Q伝ミカのOL武芸帳・2004
3月11日
現役のみなさまは今日寒風の吹きつける九十九里浜へと旅立ったころだと思います。わたくしも2日後には合流します。
早く体調を戻さなくてはいけません。
3月8日
体調悪し。
まじやばい。
身体はだるいし、老廃物はどかどか出てくるし、肺の奥から嫌な感じの咳が出てくるし。日記は書こうと思っていても書けないし。
これも最近邪悪なことばかり考えていたせいだろうか???
体調の良い時と悪い時でもどちらも自分に変わりはない、と思っていても出てくるアウトプットは質・量ともに圧倒的に異なる。
調子のよくないときのアウトプットが本来の能力の限界なんて決して思われたくはない。
3月7日
日曜日。
職場の上司のおじさんから「今のうちにスタインベックの『怒りの葡萄』を読んでいたほうがいい」というようなことを言われていたし、春になったので春用のコートも欲しいし、ということもあるので渋谷にお買い物に出かける。
でも、ブックファーストに行ったら「『怒りの葡萄』の在庫はちょうど切れてしまっています。」と言われてしまい、ついでに春用のコートもかわいいのが見つからなかったので本来買うべきものは買わずに今月の新潮文庫で再度出版された
田口ランディさんの「できればムカつかずに生きたい」を買って帰る。
この本を読んでみると、やはり凄い。
考えてる事がちょうどわたくしの興味を持っていることとシンクロしていたり
ランディさんのお兄さんと同様の痛い言動を自分自身も繰り返したりしているという面もあるけれども、まだわたくしはランディさんのように自分の内面をしっかりと見据えた文章が書けない。悔しい。
3月6日
土曜日なのでお稽古の日。
本当はちゃんとお稽古に行きたかったのだけど(春合宿の直前だし)、二日酔いに加えて妙に身体がだるかったので夕方の6時近くになるまで起き上がれなかった。でもそれではいけないと思い、食料の買い出しに出かける。
で、それ以外は特筆するべきこともないので例によって二重かぎかっこつきのテキストでも書いておきます。なので興味ない人は飛ばしてください。
『知識人に対する幻想というのは私にも無いわけではなかったのです。しかし長すぎる大学生活の間に見たものは、世間から知識人と思われているはずの人間が自らの果たすべき役割を放棄して小さなムラ社会の政治的闘争に終始し、知の絶対的権威として独善的に振舞う姿でした。
ちょうど手元にある新潮文庫の「二十歳のころ T
1937〜1958」の鶴見俊輔氏のインタビューの中に次のような文章があります。
(蛇足ですが、鶴見俊輔氏にインタビューをして文章をまとめたのは立花隆ゼミにいたわたくしの知り合いなのです。)
「戦中から戦後にかけて見かけ上日本の状況は大きく変化したけど、論理の形態は同じなんだよ。正しいものはこれだ、と上からぎゅうっと押しつけてくる。コミンテルンは無謬の正しい思想だと考えて、延々とその応用で全部のことを考える。それと、国体は至上無欠で上官の命令は絶対だって考えること。左翼も右翼も似ている。
私は、まず不良少年として学校から外れてしまった。戦争中は海軍の隅っこで、日本では得られない情報をもとに新聞を作っていた。そのポジションから見たら、変わらない論理をずっと踏襲していられる知識人たちは侮蔑の対象だったね。それは今も一貫している。(....「二十歳のころ
T 1937〜1958」 新潮社 立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ著 p101より)」
“専門家とは「自分の判定力の不確かさについて、非専門家よりも、厳しくかつ徹底的な反省を行う」人々であるという”のが本来あるべき姿なのですが、知識人の中には「天皇」であれ「マルクス主義」であれ「アメリカ式民主主義」であれ、無謬の正しい思想にリンクしている自分の判定力は絶対だと考える人間もいるようです。そして自らの思想もまた絶対であると考え、正しいものはこれだ、と上からぎゅうっと押しつけたり自分の思想のコピー体を量産したりする。
もっと書きたいことはあるのですが、こういう文章を書いていると体内に瘴気が蓄積していくようでもあるのでこのあたりでやめておきます。
ついでに私は原則的には「反知性主義」でも「反アメリカ式民主主義」でもありません。上記のような考え方を持つにいたったのは単なる私怨です。
それから「死者」と「死体」の違いですが、私たちが死者に向かってどこに向かって呼びかけるのかということを考えれば死者がどのように存在しているのかということがおのずから見えてくるのではないかと思います。
けっこう長くなりました。それではまたということで。』
3月5日
業務が終わった時の(午後6:20くらい)内田先生のホームページのカウンターの数は「999812」だった。シグマリオンUがかなり欲しかったりしたのでつい200回近くホームページをリロードして100万のキリ番をゲットしようかという衝動に駆られたけれど、それも大人げ無い行為なので泣く泣く素直に退社することにした。
今日は職場の新人歓迎会にちょっとだけ顔を出した後“マーベラスちゃん”の誕生日祝いのプレゼントを渡すために笹塚に行って、ついでに前々から食べたかった豚しゃぶのお店でお食事をする予定になっている。
おそらくこのどちらかで飲み食いをしている間に、誰かが100万のキリ番をゲットすることになるのだろう。
多くの人に文章を読まれるということは必ずしも良い事をもたらすというわけではない。
文章の意図をちゃんと理解し、適切な反応をしてくれるような「良き読者」だけではなく、人々がある程度その思想を承認した人間に対して論争を吹っかけることで自分の立ち位置を確認しようとしたり、あるいは自分以外の人間が世間の人々に対してその思想を承認されたことに対して激しく嫉妬して執拗に攻撃を仕掛けてくるような「悪しき読者」にも読まれてしまう可能性が出てきてしまう。
でも、それでもやはりホームページを見た人間が延べ100万人を突破したということはやはり「おめでとうございます」と素直に言いたいイベントですし、「悪しき読者」の瘴気に感染することなく内田先生には日記の連載は何とか続けていってほしいとわたくしは思ってしまうのでした。
・・・・・・で、今日の出来事に話を戻すと、笹塚の豚しゃぶのお店で超絶マシンガントークをしている際に“マーベラスちゃん”がこの日記を読んでくれていたことを知ってほっとしたりする。
その他、超絶マシンガントークの対象ははあらゆる分野にまで及び相当盛り上がったのでまた終電を逃してしまいそうになった。(でも今日は何とか間に合いました。)職場の新人歓迎会のお店の「カレイのカルパッチョ」も、豚しゃぶのお店の「豚しゃぶ」と「特製スペアリブ」も大変おいしかったですし、とても楽しかったです、はい☆
3月3日
ひなまつりの日。
ミニモニ風に言えば「ひなまちゅりの日」。
とはいっても何も特筆すべき出来事はありませぬ。
そういえば最近一人暮らしのお姉さんが玄関先や机の上に置くようなミニおひなさまを買うのが流行っているという話を聞いたことがある。
やはり普段は意識しないようにしているけど、一応は未婚の女子であるので、ひなまつりにお雛さまなどを飾らないということはただでさえ遅そうな婚期をさらに遅くしてしまいそうだというような危機感をわたくし以外のお姉さま方も持っているのだろうか、なんて思ったりする。
3月2日
朝の3時に目が覚めてしまったので、しょうがないから日記のリライトをして、職場に行ってからも相当根を詰めて作業を行い、昼休みにもメールを3通書いた後インターネットにずーっとかじりつき、午後からも相当根を詰めて作業を行、(今週の作業量のノルマが相当膨大なので。)、終業時間後のお休みにもインターネットにずーっとかじりつき、家に帰ってからも携帯からインターネットをチェックする......という生活をしていたら、さすがに情報のオーバーロード現象が発生し、しばらくネットを見たくなくなってしまった。
ということで今日は久しぶりに早く寝る。
たまにはこういう日もある。
3月1日
今年ももう3月になってしまった。
春になったということで、職場のマシンのディスプレイの背景が「凍りつく森」の画像だったのを「桜の花の咲く島と春の海」の3D画像へと模様替えする。とはいっても、今日は昼間にみぞれが降るようなとてもとても寒い一日。
だけど、ディスプレイの中だけではちゃんと春の到来を感じている。
