le 24 mars
履歴書を書くとき、結構集中して書くので、間あいだに一息つくのだが、そうすると、その時間中頭の中で勝手に、提出先の雰囲気とかそこで働いている人の様子とかの空想が始まってしまう。
毎回、毎回、履歴書を書くたびに、提出先を勝手に想像してしまう。
だから、履歴書1枚書くのも、なかなかに時間のかかるもので、写真貼って、封筒にあて先書いて、封を閉じ終わったときには、よしっという感じ。
何がいいんだか・・・。
さて、春ですねぇ。
大阪でも京都でも、もう桜が咲いたとか。
うちの裏の山では、うぐいすが、標本とされるかもしれないぐらい完璧な旋律で鳴いています。
雨で鬱陶しいことも多くなってますが、これも、春が来てることを感じられるものの一つですね。
春は、明るいイメージで花もたくさん咲いてぽかぽかしていて、四季の中で一番好きだと思っていたけど、実は、私の好きなのは春といってもほとんど初夏に近い春なのかもしれない。
3月4月って、思い返してみてもあんまりいい思い出がない。
私の大嫌いな別れの季節だし、私が体調を崩す新学期の季節だし。
まぁ、私はそんな4月の始めに生まれたんですけどね。
今回は、新学期があるわけじゃないけど、学生だった時期が終わっちゃったからなのか、先が不安なのか、よくわかんないけど、やっぱり具合が悪い。
部屋にいる間は、ずーっと、中村一義さんの曲を聴いてる。
私が、ほとんど無意識のうちに、CDラックから一義さんのアルバムを出してきて、一義さんしか聞かないときというのは、具合が悪いときなんです。2年前ぐらいに気づいたけど。
村上春樹を読みふけってるときとは、また違う種類みたいで、その辺はよくわからないんですが。
夜パソコンに向かっていると眩暈がするし、寝ようと思ってもなかなか寝付けないし、少し眠ったと思ったら暑くて目が覚めちゃうし。
夜中に暑くて汗かいて目が覚めるときは、完全な覚醒という感じにほんとにきれーに意識も澄んでるけど、それ以外のときは常に眠い。
眠いなぁと思いながら、午後にベッドの上で本を読んでて、気づいたら眠ってるときと、朝、目覚まし時計を7時に合わせてて、でも眠いからって止めてからの2時間ぐらいが、一番ぐっすり眠ってる気がする。
でも、友だちと飲みに行ってるときとかは、全然眠くないですよ。
騒いでるときは、ほんとに楽しいし。
月曜も、たっきーと池田さんと村上さんと飲みに行けてめっちゃおもしろかった。
一番最近に、不採用という結果を知らされたのは、卒業式の前日の予行演習のときでした。
家に電話がかかってて、母がケータイにかけてきてくれたんですけど。
私は何故か、外で喜怒哀楽を表してるのと同じようには、家族の前で表さないので、そっか。って別に関心なさそうに母に返事をしたけど、SPITZのアルバムを買い忘れて帰ったので、実際は結構落胆していたんだろうなぁ。
なんか、終わったなぁ・・・みたいな。
夜になってから、卒業式も謝恩会もすっぽかそうかと一瞬思ったけど、癪だし振袖も着たかったから両方参加した。
さっき言いましたけど、私は、家族に自分の感情を表現することってあんまりないんです。
テレビ見てて感動して泣くのも、我慢できないから泣いちゃってるけど、本当は恥ずかしいし。
抑えきれない喜びとか楽しさは、自然と出てしまいますけどね。
うちは、母が、結構テンションの高い人なので、その母と比べると、冷めた姉弟だなぁとか親類に言われたことがあって、私だけじゃなくって、弟もそんな感じなんですよ。
受験に合格しても、すっごい喜んでるのは、母の方だったりして。
まぁ、そんな子どもがですね、母親が「お母さん、電話聞いてショックやったわ。」と言った後に、ぼそっと「うん。私もショックやった。」って言ったわけですよ。
母的には、それが意外だったのか、帰って来た父に早速話したらしく、ご飯の準備手伝わないとなぁと思って台所に行くと、そこにいた父がいきなり、「落ちてもえぇやん。そんなん、この先何回でもあることなんやから。」と言い、
母は「別に家におってもえぇんやし。」と言った。
そして、その直後に、別に家にいてもいいけど、毎日家にいても仕方ないでしょって言われた。
もちろん。
ただ、ぼんやり家にいるだけなんて、そんなつもりはない。
でも何かね、今、ちょっと無理なんです。
そう思いながら、それを口にはせずに、就職課からのFAXを見てそこ宛てにとりあえず履歴書を書く。
あと、まだやってないけど、派遣会社に登録しようと思う。
こんなこと言うと、顰蹙を買うかもしれないけど、働こうという意欲がないんですよ。
もともと、就職活動が嫌で休学してフランス行ってましたし。
親には、フランス語の勉強がしたいって言いましたけど。
まぁ、帰って来てちょっと間と、その後何回かは、はたらこーって思いましたけど、それは、働きたいというよりは家を地元を出たいっていうのが強かった。
本屋さんで、「村上龍の『13歳のハローワーク』ありますか?」
って尋ねたら、レジにお持ちしますのでそちらでお待ちくださいって言われて、パラパラ見るつもりが、何となくそのまま買ってしまった・・・
というのは、もう2ヶ月前ぐらいの話ですが、
その中に、こういう文章があります。
「当時を振り返ってみると、基本的な決定事項が2つあったように思う。
1つは、もう23歳なんだから何とかして自分で食べていかなければならないということ、2つ目は、でもサラリーマンにはなれないということだった。いつまでも親に養ってもらうわけにはいかないと思っていた。
だがそれは親孝行とか独立心というような立派なものではなかった。
親に養ってもらう限り、自由が手に入らないと確信していたのだ。」
まぁ、以下続くんですが、村上龍がサラリーマンにはなれないと言い切っているのは、幼い頃から性格が団体行動に合わなかったので、お前はサラリーマンにはなれないだろう、と親や教師や近所の人にずっと言われていて、気づいたらサラリーマンを除いて将来を考えるようになっていたからだそうです。
で、そうは言っても、東京で一人で生きていくには、お金が必要だということで、23歳の秋に『限りなく透明に近いブルー』を完成させたんですって。
私も、働こうと思ったときには、確かにもう23・・・てか、もうすぐ24歳ですが、その歳のことも考えて、家にお金を入れないとなぁっていうのもありました。
でもその核にあるのは、「親に養ってもらう限り、自由が手に入らない」っていう思いだったのかって、これ読んで腑に落ちました。
親にしてみれば、これ以上どんな自由があんの?大学生活もフランス生活も自由にやってたじゃない、って感じみたいですが、ちょっと違う。
確かに、フランスにいるときは、親からも地元からもかなり離れてるし、何時に家に帰ろうが、朝まで友だちと飲んでいようが、何にも気にせずに自由にやってましたよ。
こんなの初めてだって思って、そりゃ楽しかったですよ。
だけど、ふと、親のお金で何やってんだろぅって、
親が一所懸命働いたお金なのになぁって思う瞬間もあるじゃないですか。
