不眠日記・2004

 

4月1日

びっくりした。

自分がこんなに軟弱だとは。

 

3月中にけじめとして、皆様にご連絡をしようと思っていたのだが、あまりの忙しさに余裕がなかった。

 

今朝、4時に目覚める。

頭の中で、「無職」なんだ。

所属がないのだ。

そういう思いが巡り、ボーっとしていた。

 

二度寝もできそうになく、荷物を取りに日文研にいかなくてはと思い、朝から洗濯をして、お弁当を作り、自戒の意味を込めて皆様にメールを送る。

 

しかし、顔を洗うと肌がぼろぼろに荒れて、ひどい状態になり、着替えようとすると全身に発疹が出ている。

おかしいと思いながら、用意を済ませ、いつもの時間に家を出ようとすると・・・

トイレに駆け込んで、嘔吐。

朝からお茶を一杯しか飲んでいないので、胃液を吐き続けた。

頭で分かっていながら、体はやはり正直である。

自分の行き先のなさに、拒否反応が出ているのだ。

ぼろぼろになっている自分に呆然。

こんなに弱っているとは。

 

それでも、少し落ち着いたから日文研へ向かう。

花見客や新年度の希望に満ちあふれた人で、電車が馬鹿に混んでいる。

胃液のせいで胸焼けし、自律神経失調により寒気がしてふらふらな私は、とっても惨め。

バスを降りてから日文研まで歩いていく中、ふと思った。

「職業」という欄に何故「主婦」とか「学生」と書くのだろう。

学生は一応特別待遇される身分だし、「学校」に所属なので分からないが。主婦は無職であるはずだ。年金生活のご老人は無職だよな。

ちゃんとした仕事を持っている人は「主婦」とは書かないだろう。

フリーターの人は「無職」って書くのかな。

要するに、日本社会において「所属」がないという事がきついのではないか。

「主婦」はサラリーをもらっているわけでもない。

パートやアルバイトの人は職業欄に「パート」とか書かないだろう。

しかし「主婦」は、「主婦」自体が重労働だからではなく、幻想になりつつある「家族」に所属していると言いたいのではないか。

そんなものは「架空」のものでしかない!と言い聞かせても、今日所属を失った私は、その不安に苛まれているのではないだろうか。

確かに収入がないというのもきつい。

しかし、それは「アルバイト」でなんとでもなる。

なんか、突然リストラされた会社生き甲斐のおじさんみたい。

情けないやら虚しいやら。

意地をはってここまで着たのに、突然意気地がない自分に戸惑う。

霞をくっては生きていけないからか?

 

それでも院生室に行くと、後輩や新しくやって来た研究生はみんな優しく、話をしていてもすごく楽しい。

なんだ、やっぱり恵まれているじゃないか、私は。

こうして、いろいろな話をして、刺激を受けられるところがあるじゃないか。

救われた気がした。

 

それでも日文研を出ると、また体調が狂い出す。

誰かと話していると、気が紛れるからだろうか。

一応虚勢をはるだろうか。

 

お稽古場に向かい、「無」の境地で(そんなに悟ってないけれど)稽古に精を出す。

こうして、自分をごまかして生きていくのか。

 

全然自分が分からなくなってしまった。

 

3月31日

とうとう3月が終わりである。

今日で返却しなくてはならないものもある。

それまでに、しておかなくてはならないことがあり、朝から日文研を走り回っている。

 

本当に走り回っている。

今日、万歩計をつけていたら運動量が分かるのに。

それぐらいうろうろしていたのだ。

 

強欲だから、使えるだけの物を使い切れっと傍若無人の振る舞い。

夕方までは、働きながら、院生室の片付けも平行してやる。

頭がパニック。

 

とてもじゃないけれども、資料や本、その他の私物が今日中にもって帰れそうにないことが判明。

2週間ぐらい前から少しずつ撤退していたのだが、甘かった。

夕方になって、机を明け渡し、本棚もきれいに整理して、紙袋やダンボールに荷物を詰めて院生室の片隅に山積み。

 

ごめん、明日からも席はないけど引き取りに来るから許して。

 

先生方のご尽力のお陰で、共同研究員に4月からなることになった。

無報酬だが、施設を使うことができる。

図書も借りることもできるので、なんとか研究環境を確保。

 

後輩の言葉に甘えて、お昼ご飯を食べたり、お茶を飲みに院生室に引き続き出入りさせてもらうことになった。

(共有のパソコンも使わせてね)

心優しい皆様に感謝。

私物は早く持って帰るので、捨てないでね。

 

山のような荷物を抱え、19時半ごろに帰ろうと思うと同期と遭遇。

一緒にタクシーでと声をかけてもらい、桂駅まで相乗り。

ついでにと、さらに先生との飲み会にまでお邪魔してしまった。

すみません。

遠慮がなくて。

 

就職ができなかったことに関して、いろいろと諭される。

どれもあまりにもごもっともなお話で、耳が痛い。

心して精進いたします。

しみじみと夜が更けていく。

 

3月30日

あー!!

明日で学籍がなくなる。

まだ、院生室が片付いていない。

 

さまざまな書類が回り、追い立てられる。

追い出されるとはこういうことなのか。

 

後輩に「もう少し待って」と謝りながら、とりあえず院生室の片隅に荷物をまとめる。

明日には机も明け渡すから待ってね。

 

仕事のほうもパニックをきたし、先生に意味不明メールを送りつける。

午後に先生が現れる。

「メール、読んでくれはりました?意味分かりました?」

「分からない」

やっぱり。

実際に画面を立ち上げて説明。

データの統一事項などを再度確認。

その後、「5月から何とか少しは雇えるようにするから」と有難いお言葉。

思わず、すがりつくような目で見てしまった。

お願いします。

 

今日もまた、山のように本を抱えて帰りました。

足腰が痛い。

 

3月29日

女学院にて最後のアルバイト。

5年半も働いた。

ずいぶんとお世話になったものである。

 

本当は生活のめどが立っていないので、継続すべきなのかもしれないが、複雑なのだ。

女学院は非常に居心地がいい。

その居心地のよさが怖くなったのだ。

 

私も人生の節目を一つつけたのだから、これから新たなる環境にて邁進していくべきだ。

そう思って、今月をもって退職を決意した。

 

日文研にて先生が失業保険程度には何とかしてくれると言うてくれはる。

何処まで食いつなげるか分からないけれど、己が選んだ道なのだ。

もう少し粘ってみたい。

もっと知りたいことが私にはある。

意地を張ってきたのだから、倒れる覚悟で張り続けよう。

 

アルバイト先のメンバーで送別会をしていただく。

自分で決めたものの、なんだかさびしい気もしないでもない。

だんだん居場所がなくなる。

それも私が選んだ道。

 

3月28日

口は災いのもと。

災いって言うわけでもないんだけれど、ぽろっと吐いた言葉がどんどん暴走してしまった。

 

なんだか取り返しのつかない方向へ転がりだしている。

4月からどうすればいいのか?

 

すっかり困惑してしまい、親友に泣きついてしまった。

泣きついたところで、もう遅い。

 

3月27日

久しぶりに中高時代の友達とランチを食べる。

「どうなったの?」と聞かれ、改めて学位取得をご報告。

「なおが博士なんて・・・」と過去を知る皆は愕然。

はっはっは。

世の中狂うておるのじゃ。

 

友達が連れてきた子供とすっかり仲良くなってしまい、完全にお友達。

彼は正義の味方なのだ。

子供の想像力はすごい。

遊んでいて面白い。

ミレニアム・ベイビーだったから4歳か。

うーん。

「俺が教えてやる」といわれて、ヘイコラ言っている私って。

私のレベルは4歳か?

 

今日は煩雑な毎日を忘れて、昼からワインを飲んでいい気分。

って、昨晩も飲んでたがな。

 

酔いどれ天使。

堕天使。

 

3月26日

朝から日文研にて働く。

院生室の大掃除が午後からなので、その合間にちょこちょこしながら、色々なことを同時に済まそうとして混乱。

 

さまざまな手続き。

やり残している仕事。

図書の返却。

 

ちゃっちゃとお昼を食べて、さあ掃除だ。

といっても、他の仕事を同時並行的にしているために、一人うろうろしている。

来週中に荷物を何とかするので、とりあえず机の周りを片付ける。

水周りの掃除。

食器棚の整理。

独断と偏見で、訳のわからない容器や何時封を切ったか知れない酒類を処分。

 

夕方は、先輩の出版祝会。

早く、私もあやかりたい。

久しぶりにお会いする先生方と楽しいお話をさせていただく。

怪しげな密会計画。

酒の席の上、話は大きくなって、何処まで本気やら?

4月より行き先がないので、なぜか料理長を買って出る。

そんな職あるんかい。

ないわ、ぼけ。

 

少しばかり自暴自棄な京都の夜が更けていく。

家出人のように本の山を抱えて、尼崎に帰り着く。

もう足の踏み場がなくなってきた。

 

3月25日

昨日夜遅く葉山から日帰りしたというのに、今日はフル活動。

 

午前中は女学院にてアルバイト。

さすがに朝から疲労困憊。

 

13時で終わるはずが、来年度の非常勤の先生よりややこしい依頼を受けてしまい、手間取る。

私は4月よりいないのだから、あんまりやすやすと仕事を請けても、責任とれんしな。

とはいえ、分かる範囲のことは応対したい。

それを職員さんに引き継いで、事務連絡を取ったりして、どんどん時間が過ぎてしまい、いーっとなる。(いらちか)

13時半に女学院をダッシュで後にして日文研に向う。

 

『変体仮名講座』が私のためだけに今日に変更されたからだ。

しんどいといって休むわけにもいかない。

電車の中で、必死で宿題を仕上げる。

 

しんどくて朝から何も食べておらず、まだその暇もない。

さすがにまずいかなと思い、バスの中でおにぎりを食べるものの逆に気分を悪くする。

へろへろになって15時半ごろに日文研に到着。

なんだか、職員の方々が深刻なお話をされているようなので、邪魔をしないように準備をする。

 

『変体仮名講座』でまた脱線するような話をして顰蹙。

もう疲れているので何でもええがな。

 

明日は大掃除。

いよいよ追い出されるのだ。

今週に入ってから毎回山のような荷物を持って帰ることにしている。

本が重い。

腰をいわしそうだ。

 

3月24日

今日は、人生の晴れ舞台。

おそらく。

 

総合研究大学院大学の学位授与式である。

場所は本部である葉山国際湘南村。

晴れていると富士山が見えてきれいなのだが、雨だし関西から行くには遠い。

 

日帰りを敢行したために、もうぼろぼろに疲れている。

疲弊。

 

大体、朝から調子が悪かった。

まるで私の人生を象徴するかのようだ。

 

10分ぐらいの余裕しか持っていなかったせいで、JRが大阪で遅れてしまい、新大阪で予定ののぞみに乗り遅れる。

あほである。

といっても、かなり余裕を持っていたので、次ののぞみの自由席に乗り込んで新横浜へゴー!

乗ってまもなく、本を読んでいると新幹線酔いしてしまったらしく、気分が悪くて吐きそうになる。

朝から、体がほとんど何も受け付けない状態なのに。

お茶を飲んで、紛らわせるもののめまいは治まらず、かといって眠れるわけでもない。

自律神経か?

 

お世話になっている方よりお祝いメールが来る。

『感無量でしょうね』といわれても、実感がわかないし、とりあえずこの調子の悪さだけ何とかしたい。

 

最後の学割を使って新横浜から横浜、乗り換えて逗子まで何とかたどり着く。

寒い。

普段みたいに大きな鞄を持っているのは恥ずかしいと思い、スーツにハンドバック、入りきらなかった書類を紙袋に入れて、大きめの傘を持っているが、やはり荷物が多い気がする。

分散しただけなんだ。

 

逗子の駅で、とりあえず何か食べなきゃと思い、寂れた(失礼)商店街をぶらついて少しばかりテイク・アウトの鮨を買って、バス停で待ちながら食べる。

ちょっとばかり回復したかな。

 

すぐに今度一緒に授与される同僚と一緒になり、「寒いし、天気悪いし、嫌だね」など世間話。

バスで30分強。

軽くバス酔い。

 

受付で、いきなり学生証を取り上げられる。

えっ?3月31日まで使えないの?

学割で映画に行こうと思っていたのに・・・

かなりショックである。(この歳まで学割使っていた方が罰当たりか)

 

席順を見ると、いきなりトップであることが判明。

いや、それはあまりに恐れ多い。

一生に一度だろうから名誉なのかな?

そうだ、名誉だと思おう。

私のような輩が学位をいただけるのだから。

うちの専攻担当の事務の方に「実は入学式で名前間違えられたので、確認してもらえます?」とわがままをいう。

トップでいきなり名前間違えられるとショックだから。

 

ガイダンス終了後、休憩少し。

優秀な方の研究発表を聞き、また休憩。

昨年の秋卒業より導入された趣向として、ピアノ演奏を拝聴。

いい音である。

そして、運命の瞬間到来。

名前を呼ばれて、トップバッターとして、学長より「学術博士」の学位記を賜る。

へへー。

深々とお辞儀をしていただきました。

ものすごく緊張してしまった。

 

学長からの祝辞でも触れられていたが、独立行政法人化の波で私たちが『国立』と名の付く総合研究大学院大学最後の学位取得者となった。

ある意味、貴重なのかもしれん。

もちろん、これからも大学は存続するので、変わらないといえば変わらないのだが。

 

わざわざ井上先生も出席くださり、ご挨拶。

ありがとうございました。

 

実はここで暗いお知らせを受ける。

かねてより先生方にご奔走いただいた「非常勤講師」の件がダメだったということだ。

しかし、大分前よりうすうすあきらめた方がいいことは分かっていた。

けれども、はっきり結果を聞くと4月から「無職」という現実がいきなり目の前に広がってしまった。

晴れて学位を授与して、心で泣いて、複雑な心境である。

しかし、論文作成からここまで、どれほど多くの人が私のために力を尽くして、助けていただいたのかを思うと、文句なんてもちろんない。

あとは自分の実力で生きていかなきゃいけない。

まあ、今日は忘れて晴れの式典を心から感謝して受けよう。

 

1時間ほどの懇談会が用意されている。

鈴木文化科学研究科長の取り計らいにより、初めて学長とお話をする機会を得る。

「どんな研究をされているのですか」と今回、国際日本研究専攻より修了した3人それぞれに質問をしてくださる。

さすがに私の研究には驚かれていたようだ。

学長はアラカンが好きということが分かった。

非常に興味を示してくださり、有難い。

 

かなり長い間学長を独り占めしてしまって申し訳ない。

非常に楽しい時間であった。

 

さあ、帰ろうと思うと紙袋の紐が切れる。

縁起悪!

しかも学位記が大きくて、紙袋に入らず、傘は邪魔だし、荷物を抱えて腕が棒のようだ。

 

鈴木先生にひっついて関西まで帰り着く。

京都で先生とお別れすると、緊張の糸が切れたのか、疲労がどっとやってきた。

ふらふらな足取りで家にたどり着いた。

 

腕が痛い。

しんどかった。

 

そういえば、今朝、人間国宝四世井上八千代さんが亡くなったとニュースで聞いた。

いかりや長介もショックだったが、井上八千代さんもショック。

享年98歳。

大往生と言えばそれまでだが。

市川雷蔵を調べていて、四世井上八千代さんとの接点が出てきた。

それからしばらくは脱線して、片山愛子時代から「天才」と言われて注目され、京舞井上流に文楽や能楽の動きを取り入れ、身体の遣い方など芸を追求し続けた姿勢を面白くおった時期がある。

日本舞踊はやった事はないけれど、井上流に関してはそれからも興味はあった。

五世井上八千代さんは、聞くところによると、先代を抜くかも知れないと言われているそうだ。

いつか、どこかで接点が出来ればいいな。

ご冥福をお祈りします。合掌。

 

3月23日

調子が悪い。

明日は晴れの日なのに、なんだかしっくりこない。

 

今日は日文研にてアルバイト。

やり残している仕事が多くて、忙殺。

 

明日の葉山は雨。

しかも、気温が10度ぐらいときている。

 

この前まであんなに春めいていたのに、またこんなに寒くなるなんて。

日頃の行ない悪いんやろか。

 

寒暖の差に体がついていかず、なんだか自律神経失調気味。

星が散っている。

めまい、くらくら。

 

 

 

3月22日

呆けている。

 

女学院にてアルバイト。

今日から春休みシフトで9時〜16時。

雨のせいで、朝から頭が重い。

身体が痛い。

遅刻しないようにと、あわてて家を出て、電車の中でふと気付く。

お弁当や借りていたソフトなどをセットにして詰めた袋を家に忘れてきた事に。

ああ、なんたるアホが。

しくしく泣きながら、西北にてパンを購入。

 

先週、サントリーが福寿園の「伊右衛門」というお茶を発売。

無知なので「伊右衛門」が福寿園の看板なのを知らず、「伊右衛門」と言えば『四谷怪談』と、縁起の悪い名前やなあと一人合点。

そんな罰当たりな事を言うから、お岩の呪い。

吹き出物が顔にぶつぶつと出来てしまい、醜怪な顔がなおさらひどい事に。

言葉は怖い。

呪われる。

祟られているせいか、今日はやけに寒い。

みんな寒いのか、私だけ寒気が来ているのか?

 

言い逃れ「レジュメ」を作成するものの、完全に空中分解。

こんなの誰が見ても、意味不明。

「本当に頭悪いよな」という周知の事実をさらに証明する事に。

かといってこのまま不義理で無視する事も出来ず・・・

穴があったら入りたい。

 

そのまま生き埋めにされるのだ。

 

3月21日

さすがに昨日1日静養していたので、少し復活。

咳もだいぶんとましになった。

 

母のお供をして河原町へゴー!

花冷えで寒い。

母は方向音痴なので、京都市の地理がよく分かっていないらしい。

水先案内人か、私は。

もちろん、恩恵を被り、老舗料理旅館「近又」にてお昼をご馳走になる。

でもね、老舗になると驕りが出るのかしら?

お味はいいのだが、一番楽しみの「椀もの」がなくて、不満。

さりげなく、仲居さんに「椀ものはないの?」と質問。

亭主と女将がすぐに挨拶に来たので、某老舗旅館よりは、誠意を感じますけれど。

客商売とは大変な事よの。

 

「有次」にて買い物をし、兄の店に書類を届け、帰宅。

全身だるくて、しんどい。

まだ復活してなかったのね。

反省。

レジュメを作るためにコンピューターの前に座るものの、進まない。

困った、明日までに仕上げねば。

 

昨日、いかりや長介が亡くなった。

「8時だよ、全員集合」で育ったものとしては、とても寂しい。

ビートルズが来日した時に、ドリフターズが前座をつとめたなんてもうみんなの記憶から消え去っているのかしら。

まあ、私はまだ生まれていなかったけれど。

残っている映像を何度も見た記憶がある。

合掌。

 

3月20日

風邪を引いて1週間。

咳がましになったと思いきや、連日の睡眠不足と、無理がたたって、ついに倒れる。

今日は日文研の研究会に出るはずだったのに。

 

朝早くから目覚めるものの、腰痛と頭痛で動けない。

雨のせいか?

熱はないから大丈夫と思っていたが、頭が回らない。

来週も忙しいし、不義理をした償いに、レジュメだけでも作って責任逃れをしようと思っていたのだが、それにも取りかかれない。

まずい。

 

日文研の後、京都文博へ『女と海賊』(戦後の長谷川一夫ヴァージョン)を見に行くつもりにしていたが、すべての予定が狂う。

気も狂う。

「ええ加減にせんと、気狂うて死ぬ」(@町蔵)

その通りです。

ランランと目を光らせながらも、布団の中から出られない。

全身が麻痺したように、身体がだるい。

ようするに、しんどい。

 

こうして、弱っているとマイナスの邪悪ビームを自らに引き入れてしまうらしい。

迷惑メールの襲来。

ぶち切れした相手からは、謝罪メール。

知らんがな、そんなもん。

いらん相手に追いかけられ、かまってほしい人には相手にされない。

人生の悲哀。

 

3月19日

たん熊さんのお稽古。

まだ咳がとれないので、とても遠慮して料理をする。

うつしたらまずいもの。

今日の献立は「筍づくし」。

美味しいのだが、あくが強いので、あまり食べるとぶつぶつが出る。

 

今日も京都文化博物館にて映画鑑賞。

大川橋蔵主演『新吾十番勝負』総集編。

雷蔵は満席だったが、橋蔵は8割ってとこか。

笑う映画ではないのだが、ご都合主義にげらげら笑ってしまう。

映画が終わりになると、あれれ、なんだかみんなばたばたと帰り支度をはじめている。

なんと、今日は拍手がないではないか。

 

阪妻の世代は、拍手をしていた時代なので分かる。

雷蔵は戦後なので、ファンの思い入れか?

なら、同じ戦後の橋蔵で何故拍手が起きない?

不思議だなあ。

 

主治医のところに向かう。

今日も満員。

これまでの最高記録・4時間待たされる。

その間、咳が止まらず、周囲の冷たい視線を感じ、心身共に疲労困憊。

待ちくたびれた。

衰弱しきった私を見て、風邪対策用に薬が変更。

風邪には栄養と睡眠が一番ともっともな事を言われるが、それが出来たら苦労はしねえよ。

 

大阪に出て、24日の学位授与式に出席するためのチケットを買いに行く。

帰ってきたら、もう9時半過ぎていた。

へとへとになって、寒い部屋の中で茫然自失。

 

3月18日

弱り目に祟り目。

相変わらず、ストーカーまがいのメールが届く。

あまりにも弱っていたので、もう判断能力が停止。

ついつい、感情にまかせてぶち切れメールを返信。

 

今日も日文研にてアルバイト。

頭の中が「スターリン」。

『御法度』を御法度したら、罰が当たった。

訳分からん事言うな。

 

咳がだいぶんとましになった気はするのだが、なんとなくすっきりしない。

食欲がない。

気力減退。

 

夜中の2時になって漸く原稿完成。

メールで送信。

後は野となれ山となれ。

 

3月17日

咳が少しましになったと思ったら、激しい頭痛に襲われる。

弱り切っている。

咳で体力を消耗しているはずなのだが、眠れない。

ふらふらになって、日文研に行く。

明日までに仕上げなくてはならない原稿のサンプルをもらう。

 

よろよろしながら今日も新しい機器をいじる。

咳が止まらず、頭がぼーっとして回らない。

それでも頑張って機械に挑む。

 

昼休みに院生室に帰ると、「締め切り原稿を抱えているので、風邪をうつさないで下さい」と言われる。

す、すまない。

別に風邪の菌をまき散らしに日文研に来た訳じゃないんですけれど。

お昼を食べたら情報課に行くから、許してくれ。

 

午後もいろいろ実験。

一つ解明した。

なるほど、こういう仕組みになっていたのか。

 

16時から「変体仮名講座」。

話が脱線するような質問をして、きっとまわりの人には顰蹙を買っていたんだろうな。

咳をこらえ、回らない頭で必死になるが、本当に出来るのだろうか?

 

終わってから、さらに機器の実験をして、19時頃に打ち切る。

まあ、一つ解明されてよかったではないか。

少しずつ学んでいっているかも?

 

院生室に帰ると、「そんな体調で、まだいたんですか」と言われ、「もう帰ります、げほげほ」と返答。

そんなにいじめんとってえな。

 

帰宅後、メール・チェックをすると、どうも「保留」としておいたのが、私の一人合点であった事が判明。

うう、今日もまた極悪非道人になり果てる。

私が悪かった。

ひたすら、謝罪のメールを送る。

 

3月16日

今日は臨時で、女学院にてアルバイト。

風邪は相変わらず、治らない。

 

ごほごほと咳をしながら、思考がまとまらない。

茫然自失。

 

バイト終了後、1時間も遅れて、研究会に顔を出す。

それまでに何が話されていたかも知らないくせに、思うがままに口を挟む。

負け犬の遠吠え。

 

家に帰り、メール・チェックをすると、さらに自分の首を絞める内容が。

あれ、この件に関しては、保留としておいたはずなのに?

と思って、弁解メールを強気で書く。

 

一時、眠れるようになりかけていたのに、風邪を引いてからまた不眠状態に陥る。

つらい。

 

 

 

3月15日

うーん。悪化してるのか?

昨晩、咳がひどくて、ほとんど眠られなかった。

朝から頭痛と咳で呆然。

 

人と会う約束もあったので、熱があるわけでもないし、女学院に出勤。

「おはようございます」と挨拶をすると「風邪ですか?」と言われる。

それほどひどい声をしているのだ。

困ったな。

鼻水も出るので、くしゃみも多い。

「花粉症ですか?」という指摘もあり、どきどきする。

でも目がしょぼしょぼしないので、花粉症じゃない気もするけれど、どうなんやろか。

くしゃみ、鼻水、頭が回らないのは花粉症と共通しているけれど、咳は違うでしょ。

 

週末何も出来ずにいたので、とりあえず急ぎのところには電話をして、メールと添付ファイルは夜送る事を詫びる。

電話に出たとたん、「すごい声してますよ」と言われてしまう。

日文研には水曜日まで行かないので、他の書類に関しては水曜日で許してもらう。

もう一件への連絡は、詳細は後ほどと断りを入れて、携帯で簡単に急ぎの返事だけをメールする。

あとは、無線ランではないので、メールは夜に送る事にして、とりあえず送信待ちにして、メールの作成を内職しておいた。

 

落ち着かず、相変わらず山のように仕事が残っているのに、風邪を引くなんて・・・

しかも、そのせいでますます眠れなくなるなんて・・・

よほど、日頃の行いが悪いんやろか。

 

3月14日

ホワイト・デー。

といっても何にもあらへんけど。

 

相変わらず、朝から咳が止まらない。

なんだか、鼻水も出てきた気がする。

これって、悪化してるんか?