ところで、わたくしはある人が強く私のことを呼ぶ声を聞いてしまった。
ちょっと前に内田先生が「レヴィナス老師の本を初めて読んだ時に、私は誰かから呼ばれているような声を聞いてしまった」というような内容のことを書いていたのを記憶しているけど、自分の身にもそういうことが起こるとは思わなかった。
そろそろちゃんと覚醒しなくてはいけない。そして戦わなくては。
こういう感じのことを書いてしまうと統合失調症に罹患した人のように思われるかもしれないけれど、どうやらわたくしには人生を賭してやらなくてはならないことがあるようだ、と思う。
2月29日
4年に1回しかこない貴重な日。
でも、まりりんちゃんの入学祝いの品を探しに池袋を足を棒にして歩き回ったのと、その帰りににちょっとだけインターネットも出来る漫画喫茶に立ち寄った後は至って普通に日記のリライトをしたり長風呂をしたりテレビを見たりして過ごす。
時々通っているインターネットも出来る漫画喫茶は、ちょっとだけ行かない間に席が個室に改装されていてかなり映画「マトリックス」に描かれていた人間の入ったカプセルが無数に並んだ状態に近づいてきている。
これでネットゲームにどっぷりはまってしまって、一日に十数時間を個室の中でヴァーチャル・リアリティを相手にして過ごし、栄養補給も点滴で行うとしたら、「マトリックス」に出てくる人間の入ったカプセルの中の人とほとんど変わらない生活パターンになるんじゃないかなあ、とか変なことを想像してみた。
2月28日
今日は2週間ぶりにお稽古に行ってきた。
駒場キャンパスのバレーボールコートの横に生えている梅の花が咲いているのを見るとさすがに「ああ、春が来たんだな」ということを感じる。
ついでに、植え込みのの沈丁花のむせ返るような香りを嗅いだときにも。
今までは春というのは別れの季節でもあるし、病状が悪化する時期でもあったのであまり好きではなかったけれど、今年は素直に春を迎えることが出来そうな気がした。
今日のお稽古では、最初は諸手取りを普通にさくさくとやっていたのだけど
9時をまわったくらいの時間帯にに多田先生がいらっしゃって、そこから後は二人掛けや半身半立ちの一教を練習した。いつものように道場の人口密度は恐ろしく限界に近いので、二人掛けの技をかける度に受け手を誰かにぶつけてしまわないかと毎回冷や汗ものだったのだけど、よくよく考えてみればこれも自分の身体感覚を外側に大きく広げるための修行の一環なのだなということに気がついた。
その後は所用で駒場野公園に立ち寄ったり、CDを買ったりした後に家に帰る。
2月27日
スカートのウエスト周りがきっついなーと思いつつも、強引にスカートのホックを力技でかけて職場に行ったら、大きく1回くしゃみをした瞬間にホックが「ぶち!!!」という大きな音がしてスカートのホックが飛んでしまった。
そういうあんまりついていない日。
本当はいろいろとやらなくてはいけないことがいっぱいあるのだけど、昼休みに2ちゃんねるを見ているうちに以前鍵和田くんがサークルの掲示板で教えてくれた「ジョジョ立ち」のページ(これ→http://homepage2.nifty.com/kajipon/jojo.htm
)にたどり着いてしまい、以前見たときには無かった写真などを見ていたら昼休みが終わってしまっていた。
あーあーあ。
「ジョジョ立ち」というのは、ジャンプに17年間連載され続けている漫画「ジョジョの奇妙な冒険」のキャラクターが単行本の表紙などで現実ではありえないポーズをしているのを生身の人間が、集団で再現してみようではないかという企画なのです。でもこれがけっこうおもしろかったりする。(たぶん「ジョジョの奇妙な冒険」を全部読んだことのない人でも。)イタリアの漫画おたくの人々が運営している掲示板でも大ウケだったらしい。身体の持つ力というのはやはりけっこうすごいのかもしれない。
2月26日
今日の出来事とは関係ないのですがちょっと文章が少ない気がするので独り言を羅列することにします。
『身体=世界であり、自分が認識しているもの=世界、と考えるような実存主義的な考え方は現代思想の流れの中では既に超克された感もあるのですが、それでも世界・宇宙がマクロコスモスとして成り立っているのと同様に一人一人の身体も計り知れない可能性を持つミクロコスモスとして存在しているのだというような話はどこかで聞いたことがあります。脳というものは簡単に狂ったり暴走したりすることが可能ですが、一見鈍重である身体は、世界と同様に「宇宙を成り立たせている法則」に従って成り立っているためそう簡単には狂ったり暴走したりはしません。その事実が身体の最低限の倫理性を担保しているように思います。
生と死の境は「存在するとは別の仕方で」存在する、ということを以前内田先生が日記に書かれていました。とはいっても物質的な面でははエントロピーの法則がそう伝えるように、生あるものを死の状態に移行させることは可能であるけれども死んでいるものを生の状態に移行させるというのはきわめて困難であるように見えます。だからこそ武道に係わる人々は生命の力を無の状態に拡散させる方向に使わないように、またはそういう言葉遣いをしないように常日頃から心掛けなくてはいけないということを多田先生はよくおっしゃっていたようにわたくしは思います。
酸素・水素・炭素・窒素で構成された物体がどうして生命をもつに至ったのか???とかこのようにして生命を持っているということがどういう意味を持つのか???ということに思いを馳せる事が出来ればそう簡単に「死ぬ」とか「殺す」とかということを簡単に口にすることはできないようにも私には思われるのですが、それでも近年リストカットや練炭自殺というようなものが世の中に流行してしまうのは1つの時代の行き詰まりの表れなのかもしれません。でも貴方はきちんと生命を大切にしてください。』
2月25日
ズームインSUPERのニュースや2ちゃんねるのニュース速報+のスレッドなどで、「日本の高校生は男らしさ・女らしさを肯定する意見が他国の高校生と比較すると際立って低い」「日本の高校生は規範意識が他国の高校生と比較すると際立って低い」「日本の高校生は自分に対する満足度が他国の高校生と比較すると際立って低い」ということが言われていたので、そのソースとなっている調査結果を力技でネットで検索をかけて調べてみた。
その調査結果がおいてあるページは一応ここです→
http://www1.odn.ne.jp/youth-study/index.htm
一応は社会人であることのの悲しさ
、というのがあって単純集計の結果をじっくりと吟味するほどの時間が取れないのですが(働き始めたから気づいたのだけど、学生と比べると本を読んだり時間は泣きたいくらいに取れない。)
それでも集計結果にがーっと目を通した感想をここに書いておくと、
「戦後民主主義の思想やフェミニズムの思想が浸透しすぎるくらいに浸透してしまったのね。(健全な社会を構成することが難しいくらいに)」
ということになるのでしょうか。
ちょうど新渡戸稲造の「武士道」の単行本を読み終わったところなのだけどここに書かれているような日本人の道徳観・倫理観というのは戦後50年間で綺麗さっぱりと無くなってしまったのかなあ、と思ったりした。
2月23日
おうちのパソコンで気錬会の春合宿アンケートなどをさくさく作成する。
できればちゃんと読んだ人が笑えるような回答にしようと思ったけれど、あんまり時間が無かったので普通に答えてしまった。
いろいろとコメントを考えながら、一年間というのものは結構短いものだなと感じる。
でも、一方ではこの一年間が果てしない長さに感じられた人もいるんだろうなと思うと、結構感慨深いものがある。
とりあえず、今度の春合宿で交代となる幹部の皆様、お疲れ様です。
2月22日
2並びの日。(2並びの日は、マリナーズから横浜に戻ってきた佐々木投手の誕生日なのだそうです。)
今日はとても風が強い。もうすぐ春なのかも。
といっても特に何かをするわけでもなく、食料の買出しとか日記の文章の書き直しなどを行う。
アメリカの政治の強さというのは、大統領およびその下の官僚が「取り替え可能である」というところにあるのは、わたくしもそんなに異論のあるところではない。しかし、ジョージ・W・ブッシュのような人物に国家の最高権力が渡ってしまう可能性を想定していた人はやっぱり少ないのではないか???とも思ってしまう。
