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2010年11月 アーカイブ

2010年11月02日

スーさん、iPhone4を買う。

11月1日(月)

先週の水曜日(27日)、Twitterのタイムラインに「iPhone4ホワイトモデル発売間近か?」というツイートが流れた。「おお、ついに発売されるんだ!」と鼻息荒くRTしたのもつかの間、今度は「米アップルは26日、iPhoneのホワイトモデルの発売を、来年春まで再び延期すると発表した。」というロイター配信の記事がツイートされた。
持ち上げられておいての急降下だったから、そのショックは大きかった。
「来年の春までかあ…もう黒を買うしかないだろう」そう呟いていた。

同日、まことに時宜を得て、以前からフォローしていた近所のソフトバンクショップのツイートが流れた。「iPhone4のホワイト発売延期です! ガッカリされてらっしゃる方はぜひブラックを!今ならiPhone4店頭お渡し即日です!」
「即日渡しねえ…。」かなり心が動いた。

週末は台風の来襲が報じられていた。特に、浜松には土曜日に最接近するとのことで、本校の生徒たちには金曜日の帰りまでに、「土曜日の部活動は全面中止」との通知が配布された。
その土曜日は、県西部地区のソフトテニス強化練習会が予定されていた。先日の西部大会個人戦で上位に勝ち残ったペア中心の練習会の指導である。責任者であるオノちゃんからは、「当日の朝6時半に、開催の可否を決定します」とのメールが入っていた。でも、きっと中止になるだろうと思っていた。
案の定、土曜日の朝に中止決定のメールが入っていた。
この日は、関西学生アメリカンフットボールリーグ第5節、KGファイターズvsパンサーズの試合が、大阪長居の球技場で予定されていた。強化練習会もなくなったので、観戦に行こうかとも考えたのだが、台風の中を大阪まで運転していくのは難儀なことだった。それに、フットボールの試合にはいつもご一緒する「ゑびす屋」タニグチさんが、今回は都合で行かれないとお聞きしていた。キックオフは午後2時半だったが、そんなこんなでフットボール観戦は諦めることにした。

外は雨だし、台風は近づいてくるしで、こういうときは蟄居を決め込むのがいちばんだった。妻から、「衣料用の洗剤とシャンプー、買っといてくれる?」と頼まれていたので、台風がひどくならない午前中に買い物を済ませようと、ホームセンターまで買出しに行くことにした。
時間があるときには、余分なことも考えるものである。水曜日の「iPhone4店頭お渡し即日」の文字が頭に浮かんでは消えたりしていた。つい、auショップに電話して、他社のケータイに変更する際の手続等を聞いてみた。そんなに難しいことではなさそうだった。
次いで、件のソフトバンクのショップにも電話をしてみた。
「ツイッターでiPhone4店頭お渡し即日って見たんですけど、今日とか大丈夫ですか?」と。「もちろん、お渡しできます」との返事だった。ドキドキしてきた。それから、あれこれあれこれ説明(現在のケータイに入っている電話番号やメールアドレスも移せるかどうか、など)を聞いた。
完全に購入体制に入ってきた。

とりあえず、ホームセンターで買い物を済ませた。途中、コンビニで昼食を買って一旦家へ戻った。決断の前に気になっていたことを、最近iPhone4に買い換えた京都のキシ先生に尋ねてみた。明確な答えが返ってきた。決断することにした。
ちょうど昼食時ならばお店も空いているのではと思い、昼食は帰ってから食べることにして、まずは自宅から最寄のauショップへ。
「他社のケータイに変えようと思うんですけど」と切り出すと、嫌な顔一つせずに(当たり前か)ニッコリ笑ってすぐに手続きに入ってくれた。ものの10分ほどで手続きは終了した。「では、この書類をソフトバンクのお店に持っていってください」とのこと。
そのままSBのショップへ。
「先ほどお電話した者ですけど」と言うと、すぐに手続きに入ってくれた。特に時間がかかったのは、料金プランをどうするかということだった。現在の大凡の使用状況を説明すると、二つの料金プランを提示して、それぞれプランのメリットやデメリットも説明してくれた。
「現在の料金と多分そう変わらないでしょう」というお店の人オススメのプランにした。
アドレスを移したりする作業をしてくれている間、お店のすぐ隣にある書店に行って、iPhone4の解説書を購入した。これで用意は万端である。

