不眠日記・2003
12月31日
ふう、今年ももう終わりですね。
やっとおせち作りも終わりましたよ。
今年も40品目弱。
売れるよね、はっきり言って。
鼻高々、天狗さん。
でも、こういう伝統文化を守るのもいいかな。
と思っている。
ふと思った。
中学、高校と家庭科で調理実習があったと思うが、そういうときにこそ、おせち料理の基本を教えたらいいんじゃないかな。
私には、そういう記憶はない。
でも、教えているんだったら、ごめんなさい。
と言うことで、腐れ縁の仲間の家にお節を少し持って、年越しを一緒に仲間で祝うことになっている。
では、いってきます。
12月29日
ああ、家を掃除したいのだが、家族に振り回されている。
これがいけないのは、重々承知なのだが、どうしてもきれない私の弱さ。
これが、嘔吐、むくみ、鼻血、頭痛、腰痛などなど様々な症状となって、身体が訴えてきている。
でもね、なんだかね。
ふう。
今日は朝早くからお風呂で身体を温めて、朝一でカイロプラティックに行く。
それから郵便局、銀行とまわり(めちゃごみ)、漸く母と一緒に京都へ買い出しに行く。
今日から3日間は有無をいわせず、毎年拘束されてしまうのだ。
来年の母のお料理教室の新年会の会場探しに、お昼は南禅寺にある「菊水」に行く。
お庭がとっても素敵なのだが、不手際で全然暖房が入れてくれていなくて、寒い寒い。
仲居さんに言い含められて、狭い茶室に移ることに。
まあ、二人だけだからいいけど、狭くてもべつにいいけど、ちょっとランクが下がる。
実際にお食事が始まると、うーん、何かいまいち。
べつに私が払うわけではないけれど、とてもオーソドックスな料理なんだけれど、あまりにも、オーソドックス過ぎて、下品な言い方をすると「こんなもん、わてらだって作れるわい」ってぐらい普通のお料理。
母は食事の後、板長を呼んで、新年会の意志を告げて、本日のお料理の不満もついでに述べるが、板長の態度があまりにも高飛車。
「菊水」といえば、知る人ぞ知る京都の料亭。
それがなんかいまいちなんだよねえ。
大体、料理屋はサービス業だと思うんですけれど、客に対して高飛車に出ていいんですか?
とりあえず、私の言う事じゃないので母は仮予約をとって帰りました。
それから錦市場で人に揉まれながら買い物をして、最後にお重を受け取りにカフェ・オパールに行く。
母が人酔いして気分が悪いというので、兄の店で放心状態。
仕方ないので、荷物の大半を私が持って、家に帰る。
夕食はとても作れそうにないので、父を促して外食にして、家に帰る。
母も疲れたのだろうと思って、夜遅くまで寝かしていたけれど、私もしんどかったので、家に帰ってしまい、家で陥没。
実家はしんどいわ。
母を裏切って悪いけど、お休みなさい。
12月26日
今日が日文研の仕事納めなのだが、午後から主治医の今年最後の最終診察があるので、職員さんに「今日は掃除だけだから来なくていいわよ」と言われ、日文研は昨日で終わる。
代わりに、祖母にお使いを頼まれ、祖父と昼ご飯を共にして、それから梅田にお使いに行き、病院へ行く。
今年最後の診察とあってさすがに混んでる。
3週間ぶりで、今年最後の診察なので、今までためてきたものがぼろぼろ露出してくる。
久し振りに、診察室でさめざめと泣いてしまった。
昨日の友達の祝福が、私の中に明らかに複雑な気分で嫉妬と祝福が入り交じっていると言うことを素直に認めて、嘔吐し続ける日常を吐露する。
時間は短かったが、簡潔に私が気付かなかった、いや気付いても口にすることの出来なかったことを指摘され、泣きじゃくる私を癒してもらい、薬をもらって病院を後にする。
泣いたことはすっかり忘れて(忘れたことにして)、祖父母の家に戻り、夕食を共にする。
疲れはいいたくないが、確実にたまってしまっている。
どうしよう?!
12月25日
同期である松村薫子さんの公開審査。
なんだか緊張するなあ。
自分の時を重ね合わせるように、見てしまうからかなあ。
でも、なんかいつもと雰囲気が違う。
それはしっかりと論文を書き上げて、用意も万全に調えた余裕から来る落ち着きからか。
審査の場というのに、緊張と言うより、柔らかな暖かい雰囲気があふれている。
何かうらやましい。
彼女の発表は完璧で、ぴったりと30分で明快に終わった。
その後の主査の先生の発言を聞いたとたん、「あ、通ったな」と思った。
その勘は当たり。
質疑応答は和やかに、つっこまれるというより、彼女の論文をさらにブラッシュ・アップするようなアドヴァイスが続き、将来を期待するといったコメントで締めくくられる。
羨ましい。
審議の間、院生室にみんなで集まり、お疲れ様会をする。
ケーキを切り分けて、さあ「いただきます」と言った瞬間に、院生室に電話。
指導教官の小松先生からだ。
はやっ!
もう決まったん?さすがだね。
おめでとう。
他の院生もどうぞと言うことで、祝宴にみんなで参加しました。
審査が無事に終わって肩の荷が下りたのか、小松先生が「小川さん、審査は誰」から始まって、「そりゃ、イベントだねえ」とか「それは大変なメンバーだ」とか、いちびられるようにおどされ続けた。
うえーん。
はあ、ナーヴァスになっちゃうよ。
自分次第なんだけれどね。
とほほ。
12月24日
クリスマス・イヴ。
と言っても何もありません。
日文研でアルバイト。
でも朝から気分がすぐれない。
いきしのバスで酔ってしまった。
昼ご飯を食べるが、途中で気分が悪くなり嘔吐。
おかしいなあ。
夜は、いとこ夫婦と伯母夫婦が来ているので、祖父母を囲んで中華料理に誘われた。
明日は一人目の公開審査。
そのせいか、なんだか落ち着かない。
人の審査でこんなに緊張してしまったら、自分の時はどうなるのだろう。
でも、自分ももうすぐあの場に立つんだと思うと怖い。
親戚づきあいもいいのだが、どこかしんどい。
それとも緊張のせいかしら?
そして、また夜になって夕食をすべて嘔吐。
11月からいや、10月からかなあ、私はどれだけ吐き続けているんだろうか。
これは何かの代わりに、食物を吐いているのだろうか。
胃薬だって飲んでいるのに・・・
精神的なものかしら。
吐くものがなくなって、胃液まであがって胸焼け。
落涙の夜。
12月22日
女学院でアルバイト。
今年最後の女学院アルバイト。
今日で授業が終わりなので、休講が多いのか、学生さんたちが多い。
早いなあ。
今年は論文を書いていたので、長かったようで、すごく短かったような気がする。
そうか、大学生は明日から冬休みか。
早く年賀状を書かなくては。
来週は29日。
もうおせちの準備が始まる。
うわー、時間がこんなにないなんて。
いい加減にプレゼンの準備をせなあかんな。
とりあえず、ビデオの収集を始めているが、論文の読み返しをしないとなあ。
といいつつ、気付けばどんどん時間だけが経っていくのよねえ。
何故かしら。
最近、疲労も激しいし。
何もしていないのに、疲れだけが増していく気がする。
よく眠れない夜も多い。
自分の楽しいように過ごしているはずなのに・・・
身体がしんどいといっているのだから、何か負担をかけていることには違いない。
もう少し自分を見つめ直そう。
12月21日
朝早く出たかったのだが、母が阪急イングスに用事があるというので、10時に梅田に立ち寄り、京都へ向かう。
今朝から良い天気なので、雪が残っているか心配。
西院からタクシーで北上すると、横の道路にはたくさんの人。
何だろうと思ってみていると、女子の高校駅伝だった。
TVでは駅伝やマラソンを見ることもあるが、生で走っている人を見るのは初めて。
金閣寺は人がたくさん。
特にカメラを持っている人が多い。
みんな考えることは一緒なのね。
屋根の上の雪はかろうじて残っていたが、木々や庭の雪はもうほとんどなくなっていた。
残念。
でも綺麗だった。
さて、人の多い中、雪の金閣寺を堪能してから、昼食に向かう。
前から気になっていたお店があるので、とりあえずタクシーに乗って行き先を言って、予約の電話を入れようとしたら、日曜日が定休日だったことが発覚。
あわてて車内で母と「どこにする?」と話していると、タクシーの運転手さんが「ランチですか?おすすめの所がありますよ」と話しかけてくる。
「銀閣寺のそばなんですが」と聞いて、遠いなと一瞬思ったが、「じゃあ、そこをお願いします」と母が返事するので、行ってみることにした。
タクシーの運転手さんは美味しいところをよく知っていると言うから、きっと美味しいところだろう。
他にも行ってみたいところはあったが、運転手さんに連れて行ってもらうところは今日だけの縁。自分の分かっている店はいつでも行けるのだ。
行ったところは「白川ローザ」というフレンチレストラン。
大文字が大きくすぐ近くに見えて、「夏の納涼に来たらいいねえ」と話していた。
母は「金閣寺のそばって言うから頼んだら、どんどん遠くまで行くからびっくりしたわよ」と言うので、へ?と思い「銀閣寺って言ってたやん」と返事する。
「ええ?」
「いや、だからどうするって聞いたら、お願いしますって言うから来たんちゃうん」
「金閣寺のそばって言うから連れて行ってもらおうと思ってたのに」
「耳悪なったんちゃう。銀閣寺って言うてはったやん。まあ、もう来てしもうてんからええやん」
「そうやけどね。京都の地理はよう分からんけれど、どれくらい遠いの?」
相変わらず、方向音痴の母であった。
味も値段も手頃で、おまけに何故かがらがらで、ゆっくり食事が出来る。
ギャルソンのおじさんが、どうも見た目より歳がいっているようで、ミスが多く、何度も聞き返してきたり、その行動を見ているだけで、悪いが面白い。
窓際に座っていたのだが、なんとそこも午後の男子の部の駅伝のルートであった。
沿道で応援するのも面白いのかも知れないが、冬の京都は寒い。
2Fだったので、ぬくい室内から、見下ろすようにして、走っていく生徒たちの姿を見る。
ちょうど宝ヶ池で折り返してくるので、北へ向かって走り、南に下ってくる帰り姿を見て、「あ、順位が変わっている」とか結構面白がってみておりました。
最後の選手が通り過ぎ、交通整理がとかれる確認して、MKを呼んでカフェ・オパールへ向かう。
日曜日のせいか結構混んでいて、ちょっと胸をなで下ろした。
京都と言っても、いつも桂で止まっているから、観光は久し振り。
やはり、京都って観光地なんだなあと痛感して帰りました。
疲れた。
12月20日
今日もすごく寒い。
9時から宅急便が来るからと思って、準備していた。
あまりにも寒いので、ストーブの前に座り込んでしまう。
昨日はあんなに早く配達に来たのに(夜間指定は19時から)、今日は全然来ない。
なんだそれなら、もう少し寝ていたら良かった。
そんなことを言っても仕方がないので、TVをつけながら、茫然自失。
いろいろしないといけないことは分かっているんだけれど、なんか動けない。
とりあえず、洗い物だけして、ぼーっとしているとやっと宅急便が来た。
なんと11時半。
2時間半何してたのかなあ。
午後は母と映画に行く約束をしていたので、連絡を入れる。
母は父の薬をもらいに、病院に行くから、終わったら連絡をもらい、昼食を共にする。
お好み焼きである。
たこ焼きやお好み焼きが好きなのは、関西人だから?
映画まで時間のある間、薬局で買い物をし、今晩父が帰ってくるので、夕食の準備を頼まれて、買い物するものを決め、映画館へと向かう。
地元の塚口サンサン劇場である。
がらがらだろうと高をくくっていたら、なんと全席指定の制度に変わっており、(「キル・ビル」の時は違ったのに)ほぼ満席で端っこの席しか取れなかった。
なんだ、はじめから分かっていたら、昼食前にチケットだけ先に購入しておくんだった。
でもまあ見られたからいいか。
見に行ったのは「ラスト・サムライ」。
とてもお金がかかっている映画でした。
日本映画にもあれぐらい製作費をかけさせてあげたら、もっともっといい作品が出来るだろうに。
良くできた映画だと思うけれど、やはりハリウッドだなあと思った。
彼等のイメージする日本像というものが、そこかしこに満ちあふれているし。
「おいおい」とつっこみを入れたくなるシーンもあるが、それは黄金期のチャンバラ映画の王道だからいいのだ。
見終わってから、母は祖父母の家に、私は夕飯の買い物をして、実家に向かった。
ちょうど、父のコンピューターに用事があったし。
実家からもらうものがたくさんあったので。
寒い寒いと思っていたら、塚口でも風花が舞っていた。
家でニュースを見ると、京都は大雪。
新聞に雪の金閣寺が載っていて、すごく綺麗だった。
そこで、明日何も用事がないので、雪の金閣寺が見たくて、母を誘って京都に行くことにした。
雪が溶けませんように。
12月19日
今日は無事に9時過ぎに日文研出勤。
9時半から働き出す。
なんだか、昨日の疲れが残っていて、おまけに今日は寒い。
桂駅に降り立ったときから、「ああ、京都は寒い」と思った。
仕事をしながら、「冷えるなあ」と思っているとなんと外は雪。
げげっ。
私にとってはこの冬、初雪である。
しかも何か吹雪いている。
やまないかなあ。
昼から、さっきは粉雪だったのに、ぼた雪に変わっていっている。
積もらないけれど、みぞれみたいにびしょびしょになりそうな雪。
半分ぼけーっと外を見ていたら、山田先生がやってきた。
今日は一人だったので、分からないことだらけだったから、ちょうど良かった。
動画修正をしないといけないデータを落としてもらう。
山田先生は来年4月からの私のことを心配して下さって、「業績になるから共同研究員にならないか?」とありがたいお言葉。
但し、なるからにはCMの研究をしないといけない。
何が出来るか、いろいろ話し合って、めどがついたので、申込用紙に必要事項を記入することになった。
上手く採用されるといいのですが。
昨日宅急便を断って、今日にしたので、仕事が終わったら、速攻帰り支度。
ちょうど今なら雪もやんでいるから、今のうちに帰らなきゃ。
玄関口で井上先生と一緒になる。
この前のお言葉を駄目にしてしまったので、お詫びをする。
これから河原町の方に出るために、車の迎えが来るから一緒に乗りませんか?と誘って頂き、ありがたく便乗させて頂いた。
車の中で、やはり4月からのことをいろいろと話をする。
出版のアルバイトを一つ斡旋して頂いた。
ありがたい。
出版のきっかけになればいいんだけれど。
井上先生と話し込んでしまい、家に帰ると19時45分。
がーん。不在票が入っていた。
間に合わなかったか・・・
あわてて営業所に電話して、事情を説明して、申し訳ないが行き違いになったので、明日の朝再配達してもらうようにお願いする。
何か間抜けだなあ。
12月18日
昨日早く寝たのに、朝からしんどい。
寒さのせいかな。
でも、そんな甘えたことは言っていられない。
アルバイト、アルバイト。
12月も1月も冬休みが入るので、実入りが少ないのだ。
だから、休んでいる暇はない。
身体をたたき起こして、何とか家を出る。
さあ、営業スマイルに転換。
お仕事するぞー。
職員さんたちが、もし良ければ、「忘年会」兼ねて夕食を共にしませんか?とお誘い下さる。
今日、宅急便の配達頼んでしまったのだけれど、断って、明日配達してもらうか。
「いいですよ」と快諾し、三宮に出ることになった。
疲れているくせに、そんなにほいほい出かけて大丈夫かね?
自問自答しながらも、酒に弱い私であった。
これだから、なかなか治るものも治らないのかもねえ。
ちょっと、反省。しゅん。
一押しのお店は、小さいところらしく予約が取れなかったそうで、イタリアンに決定。
でも美味しいひとときが過ごせたことに感謝。
明日は日文研。
久し振りだから、意地でも行かなくては。
早く休もう。
12月17日
今日は、謡曲の忘年会。
昼間から「うどんすき」である。
なんだか、疲れがたまってきたのか、朝起きられない。
一つの理由は、夜、ちゃんと眠れなかったせいである。
夜中にふくらはぎがつって、恐ろしく痛くて、七転八倒していたのである。
足先からこむら返りを起こすと、足の指の関節から足首の関節を、伸ばしたり曲げたりすれば治るのだけれど、ふくらはぎだけが痛かったのであるから、いくら関節を曲げたり伸ばしたりしても治るはずもなく、仕方なくふくらはぎがぱんぱんに張っているのを、さすったり、もんだり、リンパ腺に沿ってマッサージをしたりして、工夫をするがなかなか治らない。
漸く痛みが治まったけれど、ふくらはぎの違和感はなかなかとれず、また痛くなるのでは?というおそれから、なかなか寝付けなくなってしまったのである。
そのせいか10時まで布団でごろごろしていて、10時半に朝風呂にはいる。
昨晩つった左ふくらはぎを念入りにマッサージしながら、ゆっくりと温めていく。
ぼけーっと入っていたら、気付けば11時半。
あ、早く出て着替えないと、間に合わない。
あわててお風呂から出て、準備をして家を飛び出した。
店に着いたら、先生をはじめほとんどそろっていたけれど、どべたではなかったのでセーフ。
「うどんすき」は関西の食べ物だと思っていたが、実は大阪の郷土料理なのかも知れないと言うことに、最近気付いた。
「きりたんぽ」みたいなもんである。
神戸育ちの先生が知らなかったからだ。
以前、関東の人が「うどんすき」を知らなかった例を見たことがあったので、関西の鍋かあ、と漠然と思っていたけれど、もっと限定的な地域のものらしい。
うちは父が好物なので、小さいころから冬になると「うどんすき」をよく食べる。
美味しいと思うけれどな。
しかし、「うどんすき」を知らないと言われてしまうと、自然と私が鍋奉行になってしまう。
これを読んでいる人で、何人が「うどんすき」を知っているのだろうか?
こだわりのある人には、「ちゃう、ちゃう」とつっこまれそうだが、まあ簡単に言ってしまうと、寄せ鍋に「うどん」が入ったものだと思ってもらえればいい。
だしはうどんのようなだしで、ポン酢とかでは食べない。
先生のビールの相手をしながら、昼間からちょっと、食べ過ぎである。
ふー、苦しい。
毎年の恒例で、この後、先生夫妻がうちの祖父母の所に行って麻雀をして夕食を共にすることになっている。
血縁である私も、そのメンバーに、当然のように組み込まれている。
先生と話しながら、祖父母の家に向かう。
しかし、みんなが麻雀をしている間、することがないので、最初は先生の奥さんと話していたが、そのうち、読み残していた「バガボンド」を一挙に読み上げてしまった。
あー、続きが早く読みたいが、次の発売は、来年の3月予定。
途中、席を外して、一度家に帰り、さらにべつに読むものを仕込んで、ワインを購入しに行く。
そしたら突然の雨。
あわてて傘を取りに戻り、ちょっと濡れながらも祖父母の家にまた戻る。
麻雀はまだ続く。
夕方になってきたので、台所の用事をいろいろ言いつけられる。
そうか、今日の夕食は、私の好物である祖母の「おでん」だったのか。
そのうち母が、「あんた、烏賊さばける?」と失礼な質問をしてきたので、「何度もやってきてます」とむっとして答えて、台所で烏賊をさばく。
しかし、祖父母の家の包丁が切れが悪くて、ちょっと悪戦してしまった。
全く、今頃「烏賊がさばける?」なんて失礼なこと言い出さないで欲しい。
だてに調理師免許持っている訳じゃないわよ。ぷりぷり。
自分が忙しいときは、全部私がご飯作っていたじゃないの。まったく。
でも、こんなところで意地張ってても仕方がないので、楽しい夕食へと演出。
ワインとチーズのサービスは私の担当。
21時にカイロプラティックの予約を入れていたので、一足先に席を立つ。
「来年もよろしくお願いします」と先生夫婦に挨拶をして、家を出た。
あー、もう年末が近いんだなあ。
カイロプラティックでは、死ぬほど痛い思いをして、「ぎえー」と悲鳴を上げてしまった。
一時期に比べたら、大分ましになってきたけれど、まだまだ身体がゆがんでるし、かんせつがつまってしまっているためリンパの流れが悪い。
そのため、むくみなど各所に症状が出てくる。
肩こり、腰痛、頭痛もそのせいだそうだ。
いつになったら、治るものやら・・・
終わってから、スチームで足を温める機器で足を温めるように指示され、25分温めてから、家に帰る。
実家に用事があったのだが、何故かとてもしんどくなってしまい、母に電話して「また近いうちに行くわ」と断りを入れて、薬を服用。
なんかだるくて、倒れそうなので、お休みなさい。
12月16日
今日は臨時で、女学院でアルバイト。
1月に、またまた交代してもらわないといけないので、12月ぐらいは、交代して入って恩返ししなくては。
今日はアルバイトの後NOVAに行き、その後友人とディナーの予定。
調子が悪いのだから、ゆっくりすればいいものを、こんなに体調が崩れるとは思っていなかったので、毎日予定を入れてしまっていた。
大馬鹿者。
キャンセルすればいいのかも知れないが、それもしない私は欲張りなのか、あほなのか?
ま、後者やろう。けけっ。
NOVAは2週間ぶり。
いつも2ヶ月から2ヶ月半に1回のペースだったから、前回よりはましかなあ。
と思ったが甘かった。
昨日の会話のこともあって、語学は絶対必要!頑張らねばと、気負っていたのだが。
まずは、フランス語。
初めての先生だったので、自己紹介をすると、やはり「チャンバラ映画」(と言う訳語は知らないので、film de samuraiと言っているが)というと、外国人の方には非常に興味を持たれる。
そこで、いろいろ聞かれるので、必死で研究内容をまくし立てるが、あまりに貧困なボキャブラリーに、舌はかみそうになるし、話すスピードも考えながらしゃべるものだから、のろいのろい。
しかも、しょっちゅうつまって、何度も「これってフランス語でなんて言うのか分からないけれど」とジェスチャーや簡単な単語で状況説明して、教えてもらう。
あっという間にレッスン時間終了。
マン・ツー・マンだったので、一人であがいていた。
でも、しゃべる意欲があるのはいいことだよ、と最後に言ってくれた。
次は英語。
フランス語が混じって頭がパニック。
これも新しい先生だったので、研究内容を聞かれる。
論文をかいつまんで、簡単に説明して、と言われ、これまた意地になって必死でまくし立てる。
しかし、ここでもボキャブラリーの貧困さが仇になり、何度も何度も直されながら、必死で自分の言いたいことを述べようと悪戦苦闘。
その意気があれば、すぐにレベル・アップできるわよ、とここでも最後に言われる。
だけれど、自分の研究内容ぐらいはちゃんとしゃべることが出来ないと、やはり情けない。
テクストの題材によっては、全然知らないことや興味のないことが話題になることもある。
それについて、単語も知らなければ、上手く話に乗れないのは仕方がない。
でも、今日は自分の研究内容じゃないか。
誰よりも私はそれに関しては、説明できるようでなければいけないのに、悔しいよう。
ちょっと、へこんでしまった。
梅田から今度は神戸に出て、友人の仕事が終わるまで、ファスト・フード系カフェで時間をつぶす。
しかし、会社は定刻通り?に終わるはずもなく、年末だから忙しいのか、予定の待ち合わせ時間よりも20分も遅れて連絡が入る。
まあ、こっちは店の中でコーヒーを飲みながら待っているからべつにいいけど。
この友人には最高2時間待たされたことがある。
その仕返しというわけではないが、私も一度だけ1時間半待たせたこともある。
お互い様である。
車だというので、中山手通の交差点まで歩いていき、拾ってもらう。
北野にあるベーカリーとカフェ・レストランが兼用になっている店があり、そこは車が止められるからと言ってそこに入る。
南の方はルミナリエですごい人なんだろうけれど、9時頃の北野は閑散としていた。
空いているから静かでゆっくり食事が出来ていいけれどね。
冗談で「家まで送って」と言うたら、「明日も仕事で朝早いから駄目」と言われ、三宮まで送ってもらう。
終電で帰ってきました。
ちょっと、お疲れ。
12月15日
女学院にてアルバイト。
昨日、よく休んだつもりだったのだが、朝からまたもや調子が悪い。
どうしてなんだろう。
それでも、頑張ってお仕事をしていたのだが。
昼食も食べて、少し仮眠。
と言っても、寝ている訳じゃないが、目をつぶってぼーっとしている。
午後も引き続き、頑張ってお仕事していたのだけれど、どうも胸焼けがしてきて、とうとう耐えられなくなり、ついには嘔吐。
あれ、もう胃薬も漢方も出してもらっているのに・・・何故?
困ったなあ。
夜は、日文研の山田研究部の忘年会なのに・・・
でも、吐いたらかなりすっきりした。
何か悪いものでも食べたのかしら。
お弁当を作る暇がなかったので、インスタントのパスタを食べたのだが、それがいけなかったのかな。
17時前から、片づけを始めて、いつもなら17時半近くまでかかるところを、17時10分には終わらせる。
場所は烏丸。
あわてて帰り、京都へと向かう。
当然のことだが、夕方のこんな時間に座れるはずもない。
ちょっとしんどいけれど、無事会場にたどり着く。
まだ、全員そろっていなかったので、一人先に水をもらい、漢方を飲んで準備万端。
ベトナム料理だったのだが、やたら付け合わせにハーブを持ってこられ、何かウサギになった気分である。
刺激の強そうなものは、なるべく避けて、食べるより飲む方に重点を置く。
え?そっちの方が胃に悪そうだって?
かも知れないけれど、結果的には、おうちに帰っても吐かなかったので正解やない?
山田研ではないが、助手のベネット先生も特別参加。
剣道家である先生と、この前の武道シンポジウムの話から、武道の話で盛り上がる。
英語で発表するのなら、ネイティブ・チェックもしてくれるというありがたいお話。
短いペーパーなら訳してくれるとまで言うてくれるので嬉しい。感激。
全然、英語の出来ない私としては、これを機に英語の良い勉強になるだろう。
しかし、二人で武道話でも盛り上がっていると、隣にいた子に「マニアックな話ですね」とつっこまれてしまう。
すまない。
でも、気分悪くなることなく、楽しい忘年会でした。
心優しい皆様に感謝。
今週は、忘年会多し。
体調を整えとかないと。
12月14日
読書会である。
今朝も起きると顔から手から足まで、体中がむくんでいる。
顔なんてむくみすぎて、目が一重になっているぐらいひどい。
読書会は15時からなので、むくみがとれたらいいなあと願いながら、ゆっくりとお風呂にはいる。
ちょっとましになったかなあ。
うーん、調子悪。
さて、読書会までの間、お楽しみの「バガボンド」を読み始める。
なるほど、結構面白い。
血の噴出や手足が切り落とされるシーンの描写は、映画とはまた違った残酷さを感じさせる。
そこに伴う擬音語も、想像によっては効果を増すのだろう。
絵があるのに、それを無視するかのように、私の頭の中に数々の役者が演じた「宮本武蔵」像がオーバーラップするから、面白い。
一つ一つの絵が大きく、割とせりふが少ないのですぐに読み終えてしまう。
読書会はいつものよう。
しかし、論文書いて欠席していたので、久し振りに勉強している気になる。
やはり、こういう会で学ぶのも大事なんだろうなあ。
自分一人じゃこなせない部分も、理解が広がるし、もしかしたらこういう機会がないと、読もうと思っているだけで読まずに終わってしまったかもしれない本との出会いもあるだろう。
そう思って、出来る限り参加しているのだが、時には今日のように体調が悪いために、思考が上手くついて行かないときもある。
そのために、発表者の発表が終わってから、質疑応答の時に、何か馬鹿な質問をしてしまう。
たぶん、発表の時に説明があったような気もするのだが、理解できなかったのだろう。
あかんたれやなあ。
夜は、東京土産を持って祖父母の所に顔を出す。
叔父が来ていて、私が来ると聞いて、ワインを買ってきてくれた。
なんか、私のワイン好きは、親戚の間でも知られてしまったようである。
いいのか、悪いのか。
12月13日
水曜日、引きこもったので、少し気が晴れたのか、木曜日はちゃんと女学院のアルバイトに行くことが出来た。
と言っても、まだ少し引きずっていたせいでぐずぐずしてしまい、電車に乗り遅れてしまったが。
久し振りにタクシーで女学院に行く。
仕事は普通にこなしていた。
気持ちを切り替える努力が効いたかな。
実は今晩から東京へ行く。
なので、落ち込んでいたらもったいない。
終わり頃、友人がやってきて帰りに「バガボンド」を貸してくれるという。
読みたかったので嬉しい。
でも、東京に持って行くのは重いので、帰ってからのお楽しみだな。
12月になって、一度も顔を出していないので、東京へ行く準備をして、祖父母の家に顔を出す。
たまにはワインをと思って、チーズに生ソーセージ。
普段祖父母が滅多に口にしないようなものを買っていく。
夜行なので、お風呂まで借りていく。
バスの中では眠れたようで眠れていない。
東京に着いたころは足がむくんでいた。
とりあえず、ちいちゃんの家に直行して、荷物を置く。
まだ、寝ているので、起きてくるのを待ちながら、TVを見ていた。
少しうたた寝をしながら。
今回東京に来た理由は、ディズニーランドに行くためである。
12日のみ有効の只券が2枚当たったので、ちいちゃんに付き合ってもらうことにした。
実は私は東京ディズニーランドと言ったところに行ったことがない。
生まれて初めてである。
ちいちゃんが午後に一つ授業があるというので、車で行って、授業の間、ティーサロンで本を読みながら待つ。
さすが東京。混んでるねえ。
渋滞に巻き込まれながらも、17時頃に到着。
アナウンスが流れている。
雨天のためか、本日の営業は20時までだと。
それにしても、入り口を入ったとたん、大きなクリスマス・ツリーが飾ってあって、みんながその前で写真を撮ったりするから、全然動けない。
漸くそこを通り抜けて、アトラクションを見に行くと、平日だというのに、85分待ちとかいう。
実は私は並ぶのが好きではない。
しかし、せっかく来たのだから、一つぐらい乗り物に乗らないと話の種にもならない。
あきらめて75分待ちという「スプラッシュ・マウンテン」に並んでみる。
またまたアナウンスが流れて今日はパレードが中止だという。
これもTDLの売り物の一つのはず。
それがないので、よけいアトラクションに人が集まる。
はれてきたせいか、結局営業は22時までになったが、もう並ぶのはこりごり。
ただ歩くだけでも、歩行困難な人の多さに、寒さが加わって、「もう、ええわ」と言う気持ちになってしまった。
あきらめの早いというか、もうこの人の多さに耐えられないというか・・・
「家に帰って、温かいお鍋でも食べてゆっくり飲もうか」ということで話が決まり、「スプラッシュ・マウンテン」で水しぶきを思いっきり浴びて、びしょびしょになっただけで、私のTDL体験は終わった。
今朝起きると顔までぱんぱんにむくんでひどい状態になっている。
サングラスでごまかすが、なんでこんなにひどいんだろう。
どこかで精神的にまだひきずっているのかなあ。
もっとタフにならなくてはあかんなあ。
帰りは折角高いお金を払ったのだから、意地でものぞみに乗ってやろうと決心。
そんなとこで意地はってもしゃあないねんけど。
すっかり疲れて家に着くと留守電が。
井上先生からの暖かいメッセージが入っていたのだが、残念ながら東京へ行っていたために、せっかくのお言葉を無駄にしてしまった。
こういうときに限って、外から留守電聞くのを忘れているのよね。
間が悪いなあ。
しかし、過ぎてしまったことは仕方がない。
今は柳に風。
流れに身を任してみよう。
体調からして、どうも調子悪いから。
12月10日
駄目だ、やはり、一人になると不安にさいなまれて、よく眠れず、朝からひどい頭痛で、完全に身体は引きこもり状態を起こしている。
ハンマーで思いっきり殴られたように、へこんでいる自分がいる。
一人で立ち直れない情けない自分に怒りを覚えながらも、倒れたまま何も手が着かない。
心なしか、身体がむくんでいる気がする。
昨日のやけ酒のせいか?
それとも、精神的なもの?
夜まで倒れていた。
何も出来ず、何ものどを通らず、眠ることさえ出来ず、ただただ布団の中でうずくまっていた。
目だけをランランと見開いて、空と見つめていた。
昨日のおぞましい出来事が私に何度も何度も襲いかかる。
全部私が悪いのだ。
自己嫌悪で吐き気がする。
閉じこめられた、闇。
12月9日
日文研にてアルバイト。
朝しんどくて、いつものバスに乗れずにお昼に到着。
しかし、そこで事件が起こった。
ちょっとした誤解、いや誤解なんてない。
他人の言葉をそのまま信じ、行動したのが私の軽率なのだから。
ナイーブ故、詳細は多くの人を傷つけてしまいそうなので、私の胸の内にしまっておくが、あまりのショックに、昼ご飯をもどしてしまった。
頭を混乱し、落ち込んで鬱になりそうになり、とにかく今一番頼れる人に連絡を取って、とりあえず逢ってもらう。
ぼろぼろになった私を支えてもらい、だいぶんと落ち着いた。
本当はもっと一緒にいて欲しかったのだが、明日も朝早くから仕事があるので、帰った。
逃げ場所があることがこんなにありがたいことだとは思わなかった。
心より感謝。
でも、まだ立ち直れない。
12月8日
女学院にてアルバイト。
そして、今日も謡曲のお稽古。
来週もあるのだが、日文研の方で忘年会の予定が入ったので、お稽古はお休み。
なので、今年最後のお稽古である。
「ずいぶんと歩き方がましになってきましたね」と言われ、半分嬉しいが、何年やってきてる年と思うと、半分情けない気持ちにもなる。
未だに「歩く」事一つこなせないのだから。
帰りは、竹葉亭で食事をして、実家に直行。
新しいプリントゴッコで、祖母の分、両親の分、自分のと大量にパカパカとプリントして年賀状を作成。
疲れてしまい、薬を飲んで昏倒。
12月7日
梅田に用事があったら、母も用事があると言うので一緒にお供する。
いつもはゴルフのはずの父がいるので、お好み焼きを昼ご飯に一緒に食べて、新しいプリントゴッコを購入し、父に持って帰ってもらい、母と共に梅田に行く。
以前書いたかもしれないが、「プリモ・コプエル」というしゃべる人形が母たちの間で大流行している。
母の用事は、本宅のおばさまにお歳暮代わりにその人形をあげるために買いに来たのだ。
しかし、少し前にTVで取り上げられたらしく、その後急に売れ出したようである。
阪神百貨店に行っても色違いはなく、黒一色。
二つないと面白くないからと言うのだが、同じ色だと見分けがつかないから違う色が欲しいという。
阪急に行っても、大丸に行ってもないものはない。
高島屋にも電話で問い合わせるが、黒しかないという。
とりあえず阪神で二個買っておいて、三番街に用事があった私に付き合ってもらう。
すると、突然「KIDDY LANDってこの辺りよね」というので、「すぐ上の階だけど」というと、「確か、そこにもあったはず」と執念を見せる母。
「ま、おもちゃ屋さんだからね」と相づちを打って一緒に探すと、グリーンのがおりました。
驚喜して購入する母の姿を、半ばあきれながら見ていたが、還暦になっても、いつも若々しくいられるアクティブな母の姿もそこに写してみていた。
私にとって、もったいないくらいの良い母だと思う。
しかし、鬱状態に陥ってから、罪もない母までも疎ましく思われるときがある。
本当は、育ててくれたことに感謝すべきなのに。
もちろん感謝はしている。
だけれど、相反した感情が出るときもあるのだ。
そんな自分がすごく嫌だ。
自己嫌悪。
12月6日
朝一でお稽古に行くが、昼からの用事に間に合わず、謡の稽古だけで終わる。
大分前に予約を入れていたので、あとで今日は面白そうな研究会があったことに気がついたけれど、あきらめた。
何の予約?
博士論文提出祝いを自分にプレゼント。
アロマテラピーの予約をしていたのだ。
それで、その後デートの約束だったのに、それは昨日に振り返られた。
久し振りにゆっくり三宮に出たので、少しぶらぶらしてみる。
もう、町はクリスマス一色だ。
携帯が鳴り、両親から食事の招待。
てっちりだ。
行きつけのお寿司屋さんで仲良くなった、両親の同世代4家族が還暦を祝して忘年会をするという。
うちを除いて、みんな子供が男の子なのである。
女の子は私一人。
高校生のころからの知り合いで、私はこのおじさま、おばさまたちに、娘のようにかわいがられている。
やはり、息子ばっかりだと娘も欲しくなるのかしら?
今日の夕飯の予定はなくなってしまったから、顔を出す。
「なおちゃん、こんなおじさんやおばさんばっかりに付き合わされて退屈でしょう。ごめんなさいね」と言いながらも、嬉しそうである。
私も、「てっちり」が食べられるし、文句は言いません。
たまには、世間のおじさま、おばさま方の話に耳を傾けるのもいいでしょう。
でも、こういう義理の世間づきあいが、後で胃に来ませんか?
みんながとてもよい人たちであっても。
わがままな、私の身体。
12月5日
5時頃に目覚める。
お風呂のスイッチを入れて、またストーブの前に戻る。
朝から頭痛がひどい。
6時頃からゆっくりとお風呂に入って、身体をリラックスさせる。
しかし、腰痛が治らない。
8時頃に母が起きてきて、まだ実家で転がっている私を見て、「間に合うの?」ときく。
「もう帰らないと、間に合わないけれど、腰が痛くて動けない」
論文を書いていて全然余裕がなく、じつはたん熊さんへは、2月以来行っていないのだ。
献立もおせちだろうから、まあ、中身は大体想像がつくが、何か新しいレパートリーが増えればと思うけれども、身体が動かない。
「しんどいし、たちくらみがする」
時間がどんどん過ぎていく。
「無理して、行かなくていいから、お休みの連絡を入れなさい」と母に言われて、登録抹消になっていては困るので、たん熊に連絡して、「体調不良」と来年のお稽古には必ずうかがうとの旨を伝える。
結局、車で送ってもらい、家で倒れている。
ふっと思いついて、カイロプラティックに今日で空いている時間がないか聞いてみると、20分後の枠ならあいているという。
すぐに予約を入れてもらい、身体をほぐしてもらいに行く。
「腰痛がひどくて動けません」
「うわ、どうしたんですか?変なかっこうしていたんですか?身体がいびつに曲がって固まってますよ。そりゃ腰も痛いはずですよ」
「治して下さい」
「努力します」
だが、頑強に固まってしまった私の身体を矯正するのは大変。
もう、どこをさわられても痛くて仕方がないが、ましになると思えばこそ我慢、我慢。
少し人間らしくなったかもしれない。
それからやっと念願の主治医の所に通う。
「先生、薬が全部きれてしまって。大丈夫かなと思っていたんですけれど、3日ぐらい前から胃痛と嘔吐で苦しくて。」
「眠れている」
「薬なしでは駄目だったんですけれど、頓服が残っていたので、頓服で眠っています」
「論文は?」
「何とか提出しました。1月19日に公開審査が決まりました」
「1月12日までは、何もせんとき。ゆっくり養生すること。薬はいつも通り出しておくけれど、胃薬の方は適当に間引いて飲んでもかまわないよ」
久し振りに主治医の顔が見られてほっとした。
一度家に帰り、連絡待ち。
本当は、明日の晩、家に招待していたのだが、あいにく先方が忘年会が入ってしまったらしく、急遽、今日会うことにしたのである。
病院がいつ終わるか分からないので、ご飯の支度が出来ないから、新開地まで出かけることにした。
「今から会社出るから」と電話をもらい、のこのこと出かけていく。
今朝は調子悪かったけれど、もう薬もあるし、ゆっくり休んだし、なんと言っても美味しいお酒は飲んでもいいと言われているから。
楽しい時間を過ごさせて頂きました。
忙しい中、ありがとう。
12月4日
女学院にてアルバイト。
その後、謡曲のお稽古。
夜は祖父母の年賀状を作らなくてはならない。
機械音痴の私がパソコンで年賀状が作れるはずもなく、当然、原始的なプリントゴッコ。
お稽古が終わってから、まず実家に車で帰る。
ローソンで原稿をコピーして、近くの居酒屋で夕食を食べる。
初めていったところなのだが、まあまあだった。
以前入った店よりは、美味しかった。
遅くなってしまったが、帰ってから、パカパカとプリントしていく。
祖父の分が出来て、次に祖母の分を作ろうとしたが、どうも調子が悪い。
ずいぶん長い間使ってきたから、もう機械が古くなってしまったのであろう。
やり直しをするが、上手く印刷できるようにならない。
12時過ぎているのと、胃痛がひどくなって、これ以上続けるのは無理と断念。
どうしたわけか、突然ものすごくしんどくなる。
胃薬を飲んだが、暫くして生唾があがってきてまた嘔吐。
家にも帰れなくなってしまい、泊まっていくことに。
明日は今年最後のたん熊さんだから、いつもより遅いし、朝帰ろう。
ガスストーブの前で腰を温めながら、丸くなっている。
胃痛と腰痛で身体が伸ばせないのだ。
つらい。
12月3日
今日は園田先生と小松先生の強い要望により、解析室で17時から懇親の場を持つという。だから2回生以上の院生も参加するようにと言われていた。
今日は高槻に映画を見に行く予定だったので、日文研に行くつもりはなかった。
おまけにカイロプラティックの予約も入れている。
はじめは行くつもりはなかったのだが、人数が少なそうなので、一緒に参加しようと後輩に誘われて、結局行くことにした。
でも、授業に出るつもりはないので、17時に解析室に直行すればいい。
今日のメニューは「柳生一族の陰謀」と「影の軍団・服部半蔵」である。
服部半蔵はTVシリーズの千葉真一の方が見たかったのだが、映画版なので残念ながら千葉真一の方ではなかった。
映画を見た後日文研に行って、17時までバイトをしようと思っていた。
しかし、2本とも2時間以上ある大作。
10時から見だして、終わったら2時は過ぎていた。
「柳生一族の陰謀」は前に見たのだが、ほとんど記憶から失せていた。
途中、面白くなくて、「あれ、こんなにつまらない映画だったっけ?」など考えてしまう。
やはり、黄金期を過ぎてから作られたチャンバラ映画は、迫力も失ってしまったのであろうか。
深作欣二の作品だけど、うーん。
覚えていたのはラスト・シーンだけだった。
あわてて桂に向かうが、それからが災難。
15時前に桂に着いたのだが、バスが20分後までないのだ。
おまけにそのバスが遅れてこないから、結局30分近く桂駅でバス待ち。
その間郵便局に行って一つ仕事は済ませたけれどね。
日文研に着いたら16時前。
1時間だけアルバイト。
日文研は本当に不便なところにあるなあ、と久々に実感。
最近は時間を決めて、必ずそれに乗っていたから、あまり不便と思っていなかったのだけれど。
17時に解析室に行くと真っ暗で鍵がかかっている。
おかしいなあ、と思っていると、発起人の園田先生がすっかり失念していたそうである。
そこで、急遽桂駅前の店に飲みに行くことになったのだが、予約を入れると満席で入れないという。
そこで、日文研に近い店になってしまった。
しまった、これではバスの時間が分からないから、帰りが好きなときに帰れない。
タクシーで帰るしか方法がないなんて・・・
泣く泣くカイロプラティックの予約をキャンセルしてもらう。
すごく久し振りに後輩にあって、刺激的なお話を聞かせてもらった。
そこまではよかったんだけれど・・・
実は、薬がなくなって昨日、軽い胃痛を覚えた。
それが今日になって、ひどくなり、帰ってから嘔吐。
やはり胃薬なしでは駄目か。
眠る方も、薬なしでは駄目だしなあ。
はあ、全然治癒していなかったのね。
これじゃあ、薬漬けみたいじゃないか。
ジャンキー?!
12月2日
朝から日文研に通う。
武道シンポが終わってから、女学院の方をメインに働いていたし、途中は完全にダウンしていたから、2週間ぶりの日文研である。
いつものように、データベースのアルバイト。
まず、新しく始まったCMの内容を入れるという仕事を教えてもらう。
なんだかよく分かったような、分からないような仕事であるが、とりあえずやってみてなれると何とかなるだろう。
一応サンプルももらっているし。
しかし、その前に私は動画処理の方を優先的にしなくてはならない。
こちらは変換しないといけないので、結構時間がかかる。
ついこの前に、やり方を教えてもらったばかりなのに、すでにもう忘れている。
機械音痴だからなあ。
今日は久し振りのNOVAだから、16時には帰らないといけない。
実は梅田でする用事がたくさん?あるのだ。
変換を待っていると、一つのCMを修正するのに、1時間かかるので、全然進まない。
あっという間に4時になってしまい、早々に日文研を後にする。
NOVAに行く前に、来週東京に行くので、夜行バスのチケットと、帰りの新幹線のチケットを買いに行く。
のぞみが増発されたおかげで、格安チケットの扱いがのぞみとひかり共通になってしまい、そのおかげで800円ほど値が上がってしまっている。
何か、悔しい。
でも仕方がないし、自由席のチケットは、前はあったのに今はない。
なんでだろう?
それからTSUTAYA堂山店に行って、会員の更新をする。
ぼけーっとしながら、「更新お願いします」とレジに立ったら、「あれ、小川さんですよね。お久しぶりです」といきなり声をかけられる。
え、誰?
「夏期のゼミナールの時にご一緒しましたよね」
うーむ。そういえば見たことあるような気もするが、なにせ夜の宴会の席でのこと。
覚えていない・・・
まずい、申し訳ない。
どうして、こう物忘れが激しいのだろう。
でも、向こうも少し勘違いしているのか、それとも酒の席のこと、私が言ったのか、はじめはよく分からなかった。
向こうは盛んに「千恵蔵ですよね」というのだが、いや「片岡千恵蔵」も好きだけれど、私の一番はなんと言っても「市川雷蔵」なんですけれど・・・
ま、いいか。
時代劇の棚をチェックするが、前と配列が変わっている。
市川雷蔵のコーナーも、若山富三郎のコーナーもなくなっている。
ああ、三隅研次の「子連れ狼」シリーズはどこへ?
しかし、店員に聞いて探し回っている時間はないので、あきらめてNOVAに行く。
ほぼ3ヶ月ぶりのNOVA。
当たり前のことだが、話せるわけがない。
確実に単語量が減っている。
相手の言っていることの聞き取りもどんどん落ちている。
今日は文法的なレッスンだったので、まだましだったけれど、何かについて語れっていわれると、何もしゃべられないだろうなあ。
おまけに、レッスン終了後、カウンセリングを受けろと言われている。
どうせ、「もっと詰めて来て下さい」と言われるのがオチなんだろう。
来たいのはやまやまだが、審査が終わるまでは、余裕がない。
と、覚悟してカウンセリングにのぞみ、言われる前に先に断りを入れる。
しかし、相手は商売人。
「前回のカウンセリングの時にお忙しいとうかがっていますから、気にしないで下さい。
このペースで来ているのに、ほとんど評価が落ちていないんですよ。
また詰めてこられるようになったら、すぐに取り戻せますし、レヴェル・アップもすぐですよ」とおだてられる。
評価が落ちていないわけがない。
ポイント数が減ってきているから、次回の継続を促したいのだ。
うーん。結構高いからなあ。
でも、語学は続けていないと本当に駄目になるから、どうしよう。
その時が来てから考えるか。
はあ、疲れた。
12月1日
ひえー。なんともう12月。
論文出してから、11月の残りは何をしていたんだろう。
こんなんで、審査は大丈夫なんだろうか。
そうそう、審査といえば、日程が決まったのよねえ。
運命の日は1月19日(月)となりました。
これまでに、プレゼンの準備して、レジュメ作って、発表原稿を作らなくては。
それまでに、まだまだ目を通しておきたい映画や資料がある。
ぼけぼけしてられないぞー。
とかなんとか思ってはいるけれど、なかなか出来ずにいるのは、私の怠慢?
11月も、映画はぼちぼち見ていたけれど、資料もあまり目を通していないし、本だって必要なものは1冊しか読んでいない。
そして、今日はアルバイト。
その後は食事に行くしなあ。
結局は何も出来ないのだ。
せいぜい空き時間に読書でもするか。
12月に入って、気のせいか学生さんの利用が減ったような気がする。
1月で後期も終わりだし、皆さんさぼらずに授業に出ているのかな。
あんまり忙しいと、混乱するので、これぐらいのペースはありがたい。
しかも、今日は待ちに待ったお食事会。
早く、終わらないかなあ。
西北で待ち合わせをしていたので、時間もあることだし、健康のためにちょっと寒いけれど、歩いていく。
まだ時間があるので、ジュンク堂へより、映画関係の新しい本が出版されていないか、チェックしに行く。
なんと、映画秘宝別冊の「キル・ビル」特集を発見。
これは買わねばと、早速購入。
待ち合わせ場所で、ウキウキしながら目を通す。
やっぱり、思っていたとおりのことなどが明らかにされ、チャンバラ映画を専門にしてきて、これが分からなければいけないよなあ、とか自分で自分を褒めてみたりする。
あほ丸出しやなあ。
前から行ってみたいと思っていたお店があったので、早速現地に向かうが、なぜか今日に限って「臨時休業」。
がっくり。
第二候補のお店に行く。
とても久し振りにお会いしたので、いろいろと話が弾む。
食べ物自体も美味しいけれど、一緒に食事をする人の雰囲気も非常に大事。
何か、一人でしゃべっていたような気がするけれど、本当に楽しい時間が送れて、心から感謝している。
また、次回おつきあいを願って、家路についた。
ありがとうございました。
今のところ、胃痛もおきない。
だって、今日は気持ちのいい時間だったから。
薬なしでも眠れそうな気がしたが、明日のことを考えて、やはり頓服を飲んで就寝。
よく眠れますように。
11月30日
はあ、今日でとうとう最後の薬がきれる。
今度の金曜日まで、5日間乗り切ることが出来るだろうか?
まてよ。
しかし、これで5日間無事に過ごせたら、薬なしでも大丈夫。
治癒したことになるじゃないか。
あ、でもまだ睡眠の方が危なっかしいけれどなあ。
でも一時に比べたら、ずいぶんと快方に向かっている。
そうだ、このまま突っ走っていけば何とかなるかもしれない。
夕飯は、近くに出来た「ちゃんこ鍋」を食べに行くことになっていた。
それまでは、いつものように高槻に映画でも見に行って・・・と思っていたが、断念。
午前中は母の用事を言いつかって、実家に顔を出していた。
昼食を共にしてから、一度家に帰ったのが間違い。
そのまま電車に乗ればよかったのに。
だんだん身体がだるくなって、動けなくなってしまった。
夕食の約束は今更ドタキャンできない。
なんだか寒気がするのである。
あれ、風邪かなあ、やばいなあ。
大人しく布団に横になって、先週の「武蔵」を見る。
なんだか、本当に面白くないなあ。
もうすぐ最終回じゃないの?
どうやってオチつけるんだろう。
でも、ここまで頑張ってみてきたのだから、最後まで見るぞ。
今日の分の予約をセットする。
夕食までまだ時間があるので、暖かくして休養をとることにしていた。
と言うのも、明日の夜は、私の敬愛する方とお食事会なのである。
ずっと楽しみに、シンポジウムも乗り越えてきた。
ちゃんと、体調を整えないとね。
ちゃんこ鍋はみそ味で、でもしつこくなくて、結構美味しかった。
店は繁盛している。
これから寒くなるといい季節だね。
今日は早く寝ようっと。
11月29日
今日は午後から映像学会関西支部会が精華大学で行われる。
午前中は母と社販のセールに出かける。
父の誕生日プレゼントに赤のベストを購入した。
還暦祝いである。
それからいろいろと服を見たが、サイズがなかったり、高かったりして、あまり買わなかった。
昼食を梅田で食べてから、遠路はるばる精華大学まで行く。
ちょっと遅くなったので、一人目の発表を聞き逃した。
実験映画の話だったらしいが。
2人目はマルグリット・デュラスのテクスト分析。
デュラスの映画や作品にあまり詳しくなかったし、大量に引用されていたフランス語がちゃんと解読できなかったので、いろいろ聞きたかったのだが、上手く質問がまとまらず、懇親会で少しお話をした。
話しているとすごく興味深い話が聞けて、刺激的だった。
その後は、かわいがって頂いている先生方に博士論文提出のご報告をして、審査に中島貞夫先生にお世話になることを言う。
ついでに「非常勤ありませんか?」とも聞いて回るが、どこも厳しいですね。
はあ、誰か一つでも世話してくれないかしら。
神様、お願い。
まだ、学位も取っていないのに、厚かましい考えかなあ。
11月28日
今日は、職員さんがお休みされているので、代わりに女学院でアルバイトにはいる。
いつもは交代ばかり頼んで、滅多に顔を合わさない、アルバイト職員さんと久し振りに会う。
いろいろ話をしていて楽しかった。
誕生日をすっぽかされて以来、私も忙しく、向こうも忙しくて全然会えなかった友人と、漸くご飯が食べに行けることになった。
今かなり忙しいらしいので、無理して時間を作ってくれたようだ。
感謝。
久し振りに逢えるのでうきうきしてきた。
早く、バイト終わらないかなあなどと考えながら、仕事をする。
といっても、まだ向こうの仕事の終わる時間が分からないので、何時になるか不明だが。
バイトが終わって後かたづけしているとメールが入る。
7時半に三宮。
17時半に終わったので、18時半には三宮に着いてしまう。
1時間経って待っているのはしんどいので、カフェでコーヒーを飲み、10分前に行くと、もうすでに来ている。
「待った?」
「20分ぐらい」
「だって、7時半って言ってたやん」
「雲行きがあやしくなってきたから、速攻帰ってきた」
「なんや、それやったらメールくれたらもっと早く逢えたのに」
悪いことしたなあと思いながら、いつもの行きつけの店に行く。
「なおと会ってなかった2週間の間、死ぬほど忙しかったわ」
なんだ、覚えてくれてたんだ。
何か嬉しい。
「久し振りやね」って言ってやろうかと思っていたけれど、そんな気持ちは全然なくなってしまったどころか、20分も待たせたことが気にかかってしまい、ひたすら謝ってしまう。
いつものように、心地のよい空間と心地のよい時間を送れて幸せである。
つい気を許してしまうせいか、酔いが回った。
気持ちがいい。今日は薬なしで眠れそうだ。
11月27日
久し振りに女学院にてアルバイト。
昨日、「子連れ狼」を見に行けなかったので、その反動と言っちゃ語弊があるけれど、今日は久し振りにDVDを見る。
見たのは「凶気の桜」である。
なかなか面白かった。
でも、窪塚君は「GO」の時の方が、演技がよかったような気がするなあ。
あ、「ピンポン」もなかなかよかったね。
でも結構忙しい。
すぐに満席になってしまって、だけど、コンスタントに学生さんに来られるよりも、満席になってしまった方が、ゆっくりDVDが見られるのでありがたいのだが。
原田芳雄がやっぱり上手いなあと思った。
この映画は「直打法」が出てくると聞いていたので、いつ出るかいつ出るかと期待していたら、最後の方に1回だけあった。
なんだこれだけ?
ちょっとがっかり。
昨日1日休んだが、何となくまだ体調が復帰しない。
肌はぼろぼろだし、身体は冷え切っているし。
そこへ電話が入り、母から叔父が東京から来ているので、祖父母の家に夕食を食べに来いという。
そこで、久し振りにワインを購入して、ついでに合鴨スモークも購入して、祖父母の家に向かう。
チーズも購入。
祖父母は私が行かない限り、洋食系統食べることは滅多にない。
せいぜいコロッケぐらいだろう。
なので、久し振りの違った料理に気分をよくしてくれたようだ。
祖父母孝行もしとかないとね。
11月26日
今日はビデオを持っているが、やはり大画面で見たい三隅研次の『子連れ狼』である。
が、しかし、とうとう疲労がピークに達して倒れてしまった。
夕方にカイロプラティックを入れていたから、それまでに見に行けばいいだけだったのに、動けない。
どうしても動けない。
水も飲めない、食事ものどを通らない。
ひどい頭痛と腰痛で、それに寒気がひどくて、布団から出られない。
どうしたもんかと思い、悩んでみても、身体さんが動いてくれないことにはどうしようもない。
論文提出した後、ゆっくり過ごせばいいものを、なんやかんやとふらふらしているからこういう事になる。
おまけに、もうすぐ薬がきれてしまう。
何度も起きようとしても、動けないものは動かない。
はあ、困ったなあ。
仕方がない。ビデオであきらめるか・・・
とにかく、身体さんを休ませてあげなくちゃ。
寝る前の薬はとうにきれており、頓服薬のみでごまかし、ごまかし眠っているのだが、やはり、無理があるみたい。
こういう日は1日中眠るに限ると思い、また頓服を服用して、カイロプラティックの時間まで、意識を失っておりました。
カイロプラティックでは、がちがちに固まった身体をほぐしてもらい、漸く少し人間らしくなったかしら。
はあ、脱力感。
ぶふー。
11月25日
知り合いが京都に紅葉狩りに行き、その後兄の店に行ってくれるというので、お誘いを受ける。
紅葉狩りの方はお二人の邪魔をするのは悪いので、遠慮して夕方に兄の店に行くことにした。
だんだん疲れがたまってきているようなので、お昼間はゆっくりとして、(本当は今日も高槻に行く予定だったのだが)、午後から母と待ち合わせて紅葉狩りに行く。
仁和寺の方面に行くか、南禅寺の方面に行くか大分と迷ったが、結局、夕食を食べるのが東山の方なので、南禅寺の方に行った。
平日なのにすごい人。観光バスが山のように駐車されていて、みんな永観堂までツアーで歩いていく。
しかし、今年の紅葉は綺麗ではなく、また暖かかったせいもあって、紅葉していない葉もたくさんあった。
永観堂は1000円。あれ、普段600円じゃなかったっけ?
外から覗いても、今年はあまり綺麗じゃないし、1000円けちって入りませんでした。
そのかわり、日向大神宮というとってもマイナーな寺社に行くと、人もまばら。
境内にある木は全部紅葉なのだが、半分がまだ青々としているのでもったいない。
もう少し時期をずらしてきたら、此処はすごく綺麗なところだろうなと思った。残念。
夕食は久し振りに美味しい懐石料理をいただく。
特に最初に出たなまこの食感が、今まで食べたことないくらいよくて、美味しかった。
焼き物が少し味付けが濃いかなっと思ったけれど、後は本当に薄味で久々の京料理を食べた気がした。
最近、京料理と言っても味付けの濃いところが増えたからねえ。
雑誌の情報も怪しいので要注意。
兄の店に行くと、ご夫婦はもう来られていて、すっかり出来上がっておりました。
兄の店も年齢層は若い方なので、やはり中年夫婦がいると少し浮いている気もするが、母と私も合流したので、あまり気を遣わないように配慮しておつきあいしました。
兄の店でたっぷりワインを飲まされて、酔っぱらって帰ってきました。
ふらふら。
11月24日
今日も高槻に映画通い。
今日は「赤穂城断絶」と「御用金」の2本。
「赤穂城断絶」は確か深作欣二だったような気がするが、いきなり松の廊下で始まり、それから長い間、討ち入りまでの経緯が描かれているのだが、それがちょっと冗長的で、見ていて疲れてしまい、うたた寝してしまった。
映画中に寝るなんて、疲れがたまっていたのか、不眠が治りかけたよい傾向なのか、複雑な心境である。
「御用金」も同様である。
何か途中眠いのである。
好きなチャンバラ映画のはずが、あまり面白くないんだよねえ。
やはり、もう映画衰退期に入ってしまった後の映画は、どことなく力がないのかしら。
それとも私が単に心身疲労がたまりすぎて体調が悪いせいなのかしら。
論文出しても、チャンバラから離れられない私であった。
夜は、「ボージョレー・ヌーヴォー」をまだ飲んでいない私のために、両親が買い置きしてくれていたので、飲みに実家へ行く。
なかなか美味しかったです。
11月23日
何だかなあ、疲れて眠いはずなのに、5時から目が覚めてしまう。
ちいちゃんを起こさないように、お茶を飲んだりしてまたベッドに戻るのだが、全然眠られない。
仕方がないので、転がりながら読書をしていた。
9時半になったので、畳の部屋にぎりぎりに敷いた布団でよく眠っている地位ちゃんを半ば恨めしそうに思いながら、お風呂にお湯をはる。
昨日、遅かったので、お風呂に入れなかったのである。
それからコーヒーを入れる準備をする。
昼からの結婚式なので、ご飯はいらないだろう。
10時の目覚ましで起きたので、思わず「よく寝るねえ。寝る子は育つよ」と言ってしまった。
先にお風呂に入ってもらい、その間にコーヒーを入れて、メールのチェックをする。
用意をしている間、私がお風呂に入ってしまい、出てから、今日の予定を聞く。
もう一晩泊まっていけばいいのに、遠慮して、ホテルを押さえたら三宮がとれなくて、なんと三田のホテルをとったらしい。
それなら、ほんとに家にもう一泊していけばいいのに。
2次会も何も決まっていないので、いつもは大阪の友達の所に泊まるから、たまには神戸で食事でもする?と言う話になり、夕食は三宮で食べることにした。
三田だとJR宝塚線(もちろん他にも行き方はあるが)なので、帰りは私もJRで帰ると塚口が宝塚線だから一緒に帰れるので、そうした。
さて、ちいちゃんを送り出してからは、シンポジウムも終わったし、久し振りに映画でもゆっくり見るかと、念願の「修羅雪姫」を見に行く。
断っておくが、梶芽衣子主演の方であり、釈由美子の方ではない。
近くではビデオでも手に入らなかっただけに、感動しました。
かっこいい!!
「キル・ビル」との影響関係なども分かって、なおさら面白かった。
実は高槻で「キル・ビル」公開記念も兼ねて、「不滅の時代劇傑作選2」をやっている。
1の時もずいぶん高槻の映画館に通った。
2もなかなかの作品揃い。
2本立てなのだが、もう一つの「必殺仕掛け人」はいまいち面白くなかった。
だけれど、「修羅雪姫」を大画面で見られただけでも大満足。
いやあ、やっぱり、映画館で映画を見るのって楽しいね。
11月22日
朝は9時頃まで、日文研ハウスでゆっくりして、忘れ物がないか確認をして、院生室に荷物を置きに行く。
コーヒーを入れて、朝から来ている院生と談笑。
今日は10時から鈴木先生のゼミがある。
今回の発表は私にとっても非常に興味深い内容であり、本当は参加したかったのだが、仕事があるので断念。
みんなを見送った後、お昼ご飯を食べる時間がないと思い、ブランチを兼ねて10時半にご飯を食べる。
それから貴重品を持って講堂へ。
早速お手伝い。
受付の手順を聞き、配る資料を整え、舞台に行って、スクリーンに映し出されるときに看板にかかってしまうため、スクリーンを使用するときの看板の昇降の操作を担当。
あとは、最後の質疑応答の時にワイヤレスマイクを持って会場内を走り回る役目。
後は舞台裏で待機。
今日の講演者は、知る人ぞ知る柔道で金メダルを日本から初めて取った「アントン・ヘーシンク」先生と、柔道と言えばこの人、「山下泰裕」先生である。
しかし、客の入りが今ひとつ悪いので、みんな人数集めに必死である。
柔道にはあまり興味がない上、舞台裏にいるので、ヘーシンク先生の発表は英語だし、よく分からなかったが、あまり面白そうではなかった。
(実際、一部で不評が出たみたいである。)
山下先生は、さすがにしゃべりなれているのだが、今度はしゃべりすぎて、全然時間を守ってくれない。
新幹線の時間も決まっていて、終わったら急いで帰るのでタクシーの予約まで依頼していたのは本人なのに・・・しゃべりすぎ。
最初の打ち合わせとはずいぶんずれてしまい、質疑応答の時間がほとんどとれなかった。
みんな時間は守りましょうね。
講堂の後かたづけをすませ、先生方をタクシー並びに送迎バスで見送ってから、漸く帰る準備が出来た。
一緒に働いている職員さんが駅まで送ってくれるというありがたいお言葉に甘えさせて頂き、駅まで送ってもらった。
久し振りに大阪の友達の家に行くと、3月下旬が予定日だということで、結構大きなお腹をしていた。
あまり負担をかけないように、自ら動いて、集まってきた他の友人たちと鍋を囲む。
ちいちゃんと、家に帰り、狭い部屋だが、我慢してもらう。
明日の予定を聞くと、12過ぎに三宮に着けばいいので、家を11時半に出ればいい。
朝はゆっくり寝るからといって、10時に目覚ましをかけてお休みなさい。
私も疲れました。
11月21日
朝も早くから目が覚めてしまい、東向きの部屋なので、朝日を浴びて爽快な目覚め。
朝もこんなにゆっくりしていていいなんて夢のよう。
着替えると、貴重品だけ袋に入れ、8時過ぎに院生室に行って、お茶を飲む。
いつもは9時半近くしか入れなかったので、今日は張り切って8時半に出勤。
あれ、まだ誰も来ていない。
鍵がかかっているので、仕方なく、一度院生室に戻り、時間つぶしに読む本を取りに行き、会場で待つ。
事務の方がやってきたので、挨拶をして、早速準備にはいる。
受付の設置。
昨日充電しておいたポータブル同時通訳機を各席に並べていく。
新しい資料の配付。
受付。
通訳の方との打ち合わせの案内。
あっという間に10時になり、あわてて会場にてスタンバイ。
会場録音ははじめから入ったが、同時通訳録音の方が、チャンネルを合わせ間違いで最初がきれてしまった。
でも、挨拶だから発表に支障がないからいいか。
シンポジウムも明日の公開講演会で最後。
さすがに先生方にも疲れが出てきている。
もちろん全日参加されない先生もいるので、会場が満員になることは少ない。
前半は剣道家の先生が多かったが、後半は柔道家の先生が増えた。
もちろん空手など他の武道をたしなんでいらっしゃる先生もいる。
半分同時録音を聞きながら、先生のサポートなどをしたりしていると、発表の内容の半分も聞けない。
しかし、非常に面白かったのが、剣道のオリンピックの登録問題に関する話である。
剣道のオリンピック委員会への登録問題については大きく二つの問題がある。
一つは、知らなかったのだが今韓国で「足道(コンドウ)」が大流行なのである。
しかし、防具から竹刀まで、全く日本の剣道と違いはない。
違いを強いて挙げるなら、よりスピーディーで、力任せに相手に打ち込んでいく。
すなわち身体の大きい選手の方が有利な感じである。
しかし、面白いことに、この「足道」は韓国起源のオリジナルな伝統武芸であり、それが日本に伝来して日本の剣道へと定着した、と言う説がほぼすべての韓国人が信じているという事実である。
そして、この「足道」をオリンピック正式種目として登録し、世界に広めようという運動が起こっているらしい。
すなわち、どちらが先に世界の種目として認知されるかによって、起源説からすべて変わってくるわけである。
オリンピック正式種目にならなくても、とりあえず、世界のスポーツとして「剣道」を先に登録してしまえば、剣道は日本発祥の武道として認知されるというわけだ。
第二の問題点は、ただでさえスポーツ化している剣道が、オリンピック正式種目となった場合、柔道のように、もはや伝統的な武道から離れて、勝敗のみを重視したスポーツと化してしまう事へのおそれである。
しかも、この発表が柔道家の多い中で発表されたものだから、当然柔道家も黙ってはいられない。
お互いのたしなむ武道(といっても、素人の私から見てもどちらもかなりスポーツ化しており、武道と呼ぶのか、まあ武術とは絶対呼べない代物になっていると思うのだが)の擁護や正当性、国際性の意義などに必死の発言が繰り広げられた。
個人的に興味深かったのが、柳生新陰流剣術、神道夢想流杖術など(後は聞き逃したのだが、弓道や柔術、空手にも取り組んだことがあるそうだ)古武術の稽古を中心にいろいろ武道をたしなみ、武道雑誌を編集しているアメリカ人の先生の発表だった。
それは全剣連居合いの制定型がコロコロと変わるといった矛盾点を指摘し、それゆえ、現在はもっぱら古武術で、理合いの納得のいくものにのみ武術としてたしなみ、そしてまたその精神性というものにも還元していく姿勢へと変わっていったという話であった。
武士道の精神はどうでもいいのだが、外国人である彼から、武道というものがきちんとした身体運用取り合いを持った動きとして、継承されていないということを指摘された部分に非常に共感を覚え、また、ある日本人に、「そんなにいろいろな種類の武術(武道)に手を出してかじるのは、いかにも外国人のオリエンタリズム的なあこがれだ」といったことをいわれたことがあるそうであり、それに対して覚えた反感は、武術が総合的なものであり、剣術であろうと杖術であろうと、体術であろうと、共通する身体運用を持ったものであることを実感したからであるというような趣旨を述べていたことにも、共感したからである。
スタッフでなければ、是非質疑応答にも加わりたい所だったが、ちゃんと発表を聞くことが出来ずに、非常に残念である。
セッションがすべて終わった時点で、一応、名刺交換をして、「神道夢想流杖術をやっています」という話をすると、「NYから40分ぐらいの所だから、是非遊びに来て、一緒に稽古をしましょう」といって下さった。
でも遠いよ。
最後の発表は研究者ではなく、空手の指導家であるイスラエルの人だったが、彼が今していることは、空手という競技を通じて、戦うものではなく、平和のために武道を行うという運動である。
イスラエルと言えば、パレスチナとの問題を抱えていることは、いうまでもないが、イスラエル人、パレスチナ人たちに空手を教え、競技スポーツとして試合を通じ、普段なら的としてしか見なさないのを、空手という共通点より試合の後は握手をし、お互い友好を深めていこうという草の根の運動だそうである。
この問題は参加者にとっても大きな興味対象となり、質疑応答が絶えなかった。
これも非常に興味深い問題だが、日本語、英語の質問が飛び交うために、私は手動で同時通訳機のチャンネルを変えて録音せねばならず、ゆっくり聞くことも出来ず、忙しかったので、至極残念だった。
質疑応答が長引いたために、今日も遅くまでずれ込んでしまった。
明日は昼からの講演会なので、先生方は飲みに行くようだ。
コミュニケーションをはかって下さい。
最終日なので、忘れ物がないか、いらないものなどをすべて回収し、研究室をもとの状態に戻す。
プロジェクターの返却、同時録音機の回収、OHPをもとの場所へ設置し、モニターも戻して、片づけをしていると、またまた8時になってしまった。
皆様お疲れ様でした。
今晩も日文研ハウスに泊まりだから、院生室でご飯を食べて、部屋に戻る。
またまたゆっくりとお風呂に入って、明日はちいちゃんが来るので、連絡だけをつける。
大阪の友達の家で、鍋をやっているから、私は仕事が終わり次第、そこの家に駆けつけて、一緒にご飯を食べたら、帰ることにして、打ち合わせ終わり。
読みかけていた本も読み終わり、院生室から持ってきた次の本に取りかかる。
明日は11時前に講堂に行けばいいので、今日よりも楽である。
11月20日
雨。
大荷物を持って、雨の中7時半に家を出る。
今日は雨のせいか、バスが遅れて全然こない。
スタッフの一人に携帯で連絡を取って、場合によってはタクシーで行こうかと相談したが、今日は手が足りているので、大丈夫とのこと。
15分遅れでバスがきて、それから日文研に行って大荷物を院生室においてから、会場へとまた走っていく。
「遅くなってすみません」
「大丈夫よ」
あれ、また受付がいない。
ぎりぎりまで受付をして、10時になったら、素早く会場内の操作パネルの前に滑り込む。
録音スタート。
相変わらず、時間は押せ押せ。
休憩を挟むので、どんどん時間がずれていく。
その間テープを止めていたり、始まったらまたスタートしたりと結構忙しい。
常に二人いると楽なのだが、人数が足りていないのか、中にいるのは私一人のことが多い。
ポータブルの録音機はリバーシブルではないので、手動でテープを入れ替えないと行けない。
パワー・ポイントを使う先生が、設置されているマイクを使うとハウリングがする。
そこで、あわててワイヤレス・マイクに持ち替えてもらう。
何とかハウリングはやんだ。
機械音痴の私が、原因が分かるはずもなく、とにかく苦心してやってみたら、たまにはうまくいくものだ。
と言っても、先生に「ハウリングをどうにかして」と言われたときには、どうしようも出来ず、次の休憩時間に実験して切り替えることにしたのだけれど。
はあ、急にOHPを使うと言い出す先生は出てくるし、パソコン2台使うという先生も出てくるし、いったい何なの?
といっても、遠方からこられているのだから、機嫌良く帰ってもらいたい。
同時通訳のテープをダビングして欲しいといわれたら、はいはいと聞き、スタッフの出来る限りのことはさせて頂く。
今日も6時で終わるところが、6時半になって漸く終了。
あす、DVDを使いたいという先生がいて、パソコンとプロジェクターをつないで写るかどうか実験していたら、8時になってしまった。
でも、今日は日文研ハウスだから、帰る心配をしなくていい。
なんて楽なんだろう。
院生室に帰って、持ってきた夕食をすませ、日文研ハウスに行って、ゆっくりとお風呂にはいる。
でもまだ、10時にもならない。
感激。
これで帰ってたら、今頃家に着いたころだな。
朝もゆっくり出来るし、TVでニュースを見た後、ゆっくりとこれから読書をしよう。
こんな事なら、初日から泊まればよかった。
11月19日
ふらふらになりながら、7時半に家を出る。
緊張しているせいか、余りよく眠れなかった。
発表中に眠くならなきゃいいんだけれど。
9時半前について、荷物を院生室に置き、会場に走っていく。
新しい資料の追加のコピー取りなどで、スタッフの人数が足りないのか、受付に誰もいない。
10時開始なので、もう先生方が到着し始めているので、あわてて受付をする。
あれ?今日の受付って誰だっけ?