マイケル・ムーア氏の書いた「バカでマヌケなアメリカ白人」の内容を鵜呑みにすると「ジョージ・W・ブッシュは、大統領選挙で不正な行為を繰り返して当選したのであり(フロリダ州で使われたパンチカード式投票用紙というのも、ブッシュを当選させるための陰謀のために開発されたというらしい)正当な民主主義の手続きを踏んで大統領になったのではない」らしい。次回の大統領選挙でブッシュが再選されるか否かがアメリカの民主主義が正常に機能しているかどうかの試金石になってしまう、ということなのか。
ある人に向けての追伸:
風邪をひいてしまったせいか書こうと思ったのに書き残したことがらが結構あります。「統一された人格・ペルソナについての話」とか、いろいろと。早く風邪を治したいところです。
2月20日
風邪の症状は困ったことにまだ止まらない。
仕事の帰りにちょっとだけ市ヶ谷駅前の本屋さんに寄り道して、いろんな本をパラパラとめくっていたら、次のような一節を見つけてしまった。目からうろこ状の物体がばりばりと落ちてしまった。
1960年代前半にある著名な経済評論家がその著書の中で、「非常識に聞こえるのかもしれないが、これからの時代は借金をして家を購入したほうがよい」ということを初めて説いていた。それまでの日本では借金をして家を購入するということは非常識だった。それが30年経過するとローンを組んで家を購入することが常識であることを疑う人はいなくなってしまった。ある不動産屋が私に向かって「良い掘り出し物の物件があるのですが、購入しませんか?」と言ってきたが、私は断った。ローンを組んで家を購入するという行為は、(経済が急激に成長しているような)ある一時期についてはは常識的な行為かもしれないが、これは所詮特定のある一時期についてのみの常識にしか過ぎない。ところで私は、2000年に家を購入したのだが、ローンを返済するまでに要した期間はわずか1年だ。
(本当ならば、引用をする際は本の題名・著者名・出版社名を明記しなくてはいけないなあと思うのですが本屋さんでパラパラとめくっていた本だったのでそのあたりの情報を覚えておくことを忘れてしまいました。ついでに上記の文章も脳内の記憶を頼りにして書いているので、文面が実際の文章と完全に一致しているわけではありません。でもこのテキストはしょせん『日記』なのでわたくしはだいたいこういうような内容の文章を見つけました、ということで見逃してください。)
この社会に生きていると様々なことが「自明の事」としてわたくし達の目の前に現れてくる。「20歳を過ぎた女は必ず化粧をしなくてはいけない」とか「かかってきた電話は必ず取らなくてはいけない」とか「女性はJJやnon−noのような女性誌を読むのが当たり前」とか「やはり女性は結婚するのが当然だから」とかその他いろいろな「当たり前のこと」がわたくしたちを押しつぶしにかかってくる。
でもそのような「自明の事」の多くが所詮特定のある一時期についてのみの常識にしか過ぎない。けれどそれらの「自明の事」は自分が「自明の事」である正にそのこと自体を理由に人間の思想や人生そのものに大きな影響を及ぼしてしまう。
だから、わたくしは「自明の事」の「外に立つ」ことができるようなクリアカットな視点と脳みそが欲しいなあ......と切実に思ったりする。
2月19日
まだ鼻水・寒気などなどの風邪の症状がとれない。
ついでにインターネットのし過ぎのせいなのか、何だか目が痛い。
今日は木曜日なので、「エースをねらえ!」と「白い巨塔」を見る。
財前教授はお金にも美人の奥様にも恵まれ、権力の階段を一歩一歩上がっているようにも見えるのだけど、少しづつ自分の首を絞めているということに気づいていないんだろうか。権力・金銭・名誉・地位と引き替えに人間として一番大切なものを失っていること、さらには自分の身近にいる人間の心が少しづつ離れていってしまっていることに。
・・・・・・とはいってもこのような人物はドラマの中だけではなく実社会にいくらでもいる。そして近年ではこのようなパーソナリティの人間でも平然と高い社会的地位を保持することができるからなあ、とため息をついてみたりする。
2月16日
昨日引いてしまった風邪が治らない。
今までの20+α年の人生の中で一番といっていいくらいの怒涛の鼻水が出て止まらなくなってしまっている。
ところで、「道祖神」という言葉を手元にある広辞苑第4版で調べてみたら
道路の悪霊を防いで行人を守護する神。日本では、「さえのかみ」と集合されてきた。くなどのかみ。たむけのかみ
と記述されていて、これだけではよく分からないのでついでに「さえのかみ」の項目を調べてみると、
(イザナギノミコトがイザナミノミコトを黄泉の国に訪ね、逃げ戻った時、追いかけてきた黄泉醜女をさえぎり止めるために投げた杖から成り出た神。)邪霊の進入を防ぐ神。行路の安全を守る神。村境などに置かれ、近世にはその形から良縁・出産・夫婦円満の神ともなった。みちのかみ。道祖神。さいのかみ。
と記述されている。道祖神のフォルムが何の形に似ているかは微妙にごまかしたような書き方になっているのですが、なるほどあの形は一応はイザナギノミコトの「杖の形」ということになっているのですね。
(でもわたくしは悪い人間なので道祖神のフォルムはHP上では明記できない物体に由来しているものとばかり思っていました。品がなくてすみません。)
2月15日
今日は武道館で「古武道演武会」があって、時間と体力に余力があれば是非とも見てみたいと思っていたところだけど、ついに風邪の症状が激しく出て一日中悪寒と発熱が止まらないので、一日中寝込んでしまった。悲しい。
2月14日
大昔にローマ帝国の司教聖ヴァレンティヌスが殉教したと言われている日。
ヨーロッパではこの日には男女の双方が贈り物をする日となっていて、贈るものも別にチョコレートと決まっているわけではないらしい。ではどうして日本では女子が男子に対してチョコレートを贈る日になったのか???というと1960年代にメリーかモロゾフのどちらかの会社がチョコレートの販売促進のために「2月14日には好きな男性にチョコレートを贈って愛の告白をしましょう」というキャンペーンを行って、それが定着して現在に至っている、ということらしい。
前置きだけが長くなってしまいましたが、午前中の記述は省略することにします。うふふふふ。
その後、午後からまりりんちゃんと待ち合わせをして、「建国記念の日を祝う会」を行う。
最初に下北沢のカラオケ館で3時間カラオケをし、そのあと下北沢のステーキハウス「テキサス」でステーキを頂く。
「テキサス」の名物は肉の大きさが約500グラムある「1ポンドステーキ」とその2倍近くのボリュームがある「カウボーイステーキ」なのだけど、アメリカでBSEが発生した煽りを受けて牛肉の価格が高騰してしまったので、この2つのステーキは牛肉の価格が落ち着くまで販売中止になってしまったらしい。
しょうがないのでわたくしは肉の大きさが約225グラムの「ハーフパウンドステーキ」を粛々と食しながら、まりりんちゃんから「もうすぐ会社を辞めるのにアメリカ出張つきの仕事を押し付けられてくやしい」とか「部下のお兄さんがあまりにも仕事ができなくて飛行機の手配すらちゃんとできない」という話を聞く。ついでに生ビールの中ジョッキも空ける。
その後、渋谷に場所移動してまりりんちゃんが東急東横店でマーベラスちゃんへの誕生日プレゼントとメリーのチョコレートを買うのに付き添った後、8年前の建国記念の日に「某重大事件」が発生した「ばらくーだ」というお店のあったビルの跡地にある「ZARU」というお店でぱかぱか飲む。
スパークリングワインやカクテル・サワー・焼酎のロックを大量に消費しながらちょっと公表できないような話をいっぱいする。
そして例によって終電近くまで飲み倒して帰る。扁桃腺が痛くなって非常にやばい。
2月12日
木曜日なので「エースをねらえ!」と「白い巨塔」の放送日。
「白い巨塔」は第2部から見始めたけれど、一度見てしまったら止まらなくなってしまった。ので日記の文章を更新したり業務に必要な本を読んだりするのが少々おろそかになってしまっている。どうしよう。
ところで、2ちゃんねるで「長野県の小学4年生に学力調査を行ったところ、約39%の小学4年生が80×40という問題に間違えて解答した」というスレッドを読んだ。
これもまた日本社会に目に見えない形で発生している二極分化の一端であるかもしれない。
一方では「お受験」をするために幼児の時期から詰め込み教育をさせられているお子様がいてもう一方では基本的計算すら覚束ないお子様がいる。
