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2005年10月30日

学祭演武会のこと

10月28日(金)学祭演武会1日目

 とても爽やかな秋晴れのもと、大学の演武会に出場。
 本日の出番は、杖の打立ち、受けが2回、取りが1回、師範演武の受けに1回。
 ほんとうはこれにもうひとつ、杖の仕杖という出番があったのだが、「宮仕え」なるものには、さすがの師匠も対することができなかったのか、諸般ではなく、「師範」の都合でカット!となった。結果5回出場。明日はさらに記録更新したいものである。
 こうして史上初の公的場面での12本目は、明日への楽しみへ持ち越された。
 
 自身の出番は、師範が会議へと行ってしまわれたあとの出番だったので、時間はたっぷりとあったとはいうものの、少々寂しいものであった。何となく浮遊感がある。
 演武会が終わってもまだいくらか時間もあったので、学祭の店や出し物を冷やかしながら、大笑いして、うちに戻る。
 着くなり、早速明日の仕込みを始める。
今日は調子がいい。


10月27日(木)

本日は晴天なり。
夕べは薬のせいで早く眠れたし、朝も普段より目覚めがよかった。すこしだが、朝から部屋を整頓することもできたし、ごみを捨てることもできた。

そうだ。ごみといえば、ここ西宮市は、大概のものが焼却できてしまう機械でもあるのか、「燃えるごみ」と「燃やさないごみ」の分別くらいしかない。「燃えるごみ」とは可燃ごみのことであり、木や紙でできたもの、生ごみなど。「燃やさないごみ」とは不燃ごみのことで、ビン、缶、電球電池などはここに入る。(「燃えないごみ」ではなく、「燃やさないごみ」というのがポイント)。
あとは新聞、広告、ダンボール、古着、ペットボトルくらいの分別収集がある。
居住地域によっては、プラスチックや紙くず、ビニールから木製用品まで、細かな規定によって、ありとあらゆるものを分類し、捨てるよう命じられているところもあるというのに、全部一緒くたにするなんて、いいのか悪いのは別にして、すごいこった。
細かな分類によって、ごみの量が幾分減ったらしいから、悪くもない提案ではあるのだろう。

ところで、今日はペットボトルを捨てる日だった。前回、規定の日に捨てるのを忘れていたので結構な分量になっている。ごみ袋1つ分くらいあったかと思う(もちろんボトルは「つぶして」、これだ)。
そういや昨日捨てたビン類も、これにもひけを取らないくらい大漁(というのか?)だったな。うち1本は、ポン酢のビン。
やっぱりポン酢は2本で正解である。


10月26日(水)

 調子はどう?


10月25日(火)

 また病院に行く。
 毎週行くのも申し訳ない気がしたが、先週貰った薬はとっくに切れたし、快方に向かっていた喉は、昨日辺りからまた痛くなってきたからだ。
 前よりも怪しい痛さを感じる。
 喉を見せると、また赤く腫れているらしい。先日よりも、幾分大きくなったような気になる喉仏だ。
 ところで、なぜ喉の真ん中辺りにある部分のことを「喉仏」と呼ぶのだろう。(これは、ここに書くより、持仏堂にでも質問するべきことだろうか)。
先週よりも症状が増えた。咳が出ることと、膝が少々痛いことである。寒さのせいなのか、ただ単に身体が悪いのか、どっちだろう。
 症状が増えると、また薬が増えるということでもある。それは余りいいことではない。
 早く眠る。

投稿者 uchida : 2005年10月30日 10:52

コメント

ウッキーさん
はじめまして、神奈川でエンジニアをしながら、合気道を探求しているkoreと申します。
内田先生のお友達の平川さんのかなり代を下った後輩です。
私の合気道の師匠が、1年半ほど前に、甲野先生の技に興味を持ったことから、内田先生のブログとウッキーさんの日記を毎日楽しみに待ち、読ませていただいております。
さて、お探しの「喉仏」のことですが、「火葬をしたあとに、座禅をする人のような形のお骨が残ります。それ自体は、第二頚椎なのですが、それを先人はあの、喉仏と呼ばれる軟骨のことだと思ったのです。」と言う説明を10年ほど前、祖父の葬式のときに聞いたのを思い出しましたので、不躾かとは思いますが、コメントさせていただきます。

追記
先日の杖に関する、思い通りにならないイラツキ、たまに杖を振るたびに、私も似たような思いを抱きます。もっと探求したいですね。

投稿者 kore [TypeKey Profile Page] : 2005年11月01日 00:01

Koreさま

拙文、ご拝読ありがとうございます。
重ねて、コメントありがとうございます。

「喉仏」の由来、言われてみれば、
座禅を組むひとのように見える見えないの話を、わたしもまた
どこかで聞いたことがあることを思い出しました。

「仏」なる語が出てくる喉仏、仏教世界(概念)が存在している世界にのみ有効な骨?になるんでしょうか。
たしか西洋では「アダムのリンゴ」と呼ぶようです。
西洋で、喉仏に魚の骨が刺されば、ウィリアム・テル?みたいですね。

投稿者 ukky [TypeKey Profile Page] : 2005年11月01日 22:54

うっきーさん
返答、ありがとうございます。
再びコメントさせていただきます。
ウィリアム・テル、さすがの発想・・・(笑)こういう発想、好きです。

さて、喉仏、たしかに仏と・・・、仏教の概念の世界にのみ有効なんでしょうかね?
私にはよくわかりません。
たしかにアダムの飲み込んだリンゴの芯だとか、旧約聖書で読んだような気がします。
そもそも、「あの骨」は、なぜそんなに「ホーリー」な意味づけをされているんでしょう。
sacrum bone(ラテンのsacrum 、「聖所」) とか、 kreuzbein(十字架の骨)とか
呼ばれる、仙骨と同じで、なにか意味があるんでしょうか?すごく気になってきました。

追記
感じるままに身体を動かして稽古していると、
なにか、体は忙しいのに冷静な感じですね。。。これって邪悪なんですかね。。。?

投稿者 kore [TypeKey Profile Page] : 2005年11月10日 01:01

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