けほけほ、こほこほ咳き込みながら、午前中をぐうたらに過ごす。

もちろん、やらなくてはならない事が、山積みなのであるが、咳、鼻水に追加するように、頭がぼーっとして、思考が上手くできないのである。

本を読んでも頭に入らず、字面をおっているだけ。

メールの返事を書かなくてはならないが、頭が回らない。

 

熱がないだけましか。

24日に学位授与式があるが、髪の毛が伸びてばさばさで、このままその日を迎えるのはなんだか汚らしいので、どうせ何も出来ないのなら美容院にでも行くか、と決心して予約を入れる。

 

すっかりパーマも落ちてしまい、髪の毛も痛んできたので、ばっさりショートにしようかと思っていたが、踏み切れず、美容師さんにお任せする。

「春らしく、少しはじけた感じにしましょうか」という提案に賛同して、後はお任せ。

背中まであった髪を肩まで切ってもらい、軽くするためにばしばしと髪の毛を空いてもらい、すぐにとれてしまうため、きつめにパーマをかけてもらう。

確かに、はじけた感じがする。

剛毛なのか知れないが、なかなかパーマが当たりにくい髪質らしいので、「パーマが落ちたら電話でもいいからすぐ連絡下さい。当て直しますから」と言われた。

実は前にも当て直してもらった事がある。

今回は大丈夫かな。

 

元町にいたので、その足で楠公さんの神能殿に向かう。

大先輩の社中の方が「龍田」の笛を吹かれ、それにあわせて下川先生が舞いをなさるからである。

しかし、時間は押しに押しまくって、予定では終わっているはずの能楽「杜若」が始まったばかりだった。

能楽を吹くのだから、当たり前かも知れないが、とても笛がお上手で感心。

私も過去に何度かお遊びで能管に挑戦したけれど、全然音が出ない。

息の吹き込み方が悪いのだろう。

笛の会だから当たり前だけれど、囃子のない部分の舞いはほとんど省略されているので、なんだか違和感を覚える。

 

下川先生の舞いは素晴らしく、いくら真似してもあの身体の遣い方、あの型が出来ないと反省しながら一生懸命見取りをする。

まあ、相手はプロと言えばそれまでなのだが。

見ている間も咳がとれなくて、苦しい。

 

咳と鼻水と頭痛に悩まされ、最近薬の効きが悪い気がする。

爆睡できたら、もっと早く治るのかも知れないのに。

悔しい。

 

3月13日

朝から咳が止まらない。

といっても喉が痛くて腫れている様子もないし、熱があるわけでもない。

今日は謡曲のお稽古日。

装束をつけて頂き、舞囃子を稽古する日である。

 

こんな体調で大丈夫か?と心配して、昨晩からあまり物が食べられなかったから、少し無理して朝ご飯にサンドウィッチを食べる。

吐き気はないので大丈夫。

 

どうも咳は乾燥が原因みたいで、水分で喉を潤しておくとおさまる気がした。

鬘なし、ひた面(面をつけない)の役なので、ものすごく楽である。

まあ、型の上手さ、舞の上手さは不問にして、装束をつけても、普段どおりすいすいと舞い、装束付けも短時間であっという間に終わってしまった。

いかに面をつけると大変かがよく分かる。

また鬘も結構重い事も実感。

 

謡の稽古もすませて、先生宅でお弁当を食べ、3時頃に失礼をして帰宅。

と思っていたが、母と共に塚口駅に降り立ったとたん、父から電話が入り、量販店に行くので、早く帰ってこいと言う。

何で私が巻き込まれるねん?という疑問の余地すら与えられず、同行。

だから、私はしんどいんやって。

そのまま実家にて夕食を共にさせられるが、熱っぽくなってしまい、やはりほとんど喉を通らない。

さすがにしんどくて、早々に帰宅。

ふらふらなんだけど、何故眠気が来ない。

本も読めない。

咳が止まらない。

 

3月12日

駄目だ。

風邪を引いたかも知れない。

咳が止まらない。

 

今日はたん熊さんのお稽古日。

三条河原町に宿泊していたので、朝もチェック・アウトぎりぎりまで休んでいられて楽である。

春らしいメニュー。

昨年度、ほとんど稽古に行っていなかったので、久し振りに顔見知りのメンバーと一緒になる。

すると、一人が夫の転勤で、東京に行くため、3月でお稽古をやめるという話に。

折角仲良くなったのに、寂しいな。残念。

異動の時期なのだ。

 

お稽古が早く終わったので、京都文化博物館に向かう。

13時半上映の『女狐風呂』を見に行くためだ。

開場は20分前のはずなのに、もう人がたくさん並んでいるために、30分前に開場が始まる。

さすが、雷蔵。

満席だ。

話はマキノ正博が撮った映画『昨日消えた男』のリメイク。

長谷川一夫と山田五十鈴。

マキノ版も見た事あるような気がしていたが、私の記憶にあるのはカラーなので、どうも勘違いをしているようだ。(今日の映画も白黒だからなおさら勘違い)

もとのフィルムは残っているのかな。

 

そういえば『昨日消えた男』という映画が雷蔵主演である。

これは見た。

でも、題名は一緒でも、話は全然違うので、リメイクとは言わない。

私の記憶の片隅にある、長谷川一夫と山田五十鈴の映画は何だったんだろう?

それはさておき、長谷川一夫の役を雷蔵が(これはどうでもいい)、山田五十鈴の役を娘である瑳峨三智子が演じているという解説を読んで、因縁の巡り合わせなのかしらと思った。

映画が始まって、咳をこらえていると、だんだん寒気がしてきた。

けれども現金なもので、雷蔵がスクリーンに登場すると、すっかり寒気を忘れて映画に没頭。

ほんま、ええ男やねえ。

惚れ惚れするわ。

今日もまた、映画が終わると拍手がわき起こる。

観客層は相変わらず高齢者が圧倒的。

だから、拍手がわき起こるのか?

でも、この瞬間は結構好きである。(自分から拍手せえへんけど)

 

現金なもので、映画が終わるとまた咳のぶり返し、寒気の襲来。

自律神経失調。

もう何も手に着かないので、とりあえず家に帰る事に。

風邪には栄養と睡眠が一番と思うのだが、電車の中でも眠れない。

家に帰って、布団に入っても眠れない。

天井がぐるぐる回って、気持ちが悪い。

自分をもてあそび、仕方なく薬を飲んで4時間ほど眠る。

 

起きても改善の余地なし。

食欲もない。

気力もない。

また服薬。

お休みなさい。

 

3月11日

女学院にてアルバイト。

後、宴会。

 

日曜日から毎日意味不明のメールが届く。

あまり無視していて、また様子を見に家まで来られたらかなんので、「死ぬほど忙しい」と返事をした事がある。

にもかかわらず、毎日メールが届く。

昼や夜にメールしても無視されるせいか、今日は朝にメールが来た。

暇なんかい。

こちとら、眠られんほど忙しいんじゃ、われ。

と言いたいが、逆ギレされたら怖いので、言わない。

小心者なのだ。

また、無視しようかと思ったが、何が怖いって家に突然来られる事が怖いので、「週末まで京都に泊まり込み」と返事をする。

半分は本当である。

今日は、京都にて宴会。

明日も京都に行かなくてはならないので、いい加減京都通いに疲れ果て、今晩は京都に宿を取った。

楽チンである。

ちょっとした旅行気分?でもないか。

3月に入って、諸事情により、週3日ぐらいは新開地と日文研、たまに河原町を往復して、通り過ごした尼崎に帰るという生活を送っている。

京阪神を股にかけ、ずっと三都物語状態。

まあ、大阪は通過地点やけれど。

すっかりフィールドは京都か新開地になってしまった。

だから、京都に宿泊といっても全然観光気分にも、旅行気分にもならない。

ああ、どこか行きたい。

インターネットで宿を取ったのだが、安い上、「BB無料つなぎたい放題」というフレーズにつられて、荷物が多くなるのを承知でノート・パソコンを持ってきたのだ。

 

アルバイトの間、嘱託さんとお話しをしていると、『ヘブン・エンド・アース』を見たか?と聞かれる。

しまった。完全に忘れていた。

「中井貴一ですよね」と答えたものの、頭の中ではスケジュール表が巡る。

いつまでだったっけ?

見に行かなくてはいけないのは、分かっている。

公開前にチラシまで取ってきておいてあったのに、忙殺されていて完全に失念していた。

雷蔵は忘れないのにね。

と言う事は、やはり無意識のせいか。

お父さんは好きだけれど、中井貴一はあまり好きではない。

といいつつ、『梟の城』も『陰陽師II』も『壬生義士伝』もちゃんと見に行ったけど。

明日は雷蔵だしな。

帰ったらぴあでも見て考えるか。

 

一つ抱えていた仕事が終わっての宴会なので、気分が少し楽である。

久し振りに先輩方にも会えて嬉しい。

後輩をいちびる極悪非道ぶりを発揮。

悪魔のような輩となりはてる。

 

飲み過ぎのせいか、はしゃぎすぎのせいか、行いが悪いせいか、宿に戻るとなんだか喉が気持ち悪い。

痛いというわけではないのだが、乾いているような、咳をしたくなるような異物感がする。

風邪か?困ったな。

 

3月10日

日文研にてアルバイト。

 

昨晩、仕事が仕上がらず、おまけに催促らしき探りのメールが仕事先から来てしまい、うろたえる。

泣きながら、仕事をするが、4時で身体がついて行かず断念。

といっても眠気に負けたのではない。

眠気に負けてみたいのだが、眠気は全く来ない。

ただ、眠くなくても集中力が完全にきれてしまったのだ。

思考停止、一文字も前に進めない。

 

床に倒れるが、眠れない。

眠れないからといって、仕事に戻れない。

薬を飲む余裕もなく、仮眠を試みるが、30分おきに目が覚め、6時前に再び完全に覚醒。

 

まあ、身体を一応休ませたのだから、何とかなるかなと思い、ブラックを飲んで朝一で日文研に出勤。

だ、駄目だ。

バス酔いをして、吐きそうになり、手前のバス停で下りる。

ぼーっとしながら、よろめきつつ日文研到着。

仕事場へ直行。

職員さんに土下座して、午前中は自分の事をさせてほしいと頼み、昨晩の続きを仕上げる。

最後は完全に力尽きてしまい、情けない終わり方になってしまったが、もう時間がない。

泣きのメールと共に、添付で送信する。

とほほ。

もっと余裕を持って仕事をしなくては。

深く反省。

詫びと泣きと反省の日々。

後悔役に立たず。ええ加減、学習せんかい。

 

あまりに、気持ちが悪くて持ってきたお弁当が喉に通らない。

緑茶を一杯飲んで、仕事に復帰。

午後は、昨日の続きで相変わらず導入された新しい機器の操作に振り回される。

完全なる自律神経失調。

生唾があがってきて、寒気がして、ぼろぼろなのに、さらに機械に囲まれて、人間失格。

 

先週と、昨日と、今日と同じ事を繰り返しているはずなのに、何故毎回違う症状が出る?

私には分からない。

DVD−RとDVD−RWでは、どうして出来上がりが異なるのだ?

完全混乱。

 

ふらふら状態のまま、「変体仮名講座」に出席。

よくこの状態に耐えているよな、これで講座に出て一応頭が働いているらしいところが不思議。

うーん。寝ていなくても耐えられる身体になったのか?

それだけ回復したのか?

そ、そんなはずないよな。

自律神経やられて、いってしまってるわな。

現に朝から2杯の水分しか受け付けていないではないか。

 

講座終了後、またまた機械のところに行き、職員さんと二人で、疑問点を整理して、書き出す。

端末室でさらに確認をすませ、来週、もう一度違うものを題材に実験する事にする。

毎日こんなに遅くまで働いているなんて。

 

家に帰ると仕事先からメールが。

やり直しとはいわれなかったが、「うーん」と意味深な感想が・・・

まあ、初めての仕事だったので、大目に見てくれたって事か??

申し訳ない。

 

こんなにぼろぼろなのに、何故眠気が来ない。

どうしてぶっ倒れて眠る事が出来ないのか?

情けなや、恨めしや。

おのれの身体を恨みつつ、服薬。

眠りたい!

 

3月8日

女学院にてアルバイト。

年度末が近づいているので、いろいろと今年度の処理をしている。

私の落ち度による、CD紛失事件発生。

誤って昨年11月に、教材のCDを学生に貸し出してしまったのだが、そのCDが返却されていないことになっている。

そこで、責任を取って学生に連絡を取るが、「11月中に絶対に返しました」と断言される。

疑うわけではないが、手続き上は返却されていないことになっているので、どうしていいのかわからない。

私がずっと働いているのなら、記憶にあるはずだけれども、週2回しかアルバイトに来ていないので、他の人が対応している可能性もなくはない。

ということで、今日いる職員さんたちには聞いてまわり、明日来る人にも一応聞いてもらい、みんなの記憶にない場合、CD紛失、行方不明が確定する。

ああ、そうなったら、私は先生に謝罪のお手紙を書かなくては。

アルバイトのくせに勝手な判断をするからこういう事になるのである。

自業自得とはこのこと。

深く反省しました。

 

その合間を縫って、原稿を書くが、結局1/3しか仕上がらない。

 

稽古後、お稽古。

舞に謡に精を出す。

 

実家に帰り、両親と共に夕食。

まだ仕事が残っているので、ビールを1本だけ飲む。

それでも飲むんか。

 

後かたづけをして、洗い物をすませ、荷物を持って家に帰る。

今年初のカイロプラティックに通う。

予約は取っていたのだが、原因不明熱、原因不明発疹、多忙、忙殺の日々により、ずっと行けずじまいだった。

腰痛で動けなくなり、肩凝りが激しく、頭を取りたい気分になり、むくみがひどく、リンパ腺がつまっていることが自分でも分かる。

「あけましておめでとうございます。今年初ですよ」と嫌み?を言われて、ほぐしてもらう。

「もう、ぼろぼろです。どうにかして下さい」と訴えると、「いや、それでも論文書いているときに比べたら、全然ましですよ」と言われる。

そ、そうなのか?

といっても流れが悪くなっていることには違いがない。

ぎええー、と泣き叫びながら、痛みをこらえて整体される。

 

少し循環がよくなってきたせいか、手足がしびれたような、血が流れ出したような気がする。

少し、貧血状態。

茫然自失。

そんな事してる暇かい。

我を取り戻し、原稿。

 

3月7日

あまりにも寒い。

寒いから日文研に行くのをやめる。

絶対に雪が積もっているだろうから、行きたくない。

 

学位が決定してから、祖父母に挨拶をしていなかったので、昼間にご報告を兼ねて祖父母の家に母と顔を出す。

母方の親族は、昔から「家族麻雀」をしている。

今では、祖父母の呆け防止対策として盛んに行われている。

指先と頭を使うからだ。

今年に入って、ずっと忙しかった(いや、まだ原稿書きかけで忙しいのだが)ので、私は一度もお相手をしていない。

祖母の希望で、久し振りに4人で麻雀をする。

1度目は軽く負けてしまい、2度目は申し訳ないぐらい大勝ちをしてしまう。

なんだかすまない。

老人いじめをしているみたいで。

 

親友よりメールが入り、夕食を共にすることに。

10時過ぎぐらいになると、昨晩ストーカーまがいのことをした知人から怪しげなメールが入る。

恐ろしくなってしまい、事情を説明して、最悪泊めてもらえないかと相談。

実は、ストーカーという言葉が定着し、対策が講じられる前にも、同じような目に遭っている。

大学の時だから、まだ実家にいた頃である。

その後、一人暮らしを始めてからも、何度か怖い目に遭っている。

恐ろしくて、2〜3日友人宅を泊まり歩いたこともあった。

兄の友人が親身になってくれ、案外身近な人かも知れないから、出来るだけいろいろな人に吹聴してまわり、みんなが一緒になって警戒してくれるような態勢を作れと言われた。

そして、次に電話がかかってきたら、約束する振りをして俺に連絡してとまで言うてくれて、感謝したことがある。

その時以来、電話は留守電にして、よほどの事がないかぎり出ないことにしている。

その時は、半年ほどして、その行為はおさまった。

電話番号を変えようかと真剣に悩んだ。

今では、ナンバー・ディスプレイに変えている。

(けれども、重要な先生からの電話が「非通知」なので困る。あまり意味がない)

 

しかし、今回の場合、相手はよく知っている人である。

おまけに家まで知っている。(送ってもらった私が悪いのだけれども)

親友は、メールの返事はするな。

相手にするな。関わるな。と忠告。

「明日の朝、仕事で早いから、泊めてあげられへんけど、何かあったらすぐ連絡をしてきや、車で駆けつけるから」と親身になって相談に乗ってくれた。

ありがたいことである。

 

待ち伏せされていたらどうしよう、とこわごわ家に帰ったが、無事何もなかった。

ほっ。

ちょうど、心機一転引っ越しをしたい時期である。

先立つものが出来たらの話だが、ぼちぼち物件探しでもしようかな。

 

3月6日

謡のお稽古日。

今日は、飯田先生の初稽古日でもある。

社中が増えて嬉しい。

幹事である母が、今日は法事で来られないため、私が朝から行っていろいろ稽古場のことなど説明、居丈高に言うとお世話をしてさし上げる。

まあ、新しい人が来ようと来まいと私は基本的に、朝一か夕方にしかお稽古に行かないのだが。

 

とても筋が良くて、下川先生も嬉しそうだ。

筋のいい人たちが入ってきてくれるのは、頼もしいが、長年稽古をしているものとしては、内心焦る。どきどき。

 

帰りがけに一緒にランチをして、さらに喋る。

楽しい。

今後とも、よろしくお願いします。

 

近くの駅まで送ってもらい、(天候不順のため助かりました)、その足で京都へ。

京都文化博物館にて映画鑑賞。

今日の映画は1945年7月に公開され、終戦直後に編集し直された『東海水滸伝』である。

監督は伊藤大輔、稲垣浩。

お話しは、知っている人は知っている、次郎長ものの一つ。

森の石松金比羅代参道中である。

次郎長が阪東妻三郎、石松が片岡千恵蔵、小松村七五郎が市川右太衛門。

その他、花柳小菊や市川春代、香川良介や藤原釜足(当時はまだ藤原鶏太という芸名)など、知っている人にはよだれものの豪華キャストだ。

当然ながら?客層はおじいちゃん、おばあちゃんばかりである。

「江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」「寿司食いねえ」

といったおなじみの軽快なやりとりは、何度も映画化されているがいつ見ても楽しい。

映画が終わると会場から自然に拍手がわき起こる。

いいねえ。たまらないこの雰囲気。

心から映画を楽しんでいるみたいで。

映画を見て拍手などしたことのない世代のくせに、思わずつられて一緒に拍手をしてしまう自分を発見。

会場からぞろぞろ出てきながら、おじいちゃんたちが会話する。

「久し振りにええもん見せてもろうたわ」「そやな。ええなあ、やはり」

うんうん。私もええもん見られて嬉しいわ。

 

確か千恵蔵は1940年だったかな、マキノ正博監督の「続・清水港」というタイトルで、やはり同じ石松を演じていた。(話も金比羅代参道中)

あれは広沢虎三が出演して浪曲を映画で使った最初の作品だったのではないか?ちょっと失念。

「馬鹿は死ななきゃなおらねえ」ってやつね。

戦後、石松で大ブレイクしたのは森繁である。

勝新も錦之助も石松を演じていた気がする。

 

オールスターものと言えば、今流行りの「新撰組」、根強い人気の「忠臣蔵」、そして「次郎長もの」だろう。

 

機嫌良く、寒い京都の夜をふらふらしていて、遅くに帰宅するとドアにメモが貼ってある。

不審に思って読んでみると、2月に一方的に喧嘩を売られ、関係を切ると言い出したよくわからない知人からである。

連絡もなしに家まで来るなんて、なんだか、ストーカー行為をされたようで気味が悪い。

家にいなくて良かった。

 

3月5日

昨日新たににメールが来て、さらに調べておくように指示があったので、朝から日文研に通う。

しかし、午前中いっぱいネット検索していたのだが、全然ヒットせず。

おかしい?

何故ホームページが出ない?

今日は、午後から主治医のところに行かなくてはならないので、あまり時間がない。

結局あきらめて、昨日泣きながらしていた仕事を、とりあえず仕上げてしまう。

といっても、「最終的に無理ならパスしてもいいよ」と言われていた最後の原稿が出来上がっていない。

 

ネット検索したが出てこなかったことや、最後の原稿はまだ仕上がっていないが、とりあえず仕上げたお仕事を添付するなど、言い訳だらけのメールを書いて、添付ファイルをつけて送信する。

 

はあ、あともう一踏ん張りか。

 

その間にも、事務方から書類などが回ってきて、あわてて様々な手続をする。

3月で私の長い学生生活も修了か。

(まだ留学とかすれば別だけれども、今のところその予定もまだたっていない。)

なんか、書類を見て、手続きしながら思ったけれども、確実に追い出し体制にかかっている気がする。

ちと、複雑な気分。

 

ばたばたといつものように追い立てられ、あわてて主治医のところに駆けつけ、受付終了ぎりぎりのところに滑り込む。

間に合って良かった。

来週は来られないからね。(なぜなら来週は雷蔵の映画を見に行くからだ、イエイ!)

忙しさに身をゆだね、現実から逃避傾向にある自分を自覚。

実は頭で分かっていても、身体の方が上手く対応できずに、混乱をきたしかけていることも認める。

行き場のない焦燥感。

自己嫌悪の嵐。

主治医はただただ私がちっとも異常ではなく、むしろ極めて真っ当な人間らしい対応をしていることを強調。

人間らしいか。

そう思うしかないね。

虫より猿よりましか。

 

3月4日

昨日、ほっとしてしまい、疲れが出たのか、帰ってから何も出来ず、仕事の催促というか、ちゃんとやっているかという不安メールが届いていたにもかかわらず、お風呂に入って休んでしまった。

やばい、先週あんなに泣きながらやっていたのに、あれからほとんど進んでいない。

 

悪いと思いながらも、内職をして、こりこりと仕事をする。

頭で思い描いていても、いざ原稿に起こそうとすると、上手い言葉が見つからない。

しかも昨日のメールをみると、さりげなくプレッシャーがかけられていたので、まともなものを作成しなくてはならない。

初めてやるものだから、サンプルとご指摘を照らし合わせ、見よう見まねで仕事をしているので、不安が募る。

6日までに出来上がるのだろうか?

いや、また泣いてでも仕上げなくては・・・

 

3月3日

ひな祭り。

朝から日文研にてアルバイト。

 

職員さんと、早速、先週聞いた機器を使って、いろいろ実験をしてみる。

なるほど、こういう事が出来るのか。

あれ、これは出来ない。

嘘つきー!とか叫びながら、あれこれ自分でいじって実験を繰り返す。

漸く、一つの機械に関しては、大体のことが分かった気がする。

それにしても向こうが置いていった説明書は全くもって不親切である。

そんなこと書いてないやん!とぶつぶつ言いながら、これをするときにはこっちを設定して、などメモを作る。

もしかして、機械に強い人には当たり前のことだったのかも知れないが、私みたいに機械音痴には、設定一つの意味がよく分からないので、いちいちメモって確かめていじらないと覚えられない。

 

お昼ご飯を食べてから、午後もまた次の機械に取りかかる。

実は、この機械は前回、間に合わなくて説明をちゃんと受けていない。

19時半になって一度説明会が終わった後、業者さんが「簡単ですよ」と「ひょいとやって、ひゅっと押して、ちゃっと出来上がる」と全く意味不明の説明をしてくれて、とりあえずこの機械の一つ前のヴァージョンのマニュアルとこれまた「何で一つ前のマニュアルやねん」とつっこみを入れ、不満をたれたものを置いていっただけである。

「何が“ひょい”やねん」と文句を言いながら、残しておいてくれたテスト用の素材を使って、いろいろ作成してみる。

なんとか出来そうだが、絶対にもっと簡単なやり方があるはずとメモを取り、次回はここを聞こうなどと話し合いながら、試行錯誤を繰り返す。

結局タイム・アウト。

また来週やりましょうと打ち切る。

 

実は今日から初心者用「変体仮名講座」が始まる。

日文研の先生がボランティアで毎週水曜日に講義してくれるというありがたい講座である。

このほかにも、「古文書」「韓国語」「フランス語」などなどいろいろなことをそれぞれの先生方が時間をもうけて講義して下さる。

全部に出ると、とてもいい勉強になるのだが、時間の問題やいろいろこちらの都合と合致せず、とりあえず私は「変体仮名講座」に出席する事にした。

 

1時間半があっという間に過ぎ、久し振りに「お勉強」した気分になる。

はあ、私はついて行くことが出来るのだろうか??

 

講座が終わり、帰りがけに副査であった先生にお会いする。

誰も何も言ってくれなかったが、初めて「会議は無事に合格しました」という、私が最も待ち望んでいて言葉を聞くことが出来た。

やはり、嬉しい。

一人ほくそ笑みながら帰る。ふっふっふ。

 

2月29日

今日で2月が終わるなんて、私は2月の間、何をしていたのだろう。

恐ろしい勢いで一と月が過ぎてしまった。

 

薬を飲んでも、追いつめられているのであまり眠れない。

眠れなくても平気なところがまた怖い。

 

朝一でメールを開けると、期日は昨日までと思っていたのが、実は来週(今週?)の土曜日、3月6日までと言うことが判明。

ああ、私って、なんて馬鹿なの?