私が、ろくにバイトもせずに、のほほんといろんな服を着て駅まで自分で車に乗って行ってってしてると、近所の人から、この家に生まれたからそんな生活ができるのよ、いいわねぇ、私もそんな家に生まれたかったわ、親に感謝しなさいよって言われる。
言われなくても、一応わかってます。
働かないとなぁ。
私は、村上龍のように、集団行動に向いてないこともない(はずだ)し、サラリーマンでも何でも、他人より時間はかかりますけど、やろうと思えばできると思います。
他人より時間がかかるのは、幼い頃から何やるのも他人より遅いからなんですけど。
やる気があれば、とっとと仕事探してますよ。
これだなって思ったら、即行動いてますよ。
それが、わからないから、具合が悪いんですよ。
何やりたいかわかんないなんて、バカみたい。
2週間前ぐらいに、占星術のすごいらしい人に占ってもらう機会があって、母が私を占ってもらうということで予約取ってたんですよ。
でも、その日、用事ができちゃって、私は行けなかったので、母が私の名前と生年月日を告げて占ってきてもらったんです。
名前と生年月日だけあれば、本人じゃなくてもいいらしい。
で、帰ってから母に聞いたんですけど、結構おもしろい結果でした。
この子は男勝りな子ですねぇ。とか言われて、この子を手元に置いておくことは無理ですって言われたらしい。
昔から、家の隣の納屋をつぶして私の家を建てるって話を聞いてたけど、ただの冗談だと思ってたのに、それが本気だってことが、まず驚きでしたね。
あと、その占いの人が言うには、2003年と2004年は私にとって星回りの悪い年で、仕事も2005年にはチャンスがあるそうです。
それから、結婚については、外国人か外国で働くことになる日本人と結婚するので、将来的には海外で暮らすそうです。
誰かなぁ。ははは。
おもしろくないですか?この結果。
私、占いとか興味ないんで、1年待ちで占ってもらうなんて、ちょっと信じがたい話ですが、結果を聞くとその内容には興味津々。
実際、弟よりも私の方が、どちらかと言うと男っぽいかなぁ。
母は、男勝りとか言われて「でも、見た目にも女の子らしい子なんですよ。」って反論したそうなんですけど。
見た目とは、また違いますからね。
今は、ピンクとか黄色とかオレンジとか女の子っぽい色も好きだけど、小さいときは、弟がピンクが好きで私は青が好きだったし、弟の誕生日か何かに親が買ったミニ四駆も、組み立てて遊んでたのはむしろ私だし、小学校では男の子のことも呼び捨てにしてたしなぁ。
中学から女の子ばっかりの中に入っちゃって、ちょっとずつ変わったから、忘れちゃったんですかね。
あぁ、そっか。まぁ、普段はおとなしいからか。
にしても、私がフランス行きたくって、もう準備も進めてるって話したときとか、私のことを風来坊だと嘆いていたのに・・・。
男勝りと風来坊は違うから、あってんのかな。
女の子らしいと信じたいっていう気持ちもあるのかなぁ。
弟のことも少し占ってもらって、母は、両方全然当たってないって言ってたけど、この通りになってもらったら困るって思ったに違いない。
弟は、今、就職活動の真っ最中なんですけど、精神的にもきついのか、ちょこちょこ帰ってきたりしてたんですね。
そんなときに、経過を聞いて、母がホワイトカラー的な仕事に就く気はないのかって言ったら、「お母さんらの年代の人らはなぁ。その気持ちもわかるけど。」と、あっさり済ませていた。
うん。ホワイトカラーって・・・。
占いの結果通りになるとは思わないけど、親の期待にはそぐわないかも。
アホだと思うかもしれませんけど、最近、なんか、こんななんで、占いに便乗してみっかなぁとか考えてるんですけどね、私は。
実は、その占いで具体的なことも挙がってたんです。
ここでは言いませんけど。
それが、全く興味なかったら無視しますけど、ちょっとおもしろそうだったんで、どうせ腑抜けてるし、その時になるまでに気が変わったら、それはそのときでいいやって思うし。
4月に入ったら、おじいちゃんの法事がある。
親戚が集まる・・・。
やれやれ。
私は、何言われても、笑って済ませるけど、親は嫌だろうなぁって考えると、今から気が重い。
まぁ、私も嫌ですけど。
「さっちゃんが、離婚して子ども連れて帰って来ても何ともないわ。」
って、だから仕事が決まらないことぐらい何てことないと言ってくれてたけど、本当は心の底では、何でかなぁ、何でこんなことになってんのかなぁって思ってる気がする。
ほんと、人の勝手だと思うんですけど、
いちいち親戚の人たちって進路にこだわるんですよね。
女学院だなんて、勉強できるのね、優秀ねー、みたいな。
たまたま受かっただけだし、勉強できてたら国公立受けてるわって思うけど、そんなこと言えないし。
私は、ほんとに運良く女学院に受かっていろんな出会いがあって良かったし、満足してるけど、優秀かどうかってそこで判断することじゃないし。
知ってんのか?って感じ。
しかも、わざわざ親戚に判断してもらいたくないし。
法事のときには、嫌でも仕事のことを聞かれるんだろうなぁ。
せっかく女学院行ったのに、フランスにも行ってたのにねぇみたいな。
そう言ってくるのは、おばさんたちで、そのフォローをおじさんたちが勝手にしてくれて、結局おじさんに囲まれてひたすらニコニコしながら一日が終わるんだろうなぁ。
うっ。何か気分悪くなってきた。
あーぁ。
le 19 mars
卒業式も終わって、今日、謝恩会も終わって、
どうやら本格的に私の学生生活も終わってしまったらしい。
終わっちゃった。
謝恩会、華やかでしたねー。
去年のアルバム見てるから、ものすごく華やかだということは知っていたものの、いざ、その中に入ってみると緊張した。
寝坊して、朝ごはん食べずに必死でメイクして、ギリギリ美容院の予約時間に間に合って、短い髪をそれらしくしてもらって、手作りのお花をつけてもらって、家に帰って振袖の着付けしてもらって・・・。
そういうのは、すごくうれしくて、まる一日そのままでいたいぐらいなんですけど、場が緊張する。
もともと、人が集まってると混乱しがちなもんで。
人ごみに混じってると、早く抜け出したくなっちゃうし。
それはともかく、最初の村上先生の挨拶はびっくりでしたね。
3回ぐらいオチがあったので、いつ結論に行くんだろうって途中で不安になりましたけど、勝手に内輪で3回コケれたんでおもしろかったです。
みんなと写真撮れて、良い記念になりました。
ほんと、いろんな人たちから「おめでとうございます。」
という言葉をいただきました。
今日も、行きの電車で隣だったおばさんに、卒業式ですか?って聞かれて、謝恩会なんですって答えたら、
「まぁ。おめでとうございます。」って、言われました。
そうですねぇ。
めでたいですよ。
でも、個人的に、あ、実はそんなにめでたくもないんですよって思う。
私のことをよく知ってる人から「おめでとう」と言われると、例えば美容師さんが、とりあえずおめでとーって手作りのお花をプレゼントとして髪に付けてくれても、うん、とりあえずありがとう、わぁーぃって感じですけどね。
