« 2011年02月 | メイン | 2011年04月 »

2011年03月 アーカイブ

2011年03月01日

スーさんのマイブーム

2月28日(月)

最近の「マイブーム」について(しかし、この言葉もあまり聞かれなくなったような)。

○休日の朝コーヒー
別に何かきっかけとなることがあったわけではない。休みの日の朝食後に、コーヒー豆をミル&ドリップして飲むことの愉悦を覚えたのである。
何より、朝陽の差しこむ部屋にコーヒーの香りが揺蕩うのがよい。そうして、ゆっくりとコーヒーを飲みながら、さあて今日は何の本を読もうかなと本を選ぶときの得も言われぬ愉しさ!
これぞ休日、という満ち足りた気分を味わうことができるのである。
コーヒーと言えば。
バリに行ったとき、守さんから「コピ・ルアック」を紹介された。知っている方も多かろう。
「インドネシアのコーヒー農園ではロブスタ種のコーヒーノキが栽培されており、その熟した果実は、しばしば野生のマレージャコウネコに餌として狙われている。しかし、果肉は栄養源となるが、種子にあたるコーヒー豆は消化されずにそのまま排泄されるので、現地の農民はその糞を探して、中からコーヒー豆を取り出し、きれいに洗浄し、よく乾燥させた後、高温で焙煎する。
コピ・ルアクやカペ・アラミドは、独特の複雑な香味を持つと言われており、煎り過ぎて香りが飛ばないように、浅煎りで飲むのがよいとされる。一説によると、ジャコウネコ腸内の消化酵素の働きや腸内細菌による発酵によって、コーヒーに独特の香味が加わるという。
世界で最も高価なコーヒーとして知られており、500グラムにつき300から500米ドルの価格で販売されている。」(@Wikipedia)
その稀少品のコーヒー豆を、バリではかなり安価に手に入れられると教えられ、ならばと50グラムだけ購入してきたのであった。
でも、まだ飲んでいない。奥さんに、「今のコーヒー豆がなくなってからじゃないとダメ」と言われているのだ。そのコーヒー豆もそろそろなくなりかけてきている。いよいよコピ・ルアックの出番が控えているのである。ああ、何という楽しみ!

○『彼自身によるロラン・バルト』(佐藤信夫訳、みすず書房)
休日の朝コーヒーに続いて、決まって読む本がこれ。
もちろん、書いてある内容はほとんど理解できていないと思われるのだが、そしてたとえ集中して読んだとしてもせいぜい30頁ほどしか読めないにもかかわらず、なぜか少しずつでも読みたくなってしまうという不思議な本。
体系化によるイデオロギー性を排除しようとした断章形式で書かれているのも、つい読みたくなる理由の一つなのかもしれない。
でも、この著作も残りあと50頁ほどになってしまった。読み終えるのが惜しいので、少しずつ読んでいる。

○ニーチェ
巷で評判の『超訳…』を読んだわけではない。
このところ、そのアフォリズムを読むたび、妙にぐっと来るのである。
例えば、次のような一節。
“本来の意味での哲学者とは命令を下す者であり、また法を作り、定める者なのである。(…)彼が行う「認識」とは創造行為であり、そういう創造行為は立法であり、彼の真理への意思は、すなわち、<力>への意志である。”(出典『善悪の彼岸』、ジル・ドゥルーズ『ニーチェ』湯浅博雄訳、ちくま学芸文庫より)
そうか、哲学者は立法者でなくちゃならないんだ、と納得させられることしきりなのである。
いま気になっているのは、有名な「永劫回帰」について。
どんな時代であれ、人が生きて考えていることは、昔も今もほとんど変わっていないのではないかと思えるからである。
ああ、ニーチェの考えをもっと詳しく知りたい!

