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      <title>風雲三宅坂劇場</title>
      <link>http://nagaya.tatsuru.com/yanai/</link>
      <description>since Sep 2003</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
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         <title>ちゃらちゃら宣言</title>
         <description>義太夫三味線・鶴澤寛也さんの「はなやぐらの会」で
前説。
仕事帰りとて開演時間ぎりぎりに駆け込み、その勢い
でお客様の前に飛び出すと、なんだか見知ったお顔が
ずらりと並んでいる。
後ろの方には職場の先輩方がちらほら。
Ｎ峯プロデューサーもいらっしゃる。
最前列には金原瑞人センセイ、客席のど真ん中には橋
本治センセイがご鎮座まします。うう、調子が狂う。
とりあえず「柳」は大好きな浄瑠璃であるので自分の
思うところをぜいぜいと述べ、いよいよ浄瑠璃が始ま
るときにはもう息も絶え絶えであったが、たちまち背
筋がしゃきんと伸びた。
仕事柄、見聞きした芸の良し悪しをどうこう申すのは
厳しく自制しておるのであるが、これはきちんと申し
上げておこう。
竹本駒之助師の浄瑠璃が実に素晴らしかった。

ヒロインのお柳さんは柳の精霊である。
前世からの契りを果たすため、仮に女と変じて姿を現
している。
したがって浄瑠璃も三味線も「普通の人間ではない」
というところを表現しなくてはならない。
浄瑠璃でどうやってそれを表現するかというと、音程
を「ぜんぶはずす」（駒之助師）のだそうである。
そのはずす幅がもちろん半音とかそういう騒ぎではな
くて、聴き手の鼓膜が「？」と生理的な違和感を感じ
るか感じないか、まあ普通は感じないよな、というく
らいのほとんど微分積分音波分析的レベルでズレた声
を出すのである。
これをやられるとこの「？」という違和感が聴き募る
うちに実にもうなんとも居心地の悪い怪し恐ろしの気
配となってひしひしと身に迫ってくる。
で、普通の人間の部分を語るときにはまたオーソドッ
クスな音程にすとんと戻らなくてはならず、かといっ
てその落差を感じさせられると聴いている方は興醒め
になる。
そういう精妙な音程の操り方をオンヅカイ（音遣い）
というが、すぐれた太夫は、オンヅカイひとつでこの
世とあの世を行ったり来たり聴き手を振り回す、まさ
にマホウツカイなのである。
それでいて物語の骨格は「柳の木が一本すーっと通っ
てるって感じでしょ」（橋本センセイ）とあくまでか
っきりとしている。
こんなに身を乗り出して義太夫に聴き入ったのは久し
振りだった。

終演後、うだうだと閑談。
橋本センセイに「キミはこういうチャラチャラした仕
事いっぱいしてさ、『ああこいつには組織の重要な仕
事は任せられないな』って思わせてさ、早く『おめこ
ぼし』みたいな部署に左遷されちゃえばいいんだよ。
うっしっし」と言われ、感涙を催す。
ああ、このお方はなんでもお見通しなのだ。
初日打ち上げはＮ峯プロデューサー、Ｈ凡社のＳ口・
Ｆ田両氏とビールを飲みながら悪だくみをめぐらす。
チャラチャラ。

二日目はさらにパワーアップした浄瑠璃光線を浴びて
腰くだけ。
客席ではハンケチを目に当てる方が続出している。
2008年の東京新宿南口のビルの８階で、座布団に座っ
て250年前の浄瑠璃を聴いて泣いている人がいる。
こういうのは大変すばらしい文化的光景であると思う
のだが、現代日本の文化シーンにおける義太夫節をは
じめとする伝統芸能の取り扱われ方というようなもの
を思い合わせると少し暗い気持ちになる。
終演後は寛也さんのご紹介で辻原登センセイと一献と
いう、これまた夢のごとき光栄に浴する。
「私はたとえ純米大吟醸でも熱燗でいただきます。ひ
やでそこそこおいしかろうと、燗をしておいしくない
酒は、それはダメです」
「ははあ、ひやだとごまかしがきくわけですね」
「そうです。本当にいい酒はひやでも燗でもおいしい
、いや燗をしてこそお酒本来のふくよかな甘みが味わ
えるものです」
というセンセイのご指導のもと、銘酒を一合ずつ次々
にあけていく。
名高い「吉本」だけにきっとお燗の温度もよろしいの
だろう、どのお酒も個性がはっきりしているにもかか
わらず、ふわっとやさしい味がする。
肴はイカと胡瓜の塩もみ、花わさびのおひたし、ナマ
コ酢、お造り、山菜の天ぷら。
どれも美味。それになにより上品ぶっていないで量が
どどんとあるのが喜ばしい。

恥ずかしながら『遊動亭円木』『円朝芝居噺』路線の
きわめて偏った読者でしかない私は、辻原センセイが
気難しい方で酒席の途中で口をきいてくれなくなった
りしたらどうしようと密かにハラハラしていたのだが
、初めてお目にかかるセンセイは大変に色っぽいジェ
ントルマンで、いっぺんに惚れてしまいました。ぽー
。

「はなやぐらの会」にお運びいただいた皆様、どうも
ありがとうございました。
今後も精出してチャラチャラさせていただくことにし
ます。って誰に宣言を。</description>
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         <pubDate>Tue, 15 Apr 2008 08:27:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>三宅坂から新年のご挨拶</title>
         <description>えー、新年おめでとうございます。
文字どおり盆と正月だけの更新になってしまっており
ますが、本年もご贔屓賜りますようよろしくお願いを
申し上げます。

日本劇団協議会の機関誌『join』に、演劇プロデュー
サーの北村明子さんへのインタビューが載っていた。
いつもロビーで天下を睥睨なさっているお姿を遠くか
ら拝ませていただいているが、ここに開陳された北村
さんの演劇制作に関する基本方針はまことに明快で真
っ当である。
要するに舞台は「プロフェッショナルの手に成る興行
」であるということなのだが、実はいまこういうこと
をはっきり言う人は少ない。

「人が入っても赤字になるような興行をしちゃダメだ
よ。入らなかったっていうんだったらわかるけどね。
そうじゃないんだったら、最低限黒字になる興行を打
たないとダメってことでしょ。」

「公演によっては、助成金を利用させてもらおうかな
というものもありますか？」
「うん。いわゆるかけるお金、舞台費だったりなんか
が、ある程度よりいいものをつくりたいという気があ
るときにね。採算ベースじゃないところでもうちょっ
とお金かけられるんだったらかけたいというところが
あって。でも、もしそれがダメだったら身の丈の予算
を立てるしかないでしょう。いずれにしろ、助成金あ
りきで予算を立てるというのは、ちょっとマイナーじ
ゃない。（略）木戸銭頼りにして成立しないものって
、どうなんでしょう。」

「身の丈の予算」というところにご注目ください。
「だって北村さんは早くから野田秀樹みたいな天才と
組んでたわけだし、客の入る仕掛けをしやすい恵まれ
た環境にあるからそういうことが言えるんだ、ブーブ
ー」という嫉妬の声が聞こえてきそうだが、そういう
ハナクソみたいなことを言ってはいけません。

日本で形成されてきたカッコ付きの「アート・マネー
ジメント」業界では、「どうやって資金調達をするか
」、ハイカラに言うとファンド・レイジングが大きな
テーマとして喧伝されてきたし、今もされている。
狭義には、企業からの協賛金や、各種財団・官公庁か
らの補助金や助成金をいかにたくさんもらってくるか
、そういうお金集めのスキルをどんどん研鑚しましょ
うというおすすめである。
これはさかのぼればあの有名な「あらゆる芸術活動は
経済的に自立できないものである」という命題に基づ
いているし、資金調達を徹底的にマニュアル化し、そ
れに習熟していることを制作者の必須条件としている
アメリカを一生懸命に追っかけている議論である。
また日本でも現に木戸銭だけでは到底やってけない所
帯がたくさんあるからそういう話題に食いつく人がい
るわけだが、これと「木戸銭でやってけない興行に果
たして意味があるのだろうか？」という北村さんの問
いかけとは真っ向から対立する。