高校までは、違和感なくめでたかった気がするなぁ。
まぁ、これからは、地道にハローワークな日々ですよ。
あと、お休みしていたフランス語を再開しよーっと。
何はともあれ、大学、楽しかったなぁ。
おもしろい友だちができたし。
たくさんの良い先生にも出会えたし。
本当にお世話になりました。
それから、内田ゼミに入れたし。
今思えば、ゼミの希望出して決定されるまでの間が、これまでの結果待ちの中で一番辛かったですよ。
漏れたらどうしよぅって、食欲なくなって、真剣に具合悪くなりましたから。
ほとんど元気な私が、そんなだったから、家族の間では伝説になってますよ。ははは。
いやぁ、内田先生には、1年生のフランス語初級文法からお世話になりっぱなしですね。
本当にありがとうございました。
そんな、一言で済ませられないんですけど。
これからもよろしくお願いいたします。
イヤとか言わないでくださいね。
あ、ワイングラスも愛用してくださいませ。
さーてとっ。
近々、髪でも切るかなぁ。
le 10 mars
トゥールーズにいる日本人の友だちから電話がかかってきた。
うちの両親に一瞬、私につなぐことを拒否されそうになり、「トゥールーズで一緒だった・・・。」と説明を付け加え、親は焦って私につないだ。
変な電話が多いから、変に敏感になってしまうんだろうけど。
勧誘とかセールスとか多いですからね。
私がケータイを持つようになってからは、友だちならケータイにかけるだろうということで、まれに家電にかけてくる友人は疑われ、私の不在を告げられてしまう。
でも、フランスからだとケータイにかけると高いし、国際用のテレカだってすぐになくなっちゃうし、家にかけますよね。
これで、被害者(フランスからかけてきた人)が2人になった。
さて、月曜に友だちとユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行って来ました。
一応、卒業旅行らしいです。
まぁ、そうやって誘いが来なかったら、きっとユニサルに行くことはなかったかもしれませんね。
「USJ行かない?」って言われて、もちろん、USJが何を指すのかぐらいわかりますけど、自分が口に出して言うときには“UFJ”になってて、それぐらいの勢いで、関心なかったし。
でも、行ってみると、結構おもしろかったですよ。
平日だし、月曜だし、そんなに混んでるわけでもなかったし。
修学旅行なのか、いろんな制服を着た学生がいっぱいいましたけど。
ジュラシック・パークで、後ろの高校生が思いっきり頭から水かぶって、制服びしょびしょだったり、バック・トゥ・ザ・フューチャーで、隣に座ったのがおじいさんだったので彼の身を案じたり、ウォーターワールドで、かかるはずのない水がかかったり・・・。
ウォーターワールドは、気をつけたほうがいいですよ。
一応、「この席までは水がかかります」って表示されているものの、実はそんなの関係なくって、普通にお兄さんがバケツ持ってきて、後ろの方にまで水ぶっかけますから。
残念だったのは、スヌーピーと写真が撮れなかったことです。
スヌーピーが人気者すぎて。
帰りに、リッツ・カールトンで一泊しました。
その友だちが、ゴールドだから安いんだって言って、予約してくれてたので。
卒業旅行だから、リッツでフランス料理を食べたかったそうです。
いやぁ、でも、豪華な・・・。
ちゃんとしたフランス料理のディナーを食べたのは、1年ぶりぐらい。
おいしかった。
白ワインもおいしかった。
てか、「海鼠」って書いて「なまこ」って読むって知らなかった・・・。
ねずみ?うそ、食べてみよーって、ねずみじゃないし。
料理を運んできてくれて説明してもらうときに、
「えー、こちらが“なまこ”と・・・。」って言われて、
あ、あれ、なまこだったのかって気づいたんです。
ははははは。
デザートが終わって、紅茶を飲んでるときに、さっきまで料理を運んで来てくれていたお兄さんが、
「もしかして、砂糖いります?」
って後ろ手に何か隠し持ちながら来たんです。
その砂糖ってのは、普通のグラニュー糖とかじゃなくて、マドラーの先にコーヒーシュガーみたいな粗目の砂糖がくっついてるものなんですけど。
紅茶と一緒にそのマドラー兼砂糖が運ばれてきたとき、あ、部屋にあったのと同じだ!と思ってたんですけど、頬が緩んでたんですかねぇ。
そう言われて友だちは、一瞬戸惑ってたような感じだったんですが、私が一人で、うんうんってうなずいてたので、
「あ。そうかなぁと思って、特別に用意したので、どうぞ。」
と、そのマドラー兼砂糖を6本ずつくれました。
わぁーぃ。
・・・うちら、子ども扱いっぽくね?
ま、それで間違いではないけどさ。
ところで、芥川賞の『蹴りたい背中』『蛇にピアス』と、読売文学賞の『博士の愛した数式』を読みました。
『蹴りたい背中』は、あーわかるわかる。いや、やっぱわかんない。
みたいな感じでしたけど、サクサク読めますね。
『蛇にピアス』は、読みながら頭の中で映像化されてきちゃって、途中で気分が悪くなったりしましたけど、サクサク読めますよね。
両方とも、本の中の時間自体が早く流れている気がしたし。
で、『博士の愛した数式』。
この『博士の愛した数式』が一番よかったなぁ。
まぁ、前から小川洋子の作品が好きってこともあるけど。
サクサク読んだらもったいない、という気がして、結構ゆっくり読みました。
「僕の記憶は80分しかもたない。」
80分・・・。
たったの80分。
そのことを、毎朝目が覚めたときに、博士は自分で確認するんです。
この本を読み終わっても、何か形のあやふやなものが、心に残っていて不思議な感じでした。
それは、丁度、間違ってアメを飲み込んでしまい、それが食道でひかかりながら徐々に溶けていって、感覚を残しながら胃に入っていくような、違和感なのかもしれないけど、別に迷惑ではない、そういう感じです。
もう、数学に関わることはないかもしれないけれど、数学っておもしろかったんだなぁって思いました。
数と数の関係とか。
うーん、刺青かぁ。
刺青は、興味ありますね。
私が彫ってもらうとしたら、何かすごい決心をしたときとかですよ。
例えば、シングルマザーになる決心をしたときとか。
めったに他人から見えないところに、小さい蝶とか何か小さな花を。
le 6 mars
成績表が来た。
思っていたより早かった。
これで、何か足りてなかったらびっくりして、びっくりしすぎて笑うよ・・・と思いながら、ちょっと遠慮がちに封を開けて、封筒に合わせて折りたたまれているそれを慎重に開く。
よかったー。
全部足りてる。
今までだって、何度も何度もチェックして、必修を取り損ねてないか確かめていたけど、本当に大丈夫なのかなぁと、いつもどこかに不安が残っていた。
今回だって、成績表上は完璧に足りてるし、専門科目だって余分に取れてる。
それでも、何となく不安な気持ちが残るのは何なんだろう?