○「24の前奏曲とフーガ」(ショスタコーヴィチ)
毎日聴いている。
何度聴いても飽きないのだ。
この曲は、作曲者自身によれば、
「最初は対位法音楽の技術的な習作のつもりだった。しかしその後構想を拡大し、バッハの平均率クラヴィア曲集に倣って、一定の形象的内容を持つ小品の対位法様式による一大曲集にすることにした」(@HMV)
とのことで、1952年に全曲が初演された。
いつも聴いている演奏は、初演者でもあるニコラーエワの最初の録音(1962年)。
録音こそやや古いが、情感が籠められたすばらしい演奏と思う。特に、緩やかなフーガは秀逸。作曲者と演奏者の深い精神性を感じ取ることができる。
行き帰りの車の中でこれを聴くと、とても気持ちが落ち着く。
今の自分にはなくてはならない曲の一つである。

○チャッ友
facebookでのチャットについては、以前バリでご一緒したフルタさん姉妹の妹御(通称「北新地」さん)のことを日記に書いたが、あれから、同じくバリでご一緒したトクミネさん双子のお姉さんなどともチャットをしてみたりした。
特に、「北新地」さんとのやりとりは、そのジェネレーション・ギャップから逆にこちらが教えてもらうことも多く、例えば「ヤンキーと不良の違い」とか、他愛がないことかもしれないのだが、今まで知らなかった世界の一端を知ることができた。
SNSの機能を利用することで、自分の世界がまた少し広がっていく。そんな時代になった。
ただ、PCに向かってムフフとか言いつつキーボードを叩いていると、横から奥さんが怪訝な顔をこちらに向ける。

以上が最近の「マイブーム」である。

そう言えば、明日は誕生日。
ついでに、「マイブーム」ならぬ「最近の心掛け」を。

○「あくせくしない」
正直、イラチな人間である。でも、バリに行って何かが変わった。
まあまあそんなにあせらんとのんびりいこうや、いつもそんなふうでいたい。

○「こだわらない」
もちろん、こだわりはある。キュレーターも捜すことであろう。
でも、極力こだわりはなくすようにしたいし、それを表に出すようなことは避けるようにしたい。
「知ってることでも知らんふり 何時でもアホでいるこっちゃ」(@松下幸之助)の心がけで。

○「他人の陰口悪口や愚痴を言わない」
言っても、生産的なことは何もない。
却って、自分をスポイルするだけである。
と言うか、他人を悪く言うことは、自分に呪いをかけることである。

こんなことを言う年齢になった。

2011年03月15日

スーさん、楽しいことのあとにつらいこと

3月14日(月)
週末、東北・関東地方は史上例を見ない地震と津波に襲われた。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、罹災された人たちへの支援、そうして一日も早い復興がなされていくよう祈念したい。

3月7日(月)
先週の土曜日は、相愛大学が主催する「おせっかい教育論シンポジウム」を拝聴するため、妻と二人で大阪へ。
会は夕方からだったのだが、せっかく大阪まで行くということで、バリ以来の「チャッ友」キタシンチゃんからは、「一緒に梅田のロフト行きましょ」と言われていた。
ならばと、やや遅めの昼食を食べてからショッピングもええやんそうしよそうしよということで、プリウスは一路大阪を目指したのだった。
途中、やや渋滞したものの、午後2時ちょっと過ぎには大阪に到着、さっそくその日宿泊する十三の「プラザオーサカ」にチェックインして昼食へ。

十三は、以前から何度か宿泊したことのある場所である。でも、なぜか有名な「やまもと」のねぎ焼きをいただく機会はなかった。
この度、ようやく念願叶って「やまもと」本店へ行くことができたのである。
もちろん、注文したのはねぎ焼きのデラックス。焼き上がるまで時間がかかりそうだったので、その間のつなぎで焼きそばも。ビールを飲む夫の隣で、妻は目の前でその調理を注視していた。「ふーん、生地はすごく薄めなんだね」とか、「ああやって焼き具合を確かめてるんだ」とか独りごちている。
焼きそばが来た。ちょっと太めで、もっちり感がある。ビールが進む。ちょうど焼きそばを食べ終わる頃合いで、お待ちかねのねぎ焼きデラックスが登場。二人で食べやすいようにと切り分けてくれた。薄い生地はかりっと焼かれているのだが、中はたっぷり入れられた青ネギのおかげか適度なしっとり感がある。その組み合わせが絶妙である。ついビールを追加。
妻ともども十分に満足して、待ち合わせ場所である阪急梅田駅へ。

