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2006年06月30日

スーさん、授業研究をする

6月28日(水)

久しぶりに(少なくとも15年ぶりくらいだろうか)、授業研究をやらせていただいた。

「え?15年も研究授業やらなかったの?」などと言われるであろう。でも、そういうこともあるのだ。決して逃げ回っていたわけではなく、たまたまそういう機会に恵まれずに今日まで来てしまったというだけのことでして。

今回は、県教育委員会が作成した「県版カリキュラム」指導徹底のために、各小中学校を回って指導する「コーチング・スタッフ」(多くは退職された校長先生たちが務められている)を迎えての授業研究に、不肖選ばれて(というよりはただ他に人がいなかった)授業を行ったというわけである。

本校の国語科の教員は3名。そのうちの一人は常勤講師。講師には授業研究をさせてはならぬ、というお上のお達しがあるらしい。もう一人は、昨年その「コーチング・スタッフ」の来校時に研究授業を行ったとのことで、必然的に残った一人が研究授業を行わざるを得なくなったということなのである。

もちろん、事前に指導案を書かなければならない。訪問日は決まっているので、少なくともその1週間前までには県の出先機関である教育事務所まで届くようにしなければならない。ということは、当然提出の前に校内研修部による検討、そして手直しという過程を経なければならないから、だいたい3週間前までには作成することになる。訪問日までの授業時間を数え、年間計画で教材の確認をし、その教材の指導計画のうちのどの時間を授業研究の対象にするかということを決定して、指導案を立てる。

指導案とは、その授業の「実施プラン」のことだ。扱う題材についての「題材観」、「生徒の実態」、題材の「指導計画」、「本時の目標」、「学習内容」、「指導上の留意点」などから構成されている。別段、その作成に困難を伴うほどのものではない。実際に自分が授業を行っているところを、子どもたちの顔を思い出しながらイメージしていけば、すらすらと書くことができる。

今回の授業で扱った題材は、「新聞の特徴を生かして書こう」(中学3年生)。同じ出来事を扱った新聞記事でも、新聞によってその伝え方が違うこと、伝え方の違いにより読者の印象が違うことを、例として載せられている二つの記事を比較しながら明らかにし、伝える内容や意図を明確にして実際に記事を書いてみる、という教材である。今回の授業は4時間計画のうちの1時間目。新聞の紙面構成を理解すること、例として挙げられている二つの新聞記事を比較検証してその違いを明らかにすること、実際に自分がどんな記事を書くかプランを練ること、の三つを授業の柱にして構想した。もちろん、中心になるのは二つの新聞記事の比較である。

教科書に載せられている記事の例は、例年より早い桜の開花を扱った記事であった。一見、「べつに違いなんかないじゃん」と思われて、あまり適切な例ではないような気もしたのだが、まあ教科書に文句を言っても始まらない。自前で記事を用意してもよかったのだが、せっかく教科書に載っているのだからと、それを使用することにした。はたして、生徒たちがそれぞれの記事の違いを読み取れるかどうか。授業の成否は主としてそのことに終始するという予想であった。

コーチング・スタッフを含め、校長・教頭など計7名の参観者が見守る中で授業が始まった。できるだけふだんどおりの授業にしようと思い、いつもどおり教科委員の生徒による授業始めの漢字読み書き小テストを行い、書き取り帳の提出状況をチェックしてから授業に入った。

まず、持参させた実際の新聞で紙面構成を確認する。「キャプションってどこの部分?」などと聞きながら、マーカーペンでチェックを入れさせる。これはすぐに終了。次に、本時のメインである新聞記事比較作業。これには時間がかかる。生徒たちは、二つの記事を読み、その見出しからリード文、本文を比較して、その違いをあらかじめ用意しておいたワークシートに記入していく。なかなか難しい作業である。そうして、最後に二つの記事の「編集の意図」を明確にするのである。

生徒たちの間を回りながら進捗状況を確認し、おおよそ記入ができたところで、周囲の生徒同士で記述を確認させ、発表に入る。「見出し」のところではあまり手が挙がらなかったが、「リード文」、「写真」と進んでいくうちに、どんどん手が挙がるようになる。「記事A」は、どちらかといえば「例年より早い桜の開花」を迷惑に感じているという雰囲気が醸し出された記事である。対して、「記事B」は早い春の訪れを喜んでいるという主調の記事である。そこは本校の生徒たち、ポイントをきちんと外さずに読み取って発表してくれる。よい子たちである。

半可なことを承知で言うならば、この授業は言語学で言うところの「デノタシオン」(明示的意味)から「コノタシオン」(暗示的意味)を読み取る作業とも言えようか(『現代思想のパフォーマンス』による)。そういう意味では、本校の生徒たちは高い「メッセージ解読能力」を持っていると言えよう。

滞りなく授業は終わった。授業研究というのはおもしろいものである。機会あらば、またやってみようという気持ちになった。「研究授業」というとつい尻込みしがちだが、ぜひとも進んでやってみるべきである。教員の基本は授業。その技を磨くことに吝かであってはならないと思う。

追伸:この授業の様子については、以下のアドレスで見ることができます。授業者のバカ写真もありますが、それはスルーしていただいて、授業に取り組む生徒たちの様子をぜひご覧くださいませ。
http://www.city.hamamatsu-szo.ed.jp/shijimizuka-j/gakusyuu/18/kokugo3/kokugo3.htm

投稿者 uchida : 2006年06月30日 10:09

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