オガワの不眠日記・2002

 

12月31日

朝から着替えてバリバリと働く。

偉そうなことをいっているが、私は出し巻き玉子が苦手である。

手首のスナップが上手く利かせられないので、厚くなってくるとひっくり返して巻いていくのが崩れてしまうのだ。

だからって焦げ目がついても美味しくないし。

半熟の薄い膜を崩さずに巻いていく、素早い動作がまだまだ修行不足である。

たん熊でも何度か挑戦しているが、いつも社長に怒られる。

料理人の職人芸だと私は思っている。

だし巻き玉子なんてフライ返しを使えば簡単って思っている人も多いだろうな。

いやいや料理は奥が深いのである。

何とか3本巻いて、巻簾で松型に形を整える。

お正月だから、松型。縁起もんですなあ。

バタバタと料理を母と続けていると、突然電話が鳴った。

祖母からである。

何と今年は一回も入院せずに元気で過ごせたと思った祖父が、点滴の帰りに転んだらしい。

頭を打って深く切れたらしいというのだ。

最後の最後に大丈夫か!!

伯父と大叔母がいたので、とにかく私が以前御世話になった救急病院に電話をして、タクシーで連れていく。

こう言うときに限って父はどこかへ出かけていない。

いればすぐに車が出せたのに。

こちらは手が放せないし、行ったところでどうしようもないので、とにかく料理を作っていると伯父から携帯で連絡が入った。

骨に達するまで深く額を切っているらしいが、他はどこも怪我をしていないので、内側と外側を縫っているらしい。そのあとはレントゲンを撮るということだ。

父が帰ってきたので、とにかく事情を説明して車で病院に迎えに行って貰う。

時間は昼時。

帰ってきたら「昼飯は」と言うに決まっているので、デリバリーのピザを頼む。

 

父が帰ってきた。

様子を聞くと意識もはっきりしているし、大丈夫らしい。

単なる外傷だけだといいんだけど。

一週間以内にふらーとすることがあったら、CTスキャンを撮るということらしい。

昼食を終えた母が、祖父母の家のお重を取りに行くついでに様子を見に行く。

その間、私は最後の品目を作り続ける。

なんてあわただしい晦日なのだ。

母が帰ってきて様子を聞くと伯父と伯母と一緒に麻雀をしているらしい。

まあ、そんな元気があるのなら安心してもいいだろう。

ビックリさせられた。

本人に事情を聞くと、倒れたことは覚えていないらしい。

貧血か脳の毛細血管が詰まったか、とにかく意識がふーっと切れて、壁かなにかに頭をぶつけてそのままずるずる倒れたようだ。

近くを通りかかった女性がすぐに助けてくれたという。

有り難いことである。

骨折もせず、運の強い人である。

 

さあ、あとは切ってお重に詰めるだけだ。

まず片っ端から切っていき、机の上にずらーっと並べていく。

もう一つの小さい机の上にはお重をずらっと並べる。

いつも詰めるのは母の仕事だったが、今年は時間にも余裕があるし、半分は私が担当。

盛りつけを覚えるのにいい勉強になるからだ。

18時前には完成。

ここ2〜3年のなかで一番はやく完成したのではないだろうか。

 

父と母は各家にお重を配りに出かけた。

残った私は洗い物をして、家のお重は後回しになっていたので、そこに詰めていく。

入りきらないものはタッパなどに詰めていく。

すべて終わり、座敷に行って今度は鏡餅を飾る。

その後、知人の家に私もお重を届けに行く。

おせちの御礼にワインを御馳走になって帰ってくる。

 

腰を落ち着けて年越しそばを食べている。

これで本厄の年も終わりである。

二回も論文を落とされて悔しい思いをしたけれど、新たな年を迎えるに当たって、今年こそは論文を通すぞ。

皆様にとっても、良い年になりますように。

 

12月30日

実家にはまだ私の部屋が残されているのだが、震災以来あの部屋では怖くて眠られない。

なので、いつもリビングのソファで寝ている。

朝、皆が起き出してきて、リビングに集まってくるので、自然に私も目覚める。

顔を洗って、用意をして、買い出しに出かける。

不況なのか、お節料理を作る人が減ったのか、毎年レジの混み具合が減ってきているような気がする。

それでも並ばなくてはならないことには違いないので、結構時間をとられる。

帰ってくると、お昼前。

先にお昼御飯を済ませてから料理にかかろうか、という話になり、掃除の手伝いに来てくれていた大叔母と一緒に簡単に昼食をすませる。

 

それでも時間がもったいないので、昼食の準備をしながらだしをとる。

毎年のことなので、もう誰が何を作るとかいちいちいわなくても、目についたものから手をつけていく。

今年は去年よりも品数を減らしたと思っていたんだが、あまり変わらなかった。

まあ、私の体調が昨年よりもいいためか、料理はスムーズに進んでいく。

作り馴れてきたということもあるだろう。

ほとんど座ることなく、つぎつぎと仕上げていき、気がつけば16時半。

私は別にいいのだが、大叔母に悪いので、お茶の時間にして一休憩。

父もいるが全く役に立たない。

まあ、毎年のことなんだが、逆に邪魔をするので困る。

しかし、今年は見るでもなくTVを意味なくつけて、チャンネルをぐるぐる変えるという愚考をしなかったのが助かった。

おかげでBGMのCDをかけて、心地よく料理が出来た。

 

あっという間に7時になる。

夕食を作っている暇もスペースもないので、毎年30日の夜は行きつけのお寿司やさんに行くことになっている。

足りなかったもの、買い忘れたものを買いだしてから寿司屋に向かう。

さっき、お茶をしたばかりなのでお腹は空いていない。

というより、いくら何度ももどしたとはいえ、続く忘年会で私の胃は飽和状態にある。

もう何も食べたくないのだ。

それに料理している間に味見もしているからなおさらだ。

だけど食べないわけにはいかないし、適当にお造りなどをつまむ。

お酒を飲んでいると、母から「帰ってからも作業があるのよ」と釘をさされる。

そんな酔いつぶれるほど飲みまへんがな。

飲みながら、料理することにも数々の宴会で場数を踏んできたし、大丈夫。

そんなん自慢になりまへんがな。あほ。

結局、作業を終えたのが、0時過ぎ。

これで明日は足のはやそうな卵料理などを残して4品ほど作れば完成である。

今年はなかなか好調に事が運んだ。

最近宴会もそんなにしていなかったので、思いっきり料理するのはなかなか楽しい。

 

あとはお風呂に入って、少し一人夜の時間を過ごして寝ることにしよう。

といっても、もう2時すぎているんだけどね。

 

12月29日

今日は錦に買い出しである。

新年会に使いたい店を探すためにお昼は豪華に懐石料理である。

「梅むら」というところに行く。

雰囲気は京都の老舗らしい店構えである。

料理旅館らしい。

11000円のコースをいただく。

いつも1万円に統一してあちらこちらの店を食べ歩いて研究しているのだが、この店は最低額が11000円だったのである。

まあ、私は御馳走になるのだから文句は言いませんが。

最初の八寸は使えそうなものがでてきて、なかなか参考になると思った。

だけど、それは最初だけ。

椀ものはちゃちい。

しかも料理を出すペースが速い。

板場と仲居さんがちゃんと連携が取れていない証拠。減点。

煮物があら炊きで、焼き魚がサーモン。

どちらもこってりしている。

お口直しに酢の物が欲しいところだが、それもでてこず、何の工夫もない天麩羅。

あとは御飯と水物か。

これじゃあ、悪いけど8千円ぐらいのコースだよ。

お味も特別上手いというほどでなく普通。

母と食べ歩きをしていて、大体わかってきた。

素材の使い方、店の対応いろいろ目につくところが広がる。

料理研究家になろうかしら。

日本料理の店紹介とか本が書けそうだわ。

結構辛口だけど。

 

錦に買い出しに行く。

毎年行くと今年は何が高いとか、どんなものがよく売れているとか、動きがわかるようになる。

日曜日だったけれども、相変わらずすごい人である。

お目当ての品物を買ったら、カフェ・オパールへ行く。

兄夫婦のお重を持って帰るためである。

紅茶をいただいて、荷物をかかえて家に帰る。

一度荷物をおいてから、私は家に帰り、泊まりの用意をする。

夜は仕事したいし、メールのチェックも必要だから、ノートパソコンも持参。

明日、明後日と2日間かけておせち作りだ。

年越しはそのまま実家にいることになる。

3泊分の用意が必要だな。

用意が出来たら、車で迎えに来て貰い、家に戻る。

 

夕飯は作っていると大変なので、近くのインド料理屋さんに行く。

久しぶりだが、いつ行ってもここの料理はうまい。

今年最後の営業日だったのでラッキー。

 

実家に戻ってからは、早速下準備をはじめる。

明日までゴミの回収があるので、野菜の皮をむいたり、生ものの下処理をしたりして、出来る限り先にゴミがでるものから手を着けていく。

あとは、野菜の飾り切りである。

今年はくわいを鈴型に切ったのだが、以前やったときは上手くできたのに、今年は失敗ばかり。

手元が狂ってしまう。

疲れてるんかなあ。

もう2時。お風呂に入って、明日のために早く寝なくちゃ。

 

12月28日

昨日診察に行ったわりには元気がない。

何となく引きこもり。

誰にも会いたくないなあ。

でも、明日から3日間実家に拘束される。

今日はゆっくり1人の時間を守ろう。

明日からの生活に対する気持ちから守りに入ろうとして引きこもり気味になっているのかも知れない。

とりあえず、ビデオを片付けたり、ルイボスティーを沸かしたりして、大掃除とまではいかないが、掃除をしたりしていた。

だけど、全然元気じゃないんだよね。

情緒不安定になっている。

涙がこぼれて来るんだから。

自分でもどうしてなんかはわからない。

今年最後になって情けないなあ。

鬱に陥りそうだよ。

 

やりかけていたものが手に着かず、ボーっとしながらぽろぽろ泣いたりしていたら、友人からメールが入った。

夕食を一緒に食べようという連絡。

どうしようかな。

あまりそんな気分ではないけれど、今日は一歩も外に出ていないし、出かけるかあ。

 

帰ってきたけれど気分転換にあまりならなくて調子が悪い。

でも明日から年始にかけては、張りついた笑顔の日々が続くんだ。

仕方がない。

 

どうしてなんだろう。やはり論文落とされたことが思いの外響いているのかな。

情けないなあ。そんなこと考えている暇があれば、1行でも書けばいいのに。

ぽろぽろとこぼれ落ちる涙。

これも毒素抜きなのかしら。

 

12月27日

朝起きるとすごく寒い。

寒くて布団からでられない。

でも、今日最後の仕事納めに日文研に行かなければならない。

今日は最後の診察でもある。

6時前には目が覚めていたんだけどね。

用意をして着替えたんだけど、またもや出られない。

おい、最後の締めぐらいキッチリしようや。

といっても出られないものは出られない。

完全に忘年会続きの疲れが出てしまっている。

朝から気分も悪いし。

結局断念。

アルバイトの上司に当たる方々にメールでお詫びを入れる。

返事が返ってきて、「雪だから来ない方が良かったかもしれないよ」と優しいお言葉。

そうか、やっぱり日文研は雪だったか。

 

今日は寒いもんね。

家で片付けなどしていたら、メールが入った。

出張で上海に行っていた友達が、仕事で近くまで来るから、昼食を一緒にしないかと誘ってくれた。

久しぶりなので、一緒に昼御飯を食べた。

お腹が疲れているのでほっこりとおうどんにした。

上海の話を聞かせて貰う。

英語が通じないし、なかなか大変みたいだ。

これから2〜3年は上海に行くことになると言う。

そういえば、友達も旦那の仕事でドイツに行ってしまったなあ。

アメリカに行った友もいる。

みんな国際的に活躍しているんだなあ。

 

御飯食べてから、別れて診察に向かう。

ちょっと寄り道をしてから言ったら、受付時間ぎりぎりになってしまった。

さすがにもう空いている。

30分ほど待って、名前が呼ばれる。

 

「忘年会続きで、胃が弱っているみたいですね。」

「忘年会行ったの?偉いね」

「でも、3回に1度ぐらいの割合で、もどしてしまって。もどしてもどしてすごく苦しいことが多くて」

「うん。それはいいことだよ。つまりね、君が一年間、肚にためてきた辛いこと、悔しいこと、怒りや恨み、そういった嫌なことを、身体が代わりになって、食べ物や飲み物を吐き出してくれていたんだよ。身体はしんどいだろうけど。毒素が抜くことになっているんだから。」

「体は弱ってしまって、発疹が出たりして、大変なんですよ」

「それは仕方がない。でもかなりもどしたんだったら、肚にためてきたことが出されたと思うよ。だから精神的には健全になろうとしているんだ」

「なんか最近人間関係の方も、しんどくなってきて他人が何を考えているのかよくわからないときがあるんです。私はこう思って話していたら、誤解されていたり」

「今の若いやつは何を考えているかは僕にもわからない」

「若いっていってもそんなに若くないですよ」

「僕より3つ下以下はみんな若い。何を考えているかわからないから、上手くアドバイスできないけれど、気にせんとき。薬は変えないから。」

 

こうして、今年最後の診察が終わった。

いつになったら薬が減らされるようになるのだろう。

いつになったら通わずに、先生に頼らずに生きていけるようになるんだろう。

今年もこの先もどしていくかも知れない。

でも、これは毒素抜きなんだ。

吐いても気にせず、強く生きて行かなくては。

 

12月26日

女学院にて今年最後のアルバイト。

さすがに学生さんは冬休みに入って、誰もきまへんがな。

誰も来ないのをいいことに、DVDを観るわ、ビデオのダビングはするわ、でやりたい放題。

今日見たのは『ムーラン・ルージュ』。

なかなかおもしろかった。

ちょっとご都合主義的なところはあるけれども、エンターテイメント性が高い作品。

ミュージカル映画ですね。

音楽がふんだんに使われて、セリフが歌に変わって。

 

見終わったら眠くなったので、少しうたた寝。

RAのバイトでは考えられない夢のパラダイス。

時給は半額だけれどね。

それにしても誰も来ないなー。

そうだ、年賀状の表書きをしなくては。

机に向かって、住所録を広げて表書きをすませる。

なんて有意義な1日だったんだろう。

ほんまに罰が当たりそうですわ。

 

年賀状足りなかったのよね。

実家に余っていると聞いたので、取りに行くことにした。

すると母が今からお通夜に行くという。

この年の瀬に大変だなあ。

余っている年賀状は両親の住所と名前がプリントされているので、失礼かとは思ったが、その部分を修正テープで消して、私に住所と名前に書き換える。

せこいことをしてすまない。

 

そうこうするうちに母が通夜から帰ってきた。

最近全然元気のない祖父の所に今から御飯を食べに行くので同行せよと言うことであった。

そういえば、この前熱を出していたし、ちょっと心配だもんなあ。

最近また寒くなったから、老体にこたえるのであろう。

行くと、いつものように寝転がっている。

あまり御飯も食べていないようだ。

聞くところによると、最近麻雀もしたがらないと言う。

あれは、祖父母の呆け防止のためにみんなでやっているというのに、肝腎の祖父がしなければ意味がない。

無理にでも起こして一回はさせるが、頭がちゃんと働いていないのか、集中力に欠けているのか、ふりこんでばかりいる。

なんか心配だなあ。

祖父には可愛がって貰っている分、心配で仕方がないが、何もできない無力な自分。

私はちっぽけな無力な存在でしかないんだ。

 

12月25日

メリー・クリスマス!

朝から日文研で働いてましたわ。

バリバリとRAをこなしている。

いろいろな先生方が通りがかっては「何それ?」と聞いていく。

「RAなんですよ」

「ふーん、大変そうやね」

先生、だから私は論文書けなかったんですよ。

どうにかしてください。という気持ちに駆られる。

 

いやいや、こんな時期にこういうバイトを引き受けた方が悪い。

落ち度は金に目がくらんだ私の方?!

どちらにせよ、辛すぎる。

でも、私よりずっと働いて、論文書いている人も世の中には、たくさんいるはず。

こんなんで愚痴ってたら、絶対罰当たるだろうなあ。

はあ、自己嫌悪。

 

自己嫌悪にとらわれながら、コーヒーを飲みに院生室に帰ると、忘年会のお誘い。

いや、クリスマス・パーティーかな。

先輩達が結構揃うと言うではないか。

メンバーも久しぶりに話す人もいるので、懐事情は苦しかったけれど、行くことにした。

17時に仕事を終わらせる。

金曜日の診察時間まで朝から働く予定だけれど、今の私は怪しいので、一応出勤簿を提出しておく。

 

17時15分に玄関で待ち合わせ。

通り掛かった先生に「また忘年会か?論文はでてけーへんのにな。金はでるんか」と嫌みを言われてしまった。

くー、胸にぐさぐさ刺さる言葉。

言葉は凶器だね。痛いよ。

 

フランス風に言うと、ジビエを食べに行った。

つまり普通の肉ではなかったこと。

鹿刺し、合鴨、いのぶた、熊鍋、いなご。

熊の肉は薄くてちょっとしかなかったので味がよくわからなかった。

イナゴは前にも食べたけど、虫嫌いの私はビジュアル的に駄目である。

それでも喰わされたけど。

鹿刺しは美味しかった。

スウェーデンで、大角鹿やトナカイとか食べたけど、それよりは臭みがなかった。

 

だんだんお酒が回ってきて、先輩に抱きついて「12月の草稿落とされてしまったんですよ。悔しい」って泣きついてしまった。

優しいからみんな慰めてくれだけど、よく考えれば、自分が悪いんだもんね。

人に泣きつく行為自体が腐っている。

腐敗。腐臭。朽ちていく・・・

 

12月24日

クリスマス・イヴ。

別に予定はないって、忘年会があったか。

先生とおばさまたちとの忘年会なんて楽しいことないんだけどね。

人数が少ないから借り出される。

仕方がない。

 

12時集合だったので、午前中のうちに婦人科に通った。

年末年始で休みにはいるので、トラブったら嫌なので予防線に行っておいたのである。

いつもはがらがらの診察室が、年末のせいか混んでいる。

しまった、目算を誤った。

病院を出たら丁度12時。

ここから歩いて15分はかかる。

あたふたと慌てて歩いていると、10分ぐらいしたところで携帯が鳴った。

「みんな揃っているのに、どこにいるの?」母からである。

事情を説明して、あと5分でつくと伝える。

 

皆さん勢揃いであった。

お待たせして申し訳ございませんでした。

料理はお鍋である。

何もしない人々がいるから、仕方がなく鍋奉行をすることになる。

ぶつぶつけちだけをつける人がいる。

もう、だから嫌なのよねえ。

あと1時間いや、30分宴会が続けば、私はまた食べたものを吐きはじめるだろう。

理由は簡単。

ストレスである。

 

一応今日は吐かなかった。

だけど少しいらいらしていたので、年末の大掃除に向けて、薬局巡りをして、買い物をして発散する。

日常必需品の出費だから、買い物で発散するのも変だが、それでも少しは落ち着いた。

 

家に帰ると少し疲れている自分を発見。

吐きたくないので、ゆっくりと休憩することにした。

昼間から酒を飲んでいるから、少し眠気を感じる。

「眠れるときに寝ておきなさい」という主治医の言葉を思い出して、ごろりと横に転がった。軽いうたた寝をする。

 

夕方になってぼけーっとしながら、年賀状の表書きしなきゃなあなどと考えている。

でも論文も書かなきゃいけないし、と思いながらとりあえず、ニュースを見ようとTVをつけた。

新聞を取っていないのでTVのニュースを見ないと社会で何が起こっているのかが把握できないからだ。

ここのところ忘年会続きだったから、まともにニュースを見ていない。

昨日は実家で久しぶりに新聞を読んだ。

ニュースを見ていると、友人からクリスマスメールが来た。

この友人は、いつも私が弱っているときにジャスト・フィットでメールや電話をくれる。

本当にどこかで見ているんじゃないかと思うほど、いつもいいタイミングで連絡をくれるのだ。

本当に有り難い友人を持って幸せだなあ。

大事な大事な友人たち、知人たちを私は大切にします。

 

12月23日

久しぶりに予定のない日。

休日だからアルバイトもお休み。

 

未だにコンピューターが使いこなせない私は、原始的にプリントごっこで年賀状を作っている。

今日作らないと間に合わないと思い、実家に出向いていって、プリントごっこで年賀状作り。

本当はまだ論文を書かないといけないけれど、年始の挨拶も必要だしね。

朝は家の片付けを少しして、母の分と昼御飯を買って実家に向かい、御飯を食べたら、ぱかぱかとプリントごっこをする。

年々手抜きになって行くなあ。

今日1日乾かして、明日母に持ってきて貰うことにした。

明日は、謡曲の方の忘年会がお昼間にあるのである。

 

コンピューターを持っていっていたので、この前ビデオで見ながらメモったことなどを打ち込んで、論文の構成を考える。

はあ、なかなか捗らないなあ。

 

そういえば、謡曲の新年会の番組を渡された。

これを清書して打つのも私のお仕事。

来年でいいと言うから、これは正月にでもするかあ。

 

母は祖父母の家の夕方出かけていき、私はまだ実家で仕事を続けていた。

ちょっとせこいけど、光熱費が浮くからである。

家にいると寒がりの私はついついガスストーブをつけてしまう。

おかげで、先月からガス代が鰻登り。

ひえー、どうしよう。

でも寒さは我慢できないのよねえ。つらいところ。

実家の冷蔵庫の掃除をしてくれと頼まれていたので、冷蔵庫や冷凍庫を漁って夕食をこしらえる。

食べてから暫くして、またもや気分が悪くなってしまった。

冷凍していたものが悪かったのかも知れない。

遂に我慢できずにトイレに駆け込んでげーげー吐きはじめた。

なんかこの前も吐いたばかり。

やはり胃腸が弱っているのかなあ。

気持ちが悪いったらありゃしない。

そんな量は食べていないんだけど。

食べたものが悪くて吐いているのならいい。胃腸が弱っていて受け付けずにもどしているのなら構わない。

ただ怖いのは、心身症によって吐いているかもしれないということだ。

修士のころ、まだ実家に一緒に住んでいたころの話である。

私は父と母と一緒に食卓に着くのがとても嫌になってしまったことがある。

時間帯をずらして、いつも一人で勝手につくって勝手に食べていた。

既にこのころは不眠症に陥りかけていた。

そのうち、実家で食べたものを吐くようになったのである。

両親と一緒に食べるのが嫌で吐いているのならまだ話が分かる。

両親が出かけていて、たった一人実家にいて作って食べたものも全部吐きはじめたのである。

外食をすると吐かない。

家で食べると吐く。

心身症だと忠告され、私は実家を出たのである。

今の家に落ち着いてからは、吐くこともなくなった。

 

それを思い出して、吐きながら、この家(実家)と相性が悪いのかなあと考えていた。

今度診察の時に相談してみよう。

 

なんか今日は、間延びした1日でした。

気分悪いよ〜。

 

12月22日

久しぶりに髪の毛を切りに行く。

昨日泊めてもらった友達が、一度連れていって欲しいというので、一緒に予約を入れた。

あまり安いお店じゃないので、ちょっと恐縮だなあ。

私は好きでずーっと通っているから、今更他の美容院に返る気はないからいいけど。

気に入ってくれるといいなあ。

彼女は神戸が初めてというので、カットのあと神戸で遊ぶ約束をしていた。

 

今回はストレート・パーマをあてた。

お金がないので、カラーはしなかった。

これで毛先が跳ねなくなると思うと、毎日の手入れが楽で嬉しい。

結構時間がかかって、先に終わった友人にはまっていてもらう羽目に。

近くにそごうがあるので、そこにいると言って先に出かけてもらった。

携帯があるのでこう言うときはすぐ連絡がつくし便利だなあ。

 

靴が見たいというので、お決まりのコースで高架下を元町まで歩く。

なかなか気に入るものはなかったようだ。

しかし、大丸の方へ行くと、またまた唖然。

先週よりもはるかに多い人の波。

連休のど真ん中だから、ルミナリエを見に観光客が集まったんだね。

それにしてもすごい人。

南京町で買い食いしようか、ということになって行ってみたら、これまた先週の倍の人。

最初の店では買えたし、人が流れていたのだけれども甘かった。中心に向かうに連れ、身動きがとれなくなってしまったのである。

とにかく店に入る人、ものを買う人が列をなして並んでいるし、あちらこちらから動いて脱出しようとする人々がかち合うのだから、すし詰めの満員電車並み。

こんなところで食べていたら気分が悪くなりそうだし、(人に酔って)まず、買うのに並ぶのが嫌だと言うことで意見が一致して、南京町を脱出。

私のお薦めのベトナム料理屋さんに行ってみるが、ここも一組客が待っている。

待ってまで食べたいほどでもないか、と言うことで、個人的に私が行きたかっただけなのだが、おすすめのお蕎麦屋さんに連れていく。

ここはすんなり入れた。

けれどもあと10分遅かったら、品切れで入れないところだったのでぎりぎりセーフ。

やっと腰を落ち着けると、結構歩いているから疲れが出る。

おそばは好評だったので良かった。

満足していただいて嬉しいですわ。

次に、ケーキが食べたいというので、元町商店街にあるおすすめの喫茶店に行ったら、喫茶営業は終わりましたと書いてある。ケーキは売ってるんだけどね。

仕方ないので生田ロードの所に行ったら、そこも喫茶営業は終了しましたと書いてある。

なんでだろう。今なんてすごい稼ぎ時だと思うんだけどなあ。

結局、アンテノールに落ち着いた。

まあ、ここのケーキもなかなか美味しいから、満足していただけたよう。

北野は歩くのが面倒なので今回はパス。

21時半になったので、もう一度ルミナリエの方に行ってみたけれど、まだ大丸の前までも全然行き着けない人の波。

もういいや、こんな人混み。

近くの店に飲みに行って、終電まで喋ってました。

泊まってからずっと一緒にいるけど、良く話題に尽きず喋ることあるなあ。

楽しかった。

 

12月21日

やはり昨日の朝は起きられなかった。

でも絶対に日文研に行かなければならない。

慌ててお風呂に入り、用意をして、昼に日文研に到着。

 

早速RAの仕事に取りかかる。

今日のダブル・ブッキングをどうしよう。

これまた皮肉なことに、会場が近い。

どちらも日分研内で行われるのである。

とにかく17時まで仕事をして、まず山田研究班の忘年会に行く。

場所は日文研ハウス。

そこで盛りつけて、たったの5人だけど、先生も抜きで忘年会。(先生は留学中)

中国から来た先輩の戦さんが、水餃子を作ってくれる。

超美味!!

私が作っていったものも、好評で迎えられてありがとう。

途中、水餃子を差し入れに、解析室と言うところで行われている院生と先生方の忘年会に顔を出す。

そして、井上先生と少しだけお話をして、また日文研ハウスに戻る。

そこでは、水餃子2種類目が披露されている。

これまた美味しい。

そのうえ、クリスマス・ケーキまである。

もう、これ以上食べられないほど食べた。

10時半に終了。

携帯で連絡を取ると、向こうの忘年会は今から別の先生が加わって2次会だそうである。

とにかく来るように言われて、みんなと別れて、解析室に戻る。

タクシーで桂駅前まで出て、居酒屋にはいる。

その時点で11時。

もう私は帰られない。

院生の友達が「うちに泊まりなよ」と言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。

 

2次会に入ったけれど、もう食べ物もみたくない。

焼酎を飲んでいたが、とうとう気分が悪くなり、トイレに駆け込んで全部もどしてしまった。

席に戻って、先生方と話をしていたが、またまた気持ち悪くなり、トイレに行ってはもどす。

別の先生に呼ばれ、草稿を出さなかったことを言われる。

だんだん酔ってきているその先生の言葉は、私のことを可愛がってきてくれているのはよくわかるし、気にしてくれているのはよくわかるが、どう考えてもセクハラに取られ兼ねない。

トイレでもどしては、席に戻ってうつろな笑いと会話。

そんな繰り返し。不健全。

2時半に漸く解散。

 

友人宅で、お茶を入れてもらい、シャワーを浴びる。

嫌な予感がしていたが案の定全身に発疹が出てしまった。

またもや同じだ。

二人で4時過ぎまで喋ってから薬を飲んで眠った。

 

10時頃に起きた。

起きてからもコーヒーを入れて、二人で2時頃までだらだら喋り続けた。

鏡を見て、目の周りの発疹が引いていないことに気付いて、「見て、ストレスでこんなのが出てしまうの」と見せる。

彼女は「私はもう肌が荒れて荒れて仕方ない」という。

遅めの昼御飯を食べに行って、喋りながら「ストレスな生活は厳しいよねえ」と実感籠もって語り合ってしまった。

 

家に帰ったら完全にダウン。

昼間食べたものをはかなかっただけまだましだ。

主治医に怒られそうだ。こんな生活していては。

 

12月19日

女学院にてアルバイト。

実は昨日の夜余り眠れなくて、遅くまで起きていた。

おかげで、朝遅刻をしてしまった。

馬鹿者。

今日は、月曜とうって変わって忙しい。

ああ、早くアダム・クーパーが見たいのに、全然そんな暇がない。

ビデオもダビングしたいのに、そんな暇がない。

しかし、私は金をもらってここで働いているのだ。

そんなこといってはいけないのだ。

 

昼休みになって、漸く落ち着いた。

でも、食欲ないなあ。夜はディナーの約束があるから、別に食べなくてもいいか。

とにかく仕事をしなくては。

 

午後になって、満席になったので、漸く「リトル・ダンサー」のDVDを観る。

漸く、アダム・クーパーが出てきたと思ったら、背中ばっかり写って、踊るシーンなんて2秒ぐらいで終わってしまった。

こんだけ?

チラシにあんなに書くまくるほど見られないじゃない。

ええ、なんか悔しい。

何がなんでも本物が見てみたくなった。

 

アルバイトが終わって、クリスマス・プレゼントを持って友人の家に訪れる。

美味しいワインとチーズと軽い食事で、とても幸せ。

プレゼントを渡して、お互い来年が良い年になるといいね、と語りあった。

すごく久しぶりにゆっくりと語り合えて、すごく穏やかな時間が送れて、楽しくて楽しくて仕方なかった。

こんな人がそばにいてくれるなんて、私は幸せ者です。

気がつけば、夜中の2時。

家がわりと近いので、タクシーで帰った。

お金おろしていて良かった。

明日起きれるかなあ。

でも、幸せな気分で眠りにつけそうだ。

 

12月18日

昨日、休む暇がないなんて書いたのがいけなかったのかなあ。

疲れが溜まってしまって、とうとう日文研にいけずじまい。

あー、RAのバイト溜まっているのになあ。

朝から行こう、行こうと思うのだけれども、いつまで経ってもいけない。

お昼頃までぐずぐずしていて、遂に断念。

なんて、あかんたれなんやろう。

情けなくて涙が出てくる。

 

気を取り直して、論文を書くためにビデオを見る。

集中できていないためにいろいろなことを考えてしまう。

ハッと気がついて、外出を思い立つ。

まず、この前から出費が続いて銀行に行かなくてはならないことを思い出した。

財布に全然お金が入っていない。

慌ててお金をおろしに行く。

次に思い出したのは、明後日の20日に忘年会があるのだが、持ち寄りの料理を作らなくてはならないことである。

明日も実は敬愛する友人と夕食をともにすることになっているために、料理をしている暇がないことを思い出したのである。

だから、今日中に料理を作らなければならない。

皆さんの要望はお節料理なので、1日ぐらい前から作っても大丈夫。

スーパーに買い物に行って、一度家に帰る。

カイロプラティックが入っていたからである。

まずカイロに行く前にお風呂に入ろうと思った。

身体が寒くて仕方なかったからだ。

 

カイロプラティックに行ってからだの調子を聞かれる。

「ぼちぼちです」

「貧血の回数は減りましたか?」

「星が散るぐらいですかねえ」

「いい表現ですね。たおれてはいないみたいですね。」

「はい」

「この寒いなかで、結構良くなっていっているのはいいことですよ。わかりませんか、自分で感触とか」

「いやあ、相変わらず冷え性だし、肩も懲りますしね」

「でも筋肉の感じとか、良くなってますし、体もだいぶ良くなっていますよ。この調子で姿勢とか、軽いストレッチとか続けてくださいね」

 

本当に良くなっているのかなあ。

まあ、勧められて鉄分の入ったプロテインを飲むようになってから、確かに貧血で倒れる回数は減った。それは事実である。

次回の予約を取ろうと思ったら、もう年内は予約は取れないと言う。

すごいショック。年明けまで、3週間もあくことになる。

その間に身体ががちがちになりそう。

 

うちはキッチンが狭いので、誰もいない実家に行って、だしをとり、料理に取りかかる。

23時半になって漸く完成。

タッパを借りて詰めて家に持って帰る。

これで20日の用意は完璧。

朝から日文研で働いて、そのあと忘年会になだれ込めばOK。

でも、一つ気になることがある。

実は今日メールが入っていて、院生と先生方との忘年会を20日にやるというのだ。

それって、ダブル・ブッキングじゃない。

でも、今日料理を作っている方は1月前から約束していた。

山田研究班の忘年会である。

どうしようかなあ、もう。

 

12月17日

昼間は神戸で友人に会う。

なんだか、年末になって、いろいろな人と出会っているなあ。

全然休む日がない。

あ、そんなことないか。

行くべき日にいけずに引きこもったりしてるからなあ。

でも、こうしていろいろな人が私と会ってくれて、話をしてくれて、接触してくれるのはすごく刺激的だし、楽しいし、こういう友人に恵まれて本当に幸せだと思う。

そう、世の中いい人の方が多いよ、絶対。

一緒にランチをともにする。

買い物をしてから、夕方に研究会があるために別れる。

 

今日は女学院で、ジェンダー研究会に出席。

前回休んだので、今日何をするか知らなかったら、最近著書を出版された先生の本の合評会だった。

その場で本を受け取り、慌てて流し読みをしながら、みんなの合評を聞いて、読みついていないのに、その場の意見で、更に発言する厚かましさ。

行ったり来たりしながら、本をさっと読んで、なるほどなるほどと感心する。

読者層が中学生ぐらいだったために、とても読みやすい本であった。

きちんと読者層を決めて、その人たちに言葉が届くようにかき分けるなんてすごいことだと思うし、とても大事なことだと思う。

私も、このように言葉が操れるようにならなきゃいけないなあとつくづく実感。

 

さあ、時間も過ぎたし、今からは忘年会だ。

と言ってもいつも行っている飲み屋さんだけど。

またまたワインを飲む私。

本当にワインが好きだなあ。

敬愛する先生方と、院生や学生さんとお話をする。

これっていいのかどうかわからないけれど、私は本当に女学院に育てられていると思う。

今は別の大学に所属はしているものの、多くの敬愛する女学院の先生方に仲良くしていただき、いろいろな話をしていただき、たくさんのものを享受させてもらっている。

有り難いことだと、心から感謝している。

早く、私も成長しなくては。

 

12月16日

女学院にてアルバイト。

今日は学生さんが少ない。

昨日騒ぎすぎたのがたたって、今日はお疲れ。

寒くて、午前中は電気ストーブの前に丸まりながら、ぽろぽろ来る学生さんたちに対応。

お昼休みは、ダウン。

昨日結構食べたせいか、食欲が全然なくて、とりあえず薬だけを飲んで、休んでいた。

あー、しんど。

少しばかり休んだので、午後には復活。

少しばかり混んできたライブラリーをてきぱきと対応しながら、思い立ってDVDを観る。

 

この前、3月に来日するAMPのチケットを購入した。

出演日に当たるかどうかはわからないが、アダム・クーパーが来日決定したとのこと。

ただし、日程調整中なので、見られるかどうかは分からない。

チラシを見ていると、「リトル・ダンサー」のラスト・シーンに出演したとどれにも書いてある。

それならば、是非アダム・クーパーが見たいと思い、「リトル・ダンサー」を見ることにしたのだ。

しかし、どんどん忙しくなり、ゆっくり見ることができず、とうとう最後まで見ることができなかった。

まだ、アダム・クーパーにはお目にかかっていない。

 

夕方帰ってから、約束していた友人に電話をする。

夕食を一緒に取る約束をしていたのだ。

昨日の御馳走とは違って、今日はおうどんでほっこり。

胃に優しくしないとね。

でも。そのあと飲みにいってしまった。

昨日の今日であるから、グラスワインを2杯だけに止めたけれど。

今日は真面目に、論文のことなど話したりしている。

 

毎日飲んでるな、このところ。

明日も忘年会。

今日は早めに帰ったので、ゆっくりお風呂に入って疲れをとり、早めに寝ることにしよう。

お休みなさい。

 

12月15日

運命の読書会の日である。

15時からだったのだが、お昼を一緒に食べに行かないかと誘われた。

12日が父の誕生日だったのである。

それにかこつけて、天麩羅屋で美味しい天ぷらが食べたいという祖母の希望を叶えて有名な天麩羅屋さんに行くという。

場所は梅田。

まあ、一応準備は出来てるからなあ。

祖父には来なさいと誘われるし、父は当然のように誘ってくる。

15時には間に合うか、と判断し、ご相伴にあずかることに。

こういう場になると昼から当然のように酒を飲むことになる。

ああ、これから読書会なのにと思いつつ、誘惑に負けてワインを飲んでしまいました。

 

帰りの電車で少し眠気に襲われ、危ない危ない。

ちょっと遅れて読書会の場に到着。

発表者の一人が熱で欠席。

私を入れて発表者は3人。残り二人で何とかカバーしながら発表をする。

みんなで頭を抱えながら、確認しながら少しづつ理解を深めていく。

はあ、難しいなあ。

とりあえず、自分に言い聞かせながら発表をしていく。

何とか終わったけれど、これで本当に理解できたのだろうか。

一抹の不安をかかえながらも、みんなで今年一年の勉強をねぎらって忘年会へとなだれ込む。

スペイン料理屋さんでワインをまた飲む私。懲りないやつ。

またもや調子に乗ってしゃべりまくる。

そういえば、今日から忘年会の連ちゃんが始まる。

胃腸を壊さないようにしないとなあ。

 

12月14日

今日はルミナリエを観に行く約束を友人としていた。

しかし、間の悪いことに、杖の稽古と納会に重なってしまった。

でも、ルミナリエの方が先約だしなあ。

 

おまけにいつも午後にある稽古が、会場の関係で夕方になってしまった。

免状が届いていたので、連絡事項と免状を持って、稽古に顔だけを出した。

会長に今日欠席しなければならないわびを述べて、少し今後のことを話し合う。

雲行きは極めて悪い。

もう、このまま崩壊してしまうのではないだろうか。

本当はめでたい話なのである。

指導役である会長が来春早々にご結婚をなさるのだ。

それはそれで喜ばしいことではないか。

が、4月以降、旦那さんとなる人が転勤してしまう可能性が極めて高いというのだ。

となると、当然一緒について行くことになる。

後に残されたものは、誰に指導してもらえばいいのか。

極めてレベルの低い段階でお互いただ惰性的に稽古を続けていって意味があるのだろうか。

しかも、これまで会場を押さえてくれたりしていたのは全部会長であった。

元来なら事務局である私がしなければならない仕事であるのだが、私は論文をかかえている上、実のところ杖は辞めろと主治医に言われている。

だから、論文にかこつけて最低限の事務の仕事のみをして逃げていたのである。

卑怯者と言われても仕方がない。極悪非道人とでも何でも呼んでくれ。

実際そうなんだから。

私だって真剣に事務局の仕事を交代して欲しいのだが、誰も変わってくれないので途方に暮れているのだ。

 

しかし、みんな時間通りに集まらないし、私は約束の時間があるから帰らなければならない。

こう言うときに限ってJRが事故かなにかで止まって動かないと言う。

だからみんな来ないのだ。

会長は来てくれたので、もう一人やはり稽古は出来ずすぐ帰らないといけない子と3人で話をする。

とりあえず、私はタイム・アウトで失礼しようとしたら、漸くもう一人あらわれてくれた。

よかった。

極悪非道人ですまない。

 

結局約束の時間にも10分遅れる。

ちょっと遅れるとメールを入れると、最初に待ち合わせていた大丸の南京町側の出口から変更。スタバに来てくれと連絡が入る。

コーヒー飲んで待っていてくれるなら安心と思って鯉川筋を降りていくと、唖然。

ルミナリエにいく人の交通規制で、すごい事になっている。

大丸の前は人の渦で取り囲まれている。

これって大丸に行けないないじゃない。

営業妨害になってないの?

スタバに入ると待っていてくれた。御免ね、遅れて。

とりあえずコーヒー(美味しくないんだけど)を飲んで、一息つく。

あまりの人にどうしようかと話し合って、とりあえず先に夕御飯を食べに行くことにした。

南京町を通るが、ここも結構な人、人、人。

もう少し海辺の方に降りていくと、やっと空いてきた。

雑貨とカフェを兼ねている店にはいる。

最近こういう店多いのよね。

本日のディナーはクスクス。

私はクスクスはフランスで食べたりしていたから、何の抵抗もなかったけれども、友人は今までクスクスを食べたことがなかったらしい。

触感が気に入らず、失敗だったとぶつぶつ文句を言っていた。

そうか、クスクスって確かに味がついているわけでもないし、そんなに美味いものでもないものね。

日本人にはあまり受け入れられてないのかしら。

雑貨をいろいろ見るが、可愛いのも少しはあるが、中には、こんなの誰が買うの?といった代物もある。こんな人の少ない通りでやっていて経営は大丈夫なのかしら?

兄の店のことが頭にあるからついつい余計な心配をしてしまった。

8時半頃になって、それでもまだ大丸前にはたどり着かないが、そろそろ見に行こうかと出かける。

やはりすごい人である。

だらだら人の波にもまれながら歩いていく。ちょっとげんなり。

でも、やっと入り口に立つと、やはり綺麗である。

今年は例年よりって毎年いっているわけではないが、例年よりも電球がカラフルだと思うが、その分、アーケードの間隔が広い気がする。

広場にたどり着くまであっと言う間。

でも、やっぱり綺麗だね。

広場でもお約束のようにど真ん中まで行ってぐるりと周りを見回して堪能。

すごい人だったけれど、行って良かった。

ちょっと早いクリスマス気分でした。

 

12月13日

13日の金曜日。

別に何もあらへんけど。

 

今日はたん熊さんの料理教室であった。

論文で秋からお休みしているので、今日のお節料理ぐらい通おうと思っていた。

だけど、帰りに銀だらの味噌漬けがもらえるとはいえ、1回の稽古に10500円は今の私の懐にはきつかった。

今日は診察にも行かなければならない。

もうそんな金ないよーと言う気がどこかでしていて、おまけにおせちと言っても毎年同じ様なメニューだしなあと言う気がどこかでしていた。

身体は如実に反応してくれる。

目の周りの発疹はまだ少し残っている。

家を出たくない、出たくないと身体が言うんだなあ。

 

用意は出来ていたんだけれど、家を出られずに時間が過ぎてしまった。

今更行っても遅いわ、と言う時間になってしまい、結局お休みすることにした。

そういえば、バタバタしていてあまりにも部屋が雑然としているなあ、と思い、思い立って掃除をする。

しかし、今使用している資料とかは片付けられないので、結局本や資料は山積みで机の周りに配置したままの状態は避けられなかった。

掃除機をかけて、洗濯をして、アイロンをかけて、脱ぎ捨ててある服をたたんでタンスや行李にしまい込む。

思いきって、シーツや布団カバーも交換。

ふむ。なかなかすっきりしたぞ。

 

さあ、病院でも行くかあ。

思っていたよりも診察室は空いていた。

レジュメは出来たものの、発表に自身のない読書会の資料を取りだして読む。

すると、突然声をかけられた。

「いや、久しぶり。元気?」

「あ、こんにちは」

「もしかして、って思ったら診察券に名前があったから」

「え、結構長いこと通っているんですか?」

「うん、わりとね。私拒食症やってんよ。何軒かなあ、色々お医者さん変えて、最終的にここに落ちついてん。いいよねえ、先生。本読んだ?」

「あ、あそこで売ってある本ですよね。ちらっと見たことはあるけど読んではいないです」

「いいよ、絶対に読み。もうこんな所で小川さんに会ったってようこちゃん(共通の知人)に言ったら、あんたら何って言われそうやわ」

「私もビックリしましたよ」

「この前の時、漢方飲んでたから、一瞬もしかしてって思ってんけど。どうしたん」

「私は不眠症で」

「そうなんや。長いん?」

「もう2年過ぎぐらいですかねえ。あとストレスがきついからつい先生に頼っちゃって」

「いい先生やもんね」

彼女は甲野先生の稽古会で知り合った人である。

「そういえば、この前稽古会の次の日に、甲野先生の写真取る仕事しててね。

稽古会の時の写真もついでに見せて話していたら、小川さんが丁度写っていたのよ。甲野先生が小川さんのことさして、『この人いろいろなものを背負っている』って言ってたから、きにかけてくれてるんやないかなあ」

「そうですか。私は祓い太刀を3回もしてもらっているんですけどねえ」

 

しかし、甲野先生は気にして下さっていると言うよりは、そんないらんもん背負った人には近づきたくないと思うてはるんやないやろうか。

 

あんまりこういう病院で知人には会いたくなかったけれど。

まあ、さばさばしている人なので、気楽だったかな。

喋っていたら名前を呼ばれたので、診察室に入った。

 

「週末は大丈夫だったんですが、月曜日に、夕食を祖父母と母と食べたら、全部もどしてしまって。その夜お風呂はいったら、全身に発疹が出ました。

今も目の回りに少し残っているのですが、まあ、ほとんど消えましたけれど。

次の日は一人で食べたのですが、やはり少量もどしてしまって。」

「あんまり自分が気持ちのいい環境で、食べていないと身体が拒否反応を起こすことがあるんだよ。論文のことなどでいろいろストレスがかかっているはずだから、体が弱っているんじゃないかなあ」

「うちの母は『絶対、薬の飲み過ぎ。薬害よ』と言って、きかないんですがね。私は違うと思うんですよ」

「そんな、薬害やったら、もっと早くに反応が出てるよ。それはない。きつい薬は出していないし、今は半分は胃薬だしね。」

「あと、今日もなんですけれど、最近引きこもりの傾向が強くて、些細なことで家が出られないんです。今日もお稽古事をさぼってしまって」

「多分疲れているんだよ。とにかくよく眠ること。

教授や他の人がなにか言ってきても気にしないで、自分がこうだと思う道を進みなさい。いちいち細かいところに気にかけてたらあかん。

薬、睡眠、栄養、気晴らしだよ。

言葉っていうのは、凶器にもなる。しかし、言葉を使って物を表現するというのは非常に難しいから、いくらでもいちゃもんをつけられることが出来る。」

などと、言葉を使ってなにかを描いていく、表現していくことが如何に難しいか、そして如何に簡単に人間は言葉にやられてしまうのかというようなことをえんえん例を出してくれながらといてくれた。

「君は言葉を駆使してものを表現していくことをしているんだから、それが困難なことであるのは当たり前なんだ」

そうか。

そうなんだ。言葉は凶器にもなる。そんな危ないものを操っていかなくてはいけないんだ。

多少の困難は覚悟で臨まなくてはいけないんだ。

そんな根本的なことを今更ながらに思い知らされた。

 

待合室に戻ると、人が一杯。そんなに長かったのかしら。

 

病院から戻って、次は婦人科へ。

そこでもやはりストレスが原因でホルモンのバランスが崩れていると診断された。

とほほ。

 

夜はカイロプラティックに行って、身体を矯正してもらう。

こちらの方は、亀の歩みで前進しているので合格。

今日の診察代全部たしたら・・・・ひ、貧窮。

 

12月12日

女学院にて、アルバイト。

久しぶりに忙しい。

しかし、レジュメが出来ていないので、内職道具にパソコンを持ち込む。

合間を縫って何とかレジュメを仕上げる。

レジュメは出来たものの、発表できるんかいな。まだテクストとにらめっこ。

難しいよう。

きっと私の頭が悪いんだなあ。仕方がない。

 

今日は久しぶりにNOVAを入れていた。

2カ月ぶりである。

でもしんどいので、英語と仏語それぞれ1レッスンづつ。

昔はどちらも2レッスンづつ取っていたんだけど、さすがに体力はない。

急いでいったんだけど、英語のレッスンが10分ほど遅れてしまった。

英語はいつもマン・ツー・マンで取っているのだけれど、年末で混んできたのか、グループ・レッスンしか取れなかった。

サラリーマン風のお兄さんが2人同伴であった。

なんか会話をさせられているのだが、よく聞き取れない。

とりあえず今何をしているのか把握しなければと情報収集。

 

わかった。

「どうしんたん、なんかあったん、顔色悪いで」

「いや実は問題があんねん」

「なんや、いうてみ」

「爺ちゃんが高齢なんやけど、高熱出してもうてな。困ってんねん」

「それやったら病院に連れてきゃええがな」

「あほ、今日は日曜日や。なんかええ方法ないか?どないしたらええねん」

「救急車呼べや。救急病院やったら、関係あらへんで」

「お前、頭ええな。おおきに、そうさせてもらうわ」

 

というレッスンである。つまり、問題がありそうな人に質問する。その問題について情報を収集する。そのあと適切と思われるアドバイスを与える。上手く治まってちゃんちゃん。

 

最初はお互いの想像力でやらしていたのだが、次にテキストを使う。

ふむふむ、なるほど。

さあ、テキストで起こったことはなにかね?

あれ、二人とも答えないの?いいのかなあ、まあいいか。って、全部答えちゃった。

グループ・レッスンはこう言ってお互い喋る回数に気を遣ってやらなきゃいけないからいやなのである。おまけに自分のあほさ加減をさらさなくてはならない。

仏語は、もう全然駄目でした。

勉強します。すみません。

 

12月11日

頓服を飲んで寝たので、比較的よく寝ていた方だと思う。

発疹は身体に出ていたほうがおさまったが、目の周りのところがまだ治まらない。

なんか「がまがえる」みたいで気持ち悪くて嫌だなあ。

とりあえず、今持っているサングラスのなかで、一番色の薄いやつをかけて、神戸に外出。

来春の新春能に関する「能楽講座」なるものがやっているのである。

特に興味あったわけではないが、謡曲の師匠から、誰も行かなくて切符が余って仕方がないので、時間があるのなら、是非参加して欲しいと言われていたのである。

場所は神戸文化ホールの中ホール。

観世流の家元まで来ての解説だったのだが、確かに人数は少ない。

ホールの半分も人が来ていない。

みんな能楽や狂言には興味がないのかしら。

なんか家元に気の毒であった。

内容はたいして期待していなかったが、狂言と能楽の比較、相違点の指摘などをしていたところが大変面白かった。

 

講座が終わってからは、梅田にでる。

今日の夜は、熊川哲也の『眠れる森の美女』を観に行く予定である。

しかし、発疹が気になる私は、今のサングラスだと、夜かけているには少しくらい。

でもサングラスで少しでも隠したい。

そんな気持ちがあったので、空いている時間を利用してロフトに向かう。

サングラスなんてどこで買っても同じかも知れないが、私は梅田のロフトのめがねコーナーをご贔屓にしている。アフター・ケアがいいからだ。

めぼしい薄いサングラスを幾つか試してみるが、どれも顔にしっくりこない。

似合わないのである。

幾つか試しては諦めていると、店員さんが、「フレームを選んでもらったら、色つきのレンズに交換しますよ」と言ってくれたので、めがねの方から、フレームを選んだ。

どうせ買うなら、今まで持っているのと違うタイプの物が欲しい。

薄目のレンズを入れてもらい、時間を見ると、18時すぎている。

開演は18時半。歩いていては到底間に合わないと思い、慌ててタクシーを捕まえる。

ああ、サングラス買って消費しているのに、タクシーでまた消費、貧窮。

 

「眠れる森の美女」はなかなか面白かった。

が、熊川哲也が見たい人になると、出番が少ない分ちょっと物足りないかも知れない。

生で熊川を見るのが今日がはじめて。

パンフレット見ていると、少し太ったかなあ、と言う気がする。

ソロで踊っているときには、「これが、噂のジャンプ力か」とじっくり見てみたりする。

でも、生で見てみると、案外小柄で、スタイルもそれほどいいとはいえない。

なんか、ちょっとイメージが違っていたかなあ。

シルヴィ・ギエムを初めてみたときの感激ほどは感激しなかった。

それでもトップのプリンシパルを勤める人なのだから、すごいんだなあ。

休憩が2回入っていたので、終わったら、21時半になっていた。

アンコールが執拗に求められ、改めて熊川ファンの多さを実感した。

まあ、私みたいに、たまに興味本位でバレエを観に行く観客がとやかく言うこともないだろうが。

 

よい気晴らしにはなったかな。

今日は御飯をもどすこともなかったし、あとは薬を飲んで、お休みなさい。

 

12月10日

昨日無事にお風呂には入れたし、今朝も無事に起きられた。

いつものように、目覚ましのなる少し前に。

さすがに昨日で胃が空っぽになったせいか、何となく空腹感がある。

でも、食べて朝から気分が悪くなるのも怖かった。

とりあえず、昼のお弁当を作る。

なかなか朝から余裕じゃない?

コーヒーを飲んで、お弁当を詰めて用意をしていたら、あっという間に7時半。

慌てて、家を出る。

 

桂駅に降り立つと寒い!!

皮のブルゾンと着ていたのだが、お尻まで被さらないのでお尻から足にかけてが寒い。

しまった、ロング・コートにするんだったと後悔。

寒いよ、早くバスが来て!

3分ほどが10分にも思える。

 

日文研に着くと、みぞれ混じりに時雨れていて、更に寒い。

塚口はもっと暖かったぞ。

9時半から早速RAのバイトに取りかかる。

寒い、寒い。

図書館でいつも仕事をしているのだが、図書館がこれまた寒い。

一応薄手のショールを羽織って仕事しているんだけど、全然暖かくない。

どうして、暖房効かないんだろう。夏はあんなに冷房が効くのに・・・

院生室においてある膝掛け取ってこようかなあと思いながらも、なんだかんだと調べものをしながらうろうろしているうちにお昼になってしまっていた。

あー、はかどらない。

もりかげって誰やねん。そんな調子で調べていく。

結局分からなかったのは、カタカナで書いて、?マークをつけ、印を付けていく。

分からないものだらけやん。

全くこのフランス人ももっと有名な人の作品だけを引用してよねえ。

(ちなみに今はフランス人が書いた「日本美術」という本の挿し絵のキャプションを訳していっているのである。)

 

お昼を食べながら、世間話をする。誰が草稿出したとか、出さなかったとか。

私にとっては精神衛生上良くないのかもしれないけれど、これが現実。ちゃんときいとかなきゃ。

そうだよ。人には、それぞれのペースがあるんだ。

その意見には大賛成。

さんざん話して、バイトに戻る。

17時になって図書室も閉室。

院生室に帰り、残り1時間残業する。これ以上院生室でしていても調べものに限界があるから1時間。それでも分からないものが増えていく。

1時間経ったところで、自分の仕事にはいる。

今度の読書会のレジュメ作りをはじめた。家のプリンターが調子悪いので、出来たら今日中にレジュメだけ仕上げたいと思っていた。

でも、突然みんなが帰ると言い出す。こんな真っ暗ななか一人寒いのに残されるのは嫌だなあ、と弱気になった途端、根性無しの私は「私も帰る」と言ってしまった。

レジュメは当然出来上がっていない。

しゃあない。家のプリンターで何とか打ち出そう。

夜の京都は一段と寒い。塚口に着いたら、なんかあったかい気がする。

 

ダイエーで買い物して、家に帰る。

今日は晩御飯も無事に食べてお風呂に入った。

まではよかったんだけど、そのあと気持ち悪くなって、少しばかり吐いた。

昨日の夜から発疹がでている。

今日も治まらない。

寝たら治るかなあ。明日はゆっくり出来るし、治ってください。

 

 

 

12月9日

今日は女学院にてのアルバイト。

昨日お風呂は入らずに寝たので、早起き。

5時に目覚ましかけていたのだけれど、3時過ぎから起きてしまった。

食べ過ぎたのか、お腹が痛いのだ。

結局5時前には起き出して、お風呂にはいる。

あー、お腹が痛い。

なんか調子悪いなあ。

用意をして、着替えるが、何となく気分が悪い。

座ったままボーっと時間が過ぎる。

あっという間に日の出。

朝から食欲もなく、無理して薬だけを飲む。

貧血気味だ。

今日はバイトのあと謡曲のお稽古日なのに。

 

今日はバイトの方は結構暇だったので助かった。

内職をしながら、時間が経っていく。

お昼も食欲がなく、ここのところ1日2食はちゃんと食べられるようになっていたのに、朝から何も食べることが出来ない。

朝は気分が悪くてプロテインも飲めなかった。

 

クラクラしながら、お稽古に通う。

当然の事ながら、声が出ない。

「もっと力を入れて、しっかり声を出して」と叱責されるが、上手くいかない。

舞もふらふら。

あちこちを間違えるが、大目に見てもらう。

帰りは車で祖父母の家に。

着くと様子が違う。

 

祖父が熱を出して寝込んでいるのだ。

お医者さんに来てもらって、点滴をしてもらっているらしい。

祖母が「先に御飯食べてて」という。

居間に戻って、とりあえず御飯を食べる。

点滴が終わった祖父が居間にやってきた。点滴で熱が下がったらしいが少しふらついている。今日のメニューはすき焼き。そんな脂っこいもの食べられるのかなと思っていると、お肉をぱくぱくと食べているので、まあ大丈夫かな。

問題は私である。

「なおちゃんももっと食べ」といわれ、言われるがままに朝から何も食べていない胃に詰め込んだのがいけないらしい。

祖父が熱を出しているので気丈に振る舞っていたが、気持ち悪いものはどうしようもない。

遂にトイレに行って、ほとんどもどしてしまった。

苦しいし、気持ちが悪い。

これ以上いても、私は気分が悪いだけだから、早く帰りたいのだが、祖父のことがあってなかなか切り出せない。

祖父がベッドに寝に行ってから、すぐ帰ろうとしない母をおいて、帰ろうとすると、一寸待て、送っていくという。どっちでもええけどはよしてえな。

祖母は寒いから送ってもらえといい、結局さんざん待たされて、送ってもらった。

家に着くなりトイレに駆け込み、残っていたものを全部はく。

胃酸で胸焼けがする。

居間でも最高に気持ちが悪い。

お風呂は入れるかなあ。それより明日、日文研にいけるかなあ。

 

12月8日

何も予定のない日曜日。

しかし、母に昨日の御礼で、買い物に付き合う約束をしていた。

コートを買いに行くのである。

密かにコートマニアの私は、コートが大好きである。

なので母のものを買いに行っているにもかかわらず、ついつい自分の好きなコートに目がいってしまう。

「これなんていいんじゃない?」

「それはちょっと若すぎるわよ。あんたやったらええけど、もうちょっとおばさん向きじゃないと」

「大丈夫って、ママは若いから。とりあえず羽織ってみ」

「やっぱり少し若すぎるわ」

母は来年で還暦である。少し無理があるかなあ。

結局無難なところで落ち着いた。

いいんじゃない。軽そうで暖かそうなコートで。

母は、論文を落とされて気丈に振る舞っているらしいというのは、金曜日の病院で気付いたのだが、まあ、周りからはそう見えているかも知れない娘にひそかに気を遣っていたらしい。

私が、何気なく「あ、このセーター可愛い」といって入った店舗についてきて、「試着したら?」「いいよ。別に」「着てみたらいいじゃない」「そう?」といって試着したらあとは店員の言うがまま。「こんなスカートを合わせてみたら可愛いですよ」

という言葉に導かれ、試着のしたい放題。

ついには「買うてあげるわ」といって、買ってくれたのである。

嬉しいけど、まずビックリ。Merci, mamma!!

来年の正月に着る服が出来ました。ありがとう。

 

夜は祖父母と一緒にお寿司やさんに。

ちょっと食べ過ぎたかな。いや、飲み過ぎたかな。

ふらふらするので、早く寝ます。お休みなさい。

 

12月7日

京都文博で『忠臣蔵』がやっているので観に行く。

知る人ぞ知る、忠臣蔵300年記念なのである。

今日やっているのは尾上松之助の忠臣蔵。

大正時代のと昭和初期の作品の2作。

しかし、無声映画を無音で見ることほどつらいものはない。

この当時は活弁が当たり前であったので、外国の無声映画のように字幕が入っていないのである。

だから何を喋っているのかは全く分からない。

ただ自分の知っている忠臣蔵の物語に合わせて、ああ、このシーンだなあと推測して当てはめてみていくことになる。

つまり、忠臣蔵を知らない人がこの映画を見たらどう理解されるのだろうか。

全く分からないのではないだろうか。

一度実験してみたいもんだが、そんな機会が来ますように。

さすがに途中は眠気と戦いながら見ていた。

 

目玉の松っちゃんというけれど、私が見た数少ない松之助映画で、目玉をひんむいたと言う強烈な見得の場面には出くわしたことがない。いつも目の細い小さい松之助である。

当時の人があだ名をつけたきっかけになった映画を私は見てみたい。

 

そのあと御影で謡曲のお稽古である。

今日は通しで舞をしたが、がさつに舞ったので叱られた。

謡の方も声が出ていないとたしなめられた。

そうはいってもねえ。

すぐ出来てたら、今頃は能楽でも舞ってますがな。

いろいろとお稽古事をするのも楽しいが、どれにも要領よく力分配するのは難しいものである。

 

今日は父が帰ってこないので、母と神戸でフレンチを食べる約束をしていた。

「ル・ビストロ」というお店である。

前から行きたかったのは、冬はジビエがやっていると言うからである。

それにしても、ボリュームの多い店だった。

森鳩を食べたのだが、美味しかった。

たまには美味しいものでも食べて、身体を休ませてやらなきゃね。

 

12月6日

昨日遅かったので、顔だけ洗って寝てしまった。

朝5時頃目が覚める。4時間は寝ていたかな。合格。

メールのチェックもしていなかったので、コンピューターを立ち上げると、ノートンの更新が30日以上していないとメッセージが出た。

しまった、忘れていた。

慌ててウィルス・チェックをかける。

こんなんだから、2回も感染してしまったのかも知れない。

今のところ何もなさそうだ。

お風呂に入って、映画に行く準備をする。

今日は『続影法師』と『魔像』の2本。

前回祖父の招待で映画を1本見ずに帰って来いと言われて、見ることのできなかった映画が「影法師」なのだから、今日はその続編。

当然、話も途中から始まる。最初の方は何が起きているのかよく分からなかった。

だんだん話が分かってきたころに、チャンバラのすごくいいシーンで、突然フィルムが落ちた。真っ暗。

切れたのかどうか分からないが、復旧に5分かかるという。

普通なら金を返せというところだが、阪妻のファンは寛大であった。

漸く復旧してチャンバラシーンから始まり、すごく阪妻がかっこよかった。

でも最後になっても、話の一番の大筋がよく分からなかった。惜しいことをした。

やはり駄々をこねてでも、観られるときに観ておくべきである。反省。

2本目の「魔像」の時も、やはりフィルムが切れた。しばし暗闇。

このフィルムはすごく悪く、つなぎが明らかにおかしい部分がたくさんある。

検閲にあってカットされた作品だとは思わない。

しかし、ひどい作品であった。

確か、私はビデオに落としておいたはずだが、1時間半はあった映画である。

しかし、上映が終わったら1時間であった。

絶対にフィルムがおかしいと思う。映写技師が悪かったのかなあ。

小冊子を売っているので、買っていると、見に来ていたおじいさんに声をかけられる。

「あんたいくつや」

「32です」

「わしゃ、もう90やけどな。あんたみたいな若いもんが阪妻とか観るんか」

「観ますよ。やっぱりチャンバラですか、阪妻は?」

「ウン、チャンバラもええけどな、現代劇もええ。無法松の一生や王将なんてええなあ。

あと破れ太鼓もおもろい。」

「そうですね」

ブー。映画開始のベルが鳴る。ぞろぞろ劇場内へ。

もう一寸おじいさんと話していたかったな。

 

クリスマス・プレゼントは贈ったが、カードがまだだった。

毎年、ホスト・ファーザーが、習ったひらがなでクリスマス・カードを送ってきてくれる。

三宮に出て東急ハンズでクリスマス・カードを買う。

 

今日は診察日。三宮から病院へ直行。

空いていると思ったが、結構待たされた。

診察室にはいる。

「あのー、実は今日が草稿の締め切り日だったんですよ。

今週どうしても日文研にいけなかったんです。火曜日だったんですが引きこもりに近い状態になってしまって。先週に思いっきり気晴らしして、吹っ切れたと思ってたんですけどね。

そのわりには、今週どうしてもうまく論文に取りかかれなくて。

今から思うと、私はもう×を出されていて、出すことが出来ない。だけどもみんなは書いて今日までに提出する。そんな姿を見たくないと言うか、そんな雰囲気の中にいたくなかったんじゃないかなと思って。

単なる言い訳かも知れませんが、全然手に着かないんです。

気晴らしもちゃんとしているし、お薬もちゃんと飲んでるのに」

「あのね、それは正しい。まわりも気にせず堂々と通えるようやったら、こんな病気になんかならへん。眠れている?」

「4〜5時間は。いつも必ず、目覚ましがなる前に起きるんですよ。それで30分か1時間活動して、また眠くなるんですよ。薬がきつくなってきたんでしょうか?」

「冬だから。例えば8時に目覚ましかけてるやろ。7時55分にパチッと目が開く。時計を見る。あと5分やと思ってもう一度目をとじる。あー、目覚ましなるなあと思うと目覚ましがなる。さあ、起きようと思って、頭はもう起きているし、さっき時刻も確認したし、目覚ましがなっているのも聞こえているにもかかわらず、この目がどうしても開かないんや。どうしても両目が開かない。」

「そうなんですよ。まさにそういう状態があって。」

「これ、今の僕。冬だからね。冬眠してなさい。」

「でも私にはもう時間がなくて、やらなくてはならないことが山ほどあるのに、全然要領よくこなすことが出来ずに、気がつけば12月になっているし」

だんだん自分の話していることがこんがらがってきてパニックになってきているところを黙って聞いていた先生は突然さえぎった。

それから先生は、えんえんと映画の話やもののたとえやいろいろな話を続けてくださって、私はその言葉の渦に巻き込まれて、気がつけば何となく安心している自分を発見する。

「薬は変えない。眠れるときは寝なさい。僕が言いたいのは、危険なとき、大変なときほど人間には眠りが必要なんだよ。だから、どうしても薬がきついと思うのなら、頓服を1錠にへらしなさい。2錠分出しておきますから。じゃあ、来週。」

気がつけば、待合室には人が一杯。

そんなに長かったんだろうか。

自分では大丈夫そうに思えて、そんなに不安定だったんだろうか。

毎日を気丈に振る舞ってみただけだったんだろうか。そんなのは先生の目から見たら、不安定な毎日を過ごしているようだったのか。

そんなに私は周りにおびえて生きているのだろうか。

主治医や薬無しではまともに生活することが出来ないなんて、なんてざまだ。

私は一人では生きていけない。そんな弱虫の屑なんだ。

 

12月5日

女学院にてアルバイト。

今日は結構忙しい。今度の読書会の本を読んで準備をしようと思っていたが、そんな暇はない。

おまけに読書会の題材が今回は難解なため、じっくり集中して読まなくては意味が全く分からない。

私の頭が悪いせいも一因であるが、遅々として進まず、いらいらする。

バイト中に内職していらいらするのも何だが、やはり私が悪いんだろうなあ。

うーん、困った。

困っているうちにあっという間にバイトが終わった。

後片づけをして、新開地に向かう。

 

昼間開いている立ち飲み屋さんは夜は閉まっていた。

やはりボートピア(競艇)の客を当て込んでいるのだろう。

このボートピアだが、一見いつもポートピアと見間違える。

ボートピアと矢印が出ているのを見て、何でこんな所にポートピアがあるねん??と首をかしげていたが、新開地に詰めて通うようになってから漸くボートであることに気がついた。

間抜けである。

今日は映画が終わる時間が遅いので、残業している友人と軽く食事をして帰ろうと思っていた。

映画が終わったのが9時半。

とりあえず、三宮に出る。

大体22時半頃と聞いていたので、最近増えているファスト・フード系のカフェって言っても何のことか分からないかも知れないが、要するにスタバのようなカフェのことである。いつも待ち合わせしているそのカフェに入り、コーヒーを飲みながら、じっくり読み始めた。なんだか分かるようでつかみきれない。

読書会に間に合うのかなあ。

必死になって取り組んでいたら、閉店時間となっていた。

あれ?もう23時半?

今から行くと連絡が入った。仕方ないので店の前で待つ。

それにしてもそんなに時間が経っていたとは気付かなかった。

それだけ集中していたのかも知れない。

急に明日から東京へ出張になったという友人の話を聞きながら、忙しいのに会う約束をして悪かったなあと反省。ドタキャンしてくれればよかったのに。

律儀な人である。

週末は寒いらしいから、東京、気をつけて行ってきて下さい。

私は明日も映画です。

 

12月4日

眠いのか、寝ているのか、寝つけてないのか、よく分からない状態。

昨日は頓服も一緒に服用して眠った。

5時間睡眠。よし、OK。

朝から久しぶりに空腹感というものを味わった。

自分でもビックリ。久しぶりに感じる感覚である。

そろそろ人間らしく戻ってきたのかしら。

朝御飯を食べ、薬を飲んで、コーヒーを飲んでいると、座っていられなくなった。

あれ、だるいなあ、と思って横になると、急に眠気に襲われた。

起きてから、顔を洗って、服を着替えて、朝御飯食べてと1時間ほど活動していたのになんで?

眠いというのは正確ではない。

身体さんは横になりたがっており、ずるずると横になってしまったのだが、頭さんは起きているのである。不思議なことに目がふさがってきた。それって睡眠にはいったんちゃうんと思うのだが、頭はしきりに色々考えているのである。

それは夢なのかも知れないが、外で起きる物音、電車が通ったりするのもすべて知覚しているのだから、夢うつつで眠っているのではないのかも知れない。

とりあえず起きあがれなくなってしまった。

それでも何とか動こう動こうとあがいてみる。

パチッと目が開いた。びっくり。

動けるようになったじゃないか。

用意をして、阪妻映画祭に出かける。

よかった間に合って。

 

今日のメニュウは『月の出の決闘』『佐平次捕物帖 紫頭巾』。

「佐平次捕物帖」の方は京都でも観たばっかりだったが、1本観ても2本観ても値段は同じなので観て帰ることにした。阪妻三役のサスペンス。大河内傳次郎も出ていて面白い。

「月の出の決闘」は最後の立ち回りのシーンで、月の輝く中、やくざものを全部倒した後、月を仰ぐかのようにして、バッタリと崩れ落ちる阪妻の姿が印象的だった。

 

帰りは用を言いつけられていたので、祖父母の家に顔を出す。

夕食をいただいた後、クリスマス・パッキングのためにさっさと実家へ行く。

スウェーデンから、毎年コスタ・ボーダのガラス製品が送られてくるので、うちからは九谷焼の高台になったお猪口を一つずつ送っている。最初に6個のセットを買ったので、それが実家にあるから、それを取りに実家に行ったのである。

来年でなくなるから今年で5年目だ。

パッキングをして、お茶を入れて一息ついていると、なんと生チョコがあるではないか。

無性に甘いものが食べたくなった私は、さっき御飯食べたばっかりにもかかわらず、生チョコをパクパク食べてしまった。

なんか不健康な生活やなあ。御飯食べずにお菓子食べてる女子高校生みたい。

こんなに甘いもん欲するのは、疲れているせいかなあ。

はよ帰ろう。

なんだかんだ言って、帰ってからお風呂に入ったりしていると0時を回っていた。

明日はバイトの後映画を観に行くので、早く寝なくては。

 

12月3日

普通に朝目覚めた。

いつも通り目覚まし時計がなる少し前に。

顔を洗い、服を着替え、日文研に行く準備をする。バイトに行かなければ。

だが、また始まった。

ドアが開けられないのである。一歩が出ないのである。

どうしても外に出られないのである。

何だが調子が悪くなってきた。

頭痛がする。寒気がする。

次のバス、次のバスと思いながらも、一歩も動くことは出来なかった。

言うことを聞かない身体さんとただ無性に焦りまくる精神さんが調和してくれない。

気がつけば、お昼になっていた。

何もしていないのに、4時間も5時間もいつの間に経ってしまったのであろう。

吹っ切れた論文はどこへ行ったの?

頑張るんじゃなかったの?

