4月1日
4月1日
びっくりした。
自分がこんなに軟弱だとは。
3月中にけじめとして、皆様にご連絡をしようと思っていたのだが、あまりの忙しさに余裕がなかった。
今朝、4時に目覚める。
頭の中で、「無職」なんだ。
所属がないのだ。
そういう思いが巡り、ボーっとしていた。
二度寝もできそうになく、荷物を取りに日文研にいかなくてはと思い、朝から洗濯をして、お弁当を作り、自戒の意味を込めて皆様にメールを送る。
しかし、顔を洗うと肌がぼろぼろに荒れて、ひどい状態になり、着替えようとすると全身に発疹が出ている。
おかしいと思いながら、用意を済ませ、いつもの時間に家を出ようとすると・・・
トイレに駆け込んで、嘔吐。
朝からお茶を一杯しか飲んでいないので、胃液を吐き続けた。
頭で分かっていながら、体はやはり正直である。
自分の行き先のなさに、拒否反応が出ているのだ。
ぼろぼろになっている自分に呆然。
こんなに弱っているとは。
それでも、少し落ち着いたから日文研へ向かう。
花見客や新年度の希望に満ちあふれた人で、電車が馬鹿に混んでいる。
胃液のせいで胸焼けし、自律神経失調により寒気がしてふらふらな私は、とっても惨め。
バスを降りてから日文研まで歩いていく中、ふと思った。
「職業」という欄に何故「主婦」とか「学生」と書くのだろう。
学生は一応特別待遇される身分だし、「学校」に所属なので分からないが。主婦は無職であるはずだ。年金生活のご老人は無職だよな。
ちゃんとした仕事を持っている人は「主婦」とは書かないだろう。
フリーターの人は「無職」って書くのかな。
要するに、日本社会において「所属」がないという事がきついのではないか。
「主婦」はサラリーをもらっているわけでもない。
パートやアルバイトの人は職業欄に「パート」とか書かないだろう。
しかし「主婦」は、「主婦」自体が重労働だからではなく、幻想になりつつある「家族」に所属していると言いたいのではないか。
そんなものは「架空」のものでしかない!と言い聞かせても、今日所属を失った私は、その不安に苛まれているのではないだろうか。
確かに収入がないというのもきつい。
しかし、それは「アルバイト」でなんとでもなる。
なんか、突然リストラされた会社生き甲斐のおじさんみたい。
情けないやら虚しいやら。
意地をはってここまで着たのに、突然意気地がない自分に戸惑う。
霞をくっては生きていけないからか?
それでも院生室に行くと、後輩や新しくやって来た研究生はみんな優しく、話をしていてもすごく楽しい。
なんだ、やっぱり恵まれているじゃないか、私は。
こうして、いろいろな話をして、刺激を受けられるところがあるじゃないか。
救われた気がした。
それでも日文研を出ると、また体調が狂い出す。
誰かと話していると、気が紛れるからだろうか。
一応虚勢をはるだろうか。
お稽古場に向かい、「無」の境地で(そんなに悟ってないけれど)稽古に精を出す。
こうして、自分をごまかして生きていくのか。
全然自分が分からなくなってしまった。
3月31日
とうとう3月が終わりである。
今日で返却しなくてはならないものもある。
それまでに、しておかなくてはならないことがあり、朝から日文研を走り回っている。
本当に走り回っている。
今日、万歩計をつけていたら運動量が分かるのに。
それぐらいうろうろしていたのだ。
強欲だから、使えるだけの物を使い切れっと傍若無人の振る舞い。
夕方までは、働きながら、院生室の片付けも平行してやる。
頭がパニック。
とてもじゃないけれども、資料や本、その他の私物が今日中にもって帰れそうにないことが判明。
2週間ぐらい前から少しずつ撤退していたのだが、甘かった。
夕方になって、机を明け渡し、本棚もきれいに整理して、紙袋やダンボールに荷物を詰めて院生室の片隅に山積み。
ごめん、明日からも席はないけど引き取りに来るから許して。
先生方のご尽力のお陰で、共同研究員に4月からなることになった。
無報酬だが、施設を使うことができる。
図書も借りることもできるので、なんとか研究環境を確保。
後輩の言葉に甘えて、お昼ご飯を食べたり、お茶を飲みに院生室に引き続き出入りさせてもらうことになった。
(共有のパソコンも使わせてね)
心優しい皆様に感謝。
私物は早く持って帰るので、捨てないでね。
山のような荷物を抱え、19時半ごろに帰ろうと思うと同期と遭遇。
一緒にタクシーでと声をかけてもらい、桂駅まで相乗り。
ついでにと、さらに先生との飲み会にまでお邪魔してしまった。
すみません。
遠慮がなくて。
就職ができなかったことに関して、いろいろと諭される。
どれもあまりにもごもっともなお話で、耳が痛い。
心して精進いたします。
しみじみと夜が更けていく。
3月30日
あー!!