作業も終わり、ついにiPhone4を手にした。白のケースも購入した。
家に帰り、慌しく昼食を掻き込むと、まずはiPhone4ケースに付いていた保護フィルム貼り。続いて、自宅のMacに接続してiTunesに同期しながら、解説書を見てあれこれ設定してみた。従来のケータイメールの設定がいまいちよくわからなかったのだけれど、その他はiPod touchとほとんどおんなじだったので、戸惑うことはなかった。
設定が終了して最初にすることは、今までのケータイメールアドレス変更のお知らせを配信することだ。これがよくわからなかった。SB同士なら午後9時前までなら無料で通話できる。さっそく、京都のキシ先生に電話してやり方を教えてもらった。

この日は、夕方から西部大会の反省会が予定されていた。会が始まっても、アド変メール送信のことばかりが気になって、つい飲み食いを忘れてメールを送信していた。そのうちに、返信メールやら電話やらが続々と入ってきた。中には、ずいぶんと懐かしい人からのメールもあった。それらに返信をしている間に、もう会はお開きの時間となった。

明けて日曜日。
前日購入した『30分でわかるiPhone』(ソシム)を熟読。前日に引き続いてあれこれ設定をしてみる。Bluetoothの機能があるので、そのままプリウスに同期すればハンズフリーでも使えることなどがわかった。
いやはや。
何か、このガジェットのおかげで新しい生活が始まりそうな予感がする。

2010年11月09日

スーさん、韓氏意拳を学ぶ

11月8日(月)

以下、先週の備忘録を。

3日(文化の日)
朝から横浜へ。みなとみらいホールでの「都響スペシャル横浜公演」を聴くためである。同行はオノちゃん。現地で、音大生のご子息と合流して、一緒に公演を聴くことになっていた。妻と計3名でプリウスに乗り込み、ちょうどお昼に横浜へ到着する予定で浜松を出発した。
出発前、テレビは厳戒の横浜の様子を伝えていた。APECの開催直前だったからである。横浜に到着後、会場近くの駐車場に車を置こうとして、いきなり検問を受けた。どうやら、APECの会場はみなとみらいホールのすぐ隣らしかった。そのため、ホールにいちばん近い市営の駐車場は閉鎖されていたのだ。交通整理をしていた警備員の方にお聞きすると、「クイーンズ・スクエアなら駐車場があります」とのことだった。案内どおりの駐車場に入れ(何と地下4階だった!)、エレベーターを上がると、そこがみなとみらいホールの入口だった。 すぐに娘と待ち合わせを予定していたJR桜木町駅方面へ。ランドマークプラザを出ると、ひどく高いビルがどおーんと建っていた。かの有名なランドマークタワー(70階建て)だった。目の前には帆船「日本丸」。その隣には博物館も見えた。娘との待ち合わせ時間にはまだ20分ほどあったので、「日本丸」と「横浜みなと博物館」も見学してみることにした。日本丸は、今にも航海に出られそうな状態で保存されてあった。博物館もさっと見学して娘と合流。
昼食は中華街でと思っていたのだが、わざわざ電車に乗るのも時間がかかるし、ランドマークプラザ内にもいろんな飲食店が入っていたので、そこで昼食にしようということになった。
昼食を終え、みなとみらいホールへ。正面に立派なパイプオルガンが設えられた立派なホールだった。娘の大学のオケもここでコンサートをやるとか。ここにも警備の警察官がいたが、せっかくなのでホール正面にてその警官に写真を撮ってもらった。
午後2時きっかりに開演。オープニングはベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。演奏は可もなく不可もなしであったが、テュッティでの硬質な響きがちと気になった。続いて、サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番。初めて聴く曲だった。悪くはない。独奏者の指がよく動いていた。
休憩後は、リムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」。始まってすぐに、どこかからかすかな音楽が聴こえてきた。「ん?誰だよ、ケータイの着メロとか鳴らしてんのは!」と思いきや、鳴っていたのは自分のズボン内のiPhone4だった。知らぬ間にiPodの設定になっていたらしい。かなり慌ててスイッチを切った。指をスライドしないと「電源を切る」ことができないのは、こういうときにはかなり不便だと思った。ああ、あせった。
この日のコンマス、たぶん休日のファミリーコンサートだからと任されたコンマスだったのだろうか、ひどく張り切っていた。というか、力んでいた。いきなりヴァイオリンのソロで音を外しまくった。そのあとの態度がいけなかった。ソロの失敗を悔やむかのように、天を仰いでいたのだ。
でも、そのチョンボも第2楽章のオーボエのソロで帳消しになった。思わず胸がいっぱいになった。全体的には、ところどころで都響「らしさ」はうかがえたものの、「ま、こんなもんかな」という「シェヘラザード」だった。昼間のコンサートということもあったのかもしれない。
終わって、娘を新横浜まで送る車中、娘が「あのコンマスはよくない」と言い出した。「失敗するのは仕方がない。でも、その後の態度がよくない。だって、失敗していかにも悔しそうな態度を取るのって、聴衆に対するリスペクトがないじゃない!」とのことだった。わが娘ながら、たまにはいいこと言うなあと感心しながら聞いていた。