なーんでか（＠堺すすむ）。

アート・マネージメント、文化行政、文化政策、そう
いうアートにとっての「外部」を飛び交う言説は、興
行といういかがわしい語彙を徹底的に排除することに
よって成り立っているからだ。
オペラ・オーケストラから義太夫・講談に至るまで、
舞台公演のたぐいはいま官公庁的タームでは「芸術活
動」として括られる。
芸術は国家や社会にとって大変重要なものです。
ですからお金もあげましょう。ぜひがんばって芸術活
動を展開してください。
おおそうか。ワシらは社会的意義のある芸術活動を行
うのであるから、できるだけたくさんのお金を集めて
、少しでも規模の大きな活動を展開していかねばなら
ぬのだ。
私の目にはこういう発想が現在の舞台制作業界のメイ
ン・ストリームであるように見えてならないが、ほん
とにそれでいいのだろうか。
ヨーロッパ諸国のように文化を対外戦略の武器にする
のなら話は別だが、いま日本の業界で担ぎ回っている
社会的意義なんぞ「まあ結果としてそういう面も生じ
ますかね」という程度の話でしかない。
だいたい、たとえ資金調達のためのエクスキュースだ
ったとしても、社会のため、国家のため、なぞという
意識のちらつく場所で制作されたアートが、果たして
面白いことがあるだろうか。
だいたい「お客さん」の姿がちっとも出てこないのっ
て変でしょう。
「楽しいからやってんだべらぼうめ」「これやってな
いと生きてられないんだべらぼうめ」という極めて個
人的な衝動や欲望を体で表現する人たちがいて、その
ヘンテコな衝動や欲望を見たくてしょうがない人たち
がわざわざお金を払って集まってきて口をあけて見物
して帰る。
こういう一見プリミティヴに過ぎるような「興行」モ
デルが維持できないのであれば、それはもうホントは
「誰にとってもいらないもの」なのではないのかね、
と北村さんのはるか後方から出たり引っ込んだりしな
がら「そうだそうだ」とヤイヤイ言ってみたりなんか
するのである。
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         <pubDate>Fri, 11 Jan 2008 15:27:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>職人の時代</title>
         <description>ひさびさにシアターコクーンで芝居を観る。
モギリでは持つのに難渋するぐらいのチラシの束をず
しんと渡されて、やり場に困った。演劇などという極
めて効率の悪い経済活動がこれだけ活発に行われてい
るのは、少なくとも首都圏においては金の流通がとて
もよろしいしるしであろう。
theater-goersといわれるリピーターに対する宣伝方法
としては、紙のチラシが最高の武器である。
チケット予約はネットであっても「お、こんなのやる
のか」という最新情報入手の方法としては、江戸の引
札がいまだに生きている。
劇団や劇場のホームページでも、チラシのウラオモテ
を画像に取り込んでそのまんま掲載しているところが
結構あるが、あれはどういうもんだろう。
データ入力やデザインの手間が省けるということはも
ちろんあるだろうけれど、もしかしたらチラシの形に
収まっている方が対象を認識しやすいというような脳
機能上の特性が存在するのではあるまいか。

仕事の都合で美術館の学芸員さんとのお付き合いが多
くなったのだが、なぜ劇場には学芸員がいないのだろ
う。
というようなことを論じるには「そもそも学芸員とは
何をする人か」「そもそも日本における学芸員の起源
は」などと「そもそも」をたくさん繰り出さなければ
ならないから大変だ。
ざっとしたところが明治初期（って200年以上前ですが
）の文化政策の名残であって、そのときに美術館と博
物館は国策として行政制度の内部に組み込まれ、芝居
小屋は組み込まれなかった。そういうことである。
最近になって学芸担当とかキュレーターとかそれらし
い名前をプログラムに標示する劇場も現れてきたが、
もちろん西洋にならってのことだ。
西洋ではそういう人たちは、上演の参考になる資料の
収集・調査をやったり、古典的作品のテキスト・レジ
ーをやったり、上演記録のアーカイヴスを管理したり
しているらしいから、まあ学芸員と呼んでも差し支え
はなさそうだが、制度として身分がどう保証されてい
るのかはよく分からない。
今の日本の場合は、たぶん「一方でそういう学芸っぽ
い仕事も引き受けるプロデューサー」ぐらいの意味で
使っているものと思われるが、実際の仕事っぷりを考
えると、なんだかちょっと無理してハイカラぶってい
る感じが微赤面をさそう。
ただしプロデューサーの仕事がもっている専門性をき
ちんと社会的に評価していこうよ、という主張が込め
られているのならば、それは大いに賛成である。
なにしろこれからしばらくは職人の時代である。と勝
手に断言する。
経験的に習得された容易にマネのできない微細な専門
的技能こそが、そしてそれに喜んで対価を支払う業界
こそが、これまで以上に大いなる幸せを生む時代が続
くのではあるまいか。


では、家元は帰るぞ。
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         <pubDate>Wed, 15 Aug 2007 19:37:54 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>トゥオネラの白丁</title>
         <description>神田祭に出ることにした。
と申してもふんどし姿で神輿を担ぐわけではなく（無
理無理）、私の出るのは附祭（つけまつり）の方であ
る。
附祭とはまあ神事に付属する町人の余興のようなもの
で、みんなでハレの装束を着て趣向を凝らした山車を
曳いて練り歩くのである。

祭の歴史や詳細については他に譲るとして、実は今年
は「大江山の酒呑童子」の山車行列を復活（復元？）
しようという計画があり、福原敏男センセイ率いる「
都市と祭礼研究会」と木下直之センセイ率いるわが文
化資源学会が中心になって立ち上げた、その名も「神
田祭研究会」が考証に一役かっているのである。
この山車は源頼光 with 四天王の凱旋パレードという
趣向で、酒呑童子の大首を据えた山車を囲んで、鎧武
者や仕丁（じちょう）・女官なぞが集団で練り歩くと
いうもの。
まあそれだけっちゃそれだけのことなのだが、江戸の
昔にはこれが大変な評判になったそうで、絵巻にも残
っているその行列を丸ごと復活させようという企画で
ある。
大首はハリボテではなくて現代の見世物技術を駆使し
てバルーンで製作するという。
ね、面白そうでしょ。

さて本日の神田祭研究会はその第一回研究発表の場で
あると同時に、神前への参加奉告と配役発表の場でも
あって、われわれ参加者に「お役」が言い渡されるの
である。
ということで私に振られた役は

藤原保昌付きの旗持ちの白丁

これである。
白丁・仕丁とはいえポジションからいえば当然名題さ
んの役だろう。
たぶん幕明きには浅葱前に並んで
「ナント聞いたか。都を騒がす鬼たちの、その頭目の
酒呑童子」
とかいって6人ぐらいで鬼退治の噂話をして、
「お供揃いの刻限なれば」
「そんなら支度に」
「かかろうか」
とかいってぞろぞろ袖に引っ込むはずだ。
本舞台に板付いてチョンと浅葱が落ちて鳴物が入ると
「明神さまのお社へ、いま奉る素っ首の」
「酒呑童子をひと呑みに、今日を誉れの凱陣は」
とかなんとかちょっと渡り台詞があって、
「ただただおめでとう」
「存じまする」
とかいって頭を下げたりなんかするはずだ。
いわばそういう役どころである。
ほんとのとこは別に芝居をするわけではなくてもちろ
ん台詞もなく、保昌役の方に付き添ってそれっぽく歩
くというだけのことなのだが、そうはいってもやはり
役の性根というものがありますので。

着付の説明用に巫女役が使う緋の切袴がきていたので
興味津々でズボンの上からはいていると（変態ですな
）、禰宜のＳ水さんがやってきたので「わたしほんと
は『酒呑童子にさらわれた姫』がやりたかったんです
が」と言ったら、まじめなＳ水さんは苦笑いしながら
「いやー今のところ女形はちょっとですね…」と言葉
を濁していた。すみませんでした。でもちょっと本気
。本気と書いてマジと読む。

ところでイタリアではあちこちの町でイヤというほど
時代行列を見たが（イタリアではすべての祭りの基本
は「行列」にある）、驚いたのは日本の時代行列をこ
とごとくしょっぱいものにしている「照れ」や「素人
の過剰な張り切り」が全く見られないことである。
子供も含めて皆さん実に自然に振る舞っておられるの
で、観光的比喩ではなくてほんとにタイムスリップを
幻視する一瞬があったりして、「ああ本来の時代行列
の興趣とはこういうものか」と大いに感心した。
濃い顔立ちと派手な時代衣裳が齟齬をきたさない、あ
るいは背景となる町の風景がよく古色をとどめている
、というのも大きな要因であろうが、持って生まれた
芝居ごころというか「他人の眼に映る自分の姿」をイ
メージして具現化する力みたいなものが彼らは優れて
いるのであろうな、きっと。

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         <pubDate>Wed, 18 Apr 2007 17:41:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>弥次喜多ブロークバック</title>
         <description>先月は団体のお客様へのレクチャーが3回とやや少なめ。
客層を問わず一番反応のよかったのが「弥次喜多は実
はゲイのカップルだった」という一口こぼれ話である。
厳密にいうと二人ともバイ・セクシャル。ほんとです
よ。へええー。意外なぐらい盛り上がる会場。

