不眠日記・2001

12月31日

朝、右脇腹の上辺りに激痛を感じて動けなかった。

疲れているのかもしれない。

薬のおかげで眠れているのだが、夜が遅いというせいか、生活が不規則になっているせいか、どうも調子がいまいちである。

しかし、そんなことは言っていられない。

今日は残りの焼き物をして、その後切り分け、お重に詰めなければならない。

しばらくすると痛みも収まったので、早速仕事に取りかかる。

伊達巻きを焼いて、松型玉子を焼いて、焼いて焼いてと焼き物づくし。

お昼には、デリバリーのピザを注文する。

胃が少し重い。

 

そういえば、実家に顔を出していた野良猫の子猫が、凍死か餓死か、可哀想に、今朝ガレージで死んでいた。

大叔母が、庭に埋葬してあげる。供養してあげなきゃね。

昨日の夜中まで、みーみー鳴いていたのに・・・

本当に可哀想なことをした。餌をあげようと思っても、そこは野良猫。

人の姿を見ると、ひょこひょこと走って逃げてしまうから、どうしようもなかったのだ。

 

夕方にようやく完成。

後はお重に詰めて行くだけだ。全部詰め終えて、各家に配り終わったら、夜の8時頃。

年越しそばだけでは、夕飯にならないと言うわがままな父のために、サラダやソーセージなど用意をして、その後は仕上げに正月のお飾りをする。床の間の軸を変え、鏡餅を飾って、花を飾って、ようやく完成。

はあ、疲れた。

ワインをあけながら、労をねぎらい、夕食につく。

母も疲れてか、ワイン一杯で、私が泊まるために敷いていた布団で眠り込んでしまう。

父も昼から飲んでいるので、早々に床につく。

気がつけば今年ももう終わり。

夕食の後片づけをしようと思うと、手が滑ってワイングラスが床へ・・・

パリーンと音を立てて割れてしまった。

なんて縁起の悪い。

一人で、濡れたキッチン・タオルで細かい破片を拭き取りながら、掃除をする。

痛っと思ったらガラスで指を切って、流血の惨事。

とほほ、と思いながら掃除を続けていると、TVではカウントダウンを。

情けない年越しとなってしまった。

仮眠している母をとりあえず起こして、年越しそば(年越しちゃったけど)を作って二人で、新年の挨拶を。

私はグラスを割って、後始末をしながら年越しという縁起の悪いこととなったので、今年本厄が的中した感じ。

厄払いを兼ねて、近くの神社へ初詣。

あー、新しい年はどうなるんだろう。

 

12月30日

朝から近くのスーパーに買いだし。

昨日の夜が遅かったから、朝は少し遅い目に目が覚めた。

薬も増やしてもらったから、順調に効いているようだ。

午前中に買い物をすませて、軽く昼食を取ってから、早速料理開始。

味がしみるようにと、煮物や酢の物と揚げ物が今日の仕事である。

まずは揚げ物と煮物の半分を担当して、とりかかる。

 

今年は品数にして40種類ほど作る予定である。

ぼやぼやしていられない。たちっぱなしで休みなしで夜まで作り続ける。

夕御飯を作る余裕もないので、毎年この日は、近所のお寿司屋さんに食べに行くことになっている。

ことしは祖父母と伯父夫妻なども食べに来ていて、メインはてっちりであった。

いつもならお酒を飲みつつ、ゆっくり味わうのだが、今日はまだ仕事が残っているためにゆっくりとしている暇はないし、飲んで酔っぱらっている場合でもない。

帰ってからも、仕事は続く。

結局今日も夜中の2時までかかってしまった。

TVをつけるとブルース・リーの「ドラゴンへの道」が放送されている。

ついつい見てしまう。見たことがある映画なので、ストーリーも知っているのだが、アクション・シーンになるとついつい見てしまう。

今もみながらこの日記を書いている。

鍛えられた体で、流れるような動きで動くブルース・リーはやはりかっこいい。

ついつい最後まで見てしまった。

時刻は3時半。

薬を飲んで早く寝なくちゃ。

お休みなさい。

 

12月29日

午前中、単発バイトをすまして、その後は母と共に京都・錦市場へ買い出し。

まずは、京都でお食事。

今年は、谷崎が愛用したというかの有名な「瓢亭」からのれん分けをした第一号の店・「瓢正」で食べる。

店内にはいると川端康成からの手紙が表装して飾ってある。

私は読み落としていたが、川端康成の『古都』に、なんと「瓢正」が出て来るではないか。

これは期待と胸をわくわくして料理を待ったのだが、期待は残念ながら裏切られた。

どれも味つけが濃いのである。

京料理とはとても呼べない。

「瓢亭」では、こんな思いをしたことは一度もない。

しかし、あれほど残すがの嫌いな私が、最後まで食べられないほど、味つけが濃い。

申し訳ないが、残してしまった。

期待していただけに、すごくがっかり。

 

その後は錦市場へゴー!

土曜日とあってか人が多い。歩行困難。

去年よりも相場が上がっているような気がする。

おまけに出来合いの物を作って売っている店も多い。

そうか、今年は同時多発テロの影響で、海外にこれまで行っていた人たちも日本で過ごすためにか、おせちの売れ行きも良いらしい。

たとえ、おせちを買わなくても、錦で出来合いの物を買ってきてお重に詰めれば、立派にお節料理が完成するのだ。そのために出来合いの物を作って売っている店が増えたのだ。

 

どれも家でするものばかりなので、とりあえず我々が求めているのは素材の方なのだが、素材の方は減っているために、去年よりも思うように買い物が出来なかった。

近くのスーパーの方が安いので、結局最低限のものだけを買って、兄の店へ。

お茶してから、兄の家のお重をもらって帰って、夕方に帰宅。

夕食後からは、早速おせちの用意に取りかかる。

夜中近くに一度家に帰って、元旦までの泊まりの用意をして、実家に行く。今日から缶詰だ。

よなべに、くわいの松型の飾り切りをする。

これは細かいので結構手間だ。

母がお風呂に入っている間に、一人で百合根の飾り切りに取りかかる。

結局終わったのが夜中の2時。

明日からこういう日々が続くのだ。ふう。

 

12月28日

今日もめでたく日文研に朝から出勤。

昼過ぎに井上先生にも会えて、ペーパーを返却していただく。

丁寧に読んで頂いたことに感謝。

ついでに本まで一冊もらってしまってまたまた感謝。

 

午後は早めに帰って、診察に行く。

今年最後の日と合って、待合室も満員状態。

結構待たされるなあ、と思いながら、本を読みつつ順番を待つ。

だけど、でかい声で話している人がいて、集中できない。なんかいらいらしている自分がいる。やだなあ。

 

いらいらしている自分を持て余しながら、順番が回ってきた。

持て余した感情が溢れ出てきて、どうしようもない状態に。

先生は静かに話に耳を傾け、吐露する私の堂々巡りの言いぐさに耳を傾けて下さる。

その後、いろいろ話をして何とか落ち着いてきた。

不安定な自分に嫌気がさすが、自己嫌悪に陥ったところでどうしようもない。

とにかく正月は寝正月にして、初詣とか出かけず家でゆっくりしているように言われる。

 

だけど、正月前が忙しいんだよね。

明日から3日間拘束かあ。買い出し、おせち作り。

休む暇無し。

今年は品数減らしたつもりでも多いからねえ。

はあ、明日は明日の風が吹く。

 

12月27日

ちょっと予定より遅れたけれど、日文研に無事到着。

早速仕事に取りかかる。

胃が重い。

御馳走食べてこの言い方は失礼だけどね。御馳走は美味しく頂いています。

明日で日文研も仕事納め。

私も診察時間までは、明日も働くつもり。なので、今日は中途半端なところで終わっても良いのだ。

でも、ちゃんと行けるかなあ。

 

井上先生が来ていたので、電話で研究室にいる先生を捕まえて、以前渡したペーパーについてのコメントを頂けるかを確認。明日の仕事納めには来はるので、明日頂けることに。

明日は何があっても行かねばならない。

昨日寝不足?だったので、明日のために今日こそは早く寝ようと思うが、家の掃除が出来ていないのが気にかかる。

不眠でも睡眠しなくちゃ動けない。

掃除より睡眠かなあ。

お休みなさあい。

 

12月26日

下川正謡会の忘年会。ステーキハウスにて、恒例の「しゃぶしゃぶ」である。

今年はお社中たちも忙しいのか、蓋を開ければビックリ、全部でたったの6人であった。

ちと、寂しいのう。

相変わらず、下川先生の独演会となる。周りのおばさまたちが茶々を入れる。

昨日から外食が続いていて、内心胃が少し重いが、口には出せない。

 

しかし、下川先生という人は偉い。というか、意志が固い。

とういのも、先日病院にて、「糖尿病」のおそれと「高血圧」を言い渡され、とにかく3カ月、医者の言うことを聞いて、ビールもやめ、食事制限もされているとか。

忘年会の場においても同じである。

「乾杯」のためにつがれたアルコールを摂取しただけで、お肉も「3枚だけ」と決めて本当にそれしか食べない。残りは他のお社中に、「食べて下さい」とふるまわれた。

その後はまたまた恒例の、祖父母の家にて、「麻雀」大会である。

もちろん勝ち負けは、現金払い。

その後は祖父母の家にて夕食をすました後、また「麻雀」が始まるのであった。

 

私もこの渦に巻き込まれ、「しゃぶしゃぶ」を祖母のおごりで美味しく頂いた後、その代償として、祖父母のうちでの夕食までは当然の如く付き合うことになっていた。

祖父母両者に「なんか、なおちゃん久しぶりやねえ」と言われてしまう。

え、1カ月も空いてないんだけどなあ。

でも、孫の顔が見たかったのね。すみませぬ。

私は「麻雀」プレイ組には加わらず、親戚同士で「麻雀」をした記録を総決算する手伝いをすることに。

今年は、情けなく、5500円も負けてしまいました。(1点が50円ね。)

母がぼろ勝ちをしているので、私の負け分はそこでカバーしていただいた。

感謝。

 

途中カイロプラティックのために抜けるが、そのままお家には帰れず、当然のように祖父母の家での夕食に付き合うことに。

メニュウはおでん。私は祖母の作るおでんは大好きだ。家庭の味なんて陳腐な言葉で形容するしかないんだろうけれど、とにかく好きなのである。

祖母は東京出身なので、普段の自分に比べると多少味つけが濃いと思うときがあるのだが、幾つかの食品については好物がある。おでんはその中の一つだ、

だけれども、昼間に御馳走を食べているせいか、あまりお腹が空いてないのだ。

すすめられるままに何とか胃に押し込む。

きつい、とは思うが、下川先生も含む親戚もいる場で失礼なのでそれは言えない。

何とか無事に夕食もすみ、片づけをして、やっとお家に帰れると思っていたが、明日と明後日は日文研の予定なので、母とおせちの今年のメニュウ決めおよび買い出しの準備をしなければならない。

結局家には帰れず実家に同行。そこから来年のおせちのメニュウを決め、そのための買い出しのリストを作る。気がつけば、夜中の2時。

とほほ。拘束の年末が近づいてきた。

 

12月25日

メリー・クリスマス!

今日は朝から日文研にてアルバイト。

無事に出勤できてめでたい。

昨日の夜開けたプレゼントの時計をつけて、新たな気持ちでGO!

 

夜は院生のみんなと沖縄料理を食べにゆく。

木屋町にある京都では有名なところ。無事博士号を取得した同期生を祝う。

久しぶりに顔を出した先輩を囲む。

ついでに忘年会。

だけれど、店は、昨日忙しかったのか知らないが、注文するものの半分は品切れ。

こんなんでええんかい。

でも、久しぶりにみんなで食べる食事、飲むお酒は美味しい。

みんなでわいわい騒いで、腹八分目で店を後にする。(と言うより注文してもないからだ。)

最初は他のみんなは焼鳥屋に行くと言っていたが、途中でボウリングに変更。

時間は21時半。今からボウリングになど行っていると、騒いでいる間に終電を乗り遅れそうなので、私は辞退する。

 

久しぶりに兄の店に行く。

グラスワインを傾けながら、結構暇そうだったので義姉といろいろ近況を話し合う。

今年は31日と来年の元旦まで営業するそうな。

京都に初詣に行った人は寄って下さいな。

どこもかしこも不況で深刻な状況である。

遅出の兄にも会ったことだし、終電に間に合わないといけないから早めに帰る。

お二人とも頑張ってね。

 

みんな大変だなあ。

 

12月22日

読書会。

範囲が広いので、急いでプレゼンをしていく。

先生の鋭い指摘。

それは、私の書き物同様、読書会においても読み込みがどこか甘い。

もう一歩踏み込めば、良くなるのに。詰めが甘いと。

仰るとおりです。

しかし、これは建築的なアドバイスだ。ありがたい。

結構胸に刺さる言葉ではあったけれどね。

よし、もう少し、もう一歩出せるように努力をしなくちゃ。

年明けには書き出せるように、もう少し文献を踏み込んで、読み込んでみようと計画を立てる。遅くてもいい、確実に一歩踏み出せるのなら。

やってみなければ、結果は分からないのだから。

そのために、この1年休みを取ったのではなかったのか。

後三ヶ月。ゼロからのスタート。プラスへ持っていけるように前進しなければ。

でも、昨日大分へこんだからなあ。

今はまだマイナスだな。

先週薬を変えてもらったときにはよく眠れていたと思っていたが、昨日から、また夜中に目が覚めるようになってしまった。やはりまだマイナスモードか。

 

読書会後は、忘年会を兼ねてのお食事会。

一人の子が悩みを訴え、みんなでいろいろ話し合う。

みんな悩みを抱えているんだね。私も一緒だよ。

 

明日、明後日と予定もないし、ゆっくり休んで、25日には日文研へ行こう。

 

12月21日

今日こそは、と試みてみる、虚しさよ。

今週は何がいけないのかよく分からないが、とにかく無理なのである。

日文研が悪いわけでもないし、バイトが嫌なわけでも全くない。

むしろバイトに専念している方が、気も紛れていい方なのである。

だけれども、この遠さが、寒さが、私を引き留めてしまうのかもしれない。

引きこもり症候群。

明日の読書会のレジュメもできていないから、これをしなくちゃならないからバイトしてる場合ではないんだ、と虚しく自分に言い聞かせる。

そして今日は家でレジュメづくり。

夕方になって、慌てて銀行に行き、それから診察へ。

行くといつもと様子が違う。

待合室は一杯だ。

昨日は、余りよく眠れなかった。薬の効果が落ちてきたのだろうか。

まあ、とにかく先生に相談しようと思い、明日の読書会でのプレゼンを考えながら、まだ出来上がっていない最後の章を読みつつ、時間を過ごす。

しかし、気配が違う。みんな苛立っているようだ。

しばらくすると、診察室から、救急隊員と母親らしき人が出てくる。何かを会話しているが良く聞こえない。

どうやら、救急で運び込まれて、途中で割り込んできた患者がいるらしい。その人が結構時間をとっているので、先に来ていた患者たちが待たされて苛立っているらしいのだ。

救急隊員の人たちが中から3人も出てきたのにはビックリした。

自殺未遂か?推測に思考がとらわれて、頭に本の内容が入らない。

とうとう一人の患者が愚痴り出す。「さっさと鎮静剤打って連れてけばいいのに・・・」

錯乱状態でかつぎ込まれたのか?良く状況が把握できない。

しばらくして若そうな女の人が診察室から出てくる。特に錯乱してもいなければ、自殺未遂でもなさそうである。母らしき人が声をかけるが、完全に拒否状態らしい。待合室で携帯で話をしているが、その話しぶりではまともそうである。ただ両親に対して拒否状態に陥っていることだけが窺われる。

ようやく順番が回って回転しだした待合室。

私の後に来た患者が、母との会話に拒否感を漂わせながら話している中に割り込んで、なんか話をし出した。

母らしき人に荷物を早く返せと言い、一人にしてくれと言っている。今夜はどこかのホテルに泊まるらしい。その後、会話に首を突っ込んだ患者と二人で話をしたり(結構大きな声で)、携帯で話をしたりしている。

私は自分のことを考えた。両親を拒否して、突然家を飛び出して一人暮らしを始めたこと。

未だにちぐはぐな親子関係。両親ともそれには気付いていない苦しさ。

それでも表面上は、和やかに両親と接触をして、ますます気付かせないように振る舞う自分の偽り。

展開される会話のどことなくずれた感覚。

待合室にうごめき、語られる患者たちの言葉。

その中にいる自分の存在。

私は異常なのか?正常とは何なのか。

ここに通わずにはいられない私は彼らと同類である。彼らは異常なのか?

今週、一度も日文研にいけずに引きこもりをしていた自分は、やはり異常?

耳障りな会話に苛立つ権利が私にはあるのか?ない。

ひどく気分が悪くなる中、ようやく順番が回ってくる。

しかし、先生も疲れているのか、いつものようには話をゆっくりと聞いてはもらえない。

唯一言、「やる気を出させる薬はないんだよ。せいぜいマイナスからゼロに引き上げる抗鬱剤しかね。とにかく今は寝ておき。何もせんでいいから。じゃ、来週。」

ますます自己嫌悪に陥る私。治癒しないのは私の努力がないせいか。

物事をこなせないのは、自分の努力がないだけなのか。

憂鬱。偽り。怠惰。

沈みゆく自分に逆らえず、すべての原因は自分にあることを改めて思い知る。

そうなんだ、生かすも殺すも自分次第なんだ、と。

 

12月20日

今年最後の女学院にてのアルバイト。結構忙しいところに突然、業者さんが来て、てんやわんや。それでもなんとか学生さんたちをさばいていく。

利用が多いのはありがたいが、使い方が悪いのか、寿命なのか、その辺りはよく分からないが、あちこちで機械さんが悲鳴を上げるのだから、仕方ありません。

しかし、明日で学校が休みにはいるというのに、みんな貸し出したソフトをちっとも返しに来ないなあ。延滞することに罪悪感がないのかしら。

公共のものなのだから、私物化するのは良くないのよ。っと言ったところで返しに来ないものは来ない。困ったものである。

今日も結構最後まで映画を見ている学生さんが多く、後片づけが大変。

 

バイトの後は、謡曲の今年最後の稽古に出かける。

はあ、今年最後、今年最後と何度かいたことやら。今年ももう終わりなのねえ。

私はと言えば、全然病気が治らないやんか。

薬は去年に比べるとずっと強くなっている気がする。あ、明日は診察か。

 

遅くなって稽古を付けてもらうが、今日は舞の稽古をみっちりとしていただいた。

だんだん細かいところの注文が出てきて、なかなか一度にはこなせない。

「イメージトレーニングだけではいけません。毎日でも舞って舞って舞い込まなくては、すぐ忘れますよ。実際に身体を動かさなくては、頭の中だけではダメです」と言いはるんやけど、私のこの狭い狭い部屋にどこに舞うスペースがありませう。

先生、それは無茶っていうもんですよ。

はあ、疲れた。

後は、忘年会だけだ。

 

12月19日

眠れているのだが、また出たアレルギーが。

用意もすまし、着替えもすんで後は時間通りに家を出ればすむことだけなのに、出来ない。

どうしても家から出られない。

しかも今日は、杖道の稽古に行く約束をしてしまったので、日文研を早めに切り上げて帰らなくてはならないのだから、この時間に出ないとまずいのだ。

でも、どうしてもできない。

とうとう断念。

今週末の読書会のための準備をすることにした。

かなり前に張り切って読んだのだが、既に過去の記憶と成り下がってしまい、レジュメを作ろうにも作れないので、また一から読み直していた。

こう、記憶力が悪いと本当に不便である。

こんな状態で論文が書けるのだろうか。既に引用したい箇所がどの本のどこら辺にあったのかも忘れている状態なのであるから、困ったものである。

もともとの頭の悪さに加えて、絶対薬の副作用が関係していることには違いない。

はあ、困ったものだ。

 

杖の稽古納めと読書会が重なってしまったために、私にとっては今日が今年最後の杖の稽古納めとなる。

夕方になって出かけていったが、案の定だれも来ていない。これでも少し遅れていったんだけどな。

師匠が来て誰もいないことになると失礼にも程があるので、稽古に行く約束をしていたのである。稽古着を用意し、お札を飾り、一人の寂しい稽古がまた始まる。

動いていないと寒いので、いろいろと基本技の稽古をする。

またもや一人で1時間も稽古することに。師匠はいつもよりも遅く、それでも指導に来て下さる。会社帰りにご苦労様です。

師匠は、私が一人ぽつんと体育館で杖を稽古していると、ひょこっと顔を出してくれて、いきなり事務連絡の話となる。

事務局という立場を、無謀にも引き受けてしまい、会員の皆様の連絡をいろいろまわす役目を仰せつかっているのである。

師匠が着替えに行っているあいだに、学生が一人来てくれたので、あまり時間がなかったが、稽古らしい稽古が出来た。

しかし、本当に身体を捌くことは難しい。甲野先生の身体を思いだしても、イメージしたところで動けない。

帰りはぎりぎり(ちょっと遅れたけど)カイロプラティックの予約時間に駆け込んで、身体をほぐしてもらう。

「いつもながら、固いですね」と言われ、「はあ、ガチガチですねえ」と答える。「自覚はあるんですね」と言われてしまうが、自覚があっても張りついて、ゆがんでしまった私の身体はそう簡単にはほぐれてくれない。

 

え、時計の使い心地?

ふっふっふ。クリスマス・プレゼントなので、クリスマスまで開封しないで置いてあるのさ。早く使いたいけど、なんか気分が出ないでしょ。

 

12月18日

午前中に単発バイトをすまして、午後は「歳末たすけあい能」を見に、湊川神社へ。

わが師匠は能には出ていないが、仕舞で参加。

補助席まで出しているが、平日もあってか、内情は半分ほどしか人が入っていない。

能は「俊寛」と猩々の「乱」。

狂言は「二九十八」。それに仕舞が5番。

能の出すα波で眠れるかなあとあこぎなことを考えていたら、ちっとも眠れずしっかり観能してしまいました。

まあ、これが正しくあるべき姿なんだけどね。

前回、薬が変えられてから、結構ちゃんと睡眠はとれていると思う。だから、別に昼寝しなくても良いんだけど。

ディナーは、一緒に能を見に行っていた母と、前回ワイン会ですっかり気に入ったレストラン「ルー・サロメ」で。

とはいえ、時間はまだ早く、おまけに母が用事があるから、18時半に店で落ち合うことに。

手袋を買ってきて欲しいと頼まれていたので、まずは大丸へ。注文通りの手袋があったので、それを購入。まだまだ時間があるのでしばらくは大丸でうろうろしていたのがまずかった。

外に出た途端、私は北に行きたかったのだが、「ルミナリエ」を見に来るお客さんが既に列をなして大丸の周りを囲むように押し合いへし合い東から西へと流動している。

その人込みの多さを横切るのに一苦労。

おまけに警備員の人たちが整理に出ているのは良いけれど、みんな「ルミナリエ」を念頭に置いているから、横切ろうとすると、横入りと間違えられて注意される始末。

だから、わたしは北へ行きたいんだってば。

ようやく人並みを突っ切ってセンター街へと向かうことが出来た。

まだ時間があったので、ジュンク堂にて、内田先生の新刊を買いに行こうと思ったのである。(すみません、まだ購入もしていなくて・・・)

ふらふらウィンドウ・ショッピングをしながら歩いていたら、これまた突然かわいい時計さんが、「私を買って」といっているではないか。目が合ってしまった。

それでその店に引き寄せられるように行って、間近で時計さんをじっと眺める。

腕時計は大好きなのだが、このところ金属アレルギーや、電池切れや、皮バンド切れなどトラブル続きで、携帯を時計代わりにしていたので、非常に不便だったのである。

そこへまた、店のお兄さんがすりすり寄ってきて「今なら2割引きますよ」なんて甘い言葉をかけてくる。

うーん、さんざん迷った末に、遂に時計さんの魅力に負けてしまった。

いいよ、いいよ。高い通院費払って毎日頑張って生きてんだもん。自分へのご褒美に、「クリスマス・プレゼント」を買ってやろうじゃないか。

その後、本も無事に購入したらちょうど良い時間になったので、「ルー・サロメ」へ。

この前はバイキング形式だったけれど、ジビエが美味しかったので、コース内容を聞いて、鹿肉が前菜でメインが鴨のコースを選択。

食前酒には「キール・ロワイヤル」。

母は、ほとんど飲めないので、後は一人でグラスワインを注文する。前回もいたフランス人の兄ちゃんがいて、初めは日本語で話していたけれど、そのうちフランス語で簡単な会話をすることになった。良い勉強になりました。

相変わらず、料理はうまいのだが、今回感じたのは、全体的に味が少し濃いめかな、ということ。私はかなりの薄味なのだ。だから、もう少し薄味の方が好みである。

といっても、西洋料理じゃ、こんなもんなのかな。

これが懐石だったら、絶対文句言ってるだろうなあ。

でもまあ、贅沢させていただいているので文句は言うまい。

時計も購入したことだしね。ふっふっふ。

 

12月17日

今日も女学院にてアルバイト。

授業も今週いっぱいなので、休講掲示も多く、結構暇かなと思っていたけれど、そうでもなかった。コンスタントに人が来るので、ずっと働いている感じ。

閉室ぎりぎりまで映画を見ている人が多かったので、後かたづけに結構時間をとられる。

使ったティッシュなどを置いていく学生もいて、マナーの悪さにほとほと疲れる。

げんなり。

バイト終了後は稽古へ向かう。

今は卒論の〆切が近いせいか、稽古に来る学生さんもほとんどいない。

ぽつんと一人で稽古をしている。

体育館は寒いし、寂しい。

師匠に注意されたところを思い出しながら、あれこれ稽古しているが、ちゃんと出来ているかは非常に不安。

1時間ほど一人で稽古していたら、ひょこっと学生さんが顔を出し、師匠の稽古着などを持ってきてくれる。しかし、まだ実験の途中だそうで、もう少ししたら戻ってきます、と言い残してまたどこかへ。

それから20分ほどして、その学生さんが着替えにやってきたら、師匠も会社帰りに到着。

二人で組んで稽古をし、それを指導していただく。

やっと稽古したという気になってきた。

帰りは、実験途中に稽古を抜けてきたとのことで、学生さんはまた実験へと急いで戻っていく。大変だね。

もう一人、稽古には間に合わなかったと顔を出した弟子と3人で、帰宅。

西宮北口の構内に出来た、シュークリーム屋さんで、お土産にシュークリームを買って帰るそうな。(買ってきてね、と催促されたらしい)。

師匠も良いお父さんしてますねえ。

私なんて帰りにお土産を買ってきてくれた記憶なんて一度もないからね。

 

今更ながら、広島からの帰りに何か買ってきては電話してくるけれど、遅いっちゅうねん。

あなたとは、悪いが非常に距離を置いてしか接触できなくなっているんですが。

しかし、当人は気付かず。そういう人だからね。

何故、私が気を使うてやらなあかんねん。はあ。

 

12月16日

何にも予定のない日。

昨日、酔っぱらって1錠飲むところを2錠飲んでしまったらしい。

睡眠効果がめちゃくちゃにきいて、昼間の電話の音で起きた。

近くのそば屋にお昼を食べるから来ないかという母の誘い。

作る気力はないので、用意をしてから出かける。

「眠そうな顔しているね」と言われる。

昼からビアなんぞも飲んじゃって、また眠くなる。

 

家に帰ってから、本を読もうと思ったらいつの間にか眠っていた。

気付けば部屋の中は真っ暗。18時過ぎになっていた。

お風呂に入って、眠気を覚まして、夜は近くの行きつけになっているお寿司屋へ。

「雪中梅」(あれ、こんな字だっけ?)が入ったので呑みに来いとお誘いがかかったから。

 

なんか、アル中の人みたいやなあ。

美味しかった。

 

12月15日

新しい薬が良くきいたらしい。いつもよりは遅くまで寝ていた。

さてと買い物に出かける。

今日のメニュウは「牡蠣とほうれん草のグラタン」に決定。

昼頃に仕込んで、稽古に出かける。

 

相変わらず、注意されてばかりだけれど、一生懸命念頭に置いて稽古をする。

納会は、お鍋を用意してくれていたので、美味しく頂く。

あまり飲む人がいないのか、なんか一人で飲んでいた気がする。

まあ、いつものことだけれど、家にはきちんと帰ってから記憶が飛ぶ。

誰と何の話をしたのかもう覚えていない。薬のせいもあるけどね。

 

12月14日

朝はたん熊さんの稽古。お節料理である。

結構細々したものを作るために時間がかかり、いつもよりも30分以上遅くなってしまった。

さ、病院と思ったところで、保険証が新しく切り替わっていたのに持ってくるのを忘れていたことに気付いた。

仕方ないので一度家に帰って保険証を取り、病院へ。

「朝からずっとしんどくて、目は覚めているんですけれど、午前中はほとんど使いものにならない状態なんです。かといって夜になって元気になるかというとそうでもなくて、いろいろやらないといけないことを目の前にして、気付けばただ座っているだけで1時間も2時間も経っているときが多いんです。自分がどうしていいのか分からなくなってきて・・・」と、泣き言を訴える。

原因は、寝ているようでちゃんと夜が眠れていないことにあるのでは、と言うことに。

確かに、夜中に何度も目が覚めるのは事実だし、目覚ましよりも必ず先に目が覚める。

ただ、動けないポンコツ状態なだけなのだ。

そこで薬を変えてもらう。

 

病院を出ると外が寒い。震えながら駅に向かい、梅田に出てNOVAへ行く。

レベル・アップテストを受けて、終わったら19時過ぎていていた。

今日はソウル・フラワー・ユニオンの今年最後のライブだったので、当日券で行こうと思っていたが、もう始まってしまっているではないか。

途中から当日券で行くのもしゃくに障るので、諦めた。

TSUTAYAの年間カードの更新に行く。場所は堂山。

ここのTSUTAYAは、時代劇の品揃えが涙が出るほど多い。それで会員になったのである。

その後、折角梅田まで来たのだからと、阪急百貨店に行く。町はすっかりクリスマス。

広告で出ていたアンティーク・リングを見に行く。

ライブに行けなかった腹いせに、思わずリングを衝動買い。もちろん現金なんか持ち合わせていないので、カードでお買い物。

もともと指輪は好きなのだが、お稽古ごとや料理の時には外さなきゃいけないので、このところ、あまりしていない。金属アレルギーも出たことも一因だけど。

 

外に出ると携帯がなる。

父がこの前誕生日だったこともあり、近くのお店で御飯を食べるから来なさいと言う。

そういえばプレゼントあげてなかったなあ。御免ね。

店に行くと、母が「ホール・イン・ワン」をしたという。

何か御祝いに買ってくれると言うので、今日買ったリングを買ってもらうことにした。

ラッキー。

 

高い高い人生の税金払ってんだもん。これぐらいの楽しみがなくっちゃね。

明日は杖道の納会である。

持ち寄りにしたので、何作っていこうかなあ。

 

12月13日

朝から女学院にてアルバイト。

めちゃくちゃ忙しいと言うほどでもないけれど、コンスタントに忙しい。

だから手が放せないのだ。

バイト終了後は久々にNOVAに通う。

英語が2レッスンにフランス語2レッスン。結構疲れる。

英語の方は情けないほどレベルが低いのだが、レベルアップの推薦状をもらう。

ラッキー。月に一度か二月に一度ぐらいのペースでした来ていないのに、何が良かったんだろう。

明日は病院の日だから、帰りにレベル・アップテストを受けに行こう。

 

家に帰ると21時半。

いろいろしなければいけないことがあるのは分かっているのだが、もう何もできない。

このところずっとそうだ。

やる気もあるし、する事も明確であるにもかかわらず、どうしてもできないのだ。

ただ机に座って、やろうやろうと思っているだけで時間が過ぎていく。

どうしてなんだろう。

私が異常だからか?どうしてこんな事になっているのか、自分が何者か見えない。

 

12月12日

今朝は無事に予定通りの電車で日文研へ到着。

朝からばりばりと仕事をする。

午後は井上先生と面談。

体力の方を随分心配されてしまった。

博士論文の構想を話し、少し方向性が変わりそうな気がしてきた。

とりあえず書いてみないことにはどうしようもないので、徐々に書き始めることにすることで話を進める。

なんだかんだと言って2時間近くも話していたけれど、大丈夫なんだろうか。

同期はみんな書いているので、先生方との話も建設的に働きかけるものとなっているようだが、私はまだ構想段階で、ブツがないだけに話しても話しても同じところに戻ってしまう。仕方ないよね。

まだまだ資料が足りないけれど、文献に目を通しつつ、気長にやるしかない。

やはり体力が1番だから。

 

だけど、どうして治らないのかちっとも理由が分からない。

甲野先生の話からすると、私は自分で言うのも何だが、この1年以上、随分高い税金を払っていると思うのだけれども、そろそろ見返りが来ても良さそうなのに・・・

まだ足りないのかなあ。それともこれまでの分を返済しているのかしら。

なんでこんなんになってしまったんだろう。

愛を、光を。もっと。

 

 

12月11日

やはりだめだった。朝は5時頃から目が覚めたのだが、動けない。

なんか寒くて仕方ない。

徐々に空が白んでくるのが分かり、外では頻繁に電車が通る音がする。

熱いお茶でも飲もうと思うが、動けない。

決めた。今日はもう何もできない日なのだ。いくら祓ってもらっても、まだまだいろいろ背負っているらしい。辛い。

午後になってから、明日、井上先生とアポイントを取っているので、せめて博士論文の構想だけでも作っていこうと漸く動き始める。

もう休学期間も残っていないに等しい。1月〜3月はあっという間に過ぎるから。

以前書きかけて、没にしていた原稿の手直しを始めようと、もう一度書いたものを読み始める。

確かに、論点が甘い。スーッと読み流せる感じがするのだが、後に何も残らないのだから、中身がないと言うこととたいして違いがない。こんなもん書いてちゃだめだよ。

少しづつでいいからそろそろ始動しないとダメだろうなあ。

少し無理すると、今日みたいにすぐダウンしてしまうのだから。

 

よし、今日1日休んだおかげで少し調子も上がってきたし、頑張るぞー!

 

12月10日

女学院にてアルバイト。

実は先週から休みなしで毎日出歩いている結果となっている。

そろそろ疲れがたまってきた。

しかし、今日も利用する学生さんたちが多く、忙しい。

ひっきりなしに来る学生さんたちの対処にバタバタバタバタ。

 

バイト終了後は「ジェンダー研究会」。

いろいろな問題が上がってくるのだが、それを全部盛り込もうとすると欲張りすぎてまとまりが出来ないし、なかなか難しい問題である。

今日は、コラムを一緒に書いてくれる後輩が初参加してくれた。

終わってから、みんなで食事をしているとき、「わざわざ遠路はるばる来てくれたのに、あれで良かったのかしら」とみんなで心配する。

どうだったんでしょうね。

でも、来てくれてありがとう。

 

明日は日文研に行く予定なのだが、どうもまずいコンディションである。

早く薬飲んで寝ようっと。

 

12月9日

湊川神社神能殿にて観能。

家元が舞う「松浦佐用姫」は、滅多に舞われる事のない希少な能であるとのこと。

しかし、先週からずっと忙しくて、疲れがかなりたまっている私にとって、余り変化のない曲調に、久しぶりに眠りを誘われて、半分は眠ってしまった。(昨晩も遅いし、このところあまり眠れなかったからだ)。

それに比べると、やはり「安達原」の方が、動きもあって面白い。

 

夕食は神戸のどこかで一緒に食べようと母が言うので、しばらく時間を潰す。

大丸に行くとすっかり町はクリスマス。

もう、クリスマスかあ。あっと言う間の1年。

休学期間も後3カ月となってしまった。

なのに、症状は悪化するだけ。どうしてよくならないんだろう。

今は出来るだけ静かに過ごすようにしているのに。

 

夕食は、もう何年も行っていなかったフレンチレストラン「エスカルゴ」に行くことに。

昔からいるおじさんは未だにご健在。

コース料理を食べたら、量が多くて、途中休憩しながら食べた。

残せばいいのだが、私は基本的に物を残すのが大嫌いな人間なのである。

食材を無駄にすることがもったいないと言うこともあるし、何と言っても作ってくれた人に失礼だからである。卑しいようだが、お腹一杯でも目の前の皿の物を片づいてくれないと落ち着かない。

平気で食物を残す人間の心理が私には分からないし、許せない。

非常にマナーが悪いと思っている。

それでも、体調や胃にも限界があるので、残さざるを得ないときもある。その時はひどい嫌悪感と罪悪感に駆られて、心の中で食物と作ってくれた人にひたすら陳謝するのである。

 

でも美味しかった。

 

12月8日

朝から甲野先生に術技を教えていただける1日である。

何でもリクエストにお答えして下さるとのこと。

そんな贅沢な状況があってもいいの?!

体術が中心に披露して下さるのだが、杖道と居合道しかしたことのない私にとって、体術は初めて。先生にお相手していただきたいのだが、どうしていいのか分からない。

それでも何度かを手を合わせていただき、いとも簡単に倒されてしまいました。

あまりの速さに、何が起きたのか分からなかったというのが正直なところである。

先生はサービス精神旺盛で、上半身を脱いで、身体の動きを直接見せていただける。

何故出来ないかはよく分かった。体のつくりからもう違うのである。

身体ががちがちで固まった私と違って、細かいパーツパーツを組み合わせたような身体なのである。

ここに支点を建てて軸を崩すという感じに説明すると、いとも簡単に皆さん崩されてしまう。まずはあの身体づくりからだな。

カイロプラティックで「かて〜」と言われながら、ほぐしてもらっている私にはなんて遠き道なんでしょう。

これでは気配は消せるわ。ますますファンになってしまいました。

 

お昼休みに、「太刀祓い」といって、一種のお祓いみたいなものをして下さる。

5〜6人が名乗り上げてしていただいたのだが、私が一番長くて、しかも終わった後に「大変ですね」と声をかけられてしまった。

えー、私は一体何を背負っているんだろう。ものすごい悪気が発せられていたのだろうか?