4日(木)
本校の、市教育委員会指定研究発表会当日だった。コメントは控えたい。

6日(土)
夕方、四国から守さんとカンキくんが来浜。守さんは翌日の講習会のため。カンキくんは、日曜日の成田発バルセロナ行きの「途中下車」。
さっそく、守さんからこの日の午後わが家に到着するよう届けられたバランスボード等の荷物を持参して、この日のために貸切予約をしておいたレストランへと駆けつける。
参加したのは、いつもの浜松支部の面々とスガイくん一家、合気道浜名湖道場の有志。会の最初こそおとなしく料理とお酒をいただいていたのだが、前菜が終わると早くも「臨時講習会」が始まった。特に好評だったのはバランスボード。スガイくんの娘&息子がすぐに飛びついた。それからは、料理もお酒も「講習の合間にいただく」という状況を呈してきた。たぶんこうなるであろうという予想から、レストランを貸切にしたのは正解だった。守さんから次々に繰り出される身体操法の数々に、参加者たちは目を白黒させながらも、自分が実際にやってみたり、指導してもらったりしながら、その楽しさを実感させられていった。
いつ果てるともしれない「臨時講習会」も気がつけば3時間以上を経過。あまりお店に迷惑をかけるわけにはいかない(って、十分かけてたと思いますが)ので、ホテル近くの二次会ができそうなお店に連絡を取って、そちらに移動する。
二次会では、専ら「マフェトン理論」のことが話題になった。同行していた妻がひどく興味を持った様子だった。こちらも、あっという間の2時間の余。守さんには、翌日講習会をお願いしているということもあり、名残は尽きないままにお開き。翌朝早く成田へと向かうカンキくんには、支部から「バルセロナで飲んでね」と静岡の緑茶を餞別に。何とも楽しい夜だった。