生まれた時まで遡ると、一方では10代の(そして2ちゃんねらーに「DQN」と呼ばれる階級に属している)母親を持つお子様と、高学歴かつ晩婚で初子を妊娠した時には既に40才前後になってしまっている母親のお子様が存在する。
このことが何を意味するのか???とか10年後の日本社会はどんな感じに変化してしまうのだろうか???とかいうことをきちんと調査したり日本社会の成員に対してアナウンスメントしたりする義務のある人が存在するはずなのに、そういう人々は怠慢を決め込んでいるのでこういう情報に対するアナウンスメントはほとんどされない。(村上龍のような僅かな例外を除いて。)
だから、このことに対するささやかな防御策として、いろいろと情報を集めてみたり本を読んでみたりする。若者に属する世代の人間の目を塞ごうとする何者かに絡め捕られたりしないように。
2月11日
建国記念の日。
(思想が右寄りの人は今日のことを紀元節とも云う。)
去年まで建国記念の日にはまりりんちゃんと「建国記念の日を祝う会」という、8年前のあまり日記に公表したくない忌まわしい出来事を記念する催しを開いていたのだけど、今年は「翌日に仕事があるとお酒が目いっぱい飲めないじゃない☆」ということなので「建国記念の日を祝う会」は14日の土曜日に開催することにした。
というわけで今日は物体の仕込みを行う。
物体の仕込みといっても原料から作るわけではなく、ただ単に材料を買ってきて溶かして型に流して固めるだけである。
でも、これだけの作業なのにうっかりしていると結構失敗する。
物体は極端に水を嫌うので、使用する道具は丁寧に洗った後に完全に乾かさないといけない。少しでも水分が混ざってしまうと表面に粉が吹いてしまう。
それに、物体は熱を加えすぎてもいけないので、繊細な温度管理も必要とされる。よく言われることとしては、最初に33℃まで温めて液体状にした後、よく外気と混ぜ合わせ、その後に一度物体が凝固する寸前の28℃まで物体の温度を下げ、最後に再び30℃まで温めて入念に練りこむと物体は金属状の光沢を放つようになる。
そして、30℃まで温めて入念に練りこんだ物体を型に流し込んで冷やして固めれば一応出来上がり、ということになる。
しかし物体の仕込みを行ったのは4、5年ぶりくらいなので普通の固さの物体はちゃんとできたけど、柔らかいほうの物体は冷やす時に少々温度を下げすぎてしまったので少々粒子がざらついたような感じになってしまった。
(味見をしてみた結果、味のほうはそんなに問題ないなくできていたけど。)
それと、物体の仕込みを行うまではまあ簡単だけど、これを目的地まで届けるのが一苦労なんだよなあ。。。と遠い目をしながら考えるのだった。
物体の仕込みが完了した時点でまだ3時ちょっと過ぎだったので、久しぶりに土曜日以外の日にお稽古に行くことにした。今日はものすごく久しぶりに体調がちゃんとしてたのでがしがしとお稽古をすることが出来た。
2月10日
とうとう明日で吉野家の牛丼販売が全国的に休止になる。
わたくしの個人的見解としては、吉野家の牛丼に使われている牛バラ肉のパサついた感じがあまり好きではないので、牛丼の販売が休止されてしまってもそんなに寂しいとは思わないのだけど、(それよりセブンイレブンやファミリーマートの牛カルビ弁当が豚カルビ弁当になってしまったことの方がわたくしにとってはよっぽど重大な問題)2ちゃんねるの書き込みや世の中の出版物の内容から判断するに、世間では吉野家に週4日以上通い詰めてしまうほどのヘビーユーザーが相当数いるらしいのでそういう人にとっては大変な問題なのだろう。
そういうわけでわたくしも人々に流されて「ザ・ラスト牛丼」を食べるためにものすごく久しぶりに吉野家に行ってみる事にした。
牛丼販売休止前夜の吉野家は、混んでいた。
週7日以上吉野家に通い詰めていたような常連さんのほかにも、わたくしのように明日で吉野家の牛丼販売が休止になるから食べにきたような人々が大勢いたせいで、常に席は満席で食べている人の後ろに順番待ちの人が立っているような状態だった。
このような状態を見て、わたくしの右隣に座っていた中村獅童似の金髪のお兄さんがお仲間に対して「日本人てバカだよな・・・・・・。でもこういうことを言っている俺もその1人なんだよな・・・・・・」と言っていた。その言葉にはわたくしも同感だ。
いろいろ考えてたりするうちに、わたくしのところに牛丼が運ばれてきた。
最後の牛丼だからと言って特においしいというわけではない。そもそも、吉野家の牛丼を心底からおいしいと思って食べている人は少ないのではないかと思う。でも、「半年前に日本国内の牛丼チェーン店から牛丼が消えてしまうなんて誰が想像しただろう???」と思いながらパサついた牛肉を噛みしめると
感慨深い味がした。
2月9日
内田先生の2月7日付けの日記の内容を深読みして考えると、「倫理的でない人というのは、自分がマジョリティに属していることを自明のこととしている」という命題も導き出すことができるかもしれないと思った。
(自分で書いててちょっとブルーが入ってきてしまった。)
しかし、よくよく思い返せば「いじめ」でも「虐待」でも「ドメスティックバイオレンス」でも加害者側が被害者側に対して絶対的に力を行使できると認識しているからこそ、もしかしたら自分が被害者になる可能性があるかもしれないことを吟味することなく感情のままに怒鳴りつけたりとか殴りつけたりとか精神的にダメージを与えたりとかすることができるのだろう。
でも、そんな風に理性で統御されることなく感情に支配されて行動するのは人間ではなくて獣だよ。というコンセンサスがちょっと前まであったはずなのに最近は感情の趣くままに行動するのがよろしいというという風潮さえ存在するのは(若者だけではなく結構年配の人にさえもあるように見える)すごく危険な状態であるような気がする。
・・・・・・こういうようなことを考えてるとさらにブルーが加速していったので気分転換にテレビをつけて「あいのり」を見ることにする。
最初はお友達との会話についていくためにわざわざ「あいのり」を見るようにしていて、他人の恋愛がどーのこーのをいうのを外から眺めることのどこが楽しいんだろう???というように思っていたけど、長い間見ていくうちに、
「そうか、最近の人々は現実の世界で恋愛したり、その過程で傷ついたり、でもそれを克服していくことで人として成長したりというような経験を欠いているから他人がテレビ番組で恋愛するのを外から眺めているんだ」ということに気がついた。
2月8日
Air H"で2ちゃんねるや内田先生のホームページもある程度(テキストのみであまり容量が重くないページなら)見ることができてしまうということを発見してしまい、ずっとAir H"の端末で遊んでしまう。
常時接続というのは凄く便利ではあるけれど、これではいろいろやるべき事ができなくなってしまうとちょっと心配。
いろいろ書きたいことがあるけれど、明日以降に後回しにする。
(時間がないので。)
2月7日
土曜日なので本当はお稽古のある日。
だけどこのところ炬燵で温まりながら日記の文章を書いていて、そのまま突っ伏して寝てしまい気がついたら朝になってしまったことが何度かあったので微妙に体調を崩したらしく、今日朝起きたら扁桃腺が痛い。
扁桃腺が痛いのはわたくしにとって風邪の前兆である。
なので、今日は大事を取って一日中寝ていることにする。
来週はちゃんとお稽古に行こうと思う。
2月6日
いつものようにお昼休みにインターネットをさくさくと閲覧しているとものすごい事件を2つ発見してしまったので書いておくことにする。
1つ目は、「シアトル在住のアメリカ人男子が、新潟大学工学部に在籍する女子のホームページをたまたま見て彼女に会いたいと思い、わざわざシアトルから飛行機・列車等を乗り継いで新潟までやってきて、新潟大学の校舎に立てこもり、『○○さんに会わせろ!!!』と主張した」という事件。
インターネットはまあ一応「世界とつながっている」ことになっているのだけど、こういう事件が起こりうるとはだれも想像していなかったのではないかなあと。
2つ目は、「先日京都で強盗事件を起こした中学2年生の犯行動機は、大麻やMDMAを買う金が欲しかったからであり、犯人の中学生はこれらの麻薬類を買うために月20万円を使っていた」というニュース。