でも、昨晩泣きながら半分仕上げていたので、それに対して既に指摘が入り、結果的には、全くひどい代物を送りつけることにならずに、少し改善の余地が出来て良かった。

 

今日は、私の敬愛する人たちと宴会である。

といってもどこかに行くのではなく、日ごろの感謝の意味を込めて、私が拙い腕をふるって趣味であるお料理をさせて頂くというものである。

家は狭いので、お一人のお宅を借りて、しかも何故か材料代はすべて皆様持ちという、誠に自分勝手な企画なのである。

どこが日ごろの感謝やねん。

朝のメールで少しほっとして、朝からばりばりとお料理を作る。

久し振りにまともにお料理を作るので、楽しい。

今日の献立は・・・和え物三種(・芹と粟麩の辛子胡麻味噌和え・蛤とわけぎのみぞれ和え・菜の花の辛子和え)

お刺身(別に私が釣ってきたわけではない)

吸い物は粕汁。

焚き合わせ・淀大根と飛龍頭、独活と穴子・若牛蒡

揚げ物が出来ないので、代わりに焼き物が三種・サーモンの白酒田楽味噌がけ・牡蠣の葱味噌田楽・独活と蕗の豚肉巻き、あしらいに独活のきんぴら。

蒸し物というか焼き物なのかな?合鴨ロース。

仕上げに春野菜のばら寿司。

という、早春と冬が混合した無茶な献立を作る。

 

しかも、仕込みが終わったらお迎えにまで来て頂き、会場となるお宅へ到着すれば、ひとの食器を「盛りつけのため」と有無を言わさず使いまくり、全くもって傍若無人な振る舞いをしでかすとんでもない輩となりはてる。

 

宴が開始されると、皆様から「お祝い」のお言葉、花束、プレゼント、シャンパンをいただき、心より感謝する。

そういえば、金曜日から何も私のところに連絡がないと言うことは、きっと合格したのでしょう。

落ちていたら、あわてて先生から連絡があるよな、きっと。

そう思いこんで、ありがたくお受けして、宴の夜が更けていく。

 

結局、一番楽しんだのは私かも知れない。

 

2月28日

あほな頭に一度にいろいろなことをインプットしたせいで、頭が混乱。

今日中に仕上げなくてはならないのに、まだ資料が読み終わらない。

夕方より、明日1日はずいぶん前から予定を入れていて、それまでに終わらせるはずだった。

なのに、なのに、気がつけば毎日なんだかんだと忙しくて、全然捗らない。

夕方まで仕事していたが、終わらず、夜の用事が済んでから、泣きながら何とか半分だけ仕上げて、お詫びの泣きメールを書いて、半分だけとりあえず添付ファイルで送信した。

もう、夜中の3時である。

何で、こんなに追いつめられているのだろう。

しくしく。

 

2月27日

今日は運命の日。

合否判定会議の日なのである。

朝から落ち着かない。

とはいえ、何もすることは出来ない。

今日は日文研に導入された新しい機器の説明会でもある。

10時からと言われて、寝坊しないように朝から日文研に通う。

 

9時半に端末室に行き、メールのチェックをしながら、そわそわしていると職員さんが来る。

10時になって、機器が入った編集室に行くと、業者さんとすれ違って、誰もいない。

むむ?

とにかく新しい機器を眺めながら、「これって覚えるの大変そうやな」と思っていると、伝言ミスが発覚。

機器説明会は13時半からだった。

一度端末室に引き上げて、火曜日の仕事の続きをする。

 

お昼ご飯を食べに院生室に戻り、昨日の資料の続きを読もうと思っていると、何かとても私に話したいことがあるらしく、ずっと話し相手になってしまい、何も出来ずに昼休みが終わる。

よく分からないが、何かが起こっているようだ。

 

13時半から機器説明。

機械音痴の私が聞いてどうなる?という気もせんでもないが、とりあえず私が使うことになる可能性も大きいので、説明を聞く。

今回新しく導入されたのは、一応全部つながっているのだが、3台の機械。

そんなの午後だけで分かるの?という不安は的中。

2台の機械だけで、しかも最後の方は急いで、省略しながら説明されてしまい、訳が分からなくなる。

気がつけば、19時半ではないか。

業者さんは分かっているから、「簡単ですよ」とマウスを使ってどんどん操作してくれるが、こっちはメモを取りながら、聞いているので、メモを取っている間に話が進んでしまい、「それって、どうやってやったんですか?」とまた聞き直す羽目になる。

頭がいっぱいで、よく分からない。

大体、向こうも不親切である。

マニュアルを用意してきてこないのだから。

親切なマニュアルを用意してくれていると、「あ、今この画面で、ここのボタンをクリックね」とかそこに「これは何のボタン」とか自分で書き入れることも出来る。

それが、何もなしと来ているのだから、はしょった説明されて、1回で覚えられるかい。

使いこなせたら、確かにいろいろ出来て便利だし、楽しいと思うのだが、一度にこんな説明されても無理。

ふらふらになって帰りました。

 

2月26日

女学院にてアルバイト。

さらに資料集め。

女学院の図書館に資料があったので、助かる。

早速借りてきて目を通す。

 

もう一つは紀伊国屋の梅田店にて在庫があることが判明。

急ぎの必要本だったので、電話で取り置きを頼み、バイト終了後梅田へ直行。

即、購入。

資料読みの日。

 

2月25日

チケットをいただいたので、駆け込みで『スター・ウォーズ展』を見に行く。

今日は暖かいので、梅が見頃。

ちょうど天神さんだから、北野天満宮はきっと人でいっぱいだろうなあ。

 

夜は、敬愛する人生の先輩方とお食事会、というか飲み会。

楽しい人と飲むとするすると酒が入ってしまうのが怖い。

3人で出かけて、気がつけばワインが3本あっという間に空になっていた。

あー、こんなに飲んでいる自分が怖い。

でも満足。ぐふふ。

 

2月23日

女学院にてアルバイト。

後、お稽古。

 

今日も無為に時間が過ぎていく。

早く仕事を片づけなくては、と焦るばかり。

 

2月22日

久し振りにNOVAに行く。

2月になると、もっと行けると思っていたのだが、何となく忙しくて、全然余裕がないまま今日になってしまった。

当然の事ながら、「レッスン終了後、カウンセリングを受けろ」と言われる。

もう、言われることは分かっているのだから、嫌だなあ。

 

もっと詰めて来て下さい。

もうポイントもわずかですから、今キャンペーン中ですので、次回の御継続を。

先生からのコメントで、こんなにスパンが空いてもこれだけのレヴェルをキープしているのだから、詰めて来たらすぐにレヴェル・アップになりますよ。

あと1番の問題は「構文力」ですね。

 

ということを、簡単にいってくれればいいのだが、1時間以上もかけてくどくど言われる。

はいはい、分かってますって。

お世辞はいりません。

構文力ね、自覚してます。私の語学ははったりですから。

次回継続?

4月以降の生活のめども立っていないものに、そんなこと言われても答えられません。

先立つものがない。

と、こっちは簡潔に逃げているのに、向こうは商売だから食い下がってきてしゃあない。

あー、しんど。

 

漸く解放されて(と言うより半ば強制的に逃げ出して)、ヨドバシカメラに修理が終わったポータブルCDプレーヤーを漸く引き取りに行く。

結局症状が出なかったらしく、見込み修理をしてくれたようだ。

直っているといいのだが。

 

2月20日

朝はたん熊さんの稽古。

人数は4人と少ないが、実は人数が少ない方が効率がいい。

あっという間に「お雛様料理」が完成。

春だね。

美味しいですわ。

 

すっかり満足して、寄り道もせずに主治医のところへ。

診察時間の少し前に着いたにもかかわらず、もう待合室は満員。

あきらめてモス・バーガーに行き、1時間半ほど時間を潰す。

資料を読んで、あれこれ悩む。

 

戻ってからもさらに1時間近く待たされて、漸く順番が回ってくる。

服用しないといつまで経っても眠れない。

一度なしで寝たことがあるが、次の日はやはり正常に過ごせない。何となく自律神経失調気味になる。

かといって、最近少し朝がつらい。

一度4時に覚醒して、二度寝をするとどうも起きにくくなって困る。

薬を減らしてもらえまいか?

と相談したのだが、「時期が悪いので、もう少し我慢して」と言われる。

時期が悪いって?

「春眠暁を覚えず」というから、朝がつらいのは時期のせいだ。

季節が良くなると、変わるから少し待てという話だったのである。

そんなもんかなあ。

 

2月19日

女学院にてアルバイト。

バイト終了後、食事に誘われていたために、内職道具を持って行かなかった。

読まなくてはならない資料は持っていたけれど。

 

このところ割と続いて映画を見ていて、幸せなので、こっそりとDVDを見ることにする。

ずっと見損ねていた鈴木清順の『夢二』。

色遣いがやはり鈴木清順らしい。

1991年製作なのを見て、どうして当時映画館で見に行かなかったのだろうと後悔。

まだまだこの頃は洋画を中心に見ていたからかなあ。

 

邦画をもっと見たいと思うのだが、こっそり見るには日本語が聞き取れないために、結局音声のボリュームを上げてしまう。

全然こっそりではなくなってしまうではないか。

と言うことで反省。

 

次は、これまた映画館で見たかったのだが、逃していた『花様年華』を見る。

中国語は分からないので、音を小さくして、字幕で見る。

古風な音楽が効果的に使われて、ストイックな男女関係の暗示がよく伝わる。

マギー・チャンが結構好きなので、楽しんでみていた。

そういえば、前回『HERO』が入荷された話をしているとき、「マギー・チャンって綺麗ですよね」と嘱託職員さんに言ったところ、「えー??そうですか?」と言われてしまった。

がっくり。

まあ、美人という感じでもないが、中国系の端整な顔立ちで、スタイルもいいし、いいと思ったんだけどな。

まあ、「誰かが綺麗」なんて言うのは「主観」に過ぎないから、仕方ないか。

 

ちょうど時間も来たので、ライブラリーを閉室して、お食事に出かける。

店の名前を失念してしまったが、割と新しいイタリアン・レストランで阪神芦屋のすぐそばにある。

阪神沿線は滅多に使わないので、駅前がこんなにおしゃれになっているのは知らなかった。

この辺りは地震の被害が結構あったと思うのだが。

おしゃれというのは芦屋という土地柄なのだろうか?

尼崎の阪神沿線なんて、ディープだからなあ。(歴史は古いんだけれどね)

小学校6年か中学1年ぐらいだったかと思うが、尼崎の競艇場でRCサクセションが水上コンサートをした事があった。

すごくいきたかったのだが、両親に「そんな土地柄の良くないところに、子供が行くものではない」と大反対されて、涙をのんだことがあったなあ。

悔しくて、悔しくて、音楽雑誌に後ほど載ったリポート記事と写真を眺めながら、大音量でRCのレコードを何度もかけていたっけ。

嫌なガキだったと思う。

 

さて、レストランは落ち着いた雰囲気で、お料理も美味しく、ワインも美味しかった。

誘って下さった方は、いかにも二人で飲んでいる振りをして、実は私一人で飲まされていたことが判明。

途中、酔っぱらって少しやばかった。

少し時間が経つと、復帰して、でももうこれ以上はワインが飲めないのに、ボトルが残っていたので、恥を忍んで、「お持ち帰りさせて下さい」と無理を言う。

せこいというか、恥知らずというか、卑しい奴。

 

とても楽しい時間だった。

 

 

2月18日

勝新映画祭に行く予定をしていたが、仕事の関係上、どうしても日文研に行かないと駄目になり、あきらめる。

残念。

でも今日は現代劇なので、また今度見るか。

 

1週間ぶりの日文研。

頼んでいた本が届いているし、展覧会のチケットももらえて、今日来たことが結果的に良かったと思った。

いろいろやり残していたが、ずっとばたばたしていたので、顔を出せずにいた祖父母の家に夕食を食べに行くと約束をしていた。

はあ、時間が経つの速いなあ。

結局、あわてて帰ることになってしまった。

 

久し振り(といっても3週間ぶりだが)に顔を見る祖父母が、思ったよりも元気そうなので安心した。

相変わらず祖父はわがまま、祖母の言うことを聞かない。

言いたくはないが、孫の私がきつく言うしかない。

それは祖父のためである。

自分のことは自分でしないと、どんどん筋力が落ちるし、寝たきりになってしまったらつらいのは祖父自身である。

高齢なので、立ち上がったり、動くのがおっくうになるのは分かるが、人の力を借りていては、甘えるばかりだ。

まだ自力で立ったり座ったり、歩くのも出来るのだから、維持して欲しいと思う。

私が小さい頃は厳格で、恐怖の対象だった祖父が、こんなに好々爺になり、威厳が失われてしまったのは、たまに寂しい気がする。

それでも、長生きして見守ってくれていることに感謝しなくては。

 

2月17日

今日も女学院にてアルバイト。

審査中、ずっと交代をお願いしていたので、代理を進んで受けている。

プログラムは昨日、職員さんに業者連絡をしてもらったが、まだ修理が来ていない。

早く修理に来ないかしら。

 

今日はDVDを見たいと思ったが、ぼちぼち来る学生さんたちの対応とプログラムの調子の悪さとか重なって、ほとんど見ることが出来ない。

残念。

まあ、内職にしろ、DVDを見ることにしろ、そういう仕事以外することが間違っているので、文句を言う方が間違っている。

ということで、ほとんど、読書で過ごした。

 

2月16日

女学院にてアルバイト。

この前直してもらった管理・検索プログラムがまた調子が悪い。

入力が遅々として進まず。

難儀やわあ。

まあ、学生さんが少ないから楽やけど。

 

夕方は臨時バイト。

夜は約束をしていたので、すぐ終わると思っていたが、結構時間がかかる。

結局タイム・リミット。

「明日、続きをしますので、よろしいでしょうか」とまたまたわびを入れ、了承を得て、明日に仕事を残してしまった。

ほんまに時間に追われてすごしてんなあ。

 

2月15日

勝新映画祭。

先週は3プログラムだったけれど、昨日から21日までは、2プログラムに減る。

(モーニング&レイトショーで別番組が組まれたから)

今日は割と豊富なメニュー。(「座頭市」や「悪名」ばっかりが貧困とは言いません。それはそれでたくさんシリーズ化されているから見たいもの)

昼の13時からまず「座頭市血煙り街道」と「続・兵隊やくざ」、夕方から「とむらい師たち」と「鬼の棲む館」の4本。

「座頭市」シリーズは結構見ているはずなのだけれど、いちいち題名まで覚えていないし、本数が多いからどれを見たかは映画を見始めないと思い出せない。(ええ加減やなあ。)

小さい子供連れの旅になっていて、一瞬「見たことあるかな」と思ったけれど、あれは別の作品でした。

たしか国定忠治みたいに、親分への義理か代わりか忘れたが、幼子を連れての旅という作品があったはず。(実際忠治親分が出て来ていたのかも知れないが失念)。

今回はラストに近衛十四郎との夢の対決。

二人とも「殺陣」が上手い役者として評判なので、見応え十分。

 

「続・兵隊やくざ」は初めて見る。(このシリーズは第1作の「兵隊やくざ」しか見ていない)

これまで、あんまり思わなかったが、田村高廣が苦笑ではないが、額に皺をよせながら「にやっ」と笑う横顔のシーンがあった。

それが阪妻そっくりだった。(本当に一瞬だったけれど)

最近の高廣は本当にお父さんに似てきたなあと思い、若いころはそんなに似ていると思っていなかったが、やはり親子である。

でも、最近の高廣が似てきたと思うのは、私のある種幻想である。

阪妻は50代前半で亡くなった。(51か52だったと思う)

今の高廣はもう70を越していると思う。

つまり、そんなに年を取った阪妻を見ていないからだ。

 

後半の2本も初めて見る作品である。

「とむらい師たち」は野坂昭如の原作。

見ているうちに「あれ、これ今村昌平の『「エロ事師たち」より人類学入門』にだんだん似てきたなあと思った。

製作年は今村昌平の方が古い。

気になって帰って調べてみたら、「エロ事師たち」が野坂昭如原作だった。

似てきたのは、「野坂昭如」のカラーだったせいかしら。

「鬼の棲む館」は谷崎潤一郎原作。

これも見たことあるような気がしたのは、覚えていないが原作を読んだことがあるのか、それとも割とよくある話だったのか、既に誰かが映画化していたのを見たせいか。

題名を失念してしまったが、「桜の木の下に鬼がいる」という伝説をもとに製作された映画で(多分原作は誰かの小説のはず)、お兄さんの若山富三郎が、似たような役をやっていたよなあ。(女性(にょしょう)に惑わされて、悪事をはたらき、最後にふとした瞬間からその女性を自らの手で殺してしまい、茫然自失というやつね)

よく似た兄弟だなあ。

 

勝新映画祭とはいえ、偶然かも知れないが、私が見てきたものには不思議と「三隅研次」監督作品が多い。

なんか、勝新を見ると言うより、「三隅研次」を見るという気もしないではない。

黒澤(清じゃなくて明ね)や小津、成瀬に溝口、木下や市川崑(準もいるけど)、今村昌平、北野武、川島雄三、最近では中平康などなどの監督作品の映画祭が組まれることも多々あるにはある。(マキノ正博もあったな)。

だけど、稲垣浩や大曽根辰夫、三隅研次や森一生、田中徳三や佐々木康、松田定次や工藤栄一など枚挙にいとまがないが、そのような娯楽映画を支え続けた監督の映画祭というのはあまり見たことがない。

(稲垣浩はあったかも知れないが、私がみはじめてからの記憶にはない)

伊藤大輔とか山中貞雄、伊丹万作になると、残っているフィルムが少ないから仕方ないかも知れないが。

そういう企画はやはり当たらないのかしら。

ビデオ化されてない作品も多いから、誰かやってくれないかなあ。

 

そうそう、昨日薬なし睡眠に挑戦したのには、ワケがある。

無知なので知らなかったが「睡眠文化研究所」というのがあり、また「睡眠」についての学会など結構「睡眠」「快眠」についての研究が充実しているのを最近知った。

それをいろいろかじって読んで、なるほどなるほどと思い、自分にそれを引き寄せたら眠れるかも知れないと思ったからである。

またもう一つは、TVCMで「一時的な不眠や睡眠障害に」だったか忘れたが、そんな内容で「眠るための薬」が発売されているのを知って、何となく恐ろしくなったのである。

今は「眠れない」時代になってきているから、薬局で簡単に「眠れる薬」というものを販売しだしたのではないだろうか。

それって、いいのか、悪いのか。

たしかに不眠はつらい。不眠まで行かなくても睡眠不足はつらいと思う。

だけど、これを安易に薬で解決させるのもどうしたものかと思ったのである。

自分のことを棚に上げているわけではないが、日本はやはり薬王国である。

いつ頃からそうなったかは知らないが(調べたら分かるかも)、とにかく何かあればすぐに薬が処方されている気がする。

だから、最近は薬に対してうるさくなったし、インターネットで簡単に薬名を検索して効能や副作用など調べることが出来るようになったのであろう。

 

そして、結果は。

4時間悪夢にうなされ続けて、怖さのあまりに何度も目を覚まし、また寝ようとしてはお話しの続きで、前の夢を引き継いでさらに悪夢にうなされるという繰り返し。

4時頃に完全に目覚めて眠れなくなり、本を読んだりしていたが、つい最近かじった「睡眠」の話を思い出し、また真っ暗にして布団に戻り、悪戦苦闘を繰り返した。

けれども、今日、映画は楽しめたし、まあ寒気が来ているのでかすかに震えているけれど、何となく調子が悪いと言ったぐらいかな。

なので、合格。

明日はバイトだから、さすがにこの体調ではまずいなあ。

まあ、少しずつ努力していくか。

 

2月14日

今日は、勝新映画祭には行かない。

昨日とプログラムが重なっていたから。

今日は、来週で終わってしまう映画を2本。

一つは「武士(MUSA)」という韓国映画(韓国、中国、日本合作となっているが)。

歴史劇風なスペクタクル映画。

砂漠の中でくり広がられる、高麗人と蒙古族の壮絶なる死闘。

馬あり、たくさんの種類の武具あり、甲冑ありと見ていて飽きない。

邪推かも知れないが、それでも見ていると、どことなく「あれ、これは黒澤の『影武者』や『乱』、あるいは稲垣浩の『風林火山』みたい」と思い、「あれ、これはまるで西部劇みたい」と思い、「なんか『ラスト・サムライ』みたい」、最後の主人公に等しい(集団劇だから)俳優が死ぬシーンはまさに「『プラトーン』みたいだ」と思うシーンがある。

映画なんて、オリジナルとはいえ、過去に大量の映画があればあるほど、どこかに似たシーンが出てきて当然であろう。

製作者が意識していなくても、過去に見た映画の記憶がどこかしら現れてくるだろうし、タランティーノみたいに明らかに映画で育って、自分の映画体験からさらに映画を作り出している人もいる。

だから、「これって○○みたい」と観客が邪推してみるのも、楽しみの一つとしていいのではないか。

なかなかこの映画の出演陣が男前なんよねえ。

楽しめました。

一つ面白いなあと思ったことがあった。

お国柄なんだろうか、私はハングルが読めないのでおそらく最後のクレジットに出ている韓国語を字幕にしてあるのだろうと思って読んでいると、(文面は正しくないが)「この映画は歴史的史実に基づいたフィクションです」と断りが入る。

まあ、これは分かる。問題は続くコメントである。

「従って、馬の負傷や事故者などは一切出ておりません」といった内容が表示されたのである。

おいおい、それって当たり前なんちゃうん。(まあ、昔のチャンバラ映画は負傷者がたくさん出ていたそうだが)

だって映画やねんから。作り事やん。

それとも「本当に起こった」と勘違いしてしまう観客が多いのだろうか、そういう苦情が出るのだろうか。

単にお国柄とは言えない。もしかしたら時代の波なのかも知れない。

これからは気をつけてみてみよう。

でも、私はよっぽどのことがない限りはラストのクレジットの途中で席を立つことがない。

場内が明るくなるまで席に座ってみている。

最近はエンド・ロールになるとばたばたと席を立つ人が多くなった気がするが、やはり最後まで見ないと、もしかしたら最後にあっと驚くものが隠されているかも知れないじゃないか。

 

少し時間を潰して、やはり来週末で終わる「人生のメビウス」を見に行く。

7人の監督による10分ずつの短編のオムニバス映画である。

どれもなかなか興味深い。

たった10分、されど10分である。

しかし、隣に座った女性二人は「これ、わけわからん」とか終わった後に「これで1800円?」と文句を言うてはった。

私は学割なので、1500円だったけれど、今の映画事情ならこんなもんじゃないでしょうか?

大体、日本は映画料金が高すぎるのである。

だから、みんな安価なレンタルや、ただのTV放映に行ってしまうのではないか。

それはさておき、アンケートで1番気に入った作品に答えて欲しいというのがあった。

どれもよかったんだけどな、迷う。

最終的にジム・ジャームッシュかヴィム・ヴェンダースかと絞って、どちらも両監督の個性が出ていて、選べない。

さんざん迷ったあげく(みんなそんなに迷ってなさそうだったけれど)、今回はヴェンダースのほうに軍配をあげてしまった。

単なるアンケートで別に何も見返りはないのだけれど。

それでも私はそれぞれの監督に敬意をはらいたいから、真剣だ。

 

他にも見たい映画はたくさんあるが、高いのでなかなか行けない。

疲れない、疲れないと言っていたが、やはり視覚によるインパクトは脳に焼き付いて強烈なので、どこかで疲れている。

心地よい疲れ。

不思議とお風呂から出ると眠い気がした。

よし、今日はこのまま寝てみよう。

 

2月13日

13日の金曜日。

別にクリスチャンやないし、関係あらへんか。

 

今日も朝から勝新三昧。

定番の「座頭市」シリーズに、「悪名」シリーズと前にも見たことのある映画があるけれども、スクリーンで見るのはやはり気持ちがいい。

今日は「座頭市」3本、「悪名」2本、あとは「兵隊やくざ」。

これも以前見たけれど。

とても意外なのが、あまりお客さんが入っていないことだ。

まあ、今日が平日と言うこともあるのかもしれない。

でも、阪妻映画祭の時は結構いっぱいだった。

雷蔵の時も確実である。

今日なんかは多くても10人弱。

朝から見ていて、最後の回になると私一人。(1日6本も見る奴はいないか)

(上映中に遅れてておっちゃんが二人入ってきはったけれど、それでも3人)

暇なので?チケット売り場のスタッフさんたちとお話しをする。

このプログラムを組んでみたが、やはり思ったより客が入らないので、困っている様子。

なんか、私はもっと勝新を見に来る人が多いと思った。

若い男の子なんか、絶対いると思った。

けれども蓋を開けると、おっちゃんやおじいちゃんばっかり。

二人ぐらいおばちゃんがいるだけ。

意外やなあ。(まあ、勝新は女性より男性ファンの方が多いとは思っていたが)

KAVCの人と話していて、やはり今回のプログラムをみると「座頭市」シリーズや「悪名」シリーズが中心となっている。

その両シリーズとも、昨年からすべてDVD化した。

ということは、手軽にレンタルでも借りることが出来るから、見に来ないのだろうか。

でも、スクリーンで見てこそ価値があると思うんだけれどな。

シリーズも定番になってくると、勝新太郎のいいところが引き出されてくる。(もちろん悪いところも出てくるが)

三味線を弾いたり(座頭市)、河内音頭を歌ったり(悪名)と、勝新の持つ腕や喉を生かしてサービス精神旺盛である。

これぞ、娯楽映画、エンターテイメント。

座頭市を見ていると、おもわず「いっつぁん」口調になり、「悪名」をみていると思わず河内弁になる。

そんな気持ちがよく分かる。

朝から6本も見てよく疲れないね、と思われるかも知れないが、映画に夢中になっているから疲れないのである。

途中眠くもならない。(寝ている人もいはったけど)

プログラム・ピクチャアなので平均80分から90分というのも、大作2時間半とちがって、気楽に見られる理由かも知れない。

北野武「座頭市」が、刀を抜くのが早いだの、下駄でタップだのと囃されていたが、私からみたら、そんなのは既に黄金期の時代劇映画がやってきていることなのである。

だから、私は北野「座頭市」はオーソドックスなチャンバラ映画だと感じたのである。

目新しい事なんて、とりたててなかったから。

 

映画が終わると21時になっていた。

ゆっくりお風呂に入って、早く寝よう。

 

2月12日

ついに薬なし睡眠に成功かも?

私にも安眠の日々が戻ってくるか?!