7日(日)
明けて日曜日。講習会のこともあったから、前日は「バカ飲み」しないようにと気をつけていたので、二日酔いもなく会場である本校へ。到着すると、向こうからヨッシーと、お隣りT中の先生が走ってきた。「先生、体育館でインディアカやるそうなんですけど」と言う。そんなはずはなかった。ちゃんと職員会議でもこの日は体育館を使用させてもらうと確認が取れていたはずだし、教頭だって何も言ってなかった。何でも小学校区のインディアカ大会を本校体育館で行う予定になっていたらしい。でも、おかしなことに本校職員は誰もそれを知らなかった(というか、誰かが忘れてただけなんだと思うけど)。でも、続々と「それらしい」人たちが集まってくる。ぐずぐずしてはいられない。
と、そのときお隣りT中のコーイチ先生が「ウチの学校の体育館なら使えますよ」と言ってくださった。T中ならば、本校から歩いて行けない距離でもない。すぐにお願いをして、関係する先生方と生徒に連絡を入れることにした。
そうこうしているうちに、守さんが到着された。事情をお話してお詫びしつつ、同乗してきたオノちゃんと一緒に、すぐT中へ移動してもらうことにした。何とか連絡の手筈も済み、予定時間より10分ほど遅れて、まずは大人対象の講習が始まった。生徒の講習と時間差があったのが幸いした。参加生徒が多かったため、先生方に生徒のやり方を見てほしいとの守さんからの依頼で、チェックポイントを事前に講習しておくことになっていたのだ。
メンバーは前夜とほとんど変わらなかったが、初めての先生方は、私たちが初めて守さんの講習を受けた時のように驚きの目を見張った。すぐに「守さんワールド」に引き込まれた。
1時間後、生徒対象の講習が始まった。最初は、タオルを使ったストレッチから。すぐにできる生徒や、なかなかできない生徒など様々。でも、生徒たちは楽しそうにやっていたし、何より守さんが近くで見るようにと指示されると、かなり至近距離でしっかり見ようという生徒たちばかりだった。興味津々だったに違いない。
そんな講習もあっという間にお昼過ぎ。そろそろお開きということで、最後はインディアン相撲をやって終了。何とも学ぶことの多い講習会だった。生徒たちも同じ思いだったことと思う。
せっかく浜松まで来ていただいたので、お昼は恒例のうなぎ。いつもは「うなとろ茶漬け」をご賞味いただくのだけれど、駅近くの「支店」はかなり待たされるとのことで、ヨッシーが手配してくれた駅南のお店へ。
守さんの新幹線の時間が3時半過ぎだったので、食後は駅すぐ近くのロイホでコーヒー。最後に、駅にて守さんをお見送りして「濃い」2日間が終わった。
今回、誰よりも大きな関心を示したのは、不肖の妻だった。日曜日は時間休を取っていたのだが、守さんのお帰りの時間が3時半過ぎの新幹線と聞くと、職場に電話をかけて遅れて出勤する旨の連絡をしていた。マフェトンも、すぐに実践してみたいと乗り気満々である。それより何より、「韓氏意拳に入門したい!」と言い出した。
守さ~ん、どうしましょう?

2010年11月16日

スーさん、パスを出す

11月15日(月)

日曜日は、中体連ソフトテニス部主催のサークル研修に講師として招かれたので、今年の新採の先生を含む、主として20代の先生方を前に、ソフトテニスの指導について一席伺う。

若手指導者たちを対象にした指導者講習会は、3年前は県西部地区の先生たちを対象に、2年前は中・高体連の合同研修会でも行ったことがある。
でも、今回の研修会は自分の中では今までとはちょっと違った感じでとらえていた。
大きなきっかけは、先月の内田先生の浜松講演会だった。そのときの日記(10月25日)にも書いたが、先生は「自分のリソースは、先人たちからパスされたものだから、それはパスしなければならない」とおっしゃった。
そのあとで読んだ『街場のメディア論』(光文社新書)にも、先生は「贈与してくれた人に直接返礼をしてはならない。パスは次のパッサーに向けて送らなければならない。そのパッサーがまた次のパッサーに送れるように。」(175頁)と書かれていた。
そんなときに、中体連ソフトテニス部の役員からお話をいただいた。今までだったら、「もう過去に何度かやったからいいよ」とお断りしていたかもしれなかった。でも、今回は先生のお言葉がしっかりと刻み込まれていた。一も二もなく承諾した。

以下、どんなことを「パス」したのか、その要点を記しておきたい。

○初めて顧問になって、具体的に何をどう指導したらよいのかわからないままに顧問を任され、きちんとした指導ができずに子どもたちには申しわけない思いをしている先生も多かろうと思うが、そんな「疚しさ」こそが顧問としての原点である。「疚しさ」」を感じるからこそ、常に「こんな指導でいいのだろうか、もっといいい指導法があるのではなかろうか」と問い続ける姿勢が生まれてくる。

○勝ち負けにこだわり過ぎないようにしたい。「勝つこと」だけを求めることで、見えなくなることも多い。それよりも、実際に練習をしていく過程で、子どもたちがどう変わっていったのかという過程こそが大切だ。