「病は気から」と言うが、なんか軽くなった気もしないでもなかった。でもショックでもあった。勘の鋭い人だから、病気を見抜かれてしまっていたのだろうなあ。

 

午後からは手裏剣をやらせていただいた。これが難しいのだが、一度刺さるとはまる。

面白くてやめられない。

あっと言う間に夕方になって終了時間になってしまった。残念。

甲野先生、2日間にわたり、大変ありがとうございました。

またいつかどこかでお会いしたいです。(お払いもして欲しいです。)

 

夜は名古屋で交通公社に勤めている友達が添乗で神戸に来ているという。

仕事が夜に終わるから、会いに行ったのである。新神戸オリエンタルホテルのスカイラウンジにて夜景を眺めながら、ワインを頂く。震災から大分復興したようだが、それでも以前よりは夜景が衰えている気がする。まだまだ傷跡は深い。

こうして、幸せな夜が更けてゆくのであった。(太刀払いの効果かな。)

 

12月7日

ただいま。おかえり。

入院していたのである。私ではない。コンピューターがである。

 

前回怒り全開、即傷つき消沈していたら、その夜、ウィルスに感染させられたのである。

慌ててあちこちに「ごめんなさい」メールを入れて、開けないようにお願いする。

そこからは、いとも簡単に坂を転がり落ちるだけだった。

 

次の日は、夜中に腹をこわして、朝から真っ青な顔をして起きあがれなくなってしまった。

たん熊さんの料理教室の日であったのだが、這ってでも行こうとしても這えない。

全く動けない。生きる屍状態である。

とうとう午後まで倒れていて、何とか起きあがれるようになったので、病院へ行く。

「秋のメランコリー」はまだまだ続く。

 

それから2〜3日後に、またウィルスに感染させられた。

これがたちが悪くて、開かなくてもプレビューしただけで感染するという。

とにかくこちらからは全くメールが送れない状態で受信だけしていたのだが、もうどうしようもなくなって、日文研に持って行って、ウィルス駆除をお願いしたのである。

その間にも、ウィルス君はいたずらしまくって、アウトルックに入ったアドレスに勝手にメールを送信したりして、不信問い合わせメールが来たりと大変だったのである。

「時間かかりますよ」「じゃあ、預けます。金曜日に取りに来ます」というわけで、水曜日から入院させていたのである。

 

それで今日取りに行ってきたのである。

今日は夕方、神戸女学院にて甲野善紀さんの講演会があるが、パソコンは取りに行かなきゃいけないし、午前中は前々から約束していた授業に顔を出さなければならない。

日文研から女学院。と、遠い。

僅かに時間に余裕があったので、途中家により、パソコンは重いのでおいて帰ることにして、即女学院へと向かう。

 

間に合った。講演はとても興味深い話が多くて、また、実際に動きを見せてもらうが、全くどう動いているのか読めない。凄い人である。

懇親会で厚かましくも隣を陣取りお話をさせていただいたが、とても気さくなお方であった。すっかりミーハーと化し、ファンになってしまいました。(写真まで撮ってもらいました)。

忙しい1日だったが、大変充実した日でもあった。

 

11月29日

おんどりゃあ、なめとったらあかんど、わーれー。

怒!!

 

また、傘を盗まれたのである。

何故私の傘だけ、盗まれなければならないのだろう。

天気予報を信じて、朝はあんなに晴れやかだったのに、長い傘を持ってバイトに出かけた。

今朝は腹痛がひどくて、時間通りの電車に乗ることが出来ず、傘を杖代わりに這うようにして遅れた電車に乗り、間に合わないから高いタクシー代まで払って、バイトに駆け付けたのであった。

何かの折りに傘立てをチェック。あるあると安心していたのが大間違い。

 

ちょっと忙しくしていて、夕方になったとき、とうとう雨が降り出した。

ふふん、今日はちゃんと傘を持ってきたもんね。安心、安心とたかをくくっていた。

廊下で職員さんとすれ違い、「雨降ってきたねえ。天気予報やはり当たったわねえ」などのほほんと会話を交わす。「そうですね。私も朝あんなに晴れていたけれど、傘持ってき・・・」まで言って傘立てを見ると無い。私の傘がない。

さっきまであったのに。

「ウソ!また、傘を盗られた」と愕然。

ふざけんじゃねえぞ、あほんだら。

 

全く人の私物を盗るとは、どういう神経をお持ちのお方なんでございましょう。

私にはとうてい理解できませぬ。

これで2回目。またまた深く傷ついてしまった。なんてこった。

折角、少し元気になりかけていたはずだったのに・・・

きゅー、ばたん。うぐぐ。

 

11月28日

今日は2週間ぶりに日文研へと通う。

余りにも顔を出していなかったので、心配されていたみたいで「メールを打とうかと思っていた」と言われてしまった。

すみません。

「いやー、先週ちょっと体調が悪くて・・・」と誤魔化す。

いや別に嘘をついているわけではない。体調というか精神的にまいっていたというだけの話であって、調子がすぐれぬ事には違いはないのだから。

 

抗鬱剤がきいてか、朝からばりばりと仕事をこなす。

と言っても、予定の電車には乗り遅れたのだけれどね。

エクセルの順番と、打ち込まねばならないテキストの順番が違うために、細かい升目を必死で見ながら該当個所に打ち込んでいく。

これが目は疲れるし、結構肩が凝るのだ。

そういえば、昨日の夜は腰痛がひどくてよく眠れなかった。

今朝は治っていてホッとしたけれど、これでまた腰が痛くなるかも知れないなあ。

 

夜はカイロプラティックである。予約が取れずに2週間ぶりとなった。

上半身があまりにもガチガチに固まっているので、ほぐすのが大変。

こっちも痛くて仕方ないのだが、これで少しは楽になれるのならと我慢する。

肩こりもだいぶとれてきたみたいだし、ちょっとよい気持ちである。

「仰向けに上を向いて寝て下さいね」と最後に言われる。

カイロに通うようになってからは、ちゃんと仰向けに上を向いて寝ているんだけどなあ。

無意識に寝返りをうったりして、横向いてしまっているのかしら・・・

あーあ、正常な身体の位置に骨格が戻るには、道が遠そうだなあ。

 

11月27日

昨日は、余りにも感動しすぎていたために筆がとれなかった。

噂には聞いていたが、やはり凄い。

生で観られて本当によかった。席も結構よかったし。

シルヴィ・ギエムが踊ったのは、「www.ウーマン・イン・ウォーター」(あれ、「ザ」があったかな)と、ベジャール振り付けの「ボレロ」である。

一つ目の方は一人で踊るのであるが、机がおいてあって、その横に立っていたら、突然に糸の切れた操り人形のように机に片足を投げ出して倒れるように机に突っ伏した。

あまりの唐突な動きに全身鳥肌が立った。

次の動作が全く予測できないのだ。まるで人形のようである。

他のバレリーナたちは皆、今から足を上げますよ、とかジャンプしますよ、と言う微妙な動きが見えるのだが、ギエムの場合、それが全く見えない。

 

内田先生が好む武術的な言い方をすると、「おこり」がまったく見えないのである。

全身がゾクゾクしてくる。

まるで操り人形のようだ。そして、体つきもまた人形のように何一つ無駄がない。鹿のように引き締まって、本当に無駄のない身体で無駄のない動きを展開してくれる。

 

オペラグラスでアップで観ても、本当に次の動きが予測できない。すばらしい。

ジョルジュ・ドンの「ボレロ」をこよなく愛していた私にとって、ギエムの「ボレロ」はどうであろうか、わくわくして瞬間を待っていた。

周りがすべて男性たちに囲まれているにもかかわらず、ひけをとらない迫力である。

かつ優雅なのであるから凄い。片足を何気なく180度(以上?)上げているときも、地に着いている方の足で重心を取って踏ん張っていると言った感じがまるでしないのである。

まさに糸でつり下げられている感じである。

瞬きするのも惜しいぐらいで、食い入るように見つめていた。

全身は鳥肌が立っていた。手には汗を掻いて、震えるように感動した。

終わってから会場中が拍手喝采。次々と人々が立ち上がり、舞台の方へと押し寄せるように歩いていき、拍手を送り続ける。

「天才」と言われるわけはよく分かった。

 

今日は日文研にも、女学院に聴講にも行かず、午前中いっぱい、目をつぶっては昨日のステージを繰り返し、繰り返し再生していた。

このところ、舞の方でも、杖の方でも、自分の体を持て余している自分にとって、本当にああいうイメージが残像として脳に焼き付けられただけでも感謝している。

 

しかし、感動はうち破られた。

父の兄が亡くなったという知らせが入ったからだ。

伯父は東京にいる。父は虫が知らせたのか、偶然にも東京へ出張中であった。

母は東京に行くが、私は葬式に参列しなくていいから関西に残っているように言われたのでそうすることにした。胃癌だったそうだ。

私はもう十年以上伯父に会ったことがない。顔も覚えていない。

心よりご冥福をお祈りいたします。

 

お通夜が明日で、お葬式は木曜に決まったため、母は明日の朝の新幹線で東京に行くことにした。

今日と明日が謡のお稽古日だったので、とりあえず今日だけ行くことにした。

 

昨日のギエムの感動をイメージに、なるべく無駄な力が入らないようにお稽古する。

イメージ・トレーニングがきいたのか、「大分ましになりました」と言われた。

「よくなった」のではなく「ましになった」のだけれどね。

 

11月25日

久しぶりに予定のない日曜日。

連日出歩いていたので今日はゆっくりと休むことにした。

天気も良かったので、公園まで散歩する。

一度家に戻ってから、遅めのブランチを取る。

先日結婚した友人に御祝いを送っていなかったことに気付いて、西武百貨店まで出かけることにした。普通は結婚前に送るべきなのに・・・。なんたる失態。

気持ちがよかったので、なんか走りたくなって、西武百貨店まで走っていく。

何にしようか大分迷ったが、まあいくらあっても使うだろうと思い、リーデルのワイングラスをペアにして、それに私の愛用のワインオープナーと同じものをセットにしておくってもらうことにした。

 

全然お酒飲まない人たちだったらどうしよう?

まあ、誰か来たときにでも使ってもらえればいいよね。

結婚祝いを物で送るときにはいつも迷う。

相手が何が欲しいのか指定してくれるとありがたいのだが、そうでないときは、その人の趣味もあるし、いろいろ迷ってしまうのだ。

初めに目についたのは、お揃いのパジャマ。無地なのだが、何とも暖かそうだし品が良さそうだったので、「お、これは」と思い、値段を見ると1着が1万円。

貧乏の私にはそんな大金はございません。すごすごあきらめる。

予算が1万円だったのである。(御免ね、安くて)

 

帰りはリンゴが安かったので思わず衝動買いをしてしまい、ペットショップで、子猫や小犬を見て遊んでから、重いリンゴの袋を抱えて歩いて帰る。(とてもじゃないけれど走れない。)

 

明日は待ちに待った「シルヴィ・ギエム」の公演である。

バイトが5時までで、フェスティバルホールで6時半開演だから、結構急がないと間に合わない。

月曜日は一人だから、後かたづけをしていると、絶対に5時には帰れないからだ。

でも、楽しみ。

 

11月24日

信じられないことが起きた。

遅れた私も悪かったのだが、杖のお稽古に行くと一人だけが、何故か外で稽古をしているではないか。今日は師匠がお休みの日だとは聞いていたが、稽古はなくなっていたのか?

いや、月曜日に「今週の土曜日は稽古があります」と、確かにこの耳で聞いた。「ここ(大学体育館)で?」とまで確認したのだから間違いはない。

遅れてきたことを謝りながらも、どういう行き違いがあって、体育館がとれなかったんでしょうねえ、と二人で話していた。

するともう一人もやってきて、「どうして外にいるの?」と不思議そうな顔をしている。

うーん。わからん。

 

とりあえず卓球室が空いていたので、施設課に問い合わせてみると、中高部が取っているとのこと。でも、誰もいないじゃん。

誰か来たらすぐにどきますと言って、使わせていただくことにした。

3人で稽古をしていたら、あっという間に時間が過ぎていく。

どうしても身体がうまく使えない。あれこれ試行錯誤で、お互い注意し合いながら稽古をした。技とは難しいものである。

 

稽古が終わったので、次は謡曲の稽古だ。先生のお宅まで伺い、早速稽古をしてもらう。言った時間が遅かった上、今日は人数が少なかったので、大分待っていただいていたらしい。申し訳ない。

待っていただいたおかげか知らないが、たっぷりと稽古を付けていただいた。

ここでも、うまく舞えない。身体がぶれるのだ。

ゆっくりとした動きほど、ごまかしがきかない分難しい。

どうして自分の思うとおりに身体って動かせないんだろう。はあ。

 

11月23日

今日は友達の結婚式の二次会に呼ばれている。

ハーバーランドであるのだ。

元町まではよく行っていたのだが、ハーバーランドはどうしても遠い気がして、ほとんど行ったことがない。

時間がよくつかめなかったので、1時間前ぐらいに行ったら、40分ほどでついてしまった。受付開始にもまだ時間が余っていたので、雑貨屋などふらふらと彷徨いながら、時間を潰す。

 

この友達は不思議な縁で結婚した。と言うよりも、結婚とはご縁のものであると感じさせられた。

私の友は華道の副家元をしている。家元である父と一緒に花供養にあるお寺に出かけた。

そのお寺も副住職がいて、お寺関係から見合い話が来たらしい。彼女にしてみたら、蓋を開けたら、あの時の花供養をしたお寺の息子さんだったことが分かったというわけだ。

花供養から約半年後に二人はお見合いをして、そして結婚へと至ったのである。

どこからご縁がやってくるのか分からないものである。

心からお二人のご結婚を祝福したい。おめでとう。

 

しかし、私は主治医に結婚式関係にはなるべく出るなと言われている身である。

それでも、せっかくの友達の幸せな門出である。つい断りきれずに出席してしまう。

二次会自体はこじんまりしてなかなか和やかだったのだが、どうも身体がついていかない。

昨日からお出かけが続いたせいもあってか、帰ってきたらやたら疲れていた。

明日はダブル稽古の日。

大丈夫かなあ。

 

11月22日

朝から女学院にてバイト。

開室早々に人が来る。今日も忙しくなりそうだ。

案の定、ひっきりなしに人が来る。

 

最近調子の悪いブースがあって、つかえないので、すぐにいっぱいになるのだ。

昼過ぎ、職員さんから連絡があって、業者さんが今から行くからと言うのだ。

全くつかえないブースは一つだが、VHSは対応できないけれど、DVDやLDには問題がない、と言うブースもあるのだ。そこには当然学生さんに使用してもらっている。

「何、今から来るだと。普通は何日の何時頃に行きますと、事前に連絡するのが普通やないんけ」と、忙しい分ブチッと切れる。

さて、見てもらいたい席には他にも、3ブースもあるのだ。で、今はなんと満席。

満席表示を出しているにもかかわらず、ひっきりなしに学生さんたちはやってくる。

それを全部断り、席が空いたら、問題の席の人に移ってもらい、とこっちは必死。学生にしてみれば、「あの席開いている」と思うんだろうから、慌てて、「調整中につき使用禁止」など、張り紙をはってみる。

みんな御免ね。すべては業者さんが悪いのだ。

突然来るか、普通。絶対事前に連絡するのが常識やろ。ぼけ。

なんだかんだと学生さんにわびまくり、業者さんに全席チェックをしてもらう。

しかし、役にたたんのだこれが。はあ。

 

漸くバイトも終わって、楽しみにしていた食事会に出かける。

三宮にある「ルー・サロメ」というレストラン。

ワインはもちろん絶品な事の上、食事も美味しい。

フランス人らしき人がいたので何気なくフランス語を発するとやはりフランス人。

従業員なんだけどね。向こうも思わぬところでフランス語を聞いたのがびっくりだったので、もうこちらはしどろもどろなのだが、フランス語で少しばかり会話した。

おまけで彼からのサービスはさらにアップ。メルシ。

 

計8種類ぐらいのワインを飲んで、どれも美味しくて最高。

このレストランはおすすめです。

 

昨日1日ゆっくりしていて良かった。

しあわせー。きゅいーん。きゅいーん。

 

11月21日

日文研アレルギー復活か?

それとも昨日より陥りたる倦怠感、だるさによる調子の悪さか。

用意が出来ているのに、どうしても外に出られないのだ。

時間は刻々と過ぎていく。

次の電車には、と思うのだがちっとも身体が動かない。

他人に会うのがいやなのか?引きこもりに近い状態になってしまっている。

とうとう昼になってしまい、2時間かかって通うことを考えると、アルバイト時間はほとんどないことに気付き、先週の金曜日に引き続き、またまた日文研にいけなかった。

あきらめの境地で、床に転がり昨日の続きの本を読む。

銀行に行かなければならないことに気付き、夕方に慌てて着替えて、銀行に駆け込む。

コンビニで水道代を振り込むのを忘れていた。まだ期限があるから今度にしよう。

 

家に帰って、また床に転がり本を読みあげた。

夜になって、朝から何も食していないことに気付く。

夕食にスープを作り、体を温める。

 

ペーパーを書かねばならないのだが、頭痛もするので諦める。

次の本に手を出して、読み始める。

気付けば10時前だったので、お風呂にお湯をはって、入浴。

最近寒いせいか、お湯がちっとも温かくないのである。設定温度は44度にしているに。

去年は冬の間は46度に設定していたのだが、まだ秋だし、これから寒くなることを思えば、まだ46度にまで上げる勇気がない。

ゆるめのお湯でじっくり入るという手もあるかと1時間も入浴しているのだが、身体の心底から暖まることがない。

やはり体質が変わったせいか?それとも冷え性になったのかな。もともと末端冷え性ではあったけれど、全身に及んだのかしら。

 

明日は、フレンチレストランにて、ボージョレー・ヌーボーの解禁を祝って、オープンなお食事会がある。

こんな体調ではいけないから、今日は1日転がっていて休んで正解だったのかもしれない。

 

どんな美味しいワインと食事が出るか楽しみである。ぐふふ。

今日は早めに薬を服用して、体調を万全に整えようっと。

 

11月20日

憂鬱復活。

授業を聴講して昼間に家に帰ったのだが、だるさが伴い、お昼寝を試みる。

体がどうしてこんなにだるいんだろう。

倦怠感のようなものが周りを漂っている感じ。

眠れないので、床に転がりながら本を読む。

4時頃になって、お昼御飯を食べていなかったことに気付く。

とにかく何か食べなければ、と素麺をゆでて食す。

その後も引き続き読書。

夜の10時にお風呂に入って、夕食を食べていないことにまた気づく。

こんな時間に食べてもなあ、と思いながらも、何も食べんよりはましかと、軽く作って、11時頃に食す。

このころから、ますますおかしくなってきた。

 

コミュニケーションが人ととれていないのではないか、とまた疑心暗鬼に陥り、社会性のなさに情けなくて、御飯を食べながら、涙が出てきた。

すっかり人間不信ではないけれど、他人に会うのが怖くなっている。

私は他人に不快な思いをさせているのではないかと思うと、自己嫌悪に陥り、どうしようもなくなってくる。

不安のあまりに薬が良くきかず、なかなか眠気が襲ってこない。

そうして一人泣いているあほがいた。

 

 

 

11月18日

久しぶりに予定のない日曜日なので、京都国立博物館に行く。

特別展で、「ヒューマン・イメージ」と言うのをしているのだ。

博物館に行くのも久しぶり。

夜は、兄の店で両親と待ち合わせをすることにして、一人早めに京都に出かける。

だが、今のシーズン、京都はめちゃくちゃ混んでいる。

京都国立博物館は東山七条にあるのだが、四条河原町からバスに乗ったのはいいけれど、大渋滞に巻き込まれて、たどり着くのに1時間以上かかった。なんてこった。

まあ、店で待ち合わせなので、別に少々遅れたって関係ないんだけれど、やはり気になる。

新館の展示室は諦めて、本館の「ヒューマン・イメージ」の方だけを観覧する。

人間のさまざまな事象をテーマに分けて、それに関連する絵巻物や屏風、座像、香炉などの物体、袈裟、掛け軸などいろいろなものが展示されている。

非常に興味深く、ゆっくりと時間をかけて一つ一つを眺めていく。

ヒューマン・イメージと言っても日本がテーマなのか、全部日本のものばかりである。古い土器から、甲冑や絵巻物と、いくら見ていても飽きない。音声ガイドもあったが、さすがにそれを聞いていると時間がかかるだろうと思って諦め、素で展示物の内容を表示したものを手がかりに見るが、なかなか親切なガイドが表示されているため、十分楽しめた。

昔から変わらないもの、失われていくものなど、思いを馳せたら感慨深い。

 

帰りは、「三条河原町上る」にある兄の店まで、渋滞に巻き込まれた恨みもあって、紅葉を見物がてらにいっそ歩いていくことにした。

さすがに遠いだろうと思いながら歩いていたら、何と30分で着いてしまった。

何だ、これなら行きも歩けば良かった。ちぇっ。

最近不景気の兄の店で夕食をすませ、帰ることにした。

少しでも足しになったのかしら・・・

 

秋の京都は綺麗でやはりいいなあ。散策するには結構いいけど、ちょっと人が多すぎるかな。まあ、観光でもってる町やさかい、それもしゃあないか。

 

11月17日

謡曲のお稽古日。

今度の大会の出し物が結構長い曲なのである。

なので、あまり稽古に行かない私は、すぐ忘れてしまう。

稽古場でおさらいする有様。

先生はきっとあきれてはるだろう。

まだ謡いも全部覚えてないと聞いて、「早く覚えなければなりません」と叱られてしまった。

すみません。

今日は、一人でおさらいをして、順番が回ってくると、何とかクリアー?!

でも、型を覚えきっていない上のことだから、これから細かい点を直していく段階を考えるときの遠くなるような世界である。

 

謡の稽古はしばらくお休みにされてしまい、当面の間は、舞囃子のお稽古に専念することとなった。

だが、運の悪いことに、お稽古日に予定が重なって、なかなかお稽古に来られないのだ。

うーん、困った。

仕方ないので家で謡だけでもおさらいするしかないなあ。

今までは荒いものばかりやっていたので、今回のような優雅な舞いは初めてである。

これからその荒っぽさを抜いて、いかに優雅に舞えるかが課題なのだが・・・。

道は遠し。

 

11月16日

ダメだ。昨日が遅かったせいとは言わない。

だけど、腹痛激しく、まともに起きあがれない。

今日は診察日でもあるので、朝日文研に行っても、3時には帰らないと間に合わない。

だが、床の中で七転八倒しているのである。とてもじゃないけど通える状態じゃない。

最近、食欲もまばらだし、胃が痛いことが多い。

1日1食の日も多くない。これでは余計体に悪いと思うのだが、その時は食欲がないどころか、吐き気もすることもあり、ようたべんのだ。

 

結局日文研行きを諦める。情けなや。

寒気がするので布団に潜ったまま、本を読んだり音楽を聴いたりしてみる。

端から見ると悠長な時間をおくっているなあ。でも、本人にしてみれば、情けなくて涙が出そうなのである。

 

4時になって、診察時間に間に合わなくなると思い、必死で着替えて家を出る。

何とか到着。

 

一連の状況を話すと、「秋のメランコリーやな」と言われる。

別にそういう専門用語があるわけではないが、先生が勝手に、典型的に出る秋冬の症状を見て、「秋のメランコリー。冬のデプレッション。」と名づけているそうな。

で、私の状態が、まさに典型的だったわけだ。

「よし、思いきって、薬を秋ヴァージョンに変えよう」と言われて、全面改革。

よく分からないが、薬を見る限り、強くなった気がする。

でも、それでも社会生活に対応できるのなら気にしない。

 

そう、私の最大の悩みは、先日のコミュニケーション・ブレイクダウン以来、自分が社会的に対応できているのか、人とコミュニケーションがとれているのかという問題なのである。人間不信とまで言わないが、誰と話していても非常に恐怖感がつきまとって不安で仕方ないのだ。

主治医には、そんな人のことは気にせんでほっておきと言われているのだが、完全に悪循環にはまりこんでいる自分がいる。

 

秋のメランコリーか。いい言葉だ。

 

11月15日

祖父母の家では、今まではワインを飲む習慣はなかった。

そこへ、ワインという代物を持ち込んだのが私である。

電話がかかってきて、今年はボージョレー・ヌーボーまで購入したという。

これはご相伴にあずからねばと、顔を出す。

この前の伊勢エビといい、ほんまに卑しいやっちゃなあ。

めでたく、解禁日に飲むことが出来た。んー、美味。

 

もちろんその後には、お付き合いなるものがついてくる。

呆け防止の麻雀である。

祖父母と母と4人でしたのだが、夕食後というのに、半チャンを2回もすることとなった。

おかげで家に帰り着いたのは0時前。

明日は日文研に行く予定なのだが、この状態では非常にまずい。

とりあえず、薬を飲んで休むことにした。

 

 

 

11月14日

結局予定していた電車には乗り遅れたが、次の電車で朝から日文研に行くことが出来た。

相変わらず寒い上に、暖房の切り替えが完了していないため、バイトの部屋が寒い。

来週には何とかして欲しいよ。

雇ってもらっている先生が来て、「進んでいる?」と言われ、「え、あ、まあまあ」としどろもどろに答える。

通常の予定通りに来ていたら、もっと仕事ははかどっているはずだからだ。

すみません。

 

相変わらずコンピューター君が言うことを聞いてくれない。

一緒に働いている人に泣きついて、漸く動くようになった。

これで、切りのいいところまで仕事が終わった。

あとは、前回の話し合いで決まったとおり、ちょっと仕事の内容が変わることになる。

こっちの方が、コンピューターのトラブルが少なさそうである。

というのも、エクセルにデータを打ち込んでいくだけだからだ。

今までは、動画や静止画を作ったりしていたので、いろいろな箇所でトラブッていたのである。

久しぶりに朝から日文研で働いたよ。

 

明日は女学院のバイトかあ。

貧乏暇なし。働かざる者食うべからず。

明日はボージョレー・ヌーヴォーの解禁日だ。

と言っても、誰かと飲む予定ないんだけどね。さみし。

 

11月13日

寒さでお腹を冷やしたのか、朝から腹痛で目が覚める。

聴講に行こうと思っていたが、お腹が痛くてそれどころじゃない。

布団に丸まって、ごろごろ転がりまわるがおさまらない。

カイロで温めるといいのだろうが、肝心のカイロが手元にないし、買いに行ける状態でもない。

とうとう午前中いっぱい、腹痛に悩まされていた。

胃薬が効いてきたのか、2時頃には漸く痛みが収まる。

寒気がするので、そのまま結局1日中床にふせっていた。

日曜日はあんなに晴れやかだったのに・・・

 

わずかに本を読んだだけで1日が終了してしまった。

なんか、凄く損した気分である。

 

あーあ、何でこんな事が定期的におこるんやろう。

そう思うと、情けなくて泣けてくる。

ちょっと調子がいいと思っていると、すぐに崩れる。

根性が足りへんのかなあ。あかんたれやわ。

 

明日は日文研。無事にいけるかしら。

11月に入ってから、ほとんど挫折して、まだ一回しか行ってないからなあ。

でも、15日〆切の要旨は提出して、OKがでたから、気分的には楽である。

1日中寝ていたので、身体がなまっているし、夜はちゃんと眠れるかしら・・・

 

11月11日

私が鬱状態で、鬱屈しているのを見かねた知人が、親切にも気晴らしに緑のあるところへ行こうと誘ってくれる。

幸い天気も良く、万博公園に行くことにした。

少し肌寒かったけれど、広いところで芝生に紅葉しかけた緑に囲まれて、思いっきり深呼吸をすると気分が晴れるような気がしてきた。

ゆっくりと芝生を歩いて、半ばひなたぼっこをし、優雅な時間を送る。

本も持ってきていたが、読むよりも緑を眺めている方がよほど良かったので、読まなかった。さすがに日曜日とあって、家族連れが凄く多い。

小さい子供や、赤ちゃん連れの家族を見ていると、気分がほのぼのしてきて、子供がほしくなった。大自然の中で育てられたらいいだろうに、とまで想像力は増していく。

 

お昼を食べてからは梅田に出ることに。

ウィンドウショッピングをしようとしたが、欲しいCDや本をついつい買ってしまった。

最近運動不足なので、なんか、体に良い事したら気分も晴れるかなあ、とスポーツ用品店などにも足を延ばす。

身体を思いっきり動かすと、鬱も晴れるかなあ。

昔はテニスなどもしていたので、テニスコーナーを見たりしていたけれど、これからの寒さを考えると、急に臆病になって、やっぱ無理だわと思ってしまう。情けない。

ロフトなどぶらぶらうろついて、夕方に帰途についた。

こういう日もあっていいな、と知人に心から感謝。

 

明日は杖のお稽古で身体を動かすか。

 

11月10日

久しぶりにカットに行く。

実は、10年以上も切っていただいていたヘアスタイリストの人が、8月をもって突然退職されてしまい、一応後任の人を紹介されていたのだが、何となく気乗りせず、金もないので、もうどうしようもないという段階までほったらかしていたのである。

 

しかし、わたくしとておなごである。

少しは外見に気を使うものであり、余りにも伸びきった自分の頭にさすがに耐えかねて、美容院に行く決意をしたのである。

今まで切ってくれていたのは、女性だったが、今度紹介されたのは男性である。

向こうも、後任を任されたが、ちっともカットに来ないので、多少不安を抱えていたようである。悪かった。

寒い冬に向けて、髪を伸ばそうと思い、パーマを当て直してもらうことにした。

私は非常に無精であって、今まではヘアスタイリストさんに任せっきりであった。

つまり、前髪をこういう風にとか、写真の切り抜きを持っていってこんな髪型に、とか、そういった細かい注文をしたことが一度もなく、ただ、ショートに、ボブっぽく、と言うだけで、仕上がりは全部任せていた。

それで、一度も不満のある髪型になったことがなかったので、大したものである。

それだけに、新しい人になると不安も募る。

出来上がりは、まあまあと言うところ。

やはり、何かが違うんだよなあ、と言う気が残ってしまったが、向こうも精一杯やってくれたのだし、これから長いつきあいになると思うので、納得して帰ることにした。

しかし、やはり向こうが不安だったのか、「気になるところがあったら直しますので、いつでも言ってきて下さい」とまで、帰り際に声をかけてくれた。いい人である。

問題はこれからだ。

セットして帰ってきたときは綺麗であるが、今後自分でセットするときに上手くいくかが最大の問題だからである。

さてはて、どうなることやら。

 

11月9日

朝はたん熊さんでお稽古。紅葉狩り弁当である。

だけど、あんまり楽しくないのは何故?

 

最近、体調が今ひとつ良くないからだろう。一つは寒さのせいである。

私は異常に寒がりである。なので、今の段階でもう寒くて仕方ないのである。

かといって、今から分厚いセーターなんて着込んでコートなど羽織っていると、これから来る冬に対応できない。困ったものである。

一人、寒い寒いと言いつつ、毎日着るものに困じ果てているのである。

特に京都、日文研に行くときなどは、本当に困りものである。

塚口でちょうどいい温度だと、京都はそれよりも寒く、日文研などはもう紅葉も真っ盛りという寒さだから、温度差にいつもついていけず、バスの待ち時間などは、寒さのあまりに頭痛に悩まされる有様。

あー、なんたる愚かさ。

 

それで、つい風邪気味になってしまい、終日頭痛がつきまとい、鼻はずるずるしてくるし、何となく喉が痛くなってきたり、咳が出たりしてくるので始末が悪い。

京都に通うのは3年以上になるにもかかわらず、未だに対応できないとはなんたる愚か者であろう。

 

家についても、寒さに耐えられず、厚着をしている有様。

なんとか、これから来る冬に対応できるよう方法はないだろうか・・・

 

 

 

11月8日

今日は女学院にてアルバイト。

相変わらず、朝から忙しいが、身体がうまくついていかない。

頭痛が復活したのである。

そんなこと言ってられないので、仕事に励む。

 

このところ、利用者が60人越えるのが普通となってきた。

毎度おおきに。

皆さんのおかげで、私は食わせてもらっていやす。へへ、ありがとうござんす。

と、無茶なことを言い出す学生さんにも笑顔で接して仕事に励むのであった。

でも、あまり手荒に扱って機械を潰さないでね。ソフトを壊さないでね。と内心冷や冷や思っているのは私だけ?

 

仕事が終わって、久しぶりにNOVAに行く。今日はフランス語が予約が取れなかったので英語のみ。英語って言っても、全然使ってないし、苦手なものだから、なんかしどろもどろ。

相手の言っていることはほとんど分かるのだが、単語が思いつかないために答えられないのだ。ドリル形式のグラマーの練習なんかさせるとパーフェクトとかグレイトとか言ってもらえるんだけどね・・・応用が・・・。

はあ、フランス語の方も行かなきゃ相当やばいなあ。

と言っても、毎日が気分次第で振り回されているもんだから、確実に次の予約が取れない、と言うかとってもキャンセルしてしまう確率が高くて、怖くてとれないのだ。

また、合間を見て電話しなきゃ。

 

昨日、伊勢エビを食い過ぎたのか、お昼間ちっともお腹が減らずに、結局昼食を持ってきたが食べずに持って帰ってきてしまった。

さすがにNOVAから帰って、21時近くなると空腹感を感じ、ニュースを見ながら夕食を食す。相変わらず、アフガン情勢が中心だね。

早く平和を。民間人を巻き込んだ爆撃をやめろ。ピースとかって叫んじゃいそう。

はてさて、どうなることやら。

 

11月7日

もしや、この日記をはじめて1年経ったのでは、とはたと思い出す。

リハビリのための日記を1年も続けているとは、ちっともリハビリやないやんけ。ぼけ。

 

昨日の京都の寒さがたたったのか、風邪を引いている子の近くに座ったのがいけなかったのか、朝から寒気と頭痛で起きあがれない。

やばい。ほんまに風邪ひいたんやろか。

やることあるのにそれはないやろう、と思い、今日は日文研に行くのを諦める。

諦めるって言うか、もう基本的に身体さんが「やだ」と言ってるんやしね。無理なんですわ。ほんまに。

 

とにかく睡眠が大事だと思うのだが、眠れない。

床に転がって目をつぶるのだが、眠れない。

 

しゃあないと思い、頓服薬にもらっている睡眠薬を飲んで、無理矢理睡眠状態にはいる。

途中、何度か目が覚めたが、合計するとおかげで3時過ぎまで眠ることが出来た。

寒気も消えているので、漸く起きあがって、とにかく軽く食す。そうして風邪薬と普段の薬を服用。

お。結構楽になったぞと思い、発表要旨を書き始める。

字数が規定されているが、いくら書いてもオーバーしてしまうので、書いては消し、書いては削り、読み返しては書き直す。何度も同じ文章読んでいたら、頭がクラクラしてきたので、今日はやめて明日もう一度フレッシュな頭で読み直して送ることにした。

 

夜はカイロプラティックにて、身体をほぐしてもらう。熱っぽいときは逆効果かなあと思いながらも、やはり気持ちいい。

「頭痛が多い」と訴えると、耳の後ろあたりのツボを押されながら、頭を急激にひねられる。涙が出るほど痛い。終わったら、肩こりはとれていた。でも痛かった。

 

帰ると留守電が入っている。

祖父母の家に来ると、「伊勢エビ」が食べられるから来ないかという。

生きた伊勢エビをもらったそうである。

え、伊勢エビ?!という言葉につられて、夕食もまだだったために、骨につられてついていく馬鹿な犬のように、祖父母の家に吸い寄せられてしまった。

伊勢エビに食らいつく私の姿を見て、既に食事を済ませていた祖父は何度も何度も「ナオコ、うまいか?」と質問してくるので、「美味しいです。うまいです。感激です」と答え続けながら食べていた。

はあ、さもしい。

でも、伊勢エビは美味だった。ふっふっふ。

栄養もとったし、これで風邪対策も大丈夫かな。

 

11月6日

気晴らしに、知人と買い物に出かける。

でも、またもや起きあがれなくて、待ち合わせを30分遅らせてもらう。

はあ、極悪非道人やなあ。

お茶をして別れる。

 

一度家に帰ると、思いだした。大量に支払いや振り込みが山積みであったことを。

お昼間に家にいるなんて滅多にないので、郵便局に行って、銀行に行って、コンビニに行って、各種支払い、振り込み等をすませる。すっかり貧乏。

 

今日は、夕方から博士論文を提出した同期の祝賀会があった。

私は休学中のおちこぼれ。あやからねば。

いくらかかるか分からないが、一応お金をおろして、京都へ行く。

時間があったので、兄の店に行ってお茶を飲む。

京都は寒い。駅を降り立った途端、もう一枚着て来るんだったと後悔。

兄の店も暇そうである。

「大変やねえ、暇そうで」など、ぼけらぼけらと会話をする。

30分もするとお客さんがちらほら来だしたので、それでも良かった良かった。

本を読みながらほっこりなごんで、会場であるタイ料理レストランへ向かう。

結構美味しかった。

けれどもみんなよく食べる。おかげで懐が寂しくなってしまった。

寒い京都に、懐も寒し。うぐぐ。

 

11月4日

昨日、1日薬を飲むのを忘れていた。

寝る前の薬は飲んだけど・・・

それが災いして、朝から胃痙攣並に腹痛を起こす。

おまけに無理したのがいけなかったのか、寒気がしてどうしようない。

折角読んだのに、とてもじゃないけれど読書会に参加できる状態ではなかった。

 

仕方なく、薬を飲んで夕方まで家で休養をすることにした。

夕方、薬で眠っていて気付かなかったが、起きたら、なんか留守電が入っている。

聞いてみると母親から、たん熊さんの料理レシピを至急ほしいとのこと。

とりあえず、復帰したから明日の研究会のために原稿を書こうと思っていたのを後に回して、レシピを打っていると電話がかかってくる。

自分は今観能に行っているのだが、帰りが遅くなりそうである。適当に買い物をして、実家に帰って父の晩御飯を作っておいてくれ、と要求してきた。

私だって忙しいし、体調だってよくないのに、今だって必死でレシピ打っているのに、そんな勝手な言い分が聞けるかよ。と、ついむっとしてしまった。

あとでまた連絡すると一方的に電話を切られる。

漸くレシピを打ち終わり、さて打ち出しをせねばと思っていると、また電話。

今終わったからかえるけれど、父が腹が減ったと怒っているから、とりあえず夕御飯を作ってやってくれと言って来る。

「あの、レシピの打ち出しこれからなんですけど。要らないの?」と聞くと、要るという。

私は実家に行けば自分の仕事が出来なくなるから気乗りがしないが、懇願されて、とりあえず打ち出しをしたら、買い物をして実家で夕食の用意をする。

しばらくすると母が帰ってきた。

夫婦の問題に娘を巻きこまんでくれといいたいが、余りにもムッとしていたので口も聞かなかった。

身体さんがてきめんに反応してくれて、悪寒がし出した。

さっさと夕食をすまして、家に帰る。

こうして、またもや嫌な気分を振りまく人間になってしまうんだな。

やだなあ、もう。

 

