人はコンピューターのように完璧な計算ができないということは、誰でも知っていることである。足し算と掛け算の順序を間違えたり、プラスとマイナスの符号を反対にしてしまったり、足すべき項を忘れてしまったり、所属する冪指数を一つずらしてしまったり、人はさまざまな計算ミスをする。計算ミスをしない人なんかいない。趣味の計算で計算ミスをするくらいのことであれば別にどうということもないが、足し算・掛け算で計算ミスをする人間の脳は他のあらゆることについて同じ頻度でミスをしているものである。
話したことはないけど頭が良さそうで優しそうな人だなと思っていたら、話してみると思ったほど頭が良くなくて凶暴でとんでもない差別主義者だったということは、そんなに珍しいことでもない。つまり「外面」と「内面」が乖離している人は珍しくもない。そもそも、ほとんどの人にとって、多かれ少なかれ「外面」と「内面」にはずれがあるものである。しかし、「外面」と「内面」に大きなずれがある人の行動は、ときおり論理の経済の赴くところによってカオスを生み出すことになる。外国人や人種的・性的・その他政治的マイノリティをいかにして社会へ受け入れるかを考えるときに、こうして生まれたカオスは厄介と言えば厄介になることがある。
例えば、某国の某政党はナショナリズムを煽るためにオーガニック食品を持ち上げたりするわけだが、これは「外面」が環境を大事にしている人、で「内面」がただのファシスト=権力の人、ということになろうか。さて、UKのヴィーガンの多くは「外面」はいろいろで、「内面」は倫理的な食生活を心がけている人なわけだが、これはファシストたちとはあまり関係ないと思う。だから、お互いにどうでもいい存在なので放っておけばいいような気もするのだが、実際には、ファシストたちは「論理の経済」が赴くところの「金の力」によってヴィーガンにファシストの汚辱を被らせる、という大変いやらしいプロパガンダを張っているわけである。
菜食主義の起源はファシズムであるという事実を根拠に菜食主義一般を「ファシズムの思想である」と決めつけることは、「発生論の誤謬」という論理的誤謬の一つである。
「発生論の誤謬とは、時とともにその性質を変えた重大な変化が起こったことを無視して、ある物事の当初の状態に対する評価を現在の状態に当てはめ、現在における結論を支える根拠とする誤った推論である。」
-Wikipedia「発生論の誤謬」の項目より
もし菜食主義一般を単に「異物の排除」でありそれ以外の何者でもないと解釈するのであれば、その解釈の仕方そのものが「異物の排除」でありファシズムなのである。なぜかといえば、菜食主義もいろいろだからである。それゆえに某国のただのファシスト政党がオーガニックを持ち上げるのは余計にタチが悪い、という、そういう仕組みなのである。ヴィーガンを槍玉に挙げて攻撃することはファシズムへの抵抗ではなく、むしろ加担である。ややこしい話なのだが。
まあ、そんなプロパガンダを真に受ける人なんかほとんどいない。しかし、どんな人も「計算ミス」くらいはする。マジョリティの中でマイノリティをやるのは、なかなか「計算力」が要るものなのではないだろうか。微妙な計算ミスによって倫理的汚辱を被る者がおり、ここがファシストのねらいである。ヴィーガンのねらいは何かと言えば、そういう大事なところで人は計算ミスをしないであろう、という人間一般に対する信頼、またはどこかで計算ミスをしてもいずれ修正できるだろう、という人間の知性に対する信頼である。ところがヴィーガンどころか菜食主義さえ日本ではまだまだ一般的ではなく、日本の菜食主義は今日も謎の「計算力」を問われてしまう。菜食主義のない社会で民主主義が実現するとは、考えにくいのだが。