○やたらに練習マッチばかりしていると、自分の指導力が磨けない。じっくり練習で自分の選手たちに向きあって、子どもたちが伸びるための指導を展開したい。

○試合には勝ち負けが伴う。負けの責任はすべて指導者にある。だから、試合に負けた選手たちを見せしめのようにランニングさせたりするのは以ての外。指導者が、勝てなかったことを選手たちに詫びるべきである。

○やたらと子どもたちを叱ってはならない。「じゃオマエやってみろよ」と選手から言われて、選手以上のパフォーマンスができるのか。どうすればできるようになるかということを示唆したり、選手と共に考えたりしたい。

○どう指導したらよいのかわからなくなることもある。そんな時こそ、「師」を求めるべきである。指導者が「師」を仰ぎ見ることによって、その指導者の視線を子どもたちも見るようになる。つまり、より高いものを目指すようになってくる。

○具体的な練習メニューは、いろんな指導書等に載っているもので十分。大事なことは、それらのメニューを、いかに自分とこの子どもたちの実態に合うようアレンジしていくかということ。

○指導するときの言葉、特に比喩の使い方はとても大切。その使い方を工夫したい。比喩によって、すとんと子どもたちの胸に落ちることがある。

○人間の身体が持っている大きなポテンシャルを、具体的にどう発現させていくかということを考えたい。従来の定説にとらわれない柔軟なスタンスを持ちたい。

○技術的な指導は、指導者がどこに目を付けるかということを知っておきたい。例えば、子どもたちの肘の使い方に着目すべきなのに、ボールのインパクトを指摘しても指導にはならない。

こんなことを話したあとは、実際にテニスコートへと移動して、ボール出しの仕方や前衛のポジション取り等について説明した。
どの先生も、熱心に聞いてくれたし、実際にやってみてくれた。拙い説明ではあったと思うが、何かしら掴んでくれたのなら幸甚である。

この職も、そろそろ出口が見えてきている。それまでの間、でき得るだけのパスを出していきたい。今はそんなことばかり考えている。

2010年11月26日

スーさん、濃い5日間を過ごす

11月24日(水)

いろんなことがあった5日間だった。

19日(金)
エコポイントなるものが今月中で半減するとか聞き、「どのみちテレビを買い替えなきゃいけないんなら、この際だからちょっと無理して今月中に地デジを買うしかないかあ」と妻とも相談して、とりあえず家電量販店へ。
一応、「もしも買うんなら」と新聞広告のチラシなどで以前から目星をつけていたものはあった。最初に行ったお店でその機種のことを店員さんに聞くと、「すみません、今在庫がなくて、いつ商品が入るかも未定です」とのお話だった。
仕方がないので、次のお店へ。しかし、お目当てのテレビはここにもなかった。さらに次のお店へ。まったく同じものはなかったが、やや上位機種で値段もそれなりのものはあった。しかし、「入荷は12月の下旬になります」とのことだった。購入は保留して、さらに次のお店へ。何と、ここのお店はテレビコーナーで店員さんの説明を聞くのに、まるでファミレスの順番待ちのような名前を記入する用紙が用意されていた。待つこと暫し。名前が呼ばれたので、「32型、録画機能が付いたもの、10万円以下で」と問うと、該当するテレビを紹介してくれた。あれこれ思案の末、ブルーレイの録画再生機能が付いたものを購入することにした。
しかし、別に今のテレビで何の不足もないのに、なんで買い替えなきゃいけないんだろうという疑問は残った。だから、なんで?
テレビは来月上旬にはわが家に届けられる手筈である。

20日(土)
娘が帰省した。翌日に予定されている従姉妹の結婚式に参列するためである。
以前から、この帰省に合わせてケータイをiPhone4に変更するよう打ち合わせていた。午後、駅まで迎えに行き、従来のキャリアのお店でMNPの手続きをしてもらって、SBのお店へ。
妻は仕事だったため、妻の分も含めてすぐに手続きに入ってもらった。2台分ということもあってか、連絡先のデータ移行も含めてかなりの時間がかかった。夕方、ようやく使える状態になったので、とりあえずケースだけは購入して、娘に妻のところへと届けさせることにした。
この日は久しぶりに支部例会。終わって帰宅してから、妻と娘のiPhone4にアプリを同期させる作業。家のMac miniは、家族3人がログインできる状態に設定してあるので、iTunesのアプリ同期もスムーズに行うことができた。娘には、使用法やアプリの解説書を娘に渡したのだが、どうやらこの夜はずーっとiPhone4と首っ引きだったらしく、翌朝「2時間しか寝てな~い」と起床してきた。