 

私はどうしようもコントロールが効かなくなって、町に出た。

そうだ、スウェーデンにクリスマス・プレゼントを贈らなきゃ。

銀行に行き、各種支払いを済ませ、足りないお金をおろして、貧窮。

 

家に帰り、漸く落ち着いた私は、書きかけの論文のためのビデオを家で見ることにした。

ビデオを見ながらチェックしていく。

そうだ、早くこの論文を書き上げなくては。

今少し調子が出ないので、1本見たところで休憩。

気分転換にお風呂に入ってみる。

お風呂から出て寂しくなったので友人へ電話してみると、風邪を引いて寝込んでいた。

お気の毒に。長電話も身体に悪かろうと思い「お大事に」といって、電話を切る。

あまりお腹も空いていなかったが、夜御飯にパンと焼売を食べる。

変な取り合わせ。

あれ、今日朝から何も食べてなかったっけ。

薬だけは飲んでいたような気がするが、時間の感覚がない。

気分が乗らず、パソコンの前に座っていると気がつけば22時を回っていた。

大した仕事もしていないのに。

今日は壊れていました。

パキパキ、パリン。

 

12月2日

ああ、12月である。師走である。

日記なんてかいている暇があるわけがなかったはずなのに、人生の落伍者。

 

今日は女学院にてアルバイト。

貧乏暇なし。働け、働け。

今日はやはり1月半お休みさせていただいていた謡曲の稽古日である。

頭から完全に抜け落ちていたので、忘却の彼方に行ってしまった。

 

お久しぶりですと先生に挨拶し、お稽古をはじめる。

いきなり基本形からやり直しである。とほほ。

まず道順を確認して、何とか通しで舞ってみる。

「思い出しましたか?」といわれ「はい、すみません」と答えるしかない。

腰がふらついて安定しないなあ。

「もっとしとやかに舞いなさい」と注意されるが、型を思い出すのに必死で、しとやかもあでやかもあったものではない。

 

謡の方も全然駄目。やっぱり継続が力やね。

さぼるとてきめんに出てくる。

 

帰りは車で祖父母の家に連行される。

昨日の御礼を言って夕食を御馳走になる。

今日は何故か、夕食後の麻雀までお付き合いすることとなった。

 

吹っ切れた論文はどこへ?

まあ、これも孝行のうち。そんな日もあるさ。

 

12月1日

草稿が受理されないと指導教官に言い渡されたとき、かなりのショックを受けた。

おかしくなってしまった私は、突然やけになり、自分の懐具合も省みずに暴挙に出たのである。

そう、その日が11月30日であった。

新宿で行われるミラクルヤングのライブのチケットを購入してしまっていたのだ。

論文提出前だから、泣く泣く諦めていたのだけれど、次の締め切りが延びたのだから、気晴らしに行ってもいいじゃないか。

往復夜行は余りにも体力的についていかず、行きだけは新幹線。帰りは夜行にした。

 

ちっとも大阪に来てくれない町蔵の声が聞きたさに、はるばる東京まで行くのはこれで3回目である。

ファンとは誠に馬鹿なものである。

 

昼御飯を両親とともに食べてから、新大阪へと向かう。

私が新幹線に乗るときは、あまり富士山が見えるときが少ないのだが、今日はくっきりとその雄姿を現してくれた。時代劇映画を見ていると、よく富士山が出てくる。

遠くから仰ぐ富士山はフィイル上も今も変わらない。

やはり新幹線は速いものであっという間に東京駅に着いた。

まず駅構内の本屋に入り、「新宿リキッドルーム」を探す。

大体の駅からの場所が分かったので、中央線で新宿に出る。

おお、これがアルタ前かあ、などおのぼりさんをしてしまう。

 

新宿はでかい町である。ネオンがすごい。人がすごい。

目指すは新宿歌舞伎町。

確かここら辺のビルのはずなのだが、よく分からないので交番で聞いてみると「それです」と目の前のビルを指さされてしまった。気付かなかったよ。

7Fまで歩かされ、中にはいると、やられた。

新刊のサイン付き本が売られているのである。

もう購入しちゃったのになあ、サインも欲しいしなあ。

この手を喰らったのは、これで2回目である。町蔵も罪なお人である。

さんざん悩んだあげく、サイン本を購入してしまった。クリスマス・プレゼントにしよう。

今回のライブは初めてのワンマンライブ。楽しみである。

なまじ前の方に行ってしまったために、ライブが始まった途端押し寄せる観客の渦に巻き込まれ、もちくちゃにされ、殴られ(手が当たっただけなんだけど)蹴られ、足を踏まれ、さんざんな目に遭いながらも、マーチダ・コー様のご尊顔をひたすら拝しておりました。

うう、かっこよすぎる。

しかも、1曲だけとはいえ、INUの時代の曲をやってくれるなんて、もう涙もの。

来てよかったよ。

声のシャワーを全身に浴びて、音の渦に巻き込まれ、身体をライブ空間に委ねて、全身で空気を音を歌を吸収し、受け止めていく。

何とも心地よい時間である。

ジャンプする人々で床はたわんでいるかのような錯覚にとらわれる。

酔っているのか?私は。

アンコール2回の合計1時間半のライブは、夢のように瞬く間に終わってしまった。

しかし、なにやら吹っ切れた気がする。

論文落とされて、落ち込んでいたけれど、歌う町蔵の姿を見ていると、なんだか自分もしっかりやらなければ、と思えてきた。

次回を目指してこのままのペースで頑張っていこうと思えた。

 

興奮さめやらぬまま、新宿の町を歩く。

結構夜遅いのに、町は明るくにぎわっている。

とりあえず、夜行バスが発車する東京駅まで戻る。

東京駅に着くと、メールを入れておいた東京の友達から電話がかかってきた。

「びっくりしたわ。何してるの?」

「ライブに来たの。もう帰るけど。」

あわただしいやっちゃと思われたことだろう。

 

バスの時間までまだ大分あるので、出発時間の早いバスに変更してもらう。

それでも30分ほどあるので、カフェに入り、夜御飯にサンドウィッチとコーヒーを食す。

 

バスが来て漸く乗り込む。22時20分である。

まだ興奮してて当分眠れそうにないので、購入したサイン本を早速読み始める。

本当は読むべき本を別に持ってきていたのだが、新幹線は揺れが激しいために、よんでると気持ち悪くなってくる。

自動車の中や普通のバスでも酔って文字は読めない。

しかし不思議なことに夜行バスは結構平気なのである。あまり揺れないのかなあ。

夜行バスはよく眠れないからきついとよく人に言われる。

確かにあまり眠れない。にもかからわず、眠れる人は眠れるのだ。

私の後ろの座席の人は、まだバスが発車する前から高いびきをかいて寝ている。

不眠気味の私からすれば、一寸羨ましい。

手元のライトをつけて、消灯後もなお黙々と読み続けていると、気がつけばバスの中は真っ暗。皆さん就寝に入られたようである。

時計を見ると0時半。眠れるかなあ、と思いながらも薬を服用。

寝ようと心がけるがなかなか寝つけない。

寝入ったと思えば、パーキング・エリアに着いたアナウンスで起きてしまう。

5時頃にはまたライトをつけて本を読み出した。

6時半に大阪到着。

雨が降っていて寒い。

とりあえず家に帰って、3時間ほど眠る。

 

起きて、お風呂に入り、15時からの、阪妻映画祭を観に新開地まで出かける。

18:20からの影法師もみたかったのだが、祖父母が食事に招待してくれるので、それを見ないで帰ってこいとメールが入った。

人の研究を邪魔するなんて。一方的なメールだなあ。

しかし、最近論文が忙しくてあまり祖父母の家にも行ってなかったので、無下にお誘いを蹴ることもできない優柔不断な私。

 

しかし何となく悔しいので、観たい映画だけ観て、次の映画の時間は友人を呼びだして一緒にお茶をする。

昨日からハイテンションが続いているから、会った友人はビックリ。

落ち込んでいたこの前の私はどこへ?

優しくしてくれた友人に感謝の意を述べ、(といっても呼び出したんだが)また頑張るからねと約束してみた。

 

さあ、塚口まで戻って、タクシーでレストランへ向かう。

もう半分ほど食べ終わっていたところだったが、遅れたお詫びを言いつつ食事の席に着く。

そういえば、最近わりと食べられるようになったよなあ。

大量に出してもらっている胃薬の効果が効いてきたのだろうか。

 

11月29日

久しぶりに日文研に働きに行く。

7時半に家を出て、9時過ぎに日文研に到着し、9時半より17時までRAを働き続ける。

図書館に籠もってやっていたので、図書館で私を見かけた事情の知らぬ院生たちは、私が論文の追い込みをすごい勢いでやっているのだと思っていたらしい。

やってみたいよ、自分の仕事を。

先週まではやっていたのだけどねえ。まあ、今もペースダウンをしながら続けてますが。

皮肉にも今日はアルバイト。

2カ月休んでいたので、勘が鈍っている。

あれ、これ前もあったよなあ、と思いながら単語を調べ、百科事典を調べ、データベースを調べ、調べ調べて遅々として進まぬ仕事をやっていく。

 

ええ加減にせんと気ぃ狂う死ぬ(@INU)

 

11月末なので、もう一つのアルバイトの出勤簿を提出に行く。

先輩がいたので、受理されなかったことを報告し泣きつく。しくしく。

慰められて、院生室に戻り、コーヒーを一杯飲んでから、残業を更に1時間する。

しかしよく働くなあ。

 

切りをつけて、今度は自分の調べものをする。これがなかなか出てこない。

インターネットで簡単に分かれば苦労はしないのだが、手掛かりが出てこないのが辛い。

どうやったらアクセスできるのだろう。

その人たちの所へ入門したい人はどうやって探しているのだろうか。

だんだん訳が分からなくなってきた。

10月から来ている研究生のギョームさんと、もう一人の院生と3人で話をはじめる。

私があまり日文研に来ていなかったので、ギョームさんと会うのも話すのも初めてである。

家族社会学をやっているらしい。落合先生か。

 

18時になったので、「AMP」の先行予約の電話をかける。10分ほどして漸くつながったが、席は余りよくなさそう。帰りにファミリーマートに取りに行こう。

暗くて寒くなってきたので、今年入ってきた院生と一緒に帰る。

彼は横浜に住んでいるので、週2回京都まで出てくる。

普段は国語の非常勤をしており、2児の父であるからそれこそ大変だ。

話を聞いていると私よりもずっとよく働いている。大変そう。

日文研にあまり来ないので、日文研の話や、草稿が受理されなかった話などをバスの中でしていると、「一寸、ドーナッツを食べていきません?」とバスを降りると誘われる。

話が面白かったらしい。

私も4年休学入れたら5年も日文研にいるので、漸く事情も分かってきたが、1年生のころは右も左も分からなかった。

何を聞いていいのかも分からず、どういうシステムになっているのかも飲み込めず、伝え聞く先輩からの話で判断するより他なかった。

だから、私に出来ることは、私が知っているすべてのことを早い段階から彼に伝えてあげることであると思った。

うっかりしていて自分が陥った穴に二度と他の人が陥らないように、知っているすべて、そしてコロコロと変わっていく手続きのことなどをとにかく全部伝えよう。

私は自分が苦労したから、他人も皆苦労せいとは思わない。

やらなくていいこと、省けることが分かったら、次の他人には余計な苦労や寄り道をしない方法を教えるべきだと思う。

そんなこんなで話し込んでしまい、早く帰るはずが遅くなってしまった。

 

ミスドのドーナッツが胸焼けして頭がクラクラする。

もう何も出来ない。

 

11月28日

阪妻映画祭に向かうため、神戸の新開地に行く。

新開地という場所は、昔の歓楽街だが、震災のころだったと思うが、町おこしのために芸術村にしようという試みが行われたところである。

しかし、現実は、昔の町並みを残した古い商店街のある町で、今回映画が上映されている、「神戸アート・ヴィレッジ・センター(KAVC)」を除けば、あまり芸術村といった雰囲気ではない。

しかも場外馬券場ならぬ、なんて言ったらいいのか知らないが、場外競艇券場があるために、それを目当てに来るおじさんたちが多く、近くに簡単に入れるカフェや喫茶店よりは、昼間から開いている一杯飲み屋の方が多い。

よく大阪の新世界、神戸の新開地と比較されて語られてきた町並みで、こういう言い方は良くないのかもしれないが、あまり治安のよろしくないところ、よく言えばちょっとさびれた下町である。

私はKAVCの前身であった演芸場へも行ったことがある。

そこはまさに大衆演劇、といっても綺麗な大がかりな舞台ではなく、こじんまりとした小さな舞台で、旅回りの一座が回ってくるような小屋であった。両サイドに桟敷席があり、真ん中が椅子席。桟敷席の軒には提灯がずらりと並んでおり、いかにもレトロな感じのする小屋であった。私はそんなところで演劇を見て育ったわけでも何でもないのだが、そんな小屋に異様なノスタルジックを感じて好きであった。

今はコンクリートとガラス張りのおしゃれなビルと化している。

そんな思い入れがある新開地だが、阪妻映画祭で来るのは久しぶりである。

相変わらず変わらない町並みの中、ぶらぶら歩きながら通うのまた久しぶりに味わう楽しみになった。

今日の献立は『伊賀の水月』『かくて神風は吹く』の2本立て。

恥ずかしながら、『かくて神風が吹く』は京都のみなみ会館に観に行ったのだが、連日の論文書きの睡眠不足から、不覚にも途中寝てしまったのである。話は元寇の話。

『伊賀の水月』は知る人ぞ知る有名な講談ネタである「荒木又右衛門」のはなしである。36人斬りで有名な話であるので、もちろんそのチャンバラシーンが売り物であり、戦前からよく映画化されている作品である。

来週の金曜日で阪妻映画祭も終わってしまうので、新開地通いも来週までか。

みなみ会館に続いて、こちらも観客層はおじさん、おじいさんばっかり。ほとんど若い人を見かけることがない。まだ京都の方が若い観客が多かったような気がする。

 

今日は本当ならば、女学院でアルバイトの日であった。

だが、論文を書く気でいた私は、予めお休みをいただいていたのである。丁度この辺りが最後の追い込みに当たるであろうと思っていたから。

それが無下にも受理されず、12月提出不可となった私は、随分落ち込んでいたが気晴らしと資料探索を兼ねて、こうしてまた映画館通いをはじめたのである。

両方ともビデオになってくれるといいんだけれど。

 

映画が終わり、町に出ればもうクリスマス一色である。

あー時が経つのが早すぎる。恐ろしや。

 

 

11月27日

日文研に行って、夜映画を見る予定だったが、これも朝から起きあがれずに断念。

昼過ぎまで、倒れている。

漸く午後になって始動開始。

梅田へ出て、映画を2本見る。

昨日、見逃した「たそがれ清兵衛」と「国姓爺合戦」。

諸刃の剣も両手で使うのかと感心してみてしまった。

反りのある片刃の剣は片手で使っているイメージがあったのだが、諸刃の剣は重いせいか両手で振り回し、切り倒し、突き刺していた。

オランダ側のフェンシングのような剣はもちろん片手で使用していた。

なかなか接近戦は面白かった。

国姓爺合戦にも武術指導の人の名前が見られた。中国の方だと思う。

鎧をつけていても動きがアクロバティックで、飛んだり蹴りが入ったりする。

それに刀がついてくるのだから、なかなかの迫力だ。

それに対して、「たそがれ清兵衛」は、言うこと無し。

「SABU」を見逃したのは痛かったのかなあ。

またどこかでやるだろう。

明日は阪妻映画祭。楽しみである。

まあ、これも仕事のうち。

 

11月26日

今日の予定は「たそがれ清兵衛」をみて、研究会に参加するはずだった。

だが、完全に沈没してしまった。

しんどくて、身体が痛くて、どうにも起きあがることが出来ない。

もちろん何も食べることが出来ない。

床に伏せったまま、時間だけが過ぎていく。

どうしても起きあがれないのだ。

トイレに行くのもやっと。

漸く動けるようになったのは19時半頃。

とりあえず薬を服用するが、食欲がない。

プロテインを栄養補給のために飲むのが精一杯。

お風呂に入り、目が覚めるかと思いきや、よけい体力を使ったらしく更にしんどくなる。

どうも、論文のために今まで無理してきたつけが回ってきたようだ。

23時半には、立ってることも座ってることも出来ずに、再び床にはいる。

今日も薬は忘れずに。

完全にダウンしたのは久しぶりだ。

ひきこもりかなあ。

 

11月25日

3時に目覚める。

覚醒。

頭痛がひどい。

身体が震えている。

やはり薬を飲まなかったのがいけなかったのか。

反省。

今から飲んでいるとバイトに間に合わないので、我慢する。

覚醒してしまっているので、どうしようもないのだが、とりあえず目覚ましをかけて、横になる。

すごく気分が悪い。

かすかに震えるからだが居心地を悪くさせる。

寒い。

アルバイト中もかすかに身体が震えて、寒いような気がして身の置きようがない。

しかし、今日も甲野先生が女学院に来ていらっしゃるというので、バイトが終わったら稽古場に向かう。

剣術、杖術をたっぷり見せて貰い、ただただ感心するばかり。

お決まりの祓い太刀をしていただき、稽古を終える。

その後は懇親会。

調子悪い癖に、懇親会まで参加する私は馬鹿者。

家に帰ったら、もうぐったり。

今日はちゃんと薬を飲んで寝よう。

 

11月24日

阪東妻三郎映画祭が神戸で開催されている。

京都で開催されているときに、ビデオになっていない作品も上映されるので、なるべく観に行っていたが、論文を書きながらだったので、全部は見られなかった。

論文が延びてしまった今、見損ねた作品を見ようと来週まで神戸通いが続く。

昨晩遅かったので、映画の途中で眠気に襲われてしまった。

不覚。

薬を飲んでも不安でよく眠れていなかったから。

まあ、今日の作品はビデオがあるので、それでもう一度見直そう。情けない。

 

家に帰ってきて、書きかけていた論文のビデオを見るが、また眠気に襲われる。

不眠が治ったのかなあ。

だったら嬉しいなあ。

何とかビデオを見て、お風呂に入っていたら両親から電話。

夕食の誘いである。

お寿司屋さんに行って、日本酒とチューハイを飲み、刺身を喰らう。

家に帰ったら、すごく眠いので、薬無しにチャレンジ。

お休みなさい。

 

11月23日

甲野先生の稽古会があったので参加させてもらいました。

論文にももちろん取り入れたいが、とにかく家にいてパソコンの前に座っていることができなくて、外出することにしたんですわ。

みんな好きなことをしていて、自分から何かしないと得られないと言う不思議な稽古会でした。

最後のほう手裏剣をやらせて貰って、私は密かに満足してました。

でも知らない人たちが多くて、今更人見知りという柄でもないけど、昨日のショックから立ち直れず、人見知りしてしもうたら、もう孤独で。

30人ぐらいで飲みにいってもただ一人孤独で。

あー、自分がコントロールでけへん。

結局わぁわぁと喧噪の渦巻く中、孤独に過ごしてしまい、更に悪循環。

 

一度家に帰ってから友人と三宮で待ち合わせて映画を観に行きました。

もちろん気晴らしに誘ってくれているのですから、洋画です。

「マイノリティ・リポート」

ハリウッドのご都合主義が多少なりとも鼻についたけれども、金がかかって出来ているなあと楽しんでもみました。これって、そのうちデレクターズカット版が出るのかなあ。

友はとってもいい人なので、落ち込んでいる私を必死で慰めてくれました。

いい友人を持って、私は幸せ者です。

感謝せねば。

 

11月22日

紅葉狩りには行きはりました?

何や寒いんやようわからん日々が続いておりますなあ。

11月はいかがお過ごしどすか?

 

私は今日で死にましてん。

浸食忘れてとはちとオーバーやけれど、不眠不休に近い状態で、論文書いてましたのや。

せやけど、まだ2週間は猶予があるというところで、指導教官から却下されてしまいましたんや。

残りの2週間全力投球すれば出せんことはない。

せやけど、審査がきわどい。

きわどいんやったら、安全策を採って、次回に延ばせという話でしたんや。

前回よりは内容もよくなってきているとは言うてくれはるんやけどね。

後一押しが足りんのやね。

はっきり言って泣きましたね。悔しゅうて。情けのうて。

 

自分でも分かってたんですわ。時間の配分待ちごうたことは。

バイトに余りにも時間取られ過ぎてたんですわ。

働いてる場合やないのに、働いて、それだけで疲れてしもうて、肝心な論文がでけへん。

辛いなんてもんやないね。

頭真っ白になって、その日は何もできやしませんでしたわ。

 

あー。また鬱に陥りそう。

 

 

 

10月30日

今日は腹痛も対したことなく、朝早くから目覚めた。

4時間睡眠だから、まあ合格。

今日は朝一のを観てから日文研に行かなくてはいけないので、8時には家を出る。

バスの時間が分からなかったが、以外に早く映画館に着いてしまった。

本を読みながら時間を潰す。

2本立てを観て、パンを買って、日文研に行く。

書類の提出をして、5時までの図書館で資料のコピーをする。

必要な事項を探しながらコピーをしているので、なかなか捗らない。

あっと言う間に17時になってしまい、本を2冊ほど借りて院生室に帰る。

漸く遅めの昼食のパンを食べる。薬も飲んで一段落。

他の院生と喋っていたら18時になってしまった。

辺りは真っ暗。

慌てて今日する事をすまそうと、インターネットで検索したり、さっきコピーした資料を整理したりしていたが、だんだんと冷えてきてたまらなくなった。

昨日も寒かったが、日文研も寒い。

それでも19時半近くまでは作業をしていたが、とうとう根をあげて帰ることにした。

寒いよー。

これからも京都通いが続く。

冬に向かっていって寒くて嫌だなあ。

 

10月29日

朝から七転八倒。

月のものが到来すると毎回こうなるのだが、生理休暇は必要だと思う。

っていっても私に休暇も何もありはしないのだが。

腰痛、腹痛、頭痛がセットで襲ってきて動けない。起きあがれない。

映画に朝から行くはずだったのだが、それどころではなかった。

今日は2会場でやっているのを梯子して、4本の映画を観る予定だった。

しかし、どうしようもない。

セデスを飲んで静かに休んでいた。

 

漸く午後になって薬が効いてきた。

気分転換にお風呂に軽くはいる。

2本の映画は見逃したが、もう2本はまだ間に合う。

時間が中途半端なので、とりあえず河原町まで出て、カフェ・オパールへ。

16時過ぎていたので、ランチタイムは終了していた。

朝からもちろん何も食べていない。

朝の薬も2時頃に飲んだ始末。

とりあえずベーグルサンドと温かいミルクティーを頼んで、薬と一緒に胃に入れる。

鎮痛剤ももう一回服用す。

胃が荒れ放題だね、きっと。でも少し食べ物を入れたから大丈夫かな。

今日の会場は東一条にある日本イタリア会館である。

京大のすぐそばだ。

丁度バスが店の目の前のバス停から出ているので、それに乗ってでかけようとしたところ、エレベーターで兄とすれ違った。

「映画に行ってくるわ、じゃあね」と言葉を残して去っていく。

映画が終わったのが20時。

バス停でバスを待っていたのだが、余りにも寒い。

寒くてがたがたと身体が震えて、どうにも止まらないのだ。

早くバス来いと願い続けて15分。

1時間も待たされたような気がした。

さすがに1条あたりまで上がると寒さも一段。

塚口に降り立ったら暖かく感じて、ホッとした。

お風呂で暖まって、明日の映画に備えよう。

 

10月28日

女学院にてアルバイト。

朝、郵便局に用事があったので、学校近くの郵便局に寄ってから出勤。

余裕である。

仕事もそれなりに忙しい。

一応読書は出来たけれど、あまり捗らなかった。

家に帰ってから大ドジをしていたことに気付いた。

今日付けで〆切の書類を提出していなかったのである。

私の中では31日までだとばかり思いこんで余裕でいたのである。

なんたるとんま。

 

大慌てで書類を書き込み、先方へはお詫びの手紙と書類をFAXで一応流し、その上で、銀行へ駆け込み、申込金をおろして、本局の郵便局へ行き、そこで糊を借りて封じて、速達でお願いした。

大丈夫だろうか。

頭がパニックになり、家に帰ったが何も食べるものもなく、更に貧乏で外食すらままならず、ダイエーは既に閉店しており、すっかり頭を抱えてしまった。

選択は二つ。

夕食を抜いて今日を終わらせること。

使いたくはないが、祖父母の家に救援を求めて食べさせてもらいに行くこと。

ここで食べないと、また何にも食べない生活パターンに戻りそうである。

最近は食べたくなくても、何か口にするように努力してきた。

1週間の半分ぐらいは1日2食というすばらしい成績を収めてきたのである。

今日は昼は抜かしてしまった。

さんざん悩んだあげく、後者を選択。

頭を下げて、ご機嫌うかがいも兼ねて顔を出させてもらった。

すると、祖母が言うに「今日はなおちゃんが来るような気がして、たくさんおでん作ったのよ。よかったわあ、来てくれて。」

何とラッキーなこと。

有り難いことである。

本当に私って一人では生きていけないあかんたれやなあ。反省。

 

10月27日

どうもお金がない、お金がないと思ったら、10月は学費を払っていたのだった。

それに加え、映画ばっかり観に行っているから、交通費だの、映画代だので、出費がどんどんかさんでいたのであった。

貧乏。貧窮。

追い打ちをかけるように月末は光熱費の請求が来る。

苦、苦しい。

そんなときに単発アルバイトの話なんかされちゃあ、飛びつきますわなあ。

ということで、映画を我慢して、午前中はアルバイトをしてしまいました。

映画をとるか、金を取るか、なんてさもしい人生を送ってんだろう。あぁ。

 

アルバイトを午前中にしたのも、実は映画に間に合うかなという密やかな計算があったのだが、これが大の誤算であった。

映画館があまりにも遠すぎたのである。

時間を計算に入れていなかった大馬鹿者。

しゃあない、これも人生や。

としょうもないこと言ってへんで、書くもの書けよな。ぼけ。

 

しかし、夜は気晴らしの日。

扇町ミュージアム・スクエアが閉鎖するので、そのラスト・パーティがリリパット・アーミーによって行われたのである。

当然中島らも氏のコント特集になるのではと期待していたが、そういう風ではなかった。

まあ、昔のメンバー、ひさうちみちおやチチ松村などとのトーク。

これは分かる。昔話が聞けてなかなか面白かった。

中島らもによるミニ・ライブ。

これも十分期待できるものであった。

牛歩舌術による語りはなかなか面白かった。

しかし、最後の90年のビデオと同じ作品をリメイクした96年度版のビデオの比較をして、昔をしのぶのは、確かに面白い。

みんな若かったし、私はリメイク版より90年版の方が好きである。

しかし、いかんせん、語りがだんだん昔からリリパット・アーミーを観てきたファンにしか通じない内輪受けのトークに陥りがちだったのが惜しかった。

そして、中島らもがライブしか登場しなかったのも寂しかった。

それでも楽しめたのは事実だし、小劇団が活躍する場が減っていく寂しさも感じた。

近鉄小劇場も来年一杯で閉鎖だという。

彼らの舞台を観に行くには、もう地方に出来た地域復興の新しい会場しかないのだろうか。

寂しい世の中である。

なんかいろいろとサブカルチャーについて考えさせられた夜になってしまった。

映画館の閉鎖も後を絶たない。

映画も演劇も生きにくい時代なのだろうか。

 

10月26日

日文研公開セミナーにて「柳生新陰流の世界」というのがやる。

友達に柳生新陰流をやっている子がいるので、誘って一緒に聞きに行く。

話よりも演武が楽しみである。

電車の中で、簡単な知識を教えてもらう。

知らなかったのだが、柳生新陰流には江戸型と尾張型があり、江戸型は厳密に言うともうなくなっているそうである。

かろうじて、伝えられてはいるが宗家はいないとのこと。

必然的に、本日行われるのは尾張型と言うことになる。

講演中や演武中も、横で色々解説してくれるので大変面白かった。

しかし、抜刀術はいただけなかった。

なんか出てきたときから、腰が据わっていないし、明らかに下手に見える。

抜刀術は抜き出すスピード感や、納刀のスピード感(切っ先を鞘に入れるまでだけだが)がひとつの見所だと思っていたのだが、序破急も感じなければ、切り込むときにふらついている始末。

ちょっとがっかりしたな。

剣術の方は袋竹刀で二人組んでやるので、断然型でも面白い。

こっちの方がチャンバラ向きだな。

 

なかなか面白いものがみれて、よかった。

何とか自分の肥やしにしてみたいものである。

 

10月25日

今週二度目の引きこもり。

一回目の火曜日は、それでも頑張って日文研に行ったが、今日はダメ。

完全な憂鬱に陥っている。

原因なんてわからない。

しんどくて、しんどくて、どうしても家を出ることが出来ないのだ。

もちろん、だからって家で仕事をしようにもそんな気力も体力もない。

情けない。

どうしてこういう状態に周期的に陥ってしまうのであろうか。

お料理教室はあきらめ、せめて映画だけでも見に行こうとするが、昼間を過ぎてもまだ動けない。

服も着替えて、顔も洗い、用意は調っているのに・・・

悪循環の自己嫌悪にとらわれて、膝を抱えて壁を見つめるだけ。

ここのところ、調子がよかったのではなかったのか?

12月の予備審査に向けて、こんな事をしている場合ではないのは自分が一番よくわかっている。

なのに、徒に時間が経つのみ。

空虚。ぽっかりと空いた穴。

気がつけば夕方になろうとしている。

慌てて病院へと出かける。

この状態を救ってくれるのは主治医だけだと思う。

診察にはぎりぎり間に合った。

今日は思ったほど混んでいなかったので、待合いでも気分が比較的に楽である。

 

食欲がないこと。眠れることは眠れるが、薬を飲まないとてきめんに眠れなくなってしまうこと。周期的に起きる激しい引きこもり。共に訪れる偏頭痛。

時間が経っていくことに対する焦燥感。

自己嫌悪への悪循環に陥りそうになり、必死で這い上がろうとしている自分がいること。

先生は静かに話を聞いて下さる。

そしておもむろに「上着を脱いで」といって、肩から頭にかけて、ツボをおさえていく。

そのどの点もめちゃくちゃに痛いのである。

「痛い」というと、「痛いやろう。そんなに肩が凝ってたら食欲も出ないよ。頭痛も起きる。左の奥歯に虫歯はない?」

「虫歯は治療しましたが、親不知が生えてます。」

「ふーん」それ以上何も言われない。でもツボを押さえただけでどうして分かったんだろう。アンバランスになっているという事かな。

「寝る前の薬も胃薬もそのまま変えません。ただ、漢方をひとつ増やすね。肩こりのきつい人、便秘気味な人に効くから。漢方2袋だけでも結構お腹一杯になるからね。食前に服用するんだし。それで食べたくなかったら、漢方を御飯代わりにしてもいいよ。食べたくなったら、食べたいものを食べ。無理しなくてもいい。とにかく、今は薬、睡眠、栄養、気晴らし、これが大事。これを守って。薬は勝手に辞めないこと。」

帰ると不思議と気分が楽になった気がする。

私にはまだ主治医が必要なのだな。

 

10月24日

昨日の発表はまあまあといったところか。

質疑応答に1時間。

小松先生より、いろいろな問題点を提出され、反省するべき点はたくさんある。

これを皆消化して、博士論文に入れなくてはならないのだろう。

あー、気の遠くなるような作業である。

しかし、いろいろな質問が聞けたことはやはり勉強になった。

もう一人の発表がすんだあと、いつものように懇親会。

今日は人数が少ないので、コモンルームにいる先生方にも声をかける。

結局、院生よりも先生方の方が多い懇親会。

ちょびっと緊張するなあ。

でもお酒が入ってくると、いろいろと面白い話がたくさん聞けて楽しかった。

肩の荷がひとつ下りたせいかもしれない。

結局終電で帰り、家にたどり着くとどっと疲れが出て倒れ込んでしまった。

 

今日は女学院でバイトだったが、よく起きて出勤できたと思う。

そういえば、最近5時間ほど眠れるようになってきて、身体が睡眠を思い出してきているように思える。

でも、前回やってしまったように、飲まなければ、結局一睡もできないのは事実である。

薬に頼らなくては眠れないのは仕方がない。

今日は無謀にも、バイトのあとにNOVAを入れていた。

今日行っておかないと、レベルチェックにひっかかるからである。

全然行っていない(二ヶ月に1回)ので、フランス語の方は、どんどんと落ちている。

今日も余りにもヒアリングが落ちていて、自分でも愕然としてしまった。

英語の方はもともとレベルが低いので、ぼちぼちといったところ。

英語の先生に、「このペースでそれだけしゃべれるんだったら、詰めてレッスンを受ければすぐにレベル・アップできるのに、何故来ない」と質問される。

「博士論文を書いていて暇がありません」と答える。

だって本当のことだもん。

帰ってから、きのうの問題点を整理して、読みかけの資料を読み終える。

また夜が遅くなってしまった。

早く薬を飲まなくては!!

本当に薬中やなあ。

 

10月22日

怪我にも負けず、映画に通い詰め、結構順調にいっていたと思っていたらこけた。

昨日いいことがあったのに何故?

朝がどうしても起きられないのである。

しんどくて、頭が痛くて、だるさと倦怠感に包まれ、倒れているばかり。

しかし、どうしても今日は日文研に行かねばならない。

映画の方は、一応ビデオを持っているやつだったので諦めて、午前中いっぱい床にふせっていた。

昼過ぎに漸く活動を開始。

ずるずると這うように日文研に行き、しなければならない用事を済ませていく。

馬鹿なことにFDを忘れてきたので、仕事がそれ以上出来ないことに気付く。

これは家にかえってするしかないと断念し、資料を持ち帰って帰途につく。

朝から何も食べていないことに気付き、閉店間際のダイエーに駆け込んで、半額になったサラダとお寿司を買って帰り、それを食べながら発表原稿を作成する。

深夜に至るまで仕事をして、漸く仕上がる。

明日は朝一番で映画を見てから、日文研に行って、発表である。

あー、忙しい。

なのに、なんで今日みたいにこけるんやろう。とほほ。

 

10月21日

女学院にてアルバイト。

さすがに切羽詰まって、ノート・パソコンを持ち込んで合間を縫って内職。

しかし、こういう日に限って忙しいんだよねえ。

まあ、内職する方が間違っているのだから文句は言えません。

もちろんお仕事優先です。

あっと言う間に五時になって、お仕事終了。

家に帰ってからも、パソコンに向かう。

ビデオのチェックも行う。

 

夕方外科へ診察。

運のいいことに、額を縫ってくれた先生に当たった。

「もう来なくてもいいですよ。軟膏を出しておきますから、朝晩家でそれを傷口に塗っておいて下さい。色は落ち着いてきたら、傷口も目立たなくなると思いますから」。

あー、なんて嬉しいの。

この毎日毎日病院に通わなくてはならないのは結構時間の拘束であり、苦痛でもあったのである。

絆創膏はまだ貼られているが、いずれ取ってもいいとのこと。

お風呂もシャンプーもOKが出た。

やったー。

 

久しぶりにカイロプラティックに通う。

怪我をして以来行ってないからだ。

相変わらず身体は曲がったまま。

おまけに間があいたから更に元のゆがんだからだに戻りつつあるのでは。

しかし、怪我の話をされてしまい、なんだかゆっくりとリラックスした気分がしなかった。

帰ってからもパソコンに向かい遅い時間まで、仕事をしていた。

明日は朝から映画を見て、日文研に行かなくてはならない。

早く寝なくては。

 

10月20日

今日も阪妻映画祭である。

ロシアに保存されていたために、紛失を免れた映画『鍔鳴浪人』『続鍔鳴浪人』の二本。

フィルムの保存状態は決してよくなく、見に来ていたおじいさんの証言によると、幾つかの場面がカットされて短くなっているとのこと。

それでもチャンバラの多い、面白い作品であった。

阪妻の立ち回りは独特で、猫背で構えているところから、美シートからだが伸びるように刀が出るので、妙に迫力を感じてしまう。

感動して家に帰ってきた。

 

家に帰ってからは、水曜日の発表に向けて、レジュメの準備。

はあ、間に合うかしら。

 

10月19日

昨日は朝から忙しかった。

まずは、京都のみなみ会館にて、阪妻映画祭2本立てを見る。

今日のメニュウは、『忠臣蔵(天の巻、地の巻)』と『決闘高田の馬場』である。

「高田の馬場」の方は、ビデオで何回も見ており、発表にもよく使っているのだが、どうせ見るなら映画館でしょう。

ビデオに比べても、音が格段にいいのは何故だろう。

大画面でたっぷりと楽しませていただいた。

今日もお客はおじさん、おじいさんがほとんど。

阪東妻三郎って言う役者は本当に男惚れされる人なのね。

映画を見終わってから、母と義姉と河原町三条で待ち合わせ。

母の買い物に付き合う。

そのあと、カフェ・オパールにて遅い昼食を取る。

もう15時半だよ。

帰り、またもや阪急で母の買い物に付き合い、帰途につく。

私はそのままシャンプーをしてもらいに美容院へ。

もうすっかり顔なじみである。

シャンプーが終われば、次は病院である。

この毎日通わなければならないのは結構辛い。

時間をとられるわりには、簡単に消毒だけされて、何も進展がないのだから。

未だにお風呂も禁止。髪の毛も自分で洗えない。情けない。

家に帰り、本当はダメなんだろうけれど、勝手にシャワーを浴びる。

だって、気持ち悪いんだもん。

しばし、発表の準備をしてから、今度は22時半に友達と難波で待ち合わせているのででかける。

 

友達は名古屋に住んでいる。

添乗員をしていて、今回大阪に来るというので、仕事が終わったあと一緒に飲みに行くことにしていた。

久しぶりである。

怪我をしているので、驚かれた。けれどそのあと笑われた。チェッ。

積もる話もたくさんあり、あっと言う間に終電がなくなってしまう。

仕方がない、あった時間が遅いのだから。

そのまま、ホテルに泊めてもらうことにした。

だらだら喋っていると、あっと言う間に4時。

明日は研究会があるし、そのあと友人に会う約束をしている。

その前に病院にも行かなくてはいけないので、8時にはホテルを出て帰らなくては。

向こうは眠気を感じて、心地よい寝息をたてはじめている。

私は薬を飲むべきか迷った。

今飲んで、明日の朝起きれなかったらどうしようという不安があったからだ。

結局、薬を飲むのを断念。

少しぐらいは眠れるだろうと思っていたのだが、これが全然ダメ。

結局1時間ぐらいは眠ったと思うが、ほとんど徹夜で過ごしてしまった。

 

起こさないように8時前に歯を磨いて、帰る用意をする。

すると親切にも携帯で目覚ましをかけていてくれたらしい。

結局起こしてしまった。

「じゃあ、帰るね」と言って、ホテルをあとにして慌てて自宅へ戻る。

9時に家に帰り着き、ぎりぎりセーフ。

実家に電話をして、病院へ。

 

今日も簡単に消毒だけされて、絆創膏を貼られる。

膝の方はもうかさぶたになっているのでいらないと思うから、「まだ、必要ですか」と聞いてみるとまだダメといわれる。

そういつまでもいつまでも貼られていると、永遠にお金を取られるのではないかと思ってしまい、つい不快になる。

額の方は、さすがにいつも外に出ているところなので、文句は言えない。

一体いつになったら治るというのか。

抜糸はすんだというのに、いつまでも長いなあ。

 

早めに昼御飯を食べて、久しぶりの日文研へ。

寝ていないので、気分がすぐれない。電車の中で寝ようと努力するが、全く眠れない。

おまけにバスには酔ってしまった。

怪我をして以来、日文研へは行ってなかったので、郵便ポストにいろいろと溜まっている。

頼んでいた本も届いたみたいだし、依頼していたが無理だった文献もある。

今日の研究会はとにかく長い。

14時から19時まである。

発表者はたったの二人。ひとつが長いのだ。

一つ目の発表に興味があったのと、指導教官を捕まえるために出席したのだが、時間がどんどん経つにつれて、めまいがしてきた。

指導教官にサインももらったし、一つ目の発表も聞き終えたので、あまりの気分の悪さに帰ることにした。

その前に院生室によって調べものを幾つかしてバスの時間まで過ごす。

 

今更ドタキャンできないので、ちょっと会う時間を早めてもらって、神戸まで電車でそのまま出る。とりあえずカフェに入って、お腹も空いてないが、夕食にサンドウィッチを食べる。そのまま気分があまりすぐれないので、ゆっくりと座りながら話をする。

研究会の場は辛かったけれど、現金なもので、心を許した友人と一緒に過ごすのは結構楽である。

やはりリラックスしているからだろうか。

それにしても、長い1日だった。

今日は、いくら何でも眠れるだろう。

 

10月17日

女学院にてアルバイト。

今日は忙しかった。出だしが遅かったので、暇かなっと思いきや、次から次から利用者が来て、最終的には64人。満員御礼。

最後まで見ている人も結構多く、後片づけが大変。

何とかすませて、帰途につく。

疲れた。

 

帰ってからはまた病院。

抜糸されても、消毒されて、絆創膏を貼られるだけ。

全く進展無し。

今日も、何となく消毒がしみるんだけど、抜糸が失敗だったのではと不安になる。

額だけに、目立つし、早くよくなりたいのだが、どうなっているのかがよくわからず不安。

心配をしているという祖父母の家に帰りは寄ることに。

まあ、もう額の絆創膏だけ、いや、膝も残っているか、でも膝はジーンズをはけば目立たないから、目につくのは額だけ。

ご心配かけて申し訳ない。

母には、早く治すためにはしっかり栄養をつけなくてはいけないと何度も言われる。

それは分かっているんだけど、食欲があまりないのだから仕方がない。

それでも最近は頑張って食べるようにしている。

1日1食から1日2食の日が増えてきた。

まあ、一回分の量は大したことないけれど。

頭も使わなきゃならないし、栄養は必要なのは十分承知している。

しかし、調子に乗るとすぐ胃にくるからなあ。

 

祖父母の家では揚げ物がメインであった。

今の私の胃には、揚げ物は結構きつい。

少しなら食べられるが、普通の量食べると、胃がもたれて苦しい思いをする。

仕方ないので、揚げ物以外のものをいただく。

発表の準備があるので、食べるだけ食べて、先に帰らせてもらった。

まあ、顔を見せたからいいだろう。

 

家に帰ると頭痛と共に軽い睡魔が襲ってくる。

そういえば、負傷してから、睡眠時間が減少していた。

レジュメを作らねばと思いつつも、睡眠も大事だし、目覚ましをかけてとにかく横になる。

そのまま寝入ることはなかったが、うつらうつらしながら1時間ほど休息。

目覚ましの時間まで眠れなかったけれど、少し頭がすっきりしたので、発表準備に取りかかる。

あっと言う間に12時。

明日は映画で朝が早いから、寝るかあ。

 

 

10月16日

各種支払いを済まして、貧乏。

一番痛かったのは学費。銀行の残高を見て呆然。貧窮。

11時半頃に病院に行く。

いつものように消毒だけされる。

「隣の席に移って下さい、絆創膏貼りますから」と言われ、席を移ると、診察していた先生が思いだしたように「あ、顔抜糸」と言う。

診察席に戻されて、懐中電灯で照らされ、いきなり抜糸。

縫うときは麻酔をかけてもらったけれども、抜糸は麻酔なんてない。

さすがに痛かった。細かく縫われていたので、ちくちくと糸を抜かれるのがいちいち痛い。

抜糸後の消毒もしみる。

ガーゼと絆創膏をぺたりと貼られる。

鼻の上のところも貼られるが、縦に貼るので、ガーゼが浮いている。

 

気持ち悪いので、病院を出たあと、取ってしまった。

傷は乾燥していてかさぶたになっていた。

そのまま昼食を食べにお蕎麦屋さんに行く。

鏡で見ると、目の下がかぶれている。

あと何回消毒に通わなければならないのだろう。

膝は昨日と違う先生だったので、また貼られてしまった。

まだお風呂はダメだという。

 

家に帰ってから、絆創膏を取った傷跡を消毒しておく。

あとは額の傷だけだ。(膝もあるけど、これも取りたい)

 

少し気持ちが軽くなった。

家でレジュメを作ろうとするが、なかなか捗らない。

ちょっと、お昼を食べ過ぎたのかな。胃が重い。

明日は女学院にてアルバイト。

もう怪我騒ぎは終わりにして、早く準備に取りかからなくては。

 

10月15日

連休の間、顔や身体を濡れタオルで拭いたりしていると、頬のところの絆創膏も外れてしまった。しかし、鏡で見るとほとんど傷跡が残っていない。

まあいいやと外したままにしておく。

 

病院は不便なところにあるので、いつも母に車で連れていってもらっている。

その母が、ゴルフだというので、夜に病院に行くことにした。

午前中は、昨日映画を観すぎたせいか知らないが、強烈な頭痛に襲われて起きあがることが出来ない。

来週の発表に準備をしなくてはいけないのだが、どうにもならず、結局午前中いっぱい床にふせっていた。

午後になって漸く起きあがり、美容院にて、シャンプーをしてもらいに行く。

こんな顔で行ったのであるから、すぐに覚えられてしまった。

2日に1度は通っているので、向こうもなれたものである。

嫌な顔一つせず、(って客だから当たり前か)「シャンプーですね」とすぐに応対してくれる。

肩から首筋までマッサージもしてもらって、大分楽になった。

頭もさっぱりしたし。

ゼミの担当の人に、とりあえず発表題だけをメールする。

ついでに持ち時間の確認をする。

今回はちょっとビデオを編集している暇はないので、何本かのビデオを持って行くしかないな。

読みかけている本を読んで、レジュメの構成を考える。

今日は昨日と同じプログラムなので、映画はお休み。

あと少しで読んでいる本が終わりそうなので、残りの1日は読書で過ごした。

 

夕方、ものすごい雨と雷に驚く。

病院は8時までなのだが、なかなか母から連絡が来ない。

こっちから連絡してもつながらない。

いらいらしていると、19時半頃に漸く連絡が入り、病院へぎりぎりに駆け込む。

勝手に取ってしまった絆創膏の箇所については何も言及されなかった。

消毒さえもされなかった。

膝の傷は、見た目にはほとんど治っていると思われるので、絆創膏が必要かどうか聞いてみたら、「あと1日ね」と言われてしまった。

あとは鼻の上と、額である。

鼻の上のところは、絆創膏を貼ると、丁度目のぎりぎりのところに粘着テープがくるので、かぶれてきていてかゆい。

だけどもまだ貼られているから、仕方がない。

 

午前中、倒れていたせいもあって、今日も朝から何も口にしていなかった。

口にしたのは、薬だけ。

化膿止めの薬は今日で終わった。もう処方されないところをみると、化膿する可能性はもう無いという事かな。

帰り、母は食事をしてきたために遅くなったという事で、どこかで食事をおごってくれるという。

血を作らねばならないので、肝刺しが食べたくなり、焼鳥屋というか居酒屋みたいな所に行き、小皿をいくつか取って食べた。

これで、今日の栄養はいいだろう。

 

帰ったら、何故かすごく疲れていた。

レジュメ作らなきゃいけないのに、もう何も出来ない。

必要な資料だけ机のまわりに積み上げた。

力つきる。バッタリ。

 

10月14日

今日は、帰りが遅くなるので、大してお腹も空いていなかったが、栄養のためを思い、母と一緒に昼御飯を食べる。栄養価の高いオムレツである。

お腹がいっぱいである。

 

京都線の中で本を読んでいたのだが、満腹感と、このところの寝不足のせいで、うつらうつらと少し眠れることが出来た。

まず最初は、活弁士付きの上映である。

おじいさんが多くて、満員御礼である。

作品は、「乱闘の巷」(断片)と「雪の渡り鳥」の2本。

市川雷蔵祭の時は、女性の客が大半を占めるのであるが、阪妻の場合は、男性客が圧倒的に多い。

阪東妻三郎は、男惚れされる役者だったのだろうか。

活弁が終わると次は、「佐平次捕物帖 紫頭巾」「大江戸五人男」の2本。

「大江戸五人男」は最近も見たのだが、2本立てだったので、スクリーンでやはり観たいので観ることにした。

よくできたいい映画である。さすがは伊藤大輔監督。

 

「乱闘の巷」は殺陣のシーンが迫力あって面白いが、残っているのは2割の断片だけである。こうした古い日本映画が散逸してしまっているのが非常に惜しまれる。

全編観たら、さぞや見応えがあっただろうなあ。

 

10月13日

実は昨日から、京都で「阪東妻三郎映画祭」が行われている。

映画なぞ呑気に見ている暇はないのだが、何せビデオになっていない貴重な作品がずらりと上映されるのであるから、チャンバラシーンを見に行かなくては、こんなチャンスはいつ来るか分からない。どれも本などで読んだことのある作品ばかりである。スチール写真しか見たことのないシャシンである。殺陣を語るには、やはり見ておかなければ語れない。

実際に動きのある映画そのものとの出会いは第一資料と言えよう。

ということで、今日から、ほぼ毎日、みなみ会館という映画館に通うことになる。

映画館には行って、暗闇になってしまえば、人の顔も気にならない。

 

帽子に大きめのサングラスという怪しい格好で出かける。

今日見るのは、「江戸最後の日」と「無法松の一生」。

実は2本とも見ている作品なのだが、「江戸最後の日」は随分前に見たので、記憶が曖昧である。2本立てだったので、チャンバラ映画ではないが、大好きな「無法松の一生」もついでに見る。この映画はいつ観ても泣いてしまう。

 

両親が、連休だし、私が京都に来ているので、兄の店に出資に行くという。

映画が終わったら来るようにいわれる。

この顔で?嫌だなあ。

だが、今日は朝から何も食べていないので、夕食を食べに行くつもりで、出かけることにした。

兄が一言「お前、すごい顔になっているやん」ほっといてくれ。

あとから出勤してきた義姉が一言「順子ちゃん、どうしたの??」

ほらね、だから嫌だって言ったのに。

自業自得だから仕方ないか。

鼻の下に貼ってあった絆創膏が自然に取れてしまった。

傷口を見るとたいしたことなく、ほとんど治癒している。

風にさらすのも一つの手。結局はずしてしまった。

火曜日に医者に行ったときに、必要だったらまた貼られるだろう。

一つはずれると、随分気が楽になった。

 

さあ、明日は4本の映画を見に行くぞー!!

 

10月12日

夕食を友人と食べる約束をしていたのだが、この怪我。

行きたくないので、キャンセルしようと思い連絡。

理由を述べると、逆に心配されて、こっちに見舞いに来るとのこと。

こんな顔、会わせられないよ。

断ろうとするのだが、来ると言って聞かない。

仕事があるので、20時半頃に来るから、家にいることと言われる。

その心は有り難いんだけどねえ。

 

午前中、消毒してもらいに行く。全く進展なし。

怪しい格好で、マンションの3軒隣にある美容院に、髪をシャンプーしてもらいに行く。

とにかく栄養をつけて、よく寝て速く治すことと両親に言われる。

大体栄養が足りないと言われ、昼御飯に誘われる。

理屈は確かにそうである。栄養不足だと細胞が活発に働かないだろうから、傷の治りも遅くなるだろう。

しかし、お腹は全然空かないし、食欲はない。

だけども傷は1日でも早く治って欲しいのが本音。

仕方なしに出かける。

どこへ行っても、どうしたの?と驚かれるばかり。

だから嫌なんだよなあ、といっても悪いのは自分なのだから、仕方ない。

 

さすがに謡曲のお稽古があったが、お休みさせてもらった。

あとは家に閉じこもるばかり。

天気があまりにもいいので、気分転換に、掃除と洗濯をする。

気分が塞いでいるので、せめてさっぱりしようと思ったのである。

そのあと、濡れた厚いタオルで全身をごしごし拭く。

ちょっとは身体もさっぱりしたかな。

友人から連絡が来るまで、家で読書を始めた。

気分転換を謀ったのが功を奏したのか、結構集中して読めた。1冊上がり。

 

夜、友人がやってくる。

うちは掃除をしたとはいえ、余りにも雑然として汚いので、入っていただくわけには行かない。

とりあえず、近くのうどんやで夕食を共にする。

そのあと喫茶店に行く。

友人は以前交通事故にあったことがある。ひどい傷だったそうだ。

それもあってか、私の顔から無理矢理サングラスと帽子をはずしてみて、「なんだ、思っていたより大したことないじゃない」と一言。

あわてて、帽子をかぶり、サングラスをする私。

実は私は、これまで大きな怪我とか病気をしたことがなかった。

だから、額を縫われるというだけでも私にとっては重大な出来事であった。

しかし、友人曰く「顔もそんなに腫れてないし、大したことないよ。そんなんで、落ち込んで、キャンセルしようといってきたの。あほらしい」と笑い飛ばされてしまった。

「大丈夫、そんな程度ならすぐ治るよ」と言い残して帰っていった。

 

考えてみれば、今年は本厄である。

厄神さんにいったときに、寺社の中には入ってお払いの祈祷をしてもらわなかった。

ケチったのがいけなかったのかなあ。

でも、考えようによっては、これぐらいの傷で済んだのでよかったとも言える。

転んだところに車でも来ていたら、それこそ生死に関わっていただろう。

持つべきものは友である。

ちょっと楽観的なプラス思考へと転換できそうかも。

 

10月11日

傷口のせいか知らないが、朝早くから頭痛で目覚める。

今日はお料理教室だったのだが、当然のように欠席。

睡眠時間は完全に減少。

かといって、バリバリと勉強が出来るわけでもなく、ただただ鬱々としている時間。

身体はしんどくて、起きあがれない。

本を手に取ってみるが、集中できない。

頭痛はますます激しくなり、こけたときに頭も打っているのでは、と不安になる。

 

今日は、2週間ぶりの診察日でもあった。

これだけは行かなくてはならない。

もう精神状態が不安定に陥っているから、なおさら必要である。

2時から受け付け開始なので、2時過ぎに、帽子を目深にかぶり、大きめのサングラスで、なるべく絆創膏が見えないように隠すようにして、下を向いて外に出る。

こういう日に限って、病院は混んでいる。

ずっと下を向いて本を読む。

首が痛くなって上に向けたくなるが、顔の前の本も一緒に持ち上げて時々頭を起こす。

かなり怪しい行動であったのであろう。

 

5時過ぎに漸く順番が回ってくる。

診察室に入るなり、「転んで怪我をしまして」と言う。

先生の前では仕方ないので、帽子もサングラスをはずす。

「酔ってこけるぐらい飲めるのならいいとしよう」とはじめに言わはったが、こけたときの状況と今の心境を話すと、「前言撤回」と言われてしまう。

「そのような場に行ったことが敗因」といわれ、どうして断れなかったのかと諭される。

今は一番大事なときなのだから、NOと言えるようになりなさい、と。

今飲んでいる薬が原因ではないので、薬の変更はナシ。

睡眠時間が減少したことも話すと、「眠れなかったら、眠れなくてもいい。起きてその間はパソコンに向かうなりしておき。無理して寝んでもいい」と言われる。

今回はあまり癒し効果にならなかったなあ。

前回は少し顔色がよくなったと言われて喜んでいたのに。

また逆戻り。情けなくて溢れ出る涙が傷口にしみる。

 

また怪しい格好をして、外は真っ暗だというのにサングラスをしたまま帰宅。

18時過ぎに、外科の方へ連れていってもらう。

「髪の毛を洗いたいのですが」「髪結いさんで洗ってもらうのならいいです」

「お風呂はいつ頃は入れますか」「膝の傷が治ったらね」

雑然とした診察室の中で、絆創膏とガーゼをはずされ、消毒され、また新たに貼られる。

はあ、これから毎日消毒の日々。 

やだなあ、もう。ぶふー。

 

10月10日

今日が体育の日ではないのがまだしっくりこない。

それはどうでもいい話なのだ。

今日は女学院でアルバイトの日であったが、昨日の怪我に動揺して、休んでしまった。

本当は休んじゃいけないのに・・・

嘱託の人に昨日の晩に連絡を入れ、怪我をしたので休ませて欲しいと頼んでしまった。

自業自得なのにね。

 

もうすっかり気落ちしてしまい、昨日は2〜3時間しか眠れなかった。

鬱状態に逆戻り。

自分が情けなくて、自己嫌悪の嵐にとらわれる。

1日家に引きこもり、病院だけ行く。

帽子を深くかぶり、サングラスをして、傷口を隠そうとするのだが、それでも口の周りなどの絆創膏は見えてしまう。

ガーゼを取り替えて消毒してもらわなければならないので、病院に行くときは、負傷した膝が出るようなスカートをはかなければ行けない。

まあ、車で連れていってもらうので、大して他の人に会うことはないのだけれど。

それでも鏡で顔を見る度に、手が絆創膏に触れる度に自己嫌悪感が募る。

はあ、消えてしまいたい。

沈没。

 

 

10月9日

折角眠れるようになったと思っていたら、また睡眠時間減少。

昨晩は1時過ぎまでは確実に起きていた記憶がある。

目覚めたのは5時。

4時間にまた戻ってしまった。しくしく。

しかし、今は時間を惜しむとき。

逆手にとって、早起きした時間を有効に使おうとパソコンに向かう。

眠くなったら眠ればいいや。

ちゃんとゴミ出しもできたし、朝からばりばり洗濯もできた。

4時間なら合格ラインだから、気にせずに1日を始めよう。

今日は、祖父に夕食を誘われている。

それまでの間にすませられることはすませよう。

と意気込んでみたものの、お昼になると眠気が襲ってきた。

しめたと思い少し睡眠補給を行う。

こんなめちゃくちゃなリズムで、脳と身体は本当についてきてくれているのだろうか。

一抹の不安・・・

 

今日の御馳走は、ステーキ。

ちょっと胃には重たいけれど、有り難くいただくことに。

しかし、体調は、たちくらみがかるくして悪かった。

そこへ、ワインを飲んだものだから、へろへろ。

帰ろうとして駐車場に出た途端、頭がくらーっとして、顔面から倒れた。

そこからは救急病院。

額を何針か縫って、他の顔面の傷は消毒液とガーゼで処置された。

まるで、お岩さんか、フランケンシュタインである。

はあ、日頃の行いが悪いのかなあ。

今日は、お風呂も禁止された。

辛いよ。

 

10月8日

先週1度も行かなかったので、久しぶりの日文研。

相変わらず低気圧で頭痛がしてしんどい。

おまけに傘を持って出るのを忘れるという失態を起こす。

身体が「雨になるぞ」って警告してくれているのにね。

京都線に乗り換えて、本を読んでいると、突然電車が止まった。

信号待ちかな?とあまり気にしていなかったら、場内アナウンス。

人身事故のため、しばらく停車するとのこと。

えー。そんな人迷惑な。

人身事故は珍しくないし、鬱がきついときなどは、その人が私だったらと、タナトスに魅入られて、思いを馳せていたときもある。

でも、やっぱり人様に迷惑をかけるのはよくないなと今日の私は思った。

日文研へはバスで行かなければいけない。20分から30分かかる。

しかも本数が少ない。

だから、私はいつもバスに発車時刻から換算して、一番ロスの少ない電車を選んでいる。

しかし、こんなに長い間って言っても10分ほどだが、停車されてしまっては、バスが行ってしまう。

はあ、朝からついてないなあ。

バスは行ってしまい、次のバスまで20分待ち。

雨は降ってくるし、時間潰しにコンビニに入り、ビニール傘を購入。

調子狂うなあ。

 

メールのチェックをすまして、院生室でコーヒーを入れる。

ホッと一息つきながら、コンディションの建て直し。

だけど、自分の為だけに図書館に調べものをしに行けるなんて、やはり嬉しい。

そう、バイトはお休みなんだから。

ちょっとでも関連項目のありそうな本を、漁っていると時間はあっという間に経つ。

慌てて、10冊以上の本を借りて、取り寄せたい資料の申し込みをして院生室に帰る。

やはり、やりたい分野の本なので、いくら調子が悪くて読書に集中できなくても、本を手に取るとわくわくしている自分がいる。

先週からのはずが、ずっと落ち込んでいたから、今日から本当の仕切り直し。

私が欲しい決定的な資料が出てきてくれるといいのだが・・・

あ、再来週に発表の準備もしなくては。

何を発表しようかなあ。

もちろん博論に関することではあるが、既に書き始めているところで、まだまだ足りていないところを発表するか、この前思いついた新たに節を増やそうと思っていることを発表しようか迷っている。

いずれにせよ、最終的にはどちらも手をつけねばならないことなんだけど。

今週はもう日文研には来ないので、連休もあることだし、借りてきた本を何冊かまとめて持って帰る。そのうち乃3冊は以前確かに読んだはずなのだが、引用したい箇所が分からなくなってしまったので、もう一度流し読みをして探さなくては。

 

はあ、情けないなあ。なんでこんなに記憶力が悪くなってしもうたんやろう。

一つは薬のせいなのは分かっているけれども、今の私にはまだまだ必要だしなあ。

それでも体調不良で寝込んでいるせいもあるけれど、ここ3日ほどは、途中目覚めはするけれども合計6時間ぐらいは眠れている。

いい調子だ。身体が思い出してくれたのだろうか。

お風呂に入っても、以前よりは早く汗を掻くようになった。

新陳代謝も少しはましになったのかな。

だったらいいのになあ。

早く復帰したいよ。

でもまだ食欲がわかないのが続いているから、栄養不足かも知れない。

これを何とかしなくては。胃薬もらっているんだけどね、いまいち効いていないのか、それとも効いてこのレベルなのか、そこが問題。

胃薬を以前ストップした途端、嘔吐の日々を繰り返したから、やっぱり効いているんだろうなあ。

ヤク中でんなあ。

 

10月7日

女学院にてバイト。

日文研のアルバイトは、流動性がきくので、2カ月お休みをもらったが、女学院のバイトはそうはいかない。

教室でトラブルが起こったときに対処する人と、カウンターにずっと座って学生の対応をする人と、最低2人は必要である。

嘱託の職員が2名となってしまった今、嘱託の方は週4日しか働けない。

私が入っている月・木は、なんの因果か、その2人ともが、それぞれ休暇を取っている曜日に当たる。

つまり、いつ行っても2人なのだ。

アルバイトは3人いるが、一人は私と交代で入っているので、重なることはない。

もう一人は学生なので、授業の関係で、これまた曜日が重ならない。

休みたければ、もう一人のアルバイトの人に事前に交渉して、交代してもらう以外手だてがないのだ。

まあ、学生さんの対応がないときには、本を読んでいても構わないわけだし、大胆不敵にもノートパソコンを持ち込んで、仕事しているときもあるから、環境としては文句は言えない。

今日も学生さんの対応に追われながらも、合間をぬって資料を読む。

コンスタントに忙しくて、気がつけば17時。

今日はこの後は謡曲のお稽古だ。

はあ、忙しい。

 

全然家で稽古をしていないため、すでに忘れかけている。

やばい。「忘れてはダメですよ」と叱られる。

すみません。

謡の方は苦手で、なかなか上達しない。

腹から声を出して、口に含ませるようなというか、口の中で転がすようなとでもいおうか、独特の謡い方がまだ身に付いていない。

毎日家で発声をして謡っているともう少し上手くなるのだろうが、そんな余裕は今の私にはない。

ただ大きな声でがなるだけではダメだし、腹に力を入れて声を出しているつもりでも、なかなか思うように声は出ない。

その上節回しがあるから、それに気を取られるともうダメ。

それでも先生にしてみれば、僅かながら上達していると言ってくれるのだが・・・

はあ、芸事の道は長いです。

「命短し、芸は長し」雷蔵が好んでいた言葉だ。

 

10月6日

連日遊んだのがたたって、朝が起きられない。

一応目は覚めているのだが、動けない。

今日は昼から日文研で、共同研究会の発表を聞こうと思っていたのだが、とてもじゃないけれど、家を出ることは出来なかった。

昨日の食事もまだ消化し切れていないのか、腹痛を伴いながら、食欲はゼロ。

床にふせっている一日。

何とか、読みかけていた本を読み終えたのがせめてもの救い。

洗濯しようかと思いながらも出来ず、掃除しようかと思いながらも動けず、とりあえず薬の服用だけを、何とかこなす程度。

はあ、人間以下の虫けらだなあ。

午後には頭痛がしてくる始末。

と思ったら、外は雨。やっぱりなあ。

頭痛を抱えて、集中できない本読みのトライを繰り返し続ける。

 

18時頃電話が鳴る。

やな予感。

母からである。出かけていたのだが、うっかり傘を忘れたらしい。

駅まで傘を持ってきて欲しい、そして、実家で一緒に御飯を食べよとの事。

傘を持っていくのはいいけれど、何故一緒に実家まで行って御飯を食べなくてはいけないのだろう。

まあ、今日も調子が悪いから、朝から何も食べていないけど。

渋々付き合わされた。傘だけつきだして帰るわけにも行かないしなあ。

いや、それでも本当はいいのかもしれない。

勝手に断れない自分が悪いのだ。

私も母の血を引いているので同じなのだが、いつでも作りすぎるのである。

残すのが嫌いな私はついつい食べ過ぎてしまい、次の日に苦しむ羽目になる。

今日もあれこれ作ろうとするので、「そんなにいらん」と、どんどんメニューを減らさせる。

「そう?」と訝る母の言うことを聞かず、どんどん冷蔵庫にしまって、なるべく作らせないようにするが、やっぱり今日も余ってしまった。

あー、胃がもたれる。

 

10月5日

朝9時に三宮のアンテノールで待ち合わせ。

昨日に引き続き、今日も気晴らしである。

しかし、ついてないのは夜中に始まった。

夜中に目が覚めて、お手洗いに行こうと立ち上がると、極度の貧血を起こし、布団の再度に置いてあったミニテーブルの上に、崩れ落ちるように倒れる。

足を大きくすりむいて、負傷。

次に、昨晩踊りすぎて疲れたのか、いつもは早く目覚めるのに、今日に限ってなんと寝坊。

起きたら9時だった。

先方にひたすら謝りのメールを入れながら、慌てて用意をして家を飛び出す。

結局1時間遅れで到着。

起こっているだろうなあ、と顔色を窺っていると、以前私が1時間半待たされたこともあったので、まあ、これでおあいこということで、何とか許してもらえた。

しかし、昨日のライブの影響で、足が筋肉痛である。

はあ、自分の年齢と体力を見定めなくてはダメだね。

とりあえず、2冊目の本も途中まで読めていたことだし、今日は論文のことを忘れて遊ぶぞー!

といっても、引きこもって鬱になっていたので、それまでの4日間も、大して勉強していないのだが・・・

 

ドライブ・インで昼食。

当然の事ながら、朝は急いでいたので、水一口も口にしていない。

車の中で、朝の薬を飲んでいた始末。

空腹感はゼロ。むしろ昨晩の食事が、まだ胃に残っている感じで胃が思い。

食べたくないんだけどなあ、というと「ダメ、何かはお腹に入れないと」と怒られる。

苦肉の策で私が選んだのは、「クリーム・ソーダ」。

そう、あの懐かしのいかにも身体に悪そうな緑色をしたソーダにアイスクリームが乗っているやつである。

食べていると視線を感じるので、ふと見ると、アイスクリームを頬張る私をじーっと見ている。自分の注文したものを途中で手を止めて。

「何?」と聞くと、「いや、一応食べてるなあと思って」との返事。

私の普段の食生活は、そんなにひどいと思われているのかしら。

まあ、1日1食が基本ペースだからね。

今日は、夕食も一緒に食べるので、1日2食。

奇跡的な日。

 

私は実に地理に弱くて、またドライブもあまりしたことがないので、近場でもどこに何があるのかよく分からない。

連れて行ってくれたのは、「生野銀山」。

戦国時代から掘られ続けた鉱脈である。

坑道にはいるとなんと中は13度。

Tシャツを着ていたので、寒いのなんの。

しかし、昔の人は、手で一つ一つ掘り進んでいたんだなあということがすごくよく分かり、また、展示室に飾られた坑道を断面図にした模型を見て、まるで蟻の巣のような掘り進め方に驚愕。しかも徳川時代に使われていた足場の木片なんて、よく重い砂利を運んだなあというほど、危なっかしい足場である。

いやいや、勉強になりました。

銀塊が飾ってあったので、持ってみようとすると余りにも重くて持ち上げることすら無理。

これじゃあ、盗めないなあ。少しだけずらしてみただけ。

よく見ると「お手を触れないで下さい」と書いてある。

しまったと思い、元の位置にもどそうとするが重くてもう動かないのだ。

友人の助けを借りて漸くもとの位置にもどし、そのあと叱られた。

ごもっともです。大体私は余計なことしいなのである。

まあ、よく言えば好奇心旺盛とでもいって、自分を庇っておこう。

 

次は温泉好きの私のために、近くにある「黒川温泉」というところへ。

確かに湯は温泉なのだが、設備がまるで銭湯である。

ドライヤーの一つもおいていない。ただ、内湯と露天風呂があるだけの至ってシンプルな温泉。

今時健康ランドでもドライヤーやブラシの一つは置いているよと、高をくくって、あまり気にせず、頭から全身洗ってゆっくりをお湯につかる。

はあ、気持ちいい。

しかし、出てみると、バスタオルの貸し出しはないわ、ドライヤーはないわ、ブラシもないわで、はたと困ってしまった。

仕方ないので扇風機の前で乾かしてみる。

折角暖まったからだも冷えてしまった。情けな。

 

それでも夜は、舞子の方にある、海に面したレストランで、明石大橋を見ながらテラスで食事。

あまり量は食べられなかったけれども、波の音が聞こえて心地よい。

久しぶりに1日よく遊んだー。

今日はよく眠れそうだ。身体がこんだけ疲弊しているのだから。

 

10月4日

昨日寝つけなかったのが悪かったのか、朝、全然起きられなかった。

医者に気晴らしをするように言われていたので、明日ドライブに行く予定を入れていたのだが、更に、思い立ったように、今日の夜のライブのチケットを買ってしまっていた。

ライブはミナミであるから、それまで日文研に行こうか随分迷ったが、とにかく起きられないので、あえなく断念。

明日のドライブまでには、今読んでいる本を読み終えようと思っていたので、家で必死になって読む。

途中何度も挫折しそうになるのを必死でこらえ、水を飲んだり、ストレッチをしたりして気分転換を謀り、漸く読破。まだ時間があるので、次の本に取りかかる。

時間が来たので、ライブ会場へと向かう。

ソウル・フラワー・ユニオンのライブである。

昔から、彼らの前身のバンドの頃から、書かさず彼らのライブを見ていたのだが、ここ1年、研究会が重なったり、お金がなかったりして、見に行けていなかった。

久しぶりのライブでわくわく。

新譜も買ってちゃんと聴いていたし、今日は何もかも忘れて音の洪水に巻き込まれよう。

年甲斐もなく2時間ぶっとおしで踊り続けた。

汗を、5kmは知ってもほとんど汗を掻かなかった私が、汗だくになっていた。

新陳代謝が少し戻ってきたのかしら。

だったら嬉しいな。

気分すっきりして帰ってきた。

明日のドライブに備えて、早く寝なくては。

ああ、ライブの余韻でなかなか寝つけない。

身体が暑い。

こんな感覚、久しぶりに味わった。

これでテンションがあがってくれるといいのだけれども・・・

 

10月3日

女学院にてアルバイト。

昨日1日泣いていたせいか、泣き疲れて、眠れた。

皮肉なものである。

朝は早くから目覚め、準備も万端。

うっとうしさは晴れないが、昨日よりはましである。

今日は読書をしようと思っていたが、あまりの忙しさにそれどころではなかった。

満員御礼の64人の利用者。

手を休める暇なく、次から次へと応対に追われる。

おかげで余計なことも考える暇もなく、あっという間に17時になっていた。

今日は、職員さんと夕食の約束をしていた。

イタリアンである。

18時に待ち合わせなので、少し時間が余るから、西宮まで久しぶりに歩いて帰った。

それでも武庫之荘に着いたのは、15分前。

読めなかった本を読みながら待っていると、5分前に来やはった。

二人で、いろいろな料理を取ってシェアする事にした。

お味はなかなか薄味で、美味であった。

こうして、みんなが私の食事に付き合ってくれる。

なんてありがたいことなんだろう。

こうした外食が続かないときは、すぐに体重が落ちてしまうのだ。

当然の事ながら、体力もなくなってしまう。

こんなにも暖かい人々に囲まれ、幸せ者である。

なのに、なのに、何故抜け出せないのだろう。

やはり原因は自分にあるんだ。

自分が悪いのだ。

どうしたらいいのか、自分がコントロールできなくて気が狂いそうである。

きー!!

