« 突然の訃報(たいていそうだけど) | メイン | 「なるほど」って、いい答えだな »
2005年05月19日
宮古島な日々
5月4日
6時に目が覚めたので本を読んでいた。20分ほどで北も目を覚ました。朝はあまり強くない男だと記憶していたのだが、海に来て興奮しているのだろうか。
顔を洗ってから一階のレストランに朝食を摂りに行った。朝食はバイキング形式になっており、豊富な品数の料理がたっぷり用意されていた。朝だというのにゴーヤチャンプルーまでおいてある。蓋にシーサーの絵が描いてあるカップの納豆もある。地物かどうかは不明だったが、オレンジやパイナップル、グレープフルーツといった果物がうまかった。
部屋で一休みしてからレンタカー屋に行き、カーナビつきの三菱コルトを借りて海に向かった。パチンコ屋や消費者金融店が並ぶ町の中心部を抜けると、風景はすぐにサトウキビとたばこ畑だらけになる。20分ほど車を走らせると吉野海岸に到着した。
高台の駐車場に車を停めて500円払い、浜辺に続く急な坂道をシャトルワゴンにのって降りていく。曲がりくねった道を降りていく途中では、ところどころで砂浜と海が見える。海は海岸線のすぐ近くまで珊瑚礁が迫っており、砂浜と沖に挟まれた一体が翡翠色に光っていた。
午前中の比較的早い時間だったこともあり、砂浜にはまだそれほど多くの人は出ていなかった。空には薄い雲がかかっているが日差しはすでに強い。ビーチパラソルの下に荷物を置き、早速海に入るという北を送り出して、僕は本を読みながら荷物番をすることにした。詩人が率いる一派はようやく一仕事始めそうな様子だった。
北の海遊びは素潜り専門だった。正確にいうと潜りもしない。シュノーケルを使うのも面倒らしく、彼はただ大きな水中眼鏡を顔につけて海の中を泳ぎまわっている。この男は一生スキューバーダイビングなんてしないだろう。この男は自分が好きなことしかしない。周囲の人間がいくら薦めても、自分でやりたいと思ったことしかしない。周りの人間が、スパゲッティーにはカルボナーラもペペロンチーノも明太子スパゲッティーもあってどれもうまいから一度食べてみろといっても、北は頑なに「スパゲッティーはナポリタン」と決めている男なのだ。
30分ほど経つと海から北が戻ってきた。全身から水を滴らせながら、綺麗だから一度海に入ってこいという。断る理由もないので、北が履いていた海中スニーカー-彼は2年前に石垣島の海で正体不明の水中生物に足の裏を刺されて以来、海中スニーカーを愛用していた-を借り、同じく水中眼鏡を借りて海に入った。
海の水は思っていたよりもずっと温かかった。水を掻き分けながら5メートル程歩いて顔を沈めてみると、海底の白い砂の間に珊瑚がまばらに存在しており、その周りを魚が泳いでいる。さらに沖のほうまで泳いでいくと次第に珊瑚の塊は大きくなる。大きくなった珊瑚は、末梢の枝とでもいう部分がうねうねと動いている。その動きは動物よりも人任せだが波に揺られる海草よりは能動的である。ゆっくりと動く珊瑚の周りには濃い青色をした小さな魚が数匹の群れを作っている。
沖に行くにしたがって珊瑚の塊は大きくなる。大きな珊瑚の塊は色や形の異なる小さな珊瑚の複合体になっていて、それぞれの珊瑚がそれぞれのリズムで動いている。大きな珊瑚複合体はさまざまな律動を内在している。珊瑚複合体の間の深い溝にはクマノミやベラ、エンゼルフィッシュ、鯛に似た白くて大きな魚などがいた。
しばらく泳いでから浜辺に上がると、北は煙草を吸いながら本を読んでいた。
「きれいだっただろう」
「うん。きれいだった。来て良かったよ」
海岸には簡易トイレのほかには売店も自動販売機もなかった。僕たちは食べ物も飲み物も用意していなかったので、駐車場で買ったペットボトルのお茶と水だけで夕方まで過ごした。結局最後まであまり人は増えなかった。