まぁ、とりあえず、卒業だけはできそうです。
てか、思ったより良い成績なので、うれしい。
単純に、わぁーいって思う。
ゼミとか卒論とか。
先生、ありがとうございます。
思えば、中2ぐらいから高3まで、まともなのは「現代国語」と「生物」と「音楽」「書道」ぐらいで、あとは死んでましたからねぇ。
中1のときは、英語もがんばってましたけど、基本的なことを習い終わった頃から、やる気なくなっちゃって、嫌いになって、単語すらまともに覚えなかったなぁ。
そんな英語嫌いの私が、女学院に入学できていたのは、ひとえに高1後半からお世話になっていた家庭教師の先生のおかげです。本当にありがとうございました。
あと、数学も物理も化学も社会全般も、ダメでしたね。
高校になって、自分で日本史を選択したくせに、欠点ギリギリとかだったもんなぁ。
中2で物理が始まったとき、あまりのわからなさに、面談で担任の先生に「全然わからないんですけど・・・。」って話した記憶がある。
文系だったわりに、古文・漢文もいまいちだったし。
漢文とか、読み方を習ったとき、私には理解できなくて、レ点も一、二点もさっぱりで、放課後に漢文の先生に聞きに行って、ゆっくり教えてもらってからやっとわかったんですよ。
古文は、英語みたいにいっぱい単語を覚えなきゃいけなかったけど、基本的な“をかし”とかだけ覚えて、感覚で読んでいたので、間違いだらけだったなぁ。
最終的には、その家庭教師の先生に、何でもかんでも教えてもらってました。
問題集を、一緒に買いに行ったりして。
そんな感じだったんですけど、大学生になるってときには、やったぁ、これで好きなことだけ勉強できるーって、清々しい気分だったんですよ。
別に、昔から勉強は嫌いじゃないし。
嫌なことをやるのがイヤなだけで。
ホント、どれだけひどく親に叱られても、嫌いな科目の勉強は試験前日ぐらいにしかやんなかった。
私は、この頃の母親ほど怖い人に出会ったことはないですが、成績表が返ってくる度にすっごい怒られて泣いて、それでも日本史覚えなかった。
その頃に比べれば、ほんとに大学の成績は好成績。
90点代なんて、小学生以来だし。
ま、シラバス読んで、興味のある授業だけ取ってるしなぁ。
私、卒業だなぁってわかってても、あんまり寂しくなかったんですよ。
それは、大学生活最後のはずだった2002年度を休学してて、同期の友だちとはフランスへ行く前に、卒業式みたいな感じですでに別れていたからかもしれません。
だから、すごくあっさりしてて、やばい、全然寂しくないし悲しくないって思ってたんですけど、成績表見たら、急に寂しくなりました。
私の成績は、この「卒業論文」ってのが最後なんだ・・・って思った途端に。
本当に、学生じゃなくなっちゃう。
これから、どうすんのかなぁ、私。
le 20 fevrier
2002年に参加したフランス語学研修で仲良くなった4人でご飯を食べに行く。
イタリア料理のお店。
実は3度目だけど、お店の人たちの感じも良く、雰囲気も良く、料理もお酒もおいしい。
4人の内の一人は、私と同期で、現在はいわゆるフリーターをしている。
この日も仕事帰りだった。
自分のやりたかった仕事だったものの、最初の頃は、仕事が上手くいかないときもあって悔し泣きをしていたが、今となっては立派な教育係である。
お店から、社員にならないかという話もあるそうだけど、彼女の中で、とりあえず3年はこのままやってみようと決めているらしく、たぶん断るかなぁというところらしい。
ちゃんと考えててえらいなぁ。
彼女とは、語学研修のときに初めて知り合った。
たまたま、同じ部屋に振り分けられたので、3週間ずっと同じ部屋で過ごし、いつの間にか仲良くなった。
たいていはほとんど初対面というメンバーが、2人一部屋で3週間という期間を過ごすので、中には同室の人と上手くいかなかったりということもあったけど、うちらには揉め事も一切なかった。
最後の方に、笑い話として他のメンバーに話していたんですけど、お互いにあんま気を使わなかったんですよ。
朝起きて「おはよう。」ってぼそぼそ言ったあとは、朝食に行くときまでお互い無言だったり、お風呂の時間も寝る時間も、全然バラバラだったり。
朝起きてすぐ、テンション高くないんで、そんなしゃべりたくないじゃないですか。
だから、お互い、無言で順番に顔洗って、それぞれの定位置で着替えてメイクして。
そろそろ朝ごはん食べに行かないとなって頃になると、ちょっとずつしゃべり出すんです。
夜は夜で、お互いに、ちょっとした物音ぐらいじゃ起きない人だったし、せかせかした人でもなかったので、のんびりお風呂に入り、一人がお風呂に入ってても眠かったら先に寝るし。
なんか、好きなように過ごしていたので、それが良かったんでしょうね。
でも、その頃は、私が後に休学してまでフランスへ行くとは誰も思わなかったでしょうねぇ。
だって、その頃、メンバーの中で私が一番、フランス語の知識なかったし。
出発前に、大学で臨時の授業みたいのを受けたとき、名前聞かれてるのに「Ca va!(元気です!)」って言った人なんか、私以外に存在しませんから。
休学してフランスに行くことを決めたときだって、まぁフランス語の力はNOVAのおかげで少し伸びていたものの、理由の中に、就活をやりたくないからとか家を離れてみたいからとか、そういうのも含まってたし。
それに比べて、彼女は本当に純粋にフランスが好きでフランス語が好きなんですよ。
で、長期でフランスに行きたい気持ちもあるんだけれど、そのために親にお金を出してくれとは言えないから、自分で働いてお金を貯めたい、と。
やっぱりちゃんと考えてるんですね。
そんなこんな、近況も含めた話をわいわいしている間に、お酒や料理が運ばれてきて、4年生の内の一人が、それらを運んできてくれたお兄さんのことを、
「あの人、サッカーの中田に似てる。」と言った。
確かに。
「あぁ、似てるね。てか、森山直太朗にそっくりな人が・・・。」
「あ、いるいる。」
「似とーよなぁ。あの人。」
とか、そんなことを言い出すとやたら気になる。
ちょっと気取った感じの森山直太朗。
それからは、好きな人(芸能人を含む)の話になって、また、わいわいあーだこーだと騒ぐ。
私が好きな人たちの話をすると、周りはいつも否定的だけど、この日は違った。