21日(日)
この日は、学校創立50周年記念式典が予定されていた。もちろん、生徒は出校日。しかし、自分は妻の姪の結婚式のためにお休みをいただいていた。
式は午前10時、披露宴が11時からだったが、娘は歌のリハーサルがあるとのことで、一人だけ早めに会場へと向かった。その会場、このところ何かとお世話になることが多かった「ミュゼ四ツ池」。つい最近では守さんの歓迎小宴を開いたところだ。
妻と会場に到着すると、顔馴染みになったMマネージャーから、「親族紹介をしていますので、お急ぎください」と言われた。慌ててその部屋に案内される。それが済んで挙式、写真撮影、そして披露宴。
シャンパンの乾杯から始まったのだが、私たちのテーブルでは誰もお酒を飲む人がいなかった。仕方がないので、一人でシャンパンやらビールやらワインを飲んだ。料理が美味しかったので、つい飲み過ぎた。宴の終わる頃には頭が痛くなってきた。そのまま家に戻って、夕方まで昼寝(夕方寝?)。ようやく頭痛が治った。

22日(月)
昨日の出校日の代休。
たまたま妻も休みだったので、大学へ戻る娘を駅まで送りながら、そのまま静岡市へ。
映画「冬の小鳥」の鑑賞が目的である。この映画のことは、以前読んだ『本は読めないものだから心配するな』の著者である管啓次郎さんのブログで知った。こう紹介されていた。
「何もいわないから、ぜひ観にいってください。岩波ホール。何の知識もなく観たほうがいいと思います。」
「岩波ホール」ということは、たぶん全国でも上映されるホールが限られていると思い、さっそくネットで調べてみた。案の定、観られる映画館は全国でも数ヶ所しかなかった。が、ラッキーなことにその数少ない映画館に、静岡市の映画館が含まれていた。これはぜひとも観に行かずばなるまいと思った。前売りを買おうとも思ったのだが、気づいたときには既に前売りチケットの販売は終わっていた。一人1,800円はなかなかの値段だが、それだけの価値ある映画なら当日券でもよかろうと思っていた。上映は、午前中が9時50分から、午後は3時45分からの2回上映だった。
午後の上映なら、高速道を使わず、途中お昼も食べながらのんびりと静岡市まで走って、最後に映画を見て帰ってくるという日程を考えた。
こういうときに、ウチの奥さんは「何の映画見に行くの?」とか、「どこまで行くの?」とか、あれこれ言わないのでとてもありがたい。黙ってついて来て、それなりに楽しんでくれるのである。
まずは、最初の目的地である焼津の「小川港魚河岸食堂」へ。焼津と言えば、「かどや」なのだが、生憎「かどや」は月曜日が定休日だった。そこで、以前から気になっていた焼津港すぐ西の小川港にある「魚河岸食堂」に行ってみようと思ったのである。
浜松駅から、国道1号線のバイパスを東へ。途中、磐田と掛川で渋滞したが、小川港には昼前に到着。さっそく件の魚河岸食堂へ。お店に入ると、壁一面にメニューの写真が貼られている。注文は自販機でチケットを購入するのである。自分は、刺身・黒はんぺん・かき揚げ・しらすがセットの「駿河定食」を、妻は「刺身の盛り合わせ」定食をそれぞれ注文。食券を出すと、番号順に呼ばれるのでカウンターに料理を取りに行く。さすがに平日ということもあり、店内はさほど混んではいない。それでも、正午を過ぎると続々と客がやって来た。
料理はたしかにボリュームたっぷりであった。何より、鰹の刺身は新鮮で美味しかった。しかし、「かどや」には及ばないというのが正直な感想であった。
満腹のお腹をさすりつつ、「んじゃ、温泉にでも入るべ」ということで、「かどや」のすぐ隣にある入浴施設へ。ところが、何と定休日のはずだった「かどや」が営業していた!お店の前の駐車場は満車。「な~んだ、やってんじゃん!」と言いつつ、すぐ隣りの入浴施設の駐車場へ。ひどく空いていた。入口をよく見ると、「本日休館日」の立札。「な~んだ、やってないじゃん!」
仕方がないので、これまた家を出る前に調べておいた干物屋へ。焼津と静岡のちょうど間にある用宗港近くの干物屋さんである。
お店に着いてあれこれと干物を見る。珍しい干物もあった。定番の鯵や鰯に加え、このお店オススメの干物をいくつか買い求める。妻が支払いをしている間に、そこから行けそうな温泉を調べてみた。こういうときに威力を発揮するのがiPhone4である。起動したのは、「温泉さがし」というアプリ。すぐに静岡市内の2件の温泉が検索された。すかさずナビに入力して目的地に設定。干物屋さんから20分ほどで到着した。
着いたのは「静岡温泉」。「本日はお二人で800円デーです」と案内された。得した気分になった。湯は、何と本物の温泉だった。サウナも含め、小1時間ほどのんびりと湯に浸かる。
最後は映画。なかなか映画館の場所がわからなかったが、これまたiPhoneの地図アプリで迷うことなく探すことができた。受付でチケットを購入しようとすると、「夫婦でどちらかが50歳以上なら、お一人千円で鑑賞いただけます」と案内された。特別の映画だとそんな割引もないのではと思っていたのだが、これはありがたかった。
「冬の小鳥」は、評判どおりのいい映画だった。と言うか、重たい映画だった。韓国は家族関係を大切にするお国柄と聞いていたが、その韓国の映画でこのような作品が作られるということは、韓国もご多分に漏れず家族関係が変容しつつあるのかと思わせられた。
音楽も最小限に抑えることで、ともすると「お涙頂戴」となりそうなところを、ぐっと抑えた佳作に仕上がっていたと思う。胸に残る思いを反芻しながら、雨の東名を浜松へと帰る。