栃面屋弥次郎兵衛、元は静岡の商家の若旦那。
旅役者・華水鼻之助に夢中になり、店を潰して江戸へ
駆け落ち。
鼻之助は喜多八と名前を変えて奉公に出て、財産目当
てに奉公先の奥様を誘惑したりしている。
一方の弥次郎兵衛はカタギの奥さんをもつが、持参金
目当てに奥さんを追い出して後妻を迎える。
これがなんと喜多八の孕ませた女で･･･という落語「持
参金」そのまんまのゴタゴタがあって、女はひょんな
ことから頓死、喜多八は店を追い出され、結局二人は
また一緒に住むことに。
長屋で顔を突き合せていてもしょうがねえというので
、人から金を借りたおして、鬱陶しい日常から脱出す
るように伊勢参りに出発する。

というのが『東海道中膝栗毛』の発端。
本当に自堕落で放縦などうしようもない奴らである。
特に女性に対しては、冒頭に限らずあちこちで地獄直
行三角木馬ものの極悪な応対が行われており、その筋
の方々にはぜひご一読をお勧めしたい。
なにしろ物語が始まるやいなや糟糠の妻は騙されて家
を叩き出されるし、妊婦は金目当ての見知らぬ男と結
婚させられそうになった挙句にううむと唸って死んで
しまうのだ。
しかし後の弥次喜多モノはどれもすっかり「凸凹コン
ビのずっこけ珍道中」テイストで統一されていて、こ
ういうダークな部分がきれいに排除されている。
そういう意味ではしりあがり寿センセイの『真夜中の
弥次さん喜多さん』は、原作のブラックかつセクシュ
アルな臭いを巧みに変換して残してあり、二人が床で
切ない睦言を交わすシーンまで登場するにおよんでは
弥次喜多史上の快挙と呼んでよい。
ま、『膝栗毛』そのものはその設定によって解釈がど
うのこうのと論じるべきほど文学性の高い作品でもな
かろうが、単なるお気楽凸凹コンビの観光ツアーと、
ドロドロ腐れ縁の恋人同士（ただし二人とも男）の日
常からの逃避行とでは、旅のムードもぐっと違おうと
いうものである。

というような話まではしないが、なぜか女性のお客様
はゲイ的なるものに異様に激しい反応を示されるよう
である。

なかなか温泉に行けない怨念を抱えつつ若山牧水『み
なかみ紀行』（岩波文庫）を読む。池内紀センセの編
集・解説。
私の偏愛する四万温泉をはじめ、沢渡・老神・法師と
いったあの辺の温泉が続々と登場する。
四万温泉に乗合馬車で降り立った牧水先生は、Ｔ旅館
（現存）の客引きに足元を見られて手厳しい部屋に通
され、その恨みを旅館の実名入りで書き綴っておるの
だが、これがいまも万人に読み継がれていると思うと
、げに物を書くことは恐ろしい。
他の宿に移りましょう、という連れに、
「でもさ、他に移っておんなじ扱いだともっと悲しい
よお。こういうのがここの気風なのかもよ」
「草津や伊香保にまじって最近売り出してきたからち
ょっといい気になってるんじゃないの、四万温泉は。
あーん」
と牧水先生は毒づいておられるのであるが、念のため
に申し添えておくともちろん現在のバスの終点にガラ
の悪い客引きなどいないし、Ｔは格安の別館の宿泊客
にも大変感じの良い応対をしてくれる。
知名度の割に観光地っぽいスレたいやらしさのない良
い所ですよ。四万は。第一お湯が素晴らしい。

牧水先生は脚袢に草鞋がけという時代離れした格好で
ひたすら歩き回り、風呂に入り、雑談をし、酒を飲ん
でいる。
優雅というには遠いが、誠にお羨ましい境涯である。
近世俳人以来の全国パトロネージ・ネットワークが生
きていて、というかそれ以上に歌誌という印刷メディ
アによってネットワークが拡大したのだろう。
行く先々で瞳をキラキラさせた同人に囲まれて、贅沢
さえしなければさほど懐を気にする必要はなかった様
子である。
ダテに飲んだくれていたわけではなくて、ここぞとい
うときにはもっともらしいセンセイヅラもしてみせた
のだろう。
「あかるき」はちょっとどうかねえ。いっそ「あかる
し」にしてみてはどうかね。きっぱりするでしょう。
なあるほど先生。確かにそうですね。いやあぐっと趣
が深まりました。いやま、精出して研鑚したまいよ。
おっほん。
歌の繊細さにひきかえて、酒と風呂については「うま
い酒を飲んだ」「いい湯だった」と実にそっけない感
想しか書いていないが、不思議に酒盛りの生温かい空
気や夜の風呂場で聞く川の音なぞがありありと想像さ
れる文章である。素にして実、ここらが牧水先生の散
文の本領か。
ああ、温泉行きたいなあ。
するっと体が滑り込んで、入ってるのか入ってないの
か一瞬分からなくなるようなぬるめのお湯にひたひた
と浸かりながら、深夜2時の洗い場に微醺とともに過去
への執着を流し去るのだ。ああ。
と、読んでいるうちに矢も楯もたまらなくなってきた
ので、衝動的に4月に温泉宿を予約してしまった。
意地でも行く。

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         <pubDate>Fri, 23 Feb 2007 22:24:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>お休みの一年でしたが</title>
         <description>気がついたら去年の三月から更新していなかった（や
はり表紙の日付だけは新しくなっていくが）。
えー、ごぶさたいたしまして相済みません。
間抜けですが新年おめでとうござい。

去年の三月からこっち、私は一体何をしていたのだろ
う。
手帳をぺらぺらと繰ってみたが、手帳を繰らなくても
答えは分かっている。
一、仕事。
二、育児。
以上。
総合的にはかなり不調な一年であった。
顔にひっかかった蜘蛛の巣のように、かすかにまとい
つく邪気を感じながら、時間がない時間がないと無暗
に焦りながら過ごしていた。
年男（黒沢ではない）だからといって別に良い年にな
るとは限らないということがよく分かった。

文化活動についてはほとんど休止状態の一年であった
。
仕事を除いて芝居も映画もろくに観ていない。
寄席にも行ってない。
新刊情報もフォローできていない。
論文執筆も滞ったまま、夏には「単位取得満期退学」
というかねて軽蔑していた肩書を得た。
よく硬めの本の著者略歴に載ってるやつだ。
「なんでえ、こんな妙なことを書きやがって。修了で
いいじゃねえか修了で、なあ」と下町のおやじの口調
で常々そう思っていたのだが、よく伺ってみると実は
修了とは間違っても書けない事情があったのである。
「博士課程修了」は、学位論文を提出し、それが審査
をパスし、博士の学位を取得してはれて名乗れる学歴
である。
それに対して、所定の期間課程に在籍し、所定の単位
を取得した状態で、学位を取得しないまま退学するの
を「単位取得満期退学」という。
これは所定の単位数や在籍期間を満たしていない「中
退」ともまた違う。
みなさん単位取得満期退学と書くしか道がなかったの
である。
かように世の中には自分の知らない色々な事情という
ものがあるので、迂闊に腹を立てるととんだ恥をかく
。
しかし社会では腹を立てた方が勝ち、声のでかい者が
得、というような理不尽きわまる局面がしばしばある
ので、大人たるもの上手に腹を立て声を荒げる術を知
らねばならない。
仕事場でのその辺の立ち回り方もいまひとつうまくい
かず、どうにも居心地の悪い一年であった。
加齢と不摂生による身体機能の低下に拍車がかかり、
記憶力および判断力が鈍化していることも不調の要因
の一つであろう。
その「老い」に向いたベクトルが、私を無根拠な「時
間がない」との思いに駆りたてるのではあるまいか。

では喜ばしいことはなんにもなかったのかというと、
ここでにわかに「育児」がクローズアップされること
になる。
なにしろ相手は三尺の童子であるから「今日は遅くな
るから先に一人でごはん食って風呂入って寝ててね」
と言い聞かせてもそれは無理なのであって、いつなん
どきいかなる事情があろうとも、誰かが付き添って面
倒をみてやらねばならない。
子ができるまではそういう子ゆえの時間的束縛はもの
すごく苦痛に違いないと想像していたし、現にそう感
じる方も広い世間には多かろうが、今の私は、人間の
一生の中にそういうほぼ無条件に最優先に扱われるべ
き時期があることをとても興味深く思う。
そしてそういう時期は、実はとても短い。
それに気がついてから、子どもをみていられる時間が
にわかに惜しくなって、スキあらば子どもとくっつい
ているようにした（と申しても平日の日中は無理なの
でたかがしれているのだが）。
「じゃ育児のせいで文化活動できなかったんじゃん」
とおっしゃる方がおられるかもしれぬが、そしてその
通りなのだが、だから残念無念とは思わない。
柳家喬太郎師（お元気ですかあ）の「竹の水仙」を聴
くのも、『歌舞伎新報』をそっとめくって記事を拾う
のも、子どもを膝に抱っこして絵本を読みながらとこ
ろどころに擽りを入れて笑いをとるのも、私にとって
は同じように楽しい。
不調というより去年は「お休みの年」だったというこ
とにして片付けて、さっさとバカンスの計画でも立て
ることにしようっと。てへっ。
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         <link>http://nagaya.tatsuru.com/yanai/2007/01/11_2142.html</link>
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         <pubDate>Thu, 11 Jan 2007 21:42:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>あのひと</title>
         <description>気がついたら年が明けてから更新していなかった（な
ぜか表紙の日付だけは新しくなっていくが）。
えー、ごぶさたいたしまして相済みません。

