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2006年08月13日

おかげさまで全国大会出場

8月11日(金)

謹んでご報告させていただきます。おかげさまで、全国中学校ソフトテニス大会(男子個人戦)への出場が決定いたしました。

三重県四日市市にある四日市ドームにて、8,9日に行われた東海大会では、団体戦が3位、個人戦は6位という結果で、残念ながら団体戦では全国大会への出場が叶わなかった(団体は2位までが全国大会に出場)が、個人戦では6位に入賞し、全国大会への出場権を得ることができた(東海ブロックからは個人戦は7位までが全国大会に出場)。

正直、団体・個人戦ともに望外の結果だったと言ってもよい。試合の組み合わせを見るかぎり、団体戦も個人戦も強豪校ばかりとの対戦が予定されていたからだ。

その団体戦、初戦は愛知2位との対戦であった。前日、四日市市の市営コートを借りて練習をしているときにちょうどその学校も来ていて、隣のコートで練習マッチを行っていた。見るとはなしに様子を伺いながら、どんなテニスを展開するのかを確認することができた。

本校は第2試合だったので、2回戦での対戦が予想される三重1位×岐阜4位校の試合を見ていた。三重1位校は、優勝候補との前評判の高いチームである。その三重1位、トップは楽勝したが、2番目のチームが接戦の末に敗退、3番勝負もシーソーゲームを展開していた。そのうちにコールがあり、本校チームは選手控え所に待機となった。試合の行方が気になる。と、対戦していた岐阜県4位校のコーチがベンチから立ち上がり、「やったぞー!」とガッツポーズをしているのが見えた。三重1位は、初戦で敗退してしまったのである。内心ほくそ笑んだのは手前だけはあるまい。

その三重1位校であるが、実はその学校も前日の練習で市営コートに来ていた。もちろん、よ~く観察させてもらった。練習は主に基本が中心であったが、確かに技術的なレベルは高い。後衛はよく打つし、前衛も動きがいい。しかし、「もし対戦したら、こうすれば勝てるかもしれない」という策がなかったわけではない。それは練習内容を見ていて感じたことである。果たして、初戦敗退であった。これで2回戦の相手は多少とも「与し易し」となったが、その前にまずこちらが初戦を突破しなければならない。

試合が始まった。トップの大将ペアは特に苦戦することもなく勝ったが、次のペアがどうもよくない。前日の練習で、相手チームはレシーブを前衛の近くに打ってくることがわかっていた。だから、真ん中のペアの前衛にはディフェンスの堅い選手を入れた。ところが、相手の打球コースに入ってもボールが抜けてしまい、次々にポイントを奪われてしまう。結局そのまま敗戦し、勝負は3番に。その立ち上がり、最初のゲームこそ競り合いになったが、次のゲームを取ってからはモメンタムを引き寄せてそのまま快勝、まずは初戦をクリアすることができた。

次は、初戦で三重1位を破った件の岐阜4位校との対戦(準々決勝)である。東海大会の団体戦は、東海4県(愛知・岐阜・三重・静岡)から4校ずつ、計16校によるトーナメントで行われる。1回勝てばベスト8、2回勝ってベスト4、3回戦を突破すれば決勝進出である。そして、決勝に進出した学校だけが全国大会へと出場できる。たった3試合だけ勝てばいいのであるが、その3試合を勝つことが難しい。何せ、出場校はすべて各県の予選を勝ちぬいてベスト4に入賞した学校ばかりだからである。

その準々決勝、互いに大将ペアをトップに置き、2番手ペアを殿に置いたオーダーでの対戦になった。相手は優勝候補の一角である三重1位を倒して勢いに乗るチームである。油断はできない。大将戦、常にゲームをリードするが相手に粘られてタイブレーク、5-5から何とか勝つことができた。2番目のペアは、先行され追いつく展開からようやくリードを奪ったが、これもタイブレークにもつれ込む。勝敗の行方は混沌としていたが、相手のミスにも助けられて勝つことができた。相手の3番は後衛が何本でもボールを打ち返す選手だったから、3番勝負になったら勝っていたかどうかはわからない。とりあえず、3番に回らなくてよかったと安堵する。これでベスト4。

次は、いよいよ全国大会出場をかけて、岐阜1位との対戦である。このチームは、全国小学生大会で準優勝した選手たちを主力にして、昨年度の東海大会では団体優勝している。三重1位校とは優勝候補の双璧と言われていた。相手にとって不足はない。

オーダーを書いて提出しようとしたときに、大将ペアの前衛が「先生、相手の大将ペアはかなり強いから、僕たちを2番目にして、3番勝負になるようにしてください」と言いにきた。この選手は、他チームの試合もよく見ていて、それぞれの選手のこともよく研究している生徒である。市内大会から今まで、団体戦では大将ペアは常にトップ起用であった。この選手がこういうことを言うのは珍しい。後から思えば、この選手の言うとおりにしておいた方がよかったのかもしれない。「でもなあ、やっぱり大将は大将なんだからトップでいこうや」と話をして、実力順にオーダーを組んだ。

全国大会出場をかけて、準決勝が始まった。コートは2面展開である。予想以上に相手は強かった。両ペアとも、すぐに2ゲームを先行され、大将ペアはそのあと1ゲームを取り返したが、2番手ペアはあっという間に0−3。こうなると、なかなか流れを変えるのが難しい。そうこうしているうちに、大将ペアもゲームカウント1−3、2番手ペアはそのままストレート負けしてしまった。旗色は悪い。その後大将ペアはもう1ゲーム取り返したものの、そこで力尽きる。団体戦での全国大会出場はならなかった。