ホテルまで帰る途中で、東平安名崎に立ち寄った。ここは宮古島の最東端に位置した岬で、観光名所になっている。細い道を岬の先端に向かって車を走らせると、岬の先端から500メートルくらいのところに駐車場があった。午後5時を過ぎていたのだが、50台ほどの駐車スペースの半分以上が車で埋まっていた。
車を停めて岬の先端までの道を歩くと、遊歩道の入り口に人力車の人夫姿をした男が、客寄せに三線を引きながら『島唄』とか『涙そうそう』などを歌っていた。理由はわからないが少し腹がたった。昼ごはんを食べていなかったからかもしれない。
岬の先端の灯台までの道を歩くと、道の周りには風にさらされた短い草の上に白いテッポウユリが咲いていた。北は遊歩道のすぐ脇に咲いていた、赤くて小さな花に興味を持ったようで、デジタルカメラでその花を撮っていた。
ホテルに戻り、風呂に入ってから夕食を摂った。一日外で遊んでいたためか、疲れていたので、この日はホテルのレストランでステーキを食べた。ビールの小瓶が一本700円もした。
5月3日
飛行機は満席だった。第○内科の新教授に、講師のN先生が持ち上がったこと、第○外科の教授選の行方、我々二人が所属していた医局の様子など、北から大学の近況を聞いているうちに、飛行機は那覇に到着した。外は曇り空で小雨が降っていた。飛行機の出口から建物につづく短い通路がじっとりと蒸し暑かった。
JALのターミナルから長い廊下を歩き、ANAのターミナルに向かう。廊下の二つの曲がり角には免税店があり、店の入り口には「国内線唯一の免税店です。沖縄から出発されるお客様のみお買い物ができます」という大きな看板がかかっていた。沖縄観光の振興策として、免税店の開設許可が出たのは沖縄サミットが開かれた頃だったろうか。
ANAのターミナルにはほとんど人影がなかった。接続カウンターで搭乗手続をしてから、売店でオリオン生ビールを買った。日があるうちはほとんど酒をのまない北もめずらしくビールを買った。宮古島への接続便の出発までには1時間ほどの待ち時間があった。眺めの良い場所を選んでビールを飲み始めると、すぐに北はビールを持って喫煙ルームに行った。窓ガラスの手前に設置された大きなテレビでは、どこかの民放が尼崎の列車事故の特集をやっていた。光熱費を節約しているのか、搭乗口付近の広い待合スペースは冷房の効きが悪い。久しぶりに口にしたオリオンビールは味が薄いように感じた。
連休に沖縄に行こうと言い出したのは北だった。3月の初め頃に、珍しく電話をかけてきて、北は連休に島に旅行しようと言った。毎年夏休みになると、北は病理医をしている北夫人と一緒に、南の島に旅行をしていた。石垣島、宮古島、西表島、久米島、屋久島、奄美大島など行き先は色々だった。今回は、妊娠中で一緒に旅行ができない夫人の代わりに僕を誘ったようだった。ゆっくり夏休みに行かないのかと尋ねると、夫人の出産予定が9月なので、さすがに夏休みはおとなしくしているつもりなのだと言った。
通路を挟んで両側2席ずつの小さな飛行機に乗ると、観光客に混じって、大きな目鼻、長い睫毛の沖縄特有の顔をした人たちが目に付いた。連休を利用して宮古に帰省する人たちなのだろうか。飛行機は40分ほどで宮古に着陸した。滑走路をとろとろ進む飛行機の窓から、オレンジ色の屋根瓦をのせた美しい宮古空港の建物が見えた。空には少し雲がかかっていたが雨は降っておらず、夕焼けが島全体の空気を薄い黄色に染めていた。
飛行機を降りてから伊丹で預けた荷物を受け取り、タクシーで「ホテルアトーレエメラルド」に向かった。空港を出ると周りには大きな建物はひとつもみあたらず、サトウキビを植えた畑が一面に広がっている。日はさらに落ちて、島の空気は暗い紫色に変わった。
車が走り出すと、北は外の景色に目をやりながら、よしという感じで手拍子を打った。北は久しぶりの南の島に興奮していた。北は、楽しいことが近づくと小さく手拍子を打つ癖がある。北は、学生時代と同じように、音がしないほどに小さくて両指だけをあわせるような手拍子を打った。
