2004年版

 ドクター佐藤の”そこが問題では内科医?”・2003

 

12月28日(日)

 

年の瀬の晴れた一日は、空気が澄んでいて気持ちがよい。

ユニコーンの「雪の降る街」を聞きながら車を走らせる。

晴れた空とはうらはらに、実験が滞り気味でちょっと困っている。

 

 

 

12月27日(土)

 

朝から研究室へ行って実験。夕方からは、北浜で開かれた小さな研究会に出席した。

 

講演があんまり面白くなかったので、少々がっかりしながらお家へ帰って年賀状を書 き始めた。

 

よる10時を過ぎた頃にハガキが足りないことが判明したので、駅前のコンビニへ年 賀ハガキを買いに行く。

 

買い物を済ませた後、くるっと踵を返して帰宅するのはちょっと味気ないような気が したので、そのまま電車に乗り込んで、やや確信犯的にRe-SETへ(たまには踵返せよ、 さとうくん)。

 

水割りを飲みながら、橘さんと面白いお話をして(山スキーとか絵とか、本のお話な どなど。酔っ払って半分くらい忘れてしまったのがとっても惜しい。)お店を後にし ました。

 

 

12月25日(木)

 

今年最後のお稽古に参加。

私が初めて合気道のお稽古に参加させていただいたのが、ちょうど1年前のお稽古納 めの日だった。

濃密で、本当にあっという間に過ぎ去った1年だった。

 

12月24日

 

「今日はご飯を何合炊こうかしら。」

西日が差し込む事務所の2階で、初江おばさんはカレーライスに入れるじゃがいもの皮を剥いていた。

3個目のじゃがいもをむき終わりかけた頃に電話が鳴った。

「はい、もしもし、しまず探偵事務所でございます」

「あの、ちょっとご相談したいことがございまして、今からお伺いしてもよろしいでございましょうか」

「はいはい、もちろん結構でございますが、どういったご用件でしょう」

「できましたらお伺いしてからお話したいのですが」

「左様でございますか。あいにく所長は不在にしておりますが、お話をお聞きすることはできますので、どうぞいらして下さい。場所はおわかりになりますか」

「はい、存じ上げております。今から30分ほどで参ります」

「どうぞ、お気を付けて起こしください」

神経質で一癖ありそうなご婦人の声であったが、なにせ1週間ぶりにかかってきた仕事依頼の電話だったので、初江おばさんは何時にも増して愛想よく受け答えをした。

おばさんは、剥き終えたじゃがいもをボールに入れた後、応接セットのテーブルを拭いて灰皿を洗い、着ていた割烹着を洗濯したてのものに取り換えた。

所長の島津は、駅前のパチンコ屋にいた。暇だったのだ。

 

 

12月23日(火)

 

午前中から研究室へ。

大学院の同級生であるI先生と、入来問題について意見を交わす。

 

12月22日(月)

 

土曜日の朝、論文を投稿した雑誌から返事が来ていた。

落とされなかったことでまずはホッとする。しかし、査読者のコメントを読んでいくと、たくさんの追加実験を要求されている。

正直なところ、「うげー」という気持ちも無いではないが、rejectionされるよりもずっとましである。

というわけで、慌てて実験を始めました。

 

12月16日(火)

 

聴講ゼミの忘年会に途中から参加させていただいた。

エマニュエル・レヴィナスのお話や合気道のお話、そして「うなぎととろ茶漬け」のお話などをお聞きしているうちに楽しく時は過ぎて行きました。

皆さま、本年中は大変お世話になりましてありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎え下さい。

 

 

 

12月14日

 

12月も中旬になると、一年の帳じりを合わせるかのように急に寒さが増してきた。

 

気が付いてみると、エンリケのお父さんと相撲を取ったりした、あの不思議な日からひと月以上が経っている。

 

僕は相変わらず歩いて大学に通っている。マリちゃんとも時々会うことがある。

僕と彼女は、週に何度か帰りの時間が重なるようだった。すっかり暗くなった大学からの帰り道を歩いていると、はじめて出会った時と同じように、彼女は僕の横に車をとめる。

彼女は毎回僕を車に乗せてくれるわけではなくて、通り過ぎて行ってしまう事がほとんどだった。機嫌が良いと車の中から手を振ってくれることもあったけれど、多くの場合は、何のサインも無いまま素通りしていった。となりに知らない男の人を乗せていることもあった。

マリちゃんはとてもじゃんけんが強い。

居酒屋からの帰り道に彼女は決まって「ねえ、じゃんけんしよう」と言った。

僕は一回も彼女にじゃんけんで勝ったことがない。多分これまで20回以上彼女とじゃんけんをしたと思うのだが、一度も勝てなかった。

酔った彼女のきれいな眉毛を見ていると、僕は絶対に勝ってはいけないような気がしてきたし、実際に勝てないのだ。

危うさと強さが同居しているマリちゃんの眉毛は最強なのだ。

 

今日から丁度2週間前に、イシイ博士が開発した新ゲームソフト「おばさん的尾行」が発売された。

発売1週間前から放映された不思議なCM(割烹着を着たおばさんがワトソン君を従えて誰かを尾行している)が話題になったりして、「おば尾」は発売当初から順調に売上を伸ばしていた。

一躍時の人となったイシイ博士は、『徹子の部屋』に出演するため、東京へ向かった。

 

 

 

12月13日(土)

 

2週間ぶりに合気道のお稽古にうかがう。

 

お稽古の場所で、久しぶりに皆さまにお会いできるのがうれしい。

 

今日は、逆半身片手取り四方投げのお稽古が印象深かった。

 

いろいろな取りの形をお稽古した後に、最後に基本の形を教えていただく。

 

とても難しいのですが、間合いの取り方というか、細かい時間の使い方がすこしだけ分かった気がしました。

 

 

 

12月11日(木)

 

日本に帰ってきて最初のご飯は何にしようか迷ったのだが、家の近くの焼き肉やさんに行ってみることにした。

小雨模様の夜に一人で焼き肉屋さんに入るというのは、なかなか趣深いものである。

タン塩、ミノ、ナムル、もやしスープ(辛くしてもらった)、白いごはんと生ビールをもらった。

壁に盛岡冷麺のポスターが貼ってある。

どういう理由かは知らないが、冷麺は、僕のふるさとである盛岡の名物ということになっている。

本場、平壌冷麺を改良したものらしいが、太くて弾力のある麺と、透明ですっきりとしたスープが特徴である。

今日はお腹がいっぱいになってしまったので、次回のおたのしみ。

 

12月5日-11日 アメリカに行ってきました その2

 

アメリカから出国するときとは違って、メキシコからアメリカに入国する際には荷物検査や身分証明書の提示が必要でした。メキシコ人や他の観光客とともに長蛇の列を作ってアメリカ国内に戻ってきました。

7日からの3日間は、割とまじめに学会会場で講演や演題発表を聞いていました。

研究色の強いものから、より臨床的というか、患者さんの診療にダイレクトに関わってくるようなトピックまで、様々なセッションが、たくさんの会場で同時進行で行われます。

新薬の開発につながる研究などは、その中間に属するものになると思います。僕は現在、研究室にいることが多いこともあり、研究に関するセッションにいることがほとんどでした。

ちょっと面白いと思ったのは、たまたま臨床的なセッションの会場に入ると、そこにいる人達の服装が、研究のセッションを聞きに来ている人たちの服装とは全く異る傾向にあるということでした。

研究のセッションに来ている人たちは、ポロシャツとジーンズみたいなラフな格好の人が多いし、中にはタトゥーまで入っている人もいます。若い人が多いですし、Medical Doctorではない研究者も多くいます。発表者もTシャツだったりします。

それに比べて臨床的な内容のセッションに来ている人たちは、ほとんど全ての人が臨床医です。こちらは、ネクタイまではしていなくても、ちゃんと上着とシャツを来ている人が多いような気がしました。概して年齢層が高くて、ちょっと疲れている感じです。

会場の後ろの方の席からみると、そこに座っている人たちの肩の上には、病院に残してきた患者さんの事や、病院での人間関係や、家庭でのストレスがずしりと乗っかっているように見えました。

学会には、アメリカのみならずヨーロッパやアジアなど、世界中の国々から様々な人が集まっていますが、「医者のよれよれ具合」というのはけっこう世界共通のものなのだなあ、と関心してしまいました。

みなさん少しは羽を伸ばしたいと思って、温かいアメリカの西海岸の街へやって来ているのでしょうが、頭の中では、遠く離れた自分の病院の事が頭から離れず、「あの研修医大丈夫かなあ。」とか、「帰ったら翌日から外来だよ。予約ぎゅうぎゅうなんだよなあ。とほほ。」というようなことを考えているのかもしれません。

 

学会最終日である9日の夜には、サンディエゴの北に位置する、ラ・ホーヤという街でシーフードを食べました。

カリフォルニアの白ワインとスズキのソテーがとても美味しかったです。

今回、サンディエゴの街を詳しく見ることはできませんでしたが、来年の学会もこの場所で開かれるということでしたので、見られなかった所は、来年の楽しみにとっておきたいと思います。

 

全く違う話ですが、今回の旅でのもう一つの収穫は、『海辺のカフカ』を読むことができた事でした。

何となく、読むときは一気に読みたいなあと思って、チャンスが来るまで読まずにとっていたのです。

今回、行きの飛行機とホテルの中で、ひといきに読みました。

「この世界における一人ひとりの人間存在は厳しく孤独であるけれど、その記憶の元型においては、私たちはひとつにつながっているのだ・・・」

という数行が印象的でした。

僕が医者であることとどのくらい関係しているのかはわかりませんが、そこには人が元気になることを手助けするのに、とても大切なことが含まれているように思います。

難しそうだし、アマゾンで調べたら値段も高いので、いままでちょっと気後れしていたのですが、やっぱりジャック・ラカンの本を読んでみようと思いました。

そして、ご多忙を極めておられる内田先生に、一店子がこのようなことを申し上げるのは大変恐縮なのですが、レヴィナスとラカンのご本を読ませていただける日が、さらに待ち遠しくなりました。

帰りの飛行機は行きの時より時間がかかったこともあって、ちょっと疲れていたのですが、日本に帰ってすぐ、三宮のジュンク堂へ『少年カフカ』を買いに行きました。

 

 

 

12月5日-11日 アメリカに行ってきました その1

 

サンディエゴで開かれる学会に出席するため、アメリカに行ってきました。

 

4日間に渡る大きな学会で、僕にとっては初めての参加でした。悲しいことに私が申し込んだ演題は採用されませんでしたので、発表の機会はなかったのですが、すでにサンディエゴ行きの飛行機や宿を予約していたこともありまして、僕も行かせてもらっちゃったのです。

12月のサンディエゴは最高気温が摂子20度くらいで、長袖のシャツに上着を羽織ると丁度よいという感じでしたが、一日だけ年に4回くらいしか降らないという雨に降られてしまい、その日は日本を思いだすような寒さでした。

毎日、朝7時台からセッションが始まるので、6時に起きて朝ご飯を食べてから、歩いて10分ほどの学会会場へ向かいました。

 

6日には、面白そうな発表がない時間を狙って、先輩のT先生と一緒にメキシコのティファナまで行ってきました。

学会が開かれたサンディエゴ・コンベンションセンターの前からトロリーに乗って30分ほど南に向かい、終点のSan Ysidro/Tijuanaで降りると、そこはもうメキシコとの国境のすぐ手前です。

南に25キロ程しか移動していないのに、照りつける日差しがサンディエゴより強いような気がしました。

指導教官の先生にあとからその事を話すと、「ほんまかいな」と笑われましたが、僕たちとは別に、後日ティファナへ行ってきた大学院生のI夫妻も同じことを言っていました。

 

アメリカからメキシコへの入国は特にチェックもなく、15分も歩くとあっさりメキシコに入国することができました。

国境を超えてすぐの所には、どういう訳か薬屋さんが沢山並んでいます。後から話を聞いたところでは、メキシコ国内では処方せん無しで安く薬を買えるらしく、アメリカ国内から多くの人が薬を買いに来るようです。