 

10月2日

完全に引きこもり状態に陥ってしまった。

頭痛に腹痛。

倦怠感に自己嫌悪の嵐。

どうにもならない。

止めどもなく落ちる涙。

誰にも会わず、誰とも口をきかない1日。

自爆。

 

10月1日

はや10月である。

今日から10月だから、日文研の方のアルバイトがお休みである。

つまり、今日から博士論文に絞り込むというわけである。

だけど、憂鬱さから抜けられない。

今日は夜に神戸で薪能があり、師匠が出演するので観に行く予定にしていた。

18時に三宮で母と待ち合わせていたので、日文研に行ってもすぐ帰ってこないといけない。バイトもないことだし、家にいることにした。

さてためている資料読みでも、と思いながらも、全く手が着かない。

今日から心を入れ替えて論文1本に絞っていこうと思っていた矢先なのに、鬱が先行してしまったのだ。

家にいるというよりは引きこもりに近い状態である。

何も出来ず、何も食べず、ただ座り込んでいる自分。

そんな自分に辟易するのだが、変えられない自分が情けない。

倦怠感。自己嫌悪。

集中できない自分に苛立つだけ。

 

薪能は、さすがは我が師匠と惚れ惚れしましたが、後援者側の要求で能楽自体を短くカットされてしまい、折角の美しい舞が少ししか観られなかったのが残念。

雨天で国際会館になったせいか、声が通らないのか、地謡に迫力がない。

折角の師匠の前シテも台無しに感じられる。

席が後ろの方だったのだが、師匠一人の謡の音量と地謡方全員の謡の音量が同じぐらいに聞こえるのだ。

これはやはり贔屓目だろうか。

しかし、後シテは、幕内の謡はほとんど聞こえないし、舞いに切れがないところを見ると、やはり贔屓目だけじゃないのではないかとも思う。

今日の公園は灘の酒の連合会の人々。

だからメインはロビーで売られる酒の数々であり、見に来ている人も、ほとんどは能と言うよりは酒が目当て。

もちろん私も飲んだが、能では寝なかったが、周りを見ると、ほとんどの人が後半の能は居眠りをしていはった。

なにせ、前半の能と狂言と、後半の能の間に休憩時間が30分もあり、その間に、更にみんな酒を飲むのだから、会場全体が何となく酒臭いのである。(もちろん、最初の能が始まる前から、販売しているので、みんな酒を飲んでいるのである)。

何となく一生懸命舞う先生方が気の毒に思えるのだが、恒例行事となった今では、それも仕方ないであろう。

ただでさえ、現代の私たちは能楽には疎くなっている。そこへ酔いが回れば、お囃子の音が何ともいえず、よい子守歌となってしまうであろう。

 

帰りは母と一緒に外食をしたので、今日も栄養はOKかな。

 

9月30日

憂鬱からは抜け出せずにいるが、女学院でアルバイト。

今日から授業が始まるので、どんなことがあっても休めない。

おまけに頼まれ事をされていたので、それをしなくてはいけない。

朝からふらふらで、西北から仕方なくタクシーで駆け付ける。

何とか間に合った。

LLで一仕事すませて、開室。

さすがに、授業開始1日目だからであろうか、客足は少ない。

とはいえ、2人とか3人だった夏休みに比べると、断然多い33人。

久しぶりに働いた気がする。

少し忙しかったので、気が紛れたのか、帰る頃には少し元気になっていた。

夜は、ありがたいことに、知人が夕食に誘ってくれる。

ほっておくと食べないことを知っているからだ。

確かに今日は、朝から何も食べていなかった。

私はこうやって暖かい人々に囲まれて、生かしてもらっているのである。

幸福者だとしみじみ感じて、胸が熱くなっていた。

その半面、鬱から抜け出せない自分が情けなくなっていた。

 

 

9月29日

朝から腰痛、腹痛、だるさにより、起きあがれない。

しんどい時期なのだから仕方ない。今週はずっとこんな調子なんだろうなあ。

家で、1日しけってました。

はあ、憂鬱。

なんも食べたくない。

夕方、気分転換にお風呂に入ってみる。

ちょっと頭痛が減ったかなあ。

本もまともに読めない。

腑抜け。ほへら〜。たちくらみ。

 

9月28日

今日は兄の誕生日である。父が帰ってきていなかったので、母と二人で京都に行くことにしていた。

遅出の出勤前の兄に時間を合わせて、夕食を一緒に食べることにした。

何が食べたいのかと尋ねると、「和食」と言うことらしい。

母が相談してくるので、近場でいうと「たん熊」「菊乃井木屋町店」「桜田」「にしむら」などなど。

たん熊は私がしょっちゅう通っているので、パスすることにして、次に近場に当たる「菊乃井」に。

久しぶりである。ここのお料理は本当に薄味で、品があって美味しいから好きである。

予約を19時に入れ、18時半に兄とオパールで待ち合わせ。

母とはお茶の1杯でも飲んでいこうということになり、17時に塚口で待ち合わせていた。

 

昨日から調子が悪くなっていたので、午前中伏せっていると、珍しい知人よりメールがあり、今神戸に来ているから会えないか?と言ってくる。

17時には塚口に戻らないといけないので、1時間ぐらいならと答えると、それでもいいということになり、慌てて三宮に出かける。

1時間ほど話して、ごめんねって言って、慌てて帰る。

もっと速く連絡くれればよかったのにね。

 

いざ京都へ。

兄は時間にルーズなので有名である。

18時過ぎにカフェ・オパールに着き、カフェ・オ・レを注文。

案の定、18時半過ぎても来ない。45分になっても来ない。

携帯もつながらない。

いらいらしだす母に向かって、「店に遅れますって連絡入れれば」と呑気に言う私。

どうせ19時にならんと来やへんやろうというのが、私の目論見。

19時頃に漸く携帯がつながる。

「どこにいるん」「多分君のすぐ後ろ」やっぱり。

エレベーターが開いて、兄登場。

母が怒り出すのを牽制して、「ほないこか」とさっさと促す。

ちょうど15分遅れて到着。

それでも、まあお食事が始まれば、遅れたことも忘れ、食事に没頭。

鱧に鮎に美味しいこと。締めは雲丹御飯。頬が落ちそうである。

今日も1日1食だったけれど、十分栄養がとれてるな。

 

主治医にはまた言われた。「薬、睡眠、栄養、気晴らし」

栄養と睡眠は今のところ、いや気晴らしも入れて、クリアーかな。

 

9月27日

朝から激しい頭痛と腹痛に襲われる。

昨日の夜、謡曲の稽古のあと、母とフレンチを食べに行ったのである。

それが食べ過ぎになって、腹痛につながったのではないかと思う。

折角、順調に晩御飯を食べられていたのに・・・

今日は、たん熊さんのお料理教室だったのだが、頭痛がひどすぎて家が出られなかった。

余りにも頭が痛いので、頓服を飲んで、もう一度寝てみる。

16時前に起きて、病院へ行く。

よく寝たせいか、「うん。ちょっと顔色がよくなっているね」と言われる。

嬉しい。

主治医の顔を見ると本当に癒される。

いろいろ話をして、すっかり癒されて帰ってくる。

気が晴れたせいか、頭痛も軽減した気がする。

朝から何も食べていないので、夕食は少し食べる事にした。

少しにしたんだけど、胃にもたれる。

はあ、こんな具合で、またロウに落ち込むなんて、ショックだなあ。

 

 

 

9月25日

2時頃までは確実に起きていた。

眠れなくて、いらいらしていたからだ。

日、月と折角1日2食を実行できたかと思いきや、火曜日は結局また1日1食。

主治医からのOKも出ているし、1日1食でも気にはしないことにしているが。

今朝も早くから覚醒。

睡眠時間が減っていないだろうか。

寝る時間が遅いからどうしても仕方ないのだろう。

1番速いバスに乗る時間には、まだ家が出られず、2番目のバスを試みるがまた失敗。

ダメだ。私は10月と11月はバイトを休ませてもらうつもりなのだから、今日が今月で最後のバイトの日に当たる。何がなんでも行かねばならない。

漸く家を出て、快調に飛ばしていたころよりも1時間遅く到着。

早速アルバイトに取りかかる。

しかし、捗らなくて気が狂いそうである。

お昼に一度院生室の戻る。

ちょうどみんながお昼御飯を食べているところだった。

珍しく私もうどん(もちろんインスタント)などを食してみた。

が、これが間違いの元。

胃にもたれて、気分が悪くなって、仕事で細かい字を見ていると頭まで痛くなってくる始末。

しまった、失敗した。

半分ふらふらになりながらも、調べものを山のようにして、キャプションを訳していくのだが、何がなんだが分からなくなってくる。

職員さんが調べものに来た際に、「あのう、困ってるんですけど」と助け船を出してもらう。

17時まで仕事をしてから、院生室に戻り、30分ほど休憩とコピーをしたあと、更に1時間残業をする。図書館のように調べるものが何もない院生室だと、頼りはインターネットだけ。たちまち行き詰まってしまう。

それでも休むためには、1時間でも多く稼いでおかねばならない。

昨日、来られたら、今朝1時間早く来られたら、と今更しても仕方がない後悔をする。

帰りの電車は読書。

家にたどり着いたら、もう意識朦朧。

何も出来ない。

部屋に腑抜けが一人ぽつん。

 

9月24日

今日は、留学生の歓送会があるから、絶対に日文研に行かないといけない日だった。みんなで揃って店に移動するからである。

朝4時頃に腹痛で目覚める。

2時頃まで起きていた記憶はあるのだが・・・

食べ過ぎかなあ。

それにしても体がだるく、頭痛がひどい。

5時頃にもう一度横になってみる。

6時には目覚める。

ぐっすり寝た感じではない。

シャワーを浴びて気分転換を謀るが、効果なし。

どちらかと言えば頭痛がひどくなっただけだった。

それでも用意をすまし、リュックを背負って、鍵を手に、靴まで履く。

だが、その目の前のドアのノブにどうしても手がかけられないのだ。

ドアのロックをはずして家を出ればいいだけなのに。

目の前に来てどうしても、どうしても手がかけられない、外に出られないのだ。

そうこうしているうちに電車の時間は過ぎてしまう。

次のバスまでには、出る時間が1時間違ってくる。

しょぼしょぼと靴を脱ぎ、もう一度部屋へ戻り、椅子に腰掛ける。

しばらくリュックを背負ったまま呆然としていた。呆然。

1時間が過ぎ、また同じことの繰り返し。

靴箱の前で、動けなくなる自分。とうとうしゃがみ込んでしまった。

次のバスまで、30分。

今度は身を横たえてみる。別に眠りに落ちるわけでもない。

また時間が来て立てあがろうとすると、立ちくらみ。

私は私をコントロールできないのだ。

先週、先々週に引き続き、とうとう3回目じゃないか。

火曜日が悪いわけではない。

前の日が連休だったのがいけないのか?

みんな出勤しているではないか。

今更、歓送会をキャンセルするわけにはいかない。

予約人数に入っているし、コースを頼んでいるらしいからだ。

しばらく何も出来ぬまま座り続けていた。気付けば1時になっている。

何が起こったのだろう。どうして時間だけがそんなに速く流れていくのだろう。

とりあえず院生室に電話をして、幹事の子に変わってもらい、店の場所を効く。

場所と時間の確認をして電話を切る。

本を手にするが、なかなか集中できない。

場所は河原町。どうせなら、動けるようになった今、用意をして出てしまおう。

カフェ・オパールに行くと、客はゼロ。

なんて静かなんだ。気の毒に思いながら、カフェ・オ・レを頼んで、待ち合わせ時間まで読書をする。家にいるよりははるかに捗るから不思議だ。

 

歓送会は和やかな雰囲気のうちに1次会が終わり、2次会は私のたっての願いで、カフェ・オパールにしてもらう。

あんまりにも客が少なかったから、心配だったのである。

ちょっとは貢献したかしら。

 

家に帰ると12時過ぎ。外にいたので早めに寝る前の薬を服用できなかった。

何かあると嫌だからね。

明日こそ日文研に行かねば。何時に眠れるかなあ。

 

9月23日

昨日はよく飲んだわりには眠りが浅い。

それでも疲れが出ていることには代わりはない。

今朝、体重を量ったら、また落ちていた。

おかしいなあ。

昨日の夜あんなに食べたのに、どうしてだろう。

昨日は、お弁当もあったので、珍しくお昼も食べたのに・・・

胃腸、そんなに弱っているのかなあ。

 

昼になって、昼食の誘いがかかる。

バングラディッシュ料理屋に行く。といってもカレーなんだけどね。

裏寂れた商店街にぽつんとあるのだが、よく潰れずに続いている。

味は結構美味しい。値段がちょっと高いのだが、その分、量も多いのだ。

家に帰ると、疲れがまた噴出。

カイロプラティックの先生に言ったら怒られるだろうなあ、と思いつつも、寝ころびながら本を読む。

いつの間にか寝入っていた。(ラッキー、自然に睡眠している)

 

電話の音で起こされる。

母から渡すものがあるから、ついでに実家で食事をしろと言う電話。

一方的に「イカリスーパーで待ってるから」と切られてしまう。

なんでなん。

昨日もみんなにつきおうたやないの。

しかし、またかけ直して断るのも癪だから、仕方なしに出かける。

昼間のカレーが全然消化してなくて、ほとんどものが食べられない。

食事がすんだら、さっさと帰ることにした。

よけい疲れが増してしまった。

なんでこんなに気い使わなあかんの。

今日は薬の効きが悪そうだ。あー、気分悪。

 

9月22日

歌仙会。

昨日の夜、よく寝つけなかったが、不眠症復活か?

今日は謡を聞いて眠くなると思っていたが、自分の出番も多いせいか、ちっとも眠くならなかった。

そういえば、ここのところ、眠りが浅いような気がする。

まあ、今日のために緊張したせいもあるだろう。

今日は、謡も舞いも誉められた。

付け焼き刃も何とかなるもんである。

 

夕食は親戚と会食。

中華料理。

でも、会が終わったあとに、ビールを飲んだせいか、お腹があまり減っていない。

いつもの調子、いつもの笑顔、祖父母に振りまくお愛想。

がんがんとワインがすすむ。虚実。

いつでも、どこでも、どうしてこう八方美人になってしまうのだろう。

そつなくなんでもこなす器用な子になってしまうのであろう。

 

そんな自分の嘘に耐えられないのは自分自身ではないか。

耐えられない存在感。消えてしまいたい自分。

結局記憶がなくなるまでアルコールで誤魔化していた。

いつまでも、いつまでも。

 

9月21日

気分転換に髪の毛を切りに行く。

と言っても今伸ばしている最中なので、そろえてもらう。

予定としては、ストレートパーマとカラーをしてもらうはずだった。

予約時間は16時。

そのあと、知人と夕食の約束をしていた。20時である。

最初は21時だったのだが、朝メールが来て20時に早めて欲しいとのこと。

別に間に合うだろうと思って、とりあえずカフェで待ち合わせ。

いざ、カットに行くと、「ストレートパーマは時間がかかりますよ。4〜5時間ぐらいみておかないと」と言われ、がーん、5時間もかかったら、カラーもするので、21時には軽くなってしまう。

まさか今更21時にするわけにもいかないし、だからって1時間も相手を待たせるわけにはいかない。

ストパーは今回は断念することにした。

そうか、そんなに時間がかかるのなら、もっと早くから予約しておけばよかったと後悔。

染めてもらったのはブルーブラック。

漆黒である。もともと私は地毛が真っ黒なのだが、痛んで少し茶色くなってきているところもあるし、冬に向けて更に黒く染めるのである。

あー、内面を表しているようだ。

早く終わってしまった。

きっと誰も気付かないだろうなあ。

長さもそんなに変わってないし。

ロフトで買い物して、そごうでうろうろして時間を潰すが、読まないといけない本を持ってきていることだし、小一時間待っても本を読んでいたらいいや、と思い、19時15分ぐらいにカフェに着く。

さて、本に熱中していて気がつかなかったが、随分時間が経っているような気がしたので、時計を見ると20時半。

もちろん連絡もない。

おかしいなあ、間違えたのかなあと思いつつ、まあもうすぐ来るだろうと思い、そのまま読書を続行。しかし、だんだん店が混んできて、待っているお客さんも出てきて、ちょっと肩身が狭くなる。

時間を見ると21時。向こうから早めに時間を行ってきたのに、なんで私が1時間も待たされているの?

これならストレートパーマがあてられたなあ、とちょっと後悔。

しかし相手は会社で仕事をしてから来るので、何か忙しいことがらでも入ったんだろうと思い、店の人には悪いが、とりあえず来るまで待っていてあげようと思い、本を読み続ける。今日は随分読書が捗った。

メールが入り、「今から会社を出るから、あと10分」という連絡が漸くはいる。

結局来たのは21時半。

1時間半も待たされたのは、最高記録ではないか。

しかもこっちが早く着いてしまったものだから、カフェには2時間はいたことになる。

お店の人、営業妨害してすみません。

しかし、別に怒る気にはなれなかった。向こうは仕事なのだから仕方がない。

おかげで私も本を読める時間がたっぷり出来たわけだし。

しかし、平身低頭で謝っている知人は、お詫びとして、夕食をおごってくれた。

ラッキー!

中秋の名月をしばし鑑賞して、家に帰った。

明日は謡の方の内輪のお稽古会である。

はあ、間違えなければいいけど。

 

9月20日

昨晩は変則的な寝方しかできなかったので、何となく朝から頭痛がする。

薬を早く飲む作戦を続けていたので、珍しく早く薬が効いてきてしまい、23時半過ぎに眠気に襲われる。慌てて寝る準備をして布団に転がり込む。スーッと眠りに落ちたのはいいが、0時半に目覚める。

1時間しか眠れてへんやんけ。

それから寝つけなくて1時半頃に漸く眠りに落ちる。

朝は4時に目が覚める。

ちょっと睡眠時間が足りなくないか?と思い、6時頃まで布団でごろごろしていた。

今朝もミルクティーに挑戦。やはり何となく気分が悪い。

それでも7時半に家を出て、日文研に向かう。

電車の中では読書をしていたのだが、何を勘違いしたのか、桂駅を乗り過ごしてしまった。

慌てて次の西院でおり、反対側のホームに行き引き返す。

当然ながらバスは行ってしまって、次のバスまで20分待ち。

ついコンビニに時間潰しに入ってしまい、普段食べない昼御飯にパンを買ってしまった。

 

10時から仕事を始めて、今日も気が狂いそうである。

昼に院生室に戻り、折角買ったのでパンを食べたのが間違い。

午後から胃が重くて、気持ちが悪い。

おまけに図書館が寒いので、冷えてきてお腹は痛くなってくる。

最悪の条件の中、山のように調べものをして、仕事をしていく。

よっぽど帰ろうかなと思ったが、いや時間を稼がねばと17時まで頑張る。

本のコピーをして、インターネットで調べものをしてから、早々に帰る。

家に帰ったら倒れてしまった。

 

しばらく休んでからお風呂に入り、夕食にプリンを食べる。

今日はもどさなかった。よしよし。

明日は夕方から用事があるから、今日は頓服飲んでぐっすり寝るぞー!

 

9月19日

今日は女学院のバイト。

昨日の夜、早めに薬を飲む計画が功をなして、12時過ぎには眠りに落ちた。

目覚めたのは4時。4時間ならOKと思いながら、でももう少し寝ようと努力。

でも全然眠れない。

仕方なく起きあがり、「朝はミルクティー」と言う言葉を思い出して、買ってきた牛乳で早速ミルクティーを作る。

もともと私はミルクは苦手な赤ん坊だった。

小学校の給食でも牛乳が飲めるようになったのは、小学校6年生の時だった。

それまでは牛乳を飲むともどしていたのである。

ミルクティーやカフェ・オ・レにしたら飲めるようになった昨今、ミルクティーは一時私の好物でもあった。

ところが、今朝ミルクティーを飲むと、だんだん気分が悪くなり、吐き気に襲われた。

幸い何も吐くものがなかったので、そのまま、その場を乗り切ったが、吐き気は昼まで続き、結局今日の朝と昼はミルクティー1杯とミネラルウォーターと薬だけだった。

いつもと変わらない生活。朝昼はミネラルウォーターと薬。

牛乳分だけ栄養がついたかも。くふふ。

 

今日も学生さんは1人。

今日が極楽最後だと、日本映画を見る。運のいいことに『十三人の刺客』が納入された。

見たくて見たくて仕方なかった時代劇だ。

集団時代劇という言葉をマスコミに生み出した、東映のエポック・メーキングな作品でもある。

筋も良くできている。何よりも注目するのは殺陣。

あー。全盛期の時代劇を見ているような懲りよう。殺陣は刀でチャンチャンバラバラとやるだけではないのだ。それは、生死のやりとりであり、いろいろな工夫があり、軽やかな身体運用が必要なのだ。

鈍い奴は切られる。

いかにも臭い切られ方も見受けられたが、それまでの東映が作り出してきたマンネリズムを脱出しようかという殺陣師の根性が見られる。

論文のためにいい勉強になった。

 

バイト中に内職して申し訳ないが、バイトはさっさと終え、謡曲のお稽古に行く。

一通り稽古が終わり、「今日は声が出てますね。ちゃんと寝られてますね」と言われる。

いや、睡眠時間はかわらへんねんけどなあ。

稽古は私が最後。

珍しく先生が外食に出られると言う。

もちろん私と母もお供する。

先生と奥さんと私と母で、「竹葉亭」という鰻屋さんに行く。

鰻を御馳走になった。

「もっとしっかり食べなさい」と言われて促されるままに食べる。

それも半分は仇になる。

急いで薬を飲むが、家に帰ってからも吐き気がとれない。

食べ過ぎが原因だろう。言われるままに食べた私が悪いのだ。

母にも「残すなり、断るなりしたらいいのに、あほな子やねえ」と言われた。

その通りである。

今はまだ吐かずに済んでいるが、喉元まで食物が詰まっているようである。

これは満腹というのだろうか。

このどあほ。いやしいやっちゃ。ぼけ。

穏便に今日1日を終えたいだけ。

げぼぼ。

 

9月18日

しくしくしくしく。うえーん。

このところ1日1食とはいえ、胃腸に関するトラブルがなかったと高をくくっていたら、今日になって、折角食べた夕食のプリンをもどしてしまった。

昨日知人と食事をしているときに、「主治医に食欲がないっていったら、プリンは?って言われた。まるでおじゃる丸みたいじゃない?」と話してみると、「なんかTVでやっていたけど、プリンは栄養もあるし、侮れないよ。特にキャラメルソースがついてないと意味がないんだって」と言われたので、今晩はプリンを食べようと思っていたのである。

 

日文研の帰りにダイエーに行き、プリンとサラダを購入。

もちろん今日も3時のおやつは食べたけれど、他には何も食べていない。

嬉しそうに「デザートにプリン」とひとりごちながら、プリンを食べたのである。

別に賞味期限が切れているわけでもない。

なのに、なのに、しばらくして気分が悪くなり、トイレに駆け込む羽目に。

ゲーゲーと涙を流しながらもどしてしまった。

悲しくってそのまま泣き続けたかった。

 

今日は調子よかったのに。

昨晩22時頃に薬を飲んだら、12時前に眠気に襲われた。

よしよし、薬を早く飲む作戦は成功である。

 

朝は3時頃に目覚める。もう少しと眠り4時に覚醒。まだまだと粘り、6時に起床。

日文研に行く準備をして、7時半には家を出る。

9時半からバリバリとアルバイトに励む。

ちっとも捗らないので、匙を投げたい気分。

結局今日も残業。

少しでも働いた時間をためていかないとね。

 

家に帰ってお風呂にまずお湯をはる。

今日はカイロプラティックの日なので急いで入らないといけないので、お湯をはっている時間を利用して、夕食を食べたのである。

それがいけなかったのかなあ。悲劇は食後に起こったのである。

どうも落ち着いたようなので、お風呂にはいると、更に吐き気が・・・

烏の行水で出てきてしまった。

 

カイロプラティックでは、相変わらず痛い。

へっぴり腰になっていると言われ、骨盤と大腿骨の辺りを調整される。

痛いです。と呟くように言うと、それだけ悪いって言うことですわ。と切り返される。

書見台を購入して、正しい姿勢で本を読むようにと言われ、「1500円ぐらいで売ってますよ」と言われる。

パソコン用のはあるんだけど、頁を支える強度が弱いんだなあ。

それからボールの椅子の話になる。

「これは小川さんにはお勧めしますよ。ずっと座っていても楽ですし、姿勢も良くなりますし、これで本読んだらいいですやん。」

「そんなん高いんとちゃいますん」

「そんなことありませんよ。9000円か1万円ぐらい・・・」

「めっちゃ高いやないですか。」

「椅子ですよ。この椅子だって3万ぐらいするんですから、安い方ですって」

「貧乏学生には高額ですって」

「ええと思うけどなあ。ちょっと幅をとるけど。誰かプレゼントしたげると言ったときにでもねだったらどうです?」

「えー、ねだるんですかあ」

「ほんなら、僕は確実に買いますから、1日だけ貸してあげますわ。それで試してみて決めたらどないです?」

「じゃあ、楽しみにしておきます。」

「貧血の方はどないです?相変わらずひっくり返ってるんですか」

「立ちくらみが激しくて、その際あちこちにぶつけてるんですよね。ほら見て下さい、この痣。いつぶつけたんか覚えてへんのですわ。こんなんがあちこち」

「それ人前で言わん方がええですよ。老人みたいですから」

 

余計なお世話や。

まただ実物も見たことないが、誰かボールの椅子買うてー!

今これを書いているときも頭がクラクラして、貧血気味になっているのが分かる。

あー。くらくら。

ちょっくら、横にならしてもらいますわ。

 

 

 

9月17日

朝4時半頃から頭痛で目が覚める。

5時なっても動けない。体がだるいのだ。

案の定、外は雨。

用意は全部出来て、あとは家を出るだけ、という段階なのに、そこからが動けない。

悪い病気がまた復活してきたか。

通勤拒否である。

次のバス、次のバス、次のバスとのばして行くが動けないものは動かない。

 

もう分かった。今日はお休み。

家で読書しよう。資料はまだいっぱいあるのだから。

今日は家で1日お勉強。

 

夕方になって、ゆっくりとお風呂に入る。

気がつけば、今日も朝から何も食べていない。

お風呂から上がって、どうしようかなあと迷っていた。

別に空腹感はないのだ。

しかし、このところ、主治医のOKが出て以来、ずっと1日1食を続けている。

たまには夕食を抜いてもいいか、面倒くさいし、おなか空いていないし。

と思っていると、電話がかかってきて、知人が夕食まだなら一緒に食べようという。

拾う神とでも言おうか。

近くで簡単に済ませたが、帰ってから、どうも調子が悪い。

そんなにたくさん食べていないんだけどなあ。

 

明日は日文献。

明日こそ出勤せねば、バイトがたまる。

 

今日1日家にいたおかげで、本が一冊読めた。良かった。

少しづつ前進せねば。

 

9月16日

寝ました寝ました。

昨日の夜1じごろには眠りに入ったと思うから、朝7時に目が覚めて6時間。

6時間もすごいが、そのあとがすごい。薬が抜きっていないのだ。ふうっと意識を失うようにまた8時半頃に眠りに落ちる。

11時半の電話の音で起きたが、意識がちゃんと戻っていなくて、舌がちゃんと回らない。

お昼御飯のお誘いだ。30分後に約束したものの、すぐまた倒れてしまい、30分後に叱責の電話が入る。ここは諦めてもらおう。

1時頃に起きて動こうとしても動けない。

ふらふらと水を補給して食事時の薬を飲み、立ちくらみがするので、布団に倒れ込む。

それからまた電話がかかってくるまで眠り続ける。

17時半頃。電話が鳴る。

祖父母が昨日の花束の御礼に外食に連れていってくれるから、いらっしゃい、と言う電話。

きのうも外食したしちょっと考えたが、朝から何も食べずひたすら寝続けていたのだから、外にも出てみるかと承諾。

本当に祖父母に弱い私。

 

帰ってからも眠気が何となく持続している。

もしかして、頓服の量を間違えたのかなあ。

明日は日文研かあ。

 

9月15日

定式能別会。

師匠の下川先生が、「鵜之段」を仕舞で舞われるので見に行く。

もちろん他にも能は3番、狂言1番、仕舞7番あるのだが。

ほぼ満席だった。

しかし、贔屓目もはいるが、うちの師匠のが一番良かった。

疲れが溜まっているのか、能の「砧」、「翁」の間、こくりこくりと居眠りをする。

以前は全然眠れなかったので、これは身体が眠ることを思い出してきたのかな。

ええ傾向やありまへんの。よろしいこっちゃ。

「望月」の子方はなかなか良かったが、シテがねえ。

ほとんど動きのないところでは、大ファンである小鼓の大倉源次郎先生の顔ばかり見ていた。

狂言は前半を見逃したが、面白かった。

組み合わせは大事やね。

 

敬老の日なので花束を祖父母の家に持っていく。

祖父はゴルフ場の記念パーティーに参加しているために、まだ帰ってこなかった。

私に栄養をつけろということで、ゴルフから戻ってきた父の車でステーキハウスに行く。

能楽堂から母と一緒だったので、断れなかった。

 

早めに家に帰れたので、早速薬を服薬。ワインを飲んで酔っぱらっているので、読書は断念。

お風呂も薬飲んでしまっているので、禁止。

音楽を聴きながら横たわる。

明日は久々のフリーの日だ。

久しぶりにゆっくり寝るぞーと思い、頓服まで服薬。

おやすみなさい。

 

9月14日

連休といえども毎日が忙しい。

今朝は御影で稽古して、昼前には失礼をする。

そのまま日文研に直行。

バスが結構いい時間にあったのでラッキー。

13時半過ぎには到着できた。

共同研究会は14時からの開始。十分間に合った。

共同研究会ももっと参加したいのだが、いろいろ用事が重なり、最近はちっとも参加できていなかった。

今日は井上先生の発表の日。

論文が進んでいないので、顔を会わせられないのだが、発表を効いて、少しでもエキスでももらっておかないと。

そのあとの懇親会で、主催者の園田先生がやってきて、論文はどうなの?体調は?と親切にも効いてきて下さる。いや春頃一時体重も戻ってきたのですが、6月頃からまた体調を崩して、体重はまた落ちてしまって、まあ原因はアルバイトのしすぎだと思うんですが。

RAがかなりきついですね。ほかにもやっているので、それで首を絞めて行っている状態だと思います。

一応10月、11月はおやすみさせてもらおうかと思っています。

僕は今専攻長だから、ちょっと言って置いてあげるよ。

お願いします。

 

家についたら11半。

21時半に薬を飲む計画は、既に挫折。

飲んでもいいが、やはり外にいるとき、いつ意識を失う状態になるかどうか分からないなんて怖いし危ないからね。

それにしても今日は疲れた。

 

9月13日

久しぶりにたん熊さんのお料理教室。

しかし、いつもと様子が違う。

TV局の取材が入っていたのだ。読売TVのニュース・スクランブルの情報発信みたいなコーナーで流される。18時45分ぐらいらしい。

もちろんレポーターの女の子が中心だから、いいところはすべて持って行かれる。

仕方ないか。

社長もいつもと違ってめちゃくちゃ優しい。

盛りつけまで、「ちょっとそれは彼女にやらせてあげて」の始末。

通りで献立もいつもよりも豪華だと思ったわ。

編集されて2分半ぐらいになるのだから、上手くいけば端っこに映っているかも。

 

その後、病院へ行く。思ったほど混んでいなかった。

「今週はどうでしたか」

「眠るのは、以前よりも寝ている気がするんですが、いつも薬を飲め時間、つまり寝る時間が遅くなってしまうために、4〜5時間になってしまうんです。あと、立ちくらみがひどくて、薬が残っているせいだと思うんですが、朝が非常に辛い。バイトから帰ってきても、何も出来ずに転がってしまうので、前の薬の方が、効きがゆるい分、もうすこしものごとができていたのかも知れません」

「睡眠が今一番大事なんだから、それでいい。あなたの今の体力で、あれもこれもしようなんて考えても無理なだけ。」

「そうですか」

「朝がしんどい。」

「はい」

「ちょっと血圧計ってみようか。105の58か。夕方のこの時間帯にしたらちょっと低いね。推測するに、もしこの状態が続いていたら、朝は100切ってますね、確実に。低血圧だよ。それは朝は辛いと思う。

「食べられている

「1日1食が限界ですね。夕飯を食べると、次の日にまだ前日の食べたものが残っているようで、全然食欲がわかなんです。昼になっても同じですね。でも今週は、珍しく友人との食事がとか懇親会で外食が続いたので、1食はちゃんと食べています。」

今日はたん熊で御馳走も食べたことだし。

「プリンでもなんでも食べられそうなものは、好きなもんだけでいいから食べ。

 もう別に1日1食でもいいよ。今大事なのはとにかく睡眠。睡眠、栄養、気晴らしの3点だね。」

「でもそれじゃあ、論文の方が・・・」

「もう少し健康でないと出来ないよ。体力が持たないからね」

「それとね、寝る前の薬なんだけど、21時か21時半頃に飲んでみ。それまでにお風呂はすませておく。それから御飯食べたらいいやん。」

「でも先生、前は薬を飲んだら、真っ暗闇の中でじーっとしてなさい、って言うてはったじゃないですか。余った時間は、読書したり、パソコンに向かっていてもいいんですか。」

「いいよ。でもどちらも眠りを妨げて、よけい目がさえてくると言う逆効果も持っているからね。ほどほどの時間になったら、必ず切り上げて、眠気が来なくても寝ること。

じゃあ、2週間ね」

 

 

わーい、やっと1週間周期を脱出。

だけど、今日はお昼を食べ過ぎたために、夕食が入らなかった。

 

早めに帰れたので、洗濯をし、お風呂にゆっくり入り、9時には服薬し、読みかけの本を読破した。

さて次はどれにかからないといけないかなあ。

 

9月11日

朝早くから目が覚めるのだが、おきあがれない。

起きあがろうとすると立ちくらみ。

それでも今日は、7時半には家を出られた。

相変わらず、ややこしいRAのバイト。

やっていると頭痛がしてくる。

おまけに作業をしている図書館の1Fは冷気が降りてきてか、めちゃくちゃ寒い。

お腹が冷えてきたのか、腹痛がしてくる。

1時過ぎ頃、たまらなくなって、いったん院生室に退却。

熱いコーヒーを入れる。

ちょっと暖まったかな。

はあ、マジでRAの仕事が嫌になってきた。

時間はどんどん過ぎて行くばかり。

しないといけんしことは山のようにある。

考えなくちゃいけないことも。

 

16時から小松先生のゼミに参加する。

僧侶の袈裟(布)の話なのだが、なかなかおもしろい。

みんな博士論文のために必死だからね。

19時頃、「お腹も空いたし、場所を移動」と言って、懇親会へと流れ込む。

次回の発表者はおはちがまわってきた。

今のアルバイト状態で、全然不出来なんだけど。

考えようによっては、早い内に意見をいろいろもらっておくのも一つの手かも知れない。

帰りはすっかり遅くなり、もう何もできない。

 

 

 

9月10日

朝から腹痛で目が覚める。

とてもじゃないけれど起きあがれない。

昨日の夜食べ過ぎたかなあ。

昨日も夜の1食だけだったんだけど。

昨日も寝付きが悪かったせいもあるかもしれない。

薬がきつくなっている分、朝にずるずると持ち込む。

どうしても動けなくて、日文研を断念。

まともに働けたのは2週間だけやないの。あほ。

 

しかし、マイナス思考は良くない。ここは一つプラス思考で、今日は勉強をしたいために家にいるのだ、と言い効かせ、漸く落ち着いた午後になってから読書に励む。

なかなかこれっていう決めての文句が出てこないなあ。

夕方になって悶々としていると、知人から携帯にメール。

神戸で働いているのだが、珍しく今日は大阪に来ているという。

帰りに通るから、家にいるんだったら会わないかということ。

そういえば、今日も朝から何一つ食べていないし、一歩も外に出ていない。

もちろん誰とも話しもしていない。

OK。塚口で落ち合う。

最初はまだ会社に帰るからお茶だけね、と言っていたのに、会って話していたら、仕事が面倒くさくなったのだろう。

「なんか食事に行かない?」と言われて、「私はいいけど」、と焼き鳥を食べに行った。

いろいろ話してだらだら話していると、相手に携帯がなる。

さらなる仕事が入ったらしい。

こんな時間から?(20時頃かな)

社会人も大変だね、と声をかけて、解散。

今からまた一仕事して、会社に戻ってから家に帰るそうな。

薬で強制的にとはいえ寝ている私の方が、ずっと睡眠時間とっているんじゃないかな。

まあ、意識を失っているに過ぎないんだけど。

 

さあ、明日は心を入れ替えて、日文研に行くぞー。

 

9月9日

なかなか起きあがれない。

やっぱりちょっと薬がきつすぎるのかな。

前回のは睡眠時間減ってしまったから、強度を上げるしかないのだけれども。

ちょうどいい感じの調合が上手くいかないなあ。

それでも何とか起きて、無事に出勤。

暇だから助かったけれど、だるいというか眠いというか、心身ともぼーっとしている。

本も読めない。映画も見られない。

カウンターにただボーっと座っているだけ。

それでも昼には学生さんたちがぱらぱらやってくるので、ふらふらしながらお仕事。

 

仕事が終わったあとは謡曲のお稽古。

9月22日に内輪で「歌仙会」があるので、今はそれに向けて特訓中。

腰が据わらないので歩き方が悪いと何度も治される。

足腰が弱っていますと起こられるが、この年で毎日良く歩いているのに、足腰が弱っているといわれるのは心外。

きっと腰の入れ方が悪いのだろう。腰に集中して歩く。

腰に集中すると、今度は肝心の舞の謡を忘れてしまう。

一度に2つのことが出来ないなんて、情けない。

「土曜よりは、目に力もあり、良く声も出ています」と謡の稽古のあとにいわれる。

土曜はだって、まだ薬が抜けきっていなかったんだもん。

本当に身体は素直である。

 

帰りはいつものように祖父母の家に連行。

でも今日はカイロプラティックがあるので早く帰れる。

相変わらず「あれを食べろ。それはうまいぞ。順子のためにおいておいたんだ」など言いたい放題で勧められる。

そんなに食べられないって。

もう入らないと断って、漸く食事も終わり、家に帰る。

 

カイロプラティックでは「相変わらず固いですね」と言われる。

相変わらず調子悪いんですか?と言われ、何も変化はありませんね。

肩こりで頭は痛いし、この前貧血で倒れました。

「僕らはリンパとかの流れを良くして、正常な状態に骨をもどすのが仕事ですから、胃腸が悪いとか、そういう内臓的なことは出来ないんですよ。」

「鍼を進められたんですが」

「多いですよ、患者さんで併用している方。本当によい鍼療師に当たれば、いいですけれども、そこら辺の人ならやめておいた方がいいですね。」

「じゃあ、選ぶのは難しいんですね」

「そうですね」

そうか、でもこれ以上たくさんの医者にかかるのもいやだしなあ。

はあ、明日は日文研にいけるかなあ。

 

9月8日

観世会の能。

だったのだが、昨日飲み過ぎ、食べ過ぎで、あまりの腹痛に家を出られない。

一緒に行くことになっていた母に携帯で連絡して、どうにもこうにも動けないので行かれないことを報告。

いくら気分が良くなって、いつもより睡眠時間が増えたからって、突然からだが良くなる分けないわなあ。

午前中は七転八倒。

午後になって、薬が効いてきたのか、漸く落ち着いてくる。

しかしまだ、昨日食べたものの感覚が喉元に残っているので、消化しきっていないのは一目瞭然。もどさなかっただけラッキーだ。

本に目を通しながらも、結局1日ごろごろ転がっていた。

 

が、悪魔のささやきの携帯が。

折角落ち着いたと思っていたら、祖父母から近くの寿司屋に来ているから、いらっしゃいと誘いの電話が。

私は祖父母に弱くて断れない。

主治医にも、週1回は仕方ないのでお付き合いしてあげなさいといわれている。

折角落ち着いたのに・・・

結局断ることが出来ずに顔を出す羽目に。

あんまり食べることは出来なかった。(相変わらず飲んでいたけど)

 

さっさと帰って早めに服薬。

薬がきつくなっているので、朝起きる自信がないからだ。

こんな重い胃を抱えて素直に眠れるわけがない。

既に服薬後2時間がたっている。早く眠らせてくれ。

 

9月7日

さすがに薬が大分きつくなっている。

6時間から8時間寝ていたのではないだろうか。ピース。

朝から慌てて謡曲のお稽古。

身体からまだ完全に薬が抜けきっていないせいだろう、何となくぼーっとしている。

謡の稽古から始まったのだが、「声が出てません」と叱られる。

身体が起きてないんだもん。

続いて舞のお稽古。これは何とかクリアー。

しかし最後までいってないので、「もう少しですから忘れないように、自分でも稽古をするように」ときつくお達しをうける。

 

さて京都の文博に「山中貞雄」の貴重な映像を見に行く。

チャンバラシーンだけの断片も見られたので大満足。

こういうシーンにみんなわくわくしていたのだ。

どういう風に言語化したらいいのだろう。

とりあえずサイレントだから、コマの回転数が違うことだけは頭に入れておかなければならない。

1分ほどの断片だけれども、それでも感心させられてしまう。

そのあっという間が面白いのだ。

うまい表現が見つかるといいのだけれど・・・

 

次は神戸に向かう。

思っていたよりも時間が余った。

だから特急に乗らず、普通で読書しながらゆっくりと移動。

それでも時間があるので、念願のCDを購入。

それから一度行ってみたいと思っていたお店の場所をチェック。

でもまだ時間があるので、待ち合わせ場所に椅子があるのを思い出して、さっさと待ち合わせ場所に行って、残りの読書をしていた。

相手は仕事疲れでちょっとしんどそう。大丈夫かしら。

今日は明石大橋に見える、海と星の見える海岸線のレストランに連れていってもらう予定。

わくわく。

天気が悪かったので星は見えなかった。

海も暗くて分からないが、目の前の明石大橋が綺麗なイルミレーションを輝かしている。

波の音が聞こえたら、もっと雰囲気が出ただろうに、ちょっと残念。

知人が「好きなだけ食べて飲んでいいよ」なんて甘い言葉を発するから、ついついフルボトルを1本開けてしまった。

食事の方は、味はいまいち。量も想像以上に多くて残してしまった。

帰るころには、私はすっかり酔っぱらい。まあ、いつものことか。

送ってくれている間、うつらうつら居眠りしていた。

だけど、帰ってからメールが入って、「知らない人と酔っぱらうと危ないから、気をつけるように」とご叱責を喰らってしまった。

その通りです。すみません。

薬が良く効いて、眠れたので、ちょっとはしゃぎすぎたかな。

気晴らしも大切だし、いいか。

 

9月6日

今日は4時間眠れた。

しかし、消化していないのか、なんだかまだ昨日食べたお寿司の感覚が喉元に残っている。

まあ、一晩寝たのだから、今更もどすことはないだろうけど。

当然、朝御飯はまた食べられず。

今朝は頭痛がひどい。

もう少し寝ようと思っていたのだが、頭があまりにも痛くて寝ていられないのだ。

それでも9時半には日文研に出勤。

おお、今週も5日間パーフェクトに働いたではないか。

とはいうものの、今日は頭痛のひどくてほとんど仕事が捗らなかったが。

でも、電車の中での読書も順調に読み進んでいるし。

ちょっとは勉強にも手が出せている。

精神的には焦りはあるが、安定している方だ。

 

3時に仕事を終えて、病院へ。

アルバイトは無事出来て、勉強も少しだけだけれども手がつけられて、安定してはいます。

見かけはね。

ただ、食生活のあまりのひどさと、先生が言うてはった「家事ゼロ作戦」が実行できないことを告白。

睡眠時間も減ってきたことも。

診療台にうつぶせになって寝かされた。

ツボをおさえられて「痛い、こそばい、気持ちいい?」と聞かれる。

気持ちよかったのはほんの数カ所。あとは全部痛かった。

おさえられた瞬間「痛い」って叫んでしまう箇所も。

診断結果は、「ストレスによるかどうかはともかく、内臓として胃腸が完全に弱っている」

やっぱりね。これだけ食べられない生活送ってんだし。

薬がまた変更。

「今週はまず胃腸を治すことを中心にする。胃と不眠と鬱。この3点に絞って薬を変更したから。とにかく眠るように」

「先生、親戚づきあいはゼロにしなさいって言うてはったじゃないですか。友達と御飯を食べに行くのはいいんですか」

「この人と一緒に食べたいという人とならいいよ。楽しい時間が過ごせる食事ならOK。別に一緒に食べたくもないけれど、お付き合いで食べるのなら、何を言ってでも断りなさい。

まだ、今回も1週間ね。」

はあ、一週間周期の診察からはまだまだ解放されそうにない。

しゃあないか。

明日は、知人と夕食の約束をしている。

これは楽しみだから、行ってもいいんだ。良かった。

 

でも明日は忙しい。午前中は謡曲のお稽古。

午後は京都で山中貞雄の貴重なフィルム(断片)が上映されるから是非見に行かねばならない。こんな機会は滅多にないからね。

それで夜は神戸で食事。

いい加減1週間の疲れが溜まってきているのだから、今晩は早く寝よう。

薬も多分強くなっていると思うし。さて今晩の薬の効き目はいかに?

 

9月5日

昨日は12時頃に服薬したのに、なかなか効いてきてくれない。

おかしいな。最近は1時間もしないうちに眠気に襲われていたのに・・・

布団の中で眠れなくていらいらしているうちに時間は1時、1時半と過ぎていく。

2時頃、漸く眠りに落ちた。

しかし、また朝4時半頃に起きてしまう。

2時間しか眠れてないなんて。

あかん、時間はあるんやしもう少し寝なくては。

それでも5時には起きてしまう。

仕方ないのでいつもの通り朝風呂を入れようとお風呂場へ。

洗面所で貧血を起こして突如ぶっ倒れた。

全身打撲。痛くて起きあがりたいのだが、頭に血が上らないからなかなか起きあがることさえ出来ず、しばらく痛みに耐えながら倒れている。

こんな状態でお風呂に入れば、また貧血で倒れること必定。

諦めてシャワーを浴びる。

今日は女学院のバイトだから、出勤時間も少し遅い。

行く準備をしてから、しばらく身を横たえる。

昨日の夜食べていないのだから、お腹が空いていても良さそうなのに、空腹感はゼロ。

無理してでも何か食べる気にもならない。

 

今日も無事出勤。

暑いねえ、と嘱託の人と話をしていたら、「冷たいアイスティー飲みませんか」って言うてくれはって、マンゴー入りのアイスティーを入れてくれた。

内心、これも吐かなきゃいいけどとおそるおそるいただく。

よう冷えてて、おいしかったし、吐き気はなかった。セーフ。

お昼はやはり何も食べられずに過ごしてしまった。

 

今日は珍しく5人も利用者が。

にもかかわらず、相変わらずDVDを観る極悪非道人。

今日は「太陽を盗んだ男」を見た。これはずっと前から見たかった映画。

でもリバイバル上映もないし、念願の映画だったのだ。

期待を裏切らず、面白かった。

 

夕方家に帰ってゆっくりしていると、電話がかかってきた。

知人がちょっと手伝って欲しいことがあるので、家に来て欲しいとのこと。

近所なので、すぐ出かけると、タイミングの悪いことに突如雲行きが怪しくなり、土砂降りの雨。

友人宅にたどり着いたときは、傘をさしていたにもかかわらずびしょぬれ。

1時間ほど、大した労働でもないけれどお手伝いをして終わり。

それなのに、御礼にお寿司をおごってくれると言う。

わーい、お寿司だ。

今朝、大丈夫だったからきっと大丈夫だろうと食べに行く。

遠慮もなく結構たくさん食べた。お腹いっぱい。

ご馳走様でした。

家に戻って、しばらく様子を窺っていたが、もどす気配はなさそうだ。

良かった。

 

明日は日文研と診察。

早めに寝なきゃと思いながらも、もう12時半。

お休みなさい。

 

9月4日

昨日、うだうだしていたら寝る時間が12時半過ぎていた。

いつも12時までには服薬しておくことにしていたのだが・・・

慌てて薬を飲み、残りの作業をしていると13時に。

明日も日文研に行かなくては行かないのに。

気が張りつめたのか、朝の4時前に起きてしまった。

睡眠時間は3時間。減ってしまっているではないか。

しかし、昨日食べ物をもどしたせいか、胃が重い。

体がだるくて、目はばっちり覚めているのだが、動けない。

折角、パーフェクトで働いてきたのに、2週目にして挫折かよ。

あかんたれと呟きながら、転がっている。

うたた寝もできない。

ただ天井を見つめて、考え事をするのみ。

思考はどんどん悪方向へ。こんな事してる場合やないやん。

時間はたっぷりあるのだから、本の1冊でも手にとってみいや。

 

何も出来ずまま、時間だけが過ぎていく。

情けない。

主治医にいわれたことは何一つ守れず、実行できず、これで自分を責めるなと言う方が難しい。

自分を大切にしろとは、どういう意味なんだろう。

8時頃、漸く起きることが出来た。

貧血がひどくて倒れそうになる。

またもや朝御飯どころではあらへん。

シャワーを浴びて準備をし、10時半には漸く日文研にたどり着いた。

お腹が気持ち悪い。

電車とバスで冷えたのかも知らん。

 

今日の仕事はコピーとり。

コピー機のあるところはそんなに寒くないので助かった。

昼休みになって、院生室に帰る。

まだ胃が重たいのでもちろんお昼など持ってきていない。

一応、ストックのインスタントラーメンはあるんやけど、食べる気がせえへん。

薬飲むのに、何かは胃に入れた方がええなあと思い、クッキーがあったのでそれを食べて服薬。

なんだか寒いので、熱いコーヒーを1杯。

さ、仕事に戻ろ。

しばらくすると嫌な気分。

結局、今日もお昼を全部もどしてしまった。あんな少量やったのに。

それからはずっと胃が気持ち悪い。

残業もそこそこにして、帰宅。

帰ると共に布団に倒れ込む。

お腹はもちろん空いていない。

食べるものはあるのだが、昨日みたいにまた夕食までもどしてしまうのが怖くて食べられない。

食べへんのも身体に悪いが、もどすのはもっとしんどい。

好調に来てたと思うていたのに、なんでこんな事でつまづくん。

やってられへんわ。

 

それでもちゃんとアルバイトには通ったじゃないか。

自分を誉めてやらなきゃ。

明日は女学院のバイトだから、出勤時間も少し遅い。

ゆっくりとペースを取り戻すしかないんやろな。

でも、時間があらへん。どないしたらええねん。困惑。

 

9月3日

今朝も4時半に覚醒。

またまた朝風呂をしてしまう。先生ごめんなさい。だって気持ちがいいんだもん。

今日も無事に7時半に家を出ることが出来た。

9時半には仕事開始。

しかし、阪急は寒いし、京都バスは寒いし、作業している図書館も寒い。

今日も朝御飯を挫折。

お昼もお腹が空いてないが、ヴィタ・イン・ゼリーで栄養補給をする。

そして、熱いコーヒーを飲んで、体を温める。

 

さて、仕事仕事と図書館に戻ってしばらくすると、異常に気分が悪くなる。

昼御飯を全部もどしてしまった。

それからもお腹の調子が今ひとつ良くない。

冷えたのかなあ。

 

今日は残業は少しにした。

と言うのも、18時から熊川哲也のチケット先行発売だったのである。

必死に電話をすること30分。漸くチケットが購入できた。

30分も経ったらあまりいい席じゃないだろうなあ。でも、まあ購入できたからいいか。

 

祖父から奨学金を取りに来るようにいわれていたので、顔を出す。

夕飯は残り物の掃除。と言っても大して量はない。

だけどお腹は一杯である。

祖父母たちは麻雀をしているので、15分くらいで夕食をすませてしまって、あとは読書に熱中。

いい感じじゃない。バイトと勉強。両方出来ているじゃない。

と思っていたが、にわかに気分が悪くなって、結局夕食もほとんどもどしてしまった。

消化剤も、胃薬ももらっているのに何故?

 

もう、私にはまともな食生活は送れないのだろうか。

寝る前の薬を飲んだけど、気分がすぐれない。

まさか、これまでもどさないだろうなあ。(そんな事したら眠れなくなる) 

 

9月2日

朝4時半に起きる。睡眠時間4時間か。まあOK。

シャワーにしろと言われていたが、お風呂好きの私である。

こんなに朝早く目が覚めたのだから、朝風呂に入ってしまった。気持ちいい。

本当は、早く目が覚めた分勉強すべきなのかも知れないけれど。

今日は女学院のアルバイトだから、時間はたっぷりある。

バイトに行く用意をして、ニュースを見る。

新聞を取ってないので、TVのニュースを見ない限り、世間で何が起こっているのか分からないからである。

転がって、読みかけの本を数頁だけ目を通す。

さて、出勤。

 

学生さんは誰も来ない。

今日も給料泥棒してDVDを観ていた。(勉強しろよな、ぼけ。大事な時間やのに)

昼過ぎに3人ほど学生が来て帰っていった。

 

さて家事ゼロ作戦の方は・・・

朝、あれだけ時間があれども、お腹がいっぱいで何も食べられない。挫折。

今日は1人だったので、昼食休憩をとることもできないが、やはり食欲がないために食べなかった。

夕食は、とりあえず冷蔵庫にあるものを先に片付けとこうと思い、調理と言うほどのものではないが、簡単に食事をする。すぐ洗い物もして終わり。

 

今日はカイロプラティックの日である。

「肩こりがひどくて頭痛がします」というと、「固いねえ」と言われて、あちこち整体されるが、痛いったらありゃしない。

「先生、少しはましになっているんでしょうか?」

「自分ではどう思います?」

「よく分かりません。」

「まあ、最初に来はったときよりはましになっていますよ。でも、ある程度まで来て止まっている感じですわ。自分でストレッチして、肩が痛くなったらリセットを毎回していると随分違いますよ。自分でも努力して下さいね。それから頭痛の時眉間に皺を寄せないこと。大分よってますよ。他の腺が収縮されて循環が悪くなりましからね。」

「はーい」

こちらの方は実行できそうかな。

 

9月1日

とうとう9月。

そろそろアルバイトを休むために、準備せねば。

上旬までは残業して働いて、それから休みを取らせてもらおう。

 

昨日食べ過ぎたのか、朝から満腹感である。

もうすでに朝御飯計画は挫折。

折角消化剤をもらったのに、まだ効いた来ないのか、お昼御飯も食べられず。

夕方、「渡すものがあるから、実家に食べに来い」と連絡。

親戚づきあいはゼロにしなくては・・・と思いつつ、結局強制的に連行される。

食欲は相変わらずない。

 

それもそうである。

本当は今日は朝は神戸に映画を見に行って、夕方京都に映画を見に行く予定だったのである。

それが朝からだるくて、結局断念して1日中家にいたのであるから、動いていない。

お腹が空くわけもない。

早く帰りたいので、ちゃっちゃと食べて、さっと片付けをしてそうそうに帰る。

まあ、栄養がちゃんととれたからいいか。

でも、先生の言いつけ守れないなんて、なんて情けない。

 

さあ、明日からまたバイト生活である。

早く休まなければ。両立できるかなあ。

 

8月31日

頓服の効果絶大。午前中遅くまで眠っていた。

電話の音で起こされる。

母から「昼御飯」のお誘いである。

相変わらず、お腹は空いていないのだが、食生活改善のために少しは食べなければと思い、承諾。

家に帰ってからは、ごろごろ転がりながら読書。

今頃まだ資料読んでいて間に合うんだろうか。

でも、6月頃から体調不良になって、ほとんど何もできてなかったから仕方ない。

今からでも集中してやらねば。

 

夕方、また電話が鳴る。

来た。夕食のお誘いが。

週1回と言い聞かせてお付き合いをする。

早めに帰れたので、シャワーを浴びて、読書の続き。

と言いたいところだが、アルコールを飲んでしまっているものだから、理解力が格段に落ちてちっとも進まない。

今週の疲れもとれきっていないので、早めに服薬。

今日は2食しっかり食べたから、栄養面でも改善ありか?

 

8月30日

朝から今日も無事に日文研に出勤。

やっと週5日休まず働くことが出来た。

しかし、さすがに疲れが溜まってもう限界が来たのか、今朝は5時まで眠っていた。

と言っても睡眠時間5時間。

内田先生みたいに8時間爆睡したうえに昼寝をしてみたい。

羨ましい。

1週間休まずにバイトをしたけれども、帰ったらもうへろへろで、何もできない。

数頁本を読むのがやっと。(あとは電車の中)

 

診察に行く。

「眠れている?」

「はい。4〜5時間寝ています。今週一回も休まずにバイトに通うことが出来ました。だけど、そのあと帰ってからは、へろへろで何もできないんです。」

「そりゃ、かわいそうだよ」

「え?」

「1日中働いた上に、論文が出来ないなんて自分を責めたら可哀想だよ。1日中働いて、へろへろになって当たり前。それなのに、何もできないなんて責めたらダメ。もっと自分を可愛がりなさい。」

「はい。」

「どうしても両方やりたいというのなら、よし、家事ゼロ作戦をしよう」

「家事ゼロですか?」

「朝はパンとヨーグルトと牛乳、お昼は別に食べなくてもいい。食べたかったら食べたらいいよ。夜は外食。1日働いた自分にご褒美。アミノ酸のものをちゃんととること。お肉とかお魚とかね。そしたら生ゴミもほとんどでないし、食器洗いもほとんどする必要がない。親戚づきあいはゼロにすること。」

「先生、そこなんですよ。高齢の祖父母がそばにいるもんですから、毎週末誰かが来て電話がかかってきて食事に誘われるんです。でもまあ食費はうくし、祖父母は私が来たら喜ぶので断りきれないんです。」

「そうか。遠くまで出かけるの。」

「いえ、もう祖父がそんなに歩けないのでいつも家の近場です。」

「だったら、週一回、2〜3時間かけてゆっくりみんなと食事をする。あとは論文で忙しいとかなんとか言って断りなさい。それからお風呂も辞めてシャワーにする。」

「あの、今いただいている胃薬に消化剤系のものは入ってますか?」

「いや、あまり入ってない」

「夜御飯を食べると、次の朝も昼も消化していないのか、全然お腹が空かないんです。それで、結局食べずじまいで、夜になると、そんなにお腹空いていないけど栄養のために必要かなっと思って一応食べるんですが、次の日も同じ繰り返しで1日1食の生活がもうかなり続いているんです。」

「分かった。消化剤を出しましょう。とにかく家事ゼロ作戦だよ。そうすると時間が出来るから論文のことも少しは出来るでしょう。

「とにかく今は身体に眠ることを思い出させることが大事なんだから」

 

ふむふむと何となく納得して帰ったものの、よく考えてみれば、洗濯だって掃除だって家事は他にもあるではないか。ゼロ作戦は無理だよ。

一番無理なのが、朝が食べられないこと。パンに牛乳にヨーグルトなんて、絶対無理。

しかし、この日はお言いつけに従って、外食をして帰った。

でも、どう考えても先生のお言いつけが今回は実行できそうにない。

まず外食である。女の子(あ、おばさんか)が一人でふらりと入って食べられるお店がほとんどないこと。まあ、なれたら出来るのかなあ。

折角食費までも浮かせようとして切りつめているのに、外食をすると食費がかさむだけである。

アルバイトしている意味が消えてしまう。

ファスト・フードじゃ余りにも身体に悪そうだし・・・

 

あー、なんか頭痛がしてきた。

さすがに1週間残業までして働いたのが身体に来たのだろう。

今日は頓服飲んで早く寝よう。

未だしてもらっている頓服は強力なので、8時間は絶対に意識を失っていられる。

 

 

8月29日

今日も4時半に覚醒。お風呂を入れて、お湯が溜まるまでの間にゴミを出したり、アルバイトに行く準備をしたりする。

朝から腹痛と腰痛がして気持ちが悪い。

お風呂から上がってから、時間はたっぷりあるので、しばらく転がってみる。

うーん、痛いよお。セデスを飲むべきかなあ。

本当に薬漬けだわ。

今日は女学院のバイトだから、8時半に出ればいい。

いつもより1時間余裕がある。体が重いので転がってニュースを見ていた。

世の中物騒なニュースばっかりである。

心の病で会社を1カ月以上休職する人が、企業の60%を占めているらしい。

ストレスの多い社会だからね。

まあ、私も人のことはいえませんが。年齢も30代に多いらしい。

お仲間はたくさんいるわけだ。

だからどうだって言う訳じゃないけれど。

 

それにしてもえらいもんである。

主治医に、ちゃんとアルバイトに通って、読書したりして、まともな社会生活が送りたい、と訴えたら、今日まで順調に送れているではないか。

明日は診察日。ご報告せねば。

まあ、決して健康的な生活を送っているとは言い難いが。

疲れが溜まってきていることも事実である。

まあ、考えてみれば当たり前である。ほとんど食べずに行動しているのだから。

よく生きているよなあ、と感心。別にやせ細っていっているわけでもないし。

 

お腹が痛くて今日も朝・昼抜きである。

今日もアルバイト終了後は、謡曲のお稽古。

火曜日・水曜日と働きすぎて稽古する余裕なんてなかった。

お風呂に入っている間に謡のテープを聴いていたぐらいだ。

いざ稽古にのぞむと、まず謡の稽古から。

「肝心の「熊野」が謡こなせていません。毎日でも謡こなさなくてはなりません」と早速叱責を喰らう。

次は舞の稽古だ。とりあえずクセの舞だけは無難に出来ている。

舞い囃子の稽古となる。

まだ自分の歌いさえ覚えていないので、それでも必死に覚えたところだけでも発生してみるのだが、「まず舞を覚えなさい」と、中途半端さに叱られる。

失敗。

 

漸く稽古も終わり、帰りは祖父母の家へ。

お腹も痛い資本等は家に帰りたかったのだが、祖父母は私が来ると、珍しくワインにありつけ、孫の顔も見られるので楽しみにしている。

それを裏切るのも辛くて、御飯を食べたらなんらかの理由を付けてさっさと帰ることにして、顔を出す。

相変わらず、あれを食べろ、これを食べろと勧められるのだが、お腹が痛いのでそんなに食せない。

ワインを飲みながら、とりあえず食べられそうなものだけ食べて、失礼をした。

可愛がってくれているのに、極悪非道な孫で申し訳ない。

それでも食べ過ぎたのか、帰ってから気分がすぐれない。

体調の問題もあるだろう。

でも明日こそは、午前中日文研に通ってから診察に行って、少しでも快復したところを先生にご報告したい。

まあ、実体としては、家に帰ってからは、だるくてなんにも出来ないのが事実なのだが。

もちろんそれをウソつくことはない。

ただ、1週間人並みに動けたことを報告したい。

だけど、既に疲労がかなり溜まってきている。

睡眠時間も、減っている。まあ、OKの範囲内なので大丈夫だと思うけれど。

これがいつまで持つかが問題だ。

貧血は相変わらずひどいし、食生活だって、今日みたいに連行されないとろくなものを食べないで終わってしまう。

でも明日の午前中日文研に通えたら、1週間はパーフェクトだ。

今日は早く服薬して、明日に備えよう。

 

8月28日

4時半に覚醒。眠気も引きずらず、完全に起きてしまっている。

日文研に行く準備をし、メールのチェックをしたりする。

余裕で今日も7時半に家を出る。

今日も電車もバスも寒かった。昨日よりは少しましだったけど。

眠気がしないので、往復の電車が貴重な読書時間となる。

さすがにバスは酔うので読めないのだが。

 

今日も9時半から図書館で調べもののバイトをする。

しかし、図書館も寒い。

このバイトは本当に厄介で、何で調べても出てこない。

いろいろな本を広げて、あれやこれやと探しまわり、ちっとも仕事が捗らない。

うんうん悩んでいると、先生が通りかかり、「本をたくさん広げて、非常に熱心に研究しているように見えますね」とおっしゃられる。「だったらいいんですけど、これがバイトなんですよねえ、皮肉なことに」と答えると笑っていらっしゃった。

 

今日も、朝も昼も食べられず。食生活の改善の余地なし。

お腹が空かないのだから仕方がない。

今日も20時までバイトを続ける。

帰宅して22時。

そろそろ疲れが溜まってきたのか、お風呂に入る元気がない。

別段汗を掻いたわけでもないので、どうせ朝早く目が覚めるのだから、朝風呂にしようと思い、ニュースを見ながら転がっている。

お腹が空いていないので夕食をどうしようか迷っていたのである。

冷蔵庫には、「豆腐こんにゃく」なる怪しげな食べ物が賞味期限が迫って入っている。

そのまま切ってたれで食べるだけだから、とりあえずこれを夕食にする。

もちもちした食感だが、取り立てて味があるわけでなく、たれの味だけがする。

それを食べてしばらくすると、生唾があがってきて、胃が重い。

しまったなあ、と後悔しながら仕方がないので転がっている。

吐くに吐けそうにもない。

胃薬もらっているから何とかなるだろう。

そんなことをしているうちに時間はすぐに0時に。

早く服薬して寝なければ。

うう、胃が重たいよー。

 

8月27日

気のせいか、薬の効きが早くなったような気がする。

前は2時間も3時間たっても効いてこなかったのだが、1時間ほどで眠りに落ちているようだ。

相変わらず、夜中には何度か目が覚めるし、眠りは浅い。

大体4時半頃には起きてしまっている。

それからゆっくりと朝風呂。

ゆっくり準備しても7時半には日文研へと出かけることが出来る。

先週休んだ為に、またバイトが溜まっているので、9時半から働き始める。

それにしても今日の阪急は寒かった。凍えそうだった。

Gジャン着込んでいるのに。

次の京都バスもまた寒い。

完全に冷え切ってしまい、お腹が痛くなってしまった。

いくら残暑が厳しいからって、あんなに冷房を効かせなくてもいいでしょう。

 

今日は珍しく昼御飯を食べた。

 

夜は20時までバイトを続ける。

論文に集中するためには、今のうちに働きだめをしておかなければ。

 

家に帰れば、22時。

しかし、今度は夕食が食べられない。

ま、いいか。

お風呂に入るともう0時。

明日も日文研。早く寝なくては。

 

8月26日

女学院にてバイト。

早朝から目が覚めるものだから、余裕で朝出勤できる。

しかし、昨日さすがに食べ過ぎたのか、お腹が痛い。

朝御飯も当然食べられず。

 

朝から誰も来ない。

それをいいことに今日は映画を見ることにした。

給料泥棒。

まずは、あれだけ話題となった『千と千尋の神隠し』

次に劇場で見損ねた『カタクリ家の幸福』

最後に、この前途中まで見た『チャーリーズ・エンジェル』を続きから最後まで。

 

『千と千尋の神隠し』は確かに良くできている。

日本のアニメーションの水準の高さに驚かされる。

しかし、あれほど話題になるほどには、私には訴えてこなかった。

何があれほど評判になったのであろうか。

愚かにも私には感じ取ることが出来なかった。

『もののけ姫』も見ていないので、大したことはいえないが、どうも宮崎アニメとは、縁が薄そうである。

人それぞれ好みがあるからね。

 

またもやお腹が空かず、お昼も食べない生活に戻ってしまった。

バイト終了後は、謡曲のお稽古へ。

ど忘れしていて、怒られてしまった。

今回は覚えないといけないことが多い。

しかし、引きこもりをしていたりして、何もできない日々が続いていたので、稽古を全然していなかったのである。

謡に、舞いに、びしばしと稽古される。

うう、一度にそんなたくさん出来ません。

 

夜は当然のように祖父母の家に連れて行かれる。

相変わらずお腹は空いていない。

しかし、「これもうまいぞ、あれもうまいぞ、順子しっかりと食え」と祖父に言われて困惑気味。適当に食べて「十分にいただきました」とご馳走様をする。

ありがたいんだけどね。

 

早々に退散して久しぶりのカイロプラティック。

「調子はどうですか」

「相変わらず、悪いです」

「食生活も改善せず?」「はい、1日1食がメインです」

「困りましたねえ。胃腸科のある病院に行った方がいいんじゃないですか」

もうこれ以上、病院に行くのは嫌だ。

診察代だって馬鹿にならないのに。

でも、久しぶりに身体を伸ばしてもらって、気持ちよかった。

安眠できそうな予感。

 

8月25日

昨日あれだけ遊んだのだから、さぞかしゆっくりと眠れることであろうと思っていたが、やはりだめ。4〜5時間で目覚める。その間も、夜中に何度も起きていたのだが。

さすがに身体の疲れだけは出ていた。

京都まで雷蔵の映画を見に行こうかと思っていたのだが、見たことある映画だし、持っているので断念。

1日休養することに。

ごろごろしながら読書。

電話が鳴る。母からの昼食の誘いだ。

栄養とらなきゃいけないしなあ、と思い承諾。

ひいきにしていたお好み焼きやが潰れたので(店を閉めたのかも知れない)、良く流行っているもんじゃ焼きの店に行ってみる。

もんじゃ焼きは食べたくないが、お好み焼きは食べたい。

でも、お好み焼きの味はいまいちであった。残念。

どこか美味しいところを開拓せねば。

 

お腹も一杯になり、家に帰ってまたごろごろしながら読書。

夕方になるとまた電話が鳴る。

今度は夕食のお誘いである。祖父母も伯父も一緒だそうだ。

お腹全然空いてないんだけどなあ。しゃあないか。

今週の食生活を考えると、1日にしっかり2食食べるなんて恐ろしく改善したものである。

さすがに量は食べられなかったけれど。

しかし、帰ってからなんだか気分が悪くなってしまった。

胃がビックリしたのかも知れない。

 

8月24日

早朝に目が覚める。睡眠薬が弱くなった分、睡眠時間も減っている。夜中に起きる回数も増えた。

私は自分の力で眠っていないのではないだろうか。

前に「意識を失っている感じ」と書いたが、本当に、睡眠薬一つで睡眠状態が如実に変化する。

自力で眠っていれば、誘眠剤としての効果を発揮したあと、薬の力を借りずに眠り続けることが出来るはずだ。

しかし薬の効果は抜群で、目覚めたあとのだるさもなく、強い引きこもり感を持っていた気分もどこへやら、穏やかに安定している。

 

今日は、以前から神戸に遊びに行く約束をしていた。

今週の状態からドタキャンしようかとも考えていたが、気分もいいし、気晴らしも大事だと言われていたので、午後から出かけることにした。

 

恥ずかしながら、布引ハーブ園にまだ一度も行ったことがなかった。北野まで歩いて、ロープーウェイに乗り、ハーブ園へ。

料理好きの私としては、料理に使うハーブにばかり目がとられる。

普段使用するときは、粉末になっているので、元の形を知らない。

へえ、こんな風にさいているんだ、とかこんな形をしているのか、いろいろ感心してしまった。

行く前は、ちゃちいところだと小馬鹿にしていたのだが、案外楽しめた。

植物に詳しかったら、きっともっと楽しめたんだろうなあとも思った。

ハーブ園内のカフェで休憩。

本日のハーブティーを注文したら、アイスのハイビスカスティーが出てきた。

ホットのもっと変わったハーブティーを期待していたのでちょっと残念。

山から見る海の風景も綺麗で、改めて神戸っていいなあと思った。

よくここまで復興したよなあ。

 

夕方は一転して、ポートピアランドへ。

閉鎖される前に一度行っておきたかったのだ。

おまけに毎晩15分だけだけど、花火をしているという。

今年の夏は花火も見ていないし、楽しみ。

遊園地好きの私だが、相手が乗り物が苦手だという。

それを無理矢理付き合わせて、一緒に乗せる極悪非道人。

降りたら、よったらしく気分が悪いと行っていた。すまない。

 

それにしても空いている。まだ夏休みだというのに。しかも土曜日なのに。

閉鎖するわけも分からないではない。

花火は小規模ながらも、やっぱり近くで見るのは綺麗だった。

 

花火が終わったので、また北野に戻って、ジャズ・バーで食事。

カフェみたいなところだった。

食事はいまいちだったけれど、ライブは良かった。

 

それにしても今日はよく遊んだなあ。良く動けた自分にも誉めてあげたい。

今日1日付き合ってくれた知り合いに、心から感謝。

 

8月23日

当然の事ながら、朝、日文研に行けるはずがない。

ふらふらでまだ起きあがれないのである。

1週間働いただけで、次には社会生活もまともに送れないなんて、人間じゃない。

単なる虫けら同然だ。

そんな虫に存在価値なぞあるものだろうか。

どうしてこうなんだろう。

床に伏せりながら、泣けてきた。

私は異常なのか?