例によって稽古場暮らし。
今月は色々と興味深いことが出来するのだが、なんと
スペシャル・アドバイザーとしてあの人が登場、ダメ
出しを行うことになった。
私は真後ろ50cmの席から美しく刈り上げられた襟足越
しに稽古を見るという光栄に浴する。
「いーい？これは宝探しのお話なの。あなたが『宝』
じゃなきゃお話が成立しないのよ」
「あなたはねえ、これから起こることが全部分かっち
ゃってるの。だからお芝居がするする流れて行っちゃ
うのよ。一つ一つのお話をくっきり立ち上げなきゃ」
（娘役の人に）「いいのよ、もっと思い切ってやって
も。『男』が出てきたら言ってあげるから目一杯やっ
てごらんなさい」
（稽古終了後）「ふう、今日はなんだか男の時間が長
かったわあ」
などというせりふに椅子の上で何度も眩暈を起こす。

どんなに歌舞伎に詳しかろうと、役者でない人に役者
への演技指導はできない。
できるのは「上手から出た方がいいですよ」「刀は後
見が片付けてください」というような交通整理か、「
照明もっと暗く」「衣裳を茶系統に」というような外
付けの演出めいた行為だけ。
役者への演技指導ができるのは役者だけである。
そして演技指導をする役者さんはまず例外なく自分で
やって見せる。
だから稽古場では、あんな人のお姫様や、こんな人の
ジジイや、そんな人の丁稚など、興行ではとても見ら
れない腰の抜けるような役を目撃することができる。
でまたそれが例外なく、本役の人より上手。さすがだ
。
特に去年のあの人は、夢中になってダメ出しをするあ
まり、その場面に登場するすべての役を「こうやるん
だよ」と次々に自分でやって見せた。
わははははは。
まさにマルコヴィッチの穴。
ＣＧで『七段目』とか『太十』の全役をあの人がやっ
ているＤＶＤを作ったら、8,000円までなら買うね。
まあそれぐらい、口うつし手取り足取りの一対一での
模倣という一見極めて非効率的な方法でしか情報が伝
達されない厄介なものが芸である。

稽古の合間に来年の企画会議。
あのう常々感じておることなのですが、伝統芸能業界
に棲息する人々は「自分たちがいかにマイナーな存在
であるか」をきちんと認識なされた方がよろしいので
はないでしょうか。
世間の大多数の人々にとって、芸術など「あってもな
くてもいいもの」に過ぎない。
芸術を「あったほうがいい」と思う人々のうち、大多
数の人々にとって、パフォーミング・アーツなど「あ
ってもなくてもいいもの」に過ぎない。
パフォーミング・アーツを「あったほうがいい」と思
う人々のうち、大多数の人々にとって、伝統芸能など
（中略）歌舞伎など（中略）わが社など･･･と考えると
、わが社の公演企画など世間さまから見ればほんとに
ほんとの「どうだっていいもの」なのである。
だからどうだっていいと申しておるのではない。
「だったらどうするよ」という所から話を始めましょ
うと申しておるのである。
そういう「こんなん連れてやってまんねん」的な視点
（なんじゃそりゃ）をもっていないと、何年何十年と
いう長いスパンで勝負した日には、業界的にちょいと
やばいのではありませんか、と申しておるのである。
これでは読んでくださる方にはなんのことやらちっと
も分からないが、まあそれはそれとして。
この長屋に越してきて二年半。
今までご挨拶に罷り出なかった失礼ぶりは全くわれな
がらどうかと思うのだが、まあそれはそれとして。
このほどようやく大家さんにおめもじがかなった。
店子としてはまことにもって慶喜の感に堪えないとと
もに、「ちゃんと店賃納めないとな」の感を新たにい
たす次第なのである。</description>
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         <pubDate>Wed, 29 Mar 2006 10:45:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>舞台の舞台裏</title>
         <description>フィレンツェで大変お世話になったＮ島先生からメー
ルをいただいた。
Ｎ島先生は20年来フィレンツェに住み、大学の日本語
講座で教鞭をとられるかたわら、翻訳・エッセイでも
ご活躍。
先生のフィレンツェネタエッセイは、あの小さな町の
石畳の路地に立ったときの温度と匂いを、余すところ
なく伝えて類をみない。
お人柄も誠に温厚篤実な紳士であって、かわいい女子
学生にはことのほか親切、というあたりにも心からの
共感を禁じえないのである。
Ｎ島先生のメールによると、なんでもこんど学生が卒
論として永井荷風の『雨瀟瀟』をイタリア語訳するそ
うだ。
『雨瀟瀟』はこういう話である。
語り手は荷風を髣髴させる「私」。
その友人が、なじみの芸者に宮薗節の稽古をさせて一
人前にしよう、あわよくば家元になれまいものでもな
いと力を入れて面倒をみる。
宮薗節は浄瑠璃の一派で、荷風に言わせれば「夢の中
に浮世絵美女の私語を聞くような」、しんみりとした
情趣はあるが大変地味で古風な音曲である。
それを見込みのある芸者にひとつみっしりと仕込んで
みようという、お旦那の道楽である。
芸者は大変スジが良かったのだが、ほどなく芸をない
がしろにするようになり、挙句の果てに活動写真の弁
士とデキてしまう。
がっかりした友人は芸者とすっぱり手を切って苦笑い
。
というような顛末を手紙でやりとりしながら、「私」
は孤独な生活を続けるのであった。おしまい。
「江戸の繊細な美意識」を「粗雑で無遠慮な近代」が
侵犯していくという話の構図は分かりやすいのだが、
俳諧・漢詩・フランス語の詩に加えてもちろん宮薗節
の詞章も多々引用されるという、ペダントリーてんこ
盛りの文章である。
この注釈者泣かせの『雨瀟瀟』がどのようなイタリア
語に変貌するのかはとんと想像がつかないが、その学
生さんおよびご指導にあたられる先生方のご健闘を心
からお祈り申し上げる。

〈ほんらい、技術屋と事務屋の対立関係というのは、
技術屋が採算を度外視してできるだけ質の高いものを
作ろうとし、それに対して、事務屋が「それではコス
トが合わない」と言って質の切り下げを画策するとい
うかたちで展開するのが「常道」である。〉
というウチダセンセイのおっしゃる常道は、舞台製作
などという浮世離れした場所でもちゃんと逆転してい
る。
プロデューサーになりたての頃、予算案を作るときに
「まず見合い180％で作ってみろ」と教わった。
見合いとは収支見合いのことで、収入額に対する支出
額の割合。
チケット単価を無視して単純に言えば、必要な経費を
まかなうのにどれだけのお客さんが入れば足りるのか
、という目安になる。
見合い60％だと、チケットの60％が売れた時点でトン
トン。
それ以上売れれば、売れた分だけ黒字になる。
満員御礼・チケット完売＝100％だから、180％の見合
いを達成するためには、一回の公演に劇場の収容人数
の1.8倍のお客様が詰めかけるというＳＦ的な計算がな
されなくてはならない。
まずそういう予算を作っておいて、うまく通ればもう
けもの、通らなければ予算のあちこちをカツカツと削
りつつ顔色をうかがう、という手順である。
中には見合い180％のまま通ってしまう企画もあったし
、削っても150％とか130％とかいう赤字覚悟出血大サ
ービスの企画がほとんどであった。
そういう予算立てが許された時代があった。
さらにその昔には「客席は空いているほど美しい」と
いう言葉を残したプロデューサーもいらしたそうであ
る。
もっとも私は「見世物は見てもらってなんぼ」だと思
っているのでそういうセンスはよく分からないが、「
良い公演さえ作れば赤字でもＯＫ」というムードが長
年にわたってたちこめていたのは確かである。
さような甘美な時代が永遠に続くはずもなく、許され
る見合いの上限は150％になり、120％になり、やがて
「見合いは原則として100％を上限とすべし」とのお触
れが出されるに至った。
そんなの当然じゃないかとおっしゃられるかもしれな
いが、わが社の商品は「伝統芸能」などという因果な
シロモノであって、現在その興行によってお金をじゃ
かじゃか儲けるというのは構造的に不可能である。
「不可能である」とか言ってるからダメなのよ。現に
Ｓ竹は儲けてるらしいじゃないの。企業努力が足りな
いのよ。
とおっしゃる方には本来細かい事情をお話してなぜ不
可能なのかをご説明しなくてはならないのだが、色々
言いにくいこともあるので勘弁していただいて、実は
ほんとにそうなのである。
商業的興行は、儲かっているときはよいのだが、儲か
らないとなると容赦なく見捨てる。
伝統芸能が見捨てられ朽ち果ててしまうと困るから、
文化財保護政策の一環として伝統芸能の公開＝公演機
会を確保する、というのがわが社の公演の基本的なス
タンスである。
したがってそこに投じられるリソースの質と量は、わ
が国の文化財保護政策の「真剣度」「腹のくくり度」
の指標であって、「見合いの許容範囲」はその一つの
下部項目である。