23日(火)
この日は、合気道多田塾自由が丘道場主催 の「気の練磨・剣杖特別稽古」へ参加するため、浜名湖道場の道友であるタカバさん、ヤマダさんと東京へ。
多田先生の稽古を受けるのは2年ぶり。前回も同じ「気の練磨・剣杖特別稽古」であった。
途中、事故渋滞もあったが、お昼過ぎには会場である目黒区の区立八雲体育館に到着して昼食場所を探しに。
実は、この日の朝から、守さんに勧められた「マフェトン」を妻と実施することにしていた。とりあえず2週間、一切の糖分(ブドウ糖類)を摂取しないようにするのである。朝はサラダと納豆と目玉焼き。お昼はどうしようかと思っていたのだが、ファミレスならば何か食べるものもあろうと入店すると、はたしてご飯を除けば肉と野菜を蒸し焼きにした料理があった。外食でも何とかなるものである。実際に食べてみると、ご飯なしでも「腹八分目」でちょうどよい感じだった。
昼食後、「どうしても多田先生の稽古を受けたい」ということで、前日からご子息のところへと出向いて東京に泊まっていたオノちゃんと合流し、体育館へ。すぐに稽古着に着替えてフロアーへ。
稽古は予定より15分ほど早く始まった。準備体操のあとは呼吸操練。続いて剣の稽古。先生からは、全体に準備が悪いことを指摘された。さらに続いて杖の稽古。ふだんはほとんど稽古していないので、杖の2番はよく覚えておらず、周りを見ながらの稽古となった。さらに2番Aの杖が終わって、グループでの稽古と指示されたので、すかさず北総山田師範のお姿を探してそちらに合流する。そこで、山田師範に何度もやっていただきながら、ようやく2番Aを何とか最後まで振ることができた。
1時45分に始まった稽古は、休憩なしで夕方5時半まで4時間近くに及んだ。ひどく汗をかいた。情けないことに、左手人差し指と右足親指にマメを作ってしまった。それだけふだんが稽古不足ということである。
何より、多田塾のエートスを存分に感じることができた。それだけでも、東京まで行った甲斐があった。得難い機会であった。