キタシンチゃんとはバリ以来の再会。
最近、彼女からはSkypeの使用法を伝授してもらった。実際に彼女と通話もしてみてその面白さを実感、さっそく沼津のスガイくんとビデオ通話も試してみたりした。「Skypeの師匠」なのである。そうやってあれこれやり取りしているので、バリ以来のご無沙汰という感じはなかった。
ロフトでは、彼女オススメの品をいくつか購入。実際に家で使用するのが楽しみになった。
ショッピングの後は、阪急三番街にてお茶。あれこれと話は尽きない。それでも夕方の5時を過ぎたということで、地下鉄御堂筋線梅田駅の改札にてお別れする。楽しい時間であった。

相愛大学は、地下鉄本町駅を出てすぐところにあった。エレベーターで4階へ上がると、既に「ここはディズニーランドか」と思しき行列であった。そのまま列に並んでいると、カワカミ牧師の姿が見えた。ご挨拶をすると、やはり同じように「まるでディズニーランドみたいですね」とおっしゃった。
ようやく受付を済ませて中に入ると、既に半分ほどの席が埋まっていた。カンキくんの姿も見え、「ハイ、これ」と今までのいろんな写真が入れられたCD-Rをいただいた。
開会に先立ち、相愛オーケストラによる弦楽合奏が披露された。これは上手な演奏であった。弦楽器であれだけピッチの合った演奏をするのは難しい。あまり目立たない楽器であるヴィオラの子が、いかにも楽しそうに演奏しているのが印象的だった。

さて、シンポジウムである。会は、この大学の教授でもある釈先生が進行役となって始まった。
以下はメモしたことの一部である。

○教育行政は、圧倒的に経済界からの要請に左右されている。財界は「イノベーションを担う人材の育成」を要請するが、その人材とは所詮「新製品を作ることのできる人」のことだ。
○「実学」は、投資がすぐにリターンするもの、その確実性と短期性が問題となっている。しかし、人は自己利益のために勉強するものではない。
○福沢諭吉の特徴は「反時代性」だ。彼は時代を俯瞰的に見ていた。
○相撲の教育体系の完成度は極めて高い。一生懸命に稽古すれば、誰でもプロになれた。学校も同じだ。そこそこ読み書きができれば、誰でも教育ができる(教師になれる)。つまり、教育のすばらしさというのは、「教える人」と「教わる人」がいれば、自動的に成立することなのである。
○すばらしい能力を持つ人ができない職業は50年持たない。
○みんなが「わーっとなること」にはたぶん合理性はない。しかし、「100年は続いている物」は使える。
○みんながリーダーを目指す社会はおかしい。ほんとうに必要なのは、「よきフォロワーシップ」なのではないか。
○松下幸之助は、成功するビジネスマンの条件として、①愛嬌、②運が強そう、③後ろ姿、を挙げた。高倉健の
○仕事というのは、自分がしたいことをすることではない。

一貫していたのは、「教育をビジネス(または消費)のスキームで語るな」ということだろうか。
何よりおもしろかったのは、最後の「梅キタ大仏」のお話。そんな発想が出てくる大阪という街が、なんだかうらやましくなってきた。
終わって、140Bの人たちも一緒になって打ち上げ。妻と末席を汚す。ここでは、またいろんな方々とお近づきになることができた。ありがたいことである。