そんなこと言っている暇もなく、挨拶し、受付をこなしていくと、あっという間に10時。
録音や照明をしなくてはならないので、そのあたりにいるスタッフの人に受付をお願いして、あわてて会場に入り、奥の操作パネルの前にスタンバイ。
ぎりぎり間に合った。
さあ、今日も午前中3人の発表者がいる。
しかし、やはりぶっ通しでは、出来ないので、途中休憩をとると、今度は昼休みの時間が削られる。
仕方がないので、昼の開始を10分遅らせると、こうしてどんどん時間がずれ込むことになる。
発表者も熱心でいいのだが、皆さんあまり時間を守らないのね。
半分発表を聞きながら、半分は次の準備や、録音のチェック。
「武道」シンポジウムなので、きっと面白い話がたくさん聞けるはずだと思っていたが、とてもじゃないけれど、そんな余裕はない。
残念だなあ。
発表あるいはコメンテーターの先生方の大半は武道をたしなんでいるようだ。
主に柔道。次に剣道。
少数派だが、空手に合気道、弓道、居合道といったところかな。
もちろん、いくつか重なってやっている方もいらっしゃる。
発表を聞いていて、私も思わず質問したい!!という衝動に駆られることもあるが、スタッフなので、もちろん発言権はない。
笑顔を絶やさず、先生方の要望に応え、出来る限りスムーズにシンポジウムが進行するようにつとめる。
しかし、さすがに疲れるなあ。
今日は午後の発表が2人だったので、17時過ぎに終了した。
後かたづけをして、明日の準備をしていたら、あまりに疲れ切った私の顔を見て、「日文研ハウス」に泊まったら?と、提案して下さる。
「泊まれるんですか?」
「手続きとりましょう」
「じゃあ、明日、明後日とお願いします」
「日文研ハウス」というのは、外来の研究員や、外部から今日のようなシンポジウムや研究会などで日文研に来られた先生方が宿泊できる施設のことである。
1泊1900円で、ビジネスホテルのシングルルームなみ。
ただし、日文研のまわりには、コンビニも何にもないので、着替えの他あらかじめ食料も持ちこまなくてはならない。
さあ、今日は帰ったら、2日分のお弁当を作って用意して行かなくては。
でもラッキー。
しかし、論文の時でも泊まり込んだことないのに、何が悲しゅうてシンポジウムで泊まり込みしなくてはならんねん。
でも、通うこと考えると楽でええか。
11月18日
シンポジウム初日。
いつものように7時半に家を出て、電車に乗ったまではいいが、なんと電車が遅れた。
ということは、ぎりぎりの時間で予定を組んでいるバスには、当然ながら乗り遅れた。
今日は、初日と言うこともあって、みんなは9時出勤。
家の遠い私だけ、免除されて、9時半前にはいることになっていたのに・・・
次のバスの時間を調べると、絶望的。
10時になってしまう。
泣く泣くタクシーで日文研に駆けつける。
到着すると、みんなあわただしく準備に追われている。
私も早速仲間に加わって、機器操作の確認。
私の仕事は、機器操作。
発表者の水の入れ替え。
テープの録音。
一応国際シンポジウムのため、外国からの研究者の発表もある。
そのため、同時録音が入るのだが、発表言語と同時通訳言語と両方を記録しておかなくてはならない。
本来なら、同時通訳と会場発表と同時に録音できるはずのデッキが設置してあるのだが、いざ、発表が始まってみると、なんと壊れて作動していないことが発覚。
左が会場、右が同時通訳のはずなのに、左しか作動していない。
あわてて気がついて、スタッフの一人が手動のコンパクトな録音機を探してきて、あわてて同時通訳機につなぐ。
午前中の挨拶。一人目の発表者と二人目の前半が同時通訳の録音ができなかった。
しかし、すんでしまったことは仕方がない。
主催者の先生方に、事情を説明。
初日だからハプニングはつきもの。
機械が壊れていたのを事前に確認していなかったのは、スタッフサイドの落ち度かもしれないが、実は全日の最終打ち合わせと機器点検、資料の設置など諸々の準備は、私は女学院でアルバイトしていたために、いなかったのだ。
でも、いても気付いていたかは問題だけれど。
ポータブルの同時通訳機を、ポータブルの録音機につなげているので、発表者や質疑応答の時に、英語と日本語のチャンネルを手動で変えなくてはならない。
そのために、面白うそうな発表があっても、片耳は同時通訳を聞いているために集中して聞くことが出来ない。
また、真向かいに座っている先生の指示が目と手で飛んでくるので、それを把握して、対応しなくてはならないので、大変。
しかも、1人1時間の持ち時間で、休憩なしに、3人ぶっ通して、最後に総合討議が1時間。
誰もそんな体力が持つわけないので、2時間経ったところで5分休憩を入れるが、5分ですむはずがなく、10分になり、そして、どんどん時間はおして、最終的には、15分〜20分遅れになる。
今日は、初日でレセプションもあり、後かたづけをすませた後、あまりに疲れたので、先生に挨拶して帰ろうと思って、顔を出すと、逆に捕まってしまい、「ご苦労様。もう論文出したし、ほっとしたやろう」と言われ、ビールをつがれ、話し込んでしまい、とどめに「こういうレセプションに堂々と顔を出すぐらい厚かましくないと、審査には耐えられないよ」と言われる。
「え、私のことですか?」と笑いながら答えて、結局最後まで付き合うことになり、家に帰り着いたときは、ぼろぼろに疲れていました。
お休みなさい。
11月17日
朝から女学院でアルバイト。
昨日もちゃんと、薬を服用して眠ったのだが、夜中に何度も目が覚めて、何かよく眠れなかった。
でも明日からシンポジウムが始まるし、そのために木曜日はお休みをするので、今日はバイトに精進しなくては。
それにしても、昨日意地をはって飲みに行ったりしたから、疲れがとれない。
やっぱり歳なのかなあ。
悲しい。
家で大人しく休んどければよかったものを。
ここ最近、眠いと感じるときも多かったので、喜んでいたが、結局いざ寝ようとなると眠れないのよねえ。
身体は絶対に睡眠を欲しているはずなのに。
久し振りにDVDを見るが、結局、半分しか見ることが出来なかった。
次に出勤するのは11月末。
もう、学生さんの貸し出しトップになっているだろうから、当分見られないなあ。
帰ってから、カイロプラティックでほぐしてもらう。
10月の論文書いていたときよりは、ずいぶんとましになっているそうだが、まだまだ身体がゆがんでいるので、肩や頭が痛い。
治らないねえ、なかなか。
身体をほぐしてもらったら、よけいに疲れてしまった。
明日から大丈夫かなあ。
11月16日
とうとう33歳になってしまった。
朝から、友達からバースデイ・メールが来て嬉しい。
今日は、夜はとても大切な人と食事の約束をしていた。
やはり誕生日ぐらいは、すてきな夜を過ごしたい。
ここ何年かは、ろくな誕生日を迎えていなかったから。
と、心躍らせていたのもつかの間。
なんと、ドタキャンされてしまったのだ。
がーん。
大事な用事が入って、どうしても無理なので日にちを変えて欲しいとメールが入ったのだ。
そんなあ。
でも、いつでも時間がとれれば逢えるし、向こうは今日しか駄目な用事が入ったというのだから、文句は言えない。
はあ。
ちょっと悔しいけれど、あきらめるか。
それでも何となく、肩すかしを食らって気分がすっきりしない。
家に帰って、呆然としていたが、にわかに性悪根性が出てきて、知人に連絡を取り、飲みに行くことにした。
懲りないやつである。
でも、やっぱり何となく意気消沈。
11月15日
朝から、お稽古。
午後から出かけるので、朝一で先生宅にうかがう。
謡のお稽古。
寝起きなので、なかなか上手く声が出ない。
それから、舞のお稽古。
「大体はよろしい」と言われながらも、細かい箇所を直される。
扇を後ろに払って、前に乗り込む(といってもどんな動作か分からないだろうけれど)という動きがあるのだが、右手で扇を払うときに、身体がねじれるのがいけないと言われた。
論文でいろいろ身体運用の研究をしてきたが、能楽の身体運用は本当に武道と共通している。
ねじった身体の使い方は禁止されているのだ。
というか、着物を着ていると、身体はそんなにねじることが出来ないはずなのである。
それをさかのぼって考えてみると、能楽が発祥して、いろいろな型が出来上がってくるのだが、そこには、もともと身体をねじるという動きがなかった。
そういう身体運用を日本人はしていなかったのではないだろうか、と思える。
もちろん、これは私の創見でも何でもなく、甲野先生をはじめ、いろいろな方がすでに多く指摘していることなのだが、自分でお稽古をすると、改めて実感するのである。
そうかあ、歩いているときに上半身がふらついたり、構えている手が前後して動いてしまうこともきつく注意される。
腰が入っていない証拠なのだろう。
何年も稽古しているのに、未だにねじった身体の遣いをしているのは、稽古が足りないせいか。
それとも意識して、そういう動きをしてこなかったせいか。
とにかく、私の舞はまだまだへたくそだと言うことだけは確実だ。
精進せねば。
今日は午後からご馳走である。
兄と義姉と私の誕生日が、それぞれ9月、10月、11月にある。
私の論文提出も無事すんだこともあり、夏に還暦祝いに行った店が気に入った両親が3人の誕生祝いを兼ねて、食事に行くことになったのである。
しかし、兄夫婦は店があるので、少し早めの時間と言うことで16時から。
昼食を食べると、16時にはお腹が空かないし、どうしようかずいぶん迷ったが、朝から何も食べていないのも何だかなあ、と思い、軽くご飯一膳を食べる。
けれども、やはり16時にはお腹が空かなかった。しまった。
フレンチと言うよりは、ビストロみたいなお店なのだが、とにかくボリュームがあるお店(しかも安い)なので、お腹がはち切れそうにいっぱいである。
やはり、欲張って昼食を食べたことを後悔。
しかし、美味しいワインと食事で満足である。
帰りは兄のカフェによって、チャイを飲み、家路につく。
割と早く帰ってきたのだが、あまりにも疲れていて、顔を洗って、薬を飲んでそのまま寝ることにした。
お休みなさい。
11月14日
今朝も9時過ぎから、日文研。
昨晩、お稽古で帰りが遅くなり、実家に泊まったのだが、あいにく頓服しか持っていなかった。
しかも、今の私にはちょっときついぐらいのもの。
でも、薬なし実験は失敗に終わったので、頓服を服用。
そのせいか、朝から眠い。
珍しく、朝の電車の中で、本を読んでいる家に眠ってしまった。
おお、これはもしかして、不眠が治りかけている良い傾向ではないか??
しかし、アルバイト中も眠いし、眠いと言うより、とてもだるい。
とにかく立っていられないだるさ。
論文を出し終えて、すっかり腑抜けになってしまったのか。
昼休みに院生室に帰って、ソファに横になる。
かといって眠れるわけではない。
14時から来週の国際研究集会=国際武道シンポジウムの打ち合わせがある。
そこで眠るわけにはいかないので、休養をとるのだが、ついつい他の院生と話をしてあまり休めない。
楽しいんだけどね、みんなと話していると、刺激的で。
13時過ぎにバイトに戻り、やりかけの動画作成をする。
それから打ち合わせ。
案の定、眠い。でも必死でお話を聞くが、これまでの打ち合わせは論文のために出席していなかったので、よく話が飲み込めない。
とりあえず、研究発表時の機器の操作が私の担当らしい。
手が空いていたら、受付も手伝うことになった。
18日から22日まで、毎朝7時半に家を出なくてはならない。
つ、つらい。
しかし、遅刻は禁物。
しかも、服装もスーツかスカート。ジーンズというわけにはいかない。
寒くないといいんだけれど。
打ち合わせが終わってから、研究発表が行われる第一共同研究室に、機器操作の確認に行く。
プロジェクターが上手く作動しない。
結局、別のプロジェクターを使用して、漸くスクリーンに映し出せた。
あとはOHPだが、これは問題なさそうだ。
照明のボタンや、ブラインドの昇降ボタンなどを確認。
何とかなりそうだな。
端末室に戻って、5時までアルバイトの続きをする。
なんか、へろへろ。
一緒に働いてくれている職員さんは「疲れがたまっているのよ」と言ってくれるんだけれど、こんなにふらふらで大丈夫かなあ。
家に帰ってからも、布団に横たわり、眠れぬ身体をもてあます。
体力ないなあ。
11月13日
2週間ぶりに、ようやく女学院のアルバイトにも復帰。
新しいソフトが入っていて、少しとまどう。
学生さんに聞かれて、即座に対応できなかったのである。
そっか、もうこれだけ新しいソフトが入っているんだ。チェックしとかないと、人気が集中するわなあ。
だけど、今日はあまり忙しくなくて良かった。
何か久しぶりで、感覚が取り戻せないから。
でも、来週は日文研でシンポジウムがあるから、また休むんだけれど。
はあ、昨日片づけていて思った。
全力投球してきたつもりで、部屋中資料だらけにして書いてきたんだけれど、結構昔に集めた資料を生かし切っていないことに気付いたのだ。
ああ、これもつかえる、あれも使える。
これを使ってああ書けば良かったかな、とか。
それは全部、審査の時の質疑応答のために抽斗を作って入れておこう。
おととい、寝ているようで眠れていなかったかもしれない。
だから昨日はちゃんと服用して眠ったのに、4時間で目覚める。
論文出したあと、先輩が「今から冬眠するよ」って言ってたっけ?
私は冬眠も出来そうにないなあ。
それに、やっぱり審査が終わらないことには落ちつかへんわ。
んー、なんか今日は変だなあと思ったら、「宗教強調週間」だった。
時間割がいつもと違うのだ。
だから、学生の入れ替えもばらばらなのね。なるほど。
今日はアルバイトのあと、1ヶ月ぶりのお稽古である。
舞とか忘れちゃったなあ。やばいなあ。
基本形からやり直しかしら?
謡も全然謡ってないし、大変やわ。
論文を書いている間は、すべてのことを後回しにしてきた。
今それが山のようにたまって、雪崩が来る直前のように崩れかかっている。
一つずつ片づけて行かなくては。
アドレスの変更や、ノートンの更新(有料みたいなんだけれど、よくシステムをまだ理解していない)。
いろいろな出欠の返事。
それから、それから・・・うーん、何かよく分からなくなってきた。
明日は日文研。
来週のシンポジウムの打ち合わせである。
11月12日
やっと復帰して、朝から日文研に行く。
実は昨日、実験をしてみたのだ。
これまでにないことだが、いやそれは違う。
これまでずいぶんなかったことなのだが、昨日パーマをかけてもらっているときに、なんと、ふっと睡魔に襲われたのだ!!
帰りの電車の中も、本を読んでいたのだが、何となく眠い!
もしかして!?
家に帰るとどっと疲れてしまい、この勢いだっと、心の中は狂喜乱舞して、そのまま眠ることにしたのである。
そう、薬を飲まないで。
1時間おきに目が覚めたけれども、それでも何とか4時間は眠ったと思う。
というのも、朝から体調がおかしくないのだ。
いつもなら、身体が震えてきたり、頭がすかすかした感じになったり、まあ、自律神経失調の状態に陥るのだけれど、今日は、大丈夫そうである。
この、「そうである」というところがポイントね。
早く寝たから早く目覚める。
当然である。
朝からお風呂に入り、ついでに洗濯をした。
掃除もして、日文研に出かける。
午前中は何とか普通に過ごした。
昼ご飯も食べた。
が、しかし、である。
午後になると、変調を来しだしたのだ。やっぱり。
とにかく、立っていられない。
立ってしゃべっていると、すぐにしゃがんでしまう。
軽いめまいが続く状態かな。
それでも、今日からアルバイトも復帰である。
張り切ってやっているのに、だんだん波にのまれていき、おぼれそうになる。ありゃま。
それでも17時まで頑張って、久しぶりに働きました。
院生室に戻ると頭がくらくら。
やることはあるんだけれど、結局18時で帰る。
晩ご飯はあまり食欲ないので、少しだけ食べるが、とにかくしんどい。
やはり薬を飲まないと駄目なのかなあ。
寝たと思ったのになあ。
立っていられないので、床にへたり込んで、論文に使っていた資料を整理しだした。
来週、ちいちゃんが泊まりに来るから、片づけなくては。
でもまだなんか今ひとつ体調良くないなあ。
今日はちゃんと薬を服用して寝よう。
11月11日
今朝は、免許の更新へいく。雨が降っていたので、実家の車を借りていくが、JR伊丹駅近くで情けないことに迷ってしまった。すぐ近くなのにね。
看板が出ていないのか、見落としたのか、とにかく途中でUターンして、無事発見。
しかし、今度はパーキングが見つからず、近くに路駐。どきどき。
前回までは、写真が必要だったけれど、今はいらなくなっていたので手順もずっと早くなった。
ふっふっふ、もちろんゴールドである。
あんまり乗ってないからね。
それにしても、免許の更新というと、いつも待たされるイメージがつきまとっていたのだが、今回はあっという間に交付された。
しかし、いつ見ても免許の写真というのは、犯罪者のように写る。
いつ写されているのかよく分からず、しかも病み上がりで化粧もしていなかったので、ひどい顔になっている。まあ、もとがもとだからしゃあないか。
しかし、5年間これを所持しているのもちょっとやだなあ。
実家に車を返してから家に帰り、次は夏以来ほったらかしていた髪の毛をどうにかせねばと、元町に出かける。
博論でずっと、切らずにいたのだけれど、何となく願をかけて、今回もカットはせずにパーマを当て直してもらった。
それでもちゃんと形は整えてもらう。
そのときふっと思って「あ、先にこっちに来てから免許の更新に行けば良かった」とつぶやくと、担当のお兄さんに、「小川さんて、あまりそういうこと、気になさらないみたいですね」と笑われる。
確かに、言われてみれば、そんな気が・・・
何か、論文書いている時って、なりふり構わずって感じだったものなあ。
人間やめてました。はっはっは。
そういえば、昨日カイロプラティックでも、「もう少しずつ矯正していくしか治りませんね」といわれて、すごく痛い思いをしていたのだが、少し肩のあたりとか動くようになったような気がして、「早く人間に戻りたいです」と言ってしまった。
「ゆっくり一緒に戻していきましょうね」と言われ、何か茶化された気分だった。ぶー。
癖毛のせいでなかなかパーマが当たりにくいために、念入りに時間をかけて当ててもらう。
大丸のすぐ前なのだが、気がつくと大丸がライトアップされて綺麗だった。
「今日のこれからの予定はあるんですか?」と聞かれ、「特にないんですけれど、久しぶりなので、少しぶらぶらしようかと思って」と答えると、「じゃあ、綺麗に仕上げましょうね」と言ってくれる。
自分でも言われたようにムースをつけて仕上げるのだが、やはりプロがするようには仕上がらない。不器用なのかな?
でも、こうして綺麗に仕上げてもらうのって、(お金払っているんだから、当たり前なんだけれど)少し気分がいい。
「人間らしく戻りました」というと、「次は年明けてからですか?」と笑いながら言われてしまいました。
すみません。
久しぶりに大丸に行くと、もうクリスマス一色。
何か、あっという間に冬が到来!といったその雰囲気にひたすらびっくり。
そんなに籠もっていたのかしら。
ぼろぼろに履きつぶした惨めな自分の靴を見ながら、新しい靴を衝動買いしてしまった。
論文提出してから、遊んだり、倒れたりしていたけれど、何か、今日は久しぶりにゆっくりと、人間らしく過ごしたような気がする。
変な感じ。
11月10日
朝から久しぶりの女学院バイトに張り切っていたが、腹痛、腰痛、頭痛、咳で家を出るに出られない。
今日はすごく寒いから、風邪でも引いたのかなあ。
無理していこうとするのだけれど、痛くて起きあがれない。
仕方なく、女学院に電話して、「人数が足りていたら、休ませて欲しい。足りなかったら、30分ほど遅れていきます」と連絡。
「休んでも大丈夫ですよ」と言われて、お言葉に甘えて、セデスを飲んでそのままダウン。
15時過ぎまで、倒れていました。
ようやく腹痛が治まって、少し食事をのどに入れる。
暫くすると、また吐き気がしたが、ちょっと我慢して、また横になって身体を休ませる。
今日は、久しぶりのカイロプラティックだし、身体さんを治してもらおう。
はあ、情けないなあ、なんか。
でも、あんまり遊んでいられない。
公開審査に向けて、これから発表準備とディフェンスを固めなくては。
11月9日
朝からすごい咳。
論文提出してから、あまり休まず、ほっつき歩いているから、身体さんが怒ったかな。
昼ご飯を食べてから、昼寝をする。
夜は、両親と食事をとったのだが、運悪く、これも嘔吐。
論文が終わったとたん、正直な身体さんは、泊まっていた月の物の到来も重なり、腰痛腹痛の嵐に襲われる。
おまけに低気圧で、頭が痛い。
今日はゆっくり休んだんだけどなあ。
11月8日
井上先生が発表するので、昼から日文研共同研究会に出席する。
主催者の井波先生より、「提出したのでしょう。ご苦労様。あんなに頑張ってたから大丈夫よ」と優しい言葉をかけて頂き、感動。
井上先生の発表は相変わらず面白い。
こんなに多忙な中、鬼のように指導を迫って申し訳なかったな。
休憩時間に「無事提出しました。ありがとうございました」と挨拶すると、「審査ではすごくつっこまれると思うから、覚悟しておいて下さいね」と不吉な言葉を残される。
げげっ。
二人目の発表者は遠慮して、一路神戸へ。
友人と『マトリックス・レヴォリューション』を見に行く。
面白かったけれど、だいたい筋が読めてしまっていたので、最初見たときの感動よりは薄いかな。
何せ、最近では『キル・ビル』が私のベストであるから、それは抜けなかったな。
さあ、これからは論文のためでなく、見たい映画を見るぞー!
あ、でも審査対策のために、『ラスト・サムライ』は見に行かなくては。
11月7日
昨日、飲み過ぎたわけではないが、やはり疲れがどっと出ていたのであろう。
実は、今日ならまだ差し替えできるチャンスがあったので、朝から日文研で、昨日の続きを読み直しながら、チェックをしていた。
しかし、にわかに気分が悪くなり、昼過ぎには、文字を見ているとめまいがしてくるので、断念。
家に帰る。
朝から何も食べていないというのに、またまた嘔吐。
胃液と水分しか吐く物がないので、苦しくて仕方がない。
今日は、論文提出の祝い酒として、友人と夕食の約束をしていた。
この体調ではまずいと思い、昼寝をする。
薬も服用。
夜になって出かけたが、待ち合わせをしている間に気持ちが悪くなって、また嘔吐。
さすがに、いつものように飲めないし、食べられない。
友人はすごく気を遣ってくれて、「ほっとして疲れが出たんやろう。来週、体調万全にして、飲み直そう」と言ってくれる。
ごめんなさい。
11月6日
やったー!
無事提出しました。
いやあ、今週も長い道のりでした。
10月31日は、久しぶりに面談がなかったので、久しぶりに主治医の所に通うことが出来た。
もう、薬もきれていたし、精神的にもぼろぼろで、自律神経失調に陥っていたので、どうしても行きたかったから良かった。
しかし、受付終了ぎりぎり前に行ったというのに、満席で座るところがない。
朝から何も食べられなかったので、近くのモス・バーガーに行き、1時間半ほど時間をつぶして、論文の資料作りのためのチェックと見直しをする。
まあ、5日まで井上先生の返事待ちだから、それまでに文献リストや引用映画作品リスト、スティール写真の選定など、細々した作業に従事する。
それから、また病院に戻ると、まだ4番目だという。
ふう。それでも待ってでも診察してもらいたいので、論文のチェックを続けながら、順番待ち。
泣きそうになりながら、診察を受けて、薬を出してもらう。
すっかり遅くなって帰ってきた。
疲労困憊。
お風呂に入ってリラックスしてから、また資料作りに専念する。
連休は日文研に通う予定だった。
インターネットで、詳しい情報などを調べながら、リスト作成を行う。
しかし、日曜日には、またまた嘔吐。
3日は朝から準備していたのだが、頭痛と吐き気で動けなくなり、断念。
家で黙々と仕事をする。
しかし、3日も夜になると、嘔吐。
4日は順調に朝9時には、日文研について、スティール写真作りに専念。
共有のでかい机にいっぱいコピーを広げて、切り貼りの工作作業。出来上がったのが17時半。
今からカラーコピーは無理なので、残りのリスト作りを完了させ、論文要旨を書き、事務手続き上必要な書類を全部5部コピーして、封筒に入れ、提出がすぐ出来るように準備。
22時になったので、あわてて帰る。
5日は井上先生に会うまでに、カラーコピーをしようと情報課に行くと、なんと故障。
すぐに担当の業者を呼んでもらい、夕方には直ったので、井上先生との面談終了後、走ってカラーコピーをしに行く。
1時間ぐらいかかってようやく完了。
院生室に戻り、本論以外の所をすべてコピーして、提出に備え、それから、今日指摘が帰ってきたところをこりこりと書き直す。
やはり22時になったので、またまたあわてて帰る。
母から連絡が入り、留学時代の親友から、何か急ぎの葉書が来ているから取りにこいという。メール・アドレスが書いてあるというので、家によって、ノート・パソコンを持って実家に向かう。
もちろん夕食は食べていないので、うどんを作ってくれるが、これまた嘔吐。
完全に身体がいかれている。
友達は「近々結婚するから、結婚式に出席してくれ」との手紙。
しかし、今ワシントンにいるのは分かったが、いつどこで結婚するのか書いていない。
とにかく、今忙しくてゆっくりメールできないが、新しい住所とメール・アドレスを知らせて、いつどこで結婚するのかとだけ書いてメールを送る。
それからほぼ徹夜で、井上先生からの指摘を訂正していく。
そして、今日。
朝から誤字・脱字がないかチェックしながら日文研に通い、午前中いっぱいチェックするが、半分のところで、断念。
全部打ち出して、5部コピーをとって、スティール写真をはめ込んでいく時間を考えると、もう限界だと思ったからだ。
仕方がない。
あとで誤字・脱字を見つけたら、審査の日に正誤表として配り、先に謝ろう。
一緒に提出する後輩と、共有の机やコンピューター、プリンターを占拠して、二人で黙々と作業に従事する。
6時前に完成。
後輩が手伝ってくれて、ほくほくと一緒に論文提出を果たし、ほっと一段落。
打ち上げに飲みに行きました。
10月30日
ああああああ。
提出まであと1週間になってしまった。
それなのに、アルバイトが休めなかった。
女学院で働いていて、大丈夫なんだろうか?
朝来ると、内田先生より念願の「子連れ狼・三途の川の乳母車」が届けられていた。
ご多忙の先生に詰め寄り、何度も探させる人非人の弟子に、先生はいたく傷つかれたことであろう。申し訳ない。
どうせなら、もう1本ダビングして、お貸しするのではなく、差し上げるのが本筋でしょう。改めて、申し訳ない。
はあ、今週は本当にぼろぼろだった。(まだ終わってないけれど)
あ、先週も結構きてたけれどね。
月曜日は、運良くバイトをお休みさせて頂いたので、朝9時過ぎから日文研にて、論文を書き直す。
実は追いつめられているのだ。
先週、井上先生は案の定、ほとんど論文を見て下さらなかった。
もう3週間も前から渡してあるというのに。
会うなり「いやー、日本シリーズが始まるとやはりダメですね」とのお言葉。
すべてを察知しました。135枚近くもあるというのに読んで頂けたのは10ページにも満たない。
そんなあ。
出来の悪い私が悪いのだろうけれど、でもやはり不安で仕方がない。
この日は、朝、日文研に着くなり、主査の先生に捕まった。
聞こえが悪い。訂正。遭遇して、院生室に行く前に、コモン・ルームで40分もの間、論文の指導をいただいた。
アメリカに行く直前に、時間を割いて頂いて感謝。
しかし、もう時間がないというのに、ものすごい細かくチェックを入れられる。
内容的と言うよりは、レイアウトの問題とか、フィルモグラフィーをつけなさいとか、注文が多いのだ。
そして、序論と結論は書き直し。はい。
井上先生にそのこともお話しすると、「じゃ、そのようにして、書き直して下さい」と簡単に言われてしまいました。
そして、29日の水曜日、すなわち昨日なのだが、までにメールボックスに書き直した分を入れておくこと。
それを読んだお返事は、なんと11月5日。
先生、締め切り6日なんですけれど・・・
5日は徹夜かー。ふう。
同じ姿勢をしているために、肩こり、頭痛、腰痛、首が回らなくなった私は、月曜日にうっかりとカイロプラティックの予約を18時に入れてしまっていた。
なので、16時過ぎには、日文研をあとにする。
カイロが終わり、そのあと地元のサンサン劇場へ「キル・ビル」を観に行く。
うーん、さすがタランティーノ。
面白い。というかこの大チャンバラ映画に三隅研次「子連れ狼」と深作欣二へのオマージュが、そしてその他チャンバラ映画や武侠映画等への熱き思いが、これでもか、これでもかと満載されていて、笑ってしまいました。
堪能しましたね。大劇場だと満席かもしれませんが、塚口で平日の夜なんて、がらがら。
もうほとんどこの映画館は私の物状態で、ゆったりと鑑賞できました。
どうして、日本の批評家は三隅研次をもっと取り上げないのでしょう?
と、ここまでは何となく有意義な時間を過ごして良かったのだが、帰ってから遅い夕食を、軽くとったものの・・・・また、嘔吐。
火曜日は、一応元気になったかに見えて、朝からおにぎりを食べ、またまた9時過ぎから日文研にて、論文の書き直し。
が、しかし、めまいがしてきて、息も荒く、じっと座っていられない。
仕方がないので、また必要なシーンをビデオ・プリンターで打ち出そうとソファに横になりながら、映画を観ていると、天井がぐるぐる回っている。
気持ちが悪い。
お昼ご飯も食べられず、それでも頑張ってパソコンの前で書き直しを続けるのだが、身体に震えがきて、なんか頭が痛いような、すかすかしたような、異様な感覚にとらわれて、思考が上手くできない。
思考できないなら、資料作りだと頭を使わないので、そっちをしようとしても、どうも調子が悪い。
いてもたってもいられない。
とうとう断念して、17時前のバスで帰宅。
バスの中、生唾があがってきて気持ちが悪い。
朝しか食べていないから、もう胃の中の物は消化されていると思うんだけどな。
こういうときに限って、電車の中で座れない。
生唾を飲み込み、よろよろになりながら、ようやく立っている状態が続く。
やっと家にたどり着き、荷物を下ろすと、その場にへたり込んでしまった。
それからは、空っぽの胃で吐く物がなく、飲んでいた水分と胃液をげーげーと吐き続ける。
胸焼けはするし、吐き気もおさまらない。
2日続けて嘔吐なんて、もう完全に自律神経がいかれてますなあ。
気力も体力も限界。
睡眠薬を飲んで、とりあえず寝ることにした。
そして、昨日。ちょっと無理にでも睡眠をとったのが幸いしてか、朝は5時から元気に目覚める。胸焼けもおさまっている。目の充血もおさまっている。
そう、火曜日はみんなにどうしたの?と聞かれるほど、目が血走っていたのだ。
「阪神負けて、昨日泣いたから」なんて冗談言っていたときはましだったんだけれどね。
9時過ぎには日文研にいつものように来て、早速論文の書き直し。
今日中に仕上げなくてはならないので、結構大変。
しかし、大事なときにいつも災難。
調子よく書いていると、突然ワードが「エラー」発生して、強制終了してしまうのだ。
2回も。
昨日はちゃんとそれでもお昼ご飯が食べられたし、「エラー」に負けることなく、書き直し続けた。
次の難関はプリンターである。
打ち出してはつまり、他のプリンターを使おうとすると、別のプリンターになぜか接続されてしまい、これがインクジェットだから、遅いのだ。
(院生室には、計3台のプリンターがある。)
スチール写真と映画リストは出来なかったし、目次のページ数も出来なかったが、それでも大分と体裁を整えて、表紙もつけて、出来上がったのは夜の10時。
あわててバスの時間を確かめ、メールボックスに論文を放り込み、日文研を飛び出す。
ふらふらになって帰り着いたのは、12時前。
夕食を食べるべきか、否か、ずいぶん迷って、軽くスープにすることにした。
それからお風呂に入って(いつもの足湯から始める長湯の時間はなかったけど)、出てきたら1時半。
そして、今朝。もっと寝ていても大丈夫なのに、なぜか5時には目が覚める。
しかし、昨日は吐かなかったから、ちょっとコンディションを取り戻してるかな。
何せ、あと一週間。
あがいても、一週間。
やれるだけのことはしよう。
って、あんた、日記書いてる場合やないやろって?
いやあ、内職しようとするんだけれど、ぽろぽろと間断なく学生さんが来るので、着手なかなか出来んのだよ。
今日は帰宅時間も早いから、家でもばりばり仕事せねば。
さ、そろそろ満席だ。
これでしばらくは内職に取りかかれそうである。
せっかくの連休も、日文研通いだなあ。
10月23日
こんなに切羽詰まっているのに、女学院でアルバイト。
朝から腹をくだした。
昨日の夜からお腹が痛かったのだが、朝になってひどい目にあった。
おとといも頭痛がしてきて、もうダメだというまで日文研で論文を書いていた。
19時半にようやく帰る。
この、提出直前の忙しい時期にかぎって、先生方がいなくなるのである。
もちろん全員ではないが。
文明プロジェクトの一環で、今週末から山折所長をはじめ、幾人かの先生方が、1週間アメリカに行く。
その中には、私の主査になるであろう先生もいるし、副指導教官もいる。
ええ!私の論文は?
帰ってくるのが11月2日。
提出日が11月6日。
そんな時期にいろいろ言い出されても困るだけである。
なので、焦って水曜日には、必要な先生に論文を見せなくてはならない。
だから、こんなに遅くまで頑張っているのだ。
おかげで肌はぼろぼろ。
眠りも浅い。
火曜日は帰ってくると、空腹感に襲われたので、「お、頭使っていると、お腹が空くのかな」と勝手に解釈し、簡単にパスタをゆでて食したのだが、10分と経たないうちに、嘔吐。
最悪である。
だから昨日の夜は胃に優しいものと思い、野菜中心のメニューにしたのだが、今度は下痢。
今朝からひどい咳だったので、はじめはまたもどすのかと思われたが、逆でした。
風邪かしら。風邪でもお腹にくることあるからね。
いやいや、こんな時期に風邪など引いている暇などないのだ。
とりあえず、昨日書き直した分を打ち出し、コピーをとって、先生方のメールボックスに入れておいた。ふう。
明日は井上先生との面談である。
一体どこまで目を通してくれているのでしょうねえ。
その間にやらなくてはならない資料作り。
今日は1日資料作りと、ビデオ・チェックだ。
今はバイトの昼休み中。
朝のことがあったので、せっかく作ってきたお弁当を食べないでおこうかしら?など考えていたが、身体のことを考えると食べた方がいい気がしたので、ちょっと無理して食べる。
午後から、また腹痛を起こさなければよいのだが。
午後が暇でありますように。
さ、資料作りに専念しよう(というかしたいなあ)。
10月20日
アルバイト中に内職するのが悪いのだが、全然進まない。
付属参考資料にこんなに時間がかかるなんて、考えてもいなかった。
井上先生の細かいチェックに、答えていくときりがない。
でも、せっかく指導してもらっているのだから期待に応えたいので必死である。
もう期限まで2週間半。
間に合うのだろうか?
ああ、頭が痛くて気が狂いそうである。
誰か助けて!
10月17日
今日は日文研の公開日である。
だから、見学者のツアーにぶつからないように早く行こうと思っていたのだけれど、定期がきれている。
昨日買う予定だったが、思わぬご馳走にありつき、帰ったころには定期売り場が閉まっていた。
朝は8時からである。
いつもは7時半に出るのだけれど、今日は時間を合わせるために、NHKのニュースを時報代わりにかけながら、お弁当を作っていた。
すると・・・
「大阪出身のパンク歌手で作家の」という言葉が聞こえ、TVをみると、なんと「町田康」様が、出演しているではないですか。
ビデオに撮る暇はなかったけれど、時間を遅らせる結果になって良かったと感激しながらTVにはりついていました。
朝から、幸せ。
それからからコピーをするための資料を山のようにもって、日文研へ。
肩や腰が抜けるかと思うほど重かった。
本当は火曜日に半分は持って行っておくはずだったのだが、家でダウンしていたので、今日全部持って行く羽目になったのである。
10時から公開だったのだが、ちょうど10時について鉢合わせしてしまいました。
並んでいる人々の間を「すみません、すみません」と言いながらくぐり抜けて、事務室へ。
博士論文提出用紙をもらいにいったのである。
担当の方に「頭数に入っているんだから、出してくださいよ」とプレッシャーをかけられる。
いや、出したいのはやまやまですが、井上先生次第ですよ。
ふっと見ると13時から14時まで、井上先生のセミナーがある。
聞きに行きたいのだが、そんな余裕があろうはずもない。
スチール写真選びを終わらせて、書き直し分を打ち出し、17時のアポイントまで、からコピーを黙々ととっていました。
案の定、井上先生は本論を1ページも読む暇がなかったようである。
それでも参考資料の方は、細かく丁寧に目を通してくださって、矛盾した点や、私がもう当たり前に思ってしまっていることが、ジャルゴンに陥っている点などを指摘され、1時間半にわたり懇切丁寧な指導をして頂きました。
細かいと言えば細かいんだけど、それでも「僕はまだまだ見落としていると思いますから、もうすこし丁寧に読んで、フットノートを、つけて下さい」と注意される。
はい、頑張ります。
次回のアポイントは来週の金曜日。
いよいよ提出に向けてスパートがかかってきたようだ。
早く資料を作り上げないとなあ。
10月16日
今日は女学院にてアルバイト。
先週末より、体調を崩していたために今回は書き直しがまだ終わっていない。
当然のことのように、内職道具をもって出勤。
明日、井上先生との面談だから、前回帰ってきた分だけでも書き直しを仕上げなくては。
ライブラリーの仕事は手慣れたものであるから、忙しい中でもわずかな時間を見つけて、こりこりと書き直しをする。
17時前になって、ようやく書き直しが終わった。
良かった。これで明日は打ち出して先生に再提出すればよい。
今回は短期集中型やったな。
職員さんが、「お時間に余裕があれば、新しい店が出来たので、夕食をいかがですか?」と誘ってくださる。
出来てなかったら、丁重にお断りするのだが、つい、今し方書き上げたので、思わず「いいですよ。今ちょうど明日までの分が終わりましたので」と快諾してしまった。
現金なやつである。
穴子が売りの店らしく、土鍋で炊いた穴子ご飯は美味しかった。
いろいろなメニューの名前を呼んで注文するが、中には想像と違っていたものも当然ある。
けれども、器にもこだわっていて、なかなか雰囲気の良いお店でした。
さ、お会計と思うと、なんと職員さんがおごってくださると言い出す。
いや、それは申し訳ないからと何度もお断りするのだが、がんとして聞いてくれないので、お言葉に甘えてごちそうになりました。
ありがたいことです。
感謝。
10月15日
夜中の三時に腹痛で目が覚めた。
お腹をこわしてしまったようである。
しばし起きていたが、ようやくおさまったのでようやく寝入る。
しかし、5時になるとまた目が覚める。
あまり眠れていないなあ。
しかし、ようやく雨もあがって、頭痛も治まった。
もう一度寝ようと努力し、相変わらずリアルな論文の夢にうなされながら、7時半まで寝ていた。
昨晩は頭痛と胃痛により、お風呂を断念していたので、朝風呂にはいる。
資料を持ちこんで、足湯からスタート。
結構朝は冷えていたせいか、今日もちっとも汗を掻かない。
20分経ってもじわっとしたぐらい。
しかし、時間ももったいないので、あきらめて半身浴に。
資料を読む、読む。
ようやく汗を掻き始めたので、肩までお湯につかる。
それでも資料を読み続ける。
これだけで30分以上は湯船にいることになる。
洗髪をして、また湯船につかり資料を読み、身体を洗って、また湯船にも取り資料を読む。
気がつくと1時間半も風呂にいることになる。
風呂好きなのか、よく分からない。
今日はだいぶん資料がたくさん読めたなあ。
バスローブを着て、発汗の続きと思うのだが、外に出ると汗はすーっと引いてしまった。
はあ、代謝の悪い身体だ。
ベルが鳴って、出ると「書留」という・・・恐怖のものが届いた。
そう、学費である。
これが最後とはいえ、痛い出費だ。
忘れないうちにと思い、髪の毛を乾かして、着替えて早速銀行に行き、お金をおろして支払う。貧窮。
今日で、定期もきれるというのに・・・
こういうときに限って、時計の電池が切れる。
またまた出費かよ。
おまけに今日はこれから映画に行くのだから、ただのあほである。
一度家に帰って、通帳をおいてから、映画に出かける。
レディース・デイなので1000円。
まずは難波まで出て、千日前の映画館で「荒神」を見る。
ストーリーといったものが大してなく、「殺陣」が中心に作られたような映画であった。
ちょっと眠かった。
それから梅田に出て、ナヴィオで「巌流島」を見る。
どちらかというと喜劇である。
でも、最後にはちゃんとしたチャンバラが組み込まれており、なかなか面白かった。
娯楽映画である。
二つに共通していたのが、主人公(「荒神」の場合は主演と言っていいのかな)が両方とも「宮本武蔵」であること。
「宮本武蔵」はブームなのだろうか??
剣豪といえば、みんな宮本武蔵を連想するのだろうか?
とりあえず、封切られる時代劇はちゃんとチェックしとかなくてはね。
これも、お仕事である。
夕方に帰ってきて、さっさと夕食を食べ、先にお風呂にはいる。
もちろん資料を持ちこんで。
またもや1時間半。
それから、パソコンに向かって論文の書き直し。
ようやく体調が戻ってきた気がする。
良かった。
10月14日
ずっと冷たい雨が降り続いている。
昨晩、戻してから気分が悪く、早めに薬を飲んで休むことにした。
といってもなかなか寝付けず、むかむかする胃を抱えながら、論文の書き直しをする。
眠気を感じたので、ベッドに入ったが、今朝もまた5時頃に目覚める。
胃痛は治まっていたが、代わりにとんでもない頭痛である。
あまりにいたくて頭を抱えて、ごろごろ転がる。
今日は日文研に行こうと思っていたのに、こんなに頭が痛くては動けない。
頭痛薬を飲んで、布団に潜り込み、暫く様子を見る。
眠れたらすっきりするかと思うのだが、頭が痛くて眠れない。
TVでニュースを見ながら、薬が早く効かないかなあなどと考えている。
私の頭痛の種はたくさんあるけれど、今日はきっと雨のせいだろう。
低気圧に弱いのだ。
いつもでかける時間になっても頭痛が治まらず、8時になっても、9時になってもダメ。
10時頃に少しましになってきたので、起きあがって準備をするが、めまいのように頭がくらくらしてへたり込む。
何か暖かいものでも飲んで、と思うのだが、しんどくて実行できない。
10時半が過ぎ11時になると、さすがに今から日文研に行くのが面倒くさくなる。
今から行けば13時になる。
バス代500円を払って、午後から行く価値があるかどうか?
家でも出来ることは山ほどある。
とうとう断念。
頭痛が治まらず、頭が働かない。
仕方ないので、スチール写真選びに今日も没頭。
家にある写真集は、あと2冊。
昼過ぎになって、何となくお腹が空いたような空かないような。
どうしよう。
昨日もどしたしなあ。
でも、何も食べないと頭に栄養が行かないからますます悪循環かもしれない。
薬も飲みたいし。
胃に優しいものと思って、おじやを作って食す。
身体もぽかぽかしてきた。
食後の薬に加えて、アスピリンを1錠多く服用する。
これで頭痛が治まるかしら。
しばし休憩をとってから、ようやくパソコンに向かう。
論文の書き直しである。
「?」マークを付けられている文章を読み返してみると、確かによく意味が通じない。
これはインタビューに基づいて書いている箇所なのだが、話し言葉をそのまま文章化してしまっているので、ちゃんとした文章になっていないのだ。
前後の脈絡も欠如しているものだから、よけい独りよがりの言葉となってしまっている。
実はこの章はインタビューを下に構成しているのだが、インタビューの引用が多すぎるので書き直しを命じられた。
しかし、インタビューならではの、その人の言葉遣いや雰囲気をなるべく壊したくなかったので、引用部分を無理矢理文章化して、書き直したところがある。
書き直しているときは必死だったので、ゆっくり読み返す暇もなく先生に原稿を渡してしまっていたのだが、指摘されると、確かに口語体と文語体が混じった不思議な文章があちらこちらに残っている。
「ちゃんと叙述文にしてくださいね」と叱られたのだが、こうやって見直すと本当に雑な文章である。
補足の言葉を足したり、インタビュー自体は参考資料としてつけるのだから、思い切って、私の言葉で解釈したように書き直したりしていると結構時間がかかる。
頭痛を抱えての仕事だから、よけいに時間がかかるのだ。
夕方に、ギブ・アップ。
昨晩、実家から「梅干し」をもらおうと思っていたのだが、嘔吐事件ですっかり忘れていたので、ちょっと外の空気を吸いに買い物に出かけたついでに、内職道具をもって、祖父母の家にいる母のところへ顔を出した。
「おでん炊いたから、ちょうど良かったわ。なおちゃん食べて行きなさい」と祖母の言葉。
ついでに夏に駄々をこねて買うてもらった着物の「帯」を、祖母が買ってくれるというありがたい言葉。
なんてタイミング良く顔を出したのであろう。
改めてお礼の言葉を述べる。
祖母の作るおでんは、私の好物だが、昨日の今日だから、さすがにたくさんは食べられない。でも美味しかった。
祖父母と母がぼけ防止麻雀をしている間、夕食をいただいた私は、早速パソコンを取り出して、午後の続きをする。
すると、激しい胃痛に襲われた。
生唾があがってきて、脂汗が出てくる。
うう、昨日からまだ回復していなかったのか。
なんか週末からずっと体調を崩している。
麻雀が終わったので、祖父母には悪いが母を促してさっさと実家に帰った。
胃痛はひどく、祖父母の家でまた戻したりしたくなかったから、あわてて移動したのだが、実家についても胃痛はするが吐けない。
大量の胃薬(粉末が2袋に錠剤が2錠だけなんだけど)を飲んでいる私は、これ以上他の胃薬を飲むのもなんだか気が引けて、暫くストーブの前でお腹を温めるようにして丸くなっていた。
少し落ち着いたので、「泊まっていけば?」という母の言葉を丁重に断り、頭痛と胃痛を抱えて家に帰った。
明日は映画を2本見に行く予定なので、午前中はゆっくりできる。
寝るしかないと思い、誘眠剤に頓服を合わせて服用。
最近早いときは30分、遅くても1時間で効いてくるのだが、今日に限ってまだ効いてこない。
もう2時間半が経とうとしている。
頭痛と胃痛を抱え、パソコンの前で茫然自失。
10月13日
神戸女学院大学は今日は通常通り授業がある。
なぜかと聞くと、ハッピー・マンデー制の導入により、月曜日の休みが増えたため、月曜日の授業日数が減り、田の曜日の科目に比して授業が進まないからだそうである。
そういえば、月曜日出勤の私も、給料が以前より減った気がするのはそのせいか?
授業があるので、私も当然ながら出勤。
だが、朝からこの大雨と雷。
今朝も5時頃に目覚めて、もう一度寝ようと思ったけれど眠れなかった。
お弁当を作って、アルバイトへ行く準備をする。
まだまだ時間があるので、大雨に気をとられながらも、昨日の続きでスチール写真選びをする。
一見無駄なようなスチール集や写真集、雑誌の別冊版など買い集めてきたが、それが役に立ちそうな日が来て嬉しい。
雷蔵の写真集だけでも6冊はもっている。
でも雷蔵ばかり載せるわけにはいかないので、他の時代劇スターの写真集を見る。
今朝見ていたのは「日活時代劇」というスチール集である。もちろん日活の歴史も載っている。
『日活40年史』という本に目を通していたので、書いてあることはだいたい同じである。
たぶんこの本から社史を転載したのではないだろうか。
それでもスティール写真が新たにたくさん掲載されているのはありがたい。
ちょうど出勤の時間になって、雨が小康状態になった。
良かった。
内職道具をもって出かける。
今日は雨だし、休日だし、学生も少ないだろうと思っていたのだが、午後になって、満席になってしまった。
みんなまじめに出講していたのね。
内職する方が悪いんだけれども、仕方がない。
時間に追われているのだから。
先生から返却された書き直し分をもって、仕事をやり始めたら、参考資料をもってきていないことに気がついた。
しまった、これではちゃんと書き直しが出来ない。
まあ、忙しくて、ほとんど進まないから、同じだったんだけれど。
電話が入る。
連休で叔父が来ているから、祖父母からの夕食のお誘いである。
うーん、断りたいが、10月の初めに顔を出してから、顔を出していないのだけれど、たったの10日間じゃないか。
しかし高齢の祖父母を邪険に出来ないのが私の欠点である。
まあ、そうはいってもおいしい中華料理をごちそうになり、文句は言えません。
といっても、体調が万全でない私にとっては命取り?
帰ってから、気分が悪くなり、またまたもどしてしまいました。
気持ちが悪いよー。うげー。
明日は日文研。朝から気を取り直してがんばって論文書こう。
10月12日
昨日は22時半に、いつもの誘眠剤に頓服をプラスして服用。
そのままベッドに潜り込む。
はっきりとは覚えていないが、しんどかったせいもあり、23時には寝入っていたのではないだろうか。
意識を失ったまま、朝5時まで睡眠。
5時に目が覚めてしまった。
ここのところ、何時に寝ても5時頃に必ず目覚める。
そのまま起きていることもあれば、またまた布団に潜り込むこともある。
さすがに今日は後者。
熱は下がったが、油断してはならないとTVのニュースを見ながら布団に潜り込む。
日曜日のせいなのか、6時にはニュースが終わってしまった。
TVを消して、もう一度目を閉じる。
暫くすると、夢を見ていた。
リアルな夢。もちろん論文の夢である。
寝ても覚めても考えているのかしら・・・
8時に起床。
昨日、熱があったのでお風呂に入らなかったから、お風呂にお湯をはる。
暖かいミルク・ティーを入れて、またまたTVでニュースを見ながらお風呂が出来るのを待つ。
新聞を取っていないためTVでニュースを見ないと、社会情勢がわからない。
見ても、暗いニュースばかりでめげるけどね。
新陳代謝が悪いので、カイロプラティックの先生に「足湯」をするように言われている。
服を着たまま、バスタブに腰掛けて、足(膝ぐらいまで)だけお湯につけるのだ。
「10分経つと汗だくになりますよ」と言われて始めたのだが、資料を読んでいても全然汗を掻かない。ようやく汗をかき出すにはいつも最低20分かかる。
それから、服を脱いで、半身浴を15分から20分。もちろんこの間も資料を読んでいる。
ようやく肩までお湯につかり、あとは普通通り入浴をする。
調子のいいときは、1時間ぐらいで終わるのだが、なかなか汗を掻かない日は1時間半も入っているときがある。
当然、出てきたときは立ちくらみ。
にもかかわらず、さっきまで掻いていた汗はさっと引いてしまい、身体が何時までもぽかぽかしているという効果が続かない。
本当に代謝の悪い身体である。
昼頃になると、心配した母から電話が入る。
「栄養つけるために、お昼ご飯食べられそうなら、一緒にどう?」というお誘い。
確かに、昨晩はほとんどものが食べられなかったし、今朝もミルク・ティー1杯だけである。
ちょっと外の空気を吸うのもいいかなと思って、了承。
熱も下がったし、ご飯もちゃんと食べられた。
最近、昼間に時代劇をよくやっているので、録画するためにダイエーで、生テープを購入する。
ああ、また家が狭くなる。
家に帰って、スチール写真選び。結構これっといったスチールがないものである。
いいな、と思っても見ていない映画であったりする。
出来れば見たことのある映画の写真を使いたい。
断片しか見たことないものでもいいんだけれど、話にしか聞いたことないスチールはちょっとね。
なるべくかっこいい写真を入れたいなあ。
夢中になっていろいろな写真集を見ている内にすっかり日が暮れていた。
まだ昼ご飯が消化しきれいていないせいか、おなかはすかないが、なんか食べないといけないよなあと思い、軽くうどんを食べる。
そこからはTVの前に釘付け。
20時からサンテレビで『天下の伊賀越え・暁の血戦』をみる。
見ている内に、前に一度見たことを思い出す。やはりサンテレビだった気がする。
東映の作品で市川右太衛門主演「荒木又右衛門」である。
ほぼオール・スターに近いメンバーだから、GW用にでも作られた作品ではないだろうか。
21時47分までそれを見て、一呼吸入れて、「武蔵」を見る。
相変わらず面白くない。
でもここまで着たから、意地でも見なくては。
さあ、お風呂に入って、寝なくては。
みんなは連休だけれど、私は明日はバイトなのだ。
10月11日
二日酔いではない。
ほっとして少し気を抜いてしまったために、身体さんが今だっとばかりに、訴えてきたのである。
朝からしんどくて、机に座っていられず、地べたにへたり込むと、今度は自然と身体を横たえてしまう。
寒気がする。
案の定、発熱。
あー、今日から『巌流島』と『荒神』が封切られるというのに。
水曜日にでも見に行くか。レディース・デイだし。
時代と平行したのか、とりあえずチャンバラ・ブームである。
ブームとは言い過ぎかもしれないが、とにかく私が論文を書き出してから、時代劇映画の製作が増えたのは確実である。
やはり見ないわけにはいかないので、どれも見に行っている。
『陰陽師』、『たそがれ清兵衛』、『壬生義士伝』、『さぶ』、『魔界転生』、『あずみ』、『陰陽師2』、『座頭市』。日本物ではないが『HERO』や『マトリックス・リローテッド』などなど。
今日は頭が働かないので、お約束(誰と?)した『座頭市』の感想でも書きましょうか。
ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞まで受賞したのであるから。
まずは見る前から。
私ははっきり言って、北野武の『座頭市』の製作発表を聞いて、「見たくない」と思った。
それは、あまりにも「勝新」のイメージが強かったこともあるが、私は武の映画が生理的にあわなかったことにも起因する。
確かに彼の才能は買っている。
けれども、「HANA-BI」がどうしてグラン・プリを獲得したのか、よくわからない。
私にしたらつまらない映画だったから。
もちろん他の映画も見ているのだが、生理的に身体が拒否反応を起こすのである。
その一因はたぶん過剰な暴力性にあるだろう。
もちろんチャンバラ映画というのは、一種の暴力映画である。
だって、そこでは人々が殺し合いをする「殺陣」に「醍醐味」がおかれているのだから。
だから、その矛盾をどう自分の中で同居させているかと言えば、「殺陣」においては、身体運用の「美」なるものが付随的についてくるからなのではないかと思っている。
もちろんこれは、個人的な意見にすぎないのだが。
さて、北野武『座頭市』である。
私はこの映画を見て、一種のノスタルジックに襲われた。
これほど時代劇映画、黄金時代を誇った戦後のチャンバラ映画の定石を踏んだ映画はないと思ったからである。
そこには「東映時代劇」と「黒澤時代劇」へのオマージュを感じ取ってしまった。
本当にオーソドックスな、懐かしい時代劇である。
これは勝新『座頭市』のリメイクでも何でもない。
べつに「座頭市」という名にしなくても良かったのではないかと思われた。
黒沢へのオマージュはどこに感じだのか。
それは「殺陣」においてである。
後に三隅研次監督が『子連れ狼』シリーズで一挙に推し進めたスプラッター的な「殺陣」である。
すなわち、腕が飛び、血飛沫が上がり、「もの」のように、人々が殺されていく。
そこにもってきて、回想シーンに出てくる、土砂降りの雨の中での「立ち廻り」のシーン。それは明らかに黒沢へのオマージュである。
では、どこが「東映時代劇」であったのであろうか。
それは「座頭市」が人間味のしない「スーパーマン」的ヒーローであったことが一番大きい。
勝新「座頭市」はスクリーンから汗くさい体臭が漂ってくるような汚いなりをした放浪する旅の按摩であった。彼は自分の身に危険を感じると必然的に避けるようにして人を斬っていた。そして、いつも裏街道を、山の中を逃れるように、隠れるようにして歩いていた。
北野「座頭市」はどうであったか。
彼の身なりはこぎれいで、あれだけ人を斬り殺したところで返り血を浴び、どろどろに汚れることがない。
また、彼は町のため、弱者のために正義の剣を振るうヒーローでもあった。
それは、東映時代劇のヒーローと何ら変わることがない。
もう一点は、同時代的な唄や踊りがコミカルに取り入れられているところである。
タップダンスが奇抜なように取り扱われていたが、黄金時代の東映時代劇を見たらよくわかる。特に、ラストの大立ち廻りが終わり、世の中が平和に戻ると、祭りのシーンが映され、人々が踊り、歌うシーンは幾度となく撮られてきた光景なのである。
そして、それをあとにして、街道筋の真ん中を颯爽と旅立っていく北野「座頭市」の姿は、股旅映画のヒーローが、一悶着起こして収まったあとの宿場町を、颯爽とあとにして旅に出かける姿とオーバーラップする。(最後にこけるシーンは武ならではのギャグのセンスであろうが。)
こういった徹底したエンターテイメントこそ、チャンバラ映画が「娯楽映画」として大衆に支えられてきた要因だったのではないだろうか。
着物に刀、女形など外国人に受けそうな素材でもある。
私は懐かしさとともに、娯楽映画の重要性を感じながら、楽しんでこの映画を見た。
そして、しつこく思う。題名は『座頭市』でなくてもよかったのではないか?と。
ということで、感想でした。
今日は休養のために、寝ます。
お休みなさい。
10月10日
念願の井上先生との面談日である。
前回手渡したのが9月12日なので、一ヶ月ぶりに先生のご尊顔を拝する。
しかし前回手渡したのは、第5章と付属参考資料だけであった。
そのあと約束を二回もすっぽかされ?というと先生に失礼だが、2回もキャンセル、変更され、ようやく今日ご指導頂くことが出来たのである。
が、蓋を開けてみるとあらびっくり。
先生はあまりの多忙さの故に、第五章も全部目を通して頂けなかったのである。
次回何時あえるかわからなかったので、私は今日のために、五章と資料を除いて、全文書き直しを必死にしてきたのである。
週に1回は嘔吐に襲われ、今週の火曜日はとうとうめまいと吐き気で、パソコンの文字も読書の文字も見ていられなくなり、家に帰ると倒れてしまった。
天井がぐるぐる回って気持ちが悪く、食事ものどを通らず、完全にダウン。
おまけに、右親指の外側が、しびれたような麻痺したような変な感じになってしまい、もうすでに1週間経とうとするが、いっこうに治る気配がない。
まあ、関節は曲げられるし、麻痺して動かないというわけではないので、仕事に支障がないからいいのだけれど、気色が悪いのである。
肩こり、腰痛、頭痛は当たり前。
「ヘム鉄」というサプリメントを補給しているので、何とか貧血だけはおこさずに、立ちくらみ程度で治まっている。
先週は主治医のところに行き、「完全に自律神経がやられてますね」と言われ、「薬を飲んで、あとは論文のことだけを考えておきなさい」とアドヴァイスをいただく。
そこまで必死に追い込まれてやっているのは、草稿が終わってから、毎日地道にやってこなかった私が悪いのだが、バイトや資料集めなどでなかなか本論に手が着かなかったのである。
ああ、自分で言い訳しても仕方がない。
そこで面談である。
全部見られなかったことに対しては非常に申し訳なさそうにしていはったので、指導して頂かないといけない未熟者の私が悪いのかしら、などと思いながらも、とりあえず、出来たところまでの指導を受ける。
「だいぶん、日本語が上手になりましたね」と言われて、少し嬉しかった。
指導が終わると、先生はもう本論は出せるものと思って頂いているのか、具体的な審査の話になった。
それによって、事前に審査に関わる先生方に本稿を見せておかなくてはならないし、事務手続き上、副指導教官の先生のサインももらわなくてはならない。
外部の先生に関しては、一応希望は述べておいたが、どうなるかはわからない。
それで、次回は?という話になったとき、先生のこの多忙さはすべて「阪神タイガース」によるものなので、ついつい迫るように「先生、日本シリーズが18日に始まると、またいっそうお忙しくなるのではないのですか?」と言ってしまった。
ということで、次回は17日金曜日。
しかし、1ヶ月で1章分も目を通す暇の無かった先生が、1週間で全文チェックを入れるのは無理だろうなあ。
まあ、それでも1週間の猶予が私には出来た。
もちろん今回返された分の手直しが残っているが、それよりも、一番時間をとられるスチール写真の選定をこの週にやってしまっておかなければ。
いかにも立ち廻りらしいスチールを見つけ、無ければビデオ・プリンターで取り込んで、カラーコピーをとり、キャプションをつける。
これが結構手間がかかるのだ。
まあ、それでも先生との次回のアポイントも取れたし、だんだん本稿作成のめどがついてきたので、あとは誤字、脱字に気をつけて、見直しをしていけばいい。
とりあえず、今日はもうお休み。
といっても眠るのではない。
このままこの足で神戸の友人と待ち合わせをして、憂さ晴らしに飲みに出かけた。
ふー。息抜き、息抜き。
こういうときに、嫌な顔ひとつせず、気軽に付き合ってくれる友に心から感謝。
さ、明日からがんばるぞー。
9月22日
28日に内輪の会が、先生宅の舞台で行われるために、今日が最後のお稽古日。
私の予定では、9月と10月とお稽古を休んで、論文に費やそうという魂胆だった。
なのに、9月末に会をやるというので、お稽古が休めなくなってしまったのである。
優雅に舞を舞い、謡を謡っている場合ではないはずなのだが・・・
阪神といい、パソコンといい、謡曲といい、なぜこの忙しい時期に重なるのであろう。
しかも今年に限って・・・
普段から着々とやっていない自分が悪いのだから、文句は言えないが、できないのであるから仕方がない。
論文の見直しのため、このところ毎日ビデオ・チェックをしていて目が疲れる。
情けないことに、以前チェックしたときと今回見直すと、違っているのだから、たちが悪い。
やはり何回もチェックしないと、心許ないのだろうか。
しかも、昨日は、師匠がお能を舞われるので、ついつい見に行ってしまった。
本当に懲りないやつである。
しかも困ったことに、最近週末になると、微熱を出している。
はあ、小川に明日はあるのか!?
9月15日
阪神タイガース優勝!
先週末はパソコンが壊れて大騒ぎで論文どころではなかった。
今週末は、阪神の優勝が気になって、ついつい論文を書きながらも、気がつけばTVをみてしまっている自分がいる。
これまた、なかなか優勝してくれないから困る。
今日なんてデイゲームの上、結果はナイターが終わるまでわからないというのだから、気になって気になって、1日がつぶれてしまった。
あー、論文を仕上げなくてはならないというこの時期に、何でこんな目に。
いや、強い意志を持って、阪神のことなんて放念すればよいものなのだが、18年ぶりとあっては、やはり気になって仕方がない。
もう一つ気になることは、指導教官である。
本まで出してはるのだから、引っ張りだこである。
先日、書き直しを命じられた章と、それに付随する参考資料を書き直して、手渡してあるが、阪神のおかげで先生は忙しくて、次回のアポイントはなんと10月3日。
それまでに全文書き直しをしなくては、その後あえるのは、もしかして日本シリーズの後になるかもしれない。
今日だって、サンテレビにゲストで出演してはったしなあ。
締め切りは11月6日である。
大丈夫なんだろうか。
とりあえず、優勝が決まったので、これで論文に集中できそうである。
あー、疲れた。
星野監督じゃないけれど、ファンだってしんどかったよ。
9月9日
今日は博士論文公開審査である。
今日の彼女は優秀であるから、きっと余裕であろうと思っていた。
審査を見に行ったが、どの先生もほめていたし、質疑応答もしっかりしていたので、結果は見えていた。
和やかに審査が終わり、予想通り彼女はパスした。
おめでとう。
あー、私も早く楽な身になりたい!!
でも、まだまだ書き直しが追いついていないので、悲惨である。
とりあえず、仕事が復帰できたことに感謝しなくては。
公開審査は午後からだったので、午前中は2台のノートパソコンを家から死ぬ思いで持ってきた。
あまりの重さに途中で遭難するかと思った。
壊れた方は、修理に出すことで話がついた。
新しい方は、週末全部つぶしてもつながらないネットを情報化の人に頼んで設定してもらった。
設定自体は間違っていなかったらしいが、なぜか私がやると失敗する。
ちっともつながらないのに、情報化の人にしてもらうとユーザー登録からすべて設定が完了し、メールも読めるようになった。
ありがたや、ありがたや。
はあ、私も彼女にあやかって、論文審査にこぎつけて、学位をゲットしたいものである。
9月8日
うぎゃあ、ぎゃおーん。
うえーん、えんえんえん。
金曜日の夜、パソコンがぶっ壊れた。
ハードディスクには落としてあったが、まだFDには落としていない時点の出来事であった。
それまでにした私の仕事は?
書き直しは?
液晶が真っ暗になって、何も写らなくなってしまったのである。
しかし、ハードディスクは生きているようである。
何度立ち上げ直しても、液晶は真っ暗。
ようやく、論文体制に入りかけていたのに、この不運は?
これじゃ、書き直しが間に合わない。
その夜は何度も何度もトライして、結局なしのつぶてで終わってしまった。
こういうときに限って、FDにバック・アップをとっていなかったのである。
次の朝、富士通に電話をして状況を説明すると、修理に1週間から10日は最低かかるという。
そんなに待っていられる時間があるはずない。
泣く泣くヨドバシカメラに電話をして、修理コーナーがあるかどうかを確かめ、状況を説明する。
持って行って別のモニターにつないで、写ったらデータをFDに移し替えることができる。
後は、新しいパソコンを購入するしかない。
まあ、このノートパソコンも今期で日文研に返却しなくてはならないから、いつかは新しいのは必要になるから仕方ないか。
大騒動してヨドバシカメラでデータを移し替え、無事FDに落とすことができた。
とりあえず、書き直していた分は何とか助かった。
良かった。
しかし、それからほかのデータがなかなか取り出せない。
私は機械音痴だから、店の人に任せるしかないのだが、その人がこれまたなかなかできないのである。
結局2時間も待って、まだできないので、ついにきれてしまい、「ちょっとほかの買い物をしてきますから、また後で来ます」といって、待ちくたびれて投げ出してしまった。
午前中からいっていたので、とりあえずまずお昼ご飯を食す。
その後、新しいノートパソコンを購入。
修理コーナーに戻ってみると、ようやくデータが取り出せたとのこと。
後は自分で新しいパソコンに落とさなくてはならない。
家に帰るともう夕方。
1日がつぶれてしまった。
早速自分でデータを落として、今度はネット接続をしようとしたがうまくいかない。
日曜日も使って、今週末は論文のことは何もできずに終わってしまった。
何でこんな目に?
めげない私は甲野先生の「人生の税金」の話を思い出し、「そうだ、これで私は博士論文は通る」と確信することにしたのである。
懲りないやつである。
9月3日
昨日からの腹痛がとれないのか、夜中に何度も目が覚める。
そのせいか、朝から起きあがれない。
今日は家で仕事しようかなとも思ったのだが、あまりの暑さに、日文研の方が涼しいと思って、少し遅れて日文研に通う。
データーベースのバイトは休ませていただいているのだが、取り至急して欲しい仕事があるとのメールの指示が入っており、1時間だけ仕事に入り、完成させる。
院生室に戻り、書き直しを始めるが、絶好調にはなれない。
何度も打ち出したものを見直して、また新たなミスを発見。
調べ直しも出てくる。
赤でチェックを入れながら、パソコンに向かう。
でもまだまだ波に乗れないよ。
やる気様、降りてきて下さい。
結局5ページしか書き直しが出来なかった。
はあ。
9月2日
いつもの電車で日文研に通う。
今日も暑い。
そのせいか異常なほどの冷房の効き方である。
本を持ってきていたのだが、あまりの寒さにカバンの中に手を入れてがたがた震えていた。
手を出して本を持つ余裕がないのだ。
これで風邪を引いたらどうしてくれるんだ!
桂駅に着く頃には、冷えてしまって腹痛を起こしてしまった。
それでもふらふらになりながら、バスに乗り日文研に到着。
熱いコーヒーを入れて、体を温める。
調べものの残りを全部すませて、パソコンに打ち込み、プリント・アウトをする。
よし、これをチェックして、5章への準備は完了だ。
来週までに書き上げる予定なので、間に合いそうな気がしてきた。
良かった。
今日から、データーベースのアルバイトは休ませてもらっている。
おかげで時間が有効に使えて、だんだん体制が整いつつある気になってきた。
大体こんな所でこけている場合ではないのだ。
これまでの努力を水の泡にはしたくない。
さあ、気合いを入れて頑張るぞー!
9月1日
幸い夏風邪ではなかった。
頓服も服用して、何と10時間も眠っていた。
と言ってもその間に10回ぐらいは起きているのだが・・・
このまま不眠症が治ってくれればいいのに。
でも、薬のおかげで眠っているのだから、自力じゃないんだなあ。
幸い熱も下がっていたので、アルバイトに行く準備をする。
今日から9月。
DVDを観るのを辞めて、仕事をするかっと思っていたのだが、まだ折角の夏休み中。
どうせ働いている時間なのだから、まあ、いいか、っと結局DVDをみる。
それでも午前中は調べものに専念していた。
半分は終わったかな。
午後は前から見たかった韓国映画、『猟奇的な彼女』を観る。
面白かった。
まだ時間があったので、『焼け石に水』を見始めたが、30分でアウト。
また続きは今度観よう。
家に帰ってから、お風呂に入って、汗を流す。
その後、カイロプラティックに行く。
相変わらずいたい。
本当に良くなっているんだろうか?