さて劇場のキャパシティが決まっている以上、見合い
の低減はほぼ確実に予算削減を意味するのであるが、
プロデューサーの立場からこれに対処するための方策
は限られている。
収入についていえば、「お客さんが確実にどんどん入
るようなウハウハ企画をどかどか立てる」という方法
も考えられるのだがそれはプロデューサーにとって永
遠の夢と謎なのであって、最も現実的で実効性の高い
方策は「入場料金を上げる」ことである。
ただしこれは見かけ上・書類上のバーチャルな収入で
あって、値段が上がったために逃げるお客さんがいよ
うとも、それはまた別の話である。
支出を減らすための手段はいろいろある。
出演者の人数を減らす。出演者のホテルのランクを落
とす。ギャラの高い出演者は出さない。遠くに住んで
いる出演者は出さない。大道具を簡素化する。演目数
を減らす。調査・交渉のための出張はしない。
恐ろしいことに、どのオプションを選んでもワリを食
うのはお客さんなのである。
スカスカの大道具をバックに、あまり上等でない、し
かも待遇が悪いので気乗りのしてない出演者が少しだ
け出てきて、下調べの行き届いていない演出のもとに
、ちょっとだけ舞台を見せたらあっという間に終わっ
てしまう。しかもチケットの値段は上がっている。
これが舞台製作における事務屋の圧倒的勝利の末路で
ある。
現場とはいえ組織の一員として働く技術屋は、「なぜ
これが必要なのか」をウソでもいいからまくしたてて
形勢を立て直さないといけないのだが、概して事務屋
は現場の技術屋より弁が立つ。
しかもモノが舞台などというふわふわした頼りないも
のだと、説得力のある主張（『こんなに便利』とか『
こんなに儲かる』とか）を繰り広げるのは大変に難し
い。
その「アートの言い分」を考えるのもアート・マネー
ジメントの一つのお題ではあるのだが、えてしてアー
ト系の技術屋とアート・マネージメント的なる言説と
はとっても相性が悪いんだなあ、これが。困ったもん
だ。</description>
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         <pubDate>Tue, 20 Dec 2005 20:49:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>おたふく風邪余沢</title>
         <description>この齢でおたふく風邪になるとは思わなかった。
息子のおたふくが十日間の闘病を経て治ったばかり。
おたふく風邪ウィルスの潜伏期間は約二週間なので、
息子からウィルスをもらったとすると計算はドンピシ
ャである。
なので前夜に職場で「だるいなあ。なんだか耳の後ろ
がちくちくするなあ」と思った時にはすぐにおたふく
を確信した。
でも万一違っていると恥ずかしいので、Ｊ薗くんだけ
に「ひょっとしたらおたふくかもしれないから、その
時は一週間以上休むね」と耳打ちして帰宅。
翌朝はもう顔の輪郭が細野晴臣になっていた。
「おたふく」というからには頬が腫れるのかと思った
ら、耳の後ろのエラのところが腫れるのである。
病院に行って「あのう、おたふく風邪みたいなんスけ
ど･･･」と申告すると、受付の人はぎょっとした顔で掌
を上に向けて「あなたが？」というジェスチャーをし
、私がこくりと頷くと「こ、こちらでお待ちください
」と狼狽した様子で私を別室に連れて行った。
その狼狽が「いいトシしておたふく風邪？ほんとに？
」という意味なのか「ちょっとお、他の人に移さない
でよね」という意味なのかは分からないが、スペシャ
ルな接遇を受けてちょっと非日常的な気分を味わう。
痛み・発熱とも比較的軽かったのだが、顔の輪郭は細
野晴臣を経て南伸坊にまで至り、また細野晴臣に戻っ
て病は収束した。
お医者さんはコホンと咳払いをして髄膜炎などの恐ろ
しい合併症、特に睾丸炎について縷々説明してくださ
ったのだが、幸いそれもなかった。
このあいだ十日間。
ここぞとばかりに仕事をすべてほっぽり出し、たまに
職場に電話を入れて今にも死にそうな声を出し、時代
劇を見て本を読んでごろごろ寝てばかりいた。
だって感染病患者なんだもーん。てへっ。
おかげで限界に達しつつあったストレスと疲労が随分
と排出されて楽になった。
おたふくさまさまである。南無南無。</description>
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         <pubDate>Sun, 27 Nov 2005 18:40:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>アートの算盤術</title>
         <description>電話、遅すぎ。と青山ＢＣの方はさすがにおっしゃら
なかったが、まごまごしていたらウチダセンセイのト
ークショー＆サイン会はまたたく間に満員御礼になっ
てしまったそうである。当たり前か。
ちえ、またナマウチダセンセイにおめもじのチャンス
を逃してしまった。

ぐりぐりと来年度予算の作成にいそしんでいたら眼球
が痛くなった。
いまだ影も形もない来年から再来年にかけての公演に
ついて、演目やら出演者やらを勝手に想定して「なん
ぼかかるか」を算出するのである。
他の事務的な予算執行とは違って、実際に計画通りの
公演が実現する可能性はゼロに近い。
しかし「オレを信じて黙って○○万円くれ」といって
も予算はくれないので、予算要求の根拠を言葉は悪い
がでっちあげるのである。
なにしろ予算総額が妥当なセンに収まればよいのであ
るから、パソコンの中には夢のような一座による夢の
ような配役の公演が出来上がる。
しかしパソコンの中がきらびやかになればなるほど一
抹の哀しみが訪なうのも否定できぬ事実なのであった
。

一方、秋の公演準備のため楽屋の廊下を飛び回る。
「おはようございまーす」と楽屋ののれんを分けたら
目の前に細木数子が座っていて思わず「ひっ」と声が
出た。 
と思ったら細木数子に扮した中村歌江さんであった。
 
テレビで見るとおりのあの数子の髪型のかつらで、鼻
の横にちゃんとほくろを描いて、コブシ大の指輪をい
くつもはめて、黄色いパンツスーツの裾からパンスト
をはいた足が見えている。 
何か言わなくてはと思い咄嗟に「すごいですね」と言
ってしまったが失礼だったかもしれない。 
「かつらがすごいリアル」とか「指輪は自前にちがい
ない」とか「きちんとパンストもはいてるのか」とか
そんなことばかりが気になって、何を喋ったかよく覚
えていない。 
楽屋のれんは異空間へのドアである。

一方で、「日本の文化政策とミュージアムの未来－都
市政策における課題と芸術文化の役割」という難しそ
うな名前の研究会に出席。 
かつて「風雲三宅坂劇場」に書いたように、私はアー
ト・マネージメント系の言説にかなり疑問をもってい
て、というか結局は行政側のアリバイ作りに都合よく
使われるだけなんだろうなあという気がしていて、こ
ういうタイトルを見ただけで「いやあ、いいですいい
です私はちょっと」という感じなのであるが、報告者
がお二方ともかねて注目していた方であったので、た
だでさえ細いのに眠くて開かない目を一生懸命開けて
出かけたのである。ふう。

お一人は栗原一浩さん。 
武蔵野市の文化会館でクラシック音楽担当のプロデュ
ーサーをなさっておられる。
あまたある公立文化ホールが苦境に悶絶するなか、独
創的なコンサート企画を次々にヒットさせ、過去7年間
すべての公演のチケットを完売したというツワモノで
ある。
もともとは市役所職員からの出向組（といっても市長
じきじきのお声がかりだそうで）で、どうせ3年経った
ら異動だろうと思っていらしたのが、もう14年いらっ
しゃるそうである。 
かねてから「ははーん、この人はヨーロッパのモデル
を武蔵野市で実践しようという魂胆だな」と思ってい
たのであるが、お話を伺うとまさにその通り。 
こういうモデル移植がずばり的中するというのは稀有
な例であるが、ご本人もおっしゃるように、一定規模
で一定の行政的条件が整った都市だったからこそ成功
した方法であろう。 
各地方自治体の皆様は「ウチも一発」などと安易に真
似しないように。 
というか「真似」した時点で何かが終わってますから
。 