ティファナの街並みは、舗装が十分でないところが多く、掘っ建て小屋のような建物だらけです。

道行く人には、アメリカ国内で見られるような、でっぷりと太った人は殆どいません。

そのかわり、キャンディーのような物を売っている小さい子供が沢山いました。橋の上には、楽器を弾きながら歌を歌っている物乞いの子供もいます。

Av. Revolucionというメインストリートには、多くのみやげもの屋さんが並んでいます。革製品が有名なのか、革のバッグやベルト、ブーツなどが置いてありました。銀(と思われる)ネックレスやブレスレットもよく置いていました。歩いていると、「サムライ!」とか「ビンボープライス!見るだけタダよ」などと、声を掛けられます。

一通り歩いた後で、通りに面した建物の2階にある料理屋さんでお昼ご飯を食べました。

サンディエゴにあるお店の中のテレビではアメリカンフットボールが写っていましたが、メキシコではサッカーが写っていました。

お店のおじさんに勧められるままに、タコスとファヒータ(トルティーヤでエビやチキンを巻いて食べるもの)を出してもらいました。

辛いソースと、小豆を煮た付け合わせをのせて食べるととても美味しく、ライムを搾ったメキシカンビールがすすみます。

テラスから車が激しく行き交うRevolucion通りを眺めながらのんびり食事をとっていると、どこからかクリスマスソングが流れてきました。

 

12月1日(月)

 

11時前に帰宅。

今日は車だったので、帰り道を走りながら、晩ご飯をどうしようかと考えていた。

コンビニ弁当は、ビニールの包装から中身を取り出すのが面倒なので却下。

家の近くで遅い時間まで営業している食べ物やさんは、ラーメン屋くらいしかないのだが、いまいちラーメンという気分でもなかった。

いまから三宮までご飯を食べに行く元気もないしなあ、と途方に暮れていると、家のすぐ近くまで来たところで、以前からちょっと気になっていた小さい料理屋さんの灯りが見えた。

ちょっと迷ったのだが、一旦家まで行って車をとめてから、そのお店に行ってみることにした。

お店の横の窓からちらりと中を覗くと、おばさんが2人働いており、カウンターで初老のおじさんが一人で酒を飲んでいた。

「一人だけどいいですか?」と、入っていくと、カウンターの中のおばさんが

「どうぞ、どうぞ」と、迎え入れてくれた。

大皿に盛られた色々なお惣菜の中から、おから、アジの南蛮漬、ブロッコリーとトマトとじゃがいものサラダ、茄子とししとうの煮物をもらってビールを飲んだ。

「この大根はねえ、4時間も煮込んでるのよ。一番最初に仕込みをはじめて一番最後までかかるの。」と言って、大根の煮物を少し分けてくれた。

どのお惣菜も味付けが良くておいしい。

おばさんに、「おいしいですね。」と言うと、「うちの味付け薄いでしょ。薄いとたくさん頼みたくなるでしょ。そういう作戦なの。ははは。」と、言っていた。

カウンターで焼酎の水割りを飲んでいたおじさんは常連さんのようで、2人のおばさんと漫才のように会話をしていた。

おばさんは「アメリカは必ず滅びる。」と言明し、縄文時代からの日本人の動向についてとうとうと語り、「来週の水曜日にくれば、かわいい女の子が働きに来ているから、お兄さん是非いらっしゃい。」と営業のセリフも忘れなかった。

来週の水曜日は学会に行っているので来られないのだが、料理が美味しくて、面白いお店なのでまた行ってみようと思う。

 

11月29日(土)

 

雨の土曜日にはU2がよく似合う

晴れた水曜日のお昼ご飯には揚げたあんかけ焼きそばがよく似合う

大人はうずらの玉子が2コ欲しいなどとはいいません

 

 

11月29日 

 

目が覚めると、僕は彼女と同じベッドの中にいた。

 

あまりに展開がはやすぎて、どのような経緯で今ここにいるのかよく分からない。そのスピード感は、まるで左前みつを取った後の千代の富士を見ているようだ。

 

問題なのは、自分が千代の富士なのか、寄り切られた力士なのかよく分からないことである。

 

だが、いくつかの問題があるとしても、今このベッドの中はぬくぬくしていてとても気持ちが良い。

 

しばらくすると、さすがにぬくぬくしているのにも飽きてきたので、ベッドを抜け出して窓の外を眺めてみた。そこには小さな公園があり、公園の中では、エンリケとフリオが相撲の立ち会いの稽古をしていた。

 

「ラテンの貴公子」と「ラテンの貴おやじ」の親子が、「もういっちょ。」とか「まだまだー」などと大声を出してぶつかり合っているのを眺めながら、僕は昨日あった出来事をゆっくり思い出していた。

 

飼育ケ−ジの交換を終えた後、僕は一人てくてくと家に向かって歩いていた。少しだけ明日の実験の準備をしてから帰ろうかとも思ったのだが、眉毛のきれいな女の子があまりにそっけなかったので、何だかやる気がなくなってしまい、家に帰って酒でも飲むことにしたのである。

 

僕は帰り道を歩きながら、フーの「マイ・ジェネレイション」や「リリーのおもかげ」を口ずさんでいた。だんだん調子に乗ってきて、ピート・タウンゼントのように腕をぶんぶん振り回しながらギターを弾く真似をしたりしていた。

 

すると一台の車が僕の横に止まり、誰かが「そこの偽ピート、馬鹿みたいだからやめなさい。」と言った。それは例の女の子だった。

 

彼女はマリちゃんといい、動物棟の管理室の仕事を手伝いながら自分でも研究をしているらしい。この大学には、2か月前に来たばかりだということだった。

 

マリちゃんは僕を助手席に乗せると、何も言わずに車を走らせた。ほんの15分ばかり走ると、僕たちが乗った車は、僕が全く知らない街並みの中にいた。

 

僕は、3年前にこの辺りに来たばかりなので、分かる場所はそれなりに分かるが、分からない場所は全然分からない(至極あたりまえのことでごめんなさい)。

 

彼女に何か話しかけようかと思ったが、何となく話かけても相手にされないような気がしたので、僕はずっと黙っていた。

 

暇なので何か音楽でも聞きたいと思い、カーラジオの電源を入れたら、聞こえてきたのはなんとAMラジオだった。

 

関西限定の野球解説者による、阪神タイガースの来季の展望を聞きながら5分ほど移動したところで、彼女は灰色の壁のアパートの前に車を停めた。きっとここは彼女のお家なのだろう。

 

彼女は、「近くに、美味しい居酒屋さんがあるから、いこう。」といった。

 

アパートの裏側に回って東に200mほど歩くと、そこには「うっかりはちべえ」という居酒屋があった。

 

僕はあまり気が進まなかったのだが、入らないわけにはいかなかった。

 

しかし、うっかりはちべえは予想に反して美味しい料理を出すお店で、店員さんもしっかりものだった。

 

美味しいものを食べて、お酒を飲んですっかり上機嫌になった我々は、さらにビールと熱燗と焼酎をたくさん飲んだ。お金は誰が払ったのか分からない。「しっかりはちべえ」が、僕の財布からちゃんと代金をとってくれたのかもしれない。

 

その後のことはあまりよく思い出せなかった。いいことがあったような気もするし、そうでもなかったような気もする。

 

村上春樹の小説の「僕」なら、ここでマリちゃんのためにコーヒーをいれて朝ご飯でも作ってあげるのかなあ、と思ったのだが、時刻はもう朝の7時を回っていた。

 

僕は朝から実験の予定があったし、マリちゃんも朝から仕事があると言っていたので、慌てて彼女を起こした後、僕はタクシーで家まで帰った。

 

帰りのタクシーの中で、「スガシカオ 変なグラサン すかしがお」という、へんなフレーズが頭に浮かんだ。

 

 

 

11月28日(金)

 

ほんの小さなものだが、次につながりがでるような実験の結果が出た。

 

「恋が始まりそうな予感」見たいな感じで、ちょっとわくわくする。

 

最近、自分の実験の進め方を、前にもまして意識するようになった。

 

あらためて意識してみると、実験の進め方にずいぶん無駄が多いというか、大切なポイントをおろそかにしてしまって、結局実験のやり直しを繰り返していることが多いような気がしてきた。

 

「新しい恋」が、めでたく実を結ぶとよいのですが。

 

11月25日

 

シロイヌナズナはアブラナ科の一年草で、その辺のどこにでも生えている雑草である。

食用でもないし、観賞用の植物でもない。しかし、短期間で生育することや、場所を取らないといった、都合の良い特徴をたくさん持っていたので、植物の実験モデルとして広く用いられるようになった。

本当は、余計な仕事に巻き込まれることなく、道端でオオイヌノフグリなんかと一緒にのんびりしていたかったのかもしれない。しかし、何者かが突然、シロイヌナズナを舞台の上に引きずり出してしまった。

それにしても、いったい家元はどこに行ってしまたのだろう。

2日前に、ロイヤルホテルのリーチバーでシャンパンを飲んでいるのを見かけたという話もあるし、とある美術館の食堂で、チキンカツを食べながらビールを飲んでいるの見たという人もいた。しかし、本当のことは誰にも分からなかった。

そのようなことをあれこれ考えながら大学までの道を歩いていると、「ジュンク堂 本の並びは 順不同」という、川柳らしきものまで頭に浮んで来た。

大学にたどり着いたときには、辺りはもう真っ暗になっていた。

動物棟の入り口でカードリーダーにIDカードを通す。

僕は最低一週間に一度、マウスの飼育ケージを新しいものに交換するために、ここに来ている。

靴をサンダルに履き替えてロッカールームで白衣を羽織り、エレベーターで3階に上がる。もう一度カードリーダーにIDカードを通して、マウス飼育室の前室に入る。サンダルと白衣が一つずつあるので、飼育室の中には誰かいるようだ。

白衣を脱いで、つなぎを着こみ、サンダルを長靴に履き替える。帽子とマスクとゴム手袋をつけて、アルコールスプレーを体に吹きかけてから飼育室に入ると、中では、誰かが作業をしていた。

マウス一匹づつの様子をチェックして、何かのしるしをつけているようだったが、何をしているのか詳しくは分からなかった。

サイズの大きなつなぎと、帽子とマスクを着けているせいで分かりにくかったが、それは女の子のようだった。女の子は僕が部屋に入ってきたことを気にする様子もなく、もくもくと作業を続けていた。

前室からもちこんだ新しいケージにマウスを移して、金網になった上の部分に新しい餌を置いていく。

僕が5個目のケージを交換している途中で、彼女は自分の仕事を終えたらしく、素早く後片付けを終えてから、したかしないか分からないくらいの小さい会釈をして部屋を出ていった。

ケージ交換を終えると、来週輸入する予定になっているマウスのことで管理室から呼び出されていたのを思い出したので、再び白衣に着替えてから、1階にある管理室へ向かった。

管理室の中では、女の子が一人、ザ・フーの「ピンボールの魔術師」を聞きながらコンピューターの前で仕事をしていた。

 

おれはガキの頃から銀色のボールで遊んでいるのさ

ソーホーからブライトンまで、あるマシンは残らずぜんぶやった

でも、あんな奴は見たことがねえ

耳も聞こえない、口も聞けない、目も見えないガキが、すげえピンポールをやるんだ

 

確信は持てなかったが、背格好と、帽子とマスクに隠れていなかった部分から想像するところ、彼女は僕と同じ飼育室で仕事をしていた女の子じゃないかと思った。

「すいません、輸入動物の入荷の件なんですが。」

「ごめんなさい、担当者がもう帰ってしまったので、明日また来ていただけますか?」

こちらを向いた彼女は、眉毛がきれいな人だった。

 

11月24日(月)

 

私の頭もだいぶイカれてきたようで、目が覚めると、「フロッピーディスクのセミヌードとは如何なるものか?」という疑問が頭に浮かんだ

それの答えにたどり着くためには、まずフロッピーディスクの体の定義をはっきりさせなくてはならない

ディスクを覆っているプラスチックが体で、中にひっそりと隠れているディスクが内臓のようにも思える、ディスクが体で、プラスチックの洋服を着ているようにもみえる

金属の部分をスライドさせてみると(どうしてちょっとどきどきするのだろう)、中にはわずかに灰色がかった黒いディスクが見えた

光を反射してぴかぴかと光っている

女優は、「わたし、必然性があるなら脱いでも構いません」と言う

フロッピーディスクに、脱ぐ必然性があるのは、真っ暗なパソコンの中だけなのかなあ、などと思っていたら馬鹿馬鹿しくなってきたので、それ以上考えるのはやめた

 