まともに生活できない自分の存在価値への疑問がわき起こり、タナトスへの誘惑に駆られる。

一体この1週間私は何をしてきたのだろう。

ただ転がっていただけではないか。

まともに食すことも出来ず、本を読むことも出来ず、勉強することも出来ず、家事をすることも出来ない。

 

午後になって漸く始動開始。

病院へ向かう。

「眠れている?」開口一番聞かれる。

「はい。眠っていると言うよりは意識を失っている感じです」

笑われてしまった。

「先生の言いつけを守らず、お盆を働き通したら、今週になってどこにも出られなくなってしまいました。誰にも会いたくない。何も食べたくない。動きたくても動けない。何一つまともなことが出来ずに倒れていました」

「引きこもりの時期が必要だったんだよ。いいよ。それで。」

「でも、普通の人は毎日やっていることなのに、どうして私は出来ないんでしょう。まともじゃないことなんでしょうか」

「まだ快復してないからね。もう少し時間がかかると思うよ。精神的にうけてきた打撃が強すぎたんだから。まずは睡眠、休養、栄養、気晴らし」

とにかくまともに毎日アルバイトして、本を読んで、勉強して論文に備えたいという私の気持ちを汲んでくれて、またもや薬が変更されてしまった。

一時薬の量が減っていたのに、またもや増量。仕方ないか。

「抗鬱剤、抗不安剤、精神安定剤、睡眠薬、胃薬と出しておきます。睡眠薬は弱くしたので、5時間眠れたらOK。多分そのあと薬が残ることもないと思うから。」

先生の顔を見て、なんだか安心して帰ってきた。

 

家に帰って、ごろごろしながら新しい薬のチェックなどをしていると電話。

車でまわるから、実家に御飯を食べに来いと言う。

当然の事ながら、今日も1日何も口にしていない。水分だけである。

お迎えまでついているのだから、断ることもできない。

しぶしぶ了解。

栄養をとらなければいけないしね。

しかし、この一週間、余りにもまともに食べていなかったせいか、食べられないのである。

少しは箸をつけるものの、すぐにお腹がいっぱいになってしまう。

チーズも食べたくなければ、ワインも美味しくない。

珍しく、ワインを残して帰った。

身体さんは疲れていたのね。久しぶりに外出したから。

さあ、新しいお薬の効き目はいかに。

 

 

 

8月22日

20日の朝、腹痛で目覚める。

七転八倒の痛さ。

やはり御馳走続きで胃腸が疲弊しきっていたのか。

とてもじゃないけれども、動けない。

トイレと布団の往復も、貧血でふらふら。

布団にたおれこむともう起きあがることさえ出来ない。

悪寒がすると思うと、発熱。

とうとう倒れてしまった。

 

主治医には「お盆の間はごろごろ寝ておきなさい」と言われていたのに「でも、アルバイトが溜まっているのでそれを消化しないと行けないので、働きに行きます」と生意気に反論し、「じゃあ、お盆の間はアルバイトだね」と、会話していた。

 

私は少しばてながらもお盆の間は、1日抜かしてずっと働きづめだった。

お付き合いもしづめであった。

そのツケが、まわってきたのである。

夏風邪らしきものを引いてしまい、症状は軽いのだがだるくて仕方がない。

 

結局起きあがることが出来ず、今日まで床にふせっていた。

今日は熱も下がり、夕方になって漸く動けるようになった。

ひどい貧血状態である。

干しいちじくで、鉄分補給。

食欲はほとんどない。

水とルイボスティーばかり飲んで、補給している。

 

明日は診察。早く行きたい。

その前に、日文研に通えるかなあ。

 

8月19日

さあ、またアルバイトの日々が帰ってきた。

今日は女学院にてアルバイト。

そのあとも、実は飲み会。

職員さんなのだが、久しくゆっくり話をしていなかったので、家も近いし(一駅違い)、近場でのみに行こうと言うことになった。

行ってみたい店があるというので、行ってみると、お盆休み。

がーん。

じゃあ、適当に探して入りましょうか、と言うことになって駅前をぶらぶら。

居酒屋を発見。月曜日は20%OFF。

これはいいとそこに入ろうとしたが、そのビルの上のイタリアンも気になる。

じゃあ、梯子しますか、と言うことで、最初のところでは控えめに。

2件目のイタリアンも雰囲気がよさそう。

オードブルとチーズを頼んで、ワインを1本あける。

すごくゴージャスなソファに座って、なんかリッチな気分。

お見通しの通り、昨日食べ過ぎたので、今日も朝から何も食べていなかったのである。

しっかり食べなきゃ、と思うが、今ひとつ箸が動かぬ。

でも梯子しているから、結構今日は食べられたかな。

 

明日は日文研。頑張って働くぞー。

 

8月18日

中高部の時の友人とランチ。

いつも車で連れていってくれるので、場所はよく分からない。

結構美味しいお料理だった。

そのあとはカフェに行ってだらだらと喋っていると、ランチに間に合わなかった友人が合流。でも入れ替わりに一人帰っていってしまった。

彼女はこのお盆最終日の中、今から子供2人抱えて東京へ帰るのだ。大変。

カフェもさんざんいたので、この前結婚した友の家に行ってくつろぐ。

いろいろ近況報告。

何故か私一人「それ以上痩せるな」と叱責を喰らう。

私はこのお盆の1週間で3kgも太ったのに。

元に戻るぐらいいいじゃない。

別にダイエットしているわけじゃないんだし。

まあ、食べてないからダイエットと一緒か。

でも、お腹が空かないから忘れているのは仕方がない。友人たちとあって食べているときには、ちゃんと食べているのだから。

 

19時半頃になって、2名が帰るという。残り私を含めて2名。

今日は旦那が出張でいないから、よかったら夕飯も付き合ってくれないかと言うこと。

別に構わないので、送りに行っている間、お留守番。

 

夕食は、昼がフレンチだったので、焼き鳥。

「ここの刺身が美味しいのよ」と聞いて入ったが、なんと品切れ。

ちょっと惜しかったな。

JR摂津本山の駅前だったので、これなら場所が分かる。

また今度来ようっと。

中高部の仲間は、なんせつきあいが長いから話のネタが尽きない。

新ネタが切れたら、昔話になる。

もう、みんな社会人や主婦になってしまったから、盆と正月にしか会うことがなくなってきた。

でも、いつまでも仲良く会えて、新鮮な気分でいられることはすばらしいことだと思う。

 

8月17日

気乗りのしないデートの約束。

午前中にお風呂に入りながら、今更断れないしなあと考える。

大体お盆に、たとえ昼出勤だったとはいえ、頑張りすぎたのである。

それに加えて外食、宴会と心身共に疲弊している。

すると携帯がなった。

なんかトラブルがあったらしく(ちゃんと人の話を聞いていないのでよく分からなかった)、今日の予定はキャンセルして欲しいとのこと。

申し訳なさそうに言っている向こうにたいして、私ったら極悪非道。

声も弾んで「全然構いませんよ。全く気にしないで下さい。」

やっと1日フリーの日が出来た。

これで休める。

お風呂から出てから、また布団に戻って、倒れ込む。

うきうきしていると、また携帯がなる。

今度は父母からの昼食のお誘いだ。

このまま倒れていたかったのが本音なのだが、このままだとまた何も食べずに日を過ごしていくことになる。

仕方ないので承諾して、出かける。

さっさと家に帰り、布団に転がる。

ごろごろ、ごろごろ。

本当は勉強しなくちゃ行けないのだが、疲れすぎて頭が働かない。

一応本を読みながら転がっていたのだが、いつの間にやら睡魔に襲われていた。

電話で起こされる。

母からである。

用事が済んだら、伊丹に出来た新しい酒屋さんにエヴィアンをカートンで買おうと思っていたので、車でまわってもらうことにしていた。

しかし、嫌な予感は当たった。

私は家にそのまま帰るつもりだったが、母はそのまま実家へ直行してしまったのだ。

お昼御飯を食べたので、しかもそのあと動いていないので全然お腹が空いていない。

普段は、食物を残すのが嫌いな私は無理してでも食べるのだが、本当にほとんどのものに箸がつけられないのだ。

大好きなワインもチーズも入らない。

 

明日の予定もあることだし、結局早めに送ってもらって(というより、早々に片付けてしまって)家に帰った。

お風呂に入って、服薬。

今日も眠れるといいなあ。

 

8月16日

今日は、退職された職員さんの送別会がある。

だから、朝は遅れられない、と前の晩早めに薬を飲んだのだが、効かない。

前回より少しきつめの薬を出してもらっているのだが・・・

朝方漸く眠りに就く。

すぐに目覚ましがなって、出勤時間。

とてもじゃないけれど、薬が残っていてふらふらで歩けるどころではない。

それでも必死でおきようと格闘すること2時間半。

漸く日文研へ出勤できた。

ついてしまえば、涼しいし仕事も捗る。

 

バスのぎりぎりの時間まで働いて、みんなと合流。

河原町へゴーゴーゴー。

寺町で大騒ぎ。

先生方も3名来て下さったので、普段出来ない話しも盛り上がる。

終電で帰って、ふらふら状態。

今日は、よく飲んだし、ぐっすり眠れるかなあ。

 

 

8月15日

今日こそは、朝から出勤しようとしたが、結局無理。

昼に出勤。

今日も夕食は親戚とすることになっている。

だが、一応残業してから帰る。

もう、みんな御飯が終わりかけていた。

すまない。

結局今日も1日1食。

その1食のカロリーで生きているんだろうなあ。

でも、どうにもできない。

次の日の夜まで、気持ち悪くて食べられないのだから。

どうしたら、健康生活へ改善できるかなあ。

 

8月14日

午前中はダウン。

それでも午後には何とか日文研に出勤。

残業までしてノルマの時間をこなす。

家に帰るとふらふら。

そういえば、この一週間も1日1食だなあ。

でもその1食が外食で豪華だからいいか。

相変わらず立ちくらみは止まず。

 

8月13日

昨日働くと誓ったのに、もう、朝が起きられない。

お腹の具合が悪くて、外に出られないのだ。

結局、1日、家でふせっている。

しかし夜は、大伯母たちが来ているので顔を出す。

 

虚しい1日。

 

8月12日

一睡もできなかった。

お盆前の病院へ、1時間半前に駆け付ける。

もちろん誰もいない。

だけど、不安で仕方なかったのだ。

余りにも安定しない毎日に。

 

精神的にうけた打撃があまりにも大きかったから、仕方ないよ。

今はとりあえず、眠ること、休養すること、気晴らしすること。と言われる。

「お盆はとりあえず寝ておきなさい」

「でも、お盆を働かないと、バイト時間がためられないのです」

「うーん。仕方ないな。じゃあ、働いてもいいけれど無理しないこと」

そういわれて、女学院のバイトに遅れて向かう。

しかし、早い人は今日からお盆休み。

 

ずっと親戚づきあいが始まるんだよなあ。うくく。

 

8月11日

約束を忘れて、昼過ぎまで無視している極悪非道人。

昼前に気がついてメールを入れるがなかなか返事がない。

びびっていると、お茶でもどうですかと何とも優しい返事が来る。

お茶ならいつでもと、外出し、お茶をする。

誠に申し訳ないことをした。

気にしているんだろうけれど、それを面に出さないなんて、よく人間が出来た人なんだろうなあ。

家に帰ってからは、また倒れる。

疲れはいつとれるのだろう。

 

8月10日

昨晩。留学される先生の壮行会があった。

割烹小川は久しぶりに腕を振るう。

しかし、奮いすぎて、際限なく作り続けてしまった。

集まっていただいた皆様、申し訳ない。

作り出すと止まらなくて・・・

それでも、かなりの割合で食べ続けてきて下さる皆様に感謝。

今度からは、もう少し量を考えます。

夏野菜をたくさん使ったお料理に、一足先で、秋野菜も少し混ぜる。

こちらはストレス発散で、思う存分作らせていただいて感謝の念。

来年帰ってきたときは、秋野菜のメニューでお出迎えします。

 

それにしても久しぶりにたんまりと料理をして、自分の体力が減っていることが発覚。

ちょっとショック。

 

しかし楽しい晩だった。

 

今日は1日頓服も服用して、たっぷり寝た。

健康路線まっしぐら。

 

 

8月8日

発熱。

昨日のオースティン・パワーズで興奮しすぎたか。

女学院にアルバイトの日だったのだが、さすがに発熱でしんどくて行けない。

朝、連絡をして、お休みさせていただいた。

でも、眠られなくていらいらするばかり。

身体は熱を持って、暑いばかり。

頓服を服用、解熱剤を服用。

夕方まで寝ていた。寝ていたというやり、意識を失っていた感じ。

とりあえず休養になったのでよかったかな。

明日は宴会だ。

夜には元気になって、明日のメニュウを考える。

楽しいな。早くお料理作りたい。

もう、熱も下がったし、大丈夫。

 

8月7日

今日は待ちに待った日である。

ふっふっふ、「オースティン・パワーズ・ゴールドメンバー」の試写会なのである。

夕方だから、3時には日文研を出なければならない。

よく寝たので、朝も4時頃から目が覚めて、用意もばっちり。

7時半に家を出て9時過ぎには日文研に出勤。

 

楽しみがあると人間頑張っちゃうんだよねえ。

早速仕事にかかる。

お腹は空かないから、お昼時間をぶっ飛ばしてひたすらお仕事。

図書館の1階でやっているのだが、欠点は凍るほど寒いこと。

しかし、寒さにもめげずにお仕事をこなしていく。

 

予想外に早く会場に着いたら、もうすでに人が並んでいるではないか。

よかった早く着いて。

わくわくしてきた。もう一人の先生には、携帯で「前の方に並んでいるのでずかずか階段を上がってきて下さい」連絡。

ど真ん中の席を取って、グッズを購入。

映画はいうまでもない。

最高である。今年のベストワン映画か?!

幸せだなあ。

 

公開したらみんなで見に行こう。

 

8月6日

3日間のゼミナールは楽しかった。

映画を見て、御飯食べて、映画を見て、御飯食べて、映画を見て、宴会。

何故か阪大陶芸サークルで作ったというお猪口がたくさんあって、青いのが気に入って、それで飲んでいたら、「あげますよ」と、なんてありがたいお言葉。

わーいと喜んで、飲み続けていたのが失敗。

さあ、帰ろうと思って転んで割ってしまった。しくしく。

替わりにもう一つ別のを下さった。

なんて心優しい方。

 

阪大の院生に「小川さんって、映画みたいに酔いますね。こう絵に描いたような千鳥足になって」と言われた。全然嬉しくない。

なんかこのメンバーでの私のイメージは、単なる酔っぱらいなのか・・・

 

お猪口を下さった方は、仕事なので、最後のシンポジウムが聞けないということだった。

2日目の晩の宴会に、途中電話がかかってきて、「小川さん、お猪口割らないようにして下さいね」と伝言されてしまった。く、かなしい。

 

シンポジウムでのコメントは好評で、特に時代劇なぞ見たことのない若い学生さんたちに非常に分かりやすいコメントであったと何人かの先生にお褒めの言葉をいただき、恐縮してしまった。

 

懇親会は「鮎料理」。

大阪芸術大学の名誉教授の先生に、「時代劇映画のベスト1をあげるなら」と質問されて、うーん1本には絞れない。さんざん悩んだあげく、1本なら強いて挙げるなら市川雷蔵の「薄桜記」、シリーズものなら「旗本退屈男」と、お答えしたところ、「今までいろんな人に同じ様な質問をしてきましたが、「旗本退屈男」の名を揚げた人はあなた一人だ。是非、1本書いて下さいよ。期待してますからね」と言われてしまった。

博論がすんだらね。あ、そうか、博論に1章組み込めばいいんだ。

よし、頑張るぞ。

いろいろな先生に可愛がっていただき、懇親会では、昼酒飲んで、すっかり疲れて帰ってきた。

 

よろよろになって帰ってきて、血液検査の結果を聞きに行く。

「血が薄いですね。貧血気味です」

そうか、それでよく立ちくらみを起こすんだ。

でも、他は問題なかったのでよかった。

 

今日は、3日間の疲れがどっと出て日文研に行くどころではない。

疲れすぎて眠れなかったので、朝方頓服を服用。

本当によく効いて、夕方まで寝続けていた。

夢も何も見ず、ひたすら真っ暗闇の中を倒れていた感じ。意識失っていたというか。

お風呂に入って、またそのまま倒れるように眠りに就いた。

 

8月2日

診察は夕方なので、朝は日文研に行く予定にしていた。

が、誓ってまもなくまた挫折。

みんなに疲れた顔しているといわれていたが、本当に疲れていたのだろうか。

結局、家で休養。

読めない本を読みながら、診察ぎりぎりに駆け込む。

 

「眠れてる?」

「寝てはいるんですけれども、1〜2時間ごとに目が覚めて、それから30分ほどしたらまた寝入るという繰り返しで、トータルで4〜5時間ぐらいです。

それで、朝薬が残っているのか、たちくらみがして午前中はほとんど動けなくて」

「じゃあ、睡眠時間が多少減ってもいいから一気に4時間眠れる薬に変えてみよう。そのかわり朝の目覚めはいいはずだから。かわりに頓服を出しておきます。これは24時間ぶっ続けで眠っても差し支えないときにだけ使って下さい」

多分今まで出た中で一番きつい睡眠薬だろう。

 

カイロプラティックの先生があまりうるさいので、ついでに近くの内科で血液検査を受けた。

結果は月曜日。主治医のところでうけたらよかったのだけど、この前軽症と言われたので、ま、いいかとほっておいたのである。

 

明日から2泊3日で、映像学会関西支部の夏期ゼミナールがある。

今回はテーマが「時代劇の巨匠とスター」ということで、シンポジウムのパネリストの依頼があった。もちろん受けさせていただいた。

しかし、上映作品のライン・アップを見て驚いた。

余りにも渋い選択なのである。

超娯楽作品など対象にしている私に何がいえようか。

10本中2本は見ていない。

なんとかせねば。

 

明日はJR京都駅10時発のバス。

遅れないようにしなければ。

 

8月1日

女学院にてアルバイト。

学校に着くなり、「小川さん、疲れてません?」

そうかなあ。

昨日結局家で休養していたのになあ。

 

その後は、長田神社へ薪能。

待ち合わせ場所に着くと、母に「疲れた顔して」と言われる。

うーん。おかしい。

私は8月から復帰したはずなのだ。

 

それはさておき、演目は「葵上」だ。

この能は動きも多いし見応えがあるので私の好きな演目の一つ。

薪能は風情があるから大好きだ。

と言っても、今はちょっと照明が明るすぎて風情が減っている気がするけれども。

歌舞伎に能に、古典芸能の日々。

 

明日は診察だ。早く行きたい。

 

7月31日

昨日あれほど誓ったのに、日文研に行けなかった。

6時前に目が覚めたと思い、よく見ると5時前だった。

用意はしてみるものの、家から出られない。

出たくないのだ。

頭痛はするし、腹痛はするし、完全に精神的なものだと思う。

でも、何故?

確かに今やっている仕事は厄介なので嫌なのだが・・・

昼過ぎには動けるはずが、今日は夕闇が迫るまで動けなかった。

もちろん飲まず食わずだ。

 

夕方、園田学園大学で「東海道四谷怪談」の上映会と、映画を語る懇親会があった。

日文研に行けなかったので、せめてこれだけでも見に行こうといったが既に遅刻。

まあ、見ている映画なのでいいんだけど。

映画のあと、懇親会。

と言っても軽いおつまみとビールで映画について話し合うアットホームのものであった。

一体どういう人が来ているのだろうかと思って聞いてみると、生涯コースの生徒さんたちと園田学園の先生たちだった。

学生が何人か来ていたが、みんな帰ってしまったので、若手に見えるのは私一人。

真ん中の席に座らされて優遇され、いろいろお話をさせていただいた。

「あなたのような若い人で、こんなに時代劇について話せる人は初めてだ」と驚嘆される。

一応、専門ですから。

 

非常勤の口がないかしらと、名刺を配り挨拶周りの政治活動。

こんなんしている自分が少しさもしい気がした。

 

明日から8月。バリバリと稼ぐぞー。

 

7月30日

いつもの時間には乗り遅れたが、何とか昼過ぎにたどり着いた。

どうしても朝動けないんだ。

6時前から目が覚めていたのに・・・

それでも仕事をして帰る。

どうしよう、もう7月も終わりではないか。

私の計画は大きくずれていく。

6月から8月にかけて、集中的にあるバイトの時間を稼いでおき、9月から11月まで休んで論文に集中しようとしていたのだ。

なのに、なのに、6月から体調をすっかり崩してしまった私は、ノルマのバイト時間でさえこなせていない最悪の事態。

今日も残業をしたが、それでもおいつかない。

生活、論文を成り立たせるのはそんなに困難なことなのだろうか。

だって、他の学生はみんなやっているではないか。

どうして、私には出来ないんだろう。

 

家に帰るとどっと倒れ込む日々。

何も食べたくない。

ただひたすら寝たいのだ。

なのに2時間や1時間ごとに目が覚めるし、ぐっすりと眠りたいのに何故。

眠りたい。

 

7月29日

女学院にてバイト。

夏休みに入ってすぐということもあってか、10人ほどの学生さんたちが利用に来る。

それでも暇は暇。

暇って疲れるのよね。

後片づけをして家に帰ると共に倒れる。

ちょっと週末動きすぎたかな。

カイロプラティックの日だったので、「調子はいまいち」と訴えると、「血液検査を受けるように」と強く勧められる。

そういえば、今日も1日1食に戻ってしまった。

「ちゃんと消化吸収が出来ていないと思いますので、回数を分けて少しづつ食べるようにして下さい」といわれる。

そういわれても、バイトとかしていると、食べている時間がないんだよ。

ちょっと調子に乗って食べるとお腹の具合が悪くなるし・・・

何から改善していったらいいんだろう。

 

はあ、明日は日文研。行けるかなあ。

 

7月28日

金曜日に小林先生に、歌舞伎を勧められていたので、最終日に駆け込む。

殺陣が激しい歌舞伎なので、是非見ておくようにいわれていたのだ。

しかし、3階席からは見えにくい。

けれども、現在の歌舞伎の殺陣の実態が少しでもつかめたかと思う。

よし、これで比較対象に書けるぞ。

 

夕方戻ってきて、単発バイト。(決して怪しいものではございません)

そのあと、軽く夕食を食べに行った。

歌舞伎の時間潰しのため、昼御飯も食べたし、1日2食とは、私も健康への道へ歩んでいっているのか。

あとは要領よく物事をこなすだけだなあ。

 

7月27日

いくら軽症と言われても、この暑さにはまいる。

食欲も相変わらずないし、何もする気が起こらない。

それでも、今日はお稽古日だったので、謡曲の稽古に向かう。

昨日しっかり食べたので、今日は声量も少しあったようだ。

舞の稽古も順調に進んでゆく。

今年もしっとりとしたゆっくりの舞い。足運びが難しい。

夜は強制的に?祖父母のうちで食事。

あんまり食べたくないんだけどなあ。

それでも健康のためと、精一杯食べる。

しかし、帰ってから腹具合がおかしい。

胃薬もらっているのになあ。

 

7月26日

日記を読んで下さる皆様が、あまりに心配をして下さって、入院した方がいいというアドバイスをいただいた。

内田師匠にも実家に帰るか、入院するかしないと、時間の問題だと言われた。

私はそんなに異常なのか?

そんなに狂っているのか?

何が正しいのだろう。

 

不安を抱えて主治医のところへ駆け込む。

日記に書いていること、それを読んだ人の反応のことなど話し、「私には入院が必要なのでしょうか」と意見を聞いてみる。

すると先生は、紙に四角を描き、それを3分割された。上から、「軽症、中症、重症」といい、更にそれぞれを3分割された。そして中症と軽症の間に濃く線を引き、軽症の一番下のところをさして、「今、君のいるのはここのところ」これ以上悪化することは絶対にない。

重症の一番下をさして、「入院を勧めるのはここにいる人たち。君には関係がない」ときっぱり仰って下さった。

不安で、気が更に狂いそうになっていた私の気持ちは一気に軽くなった。

「あとは、この軽症の3段階をあがっていって治癒するだけ。」

「余りにも精神的ダメージをうけていたために、まだちょっと時間がかかるかもね」とも言われてしまったのだが・・・

 

気も晴れやかになって、「エルプリュスの夜会」に行く。

トーク・セッションはまあ、よく聞く話だから(二人が話しているときにいることが多かったので)まあまあいつもの楽しいお話という感じだった。

初めて「葉巻」なるものを挑戦。

しかし吸い口が太いし、肺活量のない私にはなかなか吸えない。吸っているだけで、ぜいぜいいってきそうだ。情けない。

3000円で、飲み放題、食べ放題の上、トーク・セッションにジャズ・ライブとはなんとお得な会ではないかと思った。

まあ、自分の気が晴れやかだったせいもあるかもしれない。

 

とにかく私は軽症なんだ。(そのどん底だけど)

頑張ってやっていけば何とかなるさ。

 

 

7月25日

昨日と1泊で有馬温泉に行ってきた。

食事の量が多すぎて、残してしまった。すまない。

ワインを持ち込んで、みんなで楽しく話しながら飲む。

楽しい食事会。

ほらね、昨日もキッチリ食べたでしょ。

温泉で癒されて、これで健康だ。

 

朝風呂にもキッチリはいる。

昨日は飲んでいたので、さすがによく眠れた。

朝御飯も豪勢である。

昨日の夜食べ過ぎたせいもあって、さすがにこの御飯にはひるんだ。

それでも、箸をつけて食べる。

 

家まで送ってもらう車の中でも、うたた寝。

運転手の先生、申し訳ございませんでした。

家に帰ってからは、奇跡の昼寝。

 

おかげでサイクルが狂ってしまった。

また眠れない夜がやってくるのだろうか。

 

7月23日

薬が効かない。眠れない。

頓服も使用するが、全くダメである。

空が白じんできたころ、漸く眠りに落ちた。

 

朝から腹痛で目が覚める。

しんどくて動けない。

週末の元気はどこへ行ってしまったのだろう。

 

あまりみんなに「休養しろ」といわれるから、遊びの計画ばかりが入っている。

困難ではいけないのだ。資金を捻出せねば。

だから、どうしても今日は日文研に行って、働かなければ。

なのに、身体は動いてくれない。

昨日、キッチリ食べたはずではないか。

体力がないとは言わせない。

 

午前中が過ぎ、もうダメだと思い変えたとき、漸く始動し始めた。

こんな遅くから行ってもいいから、とにかく行って仕事をしなければ。

遅れてきた分、残業をして、一応最低時間帯をクリアー。

 

久々に日文研に顔を出した人がいるというので、帰りはみんなで夕食に。

よしよし、先週末からキッチリと食べているぞ。

この調子で健康にまっしぐら。

 

7月22日

朝早くから目覚める。いつものことだ。

シャワーを浴びて、さっぱりと汗を落とす。

汗を掻いているほどではないが、じとーっとしているからだ。

女学院にアルバイト。

 

さすがに夏休み前と試験期間中とあって、暇は暇なのであるが、夕方にどっと人が来た。

閉室時間まで粘られると、後片づけに時間がかかるのよねえ。

 

夜はカイロプラティックで身体をほぐしてもらう。

相変わらず調子がよくなさそうだと言われる。

とにかく、1日5回に分けてでもいいので食べるようにアドバイス。

そういわれてもねえ。食べたくないんだもんなあ。

反省して、夕食はちゃんと食べました。

あー、胃がもたれる。

 

7月21日

昼から京都で「ゴジラ」をみる。

実はあの名作?をまだ見ていなかったのだ。

15時半頃、カフェ・オパールに行く。

別にお腹も空いてなかったが、ランチを始めたということもあって、試しに食べてみる。

まあ、まあ、ってところかな。

 

夕方に家に帰る。

近所に新しいお店が出来ていた。

物珍しいからそこへ夕食を食べに行くことになる。

しかし、食事のメニューが少なすぎる。

選択肢は2つしかないのだ。

ワインはまあ揃っている方かな。

昼飯が遅かったので、メインを一つだけ注文。

キャンペーンでワインのテイスティングをしているという。

なかなか美味しい。

食事に合わせて、それから1本あけたが、ワイン自体は使えそうである。

「カジュアル・ダイニング」とか書いてあったけど、もっとワイン・バーに絞るか、食べ物を種類を増やすかしないと、もう1度来ようとはあまり思わないなあ。

 

ワインをたくさん飲んだので、今日はよく眠られそうだ。

 

7月20日

今日ミラクルヤングのライブ。(ゲストバンドだけどね)

 

わくわくしながら東京へと向かう。

今日は、ちぃちゃんが夕方まで遊んでくれることになっていたので、少し早めに出かける。

とりあえずしたいことはないと思っていたけれども、新幹線の中で思いついた。

市川雷蔵の墓参りである。

2日遅れだったけど、33回忌。

場所がよく分からないので、連れていってもらう。

たくさんの花々に飾られて、綺麗に掃除されている雷蔵の墓にまいる。

「修士論文は無事書けました。雷蔵さんのおかげで今の私がいます。

これからも銀幕のスターとして、私たちを楽しませて下さい」

そうお祈りをした。

1回言ったきり、まだまいっていなかったので、肩の荷が下りた気分。

それからしばらく遊んで、渋谷に行く。

 

昨日のライブは最高だった。

町田康様を前から2列目でしげしげ眺め、心から音楽に身を任せて踊る。

全8曲。50分のライブだった。

短くてもいい。全身で歌声を、音楽を受け止めて、癒された。

わざわざ東京まで来てよかったと思う。

 

夜は、日記で食欲がない私を見かねたのか、「食べろ」と言って、焼き肉屋に連れていってくれた。

そういえば、朝から何も食べてなかったが、別にお腹も空かなかったし気にもしてなかった。頑張って、1週間分ぐらいは食べたと思う。お腹が苦しい。

泊めてもらうことになっていたので、家まで戻って、車で健康ランドにお風呂に行く。

たくさんの種類の湯があって結構楽しい。

帰ってから、朝の4時まで話していた。

服薬してわりとすぐに眠れたと思ったが、6時に起きてしまった。

8時に目覚ましをかけていたので、2時間を持て余す。

とりあえず着替えてから、また布団の上に転がり、昨日のライブの余情を楽しむ。

かっこよかった。

 

漸く8時になり、9時にちぃちゃんに車で駅まで送ってもらって、帰阪。

今日はジュンク堂難波店で14時から「町田康サイン会」なのである。

これで2日連続会えるではないか。う、嬉しい。

無事間にあって、「昨日のライブ、見ました。すごくよかったです。」「わざわざ」「ええ、渋谷まで行きました。」「ありがとう」

しっかりと握手をしてもらう。感激。

 

漸く帰途に就いた。疲れが溜まって、ばたんと倒れ込む。

昨日食べ過ぎたせいか、まだ満腹感があってお腹がいっぱいである。

すばらしくも昼寝をすることが出来た。

まあ、新幹線の中でも眠れなかったし、2時間しか寝ていなかったからね。

 

夕方、携帯の音でビックリして起きる。

親戚が来ているから、寿司屋に来いと言うのである。

お腹空いてないんだけどなあ。

祖父母の顔を見にだけでも行くかあ。

なんで断れないんだろう。

木田先生にも「断ることを覚えなさい」と、言われたばかりではないか。

 

あー、喉元までお腹一杯である。

お腹壊しそう・・・

 

 

 

7月18日

昨日の夜早めに薬を服用して床に就いた。

2時間後に覚醒。そのあとどうしても眠れない。

1時間たったので3時に頓服を服用。

全然効かないのである。

眠れない夜を、寝返りをごろごろうちながらもだえ苦しむ。

いっそのこと起きてしまいたいが、眠れていなくても床にいることと言われている。

昨日までちゃんと効いていたのに。

2日間転がっていたから効かなくなったのかなあ。

余りにも眠れず、暑さもあってかいらいらしてくる。

今週の自分の愚かな行動に腹が立ってきて、もって行きようのない自己嫌悪感にとらわれる。こんな人間存在しなくてもいいのだ。

そんな思考が頭を駆けめぐる。

悪い考えが頭をよぎるが、あれ以来、刃物は出来るだけ隠している。

飛び降りるか?目の前は線路だ。

そんな妄想に駆られて刻々と時間が過ぎていき、空が白んできた。

不思議と空が白むと、タナトスへの誘惑も薄れていく。

もう、起きてもいいんだ。

窓を開けて外の空気を吸い込む。生きているんだと。

 

今日はアルバイトの出勤もばっちりである。

仕事もそつなく済ませていく。

 

明日は気晴らしに東京に行く。

帰りに梅田に出てチケットを購入。貧窮。

 

家に帰るとさすがに疲れて、また倒れ込む。

ほとんど食欲はないが、一応は何か口に入れる。

お風呂に入ってゆっくりとリラックスしたいのだが、今の私はすぐに貧血を起こしてしまって、ゆっくりと入れない。体力不足か。

 

昨日、カイロプラティックの先生に「血液検査した方がいいですよ」と言われた。

やっぱりした方がいいのかあ。

ちょっと食欲がないだけなんだけどなあ。

(あ、動けない日もあるか)

でも、最悪事に比べると随分と健康になったはずなんだけどなあ。はあ。

 

7月17日

今日は市川雷蔵の命日。33回忌でもある。合掌。

祇園祭の日でもある。

雨が降って残念だね。

 

昨日あれだけ休養したのだから、今日こそはと思うが、今日は頭痛でダメ。

熱っぽい。

また日文研にいけないアレルギーが出てきたのかしら。

遠いからなあ。

6月に入ってから、日文研に行く割合が半減している。

これではアルバイトが溜まるばかりではないか。

そうすると研究する時間が減るばかり。

ますます悪循環。

 

だけど、身体が動かないのである。

ウソだと思われるだろうけれど、いくら頭が「起きあがるぞ」と命令しても、身体さんは指1本だって動かしてくれない。

 

気付けば午後になっている。

今更行っても夕方じゃん。あきらめるしかないか。

 

考えてみれば、昨日からろくなものを口にしていない。

やっぱりなんか食べて栄養つけなくては体力も回復しないだろう。

おそるおそるお魚を食べてみる。

それから野菜も。

大丈夫。吐き気もないし、腹痛もない。

昨日、今日と2日間もたっぷり休養をとりました。

一応栄養も少しとりました。

睡眠は普通かな。

明日からは復帰するぞー。

 

7月16日

やはり、失敗。

おなかをくだしたのである。

普段食べない量食べるから・・・

朝から動けない。

何かしたくても何もできない。

布団の上で七転八倒。

 

あー、日文研に行かなきゃいけないのに・・・

それどころではない。

少量の水分を摂取した以外に何も口に出来ない。

食べたくないし、気持ちが悪いからだ。

 

こうして何もできぬまま、1日が過ぎていくのであった。とほほ。

 

7月15日

はあ、反省のないと言うか、学習のない猿というか、またもや腹痛で目覚める。

昨晩の夜控えれば、よかったのね。もちろんアルコールの方を。

食べる方はほとんど食べていなかったからそんなに負担がかかっていたとは思えないものなあ。

 

それでも何とかアルバイトには出勤。

試験に入ったのか、学生さんが少ないので、仕事も楽である。

後片づけをしたら梅田へ直行。

まさか、こんな体調になるとは思いもしなかったので、知人と夕食の約束をしていたのだ。

当然の事ながら、朝も昼も食べていない。

薬も飲んでいるし大丈夫でしょう。

 

食べに行ったのはイタリアン。今日はワインも控える。

思っていたよりもちゃんと食べられた。

体調を気使ってか、そのあと飲みにも行かず、さっさと帰宅。

 

しかし身体が疲れていたのだろう。

帰ったら布団に倒れ込む。お腹が思い。

今日は早く寝ることにしよう。

 

 

 

7月14日

6時間の快眠。

だけどクーラーのせいか身体が冷えている。

両親を見送ってから、ボーとソファに座っている。

10時がチェック・アウトなのでそうも言ってられない。

朝風呂に行く準備をして、温泉へ。

わお!独り占め。露天風呂で気分良くいたら、他のお客さんが入ってきた。

だからと言うわけでもないが、露天風呂をあがると立ちくらみが。

こんなところで倒れたら恥ずかしいぞ。真っ裸だし。

中のジェッドバスにはいる。

昨日、しっかり食べたので、お腹がぽこんと飛び出している。

泡に当てながら引っ込まないかなあ、と考えてみたりするあほが一人。

ジェットバスも適当に切り上げたつもりが、立ち上がった途端ふらーときた。

やばい、と思い、お風呂の中でこけるのならまだましかなど馬鹿なことを考えつつふらふらになって温泉を出る。

そんなに長時間入ってないんだけどなあ。

 

朝御飯券があったので、別にお腹も空いていないが珍しく少し朝御飯を食べて薬を飲む。

部屋に帰って、10時まで休憩。

片付けを済ませて、部屋を出る準備をしてチェック・アウト。

頼まれていたお土産?の品々を買い、ソファに腰を下ろして、さて読書でもするかと思ったときに悲劇が来た。

胃に激痛が走ったのである。

とにかく胃が痛い。「朝御飯なんか食べるからだよ、あほ」と嘆きつつ前屈姿勢のように丸まって、胃をおさえる。

ソファの上に怪しげなる体位をするものが一人。

胃が痛い、胃が痛い。

15分ほどうめいていると漸くましになってきた。

少し動けるな、と思ったので、自販機でお茶を購入して市販の胃薬を飲む。

身体さん、ごめんなさい。もう無茶はいたしません。

やっぱり食べたくないときは食べません。

昨日の夜からだから、胃が急激に入ってくる食物の量に驚いたのであろう。

 

両親がゴルフから戻ってくるまで、ホテルで時間を潰しているのだが、当然ながらもうお昼御飯は食べません。あ、でも薬だけは服用しておかなきゃ。

11階に泊まっていたので、1階のソファがうるさくなってきたので、荷物を持って見晴らしの最高の(海が見える!!)11階のエレベーター・ホールにて休養。ここにもソファと机のセットが置いてあるのだ。

お腹も落ち着いてきたようだ。

 

しばらくすると田崎真也さんが現れたではないか。11階に泊まっていらっしゃったのね。

向こうは面識なんてないが、一応昨日の御礼の挨拶をしてみる。とてもジェントルな対応をされる方であった。

あー、でも昨日を限りに、またアルコールは控えよう。

胃に負担がかかっちゃう原因かも知れないからね。それに自分では美味しいワインなんて選べないし。

 

3時過ぎ、両親が帰ってくる。それから帰宅。

うちに着くのは夕方。「夕飯どうする?」と言われたところで、胃痛を起こした私には、空腹感などない。「いいよ。別にどこでも」と言って、中華料理の店へ。

さすがに揚げ物はようたべんかった。

ちょこちょこ好きなもんを食べながらも、ワインを飲んで、全然反省の意識なし。

明日ぐらいに反逆が来るかなあ。

 

そうこうして家に帰った。

今日は早く寝よう。

今週末は先生のいうとおり、「睡眠、栄養、休養、気晴らし」を守ったのだから、随分身体も元気になったことだろう。

と、心底願う小川であった。

 

7月13日

今日・明日と大山に行く。

大山ロイヤルホテルにて「世界のソムリエ田崎真也と楽しむワインとグルメの会」というのが催されているのだ。

随分前にその話を聞いたとき、「へえ、行きたいなあ」なんて呟いたことがあった。

すっかり忘れていたが、両親は次の日大山でゴルフもできるので乗り気になって申し込んでくれていたようだった。

ありがたい話である。

 

当然ながら、昨日の夜食べたおかげで朝はお腹が空いていない。

薬だけ服用。

昼は、大山に向かうパーキング・エリアでとることにしたが、夜御飯がはいらないと嫌なので、トマトジュースだけを飲む。一応栄養を考えて。

だけど、これが災いの素。お腹を冷やしてしまい腹痛を起こす。

こんなんで夜は大丈夫なのだろうか。

 

ホテルに到着して、冷やした体を温めようと温泉に行く。

最近食べていないせいか、お風呂にはいるとすぐに貧血を起こしてしまう。

いつも長風呂の温泉好きの私なのに、貧血のせいでゆっくり入っていられない。

珍しく早めにあがるので、あんまり体が温まらない。

ホテルの部屋で夕食までの時間を潰す。

なあんか、身体が寒いのである。

もう一度温泉に行くか?とも考えたが、ちょっと時間が中途半端すぎる。

あきらめて、今日の日のためにバーゲンで購入したヴィヴィアン・ウエストウッドのワンピースを着る。やはり1枚ではちょっと寒い。

 

お料理は8種類のワインと合わせて、解説付きで出てくる。

私の好きな赤ワインは後半部分なので、前半の白ワインをあまり飛ばさないようにセーブ。お料理もとても美味しかった。前半のワインは甘口が多くて、お料理と合わせるとなるほど、とも思うのだがやはりちょっと苦手かな。

子羊のロティといただく赤ワインは絶品。うまい。

 

大満足して帰ってきた。今日は泥酔することもなかったしね。

食べたくない、食べない、食欲がないと言いつつ、こういうものはちゃんと食べるのだから現金なものである。

いいんだ。栄養と気晴らしはこれでクリアー。

今日はアルコールとの相乗効果でよく眠られそうだ。

 

7月12日

今日は待ちに待ったたん熊さんのお料理教室。

夏野菜の美味しい懐石が食べられる。

と、思っていたのに、朝から頭痛がひどくて動けなかった。

5時頃には起きていたのだが、全く動けない。

用意をせな、服を着替えな、と必死で頭は思っているのだが、身体さんは無視。

結局時間が過ぎていってしまった。

 

しゃあない。病院だけ行くか。

「胃の調子はどう」

「今のところは大丈夫です。といってもほとんど何も食べていない状態なんですが。1日1食が必死ですかね。だから、よく分かりません」

「うーん、困ったね。とりあえず薬を出しているから、胃薬ももう少し出しておきましょうか」

「先生、アルバイトで必死で、もう家に帰ったら何もできないんです。」

「それでいいよ。どだい今の生活では無理だよ、何もかもしようなんて」

「でも、みんなやっているじゃないですか」

「今必要なのはね、睡眠、栄養、休養、気晴らしの順番。論文はそのあと。」

「えー。それは困るんですけれど」

「でも栄養がとれてないから体力が落ちているのだし、アルバイトして家事してたらみがもつわけないでしょう。睡眠、栄養、休養、気晴らし。分かった?」

「はい」

「それから、あとは誘われる事柄を断ることを覚えて下さい。」

「断る?」

「そう、いろいろな人付き合いをみんな断る。NOと言えるようにすること」

 

睡眠は薬があってきたのか、最近は5時間ぐらいはねているから、まあOKとして、問題は栄養かあ。

食欲がないんだもんね。空腹感もないし。

 

家に帰ると、すぐそばに新しいお店がオープンしていた。

外食なんてしている懐具合でもないのだが、「栄養」というフレーズにひっかかって、興味ありげに入ってみる。

メニューを見せてもらうと「ワイン・バー」みたいだ。外には「カジュアル・ダイニング」って書いてあったのに。

オープン記念の格安ワインと、料理を注文する。

胃痛も起こさずに無事食べられました。

 

明日から1泊旅行である。

休養とるために早く寝ることにしよう。

 

7月11日

不思議と二日酔いはなかった。

今日は女学院に無事出勤。

だけれども、身体がしんどくてしんどくて仕方がない。

ふらふらになりながら、学生に対応。

昨日、夕食を食べたせいか、朝から全然お腹が空いていない。

お昼休みは、机に突っ伏して倒れる。

とりあえず服薬。食事はお腹が空いていないのでまた食べなかった。

何となく鼻声になってきて、調子はますます悪くなる。

 

今日は試験が近いせいか、学生さんが少なくて助かった。

後片づけをしてから、謡曲のお稽古へ。

 

謡の稽古をすると、「全然お腹から声が出ていません。なんかお腹が空いている人みたいな声ですよ。もっとお腹に力をためて」と叱られる。

お腹が空いている人の声か。ある意味当たっているなあ。

ただ私に空腹感という自覚がないだけで、身体はそうなんだろうなあ。

いつもは、帰りに祖父母の家に行くのだが、調子が悪いことを理由に辞退する。

ヴィタINゼリーをとりあえずお腹に入れて、早々に倒れる。

 

でも今週は今のところ毎日活動しているから、ちょっとは元気になったのかなあ。

 

7月10日

今朝は早くから目が覚めていたのに、早い時間に家を出られなかった。

でも、今日は10時には何とか無事に出勤。

だけどしんどくて、しんどくて仕方がない。

RAの仕事に取りかかる。

これが結構厄介なのである。

ただフランス語のキャプションを訳しているだけなら何も問題ないんだけど、背景にまつわる言葉や、日本語と思われる読みを漢字に直さなければならない。

百科事典や、国史総目録、浮世絵事典、インターネットを駆使して、分からない箇所を調べていかなければならない。とりあえず、3時までぶっ通しで仕事をする。

お昼は相変わらず、食欲がなくてパス。

 

夜は最近知り合った人と一緒に食事。ワインバーに行く。

ここ最近アルコールも控えているし、もともとほとんどまともに食事をとっていないせいか、途中までよかったのだが、急にアルコールがまわる。

泥酔。

何とか家に帰ったが、なんたる失態。

身体が入ってくるものをとにかく吸収しようという状態にあるのかも知れない。

そこへ入ってくるのがアルコールなんだから、いつもよりも酔いやすくなっているのかも知れない。

愚かな自分に心から反省。

ちゃんと食べていたつもりなんだけどなあ。

 

 

 

7月9日

3時に起きたわりには、身体は動けない。

もうお風呂を入れ直す気力もなく(時間はたっぷりあるのだが)、シャワーですます。

日文研に行く用意。服も着替えてばっちり。

 

なのに、なのに、また出られないではないか。

頭痛、腹痛に襲われる。どうしてこうなんだろう。

1本、1本と乗り遅れていって、それでも漸く11時には到着。

情けない。

私はまともな社会生活が送れないのではないだろうか。

 

遅れてきた分、残業して少しでもアルバイト時間を減らすことに勤める。

あー、肩が凝った。

院生室に戻ると、5月以来会っていない、同期に会う。

「痩せた?」と一言目にいわれる。「なんか目に力無いし」

そうなんだよ。だって体調悪いからねえ。

 

1時間ほど話して久々に一緒に帰る。

帰りにビールでも1杯と出来ない貧窮さにお互い嘆きながら別れる。

私も7月は出費が多いのだ。節約せねば。

しかし、たくましい彼女のバイタリティに感心。

私も少し分けてもらわなければ。

そう思って帰宅したが、お風呂に入った以外何もできない。

家に帰ると気が緩むのか意識が朦朧として、倒れ込むのが常だ。

 

それでも12時にはちゃんと服用して、6時に目覚ましをあわせて寝る。

頓服は服用後1時間しても眠れないときにしか飲んではいけないといわれている。

ジリジリと時間が過ぎて、暑さも手伝ってか、30分過ぎ、40分過ぎ、眠られない。

それでも今日は頓服なしでチャレンジした。

翌朝、目覚ましより前に目が覚める。

1時からだから5時間弱かと思っていたら、5時前に起きていたことが発覚。

でもまあ、4時間だからOKとしよう。

今日もちゃんと通えるかしら。

こんなに早起きしているのにね・・・

 

7月8日

復帰宣言通り、朝から女学院に出勤。

今日はもう少し意識を持って働く。

試験が近いせいか、先生の指定ソフトを見に来る学生も多い。

いい傾向ではないですか。

 

それにしても暑い。

雨なんて全然ふらないじゃないか。

そう、暑いという感覚は戻ってきている。でも、それで汗を掻くかどうかは別問題。

新陳代謝は相変わらず悪い。

 

夜はカイロプラティック。

調子を聞かれるが、あまり目にみえてよいとはいえない。

いろいろアドバイスを頂くのだが、量が多すぎて、全部覚えきれない。

とりあえずいわれたことは、生活を改善すること。

少量でもいいから1日3食から5食に分けて、ちゃんと食べること。

少し運動をすること。

 

そんなことみんな分かっているよ。

でも、出来ないんだから通院して、必死で治そうとしているんじゃないか。

いつもより2時間も早く薬を服用。

と言うのも効いてくるのが遅くて仕方ないからだ。

が、こういう日に限っていつの間にやら寝てしまう。

お風呂のお湯をはっていたのに・・・・

ガスは安全装置で勝手に切れるからいいけれども、水道代が。

11時頃寝入ってしまい、3時に目覚める。

情けなくて、涙が出てきた。

どうして、普通に生活できないんだろう。

 

7月7日

七夕。

いい天気なのだが、周りの明かりが明るすぎて星空が見えない。悲し。

午前中には復帰して、午後の読書会に臨む。

ほんの導入部分なのだが、何となく分かったような気がしたのは私だけ?

とにかく、天才の書くものはすごい。これからまだどんどん論が展開していけるのなんて、あやからねば。

 

ちなみに、今週1週間、口にしたものは1日1食がせいぜい。

よく生きていると思う。

アルコールもほとんど飲んでいない。

そのせいかまた痩せた。

これでは体力が落ちて行くだけなのではないだろうか。

でも基礎代謝量も冬眠中の熊並だし、動いてないからやっていけるのだろう。

でも、頭を使うためにエネルギーはどこから来ているのだ?

やはり減退しているのだろうか。や、やばい。

 

読書会終了後は、また家にて倒れる。

とにかく動けないのだ。

ラジオをBGMに字面をつらつら眺めて1日が過ぎていく。

 

夕食に携帯。祖父母と伯父と一緒に食事をするから出てこないかという連絡。

祖父は、先日睡眠薬を飲み過ぎて(と言うより、昔から薬がよく効く人だったのだ)、トイレに行こうとしたが、意識朦朧。転倒したのである。

そのあとも自分で立てなかったそうで、家族のものが迷惑したとか。

あれだけ、決められた分量を守って服用するように言っておいたのに。

まあ、私が言っても本当は全く説得力ないのだが、私の薬の服薬量を知らないから大丈夫。

心配だったので、お腹も空いていないが、顔を出す。

思ったより元気だ。

更に釘をさすが、「はいはい」と返事だけは調子がいい。

眠られない辛さは痛いほど分かる。しかし、祖父は昼間寝ているではないか。だから、少々夜眠られなくなっても仕方ないと私は思う。

しかし、歳をとると睡眠時間は減るらしい。

「お前らに眠られない俺の気持ちが分かるか」と言って、言うことを聞かないのであるが、私は気持ちが分かる。ボロボロになったから。

だけどね、人によって体質が違うのだよ。自分で立てないほど朦朧とするのなら、分量は守るべきである。骨折しても大変だし、大体ふにゃふにゃになった祖父の面倒を見る祖母が、逆にまいってしまうのも心配だからだ。

 

うちは不眠の家系か?(いや、父はいつも快眠しているなあ)

 

7月6日

1日休養。

休養というより、倒れたまま動けない。

これでぐーぐーと1日眠っていたのなら、次の日は爽快でもあろうが、意識朦朧として失神状態。身体は休まらない。

脳も休まらない。

起きあがっては、明日の読書会の本に目を通すが、頭が理解せず。

諦めて、ラジオを聴きながら、1日をごろごろと過ごす。

これを休養というのではないか??

そうだ、ネガティブに考えてはいけない。

ポジティブに私は休養しているのだ。

来週には復帰するぞー。

 

7月5日

意識と関係なく身体が動く。

睡眠時間は4時間というところ。合格ライン。

と言っても薬で無理やる寝ているのだが。

今週は一度も日文研にいっていない。

何も考えることが出来ず、ただ日文研に通う。

だって、アルバイトが山積みだから。

 

午後は診察。

手首を試し切りしたことなど、ぽつぽつと話す。

思わずうけたトラウマから癒されていないこと。

精神的打撃がまだ続いていることなどを指摘される。

そして、また薬が変更。

先生の最後の言葉は「生きとかなきゃね」

 

「生きとかなきゃね」

 

7月4日

痛む左手首を押さえながらも、何とか動く機械として女学院にアルバイトに向かう。

単なる営業マシーンと化す。

家に戻ってからは、意識朦朧として、倒れる。

部屋が真っ暗になるまで動けない。

でも、昨日分かった。

私はまだ死にたくはないのだと。

 

 

 

7月3日

情緒不安定。生きる屍。

私は存在しているのか、それともヴァーチャルな存在なのではないか。

一体何物なのだ。

 

昨日の夜が遅かったために、今朝は6時頃まで眠っていた。

激しい腹痛で目が覚める。

昨日久しぶりにキッチリと夕食を食べたせいかもしれない。

 

日文研に行く用意をするのだが、どうしても家から出られない。

家を出たいのだけれども、どうしてもできなかった。

今日こそ行かなければ、また悪循環に陥るだけではないか。

そういう恐怖感と闘いながらも、結局午前中の間、一歩も動けずにたたずんでいた。

 

この前内田先生に「休養をしろ」と言われたばかりではないか。

そうだ、これは休養なのだ。アルバイトも休んで家で休養をゆっくりとるのだ。

そう言い聞かせて、本を手に座っているのだが、何もできない。

本当に何もできないのである。

情けなくなってきた私は泣いてみた。泣いてみたのに状況は変わらず、逆に頭痛がひどくなっただけだ。

 

私は何をしているのだ。生きているのか。死んでいるのか。

ろくにものも食べることも出来ず、薬だけを服用して。薬中患者のようだ。

異常なのは私だ。

 

気分を変えようとお風呂にはいる。

日本一のどあほとは我がことなり。

自分の存在に不安を覚えた私は、衝動的に試し切りをしてしまったのである。

「痛い」と感じて、溢れ出る血をいつまでもいつまでも眺めていた。

ハッと我に返って口で血を吸い取り、慌ててバンドエイドで止血をする。

幸い小心者の私がした試し切りなのであるから、傷は浅くまもなくして止血した。

そのかわり、血を見たせいかどうか分からないが、お風呂の中で貧血を起こした。

やばいっと思い、慌ててお風呂から出て、もうろうとする意識の中、バスローブを羽織って畳の部屋までふらふらになってたどり着き、倒れた。ほんのしばらく意識を失って。

 

先ほど意識を取り戻し、自分の愚かな行為に吐き気を感じた。

自己嫌悪感にまたとりつかれてしまい、どうしていいか分からない自分を持て余している。

手首に私をあざ笑うように小さな小さな傷跡がついている。

どうせなら、すぱっと斬って見ろよ。情けない。

今日1日私は休養していたのか、それとも自殺願望にとりつかれていたのか。

自殺ではない。ほんのちょっと自分を消してみたかっただけ。

 

明日のバイトは休めない。

今日1日ゆっくり休んだではないか。

明日からは、普通の生活に戻りたい。普通の人間に戻りたい。

 

 

 

7月2日

朝に用事が入っていたので、朝早くから起きていた。

でも他の用事は何一つ出来なかった。ちょっと部屋を片付けたぐらい。

午後は日文研に行こうと思っていたけれども、午前中の用事を済ました私には、もう京都まで行く気力は残っていなかった。

生活必需品の買い物があったのも忘れて家に直行してしまう。

1時間ほど休養してから、漸く買い物に出かける。

ふらふらである。

朝に干しいちぢくをたべて、昼にはらっきょうとトマト、玉子を食べたのに。

どうして動けないんだろう。

昨日に比べたら今日はたくさん食べているのに。

栄養をとらないと、脳に栄養が行かないから、集中力が欠けて、思考力が落ちるという。

それは困ると思って、なるべく効率よく栄養のあるものを食べているつもりなんだけどなあ。

結局今日も引きこもりと変わらない状態になってしまった。

7月になったら、気分を入れ替えて頑張るぞーと思っていたのに。

 

とにかく明日は日文研にいって、たまった仕事を片付けなければ、勉強に手が着かない。

今日も読書は相変わらず捗らないが、今度の読書会の本もあるし、だらだらいっていられない。

頭さん、働いて下さい。

 

夕方ありがたいことに夕食に誘ってくれる友人がいた。

好きなレストランだったので、いつもよりは少ないけれど、たくさん食べられた。

きっとこの1月の間で一番たくさん食べたんじゃないかな。

機嫌良く家に帰ってきたが、気が緩んだのか突如吐き気に襲われた。

情けない。あんなにおいしく食べて帰ってきたのに。

幸いはかずにはすんだ。胃薬の力も恐るべし。

しかし、すっかり胃がもたれて眠られない。

ああ、明日は日文研に行かねばならないのに・・・

 

7月1日

ああ、もう7月だなんて。絶望。

今朝はアルバイトに行かないといけないのだが、猛烈な通勤拒否を身体が起こしている。

頭痛と腹痛である。

でも、今日のアルバイトは私が行かないと仕事がまわらないのである。

いやいやながらも、這うようにして何とか出勤。

こういう日に限って忙しい。

営業マシーンと化して、学生をさばいていく。

頼むから、日本語を話してくれ。私は疲れているのだから。

そんなことも口に出来ずに、営業スマイル。

 

社会で働いている人っていつもこういうことをしているんだよねえ。

なんてすごいんだろう。私なんてアルバイトでへたっているのに。

 

それにしても6月に入ってから、格段に調子が悪くなった。

そして梅雨の続く今も、変わらない。

お昼は当然の事ながら食べることが出来ない。

もちろん朝も食べていないのだが。

ミネラル・ウォーターをがぶがぶ飲んでしのいでいる感じ。

 

今日は夜は謡曲のお稽古日。

謡がちっともうまく出来ずに反省。しんどくってあまり稽古できてなかったんだよね。

舞の方は、来年に舞う「熊野」の稽古にはいる。

今日は何となく無事にすみました。

謡曲の先生には、「しっかり寝なさいよ」と言われる。

「寝てないように見えますか」「何となく寝不足に感じられる」

今度のお薬は、結構聞いていると思うのだが。

だって4〜5時間はちゃんと寝ていると思うから。

でも、薬で強制的に寝ているから、身体が緊張しているのかな。

 

帰りに祖父母の家に寄るが、食欲がないので、少しだけ頂いて、早々に辞退する。

カイロプラティックの予約が入っていたからだ。

この前、体脂肪率を計った。その時に基礎代謝量というのが出た。

その時のことを話して、「先生、私ぐらいの年齢の女性の基礎代謝量っていくらぐらいなんでしょう」

「さあ。1200から1800ぐらいじゃないですか」

「わたしがはかったら、920ぐらいだったんです。」

「それじゃ、冬眠している熊と一緒ですよ」

がーん。私は冬眠している熊並の基礎代謝量なのか。それって生きてないんじゃないの。

「え、じゃあ何とか生きようとはしているって事ですかね」

「面白いこといいますねえ」

「別に死にたいっていう欲求はないんですけれども、消滅したいと思うときはありますね。」

「何故」

「うーん。自分が嫌いだから。存在感に耐えられないというか」

「自分を変えようと普通は思うんですよ。消えたいっていうのは逃げです。」

逃げなのか。

私は何から逃げたいのだろう。やっぱり自分から?

 

なんかますます気分が落ち込んできた。惨敗。

 

6月29日

武術家の甲野先生が来られていると言うことで、稽古会に参加させていただいた。

第一の目的は「祓い太刀」をして悪い気を祓ってもらうことである。

前回、終わったあとに「大変ですね」と恐ろしい言葉を残された甲野先生であったが、今回は何も言われなかった。時間も前回よりの短かったみたいだし。

 

体術や杖、手裏剣などを教わるのだが、高度すぎてついていけない。

根本的に体のつくりが違うっていうことを思い知らされる。

身体作りをしていく最も基本的なことは、何から始めたらいいのでしょう。

と質問してみると、視点を一度はずして一瞬にして元の位置に戻ってこれること。

視点から固まってしまっている身体を一度崩壊させるということなのかしら。

難しい。

技をかけられると、あっという間に倒されてしまう。

もう何が起きたのかは全然分からない。

太刀を持って打ち合っているときでも同じである。

気がつくと、もう斬られている。

あまりの速さに見えないのである、動きが。

あこがれの武術的な身体運用が出来る日は私には来ないかも知れない。かなしい。

 

夕方帰り道、携帯がなる。

祖父母と伯父と従兄弟一家と一緒に食事をするので、店に直接来るようにと言う連絡。

はいはい。

でも、昨日のよりしっかり食べたから、まだお腹全然すいていないんだよねえ。

一応合流するものも、周りの食欲に圧倒されて、ますます食べることが出来ない。

結局今日もアルコールで栄養をとってしまいました。

反省。

 

6月28日

今日はたん熊さんにお料理教室の日。

いつもは楽しいお料理教室なのだが、朝がしんどくて動けなかった。

起きられないのではない。5時頃から目が冷めているのであるが、動けないのである。

それでものろのろ準備をして、服を着替えたりするのだが、あまりの頭痛に悩まされる。

昨日、叱られたばっかりである。

これは休養しろって事かしら?と解釈し、遂に家を出ることを断念。

午後が診察だったので、午後まで家で休養をとることに。

なんでこんなにしんどいの。

昨日はちゃんと夕食も食べたのになあ。悔しい。

 

働かない頭で本を眺め読む。理解力は極端に落ちている。

いたずらに時間が過ぎていき、診察時間が来たので出かける。

 

今日は診察のあと、京都で、お世話になっている先生が、ケンブリッジに留学されるので、壮行会があるのである。だから、ちょっとは元気になっていかなければ。

 

寝付きが悪い。そのためか朝が非常にだるい。

もうアルバイトに行くのも嫌で嫌で、家を出たくない。

ずっと引きこもっていたい。なんにもする気力がない。

でも時間ばかり過ぎて、すごく焦燥感にはかられていて、自己嫌悪に陥る悪循環。

相変わらず、食欲も全然ありません。

等々、愚痴をこぼす。

 

先生の結論は、食欲も気力も体力も後回しでいいから、とにかく寝ること。

またもや薬が変更。今度は頓服薬まで出されてしまう。

今は何も考えずにとにかく寝なさい、と言われてしまう。

合う薬が決まるまで、毎週通うようにも言われてしまった。

とほほ。

 

大量の薬を出されたのを抱えて、京都へ。

何とか時間には間に合いました。

データーベースのアルバイトでお世話になっている先生なのである。

「先生がいない間、しっかり仕事しておきますね」というと、「小川さん、仕事もいいけれど、君はまず健康。それから論文だよ」と言われてしまった。

その通りです。

和やかに会は済み、12時頃に帰宅。

明日は甲野先生の稽古会だ。

 

6月27日

今日は無難なく女学院にバイトに出勤。

仕事も滞ることなくする。

私の見たかったDVDが購入されていたので、仕事の合間にこっそりと見る。

ジョン・ウォーターズ監督の馬鹿映画に大受け。やるねえ。

 

仕事を終えてから大阪能楽堂へ向かう。

友人が小鼓で能楽「経正」を打つというので聞きに行ったのである。

久しぶりに聞いたのだが、格段に上手になっていっている。

さすがにプロを目指しているだけである。

 

帰りに内田師匠と一緒になる。

早速日記をチェックされていまして、「君、栄養失調だって」といきなりしかられる。

「医者の言うことを全然守ってないし、なんで言うこと聞いて休養しないんだよ」

久しぶりに内田先生にしかられてしまった。

しゅん。

 

お腹が空いていたわけではないけれど、昨日から叱られ続けているので、サンドウィッチを買って帰って食す。

今日はちゃんと食べました。

早めにお薬を飲んで寝ることにします。

 

 

 

6月26日

這うようにして日文研に行く。

今日こそアルバイトをしないと山のように溜まってしまっているからである。

アルバイトをしないと学費も払えないし、生活も支障を来す。

だけれども最近特にアルバイトの時間が多すぎるのではないかと思われる。

 

これでは、肝心のお勉強に支障を来しているのではないかと激しい焦燥感に駆られている。

でも、でも、そこにいる私は無力である。

 

相変わらず朝からまともなものを食せずに1日が過ぎる。

血液がさらさらになると血圧が下がると聞いたので、最近「らっきょう」だけはかかさず食べている。

 

夜、カイロプラティックに行って、ここ最近調子が悪いことを言う。

食欲もないし、でも別に体重が減るわけでもない。

ただ、体がだるくて、偏頭痛はするし、しんどいんですよねえ。

ただのぼやきである。

 

ここ2週間、まともな糖質は何をとりましたか?

え?何もとっていない。

最近食べたまともな食事は何ですか?

サラダ。

一体どんな食生活しているんですか?と、問いただされる。

1日1食かなあ。1週間に2回ぐらいは外食というかしっかりしたもの食べる機会がありますけど、あとはほとんど・・・

そんなん、死んでますやん。お酒も飲んでないんでしょう?

いや、ワインは飲んでいます。毎日ではないですけど。

それで分かった。あなたはお酒で生きながらえているんです。それは、ジャンク・フードやコンビニのお菓子を食事代わりにしている中学生よりもたち悪いですよ。

 

そうだったのか。「あ、チーズとか豆類とか食べてます」

不定期にでしょ。はい。まあ、野生の勘としてその方向は正しいですわ。はあ。

 

今のあなたは栄養失調です。うちに来ている患者さんの中でかなりの低レベルですよ。

もう仕方ないので、サービスでサプリメントをちょっとあげましょう。

それを摂取して、生活を改善して下さい。

老化が早くなるだけですよ。死にますよ。

 

体重も体型も変わらないから、何も変わっていないのだと思っていたのだけれども、深刻な事態らしい。でも、最低時よりは太って元気になったんだけどなあ。

どうもこのままではいけないらしい。

どうしよう。どうにかなんとかなるだろう?!

 

6月25日

ダメだ。もうダメだ。私はもう、もうダメだ。

 

先週に引き続き、今日も引きこもり。

それでも国民健康保険の支払いに行かないことに気付き、ちょっとだけ外出した。

雨が降っていて気分が悪い。頭痛がするのである。

とりあえず銀行など支払いを済ませて、すっかり貧乏になって戻ってくる。

 

あとは膝を抱えて、ラジオをかけながら放心状態。

本当は本を読もうと努力したのだが、集中力が欠けて進まないのである。

そんな自分が情けなくて泣けてくるよ。

 

いろいろあがいて1日を過ごしたあと、この前東京から来ていた友人に電話を入れる。

来月東京に行くときに泊めてもらおうと思って、メールを入れていたのだけれどもちっともお返事が来ないから不安になったからである。

「ちいちゃん、7月19日の夜泊めてね」一方的な電話である。

いつも私は一方的である。特にちいちゃんにたいしては。すまないと思う。

今日、唯一まともに話した相手である。

こんな状態に退化していていいのだろうか。

 

6月24日

疲れが出たのか、朝が辛い。

しかし、先週の木曜日のように遅れることもなく無事到着。

だが、激しい腹痛に襲われている。

どうしようもないのだが、仕事を続けるしかない。

一応薬を飲んで誤魔化す。

 

一番からだが辛いときに、一番混んでいるのだから、脂汗を流しながらこなす。

もう一人の嘱託の人に応援を頼みたいのだが、奥の事務所にいるので、呼びに言っている暇があれば、ここでさばいている方がずっと早いと言うこともある。

一段落したときには最悪な状態に陥っていた。

もう人間じゃない。

動く機械です。

 

それにも関わらず、アルバイトのあとは謡曲のお稽古なのである。

こんなボロボロの状態で行っている自分が不思議である。

朝から何も食べていないことに気がついた。

 

帰りはお寿司屋さんへ。

あまり食べたくないので、とりあえずお刺身を少々食べる。

最近食欲無いなあと自分でも思う。

だけれども体重も全然変わらないので、大して気にせずにいる。

 

そういえば、謡曲の先生に「ちゃんとよく寝なさいよ」と最後に言われた。

え、私寝ていないように見えたのかしら。

最近はお薬変わってよく眠れるようになったと思ってたのに・・・

 

6月23日

何故か広島にいた。今はその帰りの新幹線。

父がどうしても連れていきたい魚屋さんがあるというので、一度広島に来いとうるさく誘われていた。

6月の週末で空いている日を聞かれ、何気なく答えたまま忘れてしまっていたのだが、それが今週末だったのである。

 

しかし、朝一番に囃子の会に友人が出るので見に行かなくてはならない。

3時前に新大阪発だったので、時間があまりにも持て余してしまう。

友人の小鼓の独鼓を聞いてから、挨拶をして、一度家に帰る。

1泊する用意をして、本を読んだりして時間を潰している。

1時半に家を出たのだが、ちょっと早すぎたようだ。

時間潰しに阪急百貨店をうろうろする。うろうろすると欲しくなるんだよねえ。

試着だけと思いながら、ジーンズを3本も試着して、どれも決定打が出ないのだが、やっぱり欲しい。店員の巧みな言葉にのせられて、とうとう1着購入してしまった。

服なんか買ってる場合やないやろう。お金ないくせに。

ちょうどいい時間になったので、JRに向かって、新大阪行きを待つ。

すると携帯。

「もしもし」「あ、なおちゃん。ママ時間を間違えたから乗れ遅れるから。一人で先に行ってて」なんやねん、それ。

と言う私も結構ぎりぎりだったんだけどね。

 

とにかく美味しいから腹を空かせてこい、と命令されていた。

だから朝から何も食べていなかったのだが、それも身体に悪いかなと、11時頃にクッキーを軽くつまんでいた。

これが失敗。夕食の時間になってもまだお腹が空かないのである。

あれだけうろうろしたりしていたのになあ。

お魚は確かに美味しかった。薄味だったし。

あと広島の地酒だと思うのだが、これも非常に飲みやすくて、お料理にもよく合っていた。

それ以外は、この通り、パソコン持ち込んで自分の世界に入っていましたが。

しかも、昨日は嬉しいことがあった。

一人で御祝いしたい気分だったので、ホテルに戻ってから、スカイ・ラウンジに行き、更にワインを一杯のみ、部屋に戻ってからも冷蔵庫にある小さなワインをあけて祝杯を挙げていた。

 

アルコールが多かったので、お薬がまた抜群によく効いて、夢も見ず、深い深い眠りに落ちていった。眠る場所が変わったのも良かったのかもしれない。

 

11時チェックアウトぎりぎりまで、ホテルでぐずぐずしていた。

二日酔いではない。腰痛と腹痛に苛まれていたのである。

漸く家を出て、今度は父のマンションへと向かう。母は掃除のために来たのである。

待っている間、私はメールをチェックしようとするが、なかなか電話がつながらない。

おかしい。何度も何度もやり直して、ようやくつながった。

そうこうするうちに掃除も済んで、お昼御飯を食べに行くことに。

広島まで来たのだから、かの有名な「みっちゃん」の広島焼きを食べねば。

その前に薬局に行って鎮痛剤を購入。これで体調も元に戻るだろう。

 

特別に観光することもなかったので、何をするのかというと、ショッピングだという。何か買うてくれるらしい。既に買っちゃったからなあ。

あ、でもサンダルがこの前壊れてしまったので、欲しかった。

靴売場をうろうろしてさんざん試着したあげく、無難な路線のものを一つ購入していただいた。ありがとうございます。

(でも、別に靴なんて広島で買わなくても神戸でもどこでも帰るんだけどね)

父は、自分のご贔屓の店に娘を連れてこられて、上機嫌であった。

私も精神安定剤のおかげでいらつくこともなく、普通に接することが出来た。

もう大人なんだから、普通に、他人と同じようにコミュニケーションを取ろうよ。それが一番無難だと思う。変に親子とかからめない方が、よっぽど楽だよ。

相手がどう思っているかは知らないけれどもね。

もう少し一人でいる時間が得られるのならば、こういう旅行にも行っていいと思う。

ただ家族がべったりと一緒に居続けるのであるのなら、きっと耐えられないかも知れない。

 

いいことがあったので、今はすごく精神的に安定していると思う。

このまま、問題の血圧が下がってくれると言うことナシじゃないか。

変えてもらったお薬も順調そうだし。

 

でもまた気は抜けないな。しかし、腰まで引きずり込まれていた段階から、片足抜けられるかも知れない。この調子で物事が運んでくれれば。

明日は、普通にアルバイトに通えるかな。

今のところ、吐き気もないからきっと大丈夫だよね。

さあ、気持ちを切り替えて、明日に向かって歩いていこう。

 

6月21日

昨日の夜は眠ることが出来た。

けれども朝から倦怠感がつきまとい、またもや家を出たくない症候群に陥る。

しかし、今日行かなかったら当分行けなくなるのではないかという恐怖感の方が勝った。

大分予定より遅れたが、何とか10時半には到着することが出来た。

火曜日、水曜日と無断欠勤していたので、大丈夫?と心配されてしまった。

いや、あんまり調子がよくないので今日は早退して病院に行きますと先に宣告をする。

メールだけチェックして、本の注文をし、仕事を始める。

とても頭が働きそうになかったが、一人遅れているので、その分を先に済ませる。

それからあとは、コピーとり。

原稿がソーターにかけられないので、一枚一枚丁寧にコピーをしていく。

今のお馬鹿な私の頭にはこれぐらいの仕事が十分かも知れない。

考えてみれば、今日も今朝から何も食べていない。

お昼になってもお腹が空かないし、早退するので、お昼休みを飛ばして仕事を続けた。

結局バスの時間ぎりぎりまで仕事を続ける。

 

少しは遅れを取り戻せたかしら。

バスに揺られて山を下り、病院へと向かう。

今日は結構混んでいた。

次回の読書会の本を読みながら時間を過ごす。

珍しいことに、眠気が襲ってきた。こうなるともう本は読めない。

ふらふらの頭でただ字面をなぞるだけ。だけど眠ることもできない。

 

診察に呼ばれる。

「この前、薬を変えてみたけれども、どう?」

「いらいらはなくなったと思います。ただ、月曜日の夜から変転して、ひどい引きこもり状態に陥って、何も出来ずに泣いたりしていました。倦怠感と自己嫌悪に駆られてしまってどうしようもありません。」

「ふーむ。ちょっと血圧を測ってみよう。上着を脱いで。」(この暑い陽気の中、私は長袖のシャツにGジャンをはおっているのである。冷房がきついせいもあるが、外に出ても、汗も掻かずにこの調子で着込んでいるのである。やはりおかしい。)

「うーん。おかしい。血圧が下がっていない」

何度も計り直すが、下がっている予定の私の血圧が下がっていないのである。

「心電図を取ります」なんだか大事になってきた。

「ポンプとしての心臓は問題ありません。機能としてはね。ハートの方はまだ大分痛んでいるけれども」「はあ」

こうなると、もう一度薬を変えてみるか、と仰られて、薬の量が増えてしまった。

そしてまた1週間後に来るようにと言われる。

 

一時期元気になりかけていたのに、何故?