11月3日

昨日、早めに休んだのがよかったのか、何とか悪寒が消えてよかった。

けれど待ち合わせの時間に少し遅れてしまった。ごめんなさい。

学祭で演武をするのははじめてなので、緊張する。

師匠に注意されたところだけはきちんとしようと思ったが、いざ始まると、そんなことも気にせず、ただ必死で演武して終わってしまったという感じ。

あー、あとでビデオなんて見たくないよお。

 

片づけが済んでから、打ち上げに師匠のお家に押し掛ける。

何も考えてなかったので、とりあえず一緒に買い物をして、適当に3〜4品作る。

お口にあったのかしら・・・。

ビデオを見ると、腰が安定していずに、もう技もボロボロ。

もういい、と思っているのに2回も見させられてしまった。

すみません。これからはもっと精進して、お稽古に励みます。

なんだかんだと騒いでいると、気付けばもうとっくに終電もなくなっている。

師匠の家とは駅一つ分しか離れていないので、私は歩いて帰ることに。

止まっていけばと言われたが、読書会があるのでそうもいかない。

遅くまで、ありがとうございました。

演武を見に来て下さった方、普段の稽古で支えてきてくれた皆様、本当にありがとうございました。

 

11月2日

別に昨日遅かったわけでもないのだが、またもや朝早く覚醒しているのに、床から動けない。目覚ましがなる瞬間までが分かる。

全部用意して、あとは出かけるだけだったのだが、結局ダメだった。

考えてみれば、学祭の次の日は読書会だし、その次の日はバイトのあと研究会だし、この前発表した要旨も、はよ書かなあかんし、おまけに校正の期日も迫っている。

日文研に行ってバイトして、授業顔出している暇なんて無いじゃないか。

 

そう言い聞かせると、随分自分が楽になった。

頭痛がおさまるまでゆっくりして、読書会の本を読み直す。夏休み前に読んだものだからもう忘れている。はあ、記憶力悪いなあ。

次に校正に取りかかる。本人が校正に関わるのは初稿のみとあって、慎重に校正する。

よし、これもおわり。

そう思ったら、診察に行かなければいけない時間になっていた。

慌てて用意をして、病院へ。

 

自分で身動きできなくなっている人間関係と、どうも原因は自分が発しているぎくしゃくした雰囲気にあるのではないかというブルーな悩みを相談しているうちに、涙が止まらなくなってしまった。

いつになったら、快復できるんだろうと内心思って、不安がさらに募ったからである。

とりあえず、今は睡眠と休養が一番大事だからと言われる。

4時間眠れたらOK。あとは床の中で眠れてなくても2〜3時間ごろごろしているようにと言われる。

 

明日は学祭だというのに、ダメだ。なんかマジで寒気がする。

お風呂に入って、風邪薬を飲んで早めに寝ることにしよう。

 

11月1日

今日は女学院にてアルバイト。

出だしは少なかったが、昼頃から混みだして、結局忙しい1日となってしまった。

でも、お金もらってるし、働かねばね。

 

臨時稽古に、バイト終了後出かける。

どこも学祭準備で、構内全体が浮き足立っているようだ。

明日は日文研に行かねばならないので、私が参加するのは3日のみ。

 

相変わらずコミュニケーション・ブレイクダウンの私は、まわりに嫌な雰囲気を振りまいているワルモノである。極悪非道人。

円滑油でもあったらさしてほしいわ。ぎくしゃくぎくしゃく。

一人が不調な雰囲気を出していると、やはり周りにも自然に伝線するっちゅうか、敏感な学生さんたちは、何となく察知しちゃうもんなんよね。

私が悪かった。

 

帰りは、お弟子さんの一人と師匠と3人で夕食を食べて帰る。

どうせ帰っても一人で、疲れて何も食べたくないだろうし、ちょうどよかったかも。

ちゃんと御飯食べないと不健康やしね。

はあ、それにしても何でこんなにあかんたれなんやろう。

 

10月31日

ハローウィーン。

と言っても特別何もするわけじゃないけど。

 

今日は、何とか朝から日文研にたどり着けた。

たどり着いたのはいいのだが、学祭の演武会の稽古のために、バイトを1時間は繰り上げて帰らなければならない。忙しい。

にもかかわらず、またもや機械のエラー発生続出。

私が何をしたっちゅうねん。どないなっとんのや。

本当に私はコンピューターと相性が悪い。

結局トラブル処理に追われて仕事にならん。

そのうち時間も近づいてきて、結局成果もなく慌てて稽古に行く羽目に。

 

杖の演武は二人で組んでやる。

私の相手の人は私よりも30分以上も前から来ていたらしく、謝り倒す。

うーん。身体が動かないから、技もいい加減だなあ。

こんなんでいいんかい。よくないよなあ。

先生に注意されたところだけでも集中的に稽古してみる。

しかし、全体を通してやると、気が散ってしまうのか、またもや同じミスを繰り返す。

ミスって言わないな。どういったらいいんだろう。技を正確につかえていないと言うべきか。とにかく焦らず確実に。といわれてもなあ。

とりあえず、本番の日も早めに来て合わすことにして稽古が終わる。

疲れたー。

明日も臨時稽古か。頑張ろう。

 

10月30日

今朝も早くから覚醒するが、身体は動かない。

ここのところいつもそうだ。

6時頃には確実に目覚めているのだが、身体が動かず、かといって目覚ましがなるまで寝直しも出来ず、じっと床の中で、「そろそろ目覚ましなるぞ」と思って待機している状態。

目覚まし止めたあとも、やはり身体は思うとおりに動かずにだるい。

 

でも、今朝は朝から何とか洗濯はすませた。掃除はほんの少ししかできなかったが・・・

授業に参加して、そのあとは家に帰る。

 

最近、どうにもならない人間関係に巻き込まれてしまっている。

いや、私が巻き込んでいるのかもしれない。

とりあえず、身動きできない気分の重さである。

私はどうすればいいのか、自分の処すべき態度を考えるのだが、上手くいかない。

そしてブルー。鬱。

 

多分コミュニケーションがとれていないのが原因なのだろう。

頭痛がする中、やらなければならない仕事を片付け始める。

もちろんはかどるわけがない。

最初に入っていた用事がキャンセルされたので、ゆっくり休むべきだったのかもしれない。

じたばたあがいて、今日もあっと言う間に過ぎてゆく。

一体どうしたら事態がうまく円満に解決するのだろうか。

 

10月29日

今日は女学院にてアルバイト。

相変わらず忙しい。

あいまを見て校正しようかと思ったけれど、そんな暇はない。

次から次へと来る学生さんたちに対応する。

職員さんなどからかかってくる電話に出て対応する。

 

何故か不思議な現象が起きる。

うーむ。こちらの完全な手続きミスである。

今日は2件もあった。1件はよく分からない。

1件は木曜日の出来事であるので、私がやった可能性が高い。

なんたること。ミスは責任を負ってちゃんと手続きしなおさなければならない。

あー、頭が痛い。

何でこんなことしたんやろう。

仕事一つ満足に出来てへんやないの。あほ。

 

はあ、今日も残業。

繁盛してんねんから喜ぶべきか・・・。

 

残業して稽古に行っても誰も来ていない。

みんな忙しいのね。

 

今週末は大学祭。

演武の練習をする。けれども身体が動かない。

がちがちの身体を何とか動かし、ミスのないように型の確認をする。

今週は杖がメインになるなあ。演武会もあるから。

帰ってから、カイロプラティックに行って、がちがちの身体をほぐしてもらう。

くー。結構痛い。身体のねじれがまだまだあるからだ。

終わってからは、もう放心状態。

とにかく夕食を食べて、普通に生活せねば。

時間はもう10時近くになっているが、とりあえず夕食を作って食べる。

あんまり遅い夕食も、なんか健康に悪そう。

ニュースは相変わらず、アフガニスタン情勢である。

戦争はやだなあ。アメリカはどうするつもりなんだろう。

ハッと気付けば、もう11時。

今日も何もせんつもりかい。情けなや。なんて時間の使い方が下手なんだろう。

しゃあない、経ってしまった時間は取り返しがつかない。

明日に備えて休むとするか。

明日は授業に聴講に行くので、朝の時間がいつもよりは余裕がある。

 

朝は掃除と洗濯だな。

さあ、お薬飲んで休もう。って休んでばっかりやんか。大馬鹿者。

 

10月28日

日曜日。仕事をしようと思っていたが、何故か口内炎が出来て、身体が疲労を訴えている。

なんで?

昨日もなあんもせんかったのに。

稽古しただけやん。身体を動かすことは気持ちいい。

なのに、何で今日も動かれへんのん。

困ったなあ。

やることは山のようにあるのに・・・。

やはり社会性ない自分に気付いたのが原因?

いまさらやん。だから病院通ってんねんから。

そうは言っても身体は言うことを聞かない。

一人で二分裂してどうすんの。

単なる弁解やないの、私の行動って。

そう思うのだが、本当にしんどいのである。

風邪かなあ。頭重いし。

結局読書を何とかしただけで1日が終わる。

夕方、母から電話。

祖父母が近くのお寿司やさんに行くので出てこいと言う。

祖父母の期待はよく分かる。孫の顔が見たいのだ。

そこで私はよい孫になる。つまり、ただで食事もできるし、適当に愛想を振りまいていたら満足してもらえるのだ。なんて卑劣な奴だろう。

そう思いながらも、それをしてしまう自分がいる。吐き気がしそうだ。

 

最近バイト先の人気ソフトに、「17歳のカルテ」という映画がある。

精神病院に入れられ、退院するまでのお話を映画化した実話らしい。ちゃんと映画は観ていないのだが、非常に心痛いものを感じる。

あそこにいるのは私なのではないかと。

私は普通に生きていきたい。しかし、最近薬のせいか知らないが、とんでもなく記憶力が悪くなり、社会性が全くなくなっている自分がいる。

人との約束を忘れてしまうのだ。怖くなって確認して、「昨日もいったじゃない」といった発言に何度あったことか。

もう、何が正常なのか異常なのか分からないところまで来てるんじゃないのか。

そういった疑念が頭を渦巻く。

 

私は正常なのだと思いたい。なのに自己嫌悪感がそれを否定する。

いつからこうなってしまったのだろう。

しかし、いろいろな思いを抱えて悩んでいるのは私だけではない。自分だけ悲劇のヒロインを演じたいのか?最低だ。

こうして1日が過ぎていく。

どうしようもない自分を持て余して。

 

10月27日

先手必勝で行こうと思い、とりあえず午前中は何もせずにごろごろ身体さんのために休む。

午後はまずは杖のお稽古。今日は師匠が来られないのでみんなで自主稽古。

お互い注意をしあって、基本技の練習。

とはいえ、来週は大学祭である。何をするかについても決めなければならない。

大学祭は11月2日・3日である。

2日は平日だし、日文研の方に行かねばならないので、(仕事も校正もあるから)とりあえず、3日の祝日のみ演武に参加させてもらうことにした。

同様に3日のみなら参加可能という人がいたので、二人でペアを組むことに。

仕打ち交代もすることにする。

「何がやりたいですか?」と質問すると、全剣連基本技12本中のラスト3本とのこと。

特に最後の方は結構長い。

最近は基礎中の基礎の稽古ばかりやっていたので、身体が動くのか、技を正確に覚えているのか少し不安になり、残り30分は演武会用の稽古に当てる。

うー。辛い。技としては、いろいろ型があるので楽しいのだが、十分からだが出来ていない分、ちょっとしたミスが危険である。

次に合わせるのが本番とあれば、さすがに不安がよぎり、とりあえず、何とか水曜日の稽古に時間を作って参加し、あわせましょうか、と帰りに二人で決める。

当然、当日も早めに来て合わせておかねば不安で仕方ない。

出来、不出来を問わなければ、一応型は覚えていたので、一応何とかなるだろう。

しかし、師匠のいないところで勝手に決めてしまったけれど、あとで何か言われるかなあ。

 

家に帰ってから、校正をしようと思ったが、何となく気分が乗らないので、原稿をぱらぱらと見るだけ見て、本格的に校正はしなかった。難しいのが漢字の統一である。あるところでは旧字を使い、あるところでは現在の漢字を使っているのだが、引用文中のことであるだけに、やはり勝手にはいじられない。校正は初稿のみとのことだから、結構落ち着いて見直さなければならない。

先日発表した要旨を書こうとも思ったが、これもやはり気乗りがしない。

結構落ち込んだり、激しい毎日を送っていたから、やはり休養が今は一番必要なのかなと勝手に解釈し、撮りためたビデオの映画を観ることにした。

見たのはアントニオーニの「さすらい」と「ある女の存在証明」の2本。のはずだったんだが、見終わって薬を飲んで眠ろうと思っていたら、ケーブルで「黒い家」がやっている。オフタイマーをセットし、薬が効くまで何気なく見ていたら、とうとう最後まで見てしまった。最初の10分ほどは見逃したが、この映画が観たかったのは、町田康が出演しているからであって、彼の出演シーンは多分見逃していないと思うからいいや。

少し前なので、髪の毛も長く、やっぱりいつ見てもかっこいい。ミーハーやなあ。

結局、今日はお仕事は何もせんかった。まあ、こういう日もあってもいいよ。メリハリつくから。

そういえば、来週の日曜日は読書会もあった。夏休み前に読んだだけなので、もう内容をよく覚えていない。短い短いペーパーも、再来週の月曜にまでに1本は書いておきたいので、こんなにのんびりしている暇はないのだが、明日にまわそうかなあ。

気乗りしなくて書いても、面白いものがかけないし。注意力が落ちているから、結果は目にみえている。

とりあえず、今日はお休みなさい。(寝る前に怖い映画を観てしまったので、まだ薬が効かないのか眠れない。あほやな、私って。)

 

10月26日

今朝はたん熊さんのお稽古だったので、いつものバイト時間よりは遅め。

それでも身体がなんか嫌がっている。

 

昨日から、お腹の調子が悪くなってしまったのだ。

腹痛を抱えながら特急で京都まで行き、しばらく座れなかったので、脂汗を流していた。

座ってからも、しんどくて、大丈夫かと思いながら、お稽古に行く。

いつもは楽しいお料理教室だが、お腹が痛いのと、水曜日からのディスコミュニケーションの恐怖があり、一人黙々与えられた仕事に専念する。

無事、稽古もすみ、(ってほとんど誰とも会話してへんやんか)、さて日文研へと思うと、何故か気が重い。

 

振り切って、行ってみれば、ほら何もないじゃないか。

今日は、アルバイトの今後の打ち合わせもあって、結構シリアス。

何とか打ち合わせもこなし、今後の方針も見えてきた。

とりあえずは今の仕事をするのみ。だけれども、身体がしんどいしんどいと言う。

困ったもんだ。

身体さんには悪いけど、私は自分の仕事を済ませ、院生室に帰ると、紀要論文の校正が届いていた。

前回発表したところの要旨も書かねばならないし、結構〆切が重なって忙しいじゃないか。

でも、半面、嬉しい忙しさでもある。

今週末は、仕事するぞー。

 

10月25日

今日は女学院にてアルバイト。

そのあとは、謡曲のお稽古日であった。

 

昨日、ほとんど1日ふせっていたために、今朝は案外と素直に起きられた。

と言ってもしんどいのと、喉が痛いのは治らない。

 

先週よりはましだから、今日も1日張り切って働くぞーと、誓う。

午前中は学生さんの出入りも少なく、比較的落ち着いた雰囲気。

学生さんの少なそうな合間を縫って、嘱託の職員さんに、隣のLL教室の使用法をもう一度教えていただく。

月曜日に質問が来られると、よく分からないためパニックになるからだ。

なるほどなるほどと、多分質問されるだろう事柄について指導を受ける。

そうか、それで分かったぞと一応マスターしたつもりで終える。

あんまりややこしいこと聞かないでね、と内心思いながら、対応できる状態にはなったつもり。

 

午後になると、突然忙しくなる。

映画を観たい学生さんたちのために、どれほど狭い教室の走り回ったことか。

午前中暇なわりには、結局50人は越えている利用客。

毎度ありがとうございます。

 

バイトのあとは謡曲のお稽古に直行。

来年度の発表会に披露させていただく演目をお稽古しているのだが、これが結構長い。しかも、お稽古のスパンがあきすぎて、うろ覚え、いや、忘れてしまっているのだ。

しこたま怒られてしまいました。

すみません。忘れないように努力します。

 

帰りは、昨日、祖父の具合が悪かったとのことで、祖父母のうちに顔を出すことに。

しかし、今日はわりかし元気でよかった、よかった。

なんだかんだと言って時間は遅くなり、家にたどり着けば23時半を過ぎているではないか。

明日のたん熊さんのお稽古と日文研に備えて、慌ててお風呂にはいる。

今日は、何とか社会的に無事過ごしたのかしらと思いながら床につくことにする。

では、お休みなさい。

 

10月24日

今日は天気も良く、日文研に行くはずだったのだが・・・

またしても行けなかった。

昨日も早めに床についたのだが、しんどくて、頭痛がひどくて起きあがれない。

 

原因の一つは分かっている。

昨日、少しショックな出来事があって落ち込んでしまったからだ。

前々から気になっていたことだったのだが、私にはコミュニケーション能力が不足しているということである。

ある人と、普通にコミュニケーションを取りたくて、誰とも同じように様に接するのだが、いつもコミュニケーションが成り立たない。

私の言い方が悪いのか、どこに原因があるのかが分からなくて、いつもと変わらず接するのだが、途端にコミュニケーションが成立しなくなる。

非常に気にしていたら、昨日その人に、「君とはコミュニケーションが成立できない」とハッキリ言われてしまった。やはり先方もそう思っていたのかと思うと、ひどくショックだった。

もしかしたら、自分では気づいていないだけで、他の人々ともコミュニケーションが成立していないのではないだろうかと、突然どん底に落とされた気がした。

コミュニケーションがとれないと、社会生活が成立しないではないか。

では、私は社会生活がまともに送れていない人間になる。

 

怖くて、外に出られなくなってしまったのである。引きこもりに逃避する自分がそこにはいた。

逃避したところで問題解決にはならない。そう思うのだが、1日どうしたらいいのか考えて外に出られなくなってしまった。

 

すべては自分が悪いのだと思う。

無意識に人に嫌な思いをさせている存在となり果てていたのだ。

私は私なりに自分のことも考えているつもりだったが、いつの間にやら他人任せの無責任な人間になっていた。

自分のことは自分で責任を持たねばならない。

なのに、人に頼って責任逃れまでしていたのである。

人非人とは我がことなり。

既に、こうして家を出られなくなったのも他人のせいにしているではないか。

なんたる極悪非道な輩であろう。

ちがう。勝手に一人で落ち込んでいて誰にも関係ないことなのだ。

だから、病気と診断されるのかもしれない。

私は健康だよ、と言い聞かせて、都合の悪いことはみんな他人のせいにして、ひきこもりをしたり、逃避したりしている。

 

もう1年以上通院していて、今頃気付くなんて、なんて愚かなんだろう。

愚鈍、最低、最悪。

 

今まで、ご迷惑をかけ続けていたすべての皆様に、この場を借りて謝罪いたします。

誠に申し訳ございませんでした。

無意識で悪気がなかったなんて、見苦しい弁解はいたしません。

ただひたすら、陳謝いたします。すみませんでした。

10月22日

今日も忙しい1日だった。

昨日は早めに服薬し、早めに床についたのだが、3時に目が覚めてしまった。

なんぼなんでも早起きすぎるわ。

しかし、なかなかそこから眠れず、漸く眠りについて次に起きたら5時だった。

目覚ましは7時にかけてある。

とりあえず、頭痛がまだするので、目覚ましがなるまでは床の上をごろごろしていた。

あっち向いても眠れず、こっち向いても眠れず、いろいろ姿勢を変えてみたり、起きあがってみたりしたが、ますますしんどさが増すだけだった。

 

今日も満員御礼の61人。

雨だからよけい利用者が多いのかなあ。外にいられないからね。

しかし、雨はほんとに気分がめいる。

おまけに新着ソフトが届いたので、その入力も貸し出し業務の片手間にしていたのだから、忙しさといったらありゃしない。

結局30分延長の残業状態。まあ、その分はちゃんと払っていただけるのでしっかりと勤務表に時間延長分もつけておきました。ありがたい。

だって、めっちゃ働いたもん。自分でも感心するほど、ばりばり学生さんたちをさばいていた。視聴申し込み、貸出申し込み、返却に、質問等をこなし、手が少しでも空いてる間は、ソフトの手入れ(指紋べたべたで返却してくれる学生がいるんだよねえ)、新着ソフトの入力等と貧乏暇なし。おまけに今日に限って問い合わせの電話も多い。働く働く。

月曜日は嘱託職員さんがお休みの日なので、全部一人でこなさねばならない。大変である。

おまけに大学だから時給も安いし、上がることも無し。これがちっと辛いところ。

 

やっと仕事が済んで杖(じょう)のお稽古に向かう。

問題の身体の捌きは相変わらずうまくできない。本当に自分の身体って自分の思い通りに動いてくれないもんなのね。くくく。

最後に質問で、どうしても身体が開いて捌けませんと質問する。大の基本中の基本だが、聞くは一時の恥と、大胆にも質問する。何とかこつを教えてもらい、そういうつもりで稽古したらいいと教えていただいた。はい。

 

家に帰ってきたときには、もう疲れてボロボロ。お風呂にお湯をはりながら、軽く夕食を作り、食後にお風呂にはいるともう11時前。

今日は本を1行も読めなかったなあ。なんもでけへん。

しかし、最近漸く1日2食、食べられるようになってきたので、ちょっと健康になってくるかなあ。

 

10月21日

今日は起きたら頭が痛い。

二日酔いではない。低気圧のせいである。

まあ、気が抜けたせいもあるけれど。とりあえず午前中はほとんど動けない。

お茶を入れることすら不可能。とほほ。

TVで前から見たくてDVD購入をおねだりしていたがずっと無視されていた、「ロック、ストック&スモーキング・バレルズ」がやっていたので、床に転がりながらそれを見る。

最初は登場人物が複雑で話についていくのに少し時間がかかったが、分かってくるとなかなか面白い映画だった。結構ブラック・ユーモアがあるところがいかにもイギリス映画らしい。やっぱり映画見ているのって楽しいよなあ。

あーでも、映画館で見たかったなあこの作品は。すぐに上映期間終わっちゃったからなあ。

最近は邦画漬けで、洋画を見たのは久しぶり。

あ、でもないか。「ショコラ」は見に行ったな。遅れて上映する2番館系列でだったけど。

 

見終わってから掃除をしようと思ったら、案の定雨が降ってきた。朝から頭痛いって思っていたのが的中。ふう、やだなあ。明日には止まないかしら。

 

映画と言えば、バイト先でもある女学院のAVライブラリーの最近の人気作品は、「ペイ・フォアード」「ハート・オブ・ウーマン」「リトル・ダンサー」「17歳のカルテ」「ザ・セル」「コヨーテ・アグリー」「偶然の恋人」かなあ。あと少し落ちてきたけど「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「ヴァージン・スーサイズ」「チャーリーズ・エンジェル」。他にもあったような気がするけど、記憶力の悪さで覚えていない。あと中国映画の「あの子を探して」「初恋の来た道」も結構出てるなあ。

それにしても邦画の出る数はほとんどと言って無しに等しい。たまに北野武が出るぐらいかな。余り邦画も入ってないけれど、いい作品たくさんあるのになあ。

まあ、新作のソフトが入ったら、みんなそれに飛びついているって感じかな。

根強い人気を誇るのは「恋に落ちたシェイクスピア」「ノッティングヒルの恋人」「シックス・センス」「ジョー・ブラックをよろしく」かな。意外と出なかったのが、「宗家の三姉妹」。みんな劇場で見たのかしら。

他にも入れてほしいソフトはたくさんあるが、アルバイトの私にはそんな権限はない。どういう基準で職員さんが入れているのかは、私には不明。

時間があれば見たい作品は個人的にはたくさんあるけれども、今はそんな暇はないので、と言うよりも、LDやDVD自体が観られる機械がないから無理だな。残念。

 

さて、掃除も終わったし、今日はゆっくりと休もうかなあ。

明日の女学院のバイトでは、一体何人利用に来ることやら・・・。

 

10月20日

はあ、やっと発表が終わった〜。

出来不出来はとりあえずおいておいて、とにかく無事?に済んでよかった。

ありがたいご意見もたくさん頂いて、これからの課題に是非させていただきます。

皆様ありがとうございました。

やはり聞いて下さった人は皆様さすがプロ。

結構自分で自信なくて曖昧にしているところは、しっかり指摘されてしまいました。

もろばれって感じ。はは、だってまだまだキャリアが積めていない勉強不足の愚か者なのだから、ひらにご容赦を。

 

でも、こういう機会を与えていただくと、いろいろ刺激になるし、自分の欠点がよく浮かび上がってくるので、大変ありがたい。

ふう、それにしても本当にまだまだ勉強しなきゃいけないところがたくさんあって、パズルにするとまだまだピースが欠如して全体像がまだ見えてこないと言うことを痛感させられた。夢は大きく持っているんだけど、やはり分相応と言うことも考えなあかんなあ。

己を知れ!ってことですかね。うつけもの。

 

またまた突然の言葉の襲来に出会いました。「日記読んでますよ」という。

ひえー、どこからみんなリンクして来るんだろう。本当に師匠のホームページに書き込んでいるのだから、そこからつながらない限りたどり着かないはずなんだけどなあ。

まあ、公開して書いているのだから、「読んでますよ」と言われて驚く方が間違っているんだけどね。でも、やはり一瞬ギクッとたじろいてしまう。

へへ、本人に会ってどう思われたのでしょうね。すみませぬ、つまらぬたわけ者でござんす。えっ、日記読んでたら分かるって。そうでしょう、そうでしょう、仰るとおりで。

 

さあ、発表も終わったし、少し前に書きかけて、ほったらかしになっていたペーパーの執筆に戻らねば。

でも、その前に休養かなあ。

とりあえず明日は部屋に散らかしている資料を片付けて、掃除しなきゃ。

うー、いつになったら社会復帰できるまで治るんだろう。わおーん。

 

10月19日

やはり疲労がたまっていたのは、ウソではなかった。

今日は日文研に行こうと思っていた。

最近来た留学生に、大衆小説のヒーローを扱っていて、丹下左膳や鞍馬天狗などをやっている人が来たらしい。

「今日の午前中にある授業には出てきているので」、と先生に声をかけられていたのだ。

といっても私、休学中なんですけど、授業に出ろってことかしら、と思いながら、曖昧な返事をしていたのだ。

お互い刺激にもなると思って、昨日までは行くつもりをもちろんしていた。

 

今朝もちゃんと起きて、用意も万全。しかし、また家から出られないのだ。

しんどくてしんどくて、どうしようもない。

じゃあ、時間ずらして授業の終わる頃に顔出して、とにかくお知り合いにだけはなっておこうと思い、やっとの思いでお家を出て、念願の銀行により、それから駅に向かった。

ホームで電車を待っていると、突然訳もなく何もかもが嫌になってしまった。

もう1分もしたら電車が来るだろうという段階になって、何を思ったのか私の身体は勝手にくるっと背を向けて、家に帰ってしまったのである。

家から出られないのならまだ分かる。いわゆるひきこもりっちゅうやつやね。

せやけど、駅まで来て、改札入って、電車を待っている段階で、突如戻ることは相当なもんである。

「何してんだ」と精神さんが問いかけるのを無視して身体さんはずんずん家に帰ってしまったのである。そこからは、もう家を出ることが出来なくなってしまった。

 

幸か不幸か今日は診察日でもあった。

夕方、受付が閉まるぎりぎりに何とか病院にだけは出かけていくことが出来、今日の出来事を話した。実はこれは1回目ではない。2〜3回既に同じことをしている。

もう、だめだ。

先生曰く「それは自動ブレーキが働いているんだよ」という。

「朝起きられないのは、(目が覚めても動けないのは)薬の効き過ぎなんでしょうか?」とも尋ねてみたら、「今はそういう季節なの」というお言葉。

はあ、なんかよく分からないが妙に納得して帰ってきてしまった。

しかし、今朝の突然のハプニングに動揺して、最近とみに体調が崩れていることを聞こうとして忘れて帰ってきてしまったのである。大馬鹿者。

「とにかく休養するように」とのお言葉を頂いたのだが、最近は夜も眠れているし、休養していると思うんだけどなあ。「自分が思っているよりも心身共にストレスですり減っているんだよ。だから自動ブレーキがかかったんだね」と言われてしまったが、そんなにストレスフルな生活してないんだけどなあ。飲み会行ったりして、結構へらへらして過ごしてるんだけれども、それは自分の思いこみ?

 

とにかく、途中で引き返すことは非常にショックな1日となってしまった。

社会復帰しているつもりなんだったんだけど・・・

全然出来てへんやないの。あほ。

 

10月18日

女学院のアルバイトにぎりぎりに駆け付ける。

やはり疲労がたまってきて、午前中は体もよく動かず、頭もよく働かない。

一緒に働いている職員の人にも、「大丈夫?」といわれるほど、目にみえてボロボロだった。

 

しかし、こういうときに限って忙しいのである。

オープンと同時に何人かの学生さんたちがやってきて、午前中早い時間から、満席となってしまった。

疲れている場合じゃないやんか。

 

お昼休みは、今週の土曜日に発表する際に使用するビデオの編集をしていた。

だが、先生の来訪などで手が放せなくて、早めにお昼を切り上げて、ライブラリーの業務に戻る。(先生がしたい録音のやり方を私が分からなかったので、お昼を交替していた職員さんに代わって対応してもらったからである。)

 

あー、何がなんだか分からず、閉室までバタバタとしていた。

何と満員御礼の68名。

大学の中で一番よく利用されている施設なんじゃないと思ってしまった。

そりゃ、ただで映画が観られるんだもん。私も学生時代にあったら、1日中利用しているよ。いいなあ、今の子は恵まれていて。

 

10月17日

日文研の所長は、河合隼雄先生が退官されて、今年度から山折哲雄先生になった。

お忙しいので、長い間実現できなかったとのことだが、所長を囲んで院生とのお食事会があったのである。

山折先生は、たくさんの御著書も出していらっしゃる高名な方だが、じつは対談やインタビューのような小さな記事は読んだことがあるが、恥ずかしいことに著書は読んだことはない。おまけによくお見かけはするのだけれども、お話しするのは今回が初めてである。

 

気さくな先生であった。といっても20人ぐらい人が集まっているので、自己紹介をしたときに言葉を交わしただけで、結局先生とは一度もじっくりと話す機会はなかった。

代わりに別の院生や、京大で山折先生の研究会に参加している院生などとお話をして、なかなか面白かった。

しかし、外食が続いているせいか疲労がたまってきている。

おまけに緊張感も伴っていたので、帰りはすぐ近くにある兄の店によって、息抜きして帰った。一人になるとちょっとホッとした。

 

しかし、行った時間が遅かったので帰ったら午前様。

明日のバイトに大丈夫かと、慌てて薬を飲んで休むことにした。

お休みなさい。

 

10月16日

ずっとバイトを交替していたので、休んでいた授業に久しぶりに聴講に行った。

今は学生さんたちの発表である。

 

今日の発表のお題はシュタイナーであった。

以前、シュタイナー本人も出演している、舞踏とでも言おうか、シュタイナーの映画かフィルムが公開されていたことがあって、これを見逃しては、と早速見に行ったことがある。なかなか怪しくて、ちょっと新興宗教のようなイメージを持って帰ってきた。

シュタイナーの名前は久しぶりに聞いた。

思わず「あやしくない?」と、発表者に問いかけてみると「怪しいです」と答えが返ってきて、やはりあの時のイメージは正しかったのだと改めて思ってしまった。

 

時間が余ったので、先生が「新体道」のビデオを見せて下さった。

これもかなりやばいものだと直感的に思った。けれども、シュタイナー同様、その中に入ってしまえば絶対に気持ちいいものなんだろうなとも思った。

「小川さんには向いてると思うけどなあ」としきりにおすすめされてしまったが、確かにそこで気持ちよさが得られたとしても、あっちの世界に行ったきり、帰ってこられないような怖さが私には感じられる。危険センサーが働いている。やばいやばいやばいって。

 

興味はあるがビデオを見たり本を読む程度ならいいけれども、お近づきにはなりたくないかなあ。一度近づくと、蟻地獄のように抵抗しても抜けられなく引きずり込まれてしまうようなイメージが湧いてくる。こわいこわい。

 

午後は単発バイト、しかも夕食つきという、ど貧困に陥っている私にはありがたい時間を過ごした。

仕事のあとのビールと御飯は格別にうまい。ごちそうさまでした。しあわせ。

 

10月15日

今日は「ベトナムから見た日本」という講演会がある。講師のビン先生は、実は私もフランスで一緒にあって食事をしたことがある。その時は、料理を作るのに忙しくて、それにフランス語もうまく喋られなかったので、(今でも喋られないけど)先方はきっと覚えてはいないだろう。

あとで、その事を話すと何となく覚えていると言っていたが、社交辞令ではなかろうか。私もうろ覚えであったが、以前はもっとスリムな青年だったような気がする。

 

17時までアルバイトの上、忙しかったので、16時半からの講演にだいぶんと遅れていったら、すぐに講演が終了してしまい、質疑応答の時間になってしまった。一体どんな話をしていたのか、ほとんど聞けなくて残念である。

 

懇親会の方にも、しっかり参加して話をしていたが、日本語のうまさと彼の人柄の良さに感動してしまった。ベトナム人の友達が私にもいたのだが、フランス語での手紙のやりとりがだんだん辛くなってきて、お互い何となくスパンがあいていき、とうとう今では音信不通となってしまった。残念なことをしたと今でも後悔している。その時の彼女も、非常に真面目で、オープンハートな素敵な女性だったことを今でも覚えている。

私が知っているベトナム人はその2名になるのだけれども、二人とも温厚な人柄を持っていて、私は二人を通してベトナムという国を知り、いつかは行ってみたい国となっていた。ただ残念なことに、日本からのパックツアーだと、まだまだ高くて手が出ないのである。

いつの日か訪れたいものである。

 

非常に楽しい思いをさせてもらって、ありがとう。

 

10月14日

今日は塚口神社の秋祭りである。

朝から、だんじり囃子と太鼓の音があちこちから聞こえてきて、賑やかである、

秋だなあ。

小学校の頃は、新興住宅地にすんでいた私はこの祭りには参加できずに、いつもうらやましく思っていた。今でも祭囃子や太鼓の音は好きである。

でも今朝は違った。頭痛と腹痛で目が覚めた私にとっては、午前中ごろごろ苦しんでいたので、ただ騒がしいだけの雑音であった。

人間って勝手な動物だね。早く復帰して、勉強したいのだが結局14時頃まで、何も出来ずにいる。頭痛で頭抱えて、倒れながらいろいろ姿勢を変えてみるのだが、ちっとも治らず。うーん。

昨日は稽古しかしてないから、特別肩の凝ることもしていないし、原因不明のこの頭痛は何なのだ。腹痛の方は、ふせっていたらおさまったのでとりあえず良かった。

とにかくせねばならないので、頭痛薬を飲んで温かいミルクティーを飲んで、休むことに。

15時頃には薬も効いてきたのか、やっと頭痛がおさまった。

さ、発表原稿に取りかかろう。予定では今日中に第一項の草稿は仕上げるつもりである。

頑張るぞお。

と思っていたら、あ、電話。知人に単発でバイトを頼まれていたのに、連絡するのを忘れていたのだ。慌てて電話して、とりあえず夕方に会って、詳しいこととバイトのブツをあずかる手配にして電話を切る。

よし、それまでには仕上げよう。気合いを入れる。うりゃあ。

必死で頑張った甲斐があってか、何とか約束の時間までには草稿を仕上げた。

ふう。一安心。そうしたらまた、頭痛が復活。困ったものである。

御飯を一緒に食べながら、バイトの詳細を聞き、ビールを1杯飲んで別れる。

えへへ、御馳走になってしまった。ごちそうさまでした。

それにしてもずっと外食が多いなあ、このところ。

考えてみたら、今日も1日1食である。

外食といい、1日1食といい、絶対に体によくないとは思うのだが、朝はいつもしんどくて食べられない。せめて昼食と1日2食にでもしないといけないのではと思うのだが、なかなか身体が受け付けず。これではいけない。体質が悪くなるばかりだ。

どんな少量でもいいから、これからは1日3食摂るように頑張らねば。

そうして規則正しい生活を送れば、鬱も軽減し、頭痛や腹痛、腰痛なども減るかなあ。

とにかく健康的な生活をめざさねば。

出来んのかなあ、ほんとうに。

しかし、アルコールを飲んでしまったので、もう頭がうまく働かない。

早めに家に帰ってきたのだが、何も出来ずに時間だけが過ぎていく。

明日のことを考えて、早めに服薬しておいた。あとは本でも読めそうなら読んで、眠気が襲ってきたら寝ることにしよう。

 

10月13日

午前中、目が覚めても、あくまでも起きずに床にふせっていた。

昨日よりも頭痛が軽い。でもしんどいのは相変わらず。

調子悪いなあ、何でやろう。

稽古に行くが、身体が全然捌けていない。何度やってみても出来ない。

先生にお手本を見せてもらうと、違いはよく分かるのだが、自分でやってみると動けないのである。うーむ。困った。一番の基礎が出来ないと、何にも出来ないんだからなあ。

稽古終了後、「用事があるのでお先に失礼します」と挨拶だけして、猛ダッシュで着替えて大宮まで向かう。しかし、土曜ダイヤというのは、面倒なことに本数が少ない。西宮でいらいらし、十三で特急が来たのはいいが、ダイヤ改正後、ふつうの特急は「大宮」には止まらなくなってしまったのである。しゃあないので、途中で乗り換えなどしていると、ますます時間が過ぎてしまい、大宮に到着したのは18時45分だった。

試写会は18時30分からであるので、完全に無理。悔しい。

河原町まで行って、引き返そうかとも思ったが、京都までわざわざ来たこの苦労が悔しくて、兄の店・オパールに行くことにした。

ちょうど兄が店にいたので、「試写会逃した」とぶつぶつと文句を言って気晴らし。

土曜日なのに、店は暇なようである。

気の毒に思い、お茶一杯飲んで帰ろうかと思っていたが、予定を変更して夕食を食べて帰ることにした。1円でも多く協力したかったしね。

いつも夜にオパールに行ったときは、たいがい終電近くが終電まで店で遊んでいるのだが、さすがにここのところの調子の悪さで、今回は早めに帰ることにした。

20日の発表準備も気にかかっていたし。

と言っても帰ってきたら23時過ぎていた。

やはり京都は遠い。日文研に行くようになってから、気分的には近くなったような気がしていたが、気分と実際の時間はやはり違う。当たり前なんだけどね。

もう、何もする気が起こらないので、日記を書いて、メールチェックして休むことにした。

明日は予定がないので、発表準備をしようっと。

では、お休みなさい。(服薬)。

 

10月12日

今日は午前中はたん熊さんでお稽古。

午後には、念願の日文研へと通う。ほぼ一月ぶり。桜の木が既に紅葉し始めていた。さすがに山の中にあるだけ、寒い。

仕事をするのだが、朝からの頭痛、腹痛が止まぬ。

いつもは楽しいお料理も今日は憂鬱。おまけに時間がかかって日文研に行くのも遅くなってしまった。はあ、しんどい。

バイトもコンピューターのエラー続出で、ちっともはかどらぬ。

何で、こう、悪い方へ悪い方へところがるんやろう。悲しい。

院生室に戻ると、みんなが一番大きなテーブルを囲んでお茶のブレイクタイム中であった。

久しぶりだね、と言われてしまう。調子悪いだけに、適当な応対しかできない。

バスの時間を見て、それまではソファに座って一緒にブレイクタイム。

珍しくフルーツがたくさんあって、私もお裾分けに少し頂く。

ビタミン補給完了。

今日は夜にカイロプラティックの予約が入っていたので、次のバスでそうそうに帰る。

昨日から、肩こり、頭痛で吐きそうだったことを訴えると、肩から首、頭にかけて、変な格好で癒着している筋肉をはがすと言う。それが原因だからとのこと。

しかし、これがもう涙が出るほどに痛い。あまりの痛さに頭がぼーっとしてくる。

すぐ癒着するので、なるべく普段から姿勢を正して、身体の力を抜いておくように言われる。私の身体はまだまだがちがちなんだそうである。ゆがみもひどいらしい。

結構、言われたことは守って努力しているつもりでも、無意識になると姿勢が悪くなっている。長年ついた癖は、そう簡単にはとれない。

帰ってからお風呂に入って、夕食を食べていなかったので、キノコスープを作って食する。時間は既に11時近く。なんか不健康やなあ。

明日は午後から杖の稽古。そのあと、『GO』の試写会に誘われていた。

時間としては、ぎりぎりかなあ、と思い、もし間に合わなかったら、見捨てて会場に入ってもらうことにして待ち合わせる。結構遠いからね。

午前中はゆっくりとしておこう。

あー、頭痛い。首をまわすとぐりぐりと筋がいっている。あたた。

 

10月11日

今日こそは日文研へと思ったが、またもや行けなかった。

登校拒否?アルバイトに行くだけなんだけどなあ。

朝も早くから目が覚めて、用意は万全で、着替えもして、あとは鞄持って家を出るだけだったのに。時間もかなり余裕があったにもかかわらず、どうしても気分がすぐれぬ。

頭痛がする。

とうとう床に転がったまま、情けなくて泣いてしまった。

どうしていけないんだろう。何でこんなに憂鬱なんだろう。

ぽろぽろ涙が流れて、一人いつまでも泣き続ける。

自己嫌悪。どうしてこんなにあかんたれになってしまったんだろう。

泣きながら、とうとう午前中が過ぎてしまう。

泣き疲れて、少し眠れた。

最近は午前中は体がだるくて仕方がない。漸くまともに活動できるのは午後。

女学院で良くアルバイトしてきたよ、昨日まで。

でも何故日文研の方には行けないんだろう。遠いから?