 

11月23日(日)

朝から研究室へ行ってきた。

ローソンで買った「都ホテル東京の坦々麺」がとても辛くてびっくりする。

 

 

11月22日(土)

本日は芦屋の道場でのお稽古だった。

最近になって気が付いたのだが、家の床で柔軟体操をするよりも、お稽古着を着て、道場の畳の上で体操をした方が、体がよく曲がるのである。とても不思議だ。

体術のお稽古では、気の感応を特に意識した正面打ち一教のお稽古が印象深かった。

夜には、内田先生に、お家から至近の「囲炉裏」というお店に連れて行っていただいた。

イワモトさんと3人で生ビールで乾杯の後、美味しい料理をいただきながら色々なお話を伺うことができました。

内田先生どうもありがとうございました。

 

 

11月21日金)

 

「お金はだいじだよー」っていうCMが流行っているらしい。

僕は何故か一回も見たことがない。

野球が終わってから、すっかりテレビを見なくなってしまったようだ。

「えー、佐藤せんせい、あんなに沢山流れているCMなのに知らんの。」などと聞かれると、嬉しさを押し殺して、「いやー、あんまりテレビって見ないんだよねー。」と答える。

言ってみたいセリフを導いてくれる人というのは良い人ですね。

 

 

11月19日

 

考え事でもしているかのように黙々とポスターを剥がしていたヒロナカ君は、僕が事務所に入ってきたことに全く気付いていない様子だった。

おつかれさま、とすぐ後ろから声を掛けると、彼はちょっとびっくりして振り向いた。

「あ、サトウさん、どうも。いや丁度よかった。突然ですけどね、いま数字の性質について、考え直してたところなんです。小さい頃、どの数字が好きとか、そういうこと考えませんでした?僕はいつもそういうことばっかり考えてたんです。僕が思うにですね、数字の8って茄子みたいだと思いませんか?」

「いや、8は餃子だろう。でもこれ、性質っていうのかなあ。」

「まあ、いいじゃないですか。水餃子ですか、それとも焼き餃子?」

「水餃子にきまってるだろう。それよりさあ、エンリケしらない?」

「水餃子ですか。ふーん。サトウさんて変な人ですね。」

彼を、本当にたたみいわしのように火で焙ってやろうかと思ったが、黙って聞いていた。

その後ちょっとだけ話をしてから、じゃあまたね、と挨拶をしてもう一度外に出た。

家に帰ろうかと迷ったのだが、マウスの飼育ケ−ジを交換するために大学へ行くことにした。

 

11月16日(日)

 

散髪行こうとおもったら 二日酔いで起きられず

本を読もうとおもったら たちまち眼瞼がぱたりんこ

あらあらどくたあ昨晩も ちょっと飲みすぎちゃったのね

窓の外ではガキどもが 大声出して遊んでる

ねえねえ君たちもうちょっと ぼくをゆっくり寝かせてよ

午後にむっくりおきだして 目玉焼きを焼いてみた

お皿に5個だけプチトマト ぷっつり噛むと甘いのね

冷凍ごはんを解凍し お湯をそそいだなめこ汁

お味噌がちゃんと溶けるよに 必死になってかき混ぜる

体にしみるぜなめこ汁 良い仕事しはりますなーなめこ汁

長いつきあい納豆は 「においひかえめ」ものたりない

お風呂に入って着替えたら そろそろ仕事に行きましょう

かわいいかわいい細胞ちゃん ぼくがくるのを待ってるの

 

11月14日(金)

 

研究室からの帰り道にバイクを運転するときに手袋をし始めた。

季節が巡って手袋をするようになると、向田邦子の「手袋をさがす」という文章を思い出す(『夜中の薔薇』という本に載っています)。

彼女が22歳の頃、気に入った手袋を探すことができずに、冬を手袋なしで過ごすことから始まるエッセイなのだが、ちょっと他の作品には無いくらい熱い言葉で、「私はいかにして居直ったか。」ということが書かれている。

 

 

 

11月13日(木)

論文を投稿した。

少しだけ感慨みたいなものも感じるが、受理されるかどうか不安のほうが大きい。

うん、最初の雑誌は多分ダメな気がする。

雑誌のウェブサイトで投稿できるのだが、どこの査読者に論文が回っているのかとか、実況中継のように知ることができる。

今は、新しいテーマの実験と、投稿中の論文の追加実験として必要になりそうなものをやっています。

 

 

 

11月11日(火)

食堂におでんが出てきたということは、もうすぐそこまで冬が来ているということである。

 

 

11月10日 

一人で事務所に戻ると、もうあまり人は残っていなかった。片方だけに黒い目を入れられただるまが窓際に移動していて、外の景色を眺めていた。

一人の青年が、壁一面に張り巡らされていたポスターを一枚ずつゆっくりと剥がしている。近づいてみるとそれはヒロナカ君だった。ヒロナカ君は生物学を専攻している大学院生で、彼のおじいさんは有名な数学者らしい。その昔、大手消費者金融会社のCMに出たりしていた。

孫のヒロナカ君は、大学でシロイヌナズナの遺伝子破壊株を作成している。

シロイヌナズナは高等植物の中では一番ゲノムサイズが小さく、2000年12月に全ゲノムが解析された。この中にはおよそ14600種類の遺伝子が含まれている。

ヒロナカ君にはとってもきれいなお姉さんが2人いる。

一人は、ふぐのお刺し身のように上品なお姉さんで、もう一人は、百合の花のような人だ。きれいだけれど、ちょっと匂いにむせてしまうような感じである。

しかし、どういうわけかヒロナカ君は、たたみいわしのような青年だった。

それは別に、火で焙って味が出るという意味ではなくて、痩せていて目が小さいということである。

 

11月9日(日)

午後から引っ越して初めてのミニ宴会を催した。

 

11月8日(土)

ジュンク堂大阪店で行われた内田先生のカフェセミナーを聞きに伺う。

本屋さんで買う本を選ぶときに、書棚の本が自分を呼ぶ声を聞く、というお話しがあった。

またそこから、なぜか本屋さんで便意をもよおす人が多いというお話しがあった。

「インクの臭いによる誘発」などの諸説があるということでしたが、やはり、本の声に耳を澄ませると体が敏感になって、腸がむずむずと動きだし、「やや、これは一大事。」という説が一番ぴったりくるような気がする。

最近でこそあまりなくなったが、小さい頃の私は完全にこのタイプの人間で、本屋に行くとトイレに入り込むことがとても多かった。

しかし、考えてみると私は本屋だけでなく、特定の状況において便意をもよおすということがよくあったのである。

一番多かったのは、幼稚園や小学校の帰り道だった。

歩いてあと5分くらいで家につくという頃に、トイレに行きたくなってどうしようもなくなるのである。

もう少しで家に着くという安心感がどうやら便意を起こさせるらしかった。

小学校低学年くらいの子供にとって、路上で便意に襲われるというのは、人生においてそれ以上のことはないという程のクライシスである。

家の近くの大きな河に掛かった橋の上を、口を堅くむすびながら、必死になって歩いていたその時の気持ちを思い出すと、いまでも切なくなってくる。

走ってかえればいいのに、と思う方もおられるかもしれないが、走るというのは、そうとう体に振動が伝わるもので、とてもじゃないが無理である。こういう時はお尻に力を入れながら、一歩一歩進んでいくしかない。

子供の世界というのは、恐怖が色々なところに潜んでいるものである。

大きくなってくると、いつの間にかこの手の恐怖に苛まれる機会というのは減ってくるものなのですね。

 

11月4日  In the school yard

その日の夕方、僕とエンリケは散歩に出掛けた。

人通りが多い選挙事務所の前から山側に向かって歩いていくと、左手に小学校が見えてきた。

すでに人気の無くなった小学校の校庭に入り、花壇の脇のベンチに二人で腰掛けた。

「これからどうしよう。」

エンリケからの返事がないので、そちらを見ると、エンリケの姿はもう無く、そこには変わりに父親のフリオが座っていた。

「心配いらないよ。物事は今やっと始まったばかりなのだ。ビギン・ザ・ビギン。」

と、フリオは言った。

なんだかよく解らないので黙って座っていると、彼は突然立ち上がり、足で校庭に大きな円を書き始めた。

ゆっくりと大きな円を書き終えると、彼はこちらを向いて、「勝負しよう。」と言った。

こうして、僕とフリオと校庭で相撲を取ることになった。

立ち会いは五分五分だった。

僕とフリオは喧嘩四つらしく、熾烈な差し手争いが繰り広げられた。

一瞬の隙をついて諸差しとなった僕は、土俵際まで一気に寄っていった。

体の大きいフリオは、土俵際いっぱいで残すと、強引に左から上手投げを打ってきた。

その瞬間、僕は左腕をさっと抜き、無我夢中で、彼を投げた。

フリオは土埃を立たせてごろごろと土俵の中央に転がっていった。

「下手出し投げだ。」

校庭の片隅では、山崎まさよしが不良にギターを教えていた。

気がつくと太陽は沈み、あたりはすっかり暗くなっていた。

 

 

11月4日(火)

 

風邪のためか、朝のうちは体がだるくて辛かったが、昼過ぎからはすっかり元気になった。

『ミーツブログ』(http://www.kansai.com/blogMain.do)を見ると、副編集長の青山さんが僕にはもったいない言葉で褒めて下さっている。

昔から褒められるのとご馳走になるのは大好きなので、とても嬉しい(あたり前である)。

ブログにはコメントを入れることができるので、書き込もうと思ったのだが、何回やっても何故か上手くいかなかったのでこちらに書かせていただきます。

取材にまつわるお話に関連して、青山さんは、お店での「注文の仕方」に、その人の、人となりを垣間見ることができる、とお書きになっていた。

あまり関係ないかもしれないが、僕は吉野家に行って「つゆだく」と注文することができない。恥しい。

特に、「だく」のところが恥ずかしい。

こんなところにも、僕の「人となり」が出ているのだろうか。

実は、一度だけ思い切って注文してみたことがあるのだが、小声になってしまい、店員さんに「え、なんですか?」と大きな声で聞き返されて、余計に恥ずかしい思いをした。それ以来、絶対に頼まないことにしている。

あんまり悔しいので、今度「並、具だくで。」と言ってやろうかと思っている。

 

 

11月3日(月)

一日かけて青森から家まで帰ってきた。

二日酔いかと思ったら、どうやら風邪を引いたらしい。

温泉で浴衣を着ると必然的に薄着になって、どうも風邪を引きやすくなるような気がする。

 

 

11月2日(日)

 

寝不足のまま羽田空港に向かい、青森行きの飛行機に乗る。

大学時代に仲の良かったアボ君の結婚式に出席するためである。

八甲田ホテルで行われた披露宴に出席の後、2次会をかねて八甲田温泉に投宿。

懐かしい友人や先輩方とのひとときは楽しく、なぜかちょっとだけ切なかった。

 

 

11月1日(土)

研究セミナーに出席のため東京に向かう。

発表はあまり上手くいったとはいえなかったが、「こんなことやってます。」と、色々な方にご挨拶できたことで良しとしたいと思う。

 

 

10月30日(木)「まつり」

 

選挙である。

この秋、ある段位発行団体の家元が政界への転身を決定された。

その団体の名前は宗教法人「邪道」。

家元の政界への転身に対しては、日本のみならず世界中から驚きととまどいの声があがった。引き留める声も多くあったようだが、「汚れなき邪さ」を日本列島に広めるべく家元は大きな決断をされたのである。

家元は、政界への転身と同時に「日本邪道党(Japan Evil Party)」の結党宣言をし、衆議院比例全国区(これってもう無いんでしたかね?)での議席確保を目指していることを明言した。

選挙には金がいる。

豊富な資金調達のため、「株屋の美女」コバヤシ氏の号令で、巨大な仕手集団が形成され、瞬く間に多額の資金が用意された。

一方では、ダンスゲーム作りの実績があるイシダ氏が、『寝ながら学べるダンスステップ』という、原理的に大きな矛盾をはらんだビデオゲームを作成。

これが、中高年の女性層を中心に100万本を越える大ヒットとなり、ゲームの発売元である、株式会社「いけず」(「邪道」の資金調達会社)は、短期間にこれまた巨額の収益を得た。

