夜明け前、イスラム教徒が8割を占めるジャカルタの朝は4時頃のアザーンから始まる。と言っても、モスクに近いホテルに滞在している訳ではないので、日に5回あるというアザーンは今のところ私たちの耳には微かにしか届かない。それよりもむしろ、国土の真ん中を赤道が貫く熱帯の国にありながら、外を歩く敬虔なイスラム教徒達がこぞって長袖やヒジャブで肌を覆っていることに毎度大きな驚きと畏敬の念を抱かずにはいられない。群島の国であるインドネシアの首都ジャカルタに来て1週間...、「バリ島」と「デヴィ夫人」程度の知識しか持たなかった私の心は、街行く人々の気配や立ち居振る舞いによって日々、この未知の世界へ開かれて行くようだった。
というわけで、ウィスコンシン州マディソンから本帰国して4年、白井君の仕事の関係で今度は何の因果か、私はインドネシアのジャカルタで暮らすことになった。ウィスコンシン州の州都である田舎町マディソンでの極寒生活から一転、アジア最大のメガシティでの熱帯生活である。
だけど今回は、色々と自力で開拓しなければならなかったマディソン時代の貧乏生活の幕開けとは天と地ほど違うように感じられる始まりだった。大都会であるジャカルタは田舎町マディソンとは違い、モールに行けばすぐにスシロー、牛角、大戸屋、丸亀製麺などにありつけるし、点在する巨大な高級モールには世界中の一級品が揃い、高級ホテルも高級アパートも、私たちのような外国人やインドネシアの富裕層を歓迎するために作られたもののように思えたからだ。
駅や建物のエントランスにある荷物チェックのゲートはどこも、日本人というだけでほとんど顔パスだったし、どこに行っても現地の門番がにこやかにドアを開けてくれる。駐在員の家庭では、メイドやナニー、専属の運転手を雇うことも珍しくなく、平均年収が4万円であるインドネシアにおいて、アメリカでは極貧の生活を経験した私たちが、翻ってここでは「お金持ちの外国人」というわけである。
だけどそんな風にお金持ち気分で浮かれていたのもつかの間、そのうちに私は、「もしかするとこれは未来の日本なのではないだろうか」という考えを抱くようになった。
というのも、アメリカから本帰国して東京で過ごしたこの4年間、日常生活は日を追うごとに厳しくなる物価上昇にだいぶ苦しめられていたからだ。そして加速する円安とインバウンドの高まりとともに、日本に遊びにきたアメリカ人の友人達は「日本は何もかも安くて最高だ」と言って、東京や京都の高級店で寿司やらすき焼きやらを食べる写真をSNSによく載せていた。私たちが年に一度お祝いで食べにいく都内の特別な寿司屋も、今年からは外人向けにネタを一つ一つ画像をスライドさせながら英語で丁寧に説明するサービスを導入し、年に一度だけ来る私たちなど、もはや主要なターゲットではなさそうだった。
都内のタワーマンションは中国人が買い漁って価格は高騰しているというまことしやかな噂もあったし、教育の中心として知られる文京区では、小学校に日本語を母語としない学生が増加しているとの報道もあった。日本が誇る抹茶は世界的な抹茶ブームによって世界への輸出が急増し、逆に日本では入手困難という状態にあるという話もどこかで聞いたが、そうした日本の貧しい現状が、皮肉にも私の目には長いオランダや日本による植民地支配時代を経験したインドネシアの今の姿と重なって見えたのである。
とはいえ、ジャカルタ生活は始まったばかりである。もちろん、渡航前はあれこれ悩み、駐在員の妻が経験するであろう一通りの感情の波は経験した。だけどアメリカで6年間生き抜いたのだから、きっともうどこでもやっていけるはずである。そう願いながら、私はまた白井くんと、この何も知らない大きな熱帯の島国へと飛び込んだのである。