終わってから、「最近どうしているの?」と言われていたので、祖父母の家に顔を出す。
近くに住んでいるものだから、少し顔を出さないとすぐに心配されてしまう。
まあ、これも孝行のうち。
長居はせず、早めに帰って、インタビューの構成を終わらせた。
後は半分残っている調べものをして、補足に付け足すだけである。
それを明日日文研で打ち出して、以前草稿に出したものと合わせて、フットノートを今度を付けて行かなくてはならない。
その読み直しを中心にして5章の書き直しだ。
少し先が見えてきたかな。
8月31日
朝からあまりの暑さで目覚める。
何でこんなに暑いんだろう。
ベッドに転がりながら資料を読んでいたが、暑さのせいか集中できない。
気分転換に朝風呂にはいる。
だけどまたまた逆効果。
ふらふらになってお風呂から出て、倒れていました。
お昼になるが全然食欲がわかない。
まあ、いいか。
とりあえず、水分補給と薬の服用だけをする。
パソコンの前に座るがちっとも進まない。
おかしいなあ。
昨日まで調子よかったのに。
頭痛がしてきて、何をしても集中できない。
こう言うときはビデオを見るに限る。
まだ観ていない時代劇映画を観る。
その間も暑くて暑くて仕方がない。
夕方はエヴィアンと引き替えに、昨日の残り物を実家に持っていくことになっていた。
だけど食欲はなく、身体は火照って暑さが増すばかり。
持ってきたパソコンで仕事をしながら、少しばかり夕食を口にするが、食べたくない。
珍しくアルコールも飲みたくない。
エヴィアンばかり飲んでいた。
頭痛がとれないので、もしかしてとおそるおそる体温を測ると、やはり発熱。
寒気がするほど高熱ではないのだが、熱があるから身体が熱かったのである。
頭が回るわけないわ。
慌てて家に帰り、薬を服用して、そうそうに床につくことにした。
明日はアルバイトだから、良く休まなくては。
8月30日
午前中はお稽古。
この忙しい時期に、内輪の「歌仙会」があるために稽古がさぼれない。
昼には家に戻って昼食を取る。
またパソコンに向かって訂正を続ける。
調べないと行けない自校が結構出てきたので、赤でチェックを入れていく。
途中眠気に襲われたので、主治医の言葉に従って一寝入り。
30分ほど眠っていた。
そんなことをしていると、あっという間に夕方。
夕食の買い物に出かける。
大体の食事の準備をしていたら、予定よりも30分ほど遅れると連絡が入る。
だったら、もう少し論文をやろうと、パソコンに向かう。
すぐ後に楽しい食事が控えているかと思うと、それが励みになって結構集中してまとめていくことが出来た。
フットノートの付け方が今ひとつ不安だが、早く書き上げて井上先生に相談をしなければ。
駅に着いたと連絡が来たので、保存しながら迎えに行く。
ちょっと待ってもらって、慌ててパソコンや資料を片付ける。
今日はイタリアン。
白ワインをきんきんに冷やして乾杯。
美味しい。
外食もいいけれど、家で食べると気持が楽なので、これもまた楽しい。
相手もすっかりリラックスしてしまって、途中うたた寝をしていた。
その間、次の料理に取りかかり、本を読んだりしていた。
まったりとした時間が心地よく過ぎていく。
ありがとう、大分と元気になったよ。
終電で帰るのを見送って、家路について、後片づけ。
今日は気持ちよく眠れそうだ。
8月29日
朝、わりと早く目が覚めたが、慎重を期してしばらくはじっとしている。
倒れそうにないなあ、と思った時点でゆっくり起きあがる。
朝風呂に入ろうとして、準備をしながら、資料を読みあさる。
だけど、お風呂で読むとまたまた立ちくらみ。
これではまずい。
暫く動けなくなるからだ。
それでも昨日リラックスしたおかげか、インタビューのチェックをし終えることが出来た。
後は、要らない部分を削って、体裁を整え、フット・ノートを付けるだけである。
午後は遅めに主治医の所に行く。
腓返りの原因はカルシウム不足と判定。
ついでに鉄分は栄養補助食品の「ヘム鉄」をとるように指示される。
そして、手っ取り早く「鉄骨飲料」を毎日飲むこと。
これって、まだ販売しているのかなあ。
波に乗れないのと、体の軽い浮腫は、甲状腺ホルモンの機能低下が原因ではないかと言われる。
とりあえず、まとめてぐっすり眠れなくてもいい。
眠くなったら、倒れたらそのまま寝ていて、起きたら論文に向かう。
食事も食べられるものでいいから、簡単にすませて、今は余計なことを考えずに論文に集中するように、ゆっくり体制を整えて行きなさいと言われる。
楽しいことがあったら、気分転換に取り入れるのはよし、とのこと。
とにかく自分が楽な状態で、少しづつ前進していけば大丈夫と言われた。
本当のところはどうか分からないが、それでもその言葉に励まされた。
すっかり勇気づけられて、ぐずぐずして読み切れなかった本を一気に読み終えることが出来た。
チェックしたインタビューを今度はパソコンで訂正していく。
するとメールがやってきた。
昨日の友人からである。
まだ心配していてくれていたのだろうか、明日の夜、家に夕飯を食べに行くからという連絡。
一人で偏食するよりは二人でちゃんとしたものを食べた方がいい。
快諾して、返事を返す。
なんか今日も気分良く1日が終えることが出来た。
少しずつ動きだしてきた気がする。
ビデオを見てから、お風呂に入り、薬を服用して睡眠準備。
安眠したいな。
8月28日
相変わらず残暑が厳しい。
暑さのためか、調子が今ひとつである。
毎日のように腓返りを起こしている日々が続く。
鉄分も足りず、立ちくらみもひどい。
一時は朝ビデオ、電車で本読み、お風呂でコピー読みという有意義な時間を送っていたのだが、3日で終わってしまった。
まず、また朝倒れてしまうのだ。
また、立ちくらみが激しく、長風呂が出来なくなってしまった。
電車の中はクーラーがききすぎて、あまりの寒さに小さく丸くうずくまり、とてもじゃないけれど本を読む余裕すらなく、雪山で遭難する人のようにがたがた震えていた。
ここ一週間は最悪であった。
とりあえず、明日は主治医の所にいけるので、それまで我慢するしかない。
心配をした友人が夕食に誘ってくれる。
そういえば、食生活もむちゃくちゃになっている。
たまにはちゃんとしたものを食べよう。
別に論文のことを話すわけでもないけれど、ただただ一緒にいてくれるだけでホッとする友人がいる。
おかげで今日は穏やかに帰ることが出来た。
このまま、薬を服用して、穏やかな睡眠につきたい。
8月19日
6時に目覚ましをかけたが、5時に目覚めた。
また倒れるといけないから、顔を洗ったり、薬を飲んだり、用意をしたりてきぱきと動いてみる。
お、今のところ倒れない。
6時には家を出られる状態だったが、家ですることもあるだろうと思い、いつも出る7時半まで、時代劇映画のビデオを見ていました。
倒れることなく有意義な時間。
これはなかなか快調。
よしこれからは、朝はビデオ。
お風呂ではコピー。
電車の中では本を読むことにしよう。
なんか有意義に時間が使えそうな気がしてきた。
9時半から17時までアルバイト。
昼食が重かったのか、また午後はぶつぶつ言いながら仕事を続ける。
夕方に家に帰って、お風呂に入ろうとする。
が、阪神戦を見てしまったために、気分悪く、しかもぬるくなってしまった。
これは半身浴だなあ。
コピーを持って1時間近くゆっくりと入る。
私のとても大切な人が窮地に立たされている。
メールでやりとりをしているのだが、私にはどうしてあげることもできない。
自分のことでも手一杯なのに、人を手助けするなんて出来るのだろうか?
何としてでも助けてあげたい。
偽善者と言われても構わない。
でも、お手上げ。
それも気にかかって、集中力が落ちているかも知れない。
迷路の中に落ちた気分。
8月18日
4時半に足がつって目が覚める。
なんか腹痛もするので、布団とトイレを往復しながら、眠れずにいる。
今日まで女学院は休みなので、日文研に行くことにしていた。
だけど、だけど、また起きあがれない症候群に陥る。
今日こけたら、ずるずると駄目になりそうだったので、いつもよりも遅れて日文研にふらふらになりながらたどり着く。
細かいエクセルの升目に入力していくと、目がおかしくなってくる。
でも、いった時間が遅かったので、仕事はすぐ終わった。
家に帰り、読みかけの本を読んで、お風呂にはいる。
今日はカイロプラティックである。
いつものようにボロボロの調子を訴えると、「主治医がなんて言うか聞いてみて下さい」と言われる。
でも今月末まで診察ないんだけれどな。
眠っているのか、気を失っているのか分からない状況を話すと、「脳に糖質と酸素が足りていないのでしょう。足りなくなると脳はシャットダウンしますから」
「食べてますよ。炭水化物でしょ。プロテインでしょ」
「圧倒的な量が足りないんですよ。少し摂取したところで焼け石に水ですよ」
「腓返りが起きるんですけれど」
「リンパの毒素が溜まって起きるんですね。流れが悪いんですよ」
相変わらずボロボロに言われて、痛い治療をされて終わる。
はあ、気がつけば12時。
薬を飲んでお休みなさい。
8月17日
だめだ。
昨日と同じ繰り返し。
5時過ぎには起きるのだが、そこから1時間おきぐらいに、意識を失っている。
いや、本当は単に眠っているだけなのかも知れない。
でも、あくびや眠気を感じさせる予兆が全くないのだ。
ハッと気付けば、コピーを片手に倒れている。
栄養失調?
酸欠?
不眠症が治ったのか?
でも仕事にならないから困る。
もうひとつ困るのが、ここ2週間ほど、毎日腓返りを起こしている。
あまりの痛さに飛び起きることが毎日。
毎日足がつるので、ふくらはぎがぱんぱんにはっている。
エヴィアンが切れたので、車で買いに行きたいと実家に連絡すると、昼食を付き合わされた。
とにかく栄養が足りないのかも知れない、夏バテかも知れないので素直に付き合う。
体にいいからと「黒酢」を買わされる。
まずいんだよねえ、これ。
でも論文のために飲むか。
少し食料を買うてもろうて、家に帰る。
またコピーを読む。
節電していて、窓際のベッドでいつもコピーを読んでいるのだが、最近日が暮れるのが早くなってきたので、断念する時間が早まった。
薬局に行くのを忘れていたので、散歩がてら外を歩く。
ちょっとの距離しか歩いてないのに、帰ってきたらどっと疲れてしまった。
頭がクラクラして星が散る。
たちくらみだな。
もうお盆も終わり。
お風呂に入ってリフレッシュ。
明日から、気合いを入れて頑張るぞー。
8月16日
久しぶりに何もない週末である。
今日も朝早くから目が覚めるのだが、コピーを手にすると、幾つか読んではまた気を失って倒れているのである。
貧血かなあ。
睡魔に襲われた感覚がどこにもないんだな。
本当にハッと気付けば、ベッドに腰掛けて読んでいたのに、倒れているんだなあ。
頭に酸素が行ってないのかなあ。
ヘモグロビンが少ないって言われたし。
でも仕事にならないから困るんだよなあ。
昨日の食事もまだ胃にもたれているので、今日も昼御飯が食べられない。
15時頃になって、漸く御飯1膳食べる。
炭水化物は脳の活性にいいはずだから。
折角1日フリーなのに、有効に時間が使えないなんて、すごいショック。
目覚めをすっきりさせるために、お風呂にはいる。
湯船に使っている間も、時間がもったいないから、コピーを読む。
半身浴気分でコピーを読んでいると、今度は湯当たり。
またまたベッドに横たわって、クラクラする頭を横たえる。
良いアイデアだと思ったのになあ。
これも失敗か。
今日は半日しか使えず、すごく後悔してしまいました。
これで論文書けるのか?
8月15日
日文研に行く予定だったが、朝方に漸く眠りについたので、起きあがれない。
体調もずっといまいちだったし、あまりのしんどさに日文研は断念。
午前中は倒れていました。
本当に起きあがるのだが、またぱたっと倒れてしまう。
動けない。
コピーを読んでいるのだが、気がつけば倒れているのである。
気絶しているのか、眠っているのか、よく分からない。
うとうとっとした感覚がどこにもないのである。
ハッと気がつけば倒れているのである。
困ったなあ。
そういえば、昨日電話をもらっていたのだが、親戚と集まっていたためにコール・バックできなかった人がいた。
気になって今日かけてみると、「美味しいワインが手に入ったので、ご一緒にいかがですか?」
朝から薬しか飲んでないしなあ。
食事付きと言われてご招待に甘んじた。
なんかとても贅沢な時間を送りました。
しかし、体調悪いくせに美味しいワインに弱い私。
だから治らないんだよ。
ちょっと反省しました。
かなり反省しました。
大ぼけものです。ぐうー。
8月14日
今朝も早くから目が覚める。
お盆なので土曜ダイヤ。
いつものように7時半に家を出ると、電車の乗り継ぎがよく、いつもより1本はやいバスに乗れて、9時には出勤。
今日もばりばり働きますよ。
昼間は久しぶりに逢う先輩方とレストランでランチ。
だけれど、これがまた私の胃には会わなかった。
博士論文のアドヴァイスを頂いて、有意義なランチだったのに。
仕事に戻ると、胃がむかついて胃がむかついて、とうとうトイレでもどしてしまいました。
何度も何度もトイレと往復して、気分が悪くなって、職員さんに心配をかけてしまいました。
なんでかなあ。
途中で帰ってもいいよと言われていたが、17時まで仕事をしました。
実は今日もお付き合いなのである。
この土砂降りの中、毎年のことだが親戚が集まってゴルフのコンペをする。
その後祖父母を囲んで食事会があるのである。
遅れてでもいいからいらっしゃいと言われていたので、顔を出さないわけには行かない。
帰ろうとすると、山田先生と一緒になり、駅まで送って下さるというのでラッキーと便乗させていただきました。
先生、ありがとうございました。
駅からタクシーで店に向かう。
昼間もどしているから、食欲はゼロ。
ワインを呑みながら、たくさん食べている振りをして調整。
だけれども、やはり胃にもたれてしまいました。
胃薬を飲んで、っていつも飲んでいるんだけれど、そうそうに床につく。
腹痛を起こして、夜中何度も目が覚めて、全然眠れない。
辛い。
8月13日
結局、朝6時に目覚める。
昨日の友人にお詫びのメールを入れる。
平謝りである。
おまけに二日酔い。
今日は夕方から出かけるので、日文研はお休み。
それが助かった。
「たまには酔っ払ってもかまわへんやん」と天使のような優しい返事が来て、ホッと安心。
いつでも遊んでくれるとも言って下さるので、携帯に手を合わせてしまいました。
優しい人がそばにいて、幸せ者です。
目が早く覚めたのを幸いに、コピーを読んでいると、脂汗が出て気分が悪くなり、トイレに駆け込み、もどしてしまった。
完全に二日酔いじゃん。
気持悪―いと、細かい活字で更に頭がクラクラしていたら、電話が鳴る。
母からだ。
「昨日しんどいって言ってたけれど、体調はどう?」
「もどしました」(事実だもん、理由が違うけれど)
「今日の予定は?」
「夕方から出かけます」
「お昼御飯食べられそう?」
「食べたくないなあ」
「食べないと体に毒よ」
と言って、結局強引に蕎麦屋に連れて行かれる。
父が「ビール飲むか?」ときくが、さすがにパス。
ざるそばをぼそぼそと食べました。
家に帰って、活字は読めないので、「武蔵」のビデオを見てました。
少しお昼寝もしました。
酔いを抜くためにお風呂にも入りました。
19時に三宮で待ち合わせ。一応復帰。
夕食?ほとんど食べられませんでした。
ごめんなさい。
その後、ポートピアアイランドに行きました。
メインは花火を見に行くんだけれど、遊園地好きの私は乗り物に乗りたい!!
しかし、友人は乗り物に極端に弱く、ジェットコースターと観覧車と二つしか乗れなかった。不満。
でも、小規模ながら花火は綺麗だった。
久しぶりのデートだから文句は言うまい。
さあ、お薬飲んで早く寝ましょう。
8月12日
朝早くから目が覚めて、じとーっと汗を掻いているので、シャワーを浴びてさっぱりする。
いつも通り7時半に出勤。
CMのデータベースの詳細項目を入力していく。
年度によって項目が変わってくるので、頭が混乱していく。
何度も見直しながらエクセルの細かい目に入力していくので、目がかゆい。
肩はこるし、目がしばしばするし、途中何度も伸びをしながら、「やだー」と呟く。
それでも頑張って、17時まで仕事を続ける。
両親が兄の店に行くので、帰りに寄るように言われていた。
行く気がなかったところへ、救いのメールが!
友達が緊急に会いたいと助けを求めてきたのだ。
両親には悪いが、こっちは急を要するので、優先。
母に連絡を取って、「調子が悪いから、今日は帰る」と見え透いた嘘をつき、断る。
いつか天罰が下るだろう。
友人はいろいろな問題が降りかかっていて、相当悩んでおり、とにかく一人でいたらおかしくなりそうなので、飲みに誘ってきたのだ。
ところが、大体の愚痴を聞いて、大分すっきりしてきて、馬鹿話をする頃になると、今度は私がおかしくなった。
「調子が悪い」と言ったのは決して嘘ではなかったのだ。
よく眠れていなかったこともあり、突然酔いが回ってしまった。
一人で帰れず、結局家まで送ってもらう羽目に。
記憶が飛んでいる。
先ほど夜中に目覚めたのだが、こけたらしく痣が増えている。
薬を飲み直して、また睡眠につこうとするが、今度はなかなか眠れない。
全く人騒がせなあほである。
8月11日
お稽古日。
女学院のバイトがお盆で休みなので、夕方に稽古に行くことにして、家で資料を読んでいく。
しかし、午前中は異常に体がだるくて、ごろごろ転がりながらコピーを読んでいた。
眠気を感じることはないのだが、しばしば気がつけば気を失っている。
倒れているのだ。
これって突然眠ってしまっているのかなあ。
薬が効き過ぎなのだろうか?
やる気が起こらないせいだろうか?
ヘモグロビンが足りないって言われているから、鉄の入ったプロテインをまた飲み始めたのだが、全然足りてないのかしら。
以前に比べたら食欲も出てきたし、体重も増えたのになあ。
栄養が足りてないとは思えないんだけれど・・・
3時頃になったのでお稽古場に通う。
夕方は空いているから4時頃に来なさいと言われてきたのに、超満員じゃないですか。
舞台でおさらいをする。
問題は舞よりも謡である。
歌仙会(内輪の稽古会)の番組がすでに出来上がっており、「天鼓」のシテがついているではないですか?
おまけに「安宅」の独吟?!
覚えられるわけないでしょう。
資料読みで精一杯なのに。
5時に稽古がすみ、祖父母の家に向かう。
寿司屋に行くという話だ。
お腹空いてないんだけれどなあ。
風が出てきて涼しかったので、祖父を誘って店まで歩かせる。
ずっと家に籠もってばかりで、最近歩く機会が激減したからだ。
途中止まりながらも、座り込むことなく、無事店に到着。
帰りは車で送ってもらえばいいからね。
とにかく少しでも歩いてもらわなくては。
適当に食べたけれど、なんかあまり美味しいと思わなかった。
贅沢かも知れないけれど、やはり気を遣っているからかなあ。
疲れちゃった。
8月10日
新しくお好み焼き屋が出来たので、お昼御飯を食べに行く。
チェーン店であるらしいが、まあまあいけるかな。
以前美味しいお店があったのでどうしても比べてしまうが、他の店よりは一番ましだった。
家に帰って、コピーをした資料を読んでいく。
「時代劇映画」に関しては、すごく役立つものがあると思うけれど、「殺陣」に限定するとどうしても関係がなくなる。
膨大な資料があるので、流し読みしながら、とりあえず「今」いるものを考えていくと結構面倒である。
甲状腺ホルモン機能低下によるのか、どうしても集中力が続かない。
気のせいかなあ。
別に何をしているわけでもなく、気温も高いわけでもないのに、何でこんなにだるいんだろう。
今から勝負なのに、乗り切れない自分がすごくもどかしい。
やる気様、降りてきて下さい。
エヴィアンが切れてしまったので、実家に残っている分を取りに行かなくてはと思った。
だけど、昼間のお好み焼きが胃にもたれて、食欲はゼロ。
夕食は食べたくないんですけれど。
荷物だけ取って帰ろうと思った。
実家につくとリヴィングの机の上が服の山。
アイロンがけが山のようにあるので、夕食は何も要らないので、アルバイトでアイロンがけをして小銭を稼ぐ。
アイロンがけをすると暑いかなっと思っていたのだが、全然汗を掻かない。
結構な量があったために、3時間もかかってしまった。
ついでなので実家の風呂を頂いて帰る。
CDプレーヤーを持ち込んで、音楽を聴きながら、リラックス気分で湯船にゆっくりつかる。
が、またまたのぼせてしまい、ふらふらの状態でお風呂から出る。
昔はもっと長湯だったのになあ。
最近は30分ぐらいでギブ・アップするときもある。
身体がついていってないのかなあ。
メール・チェックをしてお休みなさい。
8月9日
博論の関係で、お休みしている杖の稽古場に顔を出す。
私が預かっている品物を手渡すためだ。
より分けて、捨てるもの、私が預かるものと現役の子が今必要なものとをより分ける。
稽古をしている余裕がないので、それで早々に帰る。
昼はカイロプラティック。
「痣が増えていませんか?」
「ちょっと二段ベットの階段から落ちまして」
「もう傷を増やさずに来て下さいね」
どういう意味なんだろう。
そういわれてもなあ。
怪我するものは怪我するんだなあ。
家に帰り、コピーの整理を全部すませて、これから内容をチェックしていかなければならない。
すると友人から連絡が入り、逢いたいと言ってくる。
どうしようかなっと思ったのだが、前回断ってしまったので、今回は承諾する。
あまり時間がないようなので、2時間ほど逢って別れる。
家に戻るとしんどくて、しんどくて、結局しばらくの間倒れている。
気分転換にお風呂に入ろうと思い、濡れても構わないので、整理がすんだコピーを幾つか持って湯船につかり、半身浴気分で読んでいく。
しかし、体調が万全でないためか、湯当たりして、貧血を起こす。
もうだめだ。
だけど早くしていかないと時間がないからなあ。
どうして自分の思うように身体が動いてくれないのだろう。
そう思って倒れていると、夕方、また実家から電話。
夕食をきいてくる。
「昨日の残りのすき焼き食べるから」
「それ食べてあげるから、持って家に来なさい」
何で?
まあ、いいんだけれどもさあ。
今日も夜は潰れていく。
あまり食欲ないのに、なんだかんだと食べさせられて気持ちが悪い。
そうそうに家に帰る。
落ち着きたいなあ。
8月8日
今日はお盆前なので、主治医の所に行かなくてはならない。
昨日落ち着いていたので、今日は比較的荒れることもなく、和やかに先生と話をしている。
「お盆の予定は」
「一応日文研に通って、あとは論文をしようとしてと思っているのですが、結局は何も出来ずに転がっている最悪ケースになっているかも知れません」
「親戚は無視して、自分のペースでゆっくりしておき」
うーん。本当にゆっくりしていていいのかな?
論文はかなり追いつめられているんだけれどもな。
全然やる気が出ないんだなあ。
今日は台風直撃。
にもかかわらず、「すき焼き食わせてくれ」と友達が駆け込んでくる。
うちは駆け込み寺か?
でも一人で食べるより、二人で食べる方が楽しいからね。
でも残念ながら、私はすき焼きは得意料理ではないのよね。
それでも美味しいって言ってくれて食べてくれたので感謝。
優しいね。
救われた気分になったよ。
終電まで家で飲んでました。
付き合ってくれてありがとう。
こういう人に囲まれて、癒されている私は幸せ者。
心より感謝しております。
8月7日
女学院にてアルバイト。
「ピンポン」の途中を午前中に見てしまう。
面白い。
日本映画も捨てたもんじゃないね。
家に帰って、まだまだ終わらぬコピー整理に翻弄される。
結構厚めのファイルに7冊分あるからなあ。
3冊目が終わり、4冊目に突入したところで、またまたお電話。
へえへえ、何でっしゃろ?
はあ、焼き肉?
祖父母が焼き肉を食べに行くので、一緒にいらっしゃいというのである。
90にして焼き肉とは、元気ですなあ。
最近顔を出していないので、お供させていただきます。
でも、あんまりお腹空いてないんだけれどなあ。
8月6日
無事日文研に出勤。
東京に行っている間にバスの時刻表が変わって、本数が増えていた。
ラッキー。
さすがに夏休みとなって、人が少ない。
溜めているアルバイトに精を出す。
昨日、薬を飲まなかったせいか、何となく調子が悪い。
顔も身体も足も全部パンパンにむくれあがっている。
寝ることには寝たと思ったんだけれどなあ。
やはり薬を減らされても、勝手に辞めちゃあ駄目ってことか。
しかし2週間振りの日文研。
いない間にも確実に時間が過ぎていることを感じる。
それが焦りとなって跳ね返ってくるから怖い。
こんな話を聞いたことがないだろうか?
ストレスが溜まると足が臭くなるそうだ。
サンダルを履いて、浮腫んだ足を投げ出しながら、コンピューターに向かっていたのだが、私の鼻が異様にいいせいか、何となく自分の足が臭く感じられる。
ほとんど人がいない端末室で、一人異臭がほのかに感じられる。
私は自分が怖くなった。
アルバイトが終わると、打ち出しに必要なものだけをすませ、家に速攻で帰る。
薬局で足の浮腫を取るシートを購入し、家に帰ってまずお風呂に入る。
気が狂ったように、足を中心に体中を洗いまくる。
暑さの中の長風呂で、軽く貧血。
TVを見ながら倒れてしまった。
明日は女学院にてアルバイト。
それまでにしなくてはいけないことはたくさんあったのに、何も出来ずふらふら。
顔は汗を掻いて熱いはずなのに、全身は痺れるような感覚と共に、全身に鳥肌が立ち、ぞぞーっと寒気がする。
一体私の身体はどうなっているのだ。
正常に戻りたい。
8月5日
暑さのせいだと思うけれど、軽い発熱。
寝入ったのは、朝方。
起きて、日文研に行こうと思っていたのだけれど、身体が動かない。
東京に行って、帰ってすぐ、ゼミナールで身体がついていかなかった。
午後になっても動けず。
漸く夕方になってお風呂に入ると、2kgも増えている!!
たった2泊3日で。
どおりで体が重いわけだ。
ゼミナールの間は京北町という山の中にいたので、まだ涼しい方だったけれど、山を下りると猛暑でばててしまった。
洗濯をして、掃除をして、論文態勢に部屋も変えていく。
暑い、頭痛がする。
でもそんなことは言ってられない。
明日こそ、日文研に行かなくては。
今日は眠れるかなあ。
8月4日
2泊3日にわたる映像学会関西支部夏期ゼミナールが終わった。
今回は「溝口健二再考」と言うことで、溝口映画を10本観る。
『滝の白糸』『折り鶴お千』『浪華悲歌』をみて夕食。
『西鶴一代女』宴会。
2日目、朝食はよう食べられず、午前中『お遊さま』『雨月物語』
昼食後、『近松物語』『新・平家物語』風呂と夕食。
シンポジウム。宴会。
飲み過ぎて、二段ベッドの階段を踏み外して落ちる。
全身打撲。大間抜け。反省。
3日目、今日も朝食はよう食べられず、帰りの準備を全部して、鍵とシーツを返却。
『祇園の姉妹』『残菊物語』閉会。
ただ映画を観て御飯を食べているので、ブロイラー状態。
太った気がする。
今回はシンポジウムに参加して下さる日大の田島先生とお知り合いになれた。
私の研究に興味を持って下さって、いろいろとアドヴァイスなどを下さる。
有り難いことである。
帰りのバスは片道1時間半。
ものすごいカーブの山道なので、気分が悪くなってくる。
漸く山を下りて、大将軍についたときに、運の悪いことに、乗っていたバスが後続車に追突された。
事故証明などをとらないといけないので、バスをおろされた。
50m程先にあるバス停まで歩かされる。
だけれども、ラッキーなことに、バス賃はただになった。
1150円もあるので、儲かった気分。
市バス220円ですんだ。ラッキー。
それから西院で阪急に乗り換えて、そのまま御影のお稽古場まで、直行。
今から舞のお稽古である。
ふう、しんど。
夕食後、祖父母の家に顔を出していたのだが、あまりのしんどさに、耐えかねて、一足先に家に帰る。
10時半には、薬を飲んで就寝。
だけれども暑さからか全然眠られず、気がつけば2時半。
4時間も経って、頓服も飲んでいるのに、何故眠れぬ。
不眠症は治ってなかったのか?
8月1日
さあ、もう時間がない。
8月ですがな。
資料も宅急便で届いたし、ちゃんと整理して、論文を書かなくては。
夏バテしないようにしないと。
夏が勝負だなあ。
だけど、また何となく落ちてきているので、午前中は休み。
とろとろと明日からの泊まりの準備をする。
大体、出来たので、主治医の所に通う。
相変わらず混んでるなあ。
14時ジャストに行ったのに、診察が回ってきたのが16時。
2時間も待っていたのだ。
血液検査の結果が来ていた。
甲状腺ホルモンが少ないために機能が低下している。
「それは、どういうことですか」
「気分が落ち込みがちになり、鬱の状態になりやすい」
ヘモグロビンの量が少ない。
「血が薄いって事ですか?」
「そう、酸素を運ぶ能力が低下している」
「体の中に酸素を運ぶのが低下していたら、脳に酸素が行かなくて、頭の働きが悪くなるんじゃないですか?」
「身体全体にも影響が及びますね」
ええー、全然よくないじゃない。
「まあ、これであなたの落ち込みは、単に精神的なものから来るのでなく、内部疾患によるものでもあることが分かったわけですね」
それは、そうかも知れないけれど、なんかいつまでもよくならないんじゃないのかな。
なあんだかな、とまたまた落ち込みつつ、家に帰る。
カイロプラティックに通う。
「ふーん。相変わらずゆがんでますね」
「右足が変なのです。なんか歩いていると痛みが走って」
「曲がってますからね」
はあ、全然身体もよくないじゃないか。
いきなり8月に落ちてどうするねん。
長田神社である薪能に向かう。
丁度先生の能楽『小鍛冶』にまにあう。
さすが下川先生。かっこよかったです。
実家に待っている父がいるので、何故か私も実家に母に同行される。
しかし、頭痛がどんどんひどくなってきて、食欲もなく、大好きなワインでさえ、途中で飲めなくなってしまった。
とにかく気分が悪いので、申し訳ないが家に帰る。
家に帰って、明日の準備をすませ、薬を服用して、そうそうに床につく。
だけれど、全然眠られない。
暑いからかなあ。
7月31日
ひえー。もう7月も終わりじゃないですか。
何にもしていない気がするなあ。
あ、でも半分は東京にステイして、資料調査していたから、それであっという間だったのかも知れない。
学生さんたちがぼちぼちやってくる。
なんか昨日の疲れで、しんどいなあ。
暑さもしんどい原因かも知れない。
部屋は除湿で冷えて寒いし、温度調節が上手くできない。
昨日の御飯がたくさん残っていたので、別の友人が今日うちに食べに来る。
ビールなど酒類を買い込んで、連絡を待つ。
19時過ぎに来たので、迎えに行って、狭い我が家にご招待。
阪神戦を見ながら、喋って飲んでいたら、あっと言う間に23時半。
慌てて帰っていきました。
満足してくれたのかしら?
でも楽しい時間が送れて幸せでした。
今週末は映像学会関西支部の夏期ゼミナール。
京都の山奥に籠もって、映画三昧の日々が待っている。
明日は薪能。
7月30日
朝を起きて、準備をして実家に向かう。
留守電にドタキャンの連絡が入っていたのだ。
風邪を引いたのだから仕方ないよね。
じゃあ、4人か。
それにしてもメニュウは豊富だよ。
余ったら、明日に食べればいいか。
イカリに買い物に行き、それから実家に戻って、料理を始める。
たとえ、顔が見えなくても、確実に食べてくれる人がいるのは、作る上で至上の幸福。
久しぶりにがんがんつくりました。
皆さん、お気に召したでしょうか?
私は、いろいろ重なって、だんだん鬱に帰りそうです。
やばい。
今日は、いい酒のはず。
明日は女学院にてアルバイト。
きっと、ちゃんとよく眠れるさ。
7月29日
やはり予想通り今日はダウン。
5時に起きたのだが、起きあがれない。
日文研に行こうとするが時間が過ぎていく。
結局ダウン。
家でチャンバラ映画を観ていました。
先週の「武蔵」を見ていました。
さあ、コピーが届いたら、真面目に博士論文と取り組まなくては。
今日は束の間の休日。
さて、明日から、って言うのは嘘。
明日は皆様に奉仕して、実家でプチ宴会。
誰が来るのか分からない。
見えない顔が私の料理を要求する。
いいんだけどね。
久しぶりにラザニアを作るか。
7月28日
起きたんだけれど、起きあがれない。
そんなことを2〜3時間も繰り返していた。
とうとうダウン。
バイト先に電話して、午後から出勤しますと断りを入れる。
午後になんとか女学院に到着。
きいていなかったのだが、今日から9時から16時だそうである。
きいてないよ。
でも、遅刻したので何も言えません。
遅れてきたせいもあって、4時まであっと言う間。
でも眠かった。
家に帰ってからも眠さは継続し、倒れていました。
ただ、今週末にまた学会で出かけるので、洗濯をしなくてはならないので、実家に持っていき、洗濯をして軒下に干して貰う。
いいね、軒下のある家は。
マンションなので雨ざらしだよ。
部屋干しは出来ないし・・・
しんどいよ。
7月27日
今日は荷物が多いので、早稲田から一度荷物を取りに帰ることにしていた。
うう、今日で最後と思うと欲張っちゃうんだよね。
今日はやたら、人が多いと思っていたら、オープン・キャンパス。
さすが早稲田、すごい人である。
17時過ぎまで、コピーをとって閉められているドアを開けて貰い、すみませんと言って、御礼を言って帰る。
ずっしり紙の重さを背中に感じながら、時間がないので、慌ててちいちゃん家に帰る。
1月の時に会ったゼミ生が遊びに来ていた。
私は相変わらずファイルを購入し、今日のコピー分をどさっと詰め込み、紙袋に入れて、宛先を宅急便のシートに書き込む。
それが終わって、忘れ物がないと確認して、東京駅へゴー!
20:16のひかりまでもう新幹線がないので、とりあえず座席だけ確保し、お土産及び夕食を買い込む。
さすがに疲れたなあ。
お休みなさい。
7月26日
ちゃんと起きて、10時に早稲田入り。
黙々と作業を続けていく。
昨日、ちいちゃんの作った御飯が美味しくって、食べ過ぎた。
おかげで、朝から胃がもたれている。
何で、自分でセーブできんかなあ。
時間が後ろから刻々と追いかけてきているような気がして、必死で資料を渉猟していく。
17時迄なんてあっと言う間。
しかし、よくコピーをとったなあ。
今日も帰りはダイソーでファイルを購入。
駅まで迎えに来てくれたので、たこ焼きの材料その他今日の夕食の準備を買い、家路につく。(って、あんたの家やないやろう)
千枚通しは実家より持参した。
たこ焼きは無事に完成。
リヴェンジ達成。ふっふっふ。
2回ほど作って、あとはやりたがる他の子たちに譲る。
だって、くるくる回して楽しいもんね。
あー、今日もお腹がいっぱい。
遅くなったけれど、お風呂に入り、明日に備える。
明日で最後かあ。
7月25日
今日は金曜日なので19時まで。
順調に早稲田に通い、10時に到着。
それから19時まで、ノンストップで資料調査。
げげ、9時間も缶詰。
疲れるわなあ。
とるコピーの量はどんどん増していき、だんだん貧乏。
だけど、うっかりしているとどーんと「時代劇映画特集」なんて号が出てくるのだから、気が抜けない。
結局今日もコピーカードを購入し、黙々と資料集めをしていく。
ああ、疲れた。
気がつけばもう19時。
東京ステイも後2日。
松原団地まで本を読みながら帰る。
今日は仕事が終わったちいちゃんが御飯を作る当番。
帰ると、ゼミ生の子が来ていて、「お帰りなさい」と声をかけられる。
なんかいいね。
「ただいま」「おかえりなさい」
たったそれだけの挨拶が、人間味をほっこりさせてくれる。
だから、この家は居心地がいいんだなあ。
「なんか、手伝おうか?」
「いいよ」
と言われて、お言葉に甘えて、自分の用事をごそごそと済ませる。
「よし、出来た」
と言われて、3人で食卓を囲む。
相変わらず美味しいね。
明日は最後の晩餐。私のたこ焼きリヴェンジである。
お風呂から出て、ちいちゃんが泡盛を飲んでいるのを見て、「私も貰おうかな」というと、もうほとんど無いという。
「じゃあ、これ半分に分けようか」
「いいよ、別に飲む必要もないし」
「あ、いいものがあった、これ飲むか?」
「スミノフ? 貰う、貰う」
あー、大酒飲みの夜が更けていく。
7月24日
今日も早めに起きて、ちいちゃんを送り出す。
それから、お弁当作り。
ご飯があまっていたので、今日はチャーハン。
冷ましている間、朝の準備。
今日もコーヒーを飲んで服薬。
なんか、食生活がきっちりしているせいか、太った気がする。
気をつけなくては。
まあ、いつも1食ぐらいに落ちていたのに、東京来てから2食は食べているからねえ。
それも、きっちりとしたご飯を。
自分で作ってんだけどさ。
8時半になったので、ごみを出して、出陣。
今日も5分前についたけれど、ずかずか入っていった。
だけれども何にも言われなかった。
開架されている雑誌を見ているのだが、そこに別の雑誌の広告が出ていた。
その雑誌は、チェックしていない。
慌てて検索で調べて、ここに所蔵されていることが分かり、またまた閉架の閲覧申し込みをはじめる。
数は戦前の5年ぐらいしか残っていなかったので、早急に目を通していく。
昼休みに入ったので、次の申し込みが出来ないので、その間に自分もお弁当を食す。
昼休みがすみ、慌てて閲覧申し込み。
とりあえず、出きる限りの速さで資料に目を通していくのだが、見落としたくないので、どうしても時間がかかる。
今日もあっという間に5時。
追い出されてしまいました。
はあ、間に合うかなあ。
ちいちゃんは家庭教師だと言っていたけれど、体の具合が良くないので、今日の仕事が終わったら、倒れるんじゃないかな、と冗談で言っていた。
だから、今日も夕飯は私の担当。
買い物をして帰ってきたら、鍵が開いているが、家は真っ暗。
そーっと部屋をのぞいたら、倒れている。
音を立てないように、夕食の準備をはじめる。
ちょっとすると起きてきて「おかえり」っていうから、「ごめん、起こしちゃった?」と謝る。
それから起きて仕事に取り掛かるので、夕食を作り上げた。
「いつでも言ってね」と言って、私は昨日見かけていた時代劇映画を見る。
区切りがついたらしく、今日で仕事が一段落したので、お疲れ様とワインをあける。
今日のメニューは鶏のミルク・シチュー。サラダと焼きなす。ご飯と納豆。
TVをみながら、ご飯を食べて、リラックス。
後は、お風呂に入って、お休みなさい。
7月23日
今朝はちいちゃんが早いので、顔だけ合わせておこうと、ちょっと早起きをする。
送り出してから、また30分ほどごろごろしていて、起きる。
お弁当を作る。
冷ましている間に、顔を洗い、服を着替え、行く準備をする。
まだ時間があるので、コーヒーを飲みながら、薬を服用。
今日の東京は寒い。
今日は大暑のはずなのに…
朝から雨が降っていて、最高気温も22度。
関西が暑かったから、Tシャツしか持ってきていない。
長袖を持ってくるんだった。
まあ、冷房対策のために、いつもGジャンを持ち歩いているので、それを着込む。
寒いよ。
天気予報は、ずっと雨だし、憂鬱。
頭痛がするのはこのせいか。
今日は早く出たので、5分早くついてしまった。
扉は閉まっており、外に、「10時開館」と立て札が立てられているので、雨の中、立って待っていた。
もう10時かな、と言うのに、誰も来ないので、恐る恐るノブに手をかけると、なーんだ、施錠されていないじゃないか!
だったら、馬鹿みたいに外で待っていず、建物の中に入ったらよかった。
早速資料を閲覧していく。
「殺陣」という言葉にだけ、敏感に反応して、コピーを取って行くのだが、面倒臭い。
流し読みで細かい雑誌の文字を読んでいかないといけないのが辛い。
おまけに、「殺陣」と書いてあっても、どれも似たようなこと。
すなわち批評における言説の中で扱われているものを探しているのだが、どれも見下したような言説ばかり。
これなら、コピーを取らなくてもいいのかな、とも思うのだが、見ていない作品だったり、何度も聞いたことのある作品であったりすると、見ていないだけに気になる。
いつか断片だけでも見られるかもしれない、そんな気持ちが私をコピーに駆り立てる。
どれだけお金使っていることやら…
お昼は雨がやんだ合間をぬって、外のベンチで食べる。
お薬をちゃんと服用して、すぐに館内に戻り、作業を続ける。
あまりに膨大な資料にくらくらしてくる。
あっという間に17時。
今日の夕飯は何にしようかな、と考えながら帰る。
家に野菜が残っていたので、豚肉買って野菜炒め。
昨日のしらすぼしが半分残っていたので、若布ときゅうりと茗荷で酢の物に。
茄子を味噌炒めにして、あとははんぺんとさつま揚げを焼く。
アサリの吸い物をして、ごはんたいて、納豆を添える。
自分のためには何にも作る気しないのに、どうして人がいるとこんなに張り切って、ご飯作ってしまうのかな。
全然嫌じゃないし、後片付けもちゃんとしていて、結構楽しい。
おかげで、まともな食生活を送っています。
暑くないから、食欲減退にもならないし。
さあ、お風呂でも入ってくるかな。
7月22日
朝6時前に目が覚める。
まだ早いから、もう一度寝なおして、7時半過ぎに起きて、用意をする。
へんに時間が余っていたので、転がっていたら、8時半にちいちゃんに声をかけられる。
うたた寝していたようだ。
準備は出来ているから、布団だけを慌てて片付けて、出かける。
いつもより10分ほど遅れちゃった。
早速閲覧申し込み。
先週お知りあいになったジョンさんに会う。
名刺を渡して、少しお話をする。
明日アメリカに帰るそうだ。
「元気でいてくださいね」と言われる。
「頑張ってくださいね」と答える。
今日は火曜日なので、19時まで。
ぎりぎりまで頑張ってました。
後は「キネマ旬報」だけだ。
まあ、ほとんど相手にされてないんだけれどね。
一応見ておかないと。
駅から電話をすると何でもいいと言うので、買い物をして帰る。
仕事しているので、その間に夕ご飯の準備をする。
小松菜のおひたし、オクラ、じゃこおろし、厚揚げのやいたん、ポテトサラダゴーヤ和え、ぬた、メインは鶏肉のやいたん。
ビールを飲んで、TV見ながら食べていると、作りすぎたのか、あまっちゃった。
もったいないので、明日のお弁当にすることにした。
明日は少し早めに起きて、卵焼きでも焼いて、ご飯を詰めて久し振りにお弁当だ。
そろそろ寝なくては。
7月21日
何故か朝の4時に目覚める。
今日も夕方しか用事がないから、そんなに早起きしなくてもいいのに…
また寝なおして、6時に目覚める。
だからさ、もっと寝ていてもいいんだよ。
また寝なおして7時、もう一度トライして7時半。
しゃあない、ニュースでも見るかあ。
隣で寝ているちいちゃんたちを起こさないように、音を小さくして聞く。
朝の連ドラがやっているので、あれって思うが、そうか、今日は月曜日なんだ。
本当は仕事をしたかったのだが、あいにく寝室の方にパソコンが置いてあるらしく、取りにいけない。
9時ぐらいまでは、転がりながらTVを見ていたが、隣で音がしたので、布団を上げて、様子を見ると一人起きてきたので、花まるマーケットを見ながら、様子をうかがう。
完全に起きたようなので、こっそりパソコンを取ってもらい、作業に取り掛かる。
風邪気味のちいちゃんは昼過ぎまでお休み。
結構仕事が捗りました。
テープ起こしが終わったことが何よりも感動。
しかし、今日会う友人からちっとも連絡が来ない。
おかしいなあ、と話し合って、とりあえずメールを打って電話をもらうことに。
かかってきました。
結局18時半に北千住で待ち合わせをして、夕食をともにすることに。
何年ぶりに会うんだろう。
10年ぶりかしら?
その後、会ったかなあ。
ともあれ、楽しみである。
時間が来たので、出かける。
ちょっと早く着いたので、本を読んで待っていると、携帯がなる。
なんだ、人が悪い。
目の前にいるじゃない。
分かっているなら声をかけてよね。
彼氏と彼氏の友達も一緒に、タイ料理レストランに行く。
あまりにも久し振りだから、話すことが多くて、ずっと喋り続けていた。
4時間ほど一緒に過ごして、帰る。
楽しかった。
さて、明日からまた早稲田通いだ。
7月20日
実は今日と明日は演博がお休み。
そんな効率の悪い週にいかんでも、と思われるかもしれないが、ちょうど講演会があったので、それに参加することに。
「団菊の時代」と題された、歌舞伎学会が主催するフォーラムである。
別に歌舞伎好きではないのだけれど、日本の時代劇映画の原点でもある、「紅葉狩り」のフィルムが上映されるので、それを見に行った。
はじめてみる「紅葉狩り」は、フィルムの保存状態もそんなに良くなかったけれど、当時の歌舞伎を偲ぶ上でも貴重なフィルム。
立ち回りもあるし。
ここから歌舞伎の立ち回りからの乖離が始まっていくんだな、と思ったら感慨深い。
公演はまあまあ面白かった。
まあまあというのは、歌舞伎プロパーではないので、人名や題目を言われてもぴんと来ないからである。
それでも13時から16時半まで、途中休憩は入ったけれど、なかなか盛況のフォーラムでした。
昔の歌舞伎役者の動きがとにかくきれい。
腰がきっちり入っているから、裾捌きもさりげなくする。
それが美しいのだ。
今の歌舞伎役者には出来ない身体運用だと思う。
明治期、19世紀の役者と平成、21世紀の役者の間には、既に大きな断絶が気づかれている気がするし、現に講演をしている人も似たようなことを言っていた。
今日の夕飯は、リベンジのハンバーグ。
前回作ってもらったのだが、ちょっとね、だったのである。
で、リベンジに作ってくれるのである。
昨日の煮物と、自分が飲むから、いろいろとおつまみを作って、ハンバーグは任せる。
今回は合格。
実は、私もリベンジがある。
たこ焼きである。
前回、千枚通しがなかったために作れなかったのである。
そのために今回は千枚通しを持参した。
帰る前にはたこ焼きを作るぞ。
というわけで、今日も飲んでしまいました。
7月19日
昨日の夜、なんとハプニング。
新しく出来た時間帯のバスを予約していたのだが、それが運行初日。
小雨の振る中、花束贈呈とかしている。
それはいいんだけれど、早くバスにのりたい。
やっとバスに乗り込むと、あれ、人が座っている。
「あの、すみません。チケット見せてもらえませんか」
「いいですよ。あれ、全く一緒のチケットですね」
ダブル・ブッキングかよ。
「あ、車掌さん所に言ってきます」
呼んできて、確かめたが、どう見ても同じチケット。
ええ、私はどうしてもこれで東京に行かなくてはならないのに…
「席が他に空いてますから、好きなところに座ってください」
といわれて、比較的広そうな、前のほうの席をゲット。
ようやく落ち着いて、薬を早々に服用。
さっきまで、十三で友人と飲んでいたから、利きも早いかな。
おかげさまで、2度ほど起きたけれど、後はぐっすり。
実は、昨日お薬を減らしてもらったのだ。
ふっふっふ、回復に向かっているのか?
でも、まだまだ不安定だったので、いろいろな意味をこめて血液検査をしてもらう。
最近、飲んでいるから肝臓も心配だし。
血圧は普通に戻りました。
ということは低血圧なんだけれどね。
東京駅の広い構内で、トイレを探すのに一苦労。
顔を洗って、ちいちゃん家に荷物を置きにいく。
勝手に鍵もらって家に入って、必要な荷物だけを持って早稲田へ。
また、朝一から閲覧申し込み。
この前も通ってたばかりだから、なんかすっかり常連のようになっている。
いつも同じ席に座っているし。
今日の雑誌の山は「新映画」。
すごい速度でチェックしているんだけれど、やはり1日では無理。
途中疲れたので、昼食を軽く取って薬を服用していると、やはり同じように、よく来ている外人の人に声をかけられた。
「よく、通っていますね。私はジョンといいます」といってご丁寧に名刺を下さる。
あいにく名刺は演博のかばんに入ったまま。
「ごめんなさい、今名刺が手元になくて」
「あ、この手帳に書いてください」
所属先、メールアドレス、名前などを書く。
研究の話などしばらくしていた。
彼は現代演劇、とりわけ在日韓国人の演劇を博士論文で取り扱っているそうである。
早稲田の留学生かと思ったら、UCLAの学生で、たまたま資料集めに日本に来ていて、23日に帰国してまた9月に戻ってくるとの事。
また連絡くださいね。など定型文を述べて、別れた。
これって、ナンパ?
また、一番最後まで残って、慌てて片付けて家路につく。
ちいちゃんは今日は飲み会でいないから、何故か、主のいない家で私を含む3人が集まって、夕食を作る。不思議な光景である。
とりあえず、帰りにエヴィアンとビールとワインを買って帰る。
先に来ていた子に、とりあえず、自分の飲み代は買ってきました、と報告。
何を食べようか?と相談しながら、買い物に出かける。
メインは豚の生姜焼き。あとはおつまみに、サラダ。野菜の炒め物。チーズ。カプレーゼ。
煮物。
でも、煮物を出すのを忘れてました。
早速プティ宴会。
ちいちゃんが帰ってくるまで、宴は続く。
7月18日
今晩から東京である。
まだなんにも用意をしていないので、今から慌てて荷作りをする。
今日は久しぶりに主治医の所に通える。
癒されるかなあ。
さあ、これが最後の資料調査。
気合入れて論文体制に入らなくては。
では、行ってきます。
7月17日
今日は祇園祭。
ということは?雷蔵の命日である。
合掌。
朝から女学院でアルバイト。
昨日、薬をちゃんと飲んで寝たのだが、また入眠が遅かったのか、午前中は眠くて仕方がない。
でも、試験の終わった学生さんたちがやってくるので、眠いなんて言ってられない。
ちゃんとお仕事していました。
午後には薬が切れて、復帰。
「天井桟敷の人々」の続きを見るが、第一部が終わったところで、時間切れ。
今日は忙しかったなあ。
以前三宮で時間を潰していたときに、アロマセラピーの雑貨の人に捕まって、アンケートに答えたら、無料体験アロマ・マッサージの券が送られてきて、今日の夕方に行くことにしていた。
リラクッス出来るかなあと興味本位で、体験コースを受ける。
げげ、体重が増えている、体脂肪が増えている。
昨日、そんなに飲んでないんだけれどなあ。
ダイエットしなくては。
マッサージはすごく気持ちよかった。
結果は目に見えている。
浮腫、リンパの流れが悪い、自律神経失調、肩こり、冷え性。
とほほ。
他にも、いろんな体験をして、さあ、帰れるかな、と思ったら、甘かった。
そこから、店の人に捕まってしまい、こんな状態で身体をほっておくんですか?と、強引に勧誘に出会う。
いや、でも学生で貧乏だから、そんなエステに金なんてつぎ込めませんよ。
今から博論書かなきゃいけないので、そんな通う暇もありませんよ。
必死で断る。
とりあえず、じゃあ、論文が終わって、またきちんとアルバイトが出来る状態になって余裕が出来たら、考えます、と言って必死で逃げる。
ラベンダーはよく眠れますよ、と言われて、とりあえずお土産にラベンダーをもらい、漸く解放されました。
すっかり夜遅くなってしまい、家に帰って雑事をすませていたら、夜中になってしまった。
明日起きなきゃいけないから、今日は薬は飲めないなあ。
ラベンダーなんかで眠れてたら、とっくに不眠症は治っているわい。
はあ、夜が更けていく。
7月16日
なかなか寝つけなくて、朝方に漸く入眠。
おかげで昼まで寝てました。
狂ったサイクルだなあ。
でも、久しぶりにちゃんと寝た気がする。
夜は、名古屋から友達が添乗できているので、会う約束をしている。
今から日文研に行っていては、ほとんど仕事が出来ないので、今日はお休み。
家で、テープ起こしをしている。
進まなくて、難儀。
髪の毛もボロボロだったので、18時に予約を入れている。
あっという間に、時間が来てしまった。
昼まで寝ていたのだから、時間はないわなあ。
久しぶりに美容院に行く。
私の担当者が、三宮店から元町店に異動になったので、私もついていって今日は、初めての元町店。
こじんまりした店である。
髪の毛が多いので、バリバリとすいてもらい、パーマをあててもらい、大分と軽くなった。
長さは、夏場にアップに出来るように長いまま。
ほっといたらどんどんと伸びたらしく、「なんか、どんどん髪の毛増えてますね」と言われてしまった。
すみません。
友達の仕事が終わるまでに、まだ小1時間あったので、ぶらぶら三宮、元町をうろついて、変わっていく町の様子をうかがう。
少し早かったが、待ち合わせの店に行き、本を読みながら、待つ。
15分ほどして現れた友人とは、春以来である。
草稿が終わった頃だったかなあ。
旧交を温め、夜が更けていく。
7月15日
ほぼ毎日、メールをくれる有り難い友人がいる。
ずっと北海道に出張していたのだが、昨日帰ってきたらしい。
私が先週から、確実におかしくなっていることを話していたから、今日もご機嫌うかがいのメールが来る。
昨晩、30分ほどしか眠れていないから、当然体調はおかしい。
それでも起きていたついでに、朝7時半に日文研に出勤。
溜まっているアルバイトをこなす。
目は相変わらず腫れぼったく、おまけにくままで出来ている。
寝てないせいか、逆にハイテンションに転じている。
心配をずいぶんかけたみたいで、夜になると、仕事を割いて会いに来てくれる。
顔を見たら安心したのか、またまた涙がぽろぽろ。
「泣かないで」と言われながら、必死で涙をこらえるが駄目。
2時間半ぐらい、とにかくそばにいてもらう。
交わす言葉も少ないけれど、そばにいる安心感から、随分と癒される。
「早く薬を飲んで、ゆっくりお眠り」と言われる。
そうだね、体調が悪いのは、薬を勝手に飲まなかった私のせいなのだから。
今週末からまた東京に行く。
それまでに回復せねば。
友人と別れて、薬を服用。
眠れるかなあ。
7月14日
薬の効きが遅かったために、朝が起きられない。
目を腫らして、それでも女学院に出勤。
もう試験前、あるいは試験が始まっているので、さすがに学生さんたちも少ない。
見かけていたソフト、『理想の結婚』を、見終える。
何年経っても、ルパート・エヴェレットはかっこいい。
高校生の時に好きになったのだから、もういい年だと思うんだけれどなあ。
とてもミーハーで満足。
次に何を見ようかな、なんて学生が来ないもんだから、いろいろ考える。
もちろん、言われた仕事はこなしてますよ。
学生さんが来たら、丁寧に対応してますし。
昨晩が嘘のように、というのは嘘。
本当はまだまだ不安定なのだが、アルバイトをしている以上、外面的に体裁を保っているだけ。
おかしいのを隠して、最低限の社会的レヴェルを保つ。
私は狂っているのか?
そんな私が次に手にしたのは、もう忘れてしまった大作。
『天井桟敷の人々』。
でも、これ長いから、今日中には見られないのは分かっているが、何故かこれを選んでしまった。
あ、こんな場面もあったっけ、なんて思いながら、見ている。
だけど、半分気分は上の空。
だって、今日はパティ・スミスのライブなんだから。
17時になると速攻で片付けをして、ライブ会場である難波へゴー!
でも、その前に梅田で所用を片付ける。
本当は、一番前に行けた整理番号だったのだが、開場時間に間に合わないので、諦めました。
どうせスタンディングだから、いざとなれば近くで見られる。
会場は、初めて行く「難波Hatch」。
綺麗なところで、音もなかなか良かった。
パティ・スミスは私の敬愛する女性シンガーである。
昔からあまり女性シンガーには興味がなかったのだが、3人だけ敬愛するシンガーがいた。
月並みだけど、ジャニス・ジョップリン、それから、ニコ。そしてパティ・スミス。
前者は二人とももうこの世の人でないから、パティだけが唯一現存するあこがれの女性。
さすがに年齢層は高いな。
ライブは最高だった。
こんなにかっこよく、強くメッセージを発し、ファンを魅了するなんて。
しかし、最高のライブには付き物の危険性。
人の波にもまれ、どつかれ、突き飛ばされ、足を踏まれ、乗りかかられる。
私はパティの音楽を全身で受けながら、ボロボロと泣いていた。
そのうち汗と涙でぐちゃぐちゃになって、身体は人の波でもみくちゃにされ、群衆の中の孤独のうちに、あっと言う間の2時間が過ぎていった。
帰りは一人難民状態。
わんわんと耳鳴りのする中、先ほどの興奮さめやらず帰途につく。
あまりに興奮しすぎて、知人を一人呼びだして、とりあえずワインを呑む。
身勝手だが、一人でいられない、いたくなかったから。
気がつけば、夜もすっかり更けていた。
明日日文研に行かなくては、と思うと薬が服用できない。
またも眠れぬ夜が続く。
7月13日
昨日実家のソファで昏倒したから、夜中に目覚める。
今から薬を飲むと、今日の予定に差し支えるので、あきらめる。
そのままソファでのたうち回っていたが、眠れず。
早朝に風呂を入れて、体調快復に臨む。
なんだか、頭がすかすかしているよ。
身体がかすかに震えている。
駄目だ。
何とか誤魔化して今日を過ごそうと誓う。
とりあえず、一度家に帰り、家の布団で昏倒。
母と待ち合わせをしている時間には、ちゃんと間に合って、駅で落ち合う。
京都へ行くのだ。
ジュサブローの着物を見に行くのである。
だけど、雨。
鬱陶しい、頭が痛い。
夜は御入籍された親愛なる先輩達を囲んで、プチ宴会。
だけど、昼間は折角夏の京都に来たんだから、京懐石。
御馳走になりました。
鱧の美味いこと、鮎の美味いこと、賀茂茄子の美味いこと。
やはり京都の夏はええねえ。
伏見の冷酒がきりりときいて、昼間からご機嫌である。
でも、食べている私の手が震えているのを見て、母がすかさず「あんた、手ぇ震えてるやん」「あ、昨日、薬飲まへんかったから。寝ているようで寝てないねん」
ジャンキー。
ざーざー降りしきる雨の中、着物の展示場へ。
はあ、極悪非道な娘である。
見に行くだけという約束をいとも簡単に破り、着物を買わせてしまいました。
でもね、すごく粋な着物だったのよね。
帯もいいし。
まあ、ちょっと渋めではあるので、兼用して着ると言うことで、納得してもらいました。
着物はやっぱりいいよ。
ぐふふ、幸せ。
タクシーでカフェ・オパールに向かい、時間がないのでアイス・チャイをぐいっと飲んで、さっさと店を後にする。
今日はもう大丈夫。
そう思って、会場である洋風居酒屋へゴー!
まだ、主賓も来ていなかったので、間に合いました。
久しぶりに先輩達、同期たちがみんな集まり、とても和やかな雰囲気で宴が進む。
おばはんのように、二人のなれそめなどを根ほり葉ほり聞いてしまいました。
でも、先輩達はとってもいい顔をしていたので、心から祝福の述べたい。
良かったですね。
末永く、お幸せに。
2次会は、次の日バイトがあるので、遠慮して、家路につく。
しかし、問題は家に戻ってからである。
薬を飲んでいないせいもあって、あんなに飲んでいたのに、眠れない。
おかしいなあ。
アルコールと薬は速攻に効くんだけれどなあ。
そのうち情緒不安定が復活。
暗闇の中で、溢れ出てくる涙にまみれながら、眠れない自分を恨めしく思う。
眠くなるまで、泣き続ける「呆が一人。
7月12日
3週間も前から、父親に家族で食事をする宣言をされているため、夜は両親とディナー。
昨日は、よい酒だったが、今日はね、ちょっとね。
昨日のアルコールと薬で、昼前までこんこんと意識を失って眠り続ける。
電話で起こされた。
何用かね?
え、昼食?食べたくないなあ。
雨降っているしさ。
結局、他の用事があったので共にする。
午後、阪大にて研究会。
の予定。
時間があるので、一度家にバックしたら、寝てました。
身体が行きたくないって。
夜のために体力をチャージ。
やはり不安定。
本当は、昨日は主治医の所に行く予定であった。
だけど研究会で、行かなかったから、多分それが原因。
情緒不安定。
自律神経失調。
ディナーもあまり喉を通らない。
入るのはワインばかり。
だけど悪酔い。
そのまま、実家のソファにて昏倒。
7月11日
今日は無事に日文研に出勤。
と言っても、家を出ようとしたら、腹痛を起こして、結局出る時間はちょっと遅れてしまった。
何とか桂駅9時40分のバスに間に合う。
これで、午前中はバイトが出来る。
夜は友人と会うことにしていたので、「研究会も途中で頓挫するかも知れません」と先生に断りを入れておく。
午前中一杯は仕事して、準備をしてから研究会に参加。
主に事務を手伝う。
CMのデータベースは私が担当して作ったから、これが有効に生かしてもらえると嬉しい。
CM業界の話なんて全然知らないので、どの話も興味をそそるものばかり。
特に映画とTVの関係がからんでくると、その辺りの事情は映画界側から知っているので、なるほどTVではそういう風にとらえられていたのかと、新たなる知見に出会った気分。
桃屋の三木のり平の漫画のシリーズCMを見ていたときに感じたのだが、そのキャラクターにするさまざまなパロディには、かなり映画の影響が強いと思った。
休憩時間の間、発表者にその感想を伝え、映画とTVの関係などその当時の社会状況をいろいろと話す。
面白い、面白い。
友人からは、仕事が終わったらメールが来ることになっていたのだけれど、気付けば、研究会をやっている部屋は何と圏外。
窓際でかろうじてアンテナが1本立つ程度。
通りで連絡来ないと思った。
結局研究会終了予定の18時までいてしまったが、まだ論議がかわされていたので、先生に黙礼してそこで失礼する。
どうしよう、連絡が来ていたらとどきどきしながら、バスに乗っていると、桂駅近くでメールが入った。
丁度、向こうもその時に仕事が終わったらしい。
だけど、まだ桂なんだよね。
会うのは神戸。
謝り倒して、2時間も待たせて、新開地で落ち合う。
なんか相談事があるというので、話を聞いていたけれど、私も少し情緒不安定気味だったので、逆に癒してもらうことに。
御免ね、不安定で。
相変わらず、深酒をしてしまい、なんとか無事に帰り着く。
顔洗って、薬を服用して、倒れ込むように布団にはいる。
だけど、すぐ眠れない。
なんでかなあ。
7月10日
女学院にてアルバイト。*
2日間、休んでいたので、さすがに今日は出勤。
朝、「ディナー・ラッシュ」の後半を見る。
期待にたがわず面白い映画だった。
出てくる料理がどれも美味しそう!!
これはNYの本当にあるレストランがモデルだと言うが、そのレストランに是非行ってみたいと思った。
NYって行ったことないけれど。
昼休みが過ぎて、学生さんもあまり来ないので、次のDVD「理想の結婚」を見る。
私はこの映画が観たかったのは、ただルパート・エヴェレットが出ているから、と言うミーハーな理由。
しかし、見出すと、学生さんたちがやってきたので、中断。
久しぶりにルパート・エヴェレットが主役級に出ているので、見ほれていたのだが、時間がなく、あと1/3のところでアウト。
この後はお稽古が待っているので、これ以上は見ていられない。
片付けをして、お稽古場に向かう。
東京に行く関係で、7月は1かいしか、すなわち今日しかお稽古に来られない。
謡のお稽古の次に、「安宅」の仕舞を一通りすませる。
忘れないようにしないと。
ふう、今日も疲れたなあ。
これから祖父母の家に行ってお食事。
またまた帰りが遅くなる。
しかし、これも孝行、文句は言えまい。
明日こそ、日文研に行かなくては。
7月9日
今日は、完全にダウン。
疲労がピークに達し、生理痛もピークに達し、起きあがられない。
というのは確かではない。
生理痛がひどすぎて、どんな態勢をしてもしんどいのだ。
とうとう何も出来ずに、時間が過ぎていく。
日文研に行こうとも思うのだが、あまりにも腰痛がひどくて動けない。
もちろん食欲もないし、とりあえず転がっている。
しんどいなんてもんじゃない。
今日はもう死人です。
7月8日
今日は日文研、後NOVA。
それが予定でした。
予定と言うことは、必ずしも敢行されているわけではなく、あくまでも予定。
すなわち、東京からの疲労と、昨日の疲れと、生理痛で、朝から動けない。
結局、日文研のアルバイト先には、お休みの連絡をして、倒れていました。
しかし、こう言うときに限って、滅多に会えない友人から、13時からなら会えるけど出てこない?とお誘いがかかり、仕方がなく、ふらふらしながら三宮に出ていってデートする。しょく
薬が効いてきたのが、だいぶんと楽になって、別れてからも時間はが、家に帰ったら、もう出られないとふんで、カフェで時間を潰して、軽い食事をすます。
2カ月半ぶりにNOVAに通う。
さすがに語学は使わなかったから、格段に落ちている。
おまけにNOVAのスタッフにレッスンが終わってから、カウンセリングを求められる。
そんなこと言われてもね、忙しいんだから仕方ないじゃん。
レッスンが終わってカウンセリングに行くと、案の定「もっと詰めてレッスンに来て下さい」と言われる。
そんなことは先生にも直接言われているから分かってるって。
「あの、悪いんですけれど、今はどうしても忙しくて、NOVAに来てる暇がないのが事実なんですよ。それでも語学は必要だと思うから、やめずに来てるのでそれ以上無理することは出来ません」
全然カウンセリングにならないのだが、向こうも商売だから簡単に離してくれない。
こんな暇あったら、もう1レッスン受けれるやん。
今日も疲れがとれずに帰ってきました。
明日は如何に?
7月7日
今日は七夕。
そして、ミラクルヤングのライブ。
でもその前に、女学院でアルバイト。
さすがに疲れていて、しんどい。
東京土産を渡して、業務に就く。
前回途中で見れなかった、「ペパーミント・キャンディー」の続きを見る。
ちっとも面白くなかった。
それで、午前の時間は終わり。
あ、仕事はしてますよ。
昼休みは、サンドウィッチを食べて、夜のライブに備える。
午後は、見たかった「ディナー・ラッシュ」。
だけれども、学生さんが結構来るので、仕事をしていたら、半分までしか観られなかった。
さっさと片付けて、三宮へゴー!
今日のライブは3グループがセッションするライブ。
場所はチキンジョージ。
いつ出るか分からないから、さりげなく前に行き、違ったら後ろに撤退。
2番目も前に行って、違ったので撤退。
しかし、これが間違い。
2番目と3番目の間でほとんど客の入れ替えがなかった。
慌てて前に行き、前から3番目という微妙な位置に着くが、ミラクルヤングが出てくるなり、後ろからどっと押されて身動きが出来ない。
そうか、関西でもそんなにポピュラーだったのか。
大体45分のライブだったが、そのファンの熱狂振りはすごい。
INUの「気今狂うて」がはじまると、オールド・ファンの血が騒ぐのか、突然物凄い動きに変わり、私は何度も男の子に突き飛ばされて、こけそうになる。
しかし、ここでこけては、みんなに踏みつぶされて、一生起きあがれなくなり、大怪我をすると思い、必死で踏みこたえ、立つのだが、また突き飛ばされ、よろよろになりながらライブを楽しむ。
足は踏まれるわ、どつかれるわ、突き飛ばされるわ、乗りかかられるわ、大変ですがな。
それでも前で見る町蔵はとっても近くて、格好がよく、惚れ直してしまいました。
一緒にいた友人も同じくひどい目にあって、ボロボロになっていました。
軽く御飯を食べて、次回は9月のチケットまで購入して、幸福なうちに帰ってきました。
疲れたー。
7月6日
今日で東京ステイも一段落。
昨日遅かったから、みんな起こさないように、用意をして家を出ようとする。
だけど、ドジな私のせいで、音を立ててしまい、みんなが起きてしまう。
ごめんなさい。
そのまま、また寝て下さい。
実はコピーした資料があまりにも多すぎて、持って帰ることが出来なかった。
そこで着払いで宅急便で送ってもらうことにした。
どこまでも、迷惑をかけるのだろう。
みんなに、また御世話になりに来ます、と小声で挨拶をして早稲田へ。
今日は、夕方16時から内田師匠と甲野先生の講演会が池袋である。
折角なので、それを見て帰ろうと思った。
だから、早稲田を15時に出ないといけない。
「映画の友」をすごい勢いで見ていく。
15時前に「映画の友」を制覇する。
ほとんどが、洋画の記事だから。
また来るときのために、閲覧申し込みの紙にまとめて書いて、早稲田を後にする。
池袋まで出て、きょろきょろしながら会場に漸くたどり着く。
が、受付終了?!
ここまで来たのに・・・
女学院の合気道の子がいたので話していると、内田先生にこの辺りで待っていたら、入れると言われたという。
そこで私も一緒に待っていると、鈴木晶先生発見。
すかさず挨拶をすると、今から内田先生の所に行くから一緒にいらっしゃいという。
ほいほいとついていって、すっかり関係者となる。
鈴木先生は「待っていたら、小川さんがうろうろしていたから連れてきた」と言ってもらい、内田師匠には「このために来たの?」と驚かれる。
いやいやいくらなんでもそんな訳ないでしょう。
東京にいたんです。
でも、おかげで私も講演会に潜り込ませていただいた。
相変わらず、お話は面白く、甲野先生の実戦は目を瞠る。
あっと言う間に2時間が過ぎ、サイン会が過ぎ、関係者質におかせてもらった、大荷物を取って、先生方に挨拶をして、東京駅へ。
おにぎりなど夕食を買うて、指定席に乗り込む。
もちろんビールも忘れずに。
家に帰り着いたら0時前。
薬を飲んで、さあ、お休みなさい。
7月5日
薬を飲まなくて正解。
ちょっと変な感じがするけれど、朝は無事に起きられて、と言うよりあまりちゃんと眠ってなくて、早くから目覚める。
いつものように、8時半に家を出て、早稲田に向かう。
「映画評論」が漸くすんで、「映画の友」を見る。
これはほとんどが洋画の記事。
でも、目次を見ていると、すごく小さい記事で時代劇が扱われたりしている。
見落とさないように慎重にチェックしていく。
ここは閉架式なので、6冊ずつしか閲覧できない。
次々と6冊の山をこなしては、続いて申し込むので、「何か特定の記事をお探しですか?」と聞かれてしまう。
「はい、時代劇映画関係の記事を探してます」
何でこんな事を聞くのだろう?と訝しげに思っていたら、いちいち取りに行くのが面倒くさいのか、手が空いているうちに、次の号をカウンターに運んでくれていた。
なので、閲覧申し込みがスムーズに進む。
今日も朝一から、最後まで、そしていつものように取り置きを頼んで、早稲田を後にする。
昨日、ゼミ生の子に「順子さん、お料理教えて下さい」と頼まれていた。
6時半頃に家に帰って、もう一人の子と、今日の戟v立について話し合う。
「ハンバーグにしようと思って、材料を買ってきたんですけれど」
じゃあ、それ以外のつまみになるもの、青菜とかこんにゃくとか煮物系を買い物に行く。
しかし、二人とも料理はあまり得意ではないらしく、とにかくとろい。
ハンバーグは、もともと下ごしらえに時間のかかる料理である。
その辺りが計算に入ってないらしく、彼女が考えていたハンバーグと、サラダを作るのにやたら時間がかかってしまう。
その間に、私は教えるというか、作りながら作り方を口で言い、こんにゃくを炊いたん。
枝豆。小松菜と薄揚げの炊いたん、キャベツと胡瓜と大葉と茗荷の塩もみ。たこ酢。
と言ったつまみものを全部仕上げていった。
その間に出来たのはハンバーグ1品。
サラダは手伝ってあげて、仕上げは任せて、お腹が空いたと先に食べ出したちいちゃんと一緒に一足先に、食卓に着く。
でも、楽しそうに作っていたからいいか。
ようやく全員食卓に着いて、梶v杯。
私のおねだりで、今日はワイン。
けれど酒豪が4人。ワイン2本にビール2本なんて、すぐ空いてしまう。
今晩が最後の晩餐とはいえ、実は再来週にもう一度東京に来る予定。
だから、ただの飲み会、食事会。
明日も早稲田に行ってから帰る予定だから、先にお風呂を頂く。
結局1時過ぎまで、話していて、眠ることに。
またまた薬が服用出来なかった。
明日もハードだなあ。
7月4日
早いもので、もう金曜日である。
今日は19時までなので、映画評論の山を一気に片付けていく。
でもまだ終わらない。
めぼしい雑誌といえば、あとは「日本映画」「映画の友」「新映画」「キネマ旬報」ぐらいだろう。
ずっと同じ姿勢で雑誌を見ていっているから、身体が硬直してしまって、昨日ぐらいから身体の浮腫が全然取れなくなってしまった。
動くときと言えば、コピーをとるか、トイレに行くぐらいだから仕方ない。
またまた19時最後まで残って、いつものように取り置きを頼んで、帰る。
去年の夏、ちいちゃん家に遊びに来たとき、美味しい焼き肉屋に連れていってもらった。
そこにまた行きたいので、今日か明日に行こうという話になる。
そうか、もう日曜日には帰らなくてはいけないんだ。
あっと言うまだなあ。
駅から電話をするが、荷物が多いので、とりあえず一度家に帰ることにした。
帰りに百円ショップによって、ファイルを2冊購入。
コピーが多すぎて、入らなくなってしまったのだ。
明日、最後の晩に夕食を共にする人たちに連絡を取って、とりあえず焼き肉屋には今日行く事に決定。
そこのママと前回遅くまで話し合った。
すごく面白かったことを覚えている。
ママは私のことを覚えていてくれて、行くと「久しぶり」と声をかけてくれた。
なんか嬉しい。
「何頼む?」と聞かれ「とりあえず、ウルテとセンマイ刺しとキムチ」と答えると、ちいちゃんが大笑いする。
「なんで?」
「そんなん頼む女は関東にはあまりいないで」
「そうなん?」
西の方は、ホルモンをよく食べるから、焼き肉屋に行くとホルモンを頼むのは普通だと思っていたのに、関東ではあまりホルモンはポピュラーではないのかしら?