候補者である家元の第一秘書には、邪道の最高段位保持者であるウッキー氏が就任した。

移動通信を含めた通信設備は、合気道会OG の重鎮である「KKレディーズ」の尽力によって整備された。

多忙を極める選挙期間の唯一の楽しみである、食事と上等なワインがRe-SETのタチバナ氏とコクブ氏により用意された。タチバナ氏は、日本全国に邪道の「汚れ無き邪心」を広めるため、日本一周ヨットの旅に出発した。

個性派ぞろいの選挙対策本部を束ねる選挙対策本部長にはコウヒロキ氏が迎えられた。

「街的選挙。」のキャッチフレーズのもと、「まつり」は始まったのである。

街は、「一日一邪」、「ひきこもりの若者よ、街へ出て意地悪しよう(おじさんも可)」という文字が踊るJEPのポスターであっという間にいっぱいになった。

JEPの党員党友は急速なスピードで増え続けた。

薄暗くほこりっぽい部屋に閉じこもっていた若者達は、少しずつ街へ現れ始め、すれ違う人たちに「その眼鏡似合わないね。」などと話しかけて、喧嘩をしたり友達になったりするようになった。

少しずつ選挙対策本部のメンバーが手応えを感じ始めた頃、その日は突然にやってきた。

家元の立候補取り下げの知らせが、選対本部長からメンバー全員に知らされたのである。

その時イシダ氏は、地下の研究室で、新ゲームソフト 「おばさん的尾行」の最後の仕上げを、徹夜で終えたところだった。

以下乞うご期待(もう無いかもしれないけど)。

 

10月26日(日)

目が覚めると、外はとても天気が良い。

走ろうかと思ったけれど、何となく歩いたほうがよさそうな気がしたので、河口まで歩く。

広場になっているところでゆっくり体操をした後、走って帰ろうかなあと思ったのだが、あまりに気持ちがいい朝なので、そのまま站椿功をする。

以前は公の場所で周りと違うことをするのに抵抗があったのだが、最近だいぶ慣れてきた。

公園で私が杖を振る姿を見た人達が、私のことを『棒男』と名付けて、「あらやだ、また棒男が来たわ。いやねえ、朝っぱらから。」などと、警戒しているのではないかと勝手に心配していたのだが、今はあまり気にしていない。

朝の早い時間に歩いている人たちというのは、ある程度気持ちに余裕があるというか、それぞれに気持ち良い気分になりたいと思って、走ったり犬の散歩をしたりしているので、周囲とちょっと変ったことをしていても、寛容さを持って受け入れてくれているような気がする。

まあ、そういうわけでとりあえず站椿功を始めた。

太股の辺りの筋肉が辛くなってきて、何度も姿勢を取り直しながら続ける。

少しひんやりした風がふいて心地よい。

前を通っていくボートの音を何となく聞きながら目を閉じていると、突然「ぽこん」とどこかに自分が入り込んだような気がした。

周りの音ははっきりと聞こえるのに、自分の内側に深く集中できているような感覚があった。

気のせいかもしれないけれど、そんな感じがした。

それまでは、何度もすぐに姿勢を取り直していたのに、その「ぽこん」の後から、しばらく同じ姿勢をとっていることができた。

またあの「ぽこん」を感じることができるだろうか。

その後、ゆっくり走りながら家に帰ってシャワーを浴びる。

風呂場から出てくると、流し台の上に置いてあった昨日の飲み残しの缶ビールが目に留まった。

「これを飲んだら、さぞぬるくて炭酸も抜けていて不味いんだろうなあ」と思ったら、どのくらい不味いか試してみたくなって、ほんの少しだけ口に含んでみた。

思ったよりも美味しかった。

むかし私の父は、歯磨きの後うがいをしている水を飲んでみたそうである。どんな味がするのか興味があったらしい。

血とは争えないものである。

ちゃんとした「飲み物」を飲むようになったということで、佐藤家は確実に進化していると思う。

 

 

 

10月25日(土)

お稽古の後、大急ぎで着替えてから、研究室の行事に出席するために大学へ向かった。

懇親会が終了後、どうしても今日しなければならない実験があったので、研究室へ。

 

10月23日(木)

寂しさというのはワインの澱のように、ゆっくりと溜まっていくもののような気もするし、ふと息をついたときに、突然体に乗り移ってくるもののような気もする。

寂しくなる理由はいろいろあるけれど、寂しさには共通した「すっと」する感じがある。

寂しさの中には、冬の朝に家中の窓を全開にして掃除機をかけている時のような気持ち良さが、ほんのちょっとかもしれないけれどある。

そうこうしているうちに、寒さは増しても、空気は澄んでいて、食べ物が美味しい冬がやって来る。

人が寂しくなるのは、寒い冬ではなくて、「ああ、もうすぐ寒い冬がやって来る。」と思う頃なのである。

 

10月18日(土)

 

芦屋の青少年センターでのお稽古。

合宿後の最初のお稽古は、いつも待ち遠しく感じる。

合宿を経て、自分にどのような「初期変化」が現れているのかを知りたいからなのだと思う。

お稽古の後、研究室に行ってからJR鷹取駅に向かう。

幸運にも内田先生のお兄さまとお食事をご一緒する機会を得た(おおさこ君ありがとう)。

「日本徒歩旅行」をされている内田先生のお兄さまに、色々なお話をお聞きする。

街道沿いの建物が、如何に画一的であるかというお話をお聞きした。

道路沿いにあるものは、大きい看板のファミリーレストラン、ファーストフード店、自動車のディーラー、そして、少し市街地を離れると同じようなたたずまいの一軒家がずらっと並ぶ。

街の「没個性化」は、大きな道沿いに特に顕著なのだと思う。

画一的なマーケティング戦略が、同じような場所に同じようなお店を生むようになり、結果として日本全国の街並みが同じようになってしまうのだろうか。

オオサコくん、ケンマさん、ゴトウさんと共に、とろけるように美味しい焼き肉をご馳走になった後、RE-SETへ移動。

RE-SETでは、内田先生、増田先生ご夫妻、ミーツの江さん、溝口さん、青山さん達とご一緒になった。

初めてお目にかかった増田先生に『くるり』について質問させていただいた。

大迫君とは、「お好み焼き定食(または、焼きそば定食)」の妥当性、そして「カレーライスとみそ汁の組み合わせは果たして正しいのか。」という、問題について激論をかわした。

私は、カレーライスにみそ汁は「あり」だと思っている。

しじみ汁なんて割に合うと思う。

 

 

10月16日(木)

 

11月最初の土曜日に東京で研究発表がある。その翌日は、青森で結婚披露宴に出席の予定。

飛行機のチケットを買いに生協へ行くと、シェリル・クロウのベストアルバムが並んでいた。

アルバムはほとんど全部持っているし、迷ったのだがCDが20%割引期間中ということもあり、つい買ってしまった。

大の男がシェリル・クロウが好きというのはどこか恥ずかしい様な気がして、いままであまり人には言っていなかった。

多分、声とギターの感じが好きなんだと思う。

女性の恋とか愛とかを歌うということでは、アラニス・モリセット等と同じ範疇に属するアーティストになってしまうのかもしれないが、私の中では全く違うもののように思える(僕はアラニスはあんまり好きじゃない)。

 

 

10月15日(水)

 

大学の同級生のスガワラ君が学会に出席のため来阪する。

私は学生時代によく彼をいじめていたのだが、恨むことなく関西に来る度に連絡をくれるのは大変うれしいことである。

「のほほん」ぶりでは右に出るものがいないような男だったが、今や彼も一児の父である。家族3人で仙台に暮らしているが、なかなか苦労があるらしい。

基本的にはとてもぽやんとした人なのだが、時にハッとするような潔いことを口にしてみたりして私を驚かせることがある。

「たまにはいいこというじゃねえか。」とこちらが思った次の瞬間にはもうスキだらけになっているのが、また彼の良いところである。

今度来るときもちゃんと連絡をするように。

 

 

10月11日(土)―13日(月) 多田塾合宿

昔から大切な外出の朝は、早く目が覚める。

私にとって初めての多田塾合宿が始まるのである。

空港で、内田先生と合気道会の皆さまとお会いして、群馬県片品村の合宿会場へと向かった。

11日の午後から始まったお稽古では、呼吸法、体術、合気杖、そして気の錬磨と、様々な事を教えていただいた。

この場所でお稽古に参加できる幸せを噛みしめながら、あっという間に流れていく時間をいとおしむようにして過ごした3日間だった。

合宿では、同門の先生方、諸先輩方にお目にかかり、少しずつお話しをしていただけるようになるのがとても嬉しい。

3日間の日程が全て終わると筋肉痛や体の疲れは確かにあるのだが、それ以上に体の中に清らかな生気がみなぎっているのを感じた。

「合宿」とか「遠征」といったものは、移動が趣深いものである。

いつもながら、内田先生と神戸女学院合気道会の皆さまとの旅路はとても楽しい。

今回の移動での最大のトピックと言えば、ウッキー主将が『坂口憲二に関する一考察』によって邪道5段に昇段したことに尽きるように思う。

3日ぶりに戻ってきた夜の伊丹空港は、片品村よりも少しだけ暖かかった。

 

10月8日(水)

研究室関連の食事会に出席。

帰宅後、甲野先生の『人間講座』を拝見した。

私のような者にでも、甲野先生の『体を割る』動きが感じられたような気がした。

甲野先生がナンバ歩きを実演されていた時の、方向転換の動きが目に焼き付いて離れない。

エンディングで、内田先生の出演されている一場面を確認して、大満足の放送1回目であった。

次回がとても待ち遠しい。

 

10月7日(火)

やっぱり授業に出ると面白い。

頭の中で澱んでいた思考に風穴が開くような心地よさがある。

 

 

10月6日(月)

朝目が覚めて窓を開けると雨が降っている。

雨は「しとしと」。

雪は「しんしん」。

風は「そよそよ」。

お茶漬けは「さらさら」。

 

 

10月5日(日)

心待ちにしていたこの日がついにやって来た。

多田宏先生と成瀬雅春先生のトークライブをお聞きする。

お話をお聞きするうちに、1時間30分の時間はあっという間に過ぎてしまった。

今日この場所に参加することができたことは本当に幸運なことだと思う。

 

9月30日(火)

 ブリトニー・スピアーズと浜崎あゆみは一緒だと言うことに気がついた。

ちょっと滑稽なところもそっくりである。

そして、何となく同時に元気がなくなってきている気がする。

そう言えば、むかし「スティングは五木ひろし」、ということを誰かに言われてから、スティングが演歌歌手に見えて仕方がない時期があった。

 

9月29日(月)

 

日に日に寒くなってきた。ああ、もう冬が来てしまう。

私はさむいさむい岩手県生まれだが、寒いのが本当に苦手である。

スキーをしていた頃は、雪が降る日を指折り数えたりしていたものだが、働くようになってからめっきりスキーにも行かなくなってしまった。

冬は寒いのも嫌だけれど、乾燥しやすくなるのも困る。

実験中はよく手を洗うので、すぐに手がガサガサになってきて、毎年右の親指に「あかぎれ」ができる。

アルコール(飲むんじゃなくて消毒用のですよ)がしみてとても痛い。

これは、私にとって間違いなく、ある季節の到来を感じさせる痛みなのである。

 

今年は久しぶりにスキーをしたいと考えている。

僕がよく滑りに行っていた安比高原は、前も見えないような吹雪の日もあるけれど、抜けるような青空の朝に(大抵こういう日はもの凄く寒いのだが)、まだ誰も滑っていないロングコースを、山頂から滑り降りてくるのはとても気持ちがいいものだった。

スキーのことを考えたら、昔みたいに冬が少し楽しみになってきた。

 

9月28日(日)

電車に乗って研究室へ向かう。

電車の中で読んでいる『羊をめぐる冒険』がもうちょっとで読み終わりそうである。

レヴィナスの『存在するのとは別の仕方で』を1ページ読む間に、『ひつじ』の上下冊をあっさり読了しそうな勢いだ。

午前中いっぱいでお仕事を切り上げて梅田でCDを買った後、頼んでいたスクーターを取りに行った。

これで、駅から研究室の間を、ぱるるんとバイクで往来することができる。

私は完全なるスクーター初心者で、ライドするのにちょっと不安もあったのだが、実際に乗ってみると、初秋の晴天の日に風を切りながらバイクに乗るというのはなかなか心地よいものであった。