明日で学籍がなくなる。
まだ、院生室が片付いていない。
さまざまな書類が回り、追い立てられる。
追い出されるとはこういうことなのか。
後輩に「もう少し待って」と謝りながら、とりあえず院生室の片隅に荷物をまとめる。
明日には机も明け渡すから待ってね。
仕事のほうもパニックをきたし、先生に意味不明メールを送りつける。
午後に先生が現れる。
「メール、読んでくれはりました?意味分かりました?」
「分からない」
やっぱり。
実際に画面を立ち上げて説明。
データの統一事項などを再度確認。
その後、「5月から何とか少しは雇えるようにするから」と有難いお言葉。
思わず、すがりつくような目で見てしまった。
お願いします。
今日もまた、山のように本を抱えて帰りました。
足腰が痛い。
3月29日
女学院にて最後のアルバイト。
5年半も働いた。
ずいぶんとお世話になったものである。
本当は生活のめどが立っていないので、継続すべきなのかもしれないが、複雑なのだ。
女学院は非常に居心地がいい。
その居心地のよさが怖くなったのだ。
私も人生の節目を一つつけたのだから、これから新たなる環境にて邁進していくべきだ。
そう思って、今月をもって退職を決意した。
日文研にて先生が失業保険程度には何とかしてくれると言うてくれはる。
何処まで食いつなげるか分からないけれど、己が選んだ道なのだ。
もう少し粘ってみたい。
もっと知りたいことが私にはある。
意地を張ってきたのだから、倒れる覚悟で張り続けよう。
アルバイト先のメンバーで送別会をしていただく。
自分で決めたものの、なんだかさびしい気もしないでもない。
だんだん居場所がなくなる。
それも私が選んだ道。
3月28日
口は災いのもと。
災いって言うわけでもないんだけれど、ぽろっと吐いた言葉がどんどん暴走してしまった。
なんだか取り返しのつかない方向へ転がりだしている。
4月からどうすればいいのか?
すっかり困惑してしまい、親友に泣きついてしまった。
泣きついたところで、もう遅い。
3月27日
久しぶりに中高時代の友達とランチを食べる。
「どうなったの?」と聞かれ、改めて学位取得をご報告。
「なおが博士なんて・・・」と過去を知る皆は愕然。
はっはっは。
世の中狂うておるのじゃ。
友達が連れてきた子供とすっかり仲良くなってしまい、完全にお友達。
彼は正義の味方なのだ。
子供の想像力はすごい。
遊んでいて面白い。
ミレニアム・ベイビーだったから4歳か。
うーん。
「俺が教えてやる」といわれて、ヘイコラ言っている私って。
私のレベルは4歳か?
今日は煩雑な毎日を忘れて、昼からワインを飲んでいい気分。
って、昨晩も飲んでたがな。
酔いどれ天使。
堕天使。
3月26日
朝から日文研にて働く。
院生室の大掃除が午後からなので、その合間にちょこちょこしながら、色々なことを同時に済まそうとして混乱。
さまざまな手続き。
やり残している仕事。
図書の返却。
ちゃっちゃとお昼を食べて、さあ掃除だ。
といっても、他の仕事を同時並行的にしているために、一人うろうろしている。
来週中に荷物を何とかするので、とりあえず机の周りを片付ける。
水周りの掃除。
食器棚の整理。
独断と偏見で、訳のわからない容器や何時封を切ったか知れない酒類を処分。
夕方は、先輩の出版祝会。
早く、私もあやかりたい。
久しぶりにお会いする先生方と楽しいお話をさせていただく。
怪しげな密会計画。
酒の席の上、話は大きくなって、何処まで本気やら?