そのフランスつながりの同期の友だちは、SPITZが好きだし森山直太朗も好きだった。そして、堤真一の舞台を見たこともあった。
堤さんかっこいいよねー。と言うと、「『ドライブ』見た?」と聞かれ、彼女は堤真一よりも安藤政信見たさで『ドライブ』を見たということが発覚。
ここで残念ながら意見が分かれた。
“安藤くん”が一番らしい。
トヨタのCMで、いわゆるイケメン俳優がずらずら出てくるCMがあるんですが、彼女は“安藤くん”見たさにTSUTAYAでそのCMのビデオを借りていた。
ショートフィルムになってるんですけどね。
私も、そのCMは大好きでショートフィルムはネットで見てたんですが、
目当ては松田龍平。
私の中では、森山直太朗の顔と松田龍平の顔の間には何か共通するものがあるような気がしていたんですが、彼女は松田龍平に興味はないらしい。
ま、4年生の二人はこの話自体に興味なかったみたいですけど・・・。
ははははは。
食後に、森山直太朗さんが運んで来てくれたケーキを食べ、カプチーノを飲んだ。
久しぶりだったこともあり、全く時間を気にしていなかったら、なんと終電・・・。
大阪からだと、23時発の電車が私にとっては終電らしい。
危ない危ない。覚えとかなきゃ。
le 18 fevrier
また、私の嫌いな時期が来た。
年末と税金の時期は好きじゃない。
だって、親がピリピリしてるから。
あぁあー。
今回は、私も書類の整理を手伝わされることになり、ここ2,3日、数字をカリカリ書き出してます。
めんどくせー。
なんなんだよ。
こう、自分が手一杯になってきて、うあーーってなってきて、精神的にもキツイからって、私に仕事をもって来るわけですよ。
親と伯母さんが。
驚くことに、みんなパソコン使えないし。それぞれ持ってるのに。
主任とかなのに。
あの表作って、この文作成して、2部ずつコピーしといて。
あ?
押し付けやん。
じゃぁ私は、どこに押し付ければいいねん。
みたいな。
私が、そんなことで頼られてるってのは、もはや危機的事態ですよ。
そう思いませんか?
月末が近づいてきて、あの仕事をしなきゃいけないって思うと、イライラしてきて焦ってきて、病気になりそうだ、と。
だから、その仕事を、私がやる。
おかしい。
そんなの変だ。
親は親で、えーこっちも仕事頼んでるのに・・・って違うやん。
みんな、私に言うまでは自分たちでやってたことなのに?
わからんなぁ。
私が今、日常的に仕事をしてないからか・・・?
などと思う瞬間もある。
ま、昼間は借りた映画とか見てますけど。
いやぁ、やっぱ、堤真一かっこいいっすねぇ。
いや、でも、そんな死に方ないだろう・・・。
あんたら警察が、勝手に勘違いしてるだけだろ!!
日本には約800人の殺し屋がいるらしいですよ。
そして、大杉漣扮する「殺し屋ジョー」は「イエス」というエージェントに所属してるらしい。
イエス?
『ポストマンブルース』結構、おもしろかったなぁ。
さりげないところに、おかしさが含まれてたりして。
続けて『ドライブ』ってのも借りてみました。
同じSABU監督。
堤さんも大杉漣も出てるし。
大杉さん、好き。
あと、『御法度』。
これ、松田龍平見たさに借りたんですけど、なんか、松田龍平と浅野忠信・・・きれいだなぁ。
ずーっと眺めてても飽きないかもしれない。
松田龍平、こないだの『恋愛写真』とか最近のCMで見るより、ずいぶんかわいかった。
5年前?
役のこともあるのかもしれないけど、ほんと女の子みたいでしたね。
『39[刑法第三十九条]』は、噂通り、堤さんの演技がすごかったなぁ。
まぁ演技のこと、全然わかりませんが。
だって、実際、多重人格じゃないわけだし、役の上でも、実は多重人格じゃないわけだし。
人格が変わる演技をしてるのを見ていて、その度に鳥肌がたって、ちょっと気分が悪くなったりして、見終わったら妙に疲れてて。
何となく、CHEMISTRYのアルバムを買った。
そういえば、1枚目のアルバムも何となく買ったな。
2枚目は、いつでたのか知らなかったから、買ってないけど。
こうやって、私のお金はCDと本でほとんどなくなるんだ・・・。
一番新しい『So in Vain』って曲を口ずさみたかったんですよ。
それで、アルバムにその曲入ってるから、まぁいっかっと思って何となく買ったんです。
ケミストリーがすっごい好きなわけじゃないけど、歌が上手い。
気持ち良さそうに歌ってるから、聞いてても気持ちいいし。
しかし、CD危険だなぁ。
もう、どんどんコンポの上に積んでってるんですけど、何かの拍子で崩れそうになってきてる・・・。
最近は、シングルには手を出さないように気をつけてるんですけど、それでもSPITZとか山崎まさよしとかスガシカオとか中村一義とか買っちゃうんですよね。
アルバム出たら絶対買うし。
本も、同じような状態で、どんどん積まれていってます。
いろんなところに。
ちょっと片付けないといけないかな。
すごい時間かかりそう・・・。
とりあえず、壁に作られてる棚の要らないものを処分して、場所つくんないといけないっぽい。
例えば、昔、ラジオ番組を録音していたテープの山とか。
よく考えれば、繰り返して聞いたことがない。
あと、大学受験のためやら何やらで買った、参考書の山。
この中のほんの一部しか、結局使いこまなかった。
こりゃ、大掃除だな。
いつ手をつけるかは、未定。
le 13 fevrier
突然電話がかかってきて、面接までこぎつけるも、
そこで敢え無く敗退・・・。
映画でも見るかっと思い、TSUTAYAへ行った。
いや、ホントは、テレビで見た『ロード オブ・ザ リング』の続きが見たかったんですけど。
ついでに、『御法度』と『39[刑法第三十九条]』を持ってレジに行った。
すると、レジのお兄さんが、あと1本借りられれば全部で¥800になりますけど、どうなさいますか?と言う。
そういえば、いっつも同じようなことをレジで言われてる気がするなぁ。
そんな頻繁に来ないから、毎回忘れてるんだよねーとか思いながら、
「じゃぁ・・・『ポストマンブルース』っていう作品ありますか?」と、尋ねてみた。
堤さん好きなんです、私。堤真一。
したら、そのお兄さんが、「『ホストマンブルース』ですか?」と言った。
ち、違う!!
「いや、ポストマンです。」
「ホストマン?」
それ、さっきと一緒やん!