今のところは、真冬も手袋とマフラーをしてバイクに乗り続ける覚悟である。

あ、そうだ。スクーターに名前を付けなければ。

 

9月27日(土)

天気が良いので30分ほど朝のジョギングをする。

芦屋川の河口まで走ってUターンすると、鮮やかに六甲山が見える。

ハムとチーズのサンドイッチと、じゃこのおにぎりの朝ご飯を食べてから久しぶりに部屋の掃除をした。

お昼からの合気道のお稽古にはまだ時間があるので、『ウェストサイドストーリー』のビデオを見る。ベルナルドの鮮やかなダンスが印象的だった。

映像や音楽など、色々なものがここから始まったのだということを感じさせてくれる映画だった。あたり前だが「マスターピース」感まんてんの映画である。

私は悲しい話を観たり読んだりするのがずっと苦手だったのだが、何故か最近そういうものをようやく観ることができるようになってきた。32歳にしてこんなことを言うのはとても恥しいが、真実なので仕方がない。

「マリア〜マリア、マリア、マリア〜〜」と、唱えながら歩いてお稽古に向かう。

本日のお稽古で、初めて飯田先生にお会いすることができた。初めてお会いした飯田先生と合気道のお稽古を通してお話ができたような気がして嬉しかった。

お稽古の後は、家に帰ってシャワーを浴びてから、ちょっと腹ごしらえをして研究室に向かう。

予定していた仕事を終えると夜9時近くだったので、晩ご飯を食べがてら三宮の「Re-SET」へ。

いつものように、ぷらんとお店に入るとカウンターに藤田さんがいた。江さんから時々お話をお聞きしていたのだが、お会いするのは初めてだった。

橘さんと3人で、内田先生のご本の話や、「ミーツブログ」のお話をする。

慌ただしいようだけど、ゆったりとした楽しい一日だった。

 

 

9月23日(火)

「暑さ寒さも彼岸まで」とは本当によく言ったもので、お彼岸が来たら急に寒くなった。

夕方からRe-SETで行われた『ミーツ・リージョナル』の撮影に参加する。

『ミーツ』の青山さんから電話をいただき、11月号に掲載されるRe-SETの紹介記事に出演(でよいのだろうか)することになった。

普段はぴらぴらよれよれの格好でお店に行くのに、一応上着とシャツを来てRe-SETへ。

夕方の三宮の街は肌寒くて、上着を着て丁度良いくらいだった。

お店に着くと、青山さんと「迫力ある男」こと、おおさこ君が既にご到着。

当たり前だが、写真を撮られながら食事をするというのは初めての経験で、しかもカウンターでワインを飲みながらパスタとオムレツを食べるという、ソフィスティケーティッドな設定にちょっと気後れしそうになる。

しかし、食べ始めたら白身魚入りのパスタがあまりに美味しくて、もりもりと食べてしまった。途中カメラマンの方に「(フォークの)パスタの巻きをもうちょっと小さくしてください。」という恥ずかしい指摘を受ける。

後ろにいた大迫君にも、「佐藤さん、もう半分しかのこってないやないですかー。」

とツッコまれる。

鶏肉がのったとろけるようなオムレツも平らげて、なんとか無事撮影終了。

青山さん、大迫君どうもありがとうございました。

 

9月20-22日

合気道の秋の合宿に参加させていただいた。

3月の春合宿につづいて今回が2回目の参加である。

車で神鍋高原に向かう途中、赤松サービスエリアで一休み。朝ご飯はたっぷり平らげてきたのに、内田先生が食べていらした「赤松コロッケ」があまりに美味しそうだったので、私も1コ食べてみる。中の具がすこしねっとりした独特のコロッケで美味しかった。

合宿では体術のお稽古に加えて、楽しみにしていた杖のお稽古にも参加する。

2日目に行われた昇級審査において3級をいただくことができました。

皆さんとわいわいご飯を食べたり、宴会でのひとときも勿論楽しいけれど、合宿の楽しさは、歯磨きをした後に椅子に座りながら楽しむゆったりとした会話や、筋肉痛が出てきた腰にエアーサロンパスをかけながら「ひえーっっ」と叫んだりする所にあるように思う。

3日目の朝稽古が終わった後、内田先生と皆さまにお見送りいただいて、ひと足お先に合宿所を後にした。

内田先生、この度は合宿に参加させていただきまして誠にありがとうございました。

主将のうっきー様、そして合気道会の皆さま、お世話になりましてどうもありがとうございました。

一人高速道路を走る帰り道に、赤松サービスエリアでコロッケを食べた。

このコロッケは、合宿という異次元空間と日常をつなげる切符のような気がしたからである。

切符の行き先を買い間違えたのか、疲れていてあんまりお仕事が進まなかった。

 

 

9月16日(火)

 

たばこを辞めて3年になる。

直接のきっかけは、胃の調子が悪いのが煙草のせいのような気がしたからだった。

ひとくちに喫煙者と言っても、人それぞれ煙草に対する依存度は全く異なっている。

私は煙草を止めるまで一日20本位吸っていたのだが、幸いなことにそれほど煙草をやめるのに苦痛を感じなかった。

基本的に禁煙したことは良かったと思っているのだが、(二日酔いで胃の調子が悪くなるのは、煙草をやめる前と比べてあまり変わりがないが)結果として良いことばかりではなかった。

一番感じるのは、禁煙してから、気持ちがちょっとせせこましくなった気がするという事である。

 

それはさておき、昔ある雑誌を読んでいたら(週刊朝日とかそんなのだったと思う。)

飲尿療法についてのエッセイが載っていた。

その記事を書いた人は、飲尿療法がとても健康に良いという話を聞き、自分でもやってみたらしい。

その結論は、「飲尿療法は体には良いが、健康にはよくない。」というものだった。

この人は、飲尿を続けるうちに、みるみる体が丈夫になり、以前は年に数回風邪で寝込んでいたのが、全く風邪を引かなくなったそうなのである。

しかし彼は体が丈夫になって気がついた。

風邪を引いて年に数回寝込むのは、彼にとって大切な休息であり、よいリフレッシュの機会だったのである。

おしっこを飲んで体が丈夫になったおかげで、それまで以上に忙しく働くはめになり、結果として健康を害する恐れが出るということだった。

どこまで本当か分からないけれど、あんまり健康に気を遣いすぎるのは良くないのかもしれない。

もちろん、「飲尿療法をするような人はみんなせせこましいヤツだ、」なんてことを言いたいわけではないです。

 

9月15日(月)

『ゲロッパ!』を見に行こうと思っていたら、阪神が逆転勝ちして、テレビの前から離れられなくなってしまった。

 

9月14日(日)

岸和田へだんじり祭りを見に行く。

8時30分頃岸和田に着いて、コンビニで買い物をしていると、幸運にも最初に出会ったのが江さんの五軒屋町のだんじりだった。

その後も様々な町のだんじりを見物する。

以前、「バーウイスキー」で江さんに聞いた、遣り回しの時の前梃子の人の動きを見たかったのだが、残念ながら今年は遣り回しを間近で見られる場所をとることができなかった。来年のお楽しみである。

 

 

9月13日(土)

久しぶりに芦屋でのお稽古。

本日は相半身片手取りからのお稽古だった。

投げ終えた時が「現在」。そして実際に投げている時間は、過去に起こった事をなぞっているに過ぎない。

今日、この技の解説をお聞きしているときに、内田先生の8月19日の日記に出てきた「死んだ後の私」の視座から自分を見る、というお話を思い出した。

こういう「つながり」を感じることができると、嬉しくてぞくぞくしてくる。

 

 

9月11日(月)

「インターネット持仏堂」を参詣(でよいのだろうか)する。

因果、有責性、アナクロニズムと、いきなりどきどきする話の展開に目が離せなくなってしまった。

ああ、できるならお札を買って帰りたい。

 

9月10日(日)

論文を一通り書き終えた。指導の先生に明日提出する。

アリアスが満塁ホームランを打った。

今現在、世界で一番有名な「ジョージ」といえば、W・ブッシュだと思うが、事を京阪神に限局すると、「ジョージ・アリアス」が一番有名だったりして。

 

9月9日(土)

久しぶりのお稽古。

「お稽古場は楽屋。日常生活が本番。」というお話を肝に命じる(電柱にぶつかるなんて言語道断である)。

また、お稽古の最後の時に内田先生は、日常生活の中でも気が付いたときに呼吸法をしたり、体の動きを意識するのが大切であるとおっしゃっていた。

研究室で細胞を遠心分離器にかけている5分の間に、ときどき足捌きをしてみたりすることがある。時には物差しを杖のかわりにして振ってみる。

ほんの短い時間だけれど気持ちがいいし、良い気分転換になる。

お稽古の後は、思いがけず内田先生に美味しいお料理をご馳走していただいた。

お食事の後、先生の「パソコン秘書」である、イワモトさんの作業を見守るはずが、邪魔ばかりしていた気がする。

内田先生どうもありがとうございました。

イワモトさん邪魔してごめんなさいね。

 

9月8日(金)

梅田でお食事をして、その後RE-SETへ。

楽しかったのでつい飲みすぎてしまったようである。

ふらふら歩きながらようやくたどり着いた我が家の前で、電柱に激突した。

玄関だと思ったらなぜか電信柱だったのである。

痛いやら情けないやらである。

 

9月4日(木)

 

走り出したら何か答えがあるだろうなんて、俺もあてにはしてないさ。してないさ。

男だったら流れ弾の一つや二つ、当たらないよに生きなきゃね。生きなきゃね。

 

9月3日(水)

疲れたので、ビールを飲んでちくわをかじって寝た。

 

9月2日(火)

学会に出て気持ちがリフレッシュしたためか、少しお仕事を頑張っている。

研究ができる環境にいることのありがたさを感じたからである。

 

9月1日(月)

本日は、母方の祖父の命日。

祖父は君臨しているタイプの人で、怖かったけれど私はよく可愛がられた。

あれは小学校低学年の頃だったと思う。

母親と二人で、入院していた祖父の見舞いにいった。

薄暗い病室に入ると、見たことがないおばさんが椅子に座っている。黒い髪を後ろに引っ詰めた小柄な人だった。

おばさんはちょっと慌てた様子で私にお菓子を勧めたり、せわしなく動き始めた。母は私の横で不機嫌そうに立っていた。

私は何となくそうした方が良いと思い、いつも以上に元気よくはしゃいでいた。祖父は、ただベッドの上に座ってニコニコしているだけであった。

病室を出た後、エレベーターに向かう長い廊下の途中で、私は母に「あれはオの恋人?」と聞いた(私の親戚一家では祖父自身の命令により、祖父のことを「オ」と呼んでいた)。

何でそんな質問が思いついたのか解らないが、急にその言葉が頭に浮かび、いたずら心半分で母に尋ねたのを覚えている。

母は返事をせずに黙って廊下を歩いていた。

それから10年以上の月日が経ったある日、母は突然思いだしたように私があの日、病院の廊下で母にした質問の答えがイエスであることを教えてくれた。

おばさんはあんまりきれいな人じゃなかった。

ばらしてごめんなさい。

 

8月31日(日)

 

27日の夜から31日まで泊まり込みで学会のお手伝い。

会場のお手伝いをするとともに、興味あるシンポジウムや演題を聞く。

29日に行われた懇親会の席上で、N教授にお声をかけていただいた。

N教授は内田先生のご著書を読んでおられて、なんとこの『そこが問題では内科医』も読んでくださっていた。日記の内容から私の所属している研究室の人間だとお気付きになって、声を掛けてくださったのである。

この文章を書き始めたときから、「武闘系街レヴィ派インターネット店子」としての「ドクター佐藤」と、それ以外の私が繋がる瞬間を楽しみにしていた。

しかし、こういう瞬間とは本当に突然やってくるもので、懇親会場でN教授に「君が佐藤君か!合気道5級の。」といっていただいた時は、驚きと恥ずかしさとうれしさが入り混じり、頭をかきながら「はい、そうでございます。」とお答えするのがやっとでありました。