「運転手さん、吉野海岸と新城海岸ていうところが海がきれいで魚がたくさんいると聞いたんですが、やっぱりその辺りがいいんですかね。二つのうちどちらがいいとかあるんですか」
「まあ、この島だったらその辺が綺麗でしょうね。吉野海岸の方がすこし綺麗かな。ただ、あそこは駐車場で500円お金を取られるよ。そして、駐車場が高台にあるから、海岸まで相当な距離を歩かなくちゃいけない」
その後も北は、海のことや売店やトイレについていくつかの質問をした。競馬以外の活動にこれほど積極的な北をみるのは久しぶりだった。
「昔は島の周りどこに行っても魚がうようよいたんだけどね。釣りをしようとしても、餌なしでいくらでもつれたよ。今はもうだいぶ減ったけどね」
「やっぱり、ここは魚料理がうまいんですか」
僕は初めて運転手に質問した。
「いや、この辺はたんぱくですよ。魚はやっぱり北海道の方がうまいですよ」
「運転手さん、北海道に行ったりするんですか」
「女房が北海道の出でね、韓国の人だったけど。娘が今も3人札幌に住んでいるんですよ」
「ほう。どちらでお知り合いになったんですか」
「東京で働いているときにね、知り合ったんですよ。上の息子は那覇で働いてます。下のは千葉で学校に行ってます」
「じゃあ、今は奥さんと二人ですか」
「いえ、離婚しました」
「ほう。そうですか」
「この前、一番下の娘がここに遊びに来ましたよ」
運転手の身の上話を一通り聞いたところで車はホテルに着いた。ホテルは空港から車で10分ほどのところにあり、伊良部島との連絡船が発着する平良港の隣にあった。いつの間にか外はほぼ真っ暗になっていた。
チェックインを終えて部屋に荷物を置き、町に夕食を食べに行った。北は数年前に一度宮古に来ていたので、彼が町までの案内役を引き受けてくれた。
案内役を引き受けたはいいが、北は町までの道を覚えていなかった。「たしかこっちだったような気がする」という北の言葉を信じて、明かりの少ない宮古の道を歩いていくと、町の明かりはどんどん少なくなっていった。北は、運転免許を持っておらず、当然運転もしないので、道を覚えるのが苦手だった。
海と民家以外は何もなさそうだというところまで歩いた後で来た道を引き返し、車の流れから類推して、なんとか繁華街までたどり着いた。小さい島では迷い方もたかが知れている。
一本道の繁華街を端から端まで歩いた後、ビルの2階にある「ちゅらんみ」という店に入った。「ちゅらんみ」とはどうやら「美味」という意味らしい。
ビール、ラフテーという豚の角煮、もずく、ソーメンチャンプルーなどを頼んで食べた。泡盛も飲んだ。もずくが新鮮でうまい。
もずくというものは、外見上は新鮮かどうかまったくわからない。というよりも、「もずく」という食べ物に「鮮度」という概念があるのかさえも僕は知らなかったわけなのだが、一口食べてみると、この店のもずくは明らかに新鮮だった。そしてうまかった。沖縄はもずくが名物であるということを僕は初めて知った。
ラフテーもうまかった。やわらかい豚肉を噛むと口の中にほんのりと味噌の香りが漂うラフテー。
酒はあまり飲まなかった。北がオリオン生ビールを一杯。僕が二杯。そして、ふたりで泡盛を1合。
大酒のみだった北は、数年前からあまり酒を飲まなくなった。肝臓のことを考えていることもあるのだろうが、節制して飲まないという感じでもない。僕には北が、酒や酔うことにあまり関心を持たなくなったように見える。脱力して、少しだけつまらなそうに、北は酒と向き合っていた。北は酒に何も期待していないようだった。
投稿者 uchida : 2005年05月19日 09:08
コメント
コメントしてください
サイン・インを確認しました、 さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)
(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)