 

昨晩、友人宅に泊まることになり(放蕩三昧やな)、今日がアルバイトだったので、朝早く起きなくてはならない。

薬が効いて起きられなかったら嫌なので、もう大丈夫かもと思い、自ら薬を服用せずに挑戦したのである。

今のところ多分大丈夫。

 

女学院に出勤。

暫く行き違っていてお目にかからなかった嘱託職員さんが、日記を見て「体調大丈夫ですか」と心配して下さる。

ありがたい。

「ええ、すごく良くなってきました。ご心配頂きありがとうございます」と答える。

いろいろと話をしていて、私は本当にいい人たちに恵まれているな、と身にしみ入るように実感。

極悪非道者にも心はあるのだ。

 

眠れなかったときに起きる自律神経失調の傾向が出ていないが、どうも調子が良すぎる。

だんだんと自分が少し異常なハイ・テンションになっていることに気付く。

それでも大丈夫と思い、お稽古場に駆けつける。

下川先生は待ちかねたように、ビデオを用意して待っていて下さる。

ああ、赤っ恥ビデオをいきなり見せられるなんて。

深く反省。

お稽古に精を出しました。

 

ここまでは良かった。

確かに良かったが、そのまま母に実家へ連れて行かれる段階になって、急激にテンションが落ちてくるのが分かった。

やっぱり駄目かあ。

実家につく頃、生唾があがってきて、寒気がし、身体がかすかに震えてきた。

両親と一緒に夕食をいただくが、だめだ。

身体は震えているし、なんとか口に入れるが、吐き気がしてきた。

ほとんど食べることが出来ない。

あーあ、また振り出しかあ。

まあ、考えてみたら、昨晩こたつで寝ていたからなあ。

普通の人でも、こたつで寝たら、ぐっすり眠れるわけないわ。

だから、これが布団だったらまた別だったかも知れない。

しかし、ここまで体調が持ったのだから、大進歩である。

確実に快方に向かっていると私は信じた。

 

でもね、未だに眠気が全然来ず、もう完全に自律神経失調に陥っている。

逃げ帰るように家に帰るが、症状は変わらない。

薬なし安眠の日々はいつ訪れるのだろう。

このまま、挑戦し続ければ、眠り方を思い出すかも知れないが、やはりこの調子だとまだ無理かなあ。

だって、足ががくがくしているし、意味もなく涙がじわっと出てくる。

寒気がするので、ゆっくりお風呂に入ってみたが、少しましかなあという程度。

のぼせたのか、調子の悪さからかめまいがしてきた。

ふえーん。

誰か、私に眠り方のこつを教えて。

 

2月10日

新開地に住んでいる友人に「今週は勝新映画祭があるから新開地に通っている」とメールしておいた。

だけど、KAVCは火曜日が定休日。

今日は日文研に出勤。

 

家に送られた添付ファイルが「ウィルスの危険性があるため」と勝手にメールから削除されてしまったために、日文研に送ってもらっていた。

前も同じ事があった。

昨日、酔っぱらいながらも設定をいじったので多分これからは大丈夫だと思うのだが。

 

仕事のメールだったので、日文研のメールで添付ファイルを開いて打ち出しをする。

それから、この前のシンポジウムのテープを聴いて、録音が変な順番になっているのが発覚。

これでは、職員さんは出入りしていたのだから、順番が分からないわなあ。

そこで、私が研究協力課に行き、テープの順番がおかしいので、これが1番でと説明して受け渡しをする。

何でこんな事になったんだろう?

不思議なことがよく起こる。

 

昼間に頼まれごとをしていたのを途中でほったらかしにしていたことに気付く。

期限が迫っているので、あわてて仕上げて、メール・ボックスに入れようと思うと、偶然お会いした。

遅くなったわびを入れて手渡す。

しかし、別紙参照と書きながらその別紙を今から書こうと思っていたので、「後でメール・ボックスに入れておきます」と言い訳する。

あー、なんでいつもこう追いつめられているんだろう。

もっと早くからやっておけばいいものを。

 

午後は前回の意味不明メールの件を含めて、CMデータベースの仕事の打ち合わせ。

先生が帰った後、動画修正。

このデータベースを使って共同研究会をしているのだから、早く完成させなくてはならない。

論文で今年度は結構休ませてもらったので、仕事が山のようにたまっている。

はあ、でも動画修正は変換に時間がかかるから思うように捗らない。

勝新映画祭があるので、今週はもう来られないことを職員さんに詫びる。

詫びてばっかりやな。

急ぎの用件は先生にメールして、職員さんにも送っておく。

最悪の場合、お仕事をお願いしなくてはならないから。

あっという間に17時になり、とりあえず院生室に戻って頼まれていたものについての別紙を書き上げる。

 

すると、新開地の友人から早速メールが入った。

しまった、火曜日は休みと言ってなかった。

まさかこんなに早くメールが入るとも思っていなかったから。

でも、明日は行くので、もしかして泊めてもらえたら明日新開地までわざわざ行かなくていいかも、という下心のもとに、新開地で落ち合う約束をする。

まだ会社にいるとのことだったので、こっちも日文研から行く時間を計算して、大体同じぐらいになることが分かって安心。

 

一緒に飲みながら「明日祝日やん。休み?」とさりげなく聞いたら、「朝から仕事」と答えられてしまった。

「なーんだ、泊めてもらおうと思ったけど、朝早いん?」とさらに食い下がってみたが、「早いから、駄目」と言われてしまった。

うう、やはり世の中そんなに甘くないか。

 

祝日まで出勤なんて大変だね。

 

2月9日

またまたお詫び。

「菊の井」の看板である板前は村田さんでした。

よく雑誌とかに載っている超有名人なのに。すみません。

本当に人名が覚えられないのは、情けないことである。

深く反省。

 

今日は女学院にてアルバイト。

帰りに仲良くして頂いている職員さんとお食事の約束をしていた。

 

春休みなので暇だろうと思っているが、ぼつぼつと学生さんがやってくる。

もちろん授業のあるときに比べると全然暇なのだが。

 

午後にまた別の職員さんと話していると、「良さそうなイタリアン・レストランがあるから付き合ってくれませんか?」と非常に控えめなお誘いを受ける。

博論を提出して以来、なんだかんだとお誘いがあり、嬉しい。

皆さん、気を遣って頂きありがとうございます。

もちろん、即答でOKしました。

 

けれども、皆さんと話していると、「ちょっと待ってくれ」と思うことがたびたびである。

「もう終わられてほっとしたでしょう」とか「後は遊べるからいいですね」とか「良かったですね」とか言われることが多い。

ひどい?(いや全然ひどくないんだけれど)場合は「おめでとう」とまで言われる。

私はその度に内心「ちょっと皆さん、誤解していませんか」と思い、誤解を解かなくてはならない。

確かに、博士論文は書き上げたし、学位申請公開審査会も終わった。

けれども、まだ合否判定の会議が終わっていないのだ。

出してしまったものは、今更書き直せるわけでもないので、そのことについてどうすることも出来ない。

なので、今の状態は言うなれば、判決待ちの被告の気分、それは言い過ぎか。

うーんと、そうだな。

志望校の受験が終わって、合否待ちをしている受験生の気分なのである。

試験も終わった。口頭試問も終わった。

後は合格するか、否かを待つだけの身である。

そんな人に、「良かったですね」とか「おめでとう」とか言わないだろう。

「終わられてほっとしたですね」は言うかも知れないか。

今更悪あがきは出来ないんだから。

しかし、「後は遊べるから」というのも、なんだかしっくり来ない。

いや、確かに遊んではいるけれども、それは一時的な息抜きであり、この先を考えると、やらなくてはならないこと、まだまだ学ばなければならないことが、山のようにある。

一心不乱に論文を書いているときよりは、たしかに「誘ってもいいかな」と他人様が思って下さる余裕が私の中には生まれたのかも知れない。

しかし、溜まっている仕事を一生懸命こなし、映画祭に通い(これは半分仕事みたいなものだから)、読みたかった本を読み、お誘いを受けて、毎日なんだかんだとばたばた忙しく予定を入れているのは、結果待ちというこの状態が怖いからである。

不安だから、忙しくして気を紛らわしているにすぎない。

仕事が山積みなのは確かだから、追い立てられるようにしているし、お誘いを受けて出て行くのは、いろいろな人の話を聞いて、刺激になるからである。

そこから、今後自分がやっていきたいことにプラスになる方向性が見いだせると思うからである。

だから、何も終わっていないし、これから始まるのである。

本音は、「あとは神頼みしかないな」というところ。

気遣って下さる皆様には、感謝していますが、誤解しないで下さいね。

私はまだただの学生の身なんですから。

 

17時にライブラリーを閉室して、わざわざ迎えに来てくれた職員さんと仲良く西北に行く。

17時半から空いているところなんてあまりない。

大体18時からである。

 

寒いので近場にしましょうと言うことになり、アクタの飲食店街に行く。

七輪焼きのお店があったので、そこに入る。

寒かったから、七輪をテーブルに持ってこられると暖かくて、気持ちがいい。

以前ビールのCMで、役所広司が七輪でキノコ類を焼き、刷毛で醤油かなんかを塗っていて、「美味しそう」と思った記憶が鮮明によみがえる。

ということで、開口一番「キノコの盛り合わせ」を頼む。

刷毛とポン酢が出てきたので、念願の「刷毛で塗り塗り」を達成。

すごく楽しくて、はまってしまった。

お魚が多いがお肉もあり、そのたびに七輪を変えてくれるので、とても親切なお店に思えた。

焼酎が多くあり、泡盛も結構置いてあったので、ついつい泡盛を注文。

泡盛にもはまりました。

 

18時前から閉店まで楽しくおしゃべりしながら(って私が一人で喋っていたのか)泡盛を飲む、飲む。

 

当然ながら、帰ったら結構酔っぱらっている。

メールの返事を書き、お風呂にそれでも入り、2時になってしまった。

酔っているのに眠くならない。困った。

服薬して、早く寝ます。

 

2月8日

下川正謡会新年会。

内輪の会とはいえ、この日は、みんな総動員して結構本格的に会をするので、大忙しである。

素謡、舞囃子(あるいは仕舞)、地謡、囃子、能楽と出たり入ったりして、みんなが出演する。

あっという間に1日が過ぎる。

舞台に出ていないときでも、写真撮影、ビデオ撮影、お茶係、能楽の装束付けの手伝いなど、ほとんど休む暇がない。

 

おまけに稽古不足がたたって、舞囃子で思いっきり間違えた。

当然叱られました。

「力みすぎです」と言われたが、力むのは余裕がないからであって、やはりお稽古不足のせいだと思う。

深く反省。

 

新しくお稽古を始められる飯田先生が午後から見学に来られた。

社中が増えるのは非常に嬉しいことである。

まだ1年も経たないとは思えないウッキーの上達ぶりを見て驚嘆。

私も精進しなくては、と内心焦りました。

いや、本当に。

 

新年会は最後に会食(打ち上げ)がつく。

席順は下川先生が真ん中と決まっているが、あとはくじ引きなのである。

お時間が許せばと飯田先生にも、皆さんのご紹介を兼ねて参加して頂いた。(突然お誘いした上に、会費を徴収してすみません。)

奇しくも内田先生、飯田先生、私と並んでしまった。

内田先生には「もう長いんだからさ、終わりにしたら」(主治医のところのこと)

と言われ、「でも、ごっつう薬減ったんです」と報告。

しまった、変に関西弁が飛び出したので一瞬理解できなかった顔をしている。

「漢方と寝る前の薬だけになって、食後の薬も抗鬱剤もみんななくなったんですよ」とさらに強調。(全部なくなってから威張れよ)

「いい加減ストレスかける生活やめにしない?不良になったらいいんだよ」と言われる。

間で聞いている飯田先生には笑われてしまった。

それから睡眠の話など盛り上がり、久し振りに内田節が聞けました。

お懐かしゅうございます。

 

後かたづけをみんなでして、下川先生にご挨拶をして帰りました。

やっぱり帰ると疲れがどっと出るね。

ああ、今度のお稽古日には「大間違い」赤っ恥ビデオを見せられて、さらに反省しなくてはならないのだ。

もう間違ったのは分かっているので、堪忍して。

 

皆さんも謡曲はじめませんか?

奥が深くて面白いですよ。

うちの先生は厳しいけれどすごくいいです。

謡曲にご興味のある方は下川正謡会へ是非どうぞ。

 

2月7日

朝から頭痛。

ちょっと昨日の酒のせいかもしれん。

でも二日酔いというほどひどくないので別にいいか。

 

今日もなんだか寒い。

夕方早く帰ってこないといけないのと、あまりの寒さから映画に行くのを断念。

1日2本立てが3プログラムある。

1プログラムごとに入れ替え制である。

10時半、14時10分、17時45分と開始時間は決まっている。

今から行けば十分に間に合うのだけれど、既に着替えもすんでいたが、寒さが面倒くささを誘い出す。

最後のプログラム(これが一番見たかった)は見られないから、今から行けば4本見ることが出来る。

最後のプログラムを含め、実は今日やる6本とも、既に見たことがある。

うち今日見られる4本はDVDなりビデオなりを全部持っている。

ただ、どうせならもう一度スクリーンでみたいと思っていたのである。(半分はスクリーンでも見たことがあるものだが)

雷蔵だと惜しまずに行くところだが、勝新だと「またすぐに見られるか」と思ってしまい、家に引きこもってしまった。

 

家にいるもう一つの理由は、いい加減部屋を片づけたかったからである。

明日は新年会で1日家にいないし、来週はアルバイトとお稽古と勝新映画祭で夜にしか家にいない。

そこで、寒い部屋の中でまずはダイニングから片付け始める。

しかし、やり出すと細かいところが目について、はかどらない。

日常必需品として薬局などから買ってきたままおいてあったものを洗面所に持って行くと、水回りが気になってそっちを掃除してしまい、トイレに持って行くと、トイレが気になって今度はトイレ掃除をする(狭いからすぐだけど)。

またダイニングに戻って、入り口の方から床に散らばった荷物の山を仕分けしていく。

郵便物や書類のたぐいを整理しようとすると、中身をいちいち読んでしまうのでどんどん時間が経ってしまう。

次に大決心をして取りかかったのが、薬の処分である。

眠れないのが怖くて、頓服など睡眠薬系はすべてため込んでいたし、トリプタノールなど抗鬱剤も捨てられずに持っていた。

しかし、私は薬物から脱出しようとしているのだ。

さすがに全部は捨てきれずに、頓服(昨日からこれも処方されなくなった)を一袋(2週間分)だけ置いておき、あとは思い切って全部捨てた。

いざ捨てようと思うと、「この胃薬よく効くからおいとこうかな」などすごく迷ったのが正直なところである。

また胃けいれんなどを起こす日々が来たら、処方してもらえばいいや、と思い直して、おさらばしたのである。

あと、衝動買いした古本などを本棚には入らないので、ラックを整理して棚に平積みにしておいていく。

ダビングしたビデオも、何段にも重ねて、本棚の隙間に収める。

映画関係の資料などはクリアーファイルなどに整理していく。

鞄をのければ、ダイニングの床はとりあえず綺麗になった。

そこであまりにも寒いので断念して暖房を入れた。

荷物が散らばっていてガス暖房の前にもあるため、抵抗があって入れることが出来なくなったのである。

暖房も入れたことだし、次はラックの上と机の上に乱雑に置かれた郵便物やコピー、雑誌や新聞の切り抜きなどの類にとりかかろうと思った。

久し振りにBGMをかけながら、やっていると全然気がつかなかったが、はっと気がつくと既に6時になっている。

あかんわ、実家に夕食作りにいかな。

 

母は「明日の朝、一緒に新年会に行けばいいから、泊まりに来る用意と明日の準備もしてきなさいね」と言うてはったが、実家よりも家の方が駅に近いのだから、なんとなく矛盾した気持ちになる。

母がいつ帰ってくるのか、ご飯を食べて帰ってくるのかよく分からなかったが、とりあえず、冷蔵庫にあるもので、夕食を作る。

「お前も食べるんやろう」と言われて生返事。

実は掃除をしていてお昼が過ぎていたことにも気付かず、3時頃に「あれ、朝から何にも食べてないやん」と気づいて、軽く食事をしたのである。

当然ながらお腹が空いているわけがない。

それでも娘相手に晩酌をしたい父は、いろいろと勧めてくる。

それって私が作ったんやん。

あまり胃に負担にならないようなものをつまみながら、ワインの相手をする。

父は酒飲みである。(母はほとんど飲めないので、私はおがわの血を引いたのである。)

あっという間にスパークリング・ワインを空け、「赤も飲もうか?」と嬉しそうに言うので、「別にかめへんよ」と答えてもう1本空ける。

父は楽しいかしれんが、私は父と飲んでいても楽しくない。

問いかけられたら答えるが、基本的に会話のある食事ではなく、TVを見ながらの食事なのだから。

母が帰ってきた頃には、頭痛がしてきてまた微熱が出てきた頃だった。

私の微熱はやはり実家という場にあるのかしら。

 

私があまり食べなかったので、結構料理が余っていたが、食事もせずに帰ってきたそうだから、ちょうど良かった。

洗い物をしなくてはと思いつつも、どんどん激しくなる頭痛に耐えかねて、フローリングに倒れていた。

「明日、新年会で忙しいんだから、早く薬飲んで寝なさい」と言われ、「お風呂に入りたい」とのたまいつつも、微熱があがってきて断念。

明日の朝はいることにして、薬を服用した。

昨日は楽しい酒だったので、微熱も出ず、元気だったのになあ。

 

2月6日

今日は1年ぶりの「たん熊」のお稽古日である。

昨年の2月に行ったきり、博論に追われて、体調不良なども重なり、結局その後行くことが出来なかった。

しかし、あまりに久し振りだったために、肝心なものを持って行くものを忘れた。

それはエプロンである。

社長に「エプロンをうっかり忘れてしまったんですけれど、お稽古させて頂けるのでしょうか?無理なら見学しておきます」と言うと、貸してくれるという。

ありがたい話である。

「クリーニングも結構ですので、お稽古が終わったら返して下さい」とお店の人に言われて恐縮する。

本当は第2・4金曜日のクラスの所属しているのだが、2月は都合が悪く、第1・3金曜日に振り替えてもらった。

人数は6人。

お稽古するにはちょうどいい人数だ。

昨年はほとんど行っていないので分からないが、たん熊さんのお稽古を始めて以来、第2・4金曜日は人数が多く、少なくても8人、多いときは15〜6人の時もある。平均10〜2人ぐらいだった。

これは多すぎる。

分担して作業するが、一体自分がどの料理のどれをやっているのか、全体像が見えないときが多い。(今までで一番ひどかったのが、大根をすり下ろしただけで終わってしまったことだ。)

確かにお稽古の最初に作り方を口で説明してくれはるが、早くてメモがついていかなかったり、飾り切りなどは実際にやってみないと分からないものも多い。

出来上がってお食事タイムの時に、自分から「これどうやって作ってました?」と聞けば、担当した人が答えてくれる。

そうして確認しない限り、後でどうやって作るのか分からなくなるときがある。

 

今日は久し振りのお稽古だったし、人数も適度で、とても楽しかった。

最近の胃の具合からいって全部は食べられないので、半分は持参したタッパに詰めて持って帰る。

まあ、最近の胃具合とは関係なく、家で出来そうなものに関しては、味見も兼ねていつも母に持って帰ってあげているのだが。

久し振りの河原町である。

高島屋にG.ジャンセンの時計の電池交換を頼んでいたのが、出来上がったとずいぶん前に連絡が入っていた。

けれどもずっと取りに行く暇がなかったので、ほったらかしていたのを今日取りに行った。

新作のアクセサリーも出ていて、見ていて楽しい。

私はここのデザインが好きなのである。

 

紀伊国屋の映画コーナーが縮小されていたので、この前、院生室で見せてもらったガイドブックを購入するついでに映画本をチェックするためにBook.1stに行く。

帰りに今度は丸善によって欲しい本を外商回しで頼んで帰った。

日文研を通して買うと1割引だからである。(せこいなあ)

現物がなかった分に関しては、またメールで依頼しなくては。

気がつけば2時半になっていたので、あわてて主治医のところに向かう。

1時にお稽古が終わっていたから、1時間半もぶらついていたことになる。

本屋に行くとすぐに時間が潰れてしまう。

診察が終わったら梅田に出てヨドバシカメラにCDプレーヤーを取りに行き、今日で終わるレイト・ショーの映画を見るつもりであった。

 

相変わらず主治医のところは混んでいる。

「何番目ですか?」と聞くと「9番目」と答えられる。

あーあ、早くても1時間半はかかるな。

待合室の席が空いていたので(待合室は狭いので、タイミングが悪いと座るところがない。その時はモス・バーガーに行ってコーヒーを飲みながら1時間ほど時間を潰すのである)、ラッキーと思ってそこに腰掛け、読みかけの本を取り出したとたん携帯メールがなった。

15時半頃である。

誰やろうと思ってみると、親友からである。

仕事が終わったあととか、もうすぐ仕事が終わるというときにしか滅多にメールをしてこない人である。(だから私も朝早くとか夕方以降しかメールしない)

珍しいなあ、こんな時間にと思ってメールを読むと「ストレスが溜まりすぎて爆発しそうや。飲みて〜」と悲惨なメッセージが。

仕事の合間にメールしてくるなんてよっぽどひどいんだろうと思い、映画はあきらめて付き合うことにする。

といっても原因不明熱の血液検査の結果も聞かなくてはならないし、中断された薬と発疹のことも相談しなくてはならないので、診察は絶対に受けたい。

とりあえず、診察が終わったらメールするからと返事をしておいた。

三宮にある行きつけの店に行きたいと返事があったので、了解する。

私も博論執筆中、及び審査前まで不安なときや、息抜きしたいとき、ずっと付き合ってもらっていて、支えられた人である。

私にとっては大切な人の一人である。

お互いに「駆け込み寺」と称している。

今日見たかった映画はDVD化も決まっているので(もう発売されたかな)、レンタルに行けばきっとあるだろう。

 

診察が回ってきたのがなんと18時。

げげ、2時間半も待たされたんかい。いつものことやけど。

血液検査の結果は、やはり発熱に関わるような異常が全くなし。依然と不明である。

前回にもひっかかっかたが、甲状腺ホルモンの一つが低値である。

発疹が出た話と、皮膚科に「薬疹の疑いあり」で薬を止められたことや、それとは関係なく発疹が引き始めたことなど、2週間の間にあったことを説明。

それに伴い自分の身体に起きている状態も訴える。

「薬が止められるんなら、それにこしたことない。これを機会に大幅に減らそうか」といわれ、甲状腺ホルモン用に、そして胃痛・胃もたれ用に二つの漢方が処方され、未だに抜けきれない誘眠剤も最低限に減らされて処方された。

これで精神安定剤も抗鬱剤もすべてなくなった。

やはり、快方に向かっているのだろうか。

 

18時半になってしまい、あわててメールをして三宮に着く大体の時間を連絡する。

これまた滅多に電話をしてこないのに(私はメールの返事があまりないと電話をしてしまうときがあるが)、電話をかけてくる。

「予約は?」というので、「時間が分からんかったからまだ入れてへんわ」と答えると「じゃあ入れとくわ。東ハン(最初とまどったが東急ハンズのことが判明)の北側の出口に来て」と言われ、「遅なってごめんな。すぐに行くわ」と電話を切る。

最初に店に連れて行ってもらった頃からしばらくの間は、向こうが予約を入れていたが、いつの間にか、予約を入れるのは私の役目になっていた。

何でか理由は分からんけど。(電話嫌いなんやろう)

昼にメールしてくるわ、電話はかけてくるわ、率先して予約を入れてくれると言うわ、全く珍しいことである。

だから雪が降ってるんかしら。あー、寒い。

 

店に向かう途中から「どないしたん?」と会社の話を聞く。

すごく根がまじめで、おまけに人がいいから、社長の話にまじめに付き合ってしまう。

そして、板挟みになってしまうらしい。(どこの企業でも中間管理職はそうなのかもしれないが)

私には全然関係のない話だから、どんなに愚痴っても誰か関係者の耳に入ることはない。

こちらも愚痴を聞いていても、別に気を遣うことがなく、とにかく一緒の立場に立って、「あなたは間違っていない」という事を常に擁護し、相槌を打つ。

ストレスが溜まってとにかく愚痴になってもいいからぶちまけたいときに、「それは、でも自分だっておかしいんとちゃう」とか「相手にも一理あるけど・・・」なんて言われたら、それ以上何も言えなくなる。(少なくとも私はそうである。)

たとえそれが正当な理論としても、である。

とにかく発散して少しは楽になりたいのだから。

特に自分が矛盾しているのはある程度分かっているけれど、それでも今はこう言ってすっきりしたいときに、正当な理論を突きつけられると、余計ストレスを感じて、傷ついてしまう。

だから、私は人の話を聞くときは、ほとんど相手に同調していることが多い。

もちろん、憂さ晴らしの酒の席のことである。(酒の飲めない相手の時は、愚痴りたい時の雰囲気や場のとき)

パブリックな場やディスカッションの場では、そんな事はしません。

自分の思ったことを素直に述べ、馬鹿な質問でも知りたいことは聞くし、反論があれば反論するし、自分の間違いを認めたら、すぐに謝る。

私はそれでいいのである。

エスカレートしすぎて、「毒舌」と言われることもしばしばあるが。

一応反省はするんですよ、その後に。

 

がんがん話を聞いて、一緒のペースで酒を飲み、終電ぎりぎりで帰ると、酔っぱらっていることに気付いた。

実はこの店においてある韓国の「マッコリ」(表記によってはマッカリ)という酒に二人してはまっている。

口当たりはいいが、後で結構くるのだ。(テキーラみたいに)

一種の「どぶろく」みたいな酒である。

日文研に来ている韓国の留学生に「マッコリって美味しいね」と話したら、「韓国ではあまり女の人はのまないんです。おじさんが飲むお酒です」と言われたあげく、彼にとって私は「大酒飲み」と位置づけられてしまった。(誤解です)

そんなお酒である。

だから私は試したことがないが、マッコリにもいろいろ種類(メーカーなのかな?)があって、味も微妙に違うらしい。

この店のが一番口に合うと思う。

それとも飲んでいる相手に気を許しているから、たとえ愚痴であろうと一緒にいるだけで楽しい酒だからかも知れない。

 

2月5日

女学院にてアルバイト。

まだパソコン(管理・検索プログラム)が修理できていないとのこと。

不便だなあ。

PC処理しないといけないものは溜まっていくばかり。

仕方がないので、今日もマニュアル(手書きメモ)で記録を残す。

 

こういうときに限って不運は重なる。

AV編集室といって、テープを編集できる機械があるのだが、それも壊れてしまったのである。

昨日学生さんが使っていて、今日も同じ学生さんが使用していたのだが、上手くできないという。

録画画面のモニターがうつらない。

昨日の様子を聞いて、何か触ったりしていないか聞くが、特に何もいじっておらず、また昨日はモニターがうつっていたという。

立ち上げ直しても、うつらない。

試しにダビングしてみるが、音声は入るのに、映像が映らない。

機械音痴の私にはお手上げで、学生さんにわびながら、業者に連絡をお願いすることになった。

何故、次から次へと機械が壊れるねん。

わややわ。

 

今日はお稽古日である。

8日の新年会に向けて、最後のお稽古である。

朝、BS2で昼に放映予定の「国定忠治」を録画予約し忘れているのに気がついて、母に電話をして実家で録画できるか聞いてみた。

私は新聞を取っていないため、TV番組の情報は、2週間おきに発売される「ぴあ」に頼っている。

母に調べてもらうとその時間帯は「国会中継」とのこと。

NHKは「臨時国会」が開かれると、番組をすぐに変更してしまう。

これまでに録画して、見直したら「国会中継」で裏切られたことが何度もある。

なんだ、予約してなくて良かった。

母にとって私が電話してきたことが「グッド・タイミング」だったらしく、「何時に稽古に来られるの」と問いかけてきた。

女学院のバイトの後に行くことが多いので、「いつもの時間やから6時半頃かな」と答えると、「もっと早く来られへんの」と無理を言う。

理由を聞いてみると、今日はお稽古日で帰りが遅くなるとあれほど前から言っていたのにもかかわらず、父が今日は早く帰ってきて、お気に入りの中華レストランに行くと言い出したそうだ。

全くタイミングの悪い人である。

父は母の言うことは聞かないが、娘には弱い。(この世代の親はみんなそうなのかしら)

春休みで学生さんも少ないので、なるべく早く行くようにすると答えて電話を切る。

難儀な人やなあ。

実は7日の土曜日も母がオペラを聴きに行く(これは父が大阪に戻ってくることが判明する前にチケットをとっていたそうだ)というので、私に夕食を作って父の面倒を見てくれと母に言われていた。

なんでやねん。

その日から新開地で「勝新映画祭」が始まるので、私は映画三昧の日を送るはずであったが、夕飯を作るためには2本映画をあきらめて帰ってこないといけない。

不満であったが仕方なく了承していたのである。

そんなことがあったから、今日の父のわがままにちょっと腹が立ってしまった。

 

アルバイトの後かたづけをさっさと済まし、急いでお稽古場に直行する。

先生にも「今日は父が家にいますので、早めに稽古をお願いします」と既に話が付いていた。(先生と父とはゴルフ仲間なので、よく知っている)

新年会のお稽古をばたばたとするが、あわててしまって、ものすごく基本的な型を間違ってしまい、叱られた。

 

帰りの車の中で、母に聞くと実はさらに一悶着あったそうだ。

今日は早く帰ると行っていた父が、突然「やっぱり会社は休む」と言いだしたそうである。

しかも帰りが遅いのなら「家で食う」と言い出して、それはそれで帰ってきてから買い物をし、それから料理をするのであるから、なおさら時間がかかり、その間にイラチの父がぶつぶつ言うのは必須。

母は私の電話をいいことに、「なおこも清香(中華レストランの名前)にいくつもりしているので、先に行ってて下さい」と押し切ったそうである。

私は便利な駒かい。(それもただの「歩」ね)

まあ、それで事がすんだんやから、かめへんけど。

結局、中華料理に付き合いました。

はあ、疲れた。

 

2月4日

日文研にてアルバイト。

昨日帰りが遅く、お風呂に入っていたりしたら、寝るのが2時になってしまった。

発疹が消えてきたので、ためらいもなく誘眠剤を飲んで就寝したが、寝付いたのが3時過ぎ。

朝6時半に一度起きるが、頭痛がして、あと何故かものすごく足がだるくて、起きあがれない。

昨日、はしゃぎすぎたからかな。

頭痛は毎日のことなので、あまり気にしていないが(こらえているんだけれど)、下半身が異常にだるくて、立ち上がってもすぐにへなへなと座り込んでしまう。

なんでやねん。

別に急激に運動したわけでもないし、全然思い当たる節がない。

これも、ストレスから解放で出てきた症候なんやろか。

とにかく、今年に入ってから、本当に不可解なことが私の身体に起きる。

内田先生の言うとおり、これを乗り越せば、玉子みたいにつるっと生まれ変われるのかしら?