今朝はいつもよりも元気だと思ったのに何故。

仕事はたまる一方だが仕方ない。自分が悪いのだから。

しかし、もう一ト月近くも行っていない気がする。情けない。

そして、憂鬱、アゲイン。

自分が嫌い、大嫌い。何一つまともにこなせないじゃないか。

消えてしまいたい。ただそれだけ。

さんざん泣いたせいか、午後になって漸く活動できるようになってきた。

20日の発表準備をする。レジュメを作成。

発表原稿に取りかかるが、極小。大体の構想は出来ているのだが、言語化がうまく出来ずに、レジュメを眺めながら考える。手元の資料を漁るが、進まず。

もう一週間しかないのに、情けない。

情けない、情けないと何度かいたことやら。はあ、情けない。

早く社会復帰せねばと焦っても、出てくるのは涙だけ。

明日はちゃんと日文研に行けるだろうか。

自分が見えない。いらいらしたり、泣いたり、情緒不安定。

こんな人間は社会にいらないんじゃないだろうか。そうだよ、いらないんだよ。

でもどうやって消えられる?どうしようもない自分を持て余す。またまた落涙。

 

10月9日

今日も女学院にてアルバイト。

結構暇な46人。先週の忙しさは何だったんだ。

帰ってきてから、予定がなかったために、映画を見に行く。

塚口は映画館があるから便利だ。見に行ったのは「陰陽師」。

まあまあ面白かったかな。原作を読んでいないので、漫画は読んだことがあるけど、漫画の方が面白いという気がする。まだ続いてるんだっけ。

野村萬斎の袖や裾捌きが、やはり綺麗だと思った。着物を着慣れていることだけはある。この前、狂言を見たが、狂言師としてはやはりいまいち面白くなかったなあ。

しかし、いろいろ活動しているのはよいことかもしれない。伝統芸能の方ももっと磨いてくれるとなおさらいいのだけれど。

まあ、有名になったことで、狂言を見る若い人が増えるのはいいことだと思う。

能楽との組み合わせだと、能楽の方も見てくれるだろうから。

能楽には、スターはいないなあ。大丈夫なのか。

今日もお昼御飯を持っていっていたが、しんどくて食べたくなかったので、食べなかった。

映画のあと、新しくできた焼鳥屋さんに行く。味も値段もまあまあってとこかしら。

今日も1日1食。しかも外食。なんか体に良くなさそうだなあ。

 

10月8日

憂鬱、鬱屈。ブルーな日々。

土、日はどこにも行かず、家にひたすら引きこもり。

何もしたくないし、誰にも会いたくない。ただひたすら床に転がり、情けない気分に落ち込むばかり。

すると、電話がかかってきて、連休で親戚が来たので、祖父母も一緒に食事に行くという。すなわち、私にもお声がかかったのである。出ていくのはだるかったけれども、祖父母に最近会っていないし、近くにすんでいる者の使命。食事にだけ外出。

笑顔の仮面つけて。

でも、考えようによっては、全く食欲がないために、朝から何も食べていないことに気づいたので、良かったのかもしれぬ。

あの調子だときっと何も食べないだろう。

日曜日も夕方に電話があって、やはり外食に誘われる。父は単身赴任先から帰ってきているので、どうしても私に会いたいらしい。会ったところで会話なんかしてへんやん。

日曜も実は朝から何も食べていなかった。食べたくなかったし、昨日も夜に御馳走食べたのでお腹が空かなかったから。

やはりなんかたべなあかんなあ、と仕方なく出かける。ついついお酒に手が伸びる。

酔いで気分を誤魔化そうなんて、卑怯なやからである。反省。

今日はNOVAでフランス語を予約していた。

午後の中途半端な時間帯しかとれなかったので、午前中はやはり転がっている。

無気力。倦怠感。憂鬱。

母からの連絡。今日の予定を聞いてくる。「NOVAに行く」というと「帰ってきたら駅から連絡を頂戴」と言う。はて、なにゆえか。訝りながらも承諾する。

アメリカがとうとう爆撃を開始した。

朝からそのニュースばかりである。戦争なんて嫌だなあ。日本だっていつ巻き添えくうかしれん。やめときゃいいのに。結局関係ない市民が巻き込まれて死んでしまうだけじゃないか。テロリストだけ攻撃するなんて無理じゃないか。

確かに、同時多発テロで何千人もの人が行方不明、おそらく死亡しているのだから、それに対する怒りは分かる。あのテロは許されないことだと確かに思う。

しかし、だからって殺し合っていいんだろうか。

そりゃ、近親者が巻き込まれていないから、こんな呑気なことを言うと非難されるかもしれない。あれが大阪で起きていたら、別の気持ちになっているのかもしれないとは確かに思う。でも、戦争には反対である。

どうなって行くんだろう。

NOVAでも当然この話題がのぼった。しかしだ。最近一月か二月に一度ぐらいのペースでしか通っていなかったから、単語も忘れているし、そんな複雑な話題がフランス語で話せるかい。日本語でも難しいっちゅうのに。

憂鬱の中、必死で通ってきたのに、話題は暗いし、しゃべれないし、ますます気分は落ち込むばかり。はあ、最悪。

帰ってから駅で母に電話をかける。イカリスーパーにゆけと言う。うーむ。漸く事情が飲み込めた。母の中では、私が実家で一緒に夕食を取ることに当然なっていたのである。二日間もお夕食はともにしたではないか。何故、私が実家で一緒に食さねばならないのか。

と言ってもそんなことは通じない。この人は何の疑いもなく当然だと思っているのだから。

まあ、一人だとどうせ食べないんだから、栄養をとると思って、同行する。

だって、ここで反抗する気力も私には残っていないのだから。

TVを見ながら、会話のない食事。食べるだけさっさと食べて、片づけをしてそうそうに帰る。

憂鬱な連休は、食事だけ恵まれて終わっていくのであった。

と言っても1日1食というとんでもない生活だけどね。

 

10月5日

とうとう倒れる。起きあがられへん。

頭は起きているのだが、身体が言うことを聞いてくれへん。うーむ、困った。

今日は日文研に行かなければならないのに、ちっとも動けない。

夕方に所長との夕食会があったから、どうしても出席しようと思っていたが、これではどう考えても無理。

幹事的な役割をしていた子に電話を入れて何時からか聞いてみると、所長が用事が入ったためにお流れになったと言うこと。

何だ、それならそうと早く教えてくれればいいのに。って、私、出欠のところに名前書いてへんかったんやった。そら、情報もこんわな。

日文研の方のバイトもたまっているから、いずれにせよ行かねばならぬと思っていたが、遂に断念。

床にふせっていた。

頭痛、腰痛、腹痛が揃って襲いかかる。

私が悪かった、許してくれ、と身体さんに謝りながらごろごろのたうちまわる。

午後になって漸く落ち着いてきた。

「身体さん、ちょっとお茶でも飲みませんか」と問いかけてみて、ふらふらになりながら漸く立ち上がり、ミルクティーを入れて、一休み。

休んでばっかりやんけ、ぼけ。

また、頭痛がしてきたので床に戻る。はあ、本も読めない。

20日発表が一つ控えているので、その準備もしたいのだが、パソコンに向かうのさえ無理。おとなしく転がっている。

また身体さんに話しかける。

「あの、そろそろ病院に行かないとしまっちゃうんですけど」

ぎりぎりに病院に駆け込む。はあ、だるい。

診察中、訳わかんなくなって泣き出してしまう。こりゃ、相当鬱状態になってきているな、と自分でも話しながら思う。

いろいろ話して、漸く落ち着いて、お薬を出してもらいお家に帰る。

ここのところ食欲不振復活で、まともな食生活を送っていなかったので、久しぶりにちゃんとした御飯を作ろうと思う。と言ってもスープだけど。栄養バランスがとれているからいいか。

明日からの連休は予定は何もなし。とりあえず休養第一。

次に発表準備に取りかからねば。

あー、NOVAにもいかなあかんなあ。

 

10月4日

今日も女学院にてアルバイト。

昨日夜1人更新、59人。毎度ご利用ありがとうございます。

昨日はちゃんと薬を飲んで寝たが、疲労がだんだんたまってきているのが生々と感じられる。やばい。

今日は、アルバイト以外の用事がない日なので、夕方家に帰ってゆっくり休むことに。

とはいえ、しなければならないことは山のようにある。

みんとこ。知らんぷり。

お薬も早めに飲んでお休みなさい。

 

10月3日

今日も女学院にてアルバイト。

満員御礼、58人の利用客。これが商売なら儲かってるとでも言おうか。

今日は波が激しかった。

一度にどっと来て、どっと帰るのくり返し。

頭がクラクラしてきた。

昨日薬を飲まなかったのはやはり失敗。

うつらうつらしては目が覚め、うつらうつらしては目が覚め、時計を観てはまた寝ようと努力して目をつぶるのくり返し。

目覚ましよりも1時間も早く起きてしまった。

転がってはいるものの、眠れない。

ぼーっとして、体がだるい。

仕事中も、手が空いてくると、幻覚を観ているようだった。特に午前中がきつかった。

誰もカウンターにいないのに、誰か来たようで、あれっと思うことが何度かあった。

こんなジャンキーな状態で仕事していて大丈夫か?!

おまけに忙しいときに限って、変な質問やら手続きを言って来る人がいて困る。

頼むからみんなもっとゆっくりとしてくれ。ちょっと待ってくれ。

おのれのことしか考えとらんのか。もっと譲り合おうよ。

何度も入り口に「満席」表示を出しに走り、にもかかわらず、それを無視して視聴を申し込む人が絶えず。

目にはいらんか、満席ですって書いてあるやないか。

入り口とカウンターは離れているので、わざわざ入り口のところに表示を出しに行っているのに・・・

バタバタと忙しく対応に追われている中で、突如として、深淵をみるような気がした。私は生きている必要のない人間ではないか、という思いにとらわれる。

突然の自己嫌悪感の噴出。厭世感の襲来。脱力。

やはり薬を勝手にやめるのはよくないことだと反省。

夕方になると、もうおかしくなっているまま、杖のお稽古に行く。

今日は一つの型を集中的に稽古。

難しい。何度やっても身体が動いてくれない。かなり意識しているつもりなんだけれど、身体が捌けないのである。まあ、すぐに出来たら、稽古の必要ないから当たり前なんだけど。

夜になると元気になって、まともに戻っていく気がする。

睡魔もどこへやら。不眠症の典型的パターンかしら?

これでは危ない。今日はちゃんとお薬飲むことにしよう。

 

10月2日

今日も女学院にてアルバイト。

昨日だいぶんとリハビリさせられたが、今日もなかなか厳しい。

大入り袋を出したいぐらいの58人。

満員御礼。

それにしても相変わらず、訳のわからんことをしてくれる人がいる。

飲食禁止だって言うのに、お茶を持ち込むし、ゴミをその辺に置き去りにして行くし、一体どういう神経してんだ。

バイト終了後は研究会に顔を出す。

出したはいいが、すぐに終わってしまった。

すみません、来るの遅くて・・・

そのあとの飲み会にも参加。

なかなか学内のシビアな話をしているのを、こんなん聞いていいのかしら、と思いつつ横で一緒に聞いていた。まあ、私には関係ないからいいか。

慣れぬ身体で二日連続のアルバイトでさすがに疲れてしまった。

アルコールの酔いも心なしか早い。

睡魔が襲ってきたので、ここはひとつ、薬なしで寝てやろうと心に決めて挑戦する。

うまく朝まで眠れるかなあ。

 

10月1日

今日は女学院のアルバイト。先週末から後期が始まっているので、忙しくなるだろうと予想はしていた。今週はもう一人のアルバイトの人と交替して、ほぼ毎日女学院にてカウンターのお姉さんをすることになる。

朝から不安でアルバイトに臨んだ。

今までは夏休みで、1日2〜3人のペースだったからである。

おっと、いきなり今日は51人。ふー。

これに貸し出しや返却も加わり、てんてこ舞い。

17時で閉室なのだが、最後まで結構お客さん(学生さん)がたくさんいて、後かたづけも大変。

結局17時半までかかってしまった。

半分慣れない身体を引きずって、杖のお稽古へ。

新入生に教える係を仰せつかり、型を教えていく。

自分もキッチリ出来ていないもんだから、教えるのは大変。どこが出来ていないかが、しみじみ実感させられてしまう。

もちろんウソを教えては行けないので、初めは手順から、そして少しずつ細かい点などを教えていると、あっという間に稽古終了となってしまった。

人に教えるのって大変だけれど、結構自分のためになっていいなあとも思った。

しかし、最後に師匠からは「教える方は丁寧に、ちゃんと理合いを理解して教えること」と念を押されてしまいました。すみません。一生懸命だったんですけどね。

こうして10月の初日はあっという間に過ぎていってしまいました。

他に、なんもでけへん。

 

9月30日

京都映画祭最終日である。

今日も「阪妻」特集である北文化会館へ。

朝、雨の降っているせいもあってか、胸が痛くてしんどかったが、既に前売りも買っていることだし、今日の3本はロシアから返還されてきたもので、いつ観られるか分からないので、ぎりぎりになって這うように家を出る。

映画自体は面白かったが、やはり1日3本が限界である。

今日観たのは「鍔鳴浪人」「続鍔鳴浪人」「狼火は上海に揚がる」の3本である。

「狼火は上海に揚がる」は第1巻目が欠落していたために、途中から話が始まるとのことで、山根貞男さんの解説が入った。

映画終了後、兄とお茶を飲みに行く。今日は仕事はオフらしい。別の用事まで時間があるからそれまでの時間潰しにカフェに行った。京都はカフェが多い。よく分からないので、とりあえず知り合いのカフェとやらに連れていってもらう。

お客さんは一組で私達が来てから、その人たちが帰り、あとは誰も来なかった。

何処も不況で大変そうである。

前回にもまして、兄はシビアな話をしてくる。

長い間、二人でゆっくり話すこともなかったし、店(オパール)ではじっくりとした話もできない。

本音で語るって言うのも変だが、ここ数年、私をみてきて思っていたことを話されて、心が痛い。おまけに病気になったことも含めて、いくら私が「最近はましになって、顔色もよくなったし、そんな病人ぽくなくなったでしょう」と言っても、最近復活した鬱を見破られてか、「いや、それでもまだ病気っぽいで」と言われてしまう。

「身体壊していたら本末転倒やないか」と痛いところをつかれ、兄なりの思いやりが身にしみるが、気にしているところを外さずに突かれるのには、さすがに参った。

けれども、最後には「何かあったら、俺んとこにもっと言ってきたらええからな」「援護射撃はしてやるから」と言われ、しみじみありがたく感じた。

2時間ほど話し込んでから、私は兄と別れてオパールにまた夕食を食べに行く。

義姉と少し会話をかわしていたが、少し店が混んできたようなので(良かった)、本を読みながら夕食をすます。

今日はいつもよりも早く来たので、帰るのも早く帰ることにした。

と言うよりも、明日のバイトに行けるかが不安だったからである。

明日から10月である。いつになったら復帰できんだろう。

はあ。誠にもって情けない次第である。

お薬を折角減らしてもらったのだが、ここのところ眠りが浅く、すぐに目が覚めてしまう。

起きたときに寝た気があまりせずに、ぼーっとしていることが多い。

あまり深刻に考えると、ますますどつぼにはまりそうだから、やめとこ。

明日には明日の風がふくさ。(多分ね)ふにゃあ。

 

9月28日

うーむ。どうも鬱が復活してきたようで困る。

自己嫌悪、人間不信。何となく誰とも会いたくないし、家から出たくない。

が、しかし予定があるので、完全に落ち込んではいないのをいいことに、身体さんや精神さんをだましだまし、出かける。

午前中はたん熊さんでのお稽古。いつもは楽しい料理であるが、今日は人数を多いせいか、全く楽しくなく、誰とも会話をしたくない状況であった。黙々と自分の仕事をして、黙々と食べさっさと帰ることに。と言ってもこのあとは京都映画祭である。

烏丸まで歩いて、地下鉄で北文化会館まで「阪妻」特集を見に行く。映画を観る自体は誰とも話すわけでもなく、特に差し障りがあるわけでもなし、3本の映画を観る。

今日は「大江戸五人男」「狐の呉れた赤ん坊」「サイレント断片集」である。

サイレント断片集が四本の断片だったので、六本の映画を観たと言えばそういうことになる。

阪妻はやはりいいなあ、と一人思い、また黙々と兄のカフェへ向かう。

別に喋っても喋らなくてもいいからここは気楽だから、夕食を食べに行くことにしたのである。

考えてみれば、兄の誕生日であったので、「おめでとう」と一言。

お金がないからプレゼントはないんだよ、御免よ。

少しばかり暇な時間が出来たときに、映画の話をしたけれども、ほとんど会話もなく、本を読みながら食事をすます。

時間も遅かったので、早々に帰る。

だんだん身体さんの疲労度が増してくる。やばいなあ。

 

9月27日

昨日、帰りが遅かったせいか、毎日出歩いているせいか、朝から体がだるい。

今日は女学院にてアルバイト。夏休み最後である。

お客さんは、返却に2人だけで、映画を見に来る人は0人だった。

暇すぎて、暇すぎて、ますますだるさは増していく。

ほとんど、たれパンダ状態で時間を過ごしていた。

昨日、ほっこりとした時間を過ごしたとはいえ、かなりシビアなことを言ってくれた兄の発言が原因か、結婚式に出席したのが原因か、またまた複合要因か知らないが、何となく鬱が復活している気がする。

折角バリで療養に行ったのが、水の泡。ぽよよよよん。

大馬鹿者である。

映画祭は昼間からなので、今日は行くのはお休み。ちょっと残念だが、アルバイトの方が重要である。働かざる者食うべからず。仕方あるまい。

世知辛い世の中である。くー。

前回身体さんが「いやんいやん」して、キャンセルしたNOVAに、継続の手続きとレッスンに行く。テンションは低く、疲れ切っているので、またもや教師は困じ果てている。私も困じ果てている。そんなすらすらしゃべれたら、誰もレッスンになんかこねえよ。喋られへんから来てんねんやんか。ぐすっ。

継続の手続きでえらい待たされ、帰ってきたら9時前だった。

疲れた。明日は、午前中たん熊さんでお稽古のあと、午後から映画祭である。

無事に行けるんかいなあ。

 

9月26日

京都映画祭にて、今日は祇園会館で3本の映画を観る。ゲストとして山田五十鈴さんが予定されていたのも楽しみだったが、残念なことに急なご病気とかで来なかった。

代わりに中島貞夫のトーク・ショーとなってしまった。がっかりである。

映画は「恋や恋なすな恋」「鞍馬天狗 角兵衛獅子」「暴れん坊街道」の3本。うち最後の2本は実は既に観たことのある映画であった。しかし、スクリーンで観るのは、何度観てもよいものである。

「恋や恋なすな恋」は大川橋蔵、瑳峨三智子主演の物語であり、題材は白狐が、恩返しに葛の葉と化けて阿部の保名と暮らし、子までもうけたが、本物の葛の葉が現れたために、歌を残して森に帰る有名なお話からである。しかし、セットのあまりのちゃちさにちょっとがっかりさせられてしまった。これが、大映ならもう少し映画美術はましだったのではないかと思う。監督は内田吐夢。内田吐夢の時代物の中では、期待していた分少しがっかり。ストーリーも中途半端で、最初の話は何処へ・・・という印象が残ってしまった。

それにしても、さすが母娘。瑳峨三智子はやはり山田五十鈴にそっくりである。

「鞍馬天狗」は数ある中から、松竹で大曾根辰夫監督、杉作が美空ひばりのヴァージョンであった。しかし、フィルムがかなり劣化していて、白黒のコントラストがぼやけてきて、非常に観にくかったのが残念。ビデオの方がまだきれいに観られる。ニュープリントにするなり、どうにか保存をしていて欲しい作品であった。

「暴れん坊街道」は山田五十鈴、佐野周二が主演と言っていいのかな。今回始めてみると思っていたら、始まって5分と経たぬうちに2回目であることを思いだした。泣いた作品であるが、やはり2回目も同じところで話を知っていながらも泣いてしまった。

片岡千恵蔵の子どものがでていて、なかなかの名演技であった。

それにしても「暴れ〜」という題名の映画って結構あるから、こういう勘違いが起きてしまう。それとも私の記憶力の悪いせいか・・・

どの作品を見ても感心させられるのが、着付けの綺麗さと立ち居振る舞いの美しさである。今のTV時代劇では味わえない奥深さがある。

本当に僅かの間にこれほどまで、人々の立ち居振る舞いが急変したのかと思うと、改めて驚かされてしまう。

 

映画館を出ようとしたら、兄と遭遇。山田五十鈴目当てで来たらしい。残念だったね。

「今から店に行くつもり」と言うと、「どこかで飯でも食べていかへんか」という話になり、久しぶりに兄妹水入らずの時間を過ごす。うちは仲のいい兄妹だったため、大学時代はしょっちゅう二人で御飯を食べていた。

しかし、話題はなかなかシビアである。兄は私の今後を憂い、私は兄の店を心配する。とはいえ、しみじみとした小一時間を久しぶりに過ごした。やはり兄妹はよいものである。

歯に衣きせずに話すので、なかなか痛いところをつかれまくってはいたのだが・・・

それでも心配してくれてありがとう。おまけに夕飯までおごってくれた。ごちそうさま。

そのあとは私が兄の店でお金使うんだけどね。

不景気は厳しいらしく、何とか潰れずにやっていってほしいものである。

 

今週は京都映画祭があるために、ずっと夕食は兄の店で食べる予定。

行かないときは2カ月も3カ月も行かないのに、行くときは毎日のように通う。

それでも何となくコンスタントに通っているような気がして、なんか変な気分。

 

9月24日

今日は午後1時から、国立文楽劇場にて、清元・長唄の会にご招待されていた。

しかし、午前中は、昨日の夜遅く薬を飲んだせいもあってか、だるくてだるくて起きあがることが出来ない。

まずい傾向だなあと思いつつ、漸く11時頃からのそのそ動き出して、家を何とか出た。

楽屋見舞いの花束を作ってもらい、それを抱えつつ国立文楽劇場へ。

舞台上では手渡せないので、どうぞ楽屋へと案内される。

しかし、ちょうど衣装に着替え中とあって、15分ぐらい待っていたが、公演自体が始まってしまうので、同じ楽屋のかっこいいお兄さんに、伝言と(メッセージカードをつけていなかったので)名前を残して、楽屋を退出し、客席へ。

実はお恥ずかしいことに、清元、長唄、歌舞伎、日本舞踊の区別がよく付かない痴れものである。なんとも情けなや。

今日観察していた限り、地唄方、三味線、笛、鼓、大鼓、太鼓がついて、踊り手が一言も発せず踊っているのが、長唄。

地唄方、三味線のみで、踊り手が一言以上発したり、何も話さなくても、一応ストーリーが地唄方によってハッキリと語られているものが清元なのではないかと判断した。

では、日本舞踊は?歌舞伎は?と思うと、ちんぷんかんぷんである。

自分で謡曲はやっているので、それについては語れるのであるが、これでは日本人として恥ずかしい。(京舞との区別もよく分からない)。

どなたか知っている人は、是非ご教示願いたい。(って自分で調べろよな。怠慢。あほ。)

帰ってきたのが、19時前頃。

実は家にはまともに食べるものがほとんどといってない。(乾麺とか素麺とかならあるけれど。)

今は米代もないんじゃよ。

今朝はぎりぎりまでぐずっていたので、もちろん朝から何も口にしてはいなかった。

昨日の引き出物で、水茄子のお漬け物をもらったのだが、一人では食べきれない量であるので、ここでは鬱病復活を覚悟して、実家に連絡し、水茄子を持っていく代わりに、御飯を食べさせていただくことにした。なんたる恥辱。恥も外聞もない馬鹿者である。

腹は一杯になったが、精神さんと身体さんが不平を言っている。ぶーぶー。

御免よ、悪かったよ、二度とこんな情けないことはしないからね。

食べなくても別に平気だけれども、君たちのためによくないと思ってさ。

もうやめます。ごめんなさい。

さて、明日からはどうやって暮らしていこう・・・(必殺炭水化物尽くしか)

あー、やはりバリは物価も安く、天国だったなあ〜。うぐぐ。

 

9月23日

手作りのこじんまりとした、なかなか良い結婚式であった。

親友はきれいで、とてもチャーミングで幸せそうだった。

良かったね、おめでとうと心から祝福した。

恒例のブーケ投げで、思わずビックリ。

ブーケをみんなでとりあうどころか、まっすぐに私の胸に直撃したのであった。

キャッチすると言うよりも落としては行けないと、ドッジボールのボールを受けるような勢いであった。(正直言って少し痛かった)

披露宴、2次会と参加したが、和やかに時が過ぎ、周りのみんなには「次はあなたよ。ジンクスでは1年ぐらいで結婚するんだって」と口々に言われてしまった。

さて、ジンクス通り、小川に春は来るのか?!

誰かいい人がいたら紹介して下さいまし。(自薦他薦問いません。)

自分では結構家庭的だと思うんだけどなあ。

まあ、自分がやりたいことに口出されるのは嫌かもしれないけれど、多分それはお互い様だろうし、束縛しないし、(されたくもないけど)家事も別に嫌いじゃないし。

料理は一応、調理士免許は持っているし。

別居結婚でも、嫌になったらいつでも離婚もOK。さばさばしてます。

って、こんなとこで自分を売り込んでどないすんねん。ぼけ。

ちょっぴり鬱病不眠気味ですが、こんな私でよければ誰か拾って。(捨て猫状態)にゃー。

 

9月22日

身体さんは正直もんだ。

NOVAに行くのを拒否して、だるくなって動けなかった。

そこで電話を入れてキャンセル。手続きは次回にと予約日を新たに取りつけた。

やはりなんだかんだ言っても旅行疲れが出たのかもしれない。

1日しんどくってごろごろしていた。

バリではあれほど読書もしていたのに、本すらも読めない状態に逆戻り。

明日への心配も原因の一つかもしれない。

しかし、親友の幸せの門出である。そんなに悪いことがあるはずないよと言い聞かせて今日は一日身体さんを休ませてあげることにした。

明日は結婚式に出て、明後日は、お世話になった人の舞台公演がある。長唄・清元である。

なんか、連休なのにせわしいなあ。招待券を送って下さったので、無視することも出来ず、滅多にない機会だからもちろん行くつもりをしている。

こうして、「〜せねばならない」と予定が詰まっていくと、また鬱状態に陥っていくのかもしれないと思うと、なんか悲しい。

おまけに明日から京都映画祭である。珍しいフィルムや懐かしの時代劇が観られるので、もちろん女学院のアルバイトのない日は、映画三昧の日々である。

観られるのは嬉しいし、もう前売りも購入しているので行くのは確実なのだが、一体身体がもつだろうか。

 

9月21日

バリ島から無事帰還。

初日から出発時刻が4時間も遅れるというハプニングに見舞われ(みんなアメリカのテロのせいだ)、バリ島の1日がなかったも同然である。よって、凄く滞在時間が短く感じられて、帰りたくなかった。悔しい。

バリは極楽。脳味噌溶けきって、だらけきっていた。

だけども、不眠のお薬を飲まないで寝てみる勇気はなく、時計がなくてよく時間が分からなかったが、やはり4時間ほどの睡眠だったように思える。

プールサイドで、本を読みながら、音楽を聴きながら、そのうちぐーぐー昼寝をしている人々を見ては、「う、うらやましい」と思いながらも、私には昼寝の眠気はおそってこなかった。こんなにだらけてんのに、おかしいなあ。

でも、リラックスしてプールでは土左衛門状態に浮いてたりして、凄く気持ちよかったのは事実である。

時間の間隔がだんだん麻痺してきて、「明日帰るんだよ」と言われたときに、「え、もう1日あるじゃないですか」真剣に反論してしまった。何を言っているのだ、私は。とんだ勘違い。もう頭の中は溶けています。じゅるるるる。

朝に帰宅して、薬なしでお昼間まで再び睡眠成功。これはなかなか良い傾向である。

やはりバリは癒し効果の島だなあ、と大感激。

だらだらバリモードのまま時間が流れ、気が付くと午後も4時。

慌てて診察に駆け付ける。

かなり楽になった話をする。バリ効果が発揮して、お薬が2錠減らされた。嬉しい。

しかし、明後日にある結婚式を断りきれなかったことを話すと、(冠婚葬祭、同窓会は、行かないように禁じられている)ちょっと心配されてしまった。

親友なので仕方ないし、旅行に行っているのも知っているので、体調不良というわけにも行かない。

「濃いメイクでもしていっておいで」と一言。はい、そうします。

明日は問題のNOVAの日だ。

折角バリモードで、でれでれだらだらしていたのに、日本に帰ってきた途端、あわただしい現実の日々。

あーあ、バリが恋しいよお。

 

9月15日

敬老の日。

当然のことのように祖父母の家に夕食を食べに行くことになっていた。

もちろん私もメンバーに入っている。

昨日、敬老の日のプレゼントを購入しておいた。

今日は定式能別会があって、湊川神社の神能殿にて、朝から観能である。

能が3番に狂言が1番。あとは仕舞であるが、師匠は仕舞で出演である。

段ものと言うのがあって、仕舞でも見ていて面白いものがずらっと出て見応えが結構あるが、やはり師匠のが一番感動してしまった。

能は2番目のものが何を言っているのか分からず、もともと退屈なお話の上に、間狂言までなにやらハッキリせず、どっと疲れてしまう。おまけに冷房が効きすぎて凍死するかと思った。これがプロの公演なのだから、能の世界の未来はあまり明るくないのではないだろうか・・・

今回の能のメインは最後の「道成寺」である。なかなか良かったし、鐘入りもきれいに出来て拍手ものである。道成寺はいつ見ても面白い。ワキもなかなか良かったし、堪能できた。母と一緒に見に行っていたので、帰りは一緒に祖父母の家へと向かう。伯父と叔母夫婦も来ていて賑やかであったが、私は内心疲労がたまっていて、「なおこ、もっと食べろ、食べろ」としきりに勧める祖父母に、もうお腹一杯で入らないことがアピールしても通じないのが辛くて、へらへら笑いながら誤魔化すしかない。

まったくこまったものである。しかし、明日見たかった、「砂絵呪縛」という古い時代劇を見に行って、1日を静かに過ごせばバリ島が待っている。

小川に鬱脱出・不眠脱出成功の朗報がもたらされるか。だらだらするぞー。

 

9月14日

カイロプラティックに通いだして、だんだんはまってきた。

姿勢が悪く本を読んでいたせいと、バイトで目を酷使したせいで、肩こりがひどく吐き気がしていると訴える。

ちょっとした姿勢の矯正で、肩がグンと楽になる。不思議なものである。

お家でするストレッチみたいなものの回数を増やされる。そんな暇もあまりないのだが、身体があまりにもイビツになっているので、素直に出来る限りのことはしようと反省する。

お風呂でリラックスして、来週のバリに備えて用意なぞを考える。何をもっていくのか書き出してみて、だんだんわくわくしてきた。今週が終われば、ヴァカンスだ。

早く来ないかなあ。

 

9月13日

久しぶりにNOVAに行く。

夕方まではアルバイトであるが、午前中は生きる屍。

昨日より復活しつつある鬱状態。よくNOVAに行けたもんだと我ながらに関心。

しかし、ロー・テンション・鬱状態なもんだから、教師が困り果てている。私もあまりの久しぶりに言葉が出てこず困じ果てている。とほほ。

実は今月末でNOVAの期限が切れるのであるが、続けるかやめるか非常に悩んだ。

というのも、体調も問題あるし、なんだかんだと忙しくて、定期的にレッスンに行けないからだ。しかし、全く離れてしまうとすぐに忘れてしまいそうで、やはり語学は根気に続けることが一番と思い、職員と相談する。

職員はちょっとお高い上に器具まで購入しなければならない、24時間制度の方をしきりに勧めてくる。一体私の何処にそんな金があるねん。続けるにしても親に借金してのことになるのだから、そんな余裕もないし、家にお稽古ごとを持ち込むこと自体も嫌である。(通うから意義がある。メリハリがつくからね。)

職員は必死で24時間登録のホーム制度を、いかによいもんか、自分も初めは半信半疑だったけど、導入してみるとリラックスした上に確実に能率よくアップするとぺらぺらまくし立てるのだが、こっちは初めから相手にしていない。あまりにしつこいので、つい「別に向上したいとは思っていない。せめて今のレヴェルをキープできていれば不足はない。今はやるべきことがあって、本当は語学なんて構っている場合じゃない。」とつい反論してしまった。

家に帰ってから自分の発言に吐き気、嫌気、自己嫌悪。

でも、まあとりあえず続けることにいたしまして、いやいやながら親に借金の申し出をする。利息が付かないだけ、分割にするよりも安いので、毎月親に返済することに話が収まり、次回の予約を取ったときに手続きをすることになった。

一体私は何をしているのだろう。

 

9月12日

アメリカが大変である。

日文研でも、今日はその話題でもちきりである。

誰かが、「パールハーバー」以来の、原爆に対する日本赤十字軍の逆襲だ、と言いだしたが、ゴジラでないんだからそれはないだろう。

私個人はと言うと、スティール写真を1枚忘れていたために、結局今日提出するのが無理という間抜けな事態。

おまけに、お昼御飯を食べたくないがどうしようか、とさんざん悩んだ末、やはり朝、昼食べないのは体に悪いと思い、しかし、日文研にはまずくて高い食堂以外には、購入したりする場所が近くになく、遺憾仕方なく、買い置きしたる「即席中華麺」を食したり。数分後、気分悪くなりし。後悔しながらも、今日のメインの仕事も果たせず、単なるアルバイトに成り下がった私は、バイトをする以外する事なすべし。あまりの間抜けたるものを怒号したりけれども、自分を殴るのは痛いので、一人悲しくバイトするべし。ぎゅるるる。

あー、気分悪いは、世界は崩壊なりし。アメリカ崩壊なりし。

アメリカ人の留学生曰く、「大統領の支持率が下がると戦争が起こる。今ブッシュの支持率が下がっているから、ちょうど良く戦争になるかも」と、最もわかりやすく、恐ろしい発言を発している。

しかし、日本はどういう態度をとるんやろねえ。

あな、恐ろしや。21世紀の世の中。

せやけど、1民間人である私には、鬱になりつつあるこの状況、自らの失態の方が大きいがね。人非人といわれようとも、それはそれ、これはこれ。今日、提出できなかった方が大事件である。

金曜日には、果たさねば・・・。

やはり、悩んだ末に食べた夕食に反省しつつ、(気分悪い)何故このような体調になりにけるがごとし、悩みが尽きず。

アメリカの事件とともにニュースを見ながら悩むあほが一人。

 

9月11日

朝、大分悩んだ末に何とか日文研にバイトに出かけた。

あーしんど。

夜はカイロプラティックにて筋を延ばしてもらい、身体の矯正。いたたたた。

でも痛気持ちいい。

しかし、それにしても何でこう金がないんやろうね。

明日の定期分を払えば、あとは・・・・

恐ろしくて考えてられへんわ。

まあ、つこうてるからないんやね。そう、つこうてるわてが悪いんですわ。

でも、でも、必要最低限におさえてんねんけどなあ。おかしいなあ。

全然「天下のまわりもの」とちゃうやんけ。絶対どこかで停滞しているに決まっている。

くうううう。悔しい。

尾上松之助のスティールが来ないなあ、と思っていたら、日文研の方に届いていた。

先週、鬱になっていかなかったからね。知らなかったのだよ。

先方も、借用書も貸借料も払ってけえへんなあ、おかしいなあ、と思っていたことでしょう。すみませぬ。すぐにでもお払いします。

って、やってるからまた羽が生えて飛んで行くんだよねえ。

カムバーック!