一体何に躓いたというのだ。

時間だけがどんどんと過ぎていく。私は取り残されていく。

そんなことをしている場合ではないのだ。

私にはやりたいことがあるし、やらなければならないこともあるのだから。

しかし、身体は確実に危険信号を出している。じゃないと血圧が上がるはずなんて無いのだから。

私は元気になって復帰したとずっと思っていた。

しかし、身体は様々な形で信号を送ってくる。私がどんな負荷をかけたというのだ。

薬が変わってから、睡眠時間だって確実に増えているではないか。

何故こういうことが起きるのか、もう私には分からない。

 

夜、カイロプラティックに行ったときに、同じように血圧の話をした。

肩が凝っていたり、体が固かったりすると血流の流れが悪くなるので、血圧が上がるという。だから、身体をほぐしてもらうと必ず血圧が下がるという。

「小川さんの場合、特別に体が固いですからねえ。前回に比べて、また固まっていますよ」

あまり気にすると、余計に血圧が上がるから、気にしない方がいいとも言われてしまった。

 

そうだよね。私はちゃんと身体さんの声に耳を傾けているのだから。

今は医者の言うことをちゃんと聞いて、自分のペースを見つけていくことが先決かも知れない。

アルバイトって言う負担がなければなあ。

 

6月20日

月曜日の夜からおかしくなった私は、火曜日から完全な引きこもり状態に陥った。

電話にも出ず、携帯を切り、メールも見ない。

何をしているのかというと、何もしていないのである。

放心状態に陥ってしまった。本を手に取ることも出来ず、TVをつけることも出来ず、布団の上をのたうち回ったり、椅子の上で足を抱えてじっと座っていたりして、ただ泣いていた。

私は一度快復したのではなかったのか。

あれは幻想だったのか。

2日間引きこもりを続けた後、今日の女学院のバイトにはどうしても行かねばならなかった。だから、昨夜は薬も早めに服用した。

眠りが浅く、妙にリアルな夢を見てはハッと起きる。

朝方、お腹に激痛が走る。

この2日間、まともに食べていなかったはずである。

なのに胃が痛くて動けない。

とりあえず、同僚に携帯で連絡を入れ続ける。

申し訳ないが、胃痛がきつくて動けない。11時頃には何とか出勤するから、それまで一人で何とかしておいて欲しいと。

胃薬を飲もうとしても吐き気がして服用がままならない。

漸く落ち着いてきたので、胃薬を流し込み、服を着替えてみるが、まだ出られない。

結局西宮北口からタクシーで、ようやく11時30分に出勤することが出来た。

ふとみると、「今日のAVライブラリーは午後0時から開室します」と表示がはってあった。

学生の皆さん、ごめんなさい。

私のせいで、午前中の利用が出来なかったのね。

午後は誠意を込めて、精一杯働かせていただきました。

しかし、通院してからも、女学院のバイトを朝からドタキャンしたのは初めてではないだろうか。(薬が効きすぎて、寝坊したことは1度ある)。

なんでこんな状況に陥ってしまったのであろうか。

 

朝から何も食べられなかったので、せめてもと夕食だけは軽く胃に入れてみた。

今のところ大丈夫。

明日は診察日だから、また訴えよう。

でもその前に、日文研にいけるだろうか。

 

6月17日

普通にアルバイトに通う。

お薬が効いてきたのか、不思議と苛立ちは感じない。

いつもと同じように笑顔で営業。

夜は、留学先から1時帰国している友人を囲んで夕食である。

みんな本当に勉強家だなあ。

結構楽しく話して帰ってきたのだが・・・

夜になって悲惨は襲ってきた。

まずは、食べたはずの夕食にも関わらず、まだ何か食べ足りないのである。

ここのところずっと食欲の無かった私がである。

しかし、ここで下手なものを食べると胃にもたれるし、だけれども過食症にでもなったんじゃないかと言うほど、何かを口にしたくて仕方ないのである。

そこでインスタント・ラーメンを作って食べた。

案の定、気分はたちまち悪くなり、吐こうにも吐けず、胃はもたれるし、吐きたくて自らもどそうと喉の奥に指をつっこんでみるが吐けない。最悪な状況に陥った。

それから、全然眠られないのである。時間は2時になり、3時になり、4時になり、外がだんだんと白んでくる。

あまりに眠られなかったために、行動が不審になり、言動は不明。情緒は不安定に陥り、眠られない自分、夜中に食べたくもないものを食べた自分に罵詈雑言を浴びせ、そして、泣きながら自分に傷つき、夜中中、わめきちらし(と言っても大きな声では決してないが)、眠れない自分を追いつめ、自分のやった愚かな行動を徹底して罰する。自己糾弾。

そうして、夜が明けていった。

 

6月16日

金曜日の夜は暗示か、薬が効いたのか、久しぶりに6時間眠られた。

夢も全く見ずに、突如記憶がなくなるように深い眠りに陥った。

気がついたら朝だった。

 

金曜日に帰ってから、韓国戦を見ていたのは覚えているのだが、11時半頃に服用したら、1時間も経たないうちに寝入ってしまったようである。

夜中に友達が電話をしてきていたそうだが、全く気がつかなかった。

まあ、あの状態でたとえ電話に出たところで、電話に出たことすら覚えてなかったであろうが。(出なくて良かったのかもしれない。)

 

土曜は用事が重なっている。

夜は東京から学会で友人がきているために、彼が泊まっている大阪の友人宅へ泊まりにいき、一緒に遊ぶ約束をしていた。もう5年ぶりになろうか。

問題はそれまでである。

 

日文研まで研究会を聞きに出かけるか、杖のお稽古に行くかで迷っていたのである。

研究会に出ることは有意義かも知れないが、研究発表の内容にあまり食指が動かなかったのと、体調が夜まで持つか不安だったことがある。

確かに金曜の夜は眠られた。けれども、下手によく眠るとそれまでの疲れがどっと出てくるのである。

杖道の方はこの前初段を取ったところだし、久しぶりに続けて稽古するのも体にいいような気もする。

午前中の間にさんざんに迷って、実家の車が空いていたら、杖のお稽古。(場所が家から不便だからである)。ダメだったら日文研に行こうと思い、実家に電話をすると、車を貸してくれるとのこと。

決定。2時間の杖のお稽古に行くことにした。

 

稽古場に着くと、先日審査でお世話になった先生が遊び(?)に来られてはった。

先日の御礼を申し上げ、いきなり制定型12本を3本づつ通して相手をしていただいた。

嬉しいことに、汗をほとんど掻かなくなってしまった私が、汗を掻いて暑いと感じたことだった。こんなに汗を流すのはなんて久しぶりなんだろう。

厚着して5km走ってみてもこんなに汗を掻かなかった。う、嬉しい。

ちょっとは新陳代謝がましになってきたのかしら。

5分ほど休憩してから、みんなで合わせて稽古をする。

しかし、さっき掻いた汗もすぐに引いてしまった。何故?

帰りはその先生を囲んで居酒屋で軽く1杯。

いつもは飲む私だが、さすがに今日は車なので遠慮した。

6時半頃に退散して、実家に車を返しに行く。

真っ赤な夕日が気持ち悪いぐらいまん丸にはっきりと見えて沈んでいくのが見える。

運転していて、まぶしいというより気味が悪かった。

家によって荷物を置き、泊まりにいく準備をしてから車を置きに帰ったら、19時過ぎているというのに夕食の支度もしていない。珍しい。

もう食べたのかと訝っていたら、どうも私が帰ってくるのを待っていたというのである。

私がいつ実家で夕食を食べると言ったというのだ。

どうして、こう勝手に人の予定を決めてしまえるのであろう。

「悪いけれども、これから出かけるから」と断って、さっさと実家をあとにする。

 

友人の家は住吉大社の近くである。新しいマンションなので、行くのは初めて。

駅から近いと聞いていたので、携帯をかけて誘導されながら目的地のマンションへと向かう。夕方の太陽とは対照的な、切れそうに冷たい三日月が出ていた。

あんな鋭利なもの出来られたら、痛くないだろうな。冷たい冷たい月だった。

着いたマンションは近くに大きな商店街もあるし、公園も目の前にあるので、環境の良さそうなところである。

8時半頃に到着したら、もう一人の友人がさっき着いたところだと言っていた。

彼女とも5〜6年ぶりになるだろう。全然変わってないね。

相変わらず、ばりばりのキャリア・ウーマンをして、余暇はバリ島で過ごしている。昨日まであっていたかのように会話が弾む。

が、それを邪魔するものがいる。

それはここの家の子供。2歳になる男の子である。

よく躾けてあるのでとってもよい子であるのだが、とにかく人なつっこすぎるぐらい人なつっこい。知らない人がきたから、興奮してしまって、きゃーきゃーと騒いでいる。

ちょうど言葉を覚えかけているところなので、私たちの会話を聞いては、聞き取った言葉を繰り返したりする。

「なおちゃん」という言葉はとても彼にはいいやすかったらしい。

私は、小さい子には非常によく好かれる。きっと同レベルのお友達だと思われているらしい。私が来てからというもの「なおちゃん、なおちゃん」と言って離してくれない。

こっちも可愛いもんだから、ついつい一緒に遊んであげる。

東京からの友人は懇親会に出ているらしくまだ帰ってきていない。旦那の方も仕事でまだ帰宅していない。

「イングランドVSデンマーク」戦を見ながら、ずっと子守。

11時前になって、漸く2人が帰ってきた。

だけれども子供は、興奮してしまって、全然寝てくれない。

「なおちゃんと一緒にねんねしようか」と言って寝室に連れていき、一緒に寝転がって寝かしつけようとしたが、全然ダメ。

「なおちゃん起きて、起きて」と言って、意地でも転がって寝かせようとする私を促す。

なんて夜更かしな子だ。でも大勢人が来たら、嬉しくって仕方ないんだよね。

みんなは食卓で遅い夕食を取っていたが、軽く食事を済ませていた私は結局ずっと子供と遊んでいた。

これは疲れて寝てしまうまで無理だな。

「小川、こっちに来て一緒に飲めよ」と誘ってくれるが、子供をほおっておけないでしょう。

漸く子供が寝てから、大人?たちで飲みながら、いろいろと話をする。

みんな5年ぶりぐらいだから、積もる話もいっぱい。

「なおこ、お前、居合いとか杖とかやってるわりには、どんどん華奢になってってないか」と言われる。東京からの彼は、私が会わないうちに5kg太ったそうである。

会った瞬間に、「もしかして、ちょっと肥えた?」と言って、蹴りを入れられた。すまない。

だって、私はこの5年間に確実に5kg以上は痩せたんだもん。そりゃそうみえるよ。

話はだんだん「病気」の話題へと移行してくる。

話題が病気のことになるって、歳をとった証拠なんだよなあ。

3時頃に旦那の方がダウンして(まあ、次の日仕事だからね)、4時頃に薬を服用した私が、アルコールの勢いを借りてか、4時半頃に眠気を感じて先に休む。あとは5時、5時半と眠っていったが、最後まで起きていた友人は、実は帰る予定だったのを、逃したこともあってか、徹夜して始発の電車で帰っていったらしい。置き手紙があった。

 

彼女ともこれからはもう少し頻繁に会いたいものである。

何を喋ったのかはあまり定かではないのだが、ドクターまで進んだものが二人。いま働いているのが二人。専業主婦が一人という構成だったが、何か、学者(研究者でもいいのだが)とサラリーマンと言われる社会人たちとの間のぎゃっぷが非常に大きいように感じた。それは、全然否定的な意味ではない。意識せねばいけない問題だと思う。

彼ら、彼女らが、私たちが何をしているのか、何を目的に研究するのか、いったい大学の教師とはどんな奴らなのかと言うことが見えないと言う。

仰るとおりである。

私の意見は「象牙の塔」に閉じこもっているのではなく、彼らのうちの多くは、社会的に適応できないから、象牙の塔に閉じこめておくと安全なのではないかと言うこと。

話は「ジェンダー」や「ポリティカリー・コレクト」の話へのエスカレートしていく。

OLの彼女は、「そりゃ差別はうけているよ。だけど得していることだっていっぱいある。そんなのはそのへんのおじさんも一緒なんじゃないの」と言ってくる。フェミニストたちが向かう方向が見えないと。一体彼女らは私たちに何をしてくれるのか、どんな社会を提供してくれると言うのか。それが見えないと言う。

私はフェミニストではないので、代弁は出来ないが、一部の過激なフェミニストたちの意見にはついていけない。彼女らが語る言葉は、女性を代表しているとは思えないからだ。例えば、私の友人のように。彼女らの視線に立って物事を語っているのだろうか。

問題は、もちろんジェンダーだけではない。PC(ポリティカリー・コレクト)にまつわる言語狩りの話も過激だ。言葉を言い換えたところで、誰も意識の上では変わっていないのだ。それどころか、言葉を濁すことによって、そこに視線が注目されることだって起きうる。逆差別と言ってもいいかもしれない。

それをなんでもPC、PCと概念だけ振り回していていいのだろうか。

私も研究者の端くれにしがみついている身だ。だからこそ、一般社会人との断絶を失うことが怖い。象牙の塔に籠もっていていい人もいるだろう。

でも、私はもっとみんなとコミュニケーションが取りたい。

それが、たとえどんなに自分を傷つける結果になったとしても。

なんだか、夜中に難しい話題を振りまいていたようだ。すまないと思う。

次回集まったときは、もっと近況報告や楽しい話をしようね。

 

次の朝、8時頃に一度目覚めた。

お子さまの朝食中である。しかし、リビングで転がっている私たちが気になって仕方ないらしい。目覚めた私はにっこり笑って、手を振ってみる

「あ、なおちゃん起きた」といって食事もそっちのけで遊ぼうとするが、東京の友人がまだ寝ていたので、ここで騒いで起こしては可哀想と思い、そのまま転がって相手をしてあげなかった。

子供はがっくりした様子で、「なおちゃん、またねんね?」とママに問いかけて、朝御飯を食べていた。そのあとも、私もまた軽い睡眠に入ったために、とうとう諦めて、寝室で自分も寝てしまったらしい。そりゃあ、昨日は夜中まで騒いでいたのだから、眠いはずだよ。

10時頃に起き始めて、母なる友人と話をしていると、漸く彼が起きてきた。

「おはよう」「朝御飯どうする?」「どうするって、もう昼じゃん」そうだねえ。

近くのお好み焼き屋にお好み焼きを買いに行く。

さすがに子供がいるから、鉄板のあるところには連れていけない。

13時頃に、遅めの昼食。

ママがお好み焼きを買いに行っている間、最初は「ママは?」とごねていた子供も、二人も遊んでもらえる人がいることに気付いて、すぐにご機嫌。

「なおちゃん、だっこ。たっちして」といってずっとだっこしたまま振り回したり、高くあげたり。

私が、「やっぱり子供は欲しいよねえ」と言うと、東京の彼は、「今の順子が子供を抱いていたら風が吹くと倒れそうだぜ」と言われる。

え、そんなに痩せてないんだけど。これでも最低時よりは4kgは太ったんだけどなあ。

3時半頃まで、さんざん一緒に遊んで、東京に帰る友人に合わせて、私も家に帰ることにした。実は今日は気乗りのしない用事があったからである。

 

今日は母の誕生日。母は実家で、朝から晩まで「麻雀大会」をしているのである。

急にお通夜が入って、時間の空いてしまった父の面倒が見られない。

当然のようにそのおはちは私にまわってくる。

母曰く「今日は父の日だし、面倒見てくれるのが、最高の誕生日プレゼントやわ」。

これじゃ、反論もできません。

 

家に帰って疲れた身体を少し休ませ、通夜が終わる父からの連絡を待つ。

連絡が入ったので、今日は仕方がない。私のお気に入りのお店に連れていくか。

行ったところは「ワイン・バー」。

ところがいつもと様子が違う。

なんか大家族が来ていて、小さい子供がだだをこねている。

おまけにそのお店の顔である、ソムリエの米沢さんがいない。

イヤーな予感はしたが、今更変える店もない。

「今日、米沢さんは?」「お休みなんです」げ、最悪。

私は彼が好きでこの店に来ているのに・・・

仕方ないので、ソムリエと料理を担当している今日のお兄さんに注文をするが、うまく意志疎通できない。

しかも大家族に手を取られているため、こっちの注文はなかなか出てこない。

おまけに、彼の料理は私の口には合わなかった。塩辛いのである。

ワインも一生懸命感じを伝えても、これというものが出てこなかった。

私が幻滅するのはいいのだが、私が気になるのは、連れてきた父の反応である。

シャンパンは美味しかったらしいが、やはり料理が気に入らなかったらしい。

結局実家まで付き合って、おつまみを作る羽目に。

私だって疲れているんだよ。

今日だってどれだけ気を遣ったことか。

しょぼしょぼと家に帰って、服薬した。お休みなさい。 

 

6月14日

相変わらず止まないいらいらに、全く物事に手が着かない状帯に陥る。

いらいらしているので、集中力というものが全く欠けてしまっているのだ。

文章すら書くこともできない。

一応、アルバイトには通っていて、平静を装って、他人と接していたが、内心はどうしようもなく苛立っている。

別に接した相手に非があったわけでもなんでもない。

だから、普通を装って接しているのである。だけれども、私は常に落ち着き無く、感情にむらが出そうになるのを必死で押さえ、なるべく仕事に集中するように努力する。

今日はたん熊で、午後からは診察である。

 

たん熊でも、いらいらしている自分は変わらない。

いらいらいしているせいか、味が分からなくなってきている気がする。

どうしたらいいのだろう。

よく切れる職人さんの包丁を見ていると、自分の手首を切りたい衝動に駆られる。

これでは、ダメだ。そんな妄想を抱いてはいけない。

危険を感じた私は、今日は味つけやだし作りの方にまわり、とにかく包丁を触らないようにする。

 

別に手首を切らなくても、こういうときは必ず指を切ることになりそうだから。

相変わらず食欲もなく、持って帰られそうな食事はタッパに詰めて持ち帰る。

 

そうだ、今日はW杯の日本、チュニジア戦である。決勝トーナメントへの1位通過か否かがかかっている大事な試合だ。

昔はそれほどサッカーには興味がなかったが、スウェーデンに留学したときに、次の年に行われるW杯のために浮かされたヨーロッパの熱気で、すっかり巻き込まれてしまった。

Jリーグはあまり見ないけれども、たまにサッカーは見ることもある。

 

しかし、今の私はサッカーどころではない。

お料理教室が終わると、速攻病院へ向かう。しかし、該当にTVがあちらこちらにおかれており、人だかりが出来て、通行できない。

人の波をかき分けかき分け必死で通り抜けようとしていると1点目が入った。途端に大歓声と共に人々が立ち上がり、飛び上がり、抱き合って喜ぶ。喜ぶ人々にぶつかって、よろよろとよろめいて、漸く難関を突破。

そりゃ、私だって、日本が勝ってくれれば嬉しいよ。

私だって、いらいらするよりは、馬鹿になってフィーバーしたいよ。

でもできないんだから、こうして通院しているんじゃないか。

なんだか、いらいらに加えて、悲しみまで沸きだしてきて、もうどうにもコントロールしようのない状態に陥ってしまう。

幸いに診察室はがらがらで、すぐに診察してもらえた。

 

「血圧が高いと言われました。前回ここで計ってもらってから2週間しかたっていないのに、突然高くなったみたいです」

血圧を測られる。「あ、ほんとだ、下が高いねえ。」

ここ2週間、ずーっといらいらしている状況を訴える。何に対して苛立っているのかは自分でも分からない。ただ、いらいらしていて物事が手に着かないと。

多分普段話しているよりも、自分の語気がきつくなっているような気がして、それで他人を傷つけてはしていないかと思うと、自分が嫌になって仕方がない。

衝動的に自傷行為、すなわち自殺を何度も考えてしまっていること。

自殺というのは適切ではない。ただ消滅してしまいたいのである。

感情の起伏も激しくなってきているので、話している内に涙が溢れ出てくる。

どうにもとめられない。

不眠に戻りかけていることもついでに訴える。厄介な患者である。

結局、薬を全面的に変更することになった。

いらいらをおさえるために、精神安定剤を出される。それからよく眠れるようにと、誘眠剤の種類が変わる。

通院の周期も2週間からまた1週間へ逆戻り。

これで治ってくれるといいのだが。

 

帰りに偶然母と出会ったので、たん熊から持って帰ってきた料理を渡す。

もう、夕食にも食べたくなかったからである。

食欲なんて無くてもいい。

今は落ち着いて深く眠りたい。

 

6月11日

健康診断。

問診票にチェック項目がある。

「頭痛がする」「めまいがする」「食欲がない」「手足や顔がむくむ」といった項目すべてにチェックを入れる。

本当に調子が悪いからである。

なのに、なのに、健康診断の結果は優良。

「はい、どこも悪いところはありません。お疲れさまでした」と医者に追い出される。

ちょっと、ちょっと、私は調子が悪いって書いてるじゃない。

なんでこれで健康なんだよ。

け、藪医者が。

ただ、一つだけひっかかった。

血圧である。上は標準なのだが、下が高いのである。

2週間ほど前、主治医のところで血圧を測られたときは、両方とも標準よりやや低めであった。

この2週間に何が起こったのか。

確かに、ここのところずっといらいらしている。

よく「怒ると血圧が上がる」と言うではないか。苛立ちのせいか?

今日も医者に苛立ってしまった。

自分でもなんでこんなに苛立っているのか分からない。

自分のもっていきようがないのである。

他人にすぐ当たる人がいるけれども、私にはそのパワーはない。

たとえ、当たったところで、その自分の行為に対して、倍以上に自分が傷つくのである。

なんて事をしたのであろうか、愚か者め、と。

 

悶々たる思いを抱えながら謡曲の稽古に向かう。

謡曲の師匠も血圧が高いと医者に注意され、家に血圧計を持っている。

そこで、不審に思っていた私は借りてもう一度計ってみる。

やはり、下だけが高い。上下の差が20〜30しかないのである。

今まで、血圧は低めの方であったので、高いなど言われたことは一度もなかった。

この苛立ちと関係しているのかよく分からないが、何かが起きていることは確かだ。

もう、歳かなあ。

 

 

6月10日

先週の謡曲の発表会の反省会である。

先生のお能も終わったことだし。

いろいろとお話を拝聴する。

確かにしたのだが、ほとんど覚えていない自分が怖い。

 

お料理を頂いたのだが、味も良く覚えていない。

ただそこに存在しているものは、自己嫌悪観の嵐のみ。

 

具合が悪い。

だけれども、今日は祖母の誕生日でもあった。

花束を届ける。いつまでも元気でいて欲しい。

 

夕食を誘われるが、気分が悪いので、丁寧に辞退して速攻家に帰る。

家で、やらなければならないことが山積みで、どこから着手していいのか分からない。

今の私は判断能力を失っている。

物事の優先順位が決められないのである。

日文研からも逃避している。

 

人と顔をつきあわせて、楽しく時間を過ごすことはしている。

その時は確かに楽しいのである。

しかし、帰ったら、ホッとしている自分もまたいる。

何にホッとしているのだろう。

そう考えると、またまた自分が嫌になる。

自分が何をしたいのかがよく分かっていない。

どのような状況が、今の自分にコンフォタブルなのかがみえない。

本を読んでも字面をなぞるだけで、極度に集中力を欠いている。

見えない何かにおびえ、かつ苛立ちを覚えている。一体何に?

 

ただ時間だけが、異常な速さでたっていく気がする。

こんなことしている場合ではないのだ。

早く、普通の状態に戻らないと、間に合わない。

なのに、なのに、どんどんとどん底に埋もれていき、身体的、精神的に不安定な状態に陥っていく。

何から着手すれば、脱出できるのだろう。

 

もう、今はアルバイトですら重荷である。生活してかなあかんのに・・・

生きるのに疲れたのかしら。存在することは大変なことである。

私は、この世界にたっていけるのだろうか。

醜い自分が嫌だ。消滅したい。

 

6月9日

昨日も眠れたのは、外が明るくなってからのことであった。

用事が午後からだったので、助かった。

3時間ほど眠る。

 

今日は杖道の昇段審査。初段受けである。

そして、そのあと夜は結婚式の2次会で京都まで行かなくてはならない。

最近食べていないせいか、体力が格段に落ちている気がする。

すぐに疲れてしまうのである。

 

審査前に稽古をしていると、いろいろな先生が、懇切丁寧に注意して下さる。

全然稽古してないからなあ。

審査は無事終了。

人数が少なかったせいもあって、思っていたよりも大分早く終わった。

荷物が多いので、一度家に帰る。

出るまで1時間ぐらい余裕があるので、布団に転がる。

なんかしんどいのである。

出ていくのが面倒くさいなあ、と思いながらも、だらだらと化粧をして用意をする。

何年ぶりに会うんだろう。

 

京都まで行って、久々に顔を合わす人たち。7〜8年ぶりの人もいる。

さて、主賓にも久々に出会うと、なんとまあ、オッサンになっているではないか。

でも、長い長い恋が漸く実って、よかったね。おめでとう。

 

時間が30分も遅れていたので、帰りも遅くなってしまった。

幸せのお裾分けをしてもらったはずなのに、気分が重いのはどうしてなんだろう。

嫉妬?

まさかあ。

そういえば、鬱の時には結婚式や同窓会には行くなと先生に注意されていた。

だけど、大分調子がよくなったと思って、4月から、毎月1回は顔を出している。

それがいけないのかなあ。

毎日、毎日、少しづつ気分が落ちてきている。

やばいかもしれない。

 

6月8日

着物を着て能楽を見に行こうと思っていた。

しかし、朝方まで眠れず、日が昇ってから漸く眠りについた。

なので、着物を着る時間が無くなってしまった。

4時間ほど眠れたのはよかった。

 

午後は我が師匠が舞う「三井寺」を観能。

長いが、いいお能であった。さすが。これがプロっていうもんなのね。

 

帰りが遅くなるので、近くのお寿司やさんに行くことになっていた。

今日は朝から何も食べていなかった。

昨日よりは食べていたと思う。けれども、家に帰ると気持ちが悪くなる。

日本酒もあまり美味しく飲めなかったのが残念。

なんか、味覚まで狂ってきてしまっているのかしら。

食欲がないのは、梅雨が近づいているせいかもしれない。

けれども気分が悪くなるのは何故?

好きなものですら、美味しく食べることが出来ないのが辛い。

 

眠れないことはない。

ただ、眠りのサイクルが完全に狂っている。

なおしたくて、早め、早めに薬を飲むようにしているのだが、全然眠たくならない。

暗い中、いつまでたっても眠られず、いたずらに苛立っている自分が嫌である。

いらいら、いらいら暗闇の中、何も出来ずにいる。

いっそ起き出して、本でも読んだ方がよいのかも知れないが、いらいらして頭に入らないのである。

はあ、どうしてこうなったんだろう。

 

6月7日

今日も女学院にてアルバイト。

めちゃくちゃ忙しかった。

おかげで、余計なことを考える暇もなくて良かったのかもしれない。

 

昨日、折角早めに床についたのに、全然眠られない。2時、3時と時間が過ぎていき、4時頃にはいらいらして遂に起き出してしまう。

お水を飲んで、窓を開け放って、椅子に座っていると、いまごろ眠気が・・・

また床に戻り、7時頃まで2時間ほど漸く眠りにつく。

そこから起きるのが、また辛い。

何とか、それでもバイトに遅れずに行くことが出来た。

 

今日は溝口健二の幻のフィルムといわれていた「マリアのお雪」が上映されているのを見に行くことにしていた。

上映時間まで大分時間がある。

阪急百貨店でぷらぷら歩きながら、時間を潰す。

映画は、トーキー作品であった。でも録音状況が悪く、なかなか聞き取れないのが難点。

でもこういう映画は、やっているときに見ておかないと、いつ見られるか分からないからねえ。

 

しかし、帰りがタイミングが悪かった。

広島帰りの父を迎えにいった母と偶然一緒になってしまったのである。

実家へ拉致されてしまう。

食欲がないから、一人で家にいたかったのに。

仕方ないので、昨日購入したチーズをワインだけを食べることにした。

しかし、いろいろ作ってくれる母は、あれも食べろ、これも食べろとうるさい。

作ってくれるのはありがたいが、いらないと言っているではないか。

それでも少しは食べてみた。だめ。気分が良くない。

それに引き替え、牛のようによく食べる父の姿を見ていて、その食べっぷりがますます私の気分を悪くさせる。

なんで、そんなに食べられるのかなあ。

みていて、マジで気分が悪くなり、吐き気がしてくる。

ワイン好きの私が、ワインまで残して、あまりの気分の悪さに耐えかねて、逃げるように家に帰る。

帰ってから、どうしてこういう状況に陥ったのか、そんな自分が情けなくて泣けてきた。

しくしく、しくしくと泣き続ける。

泣いたところで状況は変わらないのにね。

泣きながらも、しっかりと服用。

いつまでも眠気が襲ってきてくれない。

私はただ暗闇の中で泣き続けていた。

 

6月6日

悪循環に完全に陥っている。

よく眠れないのである。寝付きが悪く、朝方に漸く眠りに落ちるが、すぐに起きなければならない時間となる。朝が辛い。

それでも這うようにして起きあがり、アルバイトへと向かう。

 

仕事をしていても、何となくいらついている自分がいる。

そんな自分がいやで仕方がない。

とにかく何も考えないように、仕事に打ち込んでみるが、気分は落ち込むばかり。

何となく体調まで悪くなってくる。

 

偏頭痛がしばしば起きて、食欲もない。

食べたところで気分が悪くなることが多い。

お昼休みは、食べることもできずに、机に突っ伏して倒れている。

最近、ちょっと調子がよくなってきていたのに、何故?

 

仕事が終わってから、気分転換をして、この悪循環を断ち切ろうと思い、髪の毛を切りに行く。結構ばっさりと切ってもらう。

ふん。何となく軽い気持ちになる。

三宮に出たついでに、好きなチーズを購入して帰る。

これなら食べられるかな。栄養もあるし。

 

帰ってきてから本を読んだり、いろいろしようとするのだが、集中できない。

折角気分良く帰ってきたのに・・・

 

結局、明日のバイトに備えて、早めに薬を服用して床につくことにした。

今日は眠れるだろうか。

 

 

6月5日

とうとう倒れる。

疲れが溜まっていたのか、無理がたたったのか、よく分からない。

一つだけ分かっているのが、これが悪い傾向にあるということ。

ものすごい倦怠感と、自己嫌悪感に駆られていると言うことである。

引きこもり状態に陥ってしまった。

バイトも休んでしまい、1日家にいる。

読書もできない。何もしたくない。

食欲もなく、体のだるさに辟易しながら、布団の上に転がる。

鬱状態に逆戻りか。

しかし、不眠からは脱出しかけていると思っていたのに。

 

今ここに存在している自分が不安である。

存在しなくてもいいのではないかとも思えてくる。

食欲は減退し、大好きなお風呂にはいることでさえしんどくて仕方がない。

膝を抱えて、ぼーっと時間を過ごす。

私は何をしているのだろう。

存在価値はあるのだろうか。生きていていいことがあるだろうか。

誰にも会いたくない。

話をしたくもない。

ただ、持って生きようのない苛立ちを自分に感じ、そして傷つく。

この世界から、すっぽり消えてしまいたい衝動に駆られる。

何もする気が起こらない。

やらなければならないことは山積みなのに、何一つ着手できない。

そうして、またそういう自分に嫌気を感じる。

完全なる悪循環。

どうして、何をきっかけにこうも落ち込んでしまうかが、自分では見えない。

ただ、虚無感という淵がぽっかりと口を開けて待っている。

吸い込まれかけている私。

好きなことばかりしているのに何故?

 

とにかく脱出せねば、おかしくなりそうだ。

 

6月4日

日文研にてアルバイト。

しかし、朝がだるくて出られない。

おかしいな、昨日はちゃんと眠れたと思ったんだけど。

ぎりぎりの電車に乗って、這うように出かける。

バイトをこなす。

 

夕方、コモン・ルームの受付のお姉さんが結婚退職されると言うことなので、みんなで歓送会をする。

メニューが揚げ物が多かったので、あまり食べる気がしない。

サラダとか胃に優しそうなものを食べて、普段話をしない先生を歓談。

 

大学問題について、いろいろ興味深い話を伺う。

とても楽しい先生で、そのあと2次会を祇園に誘ってくれる。

2人の学生と共に結局夜中まで祇園で一緒に飲む。

 

みんなタフですねえ。

 

6月3日

女学院でのバイト。

昨日の疲れが残って、非常にしんどい。

舞台も終わったので、ストレスもなくなっただろうと思いきや、体調はちっともよくならない。

でも、今日は昨日の疲れのせいだろうと思い、1日を過ごす。

こういう日に限って、めちゃくちゃ忙しい。

本を読む暇なんてもちろん無い。

 

昼食も食べたくない。だけど身体に悪いからね、と自分に言い聞かせてパンを食べる。

おかしいな、舞台がすんだのに、どうしてかしら。

 

夜は祖父母に昨日の礼を言いに、夕食を共にする。

それから、久しぶりのカイロプラティックセンターである。

疲れた身体をほぐしてもらうのだが、体調が悪いことを訴えると、「胃腸ですか」と即言われる。なんで分かるんだろう。

とにかく、ミネラル・ウォーターを飲むようにアドバイスをうける。

 

そういえば、先週は2日に1度はもどしていた。

金曜日に胃薬を出してもらって以来、吐き気はなくなった。

だが依然として食欲は戻らない。

きっと昨日の疲れだよと言い聞かせて、早めに寝ることにしよう。

 

6月2日

昨日の夜雨が降ったので、ちょっと天気を心配していたが、お陰様で快晴。

もう逃げられはしない。

無事に会が済みますように、楠公さんにお参り。

 

出番が夕方なので、朝は受付をする。

皆さん、朝早くからご苦労様です。

手伝いの学生さんがきたので、受付を任せて、見所でみんなの舞台を見ていく。

入り口付近にいたので、様々な人に挨拶をする。

最初の舞囃子が終わった段階で、着替えるために楽屋に戻る。

時間が遅れてきている。

食べたくもなかったけれど、お弁当を少し腹に入れることにした。

朝から何も口にしていなかったので、やはり具合が悪いかなあと思って。

能楽の最中に、着物に着替える。

母が30年前に、やはり「羽衣」を舞ったときに着た着物だそうである。

詩集がしてあって、すごく綺麗な着物である。

着流しにはぴったりだ。

あとは心を落ち着けて、出番を待つだけだ。

 

運命の瞬間がやってきた。大きく深呼吸をして、舞台に立つ。

1年間稽古してきたものを、稽古時のようにゆったりと舞っていく。今日は笛もよく聞こえる。拍子もはずさずに踏めた。

緊張感はもちろんあったけれど、気持ちよく舞台を舞った。

先生からは「上出来」と最高のお褒め言葉を頂いた。ラッキー。

着流しで舞う快感を私は得てしまった。

また着流しで舞いたいなあ。

 

ずっと体調がすぐれないのは、舞台へのストレスだとばかり思っていた。

終わったあとの解放感はもちろんある。

けれども、今度は疲れすぎて、打ち上げはあまり食べることが出来なかった。

 

見に来てくれた皆さん、ありがとうございます。

かげながらに支えて下さった皆様にも感謝申し上げます。

 

満足のいく、舞台で舞い終えたと思っている。

特訓して下さった先生には、感謝。

 

6月1日

体調悪くして目が覚める。

何となくからだがだるいので、熱を計ると軽い微熱が。

困ったものである。

研究会に行こうと思っていたが、明日の本番の方が大事なので、諦める。

今日は家でゆっくりしようと思っていたら、大事な買い物を忘れていた。

明日、見に来ていただいた方に配る油取り紙を買い忘れていたのである。

慌てて、河原町まで調達に出かける。

電車の中で、昼御飯が胃にもたれて、気持ち悪くなってしまう。

どうしてこんなに体調がすぐれないんだろう。

祇園会館の近くの店まで買いにきたので、気分転換に映画でも見て帰ろうと思う。

見たかった『GO』がちょうどやっていたからだ。

 

面白い映画だった。

私は自分の身近に在日の問題というものがなかったから、いろいろな意味で考えさせられた。もっと知らなくてはいけないことがあるのではないだろうか。

でも、ラストシーンはちょっといまいちだったかなあ。

 

食欲も余りないまま、カフェ・オパールに行く。

誰も客がいない。こんな暇な状態で大丈夫なのか。

私が客になりましょうと、夕食を食べ、ワインを飲む。

でも、明日の会があるので、早々に退散。

頑張ってね。

 

一度家に帰り、泊まる準備をして、夜遅くに実家に行く。

頭痛がひどい。あー、明日不安だなあ。

 

5月31日

今日で5月も最後かあ。謡曲の大会が終わったら、お稽古を減らして、論文にまた戻らなくては。

 

昨日の晩、服用してから、今日の準備などしていたりしたら、結局1時過ぎになっていた。

今朝は、4時半に腹痛共に目覚める。

気分が悪い。

胃痛はしていないんだけどね。

体が、熱っぽくてだるいのである。

どうしても聞きたい発表があったので、家を出ようと努力をするのであるが、だるくて出ることが出来ない。

おい、おい、またかよう。ええ加減にせえな。

そう身体さんに聞いてみるのだが、全く無視。しんどいのだから動くのは嫌だと言ってくる。そんなあ。

ぎりぎりまで家を出ようとしたが、寒気もしてきたためにとうとうギブ・アップ。

本番前だから、今は自分の身体を一番大事にしよう。

何となく腹痛も治まりきらない。

薬だけ服用して、布団に転がり、寒いのでくるまって倒れている。

本を読む気力もなく、仕方ないので、ニュースを見ている。

どこもワールド・カップの話題ばかりだ。

 

空の胃に薬だけを流し続けるというのもなんとなく身体に悪い気がする。

少しばかりパンをかじってみた。

そうして、午前中は倒れている。

折角行く用意もしていたのに・・・

おまけに出さないといけない書類もあったのに。

メールで、今日中には持っていけないと言うことを伝え、来週に変更してもらう。

今日は半日ゆっくり静養して、医者に行って、お稽古に行こう。

そうだ、普段は家にいないから、今のうちに各種支払い等銀行、郵便局に行っておこう。

げ、貧乏。しゃあないか。

 

病院に行くとすごく混んでいる。

あんまり時間がかかるとお稽古に間に合わないではないか。

とにかく胃痛がひどいので、先生に訴える。

応急処置として胃薬を処方してもらう。他にもいろいろはなしたいことがあったのだが、時間がなかったので、薬だけ出してもらうことにした。

 

お稽古場に着くと19時半。

今日が最後のお稽古。初めてミスなしで舞うことが出来た。

遅くまで稽古を付けていただいた先生に感謝。

あとは本番を、心静かに待つのみ。

体調を整えなきゃね。

 

5月30日

調子に乗って遊び歩いたために、胃もたれと貧血で目覚める。

ここのところいつも4時か5時頃に目が覚める。

睡眠時間は3〜4時間というところか。まあ、大丈夫だろう。

アルコール分解のために、肝臓に血が集中しているせいだろう。頭がクラクラする。

二日酔いというほどの気持ちの悪さはないんだけど。

 

今日は女学院にてアルバイト。そのあとはお稽古だ。

今日は忙しかった。

内職を持ち込む私も悪いのだが、そんな暇はとうてい無いに等しい。

まあ、働いているのだから、それが当たり前というもの。

お昼御飯は気持ち悪くて、食べられなかった。

一応持っていっていたのだけれどね。

本番に向けて、体調を万全に合わせて行かなければならないときに、なんで崩れるんだろう。おかしいなあ。

 

実は、先週お薬が一新した。

その時は、眠れるし、食べられるようになったということだったので、胃薬が減ったのである。

しかし、眠れるし、食べられると思っていたのは、どうも薬に頼っていた上での現象であったらしい。なんて情けない身体なんだ。しっかりしてくれよ。

そして、相変わらず寒いのである。

いつも寒気がつきまとう。

特に最近冷房が入りだしたのであるから、なおさらだ。

みんなが薄着をしていく中、いつまでたっても厚着をしている私。

上着が手放せない。

 

お稽古に行って、着物に着替える。

先生に挨拶するなり、「顔色が悪いよ」と一言。

え、そうかなあ。化粧してないからかしら。「目が死んでいる」。

母にも「全身でいかにも調子が悪そうといっているみたいだわ」といわれ、自覚は少ししかない私にとっては、結構大ショック。

そうかなあ。ちょっと調子悪いかも知れないとは思ったけれど、見た目に分かるほどひどいのかしら。

さて稽古の方は、また拍子を間違えた。不安である。

明日が最後のお稽古日。不安だから、明日も稽古に来よう。

本番前まで、こんなに不安で不安で仕方がなかったことはかつて無かった。

大体は出来ていたので、あとは度胸といつも通り舞えるようにすることだけだった。

それが、今のままではいつも通りの時点で、まだ間違っているのである。

本当にこんなんで大丈夫なのだろうか。

折角高いお金を払って、舞台を踏ませて頂くのである。

最高の演技がしたいでしょう。

 

帰りは母と夕食を食べにいつもの寿司屋に行くと満員で入れなかった。

とっさにお気に入りのワイン・バーに行きたくなって、そこに行く。

朝から何も食べていなかったが、取り立てて空腹感というものはない。

ただ、美味しいものを少し食べたかったのだ。

母はお酒がほとんど飲めないので、連れていくのはちょっと気の毒だったかな。

でもここのお食事も私は美味しいと思う。

ワインはもちろんグラスにして、食事をメインにする。

大丈夫。食べられそうだ。

調子に乗って、満足のいくまで飲み食いして帰る。

幸せー。とお家に帰って、お風呂に入ろうとしたら、悲劇が始まった。

 

胃が突然拒否をし出したのである。

あんなに美味しく頂いたのに・・・結局半分ほどもどしてしまった。

悲しくて涙が出てきた。

湯船につかると気分がよけい悪くなってきたので、早々にお風呂から出て、ちょっと早いけれど眠ることにする。服用。

明日は日文研だ。昼過ぎには帰って、まず医者に行こう。

それから夜は最後の、本当に最後のお稽古だ。

 

5月29日

昨日は大丈夫と思っていたが、朝から激しい胃痛で目が覚める。

さすがに嘔吐はしなかったが。

5時前に目が覚めて、2〜3時間。布団の上を転がったりして苦しむ。

漸く痛みが治まってきたので、日文研に出勤。

バスで先輩と一緒になった。

なんと、今フィンランドで教えている先輩が日本に帰ってくるらしい。

今日はみんなで久しぶりに集まるそうだ。

もちろん誘われた。久しぶりだし、会いたいなあ。

今朝の胃痛のことも忘れて、二つ返事で、行くといっている現金な私。

大丈夫か。

 

とりあえず17時まで仕事をして、それからみんなで町に繰り出す。

場所は木屋町三条の居酒屋。

飲み放題、食べ放題というコースらしいので、揚げ物とかは避けて、無難そうなものだけを選んで食べる。大丈夫。ちゃんと食べられるじゃない。

 

先輩はベルギー人なのだが、フィンランドでは英語で教えているらしい。

なんか、国際的でかっこいいなあ。

私も語学をどうにかせんとあかんね。語学力は必要だなあと実感。

で、何をしに戻ってきたのかと聞くと、「ワールド・カップ」を4戦も見るためらしい。

ベルギーだとチケットも簡単に入手できたみたい。

まあ、日本まで行くのは遠いからね。

久しぶりに他の先輩達も集まって、懐かしい。

みんな刺激的な人たちばかりである。

 

2次会、3次会と飲み歩き、私は終電でぎりぎり帰っていった。

みんなは京都在住だから、まだ遊んでいたのだろう。

胃が少し痛んだ気がしたが、気にせずに、薬を服用して眠りについた。

楽しいことが続くと元気が出てくるね。現金やなあ、ほんまに。

 

5月28日

昨日自爆って書いたら、本当に自爆してしまった。

嘔吐を繰り返し続けたのである。

苦しかった。胃はしくしくと痛むし。

 

今日は申し合わせ。本番の舞台で、プロの囃子方の先生方と一緒にリハーサルをするのである。

昨日は2〜3時間ほどしか眠れなかった。

吐いてたからねえ。

朝から気分は憂鬱。

何も食べたくない。とりあえず薬だけを服用することに。

でも、胃が空になって楽になった。

もう吐き気もないし、胃痛もない。

ちょっと身体がへたっているだけだ。

 

そんなへたっている私に狐がついた。

朝、高速神戸駅を降り立って、エスカレーターの方へへろへろ歩いていると、後ろから山のような荷物を抱えたおじさんが急に私にぶつかってきて、私のカバンがおじさんのカバンにからまった。

私はカバンごとおじさんに振り回され、からまったことに腹を立てたおじさんに、急に怒鳴りつけられ、カバンがはずれたと同時に突き飛ばされ、「何をしているのだ、全く失敬な」と捨てぜりふまではかれた。

何が起こったか訳が分からず、ひどく傷ついた私は、それと同時に急に切れてしまい、「何独りよがりにどなってんだよ、このおやじ」と罵詈雑言を背中に浴びせかけた。

こんな事は生まれて初めてである。

心の中で呟くことはあっても、口をついて言葉が飛び出したのは初めてであり、そのあまりの低俗な言葉に傷つき、耳から入ってくる自分の言葉に驚いた。

しかし、私が怒鳴られたときは振り返っていた人も、私が浴びせかけた当のおやじも、誰も私を見る人などいなかった。

きっと、呟きのような、蚊の鳴くような声だったのであろう。

なんか非常に惨めでさもしい気分になった私は、神聖なる能楽堂にはいる前に、楠公さんに詣で、清いはらめる気持ちでお参りをした。

狐さん、邪悪な霊さん、出ていって下さい、と。

 

さて肝心のリハーサルの方は・・・大間違いをしたのである。

自分でも何をやっているのかよく分からない。

もう本番目の前にして、この失態とはなんたることだ。

もちろん大目玉を喰らいました。すみません。

やはり朝の一件が尾を引いたのか。しゅん。

 

そのあと女学院での講演会に出て、それから映画を見に行く予定をしていた。

しかし、大間違いをした私には、もう女学院に行く気力すら失っていった。

まあ、昨日嘔吐をしていた時点で既に体力を使い果たしていたのであるけど。

最後まで舞台に残り、全員が済んだら、空いている時間帯を利用して、間違ったところをもう一度舞いなおしてみる。

身体に刻み付けるように、何度も同じ振りを繰り返す。

なんか、本番不安になってきたなあ。

 

ゆっくりと静養してから、夕方知人と待ち合わせる。

軽く夕食を先にとる。

今日はじめて胃に物を入れるので、少し不安。

しかし、相手も小食の人なので安心。食べられたみたいだ。気分も悪くならない。

見に行ったのは「スパイダーマン」。

久しぶりのお馬鹿映画に、腹を抱えて笑ってしまった。

私の子供のころのアニメであったスパイダーマンの夢は破れ散った。

でも、ウィレム・デフォーがなかなかの演技賞。

彼の魅力に、またはまってしまった。

 

朝からいやな1日だったけれど、最後が良かったのでよしとしよう。

夜を付き合ってくれた知人に心から感謝をささげたい。楽しかった。

 

 

5月27日

はあ、もう5月も終わりかあ。

昨日、妙な考え事をしていたせいか、気分が今ひとつすぐれない。

でも、気持ちを切り替えてさあ、お仕事、お仕事。

いつ頃だったのか、後輩の態度が豹変したことがあった。

何が原因かはよく分からない。

そして、その態度は未だに続いている。

こちらからコミュニケーションを取ろうとしても、即切断されてしまうのだ。

嫌われている。

仕方ない、嫌われるような何かを私がしたんだろう。

それを覚えていないのもまた難儀な人である。

今日もコミュニケーションに失敗し、当たり障りなくいなくてはいけないのねと反省。

でも、私が何をしたのであろう。

覚えてない。きっとひどいことでも言ったんじゃないの。

しゃあないねえ。毒舌だから。

今に始まった事じゃない。

己を知れ。ってことかしら。

 

それにしても、どうしてこう、こんなにも汚くソフトを汚して返してくるかなあ。

指紋だらけに傷だらけ。

公共のものって大事にしなくてもいいものにはいるのかしら。

なんかいらいらして頭が痛い。

またか。

それにしても偏頭痛が今日はきついなあ。

と思っていたら、雨が降ってきた。どおりで。

梅雨が近づいてくる。

私の体調も悪くなる。低気圧って嫌いだ。

 

なんか今日は気分が悪い。お昼食べたものが悪かったのかしら。

昨日は結構元気だったんだけどね。

バイトのあとはお稽古。

元気出さなきゃ続かないよ。来週はいよいよ本番だ。

今日は間違えないように集中して舞わなければ。

 

なんか最近おかしい。

何かを見失っているような。

何か大切なものをなくしてきたような、そんな気分がする。

生きるって事が見えていないのか。

他人への思いやりに欠けているのか。

自分のすべきことを見失っているのか。

自分に苛立ち、それを他人への苛立ちと勘違いしていないか。

苛立っているということは、何かものすごく偏狭なところへとじ込められているみたいだ。息が出来ないような気分。

余裕がないんだよな。自分にも、生活にも。

だから他人にも優しく接することが出来なくなっているんだ。

距離が見えない。訳の分からぬ恐怖感に駆られる。一体何があるというのだ。

暗闇の中から何か出てくるとでもいうのか。

不安。焦燥。自爆。

 

5月26日

読書会。

あまりちゃんと読みこなせずに参加。だけど懇切丁寧な教えを説いてもらい何とか理解したつもりになる。これでいいんだよね、きっと。

次回の日付を決めて、懇親会。

いろいろとお話をすると、またもや考えさせられることがいっぱい。

何よりも、今日かんがえさせられたのが、鬱である自分。

体重も戻ってきているし、一応薬があれば眠れている。

なのにこの前からぶり返してきている自己嫌悪。

憂鬱感。

何を苛立っているのだろう。

どこからこの苛立ちや嫌悪感がやってくるのだろう。

どうして、正常な状態でいられないのか。

やりたいことだけやって、生きているはずではないか。

そりゃあ、やりたくもないアルバイトもないことはないが、誰だって生きていくためには最低限働かなきゃいけないし。これは誰だって同じである。

それに、少なくとも2年半前、発病するまではそのままで来たじゃないか。

何もこんな状態に陥ること無かったじゃないか。

昔と今と何が違うのか。

もちろん世の中も変わった。

それに伴う不安状況も増えてきてはいる。

だけど、そんなの笑い飛ばしてきたはずなのに。

いつからこんな弱虫になってしまったのであろう。

 

懇親会から帰って、そんなことを考えていたら、外は雷と雹の嵐。

なんかえらいことになっているなあ。

お家に帰っててよかった。

 

5月25日

ついてない日。

新しい薬の効果はよく分からないが、とりあえず眠れた。

今日は杖のお稽古である。

実家の車を借りて稽古に出かける。

帰りにみんなでお茶を飲んでいると、携帯が。

車で行っているのにちっとも帰ってこないから早く帰ってこいと心配の電話が入る。

それが、あだ。

急いで帰るために普段使わない抜け道を使ったら、一筋違う道に入り込んでしまった。

そこはめちゃくちゃに狭くて、実家のでかい車では曲がりきれない。

何度か切り返しをして曲がったが、電信柱にドアをぶつけて傷をつけてしまった。

もう、車貸してくれへんやろうなあ。

だって、急がすんだもん。と。人のせいにしてもダメ。

父は途端にご機嫌斜め。

弁償します。っていっても返事もくれない。

悪かったと思ってます。結局保険を使うことになってしまった。

お詫びに夕飯を付き合いました。ごめんなさい。

 

5月24日

今日も忙しい。朝は結局5時には目覚めてしまい、ほとんど寝た感触がない。

眠れていないので、身体がかすかに震えているのを感じる。

家に帰り、恨めしそうに薬を見ながら、今飲んで眠くなっては今日一日が活動できないと諦めて、今日の準備をして出かける。

今日はたん熊でお料理のお稽古。夕べ寝てないせいで、気分が悪い。

今日の料理に、なんと煮豆が出てしまった。

やだなあ。だって手が震えてるんだもん。あまり食欲もなかったので、持って帰られそうなものは持ってきたタッパに詰めて帰る。

豆は地に使っているから食べなきゃダメだな。

かたかたかたかた、豆をつかむ箸が手が震えている。左手で思わず押さえて震えを隠す。

誰にも気付かれないといいのだけれど。

お料理が終わり、ふらふらの状態で病院へ。

「体調はよくなってきた?」

「先生それが・・・ここのところずっと体調が悪いんです。立ちくらみが多いというか、クラクラしていて。あと手足がしびれるような感覚がして震えるときがあります。

それから、こんなに陽気でみんなが『暑い、暑い』といっているにもかかわらず、一人でいつも寒いんです。寒くて仕方がないんです」

「おかしいなあ、ちょっと血圧はかってみるか」

血圧は普通よりちょい低め。でも異常でもなさそうだし。

結局大幅にお薬チェンジ。

これでよくなるといいね。

 

それから、今度は御影にお謡のお稽古。発表会が近いから、もう追い込みに入っている。

電車に乗っていると、鼻水が。と思ったら、なんと鼻血が。

げっ。恥ずかしい。慌ててティッシュを取りだして、ハンカチと合わせて鼻に当てながら、心持ち上を見る。すすり鼻を繰り返すと、血が逆流してのどの奥へ。気持ち悪い。

なんとかとまったようである。びっくりしたあ。

先生の家に着いたら、挨拶をして、着物に着替える。

普段はジーンズなどで稽古をしているのだが、さすがにもう会が近くなってきているので着物でお稽古。

 

お稽古が始まって、何気なく「もし本番で鼻血だしたら嫌だなあ」と余計なことを考えた途端、大間違いをする。

一度間違えると、次々間違える。「緊張がたらん。何考えている。こんな時期に間違えてどうする」と怒号が飛ぶ。すみません。

本当に、ちょっと違うこと考えると間違えるのだから、よっぽど集中していないとダメだなあ。

 

お稽古が終わり、父が帰って来るというので、車で強制連行。

しかし、もう限界。寝ていないせいで身体に震えがきている。

がたがたと震えながら、寒い寒いと呟き、漸く心配している両親をあとにお家に帰る。

新しいお薬飲んで、ゆっくり寝よう。

 

5月23日

あー。本当によく働く。

いい加減論文に重点おかないとやばいなあ。

今日もなにやら忙しい。

 

昨日ソファで寝たせいか。どうも頭がクラクラするのは何故。

最近多いのよねえ。鉄分不足かなあ。

やっぱり自律神経かしら。

でもどうして?

バイトに逃避している自分が分かっているから。

本来するべき事が出来ていないから。

本当はみんな投げ出したいのが最近の気持ち。やりたいことだけに集中したい。

でもそんなことは出来ない。バイトは辞められない。

ジレンマ。

でもこんなに頑張ってやったところで、その先が何があるんだろう。

誰にもそんなことは分からない。

だめだ。また自己嫌悪モードか。

最悪。最低。

 

バイトを終わらせて、家路につく。

そうっと家に入り、床に這いつくばってみると小蠅の死体が。

ひえーと思いながら、家中がんがん掃除機をかけて掃除をする。

ついでに洗濯もしてしまおう。

夜になり、母に来るまでまわってもらい、実家に荷物を取りに帰る。ついでに夏物と冬物を入れ替える。

今日は気分良く家で眠るつもりでいた。

だから何も持っていなかった。

しかし、母は私が泊まるものだとばかり思いこみ、返してくれない。

もちろん理由はよるが遅いから。

歩いて10分ほどやん。しかし強引に引き留められる。

私は何が不安かというと薬を持っていなかったことである。

「そんな薬にばっかりたよってないといけないなんて、薬中みたいじゃない。そんなお医者さん信用できるの?」と母の厳しい言葉。

「でも、明日の準備もできてないし」

「朝早めに帰ったらいいじゃない」

主治医は私が今一番信頼している人である。そんなこと言われると立つ瀬がない。

あまり薬にこだわると言われるので、「じゃあいいよ、酒のんでねてやらあ」と啖呵を切る。

そうして日記を書きながら、ウィスキーを飲んでこうして日記を書いているのだが、眠気はいっこうに来ない。もう、夜中の2時半である。

眠れるかなあ。

 

5月22日

日文研にバイト。昨日泊まり込みの用意をしてきたので、荷物が多い。一部の荷物は夜にでも取りに帰ろうと思い、出かける。

昨日のショックから今ひとつ立ち上がれない。

夜もよく眠られなかった。

 

今日は午後から名誉教授の先生と懇談会がある。

何を話すのかよく分からないが、とりあえず14時でバイトを終了しなければならない。

朝から黙々と働く。

昨日の虫が気になるよ。

14時に談話室。集まった院生はたったの7人。

なんと話は院生の待遇について。

それって、もうオーバーの私には今更とやかく言える問題じゃあないでしょう。

だけど誰も発言しない。

今更だけども、もし今後後輩の役に立つのであるのならと、一応問題点を発言してみる。

ただし、環境としては恵まれすぎているぐらい恵まれていることは感謝していることは強調。勘違いされると困るから。

多分、他のみんなも今取り立てての不満というのがないのだと思う。

それは、私も一緒。

ただ、ここのシステムを飲み込めるまでに構造がよく理解できない。それは誰も聞かないと教えてくれない。

まあ。どこの大学も同じかも知れないけれど、オリエンテーションがないに等しい。

覚えると便利なんだけれどね。

2時間過ぎほど話し込んだ。といっても世間話。

他の人に聞いた話によると、この先生は、他にも女学院の理事をされているらしい。

へえ、知らなかった。

ご縁がありますね。

 

中途半端に時間が終わり、バイトに戻りたくてもやりにくいし、仕方ないので、資料探しなどをしていた。今日はFDを持ってきていないので、(というより、昨日の騒動で混乱していた)仕事が出来ない。

ああ、あの恐ろしいマンションに帰るか。

と、「テニスをしない」と突然のお誘い。

最近運動不足だしなあ。1時間ほどならしてもいいかな。

うわあ、ラケット持つの3年ぶりぐらい。ラケット腐ってんじゃないかな。

案の定、グリップの皮目がボロボロになっている。

一応1時間ほどしてみたけれど、手もグリップもボロボロだけれど、テニス自体もボロボロ。相手の人を走り回らせてしまった。すまない。

テニスとかして、健康そうになってきたやない。と一人満足。

しかし、帰りがすっかり遅くなってしまった。

しまった。虫の死骸を掃除機で掃除しないと眠れないじゃないか。

こんなに遅くては、掃除機はかけられない。

仕方ないので、そうっとマンションに帰って、様子を見る。

大丈夫。もう虫はいなさそうだ。

5分ほど換気して、辺りのものを片付けてみる。

それから、また締め切って、実家に行く。

 

テニスで疲れた身体をお風呂にゆっくりと浸かって休める。

すると今度は、実家で蠅が紛れ込んだ。

新聞紙で、虐殺。あー、なんてひどい人なんだろう。

御免よ、虫君たち。だけど、私はあなたが嫌いなんだよ。

どんより疲れていると、母が帰ってきた。

今晩もお邪魔しているよ。

悪いが、今晩も泊めて下さい。明日には虫退治するからさ。

 

明日は女学院のバイトかあ。

 

5月21日

うう、魔の火曜日。先週、先々週と倒れたのが火曜日。

今日も、5時に起きるのだが、しんどくて辛い。どうも悪い周期に入っている。

いつもの電車に乗れず、1本遅らして、次のに乗ろうと思うが、やはりだめ。

でも今日出られないと、ずっとこのまま悪循環に陥ってしまうのは必然。

漸く次の電車に乗り込むが、朦朧とするというのか、頭がクラクラと立ちくらみ。

何とか日文研に到着。何とかバイトに着手。はあ、しんど。

結局残業して、いつもの時間帯をこなす。

 

はあ、恐ろしいことに5月も既に2/3が過ぎている。

論文騒動が終わり、自分でもビックリするまでにバイトをしている今日この頃。

読書会の本を購入していなかったので、慌てて必要部分をコピーする。

さあ、帰ってこれを読まねば。

今日は天気が良かったので、朝洗濯すればよかったと後悔。

だって、あんなに早くから起きていたのに。でも動けないから仕方ないか。

家に帰って洗濯しようっと思って帰ると、異変が!!

 

家の流しのところがなんだか奇妙なのである。

なにかがいる。しかも大量に。

蟻でもわいたのか?と思っておそるおそる近づいてみると、なんとそれは小蠅。

2mmぐらいのがいっぱい。流し桶にわらわらと群れているのである。

それはそれは恐ろしい風景。

でも、生ゴミの方には全然いない。

どうも、排水溝の方からあがってきたらしい。

私は虫が大嫌いである。

全身鳥肌が立って、気が狂いそうになる。とりあえず水をぶっかけて、逆に流しの方に流し込んで水死させ、生ゴミも一応取りだして、ゴミを全部外に持ち出し、見つける事に殺し、最後は実家に避難すべく用意をすませて、ノートパソコンを持ち出し、FDも非難させ、押入は逆にあけておき、バルサンをたくことにする。

大量虐殺。ホロコースト。

スイッチを入れ、きゃーといいながら家を締めて避難。

実家が近くて助かったぜい。

今日は母も旅行に行っていて、実家は空だった。

漸く落ち着いて、夕食も食べていなかったことに気付く。

 

他人の家の冷蔵庫を勝手に漁って、少しだけ食べることにした。

というか、ショックのあまりに食欲がなかったのである。

 

ああ、ちゃんといなくなってくれるといいんだけど。

 

 

5月20日

朝、しんどくて起きあがれない。

やばい、やばいと思いながら、ぎりぎりにやっと家を出る。

何とかバイトに間に合った。

来るなり、新しい嘱託の人に「小川さん、いつのサングラスかけてますよね」と予期せぬ質問が。

「いや、紫外線かなんか知りませんが、晴れだろうが曇りだろうが、目が痛いときがあるので、必然性を伴ってかけているんです」

「そうだったんですか。ファッションかと思って・・・」

そうですか。なんかめっちゃ気障野郎みたいやないの。そう、見えていたのか。反省。

だけどはずせないんだよねえ。天気が良くても痛くないときはかけてないんだけど。

 

今日はぼちぼちの忙しさ。

ただ、午前中からだが起きてくれてないのが辛かったが。

後問題は、寒いこと。

ここ2〜3日、ずっと寒い。一人で厚着をしている感じ。

寒いし、なんだか全身痛いし、風邪だったらやだなあ。

 

明日は日文研でバイト予定。二週連続火曜日を果てたので、明日こそは行くぞ。

今日は、早く寝なくちゃ。(といってもなかなか寝つけないんだよね)

 

5月19日

朝早くから、杖道の講習会。

けれども、結婚したばかりの夫婦に招待を受けている。どっちも断れない。

あー、なんて優柔不断。

そこで、午前中だけ杖の講習会に出て、午後から遅れて招待されたお家に向かう。

1兎追うものは2兎を得ず。

どちらも中途半端。

 

なんでこんな事で時間を、一日を潰しているんだろう。

これって、無意味なのか意味あるのか。

だけど、友達のつきあいは大事だと思う。だからいいのかな。

なんか、論文以来、いろいろなことに疑心暗鬼。

自分も信じられない。

どうしたら、納得できるんだろう。

 

分かったのは、今日疲れたことだけ。あー、しんど。

でも、もちろん楽しかったんだけどね。

 

5月18日

朝、必死で起きて、お稽古。腹痛がひどい。

でもそんなこと言ってられないから、お稽古を早めにしてもらう。

今日は研究会が4つも重なっている。

その中から、これって一つを選んで参加したが・・・・どうも失敗。

知っていることばかりで、新しい情報が得られなかったからだ。

第2候補にしとけばよかったかなあ。うう、残念。

でも、出なきゃわかんないもんなあ。

次の発表は失礼して、研究会を頓挫。

昨日の疲れから、今日は帰ることにする。

懇親会も無視してすまない。

だあって、魅力がなかったんだもん。

帰ってから、脱力。

はあ、明日も用事がある。もうやだなあ。

 

5月17日

朝から、日文研の研究会に出る。

休憩なしで、10時から13時まで。結構疲れる。

お昼を院生室でちゃいっと食べて、2時からバイトに行く。

今日はコピーとりと、データベース作り。

どちらも面倒。

結局残業して、戻ってくると、みんなでビリヤードに行くから来ないか、とお誘いのメモが。どうしようかなあ。

とりあえず携帯で連絡して、メンバーを聞くと、今年の新入生もふくんだ珍しいメンバー。うーむと考えた末、誘惑に負けて私も参加してしまう。

遅れて参加し、夕食を一緒に食べて、歓談。

家に帰ったら午前様。

明日は稽古に研究会なんだけど。

こんなんでええんかい。

 

5月16日

昨日寝るのが遅かったわりには、今朝も5時に目が覚める。

まあ、いつも2時とか4時とかに起きていたのを考えると、ちょっとはましになったとしよう。全然眠られないわけではないし。4時間ぐらいかなあ。合格ライン。

あー、今日も頭クラクラと立ちくらみ気味。気持ち悪い。

最近カイロプラティックの予約が取れずに行ってないから、身体の循環が滞っているのかも知れない。血の巡りが悪いというか。頭も悪いけど。

 

今日は女学院にてアルバイト。

朝からお弁当まで作っちゃったよ。これで栄養価もばっちりかしら。

それにしても忙しい。めっちゃくちゃ忙しいというのではなく、コンスタントに忙しい。

なんか一時も手が放せないという状態。

それでも、いつもの営業スマイル。学生さんはお客さんと一緒やからね。

 

だけど疲れた。

最近、自分でも働き過ぎのような気がする。

そりゃ、ちゃんと就職している人よりは少ないけれど、バイトの身としては、やっぱり働き過ぎかなあ。だって本業に支障を来しかけてんだもん。

 

すっかり疲れてしまって、お家に帰ってから、倒れる。

大丈夫かなあ。

 

5月15日

今朝も5時には目が覚める。最近いつもそうである。

目覚ましがなる前に必ずと言っていいほど早く起きる。

一応、目覚ましがなるまでは意地でも寝床に転がっていることにしているのだが。

でも、それも結構辛い。

昨日1日寝ていたので、一応頭痛は減っている。立ちくらみは相変わらず。

しかし、今日はバイトに行かねばならないと思い、朝早くから日文研に出勤。

 

バスを降りた途端、「小川さん」と声をかけられる。

先日草稿を見ていただいた先生である。

(一体何人に見せてんだ。いいんだ、自分の馬鹿さ加減をさらすのも勉強のうちだもん。)

山のように細かく草稿に書き込みをして返して下さった。

そして論文について話し合いながら日文研までを歩く。

文章、表現など基本的なところはOK。第2章も完成としてOK。

他の項は構成自体を立て直した方がいいと言われる。はい。

とりわけ第3章のつながりがまとまりがないといわれる。空中分解と言うところか。

ここは他の先生にも指摘されているところ。

それぞれの項はそれでいいんだけれど、それを1章にまとめるのに問題があるというか、うまく全体を貫く主題が見えてこないと言うのか。

けれども、方向的には、今後細かいところを詰めていき、もう少し方向性を明示すればいいのではないかと言われる。仰るとおりでございます。

まあね。慌てて書いてたからね。あまり全体の見通しも立ってなかったし。

嬉しいことに、新しい参考文献まで貸して下さるという。これは役に立ちそうだ。

うう、皆様こんなに丁寧に指導していただいて、小川は幸せ者である。

倒れている場合ではない。頑張らねば。

 

コーヒーを1杯飲んで、さてお仕事。

図書館でばりばり仕事をしていたら、データーベースでお世話になっている先生に出会う。

「なんか体調崩したんだって?」と突然言われる。

へ、なんで知ってんの?ああ、昨日バイト休んだからか。

「すみません。昨日ちょっと倒れていて。今日からバイトにも復帰しますんで。」

「1に健康、2に論文、3にバイトにしなあかんよ」とアドバイス。

ごもっともです。すみません。

でも昨日は体調というよりは、憂鬱かな。

自律神経失調というか。くらくらしていたし。

あ、それが調子が悪いというのか。

 

昼頃には雨が降ってきた。ふう、憂鬱。

でも頑張って5時半までお仕事に励む。先週から2回も休んでしまったのは結構いたかったなあ。とはいえ、休まないと体が持たないから仕方ないのか。

普通の人は土・日に休むんだよ。そこを出かけたり、稽古したりして潰すから平日にしわ寄せがきてしまうのかなあ。でも研究生活って休みってあるようでないようだし、結局は同じなのかも知れない。

ただ、今度は落ちないようにせねば。昨日のようなことがたびたび無いように。

あのままでいくと、また自殺願望の虜になる。

でも今は論文を抱えて、何とか立っている感じ。論文が支えになるのか分からないけれど。

とりあえずは、水面ぎりぎりの低空飛行というところかしら。

あの悪循環がすぐ近くで口を開いて待っている。吸い込まれそうになりながら、私は生にしがみつく。方向を間違えば、そこは断崖絶壁だ。

 

仕事を残業して、院生室に戻ると、昼までは誰もいなかったようだが、何人かは午後に現れたようである。でも院生室には誰もいない。久しぶりに会う同期もきているようだが、どこにいるんだろう。今日は研究会なんてないしなあ。RAでもしてるのかな。

 

気分を入れ替えて、今日は河原町まで映画を見に行こう。水曜日は女性が1000円の日なのである。見に行くのは、「ロード・オブ・ザ・リング」。

あまり期待していなかったら、結構よくできていた。

アクション・シーンが面白い。これも殺陣って言うのかしら。

やはり大写しのカット・バックが多いけれど、息をつかせぬスピード感にのせられていく。

剣と弓矢や斧による闘いなので、拳銃と違って、必然的に接近戦となる。それをどう見せていくかが秘訣なのだろう。TVでやっている水戸黄門などとどう違うのか。

テクニックの問題か。演出の問題か。役者の問題か。

考えるべき点はたくさんある。

にくいのが、最後が「つづき」でおわるところだ。おまけに、エンド・クレジットの前に次回作品の予告編まで編集してあるから、観客としては次が気になるところだろう。

だけど、来年の春公開じゃあ、熱も冷めてしまうかもね。どうせ出来上がっているのなら、もっと早く公開すればいいのに。

初めてシネコンなるところにいったけれど、綺麗なのはいいが、全席指定というのがねえ。

自分で座りたい席に座ってもいいじゃない。混んでるときは指定されている方がいいのか。

まあ、綺麗だし、画面も大きくてなかなか快適な映画館ではありました。

 

帰りはもう遅かったが、ちょっとだけカフェ・オパールに顔を出す。

がらがらやないの。大丈夫か。

兄夫婦ともいたので、少しばかり話して、新しく入れ替えたライトなどをチェックし、近況などを聞く。暇らしいねえ。困ったものである。

結局終電で帰った。

お、昨日と違って、ばりばり社会復帰してるやん。

この調子が続くといいんだけどねえ。

 

5月14日

ブルー。

朝5時に目が覚めて、珍しく朝御飯を食べ、日文研に行く用意をする。

時間的には余裕だ。今日は早いバスに乗れそうである。

が、しんどくて家が出られない。

完璧な引きこもりモードになってしまっている。

とにかく元気がない。腹痛もひどいし。

出よう出ようと奮闘するのだが、服も着替え、カバンまで持っても外に出られない。

先週の火曜日は身体的疲労で倒れていたが、どうも今日は違うらしい。

とにかく何もかもがいやなのである。

外に出たくない。誰にも会いたくない。気分はどんどんブルーになっていく。

結局、バイト先にお休みしますとメールを打って、外出を断念。

ああ、どう説明すればいいのか分からないが、自分がいやなのである。

自己嫌悪の嵐。

気分を変えて掃除をしてみるが、中途半端。

読書に励もうとするが、進まない。

朝を食べたのが悪かったのか、昼になっても夕方になっても何も食べたくないし、何も飲みたくない。

ただ布団の上でぼーっと膝を抱えて小さくなっている。

空気が重い。窒息しそうだ。

夜になり、とりあえずお風呂にゆっくりと入ろうとする。

けれども途中で貧血を起こしかけて、早めにあがる。

あー、頭がクラクラする。

何も食べないのは体に悪いと思い、野菜の煮込みを作って、何とか食す。

全然美味しくない。

最近、頭がクラクラと立ちくらみを起こすことが多い気がするのは気のせい?

鉄分不足かなあ。サプリメントにでも頼るか。

でも、買い物に行く気力もない。

絵に描いたような引きこもり。なぜ?

