をかく
。
しかし社会では腹を立てた方が勝ち、声のでかい者が
得、というような理不尽きわまる局面がしばしばある
ので、大人たるもの上手に腹を立て声を荒げる術を知
らねばならない。
仕事場でのその辺の立ち回り方もいまひとつうまくい
かず、どうにも居心地の悪い一年であった。
加齢と不摂生による身体機能の低下に拍車がかかり、
記憶力および判断力が鈍化していることも不調の要因
の一つであろう。
その「老い」に向いたベクトルが、私を無根拠な「時
間がない」との思いに駆りたてるのではあるまいか。
では喜ばしいことはなんにもなかったのかというと、
ここでにわかに「育児」がクローズアップされること
になる。
なにしろ相手は三尺の童子であるから「今日は遅くな
るから先に一人でごはん食って風呂入って寝ててね」
と言い聞かせてもそれは無理なのであって、いつなん
どきいかなる事情があろうとも、誰かが付き添って面
倒をみてやらねばならない。
子ができるまではそういう子ゆえの時間的束縛はもの
すごく苦痛に違いないと想像していたし、現にそう感
じる方も広い世間には多かろうが、今の私は、人間の
一生の中にそういうほぼ無条件に最優先に扱われるべ
き時期があることをとても興味深く思う。
そしてそういう時期は、実はとても短い。
それに気がついてから、子どもをみていられる時間が
にわかに惜しくなって、スキあらば子どもとくっつい
ているようにした(と申しても平日の日中は無理なの
でたかがしれているのだが)。
「じゃ育児のせいで文化活動できなかったんじゃん」
とおっしゃる方がおられるかもしれぬが、そしてその
通りなのだが、だから残念無念とは思わない。
柳家喬太郎師(お元気ですかあ)の「竹の水仙」を聴
くのも、『歌舞伎新報』をそっとめくって記事を拾う
のも、子どもを膝に抱っこして絵本を読みながらとこ
ろどころに擽りを入れて笑いをとるのも、私にとって
は同じように楽しい。
不調というより去年は「お休みの年」だったというこ
とにして片付けて、さっさとバカンスの計画でも立て
ることにしようっと。てへっ。