明けて日曜日は、サニーくんにススメられた天神橋筋商店街へ。
天神橋一丁目に車を停め、そこから天満の駅まで「日本一長いアーケード」をゆっくり歩いて往復してみた。
これはたいへんに興味深い街だった。大阪のよさをまた一つ発見した思いだった。
前日の夜、140Bのアオヤマさんに、「ぜひ伊豆の温泉とか来てくださいな」とお話ししたところ、「いや私らは街がいいんです」とおっしゃっていた。その理由が何だかわかる気がした。

お昼を天満駅近くのサニーくんオススメの中華料理店で食べつつ、私たちが天神橋筋商店街へ行くと聞いて、「バリの時の写真をムネイシさんから預っているので、ぜひお渡ししたい」という天満近くにお住まいのフルタさん姉と、メールをやり取りして待ち合わせる。
「実は朝もここ来たんですよ」という駅近くの喫茶店にてお茶。あれこれバリ後のお話を聞く。
思えば、今回はフルタさん姉妹に終始した土日であった。

そのフルタさん姉とお別れしたあとは大阪天満宮へ。落語の繁昌亭はすぐ隣にある。
天満宮の梅はほんとうに見事であった。この梅の花を見れただけでも、天神橋筋商店街へ来た甲斐があったと思った。
iPhoneの写真に収めて帰途に就く。
すばらしい週末だった。

2011年03月30日

スーさん、風邪を引く

3月30日(水)

「春の風邪」は長引くという。
実際、春休みに入ってすぐの3連休に行われた甲南合気会春合宿から帰ってから、ずーっと風邪が癒えないままだった。
合宿で年甲斐もなく無理をしたからか。そうかもしれない。でも、合宿中は特にしんどいとか感じることはなかった。2日目の杖の朝稽古のとき足がひどく冷たかったことくらいで、それ以外はとても楽しい3日間だった。強いて言えば、行き帰りの車の運転がしんどかったくらいだ。そうだ、それで体力を消耗した違いない。

以下、思い出すままに合宿中のことを記しておきたい。
19日(土)、浜松を出発したのは午前9時少し前。東名高速に入ると、はたして各所で渋滞は始まっていた。それでも、何とか昼過ぎには名神草津SAに。簡単な昼食後、名神に戻ると直後に京都東手前で事故発生の知らせ。後ろからパトカーやら消防車やら救急車やらが次々とやって来た。その間、車列は完全停止状態。少しずつ進んで蝉丸トンネルを抜けると、何と車8台が関連する玉突き事故だった。ちょっと草津SAを出る時間が早かったら巻き込まれていたかもしれなかった。
その京都東ICを抜けると順調に走れたのだが、吹田JCから中国自動車道に入るところで、またしても渋滞。どうやら宝塚の西トンネル付近まで続いているらしかった。ようやくのことで宝塚のトンネルを抜けると、あとは順調。そのまま福崎まで走って中国道を降り、播但道へ。終点の和田山から一般道へ。
ここで、とんでもないことが発生した。しばらく走って信号待ちをしていた際、対向車線の車がいきなりこちらのドアミラーにぶつかってきたのである。一瞬、何が起こったのかわからなかった。ドアミラーのカバーが吹っ飛び、ミラーも粉々に割れてしまった。相手の車はそのまま走り去ってしまった。ナンバーを確認する余裕はなかった。
仕方がないので、そのままドアミラーをたたみ、後方確認はルームミラーと直接目視で行うようにして、気をつけながら走行することにした。
神鍋高原の合宿所まで辿り着いたのは夕方の5時半。もう稽古も終わる頃ではと思っていたが、とりあえず着替えて体育館へ。中では、ちょうど剣の稽古をしていたところだった。少しでも稽古ができてよかった。