N教授から、「控えめだよなー。もっとがんがん書かなあかん。」とご指摘をいただきました。

これからは、より「スパイシー」な『問題では内科医』で行こうと思います。

 

8月24日(日)

朝になってもやっぱり水道の水は出なかった。

とほほ

 

8月23日(土)

散髪の後に研究室に向かう。

私の携わっている研究分野で、非常に御高名な先生の急逝の知らせを聞いた。

あまりにも突然の訃報である。

この先生は学会や研究会場にその姿があるだけで場の雰囲気がピシッと締まり、会の格調をアップさせる方だった。

私はこの先生の主催する会で発表する機会を、恐れながらも楽しみにしていた。こういう形でその事が実現できなくなったことは非常に哀しい。

これまでの数多くの業績に敬意を表するとともに、心より御冥福をお祈りいたします。

 

研究室の帰りにカーテンを買いに行ったり(それにしてもどうしてあんなにカーテンは高いのだろう。ユニクロは野菜を売る前に安いカーテンを売るべきである。)しているうちに夕食を食べそびれてしワい、夜10時過ぎにRE-SETへ。

奥のカウンターへ向かうと、内田先生がいらしていた。先生のお兄さまにも初めて御挨拶させていただく。

先生方がお帰りになられた後はしばらくして『ミーツ』の青山さんが登場。

橘さんと3人で楽しくお話しするうちに夜は更けていきました。

幸運な偶然に恵まれた夜だったと、満足して帰宅。

部屋に着いてから手を洗おうと洗面台に向かうと、なんと水が出ない。シャワーも浴びられないし、歯も磨けない。

夜中に起こった突然の事態がよく理解できないまま、とりあえず入眠。

 

8月22日(金)

北まくらで眠ったら、怖い夢をみた。

あまりよく覚えていないのだが、大きい交通事故の夢だったような気がする。

僕はよく怖い夢を見るので、まくらの方角とはあまり関係ないかも知れないが、とりあえず明日からは180度方向転換して寝ることにする。

透き通るような体を持ちたいと思うことがある。

 

8月21日(木)

今日はお引っ越しの日。

夕方、新しい部屋で荷ほどきをしながら、テレビの高校野球中継を見るともなく見ていると、甲子園で突然の大雨が降っている。

「甲子園は雨かー。高校球児も大変ねー。」、などとのんきに考えていると、いきなり窓の外で土砂降りの雨が降り出してきた。

甲子園球場は私の新しい住いからそれ程遠くない。「そういえば、僕は引越したんだった。」と、実感する出来事であった。

夕刻からは、大変恐縮なことに内田先生が引越祝いの席を設けてくださった。

美味しい上海料理を御馳走になり、その後はRE-SETへ。

内田先生、この度は過分な引越祝いをしていただきまして誠にありがとうございました。

今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

 

8月19日(火)

ウッキーとともに、コバヤシさんに「グリルみやこ」へ連れて行っていってもらった。

美味しい食べ物はたくさんあるけれど、このお店のお料理は、元気が出てくる美味しさだと思う。

 

 

8月15日(金)

8月の末に大阪で行われる学会の日程がメールで送られてくる。

今回は私の演題発表はないのだが、まる4日間会場に詰めてお手伝いである。

 

8月14日(木)

「うだうだ会」に参加。

うだうだ会とは、私の研究室の兄弟子であるT先生とP製薬会社のI氏が結成した会で、日頃起こる様々な出来事を何の結論も得ようとせずに「うだうだ」と語り合うという、非常に高尚な趣旨の会である。

I氏は、休日には甲子園球場で朝から4試合みっちりと高校野球観戦をするという、熱心な高校野球ファンで、彼自身も岸和田高校の野球部でショートストップとして活躍したということであった。

I氏によると、出場校の実力というのは試合前のノックを見るとだいたい分かるらしい。

長年の高校野球観戦経験から最も印象に残るノックを見せてくれたチームを尋ねると、片岡(現阪神)、立浪(現中日)、野村(元横浜)らが3年生の時のPL学園が最も素晴らしかったそうである。

このチームのことは私も覚えている。

この年のPL学園は、野村、橋本、岩崎の3人のピッチャーを擁して夏の甲子園で優勝した。

このチームの4番打者は深瀬という選手であった。

片岡よりは少し背が低かったと思うが、色黒で、がっちりとした体格をしており、バッターボックスの中での風格がちょっと他の選手とは違っていた。

強打者だが首が長くて、どこか亀みたいな片岡とは違って、深瀬のバッターボックスでの美しい立ち姿が印象に残っている。

彼は確か、怪我をしていて、甲子園では片岡や立浪のような活躍ができなかった。決勝戦にも満足に出場することができなかったはずである。

しかし彼は、ほんの数打席だけで人に強い印象を植え付ける何かを持っていた。

高校卒業後もPLの同級生の多くがプロ野球で活躍する中で、彼の姿をプロ野球で見ることは無かった。

深瀬選手がその後どうしているのか、ちょっと気になっていたのだが、I氏によると、彼は専修大学に進んだ後、普通の社会人になったのではないか、ということであった。

 

次のうだうだ会は、10月くらいを予定している。

 

8月9日(日)

朝5時過ぎに目が覚めた。

あまりにもすっきり目覚めたので、顔を洗って研究室へ行く。

朝6時過ぎに、誰もいない研究室で一人実験をするのはとても気分が良い。

私はもともと朝に強いタイプで、朝に仕事をすると非常に能率が良い。

 

家に帰って、引越屋さんに来てもらい、見積もりを出してもらう。

21日に引越をすることになった。

 

8月7日(金)

「台風が来るので失敬。」と、早めに帰宅した。

こういうことが大切なのかなあと思う。

 

8月6日(木)

研究室の先生と今後の研究についての打ち合わせをした。

 

8月5日(火)

資源ゴミを捨てる。

大量の段ボール、本、衣類を、夜中に1時間ほどかけて運んだ。

「本と音楽と酒さえあれば何とかなる。」

なんてカッコつけてみても、やっぱり洋服もテレビも必要だ。冷蔵庫がなければビールや氷を保存できない。

しかし、クイックルワイパーは3本もいらないはずである。

 

8月4日(月)

もうそろそろ甲子園で高校野球が始まる。

高校の同級生に及川君という人がいた。彼は小柄ながら運動神経が良くて、軟式野球部の二塁手として活躍していた。

才能豊かな及川君は囲碁部の中心選手でもあり、同級生の間で彼は、

「打って良し、投げて良し、指して良し。」

の三拍子そろった名選手として一目も二目も置かれていた。

彼は今頃どこで何をしているのだろうか。

 

囲碁といえば、昔『あの馬鹿が本因坊に二目置き』という川柳を聞いたことがある。

正確には『あの馬鹿が本因坊に先2つ』というそうである。

馬鹿だと思っていたアイツが、実は本因坊と碁石たった2つだけのハンデで囲碁を打つ名手だった。人は見かけによらないものだねえ。というような意味らしい。

人の意外な一面を見るというのは、面白いですよね。

 

8月3日(日)

気合いを入れて、引っ越し準備の大掃除。

二日酔い気味で辛い。

 

8月2日(土)

岡田山ロッジの窓からは夏の日差しが差し込み、蝉の鳴き声が響いている。

本日はアメリカに行かれる矢部さんの送別稽古。

矢部さんの、同期の皆さんとの演武や内田先生のはなむけの技を受ける姿を見て、目頭が熱くなってきた。

また一つ合気道の素晴らしさを教えていただきました。

矢部さん、いままでどうもありがとうございました。どうぞお気を付けて行ってきてくださいね。

 

7月31日(木)

伊丹空港のACTUS に机を見に行った。

巨大ビーズクッションの引力に吸い寄せられる。

 

7月28日(月)

ぼくはタマネギのお味噌汁が好きである。

 

7月27日(日)

名古屋近郊にいる、祖母の姉に会いに行った。

名古屋のおばさんは、現在96歳。

会った瞬間に、亡くなった祖母の姿を鮮やかに思い出した。

前に会いに来たのは、8-9年前だったろうか。その頃よりは少し痩せていたけれ ど、元気な姿を見ることができた。

この人は医師で、数年前までは実際に診療をしていた。

小さいおばあさんなのだが、優しく包み込んでくれる雰囲気がある。居てくれるだけで、とても頼りになる感じ。

70歳になる息子さん(中日ドラゴンズファン。星野仙一を裏切り者といって憚らないが、サインボールをいまだに大切にしている。)と、名古屋弁でのんびりと漫才のような会話をしている。

跡継ぎが無くて、これ以上診療所を続けることはできないのだが、なかなか閉院届を出す踏ん切りがつかないみたいであった。

おばさんは、100歳になったら閉院届を出すそうである。

 

7月24日(木)

引越をすることにした。

今の所に住み始めて2年と少し。

いらないものに囲まれて生活するのにもうんざりしてきたし、できる限り物を減らして気分転換をするつもりだ。

場所は、仕事とお稽古と色々なことを考えて、芦屋に越すことにした。

芦屋は、私にとってお稽古に行って良い気分になれる大切な場所だった。

丁度、そろそろ引っ越しをしたいと考えていたので、こちらに住まわせて頂く事にしました。

 

7月23日(水)

研究室の宴会の日。

「暑気払い」ということになっているが、払うはずの暑気が無い。

 

7月22日(火)

実験をする合間に、学会に応募する演題の抄録を書く。

 

7月21日(月)

イタバシ君が仙台のお土産に持ってきてくれた牛タンを焼いて食べる。

柔らかくてとても美味しかった。

 

7月20日(日)

お昼に研究室へ行く。

夜は大学の同級生と、阪神VS広島戦を観戦するために甲子園球場へ。

試合は、久慈のサヨナラヒットで終了。

 

7月19日(土)

本日は光岡英稔先生の講習会。

光岡先生は、「詰まり」が無い姿勢を取るということを強調されていました。

初めて体験させていただいた発勁は、マット越しに「ズン」という衝撃が身体を通り抜けて、後ろから引っ張られるような感覚でした。

貴重な技の数々をお見せいただいて、光岡先生本当にどうもありがとうございました。

西宮北口での懇親会の後は「RE-SET」へ。

光岡先生の優しいお人柄に接して、楽しい夜はどんどん更けていき、東京大学気練会の工藤さんと御一緒に内田先生のお宅に泊めていただきました。

内田先生どうもありがとうございました。

 

7月16日(水)

水曜日は、午後から天保山にある診療所へ出張に行っている。

だいたい昼の12時くらいに研究室を出て、診療所近くのお店でご飯を食べる。

行き始めた頃は、出張先の看護婦さんに勧められるままに、「オーション・ビュー」という洋食のお店に毎週行っていた。

ここはオムライスが名物で、『ミーツ』の大阪本にも掲載されている。

オムライスは、出された時点ではケチャップがかかっていないのだが、お店の人に頼むと酸味の利いた美味しいケチャップを出してくれる。

僕はいつも、何もかけずに一口食べてから、残りの部分でウスターソース領域と、ケチャップ領域を作成する。

そして、一部分だけ混合領域を作成する。ここはちょっと味が濃くなりすぎるけれど、少しだけならとても美味しい。

「どちらかの領域にしか足を踏み入れてはならぬ。」と言われたら、とても迷うけれど、僕はたぶんウスターソース領域を選ぶと思う。

いや、これは簡単に答えを出せる問題ではない。

このお店で嬉しいのは、付け合わせのキャベツのサラダと、ポテトサラダが美味しいことである。

いい加減、毎週オムライスでは飽きるので、最近はその隣にある普通の食堂に入ることが多い。

ごく普通の食堂なのだが、キャベツや、もやしが入っているあっさりしたラーメンが美味しい。

火曜日の夜に飲みすぎちゃった翌日などには、ぴったりのメニューだと思う。

今日はおばちゃんが、ラーメンにキムチを入れてくれました。

 

7月15日(火)

前期最後の授業に出席した。

 

7月13日(日)

朝から大掃除。

洗面台やお風呂まできれいに掃除をした。

改めて部屋の物の多さに驚く。

引越を契機に物をできるだけ減らそうと思っている。 

 

7月11日(金)