昨日、職員さんに「朝から来ます」と宣言していたが、この状態では、電車やバスを乗り継いで2時間近くかけて日文研に行くのは無理である。

「午後から出勤します」とメールをして、しばらくの間、足を高くして転がっていた。

そんなに浮腫んでもいないんだけれど。

解せん。

 

少し動けるようになったので、とりあえず日文研に向かう。

朝のラッシュ時に行くと、バスの本数も多いし、電車の数も多いので1時間半ぐらいでたどり着くのだが、10時過ぎると、特急も10分おきだし、快速ではないので、停車駅も多い。(快速特急だと「十三」乗り換えで「高槻市」の次に「桂」、普通の特急だと「茨木市」「高槻市」「長岡天神」「桂」と二駅も増える。)

またバスも20分から30分に1本になってしまう。

結局2時間近くかかってしまい、10時過ぎに家を出たら、12時になってしまった。

なんか、胃もたれがするので、白飯だけ食べてアルバイトに行く。(朝から何も口にしていなかったので)

しかし、消化が悪いのか、吐き気がしてきて、調子が悪い。

胃薬を止めてから、どうもね。

けれども、最近は嘔吐することは減り、我慢してこらえて時間が経てば、そのうち治るようになった。

大進歩である。

 

職員さんに謝りながら、昨日帰り際に言うてはった「聞きたいこと」って何ですかと問いかける。

それは、もちろんCMデータベースの事である。

日文研で作成した(今ももちろん修正や項目事項を増やすなどデータベース作りは続いているのだが)CMデータベースはACCという機関で受賞された作品のみである。

この度、ACCが製作者や企画者、音楽などの詳細項目のリストを送ってきてくれたらしく、それをデータベースに反映させて、検索項目が増えたのである。

けれども問題点がある。

詳細項目に載っているCM本数と、ACCから受賞作品を集めたCMのテープ(これがデータベースのもと)に収録されている本数が一致しないのである。

そこで、実際データベースを作成した私の方が、リストを見て覚えのある作品が多いだろうから、たくさんある項目から、実際にある映像と合致させて欲しいとのことだった。

また、昔(テープにあるのは1960年から)から現在に至る間、担当者の読み方が変わってきている。(企画がプランナーに、撮影がカメラマンに。などなど、時代の流れだね)

その名称一致も必要ではないかと相談されたのである。

このプロジェクトの主催である先生は出張中なので、とりあえず二人でいろいろ相談して、ここはこうしたらいいだの、ああしたらいいだのと話し合う。

結構ややこしい。

その後、外部発注したCMには不良動画が含まれているので、その動画修正をする。

そんなことをしていると、あっという間に6時になってしまった。

昼から出勤していたので、あまり仕事が出来なくて反省。

次は来週の火曜日にしか来ないので、続きはまた、ということで帰ることにした。

先生には出勤報告のメールをして、今日話し合ったことを書いたのだが、実際に見ると分かるのだが、言葉にすると上手く説明できない。

「分からないと思いますので、火曜日に出勤しますから、こちらに来られていたら聞いて下さい」といいわけを述べておく。

 

今週はなんだかとっても冷えてきた。

日文研は特に寒い。

早く暖かい?阪神間に帰ろう。

 

2月3日

節分。

今日はリリパット・アーミーIIの公演日。

 

でもその前に日文研でお仕事。

朝、頭が痛くていつもの時間に出られなかった。

なんとか、お弁当を作り、1時間遅れで出勤。

あれれ?職員さんが来ていない。

シンポで無理したから、もしかしてまた倒れたんやないやろうか?

とりあえずメールを開けると、「午後から出勤します」とのこと。

午前中はメール・チェックと動画修正をする。

 

お昼になったので、本を3冊ほど返し、院生室に戻る。

頭痛がとれない。

今朝は熱が下がっていたのにな。

肩凝りから来ているとしか思えない。

お昼を食べていると、他の院生が来て、一緒にお昼を食べる。

京都のガイド本を持ってきていて、見せてもらう。

結構京料理の店が載っているのだ。

もちろん行ったこともある店も、名前を聞いたことのある店も多い。

彼女は東京だから、京都にいる間に美味しい京料理を食べたいという。

食は大事だからね。

楽しまなくては。

そこで、行ったことのある店で、美味しかったところ、まずかった(失礼)ところなどをアドヴァイス。

なかなか使えそうな本なので、私も買おうかな。

 

遅れてアルバイトに戻ると、職員さんが来てはった。

「体調大丈夫ですか?」と聞くと、熱は下がったが咳がとれないらしい。

シンポの話をしながら、「いやあ、大変だったですよね。でも、すごいチームワークでしたね」と慰労しあう。

資料の整理などを一緒にする。

職員さんは出入りが激しかったので、ずっと会場にいた私の方が、配られた資料や録音したテープの順番など確認がしやすい。

そんなことをしていると、あっという間に16時になってしまった。

18時過ぎに梅田で待ち合わせをしているので、早めに帰る。

なんか、CMデータベースの事で聞きたいことがあるというので、明日も来るから明日相談しましょうと言って、お先に失礼する。

 

上手いこと快速特急が来てくれたので、思ったよりも早く梅田に着いた。

今朝、冬用サングラスをかけようとすると、ねじがとれていてショックを受けた。

ついてないなあと思っていたが、時間があるのでロフトまで修理をしてもらいに行く。

ロフトのめがねコーナーは、アフターケアもすごくいいし、親切なのでかなり前から愛用している。

サングラスも既に5つぐらい購入している。

同じ物じゃなくてもいいですというと、ただですぐに直してくれた。

片一方も緩んでいたので補強してくれ、綺麗に磨いてくれた。

嬉しい。

まだ、時間があったので、昨日修理が出来上がったとヨドバシカメラから連絡があったので、ヨドバシカメラまで取りに行く。

すると10番目ぐらいである。

そんなに待っている時間はない。

あきらめて紀伊国屋で映画の本をチェックし(なんかずいぶん縮小されて、本が減ったなあ)、待ち合わせ場所に向かう。

今日は飯田先生とマッキーと3人である。

マッキーは仕事で遅れるというので、チケットを郵送しておいた。

飯田先生は昨年帰国されてから、1回女学院であったきりで、ゆっくりお会いするのは初めてである。

場所はワッハホールであるが、行ったことはない。

なんばグランド花月の前と言うことが地図で分かったので、それなら大丈夫と高をくくっていた。

会った瞬間から、べらべら喋り、すごく楽しい。

今週になってまた寒くなってきたので、難波の地下街で「なんばグランド花月」と表示してある方へ向かう。

それが間違いのもとだった。

いつもは地上で歩いているので、すぐに分かるのだが、地下にはいるとよく分からない。

表示どおりあがってみたが、どうも様子がおかしい。

多分こっちと思って歩いているが、なんだか電気屋が増えてきたので、これは日本橋に出てしまっているのでは、と先生に謝り、とりあえず誰かに聞いてみようと言うことになった。

電気屋の若いお兄さんが店頭に立っていたので「すみません、道具屋筋はどっちですか?」と聞くと「あ、ご存じありません」と答えられた。

え、それって日本語の使い方間違っているやん。

おかしいって。

笑いをこらえながら、「じゃあ、なんばグランド花月は?」とさらに聞くと、多分こっちの方だと答えてくれたので、礼を言ってその方向に向かう。

飯田先生と爆笑してしまった。

よく変な日本語(丁寧語、尊敬語、謙譲語が混じってぐちゃぐちゃになったやつ)を今の若い子が使うと聞いていたが、生で聞くのは初めて。

衝撃的やった。

笑いながら歩いていると道具屋筋があった。そこで漸く自分がどこにいるか気がついた。

行きすぎていたのである。

この辺りは昼間にうろついていたから、夜になると雰囲気が違って分からなかったのである。

道具屋筋を戻ると、無事に行き着きました。

早めに待ち合わせをしていて良かった。

 

発疹が急激に消えてきたことを話して、時期的にもどう考えてもシンポジウムがすんで(今から思うと実家の拘束からも逃れて)からだから、解放されたことで良くなったんじゃないかという結論に達する。

「小川さんて、分かりやすい身体しているね」と言われて、そういえば体重の変動が激しいのも、ストレスからかもと思い当たり、「正直な身体だなあ」と改めて思ってしまった。

自分の身体なんだけどね。

 

久し振りのリリパット・アーミーIIの公演は非常に良かった。

けれども、やはり確実に何かが変わっている。

中島らもが座長をしていたとき、もっとコント的なべたなギャグや、アドリブも多く、歌や踊りがふんだんに盛り込まれ、エンターテイメント性が強かった。

しかし、わかぎえふが座長になってからは、演劇性、ストーリー性が強くなってきたのである。

もちろんそれはそれで非常に楽しめたし、相変わらず、飛び入りゲストやべたなギャグもあることにはあるが、やはり見せる「芝居」に近い。

公演タイトルは「ちゃちゃちゃ」といって、場面転換などに「チャチャチャ」の音楽を入れているところなど、やはりべたなのりである。

だから、最後にみんなで「チャチャチャ」を踊ってくれるのかと期待していたら、今回は歌も踊りもなかった。

少し寂しい気がする。

まあ、中島らもが退団した理由に、自分はもっとギャグ性の強いのりで行きたいのが、次第に演劇性が強くなってきたために、最初に劇団を始めた時の意志とかけ離れてきたことをあげていた。

だから、この変化は自然と言えば、自然だったのかも知れない。

初期のリリパット・アーミーは、正式名称が「笑殺軍団リリパット・アーミー」だったのである。

それがいつしかリリパット・アーミーだけになり、中島らもの退団をきっかけに、新生ということで今の「リリパット・アーミーII」になったのである。

どちらがいいのかは分からない。

だけど、歌や踊りがたくさんあって、笑いが盛り込まれていたのが、一つの売りであり、この劇団のカラーだったのではなかろうか。

しかし、今日の公演は楽しめただけに、余計複雑な心境である。

公演終了後、本日のパンフレットのサイン担当が告げられる。

私がすっかりはまっていて大ファンである及川さんだったので、1000円もするパンフレットを購入、2番手でサインをしてもらい、握手をしてもらった。

以前も及川さんに当たったときは、パンフレットを購入してサインしてもらったことがある。

あと中島らもが担当の時もサインはもらっていた。

そういえば、昔パンフレットなかったんだよね。

いつ頃からパンフレットが発売されるようになったんだろう。

結構長いこと劇団を追っかけているから(もちろんファンクラブにも入っている)覚えていないなあ。

 

公演終了後、千日前の居酒屋に適当に入り、久し振りに顔を合わせたメンバーで大いに盛り上がる。

楽しかった。

 

2月2日

女学院にてアルバイト。

家に帰ったら、現金なもので朝には熱が下がっていた。

頭痛はとれないけど。

お弁当を作って出勤。

 

もう春休みに入っているので、学生さんも少ない。

ゆっくり読書をする。

DVDを見たいとも思ったが、入試の間にホスト・コンピューターがこわれたらしく、検索や入力が出来ない。

仕方がないので、なおったらPC処理をするために、手書きで貸出や返却などを記録しておく。

あと、事務の手伝いを頼まれたので、それをこなす。

結構時間がかかってしまった。

インターネットやDVD鑑賞は出来るみたいだが、プログラムが一つ壊れているため、途中でエラーが出ても嫌なので、やめておく。

結構パソコン壊しているからなあ。

こんな時は「さわらぬ神に祟りなし」。

ついでに明日来るアルバイトの人に、機械(プログラム)が壊れたので、PC処理が出来ないこと。

もし直れば、今日の分も入力して欲しいなど、状況説明を書き残しておく。

今日は何もないので、早く家に帰る。

 

家に帰ってふっと見ると、あれ?発疹が消えてきている。

むむ、これは、と思い、あわてて皮膚科に行ってみる。

結局原因不明のまま。

簡単な尿検査をされるが、タンパクも血もおりていない。

しかし、明らかに発疹が消えてきている。

昨日まで、あんなにはっきり出ていたのに。

1日で急速に消えてくるなんて。

しかし、皮膚科は当てにならん。

「結局原因不明なんですか?」という私の問いに対して、「薬疹かどうかはまだはっきりしないので、熱の方の検査結果も聞かせて頂いて、発疹が綺麗に消えたら、もう一度薬を飲んでみて、それで出てきたら、詳細検査をもう一度します」と答える。

それって、実験台やん。

いややわ、そんなん。

とりあえず、不明熱の検査結果を持って来週もう一度来るように言われる。

 

でもね、内田先生の読みが当たっていたら、不明熱の方も原因不明で終わると思う。

まあ、今日も夜になったら、37度になっているけどね。

もう、微熱には慣れてしまった。

発疹が消えてきたので、ゆっくりとお風呂に入り、タオルを使って身体を洗う。

やっぱり手で石けんを泡立ててそっとさする程度では綺麗になった気がしない。

本当は、タオルでごしごしこするのは皮膚によくないらしいのだが。

小さい頃からそうやって身体を洗ってきているので、やめられない。

ちょっと綺麗になった気がして、気持ちがいい。

大丈夫、消えかかった発疹はぶり返してこないし、広がりもしない。

実家と違って、追い炊きの出来ない家のお風呂だと、本を読んで長湯をしていると、どんどん湯温が下がるので、湯船にいる時間がだらだらと長くなる。

気がつけば1時間半も経っていた。

はよ、寝な。

 

2月1日

持ちつ持たれつとでもいうのでしょうか。

やはり食い逃げは出来まへん。

昨日の代わりと言っては何だが、今日は母が知り合いの謡曲の会に行って、帰りが19時ぐらいになると言う。

ゴルフに行っている父はもっと早く帰ってきはる。

「俺の夕食はどないなるんや」とぶつぶつ言い出すので、私が父の夕食を作って、付き合うことになった。(もちろん母の分もである)

まあ、仕方がないことである。

そんなわけで、家に帰りたかったのだが、昨日はそのまま実家に連れ戻されてしまった。

といってもよそいきの洋服だったのだから、買い物をしに出かけたときに、着替えに家に帰る。

家でゆっくりと部屋の片付けをする予定やったのに・・・

しゃあないなあ。

読みかけの本ともう1本借りていたDVD、ノート・パソコンを持って、買い物をして実家に行く。

 

ノート・パソコンを充電しながら、「耳に残るは君の歌声」をみる。

ジョニー・デップが好きなので、彼が出ている作品はなるべく見るようにしている。

この作品も前から見たかったのだが、ずっと機会を失っていた。

相変わらず、かっこいいなあとすっかりミーハー気分で見る。

クリスティーナ・リッチとの共演だが、「スリーピー・ホロウ」といい、この時期よく二人は一緒に映画に出ている気がする。

今は知らないけれど。

 

見終わって「まだ帰ってきやへんやろう」と思い、お風呂を沸かしながら、昨晩出来なかったメール・チェックをする。

返事を書いたり、インターネットでノートンの更新をしたりしているとお風呂が沸いた。

本を持ちこんで、ゆっくり昼風呂(午後やけど)に入る。

入っているうちに、気分が悪くなり、立てなくなってきた。

あわててお風呂から出て、発疹部分にぐりぐりと薬を塗っていると、ドアの鍵を開ける音が。

げげ、もう帰ってきたんかい。

とりあえずバスローブを着て出てみると、「ちょっとミドリ電化に行ってくる」といって、また出ていかはった。

「18時には夕食食べられるようにしてくれ」と言い残して。

このときでちょうど17時。

でも気分が悪いので暫く横になっていて、17時半になったので、ニュースをつけながら夕食の支度を始める。

なんだか、調子が悪いなあ。

ほうれん草のおひたし作って、淀大根と薄揚げを炊き、厚揚げを焼いて、豚の生姜焼きの下準備をし、ササミをバター焼きにし、穴子ちくわを切り、生野菜を切って、椎茸を網焼きにし、その後続いてはたはたを焼く。

冷蔵庫に残り物があったので、それもついでに出す。

昨日がこってりとしたご馳走だったので、今日はあっさりおばんざいにしたのである。

この方が楽やし。

一緒に食卓について、晩酌の相手をする。

 

19時に母が帰ってきたので、「あっためなおそうか」と聞くが、少し物を入れてきたらしく、あまりいらないからいいという。

20時になったのでNHK大河「新撰組」をみる。

見ている間に、なんだか頭痛がしてきて、バスローブ1枚やのに、汗がじわーっと出てくる。うーん、またか。

念のために熱を測ると37度5分。

やっぱりね。

熱があるから強引に引き留める父を振り切って、家に帰る。

明日バイトやし、はよねなあかんなあと思って寝間着に着替えてふと体重計に乗ると、うわっ、2kgも太ってる。

ご馳走食べたせいか、実家におったせいか。

何とも正直な私の身体である。

 

1月31日

おお、家に戻ってきたおかげで、あとずっと忙しかったせいもあってか、火曜から5日間で、4kg体重が減っている。(朝の時点で)

あと2kg落ちれば、実家に滞在する前の体重に戻る。

ああ、しまった。

これでは、わずかの間に急激に私がどれだけ太ったか暴露しているではないか。

ちょっと異常な太り方でしょ?

だから、ストレス太りなんですよ。きっとね。

 

お稽古に通い、新年会の謡の稽古。

つづいて、歩く稽古をしてから(これは基本中の基本なので、必ずやらされる。しかし、何年経っても上手く歩けないのだ)、大会で舞う舞囃子(もちろん新年会でも舞う)をお稽古。

今年は「安宅」五段の舞である。

実は過去に「安宅」の舞囃子をしたことがあった。

安宅は短いので覚えやすいのである。

そこで、去年先生からは「清経」にしますか?とも言うてもらったのだが、「清経」は舞が多い。

断然そっちの方がやりがいもあるし、面白いのでかなり迷ったのだけれど、今年度は博士論文を仕上げなくてはならないので、お稽古をたくさん休むのは目に見えている。

素人会とはいえ、観客の前で舞うのに、うろ覚えで間に合わないのは恥ずかしい。

そこで、丁寧に辞退して短い「安宅」の方を選んでしまったのだ。

でも、未だに少し後悔している。

いつの日かまた「清経」をやる機会を与えて欲しい。

一応型は覚えたので、次はいかに上手く舞えるか、細かいところを修正していくとのこと。

芸は奥が深いのである。

「命短し、芸は長し」市川雷蔵が好んでいた言葉だ。

 

家に帰って、借りてきたDVDを持って実家に向かう。

実家にはDVDプレイヤーがある。(両親が使っているところを見たことはないが)

家では小さいノート・パソコンで見ることしかできないので、どうせなら実家のでっかいTVでみたい。

夜まで時間があったので「8人の女たち」をみる。

これは私の好きなカトリーヌ・ド・ヌーヴも出ているし、面白そうだったので映画館に見に行こうと思っていたが、ばたばたしているうちに逃してしまったのである。

なかなか面白い映画だった。

見ているうちに、「なんだかこの映画の画調、どこかでみたことあるよなあ」と思えて、ずっと気になっていた。

最後のクレジットを見ると監督が「フランソワ・オゾン」ではないか。

なんだ、「焼け石に水」の監督だったのか。

どおりで見たことある気がしたんだ。

「焼け石に水」は個人的な主張でA.V.ライブラリーに入れてもらったのだが、残念なことに私が知る限り、学生さんたちが借りている気配がない。

しかし、「8人の女たち」は結構よく借りられる。

同じ監督なのにね。

 

夜は「博士号がとれたら連れて行ってもらう」と父と約束していたフレンチ・レストラン「La Baie」でディナー。

もちろん、まだ大学全体の会議が残っているので、取ったと確定したわけではないが、今日までで期限の切れる割引クーポン券があったので、駆け込みで今日にしたのである。

(これで落ちたらすまないと謝るしかない。)

せこいと思われるが、高級レストランゆえ、お高いのである。

おごってもらうのは分かっているが、やはり少しでも安くついた方がいいのではないかと私が言い出したのである。

洋服をお出掛け用に着替えて、18時過ぎに両親と3人でリッツ・カールトンに出かける。

リッツ・カールトンが出来たときから、このレストランの評判は高かった。

ずっと行きたいと思っていたが、高いのでスポンサーがなくてはよういかん。

京都の老舗料理旅館「菊の井」の板前・村田さん(だったよな、あれ?村井さんだったっけ、失念、失礼)が絶賛している記事を目にして、もうこれは行かねば、一度食べてみなくてはと、両親を説得して、以前「誕生日」を口実に連れて行ってもろうた事がある。

ギャルソンの卒のない動き、ソムリエのわかりやすく的確なおすすめ、完璧といえる細やかなサービス。

暖炉(本物)のある古いヨーロッパを思わせる店内。

それに対して、斬新性のある食器の使い方。

もちろん味も最高だった。

まあ、あれだけ払えば当然っと言っちゃ、当然なんやけれども。

そうそういけることもないので、今度は「博士をとったら」と約束させたのである。(まだとってへんけど)

相変わらず、とても気持ちのいいレストランである。

そして、お料理も最高だった。

幸せやわあ。

 

こういうときだけ両親を利用するっちゅうのは、やはり極悪非道な娘やなあ。

ご馳走様でした。

 

1月30日

ひええ。

あっという間にミニ・シンポジウムを迎えてしまった。

結局、レジュメが間に合わなかった。

今朝は朝から微熱。

折角家に帰ったのに、何故熱が下がらぬ?