これですべてのスティールが揃ったので、やっと論集係の人のところに提出が出来る。

遅くなって申し訳ございませんでした。(ほっ)

明日はこれの為だけにでも何があっても日文研に行かねば。ふぁいとー?!

 

9月10日

雨のせいかしらんが、あまりのだるさに吐きそうである。

昨日はゆっくり読書とかしていたのになあ。おかしい。

夕食に祖父の家に呼ばれたのがあかんかったのかなあ。

叔父が一人来ていて、祖父母には「もっと食べろ、食べろ」と言われて、そんなに食われへんがなあ。

「いかにも食べています」と、オーバーリアクションをしないと通じないのね。

おかげでお腹が苦しい。

せやけど、食べへんかったら、オーバーに心配されて、体の調子が良くないのではと、勝手に思いこまれるし、笑顔を保ちつつ振る舞うのが結構大変なものである。

私よりも、しっかり食べなあかんのは、老人のあなた方の方でしょう。

基礎体力落ちてんねんから、ほんとにもう。他人のことはほっといて。

あまりのだるさに、バイトの間中、ほとんど机にふせっていた。

それでも、稽古に行くか、と思いつつ、バイト終了後稽古に向かう。

帰りに「大分ましになってきたよ」ちょっとはましに動けるようになってきたらしい。

ありがたいお言葉を賜って、少し元気にハッピー。

が、家に帰るともうダウン。

はあ、明日は日文研に行けるかしら・・・

9月のあまりの散財にどうしてもアルバイトにいかなやばいねんけどなあ。

は、今思いだした。下旬に結婚式もあったんやった。

はあ、寿貧乏。貧窮な日々。

おまけにこう言うときに限って、定期も明日できれてしまうんやから、また出費。出血。

どんどんどん底。落涙。うるる。

 

9月8日

昨日の診察で、鬱復活の原因が解明する。

何となく気分が軽くなった気がする。

午前中はケーブルTVの工事。古いTVを使っているせいか、お兄さんは何度も携帯で電話して指示を仰いでいる。あまりに気の毒だし、サービス期間2カ月過ぎたら解約するつもりなので、よっぽど「もう結構です」と言おうかと思った。ごめんなさい。

汗だくになって何とか設置工事完了。

使い方を聞くとかなりややこしい。面倒やなあ、と思いつつも、まあ2ヶ月間は有料チャンネルも見放題らしいし、しばらくはビデオ取りにでもいそしもうと思う。

とはいえ、あまり見ている暇がないのでもったいないかなとも思うが、2ヶ月間だけだし、まあいいか。(1カ月分の料金だけは払わせられる)。

午後はダブル稽古。

まずは杖の稽古に行って、その後、謡の稽古。はあ、忙しい。

気分的には少し軽くなったとはいえ、体は相変わらずだるいので、結構きついスケジュール。

母に、祖父のわがままぶりの愚痴を聞かされる。へえへえ、大変なこって。

今に始まったことやないやん。と、聞き流していた。

明日は久しぶりに予定がなんにも入っていない日。

身体さんを休ませてあげようっと。

 

9月7日

昨日は腹痛で朝からのたうち回る。トイレとお友達。

時間は刻々と過ぎる中、何とかバイトに出かけて、西北からタクシーでぎりぎりセーフ。

しんどい上に、今は散財しているときではないではないかと自分で自分を叱る。

早く来ているはずの職員さんの姿が見えないので、とりあえずすべての鍵を開けて準備万端に整える。と、電話が鳴って、職員さんからである。風邪を引いたのでお休み、とのこと。

え、ちょっと待って、ほんまに今日は一人きりやん。何も起こりませんようにと念じつつ、カウンターに座り、学生さんが来るのを待ちながら読書をしていた。

夏休みなので来ても2〜3人が平均。

アルバイトの後、謡の稽古だったので、誰もいないのをいいことに謡の稽古までやってしまった。誰かがのぞいていたら、さぞかし怪しかったであろう。

今朝は、だるさと腹痛、頭痛に悩まされて頭がぼーっとしている。

今日は診察日だから、朝から日文研に行って早めに帰らなければと思っていた。

あまりだるいので、朝風呂にはいる(それほど早くから目は覚めていたのだ)。

効果はまああったくなし。余計しんどなった気がする。

もうだめだ。わたしはもうだめだ。と歌いながら、ベッドの上で死人と化す。

折角好調な日々が続いていたのになあ、なんでや。

またもや社会的生活に対応できない日々。

いつもこれのくり返し。どうしたら脱出できんねんやろう。

おまけにこの大雨で、しんどい。低気圧には弱いのである。空気が薄く感じてしまう。

はあ、気づけば9月ももう一週間経っているではないか。

とほほ、そのうちのほとんどが屍になっているなんて、情けなや。

普通、8月は暑さでうだっており、9月になって漸く秋めいてくるとみんな元気になるはずなのになあ、何で逆なんや。おかしいやないけ。

身体さんの何が一体不満なんだろう・・・

 

9月5日

最近調子よく日文研にも通って、ばりばり社会的な生活を送っていたら、やはり調子に乗りすぎていたようだ。鬱が復活か。

朝起きるとがんがんと右の後頭部が痛い。偏頭痛である。おまけに体がだるく、腰痛がひどい。とても日文研に行ける状態ではない。朝から断念してしまった。

バイトせなあかんのに情けなや。

しかし、今日は行くつもりをしていたので、日文研の帰りに河原町に出ていろいろと約束をしてしまっていた。

夕方からのことだから、「何のために京都に行くねん、ついでやったからとちゃうん」と問答を繰り返しながらも転がっていた。

家にいるのだから、読書でもと思うが、頭が痛くて読めるどころではない。

転がっていると言うより、のたうち回っていた。

とにかく鎮痛剤を飲んで、静かにお休み。昼過ぎ頃にやっと腰痛と頭痛がおさまってきた。

と、思いきや、今度は腹痛がする。

身体さんの逆襲。

分かりました、ごめんなさい。おとなしくしています。

ドタキャンは基本的に出来ない体質のために、とりあえず夕方まで生きる屍と化し、夕方に復活、フランケンシュタイン。

ほんまのあほやなあ、と呟きながら京都に向かって約束ごとを果たしてきた。

明日の女学院のバイトは、一人だから這ってでも行かねばならない。

薬物を摂取し、おとなしくお休みなさい。

 

9月4日

散財の日。貧乏の日。貧窮の日。

今日は夕方より、読書会のメンバーと納涼会、まあ、言ってしまえば飲み会である。

だから日文研に行っていてもすぐに戻ってこないと行けないので、今日はお家でゆっくりすることにした。

というより、普段アルバイトの日では振り込みなどがこなせないので、各種振り込みに奔走していた。

まずは銀行でお金をおろして、JTBさんに旅行代金の振り込み。東宝さんにスティール写真の貸借料を振り込み。学会の年会費を振り込み。光熱費を支払い。スッカラカンのビンボー。

おっと、今日の飲み代をおろしておかねば・・・あとは金曜日の診療代も一緒におろしておく。

くー、残高を見るのが辛いぜ。

これからも各映画会社より、スティール写真の請求が来るかと思うと真っ青である。

しっかり、アルバイトしなければ。

郵便にでっかい封筒が入っている。何だろうと開けてみると、「第三回京都映画祭」の案内である。またもや貴重な時代劇映画がたくさんやるのであるから、これは見に行かねばと、予定表と付き合わせてチェックする。

あー、これでまたバイトが出来ないではないか。散財の日々。貧窮。

しかし、ビデオにもなっていないからやはり見逃せないしなあ、辛いところである。

ぷふー、宝くじでもあたらんかねえ。って愚痴る前に買えっちゅうの。

 

9月2日

今日は待ちに待ったリリパット・アーミーの公演である。

残念ながら、元座長であった中島らもが退団してしまったので、お芝居の色合いも今までとは少しは変わってしまうだろうなあ、と思いつつも楽しみである。

今回は男女入れ替え劇「乙女回廊」である。

小ネタを仕込むと言うよりも、なんかアドリブで、いろいろ団員の暴露ネタが多かった。

途中宝塚も入ったりして結構大笑い。

でも結果的には、話としてはしっかりとこじんまり収まって破綻がない。

らもさんがいるときは、途中で「何や。これ」という破綻が来るので面白かった。

わかぎえふさんだと、もちろん笑いも多くは言っているけど、きちっと劇として、筋が収まる気がする。

それでも楽しめたから、いいか。

また来公演を期待しようっと。

昨日は杖のお稽古。

月曜日以来の筋肉痛がやっとおさまり、また新たなるお稽古。

本当に基本的なことがちっとも出来ずに、自分の身体を持て余してしまう。

自分の身体一つ、自由が利かないなんて・・・使いこなすことはずっとずっと先になるだろうな。

9月に入った途端、なんか突然秋めいてきた気がする。

朝晩は結構涼しいし、山積みになったお仕事は少しは進むかしらん。

というより、すすんでくれなきゃこまんだけどなあ。ふう。

 

8月31日

おっと気づけば、八月ももう終わりではないか。

ううー、山積みの仕事。ちっとも片づかず。悲しい。

おまけに日文研は、既に秋らしい風が吹いているではないか。

あー、時間が、時が過ぎてゆく・・・誰か止めてぇ。って書いてる瞬間も過ぎてんじゃねえか、あほ。

やっとビデオプリンターの用紙が届いたので、「薄桜記」の使いたいシーンをプリントして、すぐさまFAXで大映に送る。上手くいくといいのだが・・・

お家に帰ってきたら、留守電が大映さんから入っていた。上司と相談し、検討の結果やはり使用不可。こちらが持っているスティール写真を使ってくれとのこと。はあ、やはりだめかあ。雷蔵の場合、遺族も絡んでくるので難しいとのこと。そうだよなあ。とほほ。

はあ、文脈とは合わないが、かっこいいのでやはりスティール写真は使うことにした。

また、出費が・・・

これで来週にワイズ出版と連絡をもう一度とり、すべてのスティールが家に届けばやっと論文の件が完了する。

しかし、調子に乗って日文研に通い詰め、女学院のバイトもこなしていたら、そろそろ身体さんが悲鳴を上げだしてきた。

私が悪かった。明日は杖のお稽古だけだから、ゆっくり休もうね。

明日、念願のダイニングセットが到着する。

これで胸を張ってカイロプラティックに通うことが出来るぞー。

しかし、めっちゃ部屋が狭くなってしまうことになる。

あまり小さいのってないのよねえ。これでも一番小さいサイズを選んだんだけど・・・

しゃあないか。これも身体のため。

夜はカイロプラティックに通ったのだが、あまりの身体のゆがみに、先生は「かてえ」と言いながらぐいぐい筋肉をのばす。私は必死で痛みに耐える。

「このままでほっておくと、地面しか見えないほど身体の曲がったおばあさん状態に40代、50代でなりますよ。こんなとこに肩胛骨があったらあかんねんから。早い内に治ししょうね」と言われてしまった。

私の身体のゆがみは相当ひどいものらしい。

かなり時間をかけないと治らないから、いろいろ家での体操なども指示される。

なんか、急に病院通いが増えてきたようで嫌だなあ。ばばくさ〜。

 

8月29日

最近、日文研アレルギーが治ったのか、結構アルバイトに通っている。

今日も行ってきた。凄い、偉い、ひゅー、どんどん。

帰りに知り合いの友人の油絵の個展を見に行く。

ご本人とは一度お食事を一緒にしたことがあるので、一応顔は通っている。

明日には帰国しなければならなくなったので、(イタリア人)今日が会える最後の日でもあり、個展はまだ続いているけれど今日行って挨拶しようと思ったのである。

都ホテルの横の小さなギャラリーで、10点強ぐらいの作品が展示してあった。

色のコントラストが激しく、強烈なインパクトを与える作品である。

絵には疎い私なのだが、一応素直に感じたことを話した。でもフランス語だったし、ちゃんと伝わったかなあ。

まだまだ若いから、これからってところと、ギャラリーにいた知り合いは言っていた。

絵の世界も深いからねえ。

帰りは兄の店に行って御飯を食べることにした。

兄はいなかったけれど、義姉がいたので最近のことなどだらだら喋っていた。

私が店に「ディプシー」を寄付することにしていたのだが、今日ははじめは寄るつもりをしていなかったので、また忘れてきたので、「ポー」に「ディプシーは?」と催促されてしまった。ごめんなさい。早く連れてこないと「テレタビーズ」が揃わないのよねえ。

悪かった。

そのうち店も忙しくなってきたし、時間も遅くなってきたので、帰ることにした。

何とか潰れずにやっているようで、まあ一安心かなあ。

京都に来た折りには、是非寄ってやって下さいまし。

河原町三条を少しあがったところにあるレディックビル6F「cafe opal」です。

よろしく。(なんて兄思いの妹。うるるる(感涙))

 

8月28日

版権の件がまた一つ片づいた。たらい回しの結果、「どうぞご自由に使って下さい」との返事を頂けたのでラッキー。これでにっかつさんには、申し訳ないけれどお断りの電話を入れ、出費も減った。はあ、よかった。

あとは大映だけかあ。早くビデオプリンターの用紙が来ないかしら。

今日祖父が退院した来たので、日文研の帰りに顔を出しに行く。

しかし、全然食が進まないし、元気がない。

案の定、また熱が出てきたのだ。

また、病院行きか?と疑問に思いながらも、家にいたがる祖父が少し可哀想になった。

いくら特別室とはいえ、ホテル並の広い部屋にぽつんと一人でいるのはいやだろう。

以前書いたかもしれないが、祖父の入院していた部屋は1泊3万5千円。

医者付き、看護婦付きの別荘にでも療養に来ていると思ってゆっくり身体を治したらいいよ、とみんなで言う。しかし、2泊で家の家賃よりも高いなんて・・・ひえー!!

とりあえず、寝間着に着替えさせて寝かせることにした。

明日には、熱が下がってくれるといいけれど、ちょっと心配だなあ。退院してきたばかりでこれだからなあ。

年を取るといろいろ大変だねえ。

まあ、90年も生きてくれば、身体さんも疲れますわなあ。

 

8月27日

久しぶりに杖の稽古に行く。

身体がなまってがちがちである。おまけに足腰を鍛えるための鍛錬とやらに挑戦したので、足が痛い。膝が笑っている感じで階段の上り下りが辛かった。

兎飛びを幅跳びを合わせたような感じの跳躍なのだが、これが全身にこたえる。くー。

はあ、ちょっと動いたらこれだから、運動不足ってとこかしら。情けなや。

にっかつから版権の件でFAXが入っている。

お目当てのスティールはなかった。じゃあ、そのスティールを持っているところを一から探さねばならない。

面倒くさいので、手元にあるスティールで我慢するかあ、と悩んでいる。

でも、これじゃ文脈にフィットしないんだけどなあ。

古い映画の場合、本当に版権の持ち主が分からなくて困る。その写真が載っている出版社に問い合わせても、管轄外だとはねられるし・・・だって、おたくその写真のせた時、版権の交渉したんじゃないの?と思わず愚痴りたくもなる。

はあ、今日連絡できなかったところもあるし・・・困ったなあ。

ビデオプリンターの紙は入荷しているかしら。

とりあえず、明日日文研に行って確かめるしかないか。

なんか便利なようで、不便な世の中。

疲れがたまっているせいかなあ。

どうも愚痴っぽくなってしまうぜ。って愚痴ってんのは、あんたやろ、ぼけ。

 

8月26日

湊川神社神能殿に、観能。

『橋弁慶』だったのだが、小書きに「笛之巻」とついていて、滅多に上演されないヴァージョンだそうだ。時間があるのなら是非見に行くようにと下川先生に勧められて見に行くことにしたのである。

後半は普通と一緒で前半が少し違うのである。あと、間狂言が結構面白い。

狂言は今をときめく?野村萬斎である。野村萬斎目当てなのか知らないが、会場は満席で、いつもの能よりも年齢層が若かった。

狂言の方が親しみやすいし、やはりテレビの力は大きいなあと改めて感心させられてしまった。

夜は祖父の見舞いに来た親戚と会食。

はあ、今日も疲れる一日であった。

(本がしんどくて読めないのが、辛い)

 

8月25日

バイトと版権交渉に日々が流れていく。

ビデオプリンターの紙が切れているので、会社との交渉は遅れるし、早いところは既に送ってくるしで、バタバタと日々を過ごしている。中には何処に版権があるのか分からず、写真が掲載されている出版社に連絡してみたりと、相変わらず頭を痛めている。

印刷の問題もあるだろうと思い、紀要担当の人に事情を話し、図版が遅れる旨を承諾していただく。はあ、忙しい。

気がつけば、土曜日。しかも8月ももうすぐ終わり。予定していたことが何もできていないではないか。

物事は予定通りには行かないものである。

今日はまた入院した祖父の見舞いに行く。そろそろ退院するとは思うが、あまり顔を出さないのも失礼かなと思ったので、ダイニングセットを買いに行く帰りに車でよることにした。

前回のところは、全く連絡が来なかったので、遂にぶちぎれて交渉炸裂。返金してもらったのである。

カイロプラティックには週1回通っているのだが、その先生に、「床に座らないようにしていますか」と聞かれて、「なるべく・・・」としどろもどろに誤魔化して返事をした。きっと、身体のゆがみがちっとも良くなっていないので、怪しまれたのであろう。うう。さすがにプロの目は厳しい。

昨日は久しぶりの診察日。「お盆は何かとバイトやら会食やらに明け暮れて休みなしで動き回って疲れています。この前の台風の日はさすがに倒れていました。(電話していたけど)」と報告。「最近は昼まで、生きる屍状態で、しんどくてしんどくて、漸くまともに動けるようになるのが午後になっています」とも報告すると、「それでも、それだけ動けていたら大丈夫。だいぶ病人顔から健康そうになってきたよ」と、まるで快復に向かっているかのようなお言葉。嬉しい。早く脱出したいもんである。

でもお薬の量は相変わらず一緒。まだまだ減らしては頂けないのね・・・

くーん。毎月の病院代って結構馬鹿にならないんだけどなあ。

 

8月21日

台風が来るというので、たん熊さんの納涼会が中止、明日に延期になった。

今日のメイン行事はこれだったので、予定がなくなった。

台風も来ることだし、家でこれまでの疲れで心身ともボロボロになっていたので、ゆっくり休もうと思ったが、やらなければならないことが山積みになっているので、だらだらとそれらを片付けていくことにした。

めでたく、日文研の紀要に投稿した論文が受理されたのだが、査読委員よりのアドバイスで「図版を入れるように」との指示。

私は映画を扱っているため、図版となると映画会社との交渉になる。実は、面倒くさいなあ、と思ってずるずるのばしていたのだが、今日は1日かけてあちらこちらの映画会社に電話をして版権の問題で交渉に日を費やした。

ほとんどのところが、1点1万〜2万だという。これは自腹を切るにはあまりにも痛いのだが、やはり論文に見栄えを良くするためにはと、泣く泣く承諾する。

中には、親切な映画会社もあって、「学生さんの論文だったら、ただで使ってもらっても結構ですよ」と、ありがたいお言葉を下さる会社もある。うるる、ありがてぇ。

しかしなかなかこのシーンというのは見つからないもんで、(当たり前か)ビデオプリンターの使用を交渉してみるのだが、これはほとんどの映画会社に渋られ、拒否されてしまった。中には、実際やってみたものを送ってきてくれたら、それを見て判断するとのお返事もあり、手間だが、お願いすることにした。

うーん、版権ってややこしいのね。

 

7月31日

はあ、今日で7月もおわりかあ。

とうとう8月で通院生活1年に及ぶことになってしまった。

なんでやろう。

やっぱり、いろいろと無理してんのかなあ。

今日、祖父が無事に退院してきたので、夕飯に顔を出すようにと連絡が入る。

へえへえ、わかりやした。

こういうのが積み重なるのが良くないのかもしれんなあ。だって、理想の良い孫を演じることになるのは目にみえているのだから。でも、無下に断れない自分がいる。

意志の弱い自分がいるのだから、しゃあないか。自分の責任やもん。

週末以来のハード・スケジュールにより、今日は日文研にバイトに行く予定であったが、あえなく断念。朝から動けない。6時前から起きてはいるのだが、体がちっとも言うことを聞かずにストライキ。

「分かりました、今日は休みましょう。でも、バイトせなあかんねんで、いろいろ浪費してしもうてんねんから。」と身体さんに言い聞かせて、「明日はバイトに行こな」となだめる。

うーん、少し遊んだぐらいですぐにこれだったら、まともに週5日朝出勤という生活でけへんやないの、困ったやっちゃなあ。腑抜けもの。

昼まで倒れていたが、午後になって漸くのそのそと動き出す。カフカの虫やないねんから。

天気もいいので、かねてより念願の「冬物ウール大洗濯」をする事にする。万歳。(例年はGWにするのだが、今年は天気が悪かったために断念。とうとう夏まで持ち越していたのだ)。いかねばいかねばと思っていた「生活必需品」の買い物に出かける。良かった良かった。以前より宿願の「カイロプラティック」の門をたたき、値段や内容などを尋ね、予約を入れることが出来た。ええぞお、ええぞお。

そうだ、普段なら昼間いなくて出来ないことがやっと出来たのだから、今日はお休みにして良かったのだ。

これであとは光熱費を払えば、一段落つく。

よしよし、今日はよい子だったね。よく頑張ったよえらいえらい。

あとは、明日からのバイトだなあ・・・ふう。

 

7月29日

今朝帰ってきた。疲労困憊で、思考できずに1日中転がっている。

もう生きる屍と化してしまった。しんどい。

でも精神さんは超元気。大変だったけど行ってよかった。

今回のお目当てはなんといってもパティ・スミスとニール・ヤング。

凄かった。かっこよかった。最高だった。まだ余韻が心地よく残っている。

しかし身体さんは動かない。ごめんね。

もう一つ、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットも狙っていたのだが、残念ながらパティと時間帯がバッティングしてしまったので、もちろんパティ・スミスを選ぶ。

(4ステージ設けられているのである)

山嵐も興味あったが、ニール・ヤングのために体力温存せねばとこれも断念。この二人の他は、だらだらレジャーシートに転がりながら、呆けらーと本を読んで過ごしたりする。

いいねえ、こういう時間。曇り空が多かったので、そんなに暑くもなく過ごしやすい。

パティ・スミスの時、張り切って踊りすぎて少しばて気味。ニール・ヤングの時にもはしゃぎすぎて、人に揉まれてもうボロボロ。

感動は残っているのだが、コンサートが終了してバス乗り場に戻るまでは、もう難民状態でだらだらと歩く。体中ほこりまみれで、疲れ切って、まさに難民。

昨日は難民、今日は屍。

明日のバイトに無事に行けるかなあ。

明日はバイト終了後に京都に行かなくてはいけない。暑気払いのお食事会があるのだ。

今日は何もせんとゆっくりしとこ。

 

7月27日

今日は診察日。最近体質が変わった気がするのでその事について話す。

どう変わったのかというと、私はすごい汗かきであった。じっとしているだけでも汗が滝のようにだらだら流れて、「暑い暑い」と扇風機の前で愚痴っていた。昨年も、汗をだらだら流しながら、「死にたいよお」と一晩中泣き続ける日々を送っていた。

それが、今年はあまり汗をかかないのである。みんなが暑いと言っているのには同調して暑いと思うのだが、思ったより汗が出ない。エアコンのついている部屋にいるとすぐにからだが冷えてしまって、一人長袖の上着を着込んで寒がっている。

あまり汗をかかないと言うことは、新陳代謝が悪くなったと言うことではないだろうか、と悩んでいた。(別にエアコンなしで暮らせるので、ありがたい話なのだが)

もちろん、全くかかないわけではなく、外を歩いているとそれなりに汗ばむのだが、滝のように汗が流れることがなくなったのであるし、すぐに汗がひく。

なんか、汗掻くのも嫌だけど、新陳代謝が悪くなったというのも嫌である。(不健康そうだから)

それで、相談してみた。他に下痢とか便秘とかありませんか、と聞かれたので「はあ、便秘の方ですね」と答え、「あと足先とか結構冷えるんですよ」というと、「それはね、鬱病体質ですよ」とこたえられてしまった。

ひえー。鬱病体質なんてあるの?と言うことは、私は間違いなく鬱病から脱していないってこと?と、びびってしまった。なんか悲しい。

体質まで変わるなんて・・・

ちょっぴりショックを受けながら家に帰ると、封書が届いている。中をあけると、3月末に〆切のあった投稿論文の結果であった。今回はめでたく合格して受理して頂けた。

う、うれしい!!

「ラッキー、ルッキー、ラッキー」と町田康を歌いながら踊ってしまった。

ひゃりらりほー。

今晩から療養を兼ねてFRFに参加しに行く。お金がないのだが、療養と思って、小さなバイトを重ねながら、思いきって参加することにした。でも1日だけ。

FRFとはフジ・ロック・フェスティバルのことである。実際は3日間あるのだが、そんな大金はないので1日だけで往復バスの車中2泊というハード・スケジュール。

大丈夫か?!とも思ったけれど、何とかなるだろう。

良いことあったし楽しみだなあ。ぐふふ。

7月26日

今日は家の近所にある「富松神社」というローカルな小さな神社で薪能があった。

仕舞に下川先生が出るので見に行く。演目は「菊慈童」。

メリハリのある舞でかっこいいのなんのって。早くあんな風に舞えるようになりたいもんである。

母と一緒にそれだけ見て帰ってきたのだが、どうも最近実家の方から連絡がなく静かだと思っていたら、月曜日に祖父がまた入院していたことが発覚。この暑さである。老体にはきついだろう。いっそ、別荘気分で病院にいた方がいいのではないだろうか。

そうか、それで顔を出せだのなんだのという連絡がなかったのか。

毎度のことなのでもう驚かないし、極度に心配もしない。熱が出て軽く炎症を起こしているのである。命に別状のある大病ではないからだ。

担当の医者も、連絡すると笑っていたそうである。「はいはい。入院しますか」と言われたそうだ。慣れたもんである。

心配なのは、毎日見舞いに通う祖母の方である。やはり相当の体力消費をしているからだ。しかし、祖母も舞を続けているおかげで元気でいられて何よりである。無理して欲しくはないので、薪能の後に顔を出して話をしにいった。元気そうでとりあえず安心である。

この暑さだもの。誰だって夏バテするよ。

私も早々に夏バテ気味である。人並みだと思う。多分・・・

 

7月25日

二日連続で日文研にアルバイトに通う。もうボロボロである。

仕事は一人きりなので楽なのだが、なにせ通勤に片道2時間近くかかるのが辛い。最近京都に観光に行く人が増えたせいか、よく分からないが座れないのがまた辛い。おまけにバスで酔ってしまう。

「日文研までたどり着けました。えらいえらい」と自分を誉めてあげたい気分だ。

おかげで、明日の女学院のバイトに行けるかが不安である。

何せ、身体さんは疲労困憊で悲鳴を上げているのだから。

今日は早めにお薬を飲んで早めに休もうと思う。

いつもそう思うのだが、この暑さのせいで、薬の効きも今ひとつ悪い。短くて10分。長くて2時間で目が覚めてしまうのだ。体は動かないので、眠りにつきたいのだがなかなか睡魔におそわれない。やっと寝入ったと思ったらまた目が覚める。夢を連続してみているせいもあるかもしれない。

結局目覚ましがなるよりもかなり早くから起きているにもかかわらず、身体が「だるい、だるい」と嘆くもんだから、生きる屍となって転がっている。そうして時間はどんどんと過ぎていき、ぎりぎりにアルバイトに走って家を出る始末。余計にしんど。

 

7月22日

世間は三連休。ないし夏休み。

私は昨日の研究会にはっていったのをのぞけば、結局引きこもりの日々。

気分がすぐれぬのだ。ずっと訳を考えていた。理由を探していた。

一つ気になったことを思いだした。

それは、木曜日の出来事。

わたしはコミュニケーション・ブレイクダウンを起こしていたのではないか。

大切な人とコミュニケーションできなくなってしまっていたのではないか。

一体私は何をしたのだろう。

しかし、その理由も分からぬまま、私に一人心を痛めている。

もう元には戻れぬのだろうか。

きっと理由はこれに違いない。

その事は私の心に棘のように突き刺さる。

どうすればよいのだろう。どうしたらとげを抜くことが出来るのだろう。

もうすぐ夏休み。

この気まずい状態に一人沈んだまま、私は夏を迎えるのか。

一人、引きこもりとあるバイトの生活を迎えるのか。

この調子だと、なかなか通院生活から脱しきれないなあ。とほほ。

 

7月20日

海の日。外は晴天。みいんな出かけてんだろうなあ、と思いつつ、一人倒れているあほがいる。ああ、どうしていつもこうなんだ。

理由がよく分からぬが、ものすごく絶不調に陥ってしまった。

なんか知らぬが、気分がすぐれない上に、暑さでダウンしている。

理由は何だろう・・

 

7月17日

今日は祇園祭。すなわち市川雷蔵の命日である。

この世を去って33年。未だに途絶えぬファンクラブや映画祭。いい男である。

私は雷蔵に惚れ込んだ。そして修士論文を書き、日文研に希望を抱いて入学したはずなのに、なのに、なのに、いつからこうなってしまったのであろう。

気づけば通院生活を早1年近く続ける身の上。

私は狂うているのか。私は、私は、私は、狂うているのか。

いつまでも続く単調な日々。

生活のためにやめられぬアルバイトな日々。

アルバイトのために自分を見失う日々。

アルバイトばかりしていては勉強が出来ない。いつの間にやら自分を見失い、何も書けなくなってしまった呆けた痴れもの。

雷蔵に、時代劇に、チャンバラに、私は言いたいことがたくさんあった。知りたいことがたくさんあった。はず、はず。

雷蔵の命日に思いを馳せ、自分の過去を振り返り、突如生きていくのが嫌になった。

そもそも私は生きているのか、死んでいるのか。

また暑い夏がやってきた。

そうして、食欲不振、不眠症。

まともに働かぬ脳味噌は腐れたるのではなかろうか。もはや、慈悲もなし。どうにもならない自分を持て余し、マンションの一室にへたりこみ、腐った頭で思考をめぐらす。

ぎぎぎぎぎ。錆びついてしまっているのか。

ぬるぬるぬる。とけてしまっているのか。

アルバイトをして感じる虚無感。そんなにまでして生きていく価値のある人生なのか。

もはやこれ以上生き恥を晒し続けていくのか、わたしは、わたしは、わたしは。

時間が遡れるのなら、入学時に遡りたい。はちきれんばかりの肉体と希望と光を感じていたあの自分に立ち返りたい。

日文研に入学してから10kgはやせ衰え、いまやまともなペーパーひとつ書くことも出来ずに、ぐるぐる同じところをはいずり回り、生活のためにアルバイト。今日もアルバイト。明日もアルバイト。

勉強したい、時間が欲しい、自分を見つめ直したい。

やりたかったことすら記憶から脱落している。取り戻したいのだ、私は自分を、記憶を、光を。

いくら思っても何も変わらない、変われない自分に、ただ、ただ、ただ、困じ果てるしかないのだ。

他人といると食べられるのに、一人だと食欲がわかないのは何故。

何か食べねば思考が出来ないと思いつつ、何も食べたくない自分がそこにいる。

そこにいるのは誰だ。

 

7月16日

この前なくしものをして以来、すっかり気分が落ち込んでしまった。

またもや絶不調の兆しか?と危ぶんでいたら、女学院にて傘を盗られた。

朝は結構たくさん雨が降っていたので、唯一あるまともな傘を差して出勤。

職員さんたちの傘立てに入れておいた。

午後になって、雨もあがって良かったねと思いつつ、何気なく傘立てを見ると無い。

ずっと仕事をしていたのだから、どこかへ持っていく、置き忘れることは絶対に有り得ない。

なんて、非道い。極悪非道な奴がいるのだろう。

間違えるのなら許してやろう。しかしだ。3人しかいないのに、傘立てには2本しか傘がなかったのだから、盗られた以外何物でもないではないか。

人のものを盗むのはやめろ。

幸い雨もあがっていたからいいものを。これで雨が降っていたら私はどうして帰れというのだ。

そうして怒りは自分に跳ね返り、絶不調の淵へと落ちていくのだ。

やめてくれ。

こんな些細なことでもどれだけ人が傷つくと思っているのだ。もうずたずたなんだよ。

自分で落としてなくしてしまったものは、自分が悪いから、多少傷が深くても耐えられる。

しかし、窃盗となると、怒りが、そしてさもしい気分に落ち込みずた袋のようにぼろぼろ。

私の傘を、返せ!

 

7月11日

身体さんは正直者である。(私が悪かった)

昨日、日文研に行こうと思ったが、動けなくてどうしようもなくだるくて結局ダウンしてしまった。今朝も朝早くから目が覚め、今日こそはと日文研に向かう。

しかし、ずっと起きていたにもかかわらず、降りるひとつ前のバス停より突如スピードスリープ、ディープスリープに陥り、幸い同じバスに乗っていた後輩に起こされて降りることが出来た。誰もいなかったら終点まで眠っていたのだろうか・・・。どこかで身体さんが嫌がっている証拠である。何を嫌がっているのか、身体さんは教えてくれない。

アルバイトをいつものようにすませ、本のコピーをいくつかとって帰ろうとしたら、中庭に人がいっぱい。そうだ、今日は「焼き肉パーティー」の日だったのだ。

日文研では、年に一回所員みんな?で草刈りをして、その後、労をねぎらって「焼き肉パーティー」が行われる。もちろん院生も参加できるが事前申し込みが必要だ。

そして、先生方の集まる率も高い。

私は適当な時間に顔を出して、意中の人=井上先生を捜し出す。あまり会えないのでこういうときに話しておくのが一番だ。

しかし、朝から身体さんはいやいやモードだったせいか、話している内に、なんか慰められているような気がしてきた。井上先生、おいそがしいところすみませんでした。

そこへ別の先生が登場し、「どうして食べないの?」というので、「偶然来たので、会費も払ってませんし・・・」というと「もぐりは一杯いるから、気にせず参加しなさい」と、何故かここでも慰めモード。お言葉に甘えて、生ビールと焼きそばとスイカを頂いた。

全く反省の色のない奴である。ちょっとは遠慮しろよな、ぼけ。

こんなんやから、いつまでたってもあかんたれなんやろうなあ。

ニュースをつけると、小学校に刃物を持った男が侵入。どうして、ひとつ衝撃的に取り上げられる事件があると、それをマネした事件が多発するのだろう。どうせなら別のことすりゃあいいのに。暗いニュースなんて真っ平だね、と思いつつも新聞を取っていないせいもあって、世の中に少しはついていくにはニュースを見ることが欠かせないのでぶつぶつ言いながらニュースを見ていた。はあ、憂鬱。

しかも私の嫌いな低気圧が明日は近づいてきているではないか。けっ。

「NO」と言えない日本人である私は、その上頼まれごとまで「へいへいお安い御用でえ」なんて、引き受けてしまったが、なんかややこしそうである。ただでさえ自分のこともできていないのに、人のことまで引き受けんなよ、うつけ者。

はあ、いつになったら安定するやら。やらやらやらやらやーらりほっほ。

 

7月10日

今日、祖父が退院してきた。当然のことのように私は顔を出す羽目となった。

平日で誰もいないからだ。

お鯛さんを焼いて、母と祖父母と私の4人で退院祝いの夕食を囲む。一見、幸せな家族像だ。もちろん私だって祖父が元気で退院してきてくれたことは嬉しい。

しかし、問題は次である。明日から母を始め叔父、叔母たちは祖父の献金をもとに東京へ2泊3日のゴルフツアーで遊びに行くそうな。それは勝手であるが、この一月近く、入退院を繰り返してしまった祖父である。祖母は何となく心細さが隠せない。

で、登場するのが私なのである。携帯を確認し、何かあったらすぐ私に連絡せよ、と言う母のアドバイス。

「あのぅ、一体私は何なんですか?」と言いたくもなるが、やはり祖父も強がっている姿を見ると、つい良い子ぶる私が出てきて「無理しないで。少しでもしんどかったら連絡してね」と口が滑る。つるりん。

結局私は、この3日間、無事に祖父が過ごしてくれることを願うさもしい人間と化してしまった。あー、自己嫌悪。

しゃあないか。は。

 

7月9日

アルバイトもなかなかつらいものである。

学生さんたちに気分よく利用して欲しいという気持ちが強いのだが、どうも彼女たちともコモンセンスがずれているようだ。

飲食厳禁と張り紙をしているにもかかわらず、パンを食べる学生。キャンディーのくずやあぶらとり紙の使った後のゴミを平気で放置して帰る学生、スリッパをめちゃくちゃに棚に放り込む学生、延滞してもちっとも反省がない学生、LD、DVDの読みとり面を指紋でべたべたに汚したり、コントローラーなどを落としたりと取り扱いの繊細さに欠けた学生。とりわけひどいのが日本語が通じない学生だ。あー、これ以上挙げていたらきりがない。

日本語が通じない学生というのは、例えば入り口と違うところ(裏口)から来たので、「出入り口はあっちになっています」と3回言ってもまだうろうろしていたり、カウンターに来るなり、「リスニングテープを下さい」と言い出したり、こっちにしてはどの先生の何の教材のテープか分かるはずがないではないか・・・それでも根気よく「どの先生ですか?」「教材名は?」などいちいち質問しないと分からない。にもかかわらずオウム返しに「テープ下さい」と言い続ける。おまけに「貸し出し中ですので予約されますか?」と聞くと、突然背を向けて帰ってしまう学生。いったい何なんだ。

こちらの笑顔にもだんだん限界が生じるが、それは我慢せねば、私はお給料をもらっている身なのである。つ、つらい。

これは精神衛生上、悪いに決まっている。

特に、声をかけて出来る限り丁寧に応対してあげているにもかかわらず、突然帰る学生には驚かされてしまう。こちらが何か悪いことでも言ったのかと、思わず人間不信。

 

そうなんだ。最近人間不信なのだ。

もしかしたら、いつもと変わらぬ態度で接しているのかもしれないが、私にとってはいつもと態度が違うように感じられて、「こっちが気に障るようなことを言ったのかなあ」といつもびくびくしてしまう。そしてたまるストレス。コミュニケーション・ブレイクダウン。

家に帰ると死んだように疲れている自分を発見する。

いっそ、引きこもっていた方がいいのかもしれないが、そんなことをすると生活できないので、結局アルバイトに行くことになる。

 

一人でいるのが寂しいくせに誰とも会いたくないときがある。

大勢の中で一緒に過ごしているのに、妙な孤独感におそわれるときがある。

 

私は一体何をしたいだろう。どう行動したいんだろう。どうしたら落ち着いた、安定した日常生活が送れるのだろう。

 

夜中に何度も目が覚める。覚めては眠りにつき、先ほどのリアルな夢の続きを見る。そしてまた目が覚める。ちっとも寝た気がしない。そして必ず目覚ましがなるよりもだいぶ前から覚醒してしまう。

 

ここ何日かは安定していたと思っていたのだが、ちょっとしたものだが大切なものをなくしてしまってからおかしくなっている。ある人に、気に障るようなことをしたかな、と思った瞬間からおかしくなっている。

世界が狂ってるのか、私が狂ってるのか。

存在を消して欲しい・・・

7月4日

昨日、内田師匠に大変ご迷惑をかけてしまったのが気になってか、よく眠れなかった。

先生ごめんなさい。

1日、家で休みたいが、用事もあるしバイトもあるので日文研に行く。運良く井上先生に会えたと思ったら、肝腎の手渡す原稿の入ったFDが見あたらない。間違って違うFDケースを持ってきてしまっていたのだ。あー、なんたる間抜け。とんちき野郎。

仕方ないので、「金曜日に郵便ボックスに入れておきます」と謝って一件落着。

久しぶりにあった友達からは、「また痩せた?」と聞かれる。「やつれた」が正解だろう。

もうすぐ通院1年になるかと思うと、何となく気が重い。

昨年、通院はじめる前からの予定で、1泊2日と海に行く計画があった。2回ほど通院した後だが、その頃はそんなひどいとも思っていなかった。海に行くのも楽しみだった。

にもかかわらず、私は行く直前に足を捻挫し、当日リンパ腺が腫れ上がって物を食すにも頭に響くという状態に陥った。身体の必死の抵抗であり拒否であったと今になって思う。

身体さんは正直者だからね。

しかし、精神さんの方は「イエイイエイ。ゴーゴー!」と乗りよく、ちょっと躁状態で楽しんでいたのだから、心身二元論の世界である。そして、その後ぶっ倒れた。

昨日からリンパ腺がまた腫れて、首が回らない。やはり昨日の自らの行動に対して、自分に嫌気がさしているからだろう。あー自己嫌悪。しゅん。

7月1日

はあもう7月かあ。

と思っていたら、またまた外泊許可を取って帰ってきた祖父の様態が変になり、即、病院へ。またもや、携帯で呼び出される。用件はゴルフから帰ってくる父の夕飯をしろと言うのだ。何処にでも食べに行くところもあるし、父だって祖父が外泊して調子が悪いことぐらい知っているのだから、何とでもなることではないか。

何故私が用意せなならんのや?頼むからこれ以上振り回すのはやめて欲しい。

しかし、結局遂行せざる得ないのだ。

私の状態が復帰しないのはあなた達のせいなんだと言ってやりたいが、言っても自己嫌悪に陥り、相手も気分が悪いだろうから言わないことにした。

くー!!