「最近の子供たちがおかしくなっている」という言葉で表現される事件はあまりにも多すぎて少しのことでは驚かなくなってしまっているけれど、さすがに中学生の麻薬中毒者がついに日本に現れたとなると驚く。
日本社会は一見分からないけれども少しずつ蝕まれ始め、さらに下層階級が徐々に形成されつつあるのに、そのことをマスコミ等は決してアナウンスしない。
そしてそのことがどれだけ日本社会に害を及ぼすかということも。
2月5日
木曜日なので今日は「エースをねらえ!」の放送日。
「エースをねらえ!」は今回のクールでまりりんちゃんの一押しのドラマなので勧められてみているけど、これは想像以上に面白い。
上戸彩のウィンドブレーカー姿がすごくかわいい。
話が前後してしまうけれど、今朝の「ズームイン!SUPER」の中で最近巷では女子高生の間で「ギャル文字」なるものが流行っているのだというニュースがあった。
その「ギャル文字」なるものは、携帯でメールを送る時に使う文字のことで例えば「あやしい」を「ぁゃιぃ」と書いてみたりとか(注:わたくしは下付き文字を使って書いているわけではありません)「でんわ」を「τ゛ωわ」と書いてみたりとか「終了しました」を「糸冬了ιまιナニ」と書いてみたりとか
ある文字を形の似ている文字に置き換えてみたり、複数の文字で1つの文字を表したりする文字の書き方、らしい。
しかしこの「ギャル文字」の書き方は2ちゃんねるで「クサチュー変換」と呼ばれている文字の記載方法に酷似しており、「ギャル文字」の書き方を考案したのはギャルではなく2ちゃんねらーである可能性が高いのではないかと思う。(2ちゃんねるの書き込みから判断する限り他にもそう思っている人が何人もいるらしい。)
もしこの文字の記載方法を考案したのがギャルではなくおたくなお兄さんだとしたら、テレビ局は「若者の感性を生かした文字の新しい書き方」と番組内で取り上げたりしたのだろうか???などと思ったりするのであった。
(しかし今日の日記を書くために広辞苑でギリシア文字・ロシア文字の読み方を調べたりしたので結構時間がかかってしまった。やっぱりこの書き方を思いついたのはギャルではなく理科系のお兄さんであり可能性が高いよなあ。)
2月3日
節分の日。
「節分に今年の恵方を向いて太巻き寿司を笑顔を浮かべながら無言で一本食べきると幸運が訪れる」というのは今まで名古屋地区ローカルの節分行事だとわたくしは思っていたのだけど、最近は全国区の行事になってしまったのだろうか?仕事の帰りにファミリーマートに寄ったら太巻き寿司を大量に売っていたので、1本買って帰る。
今まではこういう験かつぎ系のことはあまり重要視していなかったけど、最近いろいろなことがあったので今年の恵方である東北東を向いて笑顔を浮かべながら無言で一本食べきってみる。
わたくしに係わる全ての人に幸運が訪れますように。
それと、郵便受けにAir H"の使用料金明細の紙が入っていたので詳しく見ていったら、オプションで「台湾転送サービス」を追加した分1000円基本料金に上乗せされていた。
確かに契約の際販売店のお姉さんから「台湾転送サービスをオプションでつけませんか???」と言われたときに「それって別料金なのですか???」と確認せずに「はい。」と答えてしまったわたくしの責任なのですが、それでも何か騙されてしまったような感じなのでむかつく。
2月2日
月曜日なので「あいのり」の放送日。
「あいのり」の歴代の主題歌は必ず大ヒットするというジンクスめいたものがあるのだけど、その全部が必ずしもよいお歌というわけではない。
(前回の主題歌を歌っていた"I wish"のことに話題が触れてしまうとまりりんちゃんは火がついたのごとく怒り出してしまう。まあ確かにいかにも背後に仕掛け人がいる感じの売り出し方や楽曲は、確かに売れたことは売れたけどあまり長く人の心に残るようなものではないような気がする。)
しかし現在の主題歌であるスピッツの「スターゲイザー」は、文句なくすごく心を揺さぶる部分をもつ歌だなあと思って聞いている。これなら今までの「あいのり」主題歌でもっとも傑作だと言われていたEvery
Little Thingの"fragile"を超えるかもしれない。
そういえば最近魂の入った楽曲が本当に少なくなったと感じる。
2月1日
何も予定のない一日。
なので半身浴をして老廃物を除去したりとか日記を書いたりして一日が終わる。
1月31日
朝起きたら、具合悪し。
土曜日の日記には、たいていこういう感じのことがかいてあるけれど今日は特に体内に
「どよよん」としたものが蓄積している感じがする。
それでもお稽古に行ったけれど、この「どよよん」としたものは体を動かすとよけいにひどくなってしまうらしい。のでほとんどお稽古にならず。
体の変化がそろそろ最終段階に入っているらしいので、今日はちゃんと家で休んで老廃物と瘴気を除去することに専念したほうがよかったのかもしれない、と思う。
帰りに渋谷ブックファーストに立ち寄って、話題になっていた「負け犬の遠吠え」にざっと目を通す。
一貫して、「ええ、確かに私は女としては負け犬かもしれませんが、それが何か問題でも?」というような視点で書かれているのが心地よいかも。
1月30日
やっぱり「青色LED発明に対する対価の訴訟で、裁判所が日亜化学工業に対して、200億円を元社員の中村修二氏に支払うように命じる判決を出した」というニュースは今日起こったこととして書いておいたほうがいいような気がする。
前に中村さんの著書を一通り目を通したのだけど、「高校に進学した後、中学時代の友人を呼び出して『君たちとはもう二度と付き合わない!!!』と宣言した。」というようなことを書いてあったのでおそらく性格にけっこう微妙なところのある人だったらしい。
(中村さんが「ノーベル賞確実」と言われながらも先に田中耕一さんがノーベル化学賞をもらったというのもこのあたりも少し関連しているのかもしれない)
でも、日亜化学工業の現社長という人も、中村さんに対して青色LEDを開発中には 「開発に無駄に金ばかり使いやがって。会社経営の無駄だ!!!」と言い放ったり、青色LEDを発明後には自分の息のかかった人物を開発部長につけて中村さんはその下の開発部員のままの地位にしたり、中村さんがカリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授職についた後には「青色LED関連の研究を行うのは、会社の持っている特許権の侵害だ!!!」と言って訴訟を起こしたりしたらしいので、(最初に挙げた記事の「青色LED発明に対する対価の請求訴訟」というのも、最初に会社側が中村さんに対して訴訟を起こしたのでそれに対抗するための訴訟を起こしたという側面が大きいらしい。)さらに性格に微妙なところがあった人らしい。
このことによって日本の技術者の待遇が上がればよい・・・・・・と思う半面、この事件を覚めた感じの目で見てしまうのは両者の性格にに微妙なものがあるせいなのだろうかなあ。
1月29日
以下の文章もあるお兄さんに向けての個人的なメッセージになっています。
でも、自分でも意味の良く分からない文章になってしまってます。
なので、関係なかったり興味なかったりする人は2重かぎかっこの中身の文章を読み飛ばしてください。独り言に対して独り言で返しているようなものですので。
『確かに生きている人は、「自分が生きている」をいうことをあまりにも当たり前のこととして考えてしまっていて、自分がいつか必ず死んでしまうということを意識の外側に追いやってしまっています。自分が将来いつか必ず死んでしまうということ、そして生きている人間から死者として葬り去られる日が来てしまうということを意識しながら日々生活している人は少ないでしょうね。だから自分の親しい人間が死んでしまえば悲しみ、自分と仲の良くない人間が死んでしまえば笑い、自分が激しく憎む人間は殺してしまおうと考え、死んでしまった人間に対しては蔑ろにしてもかまわないと考える。
このような行為は、生きている人間と死んでしまった人間との間には明確に超えられない壁があり、死んだ人間は二度と生き返ることがないと考えているから出来ることでしょうね。
でも、実際のところ生者/死者
の境目というのはそんなにはっきりとしたものではありません。死んだ人間はそこからいなくなったように見えたとしても死んだ人間が「死んだ」という事実の記憶は残ってしまう。そして死んだ人間の「思い」はこの世に残存してしまう。このような「死んだ」という事実の記憶や死んだ人間の「思い」は生きている人間の世界に影響し、人々の想像以上に食い荒らしてしまうものなのです。