基礎体温が上がったのかなあ。

でも、頭痛いしなあ。

 

昨日、検査結果を聞きに行ったが、結局炎症反応も何も出なくて、原因不明。

薬を止めて(って誘眠剤は飲んでるけど)、3日ほど経つが、それぐらいではまだ薬害かどうか分からないので、我慢できるのならもう少し止めて欲しいといわれる。

一応、嘔吐したり、胃痛がしたり、消化不良で気持ち悪くなったりするのですが、と訴えてはみたのだが。

はっきりしないと言われてしまえば、どうにも出来ない。

発疹は相変わらず引いていない。

しかし、木曜の診断では、炎症は治まっていて、今出ている発疹は、その傷跡みたいなものであるそうだ。

しかし、前回より、広がっているんですけれど。

うーん、傷跡か。

それじゃあ、これが引くのは日にち薬なのかしら。

とりあえず、来週もう一度、来るように言われる。

別の検査をしてみたいそうだ。

そんなに検査したって、本当は原因不明で終わるような気がする。

「原因不明熱」と言うことで、血液検査をしてもらっている方は、もう結果は出ていると思うのだが、来週の金曜まで診察にいけないので、まだわからない。

こっちも、結局原因不明なのではないだろうか。

女性には、ホルモンのサイクルによって、高温期と低温期の時期が交互に訪れる。

高温期の時期は、人によっては、微熱ぐらいの熱になる。

しかし、今の私は低温期に入っている。

だから、微熱を高温期のせいには出来なくなってしまった。

 

午後に日文研に到着。

出勤すると、風邪でぼろぼろになっている職員さんが、這うように出勤している。

30日(すなわち今日)のシンポの準備をしなくてはいけないからだ。

この人とは、これまで何度か一緒にシンポジウムのお手伝いをしている。

まあ、シンポまでの連絡などは、ずっと前から一人でやられてきているのだが、当日のお手伝いなどは一緒にやってきたので、大体要領が飲み込めてきたつもりである。

風邪で回らない頭で準備をしてはるので、いつもすごく要領のいい人なのだが、今日は思うようにはかどらないようである。

そこで、私も準備のお手伝いをする。

名札を作ったり、時刻表をコピーしたり、領収書を作ったり・・・

荷物を共同研究室まで運び込んだときには18時半になっていた。

明日の午前中から、ミニ・シンポは始まるのだが、私は午後からの発表の部からの参加でいいと了承を先生に得ていた。

院生室に帰り、発表準備をする。

ああ、どうしてこういつも切羽詰まっているんだろう。

今日がシンポなのは、もう前から分かっていたのに。

相変わらずの綱渡り人生である。

 

そして、冒頭にも書いたが、今朝から微熱がぶり返してしまったのである。

頭が割れるように痛くて、身体は寒気で震えが来る。

じっと座っていられないのだ。

やばい、これで発表をして懇親会まで残れるのだろうか。

受付で懇親会費あるいは、宿泊費を徴収しなくてはならない。

そのためにおつりが出るように、お金を崩してきていた。

端末室で、午前中はふらふらになりながら動画修正をしていた。

12時になったら、職員さんが戻ってくるだろうと思って、待っていたのだが、15分経っても帰ってこない。

多分、みんな昼休みになってご飯を食べているだろうから、共同研究室の顔を出す。

あれ、山田先生しかいない。

先生にレジュメが出来なかったことを謝りながら、職員さんはどこに?と聞くと、なんと、明日の午後から、別の学会があるのだが、それに発表する人が、昨日の夜こちらにたどり着いたのはいいが、高熱を出して倒れ、救急車で病院に運び込まれたそうだ。

インフルエンザらしい。

それで、朝からパニックになっているようで、今は日文研ハウス(日文研内にある宿泊施設)に様子を見に行っているとのこと。

あらら、大変。

体調が悪いなんて言っていられない。

おまけに、貸し出したノート・パソコン2台が文字化けしてデータベースが見られないという問題まで発生しているそうだ。

CMのデータベースは、日文研内でしか見ることが出来ない。

だから、みんな朝から来て、実際にデータベースを見てもらい、それぞれの今後の研究にどのように使えるかを試してもらっていたのだ。

暫く待っていたが、帰ってくる気配がないので、そのままお昼を食べに言ってしまったのだろうと言うことになり、先生には悪いが、一度院生室に戻って、1時半までには戻ってきますと、断りを入れて院生室に行く。

とてもじゃないが、お昼ご飯を食べられる状態ではない。

 

院生室に帰ると、同じく今日の発表者であり、昨年秋からこのデータベースの仕事に加わった研究員(彼女は昨年秋に博士を取得し、今は日文研の研究員)の子に「さっき電話がありましたよ」と言われる。

職員さんと行き違ってしまったのだ。

「なんか、熱を出した人がいて、たいしたことないと思うんですが、一人でパニックっているみたいで、何を言っているのかよく分からないんですけれど、1時半には私と小川さんに来て、受付とか手伝って欲しいと言ってました」と伝言を伝えてくれる。

彼女はいつも冷静沈着である。

私とは正反対だなあ。

「さっき、山田先生から聞いたから、状況は大体分かっている。ありがとう」と答えて、とりあえず、寒気を払いたいので熱いお茶を入れて、何とか体調復帰を願っていると、半分もお茶を飲まないうちに院生室の電話が鳴り、山田先生から「手伝いって欲しいから、悪いけど至急来て欲しい」と呼び出しがかかった。

どうせ、お昼なんて食べたらもどすのが分かっていたので、研究員のIさんに「ちょっと、山田先生に呼び出されたから、私は先に行くわ」と言い残して、共同研究室に駆けつける。

職員さんも戻ってきていた。

今、お昼に行っている二人の研究員の人が帰ってきたら、情報課のパソコンで、データベースを見せるように案内を頼まれた。

情報課のパソコンは、動画修正の編集中だったので、それが終わっていたら画面を元に戻さないといけない。

先に画面をデータベースの画面にしておくために、一度端末室に帰ることにした。

と思って外に出ると、昼から来られた先生にばったり会い、引き返して、会場に案内。

今日、宿泊される先生なので、受付を開始して、お金を徴収させてもらう。

あわてて端末室に帰り、動画変換がすんでいることを確認して、二つのコンピューターをデータベースの画面に設定。

走って戻ると、Iさんが来てくれたので、私が山田先生に頼まれていた情報課への案内を彼女に託して、私は少し早いが、受付でお金の管理。

午前中から来ていて、戻ってきた人に対しても、懇親会費の徴収や、宿泊の手続書に記入などをしてもらう。

山田先生はその間に急いでお昼を取りにいかれた。(すみません、気が利かなくて)

職員さんは、熱を出した共同研究員のKさんの様子を見に行ったり、明日の彼の発表は無理なので、どうするのか、など出たり入ったりしながら、各種連絡などに奔走。

私は受付の片手間に、昼からのシンポのビデオ撮影のためにビデオの設置や、(先生は必要ないと言っていたが)慣例として、テープ録音の準備などばたばたと事務仕事をする。

毎度のことなのだが、お金を管理しているので、案内などをしなくてはならないけれど、その場を離れることも出来ない。

午前中から来ている人の名札を見て、新たに受付(つまり支払い)で手続きしてもらうために、声をかけて回る。

宿泊する人には書類に記入をお願いする。

一人の女性が「小川さんですか?」と名札を見てやってきて名刺を差し出しながら「日記読んでいます」と言われてしまった。

どきっ!

ああ、またこんなところで読者に出くわすとは。

本当に内田先生のホームページにはアクセスが多いのか、インターネットの宿命なのか、とんでもない(?)ところで、こういう人に出会う。

「何か、いつも読ませて頂いているので、初めて会う気がしなくて。でも自分のことが知られているのって嫌じゃないですか?」

「いえいえ、赤裸々な日記ですけれど、もちろん公開されていることは前提に書いてますから、全然気にしていませんよ。これまでに何度か突然言われて驚くことはありますけれど、あんなもんでも読んで頂けるのなら」

「面白いですよ。データベースのバイトってこのCMの事だったんですね」

「そうなんですよ。活用して下さい」

などと、世間話をしながら名刺を交換する。

彼女はCM音楽の研究をしているらしく、(ごめんなさい、あなたの発表の時には、私は資料のコピーに行っていたために、せっかくの発表を聞き逃しました)レジュメに書かれた本の題名には、以前女学院に講演に来られた増田さんの名前があった。

そこで、話はさらに盛り上がる。

そんなことをしているとあっという間に2時になってしまい、シンポが再開。

あれ、ビデオがうつらない。

あわてて山田先生の所に走り、「先生、ビデオがうつりません」とこっそり言う。

「始まってからでいいよ」とおっしゃられ、そのまま挨拶を続ける。

午後から来た人は順番に挨拶をするのだが、私は真ん中の丸テーブルに席を着くことが出来ず、(受付がすんでも、他にお金の管理や、レジュメや資料のコピーを頼まれたら対応したり、ビデオ撮影やテープ録音をしなくてはならないので)挨拶を逃す。

山田先生は挨拶を終えるとやってきてくれて、単純なミスを指摘。

本当に、機械音痴ですみません。役立たずで。

 

シンポが始まると、Iさんは「小川さんも研究員だし、発表しなくてはいけないからこっちのテーブルに座らないとまずいんじゃないんですか」と言ってくるが、裏方の事務仕事があるし、お金を管理している以上、この場を離れられない。

「分かっているけれど、いいの。ちょっと無理だから。発表はでかい声でするから、後ろの席でも大丈夫」と辞退する。

確かに彼女の言い分は真っ当である。

しかし、今日はハプニングが続出しているために、受付に誰も人がいなくなるので、それはちょっと出来ない状態なのである。

確かに三脚にビデオを固定しているのだから、別に一度テープが回ればずっとそこにいる必要はないのだが、テープには時間の限界があるから、途中でテープ交換などをしないといけない。

途中で入ってきた人には、レジュメと空いてる席のご案内。

また記録として参加者には、名前を書いてもらわないといけないのでその対応もしなくてはならない。

もう、体調が悪いだの頭が痛いだの、寒気がするだの言っていられなくなった。

こちらも緊張が高まってきたのか、さして気にならなくなってきた。

職員さんが戻ってきて、日文研ハウスに部屋の手続をして鍵をもらいに行ってくるという。

日文研ハウスは前払いである。

さっき徴収したお金から、宿泊費を計算して(昨日から来られている人は既に支払い済みなので)お金を手渡してお願いする。

また、提出されたレジュメは必ず1部ずつすべて保管しておかなければならないので、その場の発表になって配られた資料は、発表を聞きながら書き込みなどは出来ず、まずオリジナル資料として保管に重点を置く。(自分の分は後日コピーをしてもらえばいい。)

ばたばたとしているうちに自分の発表が回ってきて、レジュメが間に合わなかったことを陳謝。

昨晩でっち上げた即席原稿をもとに、時間もおしていたことを勝手な理由として、10分の発表の所を、なんとたったの5分で終わらせてしまった。

頭は混乱していて、自分でもだんだん何を言っているのかよく分からなくなってきてしまった。

というのも、仮説を立てて、付け焼き刃の資料で少し裏付けられる方向へ話を展開させて、ちゃんとした研究はこれからきっちりやろうということにしていたのだが、今オンタイムで流れているCMを見ていると、自分で立てた仮説を自分で危うくしてしまう壁にぶち当たってしまったのである。

もちろん、発表でも、ここまで話しておいて、とても矛盾するのですが、と断りを入れて、そのぶち当たってしまった壁と私が解釈したことを素直に話し、その辺りをどのように整合性をつけて展開させるかは、これからやっていきたいという課題に話を振って、皆さんにご教示を仰ぐ形で発表を終えてしまったのだ。

なんか、卑怯な発表だったなあ。

しかし、それに対しては質疑応答でありがたい示唆をもらい、この方向でやっていくための自信が出来たので、結果的には良かった。

日文研ハウスの手続を終えた職員さんが戻ってこられたので、時間がおしてきている進行状況を説明して、おつりなどのために、私が立て替えていたお金と現在あるお金の金額があうかを一緒に確認し、(お金のことだけは、最終的に金額があえばいいと言うわけにはいかない。必ず二人以上の人で「確かに」という確認をしなくてはいけない。というか、公共のお金なのだから、それが当たり前だと思っている)立て替えたお金を返金してもらう。

そして、現在未徴収の人が何人いて、今はこの金額であることを計算する。

実は、懇親会のお金は懇親会終了時に支払わなくてはならない。(場所は日文研内にあるレストラン「赤おに」である)

しかし、職員さんは風邪と言うこともあるし、その前に今もハウスで倒れているKさんを、病院に連れて行くという仕事も増えたので、懇親会には参加しない。

明日は、前から用事が入っていた私は参加できないが、代わりにIさんが明日の事務をすべて担当してくれることになっている。

そのためかIさんも懇親会には参加しない。

ということは、懇親会の会計は私の仕事となってしまったのである。

14時から17時まで、休憩なしのハードスケジュールの上、やはり一人質疑応答も入れて15分という短さでは、時間がおしてくるのを免れない。

当然、みんな疲れてきて、とうとう途中10分の休憩を入れることになると、既に予定を30分も遅れていたのだから、どう考えても懇親会を17時半に始めるのが無理なことが発覚。

またまた職員さんには、「赤おに」に走ってもらい、開始時間を18時になることを交渉してもらうが、営業が19時半までと言われて、そのことが私に伝えられ、また主催者である山田先生にもその旨をメモで伝える。

テープ交換、ビデオテープ交換などをしたり、時間を気にしたり、なんだかんだと手を取られていて、せっかくの皆様の発表をゆっくり聞く時間もなく、また、質問したくても時間がおしているのを分かっている以上、後で個人的に聞くことにして、じっと我慢をする。

 

18時になって無理矢理、シンポジウムを終了させてもらい、懇親会会場へとご案内。

時間もないことなので、「赤おに」の人に、どんどんお料理を出してもらうようにお願いをして、まだ来ない人を呼びに行き、山田先生に開始してもらうように合図をする。

Kさんには、特別にサンドウィッチを用意してもらうように頼んであったので、それを先に受け取っておく。

一人、飛び入りで参加できるかどうかという申し出があったので、ちょうど参加するはずのKさんが抜けていたので、喜んで参加してもらい、申し訳ないが懇親会費をいただく。

これで予算がカバーされた。(「赤おに」は先に何人分でいくらと申し込んでお料理・ドリンクを注文するため、欠人が出ると赤字になってしまうのである。)

一応、私もいろいろな人とお話をして、名刺交換をし、交流を深める。

そこで、すごい人に出会ってしまった。

茨城大の先生であるが、もとは配給会社に勤めておられた業界人で、デニス・ホッパーとロジェ・バディムと勝新太郎と会食というのを企画して、赤坂で一緒に飲んだそうであり、デニス・ホッパーとは長年の知り合いであるとのこと。

その会食以来、晩年の勝新ともお付き合いがあったそうである。

また、黒澤明の『乱』にエキストラとして参加し、弓矢を放っていたそうである。

話を聞いているだけでも鳥肌が立ってしまい、「羨ましい」と叫んでしまった。

きっと他にも著名人と知り合いなんだろうなあ。

いいなあ。

 

会計管理をしている私に、山田先生が「ワイン追加できそう?」と聞いてこられ、「一人飛び入りで参加して下さったので、大丈夫です」と答え、赤おにの人に交渉してワインを1本追加で出してもらう。

19時半になったので、会はお開きにしなくてはならなかったが、料理がたくさん余っていたので、パックをもらいに行って、もったいないのですべて詰め込み、今晩ハウスに宿泊する人に、「この周りはコンビニも何もありませんから、今晩の宴会の肴に持って帰って下さい」と手渡し、余ったウーロン茶もビールも持って行ってもらう。

私は会計をして、領収書を書いてもらい、支払いを済ませて、明日は来られないので領収書などまとめて山田先生に渡して、明日はIさんに引き継ぎのメモを残してあるのでとシンポの間、いろいろ入ってきた情報を先生に伝える。

院生室に帰って、コートを取り、すぐにバスがあることに気がついて、あわてて帰る。

これを逃すと、次は40分後にしかバスが来ないからだ。

 

終わってほっとしました。

本当は、明日もちゃんと参加すべきだったのですが、シンポが決まる前からお稽古が入ってしまっていたので、欠席します。

「なんだ、そんなことで欠席するのか、けしからん」と思われる方もいるでしょうが、明日の午前中に発表はなく、データベース閲覧と、討論だったので、討論に加われないのは残念ですが、データベースは私が作りましたので、閲覧は皆さんがしっかりして下さい。

審査のためにまたぞろお稽古を休んでいたので、2月8日の内輪の新年会に間に合わない。

ということで、お稽古が優先してしまったのである。

楽しくて、刺激的な出会いでした。

またお会いする日を楽しみにしております。

あ〜、疲れた。

 

 

 

1月28日

6時に目覚める。

だけど、何となく頭が痛くて、ついでにお腹も痛くて、起きあがれない。

胃薬も突然止めてしまったから、これまで薬に頼っていた胃の機能低下がだんだん顕著に表れてきたのかも知れない。

頭痛も、アスピリンを常用していたのを止めてしまったせいかもしれないし、肩凝りから来ているのかも知れない。

だけど、家に帰ってきたせいか、熱は下がっている。

しばらくは、寒さと痛さでTVのニュースをぼーっと眺めながら、布団の中でぬくぬくと転がっていた。

「よしっ」と意を決して布団から出て、寒いのであわててガス・ストーブをつける。

顔を洗いに洗面所に行き、歯を磨いて、髪を整えてから、暖まってきた部屋にあわてて戻る。

狭いので、暖まるのも早い。

ストーブの前でパジャマを脱いで、相変わらず症状が変わらない発疹を見ながら、全身に薬を塗りたくる。

服をそっと着て、お弁当を作り、山のように借りてきていたビデオを袋に詰めて、準備完了。

久し振りに日文研に通う。

 

昨日まで寒かったせいか、まだところどころ霜か残雪か分からないが、白く残っている。

バイトも山のようにたまっているし、とりあえず、図書館でビデオを返却して、荷物を置いて、バイトをしている情報課の端末室に向かう。

まずはメール・チェック。

今日来るはずの職員さんが、風邪で寝込んでお休みするというメールが入っている。

困ったなあ。

CMのデータベース上から、動画修正のためにこちらのコンピューターにデータを持ってくるやり方が私には分からない。(機械音痴だから)

以前、目の前で先生にやってもらったのを見ていたのだが、あまりの速い動作について行けず、よく分からない。

メールの返事を書いたり、職員さんにお大事にとメッセージを入れたりして、午前中が過ぎようとしている。

確か、先生がこうやったはずと思い出しながら、プログラムを開いてみるが、次にどこにアクセスしていいのか、入力するパスワードも分からない。

パソコンは賢いので、結構前にいじったデータをある程度の期間は覚えているはずと思い、いろいろさわってみるがどれも違う。

あー、全然駄目だとギブ・アップして、データベース自体にアクセスするが、あれ、エラーが出る。

日文研のホームページを見ると、今日の17時からサーバーが使えなくなると言うお知らせがあるので、きっとそのせいで、アクセスできないんだろうと思って、お昼だし一度院生室に帰る。

何となく胃が重くて、食べる気がしない。

久し振りに会う後輩とお茶を飲みながら談笑していると、なんだか楽しくって話し込んでしまった。

とっくに昼休みの時間は過ぎているのに気付き、あわてて端末室に帰り、とりあえず山田先生に動画修正の作業が出来ないお詫びをメールに書いていると、内線がなった。

「山田です」という声を聞き、「あ、先生、小川です。今仙製にメールしようと思っていたんですよ。ちょうど良かった」とメールに書きかけていた内容を告げる。

すると、DBが動かないから今日は作業できないので、あきらめてと言う。

今から会議なので、いじれないそうだ。

なんだ、そうだったのかと思って、「じゃあ、シンポの準備でもします」と言って院生室に帰る。

ちょうど、入り口の大テーブルで何人かが談笑しているところだった。

「小川さん、お茶入れたんですけれど、飲みませんか」と声をかけてもらったので、「ありがとう」といいながら、さっき食べなかったお弁当を持ってくる。

食べているときは良かったのだが、暫くするとまた胃痛がしてきた。

気を紛らわすために、インターネットで調べ物をしたり、図書館に資料を借りに行ったりする。

井上先生に図書館で出会ったので、審査のお礼を述べて、翌日から熱を出して寝込んだ話をすると「知恵熱ですか」と笑われる。

「それで、全体的に体調はどうです?」と心配をして頂き、「疲れが出たのか、緊張の糸が切れたのか、今はすっきりしないんですけれど」など暫くお話をする。

しかし、先生の邪魔をしてはいけないと思い、話を切り上げ、院生室に戻る。

資料を読みながら、昨日の思いつきが使えそうなことを確認。

どうやって話をまとめようかなと思いながら、手当たり次第借りてきた資料に目を通していく。

そうすると、だんだん頭痛がしてきて、胃痛もしてきて、おまけに寒気がしてきて、「やばいなあ」という自覚症状が現れる。

それでも今日しないと明日は検査結果を聞きに病院だし、それから日文研に来てもバイトをしないといけないし、大丈夫と言い聞かせて資料を読み続ける。

 

私にとっては新しい分野(TVCMについての研究)なのだが、一応映画で映像研究をしているのだから、上手くリンクさせて何か語れないかなと考えているのである。

今考えているのは、映像として映画がTVに先行しているためなのか、TVのCMの初期の頃には結構、映画からのパロディが多い。

また映画で繰り返し映像化された人物像(国定忠治とか鞍馬天狗とか)が、キャラクターとして出てくる。

映画スターの起用によるインパクトでもいい。

それを大衆文化の共有と変遷という角度から、映画の衰退と時代の流れに照らし合わせて、いつ頃にもてはやされ、いつ頃になくなっていくのかをたどっていけたら、何か映像文化史みたいなことがCMから読み取れるのではないかと考えているのである。

CMというのは短い時間で最も効果的に商品を顧客に売りつけようとする媒体である。

そこへ映画のパロディや使い古されたキャラクターが現れるのは、何か顧客と共有している前提があるからではないかと思う。

パロディというのはオリジナルが分からないとその価値がない。

しかし、誰でも考えられそうなので、先行研究にそういうのがないのか資料を探しているのである。

 

院生室から誰もいなくなってしまうと、閑散とした院生室は寒気が増す。

おまけにサーバーが使えなくて、調べ物が出来なくなる。

あきらめて家に帰る。

 

今日は久し振りにカイロプラティックの日である。

ずっと発熱していたので予約をキャンセルしていたのである。

家に帰り、まだ時間があるので、先にお風呂に入り、発疹が引いていないか確かめる。

お、何となく腕の辺りがましになったような気がするなあ。

と、思っていたのもつかの間。

身体が温かくなって、血の循環が良くなってきたら、また目に見えるように赤く浮き出してきた。

駄目だと思い、これは今日診察が受けられるか先に先生と相談して、駄目ならキャンセルするしかないと思う。

時間が来たので、階下に降りて扉をくぐると、ちょうど受付に先生がいたので、「あ、ちょうど良かった。先生、相談があるんですけど」と声をかける。

熱は下がった(嘘、計っていないだけで、たぶんまた発熱しているのは分かっている)が、先週末より発疹が出ていて、そんな状態で整体してもらってもいいのかどうかを訪ねる。

「原因は?」と聞かれ、検査結果が明日出ることを答えると、やはり皮膚科の先生と相談してからの方がいいのではないかと言われてしまう。

本当は肩がこってるし、身体がむくむので、リンパの流れを良くして欲しかったのだが、循環をよくすると、逆に炎症がひどくなるおそれがあるので(実際お風呂に入ったらよく分かる)原因が分かるまではやめておいた方がいいとのこと。

はあ、やっぱりね。

あきらめて家に帰り、寒い部屋の中でおそるおそる体温を測ると、やはり微熱ながらも再発熱。

どっちにしても、熱があるのなら駄目だから、仕方ないかあ。

 

読みかけていた小説がもう後少しだったので、気になって仕方がなかったので一気に読み上げてしまう。

そんなことをしていると、すぐに夜は更けていく。

何度も計らなくても、自分に熱があるかどうかは分かっている。

夜更かししていて、また朝になっても熱が下がらなかったら困るので、今日は(今日も?)服薬して眠りにつこう。

薬で眠っていると、強制的に意識を失っているみたいなので、朝起きたときによく寝たといった感じが全くしない。

薬の効きが悪いと、必ず悪夢にうなされているから、これまた目覚めがすごく悪い。

熱のおかげで少しは昼寝をすることが出来るようになって喜んでいたのだが、まだまだ不眠の夜は続く。

 

まあ、不眠と言っても毎晩薬で寝ているから、不眠ではないのだけれど。

薬なしに挑戦したいのだが、熱が出るし、発表がまだあるので(しかも出来上がっていない)、本当にまた眠れずに次の日を迎え、身体が震えだし、自律神経失調によるめまいなど、ぼろぼろになって1日を過ごすことになるのが怖くて出来ない。

 

これまで、何度も体験してきたから、イベントが控えているときはつい慎重になって、禁止されているはずの薬に手が出る。

不眠日記ではなく、ジャンキー日記だな。

はは、冗談にもならんわ。

 

1月27日

昨日の朝、すべての薬を禁止されたので、昼から胃薬すべてを止める。

だが、夕食を食べてから暫くすると、胃が気持ち悪くなり嘔吐。

おまけにいつまで経っても眠気が来ずに(もちろん布団に入って、眠る努力をしていた)、とうとう誘眠剤を服用。

一体、私の身体はどうなっているんだ。

もらってきた塗り薬も、ぐりぐり塗りつけているが(と言っても1日2回と指定されている)、今朝になっても当たり前かも知れないが、全然状況は変わらない。

やはり内田先生の言うとおり、医者に行っても無駄なんだろうか。

朝から、悲しみに暮れながらも、全身にぐりぐりと薬を塗りたくる。

 

今日は女学院で臨時アルバイト。

1月は休みが重なった上、自分も審査で休んでいたので、実入りが少なく、交代は喜んで引き受けることにしていた。

けれども、木曜日まで出勤する予定だったのだが、昨日嘱託の職員さんから、突然「木曜日は入試でライブラリーを閉室するので、来なくて結構です」と宣告され、ショックを受ける。

ああ、来月の収入って・・・

毎年入試の時も出勤していたのになあ。

何故、今年になって突然・・・と言っても、もう決まってしまっていること(らしいの)だから、アルバイトの分際で文句は言えない。

 

朝からお弁当を作り(昨日稽古で母と一緒だったので、まだ実家に拘束されている)、詰め切れなかった残りで母の朝食を作り、コーヒーを入れ、お茶を入れて、準備完了。(父は出張でいない。)

私はストレスの一因を実家に拘束されているためと思っている。

両親には申し訳ないが、これは主治医とも見解が一致している。(微熱の原因ね)

審査も終わったことだし、父も無事引っ越してきたし、もうこれだけいれば、親孝行も十分ではないだろうか。

もちろん、親孝行に十分なんて言葉はないだろう。

しかし、いつまでも一緒にいるのが親にとっていいのか、私にとっていいのかは別問題である。

週末には、また一緒に食事の約束もしている。

父が大阪勤務になった以上、母が夜に用事があるときや、都合が悪いときは、こちらがフリーなら、父の面倒も見よう。

しかし、今は私のこの体調の方が大事なのである。

毎日、原因不明の熱を出し、原因不明の発疹に襲われ、嘔吐に見舞われ、毎晩ぱんぱんに身体はむくみ、ほとほと疲れてしまった。

確かに、1月は実家にほとんどいたおかげで、光熱費も食費も浮いた。

来月の収入が少ない分、来月に回せる余裕が出来た。(せこいけど・・・)

それは、心から感謝している。

でも、もう限界だ。

今朝、母に「家に帰る」宣言をした。

一応建前は、今週末にあるシンポの原稿が出来ていないためである。

これだけ長逗留すれば、途中何度か家にものを取りに帰り、着替えを取りに帰りしていたので、実家に結構ものが残っている。

それをすべて持ってアルバイトに行くのは無理なので、とりあえず、アルバイトが終わったら一度実家に帰り、夕食も辞退して、早々に引き上げることにした。

家だって、審査のために資料をぶちまけたままだし、いつも着替えを取りに帰ったりするときに熱があるために車で回ってくれ、待っていてくれるので、持ち帰ったものは焦って、その場に起きっぱなしにしている。

もう、散らかっていてどうしようもない部屋になってしまった。

早く掃除がしたい。

 

とりあえず、内職道具のパソコンとお弁当を持って出勤。

今日も寒いなあ。

さて、シンポの原稿とレジュメ(これはなくても最悪の場合OKだが)と思って、パソコンを立ち上げるのだが、嘱託職員さんよりお仕事が一件。

開室するなり学生さんがやってくるし、なんだか忙しい。

もちろん本業のアルバイトをちゃんとしなくてはいけないので、営業スマイルで対応。

ちっとも取りかかることが出来ない。

もともと内職をしようという考えがいけないのだから、文句は言えないけど。

あっという間に昼休みが過ぎ、あっという間にもう17時になってしまい、何も出来ぬまま、重いパソコンを持って帰る羽目になってしまった。

ああ、でもまあ、重い荷物を持って山を上り下りするのも運動だと思ってあきらめるか。

究極の運動不足だからね。

 

母が夕食の買い物をすると言っていたので、とりあえず駅から電話をして、イカリで落ち合う。

「何か必要なものがあったら買いなさい」というありがたーいお言葉に甘えて、家はいなかったので何も食料がないため、お弁当の材料や、日持ちして使えそうな野菜などを一緒に買うてもらう。

ありがたや、ありがたや。

こんな優しい親に内心刃向かっている私は、本当に最低の娘である。

しかし、私の身体さんが明らかに嫌だと言ってしまっているのだから、これは心に「すまない」と思ったところでどうしようもない。

自律神経失調の症状も相変わらず治らないんだから。

 

一緒に買い物をしてから実家に帰り、私はちゃかちゃかと帰る準備をして荷物をまとめ上げる。

父が帰ってくると、やれ夕食の準備や、なんやでややこしくなりそうだったので、早く帰りたかったのである。

さあ、帰り支度が出来た、と思ったら洗濯して(もちろん自分で)外に干してあった下着を取り忘れているのでは?と母に指摘され、取り込みに行く。

それを袋に詰め込んでいると、がちゃっと物音。

父が帰ってきてしまった。

ああ、洗濯物を取りに行ったわずかの時間差で・・・

父はいつもねらい澄ましたように、何かあると帰ってきたり、熱を出したりする間の悪い人である。(本人には間合いのいいのかも知れないが)

私は絶望的に「ああ」と叫び、母はあまりのタイミングの良さに長年の経験と勘が働いたのか、必死で笑いをこらえている。

へなへなとその場に思わずへたり込んだ私を見て、「なんや、まだ熱あるんか?」と平然と聞きながら、部屋に入ってきた。

「いや、別に。帰ろうと思ったら、えらいタイミングよう帰って来はったから」

「なんで、帰るねん」(そうくると思った)

「もう、私はこのうちにいる理由がありませんので」

「何?そんならはよ帰れ」(怒気を含んだ声で)

「送ってもらわな荷物が多くて帰られへんねんけど、都合悪いんとちゃうん」

「夕飯食べたんか」(ああ、やっぱり言われた)

「いや」

「食べてかへんのか」

「いりません、って」(と母が代弁)

「じゃあ、勝手にせい」(おっ、ラッキー!!)