「RE-SET」のオープニングパーティーへお邪魔しました。

整然と並ぶ磨き上げられたグラスが美しい、素敵なお店でした。

落ち着いた雰囲気で、気持ちを「RE-SET]できること受け合いです。

ワインは勿論、料理もとても美味しかったです。

途中からは「ミーツ」の青山さん達とご同席。

関西どっとコムで始まった、「ミーツblog」の事など、ひとしきりお話をしました。

 

7月10日(木)

火曜日に抽出した核タンパクを用いて実験をした。

以前の結果を再確認するものだったのだが、再現性のある結果を得て安心する。

 

7月9日(水)

外来出張に行っている診療所で、雑誌を読む。

これは、いわゆる医学界向けの雑誌なのだが、医学的な記事の他に、エッセイや、求人情報等が掲載されている。

この雑誌の「質疑応答」のコーナーが割と面白い。

医学的な質問がメインなのだが、それに加えて、「東京にはなぜ3つの弁護士会があるのか?」とか、「カラスの食害から庭木の果実を守る方法は?」といった質問が取り上げられている。

「カラスについばまれた果実を食べても構わないか?」という質問に対して、「その前にカラスが生ゴミをつついているかもしれないので、やめておきなさい。」というような、丁寧な解答が載せられていた。

情報コーナーも面白い。

求人情報に加えて、「求縁 開業医娘28歳 初婚健容美 良縁望」とか、「求縁 45歳内科医男性 婚姻歴あり。」みたいな記事が載っている。

私はまじめな記事はあまり読まずに、こういう記事ばかり読んでいる。

 

 

7月8日(火)

聴講生の「ご学友」である谷口さんに、内田先生がお書きになった「死者を弔うこと」という文章を見せていただいた(『世界思想』2003春号)。

祖父の命日に続いて、人が亡くなるということについて考えてみた。

僕には一人の忘れられない患者さんがいる。

Hちゃんは、僕より1歳年下の急性骨髄性白血病の患者さんだった。発症直後から出血傾向が強くて大変な時期が続いていたのだが、頑張りやさんの彼女は大変な治療を笑顔で乗り切っていた。

Hちゃんは結婚したばかりで、彼女よりちょっと背の低いご主人がお見舞いに来るのをいつも楽しみにしていた。

病状が少し安定してきた頃から、足繁く訪れていたご主人がだんだん姿を見せなくなり、そのうち全く来なくなってしまった。

しばらくして、Hちゃんが知らないところで二人の離婚が決まったと聞いた。

僕は直接の担当医では無かったのだけれど、教授回診の合間や、廊下で会ったときによくお話しをした。

話と言っても、「へー、福山雅治好きなんだー。」とか、「そのiBook格好いいね。」

というような他愛もないものである。

彼女はその後何度かの再発を繰り返し、全身の皮膚の炎症の痛みと、重症の出血傾向に苦しんで亡くなった。

いったい、どうして彼女だけがこんなに苦しまなくてはならないのか僕には解らなかった。もちろん今でも解らない。しかし、このような現実は世の中にたくさんあるのだと思う。

それでは、いったい人は何のために生きるのだろうか。

僕は正直、今までこの問いに対する答えなど無いと思っていた。

でも、もしかしたら、人は弔うために生きているのではないだろうか。

この世を去っていく人に対して私達ができることは、弔うことだけである。

その人を思い、語ることだけである。

そして、人がこの世を去るということは、残された人に弔う機会をプレゼントするという、人生の最後にして最大の贈り物なのではないだろうか。

彼女はその人生をかけて、僕たちに弔うことをさせてくれたのだ。

Hちゃん、ありがとね。

 

7月7日(月)

今日は父方の祖父の命日。

祖父は私が小学校3年生の時に他界した。祖父は北海道に住んでいたこともあり、話をした記憶がほとんどないのだが、手を繋ぎながら散歩をして、仮面ライダーの変身ベルトを買ってくれたのを覚えている。

あれは確か仮面ライダーXの変身ベルトであった。

訃報を聞いた夜、私は両親と弟と共に盛岡から電車と青函連絡船を乗り継いで、旭川まで向かった。

今は無くなってしまった青函連絡船は、もの悲しい雰囲気に満ちた趣深い(深すぎる)乗り物だった。真っ暗な夜に、船が大きく波に揺られながら港に着こうとする場面をはっきりと覚えている。

今でも石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を聴くと、私は小学校3年生の時に乗った青函連絡船が、函館港につく場面を思い出す。

歌を聴いてどこかの場面が浮かんでくる。

 

7月6日(日)

近所の中華料理屋さんで麻婆豆腐を食べてから研究室へ行く。

麻婆豆腐が恐ろしく辛かった。

振りかけた花山椒が辛かったような気がする。

 

7月5日(土)

今年の梅雨はそれ程蒸し暑さを感じない。それでも今日のお稽古の時には、体操と呼吸法の時から、首筋に汗が浮んできた。

本日は推手とシラットからお稽古が始まった。ウッキーにシラットのお相手をしていただく。

推手やシラットは、だんだん粘りが出てくる感覚がとても心地よい。

お稽古の後は不動産屋さんへ行き、いくつか物件を見せてもらった。良い物件があったら、8月中に引っ越しをしたいと考えている。

7月中旬に空きが出る物件で良い所がありそうなので、また今度見に行くことになった。

 

7月3日(木)

僕には、食べ物になんでも納豆を入れたくなる癖がある。

カレーうどんやカレーライス、インスタントラーメンに納豆を入れて食べたりする。

納豆トーストもたまに食べる。

納豆トーストは腹持ちが良いし、美味しいのでけっこう気に入っている。

今日はコンビニで買ってきた冷凍のちゃんぽんに納豆を入れてみた。

納豆関連の失敗はいままで経験が無かったのだが、これはちょっといけなかった。

これからは、あまり納豆に頼りすぎずに生きていきたいと思う。

 

7月1日(火)

先月まで毎週火曜日に行っていた病院への出張がなくなったので、朝から研究室で実験をする。

今日は細胞の核タンパクの抽出をした。以前は大量の細胞と、煩雑な作業を必要とするものだったのだが、キット商品(必要な試薬が全部ひとまとめになっていて、プロトコール付きで売っているもの)を用いると、細胞数は約10分の1で足りるし、所要時間も手間も格段にかからない。

便利なものを開発してくれる人がいて、本当にありがたいものである。

実験試薬や器具は、目まぐるしい進歩を続けており、毎日のように新しい情報が寄せられる。あまりに情報が多くて、よほど興味を引くもので無い限り、右から左に流してしまいがちになるのだが、気がつかないうちに巷に「優れもの」が流布している場合があるので、たまにはチェックしなければならない。

 

6月30日(月)

鼻水がとまらない。

早めに帰って風邪薬を飲んで、ビールを飲む。

エンジンがかかってバーボンも飲む。

床におつまみをぶちまけてしまい、掃除機をかける。

気がついたら鼻水はとまっていた。

 

6月29日(日)

楔のように心に刻まれる言葉と、通り過ぎてしまう言葉はなにが違うのだろうか。

基本的に「当事者」の言葉というのは重みがあ?、印象に残る場合が多い。例えば、痛風の発作を経験した人が「おれ、ビールあかんねん。」と、遠くを見ながらいう言葉にはどこか胸を打つものがある。

しかし、厳密には「当事者」であることが大切なのではなくて、ものごとに対して何かを負えるか、ということなのだと思う。

何かを「負っている」人の言葉は胸にしみこんでくる。

 

6月22日(日)

軽くお仕事。

 

6月21日(土)

蒸し暑さの中で大汗をかきながらお稽古。

今日は、天地投げで新しい発見があった。

天地投げは雰囲気があって、かっこいい技だと思う。しかしとても難しくて、お稽古する度にうまく出来ないもどかしさを感じていた。

天の手と地の手を別々に教えていただいて、少しだけ感覚を掴めた気がした。

お稽古をしていると、こういう瞬間がうれしい。

帰りに、ぽーっとしながら高速道路を運転していたら、覆面パトカーにスピード違反で取り締まりを受けた。幸運なことに「かすり傷」程度でお目こぼしをいただいた。

「大岡裁き」を肝に銘じて、これから気をつけます。

 

6月20(金)

梅田で開かれた研究セミナーに出席する。

私の業界では、高名な先生の講演であり、以前から楽しみにしていた。質の高い研究の講演を聴くのは、ストーリーを追っていくのが心地よい。

懇親会の後、ちょっと背筋が伸びた気分で研究室に戻って実験をする。

たまにはこういうのもいい。

 

6月18日(水)

英会話学校で、レッスン前にスティーブ先生と話をする。

彼は大学時代に哲学を専攻していたそうで、レヴィナスとデリダについて研究していたということだった。

「今度またゆっくり。」ということでお別れした。

しかし、この私がどう考えてもレヴィナスとデリダについて英語でゆっくりお話しできるとは思えない。日本語でも無理に決まっている。

でも、先の見えない展開を想像するとちょっと楽しみである。

 

6月17日(火)

本日は実験のお手伝い。

自分が身に付けたテクニックを次の人にきちんと「パス」できる事は、気持ちがいい。

 

6月15日(日)

鮪のお刺し身の晩ご飯を食べながら阪神戦を見る。

下柳が好投している。

初めて下柳投手を見たのは、まだ彼がダイエーに在籍していた頃だった。

もう10年くらい前だと思う。福岡に行く機会があって、折角なので福岡ドームにダイエーの試合を見に行った。

ダイエーの選手はあまり知らなかったのだが、中継ぎで下柳が、「お〜、しもやなぎ」みたいなテーマソングに乗って登場した。

彼の入場とともに球場全体が異様な盛り上がりを見せてびっくりしたのだが、とてもカッコ良かった。

それ以来、僕はちょっとだけこの選手を応援している。

プロレスラーと一緒に自主トレをするようなお茶目なところも気に入っている。

 

6月14日(土)

本日のお稽古は、松田先生にご指導していただいた。

逆半身片手取りからのお稽古がメイン。

最近、入り身投げの難しさを特に感じるようになってきた。

取りも受けも難しい。

「ゆっくり、丁寧に」と思うのだけれど、ゆっくり過ぎて流れに乗れていない気がする。

 

6月13日(金)

『レヴィナス序説』を読みながら枚方の出張病院へ行く。

 

6月11日(水)

午後の出張の帰りに本屋さんへ寄る。その後、スターバックスで一休み。

最近は豆乳のラテを頼むことが多い。

小学校の時に初めて豆乳を飲んだとき、あまりの不味さに私は失神しそうになった。

それから豆乳には縁が無い生活をずっと送ってきたのだが、ふとしたきっかけからスタバで豆乳のラテを頼むようになった。

それ以来ここでは、ほとんどこれ一本である。

とても美味しいので、飲んだことの無い方は是非一度お試しください。

 

6月10日(火)

坂口厚生労働大臣は自分で髪を切っているらしい。

 

6月9日(月)

僕は鳩があまり好きじゃない。

あのオレンジ色の目が怖い。

 

6月8日(日)

散髪をして気分すっきりの午後。

江さんから、「ちょっと居酒屋でも、」という素晴らしいお誘いを頂いて、三宮へ向かう。

「なあ佐藤くん、内田先生どうしてるかなあ。」

「そうですねえ、どうしてらっしゃいますかねー。うーん、僕が電話をするのははばかられますので・・、江さん電話してください。」

「そんな、俺だってはばかられるわ!」

と、楽しい会話を電話でしつつ、三宮で待ちあわせてから新開地の「丸萬」へ移動する。

空豆、フキの煮付け、焼なすをつまみにビールや焼酎を飲む。

僕は空豆と焼なすが大好きで、これを食べると「ああ、今年も夏が来るんだ。」と思う。

東海林さだおの教えを忠実に守っている僕は、ちゃんとアジフライにウスターソースをたっぷりかけて、衣のトゲトゲをビールで流し込む。

江さんオススメの穴子の押し寿司が、これまた美味い。

穴子の焼き具合と、タレの甘味と、酢飯の加減が絶妙である。ほんのちょっとだけ焦げた部分の苦味がおいしい。

カウンターで飲んでいる他のお客さん達も、みんな至福の表情を浮かべながら一杯やている。

そして皆さん勝負が早い。一〜二品のつまみを取って、さっと飲んでさっと帰っていく。

カウンターの中を見ると、4、5人のお店の人たちが、無駄のない動きで働いている。

真剣な顔つきで押し寿司を作る板前さん。慣れた手つきでだし巻を焼く、少し年配のお姉さん。もくもくと丁寧に洗い物を続ける、もうちょっと若いお姉さん。

どこにでもあるようで、なかなか出会うことができないお店だと思った。

その後三宮で酩酊。

なんとか家までたどり着いてよかった。

 