だから生きている人間は死んだ人間を丁重に祀る、ということを行うのでしょう。
この行為は死んだ人間に対して敬意を表すと同時に、死んでしまった人間に「貴方は既に死んでいるのだ」ということを認識させ、死んだ人間が生きている人間の世界に害をなさないようにするための装置です。そして、丁重に祀られた死者は守護霊として、生きている人間を保護し、正しい方向へ導く役割を担うようになる。しかし、蔑ろにされてしまった死者というのは怨霊としてこの世の人間に害を成すようになる。このような「怨霊思想」は日本では特に強く信じられているものです。諸外国でもこのような思想があるかどうかは不勉強なものでわたくしはよく分かりません。
しかし、わたくしは人が死んだらやはり泣いてしまうかもしれません。貴方がいなくなってしまうのなら少なからずショックを受けるでしょうし、例え自分に害をなした人であっても、「死んでしまった」のだったら一抹の寂しさを感じてしまうでしょう。
こんな風に書くと、ものすごく偽善者な感じの文章になってしまいますが。
・・・けっこう長くなってしまいました。
余談ですが、M台S司はろくでもない学者なのであの人の話は鵜呑みにしないほうがよいです。わたくしが知ってるだけで、あの人の話を鵜呑みにした結果自殺した人が2人 いますし。こんなところです。それではまた。』
1月27日
休み中に職場のマシンで、2ちゃんねるの「岸和田市で中学3年生15歳の少年が、家族による虐待の結果餓死寸前になるまで放置された」という事件のスレッドと「東大工学部土木工学科の35歳の助教授が院生に対して日常的に暴言・暴行などを繰り返し、特に用も無いのに朝の8時に呼び出して、時間に遅れた際には罰金と称して10万円を徴収するなどしていた」という事件のスレッドを読んだ。
どちらの事件も、わたくしの過去の心的外傷をいたく刺激する大変嫌な事件である。
「家庭」と「大学の研究室」、この2つに共通するのはどちらも「外界の社会から隔絶した閉鎖空間であり、この空間に所属する力関係の強い側の人間が力関係の弱い側の人間に対して一方的に無制限の権力を振るうことも可能である」という点である。
普通の良識を持った人間なら、例え外界の社会に属する他者の目が届かないような場所でも、命を奪う寸前の虐待行動を行ったり明らかに一般社会では犯罪行為である行為を行ったりということをしない。
しかし現代の日本は、普通の良識やモラルを欠いた人間が平然と親になっていたり大学教授になっていたりする時代なのだろう。そしてそこを生きる弱者である「子供」や「学生」は彼らからいかに傷つけられずに生き延びていくか、ということが重要な課題となってしまっている。
非常に嫌な時代になったものだ。
ついでに補足しておくと、「家庭」も「大学の研究室」も外界の社会とリンクを張って
風通しのよい状態をキープすることは一応可能ではある。でも、外界の社会とリンクを張って風通しのよい状態にしておかなくてはいけないと考えるのは至極真っ当な親&至極真っ当な大学教官であり、頭のおかしい人間ほど外界の社会から隔絶した閉鎖空間を形成して、自分が下の人間に対して絶対的権力を振るえる状態にしておこうとする。。。
ちょっと遠い目をしながら、こんな事をぐるぐると考えてしまった。
1月26日
ものすごい貧血。
なのでほとんど仕事にならず。
日記も更新できず。
1月25日
体調がいまいち。
体が重く、何か粒子状のものが蓄積しているような感じがする。
何をするにつけても、集中力がすぐに途切れてしまう。
今日は多田塾研修会の日だったので、行こうか行くまいか少し悩んだけど結局行くことにする。
行ってみると、今日はやけに気錬会の人々が少ない。工藤くんと鍵和田君とつっちーと晴美ちゃんとわたくししかいない。
今日の稽古は、最初に呼吸法をして足捌きを軽く練習した後に、太刀取りの1教〜3教と十字投げを行った。
今日は先生が見本をなさるのを一度見ただけでは手順が頭に入らず、木剣を取る時の手を何度も右手と左手を逆に取ってしまった。ちょっと鬱になってきた。
練習が終わった後に、何か嫌な予感がしたので早々と家に帰る。
家に帰って夕食を取った後、気が遠くなってそのまま倒れこみ、気がついたら翌日の朝の4時になっていた。
やはり何か得体のしれない疲労のようなものが蓄積していたようだ。
1月24日
土曜日なのでお稽古の日。
・・・・・・だけどどうもこのところぼーっとしてしまっているので、つい身支度などなどに手間取り、家を出るのが遅くなる。
学校に着いたら、今日は多田先生がいらっしゃるのだということを聞かされた。
もっとも遅刻してはいけないときに遅刻してしまった。ショックだ。
道場をぐるぐる見回してみると、まっすーや木野くんなど、ここしばらく見かけなかった人々が何人か来ているようだった。
稽古が終わった後に、思いがけず名前を呼ばれ、多田先生から三段の免状を頂く。
女子更衣室に免状がずっと置いてあって、「いったい誰のなんだろう?早く取りにくればよいのに」と思っていたけど、そうか・・・・・・わたくしのだったのか・・・・・。
そういえば免状を頂いていなかったということをすっかり忘れてしまっていた・・・・・・。
お稽古の後に渋谷ブックファーストに立ち寄る。
文庫本売上トップ10の第7位に新渡戸稲造の「武士道」が入っていたので買い、今回の芥川賞をとった「蛇とピアス」が文芸本の棚に並んでいたので一通り目を通してみた。
それと、社会学のコーナーに小倉千賀子さんの書いた「結婚の条件」が平積みになっていた。
「ザ・フェミニズム」の書評があんまり良い感じではなかったので、ざっと目を通しただけで済ませようとしたのだけれど、読み始めたら止まらなくなってしまったので結局買ってしまった。困ったことにこの本は相当おもしろい。どうしよう。
1月23日
“マーベラスちゃん”から「ロースクールに合格しました!!!」というメールが届いたので、“おにぎりワッショイ”のアスキーアートを貼ったお祝いメールを送る。
その、私の送ったお祝いメールの返事に、
「「でつ」って10秒間見つめるとスヌーピーが見えてくるよ、っていうカキコを読んでから、「でつ」がスヌーピーに見えて仕方ない・・・」
というような内容の一文があったので、(仕事中だったけど)実際に10秒間見つめ続けてみた。
そうしたら、確かに『でつ』が顔の長いスヌーピーみたいな犬の顔に見えてきて、しかも一回犬の顔が見えてしまったら、脳内のニューロンとシナプスがそんな風に接続されてしまったのか毎回『でつ』が犬の顔に見えてきて仕方がなくなってしまった。
※アスキーアート・・・コンピューター上で文字コードのみを使用して特定のキャラクタ ーや著名人の顔を描いたりしたもの。2ちゃんねるで流行ってます。
1月21日
「社会資本」ということでちょっと思い出したことがあるのでいろいろ書いてみる。
大昔わたくしがまだ小学生〜中学生だった時代の知り合いに、「中野くん」という男の子がいて、彼は中学校の3年間常に必ずトップ3の成績をとっていたのだけれども、噂に聞くところによれば彼のお父さんは毎朝4時に起きてそれから4時間書斎に篭って勉強しその後に食事をとって会社に出勤する、ということだった。
その話を聞いた時にわたくしは、
「なるほど......父親がそれだけ毎日勉強する姿を見つづけていれば、その子供だって別に周りから『勉強しろ』と口うるさく言われなくても自然と勉強するようになるだろうなあ。それに引き換え、家には『週刊現代』『週刊ポスト』のような袋とじつき系の男性週刊誌が山積みになっている......あーあーあ......」
などということを子供心に思ったような気がする。
こういうことは、家族のまたは家庭内の何げない「習慣」の差でしか過ぎないのだけれども、この「習慣」の差が積み重なった時に「社会資本」の決定的な差異として表面化してくるののではないかな???とわたくしは思ってしまうわけで。
ブルデューの著書の中で「ハビトゥス」として定義されている概念も、こういうような「習慣」の差で決定づけられる文化的差異ではないかな、と。
でもこういう習慣の差が現段階で教養の差として顕在化したとしても、昔に比べれば人生は長いのだし、これからちゃんとした習慣を身に付けていけばいいのではないかなあ、などと私は思っているのですが、これは楽天的に過ぎる考え方なのでしょうか。。。?
