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2006年03月21日

懲り懲りの郷テニス大会

3月21日(火)

「平城京まで五里、平安京まで五里」とは、京都市南部の宇治市や城陽市の辺りを指して呼び習わすのだそうな。

先日の土日は、その京都市南部の府立山城総合運動公園テニスコートにて行われた、その名も「五里五里の郷中学生ソフトテニス研修大会」に参加するために宇治市まで。

浜松から宇治市まで行くとなれば、車で3時間半は見ておかなければならない。となれば、土日に行われる大会に参加するためには、前日の金曜日に出発して宿泊というこということになる(だってねえ、明け方の4時とかに出て行くのはしんどいじゃないですか)。しかし、金曜日は6限までしっかり授業がある。また、同行するコーチは社会人だから、当然勤務終了後に出発である。というわけで、生徒たちはいったん家に帰し、夕食をとらせた後の7時出発ということになった(もちろん、われわれコーチ陣は夕食など食べている時間はない)。

手前は、既に監督を若手の先生に委譲しているので、今回の遠征も無理に参加しなくてもいいのであるが、せっかく声をかけてくださった京都のキシ先生やミヤタ先生にもお会いして久闊を叙したいということもあり、年度末の多忙な時期ではあったが、参加させていただくことにしたのである。

この大会は昨年第1回大会が開催されたばかりである。昨年も金曜日の夜に浜松を出たのであるが、名神の一宮を過ぎようかというところで、大渋滞に遭遇してしまった。何やら、雪とかで延び延びになっていた集中工事をちょうどその時にやっていたらしい。

コーチと相談して、名神は諦め、一般道を東名阪道まで走って、奈良から京都へと入るルートを走ることにした。東名阪道は快適に走れた。「やっぱり正解だったね」などと喜んでいたのもつかの間、亀山で東名阪道を降りて国道25号線に入ったところで、またもや大渋滞に遭遇してしまったのである。仕方がないので、25号線も諦め、滋賀から奈良経由で京都まで通じている旧道を行くことにした。結局、到着したのは12時前。何と、3時間以上も余分に時間がかかってしまったのである。

翌日、大会会場で会ったキシ先生やミヤタ先生に、「この大会の名称は変えた方がいいよ。『五里五里』じゃなくて、『懲り懲り』ってさあ」と当て付けを申し述べたのも、余儀ないことであったのである。

さて、「まあ、昨年みたいなことはなかろう」と、それでも名神の道路情報を確認しつつ出発したのであったが、東名の岡崎を過ぎた辺りから車が混み出した。幸い、完全に止まってしまうことはなく、名神に入ってからはすいすいと走って、京滋バイパスから宇治市に入り、宿舎に到着したのは10時半過ぎ。昨年のことを考えれば、ずいぶんと早い到着だったのである。

生徒たちにはすぐに入浴してそのまま寝るよう指示し、夕食をとっていない大人たちはとりあえず食事をしに外へ出る。ありがたいことに、キシ先生が宇治駅前の焼鳥屋さんで飲みながら待っていてくださったので、そこへ合流させていただくことにする。

同宿には、かつてのライバルであった三重県のオオタニ先生も泊まられていたので、「一緒にどうですか?」とお誘いし、飲みながら近況を報告し合う。

オオタニ先生の勤務されている学校は、三重県と和歌山県境の山の中にある小規模校。何と、1,2年生の全校生徒は10名(男子4名、女子6名)だそうだ。でも、今回の遠征には6名のテニス部員が参加している。「ひょっとして、1,2年生の女子生徒全員がテニス部なの?」と聞くと、「美術部とかに入っていた生徒も借りてきました」とのこと。小規模校には小規模校なりの苦労もあるのだ。夜遅かったということもあり、小宴は早々に切り上げて床に就く。

宿は、平等院近くの宇治川縁にある「静山荘」。朝起きてベランダに出てみると、対岸の山を背景にして、なかなかの水量を湛えながら流れる宇治川に、川鵜が水面低く飛んでいるのが見える。いい宿である。試合とは別に、これからの桜の季節や、秋の紅葉のシーズンにぜひ訪れてみたいという気持ちにさせられる。

