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      <title>ヤベッチのミネソタ無宿</title>
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      <description>since Jan 2004</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
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         <title>ミネソタを遠く離れてもう二年・・・ひさしぶりに日記を更新してみました</title>
         <description>９月４日

９月に入って、少しずつではありますが暑さも和らぎ、朝晩過ごしやすくなってまい
りました。

私の部屋にはクーラーがありません。代わりに、１９９０年代初頭に製造された扇風
機が１台。色は綺麗なパステルカラーのピンクなのですが、これが和室にそぐわない
こと然り。

ただ、部屋に合っていようが合ってなかろうが、夏の必需品である事には変わりあり
ません。なんといっても、私の部屋は我が家で一番熱気がこもるのです。床が畳の岩
盤浴。わざわざお金を払って岩盤浴など行かなくても、自室で十分に熱気浴が楽しめ
てしまうのです。

毎夏、この扇風機と一緒に二人二脚で難局を乗り切っているのですが、今年は記録的
な猛暑だったせいで、特に大活躍しました。愛しの扇風機が昼夜兼行であったからこ
そ、私も昼夜健康でいられたのです。

ただ、あまりにも長時間使用したせいで、モーター部分が高温になってしまった事も
何度かありました。本当は、そのモーター部分を冷却するクーラーでもあればいいの
ですが、それでは本末転倒になってしまうので、やはりそういう時は扇風機を休ませ
てやらなければなりません。

説明書はとうの昔になくなってしまっているので、可能連続使用時間が、一体何時間
なのかも、もはや分かりません。「そろそろヤバいかも・・」と管理者が直感で思っ
た時に、モーター部分の温度調査が実施されるという次第。どこかのバス会社に限ら
ず、人にも機械にも超過勤務を強いてはいけません。

しかし考えてみると、日進月歩で多機能・コンピューター制御化が進んでいる他の家
電製品に比べれば、扇風機というのは、あまり開発・進歩がみられないような気がし
ます。

今昔や値段を問わず、扇風機というものはみな、羽とカバー、モーターなどの本体部
分から成っており、多少の大きさや形は違えども、一般日本人が想像する扇風機の図
は、似たり寄ったりなものだと思います。またその性能についても、風量調節や首振
り、リズム風やタイマーといった基本的なイメージは、共通しているでしょう。

将来、便利かつ斬新奇抜な扇風機が、市場に出回ることはあり得るのでしょうか。
「極軽扇風機」「超大型扇風機」「音声反応扇風機」。ひょっとしたら、すでに店頭
に並んでいるかもしれませんが、商況はなかなか厳しいと思います。

少し話が横道にそれますが、私は、レストランに置いてあるアンケートがなぜか好き
なようで、特にその用紙に「お客様が思いつかれた、新メニュー」コーナーがある
と、お客様の分際も弁えずに、つい真剣に考えてしまいます。

これは、ある和食レストランでのアンケートの「新メニュー」コーナーに、実際に答
えたものです。
『親子丼』―　鶏肉と卵。あるいは、鮭とイクラ。
『他人丼』―　牛肉と卵。
続く新作は・・・『子供丼』！
出し汁で煮たイクラや数の子を卵でとじ、丼飯にのせた一品。
値段やコレステロールの問題はさておき、生命エネルギーあふれる逸品です。

残念ながら、この『子供丼』なるものに、その和食レストランでは今だにお目にか
かったことはありませんが、少なくともアンケートには答えたということで、２００
円の御食事券をいただきました。ハレルヤ。

マイ丼を披露したついでに、ここでもうひとつ、私が長年、心密かに考えているアイ
ディア商品も披露してみたいと思います。それは。
『ラーメン風呂』入浴剤。
日本人の大好きなラーメン。
北は札幌ラーメンから、南は沖縄そばまで、全国津々浦々のラーメンを網羅。
ピンクがかった乳白色のトンコツ風呂や、鉄泉と紛う茶褐色の醤油風呂。
アロマ効果はもちろん、発汗作用を促すために、塩分濃度も高めです。

ラーメンと入浴剤のコラボレーション。「食べ物を入浴剤に使うのはルール違反だ」
と、周りからは反発されるのですが、みかん風呂やりんご風呂の例に倣って、ここは
ぜひどこかの会社に商品開発していただきたいものです。

と、この話の流れでいえば、扇風機も何かしらの家電製品とコラボレーションできそ
うな気がするのですが、発想力の乏しい私は、扇風機をどこから見ても「粉砕系」モ
ノしか連想できないのです。

たとえば、『シュレッダー扇風機』や『ミキサー扇風機』。子供が指を入れて危険な
のを逆手にとった製品で、恐怖の風で背筋が寒くなること間違いなし。あるいは、巻
き込みモードをお選びいただければ、無料でヘアーカットも可能な『ドライヤー扇風
機』。もはや熱くしたいのか、涼しくしたいのか不明ですが。

と。こんなつまらない事を考えながら、部屋でボーッとしている私に、今もこうやっ
て優しい風を送ってくれている扇風機。このピンクがかった乳白色のトンコツ扇風機
に感謝の意を表して、ポンコツになる最期の瞬間まで超過勤務願おうという次第であ
ります。</description>
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         <pubDate>Wed, 05 Sep 2007 17:02:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ハムスター無宿</title>
         <description>7月６日

本格的な夏の到来に向けて、温度、湿度ともに日々上昇している、今日この頃。

店員さんの３ナンバー級の口車にのせられて、せっかく買った春物の服も、あまり登
場しないままに、タンスの中で、夏眠・秋眠・冬眠に入ってしまいました。このまま
永眠、という事だけは、御免蒙りたいものです。

店頭においても、衣替えはとうの昔に終わっており、あのパステルカラーの春服達は
どこへ行ってしまったのやら。今は、見た目にも爽やかで着心地のよさそうな夏物
が、王様顔で並んでいます。

そして、７月といえば、夏物バーゲン。街中で見られるSALEの四文字は、ビビッドな
サブリミナル効果を、遺憾なく発揮中です。

というわけで、他の女性と同じく、今は東ドイツの謀者のように締まっている私の財
布の口が、アンコウのそれのようになるのは、もはや時間の問題でしょう。ズボン２
着、既に購入済みです。

SALE。和名、特売。

思い出せば、まだSALEという英単語さえ習っていなかった、中学生の頃。この『特
売』という文字のサブリミナル効果のせいで、私は、あと少しで罪もない小動物を永
眠させてしまうところでした。

それは、期末テストの最終日、手は拍手・頭は白紙で、足取り軽やかに自宅に戻る途中の事。近所のペットショップの広告が、事件の始まりでした。

『ハムスター特売！！　２１００円　→　１２００円』

学食で売っている１２０円のソフトクリームでさえ、一ヶ月に一回と決めていた頃の
話です。そう、１６０円のソフトクリームサンデーを食べる友人に対して、頑なに心
の扉を閉ざしていた、若かりしあの頃。

９００円の割引に、私の目は眩みました。

キュウヒャクエン・・・キュウヒャクエン・・・と、人魚の歌声のような甘い囁き声に誘われるままに、私はフラフラと頼りない足取りで店内に入り、一直線でレジへと直行。

店員さんとのやりとりを詳しくは覚えていないのですが、ハムスターの飼育に関して
給水器の有無をたずねられた際に、「水は、あります」と声高らかに断言して、中学
生ながらにお茶を濁した事は、はっきりと記憶しています。

数分後。ハムスターが入った紙箱を片手に呆然としていた私は、まさしく、初めて父
になってしまった男性の心境を味わっていました。嬉しい。けど、どうしよう？

たとえ安売りになっていたとしても、まさか哺乳類を買ったなどと両親に報告するわ
けにもいきません。そのような無責任な行動は、ムツゴロウ氏だって、お怒りになる
でしょう。

ましてや、畑家とは対極にある我が家。

「ともこさんは、ハムスターを飼おうと思っています。親が納得出来る言い訳を考え
て、答えて下さい。（句読点も含む。）」

字数制限がない自由答案にも関わらず、その日午前中に受けた期末試験よりもよほど難しい問題でした。

「友達の家で生まれた、ハムスターの子供をもらった」というのも一案ではありまし
たが、そのハムスターは、体は小さくても立派なアダルト。さらに、友達から頂戴す
るのであれば、事前に許可を取っていないのは、明らかに不自然です。

アダルトである事を逆手にとった、「友達の家族が、ペットが飼えないマンションに
引っ越す事になって、ハムスターを引き取る事になった」という案も、夜逃げでもな
い限り、やはり同様に事前に許可を取っていないのは不自然、という事で却下。

結局、他に名案も思いつかなかったので、古典的ではありましたが、野良動物道端拾得作戦を実行しました。ペットショップの店名が入った紙箱をエイヤっと公園のゴミ
箱に捨てて、いざ出陣。

中学生ながらに、「ハムスターが道端に捨てられていて・・・」というのは、あまり
にも信憑性に欠けているとは思いましたが、やはり思った通り作戦は失敗で、戦艦大和よりもあっけなく撃沈。作戦名が長ければいいというものではありません。

道端で拾ったなら拾ったで、それらしく泥でも塗っておけば良かったかもしれません
が、それこそ今度はネズミに間違われて、火あぶりの刑に処されていたかもしれません。あるいは都会的に、殺チュウ剤でしょうか。

そういった訳で、我が家で飼えない以上、哀れなハムスターを養子に出さねばならな
くなり、引き受け先を求めて、近所の家々を一軒ずつたずねて回る羽目になりまし
た。

「必ず幸せにするからね」と『小鹿物語』の主人公の少年に己を重ね合わせて、手中
のハムスターの不遇を嘆き、正義感に一人熱く燃えていましたが、種を蒔いたのは、他でもない自分なのですから、当たり前の話です。

が、そうなると今度は、そのハムスターが、いかに価値あるかを証明しなければなり
ません。野良動物道端拾得作戦は、むしろ逆効果となるわけですから、出身を示す
ペットショップの店名入りの箱を、先ほど考えなしに捨ててしまった事が、激しく悔
やまれました。

いくらハムスターが可愛いからといっても、そう簡単にもらい手が見つかるわけもな
し。それは、訪問販売のセールスマンが、百貨店等のカタログもなしに、ウン百万円
の高級着物を片手に、ゲリラ営業をするようなものなのです。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり。

心優しい隣人、ミセスTの配慮により、幸運なハムスターはT家に引き取られました。
人身売買をした私の徳だとは到底思えませんから、おそらくは、あのハムスター自身の徳だったのでしょう。

これは後から聞いた話ですが、そのT家ではたいそう大事にされたらしく、一度は身
売りに出された初代が天寿を全うした後も、二代、三代と続いていったそうです。

・・・と、結論から言えばメデタシメデタシだったわけですが、今にして思えば、親
の許可を得られなかった時点で、お詫びしてペットショップに戻してあげるのが最善
策だったのではないかと思われます。

中学生が小さなハムスターを片手に握り締めながら泣いて謝れば、「バーゲン品、返品お断り」社会のニッポンでも、例外が認められたに違いありません。

少なくとも、３０歳を目前にした成人女性が、９号サイズのズボンを２本ぶらさげな
がら、「すいません。これ、やっぱりなんだかキツクて・・・」と返品願を届け出る
よりかは、容易く聞き入れてもらえたはずです。

恐るべし、バーゲン。</description>
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         <pubDate>Wed, 05 Jul 2006 13:04:55 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ヤベッチおいちゃんの失神タイ旅行記</title>
         <description>行きタイの　　行きタイの　　飛んで行け～

数年前の話になりますが、かねてから「タイに絶タイ、行きタイの」と思っていた私
は、院を修了した３月、長年の夢を実現すべく、彼の地に行って参りました。

一週間の短い滞在だったにも関わらず、色々な事がありましたので、書き出すとつい長くなってしまいましたが、秋の夜長にでも読んで頂けると幸いです。

今回の旅の舞台となったのは、古い遺跡に悠久の歴史が感じられる、古都アユタヤ。
続いて、クゥエー川にかかる鉄橋が有名な、映画の舞台となったカンチャナブリ。そ
して、言わずと知れたタイの首都、バンコクの三都市です。

道連れとなったのは、友人Ｍ嬢。全く、持つべきものは友達で、社会人だった彼女
は、わざわざ有給休暇をとって、ハードな貧乏旅行についてきてくれました。感謝。
以後、Mと記させていただきます。

決してハードな貧乏旅行が好きというわけではないのです。せっかく海外旅行に行く
のですから、「行って　財布の　ヒモ締めよ」という姿勢ではなく、「贅沢は天敵」
くらいに思っているだけなのですが・・・この姿勢が悪いのでしょうか。

南国特有の高温多湿と、小学生があみ出した暗号のようなタイ文字、入国手続きのトラブル、右も左も分からずに飛び乗った電車、等々と続くと、最初の都市であるアユタヤに着いた時点で、暑さと疲労のせいで、ゴング前から早くも、二人とも失神寸前のボクサー・ジョーのような状態になっていました。

そして、目当ての宿は満室。

一時はどうなる事かと思いましたが、幸い、隣の建物でも宿泊可能との事。明らかに
民家の空室のような部屋ではありましたが、宿探し第２ラウンドに出る余裕は、もは
やボクサー・ジョーズにはなかったので、大人しくそこに決めました。