あとおまけに少し思ったのは、最近の学生は中学・高校時代に勉強に専念していて、あまり無駄な本・無駄なマンガ・音楽・アニメ・ゲーム等のサブカルチャーを摂取することが少なくなったのかな???ということ。ちょっと前に誰かと話していた時にふとそんなことを思ってしまった。
1月19日
今日発売のSPA!の記事の中に、通販で有名な「ジャパネットたかた」の高田明社長にインタビューしたものがあって、その中に気になったコメントがあったので丸写しして載せておきます。
インタビュアーの「やはり社長のキャラクターがヒットの大きな要因だと思います。ご自身が実演販売に向いていると確信したのはいつ頃ですか。」という質問に対して...。
確信は今もしてないんですよ。ただ人に商品のよさを伝えるというのは、僕は結構シンプルな行為だと思っています。伝える時に自分を裸にする、本当に自分が思ってることをストレートに言う、そういうことがやっぱり必要なんだと。僕はよく恋愛に譬えるんですけど、誰かをたまらなく好きになったら、もうその人のことしか考えませんよね。自分を気に入ってもらおうと、男の人も女の人も一生懸命気持ちを伝えようとする。そういう素直になれる瞬間が「物のよさ」を伝えることにおいて大事だと思うんですよ。だから、社長自らがカラオケを歌っちゃカッコ悪いとか、テンションを上げたらカッコ悪いとか・・・
・・・、僕はぜんぜん思わないんですが(笑)。よく言葉が訛ってるとか言われるんですけど、
そういうことを僕自身が意識したら、伝わるものも伝わらない。人に何かを伝える時には
ただひとりの人間に立ち返ってみればいいんじゃないかなと思います。
・・・SPA!
1月27日号 P135「エッジな人々」より
多くの人は「社長自らがカラオケを歌っちゃカッコ悪い」「テンションを上げたらカッコ悪い」「言葉が訛っているのを直したほうがいい」などと賢しらに言う。しかし、そのあたりを他人が言うように直してしまったら高田社長のキャラクターの個性というのは消されてしまうんだろうなとも思う。とは言っても、「他人とは異なる自分だけの個性」を伝えようとしたり、それで世間様に対して勝負していったりするのは、周りからの批判の総攻撃を浴びてしまうとても辛い作業だということをわたくしは既に経験則上知ってしまっている。。。何だか考えがぐるぐるになってしまった。
でもわたくしの個人的趣味としては、本当に自分が思ってることはなるべくストレートに言ってほしいな、なんて思う。
(複雑なメッセージも一生懸命解読してるけど、分かるまでに3日くらいかかったこともあるのです。)
1月18日
おなか、それもちょうど下丹田の周辺に肉がついてしまったせいか全身の気の流れがよろしくない感じ。呼吸法を行ってもいつもより効果が少ないような気がする。
けれど「少しでも細くなりますように!!!」という祈りを込めて全身の経絡に沿って入念にマッサージを行う。
本日オンエアの「あるある大辞典」で気の特集をやっていたのだけれど、5人のあるある会員が気功師の指導のもとに2週間気功のトレーニングを行った結果冷え性が治り、体重が平均1.5〜2kg減ったという結果になったということだった。
......ということは、わたくしが「冷え性が治んない」とか「体重が減らない」とか思っているのは、修行が足りないのか、それとも体にまだ悪い気が残存しているのか。。???
1月17日
大学入試センター試験の1日目で、東京にも夕方少しだけ雪が降ったらしい。
けれども一日中寝倒していたので、その事実には少しも気づかず。
自炊する気が微塵も起こらなかったのでセブンイレブンにお弁当を買いに行ったら、「牛丼」や「牛カルビ弁当」が店頭から消えていて、似たような箱に似たような盛り付け方をしているのだけれども「豚丼」と「豚カルビ弁当」になっていた。
BSEの影響でこうして少しずつ身の回りから牛肉が消えてしまうのか。
「牛カルビ弁当」がもう食べられないのかと思うと少し悲しい。
1月16日
月窓寺道場の鏡開きがあるということなので、仕事が終わった後にATMからお金を下ろし、道着を持って吉祥寺に向かう。
そういえば吉祥寺に来たのは久しぶりなので、街の様子がかなり違って見える。
軽く道にも迷う。
月窓寺道場に着いたときにはちょうど稽古が終わったくらいの時間だった。
わたくしが道場についた時間とほぼ同時刻に雑賀さんもいらっしゃったので、挨拶をする。
これからどうすればいいんだろう。。。。。と思って廊下で不安げな感じに佇んでいるとちょうど工藤くんに出会う。
最初の1時間はお稽古で、これからの1時間が宴会になるとの事。
ものすごい大きなかばんに道着を入れてきたのに無駄になってしまった。しくしく。
その後に、井上くんとひろたかくんとつっちーとキモイマンにも遭遇する。
宴会で、お酒とおしること月窓寺道場の方が漬けてくださった漬物を頂く。
一度蒸した後に煮たおしるこが、おもちの歯ごたえを失ってなくておいしい。
1月15日
気になったニュースが3つ。
まず1つ目。
つんく♂が、「Berrys工房」という9〜12歳の小学生のグループをデビューさせるらしい。
それで、CD発売前にお披露目のイベントを行い推定20歳〜35歳くらいと思われるお兄さん方1000人が集まった、というらしい。
・・・少なくとも5、6年前までは「10才以下の女の子しか性的対象として見られない」とか「ねこみみつるぺたの女子に萌え〜」とかいう発言を成人式を迎えた後の男子が口にしていたら、容赦なく周りの人間からロリコンの烙印を押され、人非人として扱われるのが普通だったのに、いつから大の大人が幼女に対して性的欲望を抱くことを世間が容認してしまったのだろう???と思うとちょっと怖すぎ。
2つ目。
芥川賞に、19歳の綿谷りささんの「蹴りたい背中」と20歳の金原ひとみさんの「蛇にピアス」の2作品が受賞した。
もっともノミネートされた段階で20歳前後の女性が3人いたのだから、今回の芥川賞受賞は活字離れに悩みつづける出版社サイドが話題作りに若い女性に賞を取らせようとしたと考えられる。
それでも、今回の受賞を契機として今の若い世代が抱える思いとか苦しみとかを他の世代の人が理解してくれたらいいな、と思う。
ついでに、「蛇にピアス」は題名から予想されるように全身にタトゥーを彫りまくりピアスを開けまくるカップルの話、らしい。
3つ目。
今春卒業予定の大卒者の就職内定率が75.8%で、過去最低を記録したとの事。
しかしこの数値は単純に「大学卒業者の4人に1人が就職が決まってない」ということを意味しているのではなく、
(就職が決まった人)÷(就職を希望している人)
という計算式の分母から「就職活動をしていたけれど見込みが無いので途中で大学院進学に切り替えた」「就職活動をしていたけれど見込みが無いので途中で留年を決意し来年度新たにやり直すことにした」「就職活動をしていたけれど途中で精神をぶっ壊したので中断して入院することにした」「司法試験を受けることに切り替えた」「公務員試験を受けることに切り替えた」「留学することにした」etc.....というような人を引いて極力内定率の数値が高くなるようにしているので、実際のところは2ちゃんねるの就職版に書き込まれているように、早稲田・慶応の文系学部ですら内定率が2.5〜3割程度というのが実情に近いのだろうと思われる。
恐ろしい時代になったものだ。
既に、一流中学→一流高校→一流大学→一流企業というパスは最後の矢印の所でつながらなくなってしまっているのにそのことを高校生以下の子供たちにきちんとアナウンスする人は驚くほど少ない。
そして大量の「無業者」を生み出すことによって将来どんな事態が引き起こされるかを予測しようとする人も、驚くほど少ない。
私個人に出来ることは、不測の事態に備えて武道のお稽古に励むことくらいなのか.......?