生ビールを飲んで、美味しく頂く。
ゼミ生の子がまた一緒に食事をしてくれて、3人で舌鼓を打つ。
いった時間が遅かったせいもあって、店の客がだんだん引けてくると、ママがテーブルにやってきた。
前回もいろいろなことを話し合ったが、今回もまたまた話し込む。
気がつけば、夜中2時。
こりないなあ。
起きられなくなるので、さんざん飲んでることだし、薬は飲まずに就寝することにした。
眠れますように。
7月3日
昨日飲み過ぎたのか、金曜の夜行からぶっ続けで演博に通って籠もっているので、とうとう疲れが出たのか、朝起きるには起きたが、動けない。
考えてみれば、先週、先々週と私は週の半分を引きこもりを起こしていたのだ。
土地が変わったからというだけで、いきなりハイテンションで仕事をしているのだから、いつか崩れるのは目に見えている。
ここは身体さんの言うことを聞いて、少し休むことにする。
と言っても10時過ぎには家を出ましたが。
昨日、朝一で取りに来るなんて大嘘。
それでも、閲覧申し込みをして、17時まで遅れを取り戻すかのように「映画評論」の山を片付けていく。
「時代映画」という雑誌は特別だったけれど、それ以外の雑誌はほとんどが洋画に割かれているのが現状。
当時の日本人の映画批評家と名乗るインテリたちの姿勢がよく分かる。
たまに時代劇の批評が載っていても、どれもけなす記事ばかり。
巨匠と呼ばれる監督の作品に関しても、あまりいい顔はしていないようだ。
大衆が惹かれていた映画とインテリたちの取り扱う映画の差が歴然と見えてくる。
今日は、19時から、フィルムセンターで「海を渡る祭礼」の断片がやることになっていた。
しかし、17時に早稲田を追い出されてから、土地勘のない東京で、1時間半もどこで時間を潰していいのか皆目分からない。
しかも、今日は朝がしんどくてスタートが遅れた。
テープ起こしもなかなか進んでいない。
大分悩んだが、「海を渡る祭礼」の断片は「殺陣」のシーンではないのだから、今回は折角東京に来ているのは分かっているが、体調を優先して帰ることにした。
後悔するかなあ。
ちいちゃんは家庭教師で夕食はいらないと言うから、昨日の残りのカレーでうどんを食そうと思っていた。
家に帰って、夕食を先にさっさと済ませて、ついでにお風呂もさっさと入ってしまい、テープ起こしに励む。
大きな声ではっきり語っているようだが、肝腎な部分になると、早口になるのか聞き取れない。
それで何度も巻き戻して聞く羽目になる。
インタビューなんてそんなもんだけれどね。
ちいちゃんが帰ってきたので、テープ起こしを辞める。
TVを見ながら、だらだらしゃべったりしながら、私は東京日記を綴る。
どうも、家庭教師先の夕食では足りなかったのか、お煎餅を食べたりしているのを見て、「つまみ作ろうか?」と言って、簡単に胡瓜の塩もみをする。
ちいちゃんにねだって、私も泡盛を少しもらう。
0時ぐらいになったので、薬を服用。
明日はちゃんと朝から通おう。
7月2日
朝の6時頃にみんながわらわらと帰ってくる。
さすがに起きてしまった。
みんな今から就寝なので、必然的に今から活動を始める私が、布団を明け渡す。
1時間ほどぼけーっとしてから、早稲田の行く準備を始める。
コーヒーを入れて、薬を服用。
いざ、早稲田へ。
「すみません、昨日取り置きを頼んでいた者ですが」といって、朝一番で閲覧を開始。
今日は5時までだから、急いで目を通していく。
実際に今回の博士論文と関係する、「殺陣」に関する資料はほとんどといって出てこない。
しかし、今後書きたいと思うないようにかかわる資料、時代劇に関する記事などは、ついでだから、見つけたときにコピーをする。
すると結構な量になってきた。
紙類は結構重い。
こんなにコピーをとっていて大丈夫なのだろうかと半分不安になりながらも、折角見つけた資料だからと言い聞かせてとり続ける。
あっという間に17時。
毎回の事ながら、「すみません、明日の朝一で取りに来ますので、取り置いて下さい」と頼んで、中途半端にチェックした資料を置いて帰る。
松原団地の駅について、ちいちゃんに連絡する。
「なんか、買うて帰るものない?」
「カレーだけやろ」
「後、トマトのサラダは用意してあるねんけど」
「じゃあ、東急ストアで落ち合うか」
帰り道にある東急ストアに行って、他にもサラダ類やおつまみを買い足して、一緒に帰る。
「結構量があるねんけど、ゼミ生でも呼ぶ?」
といって、電話をして一人暮らしで、前回の東京ステイですっかり顔なじみになったゼミ生を呼んで、一緒に夕食をする。
なんだかんだと食べるものがあって、3人で食べても余るぐらいお腹いっぱい。
昨日食べなかった、アメリカン・チェリーをデザートにして、夜は更けていく。
滞在費代わりに持っていった、日本酒も空けて、プチ宴会になってしまった。
私のカレーはどうも辛かったらしく、ゼミ生さんは食べきれなかったようだ。
すまない。
後片づけをしようと思ったら、「順子さんは、座ってて下さい」と言われて、全部してもらってしまった。
ありがとうね。
今日とってきたコピーをあらかじめ持ってきたファイルに移して、明日の準備をする。
気がついたら0時を過ぎていたので、慌てて薬を服用。
明日に備えて早く寝ないと。
7月1日
ちゃんと朝は7時半に起きて、ゆっくり準備をして、コーヒーを朝ご飯に薬を服用。
いつもと一緒で8時半に家を出る。
本を読みながら早稲田に通う。
途中、乗り過ごさないか駅に止まるたびにきょろきょろする。
無事10時開館の早稲田の演博にちょうど着いて、閲覧申し込み。
今日中にたくさん保存されている「映画評論」という雑誌の山に入りたい。
そう思っていたが、「活動雑誌」っていうのが思った以上にたくさんあって、おわらない。
今日は火曜日なので、19時まで開館している。
いつものように、最後まで残ってしまった。
検閲に関する雑誌がとうとう目を通せず、「明日、朝一できますから取りおいて下さい」と頼む。
はあ、駄目な奴やなあ。
今日はちいちゃんが、ゼミコンで遅くなるというので、お買い物をして帰る。
昼頃、脳への補給にとおにぎりを食べたので、夕食は食べたくなかったけれど、豆ご飯が食べたくなって、豆ご飯を1合だけ炊く。
明日の夕食のためにカレーをしこむ。
みんなが帰ってきたときに食べたらいいと思ってアメリカン・チェリーを買うてかえる。
お風呂に入ってから、テープ起こしを始める。
0時過ぎに携帯が鳴って、「今からカラオケにいくから、先に寝てて」と連絡が入る。
薬を服用して、眠くなるまでテープ起こしを続け、眠くなってきたのでお休みなさい。
6月30日
朝順調に7時過ぎに目覚め、用意をする。
先に出るちいちゃんを見送って、家の戸締りをして、8時半にごみを出して出かける。
薬が残っているのか、昨日の疲れからか、午前中は調べ物をしていたら睡魔に襲われる。
眠気覚ましに生協でブラック・コーヒーを購入し、また調べ物にもどる。
午後になると元気になってきた。
やはり薬が残っているのかな?
再来週にもう一度東京に来ようとは思っているが、出きる限りの資料は今回に集めておきたい。
今は大正時代の雑誌を扱っているので、破れていたり、切り取られていたり、落書きされていたりと見にくいことこの上ない。
あっという間に17時になってしまう。
ちいちゃん家に帰って、今日は家庭教師でいないというのを聞いて、ゆっくりとテープ起こしにかかる。
19時過ぎに電話が鳴り、家庭教師は中止だという。
家でなんか食べるから、といわれて、食べる予定をしていなかった私は、おろおろしてしまった。
結局、冷蔵庫にあるものにあわせて買い物を帰りにしてきたちいちゃんの指示に従って、軽く夕飯を作る。
今日はお昼も食べたから、ちょっと食べすぎかなあ。
ビール飲んだせいもあって、お腹がいっぱいである。
TVを見ながら、べらべらと話す。
12時過ぎになったので、明日に備えて今日も早く休む。
お休みなさい。
6月29日
イエイ!ミラクル・ヤングのライブだぜ!
朝は7時半に起きて、準備をし、8時半に家を出る。
今日はハード・スケジュール。
朝は早稲田の演博で、資料調査。
昼になると早稲田を後にし、東京フィルム・センターに行って、時代劇を2本。
ずっと見たかった『斬人斬馬剣』の断片。
月形龍之介がかっこいい。
その後続いて、『御誂次郎吉格子』(大河内伝次郎)を見る。
この映画は3回目ぐらいかな。
どちらも無声映画。
ホールは満席。やっと見つけた端っこの席で待っていると、隣のおじさんが眠り始めた。
館内が暗くなり、ブザーもなく始まる映画。
わくわく見ている堰Bで、軽くいびきをかいて寝つづけるおじさん。
なんだかなあ。
でも映画は楽しめた。
早稲田に慌てて戻り、資料調査の続きに没頭。
16時半になって、店じまい。
新宿に向けてゴー!
アルタ前で友達とまちあわせる。
なぜかドリアンが売っている。変な町。
無事友人と落ち合えて、新宿リキッドルームへ向かう。
18時半開演。あっという間に1時間半が過ぎ、公演が終わる。
アンコールがそれから一回。
INUの曲がまたまた披露され、もう訳分からず踊りまくっていた。
終わったらシャワーを浴びたように汗びっしょり。
満足。
帰り余韻を楽しみながら、夕食を食べる。
興奮覚めやらぬまま、ちいちゃん家に帰る。
なんか、今日一日で、落ち込んできたときの1週間分ぐらいの活動をした気分である。
さあ、明日からいつまで持つかな。
とりあえず、今日は幸せの気分でお休みなさい。
6月28日
朝7時ごろに東京駅につく。
薬の切れが悪くて、ちょっと朦朧としているが、最後に降りて荷物を受け取る。
トイレに行きたいのだが、あいにくどこも並んでいて、仕方ないのでカフェに入り、コーヒーを注文してそこのトイレを使用する。
7時20分ごろ、東京駅からちいちゃんに連絡をして、勝手に家に入り、荷物を置くことを承認してもらう。
ついでに鍵を一つ預かる。
荷物を置きに行って、それから早稲田の演劇博物館へと向かう。
午前中、調べ物をしていたのだが、眠くて仕方がない。
眠いなあ、と思っていると、どっかで聞いたことのある声が?
振り返ってみると、日文研で知り合った、阪大の助手の人に出会う。
えー、何でこんなところで会うの?
びっくりしていたら、研究会があるために週末来ていたそうである。
お昼ご飯を阪大の人と一緒に食べて、そこから別れて、私はまた演博で、調べ物。
さすがに、夜行バス明けは辛いな。
それでも頑張って調べ物をする。
17時ぎりぎりまでいて、ちいちゃん家にエヴィアンを買って帰る。
家の近所で、今日は飲み会と言うちいちゃんとすれ違う。
「いってらっしゃい」といって、私は居候。
留守を預かり、今度はテープ起こしをする。
3分の1ぐらいすんだ。
今日はなかなか充実した1日だった。
昼間しっかり食べたので、夕飯は食べなかった。
お腹がいっぱいだったから。
薬だけ服用。
なんだかんだといって、結局寝たのは1時30分。
寝たと言うより布団に入ろうとしたのがその時間。
明日はハードスケジュール。
早く寝なくては。
6月27日
病院が午後からなので、洗濯物を取り入れて、午前中はお風呂に入り、東京への準備をする。
午前中のうちに、カイロプラティックに行く。
「小川さん、アルコールと薬物は廃人コースですよ」と嫌なことを指摘される。
言い返せないだけに悔しい。
「今日の晩から東京に調べ物に行きますので、またがちがちに肩こりになって帰ってきます。治してくださいね」と宣告する。
「こまめにストレッチをしておいてくださいよ」と言われるが、そんな事出来るはずがない。
もう一つの病院に行こうとしたらメールが入る。
ちいちゃんからだ。
「お前来るのいつの話?」というようなメッセージ。
えっと、驚き「今晩だから明日の朝にはつくよ。この前、メール入れたじゃない」と返事をする。
全く暢気な人々である。
まあ、泊まれたらそれで私はいいんだけれどね。
もう一つの病院でも薬が出され、どんどん薬物の量が増えていく。
2時前に主治医のところにたどり着く。
混んでるよー。
でも、今日は診察してもらわないと、おかしくなりそうなので、忍耐強く順番を待つ。
2時間ほど待って、ようやく回ってくる。
「先生、先週から週の半分は引きこもりをしていて、でも夜になると一人でいるのが絶えられなくて、友人を呼び出して飲み歩いたりしていて無茶苦茶なんです」
「論文は?」
「草稿を出して以来、手につかなくて。あと、薬が効きすぎるのか、朝が辛いんです」
「どん底の冬バージョンから、夏バージョンに変えるか」
「お願いします。今晩から東京に資料調査に行く予定で」
「引きこもっていてもいいよ。ジャンプするためには、その準備にしゃがまなくてはならないんだから、そういう時期だったんだよ」
それを聞いて、自分の行動に意味付けされてほっとする自分がいる。
薬の変更は結構期待していたが、結局トリプタノールが減らされただけであった。
急いで家に帰り、東京への準備をして荷物を持って十三に直行。
おっさん居酒屋に入り、阪神戦を見ながらまた二人で飲み明かす。
といっても、私はバスの時間があるから、そんなに遅くまではいなかったけれど。
夜行バスに乗って、薬を飲んでお休みなさい。
6月26日
朝は無事に出勤。
ぼちぼち人が来る中、今日は『ペパーミント・キャンディー』を観る事にする。
しかし、この映画結構長い上に、学生が結構途切れなく来るので、なかなか観ることが出来ない。
でも、お仕事が大切なので、文句はいわない。
学生さんの対応を、バリバリこなしていく。
今日もお昼はいらない。
食べたくないので、うたた寝していた。
寝てはいないな、ボーっと呆然としていたのであった。
あっという間に、昼休みが終わる。
交代するとなんかばたばたしている。
まだ慣れてはれへんから。
すぐに交代して、またバリバリとこなしていく。
あっという間に、終了時間。
後片付けをして、出勤表を提出し、バイト先を後にする。
待ち合わせ時間まで間があったので、少し三宮をうろうろして、東京へ持っていくものなどで足りないものを物色する。
まあ、向こうで買ってもいいんだけどね。
少し遅れてきた友人は、突然「明日は?」と聞いてくるので、明日は医者に行って、後は夜の東京に行くだけと返事する。
明日は大阪に出ているので、十三でご飯を食べようということになり、2日連続お付き合いしてもらうことにした。
この酒豪の友人と飲むと、いつも飲みすぎる。
なぜか、違うところで飲んでいても、最後にはいつも同じ店に行っている。
それは最初に会った時に行ったお店なんだが、はまっているなあ。
今日もフラフラになるまで飲んで、帰って来た。
薬を飲んで即効で布団に入る。
今日は良く効くだろう。
6月25日
今朝も4時半に目覚める。
だけど同じパターン。
5時、6時、7時、8時…
あー、どうしよう。
昨日は早く寝たのにな、と思ったけれどそれは嘘。
確かに、11時半に布団に入った。
でも眠れなくて、寝付けなくて、12時半、1時半、2時、3時と時計を見ていたからだ。
結局1時間ないし30分おきに起きていたのだ。
8時ごろになって、睡魔に襲われた。
はっと気づけば10時半。
それから奮闘して、ようやく11時半に家を出ることが出来た。
久し振りの日文研。
通ってみるとたいしたことないじゃん。
何で来られなかったのだろう。
とりあえずアルバイト先に直行。
しかし、会う人会う人に、「なんか体調悪そうですよ」とか「痩せました?」とか言われている自分がいる。
あれれ、やはり、何かが変なのかな?
研究会の時間になったんだが、腰が重い。
休んだ分のアルバイトの方を優先してしまい、とうとう研究会を避けて通ってしまった。
それから、まるで逃げるかのように家に帰る。
ゆっくり、お風呂に入る。
ニュースを見ながら洗濯をする。
明日の夜、出かけるので、金曜日出発の用意をしておかなくてはならない。
しかし、旅行用のバッグは1月の東京の帰りにぶっつぶれてしまった。
仕方ないので、実家にキャリーバッグを取りに行く。
それから、簡単に準備をして、今日は早く休むことにする。
明日のバイトに響きたくなかったから。
本当に今夜も眠れるのだろうか?
6月24日
もう、駄目だ、もう駄目だ、私はもう、もう駄目だ。(@町田康)
昨日、心を入れ替えて勉強に専念しようと誓ったばかりなのに、また朝から頭が痛くて動けない。
4時半に目覚める。
それから、5時、6時、7時といつものように、時計とにらめっこしながら、起きあがれない自分を恨めしく思う。
外は結構大雨。
雨の音を聞きながら、外に出られず、用意も出来ず、でくの坊のように転がっている(あれ、でくの坊は突っ立っているのか、うどの大木が転がっているのか)自分を、もう一人の自分が責め立てる。
今日は、夜は三宮で知人と食事なので、早く日文研を出ないといけない。
日文研に行けなくなって、2週目に入ろうとしている。
来週はいないから、絶対に今週は行かないといけない。
どうして動けないんだろう。
8時、9時、10時になり、思いきって、起きあがったら、ふうっと立ちくらみがしてそのまま貧血を起こして崩れ落ちるように倒れる。
本当に、起きあがれないのである。
結局、今日も日文研を断念。
明日は研究会があるから絶対に行かなくては。
13時頃になり、激烈な腹痛を起こして、這うようにトイレに行く。
週末食べ過ぎたからかなあ。
尾籠な話だが、生理現象により、無事貧血を克服。
漸く起きあがれて、さあ、何をしよう。
とりあえずはパソコンの前に座り、来月〆切の投稿原稿を書き直してみる。
なんだか、頭が回らないので、今日もビデオ。
阪東妻三郎主演『魔像』をみる。
面白い。だけれど、これ前にも見たなあ、と思い出す。
どうしてこう記憶力悪いんだろう。
時間が来たので三宮に出かける。
創作地鶏料理屋さんに連れていってもらう。
味はまあまあ。
2時間ほど食事をして、大雨の中別れて帰る。
夕方には雨が上がるって言ってたのに、この大雨は何?
びしょびしょになりながら帰ってきた。
もちろん傘は持っていっていたが・・・
思ったよりも早く帰れたので、少し読書をして、明日に備える。
明日には絶対に日文研に行きたいから、今日は早めに薬を飲んで寝ることにするか。
とにかく雨さえ止んでくれたらもっと行き易いんだけれどなあ。
6月23日
今日は女学院にてアルバイト、後お稽古。
月曜日は、結構暇である。
ずっと観たかった『スリーピー・ホロウ』を漸く観ることが出来た。
最近、1日1食、乃至、1食半ぐらいしか、食べていなかったのに、昨日は昼も夜もお付き合いでちゃんと食べたので、朝からお腹が一杯で調子も悪い。
お昼は持ってきていたのだが、結局食べずに昼休みを過ごす。
夕方になり、後片づけをしていたら、雨が降ってきた。
今からお稽古に行くのに嫌だなあ。
折り畳みを持ってきていたので、それをさしながら御影にゴー!
夕方は私一人だったようなので、先生を待たせていたらしい。
「遅くなりまして、申し訳ございません」とご挨拶。
今日も、歩く稽古と、基本形のお稽古。
型は覚えていても、形が悪いと細かいところを注意される。
「男舞は5段にしますか、3段にしますか?」と聞かれて、「出来れば5段でお願いします」と答える。
「お謡は?」と相談されて、先生のご判断に任せて「通小町」に決まる。
もう、来年の話?と思われる方もいるかも知れないが、1年かけても、芸の奥は深いので、まだまだ完成されるわけではないのである。
ましてや、博士論文でまたお稽古を休む回数が増える私にとっては、1年では足りないぐらいである。
今日は、羽衣のお謡をお稽古して、終わり。
7月は1回しか稽古に来られない。
大丈夫かなあ?
帰りの車で、母に昨日のことを聞かれる。
大笑いされて、「あんたもよくそんなこと、相手に言えるねえ」と軽く叱られてしまった。
「そんな、完璧な条件の人なんていないんだから、どこか妥協しないと駄目よ」とまた叱られる。
それは分かっているんだけれどねえ。
帰りは祖父母の家である。
今日は、実は下心があって、祖父母の家に来た。
今週末から東京に調べものに行くための交通費を祖父に無心に来たのである。
そのために、今日は呆け防止麻雀にもお付き合い。
しかし、麻雀では祖父から巻き上げて、大勝してしまった。
これでは無心がしにくいが、それでも申し訳なさそうにねだってみる。
案の定、祖父は快くお小遣いをくれた。
遊びに行くのではなく、資料集めに行くのだから、熱心さを買ってくれたようである。
ありがたや、ありがたや。
何がなんでも、今年度中に博士をゲットせねばと、最近の沈没様を反省する。
でも、今日は遅くなってしまったので、もう何も出来ない。
お薬飲んで、お休みなさい。
6月22日
今日は、実は簡単な見合いの日である。
え、前の見合い相手?
2回ほど会ったのだが、それから東京へ行くとかいったきり、連絡がないので、ほってある。別に特に気に入ったわけでもないし。
今日も以前からメールで連絡をしていた相手で、仲介人は抜きに、二人で会うことにしている。
母には、「あんたもいい年なんだから、妥協しなくては駄目よ。理想ばっかりたかくしていたら、いい話なんてないんだから」ときつく言いつかっている。
私ははっきり言うと、面食いの方である。
だけれども、ルックスはこだわらない、もう捨てた、と妥協してみた。(もちろん、自分のことは棚に上げて)
普通の顔であればいいか。
写真を見たときに、まあ普通だから、他の条件が結構いいので、母と相談した上で会うことにしたのだが、待ち合わせ場所にいても、それらしき人がいない。
仕方がないので、暫く待っていると、携帯が鳴り、相手を発見。
え、ちょっと写真は詐欺?
っていったら、私だって詐欺かも知れないので、人のことは言えないが、全然違うじゃないの。
これまた、人のことを言えないが、私は生理的に太った人が苦手である。
だから、角力が大嫌いなのである。
国技だろうとなんだろうと、あの巨体を見るのが耐えられない。
もちろんあの人たちは太っているのではなく、筋肉なんだろうけれど、駄目なのである。
写真では普通に見えたのに、結構太いかなあ、というかお腹周りが・・・
センスもちょっと・・・
身長も高いので、ちびの私からすると、すごくでかい人がやってきた感じがしたのである。
私が神戸を案内する形であったのだが、お話をしながら、神戸巡りをしていると、やはり人は外見で判断してはいけないと深く反省。
実にいい人なのである。
とても真面目で優しい人で、ついでに全部おごってくれるし、話もちゃんと成立するし、高飛車の所も一つもなくて、本当にいい人なのである。
昼前から会って、向こうの希望で、夕食まで共にしたのだが、こちらが勝手に選んだコースにも一つも不満を持たず、喜んで相手をしてくれるのである。
おまけに、こんなわがまま女の私を気に入ってくれた様子で、「来週は空いてますか」とまで、言ってくれる。
帰り際に、「すいません、口も悪くて。お気に召せれなかったでしょうけれど、何でも率直に感想言って下さいね」と私が言うと、「いや、素晴らしいです」と何度も繰り返すほど、気に入られてしまった。
有り難い話である。
でも、何が素晴らしいんだろう?
向こうも同じ様な質問をしてきたので、この極悪非道の私は「本当に何を言ってもいいんですか?」と念を押した上で、いきなり初対面の人に、「もう少し痩せて下さると有り難いんですが」と失礼千万この上ない暴言を吐いたのである。
これで、怒ったかなと思ったら、「じゃあ、次に会うときまでに最低5kgは痩せておきます」とまで言って下さる、天使のようないい人であった。
普通、そんな暴言吐かれたら、怒るやろうが。
にもかかわらず、「出張で近く北海道に行くので、お土産は何がいいですか?」とか、本当に構ってくれて、性悪女の私はすっかり恐縮してしまいました。
昨日に引き続き、本当に私の周りには、いい人がたくさんいる。
こんな人々に囲まれながら、改心しない極悪非道人である私は、いつか天罰が下るであろう。誠に幸せ者である。
あれで、器量がよけりゃあ、即座にOKするんだがなあ。
そういえば、器量がいいって、女性にしか使わないのかしら?
え?そんな人ならとっくにいい人と結婚しているって?
そら、そうだわなあ。
とりあえず、暫く様子を見ることにしてみよう。
あれだけひどいことを言ったのだから、私も太らないように気をつけなくては。
ともあれ、無事に1日が過ごせたことに感謝。
6月21日
夕方に親しくさせていただいている知人たちと小さな食事会がある。
昨日、1日中転がっていたために、うまく睡眠に入れず、薬を飲む時間を逸し、とうとう薬なしで夜を過ごしてしまった。
なので、体調がやはり少し狂っている。
最近、寝る前の薬を服用すると、効きすぎるのか、次の日が起きられない。
だけれどもこうして飲まなければ、完全に体調を崩すので、眠れていないのかも知れない。
量を調整してもらうためにも、やはり昨日は主治医の所に行かなくてはならなかったと、今更ながら自己嫌悪。
後悔役に立たず。(誰に教えてもらったのかな、名言だと思う)
土曜の昼間は開いている少し大きめの郵便局に、郵便物を出しに行く。
はあ、本当にお金がどんどん減って行くなあ。今月も貧乏。
本を読むにも、なんか気が乗らず、字面を追うだけで頭に入ってこない。
やはりこういうときは、ビデオに限る。
先週の「武蔵」を観て、それから、CMでずたずたに切られている大映の三尺ものを観る。
三尺ものとは、股旅もののことである。
股旅ものとは、やくざものの映画である。
実は博士論文の対象には、三尺ものは微妙な位置を占めている。
全く無視しているわけでもないが、正面から中心的には扱っていない。
何故なら、殺陣のシーンを観ても、やくざだから、刀法なんて関係がないからである。
彼らがどんなにがむしゃらに刀をふるっても、全然問題がないからである。
そんなことはどうでもいい。
ビデオを見終えてから、二品ほど、料理を作り、食事会に持っていくことにした。
少し早い目に家を出て、明日誕生日の人がいるので、花束を購入。
会場となる家に向かう。
本当に気持ちのいいマンションで、快適である。
みんな心からいい人たちばかりで、こういう人たちのお仲間に呼んでもらえることに心から感謝している。
食事も美味しく、当然ながらワインも美味い。
楽しいから、あっという間に時間が過ぎていく。
皆さんのお楽しみを中断して悪かったが、突然「電車のあるうちに帰りたい」と無理を言って、会を終了させてしまった。
誠に申し訳ないことである。
でも、こうして楽しいことがあると、なんか少し元気になるから、これが来週のやる気につながればいいなあと思う。
今日は薬を飲んで就寝。
お休みなさい。
6月20日
今日こそ、日文研と思うが、また出られない状況に陥る。
5時には目覚めたのだが、動けない。
何故かとっても行きたくない自分がいる。
アルバイトをしないとやってられないのに、行かなくてはいけないのに、どうしていきたくないんだろう。
私の記憶が正しければ、今日が博士論文、本稿の提出日。
もしかして、今日提出できる人たちに、私は嫉妬しているのか?
姿が見たくないのではないか?
そんなことも受け入れられないほど、私は了見の狭い女なのだろうか?
6時、7時、8時、9時、10時・・・
自己嫌悪の嵐に飲み込まれて、あふれてきそうな涙を飲み込みながら、一人マンションの中で茫然自失。
まだ行ける、まだ行ける、とずっと思い、自分に言い聞かせ、ハッパをかけるのだが、どうしても無理。
そうだ、今日は診察日じゃないか。
だったらこんなに調子が悪いのだし、主治医のところに行けばいいじゃないか。
そう言い聞かせて、時間がたつままに転がっていると、お昼が過ぎていった。
1時になり、BSで時代劇がやっていることに気付く。
美空ひばり主演の『小判鮫 お役者仁義』、東映の作品だ。
そうそう、研究のためには時代劇を観なくちゃ、と言い聞かせTVをつける。
最初の10分も経たないうちから、これは『雪之丞変化』だということに気付く。
確か大川橋蔵でも『雪之丞変化』はリメイクされていたから、東映は2回もこの物語をリメイクしているのか、と思い、何故そんなにリメイクするのか、やはり大量生産のためにネタが追いつかない結果だったのかなど思案する。
映画が終わり2時半になり、薬を飲む気力が漸く出てきた。
それからは、何も出来ずに3時、4時・・・
もう今でないと診察に間に合わない。
でも、相変わらず何も出来ず、診察にすら行くことが出来ずに、1日が過ぎて行った。
今週は1日おきに沈没している。
来週には復帰できるのかなあ。
湿気と暑さに耐えられず、どんどんと降下して行く。
どん底。
6月19日
女学院にてアルバイト。
今日は、無事に出勤したものの、頭が痛い。
朝からぼちぼち学生さんがやってくる。
今日も何もする気にはならないから、DVDを観る。
今日を観たのは『ドニー・ダーコ』。
途切れ途切れが、相変わらず気になるが、映画は面白かった。
昼休みは、昨日の胃もたれから食欲が落ちたので、何も食べずにぼーっとしている。
昼からは結構忙しくなって、なかなか観ることが出来ない。
次の展開が気になるが、お仕事が大事。
接客業と、自分では思っているから、とても丁寧に応対しようとしているのだが、どこかでいらいらしているのか、いつもみたいに笑顔が出ない。
学生さん、ごめんなさい。
帰ってくると電話が鳴る。
取り損ねると、携帯が鳴る。
父が帰ってきたから、買い物をして夕食を食べに来いと言う。
いつもなら即座に断るが、冬物の入れ替えをしたいという気持が働いて、承諾する。
買い物をして、実家に行き、夕食の支度をする。
阪神ファンである一家は、野球中継に熱中だ。
それでも心休まらない私は、またもやワインをがぶ飲み。
一人で1本空けてしまい、すっかり酔っぱらい。
酔っぱらわなきゃやってられない自分がいるのに、茫然自失。
何でこんなに不安定になっているんだろう。
扇風機を持って帰ろうと思ったら、何と車が修理中でない!
何のためにここまで来たんだろう?
軽く母に八つ当たりしている自分が許せなくて、コントロールできない自分に腹が立って、逃げるように家に帰った。
私は何者なんだろう。
6月18日
朝早くから目が覚めたのだが、二日酔いなのか、雨のせいなのか、ひどい頭痛で起きあがれない。
おまけに腰痛がひどくて、どんな格好で転がっても辛くて仕方ない。
思いきって起きあがると、立ちくらみをして、そのまま布団の上に倒れる始末。
今日は日文研に行かなくては、と思う気持ちだけが強いが、身体はついていかない。
6時になり、7時になり、8時になり、9時になり・・・
まだまだいけると思うばかりで、体は重たくて動かない。
腰痛はますますひどくなるばかり。
腰を取って捨てたい!
マジでそう思った。
雨は降り続き、憂鬱になるばかり。
だんだん気持が落ち込んできて、普通に社会生活が出来なくなってきている自分が涙が出てくる。
論文を書いていたときは、あんなに元気だったのに、何故ぶり返してくるのだろう?
きっかけになる出来事が思い当たらない。
気持だけが悶々と引きずりながら、どうしようもない身体を持て余して、ただ涙に暮れるばかりなり。
気がつけば、昼も過ぎ、12時、1時、2時・・・もう行かれない。
情けなくて、またひとしきり泣いた。
気持ちを切り換えようと、「武蔵」のビデオを見ながら、論文に向かっているんだと言い聞かせる。
夕方になってしまい、初めて薬を口にして、水分を補給する。
なんか胃に入れなくてはと思い、野菜スープを作る。
だが、食べ終わると、今度は胃にもたれてしまい、重たい胃をかかえて転がり廻る。
はあ、どうしたらいいのか、自分で分からない。
とりあえず、元気にならなくてはとお風呂にはいる。
お風呂は気分転換にもってこい。
と、今まではそう思っていたのだが、今は入るのもおっくうに思われる。
湯船につかりながら、汗も掻かない自分に、また新陳代謝の悪さを思い知らされ、ますます自己嫌悪に陥る。
カイロプラティックの予約が入っていたので、ずるずると身体を引きずるように階下に降りていく。
「調子はどうですか?」
「最悪です。頭痛、腰痛、発熱、たちくらみ」
「相変わらずですね。発熱はいつ?」
「月曜日」
「今はないんですね。腰痛はここが痛いでしょう」
「痛い!」
何でこんなにぴったり痛いところが分かるのだろう?
跳び上がるほど痛かった。
どうしても痛くて仕方がないので、身体の波長をととのえるというシールをぺったり貼られる。
不思議と痛みが軽減する。
身体を矯正してもらうが、発熱のせいでよけい体質が落ちているらしく、どこを触られても痛い。
はあ、こんな身体、そっくりと交換できないかしら?
6月17日
朝から元気になったので、女学院に出勤。
昨日の休みをわびる。
取り立ててトラブルはなかったようなので、安心。
朝から学生さんが途切れなく来る。
それを捌きながら、直ったマックで、DVDを観る。
今日観たのは、前から見たかった『オール・アバウト・マイ・マザー』である。
とぎれとぎれにしか、観られないのがもどかしいが、お仕事が優先なのは当たり前である。
こうして、大勢の人の中にいると落ち着いているのだが、後片づけをして、一人になると、またもや情緒不安定に陥っていく。
結局、今日は別の友人にメールを入れて、付き合ってもらうことにした。
ただでさえ、貧窮なのだから、本当は外食している場合ではないのだが、一人ではいられない。
何におびえているのだろうか?
結局、終電ぎりぎりまで付き合ってもらいました。
こういう友人が周りにいることに心から感謝。
帰ってメール・チェックをしていると、エッセイの返事がかえってきた。
一言こう言うことを入れてはいかがですか?というアドバイス付きで、入稿のOKサインが出た。
よかった。
今日も酔いによって、薬と混ぜ合わせて昏倒。
6月16日
今日で母が還暦である。
しかし、今日・明日と1泊で北海道にゴルフ旅行をするという。
聞いてないよと、昨日文句を言い、今日あげるはずのゴルフウエアを昨日あげた。
長袖の方がよかったらしいが、普段ゴルフをしない私は、夏だから半袖をあげてしまった。
それでもいいからといって喜んでもらえて嬉しい。
後で兄夫婦の所に電話しておいてもらうようにした。
今日は女学院でアルバイト、のはずだったのだが、朝も熱が引かずに全身が痛い。
明日も女学院でアルバイトだから、無理して、明日いけなくなるよりは、早い目に今日お休みをもらって、明日ちゃんと出勤した方がいいと考えた。
朝「熱が下がらないので、お休みさせて下さい」と電話を入れる。
今日は嘱託職員さんがいるから安心である。
朝6時頃から起きていたが、頭が痛いので、そのまま転がっている。
外はだんだんと雨足がきつくなっていく音がする。
低気圧で頭痛がするのか、熱で頭が痛いのかよく分からない。
昼までは、とりあえず布団の中でおとなしくしていた。
昼過ぎになって、熱を計ると、下がっていた。
普段こんな時間帯に家にいないので、国民健康保険や学会費や各種支払いに出かける。
今月はプレゼントも買っているので、貧窮。
月末に東京に行くのにチケットを買ったので、極貧。
帰ってきてから、軽く胃にものを入れ、薬を服用。
暫く堰Bたわっている。
もう、熱のでそうな気配がしなかったので、大丈夫とふんで、コンピューターの前に座り、一気にエッセイを書き上げてしまう。
そして、また先生の所に添付ファイルで送ってチェックしてもらう。
どうだろうか?不安。
熱が出て心細くなったのか、原稿の不安からか、夜になって突然情緒不安定に陥る。
どうしても一人でいると泣けてくる。
怖くて仕方がないので、近くの知人に夕食を共にするという理由で、しばらく一緒にいてもらった。
私は自分の感情すらコントロールできないのか?
6月15日
昨日は、さすがにひるから呑みっぱなしだったので、実家に泊まった。
朝に一度起きたのだが、またまたソファでダウン。
昼に母に起こされた。
あれだけ大量のアルコールと誘眠剤を呑むと自殺できるね。
朝そんな馬鹿なことを考えながら転がっていた。
別に今死にたいわけではないのだけれど、ちょっとね。
お昼を、前から気になっていたイタリア料理屋に行って、ランチを食べる。
迎え酒でビールを一杯。
人のこと言えないなあ。
家に帰り、ビデオを見ながらまたごろごろ転がる。
コンピューターの前に座ってみるものの、エッセイが書けない。
結局またビデオの前に逆戻り。
映像学会の〆切も近いなあと考え、どうしてこう調子が乗らないんだろうと訝しげに思う。
草稿書いていたときは、あんなにハイペースで書けていたのに。
でももう6月も中旬である。
エッセイとテープ起こしと、投稿原稿を6月中にやらなくては。
読まなくてはいけない本も山のようにあるが、これもなかなか調子が乗らない。
家でごろごろしていたら、電話がかかってきた。
母からである。
「今からイカリに行くから」
「それで?」
「出ていらっしゃい」
「なんで?」
「今日は父の日でしょう」
昨日付き合ったからもうええやん。
とは思ったが、お茶屋代は父が払ってくれるんだから、文句は言えない。
イカリで待ち合わせて、昨日電車の中で「ゴルゴンゾーラのペンネ」を記事で見つけて食べたいと言っていたことを思いだし、昼もイタリアンだったけれど、夜もイタリアンになってしまった。
モエエシャンドンのハーフサイズを父の日のプレゼントにした。
いつもは、父がスパークリング・ワインを1本のみ、私が赤ワインを1本呑むのだが、さすがに連続して浴びるように呑んでいたので、赤ワインに手が出ない。
父のワインを少し分けてもらって、自制をしていた。
ゴルゴンゾーラのペンネはお気に召したようで、ほとんど一人で平らげていた。
阪神巨人戦をやきもきしながら観ていると、にわかにしんどくなってきた。
顔が痛い、身体が痛い、暑い、しんどい。
熱を計ると36.9度。
平熱が低い私にとっては微熱と変わらない。
慌ててうちに帰って、風邪薬を飲み、誘眠剤を飲み、早々に休むことにした。
お休みなさい。
6月14日
今日は6時頃に目が覚めた。
6時間睡眠か。
十分じゃないか。
朝からまたお風呂にゆっくり入る。
今日のお昼は、祖母の卒寿記念パーティーで親戚が集まってリッツ・カールトンでお食事会である。
祖父も元気に参加できて良かった良かった。
当然のように昼間からワインを呑む呑む。
祖母は元気で若々しく、とても90には見えない。
80代前半ぐらいに見える。
私がほとんど化粧をしてこなかったので、母に叱られる。
だって、別に主役じゃないからいいじゃないの。
会がお開きになって、母は祖父母を連れてタクシーで帰る。
父と帰ろうとすると、京都へ行くからお兄ちゃんの店に行くから来ないか?と誘われる。
ちょっと酔っていたので、全然状況を把握せずに、着いていくと、兄の店は満員。
読売新聞に載ったのが効果があったのかしら?
アイス・チャイを呑んで、すぐに退散。
北野天満宮の方にある、「越路」というお店に行く。
そこに集まっているのは父のゴルフ仲間である。
なんか場違いなところに来てしまったなあ、と小さくなっていると、食事が出される。
お昼が御馳走だったので、あまり食欲がない。
申し訳程度に煤uをつける。
みんなゴルフの話で盛り上がっているから、ちょっと退屈である。
するとメールに、上海から帰ってきたという友人からのメッセージが入り、今すぐ逢いたいという。
そういわれても今は京都だし、いつまでこの店にいるのか分からないし、父にこっそり、「いつまでいるの?」「もうすぐ」「だったらそこで私は帰るわ」「ここまで来てそれはないだろう。次が大事なんだから」「そうなの?」
仕方ないので、友人に、明日会えないか聞いてみるが、明日は駄目だという。
そんなわがまま言われても、どうしようもないので、来週の金曜日にしようと打診して、承諾してもらう。
そこで、一体どこへ連れて行かれるのかと思っていたら、何と上七軒のお茶屋。
今日の集いはお茶屋遊びだったのである。
確かに、お茶屋遊びなんて滅多に体験できることがないので、興味津々。
舞子はんが2人と、芸子はんが一人。
地方がいないので、テープで踊りを見せてもらう。
後は堰Bについて、お酒をついでくれる。
なじみの人が幹事で、いろいろお茶屋について教えてもらう。
舞子とは、芸子とはと力説されるのだが、お互い酔っているので、今ひとつ話がはっきりしないのが惜しかった。
「ねえさん、水割りでよろしおすか」といわれて、言われるがままに水割りを飲む。
一体いくらかかっているんだろう??
映画で見るお茶遊びって言うと、唄や踊りはもちろん、一緒になってゲームをして遊んだり、かっぽれみたいに躍ったりというイメージが近かったが、そんなことは全然なくて、隣でお酒をついでくれて、お話相手になるというだけで、ラウンジとかわらないなあと思ってしまった。
京の夜は更けて行くが、私が厳しく言って、電車で帰ることにした。
何が京都から家までタクシーよ。そんなにまき散らすほどのお金があるのかしら?
父は帰ってから、またビールを飲んで、何気なくそれにまた付き合って呑んでいたら、人の顔をジロジロとのぞき込んで、一言。
「今日(京)は、ええ勉強になったやろ?」
6月13日
13日の金曜日である。
昨日トマトとワインだけを胃に流し込んで、薬を服用した私は、朝起きられなくなってしまった。
頭は起きているのだが、身体がどうしても起きあがれない。
蛇のようにずるずると転がりながら、狭い部屋を移動して出かける準備をしては見るものの、立ち上がれないし、立ち上がると立ちくらみを起こして、すぐにへたりこんでしまう。
今日はたん熊さんのお料理教室なのだが・・・
結局時間が過ぎて間に合わなくなってしまった。
次は主治医の所、と思っているが重い腰はあがらない。
太ったからかしら?重いのは。
あ、でも論文書いているときよりは落ちたけどなあ。
あー。よくわからん。
主治医の所に行くには行ったけれども、急用が入ってしまい、結局お薬だけもらって帰ることにした。
相談しなくては思っていたのに・・・
急用というのは、先日会社を辞めてしまった友人から逢いたいと連絡が入ったのである。
30分ほど時間をずらしてもらって、待っていたのだが、前の人が長かったために、どう計算しても私の番が回ってきたら1時間は待たせることになる。
まあ、眠いだけだし、眠いのは不眠症が治ったかも知れないのでよいことだし、いいか、と思って、来週に行くことにした。
十三で待ち合わせて、大衆酒場にはいる。
面接など毎日受けているのだが、今ひとつ条件が合わないから保留にしているそうだ。
今はどこも厳しいらしい。
不景気だもんね。
毎日呑んで気晴らしをしているらしくて、思わず心配をしてしまう。
「のまなやってられへん」という言葉に、何も答えてあげられなかった。
そうして付き合って、今日は私と呑むのか。
明日は広島に行くっていうし、呑んでいて大丈夫なのか?
わりと早めに切り上げた。
「また、メールするわ」という言葉を信じ、上手くいくように願ってあげるしかない。
そういう私も今は唯の酔っ払い。
薬を飲んで昏倒。
6月12日
今日も女学院にてアルバイト。
朝はなんだか暇である。
やはり薬がきつくなってきたせいだろうか、午前中はとにかく眠い。
実は、エッセイが没になった。
やはり対外的に文章化をされると気にする先生がいると言うことだった。
確かに事実を書いているのには違いはないが、書いている私も揚げ足を取られ兼ねない表現があるので、別のテーマにしましょうということになった。
自分でもなかなかの力作だったと思っていたのでショックは大きかったが、指摘されるとなるほどねとも思った。
他の先生や院生にも迷惑がかかったらいるので、素直に取り下げた。
脇のガードが甘いと師匠に言われたが、本当にそうである。
午前中の間、ずっとテーマを考え直していた。
でも、途中で睡魔に襲われながら。
ノートパソコンを持ち込んでいたのだが、なかなか筆が乗らない。
結局そのまま昼休みとなってしまった。
昼休みの間、しばしうつらうつらとしながら椅子に腰をかけていた。
なんか悪夢にうなされてハッと起きた。
不眠症治ったのかなあ。
でも、薬辞めると体調崩すしなあ。
明日が診察日なので、相談しよう。
夕方、「美味しいワインが手に入ったので、一緒に呑みませんか」という嬉しいオッファーが来る。
もちろん断るわけがない。
後で連絡が入ることになって、それまでにしなくてはいけないことを考えていたのだが、家に帰ると身体が疲れて、ゴロりんとまた布団に転がる。
ニュースを見ながら浅い眠気に襲われて現実と夢の間を行き来する。
いつもは4月から5月病と言っている私が、今回は論文の草稿でずいぶん元気に活躍していたから、今頃どっと疲れが出てきたのであろうか。
もう夏バテかしら。
最近食欲もガンと落ちている。
薬を飲むのも面倒くさくなってきて、よくないなあ。
まずはエッセイの書き直しをしなくてはならないと思いながら、なかなかテーマが決まらない。
だらだらしているうちに、連絡が入ってワインタイムとなってしまった。
考えたら何も食べていないので、それでは酔いも早かろうと思い、トマトのスライスをあてに、フランスワインを頂いた。
美味い。
呑んだら、やっぱり酔いが回ってしまって、何もできなくなってしまった。
あああ、反省のないやつ。
6月11日
今日は女学院にてアルバイト。
朝5時に起きたのはいいが、曇っているせいか頭が痛い。
眠気覚ましにお風呂に入る。
ちゃんと夜のお風呂には入れるようにしないとなあ、なんて思いながら、最近はずっと朝風呂である。
薬がまだ残っているのか、少し頭がぼーっとしている。
そろそろ薬を減らしてもらえないか相談してみるか。
私は馬鹿だから、自分でも驚くほど、タイトにスケジュールを埋めていってしまっている。
そのおかげで、1日中家に引きこもって、身体さんを休ませてあげる日が出来ない。
そして、そのつけが回って、また体調がおかしくなる。
もっと論文にだけ絞り込めばいいのだが、今のうちにアルバイトをして少し稼いでおかないと、という気持ちが強いため、次々と入れてしまうんだなあ。
まあ、お勤めをしたら、毎朝早くからきっちりと通わなくてはいけないんだろうから、私がぶつぶつ言っているのは、贅沢なのだろう。
今朝は、薬を服用したにもかかわらず、朝から胃がきりきりと痛い。
昨日中途半端な時間にものを食べたせいかな。
胃薬は当分減らされそうにないだろう。
何でこんなに調子悪いかなあ。
やはり「梅雨」のせいか。
毎年6月から夏にかけて、調子を崩す。
何か対策を練ればいいのだが、いつも対応しきれずに、ずるずると崩れていくのである。
学習能力がないなあ。
おそらく薬のせいだと思うが、最近、物忘れがあまりにもひどい。
手帳だけでは不安なので、携帯にも予定を書き込んでいる始末。
それでも手元に手帳がないと、「来週は?」とか聞かれても、「うーん。ちょっと手帳がないから分からない」としか言えない。
こんなんでよく論文書いているよなあ。
確かに何度も同じ資料を読み返しているのは事実だけれど。
いやに事務室が騒がしいと思ったら、嘱託職員さんが早退していった。
軽いパニック障害を起こしたらしい。
最近多いんだよねえ、パニック障害。
まあ、神経性鬱状態である不眠症の私が言うのも何だけれど。
病人に病気の事なんて言われたくないだろう。
でもねえ、本当に増えているのは事実。
不安に駆られるのかしら?
社会に対応できなくなるっていう瞬間があるのだろう。
私はパニック障害にはなったことがないので、追体験して想像をめぐらす事が出来ない。
まあ、それは不眠症に陥り、鬱になったことがない人が分からないのと同じだろう。
私の周りにも、やはり精神的に病んでいる人がいる。
それに比べると、多分私はかなりの軽症にまで快復したのだと思う。
抜け出すまできっと後1歩なんだろうなあ。
でも、主治医の所に行くとホッとしてしまうし、診察日が近づくとそれを待ちこがれている自分がいるって事は、まだまだ社会復帰できていないということか。
今日は女学院のアルバイトの後何もないから、もうひとつの病院に行かなくては。
帰ってからテープ起こしか、「かげろう笠」の続きを見るかして、一つずつ前進していかなければと思っている。
でも、帰ると疲れて、しばらくはごろごろ転がっているんだよねえ。
効率が悪いことこの上なし。
6月10日
久々に5時起き。
昨日、帰ってから疲弊してしまい、薬を飲んで昏倒。
お風呂に入られなかったので、朝風呂にはいる。
朝から目がさえて、1時間近くもゆっくりと入る。
朝からリラックスしていていいのだろうか。
7時半前には家を出て、日文研に向かう。
健康診断の書類を日文研に置いていたから、取りに行かなくてはいけなかったので、午前中はついでに仕事をしようと思った。
ついでにエッセーの件もあり、先生のメールアドレスをコモンで聞いて、事情を書いて添付する。
それからお仕事に励む。
この詳細データを入力していくのかと思うと、気が遠くなるなあ。
エッセーの件ではなかなか手厳しいが、ごもっともという返事を頂いた。
私はそういう意味は全くもっていなかったので、やはりこれは問題ととる人がいるという可能性があることは、自分で責任をとらなくてはならないと思った。
いくらエッセーだからといって、活字になるからには、総ての文章に文責が生じる。
私がちゃんとそれをケアーできているのかというと自信がない。
本当に磨u熟者だなあ。
日文研の先生方は大きいわ。
編集委員である佐刀B先生にその旨を伝え、今日中に書き直して送ることにした。
これでOKが出るといいのだが・・・
12時になったので、仕事を終えて、早速健康診断の行われているところへ。
西院からバスで行く、結構不便なところなのである。
あー、ここに通うのも今年最後になって欲しい。もちろん良い意味で。
今日は空いていたので、あれよあれよと検査がすんでいく。
連日のアルコールのせいだと思うが、低血圧であった私にしては血圧が高かった。
まあ、平均値なんだけれどね。
何と、2年前から身長が1cmも縮んでいる。
そんなあ、ただでさえちびなのに・・・
病院の人が気を遣って、「もう一度計り直しますか?」と言ってくれたので、計り直してもらう。
去年と一緒にもどった。
別に背伸びはしていないよ。
でもショックだなあ。
後は順調。
今日もオパールで会議。
その前に母へのプレゼントを購入。
ちょっと予算オーバーなので、消費税分は私が払うか。
向こうは2人分だもんね。
それから、祖母に鉢植えのアジサイを買う。
これも予算オーバーなので、少し私が多めに出そう。
そして、それらの大荷物をかかえて、19時ぐらいに来る義姉に見せようと思う。
しかし、健康診断が思いの外早くすんで、おまけにバスもすぐきたし、買い物も即決したので、15時過ぎにはオパールに来てしまった。
実は今日が本当の、祖母の誕生日なのである。
だから、卆寿祝いにアジサイの花を買ったのである。
普通のアジサイとちょっと違って、なんか花火が散ったみたいな花で可愛い。
だから、義姉が来たら見せておいて、こんな花を贈ったよと言おうと思っていた。
はあ、19時まで4時間近くあるじゃないか。
また迷惑な客だなあ、と思いながら大荷物だからいつものカウンターと違い、席を一席占領する。
もちろん混んできたら、カウンターにうつるつもりである。
昨日はあまり食べなかったので、漸く胃が落ち着いてきたみたいである。
まず、ランチを注文する。
ドリンクはいきなりグラスワイン。
暑かったから白にしてみました。
全く懲りないやつである。
時間潰しのために、ノートパソコンを持っていっていたので、エッセーの書き直しをする。
なるべく誤解のないように、何度か読み直して、書き直す。
後は先生の判断に任せよう。
それから7月〆切の投稿原稿に取りかかる。
しかし、なかなか時間は経たない。
草稿の時、あんなに時間がなくていったのに、誠に時とは不思議なものなりけり。
客が入っては、帰っていく。
とうとう18時にしびれをきらして、義姉の携帯に連絡を入れて何時頃に来るか聞こうと思う。
何故か兄が出た。
「お前何時からいるん?15時?なに早くから来てるねん」
「いやちょっと、計算ミスで、物事がスムーズにいってしまったんよ」
義姉には申し訳ないが、19時に来てもらうことにして、もう1時間時間を潰す。
さすがに何も頼まないのは悪いので、紅茶を追加する。
義姉は、私に気を遣って、消費税分も混みで3等分しようと言ってくれる。
でも、予算オーバーしたのは、私だからいいと断ったが、「こう言うことはちゃんとしないと」といって、結局割り勘になりました。
申し訳ない。お互い貧乏なのにね。
帰りは祖父母の家に直接行って、サプライズ・プレゼントである。
結構大きな鉢植えだったので、とても喜んでくれた。
庭に移し替えて、来年も上手く咲くようにするね、とまで言ってくれる。
祖母は数え90には見えないほど若い。
どう見ても80代で通る。
いつまでも元気でいて欲しいなあ。
帰りはすっかり遅くなってしまった。
その上、遅くまでメールをやりとりしていたので、薬を飲む時間も大幅に遅れる。
どうして、きちっと管理した生活が出来ないんだろう。
6月9日
女学院にてアルバイト。
今日は、夜にシルヴィ・ギエムを観に行く予定である。
早く夜にならないかな、と思いながら1日を過ごす。
お昼休み、まだまだ満腹感の切れない私は、漸く自分の意志で御飯を食べなくてもいいという選択が出来た。
週末出歩くと、何となくブルー・マンデー。
疲れが溜まるのかしら。
大したことしていないのになあ。
気疲れかしら。
なんだかんだとお仕事をこなしながら、学生の対応をこなしていく。
ひさしぶりにDVDでも見るか?と、思いつき、入力に使っているPCのDVDプレイヤーを立ち上げると、エラーメッセージ。
再インストールせよ、といってくる。
えー、DVD見られないの?
これまでは、論文を書いていたから、結構見たい映画我慢してきたのに・・・
思わず嘱託職員さんに言ってしまう。
「あのマック、DVD見られなくなったんですか?」
「あれね、修理に出して、見られるようになっていたのに、最近また駄目になったのよ。DVDみたいでしょう。私もいっているの」
そうだったのか。
仕事中に内職しようって言う方が悪いのかも知れないけれど、いや悪いんだけど、でもちょっと残念。
おとなしく仕事と読書をしておりました。
しかし、今日は17時になってもなかなか学生さんが帰ってくれない。
後片づけが大変。
大慌てで、片付けをして、大阪に向かう。
今日の公演は開演18時半。
18:15に待ち合わせをしていたのだが、フェスティバルは遠いのだ。
すごい勢いでフェスティバルまで駆け付けたのだが、相手がいない。
私がチケットを持っているのだ。
時間は25分。
どうしようと思っていると、携帯が鳴った。
相手は携帯を持っていないので公衆電話出かけてきたのだ。
申し訳ないと謝り、すぐに会えた。
やきもきさせてすまない。
公演には無事間に合いました。
いつ見てもギエムはすごい。
同じ人間の動きとは思えない。
私が語らなくても、ギエムについては多くの人が語るであろう。
私は2回目だったけれど、友人は初めて。
ちょっと席が悪かったのが申し訳なかったなあ。
帰りはワインの店に連れていってもらう。
ああああああ、こうして、今日もワインを飲んでいるのでありました。
明日は健康診断。
こんなに呑みまくっていていいのだろうか?
血液検査がないから大丈夫かな。
6月8日
三宮で12時約束していたのに、遅刻してしまった。
いきなり申し訳ない。
朝9時に起きたのだが、牛のように転がっていたらまた眠ってしまったのである。
慌てて用意をして出かけたが、先方に携帯で連絡して、平謝りで駆け付けた。
本当は怒っていたのかもしれないが、軽く笑って許してくれて感謝。
トア・ロードにあるベトナム料理のお店に行く。
トア・ロードに来るのは久しぶり。
こんなお店が出来ていたんだ。
そこでランチをおごってもらった。
しかし、昨日からお腹一杯の私は、まだ空腹感もなく、お腹が一杯で、ランチが食べきれない。
申し訳ないと思い、かなり無理して食べたのだけれど・・・
「これって、見た目よりもずっとボリュームありますね」と言い訳をして残してしまった。
「いいですよ、無理して食べなくても」と言ってはくれたんだけどね。
遅刻をするわ、おごってやったら残すわで、たちの悪い女となってしまった。
それでも、2時間ほど盛り上がって話をしていたんだけれど。
店を出ると、「じゃあ、ぶらぶらして帰るから、またね」と明るく言って帰っていってしまいました。
怒っているんだろうなあ。
折角三宮まで出てきたけれど、一人になってしまい、結局家に帰り、洗濯物を片付けているうちに眠気に襲われ、音楽をかけながらまたまたごろりと転がる。
元気にならない、元気にならない、これでいいんだ。
そういえば、エッセーは一カ所だけ問題点が残っていた。
書き直した方がいいのか、どうかをもう一人の先生に聞いてみたら?と返信が来ていたので、それをしなくてはと思いながらも、その先生のアドレスが分からず、結局火曜日に日文研に行くまで無理だなあ、とそんなことを考えていた。
日が沈んでいく、部屋が暗くなってくる。
今日の私はサイテーな女だな、と思って少し悲しくなった。
自分が最低なのは仕方がないけれど、それで誰かに不快な思いをさせたかも知れない、その事が許せなかった。
などと、人が感傷にひたっていると、携帯が鳴る鳴る。
今度は祖父母のお誘いで、寿司屋に出てこいと言う。
寿司屋のご夫婦が発表会を見に来てくれていたから、その御礼に食べに行くのだという。
もちろん、私も御礼を言わねばならない立場にある。(お金は払わないけど)
昨日から、もう本当に全然お腹空いてないのよね。
でも、祖父がまた「順子はどうした」というのが目に見えているので、仕方がなく出かけていく。
カウンターに座るものの、何も食べたくないんだなあ、これが。
とりあえず、チューハイを注文している自分が怖い。
続いて、「八海山」を呑んでいる自分がもっと怖い。
あああ、今日もまた酒を飲んでしまった。
6月7日
もう、実験はやめである。
昨日、家に帰ってから何も出来なかった。
これ以上アルコールで酔いつぶれるまで飲むのも体によくない。
主治医が処方してくれているのだから、勝手に辞める方が身体に悪いのではないか?
それよりもぐっすり眠りたい。
いいんだ、たとえそれが一時期意識を失ったような状態であっても。
ということで、昨日は、ちょっと量を増やして再び服用。
こんな事ばれたら、主治医に怒られるだろうなあ。
ともあれ、朝は6時頃に目覚める。
昨日は12時半頃に寝たから、6時間近く眠っていたことになる。
嬉しい。
今日は、大会が終わって初めてのお稽古日である。
朝一番でいくことになっていたのだが、まだ時間があるので、朝から洗濯をする。
本格的に梅雨が来るまでに、干しておきたい。
本当は明日のお天気を狙って、冬物を一挙に片付けたいのだが、昼間に用事が入っているし、とりあえず、普段着だけは今日のうちに片付けておこう。
8時頃まで、布団でごろごろしながら、またまた「やらなきゃならない」地獄に思考が落ち込んで、そのまま何もせずぼーっとしている。
朝風呂に入り、軽く掃除をして、病院に行こうかな?と思っていると、母から電話が入る。
そうか、もう稽古に行く時間か。
週末なので父が帰ってきている。
だから、午前中のうちに稽古をすませて12時半には戻ってこいというのだ。
理由は、一緒に昼御飯を食べるため。
子供じゃないんだからね。ったく。
雨が降るのか、変な空である。
妙に蒸し暑い。
お稽古場で先生に大会の御礼を言う。
今日は、初日なので、基本形の形稽古。
「来年は何にしますか?『清経』か『安宅』の男舞い。『清経』ならクセとキリの舞いがあるから、少し長いですよ」
うーん、やりたいのはもちろん「清経」の方である。だってかっこいいんだもん。
だけどなあ、また本論〆切前(って、まだ審査に通ったわけではないんだけれど)に2カ月ほど休みをもらうとなると、今年と一緒で、出来上がりの悪いワースト1の社中になり、先生をいらせてしまうのが目に見えている。
「やりたいのは『清経』なんですけれど、今年はまだ論文の方が大変なので、『安宅』にします」と答える。
くー、無理してでも「清経」にするべきだったかなあ。
でも、また今年のようになってはしんどいし、迷惑かけるからなあ。
短くても、よりかっこよく完成度の高い舞が舞えるように「安宅」にしよう。
久々にあらいものをするので、ちょっとウズウズしている。
実家にほぼジャスト12時半に帰り、そのまま車で、父のお気に入りの中華料理店に行く。
歩いていけない距離ではないが、ちょっと遠いのである。(20分ぐらいかな)
食事をしていると、母から突然依頼が。
トマトがたくさんとれているから、今晩はトマトを使ってイタリア料理を作ってというのだ。もちろん実家での話である。
「エー、友達から連絡はいるから家にいるって言ったのに」
「用事があるなら携帯にかかってくるんでしょう」
それはそうなんだけれど、何で私が料理せなあかんの?
別に料理するのは構わないのだが、お昼をたくさん食べたから、夜は食べたくなかったのである。
他にすることもあったし。
母はそう言うなり、祖父母の家に用事があるからと行って一足早く帰ってしまった。
しかも私は実家にいることになっている。
夕方トマトを採りにいって、そのまま買い物に行くことになっているのだ。
何故、私には決める権利が剥奪されているのだ?
まったくモウ、と牛になった私は実家のリビングでごろりと転がり、牛のように寝そべりながら、撮りためていた「武蔵」を見る。
父が昼寝しているのをいいことにして、続いて長谷川一夫主演の『かげろう笠』を、ごろごろ転がりながら見る。
人が気持ちよく見ていると、チャンネルをいきなり変えられた!
「ちょっと、人がビデオ見ているのに、何よ!」
「もう、トマト採りにいかなあかん時間やろう。ママに電話してみ」とチャンネル権を掠奪した父が言う。
実家の主である父に、チャンネル権を取り戻されてしまい、更にモウと牛になった私は、怒りながら母に連絡すると、今から行くから外に出て待っているように言われる。
くそー、今夜はトマトづくしにしてやるから、覚えていやがれ!っと一人猛り狂っていた。
しかし、買い物が済んで「いざトマトづくしの技」と、思っていると両親の知り合いが、「イサギを釣りで釣ってきたから今日中に食べて」と持ってきはった。
こうして私の野望はイサギの前に泡のように消えた。
本当は「イサギのトマトソース煮込み」を作ってやると思っていたのだが、あっさり塩焼きとお作りにされてしまったのである。とほほ。
それでも、ガスパチョと夏野菜のトマトソースのパスタと二品作り、更にカプレーゼもと思っていたが、阻止されてしまった。チェッ!
料理を作ると更に食欲がなくなるので、ますます食べたくないのに、食卓には山のように料理が乗っている。
少しだけ食べたつもりだが、お腹が一杯でしんどい。
ワインで酔っぱらってソファで寝てしまった母を尻目に、更にパスタをお代わりする父のために料理を作り、(よく食べるよなあ)、さっさと自分の分は洗い物をして、友人からの電話を理由に家に帰った。
実はそこからまた友人とワインを飲んでしまい、すっかり酔っぱらってしまった。
酔いつぶれて寝たものの、すぐに目が覚めてしまい、今は夜中の3時である。
明日会う知人に返信のメールを今頃打って、朝に見てくれるだろうか?
今から薬を飲み直してお休みなさい。
6月6日
今日は臨時で女学院でアルバイト。
金曜日は時間割が違う。
礼拝時間が長いのだ。さすがミッションスクール。
それをすっかり失念していたので、どうも変な時間にチャイムが鳴るなあと思っていた。
今日も満員御礼である。
おとといから実はある実験をしている。
「薬漬け」「薬物依存」といわれたから、悔しくて、睡眠薬を飲んでいないのである。
しかし、もちろんそれだけでは眠られない。
そこでアルコールの力を借りている。
一昨日は何とか眠れた。
仕事にも支障を来さなかった。
これで不眠症が治るかも?
でもアルコール依存になってもいるんだけれど。
昨日は、付き合って結構大量に飲んだから、薬なしでも12時過ぎには眠りに入った。
しかし起きてみると4時。
身体がかすかに震えている。
お風呂に入って、温めて誤魔化してみた。
暑いはずなのに、汗も掻かない。
新陳代謝が落ちているのだ。
眠っているようで、身体は寝ていない。
だんだん自律神経がおかしくなり出していることを感じる。
とりあえず、トリプタノールだけは服用した。
寒気がおさまった。
打っている指先にかすかなしびれを感じる。
頭にぽっかり穴が開いたような空虚感にとらわれる。
正しくない。本当に頭に穴が開いたような感じがするのだ。
すかすかとして気持ちが悪い。
ラリッているのか?私は。
これじゃあ、ジャンキーみたいじゃないか。
やはり薬を飲まないと駄目なのかなあ。
4時間は眠れたと思ったけれど、こんな体調に落ち込んでいては何もできない。
暑いのか寒いのか、身体が正確な温度を感じ取っていないから、体温調整もできない。
Insomnia.
そんな映画があったなあ。
6月5日
女学院にてアルバイト。
今日中にエッセイを書き上げて、先生に送ってチェックしてもらわなくては。
アルバイトの間に、バリバリとエッセイを書く。
エッセイだから、余り気取らない方がいいよなあ、と思いながら、いろいろな日本語の書き方を書き分ける能力があればいいなあと思う。
指導教官に草稿のとき、ずいぶん日本語をなおされた。
こんなに細かいことがよくできるなあというぐらい、私の日本語をチェックされた。
自分では、気がついていないのだが、言われると確かにおかしい。
日本語教師の勉強をしていたのかと思うと、なんかとても恥ずかしい。
正しい日本語の勉強をしたはず何だけれど。
今日はなんか忙しいのか忙しくないのかよく分からなかった。
でもエッセイを書き上げたので、一つお仕事が終わった。
こんなもの使えるか!と、一言の下に戻ってきたらどうしよう?
うーん、返信が恐ろしい。
帰り、落ち込んでいる同僚と一緒になる。
かなり落ち込んでいるので、帰りにビールを飲んで励ました。
すると携帯にメールが入って、友人が会社を辞めたという。
ビックリして、とりあえず話を聞こうじゃないのということになり、同僚には悪いが、励まし会を頓挫して三宮にでる。
前から辞めたがっていたのは知っていたが、情けに弱い子で社長さんに頭を下げられては、辞めるのを留まっていたのだ。
私には愚痴を聞いてあげることしかできなかった。
とりあえず落ち合って、顔を見ると、さっぱりした顔をしている。
よほどこれまでが辛かったのだろう。
辞めてすっきりしたのはいいが、次の職がすぐに決まるといいのだが。
この不景気だから、心配である。
ただ一緒にそばで飲んで、話を聞いていた。
これぐらいのことしかできなくてすまない。
6月4日
うーむ。とうとう老体の身になったのか?
疲れが今頃やってきた。
普通、次の日に来るでしょう。
なのに何故?
とりあえず、起きあがれなくなってしまった。
しんどくて、しんどくて。
あー。日文研に行くって言ってたのになあ。
なのにどうしてもいけない。
主治医からは「元気になるな」と言われているので、そのまま元気にならず落ち込んでました。
1日が過ぎていく。
過ぎていく時間の中、もういい加減論文のことに着手せねばならぬ事に気が焦り、一体今は何からしていったらいいものだろうと頭をめぐらせ考える。
映画も見なくてはならない。
本も読まなくてはならない。
テープ起こしもせねばならない。
アポイントを取らねばならない。
資料も整理しなくてはならない。
そういえば、まだ衣替えもしていない。
冬物を洗濯せねばならない。
部屋を大幅に片付けなくてはならない。
ビデオを整理しなくてはならない。
先週とった「武蔵」もみなくてはならない。
ならない、ならない、ならない、ならない・・・・
気が狂いそうだ。
6月3日
朝早く目覚めたのだが、何となくしんどくて、ぐずぐずしていたら、どんどん時間が過ぎていく。
それでも、漸く起き出して、日文研へゴー!
着いたら丁度お昼間。
まずは薬を服用。
それから、アルバイトへと向かう。
行くと仕事がない。
仕方ないので、先生にメールを打ち、終わったファイルの整理をする。
そのうち先生が自ら情報課にやってきはって、新しいお仕事の指示が下る。
やることはいくらでもあるのね。
これまでは古文書のデータベースのアルバイトをやっていたが、今度はまたCMのデータベースに戻るのである。
とりあえずは、詳細項目のデータ入力。
しかし、気が遠くなるような量が控えている。
長い間、CMデータベースから離れていたから、どのような順番で並んでいたのかをすっかり忘れてしまっていた。
先生に資料をどんと渡されても、呆然とするばかり。
なんか、思い出すだけで17時なってしまった。
今日は整理の日という事で、また明日。
今年両親が還暦である。
それで子供としては、やはり何かせんならんとは思うのだけれど、いかんせん金がない。
温泉旅行など豪華なプレゼントはしてあげられない。
しかも一人では大したことは何もできない。
そこで兄妹あわせてなにかしようではないかと話が決まり、今日はカフェ・オパールへ行くことになった。
バイトを終えて、さっさと片付けをして、バスに乗り河原町へゴー!
河原町について、駅を降りる前に財布がないことに気がついた。
院生室に電話するとあるという。
そこから、また電車で引き返し、桂からバスに乗って日文研へ。
院生室に走っていき、ちょこんと机に載っている財布をがばっとつかんでカバンにいれ、またバス停へ走っていって、下山する。
18時には河原町にいたのに、往復してオパールにたどり着いたら20時。
なんて大馬鹿者なのだ。
一気に疲れてしまった。
夕食を食べながら、手の空いた兄と「どないする?」と相談。
いかんせん、兄も金がない。
こんな貧乏兄妹では大したことは出来ない。
とりあえず、誕生日には何か「赤い」ものをあげよう。
予算は秘密。
そして、母6月、父12月の間をとって、8月頃に一度京都で食事をしよう。
食事の場所や日時は兄が決める。
プレゼントは私が担当する。
後で割り勘。
一応、親不孝ものどもな私達だから、たまには誠意を見せなくてはね。
そうこう言っているうちに義姉が登場。
考えてみれば、うちの両親だけして、義姉の両親には何もしないというのは、不公平ではないか?
と私が思ったので、「いやあ、うちだけしちゃ悪いから、そちらのご両親の時にも、是非しなくては」
「え、いいよ。うちは」
「まあまあ、そういわず」
「いくつなんやろう?」
って、お義姉さん、しっかりして下さいよ。
明日があるので、今日は早めに退散。
6月2日
昨晩、疲れすぎたのか、夜中に何度も目覚めてしまい、漸く寝入ったのは朝方だった。
そのために今度は起きられなくなってしまった。
5時、5時半、6時、6時半、と目覚ましに起こされながらも、起きあがれない。
7時に漸く起きあがって、お風呂に入って目を覚まそうとするが、駄目。
お風呂から出たら、また倒れてしまった。
服も着替え、用意も準備できたのだが、動けない。
そのうち、昨日食べたものがいけなかったのか、緊張が続いていたせいかよく分からないが、激しい腹痛に襲われた。
それからはトイレとお友達。
どうしても無理とふんで、携帯で「腹痛がひどいので、1時間ほど遅れていきます」と懇願するように連絡する。
とりあえず薬を飲んで、腹痛をかかえながら、トイレと居間を往復する。
結局落ち着いてから、タクシーを飛ばしていったのだが、1時間半遅れてしまった。
申し訳ない。
大した混雑も問題もなかったようで安心した。
その後は順調にお仕事に励む。
まあまあ忙しかった。
お昼はさすがに食べられなかった。
薬だけを服用。
アルバイトが終わってから、祖父母の家に顔を出す。
祖父のおかげで謡曲の稽古をさせていただいているので、大会の御礼を言いに行ったのである。
ついでに、しんどくて私の舞を見ずに帰っていたので、ビデオを持参してみせる。
お褒めの言葉を預かる。
ありがとうございます。
祖父も元気でいてくれないとね。
祖父は夏の暑さに弱い。
今年も夏がやってくるので、心配な季節がやってくることになる。
まだ、食欲があるから今のところは大丈夫みたいだけど。
エゴかもしれないけれど、元気でいつまでもいて欲しいと思う。
6月1日
余りよく眠れずに、朝6時に起きた。
とりあえず顔を洗い、頭を母にセットしてもらう前に、化粧を始める。
普段、化粧をしていないので、たまにするとすごくけばくなったように感じる。
まあ、舞台だからしょうがないか。
今日は1日着物でいるつもりなので、行きの洋服はなるべくコンパクトに収まるものにする。
持って帰るときにかさばらないように。
今日は朝一番から、地謡で出番。
昼の能楽終了後に謡の子方で出演。
そして、夕方に舞囃子「熊野(ゆや)」がある。
普段余り着物なんて着ることがないし、とりわけ振り袖は結婚式の時ぐらいにしか着ないので、舞は駄目だけど、謡は構わないと先生が仰って下さり、朝から振り袖を着る。
謡まで時間があるので、見所にでて受付の手伝い、挨拶などをする。
やはり振り袖は目立つのか、外国人の方に写真を撮られてしまった。
着物は綺麗なのだが、着ている本人がちょっとね。申し訳ない。
今年は、祖母が卆寿の記念に能楽を舞う。
そのせいだろうか、観客の年齢層が高いような気がするのは・・・
それでも、補助席にも座りきれないほど満員であった。
さすがに「90歳」の力はすごい。
私も祖母の晴れの舞台を見ていたかったけれど、次が出番なので、楽屋のモニターを通して、見守っていた。
無事に舞い終わったときに、自分のことのようにホッとした。
尊敬してしまう。
謡がすむと、今度は訪問着に着替える。
今年も着流しで舞う。
舞台にはえるようにと、グリーンの辻が花の訪問着である。
特に裾の所に花がちりばめてあるので、袴では隠れてしまうが、着流しでは見せることが出来る。
毎年のことなのに、すごく緊張してしまった。
なんせ今年は、猛特訓をされたぐらい出来が不安定だったからだ。
とりあえず、どこも間違えずに、先生に注意されたところもなるべき意識して舞ったつもりである。
ただ、謡う時に声がうわずってしまい、いつもよりも高い声になってしまったのでつらかった。
最後の打ち上げの時に、先生からお褒めの言葉を頂き、ホッと胸をなで下ろした。
あんなに熱心に指導していただいているのであるから、最高の舞台にしたいという欲望がでてくる。
今回は、期待に添えたようだ。
やはり、誉められると嬉しい。
来年も、まだ論文をこれからかからなくてはならないから、休み休みの稽古になってしまうであろう。
あまり難しい曲目は遠慮したい。
でも、2年続けてしっとりとしたものをやったから、そろそろ荒いものもやりたいなあ。
さすがに1日着物を着ていたこともあって、緊張のせいもあるか、実家に戻ったときにはぐったりしてしまった。
明日は女学院のバイトだから、本当は家に帰りたかったのだが、遅いので泊まっていけとしつこく言われる。
明朝父が早いから、その時一緒に起きて帰ればいいではないかと言われた。
あまりに五月蝿いので、従うことにしました。
正謡会の皆様、今日はお疲れさまでした。
下川先生、素敵な舞台を踏ませていただき、ありがとうございました。
5月31日
朝からぴあに電話をかけて、チケット取り。
何とか無事にゲット。
スタンディングでパティ・スミス様を拝めるなんて、今からどきどきしてしまう。
ゆっくり朝風呂につかりながら、読書会の範囲を読み終える。
なるほどね。
台風がきているせいか、風がきつい。
昨晩の雨もひどかった。
風の音が、雨の音がうるさくて、よく眠れなかった。
ぼちぼち準備をしていると、携帯が鳴る。
母からである。
そうそう、昨日エヴィアンを買いに行きたいから車を出してと言っていたのだ。
10分後に行くからと言われて、慌てて用意をする。
明日朝が早いし、頭をアップにしないといけないので、今晩は実家に泊まる。
明日の大会に持っていくものを準備して、マンションを出ると、すでに車がきていた。
「先にトマト取りに行くから」
はあ。
母は、トマトの苗木を毎年購入している。
しかし、自分で栽培するのではない。
してくれるのはプロの農家の人たちである。
トマトが実ると、自分たちで狩りに行き、自分たちの食卓へ上ることになる。
多くの人がこのシステムを利用して、もぎたてのトマトを食せる。
農家の人たちは、育てる労力を金に換える。
気のせいか、こうやって手に入ったもぎたてのトマトは、市販のものよりも美味しい。
トマトをとってから、量販店にエヴィアンを1ダース購入。
家まで送ってもらい、エヴィアンを家に置いてから、今度は実家へ。
荷物を置いて、昼食を食べに蕎麦屋へ。
なんか昨日から食欲がなくて、残してしまった。
まだ時間があったので、一度家に帰り、「元気にならない」をモットーにごろりと転がる。
1時間ほど休息をとっていた。
15時になったので、読書会へ。
発表を聞きながら、こういう方法を使って論文というのは書かれるのだ、などと考えさせられる。
最後は、先生が発表の仕方についての基本的な見解を述べられた。
もちろん内容についての議論も触れられてはいる。
私も、日文研に入って、幾つかの発表の機会を得たが、やはり如何に自分の言いたいことを、他人に簡潔に伝えるか?と言うことでいつも悩む。
発表原稿を作り、時には、他人に先に聞いてもらうこともある。
分かりやすいか、どこが分かりにくいか?