「濃い」5日間だった。

2010年11月30日

スーさん、型について考える

11月29日(月)

部活動の指導をしていて気がついたことを少々。

テニスのような、ことラケットスポーツに限っては、ボールを打球する際のフォームについてやかましく言われることが多い。
特に、コーチは選手の一挙一投足を注意深く見守り、「違う、そうじゃなくてもっと左手を前に出して全体のバランスを取って打つんだ!」」とか、「肘が下がってる、打つ前に肘は上がってこないとダメなんだよ!」などと指摘して指導している。
もちろん、「フォーム」なるものは、その競技が始まって以来、「こうすれば最も効率的に力強く、かつコントロールされたボールが打てる」との経験則で自然に固まってきたものであろうから、それを無碍に否定するわけではない。

しかし、ともするとそのフォームに拘るあまり、必要以上に細部にわたって指導してしまうこともある。
初心者の場合は、そんなに細かなところまでは指導しなくても、大凡のかたちができてくればそれでよしとするのであろうが、ある程度のレベルを超えて、さらにそれ以上レベルアップさせようとすると、どうしても細部にこだわって指導するようになるのだ。
そうすると、選手はどうしてもその指導されたことにとらわれてしまい、却ってうまく打球できないというようなことが出来することもある。

「でも、それはそれで仕方のないことなのであろう」と考えてよいものなのかどうか考え込んでしまった。
ほんとうにそれでいいのだろうか。
この場合の「フォーム」とは、例えばボールを打つ際の具体的な身体操作(手足の使い方、身体の他の部分の動かし方など)も含めてのことである。であるならば、「それを指導することがコーチの仕事だろうが」と言われそうである。おっしゃるとおりである。
考えなければならないことは、そのコーチングの方向性である。

例えば、テニスの場合は打点が体に近いと、ネットミスをすることが多い。だから、練習中に打点が近い選手には、いちいち「打点が近いぞ」と注意をすることになる。
そんな場合、打点の矯正に焦点を絞ることも大切だろうが、それだけではなく、「その打点で打たざるを得ない場合はどう打つか」という方向性でコーチングをすることも必要なのではないかということなのである。

もちろん、どんな場合でもベストの打点で打てることが理想であろう。そのためにフットワークを磨き、予測能力を高めることを意識して練習に励むことも大切なことだ。
でも、特に試合の場合にはベストの打点で打てないことの方が多い。となると、「常にベストの打点で打てるようにせよ」という指示も必要ではあろうが、「打点が近くても、ネットせず相手のチャンスボールにもならないような打法も工夫せよ。例えば…」と、その具体的な打ち方を示唆することも、大切なコーチングと言えるのではないかということである。

うまく身体を使うことで、本来なら自由闊達に打球できるはずのところを、打点を気にしながら打とうとするために、つい打法の幅が狭まってしまうというようなコーチングの陥穽に陥ってはいないだろうかということを、時にはチェックすることも必要だと思うのである。

あらゆる体勢で、あらゆる種類のボールがミスなく打てるようにすること。これがテニスの理想である。
しかし、「テニスの打法はかくあるべし」という考えにとらわれると、極めて幅の狭い打法でいろんなボールを打たねばならなくなる。これは技術的にかなり難しいことである。
たった一着のスーツだけで、仕事も結婚式も葬式も賄うことはできない。 TPOに応じて、服も着替えるべきなのだ。

合気道の稽古は、型稽古に終始する。しかし、その型稽古は実に多くの種類がある。だから、それに習熟することで、相手の出方に応じて変幻自在に技が繰り出せるようになる。
テニスの練習もそうありたい。
先日の「気の錬磨・剣杖特別稽古」の際、多田先生は、「一番の杖には杖の使い方のすべての要素が入っている」とおっしゃった。同様に、テニスにおいても、「この練習の中に基本的なラケットの使い方はすべて網羅されている」というような練習法を編み出したい。

ソフトテニスを武術的立場で考えることで、そこから何か新しい発想が生まれはしないか。
そんな試みをこれからも積み重ねていきたい。

About 2010年11月

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