おまけ。
内田先生の今日付けの日記を読んで、やはり名越先生と一度お話してみたくなった。
朝日カルチャーセンターの内田先生の講演会の時に、甲野先生の隣に座っていたグレーのサマーセーターを着た30代前半の男性が名越先生だと思われるけれど「私はホームページなどなどを見ていて名越先生のことを知っているけれど、名越先生は私のことを知らないからいきなり話し掛けると変に思われるかなあ」と思うと、ちょっと話し掛けるのがためらわれた。けれどいろいろと聞いてみたいことがある。
1月14日
全身に痒みが走って、仕事も日記の更新も全く手につかない。
今年の初めから体が微妙に変化している、ということだけは理解できるのだが目立って体重が落ちたとか筋肉のつき方が変わってきたとか体内の気の充実の仕方が変わってきたとかそういうことはまだ無い。
ただ全身がひたすら痒くて、半身浴をすると想像を絶する量の老廃物が出て、休みの日には信じられないくらいの時間寝てしまう。
1月13日
日記の書きかけのやつをおうち用マシンからフロッピーディスクに移して、それを職場のマシンに移すという原始的な方法を用いたら、どこかの段階でフロッピーディスクが壊れて、日記の書きかけが飛んでしまいショックを受ける。
本当は今日の段階で日記をまとめておこうと思っていたのに急激にやる気がなくなる。
一応家でもネットをつなげるだけの材料は全部揃っているはずなのだから、ネットワークの設定をさっさとすればよいのだと自分でも思っているけれど、やる気が起こらないんだようなあという状態になってからもう3週間も経ってしまっている。あーあーあ。
1月12日
そういえば今日は成人の日だった。
けどご飯食べた以外は本当に一日中寝倒してしまった。
(今改めて数えてみたら16時間寝てた。個人的な事情があるとはいえ、明らかに寝過ぎかも。まあこれはとある病気の後遺症だったりするんですが。)
成人の日恒例?という感じに今年もまた成人式の会場でDQNなお兄さんたちが酒に酔って大暴れして市長にクリームを塗りつけたりしたとか会場に張られた市民憲章を引きちぎったりしたらしい。
それで、成人式が荒れないようにとするために新成人を一席置きに座らせたりだとかディズニーランドのチケットの抽選会をやって当選番号を聞き逃さないように静かにさせるとか中学時代の恩師を呼ぶとかという対策が行われているらしい。
要するにここから分かることは『人間という生物は20年かそこら生きただけでは大人になるというわけではない』ということと『成人式を開催する側だって新成人なんてガキだと思って思いっきり子ども扱いしている』で、成人式という式だけは形だけ行われていても成人式を迎えたDQNなお兄さんお姉さんをどうやって真っ当な社会人にするかということはすっぽりと物の見事に抜けてたりするわけなのだろうな、て思う。
大昔だったらバンジージャンプをするとか戦争に行って初陣を飾るとかなどなどの通過儀礼があってそこで「子供」と「大人」の線引きは明確になされていたのだけど、今は下手をすると30の大台を越えてもずーっと「子供」のままで過ごしてしまう危険性もある訳で。
まあわたくし如きが「今の新成人はお子さま過ぎてとってもお話にならないです」なんて憤慨する義務も権利もないわけなのですが。
1月10日
すごく久しぶりに朝早起きして合気道をしに出かける。
すごく久しぶりなので稽古前にヴァームゼリーを飲んでドーピングしておくことを忘れてしまい、代わりにカフェインでも摂取しておこうかなと思って缶コーヒーを一本分飲んで置いたけれど、それが裏目に出て途中で半端ではなく気分が悪くなる。
けれど合気道をするのはやっぱり楽しい。のでまた懲りずに出かけるんだろうな。
1月9日
書きたいことは他にもあるのですが、けれどあるお兄さんに向けて伝えたいことがあるので、この場に書いておきます。
公的な場所にリプライを書き込むのも何だかな?って感じもしますしし。
2重かぎかっこの中身はそういう個人的なメッセージです。関係なかったり興味なかったりする人は飛ばしてください。
『コメントは一通り読みました。そしてほんの少し落ち込みました。
そこで指摘されていることはだいたい当りです。わたくしは何年か前にもう誰も好きになることも好きになられることもおそらく無いのだろうと思い、もうこれ以上人生 に何も辛い思いをすることが起こらないように、そして周りに波風を起こさないように毎日を過ごしてきたつもりでした。事態は私の理想とするところの全く逆の方向へと進んでしまったのですが。。。。。。
私が貴方のことを全部は把握していないように、貴方も私のことを全て知っているわけではない。だから時々どうして貴方はわたくしに対して興味を持つようになってしまったんだろう???と戸惑ってしまったり、わたくしの本当の所を知ってしまったとしたらきっと貴方はわたくしに対する興味を失ってしまうに違いない、と不安に駆られたりしてなかなか今現在自分の立っている場所から前に一歩足を踏み出すことができませんでした。
けれど、私は決して誰に対しても心を固く閉ざしているのではなく、強く強く求めてくれる人があればきちんと向き合っていく用意はある。それをちゃんと理解して欲しい。。。。。』
1月8日
日経のサイトに以下のような記事があったので、一応コピーアンドペーストしておきました。最近大学についての論議もけっこう活発になってるみたいですし。
S&Pが大学格付け、慶応AA・理科大AAマイナス
大手格付け会社の米スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は日本の大学を対象とした格付け事業に参入する。第一弾として慶応義塾大学と東京理科大学に格付けを付与する。慶大はダブルA、理科大はダブルAマイナスを取得した。両大学とも学校債を発行して資金調達することを検討している。
S&Pは大学の債券発行が一般化している米国で大学格付けの実績があり、日本でも資金調達手段を多様化させたい大学の需要を開拓可能と判断した。来春以降は国立大学も対象にする方針。格付けの判断は大学トップの経営能力を最重要視する。そのうえで大学を事業内容と財務体質の両面で分析し、信用力を総合的に評価する。事業面では立地条件や優秀な学生を集める競争力のほか、企業との共同研究などにより収益源を多角化しているかも判断基準にする。財務面は収支状況だけでなく、将来の設備計画なども検証する。
(14:55)
もちろんこの格付けは現在大学の改革に一生懸命になっている教官の人々の努力の成果を査定するものではなく、受験生のお兄さんお姉さんに対してどの大学で良質の教育サービスを受けることが出来るかを教えるものでもなく、学校債を購入して小銭稼ぎをたくらむ人々のために査定するものだったりするわけだけど、それでも大学の選別が無駄に加速する可能性が高いんだろうなあと思ったりするわけなのでした。
1月7日
あまり何も食べる気がしなかったのだけど、昨日スーパーで「七草がゆセット」を衝動買いしていたので、夜食に七草がゆを作る。
ご飯は以前に、残り物の冷やご飯を冷凍したものがあったのでそれを沸騰したお湯の中に入れて解凍し、七草を粗めのみじん切りにして解凍中のご飯に混ぜる。
七草がゆセットの注意書きには、「このセット1つで約5人前になります。・・・」と書いてあったため思わず「ぐげ」とも思ったけれど、ちゃんとまともな七草がゆ(だけどちょっと七草の含有量が多め)が完成した。
ちゃんと普通の七草がゆの味になっていた。
1月5日
仕事始め。
だけどやる気はあんまりなし。
ぼーっとしてインターネットなどをしていたら、「おだじまん」が復活していたのを見つけた。
1月4日
冬休みの最後の日だし、お買い物をする。
当初の予定としてはヘアピンやカーラーなどなどを買いに行くつもりだったのに、ついうっかりバーゲン初日の渋谷109に足を踏み入れてしまう。
109の中は殺気立った女子で溢れ返っており、危ないのでエスカレーターを止めてしまったほど。
その場の勢いでニットのワンピースとおしゃれ用ヅラを買ってしまう。
1月3日
ひどくダラダラしているので、午前中は箱根駅伝の復路の中継を見て、その後は一日中寝倒す。
・・・・・・だけで一日が終わると昨日と同じくせっかくの休みが無為に過ぎていってしまうので夕方になってから東京ドームの隣にあるLaQua内の温泉にまで出かける。
わたくしが入場したときには午後6時を回っていたのに、中は満員を超えていて4時間の入場制限までされていた。
だけど、露天風呂につかったりサウナでぼーっとしたりしているうちにブルーになった記憶や嫌な記憶が少しづつ薄らいでいくので不思議だ。
床暖房になっていて、床の石材や壁に熱を与えると人体によろしい波動を発するサウナが気に入ってそこで長時間ごろごろしていたけれど、ふと我に返って周りを見回してみるとべたべたしているカップルばかりだった。
1月2日
ひどくダラダラしているので、午前中は箱根駅伝の往路の中継を見て、その後は一日中寝倒す。
1月1日
あけましておめでとうございます。
この日記をけなげに読んでくださっている人ありがとうございます。
一応元旦ということもあるので、今年の目標を書いておくと
・人生に無闇に絶望したり投げやりになったりせずちゃんと一日一日を大切に生きる。
・今年こそ素敵な人を見つけて、4月には一緒に千鳥ヶ淵のボート乗り場で手漕ぎのボ ートを一緒に乗りながら満開の桜を眺め、7月にはわたくしのお誕生日祝いということでニューヨークグリルでご飯を食べて、クリスマスにはフレンチパウンドハウスでまるケーキを買ってきてお祝いできればいいなあ。
・もう少し仕事が出来るようになってお金が稼げるようになる。
(今のままでは人生に不都合が多いですし。)
・「合気道の精神をを実社会で生かす」という言葉を噛みしめて、なるべく他人に向か って激昂したりとか、八つ当たりするとかいう武道家にあるまじき悪行をしない。
というような感じになるのでしょうか?(あくまで努力目標なんですが)
とりあえず、一年間よろしくお願いしますです。