「ポスト。」
「ホスト?」
「あはははは・・・。えっと、ポストです。」
「ポスト!」
「はい!それ、ありますか?」
「あ、少々お待ちくださいね。」
そう言って、検索してから『ポストマンブルース』を取ってきてくれた。
郵便ポストのポストですって言えば良かったのかなぁ。
でもなんか、「まる」があるのとないのとで、全然違うんですね。
ところで、犬に足をかまれてから一週間が経ちました。
犬?
そう、犬です。
しかも、飼い犬です。
「飼い犬に手をかまれる」ということわざがあるものの、うちの家族はほとんど全員、手か足を噛まれてますからねぇ。
こんな家族もめずらしいんじゃないですかね。
育てるの失敗したっぽい。
しかも、もう13年目だし、今さらって感じですけど。
何なんでしょうか。
機嫌かなぁ。
今まで、私だけが被害を受けていなかったんですけど、その私もついに・・・。
結構な傷なんですよねぇ、これが。
ただ、朝、玄関から車まで向かいながら、「チロー。」って呼びかけただけなんですけどねぇ。
その日は、たまたま朝早くて、父がすぐ側にいたから、助けてもらえたものの、昼間とかで誰もいないときだったら、どうなっていたことやら。
最近、チロも歳で、耳が遠くなり、目が見えにくくなり、鼻も利かなくなってきてるので、誰か知らない人が近づいてきたと思ったんじゃないか?
と、両親は言ってますけど、どうなのかなぁ。
てか、怖いじゃないっすか。
散歩とかするのに、いつ危険な目に遭うかわかんないだなんて。
私が噛まれて以来、これで他人でも噛んだら大変だということで、人が通っても近づけない距離に、チロはいます。
最初は、すっごい居心地悪そうで、昼寝もできないって感じでしたけど、しばらくすると、その位置にも慣れたらしく、ポカポカしたところで、丸まって寝てます。
さて、噛まれたのは、右足の甲なんですが、噛まれた直後から、すごい勢いで腫れあがってきて、とりあえず、靴が履けなくなりました。
でも、血が流れ出ているというわけではなく、どちらかと言えば打ち身みたいなもんかなぁと思って、そのまま用事を済ませ、夕方になってから、もう一度見てみると、あ・・・っということで、急いで病院に。
外科で診てもらったんですけど、噛まれてから時間が経っているので、傷口が血で固まっちゃってて、これでは消毒できませんねぇ。うーん。
と、なり、痛い消毒をされるはめになりました。
まぁ、簡単に言うと、せっかく固まってる血を溶かし、謎の金属棒とか綿棒とかが出てきて、傷の中を消毒されたわけです。
「これねぇ、大したことないように見えますけど、犬の歯ってのは結構とがってますからね。ご自分の犬歯を見ればわかると思いますけど。意外に傷が深いんですよ。」
「そんなんですかぁ。はぁ。」
「結構、深くまで入ってますからねぇ。と言っても、犬の歯が足の中に残ってるわけじゃないですよ。」
「ははは・・・。」
「明日、腫れなかったら、膿まずにきれいに治ると思います。明日は、もう一度消毒と、それから今から点滴してもらいますけど、明日もう一度点滴をね、しますので朝9時ごろに来てください。」
そんなこんなで、抗生物質の点滴をしてもらいました。
一応、アレルギーとかないんですけど、念のためということで、点滴の前に2本注射して、アレルギーテスト。
テストの結果、大丈夫だということで、その後30分ぐらい点滴。
行きは、母に送ってきてもらったんですけど、時間がかかるので先に帰り、また迎えに来るわと言われていたんですけど、思ったより早く点滴が終わったし、病院は家から数分のところなので、そのままスニーカーのかかとを踏んで帰りました。
で、処方してもらった飲み薬を食後に飲んで、次の日の朝・・・。
ねー、湿疹が出たんですよ、これ。腕と膝の裏辺りに。
やれやれ。
どうせ、9時から病院だし、まぁいっか。と思いながら、朝ごはん食べて、飲み薬飲んで。
病院で先生に、傷は腫れてないんですけど、湿疹が出たんです。って話して診てもらったら、点滴の最中は大丈夫だったし、飲み薬に入ってた抗生物質が合わなかったんだろうということになって、飲み薬は中止。
傷は大丈夫そうだから点滴も中止。
代わりに湿疹用の塗り薬をもらって帰る。
飲み薬が合わなかったとは思わなかったから、朝もう飲んじゃったよ・・・。
湿疹は、その後2日間ほど消えませんでした。
足の傷は、今は触ると痛いけど大丈夫な感じです。
履ける靴も増えてきたし。
チロに近づくのが少し怖かったりしましたけど、今は散歩も行ってるし。
やや警戒しながらですけど。
てか、噛まれた次の日に予定してた友だちとの約束とか、ちょっと三ノ宮まで無理だなぁ靴履けないしってことで、急遽キャンセルして、申し訳なかったし、私自身、楽しみにしてたから、悲しかったですよー。
「犬に足噛まれてさぁ。ごめんね。」とか言ってたら、
「足噛まれた?ありえんなぁ。」とか「最近、犬に噛まれる人ってのも聞かないねー。」とか言われるし。
ほんとだよ。
あり得ん。
ネタじゃないですよ、これ。
le 31 janvier
どうやら、一次試験ダメだったらしい。
バイトで、電卓はじきながら、ときどきケータイが気になったりしていたものの、鳴らなかったらしい。
電話って、待ってると全然鳴らないですよねー。
メールも、待ってるときには来ない気がしますけど。
で、全く気にしてないときに、突然鳴るから、すごいびっくりする。
だから、電話ってあんまり好きじゃないんですよ。
まさか、電話がかかってくるなんて思わないで、ぐっすり眠ってて、はるばるパリからかかってきた電話を、2回、誤って切っちゃいましたからね。
その内1回は、寝ぼけてて、電話なのにアラームだと思ってぶちって切っちゃって、その直後に、はっ電話だった!って気づいたんですけど、もう一回は、切ったこともわからず一日が過ぎてました。
で、次の日に、他の用事で着歴見てたら、パリからかかってて、あら・・・ってなったんですけど。
たぶん、私の場合、睡魔には何者も勝てないんですね。
よし。月曜日は、次の説明会にはりきって行ってこよう。
ところで、もうすぐパリから帰国する友だちから、大阪近辺でフランス人をステイさせてくれるお家がないかしら?というメールが来ていたので、ちょっとここに載せておきます。
-男子(20歳)
-イナルコという大学(東洋言語専門学校とでも言うのかしら?)の2年生で、まじめに日本語を勉強中。
-日本人家庭に滞在し、日本語(会話)を向上させながら、大阪を見てみたいという目的。
-期間; 7月中旬〜8月中旬あたりの1ヶ月ぐらいを予定
-家賃は、フランスの学生らしくお金が無いので、必要経費程度ぐらいなら払えるという感じだけど、要相談だと思う。
-あまり交通費をかけなくても、動けるようなところに住んでいるとより良い。
-完全に意志を伝えられるほどの会話レベルではないので、英語かフランス語が通じる家庭であればより良い。
実は、そのため(飛行機代)の奨学金を申し込む期限が2月6日なのだそうで、その時までには、ステイ先を決めたいと言っています。
ボランティア的精神が必要かもしれないから、フランス語を勉強したいという人が家にいると、ちょうどバランスがとれるかもしれないとは思うのですが...