本当を言うと、バックパックを置いて、そのままマットに沈んでしまいたかったので
すが、ベッドが硬すぎるのが幸いして、沈まずに、沈めずに、次の行動に移りまし
た。

私にとって、海外旅行の宿というものは、日中に失われたヒットポイントを少しでも
回復させる所なのですが、本当にこのベッドの硬かった事、硬かった事。背骨のS字
曲線も、I字直線になりそうな背筋強制ベッド。敷布も掛布もシーツももちろんあり
ません。

一息休憩した後は、隣のちょっと洒落た木造コテージ風の宿　―　すなわち私達が当初目当てとしていた宿　―　に併設されていたレストランのテラスで、夕食をとりま
した。

トム・ヤムクンや、トム・カー・カイ（ココナッツミルクのスープで鶏肉を煮込んだ
もの）、海鮮の炒め物など、タイ旅行初日の夕食に相応しいメニューだったのです
が、いかんせん、何が具で、何が香辛料なのかも分からない状態。

とにかく、皿の中に入っているものは全て口に入れてみて、咀嚼可能だと思われるものには獅子頭のように噛み付き、顎関節の破壊が予想されるものについては、舐犢の愛を施していました。赤ん坊の気持ちが、よく分かります。アブブ。

食事後は、他の旅行客と何やら親しげに話していた現地のおじちゃんが、トゥクトゥ
クの運転手だったので、夜のアユタヤ遺跡ライトアップ・ツアーに連れて行ってくれ
ました。

トゥクトゥクというのは、モゥモゥと排煙を噴出しつつ、甲高い音をばらまきながら
走る、タイ名物の３輪の乗り物です。タクシーと違ってメーターがついてないので、
料金は交渉次第。私たちは、その夜と次の日の遺跡巡りの２日間、彼と契約をしました。

そして、このおじちゃんこそが、この旅のキーパーソンとも言うべき、ソン・モニカ
ンさんです。通称、ソンちゃま。

ソンちゃまは、年齢はおそらく４０歳前後。陽に焼けた笑顔が素晴らしい、とても気
のいいタイ人でした。タイのツウな楽しみ方を色々知っている上に、英語も堪能だっ
たので、ガイドとして申し分のない働きをしてくれました。

夜になって昼間の猛暑も和らぎ、人も車もまばらとなったアユタヤは、地方都市とし
ての落ち着きを見せ、くすんだオレンジ色の街灯に照らし出されていました。

トゥクトゥクの座席部分は、５人は優に座れる程の広さがあり、日除けの天井はつい
ているものの、壁はありません。開放感あふれるとは正にこの事で、風に吹かれながら夜のアユタヤを存分に感じる事が出来ました。時々、車内から手を振ってみると、気分は皇族トモコ妃殿下。

ただ、肝心のツアーの方はというと、遺跡の広さのわりにはライトの光が弱くて、遺
跡・ライト・アップというよりも、遺跡・ウィズ・ライトといった印象でしたが、あ
まりよく見えなかった分、翌日のアユタヤツアーが楽しみなものとなりました。

宿に帰ってきて、期待に胸を躍らせながら、背筋I字強制ベッドの上で横になった私
達。明日もハードな一日になるであろうと、熟睡を決め込んだのでありますが、そう
は問屋が卸しません。

夜は静かだったから気付かなかったのですが、薄い壁をはさんで、私のベッドのすぐ隣に、鶏小屋があったのです。それも、ペットの鶏子ちゃんのオウチ♪といった可愛いものではなく、まさしく闘鶏選手の控所。

明朝。日の出と共に、ついに控所内の混声合唱団が沈黙を破り、活動を開始し始めたのです。

耳元のすぐ傍で、バスからソプラノまで、マライア・キャリー張りのフル音域でけた
たましく鳴かれるのですから、たまりません。しかも、この団員達は、すぐに喧嘩を
始める上に、「嫌いなヤツはムシ」という、人間だったら幼稚園児でも持ち合わせて
いる社交テクも使えないのです。

あまりの騒々しさに、それこそ背筋I字強制ベッドでも放り投げて、一投両断といき
たかったものの、団員達は、野良鶏ではないので、残念ながらそれも叶わず。

部屋の反対側のベッドで寝ているMも、このとんでもないモーニングコールを無視す
る事も出来なかったようで、朝食時、バミー・ナーム（中華麺の汁そば）を食べなが
ら、眠そうに目をこすっていました。

いよいよ、アユタヤの観光が始まるわけですが、その前に、アユタヤという都市につ
いて、少し説明させていただきます。

アユタヤは、バンコクの北約80ｋｍ、川の中州にある町で、１４世紀半ばから４００
年もの間、５つの王朝、３５人の王が君臨したタイの古都です。ただ、１８世紀に
入って、ビルマ軍に侵略された際に、建造物や仏塔、仏像の多くは徹底的に破壊さ
れ、完全に廃墟と化してしまいました。

ただし、最初に訪れた史跡は、アユタヤ遺跡全体で見れば比較的保存状態も良くて、すらりと並ぶ座仏像、そしてかつては黄金に輝いていたという高くそびえる仏塔が、共に壮観でした。上から降ってくる蝙蝠の糞を、マリオ・ルイ―ジ兄弟のように
シュッシュッと避けて、クールに観光。

それにしても、恐ろしきは熱帯の猛暑。史跡を一箇所回ったというだけなのに、第一
ラウンドから早くもぐったりしてしまいました。

広々とした草原に並ぶ遺跡群の一番奥の何もない場所に、いきなりデーンと横たわる全長約３０mもの寝釈迦像を見て、「仏様もダレるんだなぁ」と妙な親近感を覚えま
したが、これは釈尊入滅時の姿勢との事。心頭滅却の釈尊が、地界の暑さごときに負けられては困ります。

ソンちゃまが気の毒に思ってか、瓶コーラを奢ってくれましたが、睡眠薬投入→犯罪
という図式を恐れて、ソンちゃまが飲むのをしっかりと見届けてから、警戒しつつ飲
みました。Mが私の前に飲んだか、あるいは後に飲んだかについては、今後の人間関係を考慮して言及しないでおきましょう。

次に訪れたのは、史跡とは何も関係のない、何故か大量のナマズがひしめきあっている川岸でした。鯰に瓢箪、と言いますが、あれだけいたら、瓢箪はおろか蛸壺でも絶対に掴めたはずです。

観光客が食べ物を投げ入れる度に、飛魚と化すナマズもあれば、争う物は中から取るというナマズもあり。年甲斐もなくはしゃいでいた私たちに、ソンちゃまが餌のパン
を買ってきてくれたのですが、「別に見ているだけでも楽しかったのに」と、Mの冷
静な呟き。

また、ソンちゃまは、観光客がいかにも喜びそうな、象に乗れるという一角にも連れ
て行ってくれました。

しかし、乗象一回２０００円。タイ語はろくに話せなくても、イッチョマエに金銭感
覚だけはタイ人と同じになっていた私たちは、「高い」という単純かつ明快な理由
で、これをお断り。

「本当に日本人かしら」とソンちゃまに疑われていたかもしれませんが、彼はそのよ
うな態度を&amp;#22127;にも出さず、それならば、と入場無料の象の保護繁殖地に連れて行ってくれました。

保護繁殖地というだけあって、前後左右、四方八方のそこら中に有象有象の集まり。
ガイドブックにも掲載されていなかったので、本来は立ち入り禁止だったのかもしれ
ません。

幸運な事に、数週間前に生まれたばかりの小象もいました。私の手を長い鼻でクルンクルンと巻いて口に持っていこうとする姿が、何とも言えず可愛い。パオパオ。実を言うと母象を刺激しないかと内心冷や冷やしていたのですが、彼女は食事に気をとられていたようで、鼻依り団子。そういえば、そろそろ私たちも、昼食の時間。よし、行くゾウ。

ガイドのプロであるソンちゃまの事ですから、今まで数多くの日本人に洒落たレスト
ランを紹介してきたのでしょうが、同時に私たちのお財布事情も既によく理解してい
た彼は、お寺の裏手にある青空食堂に連れて行ってくれました。

ソンちゃま御墨付きのカーオ・パッ・カイ（タイ風チャーハン）は、さすが現地の人
が、「美味しい」と言質を与えるだけの事はあって、山盛りだったにも関わらず、ペ
ロリと平らげてしまいました。アローイ（美味しい）。

タイ料理は、それほど日本に浸透していませんが、私たちの口にとてもよく合うと思
います。アメリカでは本場の味が安価で楽しめたので、よくタイ料理を食べに行きま
した。アメリカ人に「アメリカ料理で好きな食べ物は何？」と質問されて、「タイ料
理」と答えていた私は、日米安膳保障条約に反していたかもしれません。

昼食の後は、遺跡巡り再開です。

あるお寺に安置されていた、スリランカから渡ってきたという仏像を見た時は、その
美男子ぶりに驚かされました。グリグリしたフジツボのような髪でさえ、チャームポ
イントに見えてくるから不思議です。

しかし、このようにきちんと保存されている仏像はごく少数で、遺跡のほとんどの仏
像が、頭部だけが切り取られたまま、痛々しい姿で野ざらしにされていました。大部
分の仏塔も、苔生したレンガ積みと成果てていましたから、当時のビルマ軍の破壊行為の凄まじさは、筆舌に尽くし難いものだったと思われます。

先時、仏様に向かってイケメン発言をしていた私たちも十二分に罰当たりですが、木の根に取り込まれてしまった仏様の頭と記念写真を撮っている観光客に交じる気には、どうしてもなれませんでした。

遺跡見学の途中、熱帯地方名物のスコールにも遭いました。ただ、その時は、幸いな事に王宮跡の敷地内。ザボンという巨大なハッサクを食べながら待機していました。
ドリフのコントのように、バケツで水をかぶるような羽目にならなくて良かったで
す。ザッボーン。

王宮跡の次に訪れた所は、ガイドブックに載っていないほど、風化が進んで廃墟と化していました。ゲームの主人公の勇者を気取っていましたが、野良犬の群れに遭遇した途端に、「逃げる」のコマンドを迷わず選択した私たち。手始めに自分たちの身は救ったわけですが、世界を救えるのはいつの日か。

アユタヤに限った事ではないのですが、至る所で群れている野良犬には、本当に辟易しました。暑さのためでしょうか、皮膚病に侵されている犬達も多く、日中の暑さの
ためにグッタリしている図は、ちょっとした世紀末の様相。

夕方から翌朝にかけてが、彼等の活動時間で、基本的行動はコンビニ近くでタムロしている現代の若者の群と大差ないのですが、中には維新志士のような目をして、エドならぬヒト幕府を倒幕せんとばかりの浪犬もいました。佐幕派の私は、彼等に一吠えあびせられる度に、震度７の武者震い。命に換えても、生きるべし。

遺跡巡りの最後には、チェディという白く塗られたピラミッドのような建物の頂上に
上がりました。地平線の向こうに沈み行く真っ赤な太陽と、静かにそして厳かに、夕
陽に照らし出されたアユタヤの遺跡。

幾人の王が夢を追い、また、夢に敗れていったのかと考えると感慨深いものがありました。・・・いくら疲労が限界にきていたからといって、足裏マッサージなど言語道
断。はい。今後、道断します。

それにしても、アユタヤ観光がこんなに楽しかったのは、ひとえにソンちゃまのおか
げでした。

次々とオススメの場所に連れて行ってくれては、「シーユーアゲイン」と立ち去っ
て、私たちの観光を決して邪魔せず、そして戻るのがいくら遅くなっても、嫌な顔ひ
とつせずに待っていてくれるのです。哀れ　損ちゃま　待てど海路の日和無し。

といっても、彼は元来人好きなのでしょう。タイ語の知識はないので、詳しいやりと
りは分からなかったのですが、知り合いでもない現地の大人や子供たちとすぐ打ち解けて話したり、遊んだりしていたので、待ち時間もそこまで苦痛ではなかったのかもしれません。

悠久の歴史を感じた後は、キュウキュウの空腹を抱えて、ソンちゃま御推薦の地元のレストランへと向かいました。

英語のメニューもありませんから、彼にオーダーをおまかせしたところ、タイスキと
クン・チェー・ナンプラー（エビのサラダ）とカーオ・スアエ（ご飯）が出てきました。

タイスキとは、しゃぶしゃぶ風の鍋料理。ソンちゃま、グッドチョイス。地元の人に
も人気だそうで、ダシがしっかり効いたスープに具材の旨味も加わって、これは心に
残るほど美味でした。

しかし、実はサイドディッシュとして涼しい顔で出てきたエビのサラダの方が、本当
に心に残った・・・というより、精神的外傷を負わされました。今思い出しても、こ
のサラダに仕込まれた激辛ドレッシングは、ソンちゃまへの慰謝料請求に値するほどでした。

エビを口の中に入れた時点で、エンジン点火。一噛みで、ロケット発射。二噛みで気
圏突破。Mが先に口をつけたのか、それとも私だったのか、この時に関しては定かではありませんが、コンマ数秒で、両人ともほぼ失神状態に陥り、宇宙空間で浮遊していました。

「ひふほんははひほふはっはっは。（水飲んだらひどくなっちゃった。）」
「ほははいほうあいいひはいあお。（飲まない方がいいみたいだよ。）」
「はいふひおふうふえふひはおひふうあ。（タイスキのスープで口直しするわ。）」
「はいほうう？（大丈夫？）」
「！！！！！（あつっ）」《←閉まらない口から、こぼれおちるスープ》

お互いに必死で交信を試みるも、もう遅い。後の祭り、ピーヒャラヒャ。目、口、鼻
の穴も毛穴も、完全に開きっぱなしです。あな辛し。

ソンちゃまに聞いたところ、タイ語で、「辛い」を「ペ（ット）」と言うそうなのですが、宇宙空間に浮遊している私たちは、ペ・ヨンジュンのファンの皆様に劣らない、まさしくペペペ・コールの嵐でした。