合宿2日目(20日)は、午前中の稽古のあと午後は昇級・昇段審査。特に昇段審査では、ドクターをはじめとして、たいへんにレベルの高い演武を見せていただいた。この演武を見ただけでも、神鍋までやって来た甲斐があったと思った。
夜は、ほぼ全員が集まっての宴会。今までお話ししたことがない人とも交流ができてよかった。
合宿最終日(21日)、午前中の稽古を終え、昼食のあと内田先生にご挨拶をして神鍋を後にする。
来た道をそのまま帰るのもどうかと思い、出石・福知山経由で帰ることにした。運転席側のドアミラーが使えないので、車線変更や後方確認にはずいぶんと気を遣った。福知山市内は、道路工事のために各所で激しく渋滞していた。こんなことなら、素直に中国道で帰ればよかったと悔やんだ。
ようやくのことで、福知山ICから舞鶴道へ。さらに中国道に合流。またしても宝塚付近は渋滞していた。そのまま、中国道〜名神へ。行きと同様に、名神草津PAにて簡単な夕食。そこから先は、途中数カ所で渋滞はしていたものの、そんなにひどい渋滞ではなかった。何より、いちばん眠たくなる夕食後の時間に、Skypeのハンズフリーでキタシンちゃんとあれこれ話ができたので、眠くなることもなく、渋滞もほとんど苦にならずに自宅まで帰り着くことができた。ありがたかった。
それでも、往復900キロ超のドライブは、さすがに身体に堪えた。

翌日(22日)は微熱。その次の日(23日)は、ひどいくしゃみと鼻水。さらに24日はひどい鼻づまりで食べ物の味がわからず。

25日は離任式。5年間勤務した現在校ともお別れである。
もちろん、いい思い出ばかりではないが、去るとなるといい思い出ばかりが甦ってくる。特に、部活動では二度の全国大会出場を果たすことができた。何よりの思い出である。
夜はPTA主催の歓送会。もちろん、二次会は中止である。体調もすぐれないため、早々に帰宅する。
26日、まだ鼻づまりはあるが、ようやく体調も戻ってきた。本当なら、この日から都道府県対抗全日本中学生ソフトテニス大会へ出場するため、伊勢へと向かっていたはずだった。大会は中止となったのである。
夕方からは、ほぼ1ヶ月半ぶりの支部定例会。伊勢に行けなかった思いを麻雀にぶつける(ウソです)。
27日は、終日蟄居。相変わらず鼻づまり治らず。

28日、妻も休暇をもらって娘の引越しの後片付けへ。
娘が住んでいた新横浜の賃貸のビルは、至るところ壁にひびが入っていた。その補修工事のための足場を組んでいる最中だった。
冷蔵庫と洗濯機、電子レンジを車に積みこみ、ゴミを片付け、空っぽになった部屋を隅々まで雑巾がけする。
終わって、娘と三人で遅めの昼食。近くのドラッグストアに行くと、トイレットペーパーとペットボトルの水が見事なくらいに棚にはなかった。
特に問題なく部屋の引渡しも済み、娘と別れて一路浜松へ。

29日。やはり横浜までのドライブで疲れたのだろうか、ひどく身体がだるく、軽い頭痛も。鼻づまりは相変わらず。
職場へ残った荷物を取りに行った帰りに、お隣りの豊橋市までドライブして、いつものS文館書店にて、『記号と事件』(ジル・ドゥルーズ、河出文庫)を購入する。ついでに、この書店の文具売り場では、以前から購入しようと思っていたのだが、どこの文具店にもなかったマーキングペン(プラチナの「プレピー」)を見つけることができた。さすがはS文館書店である。
帰り道、県境の多米峠を越え、三ヶ日のレークサイドウェーを走ったのだが、奥浜名湖の静かな波面に午後の日差しがキラキラと反射して、春本番を実感させられる景色を見ることができた。いい気分だった。

そうして、今日30日。どうやら、ようやく風邪も癒えてきた。明日もう一日ゆっくりして、新年度に備えようと思う。
明後日、金曜日からいよいよ新年度だ。

About 2011年03月

2011年03月にブログ「スーさんの熱血うなとろ日記」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2011年02月です。

次のアーカイブは2011年04月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35