あらわにしないが、明らかに内心ムッとしているのが伝わってくる。

悪いがそれをあえて無視して、母を促し、せっせと荷物を車に詰め込み、「ほな、さいなら」と言って、帰る。

きっと、「こんなにかわいがっているのに、なんて奴だ、恩知らずめ」と一人でぷりぷり怒っているだろうなあ。堪忍。

 

荷物を運び入れ、「大丈夫なの?」と心配そうにしている母を尻目に「じゃ、気ぃつけて帰りや」と捨てぜりふを吐いて、車のドアを閉める。

邪悪の固まりのような娘である。

 

それでも、久し振りの我が家はほっとする。

暫く人が住んでいなかったせいで、部屋の中は完全に冷え切っていて寒い。

足の踏み場もないほど散らかった部屋を見て、呆然としてしまった。

ある意味、また気が抜けたんだろう。

しばし、放心状態で立ちすくんでいたが、はっと我に返り、少し部屋を片づけ始める。

ああ、こんなに散らかっていてはちょっとやそっとでは片付かない。

郵便受けにたまっていた光熱費や電話代の請求書を見て、期限がぎりぎりなのに気付き、忘れないうちにと、近くのコンビニまで支払いに行く。

「ぴあ」をついでに購入して、家に帰って、風呂に湯をはり(寒かったので)、とりあえず、お弁当を作ったり、パソコンをおいて仕事が出来るだけの空間を確保するまで片づけたら、ギブ・アップ。

お風呂のお湯が入ったことを知らせる音が、雑然とした部屋に響き渡ったからだ。

あわてて片づけると、結局は物をまとめて積み上げるという逃げの作業になるので良くない。一見片付いたようで、本当は全然片付いていないからだ。

これは本腰入れて片づけないと駄目だなあ、と思いながらも、お湯が冷めるので、買ってきたぴあと郵便物を持ってお風呂に入り、湯船につかりながら目を通す。

ついつい長湯になるが、冷えた身体は全然発汗してくれない。

一時間ほど入っていたが、お湯はどんどんぬるくなるし、これ以上粘っていても、発汗しないし、逆に今度は身体が冷えてくることに気付き、相変わらず発疹が引かない気持ちの悪い身体を恨めしげに見つめながら、お風呂から上がる。

ああ、寒い。

もらっている塗り薬を全身にまたぐりぐりと塗りつけて、全然引かないなあとため息。

ゆっくり片づけるのは、金曜日の発表準備が出来てから(と言うことは必然的に発表が終わってからになるな)にしようと、今しなければならない優先順位を思い出し、とりあえずパソコンを立ち上げ、うんうんと構想を練る。

形にはまだならないが、頭の中で何となくネタが出来てきた。

けれども、手元に何も資料がないので、今のままだと大胆な仮説と言えば聞こえはいいが、単なる思いつきにしかならない。

もう12時だし、明日こそは日文研に行かなくてはと思い、明日図書館で何か資料を探して作業しようと決めて、床にはいる。

30分経ったが、やはり眠くならない。

明日ちゃんと起きなきゃならないから、またごそごそ起き出して、誘眠剤を服用して、こうして日記を書きながら、眠気が来るのを待っている。

起きていると、全然効かないのかなあ。

もう、寝ます。

 

1月26日

まずはお詫びを。

何か非常に調子の悪い日々を送っているせいか、一応審査が無事終了して、気がゆるんでしまったせいか、あまりの誤字・脱字に愕然。

一番申し訳ないのが人名を間違えたこと。

あまりにも失礼でした。

山田奨司先生ではなく、山田奨治先生です。(先生すみません)

本当に申し訳ありませんでした。

さて、気を取り直して・・・

 

朝になっても、全身に広がった発疹は全然引く気配がない。

掻きむしりたくなるほどの痒みが伴わないのと、顔に出ていないのがまだ救いである。

熱を計って熱があるといやなので、そのままお風呂を沸かしてはいる。

うう、身体を見ているだけで気持ちが悪い。

あまり時間もないし、身体を温めすぎて、血の循環をよくすると、痒くなってきそうなので長湯は止めた。

洗髪した後、身体を洗うが、タオルでこするのはなんだかよくないような気がしたので、綺麗になるか分からないが、とりあえず手に石けんを泡立てて、なでるように、腫れ物をさわるように、そっと身体を洗っていく。

特に痛みや痒みはないのだが、ぶつぶつとした触感と、真っ赤な発疹が視覚に入ってくるのが重なって、嫌な気分になる。

憂鬱・・・。

 

お風呂から出て、そっと身体を拭き、リビングに戻ってお弁当を作る。

熱を測ると、36度9分。

熱は下がったけれど、微妙だな。(私は普段の平熱が低いのである)

まあ、いいか。

お稽古とバイトへ行く準備をしていると、両親が起きてくる。

「どう、調子は」

「うーん、熱は引いたけど、発疹はまだこの状態」(腕をまくり上げる)

「バイト先に連絡して、遅れていくって言いなさい。朝一で皮膚科に行った方がいいわよ」

「そうだねえ。今日はお稽古で夕方も行けないし、明日もバイトだしなあ」

迷っていたが、やっぱり気持ちが悪いので、結局遅れていくことにして連絡を入れる。

折角お弁当も作って用意万端だったのに・・・

 

1年ぶりに皮膚科に通う。

昨年も原因不明の発疹で行ったことがあるのだが、結局、原因は分からなかった。

おそらく、血管が細く、あまり丈夫ではないために、力んだりするとそれが切れて発疹みたいに現れてくるのではないかという結果だった。

なんか、頼りないなあ。

しかし、昨年は本人が気になるだけで、他人には目をこらさないとはっきり分からないぐらいの軽症だった。

今朝は違う。

遠目から見ても分かるほど、真っ赤になってひどい。

しかし、顔など人の目に触れるところに出ていないのが幸い。

冬で良かった。

手の甲や指にも広がっているが、こちらはあまり目立たないので、ちょっと手が荒れた程度にしか見えない。

だけど、指輪や時計をすると、密着して通気性が悪くなるせいか、集中的にそこの発疹がひどくなる(なった)ので、はめることも出来ない。

不便だなあ。(指輪はいいけど、腕時計が出来ないのがね。)

 

呼ばれて診察室に入る。

全身裸にはならなかったが、特にひどい箇所を見せて、状況説明。

特に痒みはないと言ったが、少し赤紫になっているところや、帯状になっているところはおそらく無意識に引っ掻いたせいだろうと言われる。

いろいろさわって調べられ、ここ最近の体調、生活状況などを聞かれる。

微熱が続いていることや、婦人科器系の炎症が起きていて通院していること、薬を服用していることなど思い当たることをすべて話す。

一種の薬害アレルギーではないか?という疑いもあるので、飲んでいる薬名を言わされる。

婦人科器系の炎症は、抗生物質が効きすぎたせいから、弱いところに出たと診断されたために、今は抗生物質を止めている。

(これは風邪で通い始めた内科の先生とも相談して中止した。)

漢方3種類と、胃薬の名前を告げる。

本当は寝る前に誘眠剤も服用しているのだが、これは何となく言えなかった。

あ、抗鬱剤も言うのを忘れていた。ま、いいか。(結構大量の薬を服用しているからなあ)

結局、検査をしてみないと分からないというので、採血され、木曜日あるいは金曜日にもう一度来るように言われ、その間、今飲んでいる薬はすべて中止するように言われた。

新たに一錠だけ薬が出され、それと共にステロイドの入った塗り薬が出される。

ステロイドが入っているので、少しきついかも知れないから患部にだけ塗るように言われる。患部っていってもほぼ全身だからなあ。

 

1時間遅れでアルバイトに到着。

試験期間だけれど、朝からぼちぼち学生さんが来ていた。

今週末のミニ・シンポジウムの発表(15分)の原稿と、強制はしないという条件だったが、一応あればいいなと言われているレジュメを作成しなくてはならない。

けれども、朝から病院に行って、バイト終了後はお稽古だったので、パソコンを持ってこなかった。

今日はおとなしく読書。

 

バイト終了後、急いでお稽古場に向かう。

あれ、この声は?

やはり内田先生だった。

実は大会に一緒に「通小町」の素謡をする。(先生がシテ、私がツレ)

ずっとお稽古を休んだりしていたのと、時間帯がいつもずれていたので、今年初めてお会いすることになった。(携帯で一度お話ししたけれど)

もちろん謡も一緒に稽古をしていない。

私が来たのを見て、下川先生から「なおちゃん、すぐに『通小町』用意して」と言われ、ご挨拶も早々に、あわてて足袋をはいて、並んでお稽古。

お稽古が終わり、改めて博士論文のご報告とご挨拶。

「眠れるようになった?」

「いや、まだ薬を飲んでいます」

「もう、飲まなくても本当は眠れるんじゃない?」

「飲まないと、夜はいつになってもずっと起きているんですよ。眠気というものが来なくて」

「寝方を忘れちゃったのかな」(う、そうかもしれない)

「でも、酔っぱらうとすぐ寝ます」

「酔っぱらうと眠りが浅いからね。それはよくないんじゃない」

「確かに、2時間ぐらいで起きてしまいますけれど。それより、先生の言うてはった通り、もう全身発疹が出て、いろいろ体調崩してひどい目に遭ってますよ」

「これからどんどん出てくるよ」

「今朝も医者に行ったんですけれど」

「行ってもそれは無駄だよ。関係ないよ。(そんなあ)

これからね、発汗したり、熱出したり、垢がぼろぼろ出たりして、いろんなものが身体から出て、2週間ぐらいしたら生まれ変わったようになるから」

「そうなんですか?」

「そう」

そうなんだ。断言されちゃった。

うーん。どこまで信じていいのかな。(あ、先生ごめんなさい)

先生も経験者だから、体験談かな。野口先生の理論だけかな?

ま、これで治るんだったら、少しの間ぐらい我慢するけれど。

家に帰ると、また微熱を出してしまいました。

とほほ。

 

 

 

1月25日

ぎえー!!

朝から、身体のあちらこちらに発疹が出ている。

体温は?

まだ微熱が続いている。

 

外は雪がちらほらしていて寒そうだ。

食欲はあるんだけれど、ちっとも熱が下がらない。

もう風邪ではないかも知れない。

ストレス熱かしら?

 

時間が経つごとに、発疹の範囲が全身へと広がっていく。

夜になった今、ほぼ全身へ発疹が広がって、かゆい。

一種のじんましんみたいになっていて、見ていて気持ちが悪い。

しかし、以前じんましんの薬を飲んで、赤いぽつぽつの発疹が、赤紫の小豆大状のおできみたいに変わって、ひどい目にあったので、うかつに薬も飲めない。

そして、夜になって、微熱ながらもまた熱が上がってしまった。

 

身体はかゆいし、熱は出るし、最悪。

唯一の救いは、顔に出ていないことである。

今日はお風呂も禁止された。

(まだ実家に拘束である。当たり前である、こんな身体の状態で解放してくれるわけがない。心配はごもっともだけれど、今の私何が治療法かは分からないのだ。)

明日女学院でアルバイトだから、このまま顔だけには出ないでいて欲しい。

発疹が引いてくれるのを祈って、今日は早く休もう。

朝早く、発疹が引いて、熱が下がっていたらお風呂にはいる。

両方無理だったら、シャワーを軽く浴びて、洗髪だけしよう。

発疹が引いていたら、身体も洗いたいけれど、発疹があったら、タオルとかでこするのは止めなくては。余計広がりそうだから・・・

 

これは、今までためてきたいろいろなものが、体内から噴出しているということかしら。

はあ、嫌だなあ。

 

1月24日

今日は、祖父の94歳の誕生祝い会の食事会がある。

その前に、ぼろぼろになった髪の毛を切りに行く。

パーマを当て直し、綺麗にしてもらって、食事会に行く。

集まった親戚の方々に、その場を借りて、ご報告しました。

「それで、どうなるの?」

それだけは、聞かないで〜!!

 

帰るとまた、軽い熱が出ている。

今晩は、両親と一緒だったし、おまけに発熱しているので、またまた強制連行されて、実家に連れ戻されました。

これもいいのか、悪いのか。

 

1月23日

朝からまた発熱。

実はいろいろ体調を崩してしまい(内田先生の言うとおり?)、朝から3軒も医者を梯子する。

それから家に帰ってゆっくり休んでいると、熱も下がった。

友達と祝い酒に出かける。

「良かったな」

ありがとう。

久し振りに本当にリラックスして、余裕を持って相手の話が聞いてあげられたような気がする。

この1年、支えてくれて本当にありがとう。

いろいろな人からも、心配や励まし、そして今はお祝いのメールをいただき、本当に、私はたくさんの人々に支えられてきたのだと、実感。

この場を借りて、皆様に深く感謝したいと思います。

ありがとうございました。

 

でも、まだ終わった訳じゃない。

問題はこれからなのである。

でも、少しぐらいは気が抜けていてもいいかな。

 

1月22日

19日は審査だった。

年末に買ったスーツを身にまとい、ラッキカラーだったピンクのシャツを着て(縁起かついでんなあ)、寒いので、コートを着て出かける。

行きの電車の中で、また原稿を読み直すと、あれ?23分かかっている。

それから、日文研に着いてから、まだ原稿の書き直し。

途中、ビデオの頭出しともう一度軽いリハーサル。

それから、ずっと原稿の書き直し、打ち出し、読み直し、の繰り返し。

いつまであがいてんねん。

でも13時過ぎになると、もう駄目。

この原稿で行こうと決めた。

あとは、自分用の博士論文と原稿、質疑応答用のメモなどを部屋に持ちこんで、コモンルームをうろうろする。

中島先生がやってきた。

挨拶をして、指導教官に引き合わせる。

中島先生にコーヒーを出して、きょろきょろしていると、すぐ小林先生も来訪。

「ご無沙汰しております」と挨拶して、「さっき中島先生も来られました」と、ソファに案内する。

コーヒーを出して、そこへ他の審査に先生方も来て、一緒に接待をする。

前にも書いたかも知れないが、今回の審査は内部の主査であり、司会進行役でもあるのが、稲賀繁美先生、主任指導教官は井上章一先生、それからもう一人の審査は山田奨司先生、外部からは京都造形大の小林昌廣先生、大阪芸術大学の中島貞夫監督である。

暫く一緒にお話をして、皆さんと談笑していたが、5分前になると先に席を立って、会場であるセミナー室へと向かう。

あー、緊張する。

14時過ぎになり、専攻長である宇野先生より開始の挨拶。

主査である司会の稲賀先生から、「ビデオを使用する都合上、本来の発表時間である30分を多少オーバーすることがありますが、ご了承の上、発表を聞いて下さい」とありがたくも断りを入れてもらう。

しかし、実際に始まると、ゆっくり喋らなくちゃ、と思うからどんどん時間が過ぎてしまい、どんどん早口になっていく自分に焦る。

ビデオも喋りながら、どんどん早送り、ダイジェスト版で見せていく。

あーこんなんで、みんな分かってくれたのかしら。

鼓動が高まる中、時間が延長したことをお詫びして発表を終える。

それを受けて、さらに主査が「異例の長さの発表をでしたが、質疑応答にうつります」という発言をされて、口頭試問が始まる。

緊張していて必死だったので、よく分からなかったけれど、非常に自分のためになることをいわれた気がして、感謝しています。

鈍感だったから、意地悪言われても気付かなかったのかも・・・

 

2時間半にわたる長い?審査会が終わり、先生方は別室へ。

私は手持ちぶさたに、セミナー室の机を元に戻す作業を手伝い、院生室に戻る。

みんな後輩たちがケーキを用意してくれて待っていてくれた。

「ご苦労様」という言葉に感謝して、同僚、後輩たちと、お茶を飲んでいると、院生室に電話が・・・

山田先生が「コモンにおいで」というので、あわてて走ってコモンに行くと「中島先生がお帰りになるから挨拶して」と言われる。

「今日はありがとうございました」と言って、出口まで送りに行く。

その間、いろいろまたお話しさせて頂いて、非常にためになりました。

 

それからは、小林先生も、いける人みんな誘って、15人ぐらいで飲みに行きました。

乾杯の挨拶で、井上先生が「お疲れ様と言うところですが、おめでとうと言ってもいいでしょう」と言って下さり、嬉しかったです。

それからは、場も砕けて、久し振りに小林先生とじっくりお話しできて、楽しかった。

 

まだ、総研大全体の会議が残っているので、確定したとは言い切れない。

けれども日文研では、一応合格と言うことか。

喜んでいいんだよね。

 

ほっとしたせいか、飲み過ぎか、次の日朝から発熱。

1日寝込んで、病院通い。

 

水曜日も熱が下がらず、また寝込んでいました。

 

今朝やっと熱が下がったので、女学院にてアルバイト。

昼休みに、内田師匠に挨拶に行くといない。

こういう事は、きっちりあってお話ししないとと思っていたけれど、いないし、今日はお稽古日。

もしかして、と母に連絡入れると、お稽古場にいるという。

ちょうど、お稽古が終わったところだったので、電話に出て頂き、ご報告。

「良かったね。長かったねえ、ここまで」

「すぐにメールしようと思ったんですけれど、やっぱりちゃんとあって挨拶したいと思って、さっき研究室に行ったらいらっしゃらなかったので」

「今日、お稽古日だからね」

「終わったら熱が出てしまって、寝込んでしまって」

「それはいいことだよ。病気も治るよ、その前に、下痢したり、発熱したり、いろいろ出てくるよ」

「そうですかね。明日一応木田先生の所には行く予定なんですけれど」

と、他愛もない会話をして、電話で失礼する。

また、日を改めて、ご挨拶しよう。

 

バイトも終えて、久し振りにお稽古にも復帰しました。

 

1月18日

今日も朝から日文研。

さすがに今日は誰も来ていないな。

昨日よりもましだけれど、まだ寒い。

院生室の全部の暖房を入れて、お湯を沸かし、コーヒーを入れる。

その間、また発表原稿を打ち出して、見直し。

自分の席に戻り、時間を計って原稿読み。

駄目だ、まだ25分かかる。

 

うーん、困ったなあ。

また、手直しをして、漸く20分。

だけど、15分にしたい。

あちらこちらを手に入れて、短くしたけれどまた打ち出しをして、読み直す。

お昼になったので、お昼ご飯を食べながら、目を通す。

すると、同期がふらりと入ってくる。

彼は2年前に既にドクターを取得しているので、同期であり、先輩でもある。

「どうですか、明日ですよね」

「それがねえ。まだ原稿がちゃんと出来上がらなくて・・・」

「大丈夫ですよ」

「そんな余裕ないよお。時間がオーバーするんよね」

「そんなに気にすることないんですよ」

「えー。そういうわけにはいかないでしょう」

でも、そんな会話をしていると、少し気が紛れる。

「頑張ってね」

「ありがとう」

 

気持ちを切り替えて、また原稿に手を入れる。

打ち出しては、自分の席に戻り、ぶつぶつと呟くように、実際に声を出して時間を計る。

そんなことを繰り返して、あっという間に夕方。

漸く20分弱の原稿が書き終えたころ、携帯が鳴る。

広島に行っていたはずの母からだ。

20時半頃に帰るといっていたのに、もう新大阪に向かっているという。

「晩ご飯は?今どこにいるの?」

「日文研」

「今から帰るから、いつ帰れるの?」

ということで、結局夕食を共にすることに。

心配してくれているのはいいんだけれど・・・

家に帰ると、減っていた体重が、一晩で戻ってしまった。

絶対にストレスだよ。

 

1月17日

鈴木先生が主催している「文化論の基礎概念と方法」というゼミ形式の研究会に出席する。

「恋歌とは何か?」というとても興味深い発表だったので、聞きに行ったのである。

しかし、行きの電車の中で、時間を計りながら原稿を読んでいると、どうしても25分かかる。

発表時間は30分。

ビデオも25分ぐらいあるので、予定では、途中早送りしながら喋ることにしたので、15分から20分になる。

原稿を縮めなければならない。

ずっと頭を悩ませながら、どこを削ろうかと、赤を入れて考えていた。

 

ぎりぎりに間に合ったが、今日も日文研は驚異的に寒い。

毎年センター試験の時は寒いと言うけれど、本当に寒い。

半ばふるえながら発表を拝聴する。

非常に興味深かったし、知らないことがたくさんあったので刺激的だった。

発表が終わってから、何となくずるずるとみんなで「赤おに」(というのは、日文研にあるレストランの名前です)に行き、話しながらランチを食べ、そのままずるずるとコモン・ルーム(というのは、日文研にある先生方が仕事の打ち合わせをしたり、集ったり、指導したりする共用の場である空間を指す)で、コーヒーを飲みながら、鈴木先生を囲んで談笑していた。

はっと気がつくと16時過ぎている。

やばいっと思い、とりあえず完成したレジュメだけをコピーする。

院生室に戻り、レジュメと参考資料、ビデオをセットにして机の上に置いておく。

コモン・ルームに戻ると、突然ばたばた出入りをし出した私に気がついた鈴木先生が

「あれ、小川さん、こんなところで喋ってていいの?逃避じゃない?」と一言。

「いや、あの、逃避かも知れません。でももう帰ります(寒いので)」

「じゃあ、駅まで送ってってあげるよ」

「いいんですか?」(ラッキー!!)

「いいよ」

もちろん、研究会に来ていた他の人も一緒です。

思いもかけず、早く帰れたし、研究会に来ていた他の3人の方たちもみんな神戸方面だったので、仲良く話しながら一緒に帰ってきました。

私が月曜日に審査と言うことが分かり、いろいろと博論のことを聞かれ、理解してもらえるように一生懸命、話したのが、結果的に予行演習みたいになって良かった気がする。

やっぱりこういう事は知らないんだな、とか、こういうところに疑問を持つんだなというのが具体的に見えてきた気がした。

よし、これをもとにして原稿を書き直すぞー!