ということです。
彼は、私の友だちと、週一回語学を教えあっていた人らしく、まじめないい子だそうです。
もし、この日記を読んだ人で、ホームステイさせてあげるよって人がいらっしゃればFraise0407@aol.com 私宛てにご連絡くださいませ。
よろしくお願いします。
2月6日までって、もう日がないんですけどねぇ。
私の家でステイが可能ならば、万々歳なんですけど、というか、私的には大歓迎なんですけど、うちが大阪から遠いんだなぁ。
大阪まで1時間半ほどかかりますからねぇ。
不便だ。
le 28 janvier
先週の金曜日に、最後の授業が終わり、あぁついに大学生活も終わりなんだなぁと、思い出に浸ろうと思いきや、“とほほ”このままじゃ六年生・・・って何ですか!!
うそー。卒業させてくださいよー。
まぁ、学校大好きですけどねぇ。
最初発見したときは、あはははって笑ってしまいましたけど、笑い終わってから、深刻になってきちゃったし。
うぅぅぅ。
今日は、月末限定の事務バイトをお休みして、ある会社の一次試験を受けてきました。
おもしろいテストで、左右で同じものに○をつけたり、反対の意味のものに×をつけたり、変な記号を書いたり、簡単な計算をしたり、その他いろんな問題がありました。
途中、足し算・引き算・掛け算・割り算のとろこで、なぜだかテンションが上がってきて、合ってるのかどうかわかんないまま、すごい勢いで答えを書いてしまい、意味不明。
でも、数学の応用問題みたいなところにくると、途端にテンションが下がった。
とりあえず、テストが終了して、説明会のときたまたま一緒に帰った人と、また一緒に帰る。
会社から駅までの間に、素敵なカフェがあって、前から気になっていたので、そこで彼女とお昼ご飯を食べることにした。
時間は、3時前だったけど、二人ともお昼を食べていなかったので。
レタスとトマトとダイコンのサラダ・ほうれん草とカボチャのキッシュ・コンソメスープが、一つのプレートになっているランチを食べた。
おいしいねー。うちら緊張感ないねー。って言いながら、パクパク食べる。
彼女は、関西外国語大学の人で、親しみやすい感じの明るく楽しい人だ。
キッシュを食べながらお互いいろいろ話していると、どうやら二人とも、のんびり派らしいことがわかってきた。
ゼミの話とか友だちの話とか、就職の話、その他いろんなことをわいわい話していると、あっという間に2時間が経っていた。
そういえば、説明会の帰り、話に集中しすぎて逆行きの地下鉄に乗ってしまい、一駅目で私が異変に気づき「あれ?」とか言って、急いで降りたんだった。
あの時からすでに、私たち二人に会社訪問の緊張感などなかったし、明らかにのんびり派だったんですね。
今日は、ちゃんと正しい地下鉄に乗った。
大阪から、彼女は阪急、私はJRなので、別れる。
前回は、お互い名前も聞かず、「じゃぁ、お疲れさまー。また、来週会うだろうし、そのときはよろしく。」と別れ、一人になってから、あ、名前聞くの忘れた・・・とか思ってたけど、今回は名前とケータイ番号&メールアドレスを忘れずに聞いた。
まぁ、試験がダメでも、また情報交換とかお茶とかしよーってことで。
会社説明会や試験に参加すると、すごく必死な空気を漂わせている人たちがいて、就職難であることを実感する。
特に、そういう男の子たちを見ていると。
その関西外大の友だちは、彼らを見て、仕事があれば譲ってあげたいとすら思うらしい。
私たちが、同情するのもおかしな話ですが、それぐらい気の毒に感じてしまうような背中をしているのである。
私も、大学を卒業したら、学生でもないし仕事もないという状態が訪れるであろうと思うと、すごく怖い。
今までは、ずーっと学生だったから、そういう不安はなかったけど、今、初めての種類の不安を感じている。
きっと、彼らも同じような気持ちなのだろう。
だけど、試験のできがどうであれ、会社にいる間や会社から最寄り駅までの3分間ほどの距離ぐらい、ぴんと背筋を伸ばしていればいいのに、と思う。
とぼとぼと一人で歩いている姿を見ていると、なんかこっちまで悲しくなってくるし。
ま、不安だと言いながら、のん気にお昼とか食べてて、おまえも何とかしろよ、六年生になるのかって感じかもしんないですけど。
ケータイに四回生の友だちからメールが来た。
「ロッカーの整理をしてたら、さーちゃんの聖書が出てきた。」
はっ!
いやぁ、忘却のかなたでした。
2002年の夏休みに入ってフランスに行く前に、そういや今年卒業ってことは、ロッカーなくなる!?
やばい、聖書入ったまんまや・・・ということで、その友だちにロッカーの鍵番号を教えて、聖書を預かってもらっていたんですよ。
お詫びをして、今度会うときに受け取ることにした。
この聖書は、中学に入ったときに買ったもので、シスターから「みなさんが、お嫁に行くときにも持って行って下さいね。」
と言われていた、大切なもののはずだった。
が、言われるまで聖書の存在を思い出すこともなかったという。
ここ最近、中高6年間唱え続けていた「お祈り」が、突然頭に浮かんで、試しに全部言えるかどうか言ってみるということを何度かやっていたけど、それでも聖書のことは思い出さなかったなぁ。
すみません。
ところで、今朝、トーストをかじりながらぼんやりテレビを眺めていたら、CDランキングで、なんとSPITZが1位☆
今回のシングルは、フジテレビ系の『あいのり』という番組の主題歌になっている。
そして、『あいのり』の主題歌になればかなり売れるらしいという噂が、世間では囁かれていたのである。
『あいのり』は見てないけど、そのおかげだろうがなかろうが、1位になるというのはうれしい。
わぁーい。
SPITZの時代が再びやって来るのだろうか。
卒業式の日には、特別編集アルバムというものが発売されるし、それも楽しみだなぁ。
森山直太朗さんもいいし大好きだけど、SPITZにはSPITZの良さがあるし、デビューアルバムから聞き続けているだけに、やっぱSPITZ節は心地いい。
SPITZさいこー。
le 19 janvier
お年玉で電子辞書を買って以来、もともと辞書が好きということもあって、離れられなくなってしまった今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
本当に早いもので、もう年が明けてから20日が経とうとしていますね。その間、まぁ年末からいろいろありましたけども、それらは置いといて、年女の一年、笑ったり泣いたり怒ったりしながらふわふわ過ごせればいいなぁと思います。
電子辞書って、広辞苑・英和・和英・仏和・和仏・漢和と、いろんな辞書がひとつになってるからいいですねぇ。
スーパージャンプ機能とか便利だし。
これで、机の上が少し片付く気がする。
でも、辞書のあの紙をめくるのが良かったりもするんですが。
そんなことを思いながら、ぼんやりしていると、いきなり母が部屋にやって来て、あんたなんて、英語もできないしフランス語も中途半端だし、何の取柄もないんだから、どこにも就職なんてできないわよ。
勉強しなさいって言っても、英語も勉強しないから、今までのツケが回って来てるのよ。
っと言われる。
なんか、自転車に乗っていたら上からコントみたいにたらいが落ちてきて、え?っと気を取られている内に田んぼに転落したみたいな感じで、ただただ呆然としていると、母はそれだけ言って部屋を出ていった。
たしかに。
何か、何の取柄もないとか言い切られると、意地になって一個ぐらい探そうとしますけど、ないなぁ。
英語も、中高で嫌々詰め込んだだけだしなぁ。
部屋中がどんよりしてきた頃、インターホンが鳴って、近所の一つ年下の女の子がやって来た。
そうだ、約束してたんだった。
ということで、もやもやした頭上のものを急いで何とか追い払って、用意していたフランス語の小型辞書と、ガイドブックとパリの地図を持って下りる。
前日に、卒業旅行として10日間パリへ行くのだが、わからないことだらけなので、いろいろ教えて欲しいという電話がかかってきて、いろいろ質問に答えていた。
そのときに、小さい辞書と地図持って行く?