6月29日

毎週来るように主治医に言われていたのだが、所用が出来たために、3週間ぶりに通院する。実は今日も予定があったのだが、これ以上間隔をあけるのが怖くて、予定を早めに切り上げていこうとしていたが、結局今日になってキャンセルしてしまった。

病院に行くまでの時間を、久しぶりに家でゆっくりと過ごす。なんだかんだと毎日出かけていたので、身体が疲労していた。思いっきり休ませてあげることにし、病院も受付終了ぎりぎりに駆け込むまでごろごろして、本など読んでいた。それが良かったのだろう。

「薬を強くしようかと思っていたけれど、今日は顔色も良いし、この調子だったら、このままの量でいくことにしよう」と言われた。

内心、えっまだ強くしないといけないほど状態ひどかったん?と一人ぞっとした。

何故なら、本人には全く自覚がなかったからだ。今でさえ結構たくさん処方されてるんだけどなあ。何がわるいんやろう・・・うぎゅー。

 「経済的に余裕があれば、海か山に行きなさい」と言われた。経済的に全然余裕はないけれど、9月にバリ島に行く予定であることを告げると、「治るよ」と言ってもらえた。

転地療養せいっちゅうことか?と思いながらも、この一言には嬉しかった。

だから今日はとても気分がよい。

久しぶりに音楽を聴きながらへらへら踊りたい気分だ。ふっふっふ。

たまにはこういう日もないとね、あかんわ、やっぱり。

 

6月26日

うぅぅぅむ。

ちっとも原稿が進まない。

まだ締め切りまで時間があるとはいえ、早めに書き上げなければ、今の調子だとぼろぼろになってしまう。

歩いているとき、本を読んでいるときにフッと気がそれて、原稿のことを考えている自分に気づくのだが、いざ、パソコンの前に向かうと、さっき考えていたことがすらすらと出てこずに、くーんと悲しく止まってしまう。

身体さんがいやがっているのだろうか?

いやいやそんなことはない。だって大体の構想は出来上がっているのだから、後はそれを文章化するだけなんだから。

では、何故?

それは、あまりに厳しい査読への恐怖心からだと思う。いや、普通の査読だったのかもしれないが、今度投稿しようとしているところへ、以前も投稿して査読で落とされた。ろくなもんを書いていなかった私が悪いのだから、その事に関しては今後の課題にと思っている。しかし、その時に一緒に添付されてきたコメントがあまりにも非人情だったのだ。

ハッキリ言って、打ちのめされた。病状悪化の悪夢であった。

にもかかわらず、懲りずにまたそこへ投稿しようとしているのだから、書く方も自然と気張ってきてしまうのだ。祖父のことを言えた義理ではないが、性懲りのない奴である。

そういえば、発病のきっかけとなったのは、去年の6月であった。

あのときはどうしようもなくこんがらがってしまった人間関係に巻き込まれ、私は誰にも傷つけたくなく、自分も傷つきたくなく、1年ぐらいその状態を続けてきて、とうとう自己嫌悪に陥って吐きそうになっていた。それで、善人の人々に大ウソをつくというかたちで、その関係から脱却をはかったのだが、それが自己嫌悪感をさらに深め、自分が信じられなくなっていた。全くのあほである。

それから睡眠時間が減り始め、食欲不振になり、自律神経失調を起こし、とうとう他人とコミュニケーションもまともにとれなくなってきて、8月に医者に駆け込んだのだ。

何故2カ月もほっておいたかというと、(あれ、前にも書いたかなあ)例の祖父が、この時も入院、緊急手術騒ぎがあって、自分のことを考える場合ではなかったのだ。

8月に医者に言ったときには、2〜3カ月で治るだろうと何故か高をくくっていた。

しかし、現実は、もうすぐ1年であり、薬の量は一度も減ることなく、逆に増え続ける一方。最近は、この状態が普通のように思えてきた。しかし、周りの人々には、「大丈夫?」とか「病人顔だ」とか言われているので、通院していることだし、病気なんだろう。

でも、人間誰でも病気がち何じゃないだろうか。どこかねじが狂っていて当たり前なんじゃないだろうか。

だから、私も人よりちょっと狂っている分、人一倍疲れてしまうだけなんだと思う。

原稿が進まないのは、発病する前から同じである。いつも締め切りぎりぎり、時たま遅れていたりしていたのだから。

しかし、困った。「日記なんて書いている暇じゃないじゃないんか、えっ」ともう一人の私が非難する。「だって書けないから、書けるもんを書いても良いじゃないか」と、またもう一人の私が応答する。

あー。自己分裂。へらへらへらり〜。

6月24日

なんだか、周りが騒がしい。

火曜日に退院してきた祖父が、金曜日に再入院。キッチリと治してから退院してこないからこういうことになるのだ。しかし、1人病室にいるのもつまらないのだろう。退院すると言って言うことを聞かずに無理に帰ってきたのだから仕方あるまい。

またまた携帯で呼び出されて、この日は謡曲の稽古日だったのだが、単身赴任先から帰ってくる父と、病院まで送り届けて帰ってくる母の食事を、実家に帰って用意していて欲しいと言われる。

私は家を出ている身である。何で私がせなあかんねん。

とはいえ、おばあちゃんには「悪いねえ、助かるわあ」としきりに感謝され、つい良い孫を演じる私を断りきれずに、言われたとおりにする。

はあ。ちっとも療養どころでも、原稿どころでもない。

週末になって、またすぐ帰ると言ってわがまま言い放題の祖父。

土曜日に、心配なので見舞いに行こうとしていたら、外泊許可をもらってのうのうと家に帰ってきているではないか。そして、麻雀しているのだから、タフな人である。

とりあえず、顔出して、「くれぐれも無理をしないように。医者の言うことを聞くように」と釘をさして帰る。本当に90歳になって不良老人である。

日曜日。午後に様子を見に行くとしんどそうにしている。「しんどいんだったら、早く病院に帰ったら」と声をかける。最初の予定は夕食を家で食べて遅くとも20時には病院に戻る予定であった。

本人もじゃあ、そうするかと頷くので、たまたま来ていた親戚と病院へ帰る支度をし始め、「さあ、行きましょうか」というと、「何処へだ?」「病院に帰るって言ったでしょ」「言ってない」「さっき言ったよ」「そんなこと誰も言ってない。家で御飯食べて夜帰るんだ」と言いだして聞かない。どうもさっきより元気になってきたので気が変わったようだ。

本当にしょうのない人である。90年頑固一徹生きてきた人やから、もう一生かわらんやろう。

心配して損した。と思いながら、家路につく。本当に祖父に振り回された週末だった。

しかし、内心、ぼけてきたのではないだろうかと少し心配である。高齢であるのだから、可能性はなきにしもあらず。特に最近、「もうすることなくなったなあ」などと言い、手習いや読書を盛んにしていた人が、それもさっぱりせず、会社にも顔を出すと言って聞かなかった人が、会社に行くとも言わず、せいぜい、麻雀を言われてするぐらいの毎日である。相手がいなければ、1日中寝てばかりいる。少し心配である。

おかげで、私の方もだるくてしんどくて仕方ない。もともと低気圧に弱いので、梅雨の時期は誰にもましてしんどいのである。あちらこちらにいい顔見せて、本音を出せず、休もうと思っていた1日を台無しにされ、お気に入りの服はサイズが合わなくて着れなくなるし、踏んだり蹴ったりである。おまけに最近出費がかさむ。稽古事やお役所から、光熱費から、いろいろと一気にやってくる。

最も辛かったのが、病院である。確か日記にも書いたが、保険の負担料が昨年の12月で上がった。あー、これからは厳しいと嘆いていたのだが、ちゃんと「保健証が変わりました」と病院側に提出し、今まで診察を受けていたと思っていたら、病院のチェックミスで、あがる前の保険料で今まで計算していたそうな。だから、次回は、差額分を全部支払ってくれと行って来た。半年分である。しかもそちらのミスではないか。怖くて次の診察日にいけないよお〜。一体いくら納めさせられるんだ?

絶対世の中は理不尽に出来ている。弱者は守られないんだ。一人で強く生きてかなあかんのんや。しくしく。

この理不尽を「権力」と名づけようと「父」と名づけようと勝手だが、本当に、理不尽である。そして回答を与えられないのだ。だから制度が成り立っているのかもしれないんだけど、うーっ。辛い毎日である。

はあ、今週もやらねばならぬことが出来ずにすぎていった。

来週はどう何のかねえ。(とりあえず出費がかさむことだけが目にみえている・・・)

あ!でも良いこともあった。玉三郎様の美しさにもう釘付けになったことである。

畳半畳分の地唄舞なのだが、本当にほれぼれするほど美しく、粘りがある。息を詰めて合わせてしまうのだ。また、新之助君の将来有望な雄姿を見て、彼がチャンバラに出たら、なかなかの殺陣が出来るだろうになあ、なぞ思ってみたりもする。見てみたいものである。

舞踊とは奥深きもの、と感心させられた南座体験だった。

(帰りはもちろんカフェ・オパール。みんなも京都に行ったら立ち寄ってね。)

 

6月15日

ひえー!!学会がこの前終わったと思っていたら、もう2週間弱も時間が経っているではないか。一体何してたんだろう・・・記憶があんまりないなあ。

とにかく、だるくてしんどくて、何日かは倒れていたのは憶えている。そう、学会終わって気が抜けて、風邪引きそうになって寝ていたんだ。

先週末から何とか復帰。社会生活復帰。のつもりだったんだけど・・・

いろいろと事情が重なって、肩すかしを食らったり、大騒ぎしたり。

また、祖父が入院騒ぎ。90歳という高齢だから、仕方ないけど。

縁の深い孫とでも言いますか、私はたいてい祖父の入院騒ぎの時はいあわせている。伝達役をかってでたり、その他諸々の後処理を手伝ったりしている。

まあ、来週には退院できそうなので安心して、今回は見舞いに行っていない。

バイトが忙しくていけないというのが本音のところなんだが・・・

はあ、貧乏なときに限って出費がかさむ。仕方なくバイト増やしてやりくり、くりくり。

目も回ってくりくりくるくる。ああ、しんど。

おまけに1日が無事にすめばいいけど、何かとトラブル続き。

皆さん、公共のものは大切に使いましょう。とほほ。

結局まだ原稿のげの字も書けずに今日まで来てしまった。

6月中には仕上げなきゃやばいなあ。

この頭痛、肩こり、倦怠感、どうにかして欲しいよ。

って書いてたら、また厄介なお電話。人を使うのもいい加減にしてくれえ!!

全然療養できないじゃないか。うぐ〜。

 

6月3日

ぶふ〜。やっと、学会発表がおわった〜!!

この日までにどれだけ迷い、悩んだことか。ってみんなそうだけどね。

それにしても、知っている人がほとんどゼロの全国大会での発表って心細い。

一体、客観的に見て私の発表はどうだったのか。それを言ってくれる人がいないから・・・

懇親会でも、こちらから聞こうと思っても誰が聞きに来てくれていたのかよくわからないし、そんなオーディエンス観察している余裕なんてもちろんないし。

アドバイスというか質問をして下さった先生方に話しかけようにも、全国大会のため久しぶりにあった先生方と旧交を温めていて、入る余地なし・・・

それでも、発表は時間内にキッチリ終わったし、5分という質疑応答で3人もの方に次々と質問していただいたので、結果的にはよかったとしよう。

そうだ。自分で自分をよしよしして上げなきゃ可哀想だよ。

それにしても今回は予想外の出来事が多すぎた。

まずは会費。正会員は5000円で、学生は1000円。その両方の立場にある私は当然1000円と思いこんでいたら、何と正会員扱い。もしかしてっと思っていつもに似合わず大金を持っていたためにぎりぎり懇親会費と合わせて支払いできた。こんな知り合いもいないところで、お金足りませんて受付でやってたら前代未聞だもんねえ。よかった〜。ほっ。そして交通費。大芸大の遠いこと遠いこと。往復1000円以上はかかるし、時間は2時間近いし、バスはほとんどないしで最悪。スクールバス乗り損ねたら、タクシーしか手段がないのもちょっと考えもの。日文研も遠いけど、一応市バスか京都バスという公共機関で通うからねえ。どちらにせよ、遠いよお。びびんばびんぼー。(あーそろそろ光熱費を払わなきゃいけない時期だし、定期ももうすぐきれるし、どうして生活していこ・・・)

それでも、何人かの知り合いもできたし、その人たちは発表聞いてなかったけれど、とてもいい人たちで、いろいろ今後もおつき合いできるといいなあ。

 

あー、それにしてもつかれた。昨日はあんまりよく眠れなかったし、今日はお薬飲んでよく眠れたらいいなあ。

 

5月14日

先日、町田康氏のサイン会に行ってきた。とってもかっこよくて素敵だった。

なのに、私はちっとも上向きにならない自分に焦りを感じ始めている。

薬も変えられた。抗鬱剤が何故ちっとも効かないのか自分でもよくわからないが、とにかく絶望的な調子の悪さである。

楽しいことがあれば結構上向きになったりするはずだし、嬉しいことが控えていたら、それをめざして乗り越えられてこられていたはずなのに。

どん底。食欲不振。鬱病。

とうとう「生きるために必要最低限のこと以外は何もしないように」とまで医者に忠告された。

しかし、原稿を書かねばいけないのだ。

生きるために、そう、今の道で生きるためには書かねばならないのである。

しかし私の目からは涙だけが流れるだけで、筆が進まないどころか、頭が空っぽなのである。私には言いたいことが山のようにあったはずである。どこへ行ってしまったのであろうか。それを探してゆっくりと深呼吸をしながらも泣いていた。

昨晩は全く眠れなかった。

あまりにも眠れないので、例の癖が出て部屋を片付け始めた。

だめだ。まだこんなに散らかっていては死ねない、と思いながらも、気がつけば、泣きながら台所の方へふらふらと向かっていた。

ハッと気づいて、ベッドに戻って小さくなりながら泣き続けた。

今、刃物を手にしては危ないと、内心葛藤しながら。

また気づけば、窓を開けてベランダに出ようとしていた。目の前は線路である。

幸い真夜中なので電車は通っていないが・・・

もう、だめだ。

自分では考えられないので、他人の言葉を借りることにする。

「そしてわたしはゆっくりと高みに昇りつめて

 義に餓えて愛に餓えて飯に餓えた」(@町田康)

 

5月7日

ほへら〜。1月近くもあいてしまい、世間ではGWなるものも終了したようですが、

皆様お元気でいらっしゃいますかあ。

別に日記をさぼっていたわけではなく、主治医に「書く行為」を禁じられていたのですね。実は今でもOKとは言われていないんですけど、やむを得ずの事情により、書かねばならぬ事が期限付きでできましたので、渋々お許しを得たのであります。

しかし、主治医の判断は正しく、お許しを得る前に書き始めようとしたら、これがまた一行も書けない。で相談したところ、3日間出された薬を飲んでだらだらし、それからパソコンに向かってもいいとのこと。

もちろん守りましたよ。でもねえ。いまいちなんよねえ。しゃあないんやけど。

そこで、本格的に書き物する前に、ちょっと日記でリハビリしちゃおうかなあ、など

不届きなことを思いだして、久々に日記更新します。

ああ、とはいえ、この約1月の間に何があったんだろう。

とにかく、体調は絶不調の悪循環路線から免れず、日々ぜいぜいしながら過ごしておりましたんどす。ほんまにGWなんて絶不調を絵に描いたようでありんす。あな、情けなや。

とはいえ、世の中は刻々とすぎていき、何にも出来ないあかんたれに成り下がり、かといって開き直って、だらだらとゆっくり休養なんて状況にもなれないところが辛いとこ。

「なあんもでけへんねんやったら、そりゃ休養やないの、おまはん」と言われても仕方あらへんのやけど、とにかくだるうて、だるうて、ちっても「あーよく寝た。」「昨日は1日充電したなあ」という日が1日もあらへんやないの、因果なことに。毎日「だるい」「しんどい」あーこんなんでええんかいな、せやけど動かれんほどの倦怠感と闘う毎日。

なんでや。私は療養生活に入っているはずやのに、療養とは闘いなんか?と自問自答する日々が続いてますんですわ。

なんやかやとしんどいGWが過ぎ、普通の生活(と言っても休養第一)に戻るはずの今日もまた最悪ですがな。

まあ、人間余裕を持って行動せなあかんちゅうこっちゃね。

今日は女学院にてアルバイト。

いつもぎりぎりの電車に乗って、ぎりぎりの乗り換えで門戸厄神まで通うてるんですが、今朝はぼけてたんでしょかねえ。乗り換えには、階段上って、時計台のある広場を通って階段駆け下りなあかんねんけど、その最も人があちこちから行き交う広場にて、蛙のようにへちゃら〜とばったりこけたんよねえ。手は痣になるし、足は痛いし、今想像してもあんなに派手にこけたんて十年以上はないね。階段踏みはずしたり、蹴躓いて「おっとっと」となったり、片膝つくぐらいならあるけどさ・・・本当に地面にベターと寝そべるぐらいばったりこけたねえ。いやあ、恥ずかしいのなんのって。でも、乗り継ぎがあるから、がばって立ち上がって、心配してくれるお優しい人を尻目に階段駆け下りたんよ。せやけど無情にも目の前で扉が閉まってしもうて乗らへんかったわけ。わかる?この空しさ。

週の初めからこれよ。しかもバイト間にあわへんから、しゃあないからタクシーに乗った訳よね。時給1時間分とよう考えたらほとんどかわらへんやないの。せやけど1人しかおらへん担当やから、遅れられへんしね。とほほもええとこやわ。おまけに腰痛がして体調悪いしね。

また夢がリアルすぎて、現実と混乱することも多いし、それで確認の電話とか連絡をどれだけ取ったことか・・・

ほんまに、一気に5月病ですわ。

ははは、家帰ったら、入り口にバイク止めてあって、荷物が邪魔でなかなかマンションに入られへんかったし、誰やねん、人迷惑なやっちゃ。

喜怒哀楽激しく生きてるあほがここにおりまする。

 

4月11日

日文研に行くから具合が悪くなるのか、具合が悪いのを押してまで日文研に行くから、更に調子を崩すのか、よくわからないが、とりあえず、症状はいっこうによくならない。

主治医の言うように、ひたすら寝ていればいいのかもしれないが、「働かざる者食うべからず」の世知辛い世の中。なかなかそうも言ってられないからアルバイトは休めない。

それで、具合の悪いのがわかって出かけるから更に悪化。

もう、絵に描いたような悪循環である。

そういえば、前にもこのような悪循環にはまっていたなあ。進歩のない奴である。

だから抜け出せないのかもしれない。

しかも昨日は、お稽古まで行ってしまった。

休もうか大分迷ったが、体を動かして、何も考えない状態にはいるのもいいかな、と思い、遅れながらも参加。

しかし、思ったよりも早く終わったのであまり時間がとれなかった。体には絶対にその方がいいはずなのだが、長い道のりを通ってきたので、精神的には何となく損した気がする。

そこで身体さんと精神さんがまたバランスを崩してくれる。

うーむ、困った。

これではまたもやろくでもないことばかりしか浮かんでこないではないか・・・

一度、食べていたにもかかわらず、あまりの落ち込みように一夜にして2kg痩せた経験があるが、昨日もかなりそれに近い感覚を持った。というのも、家に帰ってきて何となく服がゆるい気がするのである。朝も昼も夜も食べたのに、1kg落ちていた。

人間の体とは誠に不思議なものである。気分の持ちようで体重が変わるとは・・・

でもこれで痩せてもさすがにすぐ戻るけれどね。

明日には戻って明日の風が吹くんだろうなあ。

明日もバイトかあ、はあ。

 

4月10日

症状は更に悪化。

今は強いタナトスモードと自己嫌悪に苛まれている毎日。

一応表面上はアルバイトやお稽古に行ったりして、普通の生活を送っているのだが、内心ははっきり言って、どれもやっていて虚しい。

こんな事していて何になるんだ。

何のために生きているんだろう。

そして、これからも生きる価値、ないし、余地があるのだろうか?

先の全く見えない未来への展望は全くなしだし、毎日自分を誤魔化して生きているようである。そこまでして何になるんだ。

死にたいなあ、と言うより、消滅したいなあ。そう誰の記憶にも汚点が残らないように、消え去りたい。

 

4月5日

今日は前回当の主役が風邪で倒れて企画が流れた歓送会と就職祝いである。

師匠が就職を斡旋したこともあり、二人の間では共通の話題がたくさんある。おまけに話の中心が東京方面と言うこともあって、横で聞いていても私には何のことやらさっぱり話についていけない。

とはいえ、なんだか楽しそうだし、とりあえずよかったね。

当の私は、話に入れない分、飲み過ぎてしまい、おまけにお金も足りない超貧乏状態という情けないしだい。

友の新たなる出発を祝して、こちらもそのエネルギーを少しでもわけてもらいたいと思いつつ、千鳥足で家に帰った。

しかし、現実は厳しい。

やはり一人立ちしていく友の姿を見ると、今の自分がどうしようもないと言うマイナス・モードに切り替わってしまったのである。なんて心の狭い人間なんだろう。

あーやだやだ。

4月2日

とうとう4月。

主治医に言われたとおり、冬眠したいが、なかなかうまく行かない。

一時、薬を服用しているとはいえ、割とコンスタントに眠れていたのに、眠りにくくなってきた。はっきり言って、調子が悪くなっている気がする。

なんでや?緊張の糸が切れたからか?

自己嫌悪度は増し、何をするにもおっくうで、突如いらいらしたりする。

要するに情緒不安定になっているようだ。

何も考えんと転がっていても、落ち着かない。眠りに落ちれば、リアルな悪夢にうなされて目が覚める。何か気楽なこと(読書とか映画見るとか)しようとしてもやはり落ち着かない。肩こり、頭痛もずっととれない。

おまけに、昨日は胸が痛くて転がっているのも辛かった。

「今は睡眠をとるのが一番大切。食欲はその後でもいい」とまで言われているのに、その肝腎の睡眠が不安定状態に陥ってしまった。

うーん、考えても仕方がないので、転がるしかないかあ。

とりあえず、お薬でものもうっと。

 

3月30日

とりあえず、原稿を提出。

しばらくは休養体制にはいる。冗談ではなく、結構まじめに療養を考えてのことである。

早々に日文研を後にし、診察へ。

「しばらくは冬眠していなさい。何もせずにごろごろ転がっていなさい」とのアドバイス。

実はこれまでの緊張度が突然切れたのか、待合室で結構混んでいた中長い間待っている間に、どんどん具合が悪くなっていたのだ。診察室で、話しているうちに泣き出してしまった。自分でもよくわからないのだが、自分が気ぃ狂うているみたいな気がしてきて、ぽろぽろと涙があふれてきたので、どないしようもない。

「調子が悪くて当たり前」との言葉に納得し、診察室を後にした。

放心状態で帰ってきて、食欲もあまりなかったが、とりあえず自分に「頑張ってきたよね」とよしよししてあげる。自分を甘やかして、しばらくは療養に専念。

3月も、もう終わりかあ。

みんなが春を迎えて、新しい一歩を踏み出そうとしているのに、私はこれから冬眠か。

はは、あほやな。

 

3月28日

朝から原稿に向かう。しかし、風邪のぶり返しか、頭痛が止まずになかなかはかどらない。何とかして今日中に仕上げて、出来れば日文研までもって行ってから、お稽古に行こうと思っていた。

うんうんうなりながら、書き直しては消し、書き直しては消しの連続。どうも納得行くように出来ない。特に最後がどうしてもこれ以上展開する力が残っていない。自分でも自分が情けなくて、泣けてきた。泣いてる場合じゃないんだけど、本当に気が狂いそうだ。

結局、もう稽古に行く時間も過ぎようとしている。帰ってからどれくらい気力が残っているかわからないが、とにかく今は煮詰まっているので、リフレッシュを兼ねて稽古に行くことにした。

家に帰り、もう一度頭を切り換えて原稿を読み直す。しかし、これ以上手を入れるのは、今の思考状態では逆に危険と判断。人間あきらめも肝腎だ、などとのたもうてみる。

はあ、自分に情けなくて、またまた泣きモード。

 

3月27日

風邪が流行っているようである。

4月から東京へ仕事で行ってしまう同期の歓送会を兼ねた夕食の予定だったが、日文研から慌てて帰る途中に携帯に連絡。なんと、当のご本人が週末より熱を出して、未だに治らず熱も下がらないから無理だとか。そりゃそうでしょう。しかも、もう一名は、残業のために顔を出すだけでいいからと9時頃に駆け付けるという連絡。待ち合わせの7時に何とか梅田に辿り着いた私は、わざわざご足労下さった内田先生に事情を話してとりあえず謝る。

よりによって、しょっちゅう顔見ている私しか来ないなんて、きっとムッとされたに違いないでしょう。でもまあ事情が事情だけに仕方がない。

仕方ないので、今日は中止と言うことで、残業している彼女に電話し、折角なので1杯ひっかけて帰ることに。(ごちそうさまでした。)

家に帰ると再稿のチェックが帰ってきていた。

連絡を入れると、まだ後もう一踏ん張りして欲しい箇所は赤線を入れてあるとのこと。こんなに面倒を見ていただいて本当にありがたくて言葉もない。

しかし、今日はもうアルコールが入っているので、まともに思考できそうにないから、明日朝早くおきてすることにしよう。

なんとかしたいなあ。

 

3月25日

ふう、やっと再稿が終わった。要旨もついでに書いて、チェックしていただくために一緒につけて渡す。これで、一息やっとつける。

昨日は、午後のお稽古までの間に、朝早くから目が覚めたこともあり、ばりばり仕事に取りかかる。依然、のどの痛みが取れないので、気持ちが悪い。

それでも、熱は出なさそうなので、安心してお稽古に行く。またもや難儀な技が・・・。

何とか頭にたたき込んで帰る。帰ったらすぐにメモりたいが、今はそれどころじゃない。

稽古から戻ると、そっこう原稿に向かい、仕事に取りかかる。

もう、精神力だけで書いている気がするが、とりあえず、言われた箇所を中心に書き直してみる。一応脱稿。と言っても、もう読み直す気力すら残っていず、何となく咳が出てきたようで、やばい。

見直しは日曜日にすればいいと思い、栄養のあるものをとりあえず食べ、お風呂で暖まっておくすり飲んで早々に寝ることにした。

今日は一日フリーであったので、きれた風邪薬を買いに出かけた以外は、家でまたもやパソコンに向かう1日。駄目だ、咳が出てきて、この調子ではもう私の思考力は限界である。折角草稿を見ていただいているのに、申し訳ないがとうとう力つきてしまった。あんまりちゃんと書き直せていないと言われそうだなあ・・・

しかし、もう無理なものは無理なので、昨日習った技の手順を思い出しつつメモる。

あー、こっちの方もこれであっているのか不安だ。

早く風邪が治ってくんないかなあ。まあ、熱が再発しないだけましだけど。

今週でとうとう3月も終わり。なのに毎日のように予定が入っている。

月・水・木とお稽古があって、月・木は女学院にてバイト。火曜日は日文研に行ってバイトのあと、同期会で夕食。水曜日は、間に合えば日文研に行って原稿(3月末締め切り)を提出したいのだが、これもお返事がいつ帰ってくるかによる。最終的には金曜日にぎりぎり提出だな、きっと。でもそれを出したら、診察日なので、ちょっとホッとするかも。

風邪をぶり返すなら、金曜日以降にして欲しいな。内科もあることだし・・・。

それにしても、本当に綱渡り人生だなあ、私って。

 

3月23日

昨日、応急処置ですばやい対応をしたおかげで、風邪は治った(?)ようである。

と言っても、まだのどが少し痛いが、熱はすっかり平熱。悪寒もしないし、風邪薬もしっかり飲んだし、ビタミン剤も補給したから大丈夫。

朝から京都で1件用事を済ませ、思ったよりも早く終わったので早々に家に帰る。待ち合わせまで1時間あるので、眠れなくてもいいから、とにかく暖かくして横になる。

時間がきたので着替えて、ちょっと厚着にして出かける。

今日は、アルバイト先でお世話になっている人の歓送会である。なんと豪華に船上クルーズディナー(なんて言い方しないか)である。ハーバーランドに来たのは何年ぶりだろう。軽いのどの痛みは続いているが、一緒の人たちには気取られずに無事に過ごせた。お薬はあからさまに飲んではいたが、夕食も残すことなく全部食べられたし、これで栄養補給もバッチリである。

ハーバーランド内にある小さな遊園地もどきで、年甲斐もなく大はしゃぎして乗り物に乗ってしまった。結構楽しかった。いくら小さいからってあなどれんなあ。おそるべし。

開始が早かったので、帰りもなんだかんだと騒いだわりには、早く帰宅できた。すると草稿を見ていただいている人からの返事。部分的ではあるが再度書き直しである。

しかし、さすがにこの時点では疲労困憊。書き直す体力はなし。

明日にまわして、今日は早くお風呂に入って寝ようっと。

 

3月22日

水曜日に復帰して、夕方のお稽古までの時間、ばりばり原稿を修正する。

依然として体調はよいといえないが、一応思考は働いているようだ。

稽古から帰ってからも、更に原稿に取り組み、何とか再稿を仕上げてみた。

おっと、明日はバイトじゃないか。もう寝なくては時間あらへんなあ、と思い、寝る前の薬を服用。

だが、何度も夜中に目が覚め、しかもその大半が「寒気」で目が覚める状態である。

結局目覚ましよりも先に目が覚めるという状態。

のどがひりひりと痛んで、なんか嫌〜な予感がする。

とりあえず、お弁当を用意して、バイトに向かう。

途中、知人に出会うと開口一番「大丈夫?」と言われてしまった。

「え、調子悪そうにみえますか?」と聞き返すと、「なんか疲れているみたい」とのご返事。

「なんか今朝からのどが痛くて、風邪引いたらやだなあと思っているので、そのせいかなあ」と軽く受け流す。

しかし、時間が経つにつれて、悪寒が走り始めた。

こ、これはやばい。明日はキャンセルできない用事が2件もあるのだ。

今日からバイトは1時間はやく終了になる。(春休みだから)。

さっさと一人で帰って、家に帰るなり座り込む。

トローチとかなめていたが、今ひとつ効果なし。しかし、なんか「甘いもの」が欲しくて、家にあった「黒砂糖」のかけらをかじりながら紅茶を飲む。

熱を計ると、案の定発熱。とにかく「休養」しかないと思い、誘眠剤と風邪薬を飲んで、「お夕寝」体制にはいる。薬のおかげで、途中何度か目を覚ましつつも、4時間ほど寝ることに成功。熱は下がった。

しかし、油断は出来ない。「ぼーっ」とする頭を抱えながら、とにかく栄養のあるものを食さねばと考えるのだが、当たり前だが何も作る気もしないし、食欲もない。

オー、そうだった。うちには、前回の宴会の残りもんのチーズがあったはずだ。とりあえず、チーズなら高カロリーで栄養もあるし、とりあえずこれを食べることにした。

明日は、朝から用事があるので、早く薬を服用して、もう寝な。

はあ、なんてタイミングの悪いこっちゃ。

 

3月20日

とうとう倒れた。微熱まで出ている。

 

昨日も、皆さんが帰ったあと、夜中まで片づけをし、(といっても洗い物はしていってくれているので、大変助かる。あとは、元の位置に戻したり、残った食物を別の容器に収納しやすいように移し替えたり、そのために出る洗い物をするだけである)漸く椅子に座ったのが、夜中の1時過ぎ。

この5日間、どれだけ気張って、元気に動き回り、笑顔を振りまいてきたことか。

私の鬱状態を知っている人に、「思ったよりも元気そうに、きびきび動いているから安心した」というコメントを頂く。どうも。しかし当たり前である。きびきび動かなければ、料理を次々と出していくことは出来ない。それでも昨日は、私にしては非常に段取りも調子も悪かった。また、みんなが楽しく「宴会」を楽しんでいる中、どろーっと鬱の雰囲気を発するわけにはいかない。一人料理に打ち込むことで、他人との接触をなるべく避けながら、最低限の笑顔は振りまいて振る舞っていたつもりなのである。そう見えて貰わねば、これだけ気張っている意味がない。だから、一応そう言っていただいたのは、作戦成功と言うことである。安心。(やっぱり他人をあまり巻き込みたくないからねえ。)

依然、頭痛が治らない。あれだけぶつけりゃしゃあないか。

今日は、午後から研究会&歓送会のために、午前中はゆっくりしていられるな、と判断して家に帰ろうとするが、疲労でふらふらしている。「泊まっていきなさい」と母がしきりに勧める。

午前中に家に帰ってから用意しても間に合うか、と思い直し、お言葉に甘えさせていただく。

朝、何度も目が覚めるのだが、動けない。時計を見て、まだ間に合うからもう少し倒れておこう、もう少し、と延ばしていると、だんだん時間がなくなってしまったが、依然としてまともに動くことが出来ない。体がだるい。鬱状態も激しくなってきているような気がする。というのも、元気を奮い起こして参加しようと言う意志が全く起こらないどころか、そんな大人数のところへなぞ、行きたくないと思い始めているからだ。

もうだめだ。これで参加したら、病状悪化は目にみえている。断念。

自分で一番嫌いだと言いつつも、選択の余地なしで「ドタキャン」。皆さん、ごめんなさい。極悪非道人です、わたしゃあ。しかも電話一本入れる余裕すらありませんでした。卑劣な奴です。すみません。

用事でさっさと出かけた母のいない実家で一人、倒れていた。アドヴァイスで、こういうときは、なるべく体の表面をたくさん地につけて転がっているのが一番有効であると聞いている。熱も出てきていることだし、薬を飲みつつ実行。

お昼過ぎになって漸く、少し動けるようになってきた。

13時から、サンテレビで偶然にも「雷蔵」の映画がやっていたので、転がりながらそれを見る。何とか落ち着いてきた。そういえば、朝から何も口にしていない。(薬は例外)。

昨日の残り物があるので、別にお腹も空いていないが、とにかく体力つけるためにも食べなきゃと思い、CMの間に用意をし、映画を見ながらだらだらと食事をする。

映画も終わり、後かたづけをして、やっと家に帰れるまで動けるようになった。

今日は結局1日フリーにしてしまったので、家に帰ったら原稿を書き直そうともくろみながら帰宅したが、そうは問屋がおろさない。家に帰るとホッとしたのか、またまた「だるさ」が復活。動けない。第一、頭が「ぼーっ」としているために、まともに思考が働かない。これでは原稿どころではない。こんな状態で書き直せば、以前よりもひどい代物になるのは必須。

とにかく、今は「休養」が一番と思い、音楽を聴きながらごろごろ転がっている。

読書を試みるが、字面を追うだけで内容が頭に入ってこない。断念。

今日は、もう何もかも諦めて、ひたすら休養することにした。(というよりも、何もできないというのが、本当の理由である。)

しかし、原稿の締切の問題もあるから、明日には復活して取り組まねば。

間に合うかなあ。

 

3月17日

やっと、「演武会」終了。

でも、結果は、間違いだらけで悲惨だった。お稽古が足りておりません。すみませんでした。そのあとに、軽く「総会」などがあったのだが、時間のかかることかかること、疲れていたためにだんだん嫌になってきた。早く問題点を決めていきませう、と内心思いながら参加していた。そんなにも時間のかかる話だとは思わなかったからである。しかし、人数がいれば、それだけ意見もあることだし、仕方あらへんかぁ。

何故こんなに愚痴愚痴になってしまうかというと、疲労のせいが一番大きいが、ここ1週間ほど、かなりのハードスケジュールであるためである。原稿の書き直しがある上、アルバイトを交替したために連続してはいることになり、おまけに16日は、友人が名古屋から出張で大阪に来るために夕食を一緒にする約束があった。3年ぶりぐらいだったので、断る理由もなしに予定に入れていた。

そうこうして、今がやっと中間地点。明日は、謡の方の「新年会」と称した、内輪での練習会があり、1日拘束。19日はアルバイト終了後、実家に飛んで帰って、「追いコン」の皆様を出迎えなければならない。しかし、このスケジュールでは、これまでの中で一番参加人数が多そうなのだが、仕込みの時間が全くない。だから、今日もさっさと帰って、仕込みをし、明日も「新年会」終了後に仕込みをし、明後日は、本番だから、出来ているものを出してつないでいる間に、次の料理にかからねばならない。そして20日の休日は、今年で日文研を去る仲間の研究発表会と歓送会を兼ねた催しがある。祝日も何もない。その上、いつ原稿を書き直す時間があるというのだ。

はあ、そんな邪念の中、やっと総会が終わり、家に帰る。疲れているせいか、身体が思うように動かない。階段の踊り場への最後の一段というところで、足がちゃんとあがっていずに引っかけて、踊り場につっこむようにしてこけた。踊り場には採光のためのガラスが埋め込んであるために、凹凸ができているところがある。その角に勢い余って頭から激突。

あまりの痛さに一瞬立てずに、頭を抱えながらふらふらと踊り場をよたつく。誰もいなくてよかった。恥ずかしい。痛む頭を押さえながら、私の部屋にはもう一階分、階段を上らねばならない。慎重な足取りで家に帰り着く。なんか山形のタンコブが出来ているようである。くーっと、泣けて来つつ、そんなことを言っている暇はない。明日の仕込みのために泊まる用意をして、実家へ向かう。

実家に帰るそうそう、ありがたく用意していただいている御飯を立ったまま口に入れながら、仕込みを開始。(ちゃんと座って食べなくてごめんなさい。)

そして、食器棚の下にあるものをとって立ち上がろうとしたら、食器棚の角で、今度は額を激打。軽く切ってしまった。そして額にもまたタンコブ。1日に2回も頭を激打していて、大丈夫なのか。これ以上「あほ」になったら、もう救いようあらへんやないの。

涙と痛みをこらえながら、ふらふらと仕込みを続け、それでも終わったら、夜中の0時をまわっていた。もうへとへと。

さあ、今からお薬飲んで、明日に備えなきゃ。

明日、無事に起きられたら、とりあえず脳内出血ではないな。

 

 

3月12日

全くもって、コンピューターなるものは不可解なものである。

コンピューターというよりも、メールが不可解なのかなあ。

さっきまで使えていたものが、突然、サーバーに拒否されて動かない。

なぜ?どうして?