ペペペペペペペペペペペペペペペペペペペペ
ペペペペペペペペペペペペペペペペペペペペ
ペペペペペペペペペペペペペペペペペペペペ
ペペペペペペペペペペペペペペペペペペペペ
ペペペペペペペペペペペペペペペペペペペペ

これだけ「ペ」が並ぶと、何だかハングルのようにも見えますが、汗流どころの騒ぎ
ではありません。涙、ヨダレ、鼻水は、とどまるところを知らずに次々とあふれ出て
くるので、トイレットペーパーで体内から噴出される水分を処理しては、机の上に白
い雪山を作っていました。

自分達で、この雪山の処理をした記憶はありませんから、おそらくウェイターの人が
片付けてくれたに違いありません。気の毒ではありますが、それは苦しむ私たちを見て笑った罰です。

大人しく一口で止めておけば良かったのに、悲しきは貧乏性。このサラダが、もしも
野菜だけだったら、もうそれ以上は食べなかったと思うのですが、サラダの上に鎮座
しているエビ七福神　―　ただし、全て憤怒の毘沙門天　―　を、食べずにはいられ
なかったのです。

そうはいっても、エビを二匹食べた時点で起こったビッグバン。もしも、一皿平らげ
ていたら、レストランの隣にあった川に、間違いなく二人して入水心中していた事で
しょう。凡人ごときが、毘沙門天様に敵うわけがないのです。

宇宙から帰還した飛行士のごとく、フラフラしながらレストランを後にすると、ソン
ちゃまがにこやかにお出迎え。

人生初の宇宙遊泳の報告に、彼は大笑いしていましたが、ビールを奢ってくれたの
は、彼なりの罪滅ぼしだったのかもしれません。ひょっとしたら、食い逃げならぬ、
乗り逃げを危惧しての事だったかもしれませんが。

本当を言うと、その夜でソンちゃまとはお別れのはずだったのですが、彼のおかげで本当に楽しいアユタヤ観光が出来たという事で、アユタヤからカンチャナブリ、カン
チャナブリでの観光、カンチャナブリからバンコクまで、とさらに３日間、契約を延
長しました。

翌朝も、やはり、お隣で騒ぎ立てる闘鶏選手達に対して、Ｍ共々、コメカミ筋肉運動
を行う羽目になりました。が、朝食のカーオ・トム・カイ（鶏肉入りタイ風雑炊）
に、彼等の仲間が犠牲になっているのを見て、庭鳥の鶏も大変なのだと、ヒトツマミ
の同情。

そして、朝食後。楽しかったアユタヤに別れを告げ、第２の訪問地であるカンチャナ
ブリへと出発しました。

私たちは、てっきり先日のトゥクトゥクでカンチャナブリまで行くと思っていたので
すが、なんと大サービスで、ソンちゃまが自身の御車を出してくれました。実際、トゥクトゥクでの移動だったら、道中の排気ガスに燻されて、黒い燻製になっていた
かもしれません。

ちなみに、ソンちゃまのプライベート・カーは、イスズのトラック型。「イスズは、世界一だ」と彼が力説する通り、タイではイスズの車を頻繁に見かけました。

車といえば、日本で廃車となった車が輸出されるという話を聞いた事があるのです
が、どうやらそれは事実らしく、「ＪＲ京都駅行き」という、まさにネコバスを越えた奇跡のバスが、国境など全くお構いなしに、何くわぬ顔で走っていました。

しかし、計器がどれ一つとして機能していない、ソンちゃまのイスズ号も、ある意味、奇跡の車と言えました。

確かに、ソンちゃまの運転は、恐怖の高速スピードだったので、速度については、知
らぬが仏だったかもしれません。走行距離も、車の実年齢が知れてしまうため、これ
も知らぬが仏。しかし、ガソリンのチェックさえ出来ないと聞いた時には、さすがに
仏転びしそうになりました。

ドライブ中は、せっかく英語である程度の意思疎通は図れたのですから、国際理解につながるような話でもすれば良かったのに、熱気にやられている３人の精神年齢は幼稚園児くらいにまで低下しており、「ババボボ（馬鹿）！」「コーホー（嘘）！」と
か言い合っては笑っていました。

ソンちゃま選曲のタイ音楽を聴いたり、タイ語講座を開いてもらったりする事、約３
時間。無事に、イスズ号は、カンチャナブリに到着しました。ドリアンチップの食べ
すぎで、途中気分が悪くなったりもしましたが、それは自業自得というもの。ソンちゃまの荒い運転のせいにしてはいけません。

カンチャナブリは、映画『戦場に架ける橋』で一躍有名になった町です。第二次世界
大戦中、現地の人々や何万人もの連合軍捕虜の犠牲のうえに、日本軍は泰緬鉄道を建設したわけですが、郊外にあるクゥエー川鉄橋も、悲劇の歴史を今に伝えています。

しかし、その様な過去が信じられないほどに、峠から見下ろしたクゥエー川はとても
雄大で、「フ」「レ」とまではいかずとも、「つ」「し」の字よりも見事に蛇行していました。

川の流れは速かったですし、川幅も広い上に水深も深そうに見えたのですが、ライフジャケットを着けた子供たちが、飛び込んでは、楽しそうに流されていました。日本
だったら、絶対に「飛び込み禁止」の看板が出ていると思います。

そんな恐れ知らずな子供たちを眺めながら、ふと、中国の奥地に旅行したという、あ
る友達の話を思い出しました。

何でも、川が増水して危険だったにも関わらず乗ったという、船上での出来事。他の
客が、川でバタバタと溺れている人を発見して騒いでいたら、乗組員が「彼は、もう
死んでいる。」と言って、放置したというのです。

秘孔を突かれたわけでもあるまいし、生きていなければ、バタバタする事など出来る
はずがないのに。緊急時で、どうする事も出来なかったのかもしれませんが、今で
も、中国の奥地と聞くと、どうしても身構えてしまう私です。アチョー。

さて、肝心の鉄橋ですが、ここで私たちは、『スタンド・バイ・ミー』の名シーンを再演する羽目になりました。

本当は、まだ旧泰緬鉄道の一部を走っているという列車に乗る予定だったのですが、私達が昼過ぎに着いた鉄橋付近の駅には、列車や搭乗者の気配が全くありませんでした。

時刻表と思しき紙を解読した結果、どうやら、その日の最終便はもう出て行ってしまった模様。残念。しかし幸いな事に、ガイドブックに線路は歩行可能とあったの
で、土産物屋を覘いた後、とりあえずは鉄橋方に向かって歩き出しました。

晴天の下、右手に雄大なクゥエー川を見ながら線路を歩いていると、幼き日のリバー・フェニックスのような気分になってくるではありませんか。スタン・バーイ・ミー
♪

リバー・フェニックスだなんて、オコガマシイのは百も承知ですが、こんな時にわざ
わざ給食費窃盗犯になりたいという人は、なかなかいないでしょう。隣で意気揚々と
歩いていたMだって、その心はきっとリバー君だったはず。

そして数十分後、自称リバー君二人は、ある事実にハタと気がつきます。

先ほどの土産物屋は、すっかり小さくなってしまっているし、線路下の敷木の隙間か
ら見える地上は、なんだかやけに遠い。

雀の額ほどの勇気しか持ち合わせていなかった二人は、海水浴でブイの方まで出てきた時のような不安感を覚え、一気に引き返しモードへとシフト・チェンジしました。


しかし！！

これぞ劇的、とでもいいましょうか。レールが小刻みに振動し始めると同時に、向こ
うからやってくる列車の姿が視界に入ったのです。

最初はダンゴムシ大でも、次の瞬間には、イモムシ大。ボヤボヤしていたら、モスラ
大の列車に轢かれてしまいます。モスラは、正義の味方なのに。

といっても、自分たちは、鉄橋の上。下に逃げるのも決して得策とは思えず、かと
いって、塩狩峠になるのは御免蒙りたい。

わりと近くに空き地があったのは、単なる偶然だったのか、それとも神様の思し召し
だったのか。とにかくそちらに飛び込んで、事無きを得ました。セーフ。

「あれが、最終列車だったんだね。」などと、命拾いした事を喜んでいると、熱さも
喉もとを過ぎてしまい・・・再びスタンド・バイ・ミー行進を始めてしまった二人。

そして数十分後、自称リバー君二人は、ある事実にハタと気がつきます。

先ほどの土産物屋は、もはや見えないし、線路下の敷木の隙間から見える地上は、文字通り、遠い。

猫の涙ほどの勇気しか持ち合わせていなかった二人は、海水浴で沖の方まで出てきた時のような不安感を覚え、一気にご帰宅モードへとシフト・チェンジしました。

しかし！！

これぞ劇的、とでもいいましょうか。レールが小刻みに振動し始めると同時に、向こ
うからやってくる列車の姿が視界に入ったのです。

最初はダンゴムシ大でも、次の瞬間には、イモムシ大。ボヤボヤしていたら、モスラ
大の列車に轢かれてしまいます。正義の味方、モスラの犠牲。

といっても、自分たちは、鉄橋の上。下に逃げるのも決して得策とは思えず、かと
いって、塩狩峠になるのは御免蒙りたい。

わりと近くに空き地があったのは、今度こそ、単なる偶然だったと思います。とにか
くそちらに飛び込んで、事無きを得ました。セーフ。

こうして、川の上での惨事だったにも関わらず、私たちは二度の危機を乗り越えて、
不死鳥のごとく、無事に土産物屋の所まで舞い戻りました。我等こそ、まさしくリ
バー・フェニックス。ビジュアル面は、どうぞ平にご容赦下さい。

さて。どうも話が長くなってしまいましたが、カンチャナブリでは、鉄橋以外にも、ソンちゃまのマル秘スポットである、滝つぼにも連れて行ってもらいました。

そこは、まさに天然の巨大プール。本当は、現地の子供たちに混じって、ビショビ
ショになって遊びたかったのですが、着替えも、タオルも、水着も、原始の姿に戻る
度胸もなかったので、惜しくも断念しました。

それでも、くつを脱いでズボンをまくり上げ、行けるところまで、いざ出陣。排水の
陣。

はしゃぐ私たちを、しばらくは傍で心配そうに見ていたソンちゃまでしたが、おそら
く内心は、「コケるなよー。コケてもいいけど、濡れたまま俺の車に乗るなよー」と
思っていたに違いありません。数日間、一緒だったというのに、信頼ゼロです。

しばらく遊んだ後は、せっかくだから、記念に写真を撮ろうという事になりました。

しかし、我等のお抱え運転手兼カメラマンは、遠くの安全地帯に避難しており、地元
の大人方とのおしゃべりに忙しいようで、何の役にも立ってくれません。かといっ
て、裸でハシャギ回っているお子様達には、どうも頼みにくい。

すると、運良くアメリカ人の白人の娘さんを発見したので、「あの・・写真・・」と
声をかけると、「ダディー！ダ・ディ！！ダーディー、ハリー！！！」。

別にダーティ・ハリーでもあるまいし、わざわざ父親を呼ばずとも、シャッターボタ
ンを数ミリ押すだけの仕事。汚い仕事でも何でもなかったのですが、頼んだ側として
は、もちろん大人しく待つより他はありません。

そして登場したダディは、我々の予想に反して、超スマイル。

「彼女のピクチャー？　オゥケイ、オゥケイ。　存分に撮ってくれたまえ。」

それは、勘違いデース。確かに発育はいいかもしれませんが、別にタイにまで来て、
１５歳そこそこの白人の子の水着ショットなど、要りません。しかも、ダディ、父親
としてそこでオゥケイしていいの？それとも、あなたはマネージャー？

一瞬、目がドットになりましたが、「えー、それじゃあちょっと失礼致します。」
と、控えめに一枚だけスナップを撮らせてもらいました。皆さんも、芸能人に写真を
撮ってもらう時は、お気をつけて下さい。

その夜は、カンチャナブリの川べりの、橋に灯る明かりが何ともロマンチックなレス
トランで、夕食をとりました。

ソンちゃまとも、明日でお別れです。この時ばかりは、普段はオバカな事ばかりしか
言っていない３人の間にも、ちょっとシンミリとした空気が流れました。

しかし、最後の夜という事もあって、いつにも増して熱烈なソンちゃまのラブコー
ル。

実を言うと、カンチャナブリまでのドライブの道中から、私に対して、ソンちゃまが
明らかな好意を示してくるようになっていたのです。

もちろんこちらはお客ですから、決して不快な事はしてこないのですが、明白な意思
表示は、迷惑千万というもの。警察一一〇番、迷惑一〇〇〇番。

最初のうちは、大人の礼儀だと思って、いちいち笑顔で反応を返していましたが、長
くは続きません。

最後の方は、面倒臭くなって、自分の苗字（モニカン）と、私の名字（トモコ）を勝
手にくっつけて、「トモコ・モニカン♪」と鼻歌で歌われても、流しソウメンのよう
に冷たく聞き流していました。

「チャンラッター（愛している）」と言われても、無視、虫、蟲。オバＱの弟のオー
次郎でもあるまいし、何回も繰り返さないで頂きたいものです。タイ語で愛の告白を
受ける事なんて、人生でもう２度とないのでしょうが、「オジ様と私」を地で行くつ
もりもありませんでした。