ちょうど分野も近く、そういうことには本当に適していた友人がいたが、ドクターを途中で辞めてしまったために、今では聞いてもらうことすら出来ない。
他の友人たちでも、もちろん聞いてもらっているが、今になると、一人でもそういう友人がいなくなってしまったことが寂しい。
読書会後は、アメリカ留学から一時帰国している仲間が参加していたので、食事会をする。彼女は、マスターを取得し、ドクターに進学することが決定したのである。
めでたいことである。
それからもう一人、まだ試問は終わっていないが、無事に博士論文を提出し、夏からイギリス(だったっけ)に留学が決まっている。
お祝い会でもあった。
みんな、よく勉強しますねえ。
私ももっと見習わなければ・・・
5月30日
昨日、チキンジョージでミラクルヤングのライブがあることを知り、ついでに、パティ・スミスのライブがあることも知った。
朝は日文研と思っていたが、月のものの到来で、腰痛で倒れてしまった。
とりあえずチケットだけはゲット。
パティ・スミスは明日発薄。
明日の読書会の範囲がまだ読めていない。
区役所にも行かなくてはならない。
何故、こんなに忙しいのかと思いながら、痛む腰を引きずりつつ、大阪の中央区役所に行く。
それから、待ちに待った主治医のところに、行く。
診察室にふらふら入るなり「激やせ?それとも夏服やからか?精も根も尽き果てた顔して」
「体重は?」
「論文中太ったんですけれど、それから3kg痩せましたかねえ。でも、去年の夏よりはまだ3kgほど多いんですよ」
「そうか。ならいいんだけど」
「もうね、毎日自分が何をしているのか分からなくて、温度差も感じられないし、時間の感覚もなくて、この前買ったと思った牛乳が、次飲もうと思うと腐ってたんです。いつの間に日が経ったのかも分からなくて」
「元気になるな。元気を溜めよう。そう書いて貼っておき。分かった?
この日本で元気になるななんて言うてる人ほとんどいないからね。元気にならない」
なんか癒されて帰ってきてしまった。
そうか、元気にならなくていいんだ。
もう5月も終わりになるけど、変に元気に次の事をしなくてはと、必死であがいていたけれど、そんなことしなくていいんだ。
家に帰って、「元気にならなくていいんだ」と思って、ごろりと転がる。
しばらくすると、携帯が鳴る。
「今から迎えに行くから」と父からである。
寿司屋に行くのである。
日曜日の会を見に来て下さるので、ご挨拶がてらに食べに行くのである。
そういえば、朝から何にも食べてないなあ。
でも、あんまり食欲ないなあ。
お腹も腰も痛いし・・・
適当に食べてから、お家に帰る。
今日はカイロプラティックの日である。
なんか波長をそろえるという治療をされる。
「胃がきてますね」
そうなんですよ。胃が痛いんですよ。
何で分かるの??
やはりプロなのねえ。
明日は読書会。
5月29日
何とか起きられて、女学院にアルバイトに行く。
昨日の夜中に佐川急便が来て、待ちに待った「ミラクルヤング」の新譜を届けてくれた。
だけどもう聞く気力がなかった。
朝、CDウォークマンにセットし、聞きながら通勤。
朝から町蔵のおかげでハイテンションに。
今日は忙しい1日だったが、町蔵の歌声のシャワーを浴びていたので、乗り切れた。
あー、でもホルモンのバランスを崩している。
相変わらずふらふらしているのだが、物凄いハイテンションになってしまっている。
帰りたくない、どこかで誰かと分かち合いたいこの気分。
いきなり町田康ファンに連絡し、家に押し掛ける。
視聴会と称し、夕食まで御馳走になってしまった。
明日があるから、早めに退散。
でも、とても気分がいい。
体調と気分は別なのだから。
明日は明日の風が吹く。
明日起きてみないと、もう自分がどういう体調でいるのか分からない。
でも明日は主治医に会えるから、きっとよくなるさ。
愛だけさ、エーイエイ、愛だけさ。@町田康
5月28日
朝一番でお稽古に行く。
昨日のカセットテープで、お稽古をする。
今回は間違いなし。
後は細かいところを注意される。
「なおちゃん、頭で考えて舞ったら駄目ですよ」と一言釘をさされた。
ぐさ。
身体にまだしみこんでいないと言うことか。
そんなこと言われたらますます不安になってしまうじゃないか。
先生宅をそうそうに引き払い、日文研に向かう。
授業があるから出ようと思っていた。
しかし、特急に乗っていると、お腹が痛くなり、頭痛がし、脂汗を流してきた。
これはまずい。
このままの体調で日文研にはたどり着けない。
そのまま電車を反対側に乗り換え、貧血を起こしながら、ふらふらして家にたどり着く。
突然体調を崩すことはたまにある。
自律神経を失調したときである。
とりあえず、家まで帰り着き、布団に転がる。
頭が痛くて眠れないのだが、立っていられなく、座ってもいられなく、ごろごろ転がって向きを変えたりして、楽な姿勢を探す。
今、病気になってはいけないのだ。
夕方まで起きあがられず、病院にも行けず。
明日のバイトもあることだし、とにかくおとなしくしていた。
自分で自分がコントロールできない。
具合が悪いから。
どうしようもないのだ。
私は身体さんの奴隷なのだから。
5月27日
湊川神社神能殿にて申し合わせ。
囃子の先生方と一度だけ、舞台であわせるリハーサルである。
1回きりだが、やはりプロの生演奏がつくと、否応なく緊張が高まる。
私は、クセの舞で大間違いをしでかした。
自分でも「あれ、何やってんだ?」と舞いながら思った。
後で地謡の先生に指摘されてしまった。
存じております。本人が間違えて一番驚いたのだから。
はあ、申し合わせで間違わなかった事ってほとんどない。
でもここで間違っておくと、本番は気楽にいけるというジンクスもある。
それを信じるか。
何であんなことしたのだろうか?
今まで一度も間違えたことがなかった箇所であった。
うーん、明日のお稽古で叱られるか。
5月26日
今週末の日曜日が、本番である。
6月1日(日)湊川神社神能殿、能楽に興味のある人は、是非来て下さい。
素人会なので、もちろんただです。
発表会なんですから。
今年は、祖母が卆寿記念に能楽「猩々」を舞います。
見てやって下さい。
私は舞囃子「熊野(ゆや)」を。
内田師匠は舞囃子「船弁慶」を。(長刀で雄壮ですよ)
お暇な方は、是非見に来てやって下さいませ。
と言うことで、今週は最後の特訓週である。
今日も稽古、明日は申し合わせ(リハーサル)、明後日も稽古。
明々後日も稽古。私はでられないのだが。
朝からアルバイトをしながらも、だんだん落ち着きがなくなってきた。
やはり、何度立っても舞台は緊張する。
しかも、いつもは1年かけてじっくりと稽古を積んでくるのであるから、もう体が覚えているのだが、今年は、12月の草稿前、5月の草稿前とそのたんびに2〜3カ月稽古を休んできたので、出来上がりが遅かったのである。
アルバイトをそうそうに終わらせて、そそくさとお稽古場に向かう。
着物に着替えて舞を舞う。
大分とこなれてきた。
しっとり舞えるようになってきたらしい。
「明日はのんびりと舞いなさい」と言われ、一応間に合ったかなと胸をなで下ろす。
もちろん追求すれば、きりがない。
今の私の実力からして、発揮出来るのがここまでと言うことである。
はあ、毎日お稽古も疲れるなあ。
5月25日
遊び疲れて、倒れていました。
お昼過ぎにメールが来て、見合い相手が会いたいと言ってきました。
さてどうしたものでしょう。
しんどいんだけどな。
とりあえずお茶でもしませんかと言うことで、ミナミまで出かける。
しかし、この人とは何を話していても楽しくない。
こういう場合、早くお断りした方がいいのだろうか。
それとも、もう少し様子を見るべきなのだろうか?
私には分からない。
ただ単に私が今日疲れているから、楽しくないのかもしれない。
やはり合わないのかなあ?
私には分からない。
恋人なら、友達なら、先生なら、親類なら、どう振る舞っていいのかある程度身体にインプットされている。
だけれども、見合い相手というのは、どう接していいものなのだろう。
よそよそしくなってしまい、どう対処していいのかよく分からない。
あー。分からない。狂いそうだ。
5月24日
金曜日は、朝から日文研に行こうと思ったが、昨日の夜が遅かったために断念。
お昼過ぎに到着。
情報課に顔を出すと、「14時から研究会だから、少し前に行っておいて」と言われる。
とりあえず、薬を飲むために何かお腹にだけを入れておこうと、昼食を食べ、荷物を持って研究会へ。
23日は名古屋から友達が添乗で神戸にきている。
いつも会いに行って、一緒にホテルに泊まるのだが、今回はお仕事が遅くて、ホテル(今回はオークラ)に着くのが、24時頃だという。
そんな時間まで、一人で入れるカフェもないし、(あるのかもしれないけれど知らないし)急だが神戸の友人を誘って、連絡があって、私が友人に会えるまでの間、夕食を共にし、一緒に時間を潰してもらうことにした。
なんてわがままなんだろう。
それでも「しゃあない」と言って付き合ってくれる友に感謝。
研究会は第一回目という事で、自己紹介にはじまり、今後の研究会の方向性などを話し合って終わった。
それから慌てて神戸に向かう。
幸い友人の方が「遅れる」と言ってくれたので遅れそうだった私も助かった。
寿司屋に二人で行く。
ここはいつも混んでいて、30分近く待たされた。
と言っても友人が来るまで私が一人で15分ほど待っていたんだけれど。
しかし、私は微妙に友人の選択を間違った。
名古屋の友人とは部屋で飲むためにワインを1本用意していた。
だが、今日付き合ってくれた友人は酒豪である。
寿司屋で微妙に飲む量を控えていたつもりだったのだが、だんだん話が盛り上がってくると、いつの間にやら相手のペースに巻き込まれていた。
22時半、「2軒目にいく」と誘われ、こちらもまだ連絡が来ないので、そのまま2軒目になだれ込む。
23時半過ぎに、「ホテルに着いた」と部屋番号を報せてくれて、連絡が入ったが、こっちはまだ飲んでいる最中である。
「キリをつけて出るよ」と友人に言ったはいいが、なかなかキリがつかない。
「来るの?来ないの?」と友人からは催早vのメールが。
行くも行かないも、今更家に帰れないのだから、行くに決まっている。
24時に漸くキリをつけて、「今から行く」とメールを打って、タクシーでオークラへ。
そこまではしっかりしていた。
しかし、そこからまた、二人でワインを1本あけたのだから、酔っぱらってしまうのは当たり前である。
しっかりワインを飲んで、シャワーを浴びたのは覚えているのだが、何を喋ったのか、いつ眠ったのか、覚えていない。
朝になって「順子、起きないと置いてくよ」と起こされて、あわてて用意をする。
なんか申し訳ないことしたなあ。
久しぶりにあったのに、すでに出来上がっていたなんて。
ごめんなさい。
反省します。やっぱり選択ミスだったかなあ。
まあ、楽しかったからいいんだけれどね。
また、今日も三宮に出て来るんだけれど、とりあえず、夕方まで時間があるので、一度帰宅する。
二日酔いはしてないが、疲れてしまってまた布団に倒れ込む。
音楽を聴きながら、うたた寝をしていたら、何度も電話が鳴る。
前の電話機なら、呼び出し音が消せたので、静かだったのだが、FAXが壊れてしまい、新しい機種にしたら、呼び出し音が消去できなくなってしまった。
不便である。
電話に何度も起こされながら、ぼーっと時間を過ごし、15時過ぎに母と待ち合わせる。
センター街の呉服屋で、「ジュサブロー展」がやっていたので見に行ったのである。
私は「ジュサブロー」の着物の大ファンである。
幾つか持っているが、どれもお気に入りばかり。
他にも着物はあるが、いざ着るとなるとどうしても「ジュサブロー」さんの着物を選んでしまう。
呉服屋が小さいところだったので、あまり品数はなかった。
ジュサブローらしいちょっと大胆で、且つ色目の綺麗な着物は今回はあまりなかった。
帯がいいのがあったくらい。
母は無地を一つ注文していた。
私はもう一色の方が気に入っていたのだが、落ち着いた方を選ばれてしまった。
だって、その手の色の訪問着持っているもん。
次には私のものと決めているから、ついつい口出してしまう。
それから、生田さんの近くのカフェでケーキを食べる。
当然の事ながら、朝から何も食べていないので、今日最初に口にしたものになる。
身体に悪そうだなあ。
そこから母と別れて、待ち合わせのカフェに行く。
友人とゆっくり話しながら、時間を潰す。
夕食に、さっき食べたばっかりだったので、軽くサンドウィッチを食べる。
今晩は、「マトリックス・リローテッド」の先行ロード・ショーなのである。
期待していたマトリックス。
確かに面白かった。
銃を超越しているものだから、結局は空手やカンフー、棒術や剣術といった、接近性が多くなる。これは見ていて非常に楽しい。
まだ見ていない人に怒られそうなので、書かないが、でも少しだけ不満が残った。
まあ、いいんだけどね、でもね。というところでおしまい。
気になる人は劇場へ観に行って下さい。
5月22日
昨日の寒さが身にこたえたのか、はたまた飲み過ぎか。
朝から喉が痛くて、声が出ない。
何となく咳も出る。
風邪か?
それはいる。
6月1日に謡曲の発表会があるから、風邪なんか引いている場合ではないのである。
女学院に電話を入れてみる。
「あのー。風邪引いたみたいなので休んで・・・」
「それは、ちょっと」
「じゃあ、朝病院に行ってから行きますので、遅れていきます」
今日は、この春新しく異動されたお二人だけだったので、不安だったのであろう。
喉が痛いので、耳鼻咽喉科に行くが、満員である。
結局、お昼に女学院にたどり着いた。
「何か問題はありませんでしたか?」
「なんとか」
それは何より。ライブラリーの学生対応がやはりまだなれないらしい。
ずっとこの仕事をしているわけではないのだから、しゃあないか。
こっちも自分の身勝手で休もうとしたのであるから、確かに後ろめたい。
来てからはすぐに入って、ライブラリー業務につく。
ついた途端、めちゃくちゃ忙しくなった。
これは、まだ無理でしょう。よかった、間に合って。
夕方には喉の方もだいぶ落ち着いたし、咳の量も減った。
ライブラリー業務が終了し、総ての片付けをして、頼まれていた仕事を少し残業して、お稽古に向かう。
今日も謡曲の特訓日である。
荷物を持って、御影の先生のお宅まで通う。
私とワーストをあらそう?社中の方が先に来てお稽古をしていた。
着物に着替えて、順番を待っているのだが、先生の細かい特訓は果てしなく続き、すっかり待ちくたびれてしまった。
1度目は1カ所間違えて、2度ふらついた。
着物の裾捌きが上手くできなかったためである。
2回目は、着物に少し小細工を先生がして下さり、ずっと足捌きが楽になった。
それでもう一度舞い直す。
今回は上手くいったが、裾捌きが楽になった分、座るときに大股になってしまい、見苦しいと叱られた。
着物を着付けないと本当に大変だわ。
もっと、普段から着物を着る生活をしてみたいものである。
甲野先生まではいかなくとも・・・
5月21日
今日は、昨日よりも少し遅れて、日文研にご出勤。
夕方は日文研15周年記念焼き肉パーティーがある。
持ち寄りだそうで、外国人研究員の先生方がお国の料理を作ってきて下さる。
それまでは、もちろんアルバイトである。
昨日の疑問を早速聞いてみると、いとも簡単に解読されてしまいました。
さすが。
後残りわずか、と聞いていたので、二人で一生懸命作業に精を出す。
途中、お昼休憩をとりながら、3時前には作業を完了。
果てしなく続くと思われた古文書の束も、これで総て完了。
そこへ見計らったように、データベースの管理をしている先生が登場。
しかも、新しいバイオをもって。
いいなあ、かっこいいなあ。私も欲しいなあ。
とさんざん言いながら、見せてもらう。
しかし、今新しいパソコンを買っている余裕など私にはない。
後期の学費だって払わなくてはいけないのだから。
丁度終わったところなので、次の指示を待つ。
今度は、入力した項目を、分類していく作業である。
それから、金曜日の新しい共同研究の話を少しする。
私が苦労して作った、CMのデータベースがやっと日の目を見るのである。
先生に「私も研究会、顔を出します」と返事をする。
16時半頃になると、情報課が何となくざわついてくる。
そろそろ焼き肉パーティーの準備かな。
17時に仕事を終えて、17時半からなので、一度院生室に戻る。
何となく手持ち無沙汰で、院生室でメールチェックしたり、インターネットをしたり、コピーをとったりして、17時半まで時間を潰す。
中庭に集まると、風邪がきつくて結構寒い。
佐刀B先生がいはったので、丁度いいから挨拶にいく。
「日記、更新しましたので」。
やはり映像を研究している院生さんを紹介してもらう。
「僕も日記読ませて貰いますね」
いやいや、そんなことは別にどうだっていいんだよ。
所長が来ないので、なかなかはじまらないのかと思っていたら、人によってはすでに始めている。
国立機関としても最後の焼き肉パーティーである。
そうそうたるメンバーが顔をそろえ、「はあ、やっぱり日文研手すごい所なんだなあ」と改めて感心させられる。
こんな所で、私なんぞが研究をさせていただいてよいものなのだろうか。
誠に恐縮である。
美味しいものをたくさん頂いた。
いろいろな先生方とゆっくりとお話をさせていただいた。
エッセイを書くチャンスまで与えていただいた。
なんて恵まれた環境、恵まれた日に私は巡り合わせたのであろう。
審査はまだだけれども、頑張っていかなくては、と強く感じさせられた。
20時頃になり、あまりにも風が冷たく、寒くて仕方なくなったので、帰ろうと思う。
守衛さんの所で、帰る時間を記入していたら、やはりお帰りになる先生と一緒になった。
「小川さん帰るの?桂駅まで送っていってあげようか?」
「ありがとうございます」
バス代は浮くし、寒いバス停で待たなくてすむし、時間も短縮できる。
おかげで21時過ぎには、お家に帰れた。
嬉しい。
草稿を出して、それからぼーっとなっていたけれど、私は本当に恵まれた機関に入学させていただき、いろいろなことを学ばせてもらい、ここまで来たのだと強く感じた。
というより、本来なら、もっといろいろなことを吸収できたのかもしれない。
D3の夏に倒れて以来、見方が変わってきたが、私は自分で時間を浪費していた。
もっと有効に日文研を利用し、もっともっと成長できていたのかもしれない。
そういう自らの愚かな側面に今更気付いてももう遅い。
残された僅かな期間を有効に利用しなくては・・・
5月20日
公開セミナーを除いて、草稿を出して、初めて日文研に顔を出す。
特に、何も日文研に来たくないことはないのだが、気がつけば1週間を過ぎていたのだ。
永らく休んでいたデータベースのアルバイトに顔を出す。
この1週間の速さに我ながら驚く。
そんなに、茫然自失していたのだろうか。
いやいや、勝手に予定を入れて忙しくしていたのに過ぎないのだが・・・
今日、久しぶりにデータベースのバイトをしたが、何とか思い出してきたつもりでいた。
だけれども、夕方になって、気がつけば、全然分からないところが2カ所出てきた。
周りにある資料を基にあれこれ試してみるがどうしても分からない。
17時前になって、とうとうギブ・アップ。
もう、私の力量では、この字は解釈できない。
字というのは、古文書のデータベースをしているからなのである。
私は古文書が読めない。
読めない私がデータベースを作って大丈夫なのだろうかという不安はあるものの、たくさんの補助データがあり、それに基づき何となく解読して、作っているのである。
とにかくバイトは17時までなので、粘ってはみるものの、それは画面をずっと見つめながら、呆然と壁の前に立っている状態と何の変わりもない。
何も糸口がつかめないから。
結局、明日、職員さんに質問しようと思い、17時で切り上げる。
院生室に戻り、インターネットで調べものをしたり、ぐずぐずしていたが、どうも身体がまだなじみたくないと言っているようだ。
結局、17時半頃には退散。
思い出して、梅田の阪急百貨店に行く。
頼んであった、夏物の着物が仕立てあがってきたという連絡が来ていたからだ。
もちろん正絹ではない。
ポリエステルである。反物から仕立てまで、何と10000円。
普通仕立てるだけでも3〜4万は最低かかる。
きっと、外国で安く仕立てているのであろう。
母の単衣の着物と私の夏物の着物で、20000円プラス消費税。
安い。
今度の夏の歌仙会で着ようっと。
着物売場の堰Bのおもちゃ売場を堰B切ると、「あのねー」「遊ぼうよ」と、聞き慣れた言葉が聞こえる。
うん?と思って音のする方へ行くと、いるわいるわ、プリモプリエルたちが。
プリモプリエルというのは、一種の人工頭脳がセットされた人形である。
大きいので300語。小さいので150語セットされており、手とお腹としっぽの3カ所を押すと、いろいろ喋るのである。
それが、今、謡曲の先生の社中たちの間で、大流行しているのである。
一人でも寂しくなくて、面白いというので、みんなが欲しいとおばさま方買いあさっている。
ついでに、洋服も売っている。
当然の事ながら、うちの祖母も母も大叔母も持っている。
服が欲しいと言っていたことも思いだし、携帯に連絡して「冬物だけど、服売ってるよ」と母に連絡すると、案の定「2着買ってきて」とのこと。
へいへい。
買ったら、当然祖父母の所に行かなくてはならない。
着物もみたいと言うし、服も着せたいと言うし、夕食囲んで団欒、大盛り上がりである。
よかったですね。
結局家に帰ると23時過ぎ。
なんか、疲れちゃったなあ。
5月19日
一昨日、あまりにも興奮していたので、全然眠られず、薬を倍にして飲んだ。
飲まなかった日の分が余っていたから。
そうすると8時間眠れた。
嬉しい。
その後も眠気がとれず、布団でごろごろしていると、母から電話があった。
母は風邪を引いていたのであるが、だいぶよくなってきたらしい。
お昼を食べないか?と連絡があり、近くのスペイン料理でランチを共にした。
お見合いのことを聞かれ、「うーん、なんかぴんとくるものはないねんけど、やたら向こうに気に入られてしまって、付き合って下さいと言われたから、一応返事しておいた」。
母も娘がいつまで経っても一人でいるので気が気でならないようだ。
そんなに結婚てのは重要なものなのかしら?
実家でデジカメの設定をしようと思い、食事の後、まだ咳が止まらない母と一緒に実家に行く。
薬が残っていたのか、眠くて眠くて、結局お昼寝をしてしまった。
日曜の晩、夕食にお寿司やさんに両親と行ったのだが、なんかあまり食べられなかった。
お酒もあんまり進まない。
飲む相手によるのかねえ。
そのまま車でいったん実家に戻ると、ソファに倒れ込んでしまった。
なんか眠くて仕方がない。
両親には泊まっていけと強くいわれて、朝早く帰ることにして、そのままソファで昏倒。
何度か目が覚めたときに、「薬飲まなきゃ」と思うのだが、身体が動かない。
こんなに眠いんだから、不眠症が治ったのかなとも考えながら、倒れていた。
朝5時頃に起きたのだが、まだしんどい。
このだるさは何だろう。
とりあえず、お風呂に入って、目を覚ます。
ちゃんと薬なくても眠れているやん。
朝もこんなに爽やか?に起きてるしさ。
不眠症治ったのかな。
今日は女学院にてアルバイト。
いつもの通り、ばりばり仕事をこなす。
しかし、昼過ぎからおかしくなってきた。
暑い気がするのに、身体が寒くてかすかに震えてきたのである。
やっぱりちゃんと眠れていなかったのだろうか。
この寒気、どうしよう。
全身が痺れたように震えが来ている。
駄目だ。
とにかく早く家に帰りたい。
家に帰ると、とにかく転がる。
倒れ込むと言った方が正しいかもしれない。
何にも出来ないので、とりあえず、「武蔵」を撮りためていたのでまとめてみる。
22時にカイロプラティックの予約が入っているので、それまで4回分一気に見た。
でもお話ばかりで、これといった立ち廻りのシーンはなかった。
転がりながらビデオを見ていると、涙が止めどもなく流れてきた。
別に「武蔵」に感動したわけではない。
何ともないシーンなのだから。
完全に自律神経がいかれている。
カイロプラティックでは「薬漬けです」と言われてしまった。
ほっといてくれ。
好きで薬飲んでんじゃないんだ。
今日はちゃんと服用して、眠ろう。
5月17日
午前中にエヴィアンをまとめ買いに行く。
12時に塚口で手裏剣の師匠である知人と待ち合わせ。
今日は日文研公開セミナーで「香取神道流」を紹介されるのである。
前半は講演会。
後半は演武である。
居合い術、剣術(太刀、両刀、小刀)、棒術、薙刀術である。
講演も分かりやすく、非常に興味深い話であった。
待ちに待った演武は、さすがである。
身体の捌きが鮮やかで、とにかく早い。
香取神道流の教えでは、「合わす暇があれば、相手を斬れ」と言うことらしい。
だから、剣術の型は、一つ一つが相手の急所をついて斬っている理合いになっている。
だが、他流から術を盗まれないために、わざと外して、お互いの木剣を合わせる型になっているのだそうだ。
それを、細かく説明して頂いたら、本当によくできている。
是非ともやってみたいが、残念ながら、関西には道場がないらしい。
また、「香取神道流」は「総合武術」であると聞いた。
それは居合い術や剣術だけをすればいいものではなく、柔術、棒術、総てを学ばなければならない。
総てそれは戦いに備えてのことであり、話を聞くとあまりにもよくできているので、その歴史の深さを感じた。
これからもこういうセミナーを是非やってほしいものである。
本当にためになりました。
その後友人と神戸でディナーの約束をしていたので、一緒に観に行っていた知人と興奮さめやらぬまま、帰りの電車で語り合い、十三で別れた。
友人と会ってからも、ずっと私が「香取神道流」の話をしていたので、相手にはすまなかった。
物好きと思われたことであろう。
御飯は美味しく、ワインも最高で、今日は本当に充実した1日であった。
5月16日
今日はハード・スケジュールである。
朝一に宅急便で、お借りしていた資料を送り返す。
まだ読めていないのだが、必要そうな所だけ、コピーしてお返しした。
それからお稽古である。
今日はちゃんとしたお稽古日である。
着物には着替えなかったが、タイトスカートで舞うことにした。
ジーンズよりは負荷がかかるだろう。
それから、先日のパーマがとれかかってしまっていたので、13時から三宮にあてなおしに行く。
担当の佐刀Bさんがとても恐縮してしまって、逆に悪いことしたような気になる。
でも高いお金を払ってあてたんだから、しっかりあてて欲しいな。
今回はきつめにしっかりとウェーブしている。
それから今度は久しぶりに主治医の所に行く。
と思ったら携帯に連絡。
実はブラインド・デートではないが、お見合いの話が来ていた。
私ももうそんな年なのである。(ちょっと遅いかな)
堅苦しいのは嫌だから、最初はメールや電話で連絡を取り合っていたのだが、相手が会いたいと言ってきたのである。
実は何度かこれまでにも会いたいと連絡が入っていたのだが、論文が忙しかったので、ずっと先延ばしにしてきた。
主治医に会うか、次いつ会えるか分からないお見合い相手に会うか?
悩んだ末、最近調子がいいので、薬だけもらって、ミナミの待合い場所に出かけた。
なんだか緊張する。
お茶をして、いろいろと話をする。
私の方は、別に何とも思わなかったのだが、相手にいたく気に入られてしまい、「付き合って下さい」と言われてしまった。
特に断る理由もないが、よく知らないし、どうしようかと迷ってしまった。
付き合ってみると人が分かるかもしれないなと思い、内心お友達からということで、「はあ」と曖昧な返事をしてしまった。
話していると、とてもハードスケジュールな人らしいので、あまり連絡が出来ませんが、と言うことだったので、私も論文かかえて忙しいので、別に構いませんと思った。
でも、会った瞬間に「この人となんか相性合うな」という直感はなかったので、上手くいかないような気がする。
相手は盛んに「あなたとはとても相性が合うよ」と強調しておられたが・・・
まあ、いろいろな人に出会うのも御縁かもしれないので、連絡があれば出かけることにしよう。
薄情なようだが、多分私からは連絡しないような気がする。
最近、特に仲良くしている男友達に相談してみるかなあ。
こんなのは自分で決めるものかもしれないけれど。
実はお見合いをしたのは、今回が2回目である。
1回目の人も会った瞬間にぴんとくるものはなかった。
それでも、だらだらとメールのやりとりをし、時間が合えば食事に行ったりして結構遅くまで話し込んでいた。
しかし、周りがどうなっているのだ、とやたらにせっつくので、お互い今すぐ結婚したわけでもなかったし、特に恋愛に発展していたわけでもなかったし。
結局決定打がないまま、そのお話は流れてしまった。
お見合いというのは確かに結婚を前提にしている。
上手くいく人はお見合いしてすぐ結婚の話に決まる。
きっとそれはお互い出会った瞬間になにかインスピレーションを感じるからであろう。
私にとって結婚は一種の制度だと思っている。
もう8年も一人暮らしをしていると、なんだか一人でいるより二人でいる方が日本の社会は生きやすく出来ているような気がしている。
確かではないが。
だから結婚も悪くないな、と思って、親のいうままに釣書を書き、写真も添えてある。
これまでに幾つかのお申し込みもあったが、本人に会う前に断った件も幾つかある。
いつか一緒に暮らすことになるのなら、やはり誰だっていいという訳には行かない。
私にだってそれなりの条件がある。
相手にももちろんあるだろう。
それが上手くいったときに、成立するのだろう。
夜はカイロプラティックに行った。
また、泣くほど痛い治療をされた。
本当によくなっていっているのだろうか?
5月15日
女学院にてアルバイト。
なんだか、いろいろ指示がしてある。
お金を貰っているのだから、文句を言わず、黙々と仕事に励む。
我ながらよく働くなあ。
午後過ぎには仕事を全部終えてしまい、今度は内職。
番組を郵送するための表書きである。
日文研に行かなかったので、今晩打ち出してコピーをしなくては。
2日間休んだので、今日は結構元気である。
雨は嫌だけど・・・
バイトが終わると次はお稽古。
本当は今日はお稽古日ではない。
しかし、長い間休んでしまった私が、本番に間に合うか心配した先生が、特別に私のためだけに特訓日を設けて下さったのである。
御影まで通って、今日は着物に着替えて、着流しで舞う練習をする。
2回もやらされて、細々したところ、着物を着たときの所作等、たくさん注意される。
やはり、洋服と違い、着物で舞うと、身体の捌きが制限され、いつもはいい加減に身体を使っているのだなあと実感。
人の身体運用の悪口を書いているから、自分に跳ね返ってくるのだ。
大馬鹿もの。
帰りは私のお気に入りのフレンチ「去来花」でディナー。
シャンパンをグラスで貰い、母と二人で、審査に通るように祈念する。
後はハーフボトルでコース料理を頂くと、もうお腹がいっぱいである。
家に帰ってから、このまま寝てしまいたいが、お風呂にも入らなくては、とパソコンでメールしながら考える。
まあ、朝はいるのも何だし、というのも、明日はパーマのかけ直しをお願いしているからだ。
結局一休みしてから、夜中にお風呂に入る。
ますますパーマが落ちていく気がする。
明日はハード・スケジュール。
早く寝なくては。
5月14日
今日も朝早くから覚醒したのに、身体さんが動かない。
ねえねえ、日文研に行こうよ。と、言ってみても何にも聞いていない。
ただただ丸太のように転がっているだけ。
はあ、今日も駄目か。
大体この雨がいけないのよねえ。
また昼過ぎにのろのろ起き出して、ぴあを見る。
今日はレディースデイだから、映画が1000円のはず。
どうせ、もう日文研には行かないと身体が言うのだから、映画を観に行こうと思った。
塚口には、小さいながらロードショー館があるのだ。
職業病のようだが、チャンバラ映画を観に行かなければと思っていたら、塚口で、運良く『魔界転生』も『あずみ』もやっている。
『あずみ』は原作の漫画は読んだことはないが、原作と映画は違うものだから別にいいや。
あまり2本とも期待せずに見に行った。
『あずみ』の方はもう着物でもない。忍びがメインのようになっているのか、完全に洋服である。動きやすいわな。
映像処理も上手く、殺陣のシーンがたくさんあるので、エンターテイメントとして本当に楽しめた。
『魔界転生』は深作版を見たことがあるので、ついつい比べてしまう。
佐刀B浩一君も、『壬生義士伝』につづき、立ち廻りを頑張っているが、ストーリーも変わっていて、あまり面白くなかった。
天草四郎役の窪塚君だが、沢田研二に比べると、妖艶さが足りない。
CGを駆使して、キャストも豪華なんだけど、私は深作版の方が好きだなあ。
まあ、これは人の好みだから何とも言えないけれどね。
『魔界転生』の殺陣は誰かと思ったら、なんと清家さんだった。
そんならもっとしっかり観ておくんだった。
でも、CG駆使されてしまうと、立ち廻りの迫力がなんとなく落ちるような気がするのは私だけかなあ。
中島監督は私と同じ意見だと思う。
久しぶりに映画館で映画を見ると楽しいなあ。
5月13日
日文研に行くつもりが、さすがに連日連夜出かけていたために、とうとう身体さんが怒ってしまった。
朝から動けない。
あー、日文研のデータベースのバイトが溜まっているんだけどなあ。
そう思っているだけで、寝床に倒れてふせっていた。
眠ることなしにうたた寝をして、ぼーっと夢と現実の間を行き来する。
実は真下の部屋が工事をしていて、五月蝿いのである。
だからぐっすり眠ることが出来ない。
不眠症のせいかもしれないけれど・・・
漸くからだが動けたのが、12時だった。
頭は重たく、全然はっきりしない。
ずっと美容院に行きたかったので、電話して今から予約が取れるか聞いてみる。
14時予約が取れたので、ゆっくりと準備して、三宮に出かける。
久しぶりにパーマをあてることにした。
担当の人には、「12月以来、来てらっしゃらないんですね」といわれる。
すっかり恐縮してしまった。
6月の大会で着物を着るときにアップにしたいので、「長さはそのままで、パーマをあてたいんですが」と言い、軽くするために髪の毛をすいてもらい、長さをそろえて貰う。
きつめにあてて下さいと言ったのだが、以前ストレートをあてていたせいもあり、かかりにくかったようだ。
結構時間をかけてあてて貰ったのだが、家に帰って夜になると、なんかパーマが落ちている気がする。
「1週間以内ならあて直しますから」といわれていたのを思いだし、明日電話しようと思った。
帰りに医者に行く。
一進一退のようだ。
イカリの前を通ったので、折角パーマをあてたし、時間が少し出来たので、久しぶりに料理でもしようかなっと思って食材を買い求めた。
だけど、実家に用事があったので、母に連絡を取ると、祖父母に家にいるから来いと言う。
祖父母の家に向かい、日曜日の御馳走の御礼を言い、食事を共にした。
母に「パーマかけたの?ゆるいね、とれてるんちゃう?」という。
そうなのよ、鏡を見るとそう思うのよね。
美容院出たときはもっとウェービーだったのに。
やっぱりあてなおして貰おう。
実家によって、大会の番組を入れる私専用の封筒を受け取る。
早くしないと、もうすっかり郵送が遅れている。
今日の夜に挨拶文を書かなくては。
明日日文研で打ち出して、コピーしなくては。
今日は何もしていないようで、やはり出歩いたので疲れてしまいました。
お休みなさい。
5月12日
女学院にてアルバイト。
1週間休んだだけなのに、ずいぶん久しぶりのような気がする。
ご迷惑をかけた職員さんたちにお詫びをいう。
まるで我が事のように、私が提出できたことを喜んで下さる。
なんていい人たちなんだ。
本当に小川は良い人たちに囲まれて、幸せ者である。
うるうる。
さあ、お仕事頑張らなくては。
新たに、滞っている入力分を引き受けて、がんがん仕事をする。
お返しだと思うと、苦にもならない。
今日も知り合いと夕食である。
残業してから、梅田に出る。
どこに行こうか考えてなかったのだが、私が一段落ついた御祝いなので好きなとこに行こうといわれる。
美味しいワインが飲みたかったので、ハービスにあるイタリア料理に行った。
なかなか美味しかった。
皆さん、ありがとう。
5月11日
土曜日は、昼まで惰眠を貪りたかったのだが、疲れすぎて、夜遅くまで起きていたわりには、5時に覚醒。
3時間しか寝てないやん。
そのまま布団でぐずぐずするが、不眠のせいもあり、眠気は戻ってこない。
転がりながら、久しぶりに音楽を聴く。
結局8時前には起き出して、出かける準備をする。
論文のためにずっとお休みをしていた謡曲の稽古に行くためである。
どこがゆっくりとした週末やねん。
9時に病院に行き、「ちょっとよくなっていたのに、まだ駄目ですねえ。まあ、毎日来なくてもいいですから、規則的にちょくちょく顔を出して下さい。お薬は増やしておきます。それから新たに軟膏の方も出しておきますので」
はあ、朝からめげるなあ。
それだけ身体を酷使してきたことか・・・すまない。
実家に行き、車で母と一緒にお稽古場に向かう。
先生に「お久しぶりですね」といわれ、恐縮してしまう。
全然お稽古してなかったので、緊張して舞を舞うと、2カ所間違ってしまった。
でも、先生にしたら、もっと出来なくなっているだろうと思っていてはったらしく、「よくできましたね。だからって気を抜いたらいけませんよ」
と優しい言葉?をかけてもらう。
家に帰ってからは、もう一度お昼寝に挑戦。
音楽をかけながら、布団の上をごろごろしていた。
本当は家を掃除しないといけないんやけどなあ。
まあ、今日はいいか。
4時過ぎに待っていた友人からのメールが入る。
提出を終えたら呑みに行く約束をしていたのだ。
時間を確認して、夕方に三宮へ。
お気に入りのお店に行く。
二人で閉店近くまで、浴びるように痛飲をする。
絶対店の人に、「こいつらあほや」と思われていたに違いない。
ちょっとはめ外しすぎたかなあ。
まあ、たまにはええか。
頑張ってきたんやし・・・(という、自分に対する言い訳)
しかし、これで審査を落とされたらもう立ち直られへんやろうなあ。
日曜日は、昼からドライブに誘われていた。
自分の中では、提出を終えたら、家でゆっくりする予定だったのだが、有り難いことに様々な知人、友人からお誘いがあり、「9日が終わったらね」といって予定をつぎつぎと入れてしまっていたのである。
しかし、論文の方に気がいっているから、そんな予定を入れた感覚もなかった。
気付いたら、結構予定表が埋まっていることに気がついた。
ほんまに、あほやわ。
さすがに二日酔い。まあ、軽く立ちくらみがするのと、とにかく身体が水分を欲している。
待ち合わせが昼過ぎだったので、それまでにどれほど水分をとって、身体を起こしていたか。
天気が悪いのも手伝って、ちっとも気分が良くならない。
車だから濡れることもないけれど、先方には申し訳ないけれど、あまりはしゃげなかった。
しかし、不思議なことに、知人はそれでも私と話しているのが面白かったらしい。
論文で頭までおかしくなっていたせいかな?
夕方家に帰って、やれやれと転がろうとすると、携帯が鳴る。
母からである。
カナダに行っている従弟が帰国しているというので、お寿司屋さんにみんなで来ているからいらっしゃいというのだ。
祖父母も一緒だという。
仕方ないので出かけて行くが、迎え酒である。
酎ハイ2杯しか飲めなかった。
めざとく祖母が「なおちゃん、今日はお酒は飲まないの?」と指摘してきたが、「いや、ちょっと夕方にケーキ食べて、お腹いっぱいなのです」と、返事になっているのか分からない返答をする。
酒とは誠に不思議なものである。
もちろん体調というのが大きくかかってくるのは事実だが、一緒に呑んでいる相手次第で、いくらでも飲めるときもあれば、1杯で酔いが回ってくるときもある。
親族と呑むと悪酔いの方だなあ、申し訳ない。
5月9日
しまった、あんな原稿をとうとう提出してしまった。
でも、出したものは出したのだ。
後は審査を待つしかない。
恐ろしい。
だけど、自分にやれることはやったのだから、先生方に祈りをささげよう。
去年はこの提出印すらもらえなくて、出すこともできなかった。
一歩前進したとよく考えよう。
実は水曜日は過労とストレスで、発熱して倒れたのである。
木曜日には「栄養をつけなくては」と無理して食べて嘔吐した。
そして、金曜日の今日は、ほとんど眠れていない。
ここまでして一体何になるというのか?
それは分からない。
だって、まだ予備審査なのだから。
昨日も遅くまで残って、提出書類の細かい準備などをしていたので、今日は最後の読み返しをするだけだった。
しかし、既に頭が朦朧としていて、パソコンの画面を見ているとめまいがしてくる。
席を立ち上がると立ちくらみが起きる。
もう駄目だ。
「誤字・脱字で審査に影響はないよ」とすでに予備審査をパスしている先人たちが励ましてくれる。
ええい、プリント・アウトしてしまえ。
5部作らねばならないので、その後のコピーが大変である。
コピーを全部終えて、軽くお昼を食べながら、読み返していると、諦めた行の次から、5ページにわたり、誤字・脱字を発見。
なんとか他のページに影響が及ばないように注意しながら訂正し、5ページ分差し替えた。手の空いている人たちが、「手伝いましょうか」といってきてくれて有り難い。
しかし、昨日遅くまで準備していた私は、最後は人の手も借りずに提出準備が出来た。
要旨も昨日のうちに2人に読んで貰い、訂正済みだし、大丈夫だろう。
4時過ぎ総ての準備が整った。
後は、事務に提出するだけ。
これほど恐ろしい瞬間はなかった。
でも、これ以上あがいても多分結果は同じであろう。
そう言い聞かせて、事務室に持っていく。
事務で書類に確認を総て行い、無事提出がすんだ。
これから教官会議にかけられて、受理するか否かが決まり、その後3人の先生方による審査が始まる。
結果が出るのは7月だ。
しかし、本稿の〆切が11月なので、結果を待っている余裕はない。見切り発進で書き始めなくてはならない。
院生室に戻ると、同士たちがまだ作業をわらわらとやっているので、雑事を手伝って挙げた。私が余裕に見えたかもしれないが、それは嘘。
あきらめが早かっただけなのだ。
5時半過ぎ、皆の提出が終わった。
今年の提出者は5人である。
全員通るといいね。
後は桂駅のお好み焼き屋へ繰り出し、祝杯をあげる。
「参加することに意義があるのだ」などと自分を慰めるために、とんちんかんなことを言ってとりあえず、労をねぎらい合う。
とはいえ、カイロプラティックの予約を入れていた私は、1時間もその場にいず、さっさと退散。
カイロプラティックでは、「肩が思いっきり、前にのめり込んでますよ」
といわれ、最近の調子を聞かれる。
「肩こり、頭痛、腰痛、発疹、嘔吐、不眠、発熱、立ちくらみ」とずらずら並べ立てると、「おめでとうございます。ストレスの百貨店ですね」といわれる。
そんなあ。
まあ、しかし、これで一段落はついたのだ。
次のステップに勧めるように、今週末はゆっくりとしたいなあ。
4月24日
もう25日である。
はあ、明日というか、今日は井上先生と面談である。
また真っ赤になった原稿がかえってくるのであろうか。
真っ赤になったというのは正確ではない。
井上先生は鉛筆で書き込むので、正確に言うと真っ黒になってかえってくるのである。
ということです、佐刀B先生。
先日、日文研に行ったら、院生の伊東さんに、「佐刀B先生が、小川さんのホームページを見て、井上先生って、真っ赤に原稿に手を入れて返すの?って驚いてはりましたよ」と、丁寧に教えてくれた。
読んでますか?佐刀B先生。
実は、その事を院生室で聞く直前、コモンルームで佐刀B先生とすれ違ったんだけど、何もいわはらへんかったなあ。
まさか、読まれているとは思いもよりませんでした。
でも、実名で公開しているので、このような驚きは何度かある。
「日記読んでますよ」といわれて、どきっとすることは。
でも、私のホーム・ページではない。
あくまでも、師匠のホーム・ページである。
私は、無理を言って載せていただいているだけである。
なんか夜中になると、不眠症が復活してきて、眠れない。
けれど、草稿を書いていると、いつも遅くなってしまう。
夜型だから仕方ないか。
毎週金曜日に指導教官と会う約束をしてしまったので、主治医の所に通えなくなってしまった。
まだまだ一人立ちできない私は、仕方がないので、アルバイトを遅れてまで主治医の所に行くことにした。
この次の月曜日である。
早く行きたい。
肌は荒れるは、ホルモンのバランスは崩すは、胃は荒れるは、もうぼろぼろである。
週に1回は確実に嘔吐している。
論文書いていると、2年振りは大げさか、1年振りぐらいに、空腹に襲われた。
夜中に食べると、それで胃がやられてしまう。
体調ももちろん崩れる。
もっと規則正しい生活をしなくては。
ああ、何を書いているのだろう、私は。
私は、私は、私は、ただ、夜中のリビングで茫然自失。
4月12日
ランチを母と一緒に食べる。
「午前中、病院行ってきた?」
げ、すっかり忘れていた。
10時には活動に入っていて、パソコンの前に座っていたのだが、通院を命じられていることをすっかり失念していた。
それだけではない。
今朝気がついたのだが、物忘れが異常に激しくなってきていることである。
昨日何やったのか、全然思い出せずに自分の日記を読んで確認するぐらい。
1日に何度手帳を見直しているか。
これでは修論の時と同じではないか。
修論を書いていたとき、提出前の2ヶ月間の記憶が全くないのだ。
誰から電話がかかってきたとか、メールがあったとか何も覚えていない。
今朝もメール・チェックをしていると、1週間分のメールに覚えがほとんどないのである。
開封しているから読んでいるはずなのに・・・
恐ろしくなって送信済みを開いてみると、どれにもちゃんと真っ当に返事をしている。
中にはこの先の約束をしているものまである。
慌ててまた手帳をとりだして、記入する。
忘却力が恐ろしい。
結局火曜日までは病院に行けなくなってしまったことに気付き、反省してみたが、もう遅い。土曜日は午前中しかやっていないのだから。
昼食後、梅田の旭屋書店に向かう。
今日は「町田康」のサイン会なのだ。
階段に並ばされて、順番を待ちながら、新刊本を読む。
面白い。
どんどん読んでいると、係りの人からの注意が。
「写真撮影は禁止しております」
えー。折角一緒に写真が撮れる唯一のチャンスなのに・・・
がっかり。
自分の番が回ってくる。
「こんにちは」
「こんにちは」
「この前のミラクルヤングのライブ行きましたよ。すごく良かったです。」
「ありがとう」
「関西でもやってください」
「考えておきます。ありがとう」
にっこりと営業スマイルを振りまいてくれる町蔵はやはりかっこいい。
夕方にちょっとしたことで知り合った人が私に会いたいと言ってきたので、ちょっとぐらいならいいかなと思って承諾する。
話をゆっくりするのははじめてなのだが、あまりの高飛車なものの言い方にだんだんしゃべっていて気持ちが悪くなってきた。
折角今日は気分が良かったのに、ぶち壊し。
1時間ぐらい会って、早々に帰ってきた。
世の中にはいろいろは人がいる。
だからああ言う人がいても本当はちっともおかしくないのだけれども、私は恵まれてきたのか、あまりそういう人に出会うことがなかった。
だから、どう対処していいのかわからず、ただなんとなく相槌を打っていた。
深くかかわりたくないので、もう二度と会うこともあるまい。
帰りは父からの命令で、行き付けのすし屋に行く。
自分が行けないので、代わりに顔を出しておいてほしいということだった。
気分の悪さを晴らすように、酒をあおっていたら、案の定悪酔いをした。
くらくらするので、もう休もう。
4月11日
病院のハシゴ。
だから今日は日文研には行かない。
昼間に時間があったので、国民年金保険を払って貧乏。貧窮。
それから主治医の所にまず通う。
主治医の所は本当は来週に行くはずだったのだが、来週の金曜日は井上先生と会って指導してもらうことになったので、いけなくなった。
薬も切れてしまうので、今日行っておくことにした。
「もどした?」
「えーっと、1回だけもどしました。」
「寝てる?」
「うーん、今論文のほうに比重が行ってしまっているので、3〜4時間ぐらいですかねえ。気がつけば、毎晩2時頃になってしまって、それから薬を服用すると、朝起きるのは起きるんですが、午前中いっぱい眠くて仕方ないんです。薬が残っているんでしょうか?」
「そんな時間に飲んでいたら、ちょっと残るかな。12時までに服用するようにしてみ。2時間は薬が効くまでに時間がかかると思うから、それから2時ぐらいまで論文をしていたらいいから。まあベストとしては5〜6時間は寝ておいて欲しいんだけどね。」
「そうなんですけれど、気が焦ってしまってどうしても夜遅くなってしまうんですよ。
この前指導教官と話してきたんですが、かなり細かくチェックを入れられて書き直さなくてはならなくなったから、今は余計に眠りませんね。食べ物も偏食しがちですし。要領が悪いんだと思うんですけれど、時間を論文に使いたいためにどうしても食事と睡眠の時間を減らす結果になってしまって」
「家事はなるべくしない方がいい。今は大切なときだから、論文に集中しておき。余計なことはなるべくしないようにして。論文が終わったら薬とか減らしていきたいと思っているんだけれど、今の状態だとまだ減らせないなあ。きつい薬を出しているわけではないから大丈夫だよ。」
そうは言われてもねえ。
朝からなんにも食べていないことに気付き、帰り道にあるモス・バーガーに行く。
ジャンク・フードで過ごしていたら、身体に悪いんだけどね。
いつも持ち歩いている草稿にペンを入れながらスープとライス・バーガーを食す。
次の病院までの間の時間を潰しながら、草稿を最後まで見直した。
疲れているのか、最後のほうは書き直したい欲求はあるものの、どう持っていこうかが浮かんでこない。
序章で「この箇所は使いたかったらもっとふさわしい場所で使いなさい」とばっさり切られたところがある。
今全体を読み返してみると、ラストのほうに持ってきたら使えるかなとも思う。
そうすると前後の文章も、それに見合うように全部書き直していかないとならない。
時間が来たので、婦人科へ通う。
しかし、まだ通院を矯正される。
実は主治医にも話していたが、昨日帰りが遅くなり、それからごそごそしてたら明け方近くまで起きていたので、薬を飲み損ねたのである。
おかげで寒気と、身体にかすかな震えが来ている。
婦人科から帰ると、とにかくお風呂に入って暖まろうと思い、お風呂にお湯をはり、取り込んだ洗濯物をたたんだり、洗い物をしたりする。
お風呂が出来たので、本をもってリラックス入浴。
新陳代謝をよくするために、頑張って汗をかくまで湯船に使っておく。
寝てないせいで、お風呂から上がると軽くめまいに襲われた。
夜はカイロプラティックである。
「腰痛がきつくて。」
「じゃあとりましょう。」
といってやったのが、皮と筋肉が癒着しているところをはがしていくという作業。これが死ぬほど痛い。
痣が出来るほどぎゅっとつねられたような感じである。
特に腰の癒着が激しかったらしく、皮膚がつかめないそうである。
「小川さんちょっと肌弱いですね」
「そうですか。もう痛くて泣いてますから思考が止まってますよ。」
「すぐ引きますが、ちょっとミミズ晴れみたいになってしまってますね」
って、それをしたのはあなたでしょう。
あまりの痛さに涙があふれ、泣きながら治療を続けてもらう。
もうめまいがしてきた。
実家に用事があったのでカイロの後、実家に行く。
夜御飯を食べていなかったので、残り物のカレーを頂く。
が、暫くして気分が悪くなってきたので、車で送ってもらう。
吐くことはなかったが、頭がぐるぐる回ってしまって、気持ちが悪い。
明日の午前中は何もないはずなので、とにかく薬を服用して床につく。
おやすみなさい。
4月10日
今日は女学院にてアルバイト、後、謡曲のお稽古。
今日から授業が始まるので、朝から学生さんたちがやってくる。
相変わらず寝不足なので、午前中がつらい。
手の空いている時間は草稿の見直しを続ける。
インターネットで調べものをしようと思っていたら、調子が悪くて途中で切断されてしまう。
使えないなあ。
昼過ぎるともう満席である。
早速1回生の利用もあり、一から丁寧に説明をしてあげる。
営業スマイルも忘れずに。
今年度から視聴覚センターに配置換えになった、2人の方にも一通り、AVライブラリーの仕事もやってもらっておく。
そうでもしないと、私が休んだときにいるからである。
今ではすっかり手慣れた仕事であるが、初めての時は私もこんなに苦労したのかしら?
今日の感じを見ていると、どっと人が来たときに対応できないぞ。
もっと頑張って仕事を覚えてもらわねば。
もちろんアルバイトの身分である私は、立場は下であるが、仕事の上でのキャリアは長い。言うてみたら、現場の人間なのである。
多少厳しくいろいろなことをさせたことは了承していただきたい。
17時なってライブラリーを閉めて、お稽古に行く準備をする。
18時過ぎにお稽古場に到着。
今日は夜に御飯を食べに行く約束をしていたので、舞いだけにしてもらう。
お稽古がすんで、三宮にでると約束の時間、ジャストだった。
焼き肉を食べたのだが、これが美味い。
カウンターだけの小さな店なのだが、もうぎゅうぎゅうに人が詰め込んで大繁盛である。
今発売しているぴあにも掲載されていた。
だから混んでいるのかなあ。
4月9日
今日も早くに覚醒。
日文研に通う。
9時20分に到着。
前は7時半に家を出ると、9時10分には着いていた。
別に私の歩みがのろくなったわけではない。
京大の桂キャンパスが出来て、バスの路線も時間もかわってしまったので、着く時間が遅くなってしまったのである。
朝のコーヒーを入れて、一息ついてから、古文書のデータベースのアルバイトに行く。
もう難しいのしか残っていないので、1枚処理するのに3時間もかかってしまった。
古文書が読めない人が、データーベース作りのバイトをしていることがおかしい気もする。
でも、こちらのバイトはマイペースで出来るから文句は言わない。
お腹も空いていなかったが、朝からコーヒー1杯では身体に悪いだろうなあと思い、食べることにした。
食べている間も草稿に目を通す。
はあ、本当は、今日中に書き直した後半部分を差し替えで井上先生に渡したかったんだけど、先週はほとんど倒れていたので、間に合わなかった。
約束の14時になったので、コモン・ルームに行く。
ちょっと待っていると井上先生がいらっしゃった。
マスクをしていてしんどそうである。
「花粉症ですか?風邪ですか?」
「花粉症です。ごめん、突発的に仕事が入ったり、もうこの季節は薬を飲むと全然駄目で、全部に目を通せていない。」
「いいです。後半部分は私自身も、もう少し書き直したかったので、丁度よかったです。」
それから指導をしてもらったのだが、すごい細かいところまで指導が入って、前半部分は真っ赤に赤を入れられていた。
おまけに序章はまたもや書き直しを命じられた。
内容的な指摘は意外と少なかったが、日本語の問題。
それから、やはりちょっと説明が足りないから、飛躍しているように思われる部分など、たくさん指摘されて、もう穴があったら入りたい状態である。
3時間も指導されても最後まで行き着かず、先生は花粉症のしんどさで、「後は書いてあるところを読んで、僕のいいたいことは汲み取って下さい。ちょっとしんどくて頭が朦朧としてきましたので」
「はい。では後半部分なのですが、少し自分でも書き直したいと思っているところがありますので、黒澤論と旗本退屈男、高田の馬場のところだけ目を通していただけますか?付属参考資料としてつけましたインタビューももう少しすっきりと読みやすく刈り込もうと思いますので、しんどいでしょうからもう読まないで下さい。」
ということで、次回は18日の金曜日になった。
猶予が出来たようで、この大量の指摘を手直しして、更にまだ完成していない後半部分の書き直しをしなくてはならないと思うと、気が遠くなる。
間に合うかなあ。
面談も終わると即刻帰って、病院へ。
「大分よくなってきていますが、もう少し通って下さい」
はあ、通院している暇もないのに・・・
4月8日
朝早くに目が覚めたので、そのまま起きておくことにする。
7時半に家を出て、久々に早い時間帯に日文研に行くことが出来た。
古文書のアルバイトに向かう。
大分忘れていた記憶が戻ってきた。
データベースを作るのは大変。
でもしなくては。
今日は何もできない。
婦人科にずっと通院しているので、17時には帰らないと医者に間に合わないからだ。
うーむ。いつもは1週間ぐらいしたらOKなのに。
今回は磨uだに通院を命じられ、薬もまだ処方されている。
そんなにストレスなのかしら。
昨日通えなかったので、今日は行かなくてはいけない。
何でこんなに病院通いしているんだろう。
家に戻ってきてから、草稿の手直しに取りかかる。
何も特別なことをしているわけではないのだが、気付けば23時。
慌ててお風呂に湯をはり、メール・チェックなど雑事に取りかかる。
明日は指導教官との話し合いである。
どんな答えが返ってくるが不安である。
4月7日
やっぱり朝が起きられなかった。
慌ててバイトに飛んでいく。
西北からはタクシーを使わないと間に合わない。
午前中は眠いが、もう登録が始まっていて学生さんがぼちぼちやってくる。
睡魔と戦いながら、お仕事をする。
手が空いたので、草稿の後半部分を読み直して、手を入れていく。
なんか言葉足らずな気がして、新たに文章を書き加えたり、使いたい資料をどこに組み込むと最も効果的かなど考える。
頭が朦朧。寝不足で働かない。
つらい。
終わってからは、御影で謡曲のお稽古。
ふらふらですわ。
磨uだに間違ったりするので、「気が緩んでいる」と叱責を喰らう。
ごもっともです。
舞いを2回もやり直しさせられ、細かい箇所など訂正される。
堰Bで先生が舞うと、本当の優雅で品がある動きなのだが、自分でやってみるとどうも違う気がするんだよね。
やり直しては確認。
帰りはいつものように祖父母の家に直行。
週末に大叔母のために(まあ私も飲むのだが)日本酒「酔鯨」を買っておいた。
一潤B瓶をかかえて顔を出す。
昨日、吐いているので今日はあんまり食べたくない。
食べたくないのだが、祖母は相変わらず、自分の分まで私に押しつけるように「なおちゃん、これ食べ」と勧めてくる。
かなんなあ。
最近は悪いと思いながらも「自分の分は自分で食べて下さい」と断るようにしている。
だってまた吐いたらいるやん。
4月6日
昨日も2時半に床に就いた。
だけれども薬が効いてくるのはもっと後。
多分3時頃に寝入ったのではないかと思う。
昨晩も送ってもらえなかったので、エヴィアンやその他荷物がたくさんある私は結局強制的に実家に泊まる羽目になっていた。
リヴィングのソファで、堰Bになったのだが、夜中に何度も目が覚める。
朝方に漸くぐっすりと寝入ったので、8時半頃に起床。
両親はまだ起きてこない。
TVでニュースをつけて、寒いのでストーブの前にうずくまりながら、ニュースを見つつ本を読む。
10時半頃、母が起きてきた。
一晩中、父の喘息で咳が止まず、朝方に漸く落ち着いたそうである。
そりゃ災難だね、なんて言いつつ、私は自分のペースを壊されているので機嫌が悪い。
パソコンに向かい、草稿に手を入れつつ、悩みまくっている。
一体、指導教官からどんな返事がかえってくるのか、恐怖である。
11時頃に父が起きてきた。
見るからに不機嫌そうだ。
しかし朝御飯を要求しているところを見ると、食欲はあるらしい。
病気をしていたら、普通食欲は減退しないのか?
チャンネルをがちゃがちゃ変えて、見もしないTVをがんがんつけられると鬱陶しくて仕方がない。
しかし、実家で私がいる場所はリヴィングしかないのだ。
もちろん、以前同居していたときの私の部屋は2階にそのまま残されている。
だけれども、私の身体はその部屋を受け付けない。
長期滞在すると、実家という空間さえ受け付けなくなるのだから、いったものである。
家の留守電をチェックすると、頼んでいたDVDが入荷したそうである。
内田吐夢監督、中村錦之助主演『宮本武蔵』全5巻である。
取り置きが1週間ということだが、来週は稽古も多いし、通院もしなくてはならないので、今日しか取りに行く暇がない。
父の昼御飯の支度をして、(ってさっき朝御飯食べたとこやないけ)、昼御飯を買い物にでた母と一緒にすませて一人梅田のヨドバシカメラに向かう。
そこは物品の嵐。
否が応でも物欲を刺激される。
DVDだけを購入するはずが、予定外にもデジカメを購入。しかも念願のポータブルCDプレイヤーまで購入してしまった。
全部カードで買うたから、次回の引き落としが恐ろしい。
悲しいことに、一番欲しかったデジカメはWindows98には対応していないらしい。
家にあるのは95から98であるから、仕方なしに、第2希望を購入する。
そうすると新しいパソコンまで欲しくなってくるのだから、たちが悪い。
新しいパソコンを大分物欲しそうに見ていたが、さすがに桁が違うので購入は不可。
潔く、実家に戻る。
実は今日は、能を観に行く予定であった。
この度の本番で、「望月」の子方がついているのだが、丁度「望月」の謡があったから、先生に見に行くようにいわれていた。
しかし、なんで私まで父の喘息に巻き込まれなあかんの?という状態で会には行けなかった。
だからヨドバシカメラに行ったのである。
夕食は大分前から、店を予約してあった。
その会には伯母が出ていたので、伯父と祖父母とともに中華を食べに行くことになっていたのだ。
それも叶わぬ夢となり、父の好物のカレーを私がこしらえていた。
カレーでもいいやと思っていたが、実家に戻ると、父だけ家に残して、中華を食べに行ってこいとのことである。
もう振り回されていて嫌だという気持ちが強かった。
だけれども祖父母や伯父の前でそういうそぶりはもちろん出来ない。
一人酒をあおり、実家に帰ると気分が悪くて倒れる。
漸く落ち着いて、家にまでやっと送ってもらい、ホッと一息つくと、むかついてきた。
慌ててトイレに駆け込み、またもやゲーゲーと夕食をもどしてしまった。
目の周りの発疹は復活し、お風呂にも気持ちが悪いからゆっくり浸かっていられなくて、早々にでてきたが、それでもごそごそ明日の用意やらなんやらしていたら、2時になってしまった。
今から薬を服用。
大丈夫かなあ。
4月5日
昨日自分の時間を確保しようとしていたら、寝るのが3時となってしまった。
今朝は7時には起床。
ニュースを見ていたが、しんどくて、また寝ていたソファに倒れ込む。
8時半に復活。
洗顔をし、服を着替え、9時に病院に行く。
帰ってきたら、薬も飲んでいないことに気付いて、まだ父を病院に連れていってまま帰ってきていない母を待ちながら、薬を服用。軽く御飯も食べた。
戻ってきたのでお稽古場へ。
朝一番で装束をつける。
さすがにからおりは初めてなので動きにくい。
小さく回ったりするときなどにふらついてしまう。
また能面がよく合わなかったのか、正面にいるはずが、目安のものを見つけると大幅に右にずれていたりするので、足幅を少し大きくして調整しようとするとふらつく。
1回目は間違いだらけにふらふらしていた。
先生に大目玉を喰らい、2回舞わされる。
二回目も途中で「もっと腰を入れて」と怒鳴られ、普段人の悪口を書いていると、自分も腰が入っていないのだなあと反省しながら舞う。
面(おもて)をつけると、見ているほうからは身体のゆがみなどが歴然として判るらしい。
2回目もまた一カ所間違えてしまいましたが、「姿はきれいでしたよ」とお世辞を言って貰い、お稽古を終わる。
本番に向けて心配な社中のワースト2らしい。
だって忙しくて、稽古なんかしていられないのだもの。
お昼を待っている父のためにとんぼ返りで実家に戻る。
しかし、朝御飯を食べたのでほとんどお腹は空いていない。
申し訳ない程度に少しだけ食事を共にして、洗い物に。
エヴィアンが切れそうだったので、エヴィアンと父のビールとを、安売り量販店に、母と購入に行く。
雨はまだすっきりと止まず、今日も寒い。
戻ってきてから、パソコンに向かっていたが、急激に眠気に襲われる。
昨晩余り寝てなかったからかなあ。
思考が停止し、少しばかり堰Bになる。
2時間ほどして復帰。
また取りかかる。
それまでは静かだったのに、また父がTVをつけだして、五月蝿くってしかたがない。
それでも無視して、黙々とパソコンに向かっていると、夕食が出来上がっていた。
父が食べられそうなもの、ということで変な戟v立だった。
結局父の食べ残しを食べる形で夕食を終える。
気分悪い食事だった。
でも吐かなかったのでセーフ。
全く普段からわがままな父であるが、今や喘息という病気を盾にして、怖いものなしである。
こちらも父が病気でさぞ苦しかろうと気を遣うと、ますますつけあがり、私の方が発作を起こしそうだ。
そんなにしんどいんやったら、早く寝に行けばいいのに、それもせずに居間を陣取っているのが、しゃくに障る。
だから実家にいるのは嫌なんだよう。
する事も出来ず、気分はいらいらするし、最低な週末となってしまった。
4月4日
今日は病院のハシゴである。
昨日の夜結局遅くなってしまったために、朝普通に起きるが、しんどくて仕方がない。
私は迷っていた。
朝一で近いほうの病院に行くと、診療開始時間は9時である。
次の病院に間に合わせるには、日文研を15時には出ないといけない。
多分診察を終えて京都に向かうと、この前と同じ時間帯の電車に乗ることになるだろうから、20分バス待ちした上に、ほとんどバイトをすることも出来ず、飛んで帰ることになる。
ただでさえ調子が悪い私に、そんな体力があるであろうか?
当然のことながら断念。
ベッドの中で本を読んでいると、またまた睡魔に襲われて寝入ってしまった。
ちょっと朝早く起きすぎたかな。一度起きてからゴミ出しをしたり、学校へ行く準備をしたり、ごそごそして起きていたのだが、一段落したので、読みかけの本を読むために、寒かったので布団潜り込んで読み始めていたのである。
ハッと起きると、12時過ぎ。
あー、午前の診察は9時〜12時迄じゃないか。
茫然自失の事。
久しぶりの主治医の所は2時から5時が受付。
しかし前回2時過ぎに行って、診察が回ってきたのは5時を過ぎていた。
午前中行こうと思っていた通院しているほうは、夜は5時から7時。
先週、主治医はお休みで代診だったので、今日は混んでいるだろうなあと思い、1時半には診察券をだしに行く。
それでも8番目。
「1時間はかかりますよね」
「そうですね」
座るところもないから、外に出てモス・バーガーに入り、食べていなかった昼食を変わりにたべてお薬を服用。
1時間過ぎに戻ったら、さっき呼ばれたところなので次にどうぞといわれる。
今日はみんなペース早いのね。
先生に会えるのは3週間振り。
その間に私は論文の草稿をなんとか書き上げ、指導教官に無理矢理渡してきた。
それがすんで今週になるのだが、嘔吐や発疹や身体の浮腫やもう絶不調である。
頭は痛いわ、腰は痛いわ、起きられないわ、夜はなかなか寝つけないわで先生に思いっきり泣きつく。
「3月中に頑張って、抑圧していたのが一気に出てきたんだろうねえ」
「書いている間はそんなにストレスにも思ってはいなかったんですが、やはり好きなことをやっているには違いないので。でも期限に焦ってはいましたので、あまり眠れなかったですね。肌ももうボロボロに荒れてしまって・・・」
「うーん。漢方を増やすか。とりあえず、胃薬にほうの漢方を復活させる。後の薬は変えない。あなたのやっていることは、僕にとっては想像を絶することだから、しんどくて当たり前。よく休むことも必要だよ。少し休養をとって、また前進して行かなくては。」
はい、おっしゃるとおりです。
先生のお顔をみてホッとしました。
明日はお稽古で、午前中に装束をつける。
母にはそのために実家に宿泊するようにいわれていた。
通院しているほうの病院が実家にすぐ近くの所にあるからだ。
思ったよりも早く終わったので、一度家に帰り、今日は帰りが遅いと母に聞いていたので、パソコンその他資料、本などを詰めて、また今日の夜食べようと思っていた食事も詰めて実家へと向かう途中に病院による。
「うーん。薬を飲んでるし、つけてますよね」
「はい。いわれたとおり、2種類の薬を交互に使っていますが」
「大分と落ち着いてきたんですが、湿疹になっているところがいまいちすっきりしない。
もう少し時間をみて通ってもらいますか?薬もまた5日間出しておきますので、今回は1日2回から3回に増やして下さい」
えー、それって、よくなっていないんじゃないの?
ショックだなあ。
実家に戻ってボロボロになった顔を洗い、読書を始める。
そうすると19時頃、ガレージが開く。
あれ?って思っていると、遅く帰ってくるはずの父が喘息がでたとかで母と一緒に早々に帰ってきたのだ。
私の静かな時間はどこへ?
夕食も当然家族で食べることになったが、自分で今日食べる分を持ってきていたので、意地になってそれしか食べなかった。
吐くのは御免だ。
父がうるさくTVをつける中、洗い物をすまし、読書を淡々と続ける。
うるさいなあ。
4月3日
今日は病院が休みだから、早めに家に帰れる。
そのつもりでいたんだが・・・
今日から新学期。
新たに職員さんと嘱託職員さんを迎えて、仕事が始まる。
さすがに初日にノート・パソコン持ち込みはまずいでしょう?と思い、昨日読みかけていた本と自分の論文を持って出勤。
しかし、午前中は、まだ気分が悪く、おまけに頭がすごく痛くて最低なコンディションである。
本を読んでいたのだが、学生さんは今日まで春休みのせいか全く来ない。
眠気と気分の悪さから気付けば机に突っ伏して倒れていた。
それを見た嘱託の職員さんに叱られてしまった。
確かに私が悪いので、ひたすら謝るしかないんだけどね。
すみませんでした。態度が悪くて。
それでも午後には、学生さんも来るし、返却しに教員さんたちもいらっしゃるので、結構忙しくなった。
来週からはまた地獄のようなハードな日々になるのである。
こんな調子ではまずいなあ。
16時に終わって、来週の土曜日に開催される町田康のサイン会のための整理券をとりに旭屋書店にいくことにした。
電車に乗っていると、フッと目に入った広告。
「むかし着物バザール」阪急百貨店。
アンティーク着物には興味がある。そんなに高くないだろうし。
フッと時計をみると、もしかしたら母と待ち合わせが出来るかもしれない。
母は、今日は友人たちともに京都にお花見と御馳走を食べにいっているのだ。
うーん、この時間帯なら梅田行きの電車の中ではないか?