6月7日(土)

神戸女学院で行われた、内田先生の講演会を聞きに行った。

国際紛争における「同罪刑法的な考え方」についてのお話しが興味深かった。

講演会の後は芦屋の青少年センターで合気道のお稽古をしていただく。

本日は、後ろ両手取りからの技がメイン。

春の合宿で初めて教えていただいた「ヘアピンカーブ」の足捌きで、入り身投げのお稽古をする。

そして今日は、内田先生にお願いして購入した、念願の「my杖&my木剣」を渡していただいた。

自分の物だと思うと愛着もひとしおである。

 

6月6日(金)

今月から毎週金曜日に行くことになった新しい出張病院に行く。

ちょっと遠くて行くのが大変なのだが、職員の皆さんの雰囲気が良くて、いい病院だと感じた。

 

6月5日(木)

今日はK教授のご命日。

K教授は私が大学卒業後最初に師事した先生で、3年前の今日、肝臓癌でお亡くなりになった。

僕はK先生のような、茶目っ気たっぷりで知性的な医師になりたいと思っている。

 

6月4日(水)

二日酔い。

僕は外来で診察している時、お酒に関しては割に寛大な医者だと思う。

余程の場合を除いて、「飲んじゃだめですよ!」と強く言えない。

いつの間にか、「うんうん、わかるわかるその気持ち。」ってな具合になってしまう。

 

6月3日(火)

女学院での授業の後、内田先生、江さん、皆さまと西宮北口でビールとワインをいただく。

いつもの事ながら、楽しいひとときはあっという間に過ぎていった。

その後、江さんと三宮に場所を移して「天竺園」へ。

蒸し鶏がうまい。

白髪ネギと一緒に食べると本当にうまい。

 

6月2日(月)

夕方から研究室のミーティング。

僕が実験を教わったT先生の担当で、論文の抄読会があった。

抄読会とは、その週の担当者が興味深い論文を雑誌から選んで、その内容を紹介するものである。僕の研究室では、だいたい年2-3回担当することになる。

本日の論文は、腫瘍の増殖制御因子に関するもので、とても面白かった。さすがT先輩、面白い論文をお選びになる。

というよりも、同じ師匠につくと興味を持つ内容が似てくるのかもしれない。

この抄読会で何より楽しみなのは、私の師匠の担当の回である。

これは、現在の我がボスがどんなことに興味を持っているのかを知るまたとない機会なのだ。

「師匠が見ているものを見る。」のに、これほど良い機会はないと思っている。

といいながら、けっこう途中で寝てしまったりするのだが。

 

6月1日(日)

内田先生の舞台を拝見しに、湊川神社神能殿に行く。

能を観るのは初めての経験だったが、とても興味深く感じた。

是非来年も伺いたいと思う。

 

5月31(土)

盛岡で同級生の結婚式に出席。

久しぶりに会った、M原くんの髪の毛の乏しさと太りっぷりに驚く。

夢に出てきそうなくらいの変貌ぶりであった。

あー、びっくりした。

 

5月29日(木)

研究関連のシンポジウムに出席する。

非常にレベルの高い研究発表の数々に、とても刺激を受けた。

研究内容もさることながら、レベルの高い会合では、質問にシャープな物が多い。

 

5月28日(金)

ひっそりと研究。

 

 

 

 

5月27日(火)

久しぶりに女学院の授業に出席した。

本日のテーマは(義務)「教育」。

中学校時代というのは、自分の中の「狂気」と折り合いを付け始める時期じゃないだろうか。

心と体の成長のばらつきが一番大きい時期だと思うし、中学校の先生は本当に大変なお仕事だと思う。

 

5月26日(月)

岩手と宮城で強い地震があった。

盛岡にいる両親の家に電話してもなかなか繋がらない。

何度かかけてやっと母と連絡がついた。二人の無事を確認して安心する。

父は大切なものが壊れたらしく、口には出さないがちょっと気落ちしているふうだった。

もっと大変なことにもなりえたわけだし、元気を出して欲しいと思う。

 

5月25日(日)

東大気練会と神戸女学院合気道会の合同稽古に参加させていただく。

初めての事だったので少し不安はあったけれど、とても楽しいお稽古だった。

工藤さん、井上さん、気練会の皆さま、本当にどうもありがとうございました。

夕方大阪に戻ってから杖が振りたくなってしまい、家の近所の駐車場で杖と木剣を振る。

その後、シャワーを浴びて、プチトマトを食べながらビールを飲んだ。

僕はなぜか、オレンジとビールとか、プチトマトとビールという組み合わせが好きだ。

合同稽古の後のお昼ご飯の時に石井さんが食べていたカレーがとても美味しそうだっ

たのが忘れられず、夜は知り合いが送ってくれた、レトルトの「小岩井ビーフカレー」を食べた。

賞味期限が4月8日だったのだが、私のカレーに対する欲求に比べたら、それくらいの「リスクテイク」は屁みたいな物であった(他に食べるものが無かったせいもあるが)。

カレーの上にかかっている生クリームって、カレーをとっても美味しそうに見せると思いませんか?

 

5月24日(土)

日本武道館で行われた全日本合気道演武大会に初めて参加した。

内田先生のご高配により、なんと女学院合気道会の演武に参加させていただいた。

とても良い経験になりました。本当にどうもありがとうございました。

多田先生の演武の時は、先生が出番を待っておられる立ち姿を見た時からもうすでに釘付けになってしまった。

 

5月23日(金)

研究室から家に帰る途中に本屋へ寄り、『ホットドッグプレス』に載っていた名越先生の記事を読む。イラスト入りの記事でとても素敵なお話しだった。

死ぬのが怖くてたまらなかった中学生の頃を思い出した。

勿論、いまでも死ぬのは怖いけれど、中学生の頃の感覚とは大分違う。

それはきっと、患者さんや、知りあいや、家族といった様々な人の死を目の前にしてきた経験が僕自身の気持ちのあり方を変えて来たのだと思う。

そしてそれは、僕が死ぬ時まで変り続けていくのだろう。

 

5月21日(水)

英会話の日。

私の先生はイギリス人のM先生である。同い年ということもあって、彼とお話しするのは結構楽しい。

今日は失恋したといって、嘆いていた。

元気出してね。

 

5月20日(火)

SARSを頭の隅に置きながら外来診療をする。

世界中の皆さま、食事の前にはうがいと手洗いをしましょうね。

 

5月19日(月)

パ・リーグの未来を一人憂えてみる。

 

5月17日(土)- 18日(日) 国際気の錬磨講習会

16日の夕方に内田先生と新大阪でお会いして東京へ向かう。

新幹線の発車と同時にプチ宴会を開始。先生とご一緒に新幹線に乗り、ゆっくりお話できる機会を得るというのは本当に幸せな事である。

筍ごはん弁当をぱくぱくと食べながらビール、ワイン、ウイスキーを飲み、色々なお話しをする。

話題は、「世界チャンピオン徳山さんと甲野先生」、「兄弟」、「完全記号」等々。

栄養滋味満点のお話しをお聞きするうちに宴会は「プチ」の領域を突き抜けており、あっという間に東京に到着。

会場の代々木オリンピック記念青少年総合センターに着いて、講習会事務局に向かったところで初めて多田先生にお目にかかった。内田先生の後ろで「よろしくお願いします」と、深々とお辞儀をする。

その後東大気練会の皆さん、ウッキー、イクシマさんと共に、モンスーンカフェで内田先生にご馳走になった。先生どうもありがとうございました。

17日と18日の講習会の内容は、呼吸法、杖と剣、気の錬磨、倍音声明など。

初めて多田先生の講習会に参加した私は、まず先生のお姿と声にすーっと引き込まれてしまった。

多田先生は「断定する」という言葉を何度か使われていた。「目に見えない物があると断定することで初めて得られる大切なものがある。」という様な意味だと思う。

「街レヴィ門前の小僧」の私の心に、深く刻み込まれたお言葉だった。

今後も多くの講習会や合宿に参加して、多田先生の謦咳に接することができたらと思う。

気の錬磨の時間では、ペアを組んで色々なお稽古をする。初めてお会いする方と組んだ時に、「どちらから?」と聞かれて道場の事だと思い、「神戸です。」と答える。

しかし、相手の人はお稽古の順番を2人のどちらからするか聞きたかったみたいで、とても恥ずかしい思いをした。私は気の感応どころか、言語のレベルで見当違いをしているのである。ははは。

帰りの新幹線は、内田先生と女学院合気道会の皆さまと共に、またもや楽しい宴会であった。

合気道会の皆さまとのひとときはいつも楽しくて、私はついついはしゃいでしまうのである。

 

5月13日(火)

大切な実験がちょっと上手くいった。

久しぶりに嬉しい。こういうことは半年に一回もあればいい方だと思う。

ここで言う「上手くいく」というのは、「仮説通りに結果が出る」ということである。

勿論思った通りの結果が出なければ、それを考察して新たな実験を重ねて行けば良い。

しかし、用いる実験系によっては、結果が出るのにとても時間がかかる。時間が限られた大学院生にとって、たまに仮説通りの結果が出る事は素直に嬉しい。

 

5月8日(木)

夜9時過ぎに、仙台に住んでいる大学時代の同級生ハンダくんから電話が入る。

「いま大阪にきているんだけど」

よく聞いてみると偶然にも研究室から車で10分くらいの所にいることが判明した。

早速迎えに行き、わが家から歩いて30秒のアイリッシュ・パブで飲み、その後家へ移動して1時過ぎまでウイスキーを飲んでいた。

彼はやり手の剣道家であり、とてもかっこいい(ちょっと太ったけど)。

同じく仙台在住のイタバシくんとかヨコヤマくんの近況を聞く。

友達とはとても良いものだ。

 

5月7日(水)

二日酔いである。

ふらふらしながら内田先生のサイトを訪れると、江さんが先日「バー・ウイスキー」に一緒に行った時のことを書いて下さっていた。

江さん、「ナイスガイ」だなんてもったいないお言葉をいただき、ありがとうございます。

と、思っているうちに「ナイスガイ」→「マイトガイ」という言葉が頭に浮かんだ。

「マイトガイ」って誰だったかなー?と、ウェブで調べてみると(ホントに便利な世の中になったものだ)小林旭のことであった。

しかし、そもそも「マイトガイ」ってどういう意味だ?

「マイトガイ」は”might guy”だろうと思い辞書を引くと、まあ「腕っ節の強い男」というような意味かなあと思った。

しかし、これまたウェブ上で調べてみると「マイト」とはダイナマイトのことだと書いてある。

私の中では、「まいと貝」という巻き貝のイメージができあがってしまっていて、それを取り払う事ができない。

(内田からひとこと:「マイトガイ・小林旭」のニックネームは「タフガイ・石原裕次郎」に対抗して日活宣伝部がつけたもの。語源はアキラの渋いロックナンバー『ダイナマイトが百五十トン』から。「ダイナマイトがよーおほほ、ダイナマイトが百五十トン。かっくんショックだ、夜の月」という実にシュールリアリスティックな歌詞で、曲はなんと『監獄ロック』。日本の昭和30年代はほんとに自由でワイルドだね)

 

5月6日(火)

午前中は出張病院で外来診療。気温の変化が激しいためか、風邪が流行りはじめている。

診察室のカーテンの向こう側で、つい先ほど診察が終わったおっちゃんが携帯電話で誰かと話をはじめた。

どうやら警察署に電話をしているらしい。自転車のことで昨日から留置所に入っている知り合いと連絡が取りたいとゴネている。

「あーん?今かけてる俺の携帯番号を知りたいって?あんた、そう簡単にいうけどなー、俺みたいなあたま悪いのんに、携帯の番号なんて難しくて覚えられるわけないやろが!」

と、めちゃくちゃな事をいっ