理由がよく分からず、またもや振り回される私。

大体、相性が悪いんだよ。けっ!とでもぼやきたくなる。

今日は杖のお稽古。今週末の土曜日に「演武会」なるものを内輪でするというお話だから、型があやふやな私は大慌てで必死でお稽古する。

とにかく回数をこなすしかない!ってんで、ばりばり、がちがちに固まった身体を捌くこともうまく出来ず、型を稽古していても、似て非なるもののような気がする・・・

そうして、がちがちのまま稽古を繰り返せば、気がつきゃあちこちが痣だらけになっていた。夏場でなくてよかった。腕の辺りなど、あまりのひどさに自分で見ていて可哀想になってくる。

おまけに、籠手を押さえられるとき、「ごつん」ともろに骨に当たる音がするんだから、痛くて仕方ない。やはり痩せてから、腕の肉も減ったのかしら・・・

今は青紫、赤紫と痣の花が咲いている。うおーん。

身体が捌けてちゃんと「型」が出来ているか否かはおいておいて、とりあえず、手順としては一応最後までクリアー。あとはきちんと理合い通りに、身体を捌いて使えるようになればいいのだが、これはそうそうすぐに出来るもんじゃない。意識だけでも持って、気長に稽古するしかないだろう。

しかし、朝からのバイトですっかりと疲れてしまった。

死んだように眠って疲れがとれてすっきり!というわけには、どうしていかないんだろう。

集中力が落ちて、ものの理解力も落ちている。すなわち「ぼーっ」となっている。

なのに、そのまま眠りに落ちてくれないのは何故?

はあ、そうして今日もお薬に頼るのでした。

いつになったら、薬なしで生活できるようになるんだろう・・・

 

3月7日

久々に自分の日記を読んで、笑ってしまった。

フロイトが「失錯行為」と名づけて、無意識に思っていることをつい「言い間違い」などの形で表面に現れてくることを指摘したのは有名な話だが、私の日記の「書き間違い」はまさに、その失策行為の典型的な事例の標本のように思える。

たとえば、4日の日記で、「漸く寒い部屋を目覚ましを止めに生き」など書いているが、これはもちろん「行き」の間違いである。しかし、私の中では「生きるのもめんどくさい」という倦怠感に、今強烈に包まれているために、毎日社会的に行動するのは、まさに「漸く生きている」方への意識が強いのである。

また、その前の2/28では「トイレですら誰かに代わって言って貰いたい」などと書き損じている。これも「行って」の間違い。大馬鹿者である。しかし、この事は確かに動けなくって、ひとりぶつぶつ「あー、誰か代わりに行ってくれへんやろか」と何をするにつけても独り言を言っていたのは事実である。

あまりの自分の素直?さに、情けないやら、わらけてしまった。これまでにも数々の恥ずかしい書き損じをしてきたが、多分、大半はその当時の状況と重なることが多いだろう。恥ずかしいやら、情けないやら。とほほ。

おまけに、集中力が極度に低下しているために、変換キーを無意識に押していることもあるので、きっと訳の分からぬ単語やフレーズもあるんだろうなあ。今更最初から読み返す気力も体力もないからしないけど、これからもきっとあるにちがいない。ちょっとは気をつけたいものだが、実はすでにもうしていたりして・・・

今日も、がちがちの鉄板入りの上半身を抱えてお稽古へ。実は、朝から日文研に行く予定で、用意も全部出来ていた。が、しかし、体が動かない。「家から出たくないよう」と精神さんが訴える。でもさ、バイトしなきゃなんないし、といくら言い聞かせても、ちっとも動けず、結局家で、原稿を書くことにした。

それって、一人芝居で、あんたの怠惰な態度を正当化するだけやん、と思われる方も多くいはるやろう。でも、本当に出られないのである。説明しようがないが、辛いのはこっちも同じなのである。

そんなわけやから、お稽古も当然時間通りにはいけず、30分遅刻してしまった。

そして、会社帰りの師匠と同じ時刻に到着。

適当にお話をしながらも、18時開始に来ていない自分に反省。

はあ、こんな毎日送っててええんやろか。

 

3月4日

ふに〜。どうにかなんとかしてくれ。

とくに忙しく走り回っているわけでもない。全くふつうの社会生活を営んでいるにすぎない。にもかかわらず、この倦怠感、疲労感は何なのだ。

とりわけ、この1週間の疲労感はたまらん。何せ、一度へたりこむと動かれへんからね。

こまった、こまった。

不眠日記といいつつ、疲労感および毎晩のお薬が頗るよく効いているために、最近は平均で4時間から6時間も眠れている。これはもう不眠とはいわない。

とはいえ、薬なしでは眠れない。また、眠りの内容も決してぐっすり快眠ではないことは事実である。大体目覚ましよりも先に目が覚める。

寝過ごして、なにか粗相があっては困ると思うので、目覚まし時計はベッドから這い出して3〜4歩歩いていかなければならない場所においている。朝、ふっと目が覚めると、「お、そろそろなるかなあ」と思う。しかし、寒さのために布団から這い出せない。

念力で止めたいがそうも行かず、しばらくして「ビリリリリー」と大音響で鳴り響いてくれる。そこで漸く寒い部屋を目覚ましを止めに生き、こたつの電源をいれて、へたりこむ。それから、全く動く気がしない。温かいお茶を入れるのも面倒くさく、時間のみが刻々と過ぎていく。「あー、朝からしんど」と呟いたりする。

そうして、朝早くから目が覚めているにもかかわらず、何もことが運ばない。

だったらその間も寝ていたらいいのだが、覚醒するんだからしゃあない。

先日主治医にこの事を訴えたら、「しばらく冬眠していなさい」と言われてしまった。

私だって、内心「引きこもり生活」をして「冬眠状態」に入りたいのはやまやまであるが、アルバイトもあるし、原稿もあるし、そうも言ってられないのだ。

うーん、どないしたらええもんやろね。

はあ、つら。しんど。

 

2月28日

とうとう2月も終わり。

未だに倦怠感から抜けられずに、絡まれたままである。

うーむ、困った。

何で困るかというと、全く無気力な状態であるからである。

何もできずに、お茶さえ入れる気がしない。トイレですら誰かに代わって言って貰いたいぐらいの無気力感、倦怠感なのだ。

しかし、社会生活をしなければならないとなると、引きこもって転がっているわけにもいかん。何もかもが嫌だし、誰にも会う気もないし、何もしたくない。

一番嫌なのは、もちろん自分の存在である。

そうもいってられへんなあ。

そう思って一応社会生活を営んでみたりはしてみる。

今日は杖道の稽古だった。もうぼろぼろである。

上半身が、がちがちに固まって、全然体が使えていないとのご指摘を受けた。

体中にすごく力が入っているというのは、以前から指摘されている私の欠点である。

しかし、よく考えてみれば、今日の状態は当たり前である。

私は家を出るのすら面倒くさいのを、気張って雨の中稽古に来たのであるし、その他の用事を済ませてきたのだ。

そう、最近の胸の痛みの原因である、免除されなかった授業料を振り込みに行ったりと、息も絶え絶えの気分で何とか動いているのである。これだけ虚勢はって生きてりゃ、全身が力むのも仕方がないことなのである。

3月になったら、少しは春風でもふかんかなあ。

は〜あ。

 2月25日

ふへら〜。2月ももう末ではないか。

なのに、なのに、この倦怠感とブルーな状態はなに?!

やはり、いろいろ試しているが、抜け出す転機なし。

私の周りでは2人も就職が決まり、めでたく転機が来ているというのに・・・

一体私が何をしたというのだ。

命の洗濯、リラクゼーション、など思って、思いきって1泊2日の温泉に行ってみた。

旅館の名前は「竹取亭」。月にかえるかぐや姫の話、つまり竹取物語にちなんで付けた名前だそうだ。

が、当日の朝になって、月にかえるかぐや姫どころか、私には月の訪問を受けてしまい、体調絶不調。最低最悪。

ある日は杖の稽古の後、宴会があった。私は一人遅れて入門式も行った。楽しく過ごしていたのもつかの間。なんか薄ら寒い。さりげなく周りの人に「寒くありません?」と聞くが、宴もたけなわ。誰一人として「別に」と、とりあってもくれず、こちらは頭痛に悪寒までしてくる始末。いつも宴会といえば、最後まで残っている私にしては珍しく、早々に退散してしまった。

でも、風邪を引いたわけでもなし。熱が出るわけでもなし。

これ全て「ブルー状態」に起因ありとにらむ私。

またある日、大好きな町蔵の新バンド「ミラクルヤング」通称ミラヤンの5年ぶりのライブ情報をゲット。下北沢だろうがどこだろうがゴーゴー!と、新風を吹かせようとチケットぴあに走る私。

「完売いたしました」と無下に一言。がーん。

こうして家に帰り着いては惨敗、惨死。無念。

 

2月17日

はあ〜。ふ〜。ほおぉ。

どうもちょっとディープなブルー状態に入ってから、下り坂を転がり落ちていっている。

何とか這い上がりたいものだが、思考はますます暗く悪循環。

 何気ない人の言葉や応対に、一人ひどく傷ついたりして、内心泣けてきたりする。実際、一人でしくしく泣いてしまうことも多い。

別に何をされたわけでもなく、いつもなら何でもないこと、あるいは相手は普段と変わらないにも関わらず・・・時には、自分のことではなく他人の不幸話を聞いて、人ごとに思えず傷ついているときもある。

別にその人のことをどうこう思うわけでなく、なんていうか、「あ、傷ついた(グサッ)」や「なんか痛いなあ(グリッ)」と勝手にダメージを受けるのであるから始末に負えない。

そうして、一人傷だらけになって、ぼーっと「死にたいなあ」と、ただ漠然と思ってしまうのである。そう、「もはや生きる価値なし」という感じ。

どうにか転機を見つけようと、普段余りしないことなどをして、生活を少し変えてみたりもした。駄目である。むしろますます疲労感が増し、一人になるとここに存在しているのが悲しくて、情けなくて、泣けてくる。無理に普段しないことをいろいろしてみるのも、ちっとも転機にならんことが虚しい。

自分では、それでも上手くいくかなあとやってみて、「もしかして結構えーかもしれんやん」など思いこんで、疲労感を抑圧していたのであろう。

金曜日に主治医は私の顔を見るなり、「2月3月はいろいろと忙しい時期なの?」と聞いてきた。よほど疲れた顔をしていたのであろうか。あまり調子は良くないと判断されてしまったようだ。

常に倦怠感をともない、眠っていても妙にリアルな夢の連続であるので、今ひとつ「よく寝た」という気がしない。それもまた、ぼーっとする原因かもしらん。

なんか、きっかけあらへんかなあ。ぷふー。

 

2月13日

もう、すっかり倦怠感の渦に巻き込まれて、身動きできない。

それでも、社会的には普通の生活を表面上はおくり、アルバイトやお稽古、人とのつきあいどそれなりに楽しんだりして過ごしているつもりであった。

そう、楽しんでいるつもりだったのである。

しかし、体のだるさはいや増しに高まり、とうとう昨日は1日中倒れてしまった。

夕方まで何一つ動くこともできず、倒れたまま。幸い手の届く範囲に置いてあった本を読んだりもしてみたが、ちっとも頭に入らず、頭痛や胸の傷みに悩まされ、集中できない。

かといって何もせずに転がっていると、うつらうつらと睡魔がくるので、「ラッキー」と思いきや、わずか数分のあいだに見るリアルで悪夢の連続。まだ体感的にリアルさが残って目覚め、心臓はばくばくと波打って苦しいぐらい。

もう、ここに存在していること自体の疑念が払えない。

溢れ出る涙を拭いながら、ひたすらタナトスさんに魅入られるのを待つのみ。

なんでここにおんねんやろう。

おってもしゃあないねんから、いっそ消えてしもうた方がええのになあ。

生きてんのんて、辛いわ。

 

 

2月8日

あらま、気づけば、2月に入ってもう1週間も経っているではないじゃないですか。

 1月に入ってから襲来する「厄」との闘いにすっかり疲弊し、なるべく波風立たぬように息を潜ませて、必要最低限の生活(お稽古やアルバイト等々)を送りながら休養していたら、すでに1週間。

しかし、やらねばならぬ事は山積み、溜息ばかりたまりけり。はあ。

今朝は胸の痛みでおこされた。

まあ、休養の結果「発疹」騒ぎは落ち着き、なるべくおとなしく過ごしている成果はあるにはあった。(ちょっとほっとした。だって見ていて気持ち悪いんやから。)

私の身体は正直である。だから、今朝の胸の痛みの原因は分かっている。

またもや、授業料が全額免除にならなかったからである。

おまけに授業料は年々上がっているらしい。なんてひどい世の中なんだよ〜。

2月分の奨学金をまるまるまわしても、半額分にも満たない。これって、赤字やん。

まだ、先月分の光熱費も払っていない。明日中に振り込まねば。

はあ、町蔵にならって「ババンバビンボー」なぞ、のたもうてみる。くー。

休養、休戦体制に入っているにもかかわらず、体力消耗激しくなりにけり。

ますますだる〜い毎日。

昨日歩きながらふっと嫌な予感にとらわれた。

もしかして、反吐がでるような「自己嫌悪」という名の「倦怠感」に包まれつつある状況ではないだろうか。きゃつらはすーっと忍び寄ってきて、蛇のようにくるくると私を包んでいくのだ。(今年は巳年かあ。)

うーん、胸が痛い。うおーん。

 

2月1日

はあ、はやいものでもう2月である。

とはいえ、まだ1月しか経っていないとも言える。そう、今年に入ってまだ31日(今日で32日か)しか経っていないのである。にもかかわらず、私に降りかかる「災難」は何故こんなに多いのだ。

「前厄」に入った途端、私は「厄」に攻撃されて闘っている気分だ。それでなくても昨年より調子が悪いっちゅうのに、なんでなん?

今年は、ちゃんと縁起かついで、「厄神さん」まで「厄払い」に行ってきたではないか。破魔矢だって購入して、玄関口に立てかけてあるし、お財布には肌身離さず「身代わり厄除けお守り」まで入れているというのに・・・

なのに、なのに、この「厄」襲来は何事!!

今年に入って、しばらく安定していた体調が崩れ始めた。それでもお薬を変えていただいたおかげで何とか現状維持をしながら社会生活を送っている(つもりである)。

しかし、失態の連続である。

忘れ物や紛失物は当然のこと(というより、多分なくしてはいないと思うのだがどこに置いたか覚えていないというべきだろう)。軽い怪我はしょっちゅうするし(特に紙で手を切ってしまうときは、何故か知らぬが必ず器用にも手首をすーっと切っている。結構血が出て痛い)、肝腎なときに限って体の調子が悪くなって遅刻ないし約束をキャンセルするはめになる。

物忘れはいっそう激しさを増すばかり。

久しぶりに実家の車を運転したら、石に軽く乗り上げてしまい、左前輪がパンクした。

電車を目の前にして乗り過ごすことも、バス(時間通りに来て)に乗り損ねることも多い。

久しぶりに、気分転換で映画館まで観に行った『PARTY7』は、こけた。

おまけに今年は、1年間お稽古してきた「舞囃子」の発表会と学会の全国大会が重なったために、発表会には出られなくなった。

あまりにもろくな事がないので、自暴自棄になり、人間やめて遊ぼうとしたら、その日の朝に軽い蕁麻疹が出た。それでも出かけたら、翌日の朝、症状は悪化。蕁麻疹と言うより、湿疹に近い状態になっている。でも、朝から日文研にてアルバイト&書類やお仕事を済ませて帰り、寒いのでお風呂に入ろうとしたら、驚いた。驚愕した。

両脚全体にほとんど赤紫に近い発疹が出ている。別にかゆくも何ともないが、見ていて気持ちが悪い。これはもう蕁麻疹でも湿疹でもないなあ、と思って他の身体の箇所も念入りにチェック。両手の内側にも色は薄いが赤い発疹らしきものが認められる。あと下腹部に少し。身体や顔、背中は全く無事である。とにかく両脚がひどい。

私は以前にこれに近いものを見たことがある。

かなり近しい知人が全身にこのような発疹が出て高熱を出して入院したことがあったからだ。この時は病院も近かったため、毎日お見舞いにいって経過を見ていた。自分の足を「気持ち悪〜」と思いつつもしげしげと眺め、なんかその人の発疹と似ていなくもないなあ、と思い始めたら居ても立ってもいられなくなり、メールでは返事がすぐ聞けないので、ちょっと夜遅かったが電話をした。

そして、相手だって思い出したくないであろう病気のことを、あれこれ質問した。どのように発疹が出たのか、かゆみや痛みを伴ったのか、全身に突然出たのか、それともじわじわと拡がったのかなど細かく聞いて、どうも症状がますます似ている気がしてきて嫌だった。というのも、結局その時のことについては、「原因不明」だったからである。(検査入院までしても分からなかったことも知っているから)。

「様子を見て、なるべく速く医者に行きなさい」というありがたいご忠告を受けた。

しかしだ。今日はアルバイト&お稽古だったし、明日も明後日も予定が入っていて時間がとれない。その次は日曜日だし、月曜日は朝からバイトである。となると、火曜日まで行く暇もない。初診だし、原因不明だから、結構時間がかかるんだろうなあ。

まだ、今のところそんなにひどくなさそうなので、しばらく様子を見ることにした。(気のせいか、昨日よりも色が薄くなってきている気もしないでもない。気のせいかなあ。)

それにしても、たったの32日の間でこれである。

ああ、2月中に出さなくてはならない書類が一つ。3月中旬までに事務に出さなければならない中間報告論文と来年度の研究計画書。3月末締め切りの原稿が一つ。GW締め切りの原稿が一つに、6月初旬の学会発表。私は無事に生き延びてこなしていけるのであろうか?

 

1月28日

世知辛い世の中である。おまけに寒い。

自分でイメージしている自分の像と、人が見ている自分の像との間には、結構大きなずれがある。

最近、私としては、長い「虫さん」生活というより、「枯れ草」生活から、なんか漸く新芽らしき突起が生まれ、まさに新芽になるやも知れぬという、ちょっとした生命力を回復しつつあるつもりであった。

もちろん、それが今年に入ってから、新たに処方された薬のおかげであるとしてでもである。

しかし、ショックなことに、このわずかなる私の突起は、誰にも気づかれずに「ぐしゃっ」と踏みつぶされてしまったかのような気分だ。意識的なら「どこ見てさらしとんのじゃ」と腹も立つが、気づかれずに無意識的に歩いて踏まれてしまっただけに、「あ・・・」とへこんでしまった。性格には、土の中へのめり込んでしまった気分。あらら。

以来、軽い胃痛が発生し、また主治医のもとへ駆け込む羽目に。

全然、ろくな事のない毎日であるというのに、もう1月が去ろうとしている。

一体、どうすれば社会復帰できるんだろう。いま私はどこにいるのだろう。生きてるのやら死んでいるのやら・・・

 

1月24日

つっ!あたたた。

久々に「きりきり」と痛む「胃痛」によって、目覚ましよりも先に眠りから引き出されてしまった。あいやー。

お薬が変わってから、6時間眠れる日が増えてきたので調子よし、と思っていた矢先の出来事である。くーん、悲しい。

でもまあ、5時間弱は眠っていたのだから大合格としよう。よしよし。

しかしめまいがするし、眠気覚ましにお風呂に入ったら貧血を起こした。

昨晩は少し調子に乗って食べ過ぎたので、「胃痛」で起こされるのは無理ないとしても、何で「貧血」や「めまい」なん?栄養ちゃんととってるやんか。おかしいなあ。

今日は朝から日文研。先週人間やめて通わなかったので、久しぶりである。

驚いたのは雪がたくさん残っていること。雪だるまも溶けていない。やはり寒いよ〜。

おまけに、空調の調子が悪いためか、エアコンが効かない。院生室は非常に寒い。もちろん廊下も極寒の寒さ。これで体調崩すんとちゃうかなあ。暖かいところはめちゃくちゃ暖かいもん。温度差が激しすぎるわ。

少しクラクラしながらもアルバイトして、院生室に戻り、「さてお仕事」と思うと、「ない」。何がないのかというと、FDケース(6枚入り)がないのだ。どうも家に忘れてきたらしい。ってことは、打ち出しも仕事もでけへんってこと?!とほほ。やはり厄年。

仕方がないので早めにお家に帰った。FDケースは発見したが、この前から探している本は相変わらず見つからず。どこいったんやろう?

困難じゃあ、まともに生活でけへんね。物忘れがひどすぎるわ。捜し物をしていて1日が終わってしまうんやさかい。情けな。

 

1月22日

どひゃ〜!えらい間違いをしてしもうた。

人の名前を間違えました。しかもファンとか言いながら・・・

何気なく変換キーを押して、その漢字が出てくるだろうと勝手に思いこんで、そのまま書き続けている時ってありませんか?え、ない。

そうかあ。

なんか、今朝からずーっと気にかかることがあった。

いったい何だろうってずっと考えていて、「もしや」と思ったら、予感的中である。しかもこう言うときに限って、更新がめっちゃ速かった。訂正のお願いをする間もなかったので、ここでお詫び申し上げます。

大倉流小鼓の家元・大倉源次郎さんに会えてラッキー!!

と、昨日興奮して書いていたのだが、大倉が大蔵になっていたのだ。

大変失礼いたしました。誠に申し訳ございません。

改めて訂正させていただきますので、かんにんしてください。あわわ。

 

1月21日

今日は、リリパット・アーミーの公演日である。リリパット・アーミーとは知る人ぞ知る「中島らも」率いる(今は名誉座長だが)劇団である。

私はファンクラブにまで入っているほどの大ファンである。今年でなんと15周年を迎えたと言うではないか。私がリリパット・アーミーの存在を知った時は、名前もまだ「笑殺劇団リリパット・アーミー」(笑殺軍団だったかも)だった。10年ぐらい前だった気がする。「見に行きたいなあ」と思いつつもなかなかうまく機会が合わなかった。それでも、ある深夜放送で、偶然彼らの劇団の公演を見た。「げらげら」笑って、これは必ず「生」で見なあかんと思った。

そして、92年だったかに、初めて一人で見に行った。その時は劇団名から「笑殺劇団」は消えていたと思う。ギャグ軍団から劇団へと移行したのだろうか。(今回のパンフをちらっと見た限りでは、そのことに触れていなかった。)翌93年から、こまめにチェックして見に行くようになり、そのうち面白いからと言って知人を誘いだした。だんだん組織もキッチリとしてきたおかげで、ファンクラブが設立され、パンフレットも発売されるようになった。思えば15年のうち8年は関わってきたのである。初期からのファンの方はさぞや、感慨深かったであろう。今では、知人もすっかりはまって、毎回5人メンバー揃っている。私はファンクラブの特権として、いつも先行予約でチケットを購入している。

 しかし、残念なことに今回は「風邪」のために朝2人がキャンセルしてきた。可哀想に。当日券を買う人がいるであろうと、ダフ屋のように、(だけど前売りの値段でしかもめっちゃいい席)2人捕まえて、チケットを売りつけた。彼らにしたら、当日券は前売りより500円高いので、得したのはお互い様でしょう。

15周年も兼ねてか、今日は笑いの渦であったし、恒例である逆も連発。前回も面白かったが、妙に演劇らしいまとまり方をしていた。今回はそれにギャグが増えていた分、面白かったと思う。(のっけから中島らもにノックダウンされてしまった。)

風邪でダウンしていたお二人には、誠に残念だったね。次回公演は8月30日〜9月9日までだから、その時は一緒に行こうね。

珍しく14時開演の公演だったので、終わってから御飯食べてもまだ19時前。それからさらに「お茶を飲み」に行って、21時頃には梅田を出た。いつも終電ぎりぎりだから、あまりの速さに時間の感覚が少し狂う。

関係ない話だが、大蔵流小鼓の家元・大蔵源次郎さんの個人的なファンである私は、公演後、パンフレットにサインしてもらって、ぐずぐずしていたおかげで、お目にかかることが出来た。と言ってもこっちは素人なので、むこうは知らなくて当然。ロビーで、聞いたことのある声と顔を見て、「あれ、源次郎さん?何でここにいんの?」とはじめは目を疑ったが、間近で見るとやはりご本人。すぐに移動してしまったので、本日の催し物をチェックすると、「新春能」が開催されていたし、しっかり名前が乗っていたので間違いない。

ミーハー根性くすぐられ、「ラッキー。目の保養」など喜んでいた。

しかし、人間やめて1週間。そろそろ虫さんをやめて人間の皮を来て、活動を復帰せねば。

(やらなきゃいけないことがたまってきた。反省。)

昨晩は処方で定められた量以上の薬を服用したので、よく眠れた。6時間である。

今日は処方量に戻して、服用。どれだけ眠れるかなあ。

 

1月19日

今日も、午前中倒れていた。

予定では、午前中早めに日文研に行き、(今週は1回も行っていなかったし)バイトやその他の諸々のことを済まし、15時過ぎのバスで帰って診察に行くはずであった。

予定通りに起きた。目は覚めていたが、体が昨日に引き続きだるくて動けない。困った。どんどん時間だけが経つ。頭の中で、「今無理に起きて用意して次に乗れる電車に乗ったとして日文研につくのは、11時半。15時過ぎのバスに乗るには、15前には日文研を出るとして、帰る支度を換算すると14時半までしか活動が出来ない。」と言うことは日文研に入れるのは約3時間強。通学時間は往復約4時間。これって無駄なんちゃうん。

私は日文研をあきらめて、家で出来ることを優先した。しかもだらだらモードで。気づけば16時になっている。診察受付は17時までである。あわてて用意をし、病院に駆けつけ、17時5分前に滑り込む。

今日は結構混んでいたために、結局診察が終わったのは19時半をとうにすぎていた。

待ちくたびれのも半分あり、診察室に入ってからもぼけーっと座っている。前回、何を訴えたかすら覚えていない。

主治医が「少しは食べられるようになりましたか?」と聞いてきたので思い出した。そうだ。胃に激痛が走ることがあまりに頻繁に起こるために、新たに薬を増やしてもらっていたのだ。確かに、その薬の効果は抜群で、それ以来「七転八倒の胃痛」は起こしていない。それどころか、「空腹感」を覚えることも出てきた。夏以来から考えると、久々の快挙?である。しかし、今度は「過食症」ではないかと言うぐらい、いくら食べても、なんか食べ続けている時がある。特に宴席などでである。だらだらと酒のあてを欲しがる状態があるのだ。そして結果的には「食べ過ぎ」で翌朝に腹痛を起こすことも多い。そのことを話すと、「自分の空虚感を埋めるかのごとく、食欲がやまないときがありますよ。薬が効いている証拠です」とのこと。

13日の発表が終わり、今はなるべく何もせずに休養していること。そして、昨日、今日と午前中、あまりの体のだるさに何もできない状態、即ち朝が非常に辛いのだが、別に眠れているわけではなく、ちゃんと覚醒しているにもかかわらず動けない倦怠感があることを訴える。

結果、お薬が変更になった。寝覚めがわりと良くて、しかも7時間ぐらいぐっすり眠れるという薬だそうだ。

なあんだ。薬が減らされるのではなく、変更になっただけなのね。で結局服用する量は変わらんかった。やはり、回復しているのではないのかあ。はーあ。

 1月18日

まったく、ろくなもんでない。昨年から「厄年を先取り」などとのたもうておったが、やはり、前厄は今年にちがいない。あまりにもろくな事が続かぬまま、前年に引き続くこと21世紀に突入。

自分では、「最近、発表も終わったし、ちょっと調子がましになったかなあ」など思っていた矢先、ある人からは「小川さん、すごく調子が悪そうに見えますが、大丈夫なんですか?」と言われていたことを知った。がーん!「調子ええやん」と思っていたのは私だけか?!

今日は、殊勝にも「厄神参り」をして、「厄払いの身代わりお守り」と「破魔矢」を購入。厄払いのお参りに行って来た。予定では、昼頃に行くつもりだったが、あまりにも身体がだるくて、午後2時頃まで、何も出来ずに倒れていた。その間、眠れたと思えば、妙にリアルな悪夢の連続。がばっと起きて、「夢か〜」と思って時計を見ると10分も経っていない連続。あー、しんど。

夕方に「NOVA」のレッスンを久しぶりに入れていたので、結局、その後に行くことにした。(明日が本祭なのだが、用事があって行けるかどうかわからんし。)ちょうど6時過ぎ頃に門戸厄神に到着。さて、と厄神さんに向かうと、合気道部の娘たちに出会う。「今からですか?」ときかれたので、「そうなの。今年前厄やからね」と答えると、「頑張ってくださーい」となんかよくわからん会話をして別れる。

いつもよりもお賽銭も弾んでお参りを済まし、厄除け用に小物類も購入。どうせだから「おみくじ」と思ってみると、生まれた月日の分が200円(無人)。いわゆるがちゃがちゃと箱をふって番号の棒を引き出し、おみくじをもらうのが100円の2種類。あいにく小銭が、150円しかなかったので、一つは無人だから不可能である。そこでいつもの「おみくじ」を引く。穴が大きかったためか、逆さまにすると細い棒と太い棒の2本が同時に出てきた。わずかの差で飛び出していた太い方の棒を選んで、おみくじを受け取ると「凶」である。

「なんでえ。今、お参り済ましてきたやん。やはり、厄年なんかなあ」と多少の動揺を隠しきれず、内容を読む。「ねがいごと成就せず」や「やまいながびきにけり。養生にいそしめ」だの「生死危うし」など、ほんまにろくでもないことが書いてある。他にも「凶」であるのだから、ろくでもないことが書き連ねてあったが、何がショックかというと「生死危うし」である。他のは、内容がそうであるだけで、(結んできたから)ちゃんと言葉通り覚えていないのだが、これだけは「はっきりと」そう書かれていた。全然ええことないやん。まだ、「前厄」で「本厄」やないんやけど・・・

はあ、たしかに「タナトスモード」に魅入られることはいまだにある。しかし、こんなにはっきり別の人(というよりおみくじ?)に宣言されてしまうと、なんだか「リアリティ」を帯びてきてくる気がするのが不思議だ。

「ふ、ふん。ち、ちえっ」など鼻息荒くしてみせて、帰途につく。やたらに目に飛び込む「厄除け饅頭」だの「身代わり瓢箪」だのと言った文字。えーもん。私の手には「破魔矢」がしっかり握られてんねんから、お財布には「身代わりお守り」もしっかり入ってんねんから、と黙々と大勢の人がにぎわう中を一人で歩き続ける。

そこへ飛び込んできた文字「厄神名物。おみやげに最適。にごり酒」1杯=200円である。時刻は19時頃で、寒かったし、お腹もなんか屋台のいろいろな匂いに誘われて空いてきた気がしていた。思わず、「1杯下さい」と、厄除けに関係あんのか知らんが、注文。「まさに五臓六腑にしみわたる」状態で、ぽかぽかしてきた。美味しい。

「こういう行為があかんのかなあ」と少しは思ったが、「厄神さんのために出ている屋台の一つじゃないか」と妙な納得をして、飲みながら帰途につく。

人間をやめてから、5日になる。といっても、なんだかんだと外出している。昨日のお昼は、料理教室に通っている「たん熊」さんの「新年会」である。そして、夜は祖父母の家にて夕食。というのも、昨日1月17日は「阪神大震災」から6年目であると同時に、うちの祖父の「満90歳」の誕生日であった。これは、顔を出さぬ訳には行かぬ。親戚は13日の土曜日に「てっちり」を囲んでお祝いをしたそうだが、私は発表があったために顔を出していなかったからである。プレゼントに「桜草」の鉢植えと「ケーキ」を買うていった。その間に久しぶりに映画を観にも行ってきた。なかなか充実した1日である。

祖父は、ここのところの極寒にもたじろがず、元気で上機嫌であった。よく食べていたし、ケーキも1人前を「美味い」といいながらぺろりと平らげていた。「胃」がない人だから、調子に乗って食べ過ぎるとすぐ調子が悪くなるので、心配していたが、大丈夫そうでビックリした。夕食後には、「麻雀」を半チャンする。(申し訳ないが、一人勝ちしてしまった。)うちの母方の実家では、「麻雀」は祖父母の「リハビリ」として行われている。確かに頭を使うゲームであるし、牌を積むときに指先を使うために、調子のバロメーターとして非常にわかりやすい。(調子が悪いと牌が積めないのだ。)「呆け防止」のための重要な業務?なのだ。もちろん、点数も1年間しっかりとつけて、内輪と言えどもしっかり勝ち負けの精算が行われるので、結構シビアだ。(去年は100円だけ勝った。負けるよりは嬉しい。)

そして、遅くまで遊んでいたもんだから、今日は昼過ぎまでダウンする結果となる。おまけに、軽く腹をくだした(これは食べ過ぎにちがいない)。ちょっと反省。今日は早く眠ろうっと(早く薬を服用しようっと)。

と日記を書いていたら電話が鳴る。変な電話がかかるときがあるので留守電のままで放っていると、友達である。もう、旧友と言っていいだろう。1年ぶり以上かも知れない。

知り合ったのは私が中学1年の時、夏に「1ヶ月アメリカにホームステイ」というプログラムに参加したときに、最年長で参加していた(高2か高3だったと思う)人である。名前を呼び捨てにし、敬語なんて全く使うてへんが、当時生意気盛りの上、全然英語の出来ない中1の私の面倒をよく見てくれて可愛がってくれた、いわば「兄貴」的存在の人である。

実際に私には「兄」がいるが、他人の方が、「兄貴分」として、なにかと頼りになるし、お互い節度もあるので付き合いやすい。彼は、普段は連絡がルーズになっていても、いつも私が結構落ち込んだり、困ったりしているときに不意に連絡を入れてくれる大変ありがたい人である。名古屋在住なので、大阪に仕事で来たときには会ったりしているのだが、最近全く連絡していなかった。今は1児の父であるし、私もそんな悠長に旧知の人と連絡が取れる状況ではなかったし・・・

久しぶりに大阪の仕事が入るので近いうちにこっちに来る事があるから、また決まったら連絡するけれど、どうしているのかと思って連絡した、とのこと。

「凶」ですっかり、気分が腐っていたときになんとグッド・タイミング。思わず「会いた〜い」と叫んでしまった。(いつも頼りになる兄貴である。)