明日こそは日文研にいこう。眠れたら何とかなるかなあ。

既に服薬後1時間。眠気はいっこうに襲ってこない。

昨日も2時間以上は眠れなかった。薬の効きが悪いのか。

それとも梅雨が近づいているせいなのか。

論文書くために大分復帰していたのになあ。突然の空虚感。

この世に対する執着が薄れていくのが分かる。どうしよう。どうにもならない。

 

5月13日

訃報を聞く。祖父とほぼ同年齢の人である。

なんか、急に祖父母のことが気になりだした。

現金だが、元気な顔が見たくて、顔を出す。二人ともご健在でなにより。

夕食を一緒に食べ、歓談をする。

祖父は暑さに弱い。毎年夏になると入院をする。

今年の祖父を見ていると例年になく元気に見えるが、だんだん暑さが増してくるとやはり心配である。

祖父母の家のそばに病院が出来てから、随分楽になった。そこのお医者さんは今年は入院をさせないように全力を尽くすと言ってくれる。ありがたい話である。

それでも高齢だから、気が抜けない。

いつまでも健康でいて欲しいが、それは欲張りすぎる願いなのだろうか。

夕食後、いつものようにお相手といきたいが、最近疲れが溜まってしまい、気分が悪くて倒れる。転がっている私を尻目に母と3人で元気に麻雀をしている。

なんか、私より元気なんじゃない。

折角顔を出したのに、途中で倒れていてごめんなさい。

今日は、1日気分が停滞気味である。胃ももたれているし。なんか気分が悪いのである。

調子悪いなあ。

祖父にわびを入れて、(一緒に遊べなかったので)帰宅。

ああ、しんどい。早く薬を飲んで寝よう。

 

5月12日

今日は友達のウェディング・パーティーに呼ばれている。

しかし、今日は母の日でもある。

パーティーは夜だったので、昼御飯を一緒に食べようと母に連絡して、一瞬御馳走に甘んじる振りをして、花束をプレゼント。

私は個人的にカーネーションという花が嫌いである。だから母の日でもカーネーションは贈らない。

今が旬の花といえば・・・シャクヤクである。

ちょうど丸いつぼみを贈ると、毎日咲いていく過程が楽しめるので、シャクヤクの花にした。一応は喜んでもらえたようである。

まあ、いつも世話ばかりかけているからね。

コーヒーを飲んでから分かれ、家に帰る。

一風呂浴びて、洋服を着替え、久々にお化粧をする。

今、髪の毛が伸びていてどうしようもない状態に陥っている。

だが、謡曲の会があるので、その時にアップにしたいために切れずにいる。

近くの美容院でセットをしてもらうことにした。

なんか30%オフのチケットがあったところがあるので、そこにとりあえず飛び込んでみる。時間と相談してみると、間に合いそうだ。

いま流行の?まきまきカールの髪型に仕上がる。前髪も横からどさーっと流す感じ。

結構この前髪うるさいなあと思うが、そういえば今の子ってこういう感じの髪型してるよね。うっとうしくないのかしら。

でも、鋏を入れられたくなかったので、文句は言わないことにした。

 

19時過ぎに会場に到着。

おしゃれな店である。さすが注目スポットの堀江にあるだけある。

開始は19時半から。

今日は誰も知り合いがいないと思っていたので気乗りがしなかったのだが、いざ行ってみると、6年ぶりに会う友人が。

今日の友人は大学時代のバイト先の友人である。

もうそのメンバーと連絡を取ることも少なくなっていたので、誰が来るのかも知らなかった。旧交を温める。

久しぶりとはいえ、みんな変わらないねえ。

懐かしい昔話に花を咲かせて、あっという間の2時間が終わった。

肝心の花嫁とはあまり話せなかったのがちょっと残念だが・・・

でも、綺麗だった。幸せそうでよかったね。おめでとう。

 

5月11日

湊川神社の能楽堂を借りて能楽のお稽古。

その合間を借りて、私も舞のお稽古をさせてもらう。

今年はじめての着流しとあって、朝から実家で着物を着てから、稽古にゆく。

楠公さんの能楽堂は、拍子を踏むととてもいい音がして私は大好きである。

誰もいない舞台。にもかかわらず、お稽古をしていると緊張してあがっている自分に気付く。本番に客が入ったら、こんなんでどうすんねん。

情けない有様である。

場所の確認と、曲調による序破急の確認。速さがうまく調節できず、いらないところでは早く舞いすぎ、必要なときには遅れる。

おまけに間違いだらけ。

ああ、これで本番は大丈夫なのだろうか。

しかも、今週の火曜日に一度倒れたが、すぐに復帰して毎日をばりばりこなしていたと思っていたのが大間違い。

やはり疲労は溜まっていて、朝からひどい胃痛に悩まされ、貧血を起こし、舞をしている間も立ちくらみ。余計にボロボロ。

能の特訓中も、囃子方に座っていたが、気分が悪い。

しかし、私の悪さが伝染してか、今頃になって伯母が能楽の途中で大失敗をする。

先生もカリカリときている。

「緊張感に欠けている」とご叱責。おお、こわ。

4時頃に実家に帰り、着物を脱いで、ジーンズに着替えるとソファでダウン。

一応文庫本を片手に開いてみるが、文字が踊って見える。気持ち悪くてすぐ辞める。

眠れるといいのだが、相変わらず睡魔は襲ってこない。

仕方ないのでただ目をつぶって転がっている。なんだか寒気がする。

毛布を持ってきて、くるまる。1時間ほどそうして転がっていた。

電話が鳴る。実家にいるので父もいるはずなのに、いっこうにでようとしない。

ったく。むかしからそうなんだ。

電話に出ると母からだ。夕方になっていたので、今日の夕食をどうするかという電話。

別に食欲無いしなあ。

父にどうするか聞いてみると、肉を喰いに行くという。

はあ、そうですか。まあ、私もふらふらですから、精力でもつけますかね。

以前、ご贔屓にしていたステーキハウスがあったのだが、そこはお店を辞められた。潰れたのではない。辞めはったのである。

で、近くにもう一軒あったところに行ってみることになった。

前の店に比べると1段落ちる気がする。

でも、まあ世の中不況だし、そんな贅沢も言ってられないか。

御馳走になっているんだし。感謝、感謝。

今日ははよ寝よ。

 

5月10日

今日は忙しい一日だ。というか、欲張って予定を入れるからこういうことになる。

朝は京都のたん熊さんでお料理教室。

午後は、そのまま新大阪にある病院へ直行。

夕方は講演会を聞きに女学院へ行く予定。

またもや一人で三都物語である。ああ、忙しい。

おまけに今日は朝から雨。なんか気分が憂鬱。でも講演会が面白そうなので、期待して1日をすごそうとする。

 

今日のたん熊さんのメニュウはなかなか美味しかった。

揚げるものが少し多かったからはじめは重たいかなと心配していたが、油ぬきをしっかりしているのでそれほどしつこくなかった。

このメニュウは使えそうだ。またなんかの機会に作ってみよう。

おまけに今日は早くレッスンが終了したので、帰るのも早くてラッキー。

病院に直行して、診察直前に到着。けれども既に満員。

このところ春の陽気か知らないが、ずっと空いてたんだけどなあ。

やはりこの雨の憂鬱さが、病気を再発させたのか。

折角早く着いたのにこれでは、講演会に間に合わないよお。

結局2時間も待たされたあげく、自分も結構時間がかかっちゃって、女学院にたどり着いたときは、既に講演会も半分終了していた。

がっくり。でも、後半だけでも面白い話が聞けたので良しとしよう。

帰りは講師を囲んでの懇親会にもちろん参加。

刺激的な人である。世の中こんなに躍動的で、刺激的な人がいるんだなあと感心。

なんかでも、少しパワーに圧倒されてしまった。

ここから、パワーを得なきゃいけないのにね。圧倒されててどうする。

爪の垢でも煎じてのまなきゃ。とほほ。

 

5月9日

今日は女学院にてアルバイト。午前中は暇である。

そこでこっそりと、マイ・ブームである『チェブラーシカ』のDVDを観る。

ああ、なんてラブリーなんだろう。

これを劇場で見逃したのは、やはり大変な落ち度だったなあ。

やっぱり映画は映画館で観なきゃ。そうは思うが、今でもたくさん見逃している。

ちょっと余裕が出来たのだから、今のうちに観られるものは観ておかなきゃなあ。

と、思いながらも懐具合と相談。しばらくはバイトに集中すべきか。

 

家に帰ると留守電が入っている。

注文しておいた、浄水器のカートリッジの品が入荷したそうだ。

なんせ、尼崎の水って汚いからねえ。浄水器つけてもどれだけの効果があるんだろう。

カイロプラティックの先生によると、浄水器はタンクのでかいものほどいいらしい。浄水にしたときに水の粒子が細かい泡状になるような、あるいはちょっと水の出が悪くなるようなものほどいいらしい。

そんなこと今頃いわれても、場所が狭い家なんだから、小型のものを買っているに決まってるでしょう。はあ、いい水かあ。

スウェーデンにいたころは水がよかったよなあ。

水は命の資源だもんなあ。でも今は水を買う時代。なんか寂しいね。

 

今日はこの前書いたけれど、6月2日にある発表会の案内状を書いて打ち出す。早くみんなにご案内せねば。家の近くのコンビニが改装中のためにお休みである。

仕方ないので、浄水器を受け取りに行くついでに南側のコピーが安いカメラ屋さんに行くことにした。そこは祖父母の家の近くでもある。論文のために随分ご無沙汰しちゃったから、たまには顔を出してお相手するか。

ところがカメラ屋さんまでお休みである。がーん。ついてないなあ。

仕方ないのでまた別のコンビニまで行って、コピー。

漸く用事を済ませて、祖父母の家へ。

やはり喜んでもらえる。まあ、私も奨学金をもらっている身の上だし、これぐらいのサービスはしないと罰が当たるというもの。

終わって家に帰って、発送作業。

こうして今日も夜が更けていくのであった。

全然反省してないわなあ。

 

5月8日

放心状態でいたいところだが・・・

朝早くからアルバイト。日文研に9時過ぎに出勤。

今日は新しく始まったRAのバイト。

旅行記の中に出てくる挿し絵のキャプションを翻訳していくお仕事だ。

フランス語だけならまだいいのだが、あちらのフランス人が勝手に解釈したと思われる言葉や、日本語をフランス語読みで表記してあるのやらあって、結構大変。意味が分かっても漢字に直さなきゃいけないし。図書館に閉じこもって、フランス語の辞書は当然ながら、百科事典や地名辞典、人名辞典などを参照して訳していく。

最初のうちだからと、挿し絵も少ない簡単な本を選んでもらいやってみたのだが、これが結構面倒くさい。

働く時間帯が一応決められているので、指定の勤務時間帯まで働いて何とか1冊終わらせる。今日は旅行記だったのでまだましだが、これが美術書とかになると専門用語の嵐で気が狂いそうになるらしい。大丈夫かなあ。

一応最初なので、仕事のチェックをしてもらうことにし、とりあえず終わる。

毎週水曜日のお仕事だ。ということはちゃんと毎週通わなきゃいけないって事だよなあ。

後は自分のお勉強の方に費やしてもよかったのだが、草稿作成のために休ませてもらった方のバイトが山のように残っている。

残りの2時間ほどを、今度はそっちのバイトに行く。

こちらは古文書のデータベースのお仕事である。2時間ほど働いたのだが、よく分からない。仕事の手順が覚えられないのである。

とにかく面倒な仕事だからきっと嫌になるわよー、と脅されていたのだが、嫌になるもならないも事情がよく飲み込めていない。

「週一のペースならきっと覚えるのに1カ月以上はかかるわ」と笑われてしまった。

うーむ。複雑。

 

なんか突然新しい仕事を二つもしたためにすっかり疲れてしまう。へろへろになって院生室に戻ると、見事に草稿を提出した人がいる。おお、すばらしい。

私なんて受理されなかったもんね。といっても書けていない自分が悪いのだが・・・

草稿提出祝いを兼ねて、彼の指導教官とこれからみんなで飲みに行くという話になっている。当然のように誘われる。

疲れているしどうしようかなあ、と迷っていたが、その先生には、私も草稿を見てもらってアドバイスを頂いていたところである。やっぱりお付き合いした方がいいのかもしれないと、訳の分からない理由で一緒に合流する。

8人で行ったのだが、やはり話題は論文のことになる。覚悟はしていたが、「君の弱い点はね・・・」とありがたい?お説教を喰らう。

仰るとおりでございます。反論の余地もございません。

でも、まあこれが厳しい現実なんだから、仕方ないか。まだそういっても言ってくれる人がいるだけでありがたいと思う。誰からも相手にされなくなったら、どうしていいか、自分がどこにいるのかすら分からなくなってしまうだろうから。

だけど、だんだん酒がまわってくるにつれて、話は過激に?なっていく。

こっちも酔っぱらいだからそう思うのかも知れないが、だんだん先生の発言が、私には「セクシスト」のように思われてきたのである。

別に私はフェミニストでもないのだが、どうも言葉がひっかかる。

いや、確かに私は出来が悪いことは認める。けれどもなんかちょっとその発言は・・・それでいいのかなあ。しかし、あげ足を取るみたいにいちいち反応して突っかかっていくのも、どうも気が引けて、聞き流すことにした。

こういう時ってどう反応したらいいのだろう。私が疲れすぎているせいで敏感になっているのか?それとも草稿が出来なかった自分のひがみか?

結局ちょっとのつもりが大分遅くまで話をしていて、首をひねりながら帰ることとなった。

やっぱり劣等感の裏返しだったのだろうか。不安。

 

 

 

5月7日

皆様お元気ですか。GWももう終わっちゃいましたねえ。

私のGWですか。うーん。微妙。

前半ははっきり言ってなかったですねえ。休みなんて無いんだ。

日記を更新できる暇もないほど忙しかったのである。

だけど、所詮付け焼き刃は付け焼き刃、ポロッとはがれまんがな。

何訳わからんことぬかしとんねん。ぼけ。

 

しばらくお休みしていたのは、死んでいたのではありません。死んでいたのは今日です。

すっかり倒れてしまいました。動けない。どうしようもない。夕方まで硬直しておりましたね。ああ、しんどい。

もう歳ですかねえ。おばさんにはパワーがあると思われる方も多いでしょうが、あればごく一部の大阪のおばちゃんだけですね。あんなパワー、私も欲しい。

おお、話がそれていく。

えっとですねえ。一応学生なもんで、本業に没頭していたのでござりまする。

ええ、一応そういう身の上で。

論文をばりばり書いていたのですね。やっとエンジンがかかって、神懸かり状態で、とにかく書きまくっていました。

でも、発進が遅すぎました。トラブルに巻き込まれたりして、くるくる悪循環をまわっている暇があれば、一行でも読んで、一字でも書いてりゃよかったと、今更ながら反省。

主治医にも、無理だといわれていたのですが、そこを無理して睡眠時間を減らして、何とかやるだけのことはやってみたのですが、所詮無理でした。

 

うう、かなしい。でも自分でも100%のものを書いたとも思えなかったので、ある程度は納得して、厳しい現実を受け入れました。

うえーん、うえーん、うおんうおんうおん。原稿が受理されなかったよお。

1日でも惜しくて、必死で書き直しもしていたのだが、指導教官と話し合いの結果、今回は見送ったほうがいいと言われてしまったのだ。しゅん。

はあ。やっぱりね。

それが、GWの谷間の出来事。すっかり脱力。

 

そこへ舞ってきたのが、友達からの旅行の誘い。もう、そりゃいきまんがな。

気分転換に2泊3日で知多半島へ。でも、しっかり原稿を持っていきました。だってもう不安で不安で仕方ないんだもん。暇があれば読み返し、構想を練り直そうと。ま、そんな余裕はありませんでしたが。

1日目は渋滞の嵐。たどり着いたときはへとへと。別に私が運転しているわけじゃないんだけどね。

2日目は雨。どこへ行っても何をしてもついていない1日。雨がますます気分を沈滞させる。唯一の楽しみは1時間ぐらいの温泉。温泉好きな私にとっては嬉しかった。

夜は魚市場で仕入れた魚を、切れない包丁と、ペティナイフでさばいて料理。所詮包丁に無理がありました。3枚におろしてもらったぶりを5枚におろし、半身はお刺身に。残りは塩焼き。あらはあら炊き。しかし、ペティナイフでするもんじゃありませんね。もう大変やわ。あとは、いかの刺身。中トロの刺身。甘海老の刺身と頭で作ったみそ汁。浅蜊の酒蒸し。バーベキューを外でしたかったのに出来なかったので(だって雨)、室内で鉄板焼き。穴子が結構好評。

お腹一杯で、作ったときのクセで酒ばかり呑んでいたので単なる酔っぱらい。それが災いしたのか、指を切ってしまいました。あほ。

3日目はもう朝には出発。帰り混むのがいやだったからね。私は行きはナビをしていたのだが、帰りは、後部座席で居眠り。考えてみればここで既に無理がたたっていたのね。

途中、常滑でおりて1時間ほど、「焼き物街道」を見学。昨日とは打って変わって晴天。初夏の陽気。暑いぜ。焼き物の小皿とか、本当は欲しかったんだけど、そこはグッと我慢の女の子。だってそんな余裕無いもん。おくところもないし、お金もないし、持って帰る気力もない。ないないづくしのだらけやろう。

思ったよりも道が空いていて、午後には帰着。運転してくれた友人に感謝。

残りの1日はバイト。

だけど、これまでの論文の緊張感と、旅の疲れが噴出してきて、とうとう今日になってダウン。起きあがれないなんて生やさしいものではない。

倒れて、体勢もかえられない。つらい。

ただでさえ新陳代謝が悪いというのに、お茶も飲みたくなければ、トイレにも行きたくない。とりあえず、転がっているだけ。枕元の本に手を伸ばしてみても、読む気力が一つもでない。

うんうんうなって倒れている木偶の棒が一つ。ぽつん。

 

突然ですが、6月2日(日)に神戸の湊川神社内「神能殿」にて、謡曲の発表会があります。ピアノの発表会みたいなもんかね。このホームページの内田師匠も出はります。もちろん私も出ます。暇な人は来て下さいな。

草稿が受理されずに延期したために、今はこちらの方の稽古に励んでいる日々。

でも、次回の〆切は12月。きっとぼーっとしているとあっという間に迫ってくるのだろうな。余り気を抜かずにやらなくては。やはり勝負は夏かしら。

まあ、しばらくは舞の特訓に励む。今年は、舞をお稽古して初めての「着流し」である。

いつもは袴をつけているので、多少の足運びが汚くても見えない。しかし、着流しは袴がないぶん、裾捌きももろに見えてしまう。

論文書いていたので、実は結構稽古をさぼっていたのだ。今から取りかえさねば。

とっても不安が残る今日この頃。舞の速さがゆっくりなのである。だから、飽きさせずに見せるにはうまく舞わなければならない。それがねえ。出来れば苦労せんわな。

 

論文も一息ついたことだし、今日はダウンしてお休みしちゃったけど、そろそろバイトも開始せねばならない。この前、学費払って痛い思いしたからなあ。外はあんなに暑いのに、私の懐はまだまだ冬ね。

今月も友人の結婚式がある。寿貧乏。

おまけに水道代は値上がりするしさ。これで消費税を上げられたらやっていけまへんがな。

うう、なんか見通し悪いことばかりやん。

小川の復帰宣言は見かけ倒しでした。もうちょっと元気にならねば。

何が悪いんだろう。ちゃんと食べてるし、寝ていると思うし。体力がないのかなあ。

やっぱり、また走り出そうかなあ。でも雨だと嫌だなあ。最近雨多いんよねえ。

よし、これからの目標は規則正しい生活だ。

生活改善するぞ。原稿も今から書き直しして、大幅に足りないと思った資料を集めて、勉強し直さなきゃ。

 

 

4月16日

今抱えている仕事を終えたら、お休みしていいとのお許しが出たから、慌てて仕事を片付けるために日文研に行く。

でも、今日は昼過ぎで帰る。

というのも、なんでもフィルム・スタディーズの発表があるからだ。

アメリカで勉強されてきた方の講演があるというので、聞きに行くことにした。

一つでもネタを盗んで帰りたいから。

一つでも自分の肥やしにしたいから。

家で書くことも大事だけれども、他人の意見を聞くことも大事な刺激となる。

懇親会まで出て、いろいろとお話を聞かせていただく。

難しい問題が山積みだ。(自分の問題だけどね。)

でもいい刺激になった。たまにはいつもと違う人と話すことも大事だなあ。

しかし、みんな本当にタフだなあ。

それに比べて潰れちゃった私なんて、なんて甘ったれた存在なんだろう。

もっとハングリーに生きなきゃ。

もう、落ち込んでいる暇はないのだ。

そんな暇があれば、一行でも読めばいい、一行でも書けばいい。

今はすすむべき道を進まなければならない。

だけど、それは私がやりたかったことではないか。

今日語ってきたことを、文章に取り込んでいきたい。

自分が面白いと思うことを考えていきたい。

声を出して語ること、それは文字を書く事とも共通している。

今日受けた刺激を取り込んで、明日への一歩につなげていこう。

 

ああ、明日中に仕事を絶対終わらせなきゃなあ。

しばらくバイトは休みと言いたいが、女学院の方は休めないか。

もっと要領よく出来ないかなあ。あー、ジレンマ。

 

4月15日

女学院にてアルバイト。

いろいろと新学期でバタバタしている。

私も仕事をしなくてはと、今日は1日入力のお手伝いをしながら、学生さんの対応をしていく。

カセット・テープを回すかのような営業口調で、初めて利用する学生さんたちに説明をしていく。

営業スマイル。

でも、頭の中は他のことで一杯。そう、論文である。

どうしよう、どのように書いていこう。

ああ、あの引用はどこにあったかな。ちょっとあれも読み返しておきたいな。

そんなことでも、仕事が出来るのは、なれてきているせいもある。

夜は、昨日疲れた身体を、カイロプラティックでほぐしてもらう。

一応完走しましたと報告も兼ねて。

ついでに祖父母のところに顔を出す。

忙しくなるから、多分当分来られないと言うことで。

一つづつ自分を追い込んでいく。

何も気にならずに集中したいから。

歩いていても、電車に乗っていても、頭の中は常に考えモード。

でもまだ乗り切れない。早くエンジンかけなきゃ。

焦りがだんだん出てくる。

私の言いたいことは何だろう。書きたいことは何だろう。

静かに集中して高めていく。

見えないゴールに向かって。

昨日完走したように、今度も完走したい。楽しみながら走っていきたい。

今度はパソコンの前で。

 

4月14日

今日は市民ランの本番。

不安を一杯抱えてスタート。

どんどん人に抜かれて亀の歩み。でも一応走り続けた。

天気が良くて、景色がよくて、楽しみながら走り続ける。

すると、そのうち、スタートダッシュはよかったものの、歩いている人たちがぽろぽろとでだす。うさぎと亀だね。

私は一応順調にそういう人たちを追い抜いていくことが出来た。まあ、ビリではないわけだ。

海が見えて、八重桜が満開で、ちょっと暑いぐらいで気持ちがいい。

たっぷり汗を掻くまでは行かなかったけれど(それは体質が悪いせい)、ラストスパートまで調子に乗ってかけて、最後に二人ほど抜いてゴールイン!!

35分10秒ぐらいでした。

もちろん全体からしたら後ろから数えた方が早い順位だけど。

とにかく完走できたことが嬉しかった。

さわやかな春の日々、幸せな気分で一杯である。

さあ、これで遊びも終わり。

気分を入れ替えて、今から書くぞー。

 

4月12日

たん熊さんのお稽古と通院。

今日のメニュウは、散ってしまったが「お花見弁当」。

今日は人数が多かった。あまりに多くて居場所がないほど。

私がしたのは野菜の下ゆでだけではないか。後はずっと洗い物をしていた。

だってする事がないんだもん。

お弁当は品数が多いから、どうしても時間がかかってしまう。いくら人数がいても、それは同じである。

終わったら2時前だった。持って帰ってもいいのだが、どうせ病院行くのだから、どこかで食べなきゃいけない。だから、店で食べて帰った。

結構量が多い。結局残して持って帰ることになったんだけど。今日の夕食にしよ。

まだ時間が早かったので、ウォーキングを兼ねて義姉のいる病院まで歩いていく。

しかし、病室がどうしても分からない。もしかしたらもう退院したのかしら。

聞けばよかったのだが、もう面倒くさいし、時間も結構歩いていたために消費してしまったので、また歩いて烏丸まで戻り、河原町まで戻って急行で帰る。

今日は間違えずにちゃんと淡路で降りて、普通に乗り換えて南方まで無事到着。

 

病院には誰もいなかった。珍しい。こんなこともあるんだ。

みんな春になって、治っていっているのかしら・・・

主治医と話す。昨日いろいろな先生方に復帰宣言をしてきたこと。論文体制に少しづつ切り替えていっていること。でもまだ出来ないことがたくさんあると言うこと。

日程を設定して自分を追い込んでいっていること。

「論文なんて〆切がないと書けないから、それでいいんだよ。とにかく今一番悪いのは寝不足になること。薬を飲んでてもいいから、とにかく6〜7時間は寝床にいること。」

自分の様々な焦りや空回りを話していると、ゆったり椅子に腰掛けながら耳を傾けてくれる。包み込んでくれるようにアドバイスを的確に与えてくれる。

安心して帰ることが出来た。やはりよい主治医に巡り会えたと思う。

 

家に帰ると日文研から留守電が入っている。折り返し連絡をして欲しいと。

何だろう。なんかしたのかなあ。訝しげに電話をかけると、あいにくかけてくれていた人は電話中。後で電話し直しますと伝言すると、向こうからかかってきた。

捨てる神あれば、拾う神あり!

なんと、RA(リサーチ・アシスタント)の仕事の斡旋だったのである。

でも期間が?これもラッキーなことに5月から3月までの仕事。

しかもフランス語を使うお仕事。

じゃあ、草稿の後から働くこともできる。

ちょうどデータベースの方が、夏ぐらいで終わってしまうところだったので、ありがたい収入源が出来たことになる。週1ぐらいのペースらしいし、そんなに負担にならないだろう。

なんかいいこと続いていい感じ。ワオ!

 

4月11日

新歓コンパ。

なので今日は走る日なのだが、時間がない。

だから、言われていたのは夏の話なんだけど、5時に起きて、走る。

隣の駅から引き返し、駅前の住宅街を走っていると、突然、すれ違いざまに「おはよ」と声をかけられた。前方より少し上向きに視線を設定して走るように言われていたので、前から人が来ていたのにはほとんど気付いていなかった。

ビックリして振り返る。向こうも歩きながらずっと振り返って私を見ていた。曲がり角を曲がるまで。

私は挨拶を返すこともできなかった。

とても心地よい優しい言葉だった。「おはよ」朝の気持ちのいい挨拶ではないか。

どうして「おはよ」って言い返せなかったんだろう。

なんだか、不思議な気分で、いろいろ想像しながら走って帰った。

もしいつかまた声をかけられたら、ちゃんと挨拶を返してみよう。

コミュニケーションを成立させてみたいと思った。相手が誰であろうと。

他者は私に語りかける。私は受け入れられなかった。簡単なことなのに。

 

シャワーを浴びて、出勤。女学院にてお仕事。今日から授業が始まる。

さすがに初日はみんな授業に出ていると見えて、午前中は結構空いていた。

でも、昼頃にどっと人が押し寄せて、あっという間に満席。

と思いきや、嵐のように人が帰っていって、また閑散。

そんな状態の繰り返しでした。

一番困ったのが、まだ1回生のデータが登録されていないことだった。

データはあるのだが、登録の仕方が分からないらしい。

それでまだ未導入とのこと。

それでも、めざとい1回生は早速利用にやってくる。仕方がないので、手で入力。

好奇心旺盛なのか、一通り見て帰る人も結構多い。

営業口調がすっかり定着してしまって、使い方の説明を流麗に話す。お見事。

親しくしていただいている先生が問い合わせにやってきた。

普段はもう少しラフに喋っているのだが、学生の手前もあるし、と言うわけではないが、どうもカウンターに座っていると営業口調になってしまう。妙である。

あとで、「いやあ、なんかカウンターにいると営業口調になってしまって・・・」といつもの調子に戻して話を少しする。くすくすっと笑われて、「どうぞ、お仕事して下さい」と言われてしまった。先生も頑張って下さいね。

 

1日の仕事を終えて、さて京都まで長い道を行く。

別に新歓コンパはどうでもよかった。失礼だけど。

だって、無理して京都まで行くことないじゃない。雨の中を。

だけど私には別に意味があった。それは、新歓コンパに先生方が集まってくることである。

この際一網打尽にして、私の復学宣言をしてまわる。

そして、指導教官の先生には、草稿を見てもらう日程を打ち合わせる。

こうして自分を追いつめていく。日程を設定しないと出来ないなんて情けないけれど。

何人かの先生に、「ちょっと太ったんじゃない。良かった良かった」「そうか、復帰してきたか」「え、休学してたの、俺全然しらんわ」など様々な反応を頂く。

なかには、もうこの子はやっと浮上してきたのか、仕方ない奴だなあ、みたいなニュアンスのものもある。いろいろ心配していただいていたのであろう。ありがたい話である。

(もしかしたら、単なる嫌みだったのかも知れないけれど、そう思わなかったのでいいのである)。

 

「どうして沈んじゃうのか分からない。だって、構造もすべて分かっているのに何故悪循環に落ち込んでしまうのか。甘ったれだなあ。」

そんなことを言われてしまっても、落ちるときには落ち、倒れるときには倒れてしまうのである。私だって分かっていても、はい上がれない時期があったのだ。

でもよい主治医に恵まれて、ここまで戻ってきた。後は少しづつ前進して行くだけである。

もう、振り返らない。迷わない。落ちたくない。心からそう思った。

だから、今日は私にとっても一つのけじめの日だったのである。

 

いつもだと近寄りがたい先生や、話をする機会の少ない先生方と、酒の勢いを借りて?いろいろ話をする。

誰も私を忘れてはいなかった。私がやろうとしていることも覚えていてくれていた。

当たり前のことかも知れないけれど、復学するにあたって、それはとても嬉しいことに感じた。だって、代わりはいくらだっているんだし。

小川は、復帰します。

 

4月10日

無事に朝から日文研出勤。

出勤てのもなんだけどな。まあ、お仕事するので出勤。

しかし、疲れは今日も溜まる。

最近疲れているのかなあ、やっぱり。

実は非常に聞き違いが多いのである。耳が悪くなったのかしら。

先日「にしむこう」と「じゅうそう」を聞き違えて降りてしまった。

閑散とした駅にビックリ。

今朝は、聞き間違えと言うか勘違い。

「かつら」と「たかつきし」を間違えて、一駅手前(特急だったので)で下車。

慌てて電車に乗り直す。次が「桂」でしょ。折角十三から座れていたのになあ。

何2回とも慌てておりてんのでしょ。ほんまにあほやなあ。

 

仕事は相変わらず遅々として捗らない。

先生がやってきて、今やっている作業がいつ頃終わるか聞いてきはった。

まあ、来週には何とかしたいのですが・・・

そこで何気なく話をする。来年度のお金がもうでないらしい。(ええっ?!)

だから後どれくらい先払いになるかを聞いてきはった。

すかさず、「あの、草稿を書きたいので、4月は出来れば後半休ませて欲しいのです。5月以降から、また働いたとして3カ月分くらいかと・・・」

「そうか、どれくらい書いたの?」「え。(どうしよう。小分けして書いた論文と、発表原稿を合わせてもどれくらいかな。まあこんなもんか)6〜70枚ぐらいですかねえ。」

「うーん、じゃあ草稿の方に重点おいた方がいいね」「出来れば」「じゃあ、この作業終わったら、ちょっと休んでいいよ」「(ラッキー!!)ありがとうございます」

こうして私は自分を追いつめていっているのであった。

しかし、先生も半月ほど留学されるために、このデータベースを急いではったんやろうなあ。

でもしゃあない。私は学生なのだ。勉強が本業じゃないか。

仕事を優先していたら、単なるフリーターと変わらない。

先生、すみません。草稿が終わったら思いっきり働きますんで。

現金ながら、先生が去ってから、尚一層仕事に励む小川であった。

残業までしちゃったもんね。来週までには今までの作業を終わらせるぞー。

そのためには、ちゃんと通わないとね。

 

帰りの電車では読書に励む。混んでいたのでほとんど立っていたから、聞き間違えたり、慌てて違う駅で降りたりしなかった。

だって、2回やってるからねえ。「2度あることは3度ある」って言うでしょ。

気をつけなければ。

帰宅後はお風呂にお湯をはって、洗い物をして、夕食を作る。

夕食後にお風呂に入り、一番遅い時間にカイロプラティックに向かう。

 

実は私が走っていたのには訳があるのです。

黙っておりましたが。

今度の日曜日に「市民ラン」なるものに参加しようかなっと思っておるのです。

たったの5kmだけどね。されど5km。

いやあ、ちょっと健康になろうかなあと思って。どうせやるなら目標があったほうがいいかなあとか思って。えへへ。

でも雨が降ったら辞める。根性なしやなあ。

そのために、カイロプラティックの先生には事情を話してあった。

「近づいてきましたねえ。コンディションはどうですか」

「いやあ、隣の駅まで走って帰ってきているんですけど、全然タイム変わらないんですよ」

「へ、なんで。でも脈拍とか呼吸とかしんどさとか変わってきているでしょ」

「(そんなん気にしたことない)どうですかねえ。うーん。しんどさはましなのかなあ」

「だったら正常ですよ。大丈夫です」「はあ。ほんまに大丈夫なんですかねえ」

「それは僕に聞かれても、あなたの身体ですから」

そりゃそやな。私が走れるかは、私にしかわからんわな。ぼけなす。

 

それからフォームについてや呼吸法について話をしてもらい、ついでに体質の話になる。

ちゃんと適度な運動をして、栄養をとらないと体質が落ちるという話だ。だから、デスクワークというのは結構身体に悪い。ちょこまか動いているのが一番いいと。

めちゃデスクワークやん。研究にしろ、バイトにしろ、全部デスクワークやん。

そういえば、前にも書いたが私は病気?になってから、体質が全く変わってしまった。

その話をすると、「それは質が落ちているのです。落ちた質はなかなか戻りませんよ」

なにー?やっぱりそうなのか。

私は品質の悪い人間だったのね。たちも悪いけど。

今から夏に向けての健康的な生活をといてもらう。

夏は朝5時に起きて走る。それからシャワーを浴びて1日の生活を始める。

昼間の暑いときは昼寝をする。その分夜更かしをして、早起きをする。

遅寝早起き昼寝付きですか。でも眠れないんだなあ、これが。

冬は逆に早寝遅起きに心がける。フレキシブルに時間のとれる人はそういうリズムが一番いいといわはるのである。

確かに主治医には、冬の間は冬眠しとけと言われていた。早寝遅起きと。一緒やな。

しかし、一番の問題は、今回の市民ランが終わった後に、私が走り続けるかということなのである。やばそう。

「一度辞めたら、なかなか復帰できませんよ。やらないもんですわ、人間て。だから、今走ったり、歩いたりしていることはほんまはええことなんですよ」

げ、やっぱり続けないとダメなのね。にわか人間やからなあ。

でもこれで体質が向上するのであるのなら、走りはしなくても、一駅分ぐらい歩けばいい。それなら出来るだろう。多分・・・

今度の日曜日だって、まだこころもとないのに。晴れるといいなあ。

何としてでも健康になってやるぞー。

走ったら眠られるようになるって言うてはったし。単に身体が疲労するからか。

うえーん、うえーんと泣いてばっかりいないで、即行動。

これしかありまへんなあ。せや、せや。

(身体がリラックスしてきたのでと言うか、してもらったので、ちょっと元気かな。)

 

 

4月9日

今日も女学院にてバイト。

もう本当にバイトもへらさなやばいなあ。

しかし、そうも言ってられないところが辛いところ。

でも今日はとても暇だったので、読書が出来た。

でも、午前中は喉が痛くて調子が悪く、ほとんどぼーっと過ごしていたのだが。

お昼の交代に来た嘱託の人に、「小川さん、なんか昨日から疲れてません?」と聞かれる。

そうなのよ。分かるー?

だって自分のペースがつかめないんだもん。疲れるよ。

でもまあ、今日は暇なので良かった良かった。

と思っていると大変。

新入生が早速利用にやってきたのだ。

それはいいんだけれど、実はまだデータに新入生の記録が登録されていなかったのである。

一応手で入力して、データは明日にはいることになった。

二重登録にならなきゃいいんだけど。

だから、何か手伝いまっせって言ったやないの。

きっと嘱託さんたちも、何から手をつけていけばいいのかパニックなんだね。

頑張って下さい。

私は気軽なバイトの身ですから・・・何のお役にもたてまへん。

あー、明日で4月も10日じゃないか。

やばいやばい。そろそろお尻に火がついてきた。

早く文献読んでそろそろ書きはじめなくっちゃ。

 

なのになのに、私ったら何しているんだろう。

今日はちょっと遠い郵便局にまで郵便を出してお家に帰る。

そこから、また走っているんだよなあ。

帰ってきて、洗濯して、夕食を軽くつまんで、お風呂はいってもう10時。

なんでこんなに時間たつのはやいん?

 

明日は日文研。12時すぎには寝とかなあかんな。(と言うか、服薬することなんだけど)

明日は仕事をするぞー。

 

4月8日

登録が始まっているせいだろう。学生がなんだか多い。

AVライブラリーも久々の盛況?っていっても29人だけど。

あーこれから、50人前後の忙しい日々がやってくるのだな。

でもまあ、これだけ利用していただいているのなら文句は言えないじゃない。

皆様のおかげで給料もらっています。謝謝。

しかし、人事異動の結果、まだ新しい人がなれてないせいもあってか、なんやかんやと手続きが遅れている。

これで、もうすぐ授業始まっちゃうんだけど、大丈夫?

いや、バイトの身でしゃしゃり出まへんけど。

やれることあったら手伝いまっせ。と思って口に出すのだが、「大丈夫です」と切り替えされるので、まあいいのかな。

でも、今日は昼休みがまともに取られなかった。働いた分は残業につけました。

明日は、交代していただいた代わりに私が出勤する。

さて、さて明日はどうなる事やら。

マジで、授業始まったら大丈夫なんかなあ。

 

昨日走ったので、今日はウォーキング。一駅分歩いて電車に乗り、一駅手前で降りて歩いて帰る。

実は昨日、拉致されたことに腹を立てた私は、買い物で自分のほしいものをたくさん買ってもらったのである。まるでだだっ子やな。

家に帰って、冷蔵庫を開けるとない。何もない。

むしゃくしゃしながら帰ったために、玄関口に置き忘れてきたのである。

今日の夕食が・・・

仕方ないので、母に連絡すると、家に置いていても仕方ないので祖父母の家に持ってきて、食べようと思っていたから、ちょうどいいから来なさい、と言われる。

いや、あの、それは私が今日食べようとしていたもので、あの、いや祖父母の家に行くとまたまた時間が拘束されるから避けたいのだが、食べ物がない。

あー、なんたるとんま。大馬鹿者とは我がことなり。

結局夕食後のお付き合いまでして夜が更けていくのでした。うえーん。

 

4月7日

今日も1日だらだらしながら、本を読んだりしている。

午後、暖かそうな日差しが降り注いでいたので、走ることにした。

またまた隣の駅まで走っていって、とって返してくる。

ふう、今日は暑い。

さあ、汗流そうと思ったら、またまた携帯君がなる。

はいはい。今日は何ですか?

祖父母が、伯父が来ているので、近くの中華料理を食べに行くからいらっしゃいという。

断れきれずに、ハイと答える。

なんで、こう、NOが言えないのかしら。とりあえずざっと汗だけを流して、着替えて店に向かう。ちょうどみんな揃ったところだ。

ふと見ると父がいない。母曰く、「なんか持って帰ってきてくれ。出るのはしんどい」とのこと。

あ、そう。

さて、御飯も頂いたし、さあ帰りましょう、帰りましょうと思って歩き出すと、母がしきりに私のことを呼んでいる。

「ん?」と思って振り返ると、手招きをしている。

「何よ」「あれだけじゃ足りないから、買い物して帰るから」「ふん、それで」「ちょっと付き合って」

この先は、皆さんも想像できるでしょう。

またもや私は拉致されてしまったのであった。

 

あー、あの穏やかな午前。ゆるりとカフェ・オ・レを飲んで過ごした読書の時間。

さわやかに走った午後。汗を流した後のビール一杯。

あの幸せはどこへ〜。

この状況から抜け出せと主治医にも言われているのに何故抜け出せないのだろう。

余りにも意志が弱すぎる。うえーん。

 

4月6日

今週末は何も予定のない週末のはずだったのに・・・

父が帰ってきて、義姉のお見舞いに行くので一緒に来いと言う。

なんでー。

でもまあ、義姉のことは心配なので、一緒は遠慮して、病院で落ち合うことにした。

朝はカイロプラティックに行って、身体を伸ばしてもらう。

うーむ、まだまだ正常になれませんなあ。

根性がひねくれてるせいか、身体もひねくれている。しゃあないか。

後はお風呂にゆっくりと浸かって、午前中をリッチな時間で過ごす。ほほほ。

4時頃に病院でということだったので、読書や片付けなどした後、早めに家を出る。

何故早め?それは病院の場所が分かったので、四条烏丸から歩いていくことにしたからである。でもちょっと雲行き怪しそう・・・

30分ほど徒歩時間を見て、家を出る。もちろん傘を持って。

最近よく降るからなあ。

特急に乗っていると携帯がなる。まわりに遠慮しながら出ると、母から17時に行くことに変更したと言われる。けっ、勝手な人。

 

行こうか辞めようか迷っているライブがある。

ぴあによると、地下鉄丸太町にプレイガイドがあると書いてある。なのでチケットを購入しようと丸太町から地下に降りる。

あれ、おかしいなあ。どこを探してもプレイガイドらしきものは見あたらない。あっちへうろうろ、こっちへうろうろしながら丸太町駅周辺をまわってみるのだがない。

しゃあない、これはもう私にライブには行くなと言っているのだ。

そう思って諦める。

16時過ぎに病院に到着。義姉は二人部屋に変更していた。

最初は病室が見つからないのでうろうろしてしまった。

誰かに聞けばいいのにね。馬鹿者。

術後すぐに会っていたので、随分と元気そうに見える。よかったね、成功して。

もう、ものもちゃんと食べられるようになったそうだ。

傷跡に巻いている包帯が痛々しいけど、後は日にち薬だから仕方ないね。

あまり傷が残らないといいんだけど。

30分ほどすると、兄が登場。

前回会わなかったが、噂によると「ストレート・パーマ」をあてたらしい。

母曰く「カツラをかぶっているみたいで変よ」。

期待していたら、別にそれほど変でもなかった。なーんだ、普通じゃん。

最近、おでこをあげていたら、よく兄と似ていると言われる。

これで、私がボブに戻したら、もっと似ていると言われるのだろうか。

うーん。複雑・・・

17時に両親が到着。私は何も知らなかったのだが、外出許可がおりたらしく、5人で夕食を食べに行くことになっていたらしい。もちろん病院の近くである。

そうか、それで一緒に来いと言われていたのだな。

義姉はしっかりと食べられていたようで、本当に安心した。

仕事前の兄と、療養中の義姉に気遣ってあまり呑まなかった。どうせ後で兄の店に行くだろうと思っていたからである。

それが、「雨がきついから帰る」と父が言い出すではないか。

3人で長い長い帰路。呑み足りねーんだよ。と憎々しげに呟く。

お、聞こえたのか、「じゃあ、帰り道に新しく出来たところに行ってみるか」と父が言うので賛成。

ラッキー。

でも昨日呑んでて思ったけど、友達と呑むのと、家族で呑むのとは全然違うね。

同じお酒なのに不思議だな。きっと同じものを呑んでも味が違って感じるんだよね。

まあ、人のせいにするわけではないんだけど・・・

 

4月5日

今日は、この3月末で日文研を辞め、無事阪大に就職された方の送別会である。

一緒に呑むのは、本当に久しぶり。

でも最初の一週間が忙しかったのか、だいぶお疲れの様子。

研究も面白いし、いつも楽しくお話しさせていただいている。

 

まずは朝から日文研にてお仕事。

相変わらず捗らないなあ。

でも、少しだけ光が見えてきた。早くこの仕事終わらないかしら。

あ、終わったところで次の作業が待ち受けてんだよね。次は何をするのかしら。

お昼休み、院生室に行くと誰もいない。

珍しい。みんなで御飯食べに行ってるのかな。

日文研は大学ではないので、学食というものがない。学食がないということは、食べるところがないというわけでもない。レストランがあるのである。

だけどねえ、高いのよ、レストランって名乗ってるだけあって。

でも、味はなあ、コストに沿っているとは思えない。失礼。

そういうわけで、私はほとんど利用することはない。だって高いんだもん。

安くて多くてそれで味が普通なら考えるけどな。(別に量は要らないけど)

いつも家から何か持ってくるか、インスタントものをストックしておいて、それを食べることにしている。自分でも卑しい奴だと思う。

 

仕事が終わってみんなで木屋町へゴー!

なんか行ってみると、お高そうなお店。というても、私が幹事をしたわけではないので文句は言われへん。罰当たりまんがな。

しかし、今月は結婚式があるから、出費がかさむんだよなあ。

あ、来週は新歓コンパもあるな。とほほ。

でも、美味しくみんなで楽しく飲めたらいいね。

幸せだね。

相変わらず詳細については不明だが、なんかとても楽しくしゃべりまくっていたような気がする。気がするって事はきっとそうだな。

まあ、気分転換もたまにはいいか。

しかし、ええ加減勉強せえよなあ。どあほ。

 

 

4月4日

はあ、4月に入ってからめっちゃ調子悪いやん。

全然自分のことでけへん。

今日は女学院にてアルバイト。

今日が春休み最後の日。もうひまひま。

嘱託の人は引継すぐで大変そうだけど。それを尻目に一人読書。

必須文献を読んでいたのだが、今日1日で1/3しか読めなかった。

いや、ここは1/3も読めたと言うことで喜ぶことにしよう。

そう、何でもプラス思考さ。

でも、疲れがまだとれず、と言うよりどんどん出てきている感じ。

まいったなあ。

でも本当に体がだるい。やっぱり走ったのがいけないのかしら。

とはいえ、ここ3日ほどさぼっているので、今日はウォーキング。

帰りに、西宮北口まで歩いて、電車に乗り、一駅手前で降りて、家まで歩いて帰る。

その後走ろうかとも思ったけれど、身体が疲れているので断念。

でも結構歩いて帰ったよな。

後は家で読書。静かにすごそう。

明日は日文研の後、送別会。

あまり無茶はしないでおこう。

週末こそは仕切り直しをするぞー。

けど、なんでこんなに疲弊してんねんやろう。ほへら〜。

 

4月3日

朝は謡のお稽古。昼から研究会。のはずが・・・

朝から腹痛で七転八倒。

5時頃から起きていたのだが、初めはうずいていた痛みがだんだん大きくなり、もう布団の上で転げ回る。

何とか電話をかけることが出来て、一緒に行くことになっていた母に「お腹が痛くてどうしようもない。悪いが今日は行くことは出来ない」と連絡。

電話が布団のすぐそばで助かった。

結局午前中脂汗流していた。いたい。辛い。

昼頃になって漸く落ち着いた。

 

多分私のミスだと思う。5時頃に目が覚めたので、お茶を入れて朝御飯を食べた。

あまり食欲なかったのだが、最近めざしている健康生活に向けて。

それが仇。腹痛はしばらくして始まった。

食べなきゃよかったと思いながら、吐き気と腹痛の両方を抱えて布団に転がる。

昼過ぎ、吐き気をおさえながら薬だけ服用。

しばらく寝ころんでいたが、どうもおさまったようなので、研究会のメンバーに連絡。

遅れていくと。

無理してまで出るほどでもなかったのだが、自分の原稿を終わらせたかったからだ。

お茶をおそるおそる飲んでみて、薬を服用してみるが、腹痛は起こらない。

よし、もう大丈夫と思って、やっと家を出る。

 

研究会に途中から合流。原稿チェックをしてもらい、一応完成原稿に。

よかった、これでもう背負っている原稿ないもんね。

後はゆっくり?自分の原稿に取りかかろう。

はあ、間に合うかなあ。

 

4月2日

さて今日は日文研。お仕事の後は図書館で自分のお仕事と、思いたいところだが・・・

なんでいつもこうやねん。

でも、まあしゃあないか。

今日は仕事が終わってすぐ、リッチにタクシーを呼んで即刻帰る。もちろんスポンサー付きだから出来ることなのだが。

烏丸に出て、またタクシー。

乗ろう、タクシー!

着いたところは病院。

実は義姉が昨日手術をしていたのだ。それで今日はお見舞い。

術後すぐなので、倒れてるのではと心配したけれど、ベッドに座ってわりと元気そうに喋っていた。よかった。ほっ。

病院というのは、しかし、陰気なところである。

あんなところにいるのは気が滅入るだろうなあ。

まあ、昨日と今日は兄が付き添いで泊まるそうだから、大丈夫かな。

でも、全然ものが食べられないそうである。

可哀想。でも手術なんて大事業したんだから、仕方ないのかなあ。

義姉は気丈に振る舞っているけれども、本当は見舞いに来た私たちにとても気を遣っているに違いない。逆に疲れてしまうだろうなあと思った。

なので、機会を見つけて母を促して失礼することにした。だって可哀想じゃん。

昨日手術で疲れているのに、今日は見舞客に気を遣ってさ。

と言う私も見舞客の一人だけれど・・・

でも、無事に手術が成功して、その後あんなに元気そうに出来るのならちょっと安心した。

後は、あまり邪魔せぬように、ゆっくり休養してもらいたい。

お大事に。

 

4月1日

今日から4月。何かが確実に変わっていっている気がする。

なんだろう。不思議な気分。

今日から仕切り直し、と言いたいところだが・・・

 

今日はお付き合い。

おじいさま、おばあさまに付き添いで花見と夕食の1日。

午前中の内に走っておこうかと思っていたんだけれど、約束が入っていたので断念。

約束?それはお雛様をしまうことである。

約1か月飾ってあげて、よい虫干しになっただろう。

これで、押入の中で泣かないでいてくれるだろう。良かった良かった。

いろいろな人にも見てもらえただろうしね。

ほこりを丁寧に払い、柔らかい紙で一つづつ包んで箱に収めていく。

また、来年会いましょう。丈夫でいてね。

虫よけ、除湿剤を入れて、箱を紙に包んで片付けていく。

押入にしまえば、もう時間がない。

家に帰って着替える。去年の春、おじいさまに買っていただいた服を着て。

 

今日の花見は帝国ホテルから出ている水上ボート。

桜宮の花を存分に満喫する。満開で花吹雪で綺麗だなあ。

夕食までまだ1時間ほど時間がある。

すると祖父が言う。

「順子、服買ってやるから、何でも好きなもんを探してこい。」

えー、いいんですかあ?

母によると上限5万円。5万円ですよ、もうビックリ。

でも現金では頂けないとのこと。そらそうだわなあ。強欲婆のような私。ぼけ。

初めに気に入ったのがスーツ。が、値段を見てぶっ飛んだ。上下で48万円。

誰が買うねん。○の数まちごうたかと思うた。

あー、びっくりした。

結局、それでも底意地のはっている私は、4万8千円弱の服をゲット。

もったいなくて普段は着れないなあ。でも嬉しい。

お供をすればよいこともあるもんだ。ひっひっひ。

 

夕食は帝国ホテルにある中華料理「ジャスミン・ガーデン」。

ワインも頂いてしまって、美味いし大満足。

でも、帰宅したら疲れて倒れてしまった。

いくら図太い私でも、一応気は遣っていたのね。

 

3月31日

倒れた。

明日から復学。いろいろせなあかん事が山積みやんけと思いながら、予定を何も入れずに、片付けていこうと思っていたんだが。

これまでの疲れが溜まったせいか。突然走ったのがいけなかったのか。

とりあえず、絶不調で倒れていたね。

夕方になって漸く起きあがったけれど。

なんか、とても惨めな1日だった。

人生の悲しみ。哀惜の航路。惨敗。

 

3月30日

単発アルバイトが午後に入っている。

朝早く目が覚めたので走ってみたかったのだが、あまりに忙しいので断念。

朝からカイロプラティックに行って、その足で謡のお稽古に行く。

謡といっても、時間がないので、「舞い」の稽古だけ。

前回ボロボロだったけれども、今回は何とか間違えずに舞えた。

だけれども、綺麗に舞えるわけではない。

序破急がかけているのだ。

先生がお手本に一部を舞って見せてくれる。なるほど。これが序破急か。

確かにメリハリがついて、本当に綺麗にしっとり舞っている。

舞がゆっくりなだけあって、序破急をつけないとただだらだら動いていて、退屈に見えるだけだ。うーむ。舞は奥が深い。

予定の時間よりも早く着いたので、リンゴをかじりながらお昼御飯。

やっぱりじろじろ見られているような気がする。

見た目が外人ぽかったら見られないのかしら。向こうでは見られることないのになあ。

まだまだ世間では「まあ、はしたない」とか思われてんのかしら。

別にいいけどさ。だってお昼御飯の時間がとれないんだから。

確かに、日本のリンゴは丸かじりしにくいサイズである。

外国のは(主にヨーロッパを指しているんだけど)小ぶりでかじりやすい。

日本のリンゴは大きいから、最初の「カリッ」とかじるのに大口開けなくてはいけない。

この最初に一口が結構食べにくいのである。

え、リンゴの食べ方なんかレクチャーせんでもいいって?

まあ、確かにそうですね。どんな風に食べようと個人の自由だから。

ちゃんとゴミはゴミ箱に捨ててるからマナー上問題ないと思うし。

でも、そろそろリンゴの季節も終わりだな。まあ、今では1年中あるから別に困らないけれど。やっぱり旬のものは旬に食べるのが一番美味いやん。

スウェーデンにいたとき、本当によく果物を食べた。たいがいは洋梨かリンゴだったけど。あ、バナナもよく食べてたなあ。

私は固めの洋梨が大好きだったのだが、日本に帰ってくると「ラ・フランス」とかってお上品な名前が付いて値段も高いし、熟しているのでシャリシャリ感にかける。だからあんまり食べなくなった。

大体果物が全体的に高すぎると思うのは私だけ?

みめ形なんか揃ってなくてもいいから、もっと値段を下げて欲しい。

本当に日本は物価が高すぎるよ。まあ、その分サラリーもそれ相応に高いんかも知れないから仕方ないのかなあ。はあ。

 

3月29日

谷川俊太郎さんの詩の朗読と、息子さんの谷川けんさくさんとの音楽セッション。

私、実際の詩人の朗読会って実は初めて。

どんなんだろうと想像も出来ずに会場に行く。

 

舞台に出てきて朗読を何作品かする。とてもいい声である。

聞いていて、詩の言葉が胸にしみる。

それを邪魔しないように音楽が入る。

心地よい。じっと目をつぶって聞いていると、様々な想像の世界へと旅立てる。

あまり大きな期待もしていなかっただけに、非常に面白かった。

韻の踏んである詩はリズムよく。ことばを聞かせる詩には胸に刻み込むように。

テンポを変え、口調を変え、語りかけてくる。

今までそんなに詩には興味なかったのだが、こうして改めて聞くと非常によいもんだと思った。

小説と言った類のものとは違う言葉のあふれ方。

泉がこんこん湧き出るように、ぽろぽろ言葉があふれてくる。

いろいろな楽器の音色が詩の合間に入ったり、同時に流れたりして、私の周りを包み込む。

それはとても優しい感じがした。

 

外は雨が降っていてとても重い感じがした1日だったが、会場の中は別世界。

会場自体もとても綺麗で音響効果もよかったと思う。

詩集を購入したかったが、あいにく持ち合わせがなくて断念。

また、いつか、どこかの本屋で手に入れよう。

寂しいとき、嬉しいとき、悲しいとき、怒ったとき、詩集を紐解いてみたい。

きっと気分が変わるだろう。

CDも発売されていたが、こちらも残念。

詩集を紐解くように、BGMとして流してみてもいいだろうなあと思った。

 

新たな感動に出会えたいい1日だった。

 

3月28日

今日はCMデータベースのミニ・シンポジウムがある。

私はデータベースを製作しているので、製作者側?からの参加であった。

現在の進行状況や、データベース利用への話が初めにある。

こういう使い方(検索の仕方)はできないのか?などと質問が出ると、「あのう、今の現状からいってそれは無理です」と断りを入れるしかほかない。

それでも未来的にはこうはどうだろう、ああはできないかなど話が盛んに出てしまって困ってしまった。

結構作るのは大変なんですけど・・・

また、このデータベースを利用してどのような研究が可能かという展望の話になる。

こればっかりは難しい。もちろんいろいろな利用の仕方は話されるが、どれもある方法の一素材としての話が多くて、必ずしもCMでなければできない研究というものはなかなか難しい。

しかし、折角作っているのだから、確かに利用はして欲しいけれどなあ。

「小川さんは何か使えそうにないの?」と聞かれて、うーんと詰まってしまう。

CMと言うのはステレオタイプの集積だと思うから、これでこの時代がこんな時代で、とかジェンダー的にはこうだとか出来なくもないが、それって他の先生も言っていたけれども、必ずしもCMでなくても出来るんだよね。

その辺りのバランスが難しい。

いろいろ面白いこと出来るのかも知れないけどなあ、思いつかない。

おまけにこのデータベースはACCという機関が賞を贈ったもので作られている。なので、なかなか面白そうな意見が出ても「既にACCというバイアスがかかっている作品ばかりですから」とか「地方CMは年度によってあったりなかったりするので、その辺りが手落ちになるかも知れません」と折角のご意見を無駄にしてしまう発言しかできない。

すみません。

「いつ頃完成しそうですか?」という質問に、先生ったら「6月頃かな。ね、小川さん」なんて言ってくれる。

ぜーっったい無理。だってこれ私一人でしてる仕事やねんよ。

いや、確かにちょっと倒れてしばらく仕事できなかったときもあるけどさ。私だって予定はあるし、第一博士論文書く為に復学すんだよ。

そりゃバイト料は必要だしもらっているから仕事はしないといけないけどさあ。どう考えても今の作業だってまだ終わってないのに、それはないでしょう。

がーん。どうしよう。思わずムンクの叫び。

 

シンポジウム終わってから仕事しました。

あー、なんかプレッシャー。

 

 

3月27日

なんでだろう、どうしてだろう。身体も疲労しているはずなのになんで?

今朝は4時に目が覚めた。確実に睡眠時間減ってるやん。

困ったなあ。初期に主治医に言われたとおり、目が覚めても寝床からでないでごろごろしておく。

7時頃には起きて、いつも朝御飯を食べない私が今日も朝御飯にヨーグルトを食べている。

1日3食健康的だ。でも昨日寝るのが2時頃だったから、えせ健康だな。

今日は昼から用事があったので、午前中が久しぶりに空いている。銀行に、郵便局、各種支払い。びんぼー。

お昼はお腹空いていなかったので飛ばそうかとも思ったが、いやいやちゃんと三食食べなきゃと思い、パスタを食べる。健康的やん。

昼からの用事を済ませる。

思ったよりも早く帰ることができた。

で、またまた走ることを思いついた。今日は隣の駅まで行って戻ってくる。時間にして信号にひっかからなかったので35分ぐらい。

ふうっと一汗。お風呂を入れ、洗濯をする。有意義な時間じゃない。

お風呂でゆっくり読書。後は足のマッサージ。走った後なので念入りにマッサージ。

今日で何とか3日目。3日坊主にならないようにしなきゃ。

本当は1日おきって言われていたんだけど、毎日走ってんなあ。

 

お風呂から出て、やはりお腹が空いてないので止めようかと考えたが、不健康そうなので、野菜を煮て食べる。なんか健康的じゃありませんか。

しかし、右目がかすかに痙攣するのは何故?身体疲労?寝不足?

 

こんなに健康的な生活に改善しているのに、なぜかしら。

今日こそはちゃんと眠りたいなあ。

 

明日の午前中はミニ・シンポがある。

遅れずに行かなくては。

 

3月26日

走って健康に向かっていると思っているのに何故?

昨日は朝の3時に目が覚めた。それからはなんだかよく眠れなくて、体はだるい。少しうとうととなっても5時には目が覚める。6時頃には起き出してしまった。

日文研に行く日なので、用意をする。

だけど気分が乗らない。お茶を入れて薬を飲んで、朝御飯にヨーグルトを食べる。

着替えて準備万端。いつもより早く出られると思いきや、また悪い病気が・・・

また、家を出られないのである。

なんで?なんで?と問いかけるが出られない。困った。

なんだか、腹痛までしてくる始末。結局いつもの時間より1本遅いバスになってしまった。

 

今日は研究計画書を提出しなければならないから、絶対に行かなければならなかった。

日文研に着いたら、いつものように即仕事。

いっこうに捗らない終わりのない仕事。は、めげる。

昼休みに打ち出そうと思ったら、3台あるプリンターの3台ともが動かない。

え、手書き?やだよ折角打ってきたのに。

結局昼休み中にはめどが立たず、仕方ないので図書館のコンピューターで打ち出す。

それからまた仕事。

夕方、偶然井上先生に出会う。なんてラッキー。「先生サインをお願いします」と言って、計画書にサインをもらった。これで提出完了。

 

院生室に戻ると、同期の子がこの前完成した原稿を読んでコメントをくれていた。

ありがたい話である。その後二人でいろいろはなしていたんだけれど、だんだん話が面白くなってきて、「あーこれ今全部書き留めておきたい」という衝動に駆られた。だって面白かったんだもん。惜しいことをしたなあ。長い帰路の中、本を読んでいたら、せっかくのアイデアも忘れてしまった。残念。

ま、自分が話したことだから、またそのうちに思い出すでしょう。

帰ったら21時。それから夕飯を作って食べ、30分ほどしてからまた走る。

今日は隣の駅の近くまで走っていって帰ってきた。もちろん疲れたら、電車に乗って帰るつもりでいたんだけど。

これだけ走ったら、(40分ほど)後はお風呂でリラックスをして疲れた身体を寝かせるだけだ。

ウォーキングはどこへやら。先生守ってなくてすみません。

さて、今日は眠れるかな。

 

3月25日

女学院にてアルバイト。

今度異動される職員さんの後任の人が決まり、今日引継に来ていはった。

しかし、一人でやっていた部署を引き継ぐのに今日1日とは大変である。

私も紹介されて、よろしゅうたのんまっさと挨拶をする。(ちゃんと挨拶しました)。

私よりも若い人であった。そりゃそうだわなあ。

今日行くと、突然春休みシフトだから、16時までと宣言される。

え、16時まで?またバイト料減っちゃうなあ。

しゃあないか。ふう。

ばたばた引継をしてはるのを尻目に、私はのんびりカウンターに座ってお仕事。

今日は学生さんが3人。午前と午後と別れてコンスタントに来る。

笑顔で接客。スマイル。ピース。

16時までと聞いて、頭によぎったのはカイロプラティックである。確か金曜日に聞いたときは、月曜日の17時40分が空いていたはずだ。バイトで間に合わないと思っていたのが、意外に時間短縮で間に合うじゃないか。

昨日、またまた準備運動もせずに走ったため、足の付け根、肩の辺りが痛いのである。

ほぐしてもらおうと思い、昼休みに電話を入れる。予約OK。

16時に終わって帰り、17時までに振り込みを一件すまし、コンビニで支払いを済まし、家に戻ってきたら、もう17時半。

予約時間に行くと、「調子はどうですか」と聞かれる。

「あの、昨日少し走ったら、足の付け根と肩の辺りがなんか痛くて、ガチガチした感じで、なんか調子悪そうなので来ました」という。

「走った?なんでまた」「いや、健康になろうと思って」「いきなり走ったらダメですよ。ウォーキングならいいですけど」「そうですね。なんか走り終わったら、頭がふわーとして、これってランニング・ハイ?と一緒に走っていた人に聞いたら、違う、ただの酸欠と言われました」「ははは、笑われへん笑い話やな」「え、そうですか」「そうですよ。もっとキッチリ段階を追わないと」

と会話は続く。結果、ウォーキングを一日おきに40分して、それからゆっくりと走りはじめなさいといわれる。また、歩くとき走るときの姿勢も注意される。

「ま。一遍自分の限界知るのに走ってみるのもいいかもしれないけど、まあ無理無理。」

はあ、突然やっちゃ駄目なのね。

しかし、思い立ったが吉日。

カイロが終わってから、時計で計って、言われたようにウォーキングを片道20分。その時点からとって帰るのに走って帰った。無茶な奴である。

今日も身体動かしたし、ちょっとは眠れるかな。

 

3月24日

今日は全く変な天気である。

生活改善のため、今日も走ることにした。

天気がとっても良かったので、暖かい午後の日差しを浴びながら走ろうと思い家を出た。

が、空はにわかにたちまち曇り、風がきつくふきはじめ、雨粒がぽつぽつと落ち始めた。

なんでやねん。

小雨だから大丈夫と言い聞かせて初志貫徹。

そのうち雨はあがって太陽が顔を出した。気温も上昇してきたのか、走っていて身体が暑い。10分走って休み、15分走って休み、15分走って終わり。

なかなか気持ちよいではないか。

今日走っていたのは、小さな植物公園である。季節の花がきれいに咲いていて、子供たちが大勢遊びに来ていて賑やかだった。あー、あんなに無邪気に走り回って遊んでいた頃に戻りたいなあ。

植物園からは歩いて家に帰る。

が、空はにわかに曇り、たちまち大粒の雨粒が落ちてき、風がびゅうびゅうふいてきた。

ひえーと思いながら、今度は雨から逃れるように走る。

しかし、雨足は強くなり、なんだか霰のようなものが降ってきたのか、顔に当たると痛い。

全身びしょぬれになって家にたどり着く。

掻いた汗もすっかり冷えてしまい、慌ててお風呂にお湯をはる。

と、外は夕日に照らし出されているではないか。

なんでやねん。

冷えた身体をお風呂でじっくり癒してやり、足や肩などをもんでやる。

風呂から上がって一息ついていると携帯がなる。

「近くの焼き肉屋さんにおじいちゃんたちと行くから、18時に来て」と母。

一方的な連絡である。

ま、今日は走ったし、まだ夕飯も食べていないからいいけどさ。

ということで、夜は焼き肉を食べたのでありました。

狂牛病?しらねえなあ。

 

3月23日

今日は楽しい手裏剣のお稽古。すっかりはまってしまっている。

なんだかちょっと刺さるようになった。少しは上達したか?

少しだけ力の抜き加減が分かった気がするのは気のせい?

自分の身体をコントロールするのは本当に難しいと実感した今日でした。

今日もと言う方が正しいかな。

舞にしろ武道にしろ、本当に思うように自分の身体は使えない。

まあ、私はもう自律神経から使えてないから仕方ないか。

復学に向けて、体力つけて、健康になろうと頑張っている今日この頃なのだが、本当に思うようにはいかない。

まずは規則正しい生活からかな。

 

TVをつけるとニュース。

世間は賄賂だの、横領だの騒がしい。

金のあるところにはあるのね。全然天下のまわりものじゃないやん。

私なんてこんなにバイトしているのにさ。生活するのがやっとだもんなあ。

来年度からは学費も納めなきゃならないのに、どうしよう。

まあ、祖父からの奨学金で何とか出せるかな。

しかし、本当にありがたい話である。私はこのお金がなかったら、生活できないと思う。

一人立ちしようと思ってからずっと頑張ってきたが、やはりなんだかんだと誰かに助けられて生きてきた。

一人で生きていくなんて今の私には絶対無理な話だ。

贅沢で恵まれているのは分かっている。だけれども多くの人に助けられて生きているのは事実である。

皆様に恩返しできる日が来るのであろうか。

感謝の念だけは常に持ち続けよう。

お、なんか未来が明るいような気がしてきた。そうだ、それでいいのだ。

いつもプラス思考で、前向きに生きなきゃ。

 

3月22日

昨日は久しぶりにゆっくりしたあ。

眠れないときは少しだけお薬を増やしてもいいと言われていたので、おとといの晩は少し増量して服薬。おかげでゆっくりと眠れた。目が覚めてからも起きるのが面倒くさくって、結局昼頃まで寝床でごろごろしていた。なんかなごやか〜な気分。

後は読書したり、片付けしたりして、それから健康になろうと生活改善をめざして、ちょっと走ったりもした。でも、準備運動も何もせずにいきなり走るのだから無謀である。

しかし、走ると肉体疲労が起きるわけだから、夜眠れるようになるかも知れない!という期待感ももって走る。

走るって言っても大した距離じゃないし、速度もめっちゃ遅いねんけど。

 

今朝はたん熊さんでお料理教室。

前回は油目をおろして一人幸せ気分を味わっていたが・・・今回はサーモンのスライスの仕方が下手で社長に叱られまくった。す、すいません。

だって素人なんだもん。そんなにおこんなくってもいいじゃない。とは思うが、材料が無駄にされているとなるとやはり問題ありかなあ。

今日は汁物系が多くて、お腹一杯と言うよりちょっとたぷたぷした感じ。

いつもより時間がかかって、日文研に行くのも30分ぐらい遅くなった。

 

日文研に着いたら即お仕事。はあ、タレント名って全然わかんない。

大体人名は難しいのよ。私がいい例だしさ。

誰も「なおこ」なんて読んでくれないんだから。漢字は簡単なのに。

インターネット検索をかけたり、人名辞典をみたりして、いっこうに捗らぬ。

結局残業。でも捗らないものは捗らない。仕方ないか。

 

今晩は訳あって祖父母の家に行かねばならない。

おまけに21時からカイロプラティックの予約も入っているから、そんなに遅くは行けない。だけどバタバタしていたらあっという間に18時前。

何をバタバタしていたかというと、プリント・アウトがうまくできなかったのである。

あー、またコンピューターやプリンターの調子悪いなあ。

復学する前からこうなんだもん。嫌になるよ。ったく。

慌てて帰っても着いたのが20時前。すみません、遅くなりまして。

御飯を頂いたらすぐに帰る時間に・・・

「なんか食い逃げみたいですみません」と言うと「気にしなくてもいいよ。元気な顔を見せてくれてたら」と言われる。うっ、辛い言葉。おまけになんだか知らないが、実家に行け行けと言われる。多分自分のところに顔を出して、父が帰っても実家に行かないのが気になるのだろう。「パパは待ってるんだから、顔出してあげにいって。こっちはもういいから」と何度も何度も言われる。

余計なお世話である。しかし今日に限ってなんでこんなにしつこく言われるんだろう?