そして、助けを懇願しなかった私が悪かったかもしれませんが、ライオンのタテガミ
のようになっている私の髪を指しながら、「これで、恋愛に髪は関係ないという事が
分かったね」という、冷静かつ無礼なＭの助け舟は、終日、停泊中。

最後の晩餐でも、何を言われたのか詳しくは覚えていませんが、テーブル向こうの我が友人の目の奥に、助け舟の碇を引き上げて、全力逃走しているユダの姿が映っていた事だけは、今でもしっかりと覚えています。

船といえば、カンチャナブリで泊った宿は、川に浮かぶ筏のような板の上に建てられ
ていました。優雅な水上コテージをイメージしての事でしょうが、そこはやはり安宿
の話。

陰気臭いバスルームで、マックロクロスケのようにガサガサと移動する、ゴキブリや
名も知らぬ虫たち。

彼等の行く先を、サツキやメイのように好奇心いっぱいに追って行くには、残念なが
ら、私もMも年を取りすぎていました。天井で回転している巨大扇風機のトドロは聞
こえても、トトロは見えません。

だからといって、壁紙の模様の一部のように張り付いている大量のイモリ達を、笑っ
て焼いて食べるような経験値もありませんから、出来る限り余計な事は考えずに、
サッサと寝る事に専念して、カンチャナブリの夜を大人しく過ごしました。

さて、一夜明けて、最終目的地・バンコクへ向けて出発です。

イスズ号の後ろの荷台に寝そべって見た、真っ赤に燃える朝日があまりにも綺麗で、思わず涙法師になりそうでした。が、幸い、ソンちゃま必殺の恐怖の高速スピードが、涙防止に一役買ってくれました。

カンチャナブリからバンコクまで、決して短い距離ではなかったのですが、途中、凄
腕ガイドの計らいで、水上マーケットとスネークパーク、それにローズガーデンに寄
る事になったので、こちらも楽しい行程となりました。

タイ政府が、文化保存と観光客誘致のために開発したという、水上マーケット。観光
客用、あるいは商売用の小船が、縦横に張りめぐらされている水路に所狭しと浮いており、水路の両岸には土産物屋や雑貨屋が並んでいて、大変賑わっていました。

私たちも、小船をチャーターして、水上からその風情を思う存分楽しみつつ・・・豚
の串焼き、ラーメン、ココナッツパンケーキ、ココナッツ、マンゴー、ドリアンな
ど、それはもう一心不乱に食欲を満たしていました。イム（おなかがいっぱい）！

ここで売られている食べ物は、特にタイ国内でも衛生面に問題があると後で聞いたのですが、時すでに遅し。我が身が一身腐乱にならずに済んだのは、先日のエビ毘沙門天様の御加護があったからに違いありません。ありがたや、ありがたや。

スネークパークでは、巨大でヘビー級な蛇や、蛇遣いのお兄さんのテクニック・勇気
に対して、「おおっ」「そこまでするかっ」「なんとっ」と、月並みなテレビレポーターのような反応をしていました。

そしてここでは、念願の、蛇とマングースの決闘ショーを観る事も出来ました。

何故、この決闘ショーが念願だったかといいますと、以前、沖縄に旅行した時に観る
予定だったのに、動物愛護協会の要請か何かで、前年に中止されてしまっていたから
なのです。

マングースは爪を、そして蛇は頭をスウィングさせて、白熱の戦いを繰り広げてくれ
るはずが、変わりに行われたのは、スウィミング・ショー。それは、水をはった５
メートルほどのプラスチックのケースに、マングースと蛇を別々に放ち、どちらが速
く泳ぎきるかというものでした。

ここはもちろん、やはり同類、哺乳類のよしみで、マングースに肩入れ。

確か、途中までは蛇の方がウニョーッウニョーッと優勢だったのですが、ゴール間際
になって、ウニョウニョ・・ウニョ・・ウニョッ？ウニョッ？と一本道にも関らず、
摩訶不思議な迷子現象を起こしたために、マングースが勝利したと記憶しています。

しかし、スネークパークで、蛇もある程度は仕込めるという事を知りましたから、
ひょっとしたら、あのウニョッ？も実は演技で、スウィミング・ショーは八百長だっ
たかもしれません。

決闘ショーは、マングースと蛇が牽制し合うだけではありましたが、なかなか見応え
がありました。ただ、タイでも、いつ何時、生類憐みの令が発令されるか分からない
ので、まだ御覧になった事がないという方は、どうぞお早めに。

ローズガーデンは、外国人観光客向けに造成された総合観光レジャー施設。ここで
は、我々も大人しく、外国人観光客の肩書きに相応しく振舞い、伝統舞踊やムエ・タ
イの模擬試合、象の曲芸、タイ式の結婚式などを観させてもらいました。

もしも日本でも、このような外国人観光客向けの総合観光レジャー施設を造るのであれば、日本舞踊に相撲、猿の曲芸、神前結婚式という形になるのでしょうか。

しかし、ただでさえ、不景気でアミューズメントパーク業界は厳しい時代。こんなあ
りきたりなコンセプトでは、ラッセル・クロウの操縦する『ベン・ハー』の戦車のご
とく、ミスター・苦労の操縦する火の車が、園内を蹂躙する事になるでしょう。経営
者も大変です。

そして、たどり着いてしまったバンコク。とうとう、ソンちゃまとも涙のお別れです。

４月には「水かけ祭り（３日間にわたり街全体が水浸しになるほどの大騒ぎになると
いう、国をあげてのお祭り）があるから戻っておいで」という、嬉しい言葉をもらい
ました。いつか、今度は廃水の陣を敷く覚悟をして、行ってみたいなと思います。

コープクンカー（ありがとう）、ソンちゃま。トモコ・モニカンにはなれなかったけ
ど、本当に楽しかったです。ラコォーン（さようなら）、ここからは、自分たちだけ
で頑張ります。

というわけで、文字通り、自分たちの足で回ったバンコク。この街は、ちょうどその
中心を流れるチャオプラヤー川によって、東西に分断されています。行政域にとして
はかなり広いらしいのですが、我々は旅行客が集まる王宮周辺を主に徘徊していまし
た。

王宮周辺は、王宮はもちろん、寺院や大仏塔など観光名所が目白押しの、荘厳にして華麗なエリアだそうで、街中を歩いていると、天を突くように立ち並ぶ塔がよく見え
ました。

時間の許す限り、ガイドブック片手にこれらの名所を色々と回ってみたのですが、と
にかく色鮮やかで過剰なほどに装飾も派手なものばかり。ただ、それにもきちんとタ
イ仏教の宗教的意味があるという事なので、奥深い。同じアジアでありながら、日本
とは違うのだと改めて思いました。

全長４９メートル、高さ１２メートルという、アユタヤのそれとは比べ物にならない
ほど巨大な大寝釈迦仏にも肝を抜かれました。螺鈿細工の施された仏像の足の裏は、異常な偏平になっていて、土踏まずがありません。これは、土を踏まずに歩けるという意味で、その人が超人であることを示す身体的特徴のひとつなのだそうです。偏平足の人に、朗報。

バンコクの慢性的な渋滞緩和のために、運河を利用した公共交通機関としての運河ボートにも乗ってみたのですが、観光用ではないために、途中に大した見どころはありませんでした。さらに、市内の運河ははっきりいってドブと大差のない状態で、水はかなり汚れていたのが残念。

世界のバックパッカーが集まるカオサン通りの宿を選んだので、その周辺の大衆食堂や屋台をよく食べ歩きました。パック・ブン・ファイデーン（空心菜炒め）、プラー
・トート（魚の揚げ物）、カイ・ヤッサイ（タイ風オムレツ）、ゴイシーミー・サイ
・ムー（しょうゆ味のあんかけ麺）、トート・マン・クン（エビのすり身の薩摩揚げ
風）等々、本当に美味しかったです。

続いて、ドリアンにスイカ、ココナッツ、マンゴー、パパイヤ、ランブータン、パイ
ナップル、ランブータン、ジャックフルーツ・・・何を食べたのか、私個人の日記帳
に書いてあったものを写したのですが、それにしても食べすぎですね。

ところで、この世界のカオサン通りで、私たちに選ばれし宿は、かつては監獄だった
のかと疑ってしまうような狭さ、暗さ、味気無さでした。あんな所に閉じ込められた
ら、日付さえ分からなくなって、「ハッ、キョウは・・・」と発狂してしまうに違い
ありません。

一応、アユタヤとカンチャナブリでのお宿は、安宿とはいえ、部屋の中にシャワーと
トイレがついていました。

「シャワー・トイレ付とは、豪華な部屋じゃないか」とおっしゃる方がいるかもしれ
ませんが、もちろんそんな事はありません。カタカタと音を立てるシャワーヘッドか
らは水しか出ませんでしたし、傍にあるタイ式トイレも、これぞ魔界への入り口と
いったような不気味さ。

このタイ式トイレ。水洗といえば確かに水洗なのですが、隣に設置されてある水槽か
ら水を汲んで手動で流すという仕組み。トイレットペーパーの代わりにも、この溜め
水を使うらしいのですが・・・

結局、順応力の低い私たちは、トイレットペーパーのロールを、仲良く一人に一つず
つ持ち歩き、街中で中級ホテル（さすがに高級ホテルは不可能でした）を発見した時
は、ちょっと身なりを整えて、洋式トイレを拝借。散切頭で、西洋文化の恩恵を被っ
ていました。

水分補給についても、最初のうちはエビアンなどの西洋飲料水を飲んでいました。気付かないうちに、途中からはタイメーカーのものに変わっていましたが、たとえ汚染の可能性があると言われても、とにかく多量の汗をかくために、何度も何度も水分補給をしなければいけなかったのです。

遺跡だろうとお寺だろうと街中だろうと、とにかく歩き回る。そのうえ、私たちが利
用した宿や食堂ではエアコンなるものがなかったので、本当に日夜関係なく発汗して
いました。最近では、デトックスと呼ばれる毒素排出健康法が巷で流行しています
が、あの時の私たちは、まさにその先駆けだったと言えるでしょう。

アメリカでのプロテイン・ダイエットなど、健康維持に流行があるというのは、変な
感じもしますが、私も腹巻（発汗を促す素材の腹巻）ダイエットが流行った時に、そ
の安物の着物帯のようなものを買ってしまったクチなので、人の事は言えません。
ちょっと前までは、母のお腹に巻かれているのを見たのですが、今は何処でしょう
や。

健康維持は、日々の己の意識の持ちよう如何であるという事は重々承知しています
が、タイに来た良い機会なのだから、タイ式マッサージを受けてみようという事にな
りました。

街中にもたくさんマッサージのお店はあったのですが、せっかくだからとタイ式マッ
サージの総本山といわれるお寺に行く事に決定。

マッサージというとどうも個室のイメージが強いのですが、そのお寺では、広い会場
にマッサージをする人と受ける人が一堂に会していました。一応、背の低い仕切りが
あったので、それに従って、それぞれの組が配置されるという形。

そして、扇風機の回る入口で待つ事、３０分。

巨漢（女性です）のマッサージ師が、不機嫌にも見える顔でヌッと突如現れ、Mを連
れて去って行きました。誘拐されている気にでもなったのでしょう、ワラにも縋る思
いで私の方を何度も振り返る彼女。申し訳ありませんが、ワラワだって怖いから嫌で
ございます。

と、私の前に現れたのは、小柄で優しそうなマッサージ師。席替えで好きなコの隣に
なった時のごとく、心の中でポパイのようなガッツポーズを決めて、彼女にヒョコ
ヒョコとついていきました。よろしくお願いいたします。

手渡されたブカブカのズボンに着替えて、いよいよ施術スタートです。

タイ式マッサージはアクロバティックであるという予備知識はあったのですが、体を
足で押さえられたり、引っ張られたり、全身で押さえ込まれたりする私の姿は、まさ
しく悪役のプロレスラー。

もっとも、施術をしてくれているマッサージ師が、細身の可愛らしい人だったので、
そう思ってしまったのかもしれません。巨漢のマッサージ師と、身長１４○センチの
Mの場合だったら、明らかに、単独リンチの図だったはずです。

ところで、女性のお客には女性のマッサージ師が付くと思っていましたが、私の隣の
仕切りでは、男性のマッサージ師が西洋人のおばちゃんを相手にしていました。

彼が何かする度に、おばちゃんはその悦楽を大声で叫ぶのです。聞いているこちら
も、彼女のプライベートな一面を覗いているようで、すごく恥ずかしい。さらに彼女
は、マッサージのプロである彼に、施術についてあれこれと要求したりもしていまし
た。

私自身もまな板の上の鯉だったので、決して見られた状態ではありませんでしたが、マッサージの施術中、目は隣のおばちゃんに釘付けでした。他のマッサージ師の方々も、声にこそ出さないものの、苦笑い。

しかしながら、サービスを受ける際に、あのように自分の意見をしっかり言える彼女
は、ある意味で立派なのかもしれません。実は、私もちょっと痛い時が何度かあった
のですが、最後まで何も言えなかったのです。

そういえば以前、格安エステ体験なるものに行った時にも、「くすぐったい」という
一言を言えずに、心臓マッサージの要領で左脇上のリンパ腺のところを押さえられ
て、笑うせぇるすまんのような笑顔を浮かべながら、脂汗をかいていた私。

続く右脇は、目黒さんのような顔色になりつつも必死になって我慢しましたが、まる
でとどめのように両脇を一度に押さえられた時は、耐え切れずに、どーん！とエステ
ティシャンのお姉さんを突き飛ばしそうになりました。