本当に、良い人たちに恵まれていると実感した瞬間だった。

捨てる神あれば、拾う神あり。ふっふっふ。

 

1月15日

漸く、発表がすんだ。

14時から開始であったが、直前まで発表原稿を書き続けていた。気分は吐きそうである。

もう、5分前になったので、さてこれを打ち出してと思い、プリントアウトをすると、プリンター君がエラーを起こして動かない。

ちょ、ちょっと。レジュメはちゃんとプリントアウトできたやん。何でこんな土壇場で動けへんのん。あー、時間がない。お願い動いて。

結局、5〜10分遅れてしまった。いきなり印象悪〜。皆さんごめんなさい。

しかも、テストをする間もなかったので、発表を初めて、「では、ここで実際の映像をご覧下さい」とかけると、何も映らない・・・。どうもコードの配線が違っていたようだ。

あー、またもや不手際。プロジェクターもあったため、急遽スクリーンをあけて、プロジェクターに映し出すことに変更。ますます恐縮もん。緊張度はまし、上手く舌が回らない。

まあ、何とか無事に時間内に終えて、一安心。

私の「不眠症」「鬱病」を知ってはった先生方は、随分と心配してくれてはったようで、「無事にこなせて良かった」とお声をかけて下さる。ありがたい。

懇親会にては、久しぶりに指導教官とゆっくり話す。といっても、酒席である。指導とはまったく関係のない雑談であった。

14日は疲労困憊。倒れていた。

考えてみれば、12月半ばの発表準備から、13日の発表まで、ほぼ休みなし。

これまで持続しきっていた緊張感が一挙に緩んで、人間をやめてしまった。

本もビデオを見る気力すらなく、一度転がると、動けない。

ここで死んだように眠れると、疲れがとれそうなのだけれど、相変わらず、興奮しすぎて、疲れすぎてよく眠れない。でもまあ、転がっていると言うこと自体も、休養に

なっていることは確か。

今日は、女学院にてアルバイト。しかし身体がだるい。おまけにその後の稽古は寒かったこと。足先がしびれて感覚すら失っている。うーさむい。

しばらく人間やめて虫となります。冬眠もどきに入ります。

「いも虫、丸虫、ゴロンゴロン、イエイ。ゴロンゴロン、イエ〜イ」

 

1月12日

あー、胃が痛い。おなかも痛い。頭も痛い。はああ。

どうしよう。明日の14時から発表だというのに、まだ「発表原稿」が仕上がらない。レジュメとビデオ編集は、何とか間に合った。

うーむ。「原稿書き」か「睡眠」か、どちらを優先すべきか迷う。

昨日も2時間ほどしか眠れていない。

横になると、前からも背中からも胸の中心部辺りが突き抜かれたように痛い。仰向けは辛いので、横に向いてみると少しはまし。そうやって朝方に漸く眠りについたら、あの地震である。あまりの寝不足で、自分の頭がクラクラして、世界が回っているのかと思った。なんか、船酔いのような気持ち悪さで目覚め、TVをつけるとやはり

「地震」。

あー、やだやだ。やっと少し眠れたかと思ったのに、もう怖くて眠り直しが効かない。ぼけらーとする頭を抱えて日文研へ。

寒いし、頭重いし、肩はこるし、地震でなんとなく「ふるえ」が復活しているみたいやし、とぼやきながらもビデオ編集。チェックも無事すんで、レジュメの仕上げ。

遅々として進まず。コンピューター君はまた「叛乱」かね。

ただでさえ、今日はバイトの方でも、サーバー君に死なれて仕事が出来なかったというのに、いくら寒いからって、あなたが「フリーズして」私の仕事の邪魔をしてくれなくてもいいじゃないの。しくしく。

フリーズ、リセットしたいのは私の方。

だけど、全身震えていたら発表でけへんし、頭も混乱して言語化も難しくなりそうなので、やはり先に「睡眠」優先にした。薬を服用。睡眠待機状態。でも、朝早めに目覚ましかけて、起きたら原稿に着手予定。(開始が14時からで良かった。)

だから、のんきに日記なんぞ書いている。大馬鹿者。

以前はレジュメだけで、結構話せたのになあ。今の状態では、あんな「はったり」かまされへんわ。

あー、やはり気になるから、もう少し眠気がくるまで原稿書こうっと。

胃がしくしく泣いている。なんか胸も痛くなってきた。

昼は「インスタントラーメン」、夜は「たこ焼き」。

そりゃ、胃も痛むわなあ。

 

1月10日

今週の土曜日の発表が迫っている。しかし、中途半端な段階でまだ停止中。や、やばい。

明日はなんとか原稿を書くとして、今日はテーマとして設定した年代の映画を早送りを含め、流し見をする。文研も同じく流し読み。あー、胃が痛いよお。

でも、映画が見ていられるのは幸せ。

今日は、日文研にてD1の発表会であった。発表を聞きながらその後の質疑応答の厳しいこと。人ごとと思えず、ぐさぐさと心に突き刺さる。「正に正論でございます。すみません。私はD3になっても、まだそのような基本的なことすら出来ていません」と、どんどんと気分は暗くなり、寒気が増し、一人マフラーを肩がけ代わりにし、ブルゾンと膝掛けにし、震えから免れず、寒がっている。

漸く発表が終わり、私は土曜日にある発表の場の主催者である先生に、「当日ビデオを使いたいのですが、可能ですか」と聞きに行く。「その事については、問題がない」ということ。「そんなに緊張しなくても、面白い映像を見せてくれたらそれでいいから」と、なんとまあ優しいお言葉をかけて下さる。内心びくびくしながらも、やはり少し緊張が解けた事は確かである。(信じてええんかなあ。)

が、やはり気が抜けない。なんと言っても「内輪」の発表ではなく、日分研外からの先生方も多数いらっしゃるはず。あまりにも愚劣なことは出来ないだろう。あー、どうしたらいいんやろう。

うちに帰って、編集するためにビデオをチェック。今回の中心となるのは、偏りが出てしまうのは仕方ないが、「阪東妻三郎」である。テーマとして、1920〜30年代を中心にすえる予定であるからである。(出来んのかなあ、ほんまに。)だから、本当は片岡千恵蔵や嵐寛寿郎、大河内傳次郎、市川右太衛門、長谷川一夫そして私の大好きな月形龍之介をも、もちろん使いたかったのだが、諸事情により、発表日程が突然はやまったことにより、大量に注文した彼らのビデオが間に合わなかったことも一つであり、阪妻がたまたま手元に結構あったというだけの話である。こんな付け焼き刃で、もうほんまにあかんと思うが、もう間にあわへん。堪忍しておくんなさい。

そして、今『阪妻』というマツダ映画社が製作した映画を改めてチェックしていると、今回主軸としていない戦中から戦後の作品、「無法松の一生」「狐の呉れた赤ん坊」「王将」「破れ太鼓」などの断片が流されると、これらの作品はすべてみているので、前編思い出して泣けてきた。

私は、はっきり言って涙もろい。どんなに後で「馬鹿やろー、金返せ」と怒る映画であったとしても、見え見えの「泣かせ」シーンでは、キッチリと感情移入して泣いてしまうのだ。

先の4編は、感動して泣いた映画である。特に「無法松の一生」などは、2回見て2回とも大泣きした。また、その映画の1シーンを人に語るだけで、もうすでに目頭が熱くなってきてしまうのだ。「こんな時に、「泣きモード」に入っててどないすんねん」ともう一人の私が叱責するが、あふれくる涙は止まらず、一人泣き続けている間抜け野郎がおりました。しくしく、ぽろぽろ、ぼろぼろ、うぇ〜ん。

***

1月9日

もう駄目だ。私はもう、もう駄目だ。

今朝までほんの短いペーパーを書いていたのだが、朝方は手が震えていた。

わずかの枚数でさえ、ろくにかけない自分が情けない。

しかし、今の私には、内容がいかに愚劣であれ、意味が分からないものであれ、「とりあえず書いてみる」という行為そのものに自分で意味を与えている。

しかし、そんなのは当然「小学生の作文」以下のものでしかなく、やはり時間の無駄であるのだろうか。

年末年始の無理がたたり、どうも体調が良くない。今は「身体さん」の声に耳を傾け、「そんな事してる場合やないやろ」という「精神さん」の気持ちも分かるし、その辺のジレンマはどうしようもないが、経験上、やっぱり欲張らずに仕事放棄で「休養」を優先。

そうして、山のように蓄積していくお仕事。しかも期限付き。おいおい、どないしはるん?と、虚しく一人問答。私は困じ果てて一人かたまっていた。

胃薬を新しく増やしていただいたおかげで、胃痛は減ったが、相変わらず、肩こり、寒気、頭痛はやまず、最近は胸の痛みが多くなってきたような気がする。

実は日記なぞ書いている暇がないほど追いつめられているのだが、すでに寝る前の薬を服用。もうすぐ1時間半ほどになるのだが、眠くならない。「Sleepy Time」というハーブ・ティーまで試しているんだけど、まだ駄目だなあ。しかし突然眠りに落ちるので、仕事はもう出来ないし、今読んだ資料はたいてい、翌朝記憶から抹消されている。

はあ、全くどうしたらええっちゅうねん。と、嘆いたところでやはり自分の問題は、自分で解決するしかない。

お、薬がそろそろ効きだしたかなあ。そろそろ睡眠待機状態に入ろうっと。

明日は、今年初の日文研。ちゃんと行けるのかなあ。

 

1月7日

今日は、久しぶりに予定表が真っ白の日。

冷えると思っていたら、お外も真っ白。雪が降っていた。

今頃、日文研は積雪何cmぐらいなんだろう・・・。まあ、来週の水曜日まで行かないから、かめへんけど。

 

昨晩、夜中に帰って、酔っぱらっているのでお風呂は危ないと思いとどまり、顔を洗ってお薬服用。今のところ「胃痛」は起きないので、新しいお薬が効いているらしい。

しかし、2時間半ほどで覚醒。「なんでなん。いやんいやん」と一人呟き、だけどこれ以上薬を飲むのも何だから、「意地でも寝てたる」と床からでないことにした。ちょうど手を伸ばせば、ミニコンポのリモコンに届いたので、音楽を聴きながら、おとなしく休養。

 

お昼頃にのそのそと這い出して、食後の薬が増えてしまったために、とりあえず胃にものを入れる。ん、二日酔いか?でも、ちょっと感じが違う。ただ何となくめまいと吐き気がする。まあ、なんでもええがな。「休め」っちゅうこっちゃ。と言い聞かせて、寒いのでこたつの周りに必要資料を円形状に配布し、さあお仕事、お仕事。

しんどなったら、「ゴロりん」と休めばええや。(こうでも思っとらんと身がもたんわ。)

 

しかし、明日は「謡曲」の方の「初稽古」である。

あー、忙しさ(遊びも含むが)にかまけて、全く稽古をしていないことに気づいた。

やばい。付け焼き刃でもいいから、夜はお稽古しなくては。

 

1月6日

鏡開きの宴会が夕方17時頃からの開始と伺っていたので、午前中は差し入れにしようと「ポトフ」の材料を買うてきて、昼から仕込み(というても、材料を放り込んでコトコト炊くだけ)。

 

とにかく、4日から体調が今ひとつ復帰しないため、前日は定量を服用して寝たにも関わらず、3時間弱ほどで目が覚める。完全に起きてしまったので原稿でも書きゃいいのだが、どうせ、宴会に行ったら飲むのは目に見えているので、またもや主治医に怒られそうだが、さらに半分の量を服用しなおして、「遅起き」に心がける。ちと薬が効きすぎたかな。それから4時間ほどは寝ることに成功したが、目覚めてからもちょっとふらふらとしているので、しばらく床に転がっていることにした。大分調子が良くなってきた気がする。

 

こたつにて資料を読みあさる。これで随分身体さんも休まってくれたことだろう。

 

師匠宅に伺って、まずはご挨拶。実は内心顔を会わせるのを恐れていたのだが、すでに宴席はたけなわになっており、結構ご機嫌よろしゅうようで、ホッとする。それからは、相変わらず痛飲。帰ったら夜中だった。

ほんまに、どうしょうもない奴でんなあ。

 

1月5日

新世紀に入って初めての診察日。

前回(昨年末)あれほど「早寝遅起き」を心がけよと言われていたにもかかわらず、既に毎日予定が入ってしまっており、また「ドタキャン」もようせんので、昨日倒れるまでなんだかんだと外出していた。「ちっともお言いつけを守っておりません」と自ら反省して謝る。

そして、13日に発表が終わるまでは、どうも緊張が続きそうでなど、弁解しつつ、年末よりしばしば起きる「胃痛」それも「激痛」のことを訴え、これで風邪を引かないのが不思議なんですか、と話題を誤魔化したりもしてみる。

しかし、相手はプロであり、私は患者なのであるから、完全に見透かされている。

「そんな生活していたら、頭痛、肩こり、寒気、胃痛、腹痛、身体がだるい、胸が痛いなど、全部そういう症状が起こってくるよ」と一言。実はこの前、「胸が痛くて」眠りから引き出されたことがあったのだ。うー、仰るとおりです。あい、すみませぬ。どれも当たっておりまする。へへえー。

 

とはいうものも、その夜は知り合いが留学する「歓送会」を兼ねた新年会で外食。

で、内田師匠からお許しが出たので、明日は「合気道部の鏡開き」に夕方から参入予定。

ぜんぜん、反省してへんやんけ。

 

1月4日

とうとう倒れた。それでも風邪を引いて熱を出したりしないのが不思議だ。

もう、何もできない。思考能力も停止状態。人間の皮をかぶった虫と化してしまった。うにゅにゅ〜。

 昨日の予定では、午前中はずっとごろごろ転がって「身体さん」を休ませてあげ、午後にだらだらと起きあがり、原稿に取りかかるつもりであったが、動けない。頭は起きているのだから、せめて資料となる本やペーパーを手にしようとするのだが、取りに行けない。では、必要なビデオを転がりながら見ようと思うのだが、ビデオをセットすることすらできない。トイレに漸く這っていくのが精一杯である。そのついでに「ビデオセット、資料を床へ持ち込み」などと不貞ことを考えるが「身体さん」の怒りは、それを許さない。(音楽でさえ聴けないのだ。)こんなことなら、昨晩に何とか手を伸ばして届く範囲に、全てのものを用意しておくのだったが、「後悔先に立たず」。

当然のことながら、朝から水1杯も口にしていない。じゃあ、この際ぐっすり眠りましょう、と思っても眠れない。すこし「うつらうつら」としても恐ろしいほどリアルな夢、悪夢の数々を繰り返し、はっと目覚めると5分ぐらいしか時間が経っていない。身体はますますだるくなるばかり。は〜あ。

15時過ぎに、漸く少しまともに動けるようになった。

優先順位としては、まず水分を補給し、薬を服用。次に何か食べるべきだろう。が、昨日はそうでもなかったのに、口の中は結構ひどい「口内炎」だらけになっているために、水分を飲んでもひりひりして痛い。これでは、とてもじゃないが「固形物」は無理だ。

 胃痛はやんでいるが(というより、やんでいてくれなくては困る。処方されている胃薬以外に市販の胃腸薬を服用した上、昨日はさらに「液体」の薬用胃腸薬なるドリンク剤も飲んでいたのだから)、空腹感は全くないので、もうほおっておくことにした。

 さあ、今から原稿に取りかかるか。

でも、また「叛乱」が起きたらやばいので、一応、今のうちに全ての関連資料を一カ所に集め、手の届く範囲に用意しておこう。

 こんなんで間に合うのかなあ。

 

1月3日

ここ2〜3年ほど、3日は中高部出身で、特に仲の良かったメンバーと集まり、うちの「おせち」の片づけついでに、久々に募る機会となっている。しかし、みんな結婚、出産、お勤めなど、さまざまだから、こうでもしないとなかなか集まる機会がない。そこで提案したのが、うちの「おせち」の処理として宴席を開くことであった。というのも、料理人として、何時間もかけて作ったものを「あっ」という間に食べられてしまうことは嬉しいが、いつまでも残っているのは非常に辛いものである。そこで一計を案じ、どんどん縁遠くなってゆく友に声をかけ、私の方では一石二鳥という宴席を提案したのだ。

しかし、昨年末はこちらの体調の悪さに、ほったらかしにし、一応いつものメンバーに連絡を入れたものの、返事は2人ぐらいしか帰ってこず、そこでさらにとりまとめる力も余裕もなく勝手に「じゃあ、企画流れ」と無責任なメールだけ再送したのだ。

が、しかし、中高から一緒のメンバーはタフであった。すでにメールチェックなどせず、「恒例行事」として今年もあるだろうと予定していた奴がいたそうな。みんな、長いつきあいである。当然それぞれのキャラクターが出来上がり、必ず最後にとりまとめてくれる子が決まってくる。彼女から、31日に連絡が入った。今回は私が一方的に「企画流れ」として、実家の提供からやめてしまったこともあってか、別の家を用意し、この集いをまとめたのだが、私が参加できそうかどうかと連絡してきたのだ。そのころは既におせちの作業も終わり、一息ついていたところだし、品数も量も例年よりも減らしたはずなのだが、どうも大量にあまりそうな気がしていたところだった。

私は、京都の九条大宮にある映画館で、モーニング・ショーで行われる無声映画(弁士つき)を見に行く予定にしていたし、その後『Party7』もついでに見てこようと、勝手に予定を入れていた。そこで、「夕方なら参加可能。もちろんおせちつき」とほのめかすと、なんと午後から夕方の間に第一陣が集まってお茶をし、私の到着を待って夕食に「おせち」という予定が組みあがってしまった。おせちが結局のところ余ることになったこちらとしては、誠にありがたい申し出である。そこで大体の時間を決めて、私は後から参加することにした。

だが、予定通りに物事は進まない。

私は10時40分に映画館に着くために、余裕を持って2時間前に家を出ることにし、全ての予定をそれに合わせていた。が、目も完全に覚めて、家を出ようと思うのだが、どうしても出られないのである。手先から身体まで、全身が震えて、うまく動けず、時間ばかりが経っていく。以前はこのような「梯子」的スケジュールはへっちゃらだったが(朝は神戸で用事、午後は京都にて用事を済ませ、夜は大阪で友人と食事などということを何度もやってきた)、どうも今の私には無理そうである。めまいがし、吐き気、胃痛、腹痛が重なり、とうとう家を出ることをあきらめた。

年末からのことを考えれば、当然の結果であったし、これ以上身体を休ませないと、いい加減倒れることが自明のことである。(何度も経験したからね。)

そういえば、昨晩は久々に大勢の親戚と会ったために緊張しすぎたためか、ほとんど眠れなかったので、それも一つの原因と言えよう。

映画の方は私一人の問題であるが、夕食の方は、友達との約束でもある。私は薬を飲み直し、目覚ましを15時ぐらいにセットし直して、眠れるように努力しながら、とにかく身体を休めることをした。

昨年の12月16日以降、何も予定が入っていず、ゆっくりと休んだ日が1日もなかった。もちろん、16日までは発表準備でパニックだった。

実は今でもそんな暇はないのだが、ここで症状を悪化させては後々の予定に響きそうな気がしてきたので、あえて、映画をあきらめた。(鏡に映した自分の顔を見て怖かったし・・・)しかし、たった「6分」の断片とはいえ、今度いつ見られる機会に巡り会えるか分からない古い無声映画であったし、しかもその残存部分は、最後の「大立ち回り」のところだったらしいので、非常に悔しい。今日1日のみの特別上映であったことも悔やまれる。

うー、身体が二つ欲しいよー。せめて梅田や神戸あたりでやってくれたら、這ってでも行けたであろうが、さすがに「九条大宮」は遠すぎた。(河原町だったらまだ行っていたかも知れない・・・ くーん。)

17時頃に先方に着こうとしたが、結局17時半になってしまい、携帯に何度も連絡が入る。新年早々誠に最低な奴である。また昨年の夏以来、彼女らと会う機会を全てキャンセルしていたものだから、私の変貌ぶり(痩せたこと)にびびられまくった。私としては、メールなどで「夏以来体調を崩して調子が悪い」と何度も書いていたので、そこまで驚かれるとは思わなかったが、そういう問題ではないんだね。

明日は久しぶりに予定表に何も書き込まれていない。気になる原稿をしなければならないが、とりあえず目が覚めても最低7時間はベッドに転がっておこうと誓い、反省する1日であった。

 

1月2日

今日は夕方に親戚一同集まって、「新年祝賀会」である。一年ぶりに会う親戚などもいる。

私は内心、朝から気が重かった。しかし、久しぶりの我が家と解放感から6時間も眠れていたので、体調的にはだいぶ回復していたのが救いである。

うちの祖父は、「あの世まで金は持っていけない」という人なので、新年会は孫全員(結婚相手や曾孫も含む)に、いまだに「お年玉」を振る舞って下さる。毎年大変ありがたく頂戴している。叔父・叔母レベルは、甥・姪が「学生」以下までは、配っていたが、社会人としてサラリーを得るようになったらおしまいである。まあ、次世代の「曾孫」群がすでに5人ともうすぐ生まれる1人が控えているから、次はそちらへだろう。一番年下の従弟は22歳で学生である。彼のみ他の収入をゲットしていたが、「私だって学生なんですけど・・・」という卑しい気持ちが少し出るときがある。

というのも、親戚が集まって質問されることは、毎年同じようなことであり、大体予想がつく。おまけに今年は「痩せた」事にも言及されるであろう。「はん、他人のことはほっといてくれへんかな。」そういった事情から、つい上記のようなさもしい気になるときがあるのである。そういう自分に、また気分が悪くなる。

毎年質問されることは「結婚はいつするのか」「いつまで今の生活を続けていくのか?将来何になるのか?」の2点である。そして今回は「めっちゃくちゃ痩せたやん。どうしたの」という事が重なる。はあ、気が重い。

確かに毎年親戚一同が顔を会わせ、新年を祝賀し、兄弟や従弟達仲良くいつまでも過ごせることは、大変幸福なことだと思っている。従兄弟同士は仲が結構いいので、久しぶりに会うと話も弾むし、それなりに楽しいことは楽しい。

だけど、帰宅した今、疲労困憊。胃が重い。

 

2001年1月1日

あけましておめでとうございます。

おお、何とかめでたく私も21世紀まで生きながらえる事が出来たようである。

せやけど、めでたいんか、どうなんかはようわからんけどね。

皆様はどんな世紀越えをしたんやろ。

まあ、私にはあまり実感としては何も変わりまへんなあ。

29日の夜から実家に泊まり込みで「おせち」の準備に取りかかり、31日の夜に仕事終了。そのころは疲労困憊。

久々にコンタクトをとることになる友人から、「カウントダウンを一緒にしないか」という連絡が携帯の方に入っていたのだが、あまりの忙しさに気づかず、気づいたときには、新世紀まで残り8時間ほど(つまり、おせちが作り終わり、後はお重に詰めるだけという段階で一息ついた時だった)。

よく確認すると、連絡が入っていたのは30日。どっちにしろ、いまの私の体調的には、かなりきついものがあるので、非常に悔しいけれども無理とあきらめ、慌てて連絡を入れるが先方は留守電である。どうも他の場所にて皆で集まってするのだろう。

連絡を入れてくれた友人は、大学時代、毎年大勢集まって年越しを共にし、大阪では名所である「住吉大社」に、わぁわぁ騒ぎながら初詣をし朝まで(昼まで?)飲み明かした仲間達の一人である。今回もそのメンバーであろう事が推測される。ああ、あのころは若かったなあ。

そんな無茶をずっと繰り返してきたのだから、私は元旦に熱を出して寝込むことが結構多かった。また、料理は、風邪をひいていては人様に出すものは作れないから、「絶対に風邪ひいてはならない」というかなりの緊張度を毎年強いられていたというのが、実状だろう。そして、作り終え、年越しそばやその他の晩御飯などにやっと落ち着く頃には、朝から立ちっぱなしで料理をしているために、足はだるく、しかも「終わった〜」という安堵感から、それまで押さえつけていた疲労感等々が一気に噴出してくるのであった。

しかも昨年は28日以来、すっかり気落ちして悪化モードに入ってしまっている内心とは裏腹に、無事に20世紀中に退院できた祖父や、相変わらず調子が良くない母などに気を使ってしまうから、かなりきつい状態である。また、実家に泊まり込んでいるために、なかなか一人で好きな音楽を聴きながら、ばりばり料理を作るという状況は難しい。母は余り気にしないが、それでもあまりにも「ハードコア」とか「パンク」はかけにくく、「ビートルズ」など無難路線を選んでしまう。(それはそれで和んでしみじみしてしまって良いものである。)

それでも、父には拒否されて、ろくに見てもいないくだらない番組を「観ている」といって、強制的に音楽は消され、うつろにTVの音声だけが流れゆく空間と化す。

父は全く料理をしない人間である。インスタント・ラーメンですらしない。2〜3年ほど前、カップ麺を漸く一人で作って食べるようになったような人である。それ以前は、カップ麺であっても、母にお湯を注がした上、出来上がったらちゃんとしたラーメン鉢に盛らせないと気がすまないような人であるから、忙しくて出来合いのお総菜を買ってきたとしても、きれいに皿に盛りつけないと許せない人であった。

もちろん、あちらの言い分は痛いほど分かる。「形から入る」では、ないけれど、器一つ変えたら(盛りつけ一つ変えたら)、気分は百倍近く変わる。仰るとおりである。しかしだ。「いまそんなことをしている暇はないという状況というものもあるだろう。」「貴方だってこのいま作っている「おせち」を、きれいにお重に盛って出されないと元旦の朝にぶちきれるのだろう?」「買ってきた出来合いの物だったら文句を言うのだろう?」「だったら、年末の最後ぐらいおとなしく協力してくれよ」というのが、毎年私が抱く不満である。

しゃあない。もうずっとそうやって年を越してきたのだから。

それに、今年は品数も例年よりも減らしたためか、順調に作業が進んでいる。「私も30になったことだし、ここは我慢我慢」と言い聞かせ、おせちづくり(お重詰め)の全作業を終え、祖父母など毎年配っている家に届け、母は鏡餅やお軸、お花の準備をしている間に、私は「年越しそば」だけでは腹持ちのせぬ父のために、いろいろ夕食を兼ねた酒の肴の準備をし、漸く腰を下ろすことが出来た。

もう、疲労がかなりきている。睡眠不足も甚だしい。なんといっても一人になれる時間がかなり夜遅くなる上、薬を服用しているにもかかわらず、やはり落ち着かないのだろう。両親よりも早く覚醒してしまうのだ。平均睡眠時間は2時間ぐらいだろうし、その睡眠でさえもよく眠れていないのは事実である。

もちろん、以前いただいていた私の個室が2階にある(実家は2階が2部屋の一戸建てである)。現在はほとんど物置と化しているが、ベッドだって小さい机だってちゃんとあるから、そこへ行けば一人になれることは事実であるし、未だに私の部屋だといって置いておいてくれているのも事実だ。だが、あいにくエアコンが壊れているために、寒くてそこに居られないのだ。おまけに、私はその部屋で「阪神淡路大震災」にあった。震災の13年ほど前だったと思うが、実家が古くて雨漏りなどするので、半分だけ改築したことがあった(全築するには金がかかるし、それほどひどくなかったともいえる)。震災当時、両親は改築した方の1階の寝室にいた。私が居たのは改築しなかった古い方の棟の2階であったために、家中で一番被害の大きかったところであった。家が全壊した人たちから比べれば、もちろんたいしたことはないし、怪我一つしなかったのだから、こう言っては罰が当たるかもしれぬが、それでもあの部屋に「寝る」ことに対しては、「トラウマ」が出来てしまっている。私は実家を出て以来、一度もその部屋で寝たことはない。怖くて仕方がないからだ。

寒い上に恐怖感がよみがえる部屋にどうしていられよう。そういうわけで、実家に泊まるときはいつもLDKに布団を持ち込んで寝ている。しかし、LDKというのは、常に人が集まる場所であるために、ますます一人落ち着くことは困難である。

そういう状況にて、20世紀を終えることになった。

「ゆく年くる年」を観ながら、両親と共に過ごす世紀越え。「あけましておめでとう」と形式的に挨拶をし、にこやかに、痛む胃を抑えながら年越しそばに付き合い、この度も無事に新年を迎えることが出来た。私は我が家にその時点で帰りたかったが、それは21世紀に入った途端に、両親に対してあまりの仕打ちであるだろうと思い、その日も泊まり、翌朝、「お雑煮」「おとそ」「おせち」で、伝統的な元旦の朝を迎えることにした。

これだけ、都市化した中で、うちのケースは「家族社会学者」が喜びそうな典型であろうかと思う。伝統というか、形式的な行事をずっと守っている(おせちづくりからしてそうだろう)。元旦の朝、父が手をつけない限り家族の誰もおせちに手をつけず、「おとそ」の順番はもちろんのこと、お雑煮をいただく際には「お祝い」と唱えるのだ。というより、私は小さい頃からそうやって育ってきたのだが、もしかしたら伝統でも形式でも何でもなく、ただ単にうちの「小川家」のしきたりだけかも知れない。そのあたりは他の人に聞いたことがないのでよく知らない。けれども続けているのは事実だ。

その後、新年のご挨拶に祖父母の家に行く。去年3回も入退院を繰り返した祖父であるから、機嫌良く新世紀を迎えてくれてホッとする。祖父母(母方)の家系は毎年2日に、親戚全員集まって新年会をする。それなので今日は、近くに住んでいるもんとして、軽いご挨拶。夕方にうちに戻って、また両親と食事。別に不快なことをされているわけではないのだが、こちらは昨年来の精神的病により、心身共にかなり限界地点にきている。申し訳ないが、明日の「新年会」の会場にてまた顔を会わすのだから、家に帰るつもりをしていた。だが、父が「泊まっていけ」といってきかない。

以前、私は父を紹介するにあたって「エリートコースを走ってきた人」と書いた記憶がある。確かにそうなのだが、やはりそれは多少誇張であることは認める。父だって辛い経験をしてきたと思う。少なくとも私の知っている限りは2回ある。

一度目は、バブル崩壊後のことである(震災以後でもある)。大学卒業以来、エリートとして勤めてきた外資系の大会社にて、父は当時、人事部にまわされていたらしい(それまではずっと営業だったという記憶がある)。父にしてみれば、自分よりも歳が上で、しかも小中高の年齢という子供を抱えている社員のリストラをしなければならなかったようだ。これはどの企業においても同じであろう。しかも、東京の本社(というか外資系なので支社かな)では、逆恨みをかって人事部の人が襲われるという内部事情もあった。そういった事情を含めいまの仕事を苦にした父は(うちは子供が二人とも一応大学も卒業し手がはなれていたからだ)、「会社を辞めたい」と思っていたらしい。そこへ、偶然にも父の旧友であり、中小企業だがグループ企業である会社の経営の一つに「引き抜き」のような誘いがあった。父は、母にも相談せずに決断をし、これまで勤めてきた大企業をあっさり辞め、3ヶ月の失業期間の後、その友の会社へ迎えられた。しかし、これは母にとっては「寝耳に水」であったし、やはり父にとっても一代決心であったであろう。

その時おかしいことが一つあった。父はもう決断していた後なのだろうが、私にあるときこういう質問をした(その時はまだ同居していた)。「今の会社を辞めようと思うのだけれど、お前はどう思う?お前の結婚にこれから障害があるようだったら、思いとどまるけれど、気にするか?」というのだ。私には父の言っている意味がさっぱり分からなかった。「はあ。やめたいんやったら、これまでずっと働いてきたんやし、好きにしはったら」というのが私の返事。父はさらに怪訝な顔して同じ事を聞く。漸く事情が飲み込めた。父はリストラを担当していたときに、ある社員に「せめて娘の結婚式までは首を切らないで欲しい」というような旨を言われたらしいのだ。すなわち、披露宴において花嫁の父が「外資系大企業」勤めであるという世間体の話をしているのだ。「何訳わからんこと言うてんのん」というのが私の率直な胸の内であったが、やはりここまで育ててきたくれたことは確かであるので、「そんなん、別に気にせえへんよ。そんな肩書きにこだわる方があほやわ」と軽く流した。父は一つ肩の荷が下りたらしい。(そんなん本気で気にしていた方が今でも驚く。)

そして、さらに要求を突きつけてくる。私と一緒に旅行がしたいと。私は、母と「夫婦水入らず」で、せっかく時間が出来た3ヶ月間をゆっくり旅行してきたら?と提案したが、どうも娘と一緒に行きたいらしい。しかし、以前にも書いたように、私からすれば既に大きな溝が出来ているのだから、勘弁して欲しいというのが本音である。だいぶ迷った。だが、父の願いを叶えてあげようと思う一つの事件が起こった。

父が会社を辞めること(まあ、次の就職先は決まっていたが)を、既に結婚して家を出ている兄夫婦に報告をしたとき、兄からも報告があった。「僕も3月いっぱいで会社やめるから」と。両親は愕然としていた。それこそ「寝耳に水」という顔をしていた。

肉親として薄情かも知れぬが、私はこの成り行きを面白がってみていた。私は兄夫婦とは仲がいいと自分では思っている。実家で同居をしていて、どうにも我慢が出来なかった頃、よく実家の車で兄夫婦の家に夜中遊びに行っていたものだ。だから、やめることまでは知らなかったが、兄の「会社勤め」がそう長く続くとも思っていなかった。しかも、私自身は、大学を卒業後、普通の企業に勤めてOLなるものもせず、今の道につながるのだが、勝手に好きなことをしてきたわけであるし、その事で親のすねをかじる気は毛頭なかったので、いつ一人になってもいいという覚悟をしていたし、そういう方向へ自らを導いていた。

しかし、父はぽつりと言った。「お前(兄のこと)が会社やめるんやったら、もう少し留まっていたのに」と。父の言いたいのは、年収が下がるから、援助が厳しくなると言うことだ。うちの両親には申し訳ないが、兄夫婦にしてみたら、すでに所帯独立しているのだから、そんな気は毛頭なかったであろう。私は、そういう父を見て、ちょっとばかし同情してしまったのだ。

それでもやはり二人で旅行するのは嫌だった。(何もしないことを知っているからである。)最初はヨーロッパを希望していたのだが(私がスウェーデンに留学していたこともあって)、かたくなに拒否をした。「短い期間でヨーロッパに行くのは、金がかかるだけで馬鹿らしい」というのが拒否の文句だった。すると次の手を打ってくる。「じゃあ、近場で香港はどうだ」という。「返還前に行っておくのもいいだろう」と言い出した。こっちも負けておれず(?)「ペニンシュラに泊まらせてくれるのなら付き合っても構わない」とふっかけた。会社を辞めた人である。これまで肩書きというネームバリューと年収のことを気にかけた人であるから、あきらめるだろうと言うのが私の目算だった。甘かった。父は早速旅行社に手配し、ペニンシュラのしかも古い棟(伝統がある方とでも言おうか)の部屋を予約していた。もう逃げ場はなく、私は父と旅行をした。もちろん、好き放題にさせてくれる父には感謝している。しかし、どこかに抑圧していたものがあったのだと思う。

その年、父と兄は3月(年度末)で会社を辞めた。そうしてその秋、私にとうとう抑圧していたものが回帰しはじめてしまった。家(今の実家)で両親と共に食事をする事が嫌になり、中途半端な時間に一人で作って一人で食事をとり、夜は友と遊びに出かけたり、兄夫婦の家に遊びに行くなどして夜中まで帰らないことが多くなり、家にいるときは自分の部屋にこもりっきりになった。顔を会わせることを出来るだけ避けるようになったのである。しかし、事態は収まらなかった。そのうち、家(実家)で食事をするとそれが両親と一緒であろうと、一人であろうと、食べたものを全部もどすようになった。外食は全く平気である。あの場(実家)で食べると駄目なのだ。典型的な心身症である。

あまりの辛さに、私は家を出た。引っ越しも着々と準備を一人で行い、平日のしかも専業主婦である母が用事があって居ない日に、兄に手伝いを頼んで家を出ていった。全くひどい娘だと思う。

父の2回目の挫折は昨年の出来事であった。父が移ったグループ企業は「幸福銀行」を資金元にしていたらしい。御存じの通り、「幸福銀行」は破綻し、その関連企業は全部倒産に追い込まれた。もちろん父が勤めていた会社もそうである。社会人として企業に勤めたことのない私には何も言えないが、父は会社勤めからすると有能であったのであろうか、また他の企業から「うちに来ないか」というお声がかかっていたらしい。

世の中は最悪の不況である。しかし、父の旧友である人を含んだ経営陣は責任をとって全て辞退という状況になったにもかかわらず、父は「義理」を重んじたのか、その返事を先延ばしにしてまで、今所属している会社の整理に奔走していた。グループ企業の中では、最後まで借金を返そうとし、残っていた会社だったという話だ。そうして、返事をのばしているうちに、この不況であるから、当然その話はぽしゃった。既に家を出ていた私には、関係ない話という顔をしていたとはいえ、さすがに父が気の毒でもあり、また「昔気質」と言われるかも知れないが、最後まで粘ったことに尊敬の念を寄せたことは事実である。そしてまた、癇癪持ちの父を陰で支え続けた母にも同様である。きっと家に帰ると、自然と気がすさんで荒れていたであろう。娘を求めるが、私は拒否をして寄り付かないし、兄は京都で事業を始めたのだから、当然顔を出す余裕などなかったのだから。

倒産が確実になってからしばらくして、父の再就職先が決まった。しかし、それは単身赴任を要求されるものであった。これまで、ずっとうちに帰っては好き勝手にしていた父が、今となって単身赴任はやはりきついだろうとは内心思ったが、こちらもその時にはすでに通院生活に入っていたので、同情もしてあげなかった。やはり本当にひどい娘だと思う。

そうこうしてとうとう20世紀を最後にしたわけだが、さすがに29日から泊まり込んでいたので、こっちもしんどかった。老いた父は、「布団を引いてあげるから」「このワインをあけよう」などいろいろなことを言って私を引き留めようとするが、私は私で父には黙っているがもう限界なのだ。これ以上実家にいると不眠症はひどくなるばかりで、薬の量も増えるだけなのだ。「絶対に帰る。明日どうせ新年会で会うやん」とはねつけると、「そうか、こんなにまで言うてやってるのに帰ると言うんやったら、さっさと帰れ」と子供のようにすねる。困った親父である。

漸く私は「我が家」に帰れた。

気持ちがホッとしているのが、生々と感じる。今日は久しぶりに眠れるかなあ。