あまり何度も言われるので、困ってしまった。

これで電話でもされたらなあ。そう思い、カイロプラティックに行った後、仕方なく仕事できるようにコンピューターを持って、本を持って実家に顔を出す。

ぶつぶつ文句を言うと、「気ぃ遣わせて悪かったな。やけ酒ならぬやけワインでも飲むか」という父は、それでも満面の笑みで嬉しそうである。

早速ワインをあけて私に入れてくれる。

私もいい加減に良い子でいるのは止めなくては。身体がもたん。

はあ、昨日と一変して疲れてしまった。

おまけに安眠もなくなってしまった。けっ。

 

3月20日

今日は久々の謡のお稽古である。

日程がうまく合わずに、新年会以来一度もお稽古をしていない。

まずい、もう忘れているかも・・・。

これが的中。所々忘れていて、言われると体が覚えていてくれて、直せるんだけど、頭が「次何だっけ」と考えるからボロボロである。

あー、本番前にこんなんでどないすんねん。

一つには、二日酔いのせいもある。もう一つには、薬なしで寝たおかげで身体に震えがかすかに来ているのである。眠っているようで、身体は眠っていなかったようである。

おっかしいなあ。確かに眠っていたと思ったんだけどなあ。

二日酔いもあって、稽古場で多少気分悪。こんな状態でしごかれても、もうふらふらである。あな、情けなや。

二日酔いって随分していなかったのだけど。久々に来たなあ。

もう私はアルコールと薬なしでは生きていけないのだろうか。やばいやばい。

依存症の阿呆が一人。それは私。

 

しかもこの絶不調の中、午後からはジェンダー研究会に参加する。

なんかいつものメンバーでやっていると、視点が固まりそうな気がしたので、今日はコラムをお願いしているI井さんにも応援を頼む。来てくれてありがたかった。

私はふらふらの頭で原稿を読んでいくのだが、どうも速度が遅い。今日は腑抜けの役立たず。でも今日は代理でJさんの原稿を持っていっているから、代わりに皆さんのチェックを受けなくてはならない。

あら、大変。自分の原稿の書き直しもまだだった。

私には1カ月のブランクがあるからなあ。

そう、精神的にボロボロでろくに何も手が着かなかったのである。

あー、悔しい。時間を返してくれえ。

何とか研究会を乗り越えた。大量の水分補給が役立ったのかも。

 

帰りはお気に入りのレストランで御馳走になった。

考えてみれば、朝から不調でなんにも食べてなかったんだ。

今頃お腹空いてきたので、ラッキー。

自分で作るのも楽しいけど、美味いものを食すときもハッピーである。

ちょっと元気が出てきているかな。

 

3月19日

今日は卒業式&修了式

みんなおめでとう。新たなる未来に向かって、頑張って下さい。

今日は何人来るからよく分からないけれど、とりあえず分かっている人にプラスαした人数を想定して作る。これが大当たり。

今回のメニュウには揚げ物が多かった。あげているとお腹減らないんだよねえ。

気付けば、ほとんど食べずにひたすら飲み続けていた。終わり頃には、私一人酔っぱらい。

みんな御免よ。

めちゃめちゃ酔っぱらって今日はお仕舞い。

だけど、みんなのリクエストには基本的には答えられたのではないでしょうか。

喜んでいただけると嬉しいんだけど・・・

 

続いて二日にわたり料理が出来て、久々に楽しかった。うまいの一言が聞ければ、もう何でも、何度も作っちゃうよー。豚もおだてりゃ木に登る、ぶー。

酔っていたせいもあるが、お薬も抜群に効いて、ぐっすり眠ることもできた。と言いたいところだけれど、これは嘘。酒の勢いで薬なしで眠ることにチャレンジ。

今回は眠れた。幸せである。

よしよし、この調子で突っ走っていけるといいんだけど。

料理リハビリは最高やね。

みんな綺麗に片付けていってくれてありがとう。

協力してくれた(参加してくれた)皆様に心より感謝しております。

 

 

3月18日

女学院にてバイト。

眠れなかった木曜の夜から転じ、金曜日はそこそこ眠れたし、土曜日は至福のうちに眠りに落ちた。明らかに睡眠時間が増えていっている。しかし、日曜日はちょっと失敗。でも4時間寝たからOK。

 

春めいた女学院で、桜が2〜3輪、花を咲かせていた。

今日は明日の卒業式のための予行演習がある。そしてソフトの貸し出しは卒業生は今日が期限である。

なのに、なのに、全然返しにけえへんやんけ。

こらこら、持ったまま卒業するなよ。公共のもんやねんから。

 

読書をしていたが、なんだかとっても映画が見たくなったので、「狂った果実」をみる。

結構面白かった。みんなすごく若かった。(当たり前か)

 

もっと昔の日本映画がDVD化したらいいのにね。

そういえば「ハワイ・マレー沖海戦」だっけ。DVD化されたらしい。日本のプロパガンダ映画としては価値ありでしょう。誰か買ってくれないかなあ。(貴重なのに・・・)

 

明日は卒業式&修了式である。

後輩に追いコンの企画を立ててあげている。でもみんなから返事がちゃんと来ない。

いったい何人来るねん。まあ、ちゃんと連絡くれている子もいるから、一概に批判はしない。きっと今の子たちはこうなんでしょう。当日の気分って奴ですか。

おばさんにはよく分かりませんわ。

でもいいの。返事くれた人は、みんな一様に楽しみにしてくれているんだから。

それだけで私は十分。もう欲張らない。期待しない。あがきもしない。

今の私に必要なのは現状維持。

もう誰にも潰されない。未来の事なんて分からないけれど、自分で気付かないほどあほになるのだけは、もうこりごりだ。

 

時間を割いているのだから、その分自分も楽しむことにする。それでいいのさ。

割り切らなきゃね。

 

3月16日

朝から買い物に出かけ、夕方の宴会に向けて料理、料理、料理づくし。

めっちゃ楽しいやん。

献立をたてていたにもかかわらず、メニュウをさらに増やして、時間ぎりぎりまで作り続けた。幸せである。

 

申し訳ないことに主催者に迎えに来てもらい、到着。

後は嬉しそうに、酒を飲み、料理の蘊蓄をたれ、美味しいという言葉に狂喜するだけである。嬉しい。楽しい。幸せだな。

料理はまあ自分が作っているのだから味は分かっているが、それに合わせて飲むアルコールのうまいこと。もうがんがん呑んじゃったね。

夜遅くまで大騒ぎしていた。

 

この日を過ごして下さった皆さんに心より感謝。

小川は、皆さんに囲まれてとても幸せ者だと思います。

良い人たちがやっぱり多いよ。悩む事なんてなかったのさ。きっと。

 

3月15日

今日は目から鱗。私はいい主治医を持って良かった。救われたぜ。

2月中旬頃からおかしくなって、相変わらずトラブルの事態は解決せず、一人で「何とかなる、何とかなる」と頑張ってきた。

私は事態が悪化したことの原因を自分に求め、自己を摘発し、自己を罰し、自己を追いつめ、ほとんど自傷行為状態に追いつめていた。もちろん精神的にである。

そのために私の精神生活はボロボロだった。

だけれども、「あいつが悪い」と決めて、「私は悪くない」と居直ることができず、他人のダークサイドには出来る限り目を背け、すべての原因は我にありといつまでも、いつまでも自分を苛み続けていたのである。

しかし、今日主治医に言われた。「あなたはもう潰されているのだから」と。

え、私はつ・ぶ・さ・れ・て・い・る??am I?

今までのは何だったのか。もう私には摘発し、懲罰を下す自己すらなかったのである。

死んでいるにもかかわらず、それに気付かずに彷徨っている幽霊のようであった。

そこへ「あなたはもう死んでいるんですよ」と宣言されたのである。

私が何かしようとしたところでもうどうにもならないのである。なのに私は、私がしなくてはどうなるの?と一人勘違いをし、際限なく自分を傷つけていた。

他の誰からも白眼視されようとも、主治医は私を守ってくれる。私のこの潰された状態から守るのが仕事だからとまで言われた。

馬鹿な話だが、私は、私は、自分が潰されてしまっているなんて思ってもみなかったのである。まだまだ大丈夫だから、と狂奔されていたのである。はは、あほやね。

 

なんか大きい風船の中に閉じこめられて、その小さな中で爆発寸前にも気付かず、一人で、一人で、どうしようどうしようと思っていたのである。

そこへ、ガス抜きのように先生が教えてくれた。もう現に私は潰されているという状態を。

風船がしゅるしゅるとしぼんで、私は外にいきなり出された気分になった。

そこは息もできる、苦しくない空間なんだと教えられた。目を覚ませと。

 

私は悪い悪夢をみていたようである。この1カ月、何があったんだろう。

随分無駄な回り道をしていたようである。また眠れなくなるまで・・・

 

私はもっと処世術を身に付けるべきであった。

己が一番かわいいという人間本来のエゴをもっと強く持つべきであった。

こんなに痛い目に遭わないと分からないなんて・・・私は大馬鹿者である。

 

真っ暗闇の中から、一筋の光をさしてくれた。私は物事の優先順位すら見極められないほど追いつめていたのである。

でも、今日分かった。私のすすむべき方向はそっちじゃないということを。単なる迷走に過ぎなかったと言うことを。

このままでいると一人で狂いそうであった。死にたかった。自己を消したかった。できることなら時間を戻りたかった。

 

でも、でも、多分もう大丈夫。

なんだか今日はすごく癒された。帰りの電車までぼーっとしていたけれど、だんだん目が覚めてきた。

 

明日は私の癒し宴会がある。久しぶりに好きなものを料理できる喜びがある。

喜びが沸き上がってきて、もう振り返らない。前をまっすぐ見るんだ。

帰りの買い物ではすっかり上機嫌になっていた。

素材を前に、何を作ろうかと狂喜乱舞していた。ピース。

 

 

 

3月14日

今日は久しぶり?に女学院でアルバイト。

今日も暇暇。ヒーマー。

今日はDVD見るなんて姑息なことはせず、読書。

 

人事異動の季節である。アルバイト先の視聴覚センターの職員さんにも内示が出たらしい。

出勤するなり異動の話を聞かされた。びっくり。

アルバイトだから呑気にやっていって、職員さんには、トラブルが起こると泣きついていたから、この後どうなるの??

後任はまだ決まっていないとのこと。

そんな無責任なあ。

 

結構好き勝手やってたからなあ、新しい人の前ではできないかも。

あーどうなるんだろう。

 

午後に漸く学生さんがぼちぼちやってきた。

お仕事、お仕事。

 

夜は中途半端な時間に眠気を感じてうたた寝。

よし、今の調子なら眠れるかもと思い、寝間着に着替えてちゃんと布団にはいる。

今日はお薬なしだ。挑戦!!

 

これが大間違い。全然眠れない。さっきの眠気は、うたた寝はどこへ。

それでも頑張って姿勢変えたりして眠ろうとするが、どんどん冴えていくばかり。

とほほ、不眠は治ってなかったのか。

夜中の3時頃にはもうギブ・アップ。でも今からお薬飲んでいたら次の朝起きられない。

日文研にバイトに行かなきゃいけないしなあ。

お布団の中でいろいろ考えていたけれど、とうとう4時には起きだして、昨日中途半端に眠ろうとして書かなかった日記をこうして書いている。

夜が明けてきた。

新聞配達の音などが響いてくる。

なんで、こんなとこでつまずくんやろう。

あ、寝ていないから、ちょっとキーボードを打つ手が震えてきた。

でも、明日というか今日は診察日だから、大丈夫かな。

しかし、元に戻ったと思っていただけに悔しい。うぐぐ。

 

3月13日

先週断念していけなかった「たん熊」へゴー!

シンポが終わって肩の荷が下りたのか、朝からなんだか元気である。

よし、これで復学に向けてエンジンかかるかな。ふっふっふ。

今日は「油目」をおろした。普段、魚おろす事なんてないから、楽しかった。お、思っていたよりうまいやん。中骨を抜いて、骨切りをする。一人で満足。

お昼から御馳走を食べて、日文研へゴー!

従来のお仕事に戻る。

今はタレント名の読みを入力中なのである。

しかし、私ほどTVやタレントに疎い人にこんな仕事させてええんかい。

読み方が分からず、チェックしている人ばっかり。途中インターネットで検索をかけてもみるのだが、漢字は出てきても肝心の読みが入っていない。ぶー。

やればやるほど煮詰まってきて、だんだん鬱屈してくる。午後からしか仕事していないのに。

先の見えない仕事を、遅れてきたので残業までするが、とうとう断念。

続きはまた今度。

 

今日は、河原町で女性が映画1000円のサービスデーである。

「カタクリ家の幸福」という映画を見に行く。

バスを一台乗り遅れたので、時間がぎりぎり。弥生座という映画館に、走っていく。

ぴあによると19時上映である。息を切らせながらぎりぎりに駆け込んで、チケット買おうと思ったら、店の人が中から「れぷりかんとでよろしいでしょうか」といきなり声をかける。「は?」「いや、レプリカントでよろしいでしょうか」「はあ?れぷりかんと??」「あの、カタクリ家ですか?」「はい」「あの、3月5日から番組が変わりまして、カタクリ家は朝の2回しか上映していないんです。あとは『レプリカント』の上映でして・・・」

漸く事情が飲み込めた。ええっ。でも走ってきた私の立場は?!

がっくし。肩を落として、カフェ・オパールにとぼとぼ向かう。

今日は兄夫婦二人ともいた。店を改装したということなので、店を一回り見て回る。

ふーん、結構ええ感じやん。

しかし、それから不幸は起こった。私が席について一息ついていると、それまでいる客が次々と帰って行くではないか。帰りラッシュ。

私は疫病神か。もう朝の勢いはどこにもない。

そして誰もいなくなった店内で、申し訳なく義姉を話をする。

ちょっと、毒舌ふりまきながら、ストレス発散に悪態をつきまくる。

さんざん話を聞いてもらってすみません。人の愚痴って面白くないですよね。

そうしていると、漸くお客さんがやってくる。良かった。

安心して帰途につく。はあ。なんか番狂わせやなあ。

 

3月12日

10時に日文研に着くと、既にいらっしゃっている先生方が・・・

ご挨拶をし、昨日の懇親会で顔見知りになった先生方には名刺を持って挨拶にまわり、政治活動を行う。こんな事したって書き物には関係ないねんけどね。まあ、一応体裁は・・・

 

昨日井上先生に、懇親会で、「随分元気にならはったので、安心しました」と言われた。ご心配おかけしてすみませんでした。

一年の休学で、ゆっくり休養をして、すっかり元に戻りました。

最近は食べられるし、眠れるし、生命としての基本活動がちゃんと行えています。

 

午前中の発表は、スケールが大きい話しすぎて、本当にそこまで言えるのだろうかと難しいなあと思いながら聞いていた。私だけがそう思っていたのかと思っていたのだが、ディスカッションでも、同じ様な疑問を提示された先生がいらっしゃったので、自分のものを考える力というものに少し自信がもてた。

一応、人並みに戻ってきたかな。これまで猿だったからねえ。猿というより虫かな。

ただそこにいるだけ。動けない。転がっている。そんな感じだった。

自殺願望も随分強かった。

今、こうして生きていられるのは、主治医を始め、多くの皆さんのおかげだと思っている。

 

途中に休憩が入ったのでお茶の用意をしている部屋に先生が移動する中、遅れてくる先生方の受付を担当。

昼休みにはいると、「荷物を置いていてもいいですか」と聞かれて、「はい、大丈夫です」と返事する。がらんとした部屋を締めて、向かいの休憩室で、誰も入ってこないか見張りながら食事をとる。見張るのも変だが、盗難とかあったらやっぱり怖いし、荷物を置いていても大丈夫なんて断言したから、責任は持たないとね。

昼休みが終わり頃になると、休憩室にお茶を飲みに来る先生方がぼちぼち帰ってきた。

部屋のドアを開けて、また受付にもどる。

最後の発表を聞く。今まで関心を持ったこともない、考えてみたこともない分野?の話だったので、ふーん、そうなのかあ、といちいち頷いて聞いてしまった。

世の中にめっちゃ疎いかもしれん。あかんたれやなあ。

 

昨日、竹宮先生と写真が撮れなかったので(ミーハー)、今日撮ろうとみんなで話していた。受付でずーと待っていたのだが、先生はいっこうに現れず。

あとで聞くと、突然教授会が入ったので来られなくなったそうだ。あー、残念。

こんな事なら、昨日「風と木の詩」を持ってきて、サインしてもらっておくんだった。

ちぇっ。

ちなみにうちにある「風と木の詩」は友達のものである。身勝手な奴である私。

けっけっけ。

 

夕方、無事にシンポジウムが終わった。何も起きなくて本当に良かった。

って、ハプニングが起こらなくて当たり前なんだけどね。

主催の先生を囲んで、お茶を飲みながら一息つく。

先生、お疲れさまでした。

 

スタッフでも、何でも、こうやっていろいろな人の話が聞けて、得られるものがあったと思う。やっぱり異文化コミュニケーションっちゅうのは大事やね。とNOVAの宣伝のようなことをのたもうた。

 

きょう工事が行われている院生室にちょいっと顔を出してみる。

後輩がいたが、まだ工事中なので何もできない状態らしい。

仕方ないので帰るというから、一緒に帰った。

私の機械音痴による、コンピューターを始め各機器を壊しまくった極悪非道ぶりの話をして大笑い。

復学して、共有機器を壊したらごめんなさいと先に謝っておく。

だって、経験上あり得る話なんだもん。まじでやばいです。覚悟しておいてくれ。

 

3月11日

昨日の唯一の休みだった日曜日まで両親に拘束されそうになったのを振り切って、昨日はゆっくりとした時間がやっと送れた。気楽な自分の時間。嬉しかった。贅沢な時間。ハッピー!

 

今日はシンポジウム。

私の担当は受付。懇親会費とか集めないといけないので結構気を遣う。お金が足りなくなるといけないからね。しかし、来て下さる先生方の顔も知らずに受付するのは、結構度胸のいることである。来た人にいきなり「失礼ですが、お名前は・・・」と始まるのであるから。

このシンポジウムは、3年間の共同研究会の総締めとなって行われているものである。だから、共同研究に参加していれば、先生の顔をお互いが知っていて当然なのであるが、私は残念ながら、一度も参加しなかったのである。(先生、ごめんなさい。)

来る先生も、当然事情が分かっているものと思ってはるやろうに、突然名前から聞かれるのだから、気を悪くされたかもしれない。申し訳ない。

全部で20人ぐらいのミニ・シンポだった。

今回の楽しみは、ゲストに漫画家であり、精華大学の教授であられる「竹宮恵子」さんがいらっしゃること。「風と木の詩」をはじめ、随分愛読してきた作家に会えるなんて、ちょっとどきどきしていた。あー、サインもらっておけば良かった。

知的で美人という噂が飛んでいたのだが、非常に人当たりのいい素敵な人だった。

発表も興味深く聞かせていただきたかったのだが、休憩室の片付けと、懇親会の準備などで席を頓挫しなくてはならず、半分しかお話が聞けなくて残念だった。

発表後のディスカッションを聞いていると、随分面白い話をなされたことと推察する。

くー、残念。でもスタッフだから仕方ないか。

懇親会でもお話ししたかったのだが、竹宮先生の周りには人がたかっているために、お近づきにもなれなかった。ぶふー。

懇親会では、先生方にビールをついだり、お話相手をさせて頂いたり、お食事をお勧めしたりと結構大変。皆さんが帰られたあとに、残された料理に手をつけ、閑散としたホールの中で、スタッフ一同息をつく。あとは、片付けをして、今日1日が終わった。

皆さんお疲れさまでした。

帰ろうと院生室に荷物を取りに戻ると、なんと鍵がかけられて閉め出されてしまった。守衛さんのところに走って鍵を取りに行く。だけど「巡回中」で守衛さんがいない。がーん。

どうしよう!!とっさの思いつきで、守衛室に忍び込み、勝手に鍵をゲット。もう一人の院生の待つ扉の前までダッシュで帰る。守衛室と院生室って一番端同士なんだよね。

ぶーぶー文句を言いながら、荷物を取り、守衛室(玄関でもある)の前で、他のスタッフと落ち合う。

まだ帰ってきていない守衛室に再び忍び込み、鍵を元に返す。

冷や汗ものでした。守衛さん、ごめんなさい。(でも、帰りたかったの。)

車で桂駅まで送ってもらい、懇親会の残り物と飾っていたお花を手に帰途につく。

帰れば23時。

明日は10時30分始まりかあ。私は家が遠いので、10時集合にしてもらった。

ありがたい。でも疲れたなあ。

 

3月9日

今日は下川先生が「野守」の仕舞を舞うので是非とも見に行きたかったのだが、杖のお稽古が重なってしまい、あえなく断念。く、悔しい。

野守は昨年私が習った舞なので、是非見たかったのだ。

でも、杖のお稽古も楽しいので、まあいいか。

今日はまたまた手裏剣の稽古と全剣連の制定型の稽古。

最近古流ばっかりやっていたので、全剣連の制定型が新鮮。

2カ月ぶりぐらいに稽古にやってきた人もいたので、型の確認のために1本目から10本目までを、交代しながらやる。

でも、人に教えるのって大変。大体私のレベルで教えるのが間違っているような気がする。

しかし、他に人がいないので仕方ないか。

教えるとなると、自分の稽古にもなるので本当は非常によいことなのである。

一つ、一つの理合を確かめながら、手順を辿っていく。

これがなかなか難しい。

彼はとても身体の柔らかい人なので、私が教えるよりもずっとうまい。

身体の使い方ができているからだと思う。私は身体自体ができていないので、口では体捌きとか言っているけれど、全然実際には示してあげられないのが悔しい。

あー、早く身体が捌けるようになりたいなあ。

 

今日は荷物が多かったので、実家から車を借用していった。家に荷物を置いて、実家に車を返しにゆく。

返しに行くと夕方だったので、当然のように私の分まで夕食が用意されている。

なんでやねん。

余りにも、私が実家にいて当然のように振る舞われることに対して、これまで我慢してきた不服が表面化してくる。

どうしてこの人たちは子離れできないんだろう。自分たちはしているつもりなのかしら。家にも帰してもらえない状況に苛立ち、怒りが暴発しそうになる。

でも、ここで切れてもこの人たちには、私が何を不満に思っているか分からないだろう。

これまで、ずっと分からなかったのだから。分かった振りだけされても、神経が滅入るだけである。

折角充実していた1週間も週末でぶちこわしである。

話したくもないので、ワインに逃避する。だけどこんな調子で呑んでいても美味しくもない。しかし、逃げ場所が必要だ。

鬱屈する時間。虚しく流れるしょうもないTV番組の音。

私は願っていた、このまま狂ってしまうことを。

 

3月8日

今日も女学院にてアルバイト。今日は夕方に研究会があるので、映画はなし。

余りにも暇だったので、こっそりDVDを見る。毎日映画見てるなあ。

今日見たのは、今更だけど「アメリカン・ビューティー」と「あの頃ペニー・レインと」の2本。個人的には後者の方が面白かった。

音楽も良かったし。全く個人趣味の世界だけどね。

それにしても今日は暇だったなあ。前にも書いたけど、暇って疲れるのよねえ。

もちろん、何の制約もなしに暇だと、いろいろ好きなことができるし、全然疲れないけれど。あ、それって暇っていわないのかなあ。時間は大事です。本当に今週はバタバタして時間がないもんねえ。

でも、勤務時間中が暇、というのは疲れる。ずっとカウンターに座っていなきゃいけないし、いつ学生さんが来るか分からないから。やっぱり気が抜けない。

夕方からの研究会の資料にも目を通す。

いろいろな先生方の書いたものが読めて嬉しい。参考になります。

でも、あるテーマのもとに分野の違う、そしてみんながそれなりの手法を持っているなかで書いていくのって難しい問題だと思う。それぞれのトーンが出るのをどこまで共有し、どこまで差異を出すのか。個人作業だとそんなこと気にせずに書けるから。

日文研に通わせていただくようになってから、一つのテーマのもとに様々な分野の人が発表するのを聞くいい機会がたくさんできた。それぞれの切り込み方があって、非常に参考になる。あとは自分がどの視点で書いていくかが問題。これが難しいんだけれども。

私はどちらかというと、せっかくの機会が未消化になって、逆にボロボロになってしまった方。ちゃんと土台ができていないからこういうことになるんだよな。

うまく取り入れて、自分の中を豊かにできたらいいんだけど、なかなかこれができない。

翻弄されてしまうっていうか、引きずられてしまうっていうか。

だから、今日みたいな小規模な研究会だと、発言もしやすいし、何が問題となるかということが、身近に聞けるからありがたい。

私は読んでいて何の違和感も感じず、ふむふむとスーッと読んだ文章が、結構指摘されていたりするのを見ると、はあ、そんな考え方があったのかと逆に勉強になる。

今日も1日充実した時間が送れた。個人的な作業は進んでいないけれども、新たなる視点が生まれることで豊かになれたかな、と勝手に思いこむ。

思いこみの激しい人生。影響されやすい単純な馬鹿。

 

3月7日

今日は女学院にてアルバイト。

相変わらずお客さんは少ないが、コンスタントに人が来たって感じ。

早速新着ソフトが出る。

みんなチェックが早いなあ。

でもそれだけ利用されている機関なのよね。いい傾向でしょう。

今日は映画の時間がいつもより遅い。20時40分である。

バイトが終わるのが17時だから、間に久しぶりにNOVAを入れておいた。

1カ月以上休んでいる。

 

フランス語の方は言葉が出てこなくってボロボロ。ちゃんと周期的通わないかんなあ。

英語の方は、最初はヒアリングに多少問題あり。「リピートして」っていわれるんだけど、その肝心なセンテンスがちゃんと聞こえていない。情けなあ。二つの目のレッスンは、教材を使用せず、ずっと映画の話をしていた。

日本映画を研究しています、っていうとみんな声をそろえて「Akira Kurosawa?」って聞かれる。いや、黒澤明ももちろん無視できないので扱っていますけど、私はどちらかというとプログラム・ピクチャーの方がメインかなあ。B級といわれようとも、みていてたのしいんやもん。

でもやはり世界的に代表されるのは、黒澤なんでしょう。あとはアニメかな。思ったよりも北野武の名は出てこない。まだまだ今の人だからかしら。

彼は結構黒澤のファンだったらしく、私が黒澤の後期の作品は好きじゃないというと、なぜ?Why?と説明を求められる。だってストーリーとかも、初期の方がわくわくして楽しかったし。だけどbeautifulでとても印象的だよ。と反論される。

確かに、映像の美しさは否定しない。偉大な監督だということも否定しない。個人的には、初期の方が好きというだけ。『夢』なんか良かったよ。といわれてもねえ。私は『夢』はあまり好きじゃないなあ。『まあだだよ』は見ていないけどどうなの?と聞かれ、個人的に内田百間(本当はこの字じゃないけど)が好きだし、彼の作品も読んでいるので、あの作品は結構楽しめたけど、作家を知らなかったらどうなのかなあ。もしかしたら面白くないかもしれないと説明。そこから話が飛んでリメイクの話に。

私は『荒野の七人』が好き。というと、『荒野の用心棒』の方が傑作だよ、とまたまた意見合わず。そんなこんなで話をしていると、あっという間にレッスン時間終了。

結構自分の好きな話題だと、詰まりながらも話せるものなのね、と実感。

でも、ちゃんと語学ができるようになりたいなあ。

 

実は、この日はお腹が全然空かなくて、昨日の腹痛の件もあったし、極端だけれども朝から何も食べていなかった。食べたくなかったし。しかし、20時を過ぎるとさすがに少し空腹感を感じたので、持ち歩いていたリンゴをかじりながら梅田の町を映画館へと歩く。結構人が振り返っていたので、異様な光景だったのかしら。でもハンバーガーやお菓子を食べながら歩いている人は結構いるのに。リンゴは何故不思議なの?それこそWhy?

到着して会場に入ってみると結構満員。(全部で30人弱ぐらいのキャパかな。)

でも女性はいない。えっと思っていると、ぎりぎりに一人来た。

全然時代劇ブーム再来じゃないやん。寂しいなあ。

今日は『児雷也』。今日も片岡千恵蔵。監督も昨日に引き続きマキノ雅弘。

これまでの作品とはうって変わって、驚くほど歌舞伎調の科白回しに、稚拙なトリック撮影。よほどの低予算で撮ったのね。このころになると日本映画の水準も結構上がってきているはずなのに。なんか大笑いをしてみてしまった。だって、牧野省三(マキノ雅弘の父)時代の児雷也とほとんど作品の質がかわらないんだもん。あれは大正か昭和初期の作品だったし・・・まあ、ちょっとは進歩しているか、さすがに。カット数が違うからね。

あー、楽しかった。

 

3月6日

今朝はたん熊さんにお稽古に行くはずだったのだが・・・

腹痛がひどくて、家を出られなかった。

毎晩不規則に、しかも夜遅くに夕食食べているせいかなあ。

疲れも溜まっているのかもしれない。

あえなく、ダウン。引きこもり?

いやいや引きこもっている場合ではないのだ。たん熊は諦めて、お腹が落ち着いてきたので日文研にバイトに出かける。

本来の仕事は置いておいて、今日は来週に開かれるシンポジウムのお手伝い。

というのも、今週は日文研に来るのが、今日で最後だから。

シンポジウムは来週の月と火の2日にわたって開催される。お手伝いをさせてもらっている先生が主催なので、もちろん当日は働かなくてはならない。

そのために、月曜日と金曜日のバイトを交代してもらったのである。

なんだかんだといって、結局残業。

慌ててバスに乗り、梅田へ直行。映画館まで走る、走る。

ぎりぎり映画に間に合った。ほっ。

 

今日は『清水港代参道中』(続・清水港)である。

代参道中といえば、森の石松。片岡千恵蔵が演じている。

そして、映画中にもかの有名な浪曲師、広沢虎蔵が出演していて絶えず浪花節を聴かせてくれる。浪花節も捨てたもんじゃない。日本語がこんな綺麗な音声であるのかと、思わず聞きほれる。日本語のリズムっていいねえ。

今日のお客さんはっと、見回すとやはりほとんどが中年男性。私を入れて女性は2人ぐらい。(店の手伝いの子は除いているけど)。

なーんだ。初日のあの勢いはどこへ行ったのかなあ。しょぼん。

 

3月5日

朝から日文研にて働く、働く。あくせく。

夕方に仕事を終え、院生室の片付けをする。

院生室の机にパーテーションを取りつける作業が、来週行われるからだ。それまでに机の上を全部のけておかなければならない。引き出しや、本棚に物を移す。

バスの時間が来たので、慌てて院生室を後にして、帰る。帰るって言っても映画を見に行くんだけど。

今日は河原町である。映画の日なので今日見に行くことにした。だって映画料金って高いんだもん。絶対日本は映画が高すぎると思う。だから観客動員数が減るんだよ。

もっと入場料を下げたら、映画見に行く人も増えると思うんだけどな。

甘いかな、こんな考え。だけど外国から来た人が一様に「映画が高い」という発言など聞くと、やはり実感してそう思ってしまう。

昨日、女性観客が多かったので、期待していったのだが、全然だった。

映画館自体もがらがらだったが、来ている客の半分が中年男性。後は男の子。女の子で来ているのは、カップルで見に来ていた2組ぐらい。後はおばさんが一人と私。(あ、私もおばさんか。)

時代劇ブーム再来か、と勝手に思いこんでいたのは私だけのようである。

虚しい。

 

映画自体は、岡本喜八節の軽快なストーリー。と言っても岡本喜八を知らないか。

身体の遣い方で言うと、全然ダメ。着物も着こなせていないし。だけどこの作品で感動したのは、一人で妄想して殺陣をやるシーン。相手がいないので、がむしゃらに刀を振り回しているだけなのだが、まるで遣い手のように見せるテクニックが憎い。また、軽快に流れるBGMの効果は大きい。映画音楽って大事よね。

仲代達矢が少しだけ出てくるのだが、彼はさすがに時代劇映画を何本もこなしてきただけある。腰が据わって、歩く姿も微妙にナンバになっている。だから、刀がふらふらしない。

存在感も大きい。真田広之には悪いけど。経験からか、根本的な身のこなしからか、どうしてもね。

あまり期待せずに見に行っていたので、逆に案外楽しめた。

でも、まあこうして時代劇映画が製作され続けているのは嬉しい。

 

夜はお腹も空いたので、カフェ・オパールへ。結構久しぶりである。

義姉がいたので、少しばかり話をして夕食を取る。映画が終わってから言ったので、あっという間に23時を過ぎていた。慌てて家に帰ることに。

今日は、やっと原稿の抜き刷りと紀要論文が出来上がってきたので、大荷物。

でも活字になると嬉しいな。

昼から降り出した雨にもめげず、今日も1日無事に終了。疲れた〜。

 

 

3月4日

さあ、忙しい一週間の始まりである。

今週はなんで忙しいのかというと「時代劇ウィーク」だからである。

小さな自主上映の劇場で、1930年代の時代劇を集中的に上映するのである。7本中4本は見ていない作品。これは逃せないでしょう。ビデオにもならないし。

全部夜の上映である。なのでバイトが終わってからでも間に合う。

今日の女学院のバイトは暇だった。

昨日からの疲れが、暇すぎるなか噴出してくる。つ、つらい。

今日の学生さんはたったの二人。

バイトが終わったら、片付けをして、梅田へといそいそ出かける。この劇場にはすごく久しぶりにくる。以前はよく通っていたんだけれども、体調崩して以来、面倒くさくなってあまり来なくなった。

場所は堂山。元バイト先の店と目と鼻の先である。

だから、あまりうろうろしたくないのだ。常連さんに会うのが嫌だから。

でもまあ、バイト止めてから4年近くなるし、もう大丈夫だとは思うけれど。

バイト先ではいい目にもあったが、嫌な目にもあった。ホステスとまでいわないが、飲み屋で常連が9割近い店である。バイト料はよかった。夜のお仕事には違いない。

常連さんがご贔屓の女の子ができると、もちろん入れあげて酒をどんどん飲ませてくれる。もちろん店の売り上げにつながるから、マスターはご機嫌だ。

私もお金もらっているんだからと割り切って、ご愛想振りまいていたら、勘違いされてしまったことがある。夜中まで一緒に呑むと家の近く(家は怖いから教えない)までタクシーで送ってくれたりする。まるでホステスである。

勘違いした客におかげで何度か怖い目にあった。ホステスの皆さんはこういう時どう対処してるんだろう。私はしばらく裏の料理の仕事に入ったりして、表のカウンターに出るのを止めたりして、逃げていたのだが・・・

それはさておき、時代劇である。

以前ここの劇場で時代劇を見に来ていたときは、客の大半が男性で年齢層も高かった。

それが今回驚いたことに、客の大半が若い女性である。

ん?時代劇ブーム到来か。

カフェでも何でも、元気がいいのは女性だと思う昨今。こ、これは見逃せない現象か?

だといいなあ。

明日は今ロードショー中の時代劇映画、「助太刀屋助六」である。

新旧の時代劇が比較できるのにいい機会だ。

でも、その前に日文研ではたらかなくっちゃ。先週お休みしちゃったからなあ。

 

3月3日

雛祭り。

昨日お雛様出してあげてよかったと思う。

明け方まで起きていたので、昼近くまで寝ていた。薬を飲んだのが遅かったせいもある。

後、何回か起きたんだけど、面倒くさくて転がっていたのも事実である。

考えてみたら先週から休みなしである。温泉が休みにならないところが辛い。

今週も休みなしである。

今日が唯一の予定表真っ白の日。と思っていたら大間違い。

昨日御馳走してもらった礼と有馬温泉の礼を兼ねて祖父母の家に同行せよとのこと。別に嫌だったらいいけれども、と言われる。そんな風に言われちゃあ嫌とは言えないでしょう。

まあ、伯父が来ているので私は何もせずに読書していたらいいんだけど・・・

はあ、良い孫は疲れる。

疲れが溜まって、読書をしながら、うたた寝をする。よし、いい傾向だ。これで夜も眠れるようになればしめたものである。(昼真っからビールを飲んだせいもあるんだけど。)

しかし、これが災いしてか、6時になっても麻雀が終わらず、母は私に夕食の買い物を言いつけ、先に買い物をして実家で父の食事の用意をせよというのである。

なんでやねん。

祖父母には悪いが途端に機嫌が悪くなった。どうしてほっておいてくれないんだろう。

何のために家を出たのかこれじゃあ分からない。

しかし、祖父母や伯父の手前もあるし、祖母に「なおちゃん、悪いねえ」など言われてしまえば、断ることもできない小心者の私。

はあ。なんか無性に腹が立ってきたので、どうせ実家でつきあいするのなら好き放題してやれと思い、お気に入りのケーキ屋で雛祭りケーキを買い、買い物をする。もちろん自分の家に持って帰りたいものもどんどん買う。支払い前になると、麻雀が終わって自転車で駆け付けた母がやってきて、支払いだけしてもらう。

慌てていはるので「先に帰ってるわ」と自転車をとばして帰るのを尻目に、だらだら歩いて帰る。

帰ってきたら、持って帰ろうと思っていた野菜を思いっきり使われている。

「あ、それ持って帰ろうと思っていたのに」と思わず大人げなく声を発してしまった。

しかし、もう後の祭り。がっかり。

しゃあないので、次にお風呂を沸かし、夕飯の手伝いが終わったら、沸いたお風呂に先にはいる。すなわち夕食の席に一緒に着くことを拒否したのだ。

お風呂から上がって既に始まっている夕食の席に着くにはついたが、私は先に買ってきたケーキを切り分けて自分の席に持ってくる。だって食べたかったんだもん。

ワインをあけて、ケーキとチーズ。ふふ、幸せ。(体に悪そうだけど。)

それから漸く食卓にあるものに箸をつける。もちろん自分の食べたいものだけに。(と言っても私は好き嫌いのない人なので偏食することは余りないんだけど)。使われてしまった野菜などを中心に食べる。

酔っぱらって寝てしまった母を尻目に、さっさと食卓を片付けて、洗い物をすませ、コンピューターをひろげてこうして日記を書いている。

父は明日早いのでさっさと寝てしまった。

メールもインターネットもやり放題。せこいなあ。

ま、お付き合い料としてこれぐらいかわいいものよ。(私って結構悪魔・・・)

 

3月2日

今日から、先生なしの杖道稽古日の開始である。

しかし、卒業旅行やら決算期やら移動やらで、皆さん忙しくて人数も少ない。

ちょっと寂しいなあ。

今日の練習メニュウは、手裏剣と杖術である。

手裏剣はやり出すと結構はまって止められない。身体の力を抜かないとできないので、非常に基本的ないい稽古になると思う。

後半は、古流の稽古。2月に先生から再度教えてもらい、細かい注意点も言われていたのであるから、忘れないうちにおさらいをする。

あっという間に時間が経って終わりの時間となった。

 

夕食はお付き合いで寿司屋に行くことに。

呉春を1杯呑んで、後はワインを飲む。寿司屋にワインも変だが、私が好きなので、マスターが時々置いておいてくれる。私はこの寿司屋のマスターに大変可愛がられている。子供が息子だけなので、私は娘代わりになっているのだ。なのでたいていのわがままも聞いてもらえるから、ありがたい。

今日は祖父母も一緒である。

祖父が元気でいてくれることはありがたい。今日は祖父母共によく食べていたので、元気な証拠と安心する。

帰りは実家に行く羽目に。というのもお雛様を出すためだ。(関西は旧暦を使うので、お雛様は4月3日まで出しておく。)

実はこれは私の失態であった。私は人形というものが怖い。怨念がこもりそうだからである。小さい頃から人形は苦手だった。なので雛人形をずっと押入に入れっぱなしにしていると恨まれそうで怖かったのである。それで何気なく母に「今年はお雛さん出した?」と聞いてしまったのが間違いのもとだった。

「あんたが来ないと一人ではようだせんから、手伝いに来なさい。あのお雛様はあんたのものやねんからね」と言われてしまった。くっ、しまった。

しかし、去年も一昨年も出していないみたいだし、やはり人形が怖くて、出してあげて風を通してあげることにした。

うちの実家に置いてあるお雛様は、私が3つの時にもう亡くなった父方の祖母が買うてくれたものである。数えで3つだから、今年で30年になる。

七段の立派なお雛様である。祖母は風習を大事にしていた。有名な人形師というわけではないだろうが、久しぶりに出しても全然痛んでいない。リアルである。(これが怖い。)

片付けもしてたらすっかり時間が遅くなり、当然のように泊まっていくことになっている。なんでやねん。家近いやん。

仕方ないのでリビングで寝ることにした。

母が寝て一人遅くまで本を読んでいる。寝たのは真夜中。落ち着かないなあ。

 

3月1日

今日は日文研に行く予定だったのだが、急遽予定変更。

今日は杖道の師匠のお引っ越し日だったのである。

いつ辞令がでてもおかしくないと言い続けてはったものの、やはり本当に出るまでは実感が湧かない。2月になって急に辞令が出たのである。

それからは、今まで不真面目であったというわけではないが、尚一層稽古に顔を出した。指導も受けられるのも今のうちかと思ってきた。思ってきたのだが、やはり実感が湧かない。

あまり邪魔になっても何だしと思いながら、11時頃に行くと、既に引っ越し業者が積み荷を積み込んだところであった。がらんとした部屋の中で、先生とご家族の方々に挨拶をする。何の役にも立たず、邪魔しに行ったみたいだなあ。

昨日みたいに雨ではなくてよかった。今日は気温も暖かいし。

でもまだなんか実感が湧かないなあ。こうやって目の前に先生がいはるんやし。

弟子が何人か馳せ参じていた。そういえば「はせさんじ」というタレントが昔いたなあ。今はどうしているんだろう。

そんなことはどうでもいい。最後の晩餐ではないけれど、昼食を一緒に食べに行く。

じわじわと忍び寄る寂寥感。やはりそばにいた人が遠くへ行ってしまうのは悲しい。

転勤先は福岡。海外に行くわけではないから、それなりに近いのかもしれないが、今迄みたいに稽古に来てもらうわけにはいかない。やはり先生に甘えていたのかなあ。

転勤覚悟で始めた会も、当初からいろいろ変遷を辿り、今の状態になった。3年間にこんなに物事って変わるのだろうか。ちょっと困惑。

3月は就職する人、転勤する人などができて別れの季節なのかもしれない。でも、その分新たな出逢いの季節にでもなるだろう。(そう思わなきゃ、寂しいだけだし。)

いろいろな思い出が頭の中を走馬燈のように駆けめぐる。

私は個人的にも、先生にいろいろとお世話になったし、ご迷惑をかけてきた。

全然上達できないし、先生としては歯がゆい弟子であったと思う。

ちぃっとも言うこときかへんからね。でも別に故意であったのではなく、できないのであるから仕方がない。

身体運用を操るのは難しいことである。とりわけ身体の曲がった力の入った私みたいなのは、まず自然体に戻るまでが大変なのである。

とうとう何一つ満足にできぬまま、しばらく先生の指導が受けられない状態になってしまった。この先の不安は隠しきれない。だが、仕方あるまい。

これからは自分たちの精進で稽古をしていかなければならないのだから。

16時頃に先生ご一家をタクシーで見送って、お別れとなった。

寂しいけれど実感もまだちゃんとなくて、変な気分がした。

 

2月28日

昨日、研究会後の懇親会で、映画に誘われた。

「地獄の黙示録」である。私はこの映画が見たくて見たくて年末の宣伝の時点から大騒ぎしていた。しかし、なんやかんや言って、結局今まで見ずに終わった。

しかも明日で終わりの映画である。それは食いつきますわなあ。

しかも只券だというのである。ラッキー。

 

朝からバイトに行き、17時には帰ろうと思う。三宮で18時からだ。

門戸厄神から間に合うだろうか。17時ジャストででようと思ったら、大誤算。

職員さんは午前で早退。嘱託の方は16時で早退。結局私が最後の戸締まり。

えーっと思いながら、17時に閉室して、慌てて片付けて、三宮にダッシュ。

おかげで間に合いました。

 

何年ぶりに見るだろう。「地獄の黙示録」。確か前に見たのは中学生ぐらいだったような。

全然記憶がなくなっているだろうと思って、見ていると、全く新鮮に感じられた部分があった。見終わって聞くと、そこは今回追加されたとこだった。

どおりで記憶がないわなあ。覚えてないようで結構覚えていたのかな。

とにかくドアーズの曲がひさしぶりにずっしりきこえてきた。

映画音楽って重要よなあ。

 

それにしてもアメリカっていう国は、本当に戦争映画の好きな国だと思う。

しかし、最近作られている戦争映画よりは、「地獄の黙示録」の方が、えぐみがない。

確かに、残酷なシーンは出てくるが、映像が綺麗なのである。

戦地となっているジャングルと言った自然が非常に綺麗に見えた。しかし、それは反戦といったメッセージや、戦争の恐ろしさやそういった側面を覆い隠してしまうのではないだろうか。

そしてドアーズの曲で始まり、クライマックスを迎えたシーン。暗闇にうごめいて明らかには映さない手法。これって、後の黒澤が「影武者」で使っていたのと同じ手法?あれ、どっちが先に製作されたのだろう。とにかく、闘いや殺人の場を直接的に、視覚的に明確には見せないのだ。想像力に訴える迫力。しかし、想像貧困な人たちにとってはどういう風に見えるのだろう。だって今製作される映画は、暴力的なシーンがもっと視覚的であり、えぐいように思われる。

あと、ワグナーのワルキューレにのった空爆の数々。軍歌が国民を戦争へと駆り立てるように利用されていたように、ワルキューレもまた戦意へと駆り立てるように利用されている。

まだ、今回追加されたシーンがどこなのかちゃんと分かっていないが、2カ所は教えてもらった。フランス人たちが出てきて戦争について語るアメリカ批判。そして、燃料と交換にプレイボーイのグラビアに出てくる女の子と寝るシーン。

前者は明らかに反戦の意が見られるのであるから、当時カットされたのはよく分かるような気がする。後者は、戦争で心身がいやされない男の欲望のはけ口、これは従軍慰安婦と何の変わりもないのではないだろうか。

なんだかんだと言っても、これが戦場の現実だとでも言いたげである。

マーロン・ブランドが繰り返す。自問自答の言葉。これは心理的に戦争について考えさせられるようによくできていると思う。また、究極の場において正常と異常を問う問題でもある。それだけではない。権力構造というものがどうして発し、どのように機能しているのかも見えてくる。絶対的な権力を掌握し、大勢の人々を煽動することには、ある種理不尽さが必要なのだということが、そこにはハッキリと描き出されている。それは、フランス人の口を通して語られた、アメリカ政府の権力構造と類似している。

もちろん、私たちの日常にも同じことが起こっているのだが。

マーロン・ブランドは何故殺されたのだろう。もしかしたら死を手に入れることで彼は永遠を手に入れたのかもしれない。手に入れて消滅してしまうものが、真なるものであり、彼が神としてあの一帯を統治しているのなら、そこは真空地帯でなくてはならないのではないか。彼は狂っていたのか。そうとは思わない。何故彼は自らを殺しに来たものを自由にしたのか。いずれ来る死よりも、早く自分を喪失したかったのか。

それは、映画を見ている観客によってそれぞれの答えが出されるだろう。私には彼の死は、象徴であったような気がする。そして彼は狂ってもいなかったのだと。

マーロン・ブランドは名演技を披露した映画の一つと言っていいだろう。

私は2度目にもかかわらず、思わず映画に引き込まれてしまったのだから。

さっきも書いたが、最近の戦争映画(に限らず映画一般かな)との違いは、あるシーン、シーンを最後まで描ききらないことである。次のあれはどうなってしまうのだろうという想像力に任されている。それはラストシーンにおいても同じである。常に余韻というものが伴い、次どうなるのと思うところで別のシーンへと映画が運ばれていく。

普通なら、主人公に投影し、同一化を図りながら見ていくのだろうけれども、この映画に関しては、同一化したところでいつ死が来るかもしれないといったある種不安定さがつきまとう。3時間半ぐらいあったこの長い映画を、そこまで長いと感じさせない面白さは、もしかしたらこの不安定さにあるのかもしれない。

もちろんこれは私の主観的な物語でしかないのだけれども。

でっかいスクリーンで見ることができて、本当に幸せである。この映画はTVやビデオで見ると、全く違うものに見えるだろう。長い分集中力に欠けそうだし。

戦争映画には、欺瞞や偽善、無理な正当化などが全面的に押し出されてきているものが多いと思っていたが、今回は改めて考えさせられた。

戦争映画は何を語っているのか。どうしてアメリカという国は、繰り返し繰り返し、戦争映画を製作し続けていくのかと。

 

2月最後の夜は充実したものになった。連れていって下さった先生に感謝。

しばらくドアーズは聞けないかな。映画が夢となって出てきそう。

さあ、明日からは3月。仕切り直しをせな。

 

2月27日

昨日から有馬温泉に行っていた。一泊二日である。

もちろん一人でいける余裕(金銭的)なんてないので、祖父母のお供である。

しかし、有馬に行ってもすることは麻雀。

伯母と母が同行していたので、その四人に任せて、私は一人で温泉。

疲れた身体をいやして、到着するなり一人でお湯に行く。

おお、気がついたら、大浴場を一人で占領しているではないか。幸せ。

文庫本を持ち込んで、ゆっくり露天風呂につかりながら、読書の時間。

静かで、気持ちよくって幸せですなあ。ほっほっほ。

一時間ほどサウナやジェットバスやらも体験して過ごした後、風呂を出るとホテルの人が一言。

「そこで、プリンのサービスしてますし、只ですし召し上がって下さい」。

美人風呂を出ると、美人によるデザートサービス。別に美人じゃなくてもいいんだけど・・・

ほこっと温まった体に、冷たいお茶とプリン。ええですなあ。

部屋に帰ると、麻雀を続ける四人に、「どこ行ってたの。心配したわよ」と叱られる。

ちょっと長湯しすぎたんかなあ。すんません。

本の続きを読みながら夕食を待つ。わたしとしては、もう一度お湯に行きたかったんだけど。麻雀はおわらんし、一人でまた行くって言うとなんか言われそうやし・・・

ちょっと窮屈。

お夕食が始まって、豪華なお食事を頂く。ふー、お腹いっぱい。

食べ終わったので、祖母と一緒に湯に浸かりにゆく。

マッサージを10時に頼んでいるために、それまでに帰ってこなくちゃ。

10時前に一緒に帰ってくると、もうすでにマッサージは始まっている。

温泉後のビールを一杯一緒に呑みながら、祖母とマッサージの交代を待つ。

さて、私の順番。だけどこれが痛くて痛くて仕方ない。

もしかしてこの人めっちゃ下手なんちゃうん。全然気持ちようあらへん。

まるで拷問のようで、「痛い、痛い」と発すると、全然きいてへん。お構いなしにぎゅうぎゅうと押してくるけど、全然ツボって感じせえへん。痛いだけやんけ。

マッサージが終わると、祖父がお風呂に入ったのを確認して、祖母を置いて、またお湯に。

 

翌日、もちろん朝湯につかる。露天風呂。朝のさわやかさの中、気持ちいい。

だけど、その後、湯あたりしたみたいで、身体が異常に疲れている。

今から研究会なんだけど、大丈夫かなあ。

案の定、疲れて疲れて仕方ない。

それでも何とか参加して、懇親会まで参加。

そんなことでええんかいな。まあ、ええか。

さすがに、今日1日は疲れてしまった。ぶふー。

 

2月25日

修士論文の発表会があったのだが、バイトと重なっていけなかった。

せめてものと思い、差し入れを用意していたのだが、間に合わず、打ち上げの店に顔を出してみたらみんないた。会えてよかった。

久しぶりに後輩たちと話をする。

なんか、いい刺激になるよなあ。

相変わらず一人でがんがん酒呑んで、話をしていた。困った人である。

いい気分で家に帰ってきたら、家の前が大火事で大変な事態になっている。

駅に降り立った途端、きな臭くて、煙がもうもうと上がり、強力な電灯が火事現場を照らし出し、放水車からは水が放たれ、まだ火の手がごうごうあがっている。

一瞬家に帰られないかと思った。

でも近くまで行ってみると、伊丹線が走っているのだが、ちょうど対岸の火事だった。

うちのマンションは全然無事。

よかったけれど、木材が焼けて炭になって照らされた照明にさらされ、火事のすさまじさを物語る。伊丹線は当然のように不通となっている。

だって、消防団が線路にまたがって消火活動しているのだから。

多くの人の足をとめているんだろうなあ。一体何時頃に火事が発生したんだろう。

もう家にたどり着いてから2時間たつが、まだ外は車の音と拡声器で何か指示されている声が飛び交って落ち着きがない。

友達からは、「火事は大丈夫」と心配の連絡が入ってくる。

大丈夫です。心配してくれてありがとう。すごく嬉しいなあ。

焼けたのは、材木屋の辺り。材木屋だけに材木に火がついて手がつけられない。

乾燥期だし、燃えて燃えて仕方なかったのだろう。

一番凄まじいときに家にいなかったので、鎮火しつつある惨状を見て想像してみるしかないが、相当なものだと思う。だって未だに火の手が見えるんだし。

なんか人ごとだから呑気に書いているけれど、自分だっていつ起こすか分からない。

そう思うと火事は怖いと本当に実感した。

外はまだ照明車の明かりでこうこうと明るく照らし出されている。

いつになったら落ち着くのかなあ。

 

2月24日

今日は、下川正謡会の新年会。朝からてんてこ舞いだ。

今日は例年に比べて、バタバタしてミスが多い。みんなどうしたんだろう。

って、私も謡の節を間違えた。ごめんなさい。

舞の方も間違えたのだが、一つは先生がちょうど見ていなかったので指摘されずにすんだ。おー、こわ。ひやひやものだったが、「大分、大人の舞が出来るようになりましたね」とお褒めの言葉を頂き、ラッキー。ごめんなさい、実は思いっきり間違えていました。

終わったら、母にすかさず指摘されて「あんた、わかってんの?」というから「いや、なんでおこらへんかったんやろうって思ってた」と自覚症状があることを言う。だって、間違えたとき、顔に出たもん。だけどビデオ取られているから、どっちにしろばれるわ。

今日は1日本当に長い会だった。

すっかり疲れてしまい、おまけに父の面倒まで見なくてはならず、おかしくなってしまった。なんかやけっぱちとでも言いましょうか。

まあ、ずっとおかしいんやけども。ぷー。

 

2月22日

今日は朝からたん熊さんでお料理教室。

桃の節句のお料理。風情ですなあ。

でもなんか疲れてきている私がいる。

ちょっとハイテンションできすぎたかなあ。そんな感じ。

料理教室後は、銀行によって、診察へ。

結構空いていてラッキー。すぐに診察してもらえた。

最近おかしくなってきていることなどべらべら喋り出す。しゃべり出すと止まらない。

先生は遮りたがっているのは分かるのだが、隙を与えずいろいろと辻褄なく話し続ける。

やっぱりおかしい。

しかし、相手もプロだ。一瞬のすきをついて私のしゃべりを遮り、意見して下さる。

こんな興奮状態で、泣きながら話し続けることは余りないことだから、おかしいのは誰の目にも明らかだろう。

いろいろ説得されて、とりあえず眠れて、食べられるのなら今のまま薬も変えずに様子を見ましょうということで話が落ち着く。

うまく丸め込まれてしまった気分。これって不信感。あかんあかん。

こういう治療って信頼関係でしかなりたたんのやから。

あー、こういう自分が一番嫌だ。嘔吐感。うげー。げぼぼ。

帰ってから、まだ時間が早かったので、郵便局など支払いに行く。ビンボー。

生活必需品など買うて家に帰ろうとしたら、祖母に会った。

「今日は夕飯家に来る?」と言われてしまい、現にここに私がいるのだから、いけないわけがない。しかし夜にはカイロプラティックの予約を入れているので、「じゃあ、カイロプラティックの予約があるので、バタバタしますが、それでよろしければ」と返事する。

「なんにもないけど、ひさしぶりだしいらっしゃい」と言われて、ひくにひけず了解する。

会うと弱いんだなあ。今週は一度も行っていなかったんだけど、ちょっとは行かないのになれてもらおうと思っていたのだが、貫徹ならず。気弱い私。とほほ。

でも、孝行だと思うといいかあ。

 

カイロプラティックでは、「大分まともになってきましたねえ」と言われて嬉しい。自分では結構無理な体勢と思っていたのが、「これでまっすぐですよ」と言われてしまい、結構ショック。そんなに私の身体って曲がっていたのか。まあ、30年かけてねじ曲げてきたんだから、そんなに簡単にはなおらんわなあ。はあ。

 

2月21日

今日は女学院にてバイト。

ところが、今日はもう暇で暇で仕方ない。午前中は利用者ゼロ。

午後に漸く2人来ただけ。暇すぎるのって疲れるのよねえ。

カウンターには座っておかないといけないし。

 

話は変わるが、今のバイト先であるAVライブラリーでは、学生に見せるのが衛生上よくないとされるものは、たとえ所有していても、学生さんの検索には出てこないように出来ている。直接もの(ソフト)を見せて選ばせているわけではないので、学生さんにとったら、そのソフトは存在しないことになる。でもまあ、TSUTAYAでもどこでも行けば、好きなソフトが借りられるのだから、別にライブラリーにて只で見る必要もないのだけれど。

どういう基準でこれが定められているかは、不明である。職員さんが決めているのだが、単なるアルバイトの私には関係ないことであるからだ。

あまりに暇だったので、何が今閲覧中止になっているのか見てみた。余計なことをしたものである。

セックス・シーンが過剰なもの、暴力シーンが過剰なものなどが対象となっているらしい。しかし、検索でひっかかってきたのは、なんと「今村昌平作品集」のLD全部だった。彼が1950年代から60年代にかけて製作した、社会風刺の強い代表作品ばかりである。別にセックス・シーンが多いわけでもなく、暴力シーンが過激なわけでもない。今のハリウッドの方がもっと大胆だ。

実はこのソフトは、日本映画の資料的価値を重んじて、私がある先生に頼み込んで購入してもらったものである。もちろん私も見ていない作品が多かったので、今日みたいな暇な日に、罪悪感を頂きつつも、しっかり見て感動したものである。(もちろん中には、題名はすごくよく聞いていたけれど、中身がいまいちでがっかりしたものもある。)

だからどの中身も知っている。将来的に日本映画史を研究したいという学生さんたちが出てきたときに、(出てこないかもしれないけど)絶対に必須資料だと思っていた。それだけに、これが閲覧不可にされていたのは、私にしてはショックだった。

けれどもそこはバイトの身。これからも職員さんと永らく付き合っていくためには、そんなしゃしゃり出たことはとてもじゃないけれど言えない。教職員は閲覧できるのだけれども、これらの映画が授業に使われるかどうかも分からないし、中にはリアル・タイムで見てきた先生方も多いだろう。ってことはお蔵入り?悲しいなあ。

でもまあ、もし閲覧できたとしても、今の学生には古い日本映画(彼女たちにとって、生まれる以前の作品は全部「古い」のである)をすすんで見る人はほとんどいないだろうけど。

どの作品が、学生にとって適切であり、不適切であるかなんて誰にも分からない。しかし、学校としてはどこかに査定のラインを引かなければならないのだろう。それがどういう基準のもとに行われるのか、そんな細かいことはハッキリ線引きできないはずである。そうなると、そこで働いている人々の何となく一致したラインが求められる。

在日の問題を扱ったりしていた今村昌平の作品は、ある意味過激といえるかもしれない。

それがひっかかったのであるのならば仕方がない。それが校風なのだから。

もし本当に見たいと思う学生が存在するならば、レンタルで借りるなり(って置いてるかなあ)、リバイバル上映の時にちゃんと見るだろう。そう思うしか今の私には出来ることはない。

誤解しないで頂きたいが、そういった検閲にひっかかった作品はほんのごく少数である。今回の今村昌平を除けば、2〜3本ぐらいなもんだから。

今のアルバイト環境でお互い気持ちよく働いていこうと思えば、譲り合うことも大切である。そのためには、頑張って学生さんのために働いて下さっている職員さんをたててあげることの方が先決になるのではなかろうか。だって、これは思いやりから来たことなのだから。

セクハラの問題にしても同じである。画一的にガイドラインを引くことは非常に困難なことである。人間は機械ではないのだから。物事を決めて行くには、どうしてもそこに権力関係が発すると私は思うし、それはある程度仕方のない問題だと思う。ある権利を主張したり、養護したりするには、必ず秩序が必要であり、その秩序を創り出すのが人間である以上、画一的なことを適用するのは難しい。しかし、なければそれでカオスとなる。社会生活は成り立たない。権力でも秩序でも呼び名はなんでも構わないが、集団社会が機能していくためには、どうしても不可欠な問題なんだろう。

今回私が体験したこともほんの一部であり、ミニチュア版なのかもしれない。

いろいろな人がおり、そこで組織が出来て、集団で行動するようになると起きる問題なのだ。それをぐだぐだ言っても仕方ないことだと思った。

 

夕方は謡の稽古。今度の日曜日に行われる内輪の「新年会」に向けての特訓だ。まずは謡のお稽古だったのだが、最近おさらいをさぼっていたのがもろに出て、低音が出ない。腹から力を出して謡っていなかったから、うまくその方法が出来ず、口(のどかな)で誤魔化して謡ってしまっているのである。だから低音から高音へと巧みに操れなくなる。

うーむ。ここしばらく稽古をさぼっているともろに出るなあ。

身体は正直である。

次は舞のお稽古。「大分しっとり舞えるようになりましたね」といわれるが、相変わらず細かい指摘箇所を何カ所もやり直しさせられる。難しい。ゆっくり動くのとしっとり舞うのとは訳が違う。しかしそれは具体的に理屈で説明できるものではない。身体が体得するしかないのである。先生の教え方も、「スーッと舞う」「リズムよく」「品よく」といったフレーズが多発されるのだが、それが具体的にどう動けというかは想像し、たまにお手本を舞って見せてくれる先生の身体に視線を集中し、その動き方を真似る以外道がない。ただ歩く、右手をあげるということだけでも、何通りの舞方があるのだ。それを曲の重みや趣向によって舞い分けていかなければならない。だからプロとアマがやれば、同じ形をしているようで全く違うものに見えてくる。

身体運用とは誠に奥が深いものであることを実感した。

早くうまく舞えるようになりたいものである。しかし、身体が覚えてくれないとね。

 

2月20日

今朝はいつも通り日文研に出勤。

最近会う先生方に「復学するんだって?大丈夫?」と聞かれてしまう。

うーむ。どういう意味だろう。それだけ心配して下さっていることかな。ありがたい。

他の院生にも、「○△先生が、小川さんの体調のこと心配してましたよ」とよく言われる。

復学が近づいてか、最近特に言われる気がするんだけど・・・気のせいかなあ。

まあね、私の場合、目にみえて激痩せしてしまったから。そりゃ不健康に見えるわなあ。

でも、休んでいても事態は変わらないし、やっぱり復学しよう。後1年休学の権利はあるのだが、復学してみて、病状悪化したら、秋から考え直してもいいだろうし。

辞めるのも一つの手かもしれないしね。

今のところ、一寸先は闇。どうなるかはわかりません。

やらないで後悔するよりは、やって後悔した方がいいかもしれない。

後悔するかどうかも分からない。もしかしたらハッピーになれるかもしれない。

とりあえず今は、テンション高い。昨日から引き続き高い高い。

特徴的なのは、やはりいつもに増してよく喋ることだろうか。

意味ないこと、つまんないことでもなんでも茶化して、べらべら喋っている。

自分でも、本当にテンション高いと自覚している。

さて、これがどう出るのかは結果次第。きっと倒れるまで高いんやろうなあ。

あー、一度経験しているにもかかわらず、また同じ状態に陥るなんて、なんて学習能力がない奴。

前にも書いたと思うけど、(物忘れは相変わらず激しい)ものすごい鬱状態から急にハイテンションに変わったときがある。夏のことだった。

1泊2日で、香住に温泉に行ったときである。私はドライバーも兼ねていたんだけれど、出発の2日前に転んで左足を捻挫した。(後で判明したことは骨にひびが入っていたということ。温泉行くから、帰ってきてからだったから、捻挫して1週間ぐらいして医者に行ったのだった)。でも右足で運転するから大丈夫、大丈夫と言い聞かせているうちにすごくテンションが上がってきたのである。

私は二日間、車の中でも、宿の中でも、深夜に至るまで、一人しゃべり続けていた。

普段は、車運転したら、疲れて眠ってしまうのに。恐ろしいほど疲れなかった。

一緒にいた人たちは、私のテンションの高さに随分迷惑したことだろうと思う。

今から思っても、非常にすまないことにした。(だって、夜も話し続けて、相手を寝かせないんだから・・・)気分は高揚、めちゃくちゃ楽しかったことを覚えている。

実家に車を返してからも、一人しゃべり続けていた。かなり怪しかったと思う。

家に帰っても、独り言を呟き続け、なんにでもうけて大笑いし、一人で家の中ではしゃいでいた。がんがん音楽かけて踊ったりして。これがまた楽しいのだ。

でも、捻挫しているから、足は引きずっているんだけど。

 

何日かして、ある日ポテッと倒れたのである。引きこもりしていたから、ちょうど家の中でよかった。

「あー、しんど」と思って何気なく布団の方に行くと、崩れ落ちるように倒れた。

午前中のことだった。初めは疲れてからだが休みたがっているんだと思いこんでいた。しかし、頭は相変わらずテンション高いためにさえきっていて、眠ることは出来ない。しばらく転がっていて、さて起きようかなと思ったら、身体が動かない。金縛りにでもあったかのように、指一つ動かせない。

「あれ、おかしいなあ」と思っていたけれど、動かないものは動かない。

だんだん怖くなってきて、寝返りでもうとうかと思っても姿勢も変えられない。

そのうち夕闇が部屋を襲ってきて、真っ暗になってしまった。

こりゃまずいと思い、だんだん悲しくなって涙がぽろぽろあふれてきた。

しかし、涙を拭うことすら出来なかった。朝から何も口にしていないし、トイレにも行けない。半日そうやって倒れたまま、頭の中ではいろいろな思考がフル回転でまわっていた。

とうとうおかしくなってきて、心の中で呟いた。

「身体さん、身体さん、ちょっとお茶でも飲みませんか?ちょっとトイレとか行ってみませんか?」不思議なことに、ぴくっと動いた。これ幸いと、ほとんど這っていった状態で、四つん這いにずるずる身体を引きずりながらトイレにたどり着いた。

トイレから出て、そのまま廊下でまた倒れてしまった。夏のことだったので別によかったのだが。フローリングの床は痛かった。

私は一人対話を繰り返しながら、必要最低限のことが漸く出来ることに気がついた。とりあえずは薬を飲んで寝ることだった。2時間ほどかけて、狭い部屋の廊下からキッチンへたどり着き、震える手を押さえながら薬を飲んで、とりあえず布団までたどり着いた。

気分はどんどん悲しくなって、涙が出るままに泣き続けた。3時間ほどして、漸く薬が効いてきて、眠った。次の日もほぼ同じ状態が続いた。

テンションはすっかり下がり、ふさぎ込んで引きこもり状態が何日も続いた。

その当時を思うと、今は薬と医者に頼っているとはいえ、非常に元気である。

体調は戻ってきていると言えるだろう。

その後、しばしば倒れても驚かなくなった。なすがままに任せることにしたからである。

でも、やはり今はいつもよりはテンションが確実に高い。

ちょっと気を付けとかないとやばいよなあ。

 

元気がいいから、今日は杖のお稽古まで夜行った。朝から京都で、大阪経由して阪神間に稽古に通う私。一人で三都物語を1日でこなす。嬉しくもないけど。

稽古自体はへろへろだった。師匠に相手をして頂いたら、緊張してか、身体の力がうまく分散できなかった。(と言って、普段出来ているかといえば、全然出来てないけど)

力が抜けすぎてすとんと倒れてしまったり、次には力みすぎてがちがちになってみたり。教えている方はさぞ情けなかったことであろう。

帰りは西宮北口の居酒屋にみんなで行った。

私は相変わらずテンション高く、呑むわ、喋るわで、さぞかし皆さんげんなりしたことであろう。でもとまんないんだからしかたない。

結局終電で帰ったのではなかろうか。皆さん巻き込んでごめんなさい。

ちょっと、反省をしてみる小川であった。

 

2月19日

今日は9時過ぎから日文研にて働いていた。

こんなに朝早くに行くのは、通いだして初めてではなかろうか。

桂駅に降り立つとそこは雪。

日文研に着くともう吹雪。銀世界までは行かないが、屋根や土の上にはうっすらと雪化粧。

うー。寒い寒い。

 

しばらく日記を更新しなかったのには訳がある。

よく分からない渦中に巻き込まれてしまったからである。

事情もよく把握できないまま、事態はどんどんと激化し、空中分解。

一緒に私も吹き飛ばされて、ドッカーン!

週末は調子を崩していたのだが、だんだん訳が分からなくなり過ぎて、遂に私はおかしくなってしまった。

狂うてしもうた。

突然、変ににやにや笑ってみたりするもんだからかしらんけど、今日は3人の人に「最近見る中で、一番顔色がいいよ」と言われてしまいました。

そう、おかしくなりすぎて、絶好調。

ちょっと危ない躁状態気味。このまま突っ走ってくと、またポテッとこけんねんやろな。

やばいやばい。

頭はぐるぐる回っている。

「まわるまわる回転木馬〜」って歌って踊ってみてもみんな知らんよな。

なんか開き直ってます。

でも、こんなんで事態は解決するのか。大丈夫か、小川。頑張れニッポン!

あー、わけわからねえ。

HELP!