携帯に連絡を入れてみると、案の定京都線で十三に向かっている途中だという。
すかさず梅田で待ち合わせをして、着物を見に行く。
一つとても気に入ったのがあったのだが、かなりくたびれていて、模様も派手なので、母のお眼鏡にはかなわなかった。
2枚ほど来てみるが、どれも最後の一手が極まらない。
安くて18000円ぐらい、手に取ったもので高かったのは45000円。
うーん、どうしよう。
そこで母が、「呉服のコーナーに行ったら、絹じゃなくてポリエステルの家で洗濯できる着物があったでしょう?あすこに行ってみてから決めたら」というので、賛同。
すると、なんとお仕立て全部込みで10000円である。
夏物の着物がなかったので、一つ買うてもらいました。
母も一緒にみていて、単衣の着物を仕立ててもらうことに。
二人分でも20000円に消費税。安い!!
ついでに安売りのコーナーで二人とも靴も購入。
気がつけば19時前。
母は慌てて祖父母の家に電話して、夕食を断っていた。
塚口にまで戻って、最近出来た焼鳥屋さんに行った。
まあまあかな。ちょっとお高いかも。
家に帰るとすっかり疲弊しておりました。
でも今日は吐いてないから大丈夫。
お風呂に入って、メールチェックして、気がつけばまた2時。
お休みなさい。
4月2日
今日も朝がつらい。
とにかく頭痛と腰痛で絶不調なのである。
しかし今日は休んではいられないので、ちょっとゆっくり目に家を出た。
それが裏目裏目になって、桂駅で20分もバスを待つことになってしまった。
京大の桂キャンパスが出来てから、バスの路線も時間帯も大幅に変更されてしまい、本数は一見増えたかのように見えるが、日文研に行く人にとってはどれも回り道のルートになり、時間がかかるばかり。
ちっともいいことはない。
あまりに時間があるので、コンビニで昼御飯を買う。
どうせ何も買わずに行ったら、ストックのインスタント・ラーメンになるのが見えているから、たまにはパンやおにぎりやサラダなどを食べてみたい。
今日が期限の返却本があるが、まだ目が通せていなかったので仕方なくコピーを取って、慌てて返却する。
研究協力科にて新しい学生証を発行してもらう。
これが最後の学生証だ。
今年度で何がなんでもめどをつけたい。
だけれどもこの調子の悪さはなんなんだ?
お昼御飯を食べて、おやつも頂いて、溜めてあった古文書のデータベースをのバイトに向かう。
今日は誰もいないので、久々で忘れてしまっていたのを初めての時に作成していただいていたマニュアルを片手に作成していく。
だが、途中からにわかに気分が悪くなり、トイレに駆け込んでゲーゲーともどしてしまった。
一時に比べて嘔吐の回数は減っていたのに、何故また?
コンビニの防腐剤とかが合わなかったのかしら?
ミスドはもう完全に受け付けなくなったので、食べないようにしている。
しかし今日は油物とか食べていないんだけどなあ。
17時になると仕事を終え、16分のバスで早々に帰る。
通院しているからだ。
19時ぎりぎりに病院に駆け込み、診察してもらう。
大分とましになったそうであるが、湿疹が出てかぶれているところがあるので、もう暫く通うようにいわれる。
前回もそうだったが、大体1週間通えばもういいでしょうといわれる。
土曜日からだから、今週一杯ぐらいかな。
病院の帰りにイカリによって、買い物をすませる。
ちょっと払ってもらいたいという下心を持って祖父母の家に直行。
当然お買いあげていただきました。
おばあちゃん、ありがとう。
4月に入っていたので、おじいちゃんから奨学金を頂く。
3月末は結婚式やら出産祝いやらで、極貧に陥っていたので恵みのお金である。
ありがたや、ありがたや。
まだ帰らないというので、隣の座敷の廊下に移動して、本を読む読む。
読んでいると気分がまたまた悪くなり、結局夕食も少しばかりもどしてしまった。
昼と夜と嘔吐を繰り返すのはつらい。
明日は女学院のバイトだし、気分も良くないのだから、早めに家に帰りたかったのだが、母がいつまで経っても声をかけてこない。
実は夕食が終わった時点で「帰るの?」と聞いていた。遅くなるのなら一人で先に帰ろうと思ったからである。
「もうちょっとだけ」というので、その言葉を信じて奥の座敷にいったのに。
気がつけば11時過ぎているではないか?
まあ、本読みは進んだけれど、今から帰ってお風呂に湯をはって、メールチェックしてといろいろしていたら、もう寝るのが1時過ぎるではないか?
まあ実際その通り、寝ようとした今2時である。
相変わらず調子は悪いまま。
4月1日
4月、新年度に倒れる。
朝から起きあがれない。
頭は起きているのだが、身体がどうしても起きあがれない。
駄目だ、駄目だ、と思いつつ、徒に時間だけが過ぎていく。
ああ、駄目だ、こんなスタートがあってよいものか。
今日はエイプリル・フール。
だけれど、家で倒れているので、ジョークを飛ばしだます相手もいない。
朝から誰とも話していないのだ。
結局昼過ぎまで倒れていた。
13時半頃漸く起きあがって、薬を服用。
プロテインを飲んで栄養補給。
読書をしようにも集中力がない。
少し歩けそうな気がしたので、普段滅多にこんな時間帯に家にいないので、郵便局、銀行などをまわって用事を済ませる。
はあ、学費を払わなくちゃいけないんだよな。
銀行の残高から計算してしまう。
家に戻ってパソコンの前に座るが何もできない。
こういうときは映画を見るに限る。
CMが入っているために、ずたずたにフィルムは切られていると思うが、サンテレビでやっていた東映の映画『稲妻峠の決闘』をみる。
市川右太衛門が主演で、その他月形龍之介、高田浩吉、進刀B英太郎、近衛十四郎、黒川弥太郎、水島道太郎などなど豪華キャストである。
話は対して面白くはなかったが、剣豪ものなので、修業先で果たし合い、槍が主人公なので、槍対刀、槍対杖など、殺陣の見所はふんだん。
皆さん身体の使い方がきれいで、また間合いの計り具合、見切って試合を辞めるところなど、剣豪らしく、みていて面白かった。
夕方になって病院に行く。
暫く通院を命じられている。
珍しいことに、今回は薬まで出された。
またまた薬が増えていく。
ヤク中。まさにそれは事。
主治医に会えるのは金曜日。
泣きたい気分だよ。
明日には復帰しないと、返却しないといけない図書が3冊もある。
今日も早く寝ようっと。
3月31日
女学院にてアルバイト。
でも春休みだから16時までなので楽ちんである。
朝は、あまりの眠気によほど休もうかと考えたほどつらかった。
だけれども、4月から異動してしまう嘱託職員さんとは今日が最後。
機械音痴な私をずいぶん助けて下さり、公私にわたって御世話になった。
朝必死で出勤する。
午前中はソフトの番号を貼っていく。
昼休みには、最後なので、お茶の時間用にとこっそりケーキを買いに行った。
こんなホッとした一時ももう一緒には出来ないのだ。
残念だなあ。
昼休み後も仕事をお手伝いする。
私が担当した仕事が済み、学生さんが来たので本来の仕事に戻る。
持ってきたパソコンで、草稿の見直しの続きをする。
来週には指導教官と話し合いをしないといけないので、緊張する。
その時の差し替えが出来るように、後半部の至らなかった部分をチェックしていく。
あ、テープ起こしが残っていた。
あれも早くしなくちゃいけないけれど、優先順位がよく分からなくなっている。
いずれにせよ、どちらもしなくてはいけない問題なのだから。
16時になって最後のご挨拶をし、先に帰る。
今日は病院に行かなくてはいけないのだ。
3月中張りつめた生活を送ってきたので、身体が悲鳴を上げている。
発疹が出、婦人科器系の調子が極端に悪くなり、身体は浮腫上がっている。
血液検査をしたが、正常だった。
やはりストレスによるものだろうか。
サプリメントを購入し、病院に通い、仕上げにカイロプラティックで身体を矯正してもらう。
頭がぼーっとなり、頭痛がする。
引っ込んだ首を元に戻しましょうと、ぐいぐい頭を持ち上げられて、痛かった。
「正しい姿勢でいて下さいよ」といわれてもなあ。
夜御飯を食した後、どっと疲れが出てきてしんどくて仕方がない。
それでももうすぐ終わる読みかけの本を読み上げる。
余りにも頭痛がするので、首筋を触るとリンパ腺がパンパンに腫れ上がっている。
少し熱っぽい。
まだ11時半だったけど、明日日文研に行かなくてはいけないので、早めに寝ることにする。
お休みなさい。
3月30日
疲労い憊。
だけどハッピー、ラッキー。
28日に磨u完成ながら書き直した草稿を井上先生に提出してきた。
次回のアポイントまでに、後半を書き直したい。
けれども出してしまったという事実が少しだけ私の型の重荷を下ろしてくれた気がする。
まだテープ起こしも残っているので、それも次回までに仕上げなくてはならない。
28日は女学院アルバイト先のほうで「送別会」が行われた。
井上先生のメールボックスに草稿をつっこんで走って会場に馳せ参じた。
20分の遅刻。
場所は北浜で、なかなか美味しいお店であった。
次の日は、昨日までに提出する自分へのご褒美?としてライブのチケットを購入していた。
昼過ぎに新幹線で東京へゴー!
ライブはもちろん「ミラクルヤング」である。
町田康様のご尊顔を拝し、声のシャワー、音楽の渦に巻き込まれた心地よい瞬間をおくりに行ったのである。
至福の時。ライブはいつ見ても最麹。
今回は3曲ほど知らない曲もあった。
はやくCDが出ないだろうか?
しかも奇跡のように2回のアンコールがなされた。
以前はアンコールすら出てきてくれなかったのに。
ラッキー!ハッピー!
30日はマキノ雅弘の映画を見に十三へ。
即ち東京からとんぼ返りで帰ってきたのである。
家で映画の時間まで仮眠を取る。
夕方に出かけて『弥次喜多道中記』をみる。
以前にも見たことのある映画だったのだが、面白かったのでまたみる。
唄がふんだんにちりばめられた楽しい娯楽作品である。
しかし、途中強烈な睡魔に襲われた。
どうも唄が眠りを誘ったようである。
睡魔と戦いながらも映画を見終わる。
夜は何の因果か祖父母の家に行くことになってしまった。
しかし、お昼御飯をしっかり食べ過ぎたのでお腹が全然空いていない。
そもそも疲労い憊しているのだから、早く帰りたかった。
だが、以前実家に忘れ物をしていて、それが必要だったので、母と共に実家にいかなくてはならない。
早く帰ろう、帰ろうとさりげなく早vしていたのだが、とうとう22時を過ぎてしまった。
実家で倒れる事。
もう遅いので、とりあえずお風呂だけいただき、車で送ってもらって漸く生還。
それからメール・チェックをして、様々な雑事をすませ、そうこうしているうちに2時に。
あー、こんなにしんどいのに、しんどすぎて眠れない。
明日はバイトなのに・・・。
3月24日
はあ、またアルバイト。
止めたいけれど、止められない。
春休みなので、学生さんはほとんど来ない。
午前中、残りの草稿を読み返していたが、あまりの睡魔に襲われて進まなかった。
気分を入れ替えて、前回録画しておいた「武蔵」をみる。
吉岡清十郎との果たし合い。
だけれども肝心の果たし合いのシーンはやはりスローモーション、上半身アップ、カットの連続で全体の身体運用を見ることは出来なかった。
そして、歩いていく新之助はやはり腰のものをぶんぶん堰Bに振りながら歩いていく。
どうして腰を入れて歩かないんだろう。
いつ見ても気にくわない。
もう彼の演技力には期待することは辞めた。
しかし、せっかくの歌舞伎で磨いた身体運用をどうして生かしてくれないんだろう。
昼間に軽く休んで、午後は復帰。
草稿を最後までチェックすると、次は持ってきた資料の見直し。
使えるかも知れないと思っていても、いざとなるとどうでもいいコピーもたくさんでてくる。どうでもいいというわけではないが、直接引用するには及ばない資料である。
だけれども、これだけ調べたということは自信を持っていえるので、まあいいか。
帰りは皮膚科へ。
実はまた発疹がでてしまい、これが吐いた後でもなんでもなく、足にぶつぶつとでたのである。以前からも症状はでていたが、2〜3日経つと引いてしまうので気にしていなかったのだが、やはり気持ちが悪いので、前回いった皮膚科に行って、尿検査と血液検査をお願いしていたのである。
その結果を聞きにいった。
結果は何も異常はないとのこと。
鉄分補給もしているので、血液の方も正常値に戻っていた。
やはり神経性かも知れない。
帰ってから夕食を食べ、お風呂に入ってから、カイロプラティックへ。
相変わらず曲がっていますね、といわれる。
今は仕方がない。同じ様な姿勢でずーっと動かない生活をしているのだから。
「正しい姿勢でいたらずれないんですけれど」
といわれてもねえ。
仕方ないですわ。これだけは。
3月23日
7時頃に起床。
TVのニュースを見ながら朝のコーヒーを入れる。
顔を洗って、歯を磨いて、薬も服用して、さあ、仕事開始。
以前書いた草稿の読み直しをはじめる。
自分では一生懸命書いていたんだけれど、後で読み返すと結構言葉足らずに思われるか書がでてくる。
そこに赤でチェックを入れていき、書き足したいことをメモする。
誤字・脱字なども発見して、訂正。
こんな草稿を井上先生に見せていたのかと思うと、少し恥ずかしくなる。
大幅に書き直すわけではないが、やはり所々書き足した方がいいと思うところ。
昨日チェックしていた資料で使いたいなという箇所などがでてくる。
昨日の束では見切れなかったが、確かにコピーしてきた箇所があり、それをどこに使えるか考えながら読んでいく。
そうこうするうちにすぐお昼となってしまった。
まだ1/3残っているが、映画に行かなくてはならないので一時中断。
昼御飯を作って食べる。
それから一度家に帰って、荷物を取る。
実はこの追い込みをかけて忙しくしているときに限って、携帯が壊れたのである。
おまけにその日はFD1枚壊れてしまい、バック・アップは磨u完成の分しかのこっておらず、幸い完成原稿を打ち出していたので、それを見ながらデータを完成させるという面倒くさい自体に陥った。
最悪である。
携帯は代替機を借りていたのだが、もう修理が不可能と分かり、新しく機種変更して購入しなくてはいけない羽目になった。
だが忙しくて連絡のあったその日しか時間がとれず、閉店吹B前の店に飛び込んで、とりあえず機種だけ返し、新しい機種を購入。
代替機の時につけられていた説明書と使えなくなった古い機種の部品などを週末に返す約束をしていたのだ。
それをもってJ-Phoneショップへ。
それから電車に乗って十三の第七芸術劇場へと向かう。
今日のメニューは全部戦後の作品であるが、大河内傳次郎主演の「丹下左膳」「続丹下左膳」それから無声時代の名作をマキノ雅弘自身でもう一度リメイクした「浪人街」の3本である。
さすがに有名な科白は残っていて、念願の「シェイは丹下、名はシャ膳」「おめでたいぞよ、丹下左膳」が聞けたときは、妙に嬉しかった。
「浪人街」も何度も映画史でそのあらまし、その斬新さぶり、作品評を読んでいただけに、期待が高まる。同監督によるリメイクなので、話はほぼ同じであろう。
面白かった。
だがやはりオリジナルを一度でいいから見たい。
「丹下左膳」も然り、伊刀B大輔監督との「新版大岡政談」を見たかった。
これに関しては断片5分ぐらいは見たことがあるんだけれど、その迫力振りは凄まじい。
さすがに30年の年月が経つと、大河内傳次郎も歳をとる。
往年の大スターではあるが、初期のころのスピード感や異様な迫力はもうない。
しかし、両作品とも立ち廻りのシーンが多く、全体の身体運用がとても面白くて、美しくてこれぞ「チャンバラ」と、唸らされてしまった。
見られて良かった。
帰ったらすっかり遅くなってしまい、3本も立て続けに映画を見たために疲労い憊してしまった。
3月22日
昨日も荷物があるので実家に宿泊。
朝は8時過ぎまで寝ていた。久しぶりに6時間ほど寝たことになる。
コーヒーを飲んで、薬を服用。
新聞などを読んで、イラク情勢などに目を通す。
戦争なんてするなんて馬鹿だね。
なんの徳にもならないのに。
どうしてアメリカは戦争をしたがるのか?
大体ブッシュが戦争を決定しても、お前が戦地に行く訳じゃないだろう。
行くのは兵士たちじゃないか。
好んでいく人もいるのかも知れないが、国連の決定も無視して、傲慢に爆撃開始する根性が分からない。
犠牲者になる人のことを考えたことがあるのだろうか?
自分が戦地に行くことを疑似体験し、想像してみたことがあるのだろうか?
私はとにかく反対である。
今日は母が単身赴任している父のマンションへ掃除に行く。
明日帰ってくるそうだが、昨日の宅急便もあるので、留守の間私が実家にいることになった。
ただ、梅田でワコールのセールをしているというので、それだけ一緒に行くことにして、早めに家を出て昼食を梅田でとる。
セールを見に行って、下着を幾つか購入してもらい(自分で買うと高いから)、その荷物を持って、母と別れた。
実家に帰ってから、以前書いた草稿を見直しし始めたのだが、疲れがでてきたのか眠くて眠くて仕方がない。
これは、眠れるときに眠っておこうと思い、ソファに転がって仮眠をとる。
途中宅急便で起こされたが、結局4時半頃まで眠ってしまった。
気を取り直して、持ってきた資料に目をやる。
書き直しに使えるものがあるはずだからである。
1月に東京で集めてきた資料である。
夜になったので、とりあえず軽く夕食を食べ、また資料あさりをしていると、眠くなってきた。
これではいけないと思い、お風呂に入って眠気覚ましをする。
それからまた資料と格闘して、結局2時過ぎまで起きていた。
明日は「マキノ雅弘」監督の映画祭に行く。
なんと3本立て。
体力要りそうなので、お休みなさい。
3月21日
今日は友達の結婚式。
結婚式とか同窓会とか行かない方がいいと主治医にいわれているが、中高時代からの長い付き合いの親友である故、断れなかった。
寿ビンボー!
式が10:15分からなので、9時50分には控え室に行かなくてはいけない。
ということで、昨日の興奮さめやらぬまま、実家に泊まって早起きして母に手伝ってもらって振り袖を着る。
母が車で送ってくれるというので、お言葉に甘えてメリケンパーク・オリエンタルまでゴー。もちろんナビはしなくてはならない。
しかし、3連休の初日。
早めに家を出たのに、阪神高速で渋滞に巻き込まれた。
時刻を刻一刻と過ぎていく。
最悪の場合、途中で降りて最寄りの駅から電車で三宮にでて、タクシーを拾うしかない。
それでもぎりぎり10時5分に到着。
式には間に合う。クロークに荷物を預けて、走ってチャペルまで行く。
まだみんな控え室にいたところにぎりぎりセーフで滑り込む。
やはり結婚式は花嫁さんのもの。
もともと美人の彼女だが、今日は更に磨きが掛かってきれいである。
式が終わってから、写真を撮りたかったが、披露宴の受付を頼まれているためにもう一人の友人と先に披露宴会場へと向かう。
ホテルの人から説明を受けて、受付スタンバイ。
接客アルバイトが多かったせいか、私はよく受付を頼まれる。
手慣れたものである。
遅れてくる人もなく、無事に受け付けも終了。
披露宴が始まる。
メニューは和洋折衷の不思議なメニュー。
それにしても今日は結婚式が多い。
詰め込んでいるとしか思えない。
そのために食事のペースが非常に速い。
久しぶりに会う友人と喋っていたりなんかすると、まだ食べかけにもかかわらずどんどんさげられてしまう。
まあそんなにお腹空いてないからいいんだけどね。
式は和やかに済み、涙もろい親友は、最後の挨拶の時にとうとう泣き出してしまった。
お化粧が崩れるよ。
最後はみんなで写真を撮ってから、二次会に持っていって欲しいと頼まれていた「花束」をホテル側から受け取る。
それから振り袖から洋服に着替える。
荷物は邪魔だから宅急便で送ってしまった。
身軽になって、二次会へ。
二次会は知人が雑貨店を開いているすぐ近く。
二次会でも久しぶりに会う友達が来ているから、一番端っこのテーブルをいいことに、司会者の言うことも、他の人の祝辞も全く聞かずに、完全に同窓会と化していた。
同窓会は来週あるのだが、今回は欠席。
わいわいみんなで話しているうちにお開きとなった。
時間は19時過ぎ。
朝から長かったなあ。
ちょっと疲れていたけれども、みんなと別れて今日店番をしている知人に黙って雑貨店による。
ひどくビックリした様子だった。
20時には店を閉めるから、それからゆっくり会うことにして、いつも待ち合わせに使っているカフェに先に行って本を読みながら待っていた。
20時過ぎに来た知人と、21時頃まで話して、相手が夕食を食べていない(正確に言うと朝から何も食べていないそうである)のに気付いて、一緒にレストランへ行く。
ピザが食べたいというので、2種類頼んで分けたけれど、私は朝から食べているのでお腹も空いていない。
申し訳ないけれど残してしまった。ごめんなさい。
少し、ストリート・ミュージック(ジャズだったかな)を二人で聞いて、10時半頃に分かれて帰った。
ここのところ論文のために睡眠時間を減らしていたから、さすがに疲れた。
明日から草稿に取りかからねば。
3月20日
ふう、昨日やっと中間報告論文を書き上げた。といっても中身は博士論文に使う1章である。
今年度、2回のチャンスを落としに落とされた私は、論文の構成を組み替えた。そこで新たに1章書かなくてはならない状況に自分で追いやったのである。大体の構想を頭に思い描いて、寝ても冷めても考えていたので、いざ書き出すと速いかなとも思っていたのだが、やはり甘かった。
いろいろ資料を洗い直して書いていると意外と時間がかかってしまったのである。
でもまあ、一山越えてホッとした。
どうしても昨日までに仕上げたかったのには理由がある。
それは今晩、バレエを見に行くからである。
どうせなら余裕の心を持って満喫したかったからだ。
重荷をかかえていることにはまだ変わりはないが、というのも草稿全体の書き直しがまだすんでいないからである。
しかし、目途がついたのでちょっと余裕が出来た。
今日の演目はAMP(アドベンチャー・イン・モーション・ピクチャーズ)の「白鳥の湖」である。
お目当てはもちろんアダム・クーパーだったのだが、このバレエ団の方針でキャスト発表は当日まで行わないという。
今回はなんとトリプル・キャスト。確率は1/3。
ところが、昨日になって、一緒に観に行くバレエ好きの友人からメールが入った。
「アダムは体調を崩して本国に帰国しているらしい。再来日は21日だって」と。
なんだとー!日本にすらいないのかよ。
ぜんぜん駄目じゃないか。
仕方がないので後の二人のどちらに当たるのかが問題だ。
しかしここでもまた情報が入ってくる。
「首籐君、怪我しているらしい」
ということは、必然的に残りの一人、ジーザス・パスターになる。
スペイン人のダンサーだ。
まあいいや、アダム・クーパーはもうビデオで見たから、生の「白鳥の湖」を見に行けるのならそれで良しとしよう。
さてさて幕を開けると、感動しました。
最後なんて、知っているのに泣けてきて・・・
テープを使っていたが、それなりに音響も良くてすっかり舞台に酔いしれました。
ジーザス・パスターは確かに良い。
だけど一つだけ欠点といえば、小柄だって事。
黒鳥(ストレンジャー)の場面になると、背の低さが目立ってしまう。
設定は舞踏会なのだが、一緒に踊る女性陣がヒールを履いているせいもあって、一緒に踊っていると背の低さが迫力のないものにしてしまう。
アダムは背が高いというかでかいのである。
だから迫力がある。
しかし、ジーザス・パスターのいいところは身体の柔軟性である。
非常に柔らかい踊りをしているので、白鳥として踊っているとその柔らかさが何ともいえずセクシーさを醸し出す。
友人曰く「ラテン系のダンサーの持つ独特の体の線」。
それはよく分からないが、とりあえずまだ若いし、これから伸びて行くんだろうなあと感じさせられた。
でも、やはり欲張っていえば、アダム・クーパーを生で見たかった。
残念。
今でも「白鳥の湖」の音楽が頭の中をまわっている。
3月5日
うえーん。うえーん。
昨日もどしたせいか、また、目の回りに赤黒い発疹が出来ている。
気持ち悪いよー。
皮膚科に行くようにと主治医から指示があったので、7時半に家を出られるように準備できていたのだが断念。
8時過ぎにに実家の近くに出来たという皮膚科の開室時間を問い合わせに、実家に電話をする。
9時半だというので、時間を潰して、9時半に病院へ。
「もどされた時っていうのは、非常に力んでますから、顔の辺りの毛細血管が切れて内出血したものが現れたのだと思います。2〜3日したら消えるでしょう。お産の女性とかによく見られる現象ですよ」
と、一言の下に片付けられる。
まあ、いいか。
日文研へと向かう。
そこは雪。
昼過ぎには止んだけど。寒い!!
RAを今日で終わらせて、仕事をしようと思っていた。
バスの時間を待っていたとき、目の前のミスドが100円均一。
つい昼食に買ってしまった。
それが災いしたのか、ミスドを食べてからにわかに気分が悪くなり、とうとう図書館で、仕事中にもどしてしまった。
服に匂いが付いて、1日中気分が悪い。
今日はカイロプラティックがあるので、早々に帰る。
お風呂に入って、吐瀉物の処理をする。
うげー。気持ち悪。
お風呂でさっぱりしてからカイロに行き、後は残業。
進まないなあ。
3月4日
朝から日文研。
と思いながらも、しんどくていつもの電車に乗れない。
どうして、最近疲れているんだろう。
だけど、今日は院生室の大掃除があるから絶対に行かなくてはならない。
ずるずると遅くなりながらも、11時頃に漸く到着。
掃除までの間、RAのバイトにいそしむ。
早く終わりたい。
順調にいけば、明日で終われるはず何だけれども。
管理をしている人に残りの時間を確認しようと思うと、明日まで出張とのこと。
まあ、金曜日に聞けばいいか。
ILLで依頼した本が届いている。
2冊は必要部分のコピーを取り、1冊はその場で読んで(一章だけ必要だったから)、対して役に立たないことに気がつき、その場で返却。
もう1冊は目を通す暇がなかった。
なんかバタバタしているうちに、すぐに外は真っ暗。
今日はとにかく寒い。
日文研は1日雪だった。
うっすらと夕方には積もりはじめた。
早く帰らなくては、帰れなくなる。
夜は知り合いに頼まれていたものを渡すために、夕食を共に。
しかし、帰ってから気分がにわかに悪くなり、また少しもどしてしまった。
本当は、全部もどすと気が楽になるのだが、身体がそんなにいうことを聞くわけでもない。
調子が悪いよー。
薬も全部もどしてしまったのかしら。
心配なので、抗鬱剤だけもう一錠だけ服薬。
今日は早く寝よう。
眠れるかなあ。
3月3日
今日は楽しい雛祭り。
全然楽しくないやんけ。
昨日中途半端に寝たために、結局夜はほとんど眠れず、明け方に漸く眠りについた。
ハッと起きて目覚ましが鳴ると思う。
ビリリリリリリー!
起きなくては。目覚ましをオフにしに行く。
のろのろと重い頭を抱えて顔を洗い、歯を磨き、着替える。
今日も雨。
雨の日だから頭が痛いのか。
でも、これ以上薬飲むのもねえ。
今日はライブラリーを閉鎖するから、内職が一杯出来るぞー!
そう意気込んで、重いパソコンを持って出勤。
だけれども、嘱託の人から、仕事の内容が書いてあるメッセージが。
おお、これではいつもよりも忙しいではないか。
内職する方が間違っているんだけどね。
だけどね、背に腹は変えられないっというときもあるんだよ。
しかし、給料をもらっている限り、仕事を優先するのが当たり前である。
自分のことをしたければ、お稽古を止めるなり、バイトを休むなり、何なりと方法があるはず。
ずるずると狡をしようとするから、なんか損した気分になるんだな。
あかん、あかん。
根性を入れ替えなくては。
結局内職は出来ず、17時となってしまった。
でも、まあ夜に祖父母の家に寄ったときに使えるからいいか。
運動不足だし、重い荷物持って山登りもいい運動かも。
さて、次は稽古に行くか。
稽古も休めばいいのだが、実のところ出来上がっていないために、休めないのだ。
大会は6月1日だというのに・・・
どうして、こういろいろと重なるんだろうねえ。
お稽古では、舞の特訓。
いくらやってもキリの舞が上手く舞えない。
細かいところを何度も何度も注意されてはやり直しをさせられる。
謡の方は、お稽古していないもんだから、惨敗。
難しい節回しのところは全部直されてしまった。
やはり稽古しておかないといかんなあ。
3月2日
うおおおお。
何でか知らないが、身体が、身体が疲弊している。
頭が痛い。お腹が痛い。腰が痛い。
かすかに寒気がして、立ち上がろうとすると星が散って立ちくらみ。
何でこんなに調子が悪いんだ?
1日休養したいがその暇もない。
震えるからだと疲弊する頭を抱えながら、パソコンの前に座るが、当然の事ながら何もできない。
資料に目をやり、ペーパーに取りかかろうとするが、頭がクリアにならないので、構成が出来ない。
つ、つらい。
別に眠くないんだけれども、頭が重いんだよねえ。
身体なんか完全に叛乱をおこしているしさ。
私はどうしてあげたらいいの?身体さん。
こういうときはリラックス効果のある入浴が一番。
勝手にそう決めて、昼間っからお風呂に入りました。
だけど、だけど、時間が惜しいという気持ちがどこかに働いて、長湯が出来ないんだよねえ。長湯でリラックスしようと思っているのに・・・
うるうると泣けてきた。
駄目だ、壊れている。完全に鬱状態に陥りつつある。
それでも嫌がる身体さんに鞭打って、四苦八苦しながら、パソコンの前で格闘。
気がつけばもう夕方。
電話が鳴る。
母から「レシピ」の催早vと、お雛さんを出すので手伝いに来いとの命令が。
えー、レシピ?ああ、金曜日のか。
お雛さん?明日は雛祭りか。
関西でも旧暦を使うので4月3日まで出しておく。
もう壊れちゃってるしなあ。
のって、書いているときなら「何を言う」と言って無視しちゃうんだけれど、どうせ今日は仕事にならないことが分かっている。
それでも磨u練があるので内職道具を持って実家へと向かう。
場所が変われば気分転換になるかも?
実家に到着するなり「御飯を食べに行こう」と言うことになった。
何が食べたいと言われても、朝からプロテインと煎餅2枚だしなあ。
でもお腹空いた感じはしないし、何でもいいけど・・・
最近出来た焼鳥屋さんに行くことになった。
肝刺しでも食って鉄分補給するかあ。
早めに御飯も終わって、実家に戻り、全部出すのは大変だから、今年はお内裏さんだけを出して、さて内職とでも思っていたんだけれどねえ。
ここから記憶が定かでなくなっている。
気がつけば私はソファに倒れていた。
磨u練がましくパソコンを近くに置いて・・・
ハッと気がつくと、0時半。
「何でもっと早くに声かけてくれへんかったん?」
「眠れない、眠れないって言っている人がなんかよく眠っていたみたいだったから」
「それなら、家で寝た方が明日にひびかへんやん」
「そういわれたら、そうやねえ」
慌てて荷作りをして、車で送ってもらう。
一度起きてしまったので、次が眠れない。
すぐに薬を飲んで寝る体制に入ったのに、1時間経ってもまだ眠れない。
ああああ、また夜中になる。
明日はバイトに稽古なんだ。
早く眠りにつきたいよ。
3月1日
なぜだか分からないが、薬が異常に効いた。
7時に目覚ましをセットしていたのだが、気付かなかった。
意識を失うように爆睡。
母からの電話で起こされたのである。
しかし、目覚めがすっきりするどころかあまりの頭痛に頭を抱え込んでしまった。
頭が痛い。動けない。
仕方なくお稽古をキャンセルする。
先生、ごめんなさい。
それから午前中は頭痛と闘っていた。
あまり薬は飲みたくない。眠くなると嫌だから。
ふと目覚ましを見ると、解除されていない。
ということは目覚ましが鳴り続ける中、意識を失っていたのだろうか。
夜鳴るといるのでOFFにする。
恐ろしいほどの薬の効き目だ。
もしかして、また分量間違えたのかなあ。
薬を変えてもらってからもそれほど深い睡眠が得られないと思っていたが、週末になって気が緩んだところに一気に効いたのかも知れない。
恐ろしいものである。
昼になって漸く動き出せた。
読書会の準備をして、服を着替え、顔を洗う。
今回は会場がいつもと違って、香浴u園である。
14時半に駅で待ち合わせをしているのだが、どれくらいかかるのか見当もつかない。
昼食を近くの蕎麦屋で両親とともに食べるが、遅れるから急げといわれて、適当に口につっこんで、慌てて駅へと向かう。
電車の中は当然読書。
だけど、思ったよりも早く着いてしまい、約束の時間よりも20分前だった。
何処かカフェでもと探すが、スタバは満員。席なし。
仕方がないので、ベンチに座って続きを読む読む。
2時半になってみんな揃って、会場であるお宅へ移動する。
これが結構な豪邸。
古いけれども趣のあるいいお家ですね。
だけど、これを管理して行くには莫大なお金がかかりそう。
大変だよな。
なんとおうすをいただいて、早速読書会開始。
最後まで読めなかったので、後は発表を聞きながら理解して行くしかない。
すまない。
なんか、でもこの人の理論は私には会わないなあ。
そんな印象を持ってしまいました。
でも断片かじっただけだから、時間が出来たらきっちりと読み直してみよう。
夜は近くのビストロでお食事会。
なかなか雰囲気の良いお店でした。
ちょっと料理がでてくるペースが速すぎる気もしたけれども・・・
はあ、今日もつかれちゃったなあ。
明日は久しぶりになんにもない日曜日。
といっても本当は論文を書かなくてはいけないのだが、午前中ぐらいはゆっくりしよう。
2月28日
今日で2月も終わりなんて、地獄のようだ。
時間が、時間が欲しい。
だけどアルバイトやお付き合いや雑務に翻弄され、なかなか論文1本に絞り込めないところが辛いとこ。
まあ、その雑務やアルバイトやお付き合いのおかげで気分転換を謀っているのも事実なので、あながち文句も言えない。
今日は約半年ぶりにたん熊さんのお料理教室に通った。
本来ならばそんな悠長なことをしている暇ではないのだが、来月のお雛さんの料理のレシピが仕上がらない母より、たん熊さんのメニューを習ってくるように言われたからである。
もともと私がたん熊さんの料理教室に通うようになったのも、すべては母の料理教室のための産業スパイであった。そのため、お月謝は母が払っている。
それで美味しく出来上がった料理を月2回は食べられるのであるから、文句は言えない。
私の料理が趣味というのも手伝って、楽しみにかれこれ4年ほど通っているのだが、昨年の夏より、論文重視と体調不良のためについついお休みをしてしまっていたのである。
しかも無断欠席で・・・
もう名前も登録抹消されているかとどきどきしながら通ったら、まだ登録されていた。
よかった。
いつものお部屋にはいると、隣との襖が開け放されていて、隣の部屋に飾ってあるお雛様が見えるようにしてあった。
京雛なので、男雛が向かって右側に来る。
あまり気にした方はないかも知れないが、普通は向かって右側に女雛が来るのである。
町を歩いていても、売りに出ている小さな雛人形など、全部向かって右に男雛が来ている。
さすが京都である。
今日のお戟v立は「ひな寿し前菜」に吸い物が「白魚真蒸」焼き物が「蛤ふくさ焼き」蒸し物が「重ね蒸し銀あんがけ」であった。
ひな寿司の前菜は結構使えそうなので、レシピをあげなくてはならない。
吸い物も使えるかな。
焼き物はちょっと無理かも知れない。
あまり家でするような調理道具ではなかったから。
蒸し物は、中身を少し変えると使えるだろう。
スパイとしてしっかり役に立っておりまする。
今日は夕方から博士論文を無事取得された方々の祝賀会が先斗町(ぽんとちょうと読む)で行われる。
たん熊が終わるのはいつも1時過ぎるので、それから日文研に行っていると、すぐに河原町まで戻ってこないといけない。
それは余りにも時間が無駄なので、たん熊が終わった後、本屋にしばし寄り、それからカフェ・オパールに来た。
仕事をしようと思ったからである。
今書きかけのペーパーの資料とノート・パソコンを持ち込んで、紅茶1杯だけで4時間ぐらい粘る。
お兄ちゃん、営業妨害をしてすまない。
しかし、時間までにはペーパーは書き終わらなかった。
当たり前だよな。
あまり遅れていくのも失礼だし、早く帰る予定だったので、時間きっちりに会場に向かう。
お座敷だった。
主賓は真ん中に来て、後は先生方とも混じり合って座り、祝賀会が始められる。
今年はなかなか優秀だったそうで、昨年ほどの混乱もなく無事会議が終わったそうである。
「これから提出する諸君たちも、よく見習うように」と恐ろしい言葉がかかってくる。
別にわざと出来の悪いものを書いているんじゃない。
時間を必死で作りだして、取り組んでいるのだが、すぐに疲れて倒れてしまうのが玉に瑕。
今日はカイロプラティックの予定が入っていたので、17時半に始まって、さんざん説教をされながらも、20時には逃げるように帰ってきてしまった。
カイロプラティックはいつもながら痛い。包帯が取れるようになったので、循環をよくするためにと、痛い右足をぐいぐい矯正される。痛いよ。
右と左だと右の方が3割ほど腫れてますねと言われる。
だってまだ痛いんだもん。
家帰って明日の読書会の準備をする。
発表者ではないが、まだ物を読んでいなかったのである。
明日は朝一でお稽古にも行かなくては。
忙しいなあ。
2月27日
今朝もちゃんと起きて、朝にプロテインを補給。
薬を飲んで着替える。
ニュースをかけながら内職道具と積み込み、お稽古の準備をし、ビデオのセットをし、前回撮った「武蔵」のビデオを荷物に入れる。
昨日も夜中に何度か起きてしまったなあ。
なんでぐっすり眠れないんだろう。
こんなに疲弊しているのに。
身体はこんなに眠りたがっているのに。
昨日は遅くて郵便局がしまっていたから、お昼休みに郵便局に行くことにした。
午前中は新着ソフトの案内とポスター作り。
その後、誰も来ないので「武蔵」を見る。
柳生新陰流の道場で、袋竹刀が使われているのを見て、時代考証はしているのだなと思った。
ただ立ち会いのシーンになると、クローズ・アップやカットバックやスローモーションで誤魔化されてしまう。
まあ、本当に太刀取りがすぐ出来るわけはないわなあ。
相変わらず新之助くんはがなり立てるばかりで、演技しているとは思えない。歌舞伎の因襲かしらんが、映画的とは言わないな、TVだから、映像的な演技は下手である。
歩き方も相変わらず気にくわない。
腰を入れろよ腰を。
お通は映画のイメージだと病弱なイメージだったのだが、米倉涼子は気の強そうな頑丈なお通に見える。
武蔵の映画は何本か見てきただけに、そのイメージが頭にこびりついちゃって、偏見が出来ているのかなあ、いかんいかん。
まあ、原作も読んでないしどういうシナリオになるかはゆっくり見て行くしかないけれど。
残りの時間は資料整理に使った。
お昼休み、山を下りて郵便局へ。
また山を登らないといけないのは面倒だね。仕方ないけどさ。
ついでに光熱費も払って、貧乏。
午後からはパソコンを立ち上げてお仕事。
なかなか論文が進まないなあ。
資料を見ていると眠くなる。
こんなに眠気を感じるのに、どうして夜にきっちりと眠れないんだろう。
朝もさわやかに「よく寝たー」と言って起きてみたい。
バイトが終わりお稽古場に向かう。
先日に新年会の間違いだらけのビデオを見せられる。
見たくない。見なくても間違っているのは十分分かっているのだから。
その上で舞のお稽古。
みっちりしごかれました。とほほ。
2月26日
今日は早く起きて、二度と布団に戻らなかった。
トリプタノールがそんなに効いているとは思わないが、悪夢は見なくなった。
だけど眠りが深くなったとは思えない。
夜中に最低2回は起きるからだ。
7時半には余裕で出て、9時過ぎに日文研に到着。
バイトに早速取りかかる。
上司の人は10時出勤なのでまだ来ていない。
だが、いつも図書館で作業をしているのを知っているから、こっちから行ってもいいし、向こうから来るかも知れない。
なんかお話があるとのことだった。
いつもの通り、濃いコーヒーを入れて作業をはじめる。
何気なく日本語大辞典を引いていると、avataが日本語であることが判明。
粟田焼きのことであった。
なーんだそうだったのか。VとWは同じ読みとして使われていたのね。
まだまだ磨u熟者だなあ。
つぎつぎと調べものをしながら訳していると、向こうからやって来はった。
「ちょっといい?」
「はい、いいですよ」
「この本で終わりだから、3月中にこれを全部入力まで終わらせたいのよ。どのぐらい捗っている?後小川さんは3月は後何回来るの?」
「えっと調べるのは後60枚ぐらいです。3月は多分2回で終わりだと思います」
私の計算が間違っていなければ、今日をこなすと残り後10時間のはずである。
これでやっと本格的に論文に集中できる。
「そういうわけだから、もう出来ているものをもらっていっていいかな」
入力は上司さんの仕事である。
「どうぞ、どうぞ」
目次をコピーして、チャプターの切りのいいところまでを番号と照合して渡す。
「じゃあ、残りの分が終わったら、不明だった人名調べとか手伝ってもらおうと思っているから、また来て下さい」
「はい、わかりました」
と、明るく請け負ったものの、人名調べは一度して私の力では及ばなかったから、不明分として分けてあるのではないか。
そんな面倒くさいことは嫌だな。
これ以上労力を、体力を奪われてしまうのはかなりつらいものがある。
RAを担当している人に、もう一度残り時間の確認だけをして、今持っている調べものをゆっくりしようと心に誓った。
そして3月の第1週には解放されようとも。
けれども、全く解放されたわけではない。
RAのためにお休みをしていた古文書のデータベースのバイトがまだ残っているのだ。
こっちはペースダウンしてやっても全然構わないので気が楽だが。
本当にアルバイトと論文という二本の刀を使いこなせるのだろうか。
目指せ、宮本武蔵。
アルバイトを追えて院生室に帰ると共有の机の上が本の山になっている。
「何、これ?」
「山折先生から頂いた本。好きなの取っていっていいって」
宗教学者である山折先生とはあまり接点がないなあ。
とりあえず、論文とは全く関係ないが、興味のある本を3冊頂いた。
いつ読める暇が来るものやら・・・
さてと、共有のパソコンからインタビューの打ち出しをする。
読み返してみると、まだ誤字・脱字があるではないか。
裏紙でプリント・アウトしたので修正液で訂正。
それをコピーにかけて綺麗な方を郵送する。
その後、本の注文を書き上げる。
気がつけば19時。もう帰ろうかな。
21時前に塚口に到着。
昨日の兄ちゃんがうろついていたら嫌なので、今日も祖父母の家に避難。
当然皆さん食事は終わられているので、私は残り物を頂く。
祖母は「まだ鮭もあるよ、ぶり大根もあるよ」といろいろ勧めてくれるが、もう食卓にあるものだけで十分である。
「これ以上はいりません」ときっぱりと断りを入れ、あるものを頂く。(それでも残したが)
21時半に食事を終えて後片づけ。
麻雀はもうしないということなので、祖父にお風呂に早く入るように勧める。
うんうん、入るよというのだが一向に動かない。
水分とってお風呂に早く入らないと寝るのが遅くなりますよ。
何度行っても頷くだけで、ちっとも動かない。
さんざん言い聞かせてお風呂に入ったのは22時。
やっと家に送ってもらえたのが22時半。
明日は女学院のバイトでその後お稽古。
忙しいなあ。
2月25日
昨日の夜更かしがひびいたのか、早く覚醒したのにまた布団に戻ってしまったせいか、とにかく起きられなくなってしまった。
日文研のバイト先には今日行くと言ってしまっているので、どうしてもいかねばならない。
そう思って何度も起きようとするのだが、起きられないのである。
眠っているわけでもない。ただ起きあがれないのだ。
そうして格闘しているうちに昼になってしまった。
今から行ってももうほとんどアルバイトをする時間はないだろう。
テープ起こしもまだ残っている。
すっぱり諦めて、お詫びのメールを入れておく。
明日には必ず伺いますとも書いておいた。
そう、明日こそ普通の状態にもどさなくては。
寝間着の上にごついカーディガンを羽織り、光熱費をせこく浮かそうと家の中で一人厚着をする。
もう1時半じゃないか。ふう。
パソコンを立ち上げてテープ起こしの残りをする。
するとベルが鳴った。
普段は絶対に居留守を使って出ないのだが、郵便が一つ届く予定になっているため郵便局かなっと思いつい出てしまったのが運の尽き。
「ソニック・ジャパンともうします。各家をまわらせていただいているのですが、電話のモジュラーがありますよね。あそこを交換すると、もし留守の時に家に異変が起きたら察知して警報機が鳴るようにしてあるんですよ。ちょっと家の電話のところ、いいですか?」
むむ、なんか怪しい。
そんな工事が来るなんて連絡はもらっていない。
第一博論のため家の中は混沌としてとても人様が足を踏み入れられる状態ではない。
カオスである。
しかも、私は寝間着の上に厚着という珍妙ないでたち。
嫌だったので、「すみません、今来客中なので、ちょっと家に入られるのはいるのですが」
と断る。
こんな格好で来客中とはそれまた怪しいのだが。
「いつもいらっしゃいませんよね。いつ頃だったらご在宅でしょうか?」
「昼間はいつも出てますので、夜も帰ってくるのは遅いですし。たまに週末にいるぐらいですかね」
「何時頃お帰りですか」
「どんなに早くても8時でしょうか」(嘘ばっかり)
「じゃあ、後でまた伺わせてもらいます」(来んでもええわ)
すごく気持ちが悪いので大家さんに連絡を入れてみる。
そんな話は知らないので、マンションの管理をしている不動産屋さんに聞いてみてくれといわれ、不動産屋さんに連絡する。
やはり知らないとのこと。
「地上波がデジタル化されたり、今いろいろ変わっていっているでしょう。そのための工事だとか部品交換だとか、一杯いろんな人来ますわ。全部無視しておいて下さい。うちが頼んだものは全部事前にお知らせを入れておきますから。最近多いですからね。気をつけて下さい」
やはり。
インターフォンになんか出るんじゃなかった。
しかし、これでは暫く通われそうだな。
多分一人暮らしって事は分かってしまっていると思うし。
嫌だなあ。
なんか気分がむしゃくしゃするので、気分転換に洗濯をし、掃除というほどでもないが出来る範囲で掃除を少しする。
ちょっとさっぱりしたかな。
もうむやみにインターフォンに出るのは止めよう。
怖いから。
テープ起こしの作業に復帰し、18時頃に漸く完成。
誤字、脱字をチェックしてFDに落とす。
明日日文研で打ち出して、郵送しなくては。
またあの兄ちゃんが来たら嫌なので、一区切りついたことだし、一応内職道具を持って祖父母の家に避難に行く。
何回もベルをならされるのも、居留守しているときは辛いからね。
だからいっそのこと留守にしてしまおう。
祖父母の家に着くと、電話がつながらなくて、調子が悪いという。
どうも子機の操縦を誤って、保留状態になっていたらしい。
キャッチホンだから、保留で電話回線がつながったままになっていても、外からかけた人には話中にはならず、呼び出し音がなる。
大叔母は心配して、祖父母二人が強盗にでもあって、ぐるぐる巻に縛り上げられているのかと想像していたらしい。
サスペンス・ドラマの見過ぎか?
とはいえ、物騒な世の中。確かに人ごとではないかも知れない。
私が顔を出したときは丁度その騒動が一段落をして、夕食の準備をしているところだった。
早速夕食の準備を手伝う。
烏賊を買ったのだが、さばくのに墨袋が破けて大変手間取ったとぶつぶつ言っていた。祖母は母に頼むつもりで買ってきたのであるが、どうも母は今日は来ないらしい。
私がもう30分早く着いていたら、烏賊ぐらいいくらでもさばいてあげたのに。
食事をしていると誰か来た。
電話機が故障したと思い込んだ祖母が電気屋さんを呼んでいたのだ。
でも私がいとも簡単に問題解決をして、携帯を使って呼び出して異常のないことを確かめた後であった。
と、同時に来ないと思っていた母も来た。
電気屋さんには「孫がなおしましたので、結構です」と断っていた。
何もしてないんだけれども・・・
母は来ないのではなく、外食をするので夕食はいらないと言っていたそうだ。
まるで伝言ゲームのようである。話が少しづつ変わっていく。
歳をとるとそういう風になるのかなあ。
食事がすんで、麻雀タイムになるので、私は申し訳ないけれども避難。
本を読んでいたのだが、異常に眠くなってきて半分うたた寝をしながら読んでいた。
麻雀が終わったので、居間に戻ると、また電話機を操作してなにかごちゃごちゃ言っている。
「どないしたん?」
「親機から子機へ転送するのはどうしたらいいの?」
「それはね・・・」といってまた説明をしてあげる。
実際携帯から電話をかけて2回も実践編をしてあげたのだが、本当に分かったのかなあ。
まあ、解決したようなので、車で家まで送ってもらい、お風呂に入ってメールチェック。
明日は朝早く起きたら、そのまま起きていよう。
明日こそ7時半に出勤するぞー!
2月24日
女学院にてアルバイト。
何とか無事に出勤。
朝しんどくて薬も飲めなかったので、女学院に着いてからお茶を入れて薬を飲む。
眠い。
昨日の夜もぐっすり眠れることはなかった。
あんなに疲れていたのに、疲れ過ぎかなあ。
内職道具を持っていっていたのだが、午前中はしんどくて、学生さんも来ない中、ぼけーっとすごす。
昼休み、机に突っ伏して一休み。
薬を服用する気力もない。
午後は漸く復活して、テープ起こしをする。
あっという間に5時。
あと1/4か。帰ったらやろう。
6時に家に戻ってくるが、寒気がする。
どうしても寒いので、お風呂にはいることに。
お風呂に入っていると、体が漸く温まった。
軽く夕食を食べて、薬を服用。
本当にヤク中だなあ。
作業を続けていると、メールで21時に三宮に呼び出される。
作業を中断されるのは致し方ないが、断れないので出かける。
帰りは午前様。
疲れた。
なんか、毎日疲れていないか?
おかしいなあ。
2月23日
昨日の夜、全然眠られなかった。
悪夢は取れず、相変わらずうなされながら、起きては寝るの繰り返し。
朝から調子が悪い。
腰が痛いのだ。
もちろん朝御飯など食べられず、薬だけを何とか服用する。
約束の時間に駅に行って、先生のお宅へ。
初めて包帯を外したのだが、触るとまだ痛い。
大分と腫れは引いているが、まだ何となく腫れている気がする。
朝、軟膏を丁寧に塗り込んできたんだけれど・・・
10時から会の開始。
緊張の時間が続く。
祖母の能楽の衣装を付けるために、人より早く食べるようにいわれる。
たいして役にも立たないのだが、いつもお手伝いに翻弄される。
能楽も自分の舞も終わって、素謡を聞いているとき、うつらうつらしていたら、先生から2階で休んでくるようにいわれる。
顔色が悪いというのだ。
そうかなあ、と思いつつ、腰も痛いし、膝も痛いし、確かに少ししんどいので、2階で少し堰Bになる。
そろそろ素謡の時間だと思い、一階に降りて出番待ち。
写真係を終えて、先に着替えてくるようにいわれ、着物を脱ぎ、会食の準備を。
無事に会も終了し、会食の準備をして、みんなにくじを配る。席順決めである。
あまり食欲なかったが、適当にお弁当を頂いて皆様の話に耳を傾ける。
今回は65点ぐらいだなあ。
全然舞が出来てなかったからなあ。
実家に戻ってから着物を干して、家に帰る。
どっと疲れがでて倒れそうだ。
明日のバイト、大丈夫かなあ。
早くお風呂に入って休もうかなあ。
2月22日
朝に病院に行く。これで外科に通うのも今日でお終い。
後は出されている軟膏を塗っておけばよいだけ。
病院の後、着物を御影の先生の家に届けさせてもらう。
その車中は、独吟の練習。
絶対に無理と思っていたが、結構覚えたものだ。
昼食は家族と一緒に頂く。
荷物を持って祖父母の家に顔を出し、麻雀をしている間、座敷の廊下へ行って一人テープ起こしをする。
なかなかすすまんなあ。
母が声をかけてくる。
知らない間に祖父母も一緒に夕食を外食することに決まっていた。
まあ、いいんだけどね。
外食をするものの、食があまり進まず残してしまう。
胃の調子がまた悪い。
祖父母を送った後、家に送ってもらいそうそうに帰る。
メールチェックをすませた後、テープ起こしを少ししたが、ワインを飲んでいるためにあまり仕事にならない。
お風呂に入って、明日の新年会のために備えて早めに寝る。
なんか効率の悪い日だったなあ。
2月21日
朝五時前に目が覚める。
お風呂にお湯をはって、朝風呂の準備。
包帯をほどいて怪我の具合をチェック。
かなり腫れは引いてきたなあ。
お風呂に入ってよくもんでみる。
逆効果だったらまずいけど、夕方病院に行くからいいや。
7時半に家を出ようと準備万端。
まだ7時10分である。
20分あるからとぼーっと転がりながらTVを見ていると、意識を失った。
ハッと気付けば8:10。
仕方がないので、8時半に家を出て、いつも乗るのよりは1本遅いバスにする。
こういうのをあほという。
10時に日文研について、早速お仕事。
今日は診察日だから15時までで帰らないといけない。
しかし、今日は捗らない。
嫌だ、嫌だという気が強いせいかなあ。
引いても辞書にでてこない単語に二つも当たった。
英語の辞書にも載っていない。
Pitongとavataなのであるが、フランス語なのだろうか?
日本語にも当たってみたがよく分からなかった。
ちなみにpitongは名詞らしい。
En avata という用法で使われている。丁度磁器や陶器の項目にでてくるのだが、あばた焼きというものは存在しないし、なにか材質をさしているのだと思うのだが分からなかった。
その他にもフランス人に聞いて、まだ不明なのが laque d'or uniとlaque d'argent uniである。Uniがわからない。すっかり頭を抱えてしまい、ちっとも進まなかったのである。
そうこうしているうちにすぐに15時になってしまった。
慌てて片付けてバスに乗る。
快速特急が来ていたので十三まででて、一駅戻る。
診察室は人が一杯。
はあ、一体いつになる事やら。
本を読んで待っていると19時前に漸く呼ばれた。
16時半についたから2時間半も待ったことになる。
待っている方が辛いよ。
「先生二刀流も怪しくなってきました。もう息切れでぜいぜいいってます」
「眠れている?」
「眠りが非常に浅くて、悪夢ばっかりみるんですよね。それで1時間ごとに目が覚めて、4時か5時には一度起きてしまうんです。でも最近気がついたんですけれど、その段階で、もう睡眠を諦めて起きると生活がまともに出来るんですよ。だけどまだ時間があるから布団の中で転がっておこうとすると、眠れないんだけれど、今度は起きあがれなくなってしまう。」
「そうそう、そんなもんだよ。早く目が覚めたときに起きてしまうと起きられるんだけどね。また布団に戻ると、眠くならなくてもとにかく起きられなくなるでしょう。」
「そうなんです。それで今週は早起きを実戦して何とか毎日アルバイトで、夜は少しだけでも論文に取りかかることが出来たんです。先週はボロボロでした。後、調子よく食べている日が続くと、またもどしてしまって。もどすと発疹がでるんです。」
「薬と関係がないから、次に発疹がでたらすぐに皮膚科に行ってみた方がいいね」
「はい」
「悪夢を取る薬を出してあげよう。寝る前に1錠のみなさい。眠りが少し深くなると思うよ。朝まで引きずることはないと思うから。」
といって出されたのはトリプタノール。これって抗鬱剤じゃなかったっけ?
ちゃんとインターネットで調べよう。
でも、私は鬱病なん?
最近忙しくはしているけれど、前よりは調子よくなってきていると思っていたのに・・・
まあ、アルバイトにまともに通われへん事自体、普通やないわな。
19時過ぎていたので、慌てて帰って十三から母に電話で駅まで迎えに来てもらう。
次は外科に行かなくては。
「慢性的に血が溜まることもあるんですが、今回は大丈夫でしょう」
ほっとした。慢性的に膝に血が溜まるなんて悲惨じゃないか。
もう2回も抜いているのに。痛いんだよね、これが。
内出血している部分にいつも通り湿布と薬が施され包帯ぐるぐる巻にされる。
こっちも混んでいて終われば20時半になっていた。
早く帰ってくる予定の父は、私が病院に行っていて母も一緒にいるものだから、すねて知り合いの大阪のバーに寄って来るという。
診察が終わったので、電話を入れて夕食をどうするかと聞くと、二人で適当に食べて帰ってきたらいい。自分は家に帰るからという。
てっきりもうなにか食べてお腹が一杯なのかと思い、母と二人で作るのも面倒くさいのでお寿司を食べて帰った。
帰るとすぐに父が帰ってきて、「今日の夕飯はなに?」と聞く。
呆然とする私たち。
そんなんやったら家に帰って一緒に夕食作ればすむ話やないの。
タイミングが悪いというか、自分勝手というか。
呆れてものも言えない。
私は日曜日の新年会の着物の用意をする。
飲んで帰ってきているくせにまた飲めもしないワインをあけて、結局は残している。
スパークリングなので、もったいないよ。
といって残りを全部飲む私も痴れもの。
2月20日
うきゃー!発疹がまだ引いていない。
すっかり定着してしまった私のサングラス姿。
人はそんなにじーっと目を見ないから分からないよ、と昨日も言って貰ったが、やはり自分ではすごーく気になる。
早く消えないかなあ。
どうして発疹が出るんだろう。
以前は身体にしか出なかったのに、いつから顔に出るようになってしまったのだろう。
しかも決まって集中的に目の周りである。
昨日は家に帰って雑用をすませてから、床についた。
しかし、最近薬の効きが悪い。
寝ているのだが、眠りが浅く、すぐに目覚めてしまう。
1時、2時と時間を確認してはもう一度眠りにつく。
4時には一度覚醒してしまった。
また早朝型睡眠障害の復帰か?
嫌だ嫌だ。
だが頓服を飲むと効きすぎてしまい、次の日起きられないのが怖くて週末しか服用できない。
明日は診察だから、相談してみるかなあ。
だけどこの2週間もまともに、規則正しく過ごせたわけではなかった。
挫折の連続。
自己嫌悪。後悔先に立たず。うるうる。
朝、瘤のところに昨日貰ってきた軟膏を丁寧にすり込むように塗り込む。
早くよくなりますように。
早くから起きていたせいもあって、女学院には少し早めに到着。
今日は久しぶりに寒い!と感じた。
寒い寒いと言いながらも、もう少しましだったような気がするが、やはり強風のせいだろうか。
先週の日曜日に録画しておいた「武蔵」を見る。
なんか、期待していた武蔵じゃないんだよなあ。
新之助だけに身体運用が出来ているかと思いきや、やはり現代人。
走るときも今の走法だし、歩いていてもそんなに腰のものをぶんぶん堰Bに振って歩いていていいのかね。
もっと腰を入れてどうして歩かないんだろう。
歌舞伎で腰を入れることぐらい学んできているだろうに。
演技はいつもがなっていて、なんか下手だが、舞台の癖で大仰に振る舞ってしまうのかも知れない。
殺陣武術指導の「本田邦志朗」という人をネットで検索してみたが出てこない。
誰か連絡取れる方法知りませんか?
午後は思いっきりテープ起こしに時間を使う。
やっと半分終わった。
あとはB面の1時間を残すのみ。
17時になったのでライブラリーを閉めて、帰途につく。
駅からいつものように母に電話。
また麻雀の最中だから、祖父母の家にくるようにいわれる。
呆け防止とはいえ、本当に毎日毎日ご苦労なことである。
昨日足の甲のところまで包帯を巻かれたものだから、普通の靴が履けなかった。
それで今日はひも靴。
メールで友人から連絡が入り、急遽夕食を共にすることになった。
早く病院に行きたかったので、靴を脱がずに土間から居間の扉を開けて、顔だけ出して挨拶をして車のキーをもらう。
いらない荷物を置いて、ずた袋に本と財布だけを入れて、車でゴー。
今日は駐車場も空いていたのですぐに病院に入れた。
混んでいたので呼ばれてからも暫く待たされる。
やっと見てもらえると、もう自力で治るところまで来ているから、今週一杯来たらいいとのこと。
しかも、もし忙しかったら別に来なくてもいいとのこと。
もう普通にしていてもいいですよといわれたんだけど、それってどういう意味なんだろう?
もしかしてお風呂とか禁止だったのかしら?
もう遅いからいいけれど。
結果オーライ。
しかし膝をつくと瘤が当たってまだ痛い。
日曜日の新年会に間に合うだろうか。
待ち合わせの時間に遅れそうだったので慌てて車を返しに行ったら、祖父母の駐車場の手前の電柱で軽く車をすってしまった。
車を止めて慌ててドアの辺りを触ってみるが、幸い傷はついていない。
ホッとして、キーを返し、夕食を丁寧に辞退して駅に向かう。
三宮でお好み焼きを食べる。
暫く中国へ行ってしまうので、気をつけていってくるように言う。
帰ってきたらまた会う約束をして帰る。
明日は日文研と診察。
早く寝なくては。
2月19日
うぎゃぎゃ!!
目の回りに赤黒い発疹が出ている。
蝦蟇蛙みたいで気持ちが悪い。
最近発疹が出なくてよかったと安心していたら、今朝になって何故?!
よくよく考えてみれば、年末ゲーゲーと吐きまくっていたときに発疹がよく出ていた。
昨日は久しぶりにゲーゲーと吐いた。
ということは、嘔吐と発疹はなにか関係しているのではないだろうか。
いずれにせよ、気持ち悪いことこの上ない。
昨晩早く寝ようとしたが、なかなか寝つけなかった。
夜中に友人の祖母が亡くなったと連絡が入った。
祖母なので別にお通夜やお葬式は関係ないが、今年になって訃報の知らせをあちらこちらで聞き、なにやら暗い気分になる。
お悔やみのメールを送っておいた。
それとは関係ないと思うのだが、夢を見て1時間ごとに目が覚める。
朝5時には目覚めてしまった。
お風呂にお湯をはって、ゴミ捨てにいく。
それから包帯をほどいて足の様子を見る。
瘤のところは大分小さくなったと思うが、やはり左足に比べると出っ張っている気がする。
血は完全に下に降りてしまい、足首の周りがひどい青あざになっている。
包帯の型が付いて鬱血したみたいになっているところもある。
その辺りを触るとまだ痛い。
お風呂にゆっくり入りたいが、足を温めていいのか分からず、結局長湯は避ける。
でもやはりお風呂に入れると気持ちがいい。
湯冷めしないように暖房を入れて、髪の毛をすぐに梶vかす。
服を着替えて、日文研に行く準備をする。
日文研にはアルバイトに行くだけだから何も要らないのだが、どうせ帰りは祖父母の家に寄ることになるのだから、そこでする内職道具のためにノート・パソコンを積み込む。
今日は久しぶりに7時半に家を出ることが出来た。
これが毎回出来るようにならないといけないのになあ。
朝の京都は寒い。
濃いコーヒーを入れて、飲んでからバイトにいそしむ。
今日は9時半から17時半まで8時間労働。
途中休憩を少し入れながらも、かなりのスピードでこなしていく。
何度も何度も嫌だー、止めたいと思いながら、時間消費を考えて、こつこつとアルバイトに励む。
17時過ぎに図書館を出て院生室に戻り、残りの時間を過ごす。
17時半にすべてを終え、荷作りをしてバス停へ。
電車もスムーズに来て1時間40分ほどで塚口に帰り着いた。
駅から母に電話をすると、まだ麻雀の途中だから祖父の家に来いと言う。
やはりなあ、と思いながら向かうと、今から夕飯の準備だから一人で行ってこいと言う。
車を借りて病院に行く。
遅めだったから空いていた。
すぐに呼んで貰い、私の一番のお気に入りの先生だった。
「瘤が残るといるけれど、この調子だと綺麗に治りますよ。今週いっぱいぐらい通ったらもういいでしょう。軟膏を出しておきますので、瘤のところだけでなく足全体にしみこむように塗っておいて下さいね」
今週いっぱいと聞いてホッとする。
早く瘤が消えないかなあ。
まあ、新年会には包帯を外して出られそうだ。
処方箋を貰ったので、薬局に行って薬を貰い、祖父母の家へと戻る。
みんなは夕飯が終わったところだった。
残りのものを頂き、しきりに祖父母があれこれ勧めるのを、昨日食べ過ぎてもどしてしまったから、もうそんなには食べられませんといって、心の中では悪いなあと思いつつも断ることに。
発疹がひいて欲しいし、嘔吐を繰り返すのは辛いから。
夕食後は案の定麻雀を始める。
居間を離れて隣の座敷の廊下にあるこたつへ一人移り、かねてから用意のパソコンを立ち上げテープ起こしをする。
23時前に母が「帰ろうか」と声をかけてきたので、途中で止めて荷物をまとめる。
まだ1/4も出来ていない。
だけどいつもみたいに時間を無駄にすることなく、有効に使えたのはラッキーだった。
これからは申し訳ないが、仕事を持ち込ませて貰うことにしよう。
といっても今週いっぱいで病院通いもお終いだから、来週からはまっすぐに家に帰って出来るんだけどね。
明日は女学院でのバイト。
学生さんも少ないし、テープ起こし、反則だけどしちゃおうかな。
2月18日
朝何度も起きたのだが、身体がいうことを聞かない。
昨日は早めに眠りにつこうとしたのだが、薬がなかなか効かず、結局いつもと同じ時間になってしまった。
朝5時頃、いつものように目が覚める。
まだ時間があると思い、もう一度眠りにつくと起きられない。
結局いつもの時間には起きられずに、10時頃に家を出る。
今からいったら昼間じゃないか。
病院があるから、5時半には帰らないといけない。
バイトの時間がちっとも消化できない自分にいらいらする。
12時に日文研について、早速仕事を開始する。
もう嫌だ、もう嫌だと思いながらも17時半まで頑張る。
途中のお茶の時間が天国のようだ。
17時半になると、バスに乗り遅れないように、他のことは何も出来ずに飛んで帰ることになる。
あわただしいし、自分が悪いのだがスタートが遅れたことが悔やまれる。
駅について母に電話すると、祖父母の家に来いと言う。
病院が不便なところにあるためにどうしても車が必要である。
そうなると、帰りはいつも祖父母の家か実家に連行されることになる。
カイロプラティックとかが入っていると、「ちょっと帰らないといけないので」と言って解放されるのだが、何もないと時間がもったいない。
祖父母の家では何もできないからだ。
それとこれはいいのか悪いのか分からないが、祖父母の家に行くといつも食べ過ぎる。
食べたくないのだが「これも食べろ、あれも食べろ」と好意で勧めてくる。
もういりません、といくら言っても分かっていないらしい。
仕方がないので、そういうときは煤uを一口だけつけることにしている。
そうこうしているうちに食べすぎになるのだ。
今日は夕食後の麻雀はなかった。
食事の後片づけをしたら、帰ろうと思っていたので、麻雀があろうとなかろうと「じゃあ、失礼します」というと、母も帰るという。
車で送ってもらえるので寒いときは有り難い。
今日は無事に早めに帰れてと言っても9時半だが、家で作業することが出来た。
しかし、やはり食べすぎが週末から続いているのか、途中から気分がにわかに悪くなり、久しぶりにゲーゲーともどしてしまった。
吐くという行為は力もいるし、喉が痛くなるし、非常に労力を使う。
結局半分ほど夕食をもどしてしまった。
もったいないというか、祖父母に悪いというか・・・
すっかり自己嫌悪に陥る。
昨日は血を抜いたのでお風呂は禁止された。
今日こそ入りたいのだが、夕方に消毒液を塗られて、湿布をされたばかりである。
湿布は元に戻せばまだガーゼに薬がついているからいいものの、消毒液は洗い流してしまうことになる。
血を抜いた箇所は消毒液しかついていない。
すぐに外してしまうのはどうかと思い、朝にお風呂に入ることにした。
と言うことは早起きしなければならない。
今日は早く休もう。
吐いて気分も悪いことだし・・・
ぶぐぐ。
2月17日
女学院にてアルバイト。
昨日夜更かしをしてしまったので、朝が少し辛かった。
薬を飲んだ時間も遅かったし。
それでもお仕事なので、ちゃんと出勤する。
昨日珍しく、しっかりと1日2食食べたので、朝から胃がもたれている。
薬だけ服用して、女学院へ。
午前中は、薬が残っていたのかあまりの眠気で倒れそうである。
学生さんがほとんど来なかったのが幸いだ。
カウンターに座っているのだが、半分居眠りをしている状態。
これでお金をもらっていては罰が当たるなあ。
お昼休みも、胃がもたれて持ってきてはいたが何も食べる気がしない。
結局机に突っ伏してうたた寝をして過ごした。
午後はおかげで復活。
暇なので持ってきた内職道具をひろげて作業に取りかかる。
美味しいバイトだなあ。
それに比べ、日文研の方は・・・地獄のようなバイトである。
でも昨日の疲れが残って、少ししんどい。
自業自得なんだけどねえ。
帰ってからは病院に行く。瘤が変わっていないからといって、瘤をつぶされて地を抜かれる。めちゃくちゃに痛い!!