翌日は個人戦。個人戦は、各県から8ペアずつ、計32ペアが4ペアずつ8ブロックに分かれてのリーグ戦を行う。そのうち、リーグ1位のみが決勝トーナメントへと進出できる。リーグ1位になると同時にベスト8というわけである。全国大会に抜けるのは7位まで。「何で8位までじゃないんだ!」と言いたくなるところであるが、規定は規定である。決勝トーナメントは、1試合だけ勝てば全国大会出場が決定する。しかし、順位決定戦を全て負けると、「8位」ということで全国大会へは出場できない。トーナメント進出者が最も恐れるのは、自分たちが8位に沈んでしまうことである。

本校ペアのリーグ戦最大の難関は、岐阜1位ペアとのリーグ最終戦であった。そのペアは、前日団体戦で負けている学校の選手たちをなぎ倒して、見事岐阜県優勝を勝ち取ったペアである。どころか、この春に行われた都道府県対抗戦では、全国3位に入賞した実績もあるそうだ。「だけど、やってみなきゃわかんないよ」と選手たちを送り出した。策がなかったわけではない。試合が始まった。ゲームの最初の段階で、相手前衛に取られそうなコースにわざと打たせてみた。案の定、そのコースのボールは全て取られてしまう。ならば、と後衛選手に指示して作戦を変更する。それが奏功して、ゲームカウントは3−1。相手が焦りだしているのが手に取るように感じられる。その後1ゲームを取り返されたが、相手の反撃もそこまでであった。これでリーグ戦を1位通過した。

さて、トーナメントである。トーナメント進出ペアを確認すると、どのペアも実力のあるペアばかりである。「これじゃあ1回勝つのは至難の業だあ」と意気消沈してしまう。しかし、選手たちはやる気であろう。監督が弱気になってはいられない。その初戦、相手は愛知3位のペアであった。愛知県からは四日市に近いということもあってか、その学校は大応援団で声援を送ってきた。その声援に押されてか、相手はすばらしく気合いの入ったボールをびしびしと打ってくる。2−4で敗戦。

トーナメント1回戦で敗退したチームは、すぐに順位決定戦に回る。そこで勝てば5,6位決定戦へ、負けると悪夢の7,8位決定戦へと回らねばならない。このころになると、本校の後衛選手もかなり疲労していた。どうしても次は勝たねばならない。相手は愛知県優勝のペア。しかし、もうこの段階になると、県大会の順位などあてにはならない。ひたすら気力だけの勝負なのである。

試合が始まった。ゲームは一進一退。1本決まるたびに、双方の選手が肩で大きく息をしている。サイドチェンジのときのコーチも、もう技術的なアドバイスは通用しない。「もうここからは気持ちだけなんだ」と言い聞かせる。ゲームカウント2−2から、次のゲームを取ってようやくこちらに流れが来始めた。相手のミスにも助けられ、そのまま4−2でゲームセット。全国大会への出場が決まった。

こうなれば、5位決定戦など気楽なものだ。相手は三重県優勝のペアであったが、特に具体的な指示はせず、選手に任せることにする。結局、2ゲームは取ったもののそこで集中力がなくなって6位。でも、何より「全国大会出場」という大きなご褒美がついているのである。

監督として全国大会に出場するのは、9年ぶり6回目。今年の全国大会は四国ブロック(松山市)開催である。前回、全国大会に出場したのも四国ブロック(徳島)のときであった。四国には何かと縁があるのだろうか。

この選手たちを育ててきたのは、何と言っても前任のモリ先生である。手前は、そのおいしいところだけをいただいたようなものだ。学校に帰ると、そのモリ先生が満面の笑みで待っていてくれていた。がっちり握手!ヨッシーが小宴の手筈を整えてくれていたので、いつもの居酒屋にて祝勝会。そうそう、書き忘れていたが、男子個人戦を制したのは、何と同じ浜松の旧市内の学校のペアであった。個人戦の前日、その学校の監督さんと飲んでいたのだ。「明日は “1ゲームは取ろう”が合言葉です」と言っていた。無欲の勝利であろう。それにしても、すばらしい結果を出してくれたものだ。

全国大会への出場はもちろんうれしいのであるが、予定外の松山行きが入ったことから、夏休みの予定を大幅に変更しなければならなくなった。ばかりか、宿舎の手配、新幹線の予約、市への出場報告、激励会への出席、東海大会の結果報告や経理報告など、片付けなければならないことが山ほどある。大会は17日が午後から監督会議と開会式、18日が個人戦である。練習もしなければならないから、16日には浜松を出発する予定である。いつ試合が終了するのかわからないので、18日はそのまま宿泊して19日の朝に松山を発つ。

おっと、その前に明日から3日間は、毎年浜松で開催している県外チームを招いての研修大会である。いったい、今年の夏はいつになったらゆっくり休めるのであろうか。ええい、こうなったら全国大会は「単なる物見遊山」を決め込み、道後温泉でのんびりしてこようか。でも、きっとそうはいかないんだろうなあ。まだまだテニス漬けの日々が続く夏休みである。

投稿者 uchida : 2006年08月13日 10:42

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