みなさん、ありがとう。

 

さすがにもう夕飯を作る気力もなかったので、帰りにいかりで出来合いのものを買い物して帰り、家でチンして、原稿を見ながらもそもそと食べる。

さっき得たヒントをもとに、強調したい点をはっきりさせて、原稿を書き直す。

だいぶんと縮まったかな。

 

寒いので、お風呂に入り、ゆっくり湯船につかりながら、読み落としていた資料に目を通す。

お風呂から出てきて、あれびっくり。

解放されたと感じたこの2日間で、ちゃんと3食食べているにもかかわらず(おまけに昨日なんて飲みに行っていたのに)、2.5kgも体重が落ちている。

やはり、ストレス太りだったんだ。

なんて正直な私の身体。

 

1月16日

今日も朝から、日文研に行く。

なんだか、だるい。

実は熱を計ってこなかったのだが、もうそんなことを言っている暇はない。

日文研には、まだ雪が残っている。

 

昨日は、当然のように何も出来なかったが、一応打ち出したレジュメを見て、方向性を衛やっと決めてしまった。

漸く、レジュメが完成。

 

午後は、月曜日の発表の練習ではないが、ビデオがちゃんと流れるか、音がちゃんと出るか、チェックしに行く。

頭出しは当日の午前中にすませることにした。

事務の人に一番後ろに座ってもらい、音量や画面の向き、それに会わせて喋る私の声が聞こえるか、電気を消した方がいいかなど、入念にチェックする。

ああ、だんだん近づいてきた。

緊張するなあ。

 

昨日井上先生に「いよいよ近づいてきましたけど、どうですか?」と言われて「緊張しています」としか答えられなかった。

主査であり、進行役である稲賀先生に会えたので、「先生、今必死で原稿短くしているんですけれど、30分ではどうしても無理なんです。司会の方で先に、断りを入れてもらえませんでしょうか?」と頼み込む。

我ながらせこいなあ。

 

レジュメを打ち出して、それと論文を並べながら、作りかけの発表原稿を仕上げる。

夕方、漸く一息ついた。

今年に入ってから、熱を出したことが原因で、半ば強制的に実家に連れ戻されている。

それは、暖かくして栄養をたくさんつけさせて、早く審査までに体調が良くなるようにとの、両親の温かい心遣いであることは重々承知である。

おまけに私に家事をする手間を省いてあげよう、時間を存分に使わせてあげようという心遣いも加わっているのも分かっている。

しかし、そこにストレスがないと言えば嘘になる。

だから、私の微熱は相変わらずひかないし、ストレスのせいか、栄養とりすぎの過食のせいかぶくぶく太っていく。

驚異的なスピードで。

 

しかし、今日は父が広島に帰ったし、母は今日こそゆっくり祖父母のそばにいてあげられるし、明日は引っ越しのために母も広島に行く。

帰ってくるのは18日の夜と聞いている。

何か久し振りに解放される気分である。

本当に、邪悪な娘である。すまない。

 

一応めどがついた私は、一番私が頼りとしている大事な人にメールをしようかどうか悩んでいた。

めどがついたこともあったし、今年に入ってまだ1回しか会ってなかったので、会いたくなったのである。

もちろん会わなかったのは、私が微熱を出していたのと、原稿作り、レジュメ作りが思うようにはかどらなかったのが原因だからである。

だけど、もう発表は目の前だから、もう少し我慢すべきかなと自分に言い聞かせていたら、メールが来た。

なんといういいタイミングというか、まさに私がメールしようか悩んでいた意中の人である。

なんだ、同じ事考えていたんだ。

こういう偶然は少し嬉しい。

そうとなったら話は早い。

すぐに待ち合わせ場所を決め、私が今からいける時間を指定して、いつもの行きつけの店を予約して、落ち合う。

「そろそろやな。どない?」

と言いながらも、すごく気を遣っていてくれて、関係ない笑い話で緊張をほぐしてリラックスにしてくれる。

ほっとする時間、気持ちのいい時間とはこういう時間のことを言うんだろうな、きっと。

 

心から感謝した夜でした。

 

1月15日

昨日は、結局帰ってから、また微熱が出てしまい、仕事が出来なかった。

うーん、困ったなあ。

レジュメが出来ないと、発表原稿も出来ないからなあ。

今日は、もう一人の公開審査である。

前にも書いたと思うのだが、今回論文を提出したのが、私を入れて3人である。

一人は昨年のクリスマスに無事審査が終了し、素敵なクリスマス・プレゼントとなった。

今日、審査がある那須君は日文研の中でも、自然科学系である。

論文はなんと英語で書いたというすごい人である。

(と言うか、英語で論文書けるぐらいの知識はみんな持っているのかも知れないが、私には出来ないので、尊敬してしまうのであった)

でも、聞くところによると、自然科学系では、英語は当たり前なんだそうである。

はあ、私の拙いNOVA通いなんて、比較するのもおこがましいよなあ、シュン。

もちろんNOVAでもトップ・レベルの人たちはすごいので、NOVAを中傷しているわけではない。誤解しないで頂きたい。

私自身がすごーく低レベルなのである。

しかも論文書き出してからは、「継続は力なり」の語学に全然継続できていないから力にならない。

 

今日も朝から日文研に通う。

昨日の大雪とは変わって、いい天気になってきたが、それでもまだ残雪がちらほら。

寒いなあ。

午前中は、頑張ってレジュメ作り、と並行して原稿も作るという秘技を使う。

(え、誰でも出来るって?そうかもしれん)

しかし、これをすると全体的な進行具合が極端に落ちるので、なかなか前に進めないのである。

何でこんなややこしいことをするかというと、一石二鳥だからではなく、昨日打ち出したレジュメを見て、次の構想を考えつつ、口頭発表の文面も頭に浮かんできていたので、それを忘れずに文字化しようとしたからなのである。

 

私は映像について書いているために、発表にビデオを使う。

そのために口頭発表の時間がどうしても短くなる。

だから、「後はレジュメを参考に」という形で、レジュメになるだけの情報をわかりやすく書いて、発表は駆け足で触れていく程度になるのは必定。

どれだけ、聞きに来てくれたオーディエンスに理解してもらえるかが大事なのである。

だから、よけい悩んでしまう。

あまりにレジュメに書きすぎても、聞いている方は、レジュメを見ながら、「あれ、今どこ喋ってんの?」という事にならないとも限らない。

審査員の先生は、すでに読んでいる(はず)なのだから、別に発表は聞かなくても、分かっている。(映像がプラスされるだけである。)

でも、聞きに来る人は私が何をやっているのか、初めて聞くわけだから、わかりやすく説明する必要がある。

昨日、主査の先生と指導教官と作戦会議を簡単にしたのだけれど、お二人とも「欲張らずに、聞きに来た人にわかりやすいような発表にして下さい」と答えられた。

まさにその通りなのであるが、もう一つ問題点がある。

それはオーディエンスの年齢ギャップである。

私の研究対象が「チャンバラ映画」であり、それがプログラム・ピクチャアであるということは、先生方の世代にとっては、まさに青春時代(死語かしら?)の映画であり、見ている確率が非常に高い。

だが、今の学生の世代になると、すでに「チャンバラ映画」は衰退し、その市場はTVに移行している。しかし私は今回、TV時代劇は対象外にしている。

いや、人によっては、TV時代劇の全盛さえもう既に過ぎてしまっているかも知れない。

つまり、人名はもちろんのこと、それらの映画についての知識は全くないと言っても過言ではない。

そのような幅広いオーディエンスの前で、私は上手く発表できるのだろうか。

まあ、そんなことを悩みながら書こうとしているのだから、余計に頭の中が混乱してしまうのだ。

 

後もう少し、と言うところで、タイム・リミット。

公開審査へと向かう。

はあ、次が自分の番かと思うと、他人事ではないような緊張感にとらわれる。

彼が研究しているのは、何だろう・・・「考古学」に分類されるのかな。

中国のある地域に限定して、そこで縄文期に見られる「種」を発掘、分類し、どのような稲作が行われ、どのような植物が育てられていたのかということを明らかにしたようである。(間違っていたらごめんね)

パワー・ポイントを使って、非常にわかりやすく、簡潔に発表が終わり、口頭試問も速やかに進んだ。

但し、川勝先生がちょっと怖かったけれど・・・

でも、私のような理科系音痴にでも少なくとも上記に書いたようなことは理解できたし、面白かったです。

すいすいと進んで、1時間半という短い時間でさくっと終了しました。

絶対大丈夫だね。

 

さすがに、次を控えている私は今日も飲みに行く余裕はないので、「那須君によろしく言っておいて」と伝言を残し、先に帰る。

 

話は飛ぶが、父が単身赴任から18日に帰ってくるのである。

何も私の発表の前日というややこしい日に戻ってこんでもと勝手に思ったが、それは会社の辞令。

まあ、別に関係ないですけど。

しかし、父が単身赴任をしている間、母は平日の間、用事がない限り、ずっと実家に当たる祖父母の家で、夕食を共にし、呆け防止の麻雀をし、何かあったら祖父母の世話をしていたのである。(そんな介護が必要なほど大変ではないのだが)

それが、父の大阪勤務により、毎日夕食の支度をしたり、麻雀の相手をしたり、夜遅くまで付き合ったりということは、当然出来なくなる。

そこで矛先が私に向いた。

祖母からは既に「なおちゃん、ワインぐらいいくらでも飲んでもいいから、たまにはおばあちゃん所に来て、ご飯でもしてちょうだい」と言われているのである。

母が実家に入り浸り?になってから3年ぐらい経つと思う。

その間、祖父母は当然それだけ歳をとり、台所仕事もおっくうになってきている。

母がいる生活にすっかり慣れてしまったせいだ。

私も誰よりもかわいがってくれる、高齢の祖父母の世話はなるべくしたいと思っているが、今はまだ発表が終わっていないし、その結果だって、その後のことだって決まっていない。

だから、出来る限りのことはしてあげるつもりでいるが、今はまだ何とも言えないのが実情である。

そこで、今週は祖父母が娘に甘えられる最後の1週間と思っていたのだが、蓋を開ければあらびっくり。

父が、今週は、引っ越しのための週末(金曜日を含む)以外、大阪に出社だと言い出したのである。

祖父母にしても、母にしても、私にしても「そんな話は聞いてないよ」である。

既に実の両親を亡くした父にとっても、もちろん義理の両親を邪険には出来ない。

しかし、亭主関白を通してきた父は単身赴任をしてきたにも関わらず、家事が出来ない(と言うより、「しない」の方が正しいんだろう)。

あー、長い前ふりだった。

実は、今晩は、会社帰りの父の外食(すなわち母がゆっくり祖父母の所にいられるように)に付き合うことになっていた。

会社が終わる大体の時刻を聞いて、私は日文研を後にした。

昨晩も私が熱を出したために、大阪で食事をするのをやめて、家の近辺にしようと話が変わっていたのだが、バスの時間が余りなくて、予定より早く梅田に着いてしまった。

父に連絡をすると、案の定まだ会社にいるという。

結局、父の知り合いのバーで待ち合わせをして、私は久し振りに梅田を少しぶらついてから待ち合わせ場所に向かった。

あれ、もう父が来ている。

「はやかってんね」

「あんたから連絡もらって、すぐに会社出てきた」(そんなことせんでもええのに・・・)

「ふーん。お待たせ」

「熱は?」

「はかってないから分からない」

 

父が食べたいというのと、私への精力をつけさせるという両方の意味から、ステーキをご馳走になりました。

何故か、そのまま実家まで帰りを同行し、さらに実家で酌の相手をしておりました。

父はTVを見ながら、私はこうして日記を書きながら・・・

 

え?熱?

それがねえ、微熱なんだけれど、まだ出るのよねえ。

もうこれは「知恵熱」やわ。

 

1月14日

朝は熱がなかったので、今年初の日文研に通う。

うー、今日は寒い。

桂駅に降り立つと、雪が降っていた。

山が真っ白である。

 

日文研に到着すると、10cmは積もっている。

うーん、さすが京都というか、山奥というか・・・

子供のように、親切の上をわざと歩いて足跡を付けて遊んでしまう。

こけたらどうすんねん。

 

皆さんに新年のご挨拶。

家で寝ていても、結局はちっとも進まないので、日文研にてレジュメ作りをしようと決断してきたのだ。

それと、今日は午後から1回生と2回生の中間研究発表会。

みんな何やっているか知りたいし、刺激になるので聞きに行くことにしました。

しかし、久し振りに会う院生や職員の人たちと談笑していて、ちっとも進まない。

これって、逃避?

やばい、やばい。

 

発表が午後からだったので、午前中は論文で使ったスチール写真を、参考資料としてつけようと思い、カラーコピーをする。

カラーコピーは時間がかかる上、途中でエラーが何度もおきるので、厄介。

最低25部用意するように事務から言われているのだが、そんなに人が来ないと思うんだけどなあ。

結局は余って無駄になるんじゃないかしら?

まあ、いいけどね。

 

結局午前中いっぱいかかってしまいました。

こんなに時間をとるのなら、やっぱり早めにしておいて正解だったかも。

当日にしていたら、えらいことになっていただろうなあ。

 

山のようなコピーを抱えて、院生室に戻り、大型のホッチキスでばんばんと留めていく。

本当に、今日は寒いね。

院生室は暖房を入れていても寒いわ。

外は真っ白の上に、吹雪いているし・・・

資料作りを漸く終えて、お昼ご飯を食べて、まだ時間があったので、自分の机に戻って、さあ、レジュメ作り。

結局1/3しか出来なかったなあ。

それでも打ち出して、見直して、続きの構想を練ろう。

 

皆さんの発表を拝聴。

2回生は中間報告と言って、博士論文の中間報告をしなければならない。

1回生は、まだ1年目なので、研究発表と言って、とりあえず今年はこんな研究をしましたと言うぐらいでかまわない。

2回生は一人しかいないのでまとめて今日に決まったのだが、本当はこの発表会は別々に行われる(というか行われてきた)。

 

中間報告というのは、これからの見通しも立てた上で発表しなければならないので、先生方も辛口のコメントになる。

悪く言えば「いぢわる」になるのだ。(愛の鞭なんだろうけどね。)

私も、2回生の時の中間報告で、くそみそにけなされ、否定され(本当に自分の研究発表が否定されちゃうんだから)、つっこまれ、いじめ抜かれて、トラウマになっている。

というか、これが一つのきっかけとなって、体調を崩し始め、翌年に倒れたのである。

まあ、もちろんこれだけが、私が病気になって倒れた原因ではない。

原因はダマのように様々な要因がこんがらがって、ふくれあがって、同時に降りかかってきたのであるから、あくまでもその中の小さな一因であったにすぎない。

(日文研の先生方、誤解しないで下さいね。)

だって、「はあ、自分は向いていないんだ、駄目人間なんだ」とがっくし落ち込むほどきつかった思い出があるのだから。

でも、今思い返せば、やはり「愛の鞭」であったと思うし、そんなことで潰れるようではこの業界を生き抜いてはいけないのだということもよく分かった。

こうやって、人は成長していくのかしら。(なんて、言えるのは今だから)

ははは、でも私って成長してんのかなあ?

日文研の先生方、職員さん方には心から感謝している今日この頃ですが。(本当です)

 

1年生の発表に対しては、先生方のコメントも甘口というか、これからの研究のために方向性を広げてくれるようなアドヴァイス的な発言が多い。

もちろん、ある程度のつっこみもあるけれど、雰囲気が明らかに違う。

同時に発表しているのに、これだけ使い分けられるのも、ある意味すごいと思ってしまう。

 

終わったら、和やかに先生方も一緒に打ち上げとなる。

さすがに私は、そんな余裕も体力もないので辞退。堪忍な。

でも、みんなでタクシーに乗って駅前まで行くので、本当は、ここで一人で残ってレジュメを仕上げねばとも思うのだが、結局は一緒に帰ることにしてしまった。

「私は行かないけど、山を下りるなら便乗させて〜」と人数に入れてもらう。

「小川さん、山を下りるって、山ですか、ここは?」と後輩につっこまれて、

「ええ!だって山じゃないの?」と驚愕して答える。

 

タクシーでは、井上先生と同乗したので、先日の編集者の方から早速メールもいただき、「実は東京勤務だけれど、こんな募集の話もありますよ」といった紹介をいただいたけれど、残念ながら、急なお話だったので断ってしまったことなどご報告。

本当に、魅力的な話だったのだが、私はべつに出版業界に勤めるのが目的ではなく、あくまでも研究者として生きていきたいのが、第一目標であるのだから仕方がない。

といっても、全然甘くないこの業界で、まだ見通しは全くのゼロなのだから、生活のためには、せっかくのチャンスを潰したことになったと後悔するかも知れないが・・・

今はまだ後悔していないのでいいのである。

(あれ、ちょっと惜しかったなとか思っているかも・・・その会社の社長さんとお知り合いと聞いたので、実は、機会があれば一度会わせて頂きたいと頼んでいるのである。

未練がましいかな?)

 

桂駅で皆さんと別れて、寒い京都を後にしました。

 

1月12日

修理してもらったCDプレーヤーが、全然直っていなかったので、父がヨドバシカメラと会社に車で行くというので、一緒に同乗する。

さすが祭日、すごい人である。

 

実は、土曜日の日に、京都でうろうろしていたときに、イヤホンを落としてしまった。

リモコン部分だけ残っていたので、新しいヘッドフォンを購入して、それから症状が出ることを確認して、修理コーナーに持って行く。

そこで、また再修理をお願いして、車をパーキングに止めてから、昼食を食べる。

帰ってきたら、また微熱が出てしまって、結局昼寝タイム!

夕方まですーすー寝て、やっと熱が下がった。

 

毎日毎日こんな生活の繰り返し。

微熱と戦う毎日は、論文発表への道を阻んでいる。

うーん、困ったものです。

 

1月11日

また熱が再発。

微熱なんだけれど、朝からだるい。

けれども確実に発表が迫ってきているので、一生懸命レジュメ作りをする。

駄目だ。

寒気がしてきて、熱が上がってきて、と言ってもまだ微熱の範囲なんだけれど、ダウン。

 

3時間ほど眠る。

ぼーっとして頭が回らない。

 

のどの渇きが激しく、ぐいぐい水を飲んだり、お茶を飲んだりしているので、何となくむくむ気がするのは何故だ?

薬を飲まないといけないので、珍しく3食食べている。

そのせいか、恐ろしい勢いで太っている。

そりゃ、そうだよな。

食っては、微熱が出て寝ているんだから、動いていないんだもん。

まあ、かろうじて頭を使おうとしているけれど、全然進まないしなあ。

結局、今日1日進みませんでした。

はあ、間に合うかなあ。

 

1月10日

4月以降の生活のめどが立っていないため、井上先生から出版社と言うより、出版の編集コーディネーターの人の下でアルバイトはどうだろうかと言うていただき、今日はとりあえず、顔合わせでその人と一緒に昼食を共にすることにした。

もちろん井上先生も一緒である。

 

今日も熱がない。

軽い咳とのどの痛みが残っている程度。

午前中内科に行こうと思っていたが、時間がなかったので、お薬だけもらいに行く。

そのまま電車に乗って京都へゴー!

 

ジュンク堂のそばの小洒落れたカフェ・レストランにはいる。

ランチを頼み、早速いろいろなお話を始める。

女の人なのだが、すごくさばさばしていてとても気持ちのいい人だ。

井上先生との話に出てくる人名が(当たり前だが)半分しか知らない人である。

編集コーディネートしていると、いろいろな人間を知っていて当たり前であるが、それについて行くほど、出てくる人を知っている井上先生もすごい。

それだけ、広範囲の本を読んでいらっしゃるのだろう。

私も、審査が終わったら、とりあえずまだ読み残している本をがんがん読んでいこう。

 

アルバイトの話は順調で、「いつでも何日でもかまわない」とまで言ってくれるどころか、「ねえ、お料理上手って聞いたんだけれど」と言われ、

「ええ。まあ」

「何の関係があるんですか?」(井上先生)

「いや、夕飯作ってもらおうかと思って」

「いいですけよ(笑)」

 

その後のつぶやきがすごい。

「ああ、あの捨てようとしていた簡易ベッド、やっぱりおいとこう」

「どこまで、こき使う気なんですか」(井上先生)

「・・・・」

 

実際にどんな仕事か分からないが、とりあえず、3つぐらい候補があって、そのどれが向いているかは、始めてみないと分からない。

「英語は大丈夫?」

「いや、ちょっと苦手かも」

「翻訳もあるんだけれどね。それは家に持って帰ってやってもらえる仕事」

なるほど。

 

メールで後の連絡を取り合うことにして、2時間ほどお話をして別れました。

風邪がまだすっきりしないので、寄り道せずにまっすぐに帰りました。

どうなるかしら??

 

1月9日

今朝も熱はない。

朝を少しゆっくりしてから、修理を依頼していたCDプレイヤーを取りに梅田に出かける。

昼食を食べてから、主治医の所に行く。

何か、身体がだるい。

ここのところ論文を持ち歩いているのだが、頭が回らなくて、まだレジュメにまとめ上げることが出来ない。

困ったなあ。

 

風邪のせいか、最近ずっと悪夢を見続けて、夜中に何度も目が覚める。

追いつめられているのかなあ。はあ。

漸く診察室に呼ばれ、「この大切な時期に風邪を引きまして。近くの内科医にこの薬を出してもらっています」

「どれどれ、ははははは(笑)」

「なんか、今飲んでいる薬とだぶって悪いものとかあるんですか?」

先生は黙って自分の鞄を取り出し、おもむろに薬を取り出した。

げ、同じ薬。

先生もお風邪を召していらっしゃったのですね。

しかも、調子が悪くなり出したのも、薬を服用しだしたのも全く同じ日。

「今の季節、一番有効な薬だから、もう3日分かは続けて出してもらいなさい」

そうですね。

漢方を、風邪対応のものに変えてもらい、審査まで早く風邪を治すように言われる。

 

今日は「宵えびす」である。

昨日から熱が下がっていることもあるし、初詣も行かなかったので、代わりに友人と「えべっさん」に行くことにした。

じゃーん!!「大吉」!

「喜ぶべきことあり」だって。

うふふ、審査は大丈夫かしら。

いやいや、自分の準備次第なんだけれどね。

頑張らねば。

 

風邪が治りきっていないので、早々に帰りました。

 

1月8日

女学院にて仕事始め。

今朝、漸く平熱近くまで熱が下がった。

声が変だが、のどの痛みが大分とましになっている。

今日は謡曲の稽古始めだが、審査が終わるまではお休み。

と言うより、この声で謡は出来ないでしょう。

体調不良も重なってお休み。

 

さすがに座っているとしんどいな。

けほ、こほこほ。

うん、ずいぶんと咳がましになってきた。

お昼ご飯も食べられたし、薬を飲むときにのどの痛みがあまりしなくなった。

つばを飲み込んでも痛かったからな。

ましまし。

でも、油断大敵。

今日も大人しくしておこう。

 

1月7日

昨日は頓服まで服用したので、よく寝ていた。

咳とのどの痛みが取れない。

熱は?微熱。

ごほごほ。

身体がだるくて、座っていられない。

抗生物質が出ているので、3食食べなくてはいけないが、食欲がない。

スープを飲んで、朝ご飯にして、薬を飲む。

スープや薬がのどを通るのも痛いのよね。

 

今日は午後から審査の発表用のビデオ編集をしに行かなくてはいけない。

微熱だから大丈夫か。

車を借りに実家に行って、とりあえず、ぎりぎりまで寝込んでいる。

12時頃、よし、熱は下がった。

薬を服用して、いざ出陣。

 

15分以内に納めたかったが、25分になってしまった。

まずい、発表時間は30分。

これは途中しゃべりながらと、後は早送りをするか。

実家に車を置きに帰ると、寒気がしてきたので、また暖房の前で横になる。

怖いので、熱は測らない。

 

夜、母を祖父母の家まで迎えに行かなくてはいけないので、連絡が入るまでまたまた休養。

時々起きては自分の論文の読み返し。

レジュメの構成を頭の中で練っていく。

頭痛がしてくると一時休憩。

 

夜も何も食べていないことがばれて、冷蔵庫にあるものを食べさせられる。

何か、気分悪いんですけれど。げほげほ。

 

お風呂に入ろうとすると、母に「体温計」を手渡される。

またまた微熱。

微熱だからいいかと、強引に風呂にはいるが、入っていると気分が悪くなってすぐ出てきてしまった。

家まで送ってもらい、薬を服用。

さっさと寝よう。

 

1月6日

夜中に何度も目が覚めてしまい、身体が痛い。

これはやばいなあ、と思う。

もちろんのども痛く、咳が出る。

朝方になるにつれてひどくなるが、まだ熱は出ていない。

日文研に行こうか、ずいぶん悩んだが、審査前の身の上。

無理して風邪をこじらしてはいけないなあ、と考えて、暫く様子を見ることに。

すると、どんどん熱が出てきてしまい、寒気と身体の痛みとのどの痛みで完全にノック・ダウン。

 

朝一で、日文研に行っていたら、途中で発熱してしまい、帰るのもしんどくなって大変なことになっていただろう。

げほげほ、ごほごほ。

食欲ももちろんなく、「風邪の引きはじめに」と宣伝文句のある液体「葛根湯」と3本飲むが、もう手遅れ?

眠りたいが眠れない。

でも起きあがってもいられないので、またまた薬を服用して、無理矢理睡眠。

夕方に母から電話。

すごい声で出たら「風邪引いたの?」と聞かれる。

「うん」

「医者は?」

「ずっと寝ているからいっていない」

「昨日の夜出かけるからよ。今から車で迎えに行くから医者に行きなさい」

「・・・・・」

 

何で、昨日出かけたの知ってんの?

そういえば、と思い、着信履歴を見ると、電話が夜に入っていた。

たいした用事がなかったので、携帯まではかけなかったのね。

うー、げほげほ。

水を飲むのものどが痛い。

でも1日寝ていたおかげで、熱は下がった。

 

内科で見てもらい、「扁桃腺が腫れているため、のどの痛みと咳、発熱」と診断される。

薬を出してもらい、「4日後に治らなかったら、もう一度来て下さい」と言われる。

「お風呂は?」

「熱がなかったら入ってもよろしい」

 

夜、お風呂に入ろうとすると、またからだが痛くなってきて寒い。

おそるおそる体温を測ると微熱。

微熱だからいいか、とお風呂で暖まり、部屋も布団もぬくめておく。

だが、お風呂から上がると、熱が高くなっていた。

早く寝よう。

 

1月5日

さあ、今日から仕事始め。

そのつもりで朝早く目覚めたのに・・・

のどが痛い!

こんな時期に風邪を引いたらまずいなあ、と思い、家ですることもたくさんあるので、大事をとって、家に籠もる。

論文の読み直し。

いい加減レジュメも作らなきゃ。

 

お昼間眠くなったので、しんどいときは寝るに限ると思い、薬を飲んで3時間ほど睡眠。

それからゆっくりお風呂に入っていたら、メール。

友人がスキーから帰ってきたので、一緒に食事をすることに。

会いたかったので、ほいほいと出て行く。

が、それが失敗。

なんと相手が風邪を引いていたのだ。

帰ったら、のどの痛みが増していた。

 

 

1月3日

今日は中学時代からの友人が、集まる日である。

それぞれ旦那を連れてくるとかいっていたが、いざとなると、女同士で集まることにある。

あまりにも、過激な発言にたじたじ。

放送できません。

あしからず。

みなさんは、爽やかな一年を送って下さいね。

 

1月1日

謹賀新年。

皆様、あけましておめでとうございます。

今年が皆様にとって、すばらしい年になりますように。

え、私?

審査次第ですよ。

はあ、やばいやばい。

 

皆様はお幸せな一年を。

 

不眠日記2003年