試合は、土曜日が団体戦。予選リーグは1位通過したものの、決勝トーナメントで大阪の長尾中に敗退してベスト10。途中から小雨が降り出したため、早めに宿へと引き上げる。この日は、他に浜松から参加した「シューマッハ」オノちゃんのチームと、「会計係」ヨッシーのチームも同宿である。彼らは、何と合同で中型バスをチャーターし、明け方に浜松を出発してきたのである。「早起き長旅」の生徒たちは、さすがに力を発揮することなく、両チームとも予選リーグ最下位に沈む。やっぱり、前日から参加しなきゃね。

夜は、その日から同宿の姫路や大阪の先生と、地元のスタッフを交えて懇親会。降雨から寒さが増し、ビールよりも熱燗がよく売れる。久しぶりに顔を合わせる先生がほとんどなのに、まったく気兼ねすることなく話が弾むのも、テニス仲間のよいところである。

懇親会散会後も、依然として雨は降り続いていた。翌朝、起きたときにもまだ小雨が降っていたが、朝食を食べ終わるころには雨もやみ、日も射してきた。個人戦は、クレーコートの使用を諦め、人工芝コート12面で実施されることになった。

本校は、参加した4組中2組が1位トーナメントに進出したが、それぞれベスト16止まりであった。途中から霰混じりの強風が吹き荒れ、気温もぐっと下がって、コンディションは最悪であった。この日は午後からWBCの日本対韓国戦が行われていたので、途中からは車へ退避して野球観戦(こんなことでいいのであろうか?でも寒かったんです。)。日本の勝利を確認してコートへ戻ったところで個人戦も終了、帰途に就く。

その帰り道がインケツであった。滋賀県内は雪。おまけに、関ヶ原を越えて岐阜県に入ろうかというところで事故渋滞13キロ。養老のサービスエリア付近では、完全に止まってしまった。これでは帰りが何時になるか見当もつかない。それでも、岐阜羽島を過ぎた辺りからは少しずつ動き出し、愛知県に入るころにはようやく渋滞も解消した。結局、帰宅は9時半。通常より、1時間半近く遅い帰宅となった。

それにしても、どうもこの大会は渋滞に祟られる。今回は、それに加えて強風に霰だ。キシ先生、ミヤタ先生、やっぱり「五里五里」じゃなくて「懲り懲りの郷」ですよ、これは。

投稿者 uchida : 2006年03月21日 16:05

コメント

本当にスズキ先生はうまく書かれますね。先日お話ししたようにいつも感心させられます。4月・11月の宇治もいいですよ。特に紅葉真っ盛りの宇治が私のお薦めです。一度お越しください。
ところで、日曜日の天気とはうってかわってこの2日間は暖かく絶好のソフトテニス日和でした。雨・風・霰・雪男は果たして誰なのか??運営側ももう懲り懲りの二日間でした。でも後片付けの時に早くも来年の話が出るなどスタッフは充実した2日間だったようです。去年よりも宿泊して参加してくださる学校も増え、来年は近場でもう少し安価な料金で宿泊できるような施設を用意できればと考えています。
話はかわりますが、ベースボールの発祥の地で日本の「野球」世界一。130年にしてやっと。ソフトテニスの歴史も120年とそれに迫るものがありますが世界に認められるものはいつの日か?

投稿者 h-kishi [TypeKey Profile Page] : 2006年03月21日 23:34

h-kishiさま
コメントありがとうございました。
でもね、ホントにこの大会は渋滞にハマるんですよ。年度末だからですかね?
昨年も思いましたけど、レベルの高い大会ですよね。
いい大会だとは思うのですが、やっぱり名称は変えた方がいいような気もします。
だって、もしも上位入賞して、賞状とかもらって帰って、学校で表彰してもらうときに「あなた方は『ゴリゴリ』の郷中学生ソフトテニス研修大会において…」って表彰されるのって、ちょっと恥ずかしいような気もしません?
ぜひご一考を。

投稿者 すう [TypeKey Profile Page] : 2006年03月22日 22:29

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