マッサージやエステといった特別なサービスに限らず、美容院でのシャンプー時に目
隠しの布を乗せられる際でさえ、瞼を開けておくべきか閉じるべきか、いちいち考え
てしまう自分が、嗚呼、情けない。

カッと目を開けたまま布をかけられるのも、世に未練を残した遺体のような気になり
ますし、そうかと言って、目を閉じて布がかけられるのを待つのも、眠り姫を気取っ
ているようでイヤ。

サービスを楽しむためには、サービスを受ける側にもそれなりの心構えがいるので
す。それが対人であればなおさらです。

例えば、チヤホヤ度も金額次第、夜の世界のホストのお兄さん達によるサービス。連ねられた美辞麗句がお世辞だと分かっている以上、糠に釘のような反応になるのは、当然の話。それでも、先方に気を遣って、無理して喜ぶフリをしたところを、「あいつ、喜んで馬鹿じゃないの」などと陰口で言われたりしたら、それこそ、ホストの額
に五寸釘です。

そうそう。特に外国では夜は出掛けないようにしているのですが、タイ名物のニュー
ハーフショーは一度くらい観ておかなければという事でMと意見が一致したので、旅
行最後の夜、ガイドブックお勧めのお店へと向かいました。

しかし、夜の酒場のニューハーフショーには、犯罪の臭いがプンプンするという幻臭
を嗅いでしまった私たち。スリの標的にならないようにと、シンデレラ・ワードロー
ブの中でも選ばれた一張羅は、たとえガラスの靴がピッタリ履けたとしても、王子様
は去ってしまうほど、見事なまでのみすぼらしさでした。

加えて、トゥクトゥク代をけちって（約１００円）、熱気と排気ガスの渦巻くバンコ
クを一時間近くも速足で歩いたために、汗と埃にまみれた二人は、まさしく貧乏神の
権化。

しかし。

たどり着いた会場は、薄汚いバーでもなければ、怪しいクラブでもない。洋式トイレ
完備のエイチオーティーイーエル、それはそれは立派なホテルだったのです。

こうなると、我々こそが、怪しいスリです。シャツをズボンの中に入れようが、ズボ
ンを靴下の中に入れようが、ダメなものはダメ。もはや我等がスリに見えないように
するためには隣の紳士のジャケットでも頂戴するより、他はありませんでした。

ただ、スリとして怪しまれんがために、上着泥棒として逮捕されるというのも、いか
がなものかという事で、窃盗未遂容疑者二名はホテルのロビーを後にして、ソソクサ
と会場へと向かいました。

しかし、実際のところ、私たちが貧乏神の権化であろうが窃盗未遂容疑者であろう
が、そんな事はどうでも良いと思えるほど、このショーは豪華絢爛で素晴らしく、原
色鮮やかな衣装や、息を呑まんばかりの激しいダンスに、文字通り圧倒されました。

幸運な事に、席も一番端ではあったものの、最前列。オネエサマになりきれていな
い、オニエサマの青髭もよく見えました。

トップに君臨する女王様の美貌にうっとりしたり、オネエサマの集団に戦時中の兵隊
さんのような歓声をあげたり、オニエサマから送られるウィンクや投げキスに「どう
も」と会釈を返したりしていると、あっという間に時間は過ぎてしまいました。

と、ショー観劇中は、無邪気に楽しんでいました。

ですが、ひとしきり騒いだ後、Mと私の脳裏に浮かんだのは、「敗北」という二文
字。

そう、オネエサマ方に完全に劣る女性美。

私たちこそが、ニョニン・オリジナルのはずなのに、此、出藍ノ誉レ。いえ、青は藍
より出でずとも藍より青し、といった方が正確でしょうか。オニエサマとは互角以上
の勝負だった、とお互いに傷を舐め合うのも、空しいだけです。

それにしても、一体、男性はどのような思いでこのショーを見ているのかと思って、
何気なく客席を見渡してみました。

すると。

なんという偶然。最前列ド真ん中の席で、ニヤケ顔の知人S君を発見したのです。異
国でのニューハーフショー中の再会など、なかなか有り得ない話です。

そして、こちらからの視線にすぐに気付いた彼。どうやら、彼の方が先に私を見つけ
ていた様でした。ニョニン・オリジナルなのに、TM（タイでミリョク的に）エボ
リューションされたオネエサマを見て、ニヤケている私の姿。見られた時の恥ずかし
さといったら、自らの羽根をむしるツウさんの比ではありませんでした。痛。

ショー後、二人で大いに盛り上がって「お互いに、かぶりつきの席で良かったね」な
どと話していましたが、被り憑きのようになっていた私のボロボロ服について、スリ
対策云々と必死で言い訳をする羽目になったのは、言うまでもありません。

ニューハーフショーの興奮も冷めやらぬまま、カオサン通りに戻ると、何やらたくさ
ん露店が出ていて賑やかだったので、それらも少しだけのぞいてみました。旅行最後の夜でしたから、何となく夜更かしするのもいいかというムードだったのです。

が、結局、その夜は、隣の建物の日差しの上に飛ばされていたMのリスちゃんTシャツの救出作戦で終わり。ちょっと残念な気もしましたが、気が緩んだところをスリちゃ
んに狙われなかっただけでも、良しとしなければいけません。

そして、ついに旅行最終日。飛行機の出発時間は、残酷にも刻一刻と近づいてきま
す。

荷物を預けて、町を歩き回ってお土産を買ったり、屋台やレストランをハシゴした
り。「贅沢は天敵」と吝嗇家だった私たちも、ここにきてやっと日本人らしく物欲の
前に膝を折り、残っていたバーツ（タイのお金）をバーッと使い切りました。

帰らないといけないけれど、帰りたくない。まだまだ、タイに　いタイの。今は無理
ですが、いつか長期滞在が出来るくらいお金持ちになって、タイに戻って来たいで
す。

いタイの　いタイの　富んで行け～</description>
         <link>http://nagaya.tatsuru.com/yabe/2005/11/27_0934.html</link>
         <guid>http://nagaya.tatsuru.com/yabe/2005/11/27_0934.html</guid>
        
        
         <pubDate>Sun, 27 Nov 2005 09:34:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>さらばプリズム、ミネソタ哀車</title>
         <description>９月１３日

９月も中旬。６月下旬に日本に帰って来てから、もう早、三ヶ月が経とうとしていま
す。

幸か不幸か、アメリカに行っていた２年の間、１度も日本に帰国しなかったため、い
わゆるカウンター・カルチャーショックと呼ばれるものも、経験する事が出来まし
た。

今まで長い間住んできて、知っているはずの自分の国に驚かされるというのは、小さい頃の愛読書を読み直す時の感覚に似ていると思いました。何故かリスと信じて疑わなかった、グリとグラ（絵本の登場動物）が、ネズミだと知らされた時のショックにも似ているかもしれません・・ネズミだったとは、ネミミにミズ！

アメリカでは、聞き耳を垂直９０度にでも立てていないと、ただのBGMのラップと化
してしまっていた、周囲の人々の会話。これが日本語となると、不思議なもので、た
とえ聞く気がなくても、自然に耳に入ってくるのです。当たり前と言えば、当たり前
の話なのですが。

以前ならば、不必要な情報をシャットダウンするために、耳を餃子のようにパタンと
閉じていたと思うのですが、久しぶりに乗った電車では、御局様の生態や、試験の私見範囲、晩御飯の薄切り肉の割引率など、岩石混淆の情報を入手しては、聖徳太子様の気分を味わっていました。

そして、日本の狭い道路を、これまた所狭しと走る、自動車の美しい事、美しい事。
凹凹車もなければ、凸凸車もなし。どの車も、全て□□車の完全体。お手入れが行き
届いた車体も、ラックス・スーパーリッチ並みの輝きです。

アメリカ生活、最後の半年間は、私も一応、新車には乗っていたのですが、あくまで
この場合の「新車」とは、「新しく購入した車」という意味であって、広辞苑が示す
ような、「真新しい車」ではありません。

先任の方から購入した、フォード社のエスコート(Escort)が、今年の１月に衝突事故で廃車になってしまったため、エンジニアの知人から、やむを得ず購入したのは、
１９９０年製造の、GEO社のプリズム(Prizm)。１９９０年というと、運転手は、まだ
中学生。プリズムと言われても、光の屈折・分散を起こすガラスの三角柱ぐらいし
か、分からなかった頃です。

このプリズム氏。不満点を挙げていけば本当にキリがないのですが、まず、鍵がかかりませんでした。いえ、正確に言えば、ロックは出来るのですが、窓を叩き割ることでしか、ロックを解除出来なかったのです。

開閉が出来ない以上、閉閉か、あるいは開開かを選ばなければなりません。王手飛車取り。窓の保険はかけてはいたものの、豚の貯金箱でもあるまいし、いちいち窓を割るわけにもいきませんから、結局、私の車はいつでも開けっ放しでした。これぞ、真のオープン・カー。

逆に、トランクルームは、鍵による開閉が、ある意味、超可能だったと言えました。
すなわち、車の鍵でなくても、どの鍵でも開ける事が出来、全ての鍵が、合鍵となり
得たのです。

以前、鍵をトランクルームの中に置き忘れたまま、閉めてしまった時などは、通りす
がりの人に、不審がられながらも鍵を借りて、その場をしのぎました。訛偽の可能性
もあったというのに、よくも貸してくれたものです。知らない人に、鍵を貸してはいけませんね。

天井のシートは、わずかに垂れ下がっていたために、ちょっと体の大きい人が、私の車に乗ると、天井のシートと髪の毛の摩擦によって起こった静電気のせいで、スーパーサイヤ人と化していました。

以前、どんな方が持ち主だったかは分からないのですが、椅子には、胸が痛くなるような、タバコを焼き付けた跡も、点々と残っていました。窓も、何がおかしいのか、
質の悪いパズルのように、ガラスと枠がピッタリとは合っていないのです。高速道路
を走ると、窓の隙間に風が入って、ヒョオヒョオと音楽を奏でていました。

といっても、別に長い間乗る車でもありませんから、エンジンやブレーキに問題がな
くて、運転さえ出来ればいいと、見栄えなど、気にもしていませんでした。

日本人としては、もう少し車にこだわりを持った方がよかったのかもしれませんが、
たとえ、学校の広い駐車場にとまっている車の中で、私の車が一番ボロボロだったとしても、誰に迷惑をかけているつもりもなかったのです。

しかし、４月初めの、ある日の事です。

私の家の近くに、商店やスーパー、喫茶店や郵便局などが集まった、小さなショッピ
ング・ゾーンがあるのですが、その日も、いつも通り、そのショッピング・ゾーン前
の広場に駐車して、買い物などの雑用をすませていました。

そして、３時間ほど経ってからでしょうか、先ほどの広場に戻ってくると、何やら広
場は一面、車で埋っているではありませんか。しかも、単なる一般車ではなく、昔の
映画からとびだしてきたような、個性的な車ばかり。

狐につままれたように、あたりを見渡していると、目に飛び込んできた、金ピカの看
板。

「クラシック・カーの展示即売会！！
―　貴方のお気に入りの車、見つけて下さい　―」

嘘のような、本当の話です。

私は、車のことは全然分かりませんが、それでも、私のプリズム氏が、会場のどこか
で、自分の正体がバレないように、冷や汗をかいているに違いない、という事だけは
分かりました。その心境、まさしく、汽車で国境を越えんとする、指名手配人。

いやいやいや、待て待て待て。ひょっとしたら、展示車の雰囲気まで悪化させてしま
うという事で、早々に、どこかにレッカーされているのかもしれない・・

焦る気持ちを抑えながら、心なしかお金持ちに見える、他のお客さんに混じって、会
場を歩き回る事、数十分。ついに発見しました、私の哀車。

いつ建てられたのか、会場のメイン・ステージの近くには、中からマリリン・モン
ローが手でも振っていそうな御車ばかりだったのですが、その中に、明らかに場違いな車が一台。

どこか疲れたようにも見えるプリズム氏は、隠れ処を発見された時のサダム・フセイ
ンを想わせるものがありました。

しかし、単に、己の車を発見すればいいというわけではありません。今度は、私がそ
の中に乗り込んで、運転をして、プリズム氏諸共、排他的な上流階級の世界からの脱出を果たさねばならぬのです。ミッション・インポッシブル。トモコ・ルーズ、必至
です。

警備員やら係員やらと、「ディス・イズ・マイ・カー。ソー・ギブ・ミー・バック・プリーズ」というやり取りをするのも、決して賢明とは思われなかったので、強行突破に出ました。

さらに、コソコソと裏手を回ると、いかにも怪しくなってしまうので、まずは、「試乗しますね」という涼しい顔で乗車。

そして、「試乗しているんですよ。ああ、なんていい車♪」と、周囲の人々に愛想笑いを振りまき続け、心臓が破裂しそうになりながらも、会場のド真ん中を堂々と突っ
切って、ついに不可能なミッションの成功をおさめました。

帰宅途中、醜いアヒルの子が、白鳥に変身するという奇跡は、もちろん起きませんでした。が、この一件を通じて、共にブルジョアジーと戦った戦友として、プリズム氏
に対する愛着がわいたのも確かです。

深夜にステレオが盗まれたり、シフト・ギアが壊されたりと、この車には散々苦しめ
られましたが、それも、今となっては昔の話。あとは、後任の方の交通安全を切に願
うのみです。プリズム氏と一緒に、ミネソタの車社会を生き抜いて下さい！