4月より行き先がないので、なぜか料理長を買って出る。
そんな職あるんかい。
ないわ、ぼけ。
少しばかり自暴自棄な京都の夜が更けていく。
家出人のように本の山を抱えて、尼崎に帰り着く。
もう足の踏み場がなくなってきた。
3月25日
昨日夜遅く葉山から日帰りしたというのに、今日はフル活動。
午前中は女学院にてアルバイト。
さすがに朝から疲労困憊。
13時で終わるはずが、来年度の非常勤の先生よりややこしい依頼を受けてしまい、手間取る。
私は4月よりいないのだから、あんまりやすやすと仕事を請けても、責任とれんしな。
とはいえ、分かる範囲のことは応対したい。
それを職員さんに引き継いで、事務連絡を取ったりして、どんどん時間が過ぎてしまい、いーっとなる。(いらちか)
13時半に女学院をダッシュで後にして日文研に向う。
『変体仮名講座』が私のためだけに今日に変更されたからだ。
しんどいといって休むわけにもいかない。
電車の中で、必死で宿題を仕上げる。
しんどくて朝から何も食べておらず、まだその暇もない。
さすがにまずいかなと思い、バスの中でおにぎりを食べるものの逆に気分を悪くする。
へろへろになって15時半ごろに日文研に到着。
なんだか、職員の方々が深刻なお話をされているようなので、邪魔をしないように準備をする。
『変体仮名講座』でまた脱線するような話をして顰蹙。
もう疲れているので何でもええがな。
明日は大掃除。
いよいよ追い出されるのだ。
今週に入ってから毎回山のような荷物を持って帰ることにしている。
本が重い。
腰をいわしそうだ。
3月24日
今日は、人生の晴れ舞台。
おそらく。
総合研究大学院大学の学位授与式である。
場所は本部である葉山国際湘南村。
晴れていると富士山が見えてきれいなのだが、雨だし関西から行くには遠い。
日帰りを敢行したために、もうぼろぼろに疲れている。
疲弊。
大体、朝から調子が悪かった。
まるで私の人生を象徴するかのようだ。
10分ぐらいの余裕しか持っていなかったせいで、JRが大阪で遅れてしまい、新大阪で予定ののぞみに乗り遅れる。
あほである。
といっても、かなり余裕を持っていたので、次ののぞみの自由席に乗り込んで新横浜へゴー!
乗ってまもなく、本を読んでいると新幹線酔いしてしまったらしく、気分が悪くて吐きそうになる。
朝から、体がほとんど何も受け付けない状態なのに。
お茶を飲んで、紛らわせるもののめまいは治まらず、かといって眠れるわけでもない。
自律神経か?
お世話になっている方よりお祝いメールが来る。
『感無量でしょうね』といわれても、実感がわかないし、とりあえずこの調子の悪さだけ何とかしたい。
最後の学割を使って新横浜から横浜、乗り換えて逗子まで何とかたどり着く。
寒い。
普段みたいに大きな鞄を持っているのは恥ずかしいと思い、スーツにハンドバック、入りきらなかった書類を紙袋に入れて、大きめの傘を持っているが、やはり荷物が多い気がする。
分散しただけなんだ。
逗子の駅で、とりあえず何か食べなきゃと思い、寂れた(失礼)商店街をぶらついて少しばかりテイク・アウトの鮨を買って、バス停で待ちながら食べる。
ちょっとばかり回復したかな。
すぐに今度一緒に授与される同僚と一緒になり、「寒いし、天気悪いし、嫌だね」など世間話。
バスで30分強。
軽くバス酔い。
受付で、いきなり学生証を取り上げられる。
えっ?3月31日まで使えないの?