7年間不敗のツワモノだけあって、「これだけのことを
やれば売れないはずがない」「客を釣るのは簡単」「
今はわざと売れないように、『ほどほどに売れる』よ
うに企画している」などの恐ろしい言葉がぽんぽんと
出てくる。 
字ヅラだけ見るとなんと傲慢な人だろうと思われるか
もしれないが、決してそんなことはない。
興行とは「大変多くのお客様にお運びいただいて感謝
感激ですう」などという美しい言葉で済む世界ではな
い。
公立施設だろうがなんだろうが、切符を一枚でも多く
売った方がエラい。
そのためにプロデューサー＝興行師は極めて利己的か
つ狡猾な釣り師でなくてはならないのである。
栗原さんのお尻をナデナデして少しは売れ行きにあや
かろうかと思ったが、やめておく。
報告が始まる前は「現場系の人間として何か発言しな
くては、ふがー（鼻息）」と張り切っていたのだが、
おっしゃることいちいち全くもってその通りなので、
特に疑問も付け加えることもなかった。
「なるほど。いっぽうそれに比してワタクシの場合は
・・・」と「ワタクシ語り」を展開する方を研究会や
学会でよくお見かけするが、小心者のワタクシにはと
てもそんな荒々しい所業はできないのである。

栗原さんのお話をわたくしなりに総括すれば、 

　　有能な人が一人いれば事は足りる 

　　組織はその邪魔をするな 

ということである（栗原さんは『そんなこと言ってな
い』とおっしゃるかもしれないが）。 
ア－ト・マネージメント系言説の大きな弱点の一つは
、組織とか社会とかいう鳥瞰的な視点から網をかぶせ
ることに気をとられて、実はアートの原動力である「
個人のエゴイスティックな欲望」をほとんど不問に付
していることである。
アートは有能な個人の「うっせーな、おもしれーから
作ってんだよ」というエゴイスティックな欲望によっ
てのみ作られる。 
そういう猛獣めいたアーチストの欲望を「うんうん、
芸術は大切だよねえ、わかるわかる、僕たちもみんな
で協力するからね、キラキラ」という論理で掬いとろ
うとしてはいかんのである。
となると「では『公共性』は極めて個人的な営みであ
るアートとは永遠に相容れないのですか、どうなんで
すその辺は」と突っ込まれそうであるが、そんなこと
はないのである。ま、その辺の話はまた改めて。

佐藤道信さん。
「美術」という言葉、あるいはそれをめぐる様々な言
葉が、100年ほど前の日本でどのように製造されたのか
、ということを研究しておられる方である。
不肖ワタクシは100年ほど前の日本で「歌舞伎」や「型
」や「伝統」や「伝承」や「（芸の）保存」などとい
う言葉がどのように製造されたのかということに興味
をもっているので、じゃあ美術の業界ではどうだった
のかということには大変関心がある。
会の性格上「文化政策史」という枠組みにこだわられ
たのであろう、そういう通史概論的なお話よりはもっ
と局部を突っ込んだお話を個人的には期待していたの
だが、やむをえない。ってなんでえらそうなんだ。
近代文化史研究も流行して久しいものだが、目新しい
ものを探してきてぽんぽんと並べて「国民国家がなん
たら」というところに着地するのももう完全に賞味期
限切れ（当分はまだお商売になると思うが）。
やはり証拠物件を一つ一つほじくり出して手がかり足
がかりにしていく、佐藤さんのようなご研究こそが私
にとってはエキサイティングなお手本なのである。と
思わず御著書を再読。</description>
         <link>http://nagaya.tatsuru.com/yanai/2005/09/27_2018.html</link>
         <guid>http://nagaya.tatsuru.com/yanai/2005/09/27_2018.html</guid>
        
        
         <pubDate>Tue, 27 Sep 2005 20:18:05 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>修羅のごとく食らう</title>
         <description>家人には常々「あのね、休みだから旅行しようっての
は安直の極みなの。家にいて普段とは違う時間を味わ
うのがほんとの休みなの。テレビを見てごらんなさい
あの世間の混雑ぶりを。ああいやだいやだゾッとする
ね」と言い聞かせてきたが、どういう風の吹き回しか
夏休みの小旅行に。
というか、息子に「海行きたい？」と聞いたら、きら
きらした瞳で「うん！」と言われたので、そういう風
の吹き回しである。
宿は千葉の某温泉。
湖があってそこは関東有数のブラックバスの釣り場と
して有名らしいが、あいにく釣りに興味はない。
外房の海まで出る足場にちょうどよくて、涼しそうな
のと、あとは真っ黒けの温泉がお目当てである。
車を運転するのは5年ぶりぐらい。
レンタカーの営業所から道路に出るときはいきなりぶ
っつけやしないかとどきどきしたが、じきに勘を取り
戻した。
私は「ちまちまと細かく決められた手順をいささかの
間違いもなくきっちりと完遂する」のが大好きなので
、運転免許を取るときは教則本をすべて暗記し（注：
当時18歳）、実地教習で求められる操作や確認の手順
も完璧にこなした。
まあそれと実際の運転技術とは別だが、そのとき覚え
た貯金が一応役に立ったかっこうである。物事の基本
というのは覚えておいて損がない。
で、東京湾アクアラインを通って千葉まで行ってみた
が、いくら海の上とはいえ道路を通るのに3,000円はボ
り過ぎです。悪代官かよ。
途中にあるＰＡ「海ほたる」も、海の上におっ立って
いるのだから水平線を眺めるのにはいいが、完成当初
喧伝されていたほど楽しさ満載の施設というわけでは
ない。まあ要するに高速道路のパーキングエリアに過
ぎないのだから、それにしては立派ね、と申すべきか
。
東京と千葉を直線道路で直結！というのは、地図で見
るといかにも思いつきそうなアイディアだが、実はち
ょいとばかし人々の感覚とはズレた発想だったのかも
しれない。

カー・ナビ子さんの言いなりになって湖に到着。
ずっとナビ子さんの声を真剣に聞いていたら「およそ
。500。mで。左方向。です」という。機械。声が。耳
に。ついてしまった。
宿で車を降りると、ほぼ同時に釣竿を抱えた古典的釣
り人ルックの中年男女がやはり車を降りた。
もしかして釣り人の集うことで有名な宿で、夜になる
と囲炉裏を囲んで魚拓自慢が始まって「どうです。亀
山のバスの当たりはまた格別ですなあ」と話しかけら
れるような所だとどうしようかと思ったが、特にそん
なことはなく、程々に使い込まれた民宿であった。
ほとんど転げこまんばかりに待望のお風呂にとびこむ
と、こげ茶色のお湯は予想以上に濃く、浸けた掌がす
ぐに見えなくなる。
ヌルヌル感もものすごくてメカブになった気分である
。
なんでもここのお湯は湯気を吸うのも大変体にいいら
しいので、一生懸命鼻の穴を広げて蒸気を吸い込む。
5分も浸かっていると顔から汗がどどどどと噴出してき
た。
あああ大地の恵みよありがとう。
「ビールビールビール」とうわ言を言いながら探した
が自販機がなかったので、帳場にいたおねいさんに懇
願して瓶ビールを分けてもらい、湖に面した部屋のテ
ラスでごきゅごきゅとまず一杯。
だあー極楽。
予想通り湖上をわたってくる涼風がなんともはや心地
よい。
テーブルの上には久しぶりに見るアマガエル。
こういう何もしない時間が気持ちよいという感覚は、
学生時分には全く理解できなかった。
それだけ私が疲れたおっさんになってしまったという
ことなのであろう。
よかろう。ならばおっさんとしての楽しみを満喫して
やろうではないか。どんとこい。
というわけで、竹の子の甘酢漬け、山くらげのキムチ
、ヤマメの塩焼きなど、お宿手作りのシブい酒肴を食
い散らしつつ地酒を次々に飲み比べ。
うーむこりゃたまらんたまらん。
なんでも近くに久留里という名水の出る町があって、
あまり知られていないがおいしい銘酒がたんとできる
そうである。
くるり。素敵な名前の町ね。ほほほほほ。明日行って
みようかしら。
酔っ払っておネエ言葉になっているうちに目の前がく
るりくるりとしはじめた。

