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2007年07月 アーカイブ

2007年07月25日

ご無沙汰でした

7月23日
とうとうダウン。
この週末も、徹夜に近い状態を繰り返し、ようやく仕事を一つ終了。
21日の午前中が期限だったのだが、今日まで待ってもらっていたので、郵送をあきらめ、直接持っていって、詫びを入れながら無事提出。

ほっとしたのだろう。
その後、御稽古に行くはずだったのだが、寒気はするし、身体は痛いし、立っているのも辛い。
御稽古を放棄し、とりあえず荷物を置いている実家にタクシーで帰る。
熱を測ると38度を超えている。
あかん。
そのまま、解熱剤を飲んで、アイスノンを額に貼り付け、布団の上に倒れこんで、ごろごろ。
眠ることが一番いいのだが、全然眠れない。
おまけに、身体が痛いので、同じ姿勢でじっとしていられない。
それでも4時間ほどしたら、熱が下がったので、今が名古屋に戻るタイミングと思い、朝から何も食べていなかったので、かるくサンドウィッチを食べ、コーヒーを飲む。
ところが、これがいけなかったのか、再び胃痛・腹痛に気持ちの悪さが加わり、横になると、再び発熱。
5時間ぐらいあいたので、再び解熱剤を服用。

心配した両親に病院に連れて行かれ、ドーピングならぬ点滴。
診断結果は、過労による膀胱炎らしい。
ショック・・・
まあ、尿検査の結果がまだ出ていないので、はっきりと決まったわけではないが、風邪ではないことは確か。
抗生物質などを出され、点滴にも抗生剤をいれられ、帰宅。
ちょっと、楽になったので荷物を持ってとりあえず名古屋に戻る。

薬を飲まなくてはならないので、食物を摂取すると、再び気分が悪く。
かるく、微熱。
熱を測ると、気分から病気になりそうなので、もうこのまま休むしかない。
薬を数種類摂取。
おやすみなさい。

7月21日
近鉄で帰ろうと思っていたのだが、時間がなくなってしまい、結局新幹線で帰阪。
午後の一番空いているだろうと思う時間(16時半ごろ)だったのに、なぜか駅はごった返し。おまけに、霧雨。
新幹線もけっこういっぱい。
と思って、気がついた。
そうか、小中高はもしかして、昨日で終わり?今日から夏休み?
週末を利用して、旅行か、里帰りか。
こちとら、仕事がおわらねえ。8月にはいっても、休みは来ない。
ああ、なんか世の中おかしいよ。

霧雨だったのと、家で朝早くから(ほんまに4時ごろから)ずっと仕事をしていたのに、終わらなくて、あわてていたので、MKさんにて名古屋駅に行くことにした。
いつもは地下鉄なんだけど、ちょっと贅沢にタクシーを呼ぶなんて。
体力的にもう限界なので、たまには贅沢していいか。といいつつも一番やすいMKなんだけど。
それが、運転手が新入社員だとかで、若いお兄ちゃん。すごい分かりやすい道を行ったはずなのに、大丈夫かな・・・と不安に「あの、そこを右に」と言うと、
「道がおぼえられないんです」と言い出す。
おまけに「この仕事はむいていないと思います」と情けないことをこぼしだす。
後ろのベテランが運転していると思しきタクシーには、割り込まれるし。
あ、MKはやすさを売りにしているから、他のタクシー会社には嫌がらせされているんかな。
それにしても、心もとない。だんだん可哀想になってきた。
頑張るんだよ。

と、人のことなど応援しているほど、実は元気ではない。
昔から、雨は苦手。酸素が薄い。頭が痛い。めまいがする。
どうも、梅雨になってから、体調がすぐれぬ日が続く。

7月20日
ようやく、一段落。講義が終わった。あとは、テストと演習が一つ。とはいえ、さまざまな雑事は山積み。かなり後回しにしてきているから、みたくない。
それでも、少しは気が楽になって、研究会に参加。
朝一だったので、車できてしまい、飲めませんが。
研究会にて、自分の知らない話を聞くのは楽しい。
華北パルチザンについて。
日中戦争以降、戦争が終わるまでの間の華北地域の話を聞いていると、なんだか私の頭の中は『七人の侍』だった。きっと誤解を招くのでうまくここで説明できないのだが、とにかく、『七人の侍』なんだよ。
話は飛ぶが、講義のフィニッシュに、木下恵介の『陸軍』のラストシーンを見せた。
田中絹代の演技を見ると、涙が出そうになる。そのときに、木下恵介と同年に東宝から黒澤明が監督でビューしたという話をしていたからかな。連想ゲームだな。