今回は、始終、車の話になってしまいましたが、とにもかくにも帰国いたしました。
次回からは、アメリカやミネソタとは何も関係ない話にもなってしまうかもしれませ
んが、ひき続き、私のツブヤキにお付き合い頂ければ、幸いです。ブツブツ。</description>
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         <pubDate>Thu, 15 Sep 2005 12:18:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ではウチダも一句「行く春の峰に粗朶採るこもと熊」</title>
         <description>３月２８日
	
「せんせーえ」

ドラエモンに泣きすがるのび太ではありませんが、先日、英語（日本でいうところ
の、国語）の授業で「レッツ・メイク、Haikuの名句」という宿題が出たそうで、数
人の生徒が私の所に質問に来ました。

が。

英単語で、ファイブ・セブン・ファイブ？
さらには、季語入り？
Ah! 　Uh!  Oh!　Yah! ・・・これ、切字ですか？　

ドン＝キホーテではありませんが、なんという無謀な宿題。これで、風情のある俳句
を作れたら、それこそ無帽脱帽です。惨著になる事など、初めから分かりきっている
事。ヨシナッテ。

とは思ったものの、我にもすがる、可愛い生徒を無視するわけにもいきませんから、


『ミネソゥタ　　ベリベリコールド　　オーマイガッ』

などと、その場の思いつきで、風情もヘチマもないような案を出してみたりもしまし
た。日本人としては、思わず耳を覆う様な出来の悪さですし、おそらく、アメリカン
にとっても、耳にオォウだったに違いありません。

根っから葉っから俗人の私には、どうも川柳の方が身近に感じられるのであります。


日本でも、私には、俳句を吟ずるような高尚な趣味はありませんでしたが、それでも
新聞や雑誌などの川柳コーナーは、興味本位で読んでは、アハハと笑っていました。


日本語の総本山、広辞苑によると、川柳とは、
「・・・多く口語を用い、人情・風俗、人生の弱点、世態の欠陥等をうがち、簡潔・
滑稽・機知・諷刺・奇警が特色・・・」
となっています。

上記の定義に当てはまるかどうかは、全くの疑問ではありますが、今回は、私が手当
たり次第、こちらの生活で気付いた事を、無主題で詠んでみました。

『ミネソタ川柳』。高尚とはほど遠いかと思われますが、皆様が哄笑されますよう、
心密かに願っております。

＜生活編＞

・『グッドバイ　　切り捨てゴメン　　名残ゼロ』

「（前略）じゃ、またね。」
「うん。電話してくれて、ありがとう。そういえば、この前も・・・（中略）・・・
あ、もうこんな時間？切らなくちゃね。」
「わあ、本当だ。いつもこうやってダラダラ話しちゃうから・・・（後略）」

電話の最後。日本人によく見られる、果てしなく続く、別れ言の応酬。別れの袖の長
い事、源氏物語の婦人方に御登場願うほどです。ヨヨヨヨ。

それにしても、「袖を濡らす」という表現は、艶っぽくていいなと思いますが、これ
が「袖を絞る」となってくると、スーッと興醒めしてしまうのは、私だけでしょう
か。

いいえ、絞って出てくるのが、涙だけなら美しいかもしれませんが、鼻腔と涙腺は、
決して無関係ではないのです。せっかく他人様の目につかないように処理したもの
を、ゴマ油でもあるまいに、わざわざ搾り出すとは、いかなる了見か。

いきなり脱線してしまったので、別れの袖について、話を戻しますが、アメリカ人の
お袖は、いと短し。

「じゃあね」と口にした瞬間、プープープー。別れの袖など、欠片もありはしませ
ん。マリリン・モンローが着用していそうな、お見事なノースリーブ。アメリカ人
は、名残がお長いのがお好きではないのです。

電話に限らず、別れ際の潔い事といったら、壇ノ浦の二位尼。あるいは、斬り捨て御
免のオサムライ。いったん「グッドバイ」と言ったら、後は一度も振り返らずに、ス
タスタスタ。ずっと姿が見えなくなるまで見送っている、日本人サイドの心は、ズタ
ズタズタです。

「別れ際、ちょっぴり後ろを振り返って手を振れば、ポイント・アッ・プ、間違いな
し★」

少女雑誌の恋愛コーナーにでも載っていそうな、安っぽいアドバイスですが、異文化
理解のためにも、アメリカ人の友人・知人・生徒に、一度言ってみる価値はあるかも
しれません。

もっとも、こんな事を書いている私自身、別れ際の往生際が、これまた非常に悪い。


［｛（少し歩く＋振り返る）×２　＋　手を振る｝×２　＋　「バイバイ」と言う］
　×２

西部劇であれば、八百長だらけの決闘シーンになる事、間違いなしでしょう。過ぎた
るは、猶及ばざるが如し。美しい別れ、とは難しいものです。


・『ゴーダイバ　　エクスペンシブ　　チョコレート』

ゴーダイバ。初めて聞いた時は、「御（お）台場のチョコレート？」と思ってしまい
ました。実際、お土産コーナーに並んでいそうな名前ですが、これは、チョコレート
の王者ブランド、『ゴディバ』の事です。

ちなみに、こちらのご主人方は、奥様のご機嫌をとる時は、チョコレートやバラをプ
レゼントするそうで、酔った亭主が、千鳥足で寿司詰やたこ焼きを買って帰るという
のは、日本独特の文化のようです。

未来の旦那様。ワタクシは、日本の文化をこよなく愛しております。じゅる。


・『通り抜け　　トイレの花子　　敗れたり』

幸いな事に、霊感ゼロの私は、生まれてこの方、幽霊や妖怪といった類のものに御対
面した事がありません。と言って、超自然の存在を否定する気も毛頭ないので、ホ
ラー映画や怪談などを観たり聞いたりしては、制作者側の壷にマンマと嵌まってしま
います。

『あなたの知らない世界』は、『あなたの知らなくていい世界』。特に夜など、いざ
一人になった時には、シュワルツネッガーのようにムキムキ逞しく想像してしまうの
で、先時の己の怖いもの見たさを、本気で呪う羽目になります。

怖い話の元祖は、何と言ってもトイレの花子さんでしょう。

詳しくは忘れましたし、おそらく時代ごと、地方ごとに違う花子さんがいると思いま
す。昭和花子さんと平成花子さんは違うと思いますし、青森花子さんと、長崎花子さ
んにも、やはりまた相違点があるはずです。

ちなみに私の小学校では、お手洗いに入っている時、花子さんが扉をノックし、それ
に対して、「入っています」と応えた瞬間、扉が開かなくなり、トイレの中から伸び
てきた手に足を掴まれて、そのまま中に引きずり込まれるというものでした。

しかし、日本では怖れられている花子さんも、アメリカ・デビューするには、大きな
壁が立ち塞がっています。

いえ、大きな壁が立ち塞がっていないので、アメリカ進出は不可能だと言った方が正
確でしょうか。アメリカのお手洗い（個室）の壁は、壁というよりは単なる仕切りで
あって、下が３０センチ以上も開いているのです。隙間風が吹くこと、梅宮アンナと
羽賀研二の如し。

これならば、扉が開かなくなってハナコに捕まりそうになった時（洋式トイレに吸い
込まれるというのは、想像しにくいのですが）、たとえ猿飛佐助やピーターラビット
でなくても、下をすり抜ければ、苦もなく隣に移れるはずです。ハナコ、無念の敗
北。

しかし、ハナコがいないのはいいけれど、やはりどうも両側の壁の下から見える隣人
の足の動きが気になってしょうがありません。欧米文化を取り入れてきた日本です
が、和式のトイレにアメリカ式の仕切り壁、などという事態にならない事を切に願い
ます。

幸いな事に、壁の下から覗き込んでくる、礼感ゼロの小さなお子様とは、今のところ
御対面した事はありませんが、いつでも気は抜けません。


・『竜巻や　　踊らにゃソンソン　　地下籠り』

１「昨日の雷、すごかったね。避雷針に雷が落ちて、大変だったよ。」
２「え、本当？！今日は、ニュースを見てないから、知らなかったよ。」
１「ニュースになるほどの事じゃないと思うんだけど・・・」

数秒後、友人２は、「ひらいしん」が平井シンという男性ではなく、避雷針である事
に気付き、シンさんは、一命を取りとめます。「平井シンの生還」。ホッ。

空を縦横無尽に駆け巡る稲妻は、ミネソタの春の風物詩で、４月、５月頃になると、
落雷による火事のニュースが、テレビでもよく流れるようになります。

しかし、こちらの人がもっとも気にかけている天災は、なんといっても竜巻でしょ
う。積乱雲の底から漏斗状の雲が下垂して地上に達すると、風速は毎秒１００メート
ルを超えることもあり、通り道の建物、道路や木々に、甚大な被害を与えます。竜が
飛来する、とはよく言ったものです。

もっとも、この竜巻。十年に一度、あるかないかの頻度だそうで、私からすれば、道
路も車も凍りつく真冬の寒さの方が、よほど深刻だと思うのですが、天災も、毎日の
事となると、もはや天災ではなくなるようです。

竜巻に備えて、ミネソタの家は、地下室を設ける事が義務付けられています。

家の地上部だけでも、リビング、ダイニングやバスルームが二つずつ以上あるのは当
たり前という広さなので、この地下室は、明らかに蛇足なのですが、備えあれば患え
なし。蛇に足が生えれば、竜に見えない事もない。「竜足」の避難所、頼もしいでは
ありませんか。

普段の地下室の使用目的は、家によって様々です。地下室というと、陰気なイメージ
がありますが、決してそうではありません。

小さい子供がいる家は御子様の遊び場に、来客が多い家ならば来客用の部屋になりま
す。巨大なスクリーンとオーディオセットを揃えて、映画館にする家もあれば、ビリ
ヤードやバー・カウンターを取り付けて、マイ・バーにしてしまう家もあり。ミラー
ボールとステレオで、あら、ここはオシャレなダンスホール？

竜巻来襲の緊急時、ミラーボールがクルクル回るダンスホールで、踊りながら避難と
いうのは、どうも緊張感に欠けますが、「竜足」の避難所で、飛来してくる辰（竜）
をやり過ごすというのも、それはそれでミネソタの風物詩なのでしょう。「飛来辰の
静観」。ホッ。


・『超危険　　コーヒーシェイク　　廃棄せよ』

嗜好の域を通り越して、コーヒーを常飲するアメリカ人。缶コーヒーというものが存
在しないので、仕方がないかもしれませんが、１&amp;#8467;のペットボトル容器にコー
ヒーを入れて持ち歩く、という筋豆煎りの珈琲族を見ると、ペットボトルの中に正露
丸をガンガン盛りたくなります。

しのぎを削る、お馴染み「スターバックス」と、ミネソタを本拠地とする「カリブ
（北アメリカのトナカイ）・コーヒー」。私は特にこだわりはありませんから、その
時々の気分次第で色々なコーヒーショップを利用しています。ガソリンスタンドの、
超巨大８０円コーヒーを買った事もあります。

しかし、このコーヒー。一度に飲みきれずに、一時間ほど放置していました。する
と、薬剤を流し込んで固めた油のように凝固してしまったのです。

残ったコーヒーを「流す」のではなく、「捨てた」私。ポイッ。


＜社会編＞

・『お留守番　　オイテケボリは　　一一０番』

昔々、ロッキー山脈のある山間部に、母さんヤギと７匹の子ヤギが仲良く住んでいま
した。ある朝、母さんヤギは、子ヤギ達に言いました。

「母さんは、ちょっとラスベガスまで買い物に行ってくるからね。いい子でお留守番
をしているんだよ。知らない人が来ても、絶対にドアを開けてはいけないよ。」

７匹の子ヤギ達は答えました。

「はーい。」「はーい。」「はーい。」「はーい。」「はーい。」「はーい。」
「母さん、僕達だけを家に置いていくと、違法だよ。」

母さんヤギと７匹の子ヤギは、仲良く一緒にラスベガスまで買い物に行きましたと
さ。

ロッキー山脈育ちのヤギが、ラスベガスに現れようものなら、即座に高級レストラン
のメニューにワイン煮にでもなって登場しそうですが、７番目の子ヤギの言う通り、
アメリカでは、子供だけでお留守番というのは違法です。１４歳未満の子供には、必
ずベビーシッターをつけなければいけません。

昔の話ですが、ある日本人の夫婦は、気の毒にも隣人に通報されて、逮捕された事が
あるだとか。（ちなみに、アメリカの緊急時の電話番号は、１１０番ではなく、
９１１番なので、ご注意下さい。）

いきなり話はとぶようですが、私の宝物の１つに、古いテープがあります。私がまだ
まだ幼い頃、絵本を朗読してくれた母の声が収録されているのです。無邪気な私の声
も所々に入っていて、微笑ましいのですが・・・

「どうして？」「これは？」という私の質問を、ひたすら黙殺する母。
しかしまた一方で、ひらがながうまく読めないと、読めるようになるまで、徹底的指
導が入ります。
『雀の御宿』などの童謡も、私が歌った後に、即座に母御前が歌い直し。
　
客観的に聞いたとしても、私でさえ己に同情しそうになるのですが、これも母の愛の
形なのだろうと、このテープを、それは大事にしていたのでした。
　
しかし、私は、まだまだ甘かった。ここに、思いもよらなかった母の思惑が隠されて
いたのです。