起きるとまたひとっ風呂浴びて、朝ごはんを鬼神のよ
うにたいらげ、海へ出陣。
びっくりするぐらいきれいな水を堪能した後、寿司屋
で地魚を修羅のごとく食らい、次なる渓谷の温泉宿へ
。
露天風呂で平泳ぎを楽しんだ後、またもやさんざっぱ
ら飲み食いしたところへ、名物・鮎の炊き込みご飯が
登場。
これはもうパス、と思ったら、あまりの美味にひと釜
いってしまう。
風呂に入るとお腹が空くものであるが、いくら温泉の
功徳とはいえ、この道中の食事量はわれながらどうか
と思う。
しかし体調はぐんぐんと良くなっている。
何物かがごりごりに鬱積していた体が、ぐっと軽くな
ってきている。不思議だ。
「おいしい空気とごちそうでのんびりリフレーッシュ
！」などというのも「けっ、そんなものなくたってリ
フレッシュぐらいできらーな」と思っていた私である
が、とうとうそんなものが抜群に効果を発揮するぐら
いのくたびれたおっさんになってしまったらしい。
ええい仕方がない、おっさんになってやろうじゃねえ
か、と諦念の境地に至る重大な契機になったことに関
しては、今回の小旅行は相当の意義あるものであった
と認めざるを得ないのである。</description>
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         <pubDate>Tue, 23 Aug 2005 10:54:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>簡単には壊れない国民</title>
         <description>なんだか更新が月イチのペースになってしまって、こ
れではいけないと思うのだけれど、更新のたびに他人
さまのお手を煩わせることを思うと、つい自分のブロ
グ「月刊ボンジョルノ」にちょこちょこと書いてしま
う。
ならそっちに一本化すればいいじゃんとおっしゃられ
ても、あんまりそういう気にはならない。
いろんなところにちょっとずつ違うことを書いている
のが楽しいのである。

一年ぶりの山梨出張。
甲府在住のＫ木元さんと旧交を温める。
Ｋ木元さんとは大学の同級生なのであるが、諸般の事
情により私よりもいくつか年上なのでさんづけでお呼
びするのである。
都内某飲み屋で衝撃的な出会いののちご結婚、二年間
ワルシャワで教員生活を送り、現地で御男子誕生、帰
国後女子高で先生をつとめておられるという、酒を飲
みながらインタビューするにはうってつけのご経験を
山ほどおもちの方なのである。

公演の都合で日曜の夜遅くになってしまったので、ち
ゃんとしたお店が開いていないということで御自宅に
お招きいただく。そんなにお気遣いいただかなくとも
。
実は一番聞きたかった話は、奥方のワルシャワでの出
産体験であった。
ベルリンに行ったとき友人に聞いた話に、お隣のポー
ランドはビンボー国ということで露骨にバカにされて
いて、国境を越えてやって来たぼろぼろの列車（確か
にそうだった）が走っていると、指をさして憫笑を与
え、国辱的ジョークをとばすドイツ人がいるそうであ
る（その辺ヨーロッパの人たちは仮借なく残酷である
）。
私はポーランドに行ったことがないが、そんな話もあ
って病院などは誠にお粗末なのではないかと想像して
いたのである。
プライベートの病院は設備が素晴らしいが、目玉の飛
び出るぐらい非常識な費用がかかる。
いっぽうＫ木元さんの身分は公務員扱いだったので、
国立病院なら基本的にタダで診てもらえる。
そこで迷わず国立病院を選んだ、「っていうか事実上
それしか無理だったのね」。
「医療水準が低いとかそういうことはありませんか」
「それ以上にとにかくタフなんですう、あそこの人た
ちは。少々のことでは壊れませーん」
いっぽう日本人の奥方は、消毒の十分でない水道水か
ら傷口が細菌感染を起こし、40度の高熱が何日も続い
たという。
医者もあわてて抗生剤をとっかえひっかえ点滴し、四
つ目に試した薬がようやく効を奏したのだそうだ。
「出産は病気じゃないから少しは費用がかかるのね。
でも病気扱いになったからおかげで治療費がタダ。は
はは。得した」
「『得した』って言うてる場合ですか！死にかけてる
じゃないすか！」
「そうともいうね。ははは」
「言葉は大丈夫だったんですか？」
「ぜーんぜん。ちっとも。たまたま少し英語の喋れる
学校の先生が同室にいてね、色々教えてもらったりし
て。ＯＫ」
ＯＫって･･･。すげえ。すごいよ奥さん。
そのワルシャワ生まれのＳ宜くんがもう５歳。
「ドリフの大爆笑」のテーマ曲にのって踊っている様
子がまことに頼もしい。やはり男の子は分かりやすく
ていいものだ。
夜も更けてまだまだ話し足りないことは次の機会とい
うことに。
おいしいワインごちそうさまでした。
「甲州ワインも高いのはおいしいけどやっぱり外国産
には負けるな」と思っていたのですが、謹んで撤回さ
せていただきます。
「シャトレーゼ」という地元のお菓子屋さんが最近始
めたワイナリーの量り売りワインだとか。白も赤も大
変美味でびっくりしました。ほんとに。</description>
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         <pubDate>Fri, 22 Jul 2005 10:00:06 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>mentor &amp; apprentice</title>
         <description>「あのう、実は歌舞伎のかつらを作る仕事をしたいんですが、どちらにご相談したらいいのか全然分からなくて。そちらでご紹介いただくことはできませんでしょうか」という電話を受けた。
「歌舞伎役者になりたい」「文楽の人形遣いになりたい」というようなお問い合わせは、それぞれ専門の養成コースがあるのでそちらの担当部署に電話がまわる。
その他の謎のお問い合わせは「伝統芸能よろづご相談窓口」である（ほんとは違うのだが）制作にまわってくるのである。
「『忠臣蔵』の初演は何年ですか」
「こんな感じの登場人物が出てくるこんな感じの歌舞伎を昔観たことがあるのだが、なんという演目であろうか」
「○○○左衛門と×××之助はどういう親戚関係になりますか」
「ウデのいい三味線屋さんを教えてほしい」
「祖父の遺品を整理していたら△△△太郎と書いた押隈（絹布を顔に押し付けて隈取りを転写したもの）が出てきたのだが、これはどういう人でしょう」
ネットや図書館でたちどころに調べのつく問題もあるが、そうでない問題もある。
とにかくこの手の問題ならまずわが社に電話すればなんとかなるかも、と連想していただけるのは、ひとまず光栄とせねばならないのかもしれない。
さて歌舞伎の裏方の職人さんになりたいというまことに貴重な金の卵さんからのお電話であるので、猫なで声で歌舞伎のかつら製作についてご説明申し上げる。
いずこを見ても後継者不足の当業界、ひょっとしてこれを機会に新しい職人さんが誕生すればしめしめである。
歌舞伎で使うかつらの製作には「かつら屋さん」と「床山さん」という二業種の職人さんが携わっている。
かつら屋さんの仕事は、まず金属製の土台を作り、役者さんの頭に合わせてフィッティングし、土台に毛を植え付けるまで。
かつら屋さんからサンバラ髪のかつらを受け取った床山さんは、まずお芝居の役柄（大名とかお姫様とかヤクザの親分とか長屋のおかみさんとか）に合わせて、次に役者さんの個性（背が高いとか顔が丸いとか首が太いとか）に合わせて、髪を結い上げていく。
あと本番の楽屋に詰めていてかつらのかけはずしやメンテナンス、舞台への登場直前の微調整をするのも床山さんの仕事である。
「というわけなのですが、もしかしてイメージなさっているのは床山さんの方でしょうか」
「は、はい、トコヤマさんです」
なにしろ歌舞伎、というか江戸文化というのは恐ろしい世界で、ちょっとした髷の太さや向き、鬢のふくらみひとつで、武張ったり粋になったり知的になったり蓮っ葉になったり、人物のキャラクターががらりと変わってしまうのである。
スタイルが本質を規定する。
このあたりのことは橋本治センセイの著述をご参照ください。
当然床山さんは、星の数ほどあるかつらの構成要素を熟知し、役柄と役者さんに応じて臨機応変に技を繰り出さなければならない。
「奥が深い」はすっかりクリシェ化してしまっているが、ほんとに一筋縄ではいかない奥底の深ーい世界なのである。
だから仕事で床山さんの楽屋を訪ねるときには「変なこと言って職人さんに怒鳴りつけられやしないか」という恐怖半分、江戸時代とおんなじことをしている超コアなプロフェッショナル集団の仕事場を覗けるというヨロコビ半分なのである。
そして床山さんは立役担当と女形担当とにきちんと分かれている。
「立役か女形か、どちらがいいとかいうご希望はおありでしょうか」
「いやあ、まだそこまでは」
「ではとりあえずいくつか事務所の連絡先をお知らせしますので、いま新規に人を採っているかどうかは分かりませんが、ひとまずご相談なさってみるとよいと思いますよ」
「どうもご親切にありがとうございました」
ぜひがむばって立派な床山さんになってくださいね。
しめしめ。