今日はお風呂は禁止だといわれた。
電気を当てて血を溶かしていって治す治療をこれから始めるという。
薬は出なくなったし、腫れも引いてきたのにまだまだ時間がかかりそう。
うくく。
早く治りたいよ~。
2月16日
リリパット・アーミーIIの芝居「空天華」を見に行く。
リリパット・アーミーは知る人ぞしる、中島らもが作った劇団である。
しかし、2年前、彼はみずから劇団を退団した。
自分の作りたかった劇団と、今の劇団の方向性が変わってきたことが原因だという。
そして、数日前、中島らもは逮捕された。
まあ、時間の問題かなっと思っていたけれど。
だから、今回の演劇には支障はないと思っていた。
劇自体は良くできているし、なかなか面白かった。
しかし、中島らもがいるときには、一種独特のギャグが点在されていた。
劇のストーリー構成がしっかりした分、そういう余分なギャグが減ってしまった。
それは少し残念なことである。
らも氏が創設したころのリリパット・アーミーは「笑殺劇団」と名前が付いていた。
いつの間にやらそれが取り除かれ、もっと芝居として力を入れる劇団へと変わっていったのである。
それが、らも氏が劇団と袂を分かつ原因になるなんて、残念なことである。
アンコールにこたえて全員が出てきたとき、わかぎえふが「中島らもが逮捕されました。劇団関係者も疑われたりしましたし、皆様には大変ご迷惑をおかけしてことを深くお詫びいたします」と挨拶をしていた。
実際に、逮捕事件後、チケットのキャンセルがたくさん出たそうである。
改めて中島らもの影響力の大きさというものを感じさせられたらしい。
私もまさかチケットのキャンセルが出ているとは思わなかった。
気の毒な話である。
ああいう小劇団は、多分何日かの興行をうっても、実入りはほとんどないであろう。
それなのに、チケットが余ってしまうのは非常に悲しいことである。
以前は、チケット入手い難の時期もあった。
劇団としては充実していっているのに、チケットが余るようになるとはどういうことなのだろう。
おまけに、彼らが劇をする場所もなくなってきている。
扇町ミュージアム・スクエアは潰れてしまった。
今回の近鉄小劇場も今年いっぱいという話だ。
それだけではない。いい映画館も潰れていっている。
扇町ミュージアム・スクエアはもちろんのこと、京都の朝日会館も潰れてしまった。
存続の署名にも参加したが、及ばなかったらしい。
シネコンが出来ている背景で、シネコンではかけられないような映画をかけているミニ・シアター系が存続の危機にさらされている。
演劇、映画、そういったサブカルチャーは多種多様に発展してきたのはいいことだと思うのだが、多種多様になりすぎたのか、活躍する機会、上映する機会がどんどん減っていっては、衰退の道を辿ることにつながるのではないだろうか。
映画はまだフィルムの保存という形で、何とか形態を保つことが可能であろう。
しかし、演劇はその場その場の1回が勝負である。
それを発表する機会が奪われてしまえば、何も残らなくなってしまう。
ここ10年ぐらいでも、小劇団で売れていた劇団が幾つも解散していった。
リリパット・アーミーには是非とも苦難を乗り越えて存続して、新たな演劇を見せてほしいものである。
2月15日
今日は映画を観に行く約束をしていた。
ただし、先方の仕事が早く終わればの話である。
連絡が入るまで家で待機。
午前中はまた病院に行く。
「瘤のぶよぶよが取れないんですけど」
「月曜日になってもこの状態なら、もう一度血を抜きましょう」
がーん。やっぱり溜まっているんじゃないか。
舞い囃子が舞えるか不安だったので、包帯を巻いた状態で立て膝をついて構えてみる。
丁度床に着く側面が瘤になっているもんだから、ぶよぶよして落ち着かない。
痛みはさほどないんだけれど、すごく不安定である。
早く治らないかなあ。
水分だってたくさん取っているのに・・・
祖母が母に連絡して、午後に百貨店に行くことにしているという。
「なおちゃんもくるんでしょう?」と祖母はいっていたらしい。
電話を切って母が、「あんた、明日一緒に買い物行くとか言うた?」
「いや、別に。近いうちに百貨店で指輪を探しますとは言うたけど」
「おばあちゃんが、なおちゃんも行くんでしょうって言っていたよ」
「そうなん、じゃあ早い方がいいから指輪買いに行くか」
祖父を一人家に置いてきているので、そう長くは買い物もしないだろう。
母たちが目的のところで買い物をしている間、私は別行動で指輪を探しに出かけた。
昨日病院で、「こんなんがいいかと思うんだけど」ともらってきたカタログで見せると、「折角買ってくれるって言うてるんだし、なんぼでもええって言うてるんやから、もっと高いのにしなさい。これは私が買ってあげます」
ええー、貧乏生活をしているもんだから、突然そんなことを言われてもとまどってしまう。
携帯で連絡を取り合って、一応気に入った物が見つかったところを指示すると二人でやってきた。
ちょっと高くて悪いので、祖母に「この二つで迷っているんですけど」と相談してみる。
「どっちでも好きな方にしなさい」
これが一番いる。
折角買ってもらうのだから、身に付けておきたいので、少しカジュアルな感じのする方にした。
ありがとうございました。
お茶をしてから、急いで帰路につく。
17時半に三宮という連絡が入っていたからだ。
荷物を置いて、服を着替え、1日遅れのバレンタインのプレゼントを持って、三宮へ。
最初に映画を見る。
「ロード・オブ・ザ・リング二つの塔」である。
先行ロードショーなので、混んでいるのかと思いきや、案外空いていたのね。
たっぷり3時間。でも結構面白かった。
ただし、あまりにも駆使されるCGにはちょっとまいったけれど。
完結篇を早く見せてくれるといいのに・・・。
終わってから御飯を食べに行き、プレゼントをあげてから帰った。
喜んでくれるといいのだが・・・
2月14日
バレンタイン・デー。
昨日遅かったせいか、今日のたん熊さんのお料理教室は断念してしまった。
そろそろ行かなくなって半年が過ぎようとする。
いい加減に顔を出さねばとも思う。
日文研に代わりに行こうかとも思ったが、身体がしんどいので止めてしまった。
代わりに家でとうとう見つからなかったメモのビデオを見直す。
はあ、情けない。
こんなところで時間をロスするなんて。
それを見終わったら、次に「武蔵」のビデオを見る。
これをためてしまうと、絶対に見なくなりそうだからだ。
日曜日も出かけるので、また録画しなくてはいけない。
よっぽど私は連続ドラマを見る体質ではないらしい。
生活が不規則だからかなあ。
昨日の夜遅くて入り損ねたお風呂にはいる。
足の怪我で入っていいのかどうかは聞かなくてはいけないのかも知れないが、もう無視してはいっている。
しかし、包帯を巻いてもらった日は1日休んで、次の日に入って病院に行くようにしている。
今から病院に行くのだから、多少薬が落ちていても平気だろう。
だけど一応長湯は止めている。
湿布を貼って包帯ぐるぐる巻にしたら、いい時間になってしまった。
母に連絡を入れ、駅前で拾ってもらう。
そのまま病院へ。
呼ばれたのは結構早かったのだが、診察室内で結構待たされた。
足の瘤がちっとも引かないのを見て「また血が溜まっているかも知れませんねえ。もう少し様子を見て、月曜日に変化がなかったらまた血を抜きましょう」と言われる。
なんか不安だなあ。
来週末は内輪の謡の新年会がある。
それまでには治っていて欲しいのだが、雲行きが怪しそう。
せめてこの包帯が取れると随分とすっきりするんだけどなあ。
予想はしていたが、やはり車で実家に連行。
その前にストップをかけて、祖父母の家による。
「おじいちゃん、バレンタインのチョコレートです」と言って手渡す。
「すみません、今から薬を取りに行かないといけないので、今日は帰ります」といって、あわただしく帰っていく。外に母を車で待たせてあるからだ。
家に帰りたいのは山々だが、夕食を付き合わされる。
父は風邪を引いていて、一段とわがままになっている。
見ていて気分が悪い。
一緒に鍋をつつくのだが、風邪がうつったら嫌だなあ。
気を紛らわせるために赤ワインをがんがん飲んでいたら、すっかり酔っぱらってしまった。
最近、弱くなってきたと思う。
歳のせいかなあ。
気をつけよう。
2月13日
午前中に本を読み終えて、中島先生の監督作品の映画リストをチェックしておく。
それから質問事項を考える。
朝から洗濯をしたり郵便局に行ったりしていると、午前中がすぐに過ぎてしまう。
テープと録音機を持って、忘れ物はないかとチェックをする。
2時間もかからないと思うが、一応初めての所なので、2時間前には家を出る。
2冊目の本を読みながら、あっという間に京都に着いてしまった。
途中友人から電話があり、今晩空いてないか?と言う。
夜なら空いているよ、と言うと、じゃあ、あとで連絡するね。と言って切れた。
地下鉄で丸太町にでて、指示されたとおりの道を行くと、すぐにマンションが分かった。
まだ20分前である。
少し戻って、近くにある喫茶店にはいる。
コーヒーを注文して、昼用の薬を飲む。
朝は家で摂取してきた。
しかし、朝から口にしたのは薬ばかりなり。
こんなんでいいんかね?でもお腹が空かないからいいか。
14時なったので、下のベルを押す。
先生のご自宅に伺わせてもらうと、丁度リビングのソファへと案内された。
良かった椅子で。
インタビューにも非常に快く引き受けて下さって、話も分かりやすく話して下さる。
貫禄のついた映画監督である。
さすがに映画界に50年と身を置いてきた人である。
ご自身も研究熱心な方で、様々なスターや映画作品の名前が挙がってくる。
一応対応できたので、インタビューはスムーズに終わった。
途中何度も電話があり、本当にお忙しい中を時間を割いて下さったことに感謝。
インタビューはほぼ2時間。
とほほ、テープ起こしが大変だなあ。
しかし、現場の人の話は面白い。今回は殺陣の話を中心にうかがっていたのだが、出来れば映画づくり全体のことについてのお話を聞かせてもらえると、もっと面白いだろうと重う。
『映画の四日間』はまさにそういった生の声の本である。
帰りは河原町まででて、祖父に言われている指輪を探す。
最初は誕生日までと思っていたが、あの調子だと早く買って見せた方が吹聴されなくてすむと判断したからだ。
高島屋でいろいろ迷う。
いくらでもいいと言っていたが、本当のところいくらぐらいのものを買ってもらっていいのやら。
さんざん迷ったが、ここは一つ母に相談してみようと思い、幾つかめぼしい物を選んでおいて、明日のバレンタインのチョコレートを買ってから帰った。
8時頃に連絡が入るはずになっていたので、まだ時間があったので、パソコンを立ち上げて作業をする。
しかし、8時半になっても連絡がない。
電車の中の電話だったから、遠慮していたので聞き間違えたのかも知れない。
そう思ってこっちからかけるのだが、つながらない。
まあ、いいかと思い作業を続けていると9時過ぎに漸く連絡が入った。
「今からでもいい?」というので、待っていて夕食も食べていないし、急に連絡が入るって事はなにかあるのでは?と思い「いいよ」と言って、西宮北口にでる。
会うとなんかげっそりしている。
車だから飲まないというが、トラブルを抱え込んでしまったらしく、飲んで憂さ晴らしでもせなやってられない、という感じだった。
とにかく話をずーっと聞いてあげることしか私には出来ない。
相当まいっているらしいので、「今度は車無しで、痛飲しましょう」と言って声をかける。
だって、私ばっかりがアルコールを飲んでいるのは悪いから。
送っていくからもう少し付き合ってという友人が気の毒で、ついついいいよと付き合ってしまった。
帰ったら2時半。
友人とは持ちつ持たれつの関係だと思っている。私に出来ることがあるのなら、出来る限りのことはしてあげたい。少しは気が紛れたらいいんだけど。
愛の恵みが友人にありますように。
2月12日
朝は何故か起きられなかった。
また引きこもりが始まったのかと、怖くなり、必死で起きようと身体さんと格闘していた。
何とか用意をすませて、日文研へゴー!
お昼頃に着きました。
このお昼前後というか、通勤ラッシュがすんでしまうと、途端にバスの本数も減る。
だから折角桂駅に早く着いても、20分ぐらいバス待ちをする羽目になる。
心は早く日文研に行きたいのに、もどかしい。
だからいつもは通勤ラッシュの時間帯に家を出るように心がけているのだが、今日はその波に乗り損ねてしまった。
それでも通えたことに感謝。
なんと、今日は総研大の入試であった。
他の院生からの情報によると(と言うか、こういう情報にやたら通じている彼女は何者なのであろうか)、今年の面接は、8人ぐらいだったという。
実は、すこーしだけ面識のある人が受けている。
是非受かってほしいものである。
もちろん合格発表の日も知らない。
昼に着いてからずっとRAのアルバイトをする。
早く時間を消化しなきゃ、という焦りと、論文書かなきゃという焦りが入り混じり、とても普B雑な心境である。
しかし、いったん引き受けてしまった以上、契約が切れる3月までは続けないといけないし、それまでに時間を消化しなければならない。
17時になったので、図書館を引き上げる。
17時40分頃にバスがあったので、それで帰ることにした。
病院は19時50分まで受付だから、これなら余裕で間に合うだろう。
帰り一人の先生と一緒になった。
バスの中でさりげなく聞いてみた。
「今日、入試だったんですね。今年は何人ぐらい受かったんですか?去年は一人だったから寂しかったですよね」
「僕は直接今回は入試にかかわっていないから、はっきりとしたことは分からないけれど、5人ぐらい取ったみたいですよ」
うーん、確率は約1/2か。
「なんか78歳で受けに来られた方がいたそうですよ」
「じゃあ、もう定年退職をされて、それからまた勉強をされようと思って受けられたんでしょうかねえ。でも、そういう方なら論文博士でいいんじゃないですか?」
「そうですね。既に業績もたくさん上げておられる方もいたみたいですし」
「面接の時、そういう方には論文博士にされてはとか勧めないんですか?」
「僕は面接にはかかわっていないから、どういう会話が行われたかは知りませんが、言う場合もありますね」
「去年、一人ですごく寂しかったから、5人ぐらい入ってくると賑やかでいいですね。でも、その前に私みたいなのが、早く出ていかないといけないんでしょうけど・・・」
「でも、もう少しでしょ?」
「いや、今年で最後ですから、5月の草稿は必ず通りたいと思っているんですけれどね。アルバイトとかなかなか両立が出来ないのが辛いところです」
「頑張って下さい」
「はい」
大学院に共通しているのかも知れないが、博士課程まで来ると、必ずしも下(学部)からまっすぐ進んできた人ばかりではないことである。
結構、大学をでて働いたり、他の方面の勉強をしてきたりして、色々回り道をして再び研究に戻ってくる人が多い。
こういう人たちと話をしていると、いろいろな社会経験が生かされていて、非常に面白い。
仮に今回5人受かったとしても、まだ他の大学院を受けている人もいるだろうから、必ずしも5人が入ってくるとは限らない。
しかし、新しい人が入ってくるのは、非常にいい刺激になる。楽しみである。
駅について母に電話をすると、まだ祖父母の所にいて麻雀をしているという。
とりあえずこちらへ来いと言われ、祖父母の家に向かう。
私の顔を見るなり、祖父が「順子、指輪は選んできたか?好きな物をなんでもいいから選んでこい」という。
しかし、その場には伯母が一人いた。
伯母にも娘や息子たちがいる。なのになんで私だけ指輪を買ってくれるのか訝るのは当然だろう。
当然「なおちゃんに指輪ってなあに?」と聞かれてしまう。
ものすごく居心地が悪くて、どうしていいか分からなかったが、母が機転をきかせて伯母には上手く言ってくれたみたいである。
もう一度言い出すと、止まらない。
以前はそんな依怙贔屓をする人ではなかった。
それを誰の前でも構わず言い出すのだから、やはり少しぼけてきたのではないかと心配している。
病院は相変わらず混んでいる。
今日の先生は、以前私の額の傷を縫ってくれた先生で、私が一番信頼をおいている先生だ。
ここぞとばかりに質問をたくさんする。
「血が下がってしまったら、今度その部分が触ると痛むんですが、大丈夫でしょうか?」
「それはよくあることだから、気にしなくてもいい。特に女性は浮腫みやすいからよく起きるんだよ。時間が経てば取れるから」
「以前血を抜いてもらったところが、磨uだに盛り上がっていてぶよぶよしているんですが、血がまた溜まっているんでしょうか」
患部を触りながら「少し血が固まっているのでしょう。水分と共に溶けだしていくケースの方が多いから、もう少し様子を見ましょう」
「通わないといけませんか?」
「足の腫れが引くまでは通って下さい」
とほほ、まだまだ病院通いが続きそうである。
病院から帰り、処方箋をもらっていたので、薬を取りに行く。
今日は21時からカイロプラティックがあるから、夕飯を祖父母ともに食べている時間はない。
カイロプラティックに行くなり、「どうしたんですか、その足」と言われる。
「前回言ってましたこけた話。1週間経っても腫れがひどくなるので、先週の土曜に病院に行って来たんです。そしてら血が溜まっているって血を抜かれて、全体に薬を塗られて包帯ぐるぐる巻にされました」
「ほら、僕が言った最悪のケースになったじゃないですか。どれぐらいほっておいたんですか?」
「丸1週間」
「この包帯は自分で巻いたんですか?」
「違います。さっき医者に行ってきて看護婦さんに巻いてもらったんです」
「下手ですね。こんなん包帯巻くテストがあったら零点ですよ。なんか見ていていらいらするなあ。僕が今度巻き直してあげます。でも次回来るときには包帯は取れているでしょう。お大事に」
なんかめちゃくちゃに言われているような気がするのは気のせいか?
明日のインタビュー、畳の間だったら正座できないからいったなあ。
2月11日
もうすぐ終わってしまう「壬生義士伝」を見に行くことにする。
火曜日は三宮がレディース・デイで1000円なのだ。
取り立ててみたい映画ではないのだが、評判もまあまあだし、時代劇映画研究を名乗っている限りは、みないわけにはいかない。
興味があるのはもちろん殺陣のシーンだけである。
原作の小説も読んではいない。
だがその前にお付き合い。
主治医に怒られそうだが、断れなかったのである。
昨晩、祖父に「明日の昼、「生尾」に行くから、順子も来い」と誘われたのである。
親戚づきあいは止めるように忠告を受けているので、断ろうとしたのだが、祖父が強引に何度も何度も誘ってくれる。
主治医にも週に1度の祖父母への付き合いは孝行だとして許されている。
高齢だから仕方がない。
「生尾」というのは、以前私がアルバイトをしていた知り合いの懐石料理屋である。
美味いものが食いたいと、突然祖父が言いだして、伯父夫妻と母と大叔母が行くことになっていたのだそうだ。
それを、昨日たまたまお稽古帰りに顔を出したために、誘われることとなった。
映画が見られないわけではないので、仕方なく承知した。
ただで美味いものが食べられるのであるから、文句を言っては罰が当たるもの。
しかし、時間が惜しい。
苦しいところである。
駅に着いたら、祖母が「もう駅まで歩いてこられないかも知れないと思った」という。
朝は元気だったのだが、昼になって駅に向かって歩いている途中に祖父の具合が悪くなったそうである。
何とか駅にたどり着いて、ベンチにずり落ちそうになって座っている祖父がいた。
軽い脳梗塞かなにかを起こしたのではないだろうか。
最近、みんなの言うことを聞かず、点滴に通わなくなったそうである。
自力ではどうしても水分不足となってしまうし、栄養も足りない。
だから、毎日点滴に通っていたのである。
それが、最近調子がいいからと言って行かなくなったそうだ。
祖父にきつめに「点滴に行かないからこういうことになるんですよ。心配してるんだから気をつけて下さい」と忠告する。
孫に怒られた祖父は体裁が悪いのか、話題を変える。
私が4つも指輪をはめているのを見て、「たくさんしてるな」と言う。
祖母も「面白い形のをしてるのね」と相槌を入れる。
丁度二人が座っている前に立っていた私は、「指輪が好きなんです」と何気なく答えた。
それを待っていたとばかりに、祖父は「順子に指輪を買ってやる。なんでも好きなものを選んでこい」と言い出した。
この前東京に行くのにお小遣いをもらったところで悪いので、「じゃあ、また今度にでも。あ、誕生日に買うてもらいます」と誤魔化しながら答える。
しかし、それからずーっと、祖父は「順子に指輪を買ってやる」と言い続けている。
少しぼけてきているようだ。
心配だなあ。
お店には無事について、ソファにゆっくり座りながら食事をした。
全部平らげたようである。
食欲があるのならいいだろう。
食事が終わると、三宮に直行しなくてはならない。
祖父母について帰ってあげられないので心配だから、帰りはタクシーに乗せた。
ご馳走様でした。
三宮に直行したが、見たかった回の時間に間に合わなかった。
2時間は潰さないといけない。
映画館の隣のカフェに入り、木曜日にインタビューをする予定になっている中島貞夫の本を読む。最低限の礼儀だと思ったからである。
本当は、先生の撮った映画もたくさん見ておくべきであろうが、さすがにその時間はなかった。時代劇を2本ぐらい見ているだけだった。
申し訳ない。
昼間から日本酒を飲んだので、途中眠気と戦いながらも、2時間あれば、大分読むことが出来た。
これで時間のロスも少しは取り返せただろう。
さて「壬生義士伝」である。
殺陣のシーンは思ったより多くはない。
ほとんどが上半身アップのカットが多く、殺陣全体の流れというものは見ることができなかった。
佐刀B浩一が、左手で見事に刀を抜いていたのは感心した。左利きなのだろうか?
相変わらず、首が飛んだり、血飛沫が上がったりしている。
それがリアルな殺陣と定着しているのであろうか。
見ている観客はどう思っているのか、聞いてみたい。
全体的な感想は、今の時代劇はもうチャンバラが醍醐味ではなくなってきている。
それよりもストーリー性、物語が人間関係で泣かせるような物語が主眼となっているように思われる。
もちろんチャンバラが醍醐味であった映画も、ストーリーも泣かせるものも多かった。
単純な勧善懲悪なものも多かったことは事実であるが。
すっかり夜が更けてしまい、家路につく。
お昼御飯が御馳走だったので、お腹が空かない。
プロテインを飲んで夕食に変えた。
これがいけないのかなあ。
包帯を外して患部を見る。
血が全体的に下に降りてきて、足首の周りがひどく青あざになっている。
左足に比べると一回りは腫れている。
打ったところはもちろん触ればいたいのだが、血が下がって青あざになっているところも触ると痛い。
血を抜いたところを触るとまだぶよぶよしている。
まだ血が溜まっているのだろうか?
なんか単なる打撲と思ってほったらかしにしていたら、えらい大事になってしまったなあ。
やはりまだ後厄が残っていたのか。
祈祷も護摩もケチったからなあ。ちゃんとするべきだったのかしら。
でも骨折もしなかったので、これぐらいですんだのもお参りしたおかげと開き直る。
お風呂に軽く入って、湿布を貼り、薬が残っているガーゼを再び患部に貼って、自分で包帯ぐるぐる巻の状態にもどす。
明日は日文研からすぐ帰らないと、病院に間に合わないなあ。
早く寝よう。
2月10日
うげげ。2月ももう10日ではないか。
期限が、時間が、迫ってくる。なくなってくる。
朝一で、バイト先の嘱託の人に電話をして、病院に行くので遅れますと事情を説明する。
春休みでほとんど学生さんも来ないから、快く承諾して下さった。
朝一で病院に行くが、既に満員。
なかなか呼んでもらえない。
漸く呼んでもらうと、今日は前回の先生と違って院長先生だった。
もうかなりのお年なので、ちょっと心配である。
足のあちらこちらを触られて、「痛いですか?」と聞かれる。
「痛いです」とか「そこは痛くありません」とか答えるたが、別に何がどうなっているという説明もなく、前回と同じく、すねの部分に大量に薬を塗られ、打った膝の辺りには湿布を貼られ、包帯でぐるぐる巻にされてしまった。
薬を出され、水曜日にも来るようにとの指示。
面倒くさいなあ。
一体何がどうなっているのか、明確に説明してよねえ。
診察室を出てから、次にお金を払うまでこれまた長いこと待たされる。
漸く名前を呼ばれて、処方箋をもらいお金を払って母に車で駅まで送ってもらう。
このまま電車に乗れば早いのだが、処方箋をもらっているので先に薬を取りに行かなくてはならない。
そこでまたまた待たされて、結局バイトに到着したのは11時半でした。
結構時間かかったなあ。
通っている病院は、前回額を切ったときに通ったところと同じである。
車がないと行けない不便なところにあるのが難点。
バスという手もあるんだろうが(もちろんチャリという手も)、バスは経路が分からない。
チャリに乗るには足を負傷しているので、大変危険である。
しばらくは母の世話になるしかないのである。
気が重い。
バイト先に到着してみれば、誰も学生さんが来ていないとのこと。
すぐに交代をして座っていると、一人やってきた。
内職道具を拡げていると、また一人やってきた。
わざわざ山を登ってでも見に来るのかしら?(女学院は岡田山の上にあるのだ)
それとも他に用事があって、ついでに見に来るのかしら?
でも私が学生だったら、バイトがない限り、定期があるのだから、通って映画を見まくると思うなあ。
でも、なんだかんだと10人ぐらいの学生さんが利用に来る。
その学生さんの対応に追われながら、15時のお茶の時間にお昼御飯を食べる。
17時になりすべてを閉めてから、お稽古場に向かう。
足は包帯でぐるぐる巻なので、しゃがむことが出来ない。
今日も立ったままで舞のお稽古。
謡は椅子に座ってやらせてもらった。
なんとしてでも会までには治ってもらわなくてはいけないんだけど。
帰りはいつもの通り祖父母の家に。
伯父夫妻が来ていたが、丁度入れ違いで帰るところだった。
なんとまあ、「はりはり」鍋が今晩の食事。
こんな恵まれた食生活でよいのかのう。
ご馳走様でした。
2月9日
睡眠がバラバラでしんどいので、一気に寝たかった。
夢を見ることもなく、意識を失うように深―く眠りたかった。
と言うわけで、昨晩は頓服2錠を合わせて飲んだ。
これがよく効いて、起きたらお昼の12時。
10時間は眠っていたことになる。
嬉しい。
まだ、頭がぼーっとしているが、のそのそと動き出す。
お茶を入れて、まず薬を服用。
メールのチェックを怠っていたので、メール・チェックをする。
返信などを書いていたら、電話が鳴った。
母からである。
「今晩、てっちりかはりはりをするから家にいらっしゃい」
うーん。時間がとられるのは嫌なんだけどなあ。
一人だとまたろくなものは食べないしなあ。
てっちりもはりはりも私の好物である。
ちなみにてっちりとは「ふぐ鍋」のこと。はりはりとは「クジラ鍋」のことである。
はりはりとは水菜の食感がはりはりしていることから来たらしい。
家の光熱費をケチって、どうせ実家に行かねばならないのなら、いっそ早めに行って、実家で仕事をしようではないかと思いつく。
ノート・パソコンを詰め込み、ファイルを3冊用意し、本まで入れて、重いリュックを背負って実家に向かう。
途中薬局によって、湿布や包帯を止めるためのテープを買う。
実家につくと、風邪を引いた父親がTVを見ていた。
隣のテーブルにノート・パソコンを拡げて、早速作業を行う。
先週に引き続き、ノート・パソコンをいじってなにやらしている。
漸くメールが使えるようになったらしいのだが、アドレス帳にアドレスが入れられないと言う。
マイクロソフト・アウトルックは私も使っていないので、よく事情が分からない。
アウトルック・エクスプレスを見つけてきて、どうやって設定するのか聞いてくる。
この私に聞くなんて、愚かもいいところだよ。
それでも何とか設定をして、アウトルック・エクスプレスでメールが使えるようにしてあげた。
いつもなら、母が帰ってきて夕食の支度をはじめると手伝うのだが、今回は呼ばれたのである。
悪いが、私は自分の仕事を続けていた。
夕食の支度が出来上がって、二人が食べはじめても切りがつくところまで続ける。
今日のメニューはてっちりであった。でもてっさがなかったなあ。
てっちりと聞いて、シャブリを冷やしておいた。
なかなか美味である。
最後はもちろん雑炊でしめである。
風邪を引いた父親がいつも大食漢であるのに、途中で「もういらない」と言いだした。
「食欲がない」という。
でも、それでも私の2倍近くは食べていたんだけどね。
私が少なさ過ぎるのかな?
でもお腹ははちきれそうにいっぱいであった。
やはり鍋は人数がいないと、とのたもうていたのは東京での私であった。
酔いが回ってきて、眠くなってしまい、エアコンの下の絨毯に転がってうたた寝をしてしまった。
起きたら、すっかり遅くなってしまい、結局仕事も半分しか進まずに退散。
両親には、やはり明日の朝に病院に行くようにときつく言われる。
確かに、痛みの範囲が広がっているんだよなあ。
だけど血は抜いたし、大丈夫だと思うんだが・・・。
2月8日
両親に会うと、全然足の腫れが引いていないことを指摘され、無理矢理病院に連れて行かれる。
レントゲンを撮られた結果、骨と靱帯には異常はない。
ただ、半月板が損傷している可能性がなくもないと言う。
それはレントゲンでは分からないらしい。
膝の皿の前に小さな袋があるらしく、そこに血が溜まっていると言われ、血を抜かれる。
めちゃくちゃ痛い!!
注射器を見せられ、「これだけ血が採れましたが、もしかしたら血が固まっているのかも知れません。全部はぬけていないと思われます」と怖いことを言われる。
湿布と錠剤が出される。
待合いで待っていた母が様子を聞くので「半月板が損傷しているかも知れないけど、分からないんだって」
「そうしたらどうなるの?」
「それしか言われなかった」
「聞きなさい、そういうときは」
「そうやったねえ。あと血が溜まっているからって血を抜かれたけど、固まっているかも知れないので、全部はぬけていないかも知れないっていわれた」
「そんなん、固まったらどうなるの?」
「それしか言われなかったから」
「なんで、そういう時はどうなるのか聞かないの?」
「そうやねえ」
考えてみれば、確かにそうである。しかし、聞く前に説明してくれるのが医者の仕事じゃないのか?聞かなくちゃ駄目だなんて医者も怠慢じゃないか。
支払いの時に聞く。「通院が必要ですか?」
「月曜日に来て下さい」
そのまま言われて帰ってきたが、考えてみれば、月曜日はバイトのあとお稽古である。
行けないじゃん。
火曜日、と思ったら、祝日だった。
薬は2日分しか出てていないけれど、仕方がない。
水曜日に通うしかないなあ。
お昼御飯を食べてからお稽古へ。
さすがに二日しか空いていないので、前回よりはまし。
でもでもまだまだ課題は多し。
夜は友達に会いに三宮へ。
なんかバタバタして、ちっとも自分のこともできない1日となってしまった。
しかし、おかしなもんで、医者に行ってからの方が足が痛く感じる。
とりあえず、膝下に薬を塗られて包帯でぐるぐる巻にされ、膝の所には湿布を貼られ、血を抜いた部分には、薬を塗られガーゼで血止めをされた私の足は痛々しい体を帯びました。
2月7日
昨日、実家から果物と菓子パンをもらってきた。
今日は薬も綺麗に切れて、6時には起床。
朝、菓子パンを食べながら、薬を服用。
7時半過ぎに無事家を出る。
今日は暖かいとはいえ、朝のうちはまだまだ冷え込んでいて寒いよ。
日文研に9時過ぎについて、コーヒーを沸かして、1杯飲んでから、9時半からアルバイト開始。
ILLの申し込みをして、届いた本とコピーをもらう。
こちらの方に取りかかりたいが、アルバイトの方をしなくてはならない。
久しぶりだが、相変わらず面倒くさいバイトである。
早く終わらせたいが、まだまだ時間が溜まっているからなあ。
お昼はうどんを食べて薬を服用。
図書館はなんでこんなに寒いんだろう。
ILLの係の人が来て、「このコピーは有料なんですけれど、どうしますか?」と聞いてくる。
1月に頼んでいたものなので、すっかり忘れていた。
「お払いしますので、よろしくお願いします」と頼んでおいた。
もう一つのアルバイト先にも顔を出す。
そこのスタッフの一人がひきこもりを起こして、昨年の忘年会以来、一度も出てこないそうだ。
鬱病患者として、彼女には病院に行くように勧めたが、先生と水が合わなかったのかなあ。
彼女は実は去年の夏ぐらいにおかしくなり始めていた。
秋頃に病院を勧めて、それからは、1カ月に1〜2度出勤するようになっていた。
忘年会の時は最高に機嫌がよかったので、治癒してきたのかと内心ホッとしていた。
しかし、不眠症ではないらしく、極端に痩せたところからして、「拒食症」ではないかと踏んでいる。
みんなで「どうしているのかな」と心配している。
また、病院に行くとメールが入ったっきり、連絡がないそうだ。
ひきこもりをしていると、メールも電話もすべて切断したくなる。
誰にも会いたくない。
どうしても家から出られない。
何もすることが出来ず、1日が過ぎていく。
そういった状態は非常に理解できるが、ここに働きに来なければ、彼女は生活費をどうしているのかが心配である。
彼女の家庭環境を私は知らない。
私と違って、両親が負担にならないのなら、家に帰って、思いっきり休暇を取った方がいいのかも知れない。
拒食症なら、なおさら誰かに食べさせてもらう必要はあるかも知れない。
しかし、私のように、一人でいる方がいい場合は、別だ。
ちゃんと食べられているのだろうか。
食べるのが好きな子だから、メールにも「ちゃんと食べています」と書いているらしいが、食べたあともどしたり、下剤で出したりするのが拒食症の典型だから、食べているからって安心は出来ない。
かくいう私も食べることは大好きである。特に美味しいものを食べることにはどん欲だ。
作ることにもどん欲だが。
その私が、1日1食という生活に陥っているのである。
無理しないと1日2食に出来ない状態に陥っているのである。
拒食症だったら、彼女のことがとても心配だ。
鬱病ならやはり、しっかりと休む方がいいかも知れない。
私が発症したときには最低でも2カ月近くひきこもりを起こしていた。
もちろん医者に通ってからの話である。
そして次の年は休学を1年したのである。
今は健康に見えるが、それでもまだ薬に頼っているし、通院状態だ。
人のことをとやかく言える資格はない。
15時に仕事を終えて、15時20分のバスで帰る。
4時半過ぎに病院にたどり着くが、相変わらず病院は混んでいる。
本を読みながら呼ばれるのを待つが、時間はどんどん過ぎていく。
私が一番最後の患者だ。
結局呼ばれたのは、19時15分頃。
15分ほど先生とお話をする。
「身体が浮腫むんですけど、薬のせいではないでしょうか?」
「いつから」
「ひどくなったのは3週間ほど前からです」
足がぱんぱんに浮腫んでいるのを見せる。
「東京に丸1週間行っていたのですが、友達の家に滞在していて、調べものをしていました。その時は調子は絶好調で、調べものがすんで友達の家に帰ってきてからも、パソコン借りて、ばりばり仕事が出来て、すごく充実していたし、調子がよかったんです。だけど関西に戻ってきて、次の日にアルバイトに行ってから何も出来なくなって、そのあと2日間引きこもってしまいました。途端に調子を崩したというか。昨日は何とかアルバイトに行って、今日も何とかアルバイトに行ってきたんですけど、注意力は散漫だし、家にいても全然集中力が持続しなくて」
「眠れている?」
「薬に頼っていますが。ただ、最近眠りが浅いのか、悪夢ばかり見て、1時間おきぐらいに起きてしまったりします」
「まあね、こっちに帰ってから調子が悪くなるのは当たり前だよ。二刀流は使えても、二足の草鞋は履けないんだからね」
「二足の草鞋って言いますと、アルバイトと論文ですか」
「そう。二刀流だって大変なんだよ。日本刀持ったことある?」
「あります」
「重いでしょう」
「はい、すごく重いです。青眼に構えていても途中で手がぶるぶる震えてきますから」
「それを片手に持って2本振り回そうとしているのが二刀流や。君はそれに第3の手を使って手裏剣を投げようとしている。そんな無茶なことが出来るか?おまけに相手は多数で、弓の名人や槍の名人など一つを極めている人たちや。意味分かるか?」
「アルバイトと論文で二刀流。家事などが手裏剣ですか?家事の心配やお金の心配もなく仕事に打ち込める先生方が相手ですよね」
「その通り。なるべく家事を減らして、本当は二刀流じゃなく1本を使いこなすように出来ればいいんだけどね」
「でも、それは無理です」
「仕方がない。漢方は変えてみるから、2週間飲んで、浮腫の様子を見てみて。二刀流は大変なんだからね。分かった?」
「はい」
19時半過ぎに病院をあとにする。
今日最終日の映画があった。
「ウォレス&グルミット」である。
最終回が20時15分から。
今から行けば丁度間に合うと思い、会場である心斎橋の「シネマ・ドゥ」に向かう。
ぎりぎりにソニー・タワーに到着したが、エレベーターが使えない。
ソニー・タワーの地下一階にあるのだけれど、入り口を入るとスターバックスが出来ていて、地下に降りる階段がなくなっている。
入り口がどこにあるのかが分からないのだ。隣の階段を下りるとクリスタ長堀につながっていて入り口はない。
さんざんうろうろして迷いに迷ったあげく、長堀通りの方に入り口があるのを漸く見つける。
どこかに入り口を知らせる矢印とか、看板とか出しておいてよね。
「千円ですよね」って言って入ろうとすると、「もう15分も過ぎていますし、途中入場はお断りしています」と門前払い。
その15分以上が、私が迷っていた時間なのだから悔しい。
「そんなんいうても、エレベーターは使えないし、入り口の表示はどこにもないし、全然場所が分からなかったんです」
「申し訳ございません。けれども途中入場は出来ません」
私の時間と電車賃を返せ!!
紛らわしく看板がでているので、そっちの方に行けばクリスタ長堀につながって入れない。
だったら、そんなところに看板なんか出すな。
すごすご帰ってきたが、悔しくて悔しくて涙が出てきた。
ぎりぎりに行った私が悪いのかも知れない。
だけど、以前行ったときと建物の構作が変わっていたのだから仕方がない。
情けないのと悔しいのとで、地下鉄の中で涙が出てくるのを必死でこらえていた。
全くついていない。
最低だ。うるうる。
2月6日
今朝は無事に起きて、ビデオを持って女学院に行く。
もちろん内職用のビデオである。
今日も暇暇。
午前中は、東京で取ってきたコピーの整理。
整理をしていると、探し回っていた映画のメモが出てきた。
よかった。これがないともう一回見ないといけないところだった。
ホッとして、整理を続け、内容をチェックする。
学生さんが一人も来ないうちに昼休み。
最近、食がバラバラなので反省して、今日はパンを昼御飯に持ってきていた。
朝は薬だけ。
腫れている足が気になって、ちゃんと栄養をとって、毒素を早く抜きたいと思ったのも、食生活改善のきっかけ。
帰りは祖父母の家に行くから、夕食はキッチリと取ることは分かっている。
1日1食が定着してしまっているが、何とか2食取るようにしようと思う。
栄養素が足りないと身体はなんでも取り込もうとして、外に排出しなくなると言う。
身体が浮腫むのも、それが原因ではないかと指摘された。
でもね、あまり食べたくはないんだよね。
空腹感を感じるのが、週に何回あるだろう?
身体は眠ることを大分思い出してきたと思う。
もう2年半も通っているのだから、少しはよくなってくれないといけない。
食の方は、まだからだが思い出しきっていないのかも知れない。
栄養をとらないことには、脳の働きも悪くなると言う。
それは、これから論文を書こうという人には致命的なダメージではないか。
生活改善をしなくてはいけない。
そうは思うんだけれど、なかなか出来ないのが現実。
午後はビデオを見て、チェック。これで漸く全ビデオをチェック終わり。
昨年中に終わらしたかったのが、ぐずぐずとひきこもりや、情緒不安定に陥ったりしているうちに、瞬く間に時が過ぎていき、とうとう2月まで引っ張ってしまった。
さあ、これからペーパーを1本書かねば。
と言っても、今日はノート・パソコンをおいてきたので、続いて、「武蔵」の残りのビデオを見る。見てしまわなくては、すぐに週末がやってくる。
しかし、最後の何分かを残して、17時になってしまい、断念。
お稽古からかえったら見ることにするか。
さあ、久しぶりのお稽古である。
もちろん東京に行っている間はテープを一回も聴いていないし、お稽古もしていない。
ああ、また忘却の彼方に。
舞囃子の謡をすべて暗記するように言われているが、長くてとても覚えられない。
しかし、誠意を示さねばと思い、稽古場への道のり、電車の中で必死で覚えようと本を開いて謡を心の中で謡ってみる。
お稽古場に到着。
足が痛くて、正座は出来るのだが、かなり辛い。
右膝を打っているので、右膝を付けて構えることが出来るかどうか・・・
謡の暗唱は何とか挑戦だけはしてみるが、やはりボロボロ。
舞の方も、あやふや。
立て膝ついて座っていても膝が痛くて、浮かしてしまった。
瘤はぶよぶよしているから、血が溜まって固まってはいないと思うんだけど・・・
帰りは頭の体操のために、車を運転してかえる。
隣で母が「車の中で謡を暗唱したらいいのよ」と言うが、高速に乗りながら謡を暗唱しようとすると、覚えていないために気がそっちへ行ってしまい、速度が落ちてしまう。
そんな器用なことは、久しぶりの運転では危険で出来ないので断念。
運転に集中しよう。
無事ガレージにも車を入れて、祖父母宅に到着。
はあ、緊張した。
祖父母の家はいつでも食料がたくさんある。
今日も、もういらないと言うのに、これでもか、これでもかと食事を出してくれる。
ふう、食べ過ぎだ。カマスの開きは美味しかったけど。
家では匂いが染みつくので、ほとんど焼き魚しないからなあ。
食生活改善はいいけど、適量が一番。突然食べ過ぎていては余計からだのバランスを崩しそうだな。
御飯を食べ終わると、今日ずーっと家で寝ていた祖父の頭の体操に麻雀をすることに。
たまにはお付き合いしなければ、と時間がもったいないが、母と一緒にかえってエヴィアンをもらうためにどうせ待っていなくてはいけないのだから、お手合わせを。
麻雀も久しぶりだが、後半なんとかつきが回ってきて、勝たせていただきました。
祖父は元気そうであるが、足腰がどんどん弱っていっているのが気になる。
何とか元気でいて欲しいために、歩くように早vしているのだが。
本人のやる気次第だからなあ。こればっかりは仕方がない。
孫からの願いとして、きつく言うしかない。
実家に車で戻って、ビデオを見終わる。なんだ、あと5分ぐらいだったのか。
ふと見ると、ピアノの上にビデオが置いてある。
母のお料理教室の生徒さんで、バレエに詳しい人がいて、私にビデオを貸してくれたのである。
「なんのビデオ?」と聞くと、「知らない」という。
録画らしく、「レイクスワン」とだけ、書いてある。
「アダム・クーパーなんとちゃうん?」
「なんにも聞いてないから。ただ面白いビデオがあるからって言うてはった」
「ちょっと見てみよう」
と言ってかけたら、「マシュー・ボーン」と出てくる。
やっぱりAMPだ。
キャストに「アダム・クーパー」と出てくる。
当たり!
ちょっとだけ、と思ってみていると、面白くて結局最後まで見てしまった。
なんと、1時半になっている。
慌てて送ってもらい、家に帰る。
明日こそ、日文研に行かなくては。
明日は診察だから、3時までしかいられないから、朝早いぞー。
早く寝よう。起きられるかな?
2月5日
昨日の晩、何とか終わらしたくて、テープ起こしを必死でしていたら、気がつけば4時半になっていた。
慌てて薬を服用して布団に入ったのだが、すぐに眠れるはずもない。
朝は8時頃に起きて、10時半頃に日文研にいければと思っていたが、やはり無理だった。
当然の如く起きられない。
薬が切れて、10時頃に漸く指導開始。
とはいえ、日文研に行く気力がどうしてもでない。
バイトが溜まっているので、行かなくてはならないのだが、気分が乗らないのだ。
はあ、またいつものひきこもりかなあ。
とりあえず、外に出ることが出来ないのである。
服も着替え、顔を洗い、荷物も詰め込んで出る用意だけは完璧なのになあ。
足は痛いし、体はだるい。
別に風邪を引いたわけではないんだけど、コートを羽織り、荷物を持って、家の中をうろうろ、おろおろ。
もう、だめだ。もうだめだ。わたしはもう、もう、だめだ。(@町田康)
そんなこんなで、気がつけば12時過ぎていた。
そういえば、朝から薬も何も飲んでいない。
ただうろうろしたり、座り込んだりして2時間を過ごしていたのだ。
普通に考えれば、どんなに馬鹿げた愚かな行為をしているように見えるだろう。
そんなことが出来ること自体不思議に思われるかも知れない。
しかし、本人はとても辛いのだが、どうしても家を出られないのである。
12時過ぎて、今から行っても2時は過ぎる。
2時間近くかけて通って、アルバイトできる時間は2時間半か。
それは効率が悪すぎる。
今日も断念。
自分が情けない。
のろのろとコンピューターを立ち上げ、あと少しで、止めてしまったインタビューのテープ起こしをはじめる。
こんなことだったら、テープ起こしがすむまで、徹夜してでもやり遂げるんだった。
集中が高まってきて、漸くテープ起こしがのってくると、携帯にメールが入る。
誰だろう?
メールを読んでみると、久しくあってなかった友人からである。
仕事で大阪に来ているので、ついでに会わないかという誘いである。
大阪まで出ていって、ついでに今日はレディース・デイだから「壬生義士伝」でも見に行くか?
そんなことを思いながら、返信すると、時間が丁度映画の最終回が始まるころである。かといって今から行っても、前の回に間に合わない。
まあ、映画はいいか。
だけど今日出られるかなあ?
さりげなく、調子がいまいちなんだけど、とメールしてみると、塚口まで行くからと言うこと。
それならいいか、と承諾。
梅田に着いたら連絡くれるように言って、またテープ起こしに取りかかる。
3時半頃、漸く完了。
さて、誤字・脱字がないか読み返しをしなくては。
これがすんだのが4時。
銀行、コンビニ、各種支払いをしていないことに気がつき、あわてて家を出る。
不思議だが、家の近所ぐらいなら、出られるのだな。
銀行に行って、コンビニに行って、貧乏、貧窮。
家に帰って、東京から帰ってきてから、疲れてそのままになっていた部屋の混沌とした状態を片付け、ついでに洗濯もする。
夕方になって漸く人間らしくなってきた。
東京で取ってきたコピーの整理をはじめる。
やることは本当に山ほどあるなあ。
二日にわたって、一人でほっこりしていたせいか、大分と元気になってきた。
19時頃になって友人からメールが来る。
駅まで迎えに行って、散らかっているけれど、家に来てもらう。
コーヒーを入れて、この後も仕事があるというので、30分ほど話をして別れる。
よく、働くなあ。
私なんて、もう二日も引きこもりしているのに。
友人が帰ってから、母に連絡を取る。
エヴィアンが切れていたので、買っておいてもらったのである。
てっきり車に積んであると思ったら、実家においてきたという。
祖父母の家の帰りにまわってあげるから、取りに来いと言うので、承諾。
撮りためていたビデオを見る。
取っていたのは「武蔵」である。
そう、NHKの大河ドラマである。
TV時代劇は滅多に見ないのだが、個人的に市川新之助のファンであるのと、やはり題材が気に入って、武蔵は見ることにしたのである。
しかし、東京に行ったり、日曜日はなにかとお付き合いが入り、見られないので、ビデオにとっておいたのである。
半分ぐらい見たところで、母から連絡が入り、どうしても最後まで見たいので、ビデオを持って、実家に行く。
実家で最後まで見て、エヴィアンをとりあえず6本もらって家路につく。
残りの6本は明日もらいに来よう。
お風呂に入って、もう1時。
明日は女学院のバイトだから、休めない。
おまけに帰りはお稽古である。
早く寝なきゃ。
2月4日
朝、5時半頃に1度起きたが、動けない。
薬は切れているはずなのだが、しんどくて、だるくて仕方がないのである。
目覚ましを止めて、もう一度眠りに陥る。
8時頃に目を覚ます。
寒くて布団からでられない。
今日は日文研に行く予定なのだが、しんどいなあ。
これからの効率を考えると、1日どーんと休んでしまって、疲れをとった方が、毎日疲れたまま過ごすよりもいいかもしれない。
そういう決断を下して、日文研を断念。
とりあえず、動けないので布団に潜り込んだままうつらうつらしている。
連続してみる、悪夢の数々。
うなされそうだ。
お昼になってもまだ動けない。
そのまま布団の中で転がっている。
眠ると悪夢を見るし、起きてもしんどくて行動できない。
最低だ。
15時頃になって、漸く復活。
メールをチェックすると、お返事が必要なメールがたくさん。
日文研のバイトの方へは、お断りのメールを入れておく。
復活したものの、頭が重い。
とりあえず朝から転がったままなので、なにかお腹に入れて薬を服用。
今日は家にいるのだから、テープ起こしを完成させて、早く先方に送り返さねば。
東京で取ったはずのメモがどこにも見あたらない。
忘れてきたのかなあ、じゃあ、もう捨てられているな。
おかしい、どうしてどこにもないんだろう。
確かにこのファイルに入れたはずなのに・・・
作業をしていると携帯が鳴った。
インタビューを申し込んでいた中島貞夫先生からだ。
昨晩、電話をしたら留守だったので、留守電にメッセージを残しておいたからだ。
快くインタビューを引き受けていただいた。
有り難い話である。
なおさらこのテープ起こしを急がねば、草稿に間に合わない。
ますます肩が凝りそうだなあ。
2月3日
今日は女学院にてアルバイト。
昨日寝たのはいいけれど、1時間おきぐらいに目が覚め、眠りがとっても浅い。
夢ばかり見ている。
3時頃になって、もしかして薬を飲んでいないのでは、と気がついた。
前回に失敗がある。
前回は自分で自分の時間をロスしたので、自分のせいだからいいのだが、今日はお金をもらっているのである。
遅刻は出来ない。
布団からでるのも寒いし、疲れに任せてそのまま布団に潜り込んでいる。
当然ながら5時頃には起きてしまった。
もう春休みだから、学生さんも少なかろうと思い、ノート・パソコンを詰め込んで内職用意をして出勤。
週2回のバイトだから、2回お休みしただけなんだけど、丸1週間休んでいたので、随分休んだように思われる。
お土産の東京チョコバナナを嘱託職員さんに手渡す。
「3時のおやつにして下さい」
予想通り、全然人が来ないので、パソコン立ち上げて作業をしている。
おかしいなあ、東京で最後に見た映画のメモが見つからない。
家に忘れてきたのかなあ。
まあ、いいや。他にすることはたくさんあるのだから。
午後になると、突然学生さんたちがやってきた。
不思議に思っていると、TOEIC(あれ、これであってるっけ?)のテストがあったらしい。それが終わって、みんな来たついでにと映画を見に来たみたいだ。
でもまあ、授業のあるときに比べれば、断然楽だけど。
東京から帰ってきて、疲れているのが分かっているのに、今日はNOVAの予約を入れていた。
後片づけをして、全部閉めてから梅田に向かう。
電車の中で軽くめまいがしてきた。
駄目だ、集中力が低下してきている。
NOVAのレッスンはさすがにしんどかった。
だけど行っておかないと、レベル・チェックにひっかかるし、ポイントも無駄にしてしまう。だけど、疲れていて、ボロボロだった。
それでも帰りは祖父母の家による。
お小遣いをもらってしまったので、安いが草加煎餅をおみやげに買ってきたからだ。
「今晩は」といって顔を出すと、「あら、東京から帰ってきたの?」と言われる。
「昨日の晩に帰ってきました。これ、お土産です。」
「御飯食べる?」
「いただきます」
今日はカイロ・プラティックがあるのですぐに帰らなきゃいけないから、なんか食い逃げみたいだなあ。
もぐもぐといただいて、さっさと帰る。
ご馳走様でした。
カイロ・プラティックに行くと、「足、どうしたんですか」と聞かれる。
「えっと、こけました。朝は大丈夫だったんですけど、夜になると血が下がってきたみたいで」
「念入りに身体をねじ曲げてきましたね。」
「すみません。ストレッチは少しはしたのですが、時間が無くて・・・」
足が痛いので、今日は何をされても痛い。
おまけに身体がぱんぱんに浮腫んでいる。
「水分が足りないのと違いますか?おまけに食べていないでしょう。だから浮腫むんですよ。」
「食べてますよ。水分は、籠もって作業していたのでいつもより少ないかも知れません」
「プロテインも飲んでいないでしょう」
「持っていっていなかったので。でもちゃんと食べていますよ。」
「量が圧倒的に少ない。」
「いや。あれ、少ないんでしょうかねえ」
「とにかく、ふだんの生活にもどして、水分をよく取って、プロテインも補給して下さい。足は心配やったら、医者に行って下さい。僕は最悪のケースを言いますから」
膝の下にでっかいこぶが出来ていて、すごい青あざになっている。
そこから内出血の血が下がったみたいで、すねの所全体が薄青くなっているのである。
そして、膝下全体が腫れ上がっているのだ。
関節に血が溜まったら、血を抜きに行かないと固まってしまうと脅されたのである。
屈伸がしにくくなったら、血が固まってきた証拠だという。
なんか怖いなあ、そんなんになったらどうしよう。
でも、医者に行くのは嫌だしなあ。どうせ、高い金を取られて「打撲です」って湿布でも出されるのがせいぜいだろう。
家に帰ってくると、寒気がする。
薬を飲んでいないせいか、身体がかすかに震えている。
調子が悪すぎる。
とにかく寝ることだ。
薬を飲んで、頓服も服用して、早々に布団に潜り込もう。
お休みなさい。
2月2日
朝起きて、着替えてから、荷作りをする。
買っておいたエヴィアンも丁度なくなった。
ちいちゃんを起こさないように、洗い物をして、干していたタオルなどまとめて荷作りを完成させる。
いつも通りに鍵を閉めて出かける。
八重洲北口に来るように言われている。
今日も朝一番で閲覧申し込みをして、最後まで残っていた。
「キネマ」という雑誌があと3冊(製本した形で)で終わりだったんだけど、とうとう最後まで目が通せなかった。残念。
丁度、コピーカードが微妙に切れて、職員の人に、「コピーカードは年度が替わっても使えますか?」と聞いてみる。
「使えますよ」と言われたので、また初夏に来ることにして1枚購入。
17時ぎりぎりまでコピーを取っていた。
17時まで頑張ったんだけどね。
口惜しいが仕方がない。追い出されてしまった。
これ以上バイトは休めないし、いい加減論文の草稿に取りかからなくてはならない。
草稿さえ通れば、本稿までの間にまた調べに行くチャンスがあるのだから。
こんなところでぼやぼやしていて、肝腎の草稿を落としては元も子もないのだから。
そう言い聞かせて、東京駅へと向かった。
八重洲北口について、ちいちゃんにメールをすると、暫くして携帯が鳴った。
「もしもし」
「後ろ振り向け」
振り向いたらちいちゃんがいた。
「JRで帰るんやったら、改札に入っておきなさい」と至極真っ当なことを言われる。
その通りでした。
重い荷物の上に草加煎餅まで買うて運んできてくれてありがとう。
まずは指定席を取る。
18時3分のひかり。次に東京チョコバナナを購入。
長い間バイトを休ませていただいた人へのお土産である。
お買い物がすんだのでちいちゃんにお別れを告げる。
「長い間、ありがとう。でも、またお邪魔に来るからよろしくね」
悪魔のような奴である。
新幹線の改札に入り、ホームへ上がって新幹線に乗り込む。
まもなく発車したので、本を読むが、気がつけば眠り込んでいた。
疲れがどっと出てきたのだろう。
気がつけば名古屋だった。
隣の人が名古屋で降りて、別の人が隣に名古屋から乗ってきた。
通路側だからいちいち立たなくてはいけないけど、自分が動くときは便利だ。
名古屋の前で目が覚めて、もうこのまま眠っていこうかと思ったけれど、目がさえてきた。
本を取りだして読む。
名古屋から乗ってきた隣の人が美味しそうにパンを食べだしたのが、目の端に入った。
そういえば、今朝から何も食べていない。
朝コーヒー飲んで、薬を服用しただけである。
なんかお腹空いてきたなあ。
でも、売りに来るのはアイスクリームやお土産ばかりである。
とりあえず、漢方を飲んで紛らわせる。
21時3分に新大阪に着くから、帰ると22時になる。
丸一週間家を空けるから、当然家には何もない。
22時でダイエーも閉まってしまう。
ぎりぎりかなあ。
どうしようかと迷って、母にメールを打つ。
きっといつものお寿司屋ならまだ空いているだろうと思ったからである。
「行ってなさい。後から行きます」と返信が帰ってきた。
ラッキー。何も食べていないけどってメールを打ったのだが、事実だから仕方がない。
塚口駅まで帰り着いたら、カバンの肩掛けが破壊した。
重みに耐えられなくなってしまったのである。
手提げのところが無事だったので、手に持ってずるずると引きずるようにお寿司屋さんに向かう。
22時に到着。
「なんか食べさせて」と頼む。
23時頃、スポンサーの母が車で登場。
ありがとうございました。
ご馳走様でした。
カバンが破壊したので、車で送ってもらえて良かった。
家に帰り、山のような郵便物(ほとんどが広告)をよりわけ、お風呂を入れる。
疲れた。
メールのチェックをして、返事の必要な人には連絡を入れる。
しんどかったけど、お風呂に入って、明日のバイトの準備をする。
倒れるようにベッドに寝ころぶが、頭を梶vかさないといけないので、起きあがり、もうドライヤーを使うのもしんどかったので、ガスストーブの前で梶vかす。
さすがに疲れた。
お休みなさい。
2月1日
朝8時にちいちゃんに起こされる。
その前、7時に目覚ましで一度起きたけど、薬が切れていなくて眠りに落ちる。
起こしてもらったけれど、努力しても薬が切れていない。
起きあがれない。ふらふらである。
結局沈没。
昨日、馬鹿騒ぎするから。
11時前に漸く目が覚める。
日頃の疲れが溜まっていたのが、どっと出てしまったのも一因かな。
結構きつい作業だもんね。毎日、毎日。
まあ、それなりに楽しいんだけど。
ちいちゃんは出かけるところだった。
「私も出かけるから」
「じゃあ、銀座で」
速攻顔を洗って、服を着替え、戸締まりをして出かけていく。
馬鹿だなあ、ただでさえ時間無いくせに。
こんなところでロスするなんて。
自分の管理が出来ていないよなあ。
大体、あんな時間から薬なんか飲まなきゃ良かったんだよ。
多分酔いが回って、眠れていたかも知れないのに。
早稲田に13時頃。
13時半まで昼休みだから、閲覧申し込みが出来ない。
カイロの先生が「頭使うときは脳に酸素が行くように糖質を取りなさい。おにぎりとかパスタとかね」と言っていたのを思いだして、ずっと昼御飯抜いていたのを反省。
おにぎりを買って、寒空の下、外のベンチで食べる。
13時半になったので、早速閲覧申し込み。
この前から同じ雑誌を見ているので、大体の構成が分かっている。
グラビアと作品紹介のところは批評がないのが分かっているので飛ばす。
ファンの頁にも種類があって、頁上でお手紙交換などをしているコーナーがあるので、それも飛ばす。
残された字面の所だけを、出来る限りの速度で読み込んでいく。
さすがに今日はあっという間に終わってしまった。
今日は飲み過ぎないようにしないと。
銀座にでるが、日比谷線で来ないといけないところを間違えて銀座線に乗ってしまったから、出口が違う。
地下鉄っていっぱい出口があるからどうしよう。
迷ってしまい、改札にいる駅員さんに「あの改札がこのように3カ所あるところは、どこの出口でしょう?」と馬鹿な質問をしてしまう。
でも、とても親切な駅員さんだったので、うーんと考えたすえ「丸の内線の方の出口だと思いますよ」と教えてくれた。
教えられたとおりの出口に行くと、前回待ち合わせをした改札についた。
良かった。
今日は、早稲田大学をでるとき間違えずにちいちゃんにメールしておいたし。
無事拾ってもらえました。
今日はついてないなあ。
友人との待ち合わせの場所に行き、待っていると、メールが入った。
なんか地下鉄が止まっているので先にどこか入っていて欲しいとのこと。
と言うことは、友人にはどこどこへ行こうというプランはないと言うことか。
そう話し合って、寒いのでどこか先にはいることにした。
何が食べたいのか聞いてみると、「お腹が空いている」とのこと。
じゃあ、どうしようとまず2件ほど見に行ったけれど、何と人が並んでいる。
それはパスしてまた違うところに移動。
焼き肉屋さんに入った。
焼き肉屋さんなのにおでんがおいてあったのが気になって入ったのだが・・・
焼き物は友人が来るまで待つことにして、チヂミとか刺身ものを注文。
やっぱりビールかな。
実はこの後、ワインバーに連れていってもらう約束をしている。
だから、量は控えめに・・・って思ったけど、結局普通のペースで飲んでしまいました。
2〜3年振りに会う友人は、全然変わっていなかった。
1年半ほど前に結婚したんだけど、本当に変わらないなあ。
高校の先生をしている。
「なおちゃん、まだ勉強してるの。いつまでするの」
「うーん、論文が書けるまで。でもそのあと就職先無いしなあ」
「ずーっと学生してたら」
「出来たらいいけど、追い出されるよ」
今の高校の話とか聞いて、結構刺激になった。
途中、お手洗いに行って、転んだ。
別に酔っていたわけではないんだが。
膝をしたたかに打って、すごく痛かった。
やっぱりついてないなあ。
お腹も一杯になり、ねだってワインバーに連れていってもらう。
懲りない奴。
でも、これは来た当日に約束したことだから。
私のわがままで「サンテミリオン」地方のワインにしてもらう。
美味しい。
ここのバゲットが美味しいんだと言うので注文。
私は、「酒を飲むときはナッツを頼みなさい」とアドバイスを受けているので「ミックスナッツ」を注文。
お腹一杯で、パンはあまり食べられなくて残念。
バゲットと言うより田舎パンみたいだった。美味しかった。
さんざん楽しんで帰りました。
帰る途中、ちいちやんが「飲んだ後はお茶漬けじゃなくてお粥が食べたい」というので、コンビニで白御飯を買って帰る。
帰ってからすぐお粥を作り始める。
その間にお風呂を入れてくれる。
「こんなもの?」って見せに行ったら、「もっとしゃぶしゃぶしたやつ」と言うので、「それってお粥と言うより、重湯だね」と言いながら、注文に応じて作っていく。
お風呂に入っている間もお粥が焦げないように見ながら、片手間にノート・パソコンを立ち上げる。
のどが渇いたのでエヴィアンをごくごく飲んで酔いざまし。
ちいちゃんがお風呂から上がったので、「お粥こんなんでいい?」と言ってOKをもらう。
次にお風呂に入って、上がってきたら、既にお粥を平らげていた。
「明日の昼の分まで残っているわ」と言っていた。
確かに鍋一杯に出来ていたもの。
さすがに私は食べられなかったけど。
さあ、明日は帰らなくてはいけないので、ものを片付けていく。
明日どうしよう?って話していたら、フリーだから草加煎餅を買って、荷物を持って東京駅まで来てくれると言う有り難いお話。
涙が出るほど嬉しいよ。
じゃあ、荷物まとめて置くからと頼んでおいた。
少しだけ作業をして、後は荷作り。
明日で最後か、あっと言う間だったな。
1月31日
今日もちゃんと朝起きられました。
さっさと準備をして、珍しく朝御飯にリンゴを食べる。
今日は19時までだから、体力付けとかないとね。
終わったらお好みパーティーが待っているしね。
いつものように一番に入って、今日も一番遅くまでいました。
半分ぐらい雑誌の山を片付けました。
だけど、あと二日間じゃ調べきられない。
とりあえず、今回はこの資料だけで草稿を書き上げるしかない。
ちいちゃんには悪いけど、草稿が終わって、謡曲の発表会が終わったらまたもう一度調べに来るか。
ああ、頭いたい。
今日はコピー機をほとんど占拠している人がいたために、なかなかコピーがとれない。
仕方ないので、ILL申込用にメモを取って、別の雑誌の閲覧申し込みをする。
19時になって追い出され、「さあ宴会だ」といそいそと帰る。
メールが入る。
誰かな?ってみると、先週諍いを起こしてしまった友人からである。
まあ、最終的には私が謝罪して、収まったんだけど。
実はそのあと上海に出張に行ってしまっていたのである。
上海に行くぎりぎりまで、私は謝り続けていたのである。
すっかり忘れて、楽しい東京ライフを送っていたのだが、帰ってきたのか。
もっと長い間行っていると思ったのに。
だけど、もう相手は先週の事なんてすべて忘れたかのように、明るいメールを送ってくる。
私も忘れよう。じゃないと、鬱になりそうだから。
適当に返事をして、関西には2日まで帰らないことを連絡しておく。
急いで帰ったら、電車もスムーズに来て、寒かったから急ぎ足で帰ったので20時過ぎぐらいに帰ることが出来た。
「ただいま」
「おかえり。準備はもう出来ているよ。」
「よし、じゃあ、作ろうか」
「順子、お前日記に『気がついたら全権を握って作ってしまっていた』て書いてたやろう。作ろうかじゃなくて、指示を出せ、指示を」
「あ、そうか。じゃあボールにお好み焼き粉を入れます。キャベツは?あれ、これはあらみじん切りとは言いません。ざく切りと言います。もうちょっと細かくしないと」
「わかった。切る」
「長芋は皮をむいてすり下ろして下さい」
こうして指示を出して、とりあえず、一個分は作ってみる。
ホットプレートの上では一枚しか焼けないので、みんなでつつくことに。
ビールを注いで「かんぱーい!」
冬にお好み焼きも楽しくて熱くて美味しいね。
あっと言う間に一枚平らげて(だって4等分だもん)、2枚目を焼く。
結局1人1枚の4枚を焼き上げました。
粉ものだから、ちょっとお腹一杯になって休憩。
次はたこ焼きだ!
ここで大事件発生。
何と千枚通しがないと言うではないか?
竹串もないという。
それではたこ焼きは作れないよ。
試しにやってみるが、ひっくり返せない。
明石焼きだったら卵焼きだし、穴も浅いからお煤uでも返るんだけど、たこ焼きは無理。
責任をとって、残っていた材料を全部合わせて、ちいちゃんが不思議なお焼きを作ってくれました。なかなか美味。
一段落してから、更になにか作りたくて、焼きそばを作り出す事。
もう、作り出したら、もう止まらない。
でも、たこ焼きが出来なかったことは、大阪人として恥ずかしい。
これはリヴェンジに来るしかない。
しかし、「もうお腹いっぱい」って言っていたにもかかわらず、みんな焼きそばまで綺麗にさらえてくれました。
気持ちいいねえ。
ビールにワインと、楽しくってがぶがぶ飲んでしまいました。
気がつけば、もう夜中の2時。
「ちいちゃん、2時だけどお風呂入っていい?」
「いいよ」
本当に遠慮のない人だなあ。厚かましいぞ。ぼけ。
お風呂から出て、まだみんなと遊んでいると、もう4時過ぎているじゃないか。
あー、明日があるからお薬飲まなくちゃ、ってそんな時間から服用。
ちいちゃんに8時に起こして貰う約束をしてお開き。
お休みなさい。
1月30日
今日も17時まで。
朝も一人でちゃんと起きて、寝ているちいちゃんを起こさないようにそっと家を出る。
昨日飲んだせいか眠い。
薬の服用も遅かったから、まだ切れてないのかな。
いつものように来た電車に乗った。
そうしたら地下鉄に連結せずに浅草に着いた。
わけがわからず、北千住の駅まで引き返し、今度は日比谷線に無事乗れた。
連結していない電車もあるなんて、聞いてないよ。
おかげで時間を大幅にロスしてしまい、11時頃に到着。
慌てて閲覧申し込みをする。
映画雑誌なので結構グラビア写真が載っているのだが、ひどいものになると切り取られている。
頁が数枚抜けているところもある。(明らかに切り取ったあとがある)
でもこの雑誌は、早稲田の演博しか持ってないから仕方ないか。
ひどいことをする人もいるもんだ。
それともこの雑誌は個人寄贈だったのかしら。
巻号も全部は揃っていないから。
月曜日はダウンしてしまったけれど、日曜日から今日、木曜日まで、ずっと続けているとさすがに集中力も落ちて来るなあ。
巻号によってはすごく字が細かいのとかあるし、疲れがだんだん溜まっていく。
最初は隅から隅まで見落とさずに見ていたのだけれど、17時が近づくに連れて焦りが出てきて、グラビアなどは見ずに飛ばしていく。
目次を見て飛ばしたいと思うのだが、内容を読まないといつ関連した話が出てくるか分からないので、結局文字面の所は見て行くしかない。
結局また最後まで残ってしまった。
17時なって追い出され、寒い中とぼとぼと帰る。
そうだ、今日はちいちゃんが家庭教師でいないから、御飯もいらないんだ。
どうしようかなあ、あんまり食欲ないし。
浅漬けのお漬け物と果物を買って家に帰る。
部屋の暖房をつけて、かばんをおろして、一人のうちにしたいことがあったのでノート・パソコンを立ち上げる。
そう、今日のお仕事はテープ起こしである。
早く仕上げて先方に送らなくてはいけないのだが。
必死でテープ起こしをしていると、「今日はゆっくり家庭教師してくる」といっていたはずのちいちゃんがもう帰ってきてしまった。
「なんか食べた?うわ、何?このリンゴとミカン」
「果物が食べたくなったから」
「御飯は炊いてるの?」
「うん。」
「お前ほっておくと、ほんまに何もくわんな」
「え、だって。じゃあ、食べる。ちいちゃんが作ってくれていたのが残っていたからあれ食べる」
お鍋に残っていたのを温めて、御飯をよそい、浅漬けを出して
「いただきます」
「はい」
ちいちゃんは録画をしていたTV番組を見るというので、一緒に見ながら食べた。
食べ終わってから後片づけをして、テープ起こしは出来ないので別の作業に取りかかる。
「明日の買い物リストアップしておいて」
「お好み焼きとたこ焼き?」
「そう」
黙々とリストアップする。
何人来るのか知らない。
「ビールはクラシック・ラガーがいいな」と人の家なのに注文をつける事。
だんだん厚かましくなってきているなあ。
え?もともと?ばれたか。
お風呂に入っている間に、またテープ起こしをするが、半分もできなかった。
明日はお好みパーティーだし、明後日は友達と会うし、明々後日には帰らなくてはならない。
テープ起こしは帰ってからすぐ仕上げないといけないなあ。
出てきたので、私もお風呂に入り、上がってからパソコンをいじりながらストーブの前で髪の毛を梶vかす。
「東京の子が、関西の深夜TVは面白くない、東京の方が面白いって言ってたんやけど、ほんま?」
「東京もつまらんと思うけどな」
「そうなんや」
「ほら、だんだん面白くない時間帯になってきた。もう寝ようかな」
「うん。私はもう少し作業してから寝るわ。お休み」
2時までテープ起こしをしてました。
進まないなあ。
早く寝ないと、明日起きられないな。
お休みなさい。
1月29日
今日も無事に起きることが出来ました。
ちいちゃんは朝早く出かけてしまった。
今日はすごく寒い。
ちいちゃんから預かった合い鍵でちゃんと戸締まりをして出かける。
今日はまた17時まで。
毎日19時まで開けてくれるといいんだけど。
今日は時間が短いから、こんつめていかなくちゃ。
10時に演博に入り、閲覧申し込み。
それにしても、肩が凝るし、細かい字を見ているせいか目が疲れる。
一体どこまでを第1次資料として扱えばいいのだろうか、とそんな疑問も持ちながら、目を皿のようにして流し読みをしていく。
それにしても今日はなんて寒いんだろう。
ショールを身にまとっているが、底冷えして寒くて仕方がない。
風邪でも引いたのかしら?
今日もお昼を飛ばして17時までぶっ通し。
充実はしてるんだろうけれど、身体には悪そうだな。
でもこれくらい集中しないと、こなせないから仕方がない。
試験中のせいか人が多い。
コピーもすごく並んでいる。
どうしてそんなに速くコピーする箇所が特定できるんだろう。
私の探し方は間違っているのかな。
同時代評を見つけるのにこんなに苦労するなんて。
ああ、今日もあっという間に17時になってしまった。
いつも私が最初に来て、最後までいるなあ。
そういえば、すごい発見があった。
と言うか単なる現象なんだけれど。
資料を見ているときに、手持ち無沙汰なので指輪をずっといじくりながら見ていたのだ。
で、帰る頃にふと見ると、銀色に指輪が戻っているではないか。
でもまだ普vの辺が変色しているから、いぶし銀に変わったと言った方が正しい。
でもこれで「何したの?」て言われなくてすむ。
折角買うて貰ったものをわやにしちゃ罰が当たるというもの。
帰り、前回落とした手袋を探しにJR東京駅の落とし物のコーナーに行く。
さんざん探して貰ったけれど、結局私の手袋はでてこなかった。
がっかり。
肩を落として松原団地まで帰り着き、エヴィアンが切れていたので買って帰る。
強風ですごく風が冷たい。
震えながら帰る。
「ただいま。ちいちゃん見て、指輪が」と銀色に戻った指輪を見せる。
「どうしたん。戻ってるやんか。一時だけ化学反応したって事か?」
よく分からないけれども良かった。
なにか作業をしているので、邪魔しないように隣の部屋の暖房を入れ、エヴィアンを置いて、ビデオを見ようとごそごそしていると、ちいちゃんがやってきた。
「何も考えてないんやけど、お前夕飯どうする?」
「どうでもいいけど。」
「寒いから鍋でもするか」
「そうだね。」
と決まって、買い物に出かけてしまった。
その間、だしをとり、葱を切り、米をといで御飯の用意をする。
まだ、帰ってこないのでビデオの続きを見て待っていると、帰ってきた。
なんか声がする。
ふと見るとこの前の学生さんも一緒だ。
「買い物行って、人間も買ってきた。こいつこのまま何も食わない気でいたらしい。だから連れてきた。」
「鍋は人数多い方が楽しいから良かったね」
買ってきた材料を刻んであっと言う間に鍋の用意が完成。
ちいちゃんは堰Bで熱燗の準備をしている。
さあ煮えたのでカセットコンロの所まで持っていく。
熱燗も用意できて完成。
寒ーい夜に鍋と熱燗。いいねえ。
身体もほかほか。
最後は雑炊にして、綺麗に食べ尽くしちゃいました。
美味しかった。
一人暮らしが長くなってくると、なんかこうやって誰かと食事するのっていいなあと思ってしまった。
食べていても楽しいし、美味しく感じる。
学生さんが「手際いいですね。なんかすごいですね」と言うので、「そんなことないよ。やれば誰でも出来るって」
彼女も一人暮らししてるんだから、普段は自分で作らないのかしら?
「よし、順子が来ているうちにみんなで合宿しないとあかんな。土曜日は外食だし・・・」
「明日は家庭教師だっけ?」
「うん、じゃあ、金曜日はお好み焼きパーティーだ」
と言うことで、金曜日も楽しい食事会が決定しました。
でも金曜日は19時まで開いているので、帰ってくるのが20時過ぎるけどいいのかなあと思って言うと別にいいとのこと。
じゃあ、しっかり勉強してさっさと帰ってこなくっちゃ。
それにしても開放的な家である。
ちいちゃんがお風呂に入ってから、学生さんを送っていくというので、後片づけをしようとしていたら、「座っていて下さい。しますので」と言われてしまった。
お言葉に甘えて、またビデオの続きを見ながらチェックをしていく。
出てきたので、お湯がぬるくなる前に私が入る。
今度はアクセサリーは全部外そうっと。
お風呂から出てくると、なんかもう一人のゼミ生の所に二人で行くことになったらしい。
いつ帰ってくるか分からないというので、戸締まりして先に寝ておくことにした。
布団を敷いて、ビデオを最後まで見て、まとめておいて、2時になったから慌てて薬を服用。
お休みなさい。
1月28日
今朝は無事に起きることが出来たし、お腹もそんなに痛くない。
朝からコーヒーを飲んで、薬と鎮痛剤を服用。
余裕でお家が出られました。
10時に早稲田に到着。
開館したばかりの演劇博物館に行き、資料を申し込む。
今日はお昼も抜いて、ぶっ通しで19時まで調べものを黙々と続ける。
充実してるなあ。
でも、つらいのは、欲しい資料がほとんど出てこないことだ。
さすがに9時間ぶっ通しで資料に目を通して行くには集中力が切れてくる。
トイレに行ったときに大きくのびをしてみたり、身体を動かしては見るものの、すぐ座ってまた資料漁り。
それでも19時まで開いているのは有り難い。
一つの雑誌の山が終了したからだ。
続いて何冊かの雑誌も目を通す。
大正時代の雑誌とかになると、紙がボロボロで触るのが怖い。
博論に関係がなくてもいずれ手をつけたいと思っているものは、ついでにコピーを取っておく。
なかなか楽しいなあ。
コピーも結構取ったので持っていたファイルに収まらなくなってしまった。
帰りにダイソーでファイルを二つ購入。
今は100円でなんでも買えるね。
ちいちゃんのお家へ帰る。
「ただいま」
ちいちゃんはお食事中でした。
「御飯出来てるよ」
「いただきます」
寒い外から帰ってきて、家の中が暖かくて、御飯まで出来てるなんて夢のよう。
有り難くいただきました。
共通の友人に連絡を取っていつ会うかを決める。
土曜日に決定しました。帰る前日だけど会えてよかった。
片付けをしてから、ホッチキスを借りて、先ほど買ってきたファイルをだして資料の整理をはじめる。
堰Bでちいちゃんがテレビを見ているので、それを半分見ながら整理していた。
TVが終わると、ちいちゃんがお風呂を入れる。
その間、パソコンを借りて作業をする事。
FDだって持ってきたし、ばっちりやね。
お風呂から出てきたので、次に私が入ると事件が!!