数年前、台所で忙しなく夕食の準備をしている母に、テープの事を覚えているか、尋
ねてみました。

「テープ？・・・ああ、はいはい。留守番用に絵本を朗読しといた、あのテープ
ね。」

なんと！あのテープは、留守番用だったと？

アパートの片隅で、絵本を開けながら、テープを聴きつつ、母親の帰りを待っている
幼い子。健気にお留守番をしている姿を思うと、ちょっと泣けてくるではありません
か。

確かに、賢い手だとは思いますが、子供の情操教育に与える影響は、如何に。母よ。



・『選挙戦　　プリーズ・ノーモア　　ポリティクス』

前回の大統領選挙。政治に関心が高いのは大変に結構なのですが、ブッシュ派とケ
リー派に分かれて、ご近所同士が大衝突。となりのトトロも、のんびり寝ている場合
ではありません。

宣戦布告のような広告も、至る所に見られました。家の前の看板や、車に張られたス
テッカーは、ブッシュ・ケリー・ケリー・ブッシュ・ケリー・ブッシュ・ブッシュ・
・・。テレビのＣＭも、立候補者達の支持や批判ばかり。

そのような社会情勢に、高校生が影響されないわけがなく、学校でも、バンドのチー
ムが解散したり、仲間グループが崩壊したりと、大騒ぎでした。一度議論が始まる
と、どこであろうと、あまりにも白熱するので、何度も「政治話は、もうナシ！」
と、止めにかからなければなりませんでした。
　
そんな私も、いつだったか、何かの縁で、ある市長選のウグイス嬢を務める事になり
ました。

プロの御姉様方の声にウットリするのも束の間、すぐに私の番がやって来ました。白
い手袋をはめて、「オハヨウゴザイマス・・・」。首を絞められたニワトリのような
声でのアナウンス。あれのせいで、候補者は落選してしまったのでしょうか。転け
コッコー♪

いつかは、鶯鳴かせてみたいものです。・・・ん、意味が違う？はい。ごめんなさ
い。


・『救急車　　１８万円　　窮泣車』

初めての救急車の思い出は、小学校の低学年まで遡ります。

夏休みの早朝、地元の広場で行われていた、ラジオ体操。録音したテープを使ってい
るのですから、テープ体操と呼んだ方が正確なのですが、とにかく、出席スタンプを
集めればマクドナルドのＳサイズのフライドポテトをもらえるという事で、ほぼ毎
朝、律儀に出席していました。

それにしても、健康のためのラジオ体操なのに、なぜ、その御褒美がマクドナルドの
フライドポテトだったのか。我が母校は、マクドナルドから賄賂でも受け取っていた
のでしょうか。小学校時代、やや肥満気味だっただけに、気になるところです。

しかし、コナン君でも何でもない、一介の小学生が、マクドナルドと手を組んだ学校
の陰謀に気付く由もありません。ある朝、いつものごとく、ラジオ体操の後、「ポテ
トに一歩近づいた」と、喜びを噛みしめていました。

すると、何やら横断歩道の脇に出来ている人だかり。野次馬根性丸出しで近づいてみ
ると、何と、人込みの主人公は、我が兄貴ではありませんか。しかも、主人公にふさ
わしく、額からは那智の滝のような出血。
　
数分後にやってきた救急車に、ただひたすら乗りたいという一心で、「私、妹なんで
す！」と何度も叫べども、人込みの中に、声はかき消されてしまい、担架に乗せられ
た兄と、駆けつけてきた母だけが救急車の中に消えていきました。

おそらく、救急隊員の耳に、私の声は届いていたと思うのですが、妹という肩書きは
イマイチ弱かったのでしょう。悲哀を味わいながら、シスター・トモコは、トボトボ
と帰宅する事になりました。
　
結局、兄様の額の出血の原因は、自分で投げたブーメランだったそうで、正午には、
鼠の額のようなバンドエードを額に貼って、帰宅して来ました。「救急車に乗ったの
に、そんな傷・・・？」

少々腹も立ちましたが、そういえば、ドラマや漫画の主人公だって、どれだけ戦闘中
にナイアガラのような流血をしようが、次の日には、カスリ傷。頭がアガラナイ、治
癒能力の高さです。

私の人生に、再び救急車が登場したのは、それから２０年ほど時を経た、２００４年
の夏、ローマでの轢き逃げの時です。先回書いた通り、今度は妹が主人公。鼠根性を
出さずとも、救急車に乗る事が出来ました。ハレルヤ。
　
そして、三回目は、星回りがよほど悪いのか、今年に入ってからすぐ。再び交通事故
に巻き込まれてしまい、救急車で運ばれる羽目になりました。

ですが、今回は、軽いショック症状はあったものの、別に体にこれといった異変もあ
りませんでしたから、「はあ」という感じでした。運ばれた病院でも、ちょっとした
診断を受けただけで、事は済みました。むしろ、３度も点滴のための注射を失敗され
た方が辛かったです。仏の顔は、１回きり、ワン・チャンスです。
　
しかし、一週間後。７万円の請求書を見てコンマ５秒後、「はあ」は、「は
あっ？！」に転換。アメリカの救急車は高額だと聞いてはいたのですが、さすがに７
万円は高い。そして、驚くべき事に、さらに翌日、１１万円の請求書が送られてきた
のです。すなわち、合計１８万円。１万円の福袋、１８年分です。これには、肝も魂
も抜かれました。
　
費用は、全て事故を起こした先方の保険で支払われたのですが、抜かれた肝に、この
事件をしっかりと銘じ、さらに抜かれた魂は入れ替えて、今日の平和と健康に、心か
ら感謝する日々です。フライドポテトも要りません。


・『口惜しや　　いい者同士で　　ひっつくな』

一般的に、アメリカの中でも、東海岸や西海岸と比較すると、中西部（ミネソタ含
む）は保守的だと言われていますが、それでも同性愛に対しては、幾分オープン。

看板に虹マークが掲げられている店は、同性愛者歓迎のお店です。注意して見ると、
実に分かりやすいのですが、無知とは恐ろしいもの。何気なく店に入り、１０秒後、
カウンターに置かれた雑誌を見て、矢の如く店を飛び出た馬鹿者が、ここにいます。
アメリカに旅行で来られた際の参考にして下さい。

ちなみに、こちらの男性同性愛者のステレオ・タイプは、「知的・上品・お金持ち・
ハイセンス・優雅」。あくまでステレオ・タイプなのですが、私の友達の友達である
男性同性愛者の方々は、まさしくその典型例で、ミネアポリス都心の４０階にある彼
等の部屋は、雑誌の写真そのものでした。

優しく食卓を照らす、燭台に立てられた、美しいキャンドルの灯り。スプーンや
フォーク、ナプキンフォルダーまでが、インテリアに合わせられており、二段重ねに
なっているお皿は、超高級ブランド。窓から見えるミネアポリスの夜景も手伝って、
まさしく生活感ゼロの空間でした。住めば都と言いますが、出来る事ならば、ああい
うところに、遷都したいものです。

そんな事を考えながら、仲睦まじくお互いの膝に手を置き、熱く見つめ合う恋人達
を、私も負けずに、熱く盗み見していました。

６１億人÷２＝２０億カップル余り２１億人、という赤点の算数にならぬためにも、
あまりいいカードでひっつかずに、ぜひ女子にも少々回して頂きたいものです。え
え。


＜学校編＞

・『先輩風　　風速ゼロの　　凪状態』

中学生時代、私はテニス部に属していました。私の学校の中では、先輩後輩の上下関
係が最も厳しいクラブのひとつで、「先輩でさえあれば、多少横暴に振舞ってヨシ」
という、ニッポン裏社会の基礎を、ここで学んだような気がします。

それにしても、大体、３歳年上の兄にさえ、敬語など使っていないのに、たかだか１
歳、２歳年上の先輩に対して、なぜオキアガリコボシのように頭を下げなくてはなら
なかったのでしょうか。

今考えても、疑問は尽きません。

夏期の練習中、なぜ、先輩は日陰で柔軟体操をしてもいいのに、後輩は、わざわざ日
向に出なくてはならなかったのか。

ウォータークーラーは、なぜ、早く並んだ者から飲んではいけなかったのか。

クラブ帰りに禁止されている買い食い・・・先輩、その手に持っているアイスクリー
ムは、家から持って来られたんですか？！

しかも、腹立たしい事に、自分達がいざ先輩になってみても、かつての先輩から受け
た苦しみを思うと、後輩に対して横暴に振舞う事など、出来るはずもなし。損な役回
りです。

とは言っても、臆病者の私は、スナフキンのように、「俺は俺のやりたいように、や
らせてもらうさ」という態度をとる度胸もなく、やっぱり友達と一緒にオキアガリコ
ボっていました。（もっとも、高校以降に属したクラブやサークルの上下関係は、い
たって良好でした。）

そう考えると、アメリカでは、Senpai という言葉を面白がって使う生徒はいるもの
の、こういった先輩後輩の上下関係は、ほぼ無きに等しいと言えます。クラブ活動も
季節ごとの選択ですし、ホームルームがないうえに、授業も全学年入り交じっての受
講ですから、当然といえば当然の事です。

ベビーキョンシーにも似た小学生が、張飛のような高校生を相手に、ヘイ、ヨゥ、ス
ティーブ、調子はどうだい？

万事が万事その調子ですから、たとえ大人になったとしても、宴席で酒の酌をすると
いう習慣も、もちろんありません。自分のお酒は、自分で注ぐもの。セルフサービ
ス。お酌をしなかったからといって、癪に障られる事もありません。

極端な年功序列に陥りやすい日本式と、年長者に対する尊敬に欠けるアメリカ式。ど
ちらがいいかは判りませんが、仮に今、中学２、３年生の先輩方にバッタリ遭遇して
しまったとしたら、フォレスト・ガンプのように走り去るであろう、２０代後半に
入った私です。


・『モヒカンは　　根性入れて　　立てましょう』

まるで、ネイティブ・アメリカンのモヒカン族の掟のようですが、手間のかかるこの
髪型を自ら選んだからには、怠惰は許されません。

ほら、今日、朝寝坊したあなた。自慢の髪が、台風後の稲田のようになっています
よ。


・『廊下にて　　男と女の　　ラブゲーム』

女子生徒　「ああ、始業の鐘が鳴ったわ。時間よ。行かなくちゃ。」
男子生徒　「鐘なんかに、俺達の仲は裂けないさ。」

誰がために鐘は鳴る？生徒の皆さんのために鐘は鳴るのです。ヘィ、ミンナ、ゴゥ
・ァウェイ。遅刻したくないのなら、一刻も早く、次の教室に向かいましょう。

女子生徒　「あなたと別れたくないわ。いつまでもこうしていたいのに。」
男子生徒　「すぐに会えるさ。それまで、泣いたりするなよ。」

あなたのおっしゃる通り。５０分の授業が終われば、すぐにまた会えます。ウロウロ
していると、セキュリティーのスタッフに捕獲されますよ。

このように、ホームルームがないため、毎日、男女の熱いドラマは、廊下で繰り広げ
られる事になります。『ゴースト』のラストシーンのような、糖分過多カップルもあ
れば、戦地に送られる夫とその妻という、『防人歌』のカップルもあり。別れる別れ
ないだと揉めている、『あすなろ白書』カップルは、どうも涙の遅刻になりがちで
す。

彼等には彼等の事情があるでしょうし、他人の恋路に口を挟む気はありませんが、移
動時間は、明らかに、他の生徒の通行の邪魔。廊下は、サタデーナイトの渋谷のよう
に、生徒であふれかえるのです。

こんな人混みで許されるのは、せいぜい「そ」を聞く程度。本人達の意見はどうであ
れ、この時間のハーレクインシリーズのような熱いロマンスは、磔撲に値するので
す。


・『文房具　　ペンシル一本　　貧乏具』

何が面倒くさいのか、こちらの生徒は、筆箱を持たずに、鉛筆やシャーペンを直接ズ
ボンのポケットに入れます。お札も小銭もオヤツもポイポイポイ。いざ取り出す際
に、鉛筆やシャーペンの先が指先に刺さって痛いと思うのですが、三次元ポケットの
合理性の前には、聞く耳もないようです。

痛いといえば、中学生の頃。ＥＬＬＥ（エル）というフランス・ブランドのシャーペ
ンを購入しました。ペンの持ち手の先についた銀製のエッフェル塔が、私のオシャレ
心をそそり、一目で気に入ったのです。

が、このエッフェル塔が大問題。肝心のシャーペンを親指で押すところについていた
ので、芯を出す度に、塔の頂点を押さなければならなかったのです。右手の親指に出
来た血斑は、まるで聖痕でした。イエス、切捨て。シャーペンの恨み声を無視して、
泣く泣く、１００円前後の庶民シャーペンに切り替えました。アデュー・フランス。


ところで、消しゴムはといいますと、鉛筆やシャーペンの上の先についている消しゴ
ムで間に合わせている生徒が、ほとんどのようです。

しかし、私に言わせれば、これはただの乾燥して収縮したマシュマロ。消す力など、
無きに等しいですから、紙には痛々しい皺が寄り、黒く汚れた訂正箇所は、呪いでも
かかったような心霊現象を起こしています。ウラメシヤ。

ちなみに英語には、「ウラメシヤ」に該当する表現は、ありません。アメリカの幽霊
は、「ユーがミーにした事を、忘れちゃいないですよ。（”I have not forgotten 
the wrong you did me.”）」と、自分の登場理由を明確に述べなくてはならないよ
うです。

私を恨んでいるであろう、悲運のＥＬＬＥ（エル）のシャーペンは、フランス御出身
ですから、「ウラメシヤ」でもなければ、英語でもなく、やはりフランス語で登場す
るのでしょう。