ところで「ハチミツとクローバー」「のだめカンタービレ」ときたらもう次は歌舞伎しかないと思うのですが、漫画家の皆さんどうでしょう。
伝統芸能とは縁もゆかりもない家に育った中学生がひょんなことから研修生に。
ひと癖もふた癖もある研修生仲間やお師匠さん方に翻弄されるが、芝居には天才的なセンスを発揮。
やがて謎の名女形のもとに弟子入りするが、そこでも波乱を巻き起こして･･･というような。
興味ある漫画家の方、相談にのりまっせ。
ん。でもこれって『ガラスの仮面』か。</description>
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         <pubDate>Fri, 24 Jun 2005 00:07:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>芝居者の栄光と悲惨</title>
         <description>では歌舞伎公演の稽古はどんな具合に行われるのか。

１．本読み
みんなで台本を声に出して読んでみる。
字の読み方を確認したり、言いにくい台詞を直したり、相手役との台詞の受け渡しを確認したりする。
新作やそれに近い復活狂言などの場合を除き、通常の歌舞伎ではほとんど行わない。

２．立稽古（たちげいこ）
立って動きながら台詞を言ってみる。
自分の居場所やしぐさ・移動のタイミングなどを確認する。
台本上は全く問題がなくても、いざ立ってやってみると、台詞と動きがうまく合わない、誰と誰との動線がぶつかってしまう、などの細かい問題がちょくちょく発生する。
ベテランの役者さんの「こうすりゃいいんだよ」という本当にちょこっとしたアドバイス（手の甲を下に向けるとか30cm右に座るとか）で色んなことがスルスルとうまくいくことがあって面白い。「おばあちゃんの知恵袋」という感じである。

３．附立（つけたて）
さらに音楽が入る。
ＢＧＭ演奏の開始・終了のキッカケ（タイミング）、効果音などを調整する。役者さんからは「バッタリでゴン」（効果音付きで見得をしますから、そこで鐘の音を入れてくださいね）、「ニュウ消しでつきなおして」（なんとなくフェードアウトにしておいて、次のキッカケで改めて演奏を始めてくださいね）、などの注文が出る。

４．総ざらい
稽古場で本番どおりに通してやってみる。
この総ざらいのやり方がなかなか面白い。
一日の興行を模した儀礼的な構成によって行われるのである。
総ざらいが始まるときには、ふだんの興行で開演30分前に鳴る「着到」という囃子が奏されて、それからお芝居の稽古が始まる。
すなわち一日のはじまりを示しているのである。
で、お芝居の稽古がすべて終わると、すかさず頭取さん（その興行の楽屋を仕切るマネージャー）の「とうざーい、まあず今日はこれぎりー」という口上が入り、チョンチョンチョンとキザミの柝に合わせて一同拍手。これすなわち一日のお芝居がハネたことを意味している。
続いて、終演後のお客様がお帰りになる時に鳴らす「打ち出し」の太鼓を打つ。
打ち出しを聞いて最後に「よーっ、よよよいよよよいよよよいよい」の一本締め。
一同お辞儀をして、稽古場での稽古がめでたく終了となる。
お芝居の稽古のあいだ座布団に座っていた劇場側スタッフは、稽古終了からの一連の手順の間は座布団をすべってはずしているのがしきたりである。
「これからいよいよ皆様のお力で興行を打たせていただきます、何卒よろしく」という出演者への表敬であろうか。それとも芝居の神様への表敬であろうか。よく分からない。
というように、一日の興行開始から、終演してお客様がめでたくお帰りになるまでを、全体の段取りとして模倣し再現するのである。
一種の予祝儀礼と申しましょうか。面白いでしょ。

５．舞台稽古
舞台上で全くの本番どおりにやってみる。リハーサルのこと。
舞台の寸法を体で確認するとともに、衣裳・大道具・小道具などの確認・変更を行う。
屋体（建物）の昇り降りなど稽古場とは勝手の違うことが色々あるし、特に大がかりな立ち回りや舞台転換のある時は、危険のないよう念入りに確認を繰り返す。

とまあこういうような稽古を、公演直前の数日間行う。
ご出演者の皆様はもちろん、わたくしどもスタッフにとってもまことにあわただしい日が続くのである。
で、なにが哀しいってあなた、ちゃんとしたおひるごはんが食べられないことである。
連日コンビニのパン（ならまだ良い方だが）とともに、芝居者の哀しみを噛みしめては嚥み下すのである。しくしく。</description>
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         <pubDate>Fri, 06 May 2005 21:32:23 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>歌舞伎の見方</title>
         <description>職場のおねえさまが「ちょっとちょっと」と物陰に呼ぶので、いよいよ左遷人事の話かと思ったら「あれ書いてんのあなたでしょう？私ウチダセンセイを人生の師と仰いでいるのよ、実は」と告白された。
タナコといえば子も同然というが、私は単に更新のご面倒をおかけしているだけの、通りすがりのタナコに過ぎない。
だから「センセイに応援してますって言っといてね」と言われても、「あのう、うちの職場に大ファンのおねいさんがいますう」とバカ丸出しのお口上をここに書くことしかできないのである。

私は歌舞伎を見るのが大好きだが、それを仕事にしてくれと神に跪いて祈ったおぼえはない。
またしても公演シーズンの幕明き。
これから来春までは馬車馬のように働かなくてはならない。
あんまり忙しいので歌舞伎が見られないのである。いやほんと。
行きたい芝居や寄席に好きなだけ行かせてあげるよ、と耳元で囁かれたら、私はうかうかと悪魔の足下に魂をなげだしてしまうであろう。

「歌舞伎って本番までにどれくらい稽古をするんですか」とよく聞かれる。
現代演劇やミュージカルだと一ヶ月から二ヶ月、もっとかける場合もあるが、歌舞伎ではだいたい四、五日。
前月の興行が終わってから（25日とか26日とか）当月の初日（1日とか2日とか）までの間に行うわけであるから、どうしたってそれぐらいの日数しか確保できない。
もちろん公式の稽古にかかるまでの間に、役者さんたちは台詞を覚えたり先輩に教わったりビデオを見たりして個人稽古を始めているのであるが、4日や5日の総稽古でお芝居の幕を開けるというのはいくらなんでもムチャである。
でもそういうものなのだ。
だから初日が開いてもしばらくの間はみんなが手探りである。
台詞を覚えていない人にはプロンプターとしてお弟子さんや狂言作者さんが付くので、前の方の席だと台詞が二度聞こえてお得だ。立場上許されない冗談でした。すみません。
「あっちの衣裳の方がいいや」「この台詞はカットしよう」「やっぱり正面から出て」「照明落として」と演出が変わってしまうことも多い。
古典芸能といえども細かいところは揺れているのである。
そういう諸々の変更が落ち着くのがだいたい三日目。
だから開幕から三日目を「返り初日」と呼ぶ。
わざわざこの日を指定してチケットをお求めになるお客様もいらっしゃる。
またお芝居の内容が固まって、役者さんも間違えず確実に出来るようになった状態を「初日が出た」という。「○○助さん、やっと初日が出たよ～」というように使う。
このように興行上の初日と実質的な「初日」にはタイムラグがあるのだが、大正ぐらいまでの歌舞伎はもっとすごかった。
演目が決まらない、配役で揉めている、資金繰りの不首尾など諸々の事情で、初日がずるずると延びる。
みんな「まだかなーまだかなー」と待っているといきなり「明後日初日！」みたいなお触れがある。
めでたく初日が明いたとしても、予定の演目が全部見られることなどまずあり得ない。 

時間切れになると幕の途中でも突然「今日はここまで！」と言って終わってしまう。
それで切符代を返せ、と怒る観客もいなかった。
日が経ってだんだん上演時間が縮まってくると、見られる部分が少しずつ増えてくる。 

けれども「五幕目は結局最後まで見られなかったね」「どんな話だったんだろうね」てなこともよくある。
つまり人々は、一定の時間のなかに「初め」と「終わり」のある「演劇」を見に来ているのではなくて、桟敷に座っているあいだに目の前をなんだかキレイで感動的なものが右から左に流れていく、その「あいだ」を舌なめずりしながら楽しんでいた。
別に初めから終わりまで付き合う必要はなくて、食べたいとこだけ食べて、お腹一杯になれば帰ればよい。
そういうものだったのだ。
今では考えられないが。</description>
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         <pubDate>Sat, 23 Apr 2005 19:57:10 +0900</pubDate>
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