学割で映画に行こうと思っていたのに・・・
かなりショックである。(この歳まで学割使っていた方が罰当たりか)
席順を見ると、いきなりトップであることが判明。
いや、それはあまりに恐れ多い。
一生に一度だろうから名誉なのかな?
そうだ、名誉だと思おう。
私のような輩が学位をいただけるのだから。
うちの専攻担当の事務の方に「実は入学式で名前間違えられたので、確認してもらえます?」とわがままをいう。
トップでいきなり名前間違えられるとショックだから。
ガイダンス終了後、休憩少し。
優秀な方の研究発表を聞き、また休憩。
昨年の秋卒業より導入された趣向として、ピアノ演奏を拝聴。
いい音である。
そして、運命の瞬間到来。
名前を呼ばれて、トップバッターとして、学長より「学術博士」の学位記を賜る。
へへー。
深々とお辞儀をしていただきました。
ものすごく緊張してしまった。
学長からの祝辞でも触れられていたが、独立行政法人化の波で私たちが『国立』と名の付く総合研究大学院大学最後の学位取得者となった。
ある意味、貴重なのかもしれん。
もちろん、これからも大学は存続するので、変わらないといえば変わらないのだが。
わざわざ井上先生も出席くださり、ご挨拶。
ありがとうございました。
実はここで暗いお知らせを受ける。
かねてより先生方にご奔走いただいた「非常勤講師」の件がダメだったということだ。
しかし、大分前よりうすうすあきらめた方がいいことは分かっていた。
けれども、はっきり結果を聞くと4月から「無職」という現実がいきなり目の前に広がってしまった。
晴れて学位を授与して、心で泣いて、複雑な心境である。
しかし、論文作成からここまで、どれほど多くの人が私のために力を尽くして、助けていただいたのかを思うと、文句なんてもちろんない。
あとは自分の実力で生きていかなきゃいけない。
まあ、今日は忘れて晴れの式典を心から感謝して受けよう。
1時間ほどの懇談会が用意されている。
鈴木文化科学研究科長の取り計らいにより、初めて学長とお話をする機会を得る。
「どんな研究をされているのですか」と今回、国際日本研究専攻より修了した3人それぞれに質問をしてくださる。
さすがに私の研究には驚かれていたようだ。
学長はアラカンが好きということが分かった。
非常に興味を示してくださり、有難い。
かなり長い間学長を独り占めしてしまって申し訳ない。
非常に楽しい時間であった。
さあ、帰ろうと思うと紙袋の紐が切れる。
縁起悪!
しかも学位記が大きくて、紙袋に入らず、傘は邪魔だし、荷物を抱えて腕が棒のようだ。
鈴木先生にひっついて関西まで帰り着く。
京都で先生とお別れすると、緊張の糸が切れたのか、疲労がどっとやってきた。
ふらふらな足取りで家にたどり着いた。
腕が痛い。
しんどかった。
そういえば、今朝、人間国宝四世井上八千代さんが亡くなったとニュースで聞いた。
いかりや長介もショックだったが、井上八千代さんもショック。
享年98歳。
大往生と言えばそれまでだが。
市川雷蔵を調べていて、四世井上八千代さんとの接点が出てきた。
それからしばらくは脱線して、片山愛子時代から「天才」と言われて注目され、京舞井上流に文楽や能楽の動きを取り入れ、身体の遣い方など芸を追求し続けた姿勢を面白くおった時期がある。
日本舞踊はやった事はないけれど、井上流に関してはそれからも興味はあった。
五世井上八千代さんは、聞くところによると、先代を抜くかも知れないと言われているそうだ。
いつか、どこかで接点が出来ればいいな。
ご冥福をお祈りします。合掌。
3月23日
調子が悪い。
明日は晴れの日なのに、なんだかしっくりこない。
今日は日文研にてアルバイト。
やり残している仕事が多くて、忙殺。
明日の葉山は雨。
しかも、気温が10度ぐらいときている。
この前まであんなに春めいていたのに、またこんなに寒くなるなんて。
日頃の行ない悪いんやろか。
寒暖の差に体がついていかず、なんだか自律神経失調気味。
星が散っている。
めまい、くらくら。