お風呂には温泉のもとが入っていたのである。
だから体が温まってすごく気持ちよく入っていたのだが、人にプレゼントして貰った純銀の指輪が化学反応を起こして赤銅色に変化してしまったのである。
お風呂から出ようとして手元を見てびっくり。
慌ててお風呂から出て「ちいちゃん、お風呂に何を入れたの?」と大パニック。
「温泉と同じ成分」
「見て、この指輪」と見せると、大笑いされてしまった。
「家に来て、指輪したまま風呂に入った奴おらんから、しらんかった」
「どうしよう。見せられないよ」
それから、自分が明日の準備をしなければならないのだが、動揺が隠しきれずおろおろするばかり。
その様子を見て、また大笑いされてしまった。
銀磨きで磨いたらなおるかなあ。
大ショック。
ずっと身に付けておくのも、考えもんだね。
1月27日
二日目にしてダウン。朝目覚ましもかけていたし、一度は起きたのだが、激しい腹痛により動けなくなってしまった。
昨日飲み過ぎたせいでは決してない。
遅れて月のものがやってきたので、激しい生理痛に襲われたのである。
毎度の事ながら、必ず1日はダウンする。
電子レンジで暖めると使える、湯たんぽみたいなものがあったので、それを借りてお腹を温めながら暫く死んでいる。
ちいちゃんは用事があって出かけてしまった。
今日はどう考えても早稲田に行けない。
集中力なんてとてもじゃないけどでないからだ。
夜の時間を有効利用しようと、ペーパーを書こうと思っているビデオを持ってきておいた。
一人でビデオを見ながら、関連項目をチェックしていく。
ちいちゃんが帰ってきて、「昼飯は?」と聞かれる。
「食べたくない」
「これでもいいから食べなさい」と中華マンを与えられる。
食べないわけにいかず、時間をかけてもそもそと中華マンを一つだけ食べてみた。
もういらない。何もいらない。
薬と鎮痛剤だけを飲もう。
そのあと、お部屋に籠もり、勝手にビデオを使って続きをする。
なかなか充実した時間を送っているではないか。
籠もっていて気がつかなかったが、学生さんが二人来ていた。
軽く挨拶だけして、また部屋に籠もり作業を続ける。
夕方になって、外が真っ暗になったころ、学生さんがやってきて「御飯食べに行きませんか?」と言ってきた。
鎮痛剤が効いてきたので、今はお腹は痛くないけど、あまり食欲ないなあ。
「本当は作れって言われたんですけど、近くに美味しいラーメン屋がありますから行きましょう」
ちいちゃんは家庭教師に行って、夕飯も食べてくるらしい。
「わかった。じゃあ行こうか」と言って出かける。
絶対に、ちいちゃんに無理に誘ってでも行けって言われていたに違いない。
ほっとくと、私が何も食べないのをよく御存じだから。
家に戻ってから、学生さんたちはちいちゃんの部屋でなにか仕事をしている。
私はまた隣の部屋に引きこもって、作業を続ける。
ちいちゃんが帰ってきた。
「順子、ちゃんと食ったか?」
「うん、ラーメン屋さんに連れていって貰った」
「ちゃんと連行するように言っておいてから」
やっぱり。
「お前、充実した時間送ってるなあ。」
「うん、お陰様で。前回学んだからね」
また、ちいちゃんは学生さんとお仕事しているので、私も作業を続行。
一段落ついたところで、勝手にお風呂にお湯をはる。
お湯がはれたところで「ちいちゃん、お風呂もらうね」っと断りだけを入れて入る。
まるで、我が家のようにわがままに振る舞っている自分が怖い。
マイペース、マイペースで今日が過ぎていく。
明日はまた調べものだ。
明日は火曜日だから、19時まで利用が出来る。
頑張らねば。
1月26日
やはりバスの中ではよく眠られない。
朝7時半ごろに東京駅につく。
荷物が邪魔なのでとりあえず、ちいちゃんの家に持っていく。
眠っているのを起こさないように、そっと荷物を置いて、リュックだけ背負って早稲田に向かう。
10時半ごろに早稲田に到着。
さっそく調べ物に取り掛かる。
もちろん朝から何も食べていないから、昼も飛ばして17時までぶっ通しで調べ物に集中する。
集中しているせいか、細かいものを調べているせいか、あっという間に17時になってしまう。
今日はちいちゃんに頼まれて、一つお仕事というか、お手伝いがあった。
知り合いの先生の娘さんがなんとスウェーデンに行きたいそうだ。
それで、スウェーデンについて色々聞きたいとのこと。
どんなことが知りたいのかはご本人に会わないことには分からないけれど、まあちょっと昔の情報になりますが、知っている限りのことはお答えいたしましょう。
銀座に来るようにメールで指示が入る。
早稲田大学をでるときにメールをして、銀座についてもう一度メールをする。
会えないので、電話をするが出ない。
コールバックの電話がかかってきた。
「今、銀座」
「早稲田出るときメールしろって言ったやろ」
「したよ」
とりあえず会ってから、「ほら、メールしてるでしょ」って、返送でメールをしていた記録を見せると、「あほ、それは家のメールや。携帯にしないと意味ないやろ」と叱られた。
確かに。
知り合いの先生というのは、とても優しそうな先生であり、娘さんはすごく若い。
高校生かと思って、店に入ってから、「失礼ですがおいくつですか」と聞いてしまった。
「23です」「若いですねえ」
って私は単なるおばはんやん。
何でまたスウェーデンに興味が?と聞いてみると、ストックホルムにスウェーデン人の友達がいるそうだ。
いろいろ話をしてみましたが、お役に立てたのかどうか。
とりあえずメールアドレスを渡して「思いついたら、またなんでも聞いてきて下さい」と言う。
なかなか礼儀正しいお嬢さんであったが、やはりそこは今の若者。
地に足がついてないと言うか、なんて言うのかどことなく浮遊感を感じる。
目的がはっきりあって、とかモチベーションが強くて、突き進んでいくという感じがしないのである。風船が飛んでいくようなふわふわした感じが拭いきれない。
多分自分の意志というのは強くあるのかも知れないが、それは内側に持ち込んでしまって、外側にアピールできないのかも知れない。
スウェーデンに行くのは勝手だが、何をしたいのか、今ひとつ伝わってこないからアドヴァイスがなかなかしにくい。
「日本語教師」ということも口にしていたが、それも今では飽和状態だから、相当の覚悟で行かなくては職はゲットできないだろう。
まあ、他人のことだから私があまり口出しする問題でもないのだが。
ちょっと気になる。
私も大学のころは「スウェーデンで日本語教師の仕事をするぞー」なんて考えていたことがあったからだ。
帰ってから、今回は手土産に灘の酒をちいちゃんに持ってきたので、学生さんを一人呼びだして酒を飲む。
この学生さんは、前回にも会ったのだが、私がまた来ることを知ってエヴィアンを2本も購入して置いてくれた。
良く気のつく学生さんである。感謝。
夜行であまり眠れていないはずなのに、こんなに飲んでて大丈夫かね。
1月25日
朝から起きられない。どうしても起きられない。
なんとか机の所までいってみると、なんと空いている薬袋が二つ。
1晩で2晩分の薬を服用してしまったのである。
どおりで起きられないと思った。
眠くて、眠くて仕方なかった。
昼過ぎまでごろごろ転がっていたら、「昼食を食べないか?」と両親から連絡が入る。
まあ、映画は17時の部を見たらいいからとりあえず栄養つけなくちゃと思った。
お誘いにのって、中華料理屋に行くが、食べている間も眠い。
誘眠剤を合計何錠飲んだことになるのかな?
よく効いたなあ。
なのに、昼間っから父に付き合ってビールを飲んでしもうた。
車で実家に連れてこられると、またまた眠気に耐えられなくなり、暖房の前でうずくまり眠り込んでしまう。
しばらくして薬が切れて目が覚める。
時間を見ると、なんと4時。1時半ごろに家に帰ってきたのだから、2時間半も眠っていたことになる。
薬のせいとはいえ、嬉しい。
が、しかし今からでは映画に間に合わない。
がーん。この映画を見に行くために、東京行きを今日の夜行にしたのに。
だったら、金曜日の夜から行って、25日から調べ物すればよかった。
何たる間抜け。とんま。
今日一日を無駄に過ごしてしまった。
父親がノートパソコンを購入したらしく、なんかごそごそやっている。
インターネットやメールをどうするのかと聞いてくる。
私に聞いてどうすんねん。
機械音痴で有名やのに。
それでも、いろいろいじくっていくつかのオプションを開いて、どのプロバイダーを使いたいのか聞く。
これがいいと言うのを開いて、コースによって値段がこれだけあるよと教えてあげる。
しかし、まだアクセスできないのでつなぐことは出来ない。
そのうち母が帰ってきて、すし屋に食べに行くというのだ。
でもさっきまで寝てたし、お腹空いてへんねんけど。
まあ、ただで夕飯食べさせてくれるっちゅうねんから、ありがたくいただきまひょか。
どうせ、車でいくんやし。
早くに行って、早く帰ってお風呂に入らなきゃ。
一度家に帰って、薬局で買い物をして、東京への準備を完了させる。
遅れておすし屋に行って、チューハイを飲む。
「雪中梅があるよ」と言われる。
うーん、誘惑だなあ。でも家に帰ってお風呂に入らなきゃいけないし、それから出かけなければならない。
バスに乗って眠るためにある程度酔っておくのも手だけど、あまり飲むのは危ないので、1杯だけにする。
食欲はないので、あまり食べられなかった。いいや、別に。
家に帰ってお風呂に入り、メールのチェックをして、こうして日記を書いている。
そろそろ家を出なくては。
では、皆さん、行って来ます。
1月24日
今日は朝からカイロプラティックに行って、そのあと京都で母のお料理教室の新年会である。
いつからか、私は母のお料理教室の新年会に付き合うようになった。
一つは、歳をとってきて、歩くのがい難な人が出てきたので、店に行くのに、タクシー組と歩き組とに分かれるようになったこと。
誰も店を知らないために、知っている私が歩いて先導を、母はタクシーに一緒に乗っていって店に行くことになったのである。
もう一つには、祖母がおいしいものを食べさせてあげようと、私の分を払ってくれるのでいっしょに行こうと誘ってくれたことにある。
ありがたい祖父母である。
感謝、感謝。
朝、昨日の夜なしのつぶてだった友人からメールが入る。
もう、わけがわからなくなって傷ついた私は、とりあえず私が謝罪すればことが収まるような気がして、もう一度謝罪メールを送る。
相手はどうもそれで納得できたらしい。
どうして、私はいつも謝ってばかりいるんだろう。
だけど、強く言えないし、もし仮に言ったとしても、後で自分が、そんな自分が嫌になって、同じ穴に陥るんだ。
どうせ、もうすぐ東京に行くし、もういいよ。
東京で、自分のやりたいことに集中してこよう。
カイロプラティックに行くと、この前のデータが間違ってました、と言われ、新しい結果をもらった。
必要摂取カロリーは1700カロリー強。
おかしいと思った。
もらったばかりのデータを見ながら先生を待っていると、「結果はどうでした?」とチェックしてくれる。
「循環器系に要注意マークがたくさんついているんですけど、どういう意味です?」
「新陳代謝や心臓から能への血液の流れ、リンパの流れとかが上手くいっていないからじゃないですか?」
「そういえば、最近特によくむくむんですよねえ」
「どれどれ、アルコールの取りすぎではないですかって書かれてますね。唯一のエネルギー源なのにねえ。あとは、加工食品ですか。小川さんはこれはないですね。コンビニのお弁当とかデリバリーのピザとか」
「絶対無いですね」
「果物や野菜が不足してませんか、はどうです?」
「野菜は気をつけて取るようにしていますので、果物は不足しているかもしれません」
「マルチ・ビタミンを補給することをおすすめしますよ」
「そんなん言って、高いんとちゃいますん」
「2か月分で、7000円ですよ」
「貧血おきそうですわ」
「倒れんといてくださいね、こんなところで」
これが商法なのか。
健康を売り物にして、高いサプリメントを売りつける。
健康になりたい患者はついつい科学的な数値を見せられて、それに手を出す。
そんな手には乗らないぞ。
カイロを終えて駅に向かう。
待ち合わせにちょうどいい時間だ。
この前下見に行った、嵐山の「熊彦」に向かう。
強風で渡月橋を渡っていると飛ばされそうである。
桂川を眺めての会食。
途中雪がふぶいていた。
今日もおいしく頂きました。
これでカロリーは十分。
帰りは診察へと向かう。
行ったら満員で座るところもない。
受付で聞くと、1時間は必ずかかると言うので、近くのモスバーガーにコーヒーを飲みに出かける。
1時間経って戻ってくると大分すいてきた。
だけど、順番はまだまだ回ってこない。
ようやく順番が回ってきたら19時だった。
「先生、情緒不安定になってしまって、泣いたりするから、目がはれたり、後からだがすごくむくむんです」
「でも、前回よりは顔色は良くなってきているのにね」
そりゃ、昼からご馳走食べて昼酒飲んでたんだもん。
顔色もいいはずだわ。
東京行きの話をすると、今の環境から離れるのは身体にいいことだと思う、と言われた。
しがらみから逃れなさいと言うことか。
確かに、この1週間、私を惑わしていたものからは解放されるんだ。
薬は前回と変わらず。
帰りに安売りチケットの店で新幹線のチケットを買おうと思っていたら、閉まってしまった。時間が遅かったからねえ。
いり果てて、とりあえず梅田まで出て、チケット屋さんを探すとまだあいていた。
これで無事購入。
家に帰り、昼間のご馳走でお腹がいっぱいだったので、東京の準備をする。
メールのチェックをしていて、レシピを送る約束をしていたことに気が付いた。
夜中に謝りのメールとともにレシピを送る。
本当に、謝ってばっかりいるなあ。
夜、なかなか寝付けない。
あまりにも眠れないので、薬を飲み忘れたと思い、服用。
しばらくして眠気が襲ってきた。
お休みなさい。
1月23日
昨日はアメリカに帰ってしまう留学生の送別会である。
しかし、火曜の晩に自己嫌悪で反吐が出そうになった私は、ほとんど眠ることが出来ず、朝も元気がぜんぜんでない。
気分がすぐれない。
最低な自分に、貧血がおきそうだ。
朝一番にはようまにあわへん。
結局、昼頃にむくんだ顔をしながら出かける。
火曜の晩に自暴自棄になったせいで、顔がむくんでしまったのである。
目もはれているし、サングラスで隠しながらたどり着く。
到着してすぐにアルバイトにとりかかる。
はあ、この仕事も本当に嫌だなあ。
なんか愚痴っぽいのかなあ。最近。
うぎゃあ。こんな自分が嫌になって、気今狂うてしまいそう。
17時まで仕事を何とか済ませ、院生室に戻る。
みんな同じバスで行くので、それまでの間に所用を済ませる。
昨日は河原町のがんこで、呑み放題つきのコースだった。
ちょうど2回生で去年の夏に子供が生まれた人が、子供のお披露目も兼ねて連れてきてくれた。
ようやく、一人で寝返りがうてるようになったばかりだという。
すごくかわいい!!
火曜のいさかいのことがあって、反省メールを送るんだが、一向に返事がこない。
謝罪メールも送ってみるが、忙しいのか返事がこない。
怒っているのだろうか。
なんか、こんなことでぐずぐずしているのが、急に馬鹿らしくなってきて、せっかくの送別会に、浮かない顔をしていては申し訳ないと、明るく開き直ってみた。
どんどんとワインを飲んで、憂さ晴らしをする。
参加してはった先生ともいろいろ話をして、論文のことを指導してもらう。
喧騒の渦巻く中、虚ろな笑いに包まれて、酔いがまわっていく。
ちゃんと帰りの電車に乗ったまでは良かった。
みんなは桂で降りてしまう。
急行だったので、そのまま乗っているうちに眠り込んでしまった。
最近良く眠れない日が続いていたので、それが仇となった。
目が覚めると、桂駅である。
時間を見ると、ちょうど梅田行き最終が行ってしまったぐらいである。
どうも、梅田まで行って、そのまま戻ってきてしまったらしい。
誰か、梅田で起こしてくれてもええやん。
むなしく河原町まで戻り、安ホテルに電話をして一室予約する。
エヴィアンを購入してからホテルに行き、チェック・イン。
なんて馬鹿なんだろう。
木曜は女学院のバイトである。
湯船にお湯を張って、お風呂にゆっくりとつかりながら、火曜日の夜からの愚考を思い出す。
つくづく自分が嫌になってしまったよ。
睡眠薬を取り出して、服用。
電車で眠れたんだから、ベッドの上ならもっと眠れるだろう。
身体を堰Bたえるが、なかなか寝付けなく、妄想はどんどん悪循環へ。
暗闇の中、いろいろなことが頭の中をぐるぐると回り、叫びだしそうだった。
こんな自分なんか、大嫌いだ。
それでもいつの間にかは眠りにつき、朝早く目覚める。
家に帰って着替えている時間はなさそうなので、そのまま女学院に行くことに。
外に出ると雨が降っている。
ますます、惨めな気分。
コンビニでビニール傘を購入して、京都から西宮へ。
時間には十分間に合った。
来週はまた東京に行くため、アルバイトを休ませてもらう。
そのために今日、出勤簿を書かなくてはいけなかった。
判子はいつも持ち歩くようにしているので、出勤簿に記入。
身体が疲労している。
あんな馬鹿なことをするからだ。
ぼちぼち来る学生さんの対応をしながら、本を読む。
しかし、気分はそぞろ。
昼休み。朝から何も食べていなかったが、食欲がないので、そのまま時間をつぶす。
机の上に突っ伏して、涙が出そうになるのをこらえる。
だめだ、完全に情緒不安定だ。
なんだかんだと学生さんたちが、間断なくやってくるので、仕事を続行。
DVDでも見ようかとも思うが、気持ちがのらずに、読書に戻る。
ボーっとすごしていると、いつの間にやら17時に。
後片付けをして、嘱託の人に、また勝手ですが休ませてもらう旨を告げて帰る。
しまった、今日はNOVAの日だった。
家に帰っていないので、テキストを持っていない。
しかし、その前にすでに気分が優れない。
電話を入れてキャンセルをし、東京行きのチケットを買いに、大阪に出る。
今回の予定は、土曜の昼に見たい映画があるので、それをみてから、夜行で東京に向かう。
荷物を東京の友人宅においてから、調べものに出かける。
帰りは2月2日の日曜の夜である。
これだけ時間があれば大丈夫であろう。
しっかり勉強していこう。
家に帰ってきて、この前寒かったから、祖父が風邪でも引いていないかと心配になって顔を出す。
傷のほうも大分治ってきているし、元気そうである。
東京に行く話をしていて、ほんの冗談で、「おじいちゃん、東京に行くからおこづかい下さい」といってみたら、やにわに財布を取り出して「いくらいるんだ?」と言い出す。
びっくりして、「え、いいんですか?」と聞くと、2万円もくれた。ラッキー!
なんか悪いことしているみたいだ。
これで往復の切符代が浮いたわけである。
ありがたや、ありがたや。
機嫌よく帰ってくる私も現金だ。
帰るとメールが入ってきた。
この前気まずくなった友人からであるが、一方的ですごくいやみなことがかかれてあった。
ひどく傷ついた私は、どういう意味でこんなメールを送ったのか、返信を送るが、いつまで起きていても返事がなかった。
またもや、どん底。
もう待っていても仕方がないから、とりあえず今日は眠ることにしよう。
何で、些細なことでこんなに振り回されてしまうのだろう。
もう少し、まともな強い人間になりたい。
1月21日
昨日、ひょんなことから電話をしたら、思いがけず単発アルバイトの話となった。
日文研に行こうと思ったけれど、どうもこの寒さなら雪かもしれない。
昼過ぎにアルバイトを終えて、今から行ってもバイトはあんまり出来ない。
散々悩んでいるときに、魔の声が…。
昼間からというのに、ワインを飲まないかなとか言うのである。
ワイン好きの私に、そんな魔のささやきをして勝てるわけがない。
アララと、挫折してご相伴を預かることに。
勉強せえよ。ぼけ。
朝から当然何も食べていなかったので、ワインのまわることこの上なし。
クラッカーをもらって食べて、何とか昼ご飯代わりに。
おいしく頂いて、家に帰ってみると、もうフラフラ。
ワインが五臓六腑にしみわたる。
昨日の夜、あまり眠れなかったので、眠気が襲ってきた。
夜は友人と会う約束していたので、それまで少しの間休眠することにした。
2時間ほど眠っていたらしい。
メールが入ってきた音で目覚めたのだ。
時間を約束して、少し本を読みながら約束の時間まで待つ。
用意をして三宮に出かけた。
食事をともにして、いろいろなことを話し合う。
だが、些細なことから気まずい雰囲気になって、帰ってきてしまった。
どうして、私ってこう、余計なこと言いなんやろう。
一言多いっていうか。
それは、きっと相手のことを本当に思いやっていたら、言ってはいけない一言だったのだろう。
極悪非道人です。
悪逆非道です。
すみません。
なんか後味の悪い夜になってしまい、なかなか眠れない。
でも明日こそはちゃんと日文研に行かなくてはいけないから、そろそろ寝ないといけないなあ。
眠れない夜。自己嫌悪も嵐。最低最悪。
こんな自分なんて、消えてしまえばいいんだ。
1月20日
恐ろしいことに、もう1月も20日になっている。
なんて日が過ぎるのが早いんだ。全然論文進んでないのに・・・
今日は、女学院にてアルバイト。
昨日疲れすぎてよく眠られなかった。
5時過ぎには起きてしまって、寒いので、とにかく布団に潜っていた。
目覚ましがなるまではここで転がっていよう。
TVをつけてニュースを見ながら布団のなかで暖をとる。
目覚ましがなったので、意を決して起きあがる。
しかし、へたれえの私はすぐにガス・ストーブをつけてその前にうずくまる。
寒いよー。
そんなことをしているとどんどん時間が経つので、洗顔し、歯を磨いて朝の準備。
当然の事ながら、今日もパソコン持ち込みで内職である。
カバンにパソコンや資料を詰め込み、忙しいときと電車の中用に本を1冊入れ、その他もろもろの必需品を入れて準備は完了である。
昨日は昼食1食に近い状態だったのだが、別にお腹も空かないので、薬だけ飲む。
時間になったので家を出て、寒い中女学院へ到着。
明日で授業最終日だけあって、みんな授業にでているのか暇である。
ぽつぽつと学生さんが利用にやっては来るが、普段の忙しさに比べれば余裕である。
昼休みになると、何となく空腹感を覚える。
久々の感覚。あまり空腹感って感じないのよねえ。
面倒くさいなあと思っていたけれど、体に良くないよねっと思い直し、パンを買ってきて食べることにした。
そうだ、今日は栄養のチェックとかされるんだ。
ちゃんと栄養取っておかなければ。
いよいよカイロプロティックである。
治療の間は、関係なかったが、終わってから呼ばれて、体重と体脂肪を計る。
着替えてから、コンピューターの前に座って質問事項にこたえていく。
なーんだ、栄養取ってもかわんないじゃない。
コンピューターに答えるだけじゃねえ。
無理してお昼食べることがなかった。
摂取エネルギーというのを結果で見てみるとなんと0カロリー。
ゼロってどういうこと?
私は摂取カロリー取る必要がないって事?
いくらなんでも、1日1食は食べているんだけどなあ。
それはオーバーカロリーって事?
がーん。
確かにほとんど動かない生活しているけど、余りにもひどいんじゃないかなあ。
今度先生と相談して、説明して貰わなくては。
1月19日
疲れた。
疲労い憊である。
お風呂にはいるのもしんどかったが、明日のバイトに汚い格好ではいけないので、力を振り絞ってはいる。
眠くはないのだが、身体が堰Bになりたがっているのだ。
ハード・スケジュールで悪かったよ。
18日は朝2番に謡曲のお稽古。
とにかく忘れているのを思い出すことに専念。
細やかな動作ががさつで叱られる。
だって、思い出すのに必死なんだもん。
そんないいわけは通じないんだけどね。
お稽古が終わって、お昼に稽古場を失礼する。
家に帰ってから、出かけるために着替えて、カバンもお出かけ用にする。
今日は名古屋の友人が添乗で大阪に来ているので、夜遊びに行くのである。
ただし、その前に、1カ月ぶりのカイロプラティックが入っていた。
「1カ月ぶりですけれど、調子はどうですか?」
「肩こりがひどくて頭痛がします。今週のはじめは顔から足まで全身がぱんぱんに浮腫んで、すごく血行が悪いと思うんです」
「倒れてませんか?」
「立ちくらみなら何度か・・・」
「倒れていないのならましです。折角矯正できていたのが、元に戻ってきてますよ。ちゃんとストレッチしてますか?」
「いや、ちょっとさぼり気味で・・・」
「これだけね、足の付け根とか肩とか固くなってしまったら、血の循環が悪くて当然ですよ。浮腫んでもおかしくありません」
「はあ。やっぱり。でもそれはいります」
「僕だっていりますよ。ちゃんと言うこと聞いて、ストレッチして下さいね」
「すみません。時間がなくて」
「5分ぐらいのストレッチで、仕事の能率も上がるんですから、そういうことは言わない」
叱られてしまった。
運動不足だし、座り仕事がほとんどだから、動かないもんなあ。
特に冬場は寒くて、丸まってしまうから、余計に身体に悪い。
分かっていてもなかなか難しい。
終わって会計をしようとしたら、なんか新しいシステムが導入されて、健康と栄養を見直すためのカウンセリングを20分ほど受けなくてはいけないらしい。
体脂肪とかも計られて、色々質問されるとのことだ。
絶対になんかひっかかりそうで嫌だなあ。
とりあえず、次回20日の月曜日のカイロプラティック終了後にお願いすることにした。
しかし、この土、日と脂肪の高い物食べているから、体脂肪が心配だなあ。
終わった足で、心斎橋のホテル日航大阪へ行く。
30分ほど前に友人はチェックインしていたらしく、部屋へ遊びに行く。
一応今日の仕事は終わったらしい。
部屋でコーヒーを飲みながら話をして、夕食までの時間を潰す。
大阪でホテルに泊まる事なんてないから、色々気になる。
日航大阪の部屋の値段表を見てびっくり。
高い!
高級ホテルなんだ。
部屋は30階なので見晴らしが良く、大阪ドームが見える。
遠くはかすんで見えないけれど、西向きだから神戸が見えてもおかしくないなあ。
でも、見えない。
仕事の話を聞いていると結構面白い。
旅行会社って今大変なんでしょう?などと色々話を聞いて、他会社との熾烈な争いを知る。
そりゃ、どこもお客さんが欲しくて仕方ないけれど、結構意地悪したりするんだ。
アンフェアーだね。
夜は私が一度行ってみたかった、イタリア料理のお店である。
17時半からとネットにも雑誌にも書いてあったので、17時半に行くと閉まっている。
電話をかけてみると、18時からの営業とのこと。
がせねたじゃないか。本当に取材に行って記事書いているのか?
別の店も候補があったが、とりあえず30分ほどうろうろして18時頃に戻ってくることにした。
18時5分前だったが、オープンしていたので、入る。
老舗らしく、作りは古く店もこじんまりとしている。
レトロな感じのする店であった。
応対はとても丁寧で、感じのいい店。
味は美味しかったです。
店の名前は「アルバ」。知る人ぞ知る店らしい。
話していると、知り合って今年で20年になることが分かる。
そうかもう20年来の付き合いなのね。
二人ともそんなに食が太くないので、コース料理は辞めて、単品で取ってシェアする事にした。美味、美味。
1時間半ほどかけてゆっくりと食事をしてから、部屋に戻る。
30階から眺めてみるが、大阪はあまり夜景が綺麗ではない。
やはり、夜景は神戸かな。
しばし休んでから、ラウンジに飲みに行く。
スカイラウンジはメンバーオンリーなので入れない。
2階にあるラウンジに行くが、あまりに値段が高いので驚いてしまった。
いくら飲んでもいいって言われても、おごって貰う以上あまり高いものはいえない。
ラウンジは早々に引き上げて、部屋に戻り、なんてお高いんだこのホテルは!とちょっとムッとしてみた。
結構古いホテルだから、部屋がめちゃくちゃ綺麗だって事もないし、特に広いのが売りというわけでもない。
広い部屋はすごく高い。
二人ともよく飲むので、何となく中途半端。
そこで、私が酒屋でワインを購入してくると豪語し、難波辺りに確か酒屋があったはずといううろ覚えの記憶を頼りに心斎橋筋をひたすら難波へと向かう。
引っかけ橋で、お決まりのように引っかけられて、無視しながら目指すと、発見!
店を終わりかけていたところに駆け込んで、ワイン1本とミックスナッツを購入。
嬉しそうにホテルに戻る。
氷で少し冷やしてみて、TVを見ながらワインをあける。
普段余りTVを見ないので、友人が深夜?番組を良く知っているのにビックリ。
どんな番組かとか色々説明して貰う。
タレント名とかも全然疎いので、これは誰?といちいち聞いて教えてもらう。
飲み終わったので、お風呂に入り、泊めてもらう。
ダブルの部屋の予約だから、不法宿泊にはならないよね。
朝は8時に起きて、まだ寝ている友人を寝かしたまま、出かける準備をする。
母と塚口に10時に待ち合わせをしていたからである。
9時半前にホテルを出るとき、漸く起きた友人に「また関西来たら遊ぼうね」と約束して、昨日の御礼を言って帰る。
そう、今日は厄神大祭なのである。
去年はまさしく本厄であった私であるが、それでも大したことにならずにすんだのはお参りしたおかげと、感謝し、お守りと破魔矢を返して、新たにお参りに行く。
もう、後厄なんだから、事もなく終わって欲しい。
日曜日なのでさすがに混んでいる。
「祈祷して貰う?」と母に聞かれるが、すごい列で人が並んでいるのを見ると「まあ、本厄はすんだし、もう後厄だからいいんじゃない」とあっさり諦める。
去年も同じことを言って祈祷して貰わなかったら、色々災難が降りかかった。
今年は無事であってくれればいいのだが。
山伏たちが来て、大護摩を焚いているのをしばし見物し、そえ護摩もすごい人なので記入することを諦め、ぼちぼちと山を下りることに。
折角、門戸厄神まできたのだから、(私はバイトできているが)ランチは当然「ぺぺ」でしょう。
11時半開店のぺぺに行くと、既に予約でいっぱいで入れなかった。
今度来るときは予約をしよう。(いつ来るのかな)
厄除け酒を飲んで、一息ついたら、線路の向こう側にあるフレンチの店に行ってみた。
準備中とは書いてあったが、人が入っていったのが見えたので、それに続いてお店にはいる。ここは無事に入れた。
駅の向こう側もあまり来ないので、気付かないうちに店がいろいろと変わっているような気がした。
ランチをゆっくりいただいてから、家に帰る。
雨がぽつぽつと降り出して嫌だなあ。
次に出かけるのは18時過ぎ。
昼酒飲んで眠くなってきたので、このタイミングを逃さず、すかさず眠れるときに眠ることにした。
本当はビデオを見ないといけないけど、観ても観ながら寝てしまっては結果は同じである。
最近薬の効きがまた悪くなってきているので、睡眠は取れるときに取るようにしている。
さすがにバイト中は寝ませんが。
2時間ほど寝て、ボーっとする頭で、あまりに部屋が寒いのに驚愕。
ガスストーブつけて、布団をかぶりながら、出かける用意をする。
まだ時間があったので、メールのチェックや、年賀状で住所変更やらメールアドレス変更やら携帯番号変更やらを言ってきた人たちの更新をすませる。
時間があれば、ビデオを見るなりメモを入力するなり、する事はたくさんあったのだが、あまり時間がなかったので、些末なことをすませてしまう。
どうやら、雨は止んでいるようだが、折り畳みを持って、またまた心斎橋まで出かける。
今晩はクラブ・クワトロでライブなのである。
関西アンダーグラウンドシーンで、活躍していたパンクバンド「ウルトラ・ビデ」が25年振りに再結成するという。といっても私はこのバンドは聞いたことがないんだけど。
そのゲストに「町田康」が出演するというので、それを見に行くのである。
いつも東京まで行かないと拝めない「町田康」様のご尊顔を、そして歌のシャワーを浴びに行くのである。
ゲストが町蔵を入れて二組あったので、町蔵の出番は2番目。20時過ぎから約45分間のライブでした。
全8曲。かっこいい。感動。涙。
やっぱり、ハード・スケジュールになっても来て良かった。
そこで帰れば良かったんだが、折角来たので最後まで見ていこうと「ウルトラ・ビデ」も聞いてみた。どちらかといえば、ハード・コア系のパンクであった。
ファンの贔屓目、「町田康」が一番良かったよ。
そうして帰ってくれば11時。疲労い憊していたのである。
とにかく帰るなり、お風呂にお湯をはって、ニュースと天気予報を見る。
明日も寒そうだなあ。
この週末はすっかり遊んでしまった。反省。
明日からまたアルバイトの日々が始まる。
明日は帰りが早いし、カイロも早く終わるから、ビデオを見よう。
今週末からまた東京に行くので、それまでにビデオチェックだけはすませておかないと。
最悪、テープ起こしは遅くなるが東京でしよう。
ビデオが早く見られたら、テープ起こしにも取りかからなくては。
はあ、忙しいね。
しんどいので、もう寝ます。
今日は薬が早く効いてくれるといいんだけど・・・
1月17日
今日で、震災から8年がたつ。
時の過ぎるのはなんて早いんだろう。
多くの犠牲者に、合掌。
年末に指導教官からアドバイスがあって、日本舞踊のお師匠さんにインタビューをしてみてはという話があった。
インターネットで検索して、漸く「京都の躾を語る女性の会」というところの提言者になっていはることがわかったが、余りにも年の吹vだったので、今週になって連絡を取ってみたのである。
事務局の方が、刀B蔭静枝師匠にまず連絡をしてくださり、すぐに返答があって、直接本人に連絡を取って構わないということで電話番号をいただいた。
昨日早速連絡を取ってみると、突然だが今日なら空いているので、どうであろうかというお返事。
もちろん、インタビューはその瞬間を逃しては、いつ縁が巡り合わせるかわからないので、即自宅の方へ伺わせていただくことで話がまとまった。
実は今日は日文研で中間報告会が午後から行われている。
それを聞きに行く予定にしていたが、とにかくインタビューが先である。
河原町丸太町にあるご自宅兼お稽古場に伺う。
とても感じの良さそうなご婦人であった。
事前にどんないきさつでどういうことが聞きたいのかということを連絡してあったため、資料まで用意をしていただいていた。
有り難い話である。
1時間半ぐらいインタビューをして、帰り際に「必ずお返しします」ということで、資料まで快く貸していただいた。
いい人である。
どうしようかと迷っていたが、中間報告が気になるので、とりあえず日文研へ。
しかし、残念なことに私が聞きたかった報告は既に終わっていた。
井上先生には無事に会えたので、先生が貸して下さる参考資料をお借りして、「実は今日刀B蔭静枝さんにインタビューしてきました」と報告して、論文のことについて少し話し合う。
「インタビューにいかはるぐらいだったら、元気にならはったんですか?」
「今週の初めの頃はまた体調崩していたんですけど、まあ今は大分ましになりました」
「今度で最後ですね。」
「そうです」
「わかりました。今度こそ通しましょう。今の路線でいいから頑張って書いて下さい。」
うう、プレッシャー。
終わってから、発表者の皆さんにお疲れさまといって、どんな様子だったのか話を聞く。
レジュメも貰うが、やはりその場にいなかったので、よく分からなかった。
大体、恒例で発表が終わるとお疲れさま会をやりに御飯を食べに行くのだが、来週アメリカに戻ってしまう研究生の要望もあり、何故か場所は河原町となってしまった。
さっき行ってきたところなんだけどなあ。
どうしようか随分と迷ったが、どうせ帰ってもなにか食べなくてはいけないので、話を聞きに河原町まで付き合う。
場所は祇園にある餃子の専門店。名前も「泉門天」である。
本当に餃子とお漬け物しか置いていない。
そういえば、この店よく雑誌に載っていたなあと思い出す。
一口サイズの餃子で、パリッと焼けていて結構美味しい。
狭い店なのですぐ満席となってしまう。
みんなすごい勢いで食べていたけれど、ビールを飲むとすぐにお腹の膨れてしまう私は、後半はギブ・アップ。一人で紹興酒を飲んで、お漬け物をかじってました。
しかしみんなよく、食べるよなあ。
これが皆さんの元気の素、健康の素なのかも知れない。
見習わなければいけないのかなあ。
そういえば、今日も、これが1食だけだったしなあ。
帰りは早かったので、カフェ・オパールへ顔を出す。
兄夫婦とも居たので、正月はどうだったかとか世間話をして、コーヒーを飲んで帰った。
帰ると12時過ぎ。
さすがに疲れた。
インタビューで人に会うと緊張するからかも知れない。
週末は忙しいぞー。
ああ、またビデオが見られない日々が続く・・・
テープ起こしもしないといけないのに。うげげ。
1月16日
朝鏡を見て、大分とむくれがましになってきたことを確認。
これなら外に出てもあまり恥ずかしくないだろう。
昨日ゆっくりとお風呂に入ったので、少しは解消できたのかな。
今朝はちゃんと目が覚めた。
と言うより、いつも目覚ましがなる前に目覚めるのであるが、ここのところ寒いので、布団からなかなか出られないのである。
エイッと布団をはねのけて起きあがり、ガスストーブに火を入れる。
しばらくはその前から動けない。
なんて寒い部屋なんだ。
寒い洗面所に行き、顔を洗い、歯を磨き、朝の用意を調える。
今日が今年の初出勤といえども、切羽詰まっているので、内職道具を持ち込む準備に抜かりはない。
「ぴあ」を購入するのを忘れていたことに気付いて、駅で買おうと少し早めに家を出た。
駅に着くと様子がおかしい。
神戸行きのホームにやたらたくさん人が居るのが見えたと思ったら、普通が来てしまった。
あれ、こんな時間に普通なんてあったっけ?
走っても乗れないので、最初から諦めていたし、私の乗る予定の電車はまだ5分も余裕がある。
とりあえずホームにはいると、アナウンスがしきりに流れている。
春日野道で人身事故があって、ダイヤが乱れているとのこと。
とりあえず来た電車に乗ると、丁度いつもの出勤時間に間に合った。
早めに家を出ていて良かった。
初日から遅刻するところだったよ。
それにしても、不況のせいか知らないが、最近人身事故が多い気がする。
迷惑だなあ、と思いながらも、いつ自分の身に降りかかるかも知れないという表現は変だなあ、いつ自分が起こすかも知れないという恐怖感が私にとりつく。
最近は少しは安定しているから?大丈夫かなあ。
昨日の雪に比べれば、暖かいが、それにしてもバイト先は寒い。
一応暖房はついているのだけれども、学生さんの入り口とは別に、事務所に通じる教職員さんや業者さんたちが来る方の入り口は、いつ来ても対応できるように開けっ放してある。
そこからすきま風が入ってくるのでカウンターにずっと座っていると冷えるのである。
まあ、小さい電気ストーブを足下に置いているが、あまりに寒いときは、その前にかがみ込んで暖をとってしまう。
元来私は寒がりなのである。
暑がりでもあったが、新陳代謝の悪いからだへと質が落ちてから、あまり暑いとは思わなくなってきた。暑いことは暑いのだが、耐えられるようになったと言った方が正しい。
年末に購入して貰った無声時代劇映画をダビングするかたわら、ノートパソコンを開いて、書きかけの論文の構成を考える。とりあえず見た映画のメモを入力していき、それを全部眺めた時点で流れをまとめていこうと考えている。
昨年中に終わらせたかったのだが、忙しくてビデオを見る暇がなくなってしまい、とうとう年を越してしまった。
しかし、東京へ行ったりしているもんだから、まだ全巻見終わっていない。
人のつきあいを辞めればいいんだけれど、いつまでたっても断りきれない自分が居る。
情けない。
もう、授業も最終に近いし、暇だろうと踏んでいたが、なんだかんだと間断なく学生さんたちが利用にやってくる。
電話も結構多い。
結局あまり進まずに、17時となってしまった。
重い思いをしてパソコン持ってきたのになあ。
しかし、私は給料をいただいて雇われているのである。そんなことで文句を言っては罰が当たるというもの。
後片づけをすませて、バタバタとしているともう17時半近くになっている。
この後は、謡曲の初稽古である。
1月の第1週に東京に行っていたために、いろいろなことがすべて1週間遅れでやってくる。
大荷物を持って、いざお稽古場へ。
全然稽古していなかったので、記憶はあやふや。
2月に内輪で新年会があるのだが、大丈夫なんだろうか?
さすがに今は優先順位で謡曲を上には持ってこられないのだから、仕方がないのだけれども、先生も少し心配そうである。
ごめんなさい。
帰りは久々に車を運転して帰る。
少し間があいていたので、ちょっと怖かったが、ペーパーになるのはいるので、時々運転するように心がける。
実家に車を置きに帰り、最近出来た焼鳥屋さんに夕御飯を食べに行く。
味は悪くないのだが、ちょっと高いので、まあまあかな。
実は塚口には結構焼鳥屋さんが多いのであるが、どれも今ひとつなのである。
もっと美味しい店出来ないかしら?
家に帰ってきたら、10時過ぎ。
今からお風呂はいって、メールをチェックしていたらすぐに12時なってしまうなあ。
明日に備えて休むか。
今日もビデオが見られなかった。
1月15日
昨日は全身が浮腫んで、顔もぱんぱん。
目もぽっちゃりと腫れていた。
13日の晩に情緒不安定に陥り眠れぬ夜のなか、わんわん泣いていたのである。
目が腫れていたのはきっとそのせいである。
しかし、全身が浮腫んでいたのは体の調子が悪いのであろう。
いつもはするりと落ちる指輪も型がつくほど手もむくれ上がっていた。
すっかり引きこもっていた。
今朝はちょっとましになっていたので、朝から日文研に通う。
今年初である。
会う人会う人に「おめでとうございます」と挨拶して回る。
9時半からバリバリとアルバイトに励む。
何としてもこの嫌なバイトをはやく終わらせたい。
でも契約は3月まであるからなあ。
論文も3月までに書かなくてはいけないし、時間がないよう。
17時まで働いて、院生室に帰って更に1時間残業をして、漸くそのあと論文の作業に取りかかる。
今日は、日文研は朝から雪が降り続いている。
少し日が照って、屋根の上の雪が消えていたのも束の間、あっと言う間にまた銀世界に逆戻り。
寒い寒い。
真っ暗な外を見ながら、作業をしていると過去の恐怖がよみがえる。
雪が積もりすぎて、危うく帰れなくなるところだったのだ。
目を凝らして外を見て、路上にも雪が積もりだしたのを発見。
これはやばいと、さっさと帰る用意をした。
バスの時間を見て、時間潰しに内田研究室のHPにアクセス。
自分の日記をちらりと見て驚いた。
物質、物質と自分ではわかって書いていたのだが、普通の人には訳のわからん文章だったことだろう。
物質は「ぶっしつ」ではなく「ものじち」と読む。
人質ならぬ「ものじち」があるために実家に足止めを喰らっていたのである。
勝手に言葉を作り出して申し訳ない。
バスに乗り遅れるのが嫌で、少し早い目に日文研を出たが、寒いバス停で雪だるまになるのも辛かった。
寒い、早くバスが来てくれ。
今日は雪かも知れないことがわかっていたのに、革靴で来てしまった馬鹿な事。
雪の積もった歩道を滑りそうになりながらおそるおそる歩く。
桂駅について雪が止んでいるのを見たときには、嬉しかった。
既に手足の感覚は寒さでなくなっていたのだから。
塚口駅に着くと何となく暖かい気がする。
家に帰り、軽く夕食を食べて、お風呂にゆっくりと入る。
ゆっくりと暖まって幸せ。
ちょっとは浮腫が取れたかしら?
昨日よりはましだが、まだ顔が浮腫んでいる。
血行が悪いというか、リンパの流れが悪い証拠だろう。
あまりに浮腫が取れないと医者に行くべきなのかしら・・・
活動をまた開始したところなのに、既に体調悪いなんて、ついてないなあ。
明日は女学院の今年初のアルバイトである。
早く寝て、遅刻しないようにしなくては。
1月13日
荷物はまだ実家に置いたままであったが、昨日は些細な喧嘩を友人として、夜の三宮に出かけていた。帰りは家にそのまま帰った。
お風呂に入り、着替えて、母と待ち合わせをしている駅に出かける。
母のお料理の新年会に使う店の下見に行くのである。
今回は嵐山にある「熊彦」。
夜も祖父の誕生祝いで「てっちり」だから、御馳走続きである。
もう胃が疲弊している気がするのだが・・・
嵐山は少し寒かった。
なかなか風情のある館であった。
お料理の方は、大満足。
どれもとても美味しい味でした。
おごってくれた母に感謝。
腹ごなしのために、大河内山荘に行く。
すごい庭である。
昔のスターというのはすごい規模だなあと改めて感心させられる。
幾つかのフィルムの断片が見ることのできる施設があったので、3本ほど映画を見た。
映画と言っても5分も満たないフィルムの断片だけど。
これを全編みたいなあ。
電車で塚口まで戻るともう時間がない。
頼んでいたケーキを取りに行き、服を着替えに家に帰り、会場へ向かう。
93歳の誕生日を今年も無事に迎えられた事に感謝。
お腹がいっぱいではちきれそうである。
またこの連休で太ったんだろうなあ。
東京行く前には、家に戻るとちゃんと体重が戻っていたのに。
明日から規則正しい生活をして、体重をもどそう。
体が重い。
1月11日
昨日が遅かったせいもあるが、頓服が抜群に効きすぎて、なかなか起きあがれない。
もう着物を着ている時間はないと母の叱責を受けて、この前と同じように、家に置いてあったツーピースを着て、出かけることに。
しかし、眠い。薬が抜けきらない。
神戸文化ホールに新春能を見に行く。
しかし、お腹の具合が良くない。
体調があまり良くないと言った方が的確かも知れない。
東京から帰ってきて、ずっと出かけているのだから、仕方ないか。
あまり眠れなくて、薬で無理矢理寝ている状態なのだから。
新春能は能楽2番とも、半分うたた寝してしまいました。
すみません。
仕舞は先生が出るのでばっちりと見ました。
帰りは13日の祖父の誕生日パーティーがあるので、プレゼントを買いに三宮で降りる。
麻雀の計算をするのに、電卓が壊れていたのを思い出して、大きめの可愛いデザインの電卓をプレゼントにした。
帰りは遅くなってしまい、ゴルフから帰ってきた父親が怒っている。
今から作っていたら、もっと遅くなるから、外食にしたら?と提言するものの、がんとしてきかない。
「腹減ったから、はよしてくれ」と怒鳴り散らかしている。
物質のある私は、当然ながら父の相手をして実家に帰らなければならない。
これが嫌だっていうんだよ。
つっけんどんにしていると、父は赤ワインをあけて、グラスについで、「飲むか?」と機嫌を取ってくる。
うっとうしいったらありゃしない。
母とバタバタと夕食の支度をして、くだらないTV番組に付き合わされる。
具合が悪いので、飲んでも美味しくない。片付け物をして、酔っぱらって寝ている母が起きてくれないと、送ってもらえないので、床に転がり本を読もうとする。
TVがうるさい。
そのうち疲れと酔いが回ってきたのであろう。
眠ってしまった。
起きたら1時30分。
もう帰ろうと思ったが、母が泊まっていくようにと伝言を残している。
もうここには居たくないのだが・・・
仕方なく、ちゃんと薬を飲んでリビングのソファで寝直しました。
1月10日
友人は気丈に振る舞っていたが、この後が大変だろうなあ。
人の家のことは別に口出すことはないのだが、これからの大変さを考えると気の毒である。
お父様は55歳という若さで亡くなられた。
合掌。
葬式に参列した私を含む3人で、昼食と一緒に取る。
大変だろうね、などと話し合いながら、お茶を飲んで、私は診察があるので帰ることに。
喪服を脱ぎに帰る時間がなかったから、そのままの格好で診察へ。
今年最初の金曜日の診察だけあって、混んでいた。
「先生、新年4日にもうすでに吐いてしまいました。年末年始ずーっと実家に拘束状態だったのがいけなかったのでしょうか?」
「君は、僕の年末に解釈した嘔吐の話がいたく気に入ったのかも知れないねえ。しがらみから逃れたくてもどしたと思っておき」
「実は東京に行っていて、今年こそ勉学の方に重点を置いていこうと思ったのですが、突然、友人のお父さんが亡くなったので昨晩慌てて帰ってきて、今、その帰りなんです」
「葬式というのはね、死んだ人のために行くんじゃないんだ。その後に残された生きている人のために行くんだよ。だから、友人のためにいいことをしたんだから、行ってきて正解だよ」
なんか波瀾万丈の幕開けの気がする。
嫌だなあ。
携帯にメールが入る。
えべっさんに行く約束を随分前にしていたのである。
どう考えても、今から行くと30分ぐらい遅れる。
その旨を伝えると、待っていてくれるという有り難い連絡。
病院のあとそのまま大阪にでて、阪神電車で西宮へ。
すごい人である。
やはり不景気だからかなあ。あやかりたい気持ちはみんな同じなんだろう。
私も「兄の店が良くなりますように」と願ってみた。
ここでもまたおみくじを引く。
なーんと「大吉」様ではありませんか。
これは有り難く身に付けておくことにして、いつも持ち歩くシステム帳におさめる。
ちょっと屋台で買い食いなどをして、家に帰る。
あわただしい1日だった。
家に帰って休んでいると、母から電話。
そうだ、実家には物質が置いてある。私は喪服と数珠を返しに行かなくてはならない。
仕方なく家を出て、実家に向かう。
下手に着替えがあるせいで、「泊まっていきなさい」と言うことになる。
確かに時間は遅いし、言い分はわかるが、仕方ないのか。
昨日薬を飲んでもなかなか寝つけなかった。
明日は新春能を母と見に行くことになっている。
着物を着ていこうということになり、実家に泊まることにした。
薬を飲むがいっこうに効かない。
東京では結構よく効いていたのになあ。
結局頓服を飲んで漸く就寝。3時は過ぎていたなあ。
1月9日
昨日の夜、0時すぎて、友達と喋っていると携帯電話が鳴った。
友達のお父様が亡くなられたという訃報であった。
お通夜とかお葬式とかはその段階ではわからず、仕方ないので、朝から早稲田に通い、友からの連絡を待つことに。
昼過ぎに連絡が入った。
お通夜は今晩8時から。
お葬式は明日の昼12時から。
今から友人宅に置いている荷物を取りに帰り、慌てて帰阪したところで、お通夜の時間には間に合わない。
まあ、お通夜というのだから、何時になっても構わないのだけれども、家に帰り、着替えて、神戸よりも更に西の所に通夜に行く体力もないし、道が不案内なので、悪いがお通夜は遠慮させて貰うことにして、私はそのまま17時まで早稲田で調べものを続けた。
そのあと、ダッシュで帰り、友人宅で帰り支度をする。
ちいちゃんはゼミの納会で出かけているので、勝手に荷物をまとめて、戸締まりをして家を出る。
今月末にもう一度調べものに来ないと間に合わないことに気がついたので、とりあえず今日は潔く帰ることに。
携帯でちいちゃんに御礼の電話をして、東京駅に向かい、新幹線のチケットを変更してもらい、20時過ぎの新幹線で家路につく。
といっても、家には数珠も喪服もないのである。
仕方ないので、数珠と喪服を借りに実家へ直行。
午前様であった。
あー、疲れた。
明日の待ち合わせ場所だけをとにかく連絡して、お風呂に入って床につく。
1月8日
朝早く出勤していったちいちゃんに続いて、私も家を出かける。
朝は結構冷えるなあ。
道順は、昨日学生さんに地図を書いてもらったので、それを頼りに駅まで行く。
無事迷わず駅までつきました。
電車は混んでいる。
さすが東京、人が多いなあ。
8時半ごろだったのでさすがにすし詰めではないけれど、それでも本が開けないほど混んでいる。
なんか立っていると、眠くなってきた。
6時間はちゃんと眠っていたのにおかしいなあ。
行った当日に無茶したから今ごろ疲れが出てきたのかなあ。
うう、歳かもしれない。
回復力が落ちているんだ。嫌だなあ。
早稲田大学にも今度は間違えずに無事到着。
朝から早速閲覧を申し込む。
しかし、細かい字を読むともなし流していくと、だんだん眠くなり、気がつくとうたた寝をしかけている。頭が雑誌の上に落ちていくのが分かるのだ。
あかん、あかんと思いながら顔を洗ったりして、項目を探していくのだが、午前中の間は眠かった。
お昼も取らずにもちろんぶっ通しでやっていたけれど、午後になると不思議と復活。
先ほどあんなに眠かったのが嘘のよう。
だけど、午前中の捗りが悪かったために、今日も収穫が薄い。
午後になると学生さんの数も増えてきて、コピー機がいっぱい。
時間の無駄なので、コピー機が使えないときにチェックしているところは、題名とページ数、雑誌名を書きとめておいた。
閉架式なので、また出してもらうとなるとまた申込書に書かなくちゃいけないし、欲しい記事さえ分かっていたら、関西に戻ってからもILLで申し込めばいい。
でも、非情にも時間が経つのは早く、あっという間に17時になってしまった。
ああ、後明日1日しかないじゃないか。
金曜日は診察があるので、昼には東京を立たなくてはいけないからほとんど調べられないだろう。
どうしたら上手く要領よく記事を見ていくことができるのだろう。
だけど、ほとんど「殺陣」に関して書かれる記事はない。
作品評などは気を付けて読むのだが、ストーリーの対することがほとんどで、「殺陣」については出てこない。出てきたとしても「下手になった」という記述ぐらいだ。
つらいなあ、読んでいて。
まあ、今ごろになってこういう作業をしていること自体既に間違っているんだけどね。
反省しても時間は戻らない。
日文研の友達で東京に帰ってきている子に連絡してみたら、明日京都に戻るという。
会いたかったけどばたばたしているから、京都でまたゆっくり話そうということになった。
何も、わざわざ東京で会わなくてもいいよね、確かに。
だんだんシステムが分かってきたから、次来るときはもっと収穫を上げて帰ろう。
今回は情けない結果に終わりそうやわ。
帰りに晩御飯になりそうな食材を買って、無事友達の家にたどり着く。
今日の夜は用事で出かけていていつ帰ってくるか分からないという。
考えてみたら、昨日も1食。
今日も夕飯だけ1食だなあ。
また、1日1食の悪循環な日々が戻ってきたのかしら。
でも、年末年始ちょっと太ったから、別にいいか。
お薬はちゃんと飲んでるんだし、粗食は健康のもとよ。
明日はゼミの納会らしい。
ゼミコンパに参入していたときに「なおこも来るか?」と誘われ、つい「はい」と言ってしまった。
そんな人のゼミの納会に顔を出していていいんだろうか。
それよりもしなきゃいけないことがあるんじゃないか?
せめて1日貸し出しでもしてくれたらなあ、もっと仕事が捗るのに悔しい。
昨日の夜なんて、本読めばいいところ、普段は見もしないTV番組なんかをボケらーって見てしまったからなあ。
うう、今日一日反省してしまいました。
まだ、松の内だし、今年は始まったばかりじゃないか。
今年こそ充実した1年を送って、無駄を無くすんだ。
1月7日
昨日の朝は4時半にちゃんと起きて、お風呂に入る。
髪の毛を梶vかして、服を着替えて、薬を服用。
6時前には家を出て、大荷物を抱えながら新大阪へ。
新大阪発だったので、もう列車が来て止まっている。
今日はめちゃくちゃに寒い。
手袋をしていくことにした。
京都に到着すると、銀世界。
寒いはずだわ。
さすがに昨日ちゃんと眠れていなかったので、うたた寝ができた。
新幹線は雪のために30分ほど遅れた。
関東は天気がとてもよく、富士山がくっきりと見えてなんか縁起よさそう。
そこまでは良かった。何の問題もなかった。
だけど、東京駅について、ホームに降り立ったら手袋が一つない。
回送になっている今乗ってきた新幹線にもう一度探しに行くが、どこにも見当たらない。
何でそんな一瞬のうちになくしてしまうの?
すごいショック。
やっぱり3日のおみくじをやぶったんがあかんかったんやろうか。
仕方ないので、気を取り直して早稲田へと向かう。
地下鉄早稲田駅までは良かった。
日文研で入手した地図を頼りに歩き出すと、一向に着かない。
おかしいなあと思って交番を見つけ「すみません。早稲田大学に行きたいんですけど」と道を尋ねると、全く反対方向に向かって歩いていたことが判明。
またまた大ショック。
おまけに何を思ったのかおまわりさんに「受験の下見ですか?」と聞かれてしまった。
こんな老けた受験生おらんやろう。
すごく時間をロスして、ようやくお昼に早稲田大学に到着。
ふと見ると張り紙が張ってある。
冬休みのため、昨日と今日は開館時間が16時までだという。
そんなんネットでは書いてなかったやん。
検索方法を教えてもらい、閲覧申込書に次々と記入していく。
閉架式になっているため、いちいち全部書かないといけないのは辛い。
まず一通り見たい雑誌を書き出しただけで、2時半は過ぎていた。
それから、ようやく閲覧を申し込む。
細かい雑誌の記事から、「殺陣」に関する項がないか、眼を皿のようにして流し読みしていく。あれば、コピーを取る。
関係なくても、今後使いそうなところもコピーを取る。
そうこうしているうちにあっという間に16時。
追い出されてしまった。
今回はちいちゃんのところに泊めてもらうので、夏に教えてもらったとおり、最寄駅まで行く。
予定では月曜日は17時まで、火曜日は19時まで開いているはずで、めいっぱい時間を取って調べようとしていたのに、収穫少なくして帰ってきてしまった。
駅に着いて、電話するとあまりに早かったのでびっくりしていた。
今日はゼミコンパらしい。
私も末席に加わらしていただくことにした。
携帯で指示を受けながらなんとかちいちゃんの家にたどり着いた。
他のメンバーは買出しに行っているそうで、おとなしそうな女の子が二人きていた。
今日の戟v立は鳥団子鍋、赤味噌仕立て。
なぜか知らないが、手伝おうと思って台所に立つと、総ての実権を握って作ってしまっていた。おそろしい。
しかし、今の若い子達はあまりしゃべらない。
というか、私とちいちゃんだけがずっと喋り続けていた。
おかしいな、なんでそうなるの?
初対面の学部生に説教かましている私は何者?
結局1名が最後まで残り、朝の5時半まで飲み明かしてしまった。
8時に目覚ましをかけて寝たのだが、さすがに起き上がれなかった。
起きたのは昼。馬鹿者である。
今日も16時までしかあいていないのに、いまさら行ってもほとんど収穫は得られないだろう。
そこで考えた。どう考えても調べ物は今週では無理だと踏んだ。
1月末にもう1週間、土日も含めて来る事に決めたのである。
だらだらと3人で話していると、どうも私は昨日1人でワインを2本あけたらしい。
二日酔いしてないし、そんなに飲んだのかなあ。
だから起きられなかったのかもしれない。
反省。
ノートパソコンがあるというので、近くにエヴィアンとFDを買いに行き、今日はちいちゃんのところでお仕事をすることに決めた。
全く愚鈍なやつである。
昨日コピーしてきた資料をまとめる。
あーあ、こんなに夕方からの時間があるのなら、ビデオでも持ってくるんだった。
だったら、論文かけたのになあ。
せめて論文のFDを持ってくるんだったなあ。
どうして行く前にそんなことに気づかなかったんだろう。
大間抜けものとは我がことなり。
はじめから早稲田の演博は17時までってわかってたのになあ。
まあ、今日みたいに思わず1日ロスするとは思わなかったけれど。
夕方になって買い物に出かけ、夕飯におうどんを作ってもらった。
ご馳走様でした。
居候ってこういう事を言うのね。
今日は早く寝て、明日は1日頑張るぞー!
1月5日
今日は「志芸の会」といって、能と狂言の会を午後から母と見に行く予定になっていた。
始めは着物を着るつもりだったのだが、あまりの寒さで断念。
といっても服はない。
実家のクローゼットをあさって20年程前に買ったKENZOのツーピースを発見。
上は寒いから毛皮があるのでこれでいいや。
ストッキングを借りて、やせて足が小さくなったため冗談に履いた母のブーツが入ったので、これも借りていく。
今日も関西は寒い。
雪がちらついている上に、すごい強風である。
演目は「翁」と「昆布売り」「釣針」(だったっけ?)
父は雪を心配して早めに広島へ帰ってしまった。
5時前に会が終わり、昨日吐いたのにもかかわらず、前から行きたかったイタリアンの店に母を誘う。
高いから自分ではいけないのだ。
先に買い物を済ませ、店に予約の電話を入れる。
幸い予約は簡単に取れた。
JRに行って帰りの切符を購入し、寒いのでタクシーで店に行く。
念願の「ポンテベッキオ」にやっといくことができた。
う、嬉しい。
さすがに名が通っているだけあって、サービスも良いが、料理はおいしかった。
実家に帰って服を着替え、コンピューターやその他の道具持ってきたものを一式全部持って、車で家まで送ってもらう。
寒さで頭痛が少しする。
疲れたのだろう、きっと。
寒い部屋でがたがた震えながら、東京行きの準備をする。
大体東京のほうが寒いから荷物がどうしても膨れ上がる。
寒いのは嫌だからね。
朝7時の新幹線だから、6時には家を出ないといけない.
気が付けば0時半。
早く薬を飲んで寝なくてはと思い、服用。
癖がついてしまって明日も朝風呂。
4時半起きだから、今から寝ても4時間かあ。
それにしてもぜんぜん薬が効いてこない。
眠れない、眠れないと思っているととうとう2時.
でもいまさら頓服を飲んで朝起きられなかったらいるので我慢する。
ようやく眠りに落ちたと思ったら、浅い夢を見てすぐ目覚める。
眠りたい!!
1月4日
東京に行く準備をしなければならないし、年末から家を放りっぱなしになっていたのでまず年賀状をまとめたり、洗濯をしたりしながら部屋を少し片付ける。
午前中はそんな雑務に追われ、午後になると実家に荷物を取りに帰る。
光熱費を浮かせるために、実家で少し仕事をした。
今日も両親はゴルフである。
結構なご身分でよろしおすなあ。
実家に向かう途中、あまりにも寒いと思っていたら雪が降ってきた。
うー寒いよ。
16時ごろになると両親が帰ってきた。
エー、もう一人の時間が終わっちゃうの。がっくり。
父が肉を食べに行きたいという。
当然その場にいた私は誘われる。
お肉ですか、ちょっとヘビーかなとも思ったが、昨日の晩御飯はけってしまったので、しぶしぶ承諾する。
祖母から連絡が入り、祖父が全然元気がなく、昨日は一人で起き上がることもできなかったという。大丈夫なんだろうか?
心配なので、夕飯の前に少しだけ顔を見に行く。
話を聞くと、今日のゴルフは親戚が集まっていたので、祖母に頼まれて万が一のときのために、祖父の葬式の相談をしてきたそうである。
なんかますます嫌な感じ。
でも、祖母はいざというときに慌てるよりはいいと言うから、それも仕方ないだろう。
私だって、万が一のことは常に覚悟している。
だから、祖父母の誘いは極力断らず、頻繁に顔を見せるように努力だってしているのだから。それが負担になっていないとはいえないが、仕方がないのだ。
今年は年末から数えて、いつになく実家にいる日数が多い。
多分そのせいだろう。
ステーキは食べに行ったものの、全部食べきれずに残してしまった。
おまけにまたまた店でもどしてしまったのだ。
初吐き。
身体さんは正直だ。
もう少しいたわってやらなくては。
今日は薬を飲んで早く寝よう。
しかし、仕事がはかどらないなあ。
うーむ、いった。
1月3日
朝から布団をなおして、置いていかれた洗い物を済まし、コーヒーを入れて一息つく。
いつのまにかすごいコーヒー中毒になってしまった。
四六時中飲んでいるような気がする。
昨日の夜断念したお風呂に入る。また朝風呂だ。
着替えて髪の毛を梶vかして、箱根駅伝をつけながらおせち料理の準備をする。
大体このメンバーは時間どおりに来たためしがない。
そこを計算に入れて12時集合とメールを打っておいた。
大正解。みんながそろったのが1時過ぎである。
昼からワインが4本もあく。
よく飲むメンバーである。
人数は6名なのに。
今年は母がお重に酢蓮根を詰め忘れたために、大量に酢蓮根があまってしまっていた。
作ったのは私だから、責任を持って酢蓮根をバリバリ食べる。
ちょっと今年はあまりが多かったので残ったらどうしようかと心配していたが、ほとんどきれいになくなった。
それでもあまったものは、持ち帰りをしてもらった。
これで御節もすっきりとなくなった。
毎年なら、この後ゴルフ帰りにおすし屋さんに両親が行っているので、そこに合流するのだが、今年は友人と初詣の約束をしていた。
みんなと一緒に家を出て、三宮に向かう。
雨が降っていて外は寒い。
お気に入りの毛皮が少しぬれてしまった。
おみくじを引くと「吉」。
降りしきる雨の中結んで帰ろうとすると、紙が雨にぬれてもろくなり、破れてしまった。
げげ、なんか縁起悪そう。
いやいやそんなことはない。
大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。
それからご飯を食べに行って、といってもさっきまでだらだらおせち料理を食べていた私はお腹がすいていないから、つきあうだけつきあって、ほとんど食べられなかった。
ごめんね。
それからしばらく遊んでからおうちに帰りました。
久し振りの我が家は冷え切っていてとても寒かったけれど、やっぱり落ち着くね。
疲れがたまってきているから、今日は頓服も一緒に飲んで寝よう。
1月2日
昨日一度家に帰ったものの、着ていく服がなかったために、実家の服を借りていたために結局戻らなくてはならなくなってしまった。
どうせだから実家に置いてあった荷物を一度引き上げる。
でも、明日は実家で昼間から中高時代の仲間がうちのおせち料理をさらえに来る.。
昼間からするので、結局今晩も泊まったほうが都合がいいだろう言うことになってしまった。
仕方ないので、パソコンは実家に置いておいて、服だけを交換してくる。
今日は、毎年恒例の親戚が一同祖父母の元に集まり、新春の挨拶をする日である。
昨日の夜が遅くて、お風呂に入れなかったので、また朝風呂だ。
生活が崩れていっているよなあ。
まあ、いつも元旦には家に帰ってしまっているのに、今年は不覚にも元旦も実家に泊まることになったから、2日目のお雑煮をいただくこととなった。
正月らしいといえば、正月らしい。
うちは元旦は白味噌のお雑煮である。
二日目はおすましで焼餅という関東風のお雑煮になる。
なぜだか知らないが、小さい頃からずっとそうであった。
あまりお餅が好きでないため、ここ何年かぶりに2日ともお雑煮をいただいてお腹がいっぱいである。
お風呂から上がると、メールのチェックをしてさて一仕事。
今度行われる謡曲の新年会の番組作りである。
それから年賀状のお返事を書いて、あっという間に宴の時間に。
祖父が年末に転んだことがショックだったのか、大分と弱ってきている。
弱ってきているというよりは、本人が弱気になっているといったほうが正しい。
あまり歩きたがらないから、足腰がますます弱っていくという悪循環だ。
薄情なようだが、少しボケてきているような気がする。
昔はあんなに気丈で、恐くて厳格な祖父だっただけに、見ていて心配だし、なんか少し辛い気がする。
まあ、今年で93になろうというのだから弱ってきても当たり前かもしれない。
会社一筋の人間だったために、仕事がなくなるとこうも覇気がなくなってしまうものかと改めて実感させられる。
わがままかもしれないが、やはりいつまでも元気でいて欲しいと切に願う。
祖父母の実家に親戚が集まると何かと大変だから、いつも近くの中華料理屋さんを借りて新年の挨拶をしている。
経営状況が悪いのか知らないが、年々閉店時間が早くなってきている。
ということは開始時間を早めなくてはならない。
今年はなんと16時半。
中途半端な時間だ。雑煮がブランチになってしまった。
店までもう自力では歩いていくことができなくなってきた祖父を迎えに、16時過ぎに車で母といっしょに行く。
久し振りに従兄弟たちとも顔を合わせる。
毎年同じ事を聞かれるので、この瞬間はいつも嫌な思いをするんだなあ。
いつ卒業するのか、何になるのか、結婚はしないのか?
もううんざりだ。
私だって早く学位とって卒業したいよ。
就職だってあればしたいよ。
結婚だって否定しているわけではない。ご縁がないのだから仕方ないではないか。
どうしてそんなに人のことが気になるわけ?
ほっておいて欲しい。だってあなた方の生活に何ら影響を及ぼす問題ではないのだから。
食欲もないし、一番理解のあると思われる義姉と話をしていた。
量ばっかり多くて、結局半分しか食べられず、宴は終わった。
実家に戻って、兄達はおせち料理を持って今日から店を空けているそうだから、直行で帰っていった。
私はあまりにも疲労してしまい、ソファに崩れ落ちる。
何がこんなに私を疲れさせるのか。
それは言ってはいけないこと。だって皆さんが悪いのではないから。
はあ、今日も長い1日が終わりました。
明日ゴルフの両親に早く寝てもらい、ようやくこうして一人になって日記を書いている。
明日のこともあるからあまり夜更かししないで、薬飲んで寝よう。
2003年1月1日
新年あけましておめでとうございます。
今年も皆様にとって良きとしになりますようにお祈り申し上げます。
今年は後厄である。
しかし、昨年は怪我はするわ、論文は落とされるわ、体調は相変わらず安定せんわと本当に厄年でありました。
なので今年こそ、厄払いが効いてくれるといいんだけど。
まあ、新たな年に向かって抱負でも立てましょうかねえ。
まず、不眠症を治すこと。鬱から脱出せねば。
それから今年こそ学位をゲットするぞー!
そのためには、アルバイトを極力減らして、しっかり勉強をせねば。
とにかく要領が悪いんよねえ。
時間の使い方とかね。
これを改善して、時間を無駄にせず毎日を充実させて過ごさねば。
と威勢のいいことを書いているが、実は実家に泊まること3日。
疲れが溜まっている。
実に嫌な気分になってきているのだ。
はやくお家に帰ってゆっくり眠りたい。
自分の時間がゆっくりと欲しい。
昨晩漸く、論文に必要なビデオを夜中に見ることができたが、あまりの疲れで、半分見て断念してしまっていた。
今日も続きが見たいが父がTVのチャンネル権を握っているので見ることができない。
仕方ないので、新春の清めとして朝風呂にでも入る。
今年はよい年になりますように。
8時30分頃電話が鳴って、兄が10時半頃に来ると行っていた。
もっと夜中に来ると思って敷いておいた布団類が、結局邪魔なので、座敷に移動する。
ついでに私の掛け布団も座敷に移動する。
それから、新年の御祝いの挨拶を母と共にする。
11時過ぎに漸く二人が到着した。
朝まで店で仕事をしていて、寝ずに実家に直行したとのこと。
眠たいだろうが、とりあえず新年の挨拶と御祝いだけはすることに。
おとそを飲み、お雑煮とお節料理に舌鼓を打つ。
自分で作ったものを絶賛するのも何だが、今年も失敗作もなく美味しくできたと思う。
一応、母の作ったものも含め、全種類は食べることにしている。毒味である。
お腹も一杯になり、兄夫婦はそのまま座敷で爆睡。
羨ましい限りである。
母と私は後片づけをしたあと、祖父母の家に新春のご挨拶に伺う。
兄たちを起こさねばならないので、家に帰り、ふと見るとTVがついていない。
よし、今がチャンスとばかりに、TVを独占。
有無をいわさず残りの映画を見終えてしまった。
一つづつこうして仕事が進んでいくのは、元旦早々良いことではないか。
夕食のおせちをまた並べ、兄たちはお風呂に入ったあと、コーヒーを飲んで一服してから義姉の実家へといく準備をしている。
なんか生活がだらだらしているせいか、お腹が空かない。
だけど折角作ったおせちなんだもん。食べなくちゃね。
酢の物が身体に良いと効いたので、お酢のものを中心に夜は食べようと思っていた。
すると携帯が鳴った。
友人からである。
昨日おせちを作っている忙しい最中にかかってきたので、すっかり忘れていたのだが、元旦の夜に遊びに来るようにいわれていたのである。
「なおちゃん、いつ来るの?」
丁度兄たちが家を出る時間である。
「御免。御免。今から行くわ」
慌ててワインを1本手土産に持参して、住吉大社の近くにある友人宅に集まる。
懐かしい顔ぶれが見られる。
みんな久しぶりだねえ。
結局、11時過ぎに家に帰り、全部の荷物を置いてきてしまっているために、仕方なく実家に戻る。
荷物さえなければ家に帰れたのになあ。