 

2月7日

今日は女学院にてアルバイト。さすがにもう学生はほとんど来ないだろうと思っていたら、今日もTOEICのテストがあり、併せて就職ガイダンスがあるとやら。

ぼちぼち人が来ますのう。

月曜日に見かけていた映画を最後まで観てチェックをすまし、今日はパソコンを持ち込んで内職に励む。給料もらっていてすみません。

昨日、もう少し、もう少しと思っていたら、3時半になってしまった。「今から薬飲んで大丈夫やろか」と思いながらも服薬。でも朝は何とか起きられた。

遅刻もせず、タクシーも使わずちゃんと出勤。まあ、これが当たり前なんやけどね。

私だってやろうと思えば出来るやないの。この調子、この調子。

 

さんざん内職に励んで、(もちろんお仕事の方はキッチリとやっています)ようやく書き直しを終える。すぐに読んでも頭が一杯なので、また明日にでも読み返すことにしよう。

ふう、肩が凝った。

早く原稿を脱稿して、映画とかみたいなあ。

そういえば「GO」をずっと観たいと思っており、つかしんホールにやってきたのでチェックを入れてはいたのだが、すっかり忘れてしまっており、明日で終わりになってしまう。つかしんホールは1週替わりで映画を上映してくれる。今日はバイトの終了後にいっても間に合わないし、明日は診察日だしなあ。明日の診察が早く終わってくれれば間に合うかもしれない。問題はそこだなあ。結構みんな早くから来ているからね。早く行ったつもりでも待ち時間が長いだけで終わりはいつも通りってこともあるからなあ。でもどうせなら映画館で観たいよなあ。

ああ、火曜日に挫折した時いっときゃよかった。そういうときに限って忘れてるんだよなあ。ぼけ。

 

しかし、前回の短いペーパーの書き直しをまだしていないから、映画なんて観てる場合じゃないよなあ。阿、でも2時間ぐらいの息抜きは罰あたんないでしょう。とか言いつつ、先日から結構遊んでるよなあ。ビリヤード行ったりして。

学習能力無いよな。チンパンジー以下かも。うきー。あほらし。

 

今晩も祖父母の家に行くことになっている。夜は潰れるだろうなあ。

はあ、良い孫も結構大変なんですよ。でもお世話になっているからしゃあないか。

 

明日に備えて今日はちゃんとはやく寝よう。

 

2月6日

今日は無事に朝から日文研に到着。仕事をばりばりとして、現在先生より要求されている仕事を終えた。ふう。

1月も休まずにいっていたら、先月中に終わる予定だったのだが、今日まで延びてしまった。先生、ごめんなさい。

とりあえず「出来ました」とメールを入れて、次の指示を待つことにした。それでも残業。

気にかかることがあったので、もう遅いけど女学院に杖のお稽古を見に行く。

案の定、誰も来ていない。

自主稽古になると、もう夕方に山を登ってくるのは面倒くさいんやろうねえ。寒いし。

私の電車賃と時間を返せという気がしてきたけれど、稽古は自分たちでするもの。一人でもしたらええやんか。他人のせいにするのは卑怯やわなあ。

今日は顔を出すつもりだけだったので、胴着を持ってきていない。

私服のまま一人で体育館にいたら、しばらくして守衛さんがやってきた。

戸締まりの点検である。仕方ないので、帰ることにした。(というよりほとんど追い出されたに近い。)

なんか、めっちゃ寂しいやん。

ダイエーで買い物をして、帰宅したら、カイロプラティックの予約時間となってしまった。

足だけ簡単に洗って、慌てて駆け付ける(階段を下りるだけなんだけど)。

セーフ。肩が凝っていたせいもあってか、今日は痛いというより気持ちよかった。

もちろん場所によっては痛いことは痛い。足を治されているときに、妙にこそばくなって、ついつい身体に力が入ってしまう。痛こそばい感じ。なんともいえん。

最後の仕上げに、肩から腕にかけての関節部分をのばしてもらう。

これは容赦なく痛い。

それでも、「大分開くようになりましたね。ようやく準備段階を終えたところまで来ましたと言うところですか」といわれる。うーん、複雑。これってよい方向に向かっているっていうことなんだよね。

帰ってきて、原稿を読み直し。誤字脱字もさることながら、やはり説明不足というか、ちゃんと論理が展開できてないというか、中途半端な気がする。

まずお風呂に入って、気分を入れ替えて、パソコンに向かう。

あっという間に1時半。明日はバイトもあるし、書き直しは明日に持ち越しか。

もう少しだけ頑張ってみようかな。

 

2月5日

日文研は断念。どうしても出られなかったのだ。

はあ、誓った新年以来、何度挫けてるねん。

でも、ペーパーがあるから、今日は1日そちらに取りかかることにした。

あ、その前に郵便局とコンビニと銀行と各種支払いに行かなくては。び、貧乏。

 

数日前から、私は大変なトラブルに巻き込まれている。

そちらに気が散ってしょうがない。

お茶を飲んで一息入れてから、またパソコンに向かう。

一応最後まで書くことは書けた。でも、まだまだ不安があるので、明日にでもリフレッシュした頭で読み直さなければ。勢いで書いているから、論理が飛躍していそうだな。

賢くなりたいなあ。

 

2月4日

女学院にてアルバイト。朝から、映画の続きを観る。

今日はTOEICのテストがあるので、学生さんたちも結構来ているようである。試験を終えた利用者が結構来た。春休みにはいるとほとんど利用者がなくなるのだけれど、今日は例外だな。それでも映画を観る私。結局最後までは観られなかった。

仕方がない。お仕事が大事なんだもの。

バイト終了後は、久しぶりに杖のお稽古。

今日は本当に久しぶりに古流のお稽古。

久しくやってないと、細かい点があやふやになってダメだなあ。

忘れてるやないの、あほ。

でも久しぶりに身体をうんと動かして爽快。

帰ったらまたペーパー。でも、夜が遅くてあまり時間がなかったので、途中で断念。

薬で寝ているので、ある程度余裕を持った睡眠時間を設定しておかないと、次の日に支障を来すのである。薬やめたらええんやろうけど、なかなかそうもいかない。

難儀やなあ。

 

2月3日

朝から原稿を書いて、今日は夕方の部の映画を見に行く。

1日2回しか上映しない。しかも週末だけである。これを逃すといつ観られるか分からない貴重なフィルムなので、逃すわけには行かない。

今日も片岡千恵蔵主演で、監督が伊丹万作である。トーキーの初期のころのフィルムなのだが、フィルムの劣化もともなって、何を言っているのかはほとんど聞き取れない。しかも途中が切れている。こんな映画はビデオ化されないからなあ。

コメディタッチのなかなか面白い映画であった。

帰ってからは、節分なので、お寿司を食べに行く。

あー。こうやって商業路線にのせられて行くんだなあ。

今日は「八海山」を呑む呑む。

家に帰ってお風呂に入ったら、酔いが一気に回ってきた。危ない危ない。

もう仕事は出来ないのでお休みしよう。

 

2月2日

今日と明日は京都へ映画を見に行く予定となっている。

古い時代劇映画がやるからである。しかも断片とあっては、観ておかなくてはならない。

今日は2本とも無声映画である。もちろん弁士や声色の入ったレコードなどはない。

1本目が尾上松之助である。この人のフィルムはほとんど残っていないので、大変貴重な映像だと思う。2本目は片岡千恵蔵の断片。わずか21分しか残っていない。

こうして見直してみると、映画の初期のころ、いかに手探りで作っていたのかが分かるような気がする。

ストーリーも単純で、無声とあれば、少し眠気を誘われるような雰囲気の中(実際寝ている人が多かった)、殺陣のシーンがあるのをしっかりとチェック。

しかし、昔の回転数と違うために、何となく動きがちょこまかしておかしい。

 

帰りは兄の店に顔を出す。

2時間ほど読書してから、帰宅。

母には、夕食は祖父母の家に来るように言われていた。

19時過ぎに到着して、お二人のお相手をする。

肩が凝るなあ。

でも、内心祖父からの奨学金がもらえるかもという下心があるので、ちょっと後ろめたい。

しかし、今日も頂けなかった。

金銭のことを考えていると、すごくさもしい気分になってきた。ほげげ。

 

2月1日

昨日の夜が遅かったために、朝は断念。でも仕事がたまっていると思い、昼前にようやく日文研に到着。遅れた分早速仕事に取りかかる。

今日は診察がないので、少し残業までした。ふう、だんだん目安がついてきた。

仕事を終え、院生室に帰ると悪魔のささやき。

「みんなでビリヤードに行かない?」と言われる。一瞬迷ったが、考えてみれば、今年の1回生とは、休学していたためにあまり交流がなかった。院生室で少し話すぐらいだけだったのである。

つい、「いいけど」と返事をしてしまう私。

ああ、完全に逃避モードではないか。逃避するってことは向いてないってことなんだろうか。書いている分は楽しいのだが、その後の周りの反応が恐ろしい。

やっぱり自分がいかに無能かをさらけ出すには勇気がいるのかな。隠したって同じことなのに。そういうとこがあほやねんなあ。

昨日に引き続き、遊んでいる自分がいる。あほ面さらして何してけつかるん。

 

実は私はビリヤードはビギナーなのである。やったことがないと言っていい。

6人でビリヤードにいって、さんざん騒いだ後夜御飯を食べに行く。

いろいろ教えてもらって、めっちゃ楽しかった。

帰ってくるともう夜中。そりゃ、京都で遅くまで遊んでちゃあ、しょうがないか。

でも、とても楽しい時間が過ごせたので、いい気分転換になったと思う。

実は少し煮詰まっていたのだ。

さあ、仕切り直しせな。もう2月に入ったことやしね。

 

1月31日

今日は入試のために閉室している。私のお仕事は電話番。申し訳ないが、切羽詰まっているためにパソコンを持ち込んで、ペーパーを書く。ハッと気付けば、言及したい映画をちゃんと覚えていないことに気がつく。ちょうどLDがあったので、途中からはペーパー書きをやめて、映画を見直してみる。

はあ、こんなに行き当たりばったりでいいのかなあ。よくないよなあ。

我ながら思う綱渡り人生。

 

バイト終了後は、謡曲のお稽古。こんなんしてる場合やろか、と思いつつも、内輪でする新年会が2月末に控えているので、稽古を休むわけにはいかない。

必死にやって、「大分ましになりました」とお言葉を頂く。けれども相変わらず何カ所かをなおされて、何度もその部分を繰り返し稽古させられる。はあ、難しい。

帰りは遅くなったので、どこかで御飯でも食べて帰るのかと思っていたら、(母が車で来ているので一緒に帰宅)今晩も祖父母の家に行くという。

行くのはいいが、すぐに帰られないところが辛いとこ。

しかし、向こうは喜んでくれているので、とても邪険には出来ません。

 

こんな八方美人なことをしているから、いつまでたっても鬱から抜けられないのかもしれない。断るときは断れる強い意志を持たなければ。

どうしてこう「NO」と言えないんだろう。

もしかして、ペーパーから逃避したい無意識が、別の用事を持ち込むように仕組んでいるのかもしれない。

だとすると、情けないなあ。

 

1月30日

今朝は順調にいつもの電車に乗って出勤。桂駅に降り立つと寒いけれど、ここまで来たら後はバスに乗るだけだ。

昨日の事故現場らしきあたりを見るけれども、別に何と変わったことはない。

一体どういう事故だったのだろう。

颯爽と?仕事場に現れ、ばりばり朝から仕事をこなす。

と思いきや、後でデータと照合していくと3カ所も見落としをしていて、またもやテープを見なければならないことに。とほう。

とりあえず外注に発注できるようになるべく分かりやすいリストを仕上げなければならない。これが結構大変だなあ。

結局残業までして、やっとめどがつく。

残りのテープ・チェックは金曜日の朝一にすまそう。

と言うことは金曜日も今日みたいにちゃんと出勤しなければね。

 

それにしても1月はあっと言う間だった。

考えてみれば、計画通り行ったのは、原稿少々だけ。

文献の方も全く読み進まない。5巻本なのだが、まだ1巻目である。どうなることやら。

 

今日はカイロプラティックがあるので、それまでは祖父母の家で食事を一緒にとることに。でも、残業していたから、食事はとっくに始まっていた。遅れてすみません。

今日はおでんである。私は祖母の作るおでんが大好きだ。(前にも書いたような気が・・・)

遅く行っただけに、夕食の時間も短くなり、慌てて食べて、失礼する結果となった。

気を悪くしていないといいけど。

 

祖父母の家から走ってマンションまで帰って、カイロプラティックに行く。カイロプラティックは私の住んでいるマンションの1階に入っているのである。なので通うのがとても便利。

何とか間に合って、がちがちの身体をほぐしてもらう。

前回ストレッチのような体操を教えてもらったのを、少しながら実戦していたのが効果してか、「ちょっと今日はましですねえ」と言われる。

でもまだ足の長さは違うし(腰がゆがんでいるせいだ)、背中も、腕もがちがちである。

うー、と痛みをこらえながら整体してもらう。

なんか今日は短かったような気がするが気のせいかなあ。

家に戻ってゆっくりとお風呂に入り、ストレッチをしているともう11時半過ぎ。

出来れば12過ぎには寝たいので、そろそろ筆を置くとしよう。

明日は女学院の入試。私の仕事は何をするのかまだ分からない。事務の留守番かな。

どれぐらい志願者が集まったのかちょっと心配である。大丈夫かなあ。

 

 

1月29日

朝から調子が悪かった。吐き気とめまいがしてどうしようもない。

用意は出来ているのだが、倒れてしまって、丸くなって「気持ち悪―」とひとり呟いている。当然乗るべき電車を逸す。次の電車では、次の電車ではと思うのだが、吐きそうにも吐けず、何が気持ち悪いのかがよく分からず、ただごろごろ転がってうめいている。

おまけになんか寒い。風邪ひいたのかしらと、不安になりながら、昼前まで転がっていて、ようやく始動できそうになった。

何だったのかしらあの吐き気は。便秘のせいかなあ。(汚い話ですみませね。)

バスを降りたら、風花のように雪がちらりちらりと舞っている。う、寒い。

昼休み中に日文研について、食欲なんかもちろん無いから、すぐ仕事に取りかかる。

これがやってみると結構大変。

途中、データベースの研究班の先生がいらっしゃったので、外注に出す件を打ち合わせ。

ところが喋ろうとすると、喉がいがいがして言葉がしゃがれた声でしかできない。

あれ、やっぱり風邪?まずいなーと思い、のど飴を頂く。そういえば、なんか鼻もぐずぐずするなあ。

打ち合わせがすんでから、また仕事に戻る。

全然終わらないやんけ。

遅く来たので、17時半まで残業して、ようやく帰途に。

院生室に一度戻って、寒さのあまりお茶を一杯頂いて、次の18時過ぎのバスで帰ろうと思っていると、ちょうど2人が道連れに。

みんなで仲良く帰りましょう。

駅まで30分かかる市バスをやめて、20分の京都バスへ。ルートが違うのである。

しかし、これが大失敗。

京都バスは細い旧街道を通るのだが、前方でどうも事故があったらしい。バスは全然立ち往生して動かないわ、救急車は来るわ、パトカーは来るわで大騒ぎ。バスの運転手によると、当分立ち往生になるらしい。

ひえー。仕方ないので、バスを降りて、国道まで寒い中をてくてく歩いて出る。そこでタクシーを呼んで、寒い中三人でぶつくさ言いながらタクシーを待つ。

やってられへんわ。でもまあ、乗ってるバス自体が事故に巻き込まれなかっただけ良かったとしよう。

十三に着くと、なんか寒さがましのような気がする。

 

夕飯は、奨学金を頂いたばかりの祖父の家に行くことに。

やっぱり、金だけもろうて、どろんするわけにはいかんやろ。せやけどしめきりの原稿があるので、1月いっぱいで、我慢してもらおう。

明日はカイロプラティックの予約があるから、食事だけでさっさと帰っても大丈夫。

明後日は夕方稽古だから、どうせ夜は遅くなる。どうなるかは分からない。

 

でも祖父母の家に行ったら行ったで、「みんなで食べるから美味しいね。これからも一人で食べるんだったらうちにいらっしゃいね」と言われてしまう。

つ、つらいとこ。(今日は伯母夫婦もいたので余計に賑やか。)

 

ふう、いろいろ起こるなあ。

明日こそは朝からちゃんと出勤するぞー。

 

1月28日

今日は女学院の試験最終日。明日からは皆さん春休みである。

結構暇かなと思いきや、朝から続々学生さんたちが来て、満席表示の出しっぱなし。17時まで残っている学生さんも多くて、後片づけに時間をとられる。

今日はこの後研究会に合流するつもりで昨日原稿を書いてきたけれど、間に合うかなあ。

結局55人も学生さんたちが来ていて、後片付けに残業30分かかってしまった。

不安になって、いつも研究会をしている研究室に内線で電話を入れてみると誰も出ない。

え、もう終わって帰っちゃったの。私の原稿はー。と思いつつとりあえず行ってみることに。行ってみると、今日は隣の部屋でやってますとの表示が。ひとまずホッと安心。

「遅くなりました」と参加して、コピーをさせてもらい、原稿を配って皆さんのチェックを頂く。1カ所は話題がずれていると言うことでごっそり削除に。

うーん、短いものでも、一つに焦点が絞れないなんて情けないなあ。確かに言われてみると主題からずれているよなあ。はあ、反省。

細かいチェックを入れてもらい、そこを書き直したらほぼ完成原稿ということに落ち着く。とりあえず、めどがついて良かった。

 

後は残りの原稿だな。

大丈夫かしら。一抹の不安が・・・

 

1月27日

さすがに良い酒は悪酔いしない。目覚めもすっきり。午前中は少しゆっくりしながら本に目を通したりする。午後は、明日研究会があるので、2月末〆切の原稿に着手。原稿と言っても短いコラムなので、あまり肩肘張らずに書いてみる。とにかく皆様にチェックをしてもらって、要求が違ったら全面的に書き直さないといけないので、とりあえず書いてみることに。

その後、本当は優先しなければならない2月中旬〆切のペーパーにまた取りかかる。これは投稿原稿なので、慎重に書かなくては。まあ、査読で落とされても、書いてみることに意義があるって事よね。ここの査読は厳しい。と同時に嫌な噂が流れてくる。つまり、自分の学生を優先的にのせて、いつも原稿が偏っていると言うことだ。こんな話を聞かされるとうんざりするが、人間だもの。多少のえこひいきは誰だってあるだろう。落とされたら落とされたなりに原稿に問題があるって事には違いないのだから。

とにかく今は書いて書いて、自分の馬鹿さ加減を披露して、今の在りどころを知るしか方法はないのである。

しかし、この前(去年の暮れ頃だったかな)重要な必須文献をごっそり見落としていたことに気付き、今はその文献を読み始めている。これがまた細かい研究で、量も膨大であるので泣きそうになりながら読んでいる。以前と違って読む速度、理解速度が格段に落ちている今、遅々として進まない自分にいらだちを覚える。

こんな事で本当に原稿は書けるのだろうか。本当に要領が悪いなあ。

以前試しに書いてみて、先生に見てもらい、たくさん疑問箇所を指摘されて、全面的に構成から書き直した方がいいという情けない結果となった。こんなんで本当に書けるんだろうかと思いながら、指摘していただいた点を読み直し、構成を練り直している。

使いたい文献の箇所を思い出し、はて、どこに保存していたかが分からなくて途方に暮れてしまっている。あー、なんたる大馬鹿者。だけれども、これは将来的には、博士論文の一部となるものだから、キッチリと書かないといけないよなあ。

あ、インタビューのテープおこしもまだだったことを思い出した。

もっと原稿に集中しろよな。余計なことばかり思い出して・・・あほ。

 

そんなことばかりして同じところをぐるぐると回っていると、もう夕食行かなくてはならない時間。なんて集中力がないんやろう。帰ってから出来るかなあ。まあ、無理やわなあ。

せいぜい読書ぐらいかな。

 

そんなこと言いながら、実は逃避して日記を書いているのであった。

 

1月26日

朝5時頃に目が覚めたが、動けそうにもないし、寒かったので、二度寝を試みて、結局9時頃までごろごろ転がっていた。ごろんごろん。

のそのそ起き出して、顔を洗い、服を着替えて、さあ何しよう。ペーパー?お稽古?読書?選択肢はたくさんある。とりあえず目先のものからということでお稽古のおさらい。

すると電話。母から昼食を一緒に食べて、その後祖父母のところにちょっと顔を出してから、稽古場まで車で送ってくれるという。昨日高熱を出して心配だったので従うことに。

準備をして、ちょっと早めの昼食をとり、祖父母の家に顔を出すと、祖父は元気に昼食を食べていた。祖母の話によると、まあ勝手な人である。

朝9時半に一緒にお医者さんに行ったそうである。昨日の夜、偶然まだ病院で残業してはった近くのお医者さんを捕まえて、往診に来てもらったそうである。祖母は御礼を言いに一緒について行き、熱も下がったが、点滴を一応してもらうことにした。点滴に時間がかかるので、祖母は先に家に帰ったそうである。

普段、祖父は日課としてモーニングを食べに喫茶店に行き、病院に行って点滴してもらい、その後マッサージに行き、それからダイエーに買い物をしにうろうろして帰ってくる。

しかし昨日高熱を出したばかりであるから、マッサージをして熱をぶり返したら困るので、点滴が終わったらまっすぐ家に帰るように祖母に念を押して言われていたそうである。

にもかかわらず、11時になっても帰ってこない。心配になった祖母は、また病院に出かけ、「とっくに帰られましたよ」と言われ、マッサージに行き、「とっくに帰られましたよ」と言われ、昨日心配でほとんど眠れなかったから、これ以上探して行き違いになっても何だし家に帰ったそうである。それからほどなくして祖父が帰ってきた。両手一杯にダイエーで買い物をしてきたそうである。

みんなが心配しているのに、自分は平然としている。

寒い時期であるから、人混みをうろうろして風邪でもうつされたらどうするのだろう。只でさえ、昨日高熱を出していたのではないか。困った人である。

まあ、無事に帰ってきたのでよかったけれど、「今晩熱を出したら知りませんよ」と祖母に怒られていた。

祖父は上機嫌で、私の顔を見てこう言う。「順子にはいつも世話になっているからな、おじいちゃんは何かしてやりたくて仕方がないんだよ。聞いたところによると奨学金とやらがもう無いそうじゃないか。(母が話したのであろう。)その奨学金とやらを俺にやらせてくれ、頼む」という、とんでもなくありがたいお話。涙が出そうである。

頼まれてしまって、嫌とはいえない。嫌と言っては罰が当たるほどありがたいお話。これであくせくバイトに奔走しなくても、何とか生活が成り立つことになる。もちろんバイトも少ししなくては間に合わないけれど、無理に単発バイトをたくさん入れたりする必要はなくなるわけである。しかし、そこまでされてしまうと、夕食に顔を出さなくてはやはりまずいわけであるから、そのところの矛盾が・・・あー、悩む。

しかし、月々の診察代も馬鹿にならないし、やっぱりありがたくお受けすることにした。

何としてでも博士論文を書かなくては申し訳が立たないというもの。

夕食の件は何とかして、少しでも時間を作って勉強せねば。

そのためには早く元気にならなくちゃいけないな。

これからは、挫けないようにしないと。

 

なんか厄落としが出来たような気分になり、嬉しさ一杯で稽古に行く。

今日は手裏剣のお稽古と杖のお稽古。楽しいな。嬉しいな。

雨が降ってきたので、少しげんなりなりながらも、謡曲のお稽古へ。

今日も細かいところをびしばしと叱られる。何度もやり直しをさせられるが、なかなか出来ない。内輪の新年会に向けての謡の稽古が増える。とほほ。

帰りは遅くなるので、父には近所のお寿司屋さんに行っててもらい、そこへ合流。8時過ぎになる。きょうはよいことがあったので、ついつい調子に乗って、「呉春」(あれ、こんな漢字だったっけ)をがぶがぶ飲んでしまった。帰ったら、単なる酔っぱらいで何もできない。でも気持ちいいなあ。

って、何してねん、仕事しろよな、ぼけ。ちょっと反省。

明日はまたまたお付き合いである。

祖父が麻雀で「天和」をした御祝いでステーキをおごってくれるそうな。

夕方までに仕事しないとね。(どうせまたワインを飲んで、夜はまともに仕事できへんやろう)。

 

1月25日

くー。朝から、出よう、出られない、出なきゃ、出られない、と一人で七転八倒。

今日出られなかったら、本当に通うことが出来なくなるかもしれないという危機感と焦燥感に駆られる。よし、出よう、う、出られない。そんなことを繰り返し、もう一人の私が、「もう、診察だけでええやん。ゆっくり休みいや。せなあかんことたくさんあるやろ」と誘惑する。それに抗して「バイトせなあかん。今月中にすませようと思っていたことがちっとも出来てへんやないの。迷惑かかるだけやないの。時間を消費しな溜まる一方やで」とお尻をたたく。そんなことをさんざんしたあげく、予定よりも1本遅いのでようやく出勤。1本遅いのは電車ではない。桂駅からのバスの時間である。いつもバスの時間から逆算して電車に乗ることにしている。下手すると10分も20分もバスを待たねばならなくなるからだ。

それでも何とか日文研に着いたから良しとしよう。でも寒いよー。

昨日、先生からメールで外注に出す分のリストを用意するようにと指定があった。先週行けてたら、今週の水曜日も朝から通うてたら、ほんまはもっと仕事が進んでいたんやろうけど、今更仕方がない。

今日はリストを出すために、疑問点をまず全部、本と照合して埋めていき、実際にリストとテープの順番があっているかどうかチェックしないといけない分をピック・アップしていく。これが結構時間がかかるのだ。今日は診察に行くために、早く帰らなくてはいけない。過去20年分のテープが外注に出ることになるのだが、データが曖昧な部分や、同じ様なCMの場合、どれがちゃんとテープの順番かは、見て調べていく以外方法はない。

これまでは、自分で動画も作成してリストを作っていたので、リストと動画がずれることはなかった。だが画像の変換・作成に時間がかかるために、動画の編集だけは外注することになったのである。しかし、外注することになると、もしリストと画像が合わなかったら、問い合わせされることになるだろう。しかし、手元にテープがなくなるから、こっちでも確認のしようがなくなるわけである。早送りでいいから事前にざっとチェックしておく必要がある。テープにして17本分ぐらい。全部していると大変なので、大体抜き打ちにチェックしていこうとしても、最低限これだけは必要である。怪しいものを全部ピック・アップしていたら、もう2時半。3時のバスに乗るには10分前には出なくてはならない。しかもテープの再生は別の部屋に行かなくてはならないので、今日はとてもじゃないけれどチェックしている暇がない。分かるようにテープとリストを別に分けて、残りの15分ほど、従来の仕事である項目の入力に取りかかる。

ぎりぎりまで仕事して、走ってバス停へ。ふう、何とか間に合った。

全部自分がさぼってきた結果なのだから、文句は言えないなあ。

でも、動画編集に関しては、遅れたのは私が来なかったからではない。よく機械が故障するのである。1〜2カ月順調に仕事していると、故障で、3カ月ぐらいつかえなくなる。ひどいときは半年修理に掛かった。そのあいだは仕事が出来ないのである。

と言うのも、今入力している項目は、当時はまだ全体像が見えてなかったので仕事の予定に組み込まれていなかったからである。だから動画編集だけに時間がかかっていたのである。それでも20年分近くは作成、入力してきた。先生の要求も途中で増えたりするから、結構大変である。

故障がなければ、もう少し進んでいたのは事実である。だって今よりもずっと元気だった頃から仕事していたのだから。

まあ、仕事のことを愚痴っても何も始まらないから辞めよう。

かかわっていない人には何の事やらさっぱりわからん事やろうね。すまない。

 

今日も診察室はほぼ満員。受付にぎりぎり間に合っても、順番がなかなか来ない。

朝から始動していたおかげか、頭が大分すっきりしていたので、今日は読書にも専念できるから、あまり待ち時間が苦痛にならない。呼ばれてハッと時計を見ると、約2時間は待たされていたのである。みんな大変なんだねえ。

私は胃の痛みを聞かれて、新しいお薬が出て以来一度も胃痛を起こしていないことを告げる。「やっぱり薬は漢方よりも効き目がシャープだねえ」と言われる。本当にそうである。〆切原稿を抱えているが、どうも自分が逃避傾向にあってちっとも進まないと言う話をしていると、「また、それで胃痛を起こしそうだから、引き続き薬を出しておきましょう」と言われてしまった。痛いところをつかれている。

しかし、今度は2週間後になったので、ちょっとは快復しているのかな。そう思うと少し気が軽くなってきた気がする。よし、この調子だ。頑張れ。

昨日も祖父に「これから毎日でも御飯を食べにいらっしゃい」と言われてしまっていたが、今日は初めから行かないと言ってあったのでまっすぐ家に帰る。

夕食をすませて、お稽古のおさらいをする。

明日は杖道と謡曲のダブル稽古日なのだが、謡曲のおさらいを全くしていなかったので、慌ててにわか稽古をする。うう、また叱られそうだ。

早めにお風呂に入っていると、携帯にメッセージが残されていた。

母からである。すぐに連絡をくれるようにと入っている。

ん。嫌な予感。とりあえず連絡を入れると、祖父が38.8度も熱を出したので、父の夕食をして欲しいとのことであった。しかし、私が連絡を入れるのが少し遅かったので、夕食の準備はほぼ出来たから、もういいと言われた。今から祖父のところに出かけるとのこと。大丈夫かなあ、昨日はあんなに元気やったのに。

でも幸か不幸か、実家に行く用事は免れたので、残りの時間も自分でつかえることになった。ペーパーに取りかかろうとするが、どうも乗り切れない。構想を練りながら、パソコンの前にじーっと座っていると、どんどん時間だけが経つ。

明日は久々に杖のお稽古だし、その後も稽古が控えているので、とうとう諦めて寝ることにした。

明日の午前中にしようっと。

 

 

 

1月24日

女学院にてアルバイト。今朝は8時過ぎに電話が鳴ってビックリした。

洗面所にいたために取るのが遅れて切れてしまった。

8時半頃に家を出るのを知っていて、朝から用事を思い出してかけてくるのは母ぐらいだろうと見当をつけるが、時間がぎりぎりになってしまったので、コール・バックせずに家を飛び出す。

がーん。目の前で電車が行ってしまった。

次の電車では西宮北口での乗り換えが遅くなるので遅刻をしてしまう。

仕方ないので西北で降りてタクシーを使う。

こんなところで浪費している場合やないねんけど、自分の責任やからしゃあないか。

何とかぎりぎり間に合って出勤。

試験中とあってか、空いている。コンスタントに人がやって来ては帰る感じ。

昨日速達で論文の校正が来ていたのを、手の空いた合間にやることに。

昨日届いて、29日に東京の出版社へ必着と書いてある。

明日には出さなあかんな。

校正がこれまた非常に細かい。こっちまで調べ直さなくてはならない。

1カ所大きな誤植を発見。気付いて良かった。映画の会社名が違っていたのだ。

これは私は絶対間違うはずがないので、誤植であろう。(何と言っても雷蔵の映画なのだから)。

細かい校正箇所だけ見ていては、怪しいかもしれないと思い、慎重に校正にかかることにした。結構大変。自分で書いているものだから、自分では分かったつもりになっていて、てにをはが間違っていたりするのである。やっぱり他人の目からの校正って重要なのね、とつくづく感心。

 

昼休み、「電話くれた?」と母にコールしてみる。「いや、していない。それよりあんた、今日もおじいちゃんところに御飯食べに来るでしょ?昨日も、おばあちゃんがあんなに誘ってくれていたじゃないの。おじいちゃんも喜ぶし。予定ないんでしょ」と逆に言われる。

今日は昼から祖父母の家に行っているはずだから、当然この電話も祖父母が聞いているはず。思わず、うっと詰まってしまった。うーむ、完全にあてにされているなあ。

とりあえず明日はいけないから、と言って承諾することに。

明日早いから何とか早く切り上げて帰りたいなあ。(一応校正はすんでいるが、2月中旬〆切のペーパーがまだ書き上がっていないし、2月末のペーパーにもまだ手をつけていない。あ、読書会の本もまだ読んでいなかった。うーむ、困った。)

本当は5時半過ぎには家に帰れるのだが、「じゃあ、19時頃に伺うわ」と言って電話を切る。

ミイラとりがミイラになってどないすんねん。どあほ。

この調子で連続して顔を出すと本当にあてにされるかもしれんなあ。まあ、喜んでくれて、それで健康でいてくれるのならこっちもええねんけどね。

近くに住んでいるだけに、何かにつけて食事にも誘ってくれるし、特別扱いもしてもらっているんやから、文句言うたら罰当たるわな。老人は大切にせなね。

はあ、明日は日文研と診察かあ。

 

来週からは仕切り直しせんとあかんね。

新年から挫けてばかりやわ。ほんまにへたれえやなあ。

明日の夜は仕事するぞー。

 

1月23日

昨日の夜遅かったせいか、またもや朝が起きられない。

頭は起きているのだが、身体が寝ているのである。

最近パソコンの具合も悪いので、今日こそは日文研に行ってみてもらおうと、前の晩から全部準備していた。

にもかかわらず、またもや出られない。

困った、困ったと思いながら時間が過ぎていき、昼頃になってようやく始動開始。

とにかく通う癖を付けなきゃと思い、昼からでもいいから日文研に向かう。

風が強くて冷たくて寒い。

さて、遅くなったけれど早速バイトに取りかかる。

仕事をし始めると早いのだけれどね。

とりあえず、パソコンの問題も一つは解決したし、来て良かった。

今日は始動が遅かったので、30分ほど残業してから帰る。

 

月曜日、火曜日と連続して祖父母の家に顔を出し、夕食を共にしたことにすっかり気をよくした二人は、「これからも家で一人で食べるんならうちに食べにいらっしゃい。一人より大人数の方が楽しくていいわあ」と言われ、昨晩も今日は「蟹すき」をするから是非来るようにと誘われていた。

NOといえない日本人。

20時40分にカイロプラティックの予約を入れているので、食べたらすぐ帰らなくてはならない。それでも顔を出してあげると喜ばれることもあり、つい「ご相伴にあずかります」と言ってしまった。

これ以上残業していると間に合わないので、切り上げて残りは金曜日にしようと誓って帰る。金曜日は診察だから、早く帰らねばならない。絶対に朝から行かなくちゃ。

 

祖父母の家で夕食を共にするのは、別に何の問題もない。

こっちは食費代も、家の光熱費も浮くわけだし、大好きなワインとチーズだって祖母が払ってくれていただけるのだから、それでそんなに喜んでもらえるのなら、いくらでもして上げたいと思う。

だが、問題は時間なのである。

家に一人でいると、食事は味気ないかもしれないが、食後の時間が有効に使える。読書したり、ペーパー書いたりするのに、誰もいなくて静かだからちょうどいい。

お風呂だって好きな時間に入れる。

だが、祖父母の家にいると、食後は必ずと言っていいほど「麻雀」のお相手をしなくてはならない。もちろん母と3人打ちをしてもらって、私は読書なりさっさと帰るなりしてもいいのだが、それではあまりである。夕食後の余興も含めて楽しみにしてくれているのだから。

随分前のことになるが、私は祖父母の家にいても、どこかに食べに行ってもずっと読書をしていた時期があった。うちは大体兄が本の虫なので、食後一人で本を読んでいることも多かった。だから別に大して気にもせずに私も読書をしていたことがあったのである。

ある日、間接的にではあったが、祖父からクレームがついた。「順子はいつ来ても本を読んで、みんなに参加しようとしない。折角来ているのに何の意味もない」と。

今から思えば、確かに失礼なことをしてきたと思う。

特に話題がなくても、顔を出した以上、「うん、うん」と相槌を打つだけでもいいのである。それで相手は嬉しいのである。

なのに、私は全く他者とのコミュニケーションを遮断していたのだ。一人本に向かい、自分の世界を作ってしまって、誰とも顔を合わさずに目をそらし続けていたのである。

確かにコミュニケーションを取ろうと思っている方は面白くないだろう。そこには壁が出来てしまっているのだから。

人に言われるまで気付かなかったのは大変な落ち度であった。

身内とはいえ、他者と顔を合わせていることには違いない。相手は顔を合わせ、目を合わせ、ここにいることを訴えてきている。コミュニケートしようと努力している。別にコミュニケーションを取るには、必ず言葉が必要とは限らないのだ。相手の存在そのものを受け入れるか否かの問題なのではないだろうか。

それ以来すっかり反省をした私は、誰かといるときに読書をすることを極力避けている。特に祖父母に対しては、よほどのことで一人手持ち無沙汰になったとき以外は本を読むことを辞めているし、読んでいてもいつでも反応できるように、意識を相手方に残してある。

もちろん一人でいるときは、カフェであろうと、食事中であろうと、読んでいることは読んでいる。

そういった夕食後の時間が丸々潰れてしまうのが困るのであるから、近くにいても顔を出さないのである。がっかりさせないために。

今日は、カイロプラティックがあるから、早々に辞退しても別に気にならない。後は家に帰って、ゆっくりとお風呂に入りながら読書し、こうして日記を書いているのである。

それでも時間はあっと言う間に経って、もう夜中だ。

明日のバイトに備えてそろそろ寝なければ。

 

1月22日

新年会。

朝から着物を着付けしてもらうが、どうも様子がおかしい。

家を出るまであと10分の時に、何がおかしいかが判明。

右と左を逆に着付けられていたのである。洋服だと右前だろうと左前だろうと、関係ないだろうが(昔は男女差だったけれどね)、着物の場合は意味が違う。逆に着せると「死に装束」になってしまうからだ。

全然厄落としになってないやんけ。やはり特別お払いしておくべきだったかなあ。

それでも出る前に気がついただけでもラッキーとしよう。

慌てて着付け直して、何とか時間に間に合う。

いつもなら途中までは自分で着るのだが、今日に限って着物だけは母任せであった。

いざ着てみると襦袢のユキもあっていない。もうええか。時間ないし。

 

私の草履が壊れていたので、母の草履を借りていく。

河原町に着いて、二手に分かれて店「あと村」に向かう。

まだまだ着こなせていないので、店に着いたら足袋を少々汚してしまっていた。

あかんなあ。

「あと村」は、「コーンの掻き揚げ」が有名と聞いていたので、コーンの美味しい季節・夏に食べに来たのである。賀茂茄子も出てとても美味だったので、今回「新年会」の会場として選んだそうである。

しかし、いざ「新年会」に行ってみると、まず電話で頼んで置いたお品書きが出ない。

仲居さんの態度が非常に悪い。(前回はカウンターで二人だったので、見習の若い子たちが接客をしてくれていた。)

食器の扱いが非常に雑なのであり、座敷の襖の開け閉めも立ったままである。

割と良い食器を使っているので、見ているこっちの方が欠けはしないかと冷や冷やさせられた。多分普段はこんなに大人数(座敷に18名)使うこともないのだろう。

余りよく事情が飲み込めていないところを見ると、臨時で雇った仲居さんに違いない。

今回は足が悪くて座敷に座れないお年寄りもいたので、その方たちはカウンターで食事をしていただいた。カウンターの方は楽しかったらしい。

カウンターに座ると、板さんたちの包丁捌きが見られるので、非常に為になるし面白い。私はカウンターの方が好きである。

さて、メニューのほうと言えば、「コーンの掻き揚げ」に「米茄子の雲丹のせ」と、夏と二品も同じメニューが出てきたので、私としては不満であった。

やはり、季節季節の食材を使って欲しい。冬場は、海老芋や京芋、九条葱や壬生菜、聖護院大根に聖護院蕪など、美味しい京野菜がたくさんある。蕪と九条葱は使っていたが、他は特別新春をアレンジするでも無し、おまけに夏の旬野菜を使うので、夏よりも味が落ちてしまうのは当然である。

やはり料理屋にはそれぞれ格があるんだなあとつくづく思わされた。

老舗ではこんな事滅多にないからである。

それでも味つけはいいのが救いだった。この店に来るのは、皆さんは初めてなので、非常に満足して帰られたようである。良かったー、とホッと胸をなで下ろす。

なんで私が人の新年会の心配までせなあかんねん。

でもまあ、祖母が払ってくれて只で頂いているので、文句は言えません。

 

帰りに兄の店に半分くらいの人が付き合ってくれて、コーヒー1杯だけでも、店の売り上げに協力してもらう。普段来るお客さんにしてみれば、店の半分を、着物を着た年齢も高い人たちが占拠しているのでちょっとびびっていたみたい。

まあ、帰られることがなかっただけでも救いか。(店の雰囲気を壊しちゃったかなあ)。

でも無事に終了したことだし、良かったのではないでしょうか。

 

夜は一人(伯母が来てくれていたが)家で留守番をしている祖父のところに、顔を出す。もちろん着物を着替えてからである。実家から直接帰っても良かったのだが、祖母にはおごってもらっているので、恩返しも兼ねて顔を出すことにした。

祖父母は当然喜んでくれるので、結果的には良かったのであろう。

しかし、結構疲れたなあ。

 

1月21日

先週は日文研に2回ともいけずに果ててしまったが、今週こそは仕事にちゃんと行きたいものである。

まずはじめに今日は女学院にてバイト。

授業最終日とあってか、利用者は少なくなってきている。

どちらかというと、授業課題のものを見に来る学生が増えているともいえる。

明日から試験期間だから、大変だね。

バイト終了後は、今年二回目のNOVAへ行く。

今日は英語2レッスンにフランス語1レッスン。

仕事の後なので、おまけに雨も降っていて結構しんどい。

21時までレッスンだったので、最後の方は完全にへたっておりました。

 

家に帰ると21時半過ぎ。

明日の母のお料理教室の新年会に同行することになる。

と言うのも、足が悪くて長距離歩けないお年寄りグループは母がタクシーで連れていき、残りの若者?グループは私が店に連れていくことになっていた。

母と私しか店の場所を知らないので、当然そういうことになる。

着物をちゃんと着られない情けない私は、母に着付けをお願いする。

今年こそは一人で着られるようになりたいものである。

そういうわけで、帰りは祖父母の家にいる母の元に顔を出し、みんなが麻雀をしているかたわら、一人、冷蔵庫の掃除状態で、遅めの夕食を頂く。

車で来ている母と一緒に実家に帰る。

明日は母が若い頃に着ていた総絞りの着物に決まる。

用意をしていたが、調子が悪くて、先に休ませてもらう。

どうも年末年始の疲れが今頃噴出してきたらしい。

でも、御馳走が食べられるので、ラッキー。

 

1月19日

素謡会。

 

昨日はやはり日文研には行けずに、転がっていた。

朝目覚めて、用意するまでは出来るのだが、なんでやろ。

どうも、その後がいかん。

 

年末から、毎週来るように医者に言われている。

どんどん時間が経つので、とうとう諦めて診察に。

郵便局に用事があったので、3時前に郵便局に飛び込んで用事を済ませ、そのまま診察へ向かう。相変わらず満員だ。

診察が終わったのは結局6時過ぎ。受付時間ぎりぎりに来ても、あまり変わらない。

待ち時間が長くなるだけだ。

胃痛がひどかったので訴えて、新たに胃薬が増えてしまった。

結構薬漬けやなあ。危ない人たち。

 

素謡会では、我が師匠・下川先生が「屋島」のシテをつとめられる。

いいお声である。

次の「花筐」と仕舞三番を見て、最後の「恋重荷」は失礼して帰る。

さあ、今から厄神さんだ。今年は本厄だからね。

 

門戸厄神に着き、一緒に謡を見に来ていた母も一緒に、厄払いへ。

昨日の方が賑やかだったのか、それとも景気が悪いのか、屋台が例年より少ない。

土曜だったので、かなりの混雑を予想していたのだが、思っていたほどではなかった。

去年買った破魔矢とお守りを返還して、新たにまいり、新しく破魔矢とお守りを買う。

特別に中でお払いをしていたので、母が「してもらう?」ときいてくるのを、「まあ、そこまでせんでもええんちゃう」と言って、辞退する。(これがいけないことになるかなあ。)

ちょっとせこかったかな。

「厄除け腰ひも」を買うてもらう。今年は着物を着るにつけ、これを絞めなきゃ。

帰りは、少し早かったが、「PePe」に御飯を食べに行く。

久しぶりだったが、美味しかった。

さあ、今年は厄落としできたかなあ。いい年になるといいんだけど。

 

1月17日

震災記念日。とともに、祖父の本当の誕生日。

帰りに祖父母の家に寄るように言われる。

近くに住んでいる者の性。

 

近くのケーキ屋さんが1時と6時にアップル・パイを限定30個焼くのに合わせて、熱々の焼きたてアップル・パイを購入して、祖父母の家に。

伯母も来ていて、母と祖父母と4人で麻雀をしていた。

もう6時過ぎているので、今日の夕食準備を一人ですませる。今日は祖父の好きな「鯛すき」である。野菜を切って、お造りを切って盛り合わせ、ワインをあけて、夕食の準備はほぼ完了。鯛を探しても見あたらなかったら、母が持っていて、麻雀を終えた母の手伝いもあってあっという間に夕食が完成。

ワインをついで、満91歳の誕生日を御祝い。

私の好きなチーズも買ってあったので、クラッカーにのせてあげて、食べていただく。

うまい、うまい、と言ってほおばる祖父の元気な顔を見て、みんなで長寿を心から喜ぶ。

アップル・パイまで食べ、伯母は帰る。

そういえば、この前従姉妹が持ってきたハイジのケーキは美味しかった?と聞いてみる。

すると、持って帰ってしまったのか、二人が帰ってからどこを探しても見あたらないと言う。その場であけなかったので、どんなケーキだったかもわからないという。

遅刻してきたあげくに、持ってきたケーキまで持ち帰ってしまったとすっかり話の種にされている。

親戚中で語り草にされるのだろう。可哀想に。

そういう落ち度をせずに、まめにつくしている自分が偽善者のようでちょっと自己嫌悪。

パイを食べた後、伯母と一緒にこのまま帰ってもよかったのだが、何となく手持ちぶさたにしている祖父を見て、「1回だけね」という条件の下に、一回だけで麻雀の相手に。

可哀想に、祖父は誕生日であるにもかかわらず、連敗してしまった。

勝たしてもらって、肩身が狭い。

今日は早々に祖父母の家を後にして、家に帰り、お風呂に入って明日の準備をしていると、たちまち夜1時になってしまった。

明日こそ日文研に行けるかしら。朝から行かな診察もあるからなあ。

お休みなさい。 

 

1月16日

朝、心配していたことが起きた。

胃がきりきり痛んで動けない。起きるのは早く起きて、朝から「おじゃる丸」を見たりしていたのだが、とにかく胃の痛みがだんだん増してきて、とうとう動けなくなってしまった。

仕方がないので、家まで車で送ってもらい、即刻薬を飲んで、ついでに寝る前の薬を飲んで、とにかく寝ることに。

日文研はとうに諦めている。夕方まで薬で昏々と眠る。

夕方に起き出して、薬を飲むために果物を少々摂取する。

夜にはカイロプラティックが入っていたために、先にお風呂に入って身体をリラックスさせていく。

前回と比べてまだましですねえ。と言われる。

まあ、1週間しか経っていないし、今日は仕事もせずにずっと寝ていたのだから。

久々に引きこもりをして、ゆっくり休めた。

明日は女学院のバイト。行けるかなあ。

一人部署だから、絶対行かなきゃ。

今日は早く寝よう。

 

1月15日

今日はたん熊の新年会である。いつも2〜3人着物で来ている人がいるので、今年は私も着物にしようと、またもや曾祖母の着物を着て参加する。夕方は謡のお稽古なので、ちょうど着流しで舞う練習にもなるし、良かった。

と、昨日まで思っていたのだが、朝起きると外は雨。

大分迷ったが、別に着ていく服もないので、着物で行くことに。というのも、以前に一応レインコートを作ったのだが、一度も来ていなかったので、虫干しがてらにそれも初で来ることにした。

ショールもまとっていたのだが、やはり京都は寒い。雨のせいか足下がしんしんと冷える。

でも時雨れている程度だったので、ほとんど濡れずに済んでよかった。

今年はどんなお料理かしらと期待していたが、年々内容が落ちているような気がする。不景気のせいかなあ。おまけに着物は私一人だけだった。珍しい。

お座敷で、着物でいるので足を崩すことが出来ず、組み替えながらも始終正座をしているのはやはり辛い。よく、足がしびれなかったと我ながら感心してしまった。

情けないなあ、今の若い奴はと言われそうである。

 

いつもは二日に分けてある新年会も、生徒さんが増えたのか、今回は3日にわたって催される。そのせいか、今日は人数も少ない方で(と言っても15人)、知り合いは一人もいなかった。

お料理の方も今ひとつとあって、最近食べに行くところ食べに行くところはずれであることを嘆く。美味しい京料理が食べたいものである。(お金払ってるんだしさあ)。

たん熊さんは味が気に入って、お料理教室の通いだしたのだが、3年半近くなる今、悪いが内容が落ちている気がする。習う内容だけならまだしも、お客さんと同じようにお金を払って頂くだけの新年会で味を落としちゃあいけないんじゃないの。

それとも生徒相手だから、若手の新人に任せて実験台にされているのかしら。

それでも社長が味見をするべきでしょう。

椀ものも蒸し物も味が濃かったので、がっかりである。

初めて食べたときの椀ものの出し加減は薄味で絶妙だったのに・・・。

不景気で見習いさんも減ったのかな。材料の質が落ちたのかな。

そう考えると兄の店も心配である。

折角河原町まで出てきたのだから、少し時間を潰して、お年賀がてらに差し入れを買うて顔を出す。アルバイトの人がいるだけで、私の顔を見るなり、「今日は遅いんですけど」と言う。いや、別に兄夫婦に用事があって来たんじゃないからいいのよ。

ちょっとでも売り上げにご協力をと思っただけです。

カプチーノを飲んで、さっさと店を引き払い、今度は神戸方面、御影まで稽古に。

一人で三都物語状態だな。

 

今日はおしとやかですね、とお世辞を言われたお稽古場。

はは、照れるわ。しかしお稽古は手を抜いてはくれない。前回よりは、間違いが減ったが、まだまだ間違いがある。再度そこを徹底的にやり直しをされてお稽古が終了。

京都を出たのが遅かったせいもあってか、すっかり遅くなってしまった。

今日も車で実家に帰って、着替えてから、夕食の準備をして遅めの夕食。

後片づけをして、お風呂に入ったら、12時近くなってしまった。

その時、屋根裏の方で、ゴトッゴトゴトゴトと、何かが歩いたみたいな音がする。

すると母が、「帰るの?もう夜遅いじゃないの。変な音して気持ち悪いから、泊まっていったら」と引き留める。

確かに音は気持ち悪かったが、2階に上がってみても何もない。

と言われたところで、寝る前の薬が用意していなかったので足りない。それを理由に帰ると主張するが、どうしてもと言われて、とうとう折れてしまった。

しかし、薬がないので眠れない。そこで実家にあるアルコールに手をつける。

ジンが少し残っていたので、それを飲むがまだ眠くならない。ウオッカが少し残っていたので、さらにそれを空にしてしまうが、まだ眠くならない。母は眠くなって先に寝てしまった。さらにビールを1缶飲んで、なんか気持ち悪くなってきたので、寝ることに。

明日は日文研に行けるんだろうか。

お休みなさい。

 

1月13日

今晩の夕食は、祖父の誕生パーティーで「てっちり」である。

祖父自身から「僕の誕生日に順子は来られるか?」とお誘いを受けているので、もちろんお断りするわけはない。美味しい料理と美味しいお酒があるのだから、頂きに行きましょう。時間は18時から。

昼間は、久しぶりにNOVAに予約を入れていた。英語のレッスンの予約は取れなかったので、フランス語のみ。

珍しく3人で2レッスンだった。たいていは一人なんだけど。

しかし、一月ぶりだし、その前は二月空いていたので、全然喋られない。だけど、3人だったので、時間は結構早く過ぎた。いいんだ、出来が悪くっても。続けることに意義があるんだから。そう言い聞かせて、レッスンを終了した。

でもさすがにあまりにひどかったので、1月中にもう一回は必ず行こうと予約を入れて変える。キャンセルする羽目にならなきゃいいけど・・・。

 

年始早々に携帯のストラップが壊れたので、ロフトに新しいのを購入しにゆく。

まだ時間があるので、祖父の誕生日プレゼントを買いに出かける。

何でも持っているので困ったが、靴下なら消耗品だし履いてくれるだろうと思い、ちょっと若者向けかな、とも思ったが、種類が豊富なので「ポール・スミス」で購入。

気に入ってもらえるだろうか。

 

親戚も何人か集まり、てっさを食べ、早速てっちりを始める。白子もあって、美味しい。

他に来ることになっていた従姉妹2人が、1時間近く遅れてきた。バースデイ・ケーキのローソクを点灯して御祝いするのをみんなで待っていたため、ブーイング。しかも二人は御祝いにケーキを買ってきていたために、重なってしまった。まあ、明日食べたらいいじゃないかと言うことで、92歳(数えで)用に大9本、小2本のローソクに火をつけ、御祝い。しかし、全部のローソクの火を消すほどの力は祖父にはない。(結構力いるからね)。とりあえず1本だけ消して、残りは周りが手伝って、拍手。元気で良かったね。

歌を歌うのもお腹に力がいるために健康にいいと言って、伯父がカラオケをしようと言い出す。カラオケ苦手なんですけど・・・。まあ、自分が歌わないのだから、周りでかけ声かけて、手拍子を打つ役に。

その間、若い従姉妹二人は1階のカウンターにお寿司を食べに行ってしまった。(2階が座敷になっているのである)。うまく逃げたな、と思うが、てっちりの後は雑炊もあるし、ケーキもあるので、お寿司を食べる余裕が私の腹にはない。せっかくの祖父の誕生祝いなので、祖父を大いに盛り上げてあげよう。

 

お腹一杯になって帰途につく。明日は何もないから、ゆっくりと休もう。

 

1月12日

新春能。神戸文化ホールに出かける。新春能ということもあって、曾祖母から伝わった着物を着て出かける。折角私の手に入ったのだから、精一杯着なくちゃ。

これも何かの縁。よくよく話を聞いてみると、曾祖母が厄年の時に作った着物だという。

私も今年は本厄である。本当に深い縁があったとしかいいようがない。今年は折りにつけて、この着物を着たいと思う。

昨日も夜が遅くなってしまったために、薬で眠れてはいたのだが、朝少しボーとしていた。

うちの師匠は舞囃子で出演である。

おととい熱があったから大丈夫か心配であったが、さすがプロ。堂々たる神舞を舞ってくれて思わず惚れ惚れしてしまう。

あー、あんな風に舞えたらいいなあ。

家元の能楽は「砧」。少しうつらうつらとしてしまった。(眠れるのはいつでも今の私にとってはいいことなんだけどね)。失礼しました。

狂言は人間国宝の茂山千作さんである。本当に面白い。以前もこの狂言は見たことがあったのだが、今回は以前に増して笑ってしまった。初笑い。体にいいだろう。(もちろん年が明けてから一度も笑っていないことはない。)

 

今日から連休。またもやお付き合いの日々。

断らない自分が悪いのだから、自分のせいじゃないか。

夕食は、母と二人で着物を着ている上に、遅くなったので、ゴルフ返りの父に外食にしてみては相談する事に。

母は自分がいっても無駄だから、私が父に電話をするようにいう。

ハイハイ、と思って携帯に電話を入れると、向こうから一緒にゴルフに行った人と外食するから合流しないかと言ってきた。何とまあ、タイミングのええ事。

私も知っている人なので、合流して食事を済ませ、実家に帰る。

着物を着替えて、お風呂を借りて、さあ帰ろうと思ったが、また引き留められる。

かなんなあ。

 

1月11日

くー、やはりダメだった。

年末年始以来の疲れがたまったせいだろうか、昨日の夜がかなり遅かったせいだろうか、とにかくダメなものはダメである。

昨晩のうちに出かける用意もしておいて、服も着替えた。だが出られない。

火曜日も休んだとこやないのん、と自分を問いつめたところで、時間はどんどん過ぎてゆくばかり。

今日は診察日なので、3時のバスに乗らないと間に合わない。この時間帯はほとんどバスがないのである。ということは日文研を出るのは10分ほど前、仕事を片付けるのに時間があるから、2時半頃にはバイトを終えなくてはならない。

だから、今日は朝から行かなくては意味がないのだ。片道2時間近くかけて通っているのに、滞在時間が2〜3時間では、往復の時間の方が長いことになる。それはあまりにも虚しい。時間的にもすごく損した気分になる。

次の電車、次の電車と思いながらも虚しく時が経ち、とうとう諦める。

なんて情けない奴なんだろう。

 

めまいがして頭がクラクラしている。仕方がないので、とりあえず一休みをする。

少しましになったので本を読んでいると、夕方になってしまったので慌てて病院へ。

猛スピードで歩いて(走る気力がないところがまた情けない)、息を切らせながらぎりぎり受付時間に間に合う。

今年最初の金曜日の診察日とあってか、診察室はこんでいる。何とか席を見つけて、座り込むと、5時の受け付け終了のベルが鳴る。

本を開けながら順番を待っていると、大して慌てた振りもなく、極普通にやってきて受付をしてもらっている人が二組もあった。

何だ、パンクチュアルに時間守って、あわてふためいてきた自分が馬鹿みたいではないか。

だからといって、堂々と時間を無視するほどの度胸はもちろん私にはない。

私は小心者なのである。まあ、人は人、と思って本に目を落とすのだが、あまり集中できない。同じところを繰り返して読んでいる。

ようやく順番が回ってくる。

年末年始が結局ゆっくりと過ごせなかったこと。今週に入って、火曜日と今日とバイトに行けず、挫けてしまったことなどいろいろと話す。

「年末年始は一人で、近場でいいから海外の暖かいところでゆっくりと過ごした方がいいね、来年はお金があればそうしなさい」といわれる。

来年って、私来年も通っているんですか?と、内心どきどきしながら会話を続ける。

結局疲れているのだろうということになり、夜よく眠れるように、不眠時に出されていた頓服が、夜寝る前に飲むように変えられる。

とにかく今は寝ることが一番大切ということになり、年末からそうだったが、しばらく毎週来るようにいわれる。

祖父母も両親も親戚も友達も、誰一人悪くない。

私がただ連続した対応が出来ないだけ。引きこもれる日が欲しいというわがままなだけ。

やっぱり自分の問題なんだよなあ。

 

1月10日

今日は女学院にてバイト。

学生さんも試験を間近に控えてか、思ったよりも利用は少ない。

満席にならないとはいえ、コンスタントに利用者が来るので、手を休めるほどではない。

適度な忙しさだ。

その合間を縫って、本を読もうと思うが、なかなか手が放れずに進まない。

まあ、仕事が本業なんだから、本を読もうという方が間違いなのだが・・・。

相当胃が疲労しているのか、あるいは正月休みの疲れがたまってか、午前中はかなりしんどくて辛い。

でも、開室早々に来てくれる学生さんには笑顔で対応。

昼休み(1時間)に入ってから、30分ほどぶっ倒れるように意識が朦朧。

ハッと気がついて、残りの30分で、さんざん悩んだあげく昼食を取ることに。

お腹が空いていないので、このまま倒れていても良かったかなあ、とも思う。

今日は学生さんの引きも早く、閉室準備も順調に。

 

終わってから、さあお稽古と思って下山(女学院は(岡田)山だからね)をしようと思うと、途中で、修士時代の同級生が登ってきているのにばったり出会う。

久しぶりである。彼女は別の大学の博士課程に進学したのだ。

私が体調を崩してから、ホーム・パーティをあまり開催しなくなってしまったので、会う機会がなくなっていたのである。

お互い、将来のない今の状況について、分かってはいたもののと言いつつ嘆き合う。

でもよくよく聞くと、彼女は春頃に出版が一冊決まっているらしい。

内心焦りを隠せないが、心から彼女の業績を祝福する。

私もがんばらなくっちゃ。

お互い励ましあいながら、別れる。

 

すっかり話し込んでしまって、遅くなってしまった。

慌ててお稽古場に駆け付ける。

先生の目が充血していると思ったら、38度近く熱があるとのこと。

そんなんで稽古していて大丈夫なのか、と思いつつ、稽古初めなので、新年の挨拶と、おぜんざいを頂いてから、初謡い。

その後舞の稽古だったのだが、かなり期間が空いているために、イメージ・トレーニングでおさらいしていたつもりなのだが、細かい箇所で間違いをたくさんしてしまい、初稽古早々叱られる。しゅん。

 

お稽古が終わってから、家に帰ろうと思い、母が車で来ているので方向が一緒のついでに送ってもらおうと思っていると、「夕食はおじいちゃんのところで食べるからね」と言われ、途中で飛び降りるわけもいかず、同行をする。

帰りが遅いので当然夕食をすんでいるだろう。今更いっても遅いのではと思うのだが、今日は誰も顔を出していないために、祖父がどうしても麻雀がしたいために帰りに寄るように言われてきたという。

じゃあ、仕方ないか。祖父は今年91歳になる。高齢の祖父を邪険には出来ない。

私たちの夕食がすんで、片付けた後、俄然元気を回復をした祖父がいさんで勝負に臨む。

遊びはもう終わりと思っていた意志が早くも挫かれる。とはいえ、「しない」といって、本を読むわけにもいかない。まあ、結果的には勝たせていただいたので、文句を言う方が罰が当たるというもの。ありがたく勝負を終わらせていただく。

 

今日も何もできなかったなあ。

明日は診察日。その前に日文研に顔を出せるといいけれど、もう夜中。

ちょっと自信がないかも。

まあ、明日は明日の風が吹く。

 

 

 

1月9日

朝から無事日文研に到着。雪がちらちらと舞っていた。うう、やっぱりここは寒い。

結構重装備で行ったのになあ。さぶいさぶいと思いながら、バスが一緒になった先輩と話しながら、バス停から日文研へ雪の舞う中歩いていく。わずか10分弱の距離なのだが、風が冷たくてちょっとおよび腰。なさけな。

しかし、建物に入ってしまえば、まあ暖房も効いてることだし、足下が冷えるが膝掛けをかけて、ばりばり仕事に励む。

ずっとパソコンに向かい、エクセルの細かい升目に入力していくと、結構肩が凝る。

CMのデータベースを作成しているのだが、年を遡って行くほど、情報が曖昧になり、調べものが増える。一応、今の入力事項に関しては、今月中にすましたいと思っていたのだが、大丈夫かなあ。昨日みたいに休まなければ何とか間に合うだろう。

会う人、会う人に年始のご挨拶をし、パソコンに向かっているとあっという間に17時になってしまった。

あー、パソコンと寒さで身体ががちがちである。

今日は夜にカイロプラティックの予約があるから、2週間ぶりに身体を矯正してもらおう。

寒いけど、足と身体をさっと洗って、出かける。

「今日は一段と固いですね」と言われてしまった。

はい、自覚はあります。とりあえず簡単な身体の力を抜く呼吸法と方法を教えてもらい、ついでに簡単なストレッチもしたらいいとアドバイスをもらう。

家に帰って、本格的にお風呂に入り直して、軽く夕食を取る。

そういえば、今年は七草粥をしなかったなあ。

胃腸さんもさぞかし疲れていることだろう。(肝臓もかな。)

今日は久しぶりに健康的な食事とノン・アルコール。

本を読み始めるとすぐに夜遅くなってしまった。

最近、パソコン君の調子がいまいち良くない。まだどこかにウィルスがいるのかしら。

昨日の買い物で、腕が筋肉痛になっているため、今日は日文研にパソコンを持っていく余裕がなかったけれど、来週は持っていって、チェックしてもらおうかなあ。

自分では何もできない機械音痴である。いつも人任せ、頼り切り。情けないとは思うがよく分からないのだから仕方がない。

機械に強い人には尊敬のまなざしを送ってしまう。

まあ、頼れるところがあることだけは心から感謝しないとね。

さあ、明日は女学院にてアルバイトの後、謡曲の稽古初めである。

あ、おさらいしとかないと忘れているなあ。やばい。

 

1月8日

誓ったばかりにもかかわらず、また悪い病気が出てしまった。

15分前にはもう家を出られる準備万端で、余裕で朝のお紅茶を飲んでいたのだが、いざ日文研に仕事始めに出かけようと思うと出られない。

腹痛、頭痛がしてくる。

なんでなん?と自問自答したところで出られないものは仕方がない。1本電車を遅らせて出かけようとするが、やはり出られない。

やっぱり、キッチリと休んでいなかったのがいけないのね。分かりました。明日には絶対日文研に行こうねと独り言をぶつぶつ言いながら、家に留まる。

そうだ、気になっていた本を最後まで読んでしまおうと思い、ぼやけた頭で途中何度も読み返しながら、ようやく読み終えた。

昨日はあんなにすらすら読めていたのに、たった1日でなんでこんなに違うんやろう。

気にしない、気にしない。

そんな事もあるさ。気にしていたら、ますますマイナス・モードになるだけだと言い聞かせ、まずは一歩と考えることに。

そうだ、いつもなら平日の昼間はバイトでいないのだから、今日は銀行や支払いを済ませようと思う。

午後になって少し元気になってきたので、銀行、郵便局、コンビニとまわり、各種雑用をこなしていく。

考えてみれば、ほとんど家で食べていなかったので、冷蔵庫が空っぽである。家にいても食欲湧かないときが多かったので気にならなかったのである。

これからお弁当もいるし、ちょっと足を延ばして、つかしんまで買い出しに出かける。

果物が安かったので、ビタミン、ビタミンと思いながらついつい買ってしまって、荷物がぎっしり重くなる。

家に帰ってきたら、腕がしびれていた。あほやなあ。

ペーパーの書き直しをしようと思うが、頭が働かない。次の本を読もうと思うが頭が理解しない。単純な作業なら反応してくれるのね。

家に帰ってから洗濯をして、掃除をしていたら、あっという間に外は真っ暗に。

よし、今日は遊んで、明日から仕切り直しにしようと誓い、またしばらく顔を出さなくなるので、祖父母の家に夕食および、麻雀のお相手に行くことにした。

ラッキーなことに、今日も勝たせてもらった。

気持ちよく?家に帰って、ゆっくりお風呂に入り、明日に備える。

明日は絶対仕事始めに行くぞー。

 

1月7日

さすがに大学の初日とあってか、AVライブラリーも暇である。とはいえ29人の利用者が来ているのだが。

読もう、読もうと思って途中で止まっていた本をばりばり合間に読む。

もちろん仕事も卒なくこなす。

昨日も頓服薬まで一緒に飲んだから、朝まで眠れることが出来た。

夕方になって閉室の準備をしていて、ハッと今日研究会があることに気がついた。

すっかり忘れていた。

少しは書いていこうと思っていた原稿ももちろんない。

はあ、年始から物忘れの激しい事よ、と嘆いてみても仕方ないので、おそるおそる顔を出す。先生方もまだエンジンがかかっていないのか、結局みんなあまり進んでいないことが発覚。ちょっとホッとした。

人一倍やることがのろくなってきているため、早めに早めに今年は始めようと思っていた年始だったが、蓋を開けるといつもとかわらんやないけ。

あかんたれやなあ。ほんまに。

まだ始まったばかりではないか。今日は本もほぼ読めたし、研究会は参加することに意義があるとして合格にしようではないか。

はっはっは、プラス思考、プラス思考。

こんなんで、乗りきれんのかなあ。

 

1月6日

今日もだらだらして、明日の仕事始めにそなえようと思っていたら、またもや電話。

父がゴルフに行っていないので、お昼をどこかで食べて、その後祖父母の家に行こうという母からの誘い。

祖父母の家にCDを忘れて帰ってきたことを思いだして、へえへえと言いながら承諾する。

結局今日もだらけた引きこもりが出来なかったと残念に思うが、祖父母も最近顔を出していないのでどうしているのかと言われるので、お相手に行くことに。

もちろんお相手とは、麻雀のことである。

今日は誰も顔を出していないと思っていたら、伯父が来ていた。

祖母が夕飯の買い物に行くというので、祖父と伯父と母と4人で初打ちである。

昨年は、年間トータル(といってもあまり数はしていないのだが)で、4400円も負けてしまった。

今年こそはと意気込んで、初打ちは一人勝ち。ラッキー。

夕方になったので、母は当然のように私を実家に伴って父と食事をするつもりでいる。しかし、もう十分ではないか。

どうせなら外食の方が人目もあるので緊張するし、或る意味、時間が限られていて気が楽である。

実家で食事をしても、無意味にTVが流れているだけで、特に会話もないじゃないか。

2月末で閉店するご愛用のお店があるので、そこに食べに行かないか?と母に提案。

その店から家までは歩いてすぐだから、帰るにも近くて便利だ。

母は父に聞いてみて、OKが出たら構わないと言うので、父に電話をして提案する。

父もお気に入りの店だけに、OKが出て、店で落ち合うことに。

ラッキー、と思いながら、CDが邪魔だから、他の荷物を置いて、予定していなかったので持っていなかった薬を取りにいったんは家に帰り、最小限の荷物にして店に行く。

またしてもワインをがぶがぶ飲んでしまった。

ええ加減に休肝日を作れよな。ぼけ。

明日から仕事始めである。

さあ、今年も頑張るぞ。

 

1月5日

久々に予定がない日である。連日連夜出歩いているものだから、さすがに疲れがたまってきた。昨日は飲んでいたわりには酔っぱらっていなかったので、薬を少し増やして飲んだ。

おかげで、昼頃までごろごろすることが出来た。

しかし、身体がぶつぶつ言いだしてきている気がする。

そうだよね。どんなに楽しくっても、人疲れは誰だってするものね。

昼間にゆっくりとお風呂に入って身体をリラックスさせる。

昨年中に読み切れなかった本を読もうとするのだが、だめだ。頭が働かない。

気付けば字面だけ追っていて、全然頭に入らず、ぼけーっと他のことを考えている。

しゃあない。今日はお休みの日にしよう。

考えてみれば、冬休みらしきものに入ってからも、なんだかんだと予定が入り、結局1日家でゆっくりしている日がなかった。

やらなければならないことも山積みなのは重々承知だが、今の私の体力には休養日が必要である。そう言い聞かせて、ホット・カーペットの上でごろごろしながら、無駄な努力で本を眺めている。

そういえば、朝からほとんどものを口にしていないことに気付いた。

でも胃腸も疲れてきているので、あまり食欲もないし、温かいミルク・ティーでも入れて、ホッと一息。

すると電話が鳴った。

母からである。夕食のお誘いと、ついでに買い物まで頼まれる。

父は、兄夫婦が実家に泊まらなかったことが不満であったらしく、どうもしわ寄せが私に来ている気がする。

折角いい気持ちでごろごろしていたのになあ、と思いながらも断りきれない自分がいる。

どうして断れないんだろう。正月に顔を会わせていたのだから、別にええやんかとも思うのだが、娘を思う両親の気持ちをなかなか裏切ることが出来ない。

仕方無しに家を出て、年賀状のお返事をポストに入れ、買い物をして実家に向かう。

どうせだから、またお風呂に入って帰ろうと思い、洗顔などの用意をしていく。

実家は風呂屋か。でも片付けしてからすぐにお風呂に入って長湯をしていれば自分の時間が出来るから良いんだ。

ちょっと姑息だとは思うけれど、これぐらいしてもいいと思う。

またもやワインを飲んで、身体さんにわびを入れなくてはならない。長湯で許せ。

こうして1日が無為に過ぎていく。

 

1月4日

杖の先生のお宅で夕方より新年会。

おせちの残りをしつこく持ち寄る。他家のおせちを食べる機会が余りないので、なかなか珍しい。どこも家庭の味がそれぞれ出ているなあ。

しかし、みんな卒論で忙しいのか、集まった数は少なかったので少し寂しい。

でも、あんまり大勢だとご迷惑にもなるし、まあいいか。

ビール飲んで、ワイン飲んで、日本酒飲んで、とおせちをあてにだらだら深夜まで遊ばしてもらった。

師匠の長女が、人がいつもより多いので興奮して大騒ぎである。

めちゃくちゃかわいい。次女は人見知りをしてか、私たちが伺うなり泣き出してしまった。

そんなに怖くないって。

こじんまりとしてだが、いろいろお話が出来て、なかなか楽しい新年会を過ごさせて頂いた。

新年早々、夜遅くまでお邪魔してどうもすみません。

ありがとうございました。

 

1月3日

みんなが就職して働くようになってから、3日に顔を合わせるのが何となく恒例化してきた。

私の家では狭すぎるので、実家を借りて、お昼から友達と新年会。今年は6人集まった。

一人は今年の春から留学することとなり、一人は春に結婚が決まったという。

みんな新しい門出にふさわしく、いろいろ進んで行くんだなあと実感。

内心通院が続く自分に焦りを感じるが、めでたい正月であり、めでたい友の門出である。心から祝福と活躍を祈ろう。

昼間からワインを3本あけて、最後は紅茶とケーキ三昧。

久しぶりに会うから、いろいろ近況報告も兼ねて話が弾む。

毎年3日は両親ともゴルフに行って、夕食は行きつけのお寿司やさんにて新年の挨拶兼ねて食べに行くことになっている。

7時頃に新年会を終えて、片付けをみんなに手伝ってもらい、一緒に私も実家を出て、寿司屋に向かう。友達が車で来ているので、駅まで送ってくれた。寒いから感謝。

折角お寿司やさんに行ったところで、さっきまでお茶を飲んでだらだら食いをみんなで続けていたのでお腹は減っていない。

とりあえず日本酒とあてをもらって、新年の挨拶をする。

昼間っから飲み続けだなあ。そろそろ胃腸さんを大切にしなきゃ。

でも明日も新年会。まあ、正月だしね。

 

夕食後?は、祖父母の家に伺って、念願のお年玉をゲット。

一人遅れたせいで、本当に中身が割り増しになっていて嬉しい。ラッキー。ハッピー。

そういえば、初詣のおみくじも大吉だったし、厄年とはいえ、小事で物事がすんでいると思えば、良いことづくめじゃないか。

やっぱり、プラス思考で生きなきゃね。るんるん。

 

1月2日

今日は親戚一同が顔を合わす毎年恒例の行事がある。夕食をみんなで食べにゆくのだ。

そして、祖父から全員に「お年玉」が頂けるありがたい日でもある。

着ていくものがないので、着物を着ることにする。

今日着る着物は、年末に祖母からもらったものであるが、もとを辿れば曾祖母が若いときに来ていたものを祖母がもらったものである。

まさに大正ロマンの着物である。地紋に縦縞が入っていて、紫色のかなり粋な着物であり、帯もグリーンに金糸、銀糸で全体に模様が入っていて、見た瞬間に気に入ってしまい、もう着ないと言う祖母から頂いてきたのである。

祖母の体型に仕立て直してあるので、身長差からはしょりの部分はとれない。けれども、今では着物は非日常のものであるから、はしょりがなくても気付かない人も多いだろう。

気にせずに着ることにした。

まだ、一人では綺麗に着ることが出来ない情けない奴なので、母に着付けを頼む。

そのために実家に早めに来るように言われていた。

とはいえ、夕方5時半頃から夕食が始まるのだから、4時頃に行けば間に合うだろうと思い、年賀状の返事を書いたり、心持ち掃除・洗濯なぞをしてみたりして、ゆっくりと時間を過ごしていたら、昼頃に「まだ来ないの?」と催促の電話が入った。

「ほえ?」と思いながら、催促されるので、結局1時頃に実家に到着。

昼御飯がまだだったので、同じくまだ食べていないと言う母と二人でおせちを食べる。

父は寒い中ゴルフに行っているという。ご苦労なことである。好きで行っているのだからいいのか。

夕食が早いので、お昼は控えめにしているが、昨日から一応全種類食べて味の確認をしておく。明日は中高部時代の友が集まっておせちの片づけに来てくれる予定だからである。

人様に出せるか確認が必要だ。

片づけ終わってから、着物に着替えようと思ったら、母が着物を着るときぐらい化粧をしろという。普段はノー・メイクだからだ。

そういわれても化粧道具は家に置いてきてしまった。うるさいので仕方なく母の化粧道具を借りて、久しぶりに化粧をする。まあ、正月だしいいかな。

着物に着替えると結構行けているではないか。色が地味だから似合うかちょっと心配だったが、これなら大丈夫。着物ってやっぱり良いなあ。

ユキが合わないので、襦袢は祖母のを借りてきているのだが、この寒さにコートが合わない。しかし、背に腹はかえられないと、母の古い絞りの羽織を借りて、その上にショールを羽織って、いざ出陣。

げ、寒い。風が冷たい。首もとはショールで覆っているので大丈夫だが、袖からぴゅーぴゅー冷たい風が入ってくる。

でもまあ、近いところなので我慢する。

親戚のあいだで新年のご挨拶を交わし合い、それぞれ席に着く。

着物が凄く好評だったので、祖母から、借りていた襦袢まで頂いてしまった。

今年はもっとたくさん着ようっと。

さて、恒例のお年玉の時間になる。いつ名前が呼ばれるかとわくわくして待っていると、なんと私の名前だけがなかった。書き落としていたらしい。

とほほ、やっぱり厄年か。と思っていたら、明日取りに来たら、少し割り増ししてくれると言うので、ラッキー。明日の夜ありがたく頂きに行こうっと。

実家に兄夫婦と共に戻って、私は服を着替え、今晩義姉の実家に泊まるという兄夫婦と一緒に実家を後にして家に帰る。

今日も長い1日だった。

 

2002年1月1日

あけましておめでとうございます。(って昨日のうちに年越しちゃったけど)

今年もよろしくお願いします。

今年が皆様にとって良い年になりますよう、お祈り申し上げます。

 

昨日の夜がかなり遅かったので、今日は昼頃までゆっくりごろごろしていた。

お昼御飯を兼ねて、新年のご挨拶。

おとそを頂いて、お節料理に、白味噌のお雑煮。祝い鯛。

おとそといっても、普通の清酒を入れているので、残りを飲みながら、昼から酔っぱらい。

一度家に帰って、年賀状を眺め、返事を書く人だけをピックアップして、祖父母の家にご挨拶に。

祖父母とも高齢だが、元気に新しい年を迎えられて幸せである。

夕食も実家で食べるのが当然と思っている両親の期待を裏切れずに、祖父母の家からまたもや実家に向かう。

父は、あれほど苦労して作ったおせちに見向きもせずに、他の食べ物を要求してくる。

正月やねんからおせちを食べようよ。折角みんなに喜んでもらえるように作ったのに。

実家に帰ると気を使うが、唯一の喜びは「お風呂」である。

私は広いお風呂が好きである。今の家のお風呂より、実家の方が広くて、明るくて、おまけに追い炊き機能もついているからいつでも暖かい。

今の家のお風呂はお湯をはるだけである。だから、冬場に長湯をしていると、どんどんお湯がぬるくなっていき、結局ちゃんと暖まれずにいることが多い。

体質が変わったせいか、冷え性がきつくなったこともあり、お風呂でしっかり暖まれないのがいつも悔しい。

また、お風呂の中で本を読むのが好きである。家のお風呂は狭いから、本をぬらさないようにいつも苦労している。(結局は濡れてしまうんだけど)。

その点実家のお風呂には窓のところが出っ張っているので、そこに本を置けば濡れる心配はない。まあ、湿気ることはあるけれど。

夕食をすませて、片づけをし、鯛の身をほぐしてタッパに移し替え、お重から残り物を全部タッパに入れて、冷蔵庫に保存する。最近の家は暖かいから、外に置いておくとすぐにダメになるからだ。

さて、お風呂に入って、湯冷まししないようにして、家に帰る。

ホッと一息。

今年はバタバタしていたので、家の大掃除が出来なかったので雑然としている。

ちょっと気になるが、まあいいか。

不眠日記 /2001年