「ボンジュール、トモコ。何故、マドモアゼルは、ノンノン・コマン・タレ・
ヴッ？！」


・『バラモンの　　さらなる高位　　留学生』

インドのカースト制度のごとく、日本語選択の生徒は、自分の属しているレベルに非
常にこだわります。上位レベルを敬うのはいいのですが、一方で、下位レベルに対し
ては、どうも尊大になる傾向があるようです。

レベル１のシュードラ（隷属民）階級は、ようやくカタカナを学習し終えたところ。
それにも関わらず、「あなたは、バカです」などと、日本語を全く知らない生徒　－
　不可触民とでも呼びましょうか　－　に対して、意地悪を言ったりもします。です
が、次の瞬間、上位レベルの生徒が漢字を練習しているのを見て、愕然。ムンクの叫
び。

レベル２のヴァイシャ（平民）階級になると、レベル１の易しい学習内容を見ては、
溜息をついて、「自分にも、こんなにいい時代があったのか」と、一年前を大昔のよ
うに懐かしがっています。が、菅原道真を気取るのは、まだまだ早い。学問の神様な
らば、１つ１つの宿題や試験に、愕悶なさらない事です。そうは言っても、祟られる
のは怖いのですが。

レベル３のクシャトリヤ（武士階級・王族）階級の皆様も、同じでございます。「あ
なたは、馬鹿です」と漢字で書いて満足なさらず、春夏秋冬、東西南北、曜日も漢字
で書けるようにおなり下さい。

そして、バラモン（祭官・僧侶）階級のレベル４。「我々が、日本語クラスにおける
トップである」という誇りを持っているだけあって、ハイ・レベルな授業内容にも関
わらず、よくついてきていると思います。

しかし、これまた井の中の蛙とはよく言ったもの。先月、日本から帰国して、蛙から
兜虫と成った留学生の前に、バラモンの選民思想も、バラバラと崩れ去ってしまいま
した。ただし、留学生のいない所では、バラモン様の権力は健在。蛙の面に水です。


語学勉強は、他人と比べても意味がありません。・・・いつの日か、ミネソタ在住の
ガンディー・ジャパンの思いは、届くのでしょうか。


＜完結編＞

・『三流と　　思えど言うな　　我が川柳』

おつきあいくだすって、ありがとうございました。</description>
         <link>http://nagaya.tatsuru.com/yabe/2005/03/30_0945.html</link>
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         <pubDate>Wed, 30 Mar 2005 09:45:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ミネソタ乙女の四季（というタイトルから想像されるものと以下の文は関係ありません）</title>
         <description>１月２７日

「えへへ。先生、日本語、忘れちゃった！！」

９月第１週目。長い夏休みが明けて、少し見ない間に、背がグンと伸びて、髪型も幾
分変わった生徒たちと、再会を喜びます。久々に可愛い生徒に会えた嬉しさに、日本
語を忘れられてしまったガックリも、一瞬忘れてしまいます。一瞬。

２年目の学年も残すところ半年となりましたから、今回は、９月から６月まで、学年
の大体の流れや、各種行事について書こうと思います。

教職員は、８月の最終週から仕事が始まります。教室の引っ越しや模様替えをした
り、教案を作成したりして、新学年のために準備をします。

教室の管理は、とにかく教師に一任されるので、もらった教室に、ペンキで巨大な絵
が描かれていたりする場合もあります。

今年度、学校に懇願して大きい教室をもらったわけですが、頂戴した教室が、壁一面
に闘牛の絵が描かれた教室（スペイン語）でなくて、本当に良かったと思います。危
うく、願いから鼻を通す牛になるところでした。モー。

初年度は、ミネソタに着いたばかり、生活に慣れるどころか、時差ボケも治りきらな
いままだったので、本当に大変でした。片付かない混沌とした教室で、推理小説の一
場面のように、一人倒れてしまった事もあります。今、解き明かされる、明らかな謎
・・・疲労です。

車も自由に使えない時期でしたから、夏だというのに寒さに震えながら、片道徒歩１
時間半をかけて登下校していた事も、今となっては懐かしい思い出です。もっとも、
極寒の冬でも、徒歩になってしまう事も何度かありましたが。ほとほと、徒歩、とほ
ほ。

学年は、２学期制（セメスター制）になっており、９月から１月までが１学期
（ファースト・セメスター）、２月から６月までが２学期（セカンド・セメスター）
となっています。そして、さらに各学期が半期（クォーター）に分かれており、成績
は、このクォーターごとにつけられます。

授業が始まっても、最初の２週間は、大学と同じく、いわゆるお試し期間で、授業の
変更が利きます。レベル２以上の生徒が、変更する事はまずありませんが、レベル１
の生徒は、ちょこちょこと移動があります。学年を通して、落伍者が一番多いのも、
レベル１です。

これはもっともな話で、レベル１の生徒は、「日本＝アニメ」という理由だけで日本
語を選択する生徒が多いので、最初の関所、ひらがな４６字にでさえ音をあげてしま
うのです。日本語学習において、ひらがなは基本の基本ですから、ここばかりは、関
所破りというわけにはいきません。

ひらがなでつまずく生徒は、言ってみれば、ファミコンの『スーパーマリオ』で、最
初のクリボウにやられてしまうようなものです。タラッタッタラッタッタ　タラッタ
タラッタタタタ♪↓

もう少し進んだとしても、「おねがいします。」「いってきます。」「いってらっ
しゃい」「ただいま」「おかえりなさい」「いただきます。」「ごちそうさまでし
た。」など、私たちにとっては、日常の挨拶言葉も、英語にはない表現なので、日本
文化に興味ある生徒でなければ、覚える気にもならないでしょう。

日本語は、スペイン語のように、日常生活にあふれている言語では決してありません
から、ある程度モチベーションが高くなければ、確かに、大変なはずです。私だっ
て、もしもアメリカに生まれて、英語が母国語だとしたら、間違いなく、有用性の高
いスペイン語を選んでいたに違いありません。

教える方も、少しでもモチベーションをあげるために、特にレベル１は、非常にエネ
ルギーを要します。貴重なエネルギー資源、大切に使いましょう、と言っているわけ
にもいきません。エネルギー放出しっぱなし。地球環境に悪い事、この上なしです。
私の脳みそは、完全に温暖化現象を起こしています。

ただ、逆に、日本語に興味ある生徒は、たとえレベル１の生徒でも、日常生活の中で
も、間違いを恐れずに、積極的に日本語を使ってくれます。

昼食時、目の前のハンバーガーに対して、神妙に合掌し、「いってきます」と食前の
挨拶をする生徒。確かに発音は似ていますが、もちろん、被食者であるハンバーガー
は、「いってらっしゃい」とは応えてくれません。

レベル２以上の生徒になると、嬉しいことに、どの生徒も日本語や日本文化に対して
興味を持ってくれています。

それに、「日本語を勉強している」という誇りさえあるようで、ホームルームのよう
に、日本語の教室に入り浸る生徒の中には、授業後、「さようなら」の代わりに、
ちょっと得意気に、「いってきます」を使う生徒もいます。

実際、日本語を母国語としている私でも、日本語は難しいと思うのに、皆、さじを投
げる事なく、よく頑張っていると思います。テストや宿題は、些事だと投げている生
徒はいますが、大目にみましょう。

基礎の数字くらいは、どの生徒も喜んで覚えます。そんなに大変な事ではありませ
ん。「いち、に、さん、よん・・・・」と、嬉しそうに数える生徒の口は、真夜中の
上弦の月。しかし、ここで、序数詞が登場します。「ひとつ、ふたつ、みっつ・・
・」と数える生徒の口が、正午の上弦の月となってしまうのも、仕方のない話。

それでも、たとえその時その場限りでも、一生懸・・・一所懸命覚えようとしてくれ
るのです。

余談ですが、日本人にとって、”a”や”the”などの冠詞がややこしいのと同様、日
本語学習者にとっては、この序数詞が、本当に苦しいようです。

例えば、人数についての序数詞。「ひとり、ふたり」とあっても、でも「みり、よ
り、いつり・・・」とは続かない。では、一人と二人は例外だと割り切って、せっか
く、「さんにん」と変えても、次の四人は、「よんにん」ではなく、「よにん」。

「ついたち、ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、なのか、ようか、ここの
か、とおか、じゅういちにち・・・」「ひゃく、にひゃく、さんびゃく、よんひゃ
く、ごひゃく、ろっぴゃく、ななひゃく、はっぴゃく、きゅうひゃく」。普段は漢字
を敬遠する生徒も、この時ばかりは、漢字サマサマです。中国の方々に、謝謝。

さて。９月は、レベル１については、生徒に慣れる事（もちろん、初年度は全レベ
ル）、そしてレベル２以上については、夏休みの間に、成層圏の彼方に飛んでいった
過去の学習事項を、オーイと呼び戻す事から始めなければなりませんでした。

そんな９月の３週目には、オープンハウスといって、生徒の保護者に対して、授業の
説明をする機会があります。各クラス、わずか１０分間の説明会なのですが、初年度
は、少なからず緊張していたのを覚えています。

「日本語には、ひらがな、カタカナ、漢字という、３つの文字体系（アルファベッ
ト）があり、例えば、”air plane”は、『ひこうき』『ヒコウキ』『飛行機（フラ
イング・ゴーイング・マシーン）』」
と、ややハイ・テンションで、日本語について導入すると、「ワーォ。うちの子は、
そんなに難しい事を勉強しているのか」と、感心されていました。

「子は、親の鏡」とはよく言ったもので、外見はもとより、中身も面白いほど両者似
ているので、オープンハウスから後々、カンファレンスとよばれる親子面談（１年に
６日間）や各種の行事で、保護者に会う機会も幾度かあるのですが、それほど苦もな
く、誰がどの生徒の親かを覚える事が出来ました。ブッシュの子は、ブッシュ。

ところで、アメリカのカンファレンスが、どのようか言いますと、懇談ならぬ、混
談。生徒用の広々とした食堂（カフェテリア）に、全教師が２メートル間隔に座り、
自分の名前の入った札を立てて、保護者が来るのを待ちます。

部屋には教師と親子の当人だけ、という日本と違い、他人に聞かれることなど、こち
らの人は誰も気にしません。

授業を受講している生徒の数が多ければ多いほど、当然、保護者の数も増えるわけ
で、英語や数学、科学やスペイン語の先生の前には、長蛇の列が出来ているのです
が、日本語教師の前に列が出来るということは、まず、ありません。

保護者が来ない時は、自分の仕事が出来て都合いいのですが、芸能人のサイン会のよ
うで、隣のスペイン語の先生の前に出来ている列が、私の前までのびてきていると、
飛鳥さんの隣のチャゲさんのような気分にさせられます。

それにしても、朝７時半から、午後２時半まで授業があって、その後、３時から８時
まで親子面談ですから、さすがにグッタリです。ここはひとつ、チャゲさんのように
サングラスをかけて、一眠りZZZ、といきたいところですが、保護者の手前、そうは
いきません。

ただ、こちらの保護者の方は、とてもフレンドリーで、日本ほど構える必要がないの
で、気分的に楽です。

特に、私は外国人ということもあってか、色々助けてもらいますし、面談の度に
ティッシュペーパー（学校からの許可有り）を下さる方もいます。それにしても、な
ぜにティッシュペーパー？日本に帰国する前に、理由を聞いておかなければなりませ
ん。

生徒の保護者にも対面し、新年度に少しずつ慣れてきた１０月の初め、ホームカミン
グという、愛校週間が始まります。

この週は、各種イベントがあるのですが、中でも目玉行事は、フットボール（金曜日
の夜）と、ダンス（土曜日の夜）でしょうか。

昔から、スポーツ観戦には興味はないのですが、さてフットボールとなると、ルール
さえ全く分かりません。

しかし、いくら分からないとはいえ、０対４０の試合ともなると、どちらが優勢か劣
勢かぐらいは分かります。ホームカミングなのだから、ちょっとぐらい、相手高校も
八百長してくれたらいいのに。毛布をかぶりながら、日本人は、そんな事を考えてい
ました。

そして、ダンス。といっても、社交ダンスではありません。クラブ系のダンスです。
ミラーボールこそありませんが、大掛かりな照明もセットされて、学校の体育館が、
ダンスホールに早変わりします。

大音量の音楽と照明の中で、踊食いの海老のように暴れる生徒から、利尻島の昆布の
ように揺れている生徒まで、楽しみ方は様々です。アフリカン・アメリカンの生徒
は、血のなせる業でしょう、プロ顔負けのダンスのセンスです。

ちなみに、日本語の生徒の多くは、昆布にさえなれずに、ただの群れる棍棒と化して
いました。

ホームカミングのメインイベントは、上記の２つなのですが、他にもコーヒーハウス
という募金活動（ファンド・レイズ）もあります。

コーヒーハウスでは、有志による軽音楽部や寸劇が上演されます。講堂ではなく、照
明を落とした狭い教室で行われ、観客は地べたに座るなど、なかなか雰囲気がありま
した。

今年度は、このコーヒーハウスで、ちょっとしたハプニングがありました。

寸劇で、「昔々、来る日も来る日も米ばかりを食べる民族がありました。猿と一緒に
住み、変わった服を着て、理解不可能な言葉を喋り・・・」と、いかにもアジア文化
を小馬鹿にしたものがあったのです。ストーリーも、稚拙極まりない。

有色人種に対する人種差別は、未だにアメリカの根強い問題ですし、それを高校生が
考えなしに取り上げたに過ぎません。それでもここまで表面化されると、さすがに相
手が高校生とはいえ、私も腹が立ちました。

こ