明日、家に届けとくけど・・・って言ったら、取りに来ると言われたので、じゃぁ夕方にしましょうかという話になっていたのである。
電話でも結構長々しゃべったけど、彼女と話すのは、実に10年ぶりぐらいで、交流があったはずの小学生のときも、学年が違うので、ほとんど話した記憶がない。
でも、そういうことは、大きくなってしまえば全然関係ない。
どこどこに行く予定なのかってことを、まず聞いて、それがどのような感じなのかを大まかに話す。
あと、ここはホテルから歩いていけると思うし、歩くの楽しいよ、とか。
初めての海外で初めてのフランスだけど、10日間ひたすら自由行動で、朝食以外は自分たちでお店に入ったりして食べるということもあって、とりあえず、不安だらけのようだった。
第二外語でフラ語をかじったものの、もう忘れてしまったし、メトロの切符は買えるのだろうか?
フランス人はフランス語以外はしゃべってくれないのだろうか?
メニューはわかるのだろうか?
自動販売機はあるのだろうか?治安は悪いのだろうか?
フランス人は怖いのだろうか?タクシーはフランスでは何と表示されているのだろうか?
タクシーは安全なのだろうか?
本当にメトロを使っても大丈夫なのだろうか?
雑貨はどこにいけば売っているのだろうか?
ブランド物を日本人に売ってくれないというのは本当だろうか?
トラベラーズチェックはある方がいいのだろうか?
日本食が恋しくなったらどうすればいいのだろうか?
チップは必要なのだろうか?今、寒いのだろうか?
テロは大丈夫だろうか?
一度ぐらいコースで食べてみたいけど、それは可能だろうか?
などなど、そういった不安プラス、シャルルドゴール以前に関空もどうなっているのかわからないし、一緒に行く友だちが、一日どうしてもベルギーへ行きたい、国をまたぎたいと言ってきかないので、その日は別行動を取ることにしたということなど、とにかく、出発が近づいてきて、不安で押しつぶされそうな感じだった。
テロのことは、私にはわからなかったけど、わかることには丁寧に答えていった。
そういった質問が一通り終わったあと、10日間友だちと二人で旅行するということの不安を彼女が口にしたので、
二人で旅行に行ってもめるというのはよくあることだよ、となだめつつ、仲良し度について聞いてみた。
その友だちは、彼女に比べるとかなり融通の利く人で、何事にも物怖じせず冒険好きで、時間にはややルーズなところがあり、普段から、彼女は言いたいことを言えず心の中にしまっておくということがあるそうだ。
でも、その友だちがいなかったら、10日間フランスで自由行動なんてありえなかったし、だから、意見が食い違ってもできるだけ我慢しようと思っている・・・と。
私は、うんうんと頷きながら、でも、やっぱり言いたいことも言った方がいいよ、と付け足してみた。
我慢しすぎて具合悪くなっても困るし、せっかくフランスまで行くのに、自分の見たいものとかが見られなかったら嫌じゃない?って。
もしかしたら、「じゃぁ、別行動にしよう。」って言われるかもしれないけど、ホテルの住所持ってれば帰れるよ、地図もあるしって。
あるんですよね。
普段、気が合う二人で旅行に行っても、見たいものとか食べたいものが違っちゃうってこと。
あと、女の子でパリだと、ブランド物が買いたい人と雑貨やアクセサリーが買いたい人がいて、両方興味あったらあんまり問題ないんですけど、どっちか一方にだけ興味がある場合だったら、興味ない買い物に付き合うのとか疲れるし、時間ももったいないと思ってしまうんですよね。
我慢して嫌々付き合って、疲れてきて、いつの間にか嫌な空気が流れる。
まぁ、私自身が、どっちかというと、言い出せずに我慢して合わせちゃう方なので、あれなんですが、どうせなら、最初っから我慢しない方がいいんですよ。
それから、美術館を、二人一緒に見学するというのは無理ですね。
人によって、好みも、歩くスピードも違うし、すっごく惹かれたら立ち止まってしまう。立ち止まって、もっとその絵の前にいたいのに、相手に合わせるために、その場を去らなければならないなんて・・・。
だから、ルーヴルなら、わかりやすいピラミッドの所とか、そういう場所と時間を決めて、美術館の中での別行動をオススメしておいた。
その他、必要そうな台詞や単語はメモっておいて持ち歩くってことや、胃腸も肌も弱いなら飲み水は買った方がいいってこと、持ち物からは目を離さないことなどを伝えた。
そんな感じに、うちの親が入れてくれたコーヒーを飲みながらいろんな話をして、地図と辞書とガイドブック、それとオペラの近くにあって15ユーロで前菜からデザートまで食べられる上にワインもついてくるお店のカードがあったので渡した。
オペラ近辺は、彼女たちが泊まるホテルから近いし、そこはメニューが日替わりだし、手ごろだし、一軒でも見つけとけば少しは安心かと思って。
話しているうちに、少しずつ想像が具体的になってきて、だんだん楽しみになってきたって言ってたのに、玄関で、気をつけていってらっしゃいって見送ったら、
「えー、なんか寂しくなってきた。はい。生きて帰ってきます。」
って言われた。
出発直前の気持ちは、複雑だー。
そういえば、その後、うちの親は両親ともいやにごきげんである。
なんだったんだろう・・・。