研究会後の、懇親会。
ウーロン茶でたのしく過ごしていたのだが、だんだんと眩暈。
雨のせいだ。最寄の駅まで、同僚の皆様を無事お送りして帰宅。
茫然自失。

7月19日
河合隼雄先生が亡くなられた。
入院されていたから、突然の訃報ではないはずなのだが、それでもかなりショックだった。
大学院時代に、二回、河合先生の授業というか、御話があった。
ちょうど、先生が所長をされていた時に、日文研にあずけられたからだ。
大きな人だった。
なんだか、まだ7月なのに、知っている先生が二人も亡くなると、気持ちがつらい。
御冥福を心よりお祈り申し上げます。

今年は、人生の税金の時期かな。やっぱり・・・

7月17日
市川雷蔵の命日。そして、祇園祭。
関西にいる時には、みなみ会館の雷蔵映画祭に必ず行っていたのに、こっちに来てから、一度もいけない。
それが、一番悔しい。悲しい。
スクリーンで雷蔵が観たい!!

7月16日
台風が直撃。
それをいいことに、今週末は帰阪をとりやめる。
ほんまは、こういう時にこそ、祖母の家に泊まってあげるべきなのだが、こちらも、仕事が終わっていないので、連休を利用して一気に仕上げる。
6月末締め切りの原稿を、漸く書き上げる。
決して、満足のいく出来ではないが、とにかく二晩ほぼ徹夜を繰り返し、仮眠をとりながら書くなんて、久しぶり。ちょっと満足感を得る。
あー、疲れた。

7月14日
土曜日だというのに、午前中は出勤。
AOガイダンス。
台風が来そうなので、昼過ぎにはさっさと帰り、週末に備えて食料を買出し。
さーて、やっと自分の仕事が出来る時間が持てる。
頑張るか。

7月7日
後輩のウェディング・パーティーで、岡山。
嬉しい1日。
楽しかった。

4月末に、亡くなられた先生のお別れ会があり、とても辛い気分になっていた時に、彼女から、「結婚します」というメールをもらった。
そのときは、「ああ、暗いニュースばかりではなかった」と本当に救われた気分になったことを覚えている。
だから、今日は本当に嬉しいし、楽しい。
幸せになってね。

6月29日
『舞妓Haaaan!!!』を観にいく。
着物が観ていて楽しい。
植木等さんに合掌。
結構、面白かった。

6月23日
父の快気祝いで、憧れの「嵐山吉兆」に行く。
ここは、雷蔵が打合せ等の接待に使っていた店である。
その後、いろいろあったのは、まあいい。
一度は行きたかった店だったので、気合が入る。
庭も店もさすが・・・とため息。
御料理もなかなか。
まあ、値段を考えれば、当たり前なんだけどね。
とにかく、これで行きたかった憧れの店を一つ制覇。
ご馳走様でした。

6月3日
御無沙汰しております。

ようやく、正謡会大会が終了。
なんとか、無事に舞い終えました。謡い終えました。
母の「砧」はさすがの一言。
やはり、関西を離れてしまったので、いくら近くてしょっちゅう帰阪しているとはいえ、御稽古不足はどうしようもない。
それだけに、結構プレッシャー(関西にいたときもプレッシャーはあったけれど)が強くて、終わると開放感とともに疲れがどっと出る。

明日の非常勤が、流行り病のための全学休講のために、なくなったので、ほっとした。
不謹慎なのは分かるが、大会の翌日は本当にしんどいやもん。
堂々と休めるなんて、学生以来、休講を喜んでしまった。
ああ、なんて極悪非道な性根をしているんやろう。
本性がでましたな。

それにしても、4月に新年度が始まり、いろいろなことがありました。
無事に父が退院できたものの、なかなか本人はしんどいらしく、家の雰囲気が悪い。
GWには喘息が出て、大変だったし、自宅療養の付き添いもかなりの負担。
亡くられた先生のお別れ会もありました。
こういう形では、久しく会わなかった人と顔を合わしたかくなかったというのが、正直な気持ち。
今年は、人生の税金を払う時期なのかもしれない。
会議は多いし、書類はなんだかたくさんあるし、歓迎会や研修や、御稽古やら。
しょうもないことも多いが、そんなことに振り回されたり、時間を取られたくない。
が、馬鹿らしいことも頻発するのだ。
C’est la vie.

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