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2010年09月 アーカイブ

2010年09月02日

スーさん、夏休みの終わりに思う

8月31日(火)

8月最期の1週間は、たいへんに「濃い」1週間であった。

8月23日(月)
この日は、朝から神戸へ。恒例の「神戸・城崎への旅」である。
今回は、支部メンバーに加えて、「神戸にあるパワースポットに行きたい!」と強く希望した不肖の娘と、その保護者役としての妻、さらに今回初参加という沼津のスガイくんも合わせ、総勢7名がオノちゃんアルファードに同乗して、一路神戸へと向かうことになった。
東名・伊勢道・東名阪・第二名神・名神と通って、目指す昼食場所である阪急春日野道駅下「ひかりや」に到着したのは、ちょうど昼前。しかし!何と「ひかりや」は臨時休業だった。「や、焼きめしモダン、オレの焼きめしモダンはどうしてくれるんだ!」と叫んでも仕方がない。とりあえず宿舎のホテルまで行って車と荷物を預け、近くで昼食を取ることにした。
宿舎は、元町の「R&Bホテル神戸元町」。大丸のすぐ北向かいにあるホテルだ。フロントで「この近くにオススメのお好み焼き屋さんとかあります?」と聞くと、トアロードの「凡」というお店を紹介してくれた。直行する。このお店では、何と「クリアアサヒ」が1杯190円だった。さっそく焼きそば、お好み焼きなどが次々と注文され、あっという間に平らげられていく。存分に飲み且つ食べて、そこから後は各々の自由時間。
妻と娘は、目的のパワースポット(何でも、北野異人館の八番館内にある椅子らしい)へは翌朝いちばんに行く予定にしていたのだが、スガイくんから「今から行って、混んでたら明日にすればいいじゃない。もし今日行けたら、明日は違うところに行けるでしょ?」というアドバイスに従って、そのまま異人館へ行くことに。残りの面々も、それぞれ思い思いのところへ。
ジュンク堂で本を見て、喫茶店でオノちゃんたちと話をしていると、妻からメールが入った。何と、待ち時間なしでお目当ての椅子に座ることができたとのこと。電話をしてみると、娘ともども、たいそうな喜びようだった。他の異人館とかも見て、ゆっくりお茶してホテルへ戻るとのことだったので、頃合いを見て待ち合わせ、久しぶりに家族3人でショッピング。
この日の夕方からは、本部からカンキくん、カゲウラくん、ヒラオさん、オーサコくん、さらには「息災でいるか一年に一度確認する日」(@オーサコくん)と言われているナガミツくんも加え、総勢12名での小宴が予定されていた。場所は元町の「別館牡丹園」。人数から、事前に予約を入れておいたほうがよかろうというアオヤマ姉御からのご助言もいただき、予算を伝えてコース料理を頼んでおいた。
午後7時、キックオフ。おいしい料理にメンバーの楽しいお話の数々。不肖の娘の「何かスポーツされてたんですか?」というヒラオさんへの質問も肴にされながら、あっという間の3時間。
「では、河岸を変えて」ということで、「ムーンライト」へと繰り出したが、さすがに12名いっぺんに入ることもできず、オーサコくんが連絡を入れてくれて、何とか入れそうという三宮の「ローハイド」まで移動。
店内は、月曜日の夜というのに、ほぼ満席だった。昨年はここで飲み過ぎて、翌日ダウンしたこともあって、あまり調子こいて飲まないことを心がけていた。それでも、バーボンを何杯かおかわりしながら、あっという間に三更。電車でお帰りになる人たちを見送り、ふらふらとホテルへ。そのまま寝てもよかったのだが、何だか名残惜しいような気もして、ホテル近くの居酒屋にて三次会。それにしても、楽しい夜だった。

8月24日(火)
内田先生とは、9時半にご自宅にて待ち合わせになっていた。別ホテルに宿泊していたカンキくんと合流し、この日帰る妻と娘とはホテルにて別れて、そのまま先生のご自宅へ。
きっかり時間どおりに先生が出てこられたので、そのままカンキくんと先生の車に同乗させてもらい、まずは昼食場所である出石へ。
昨年は、ひどい宿酔いのため、先生の車の後部座席にて青色吐息であったが、昨晩はやや控え目にしていたこともあって、今年は絶好調であった。道中、助手席でいろいろと貴重なお話を聞かせていただいた。
出石では、町外れにある「永楽蕎麦」へ。7人でとりあえず100皿。さらに20皿を追加注文、十分に満足して城崎へ。
城崎の宿はいつもの「湯楽」。今回は、mixiのコミュで面識(今回初めてお会いすることができました)を得たリサさんのご好意もあって、いろんな厚遇を得ることができた。
チェックイン前だったので、まずは外湯の「御所の湯」へ。湯上り後のうだうだした時間が何とも貴重である。ゆっくり宿へと戻って、夕食前にまずは一局。人数が多かったため、トップ残りの東回しで行うことになった。最初は対戦メンバーから外れた先生は、徐にiPadを持ち出してお仕事を始められた。ほんとうにお忙しいのである。
いよいよ総長のお出まし。仰けから絶好調である。夕食前に既に2勝を挙げられた。
夕食による水入りとなったが、ここの夕食はほんとうに美味しい。今回は但馬牛のすき焼きがメインだった。mixi特典で、一人一人希望した飲み物が付いている。じっくり時間をかけていただく。
食後は、再び囲卓。相変わらず、総長は好調を維持していたが、少しずつスガイくんが巻き返してきた。オーツボくんもコンスタントに和了っている。逆に、なかなか和了に恵まれないのは支部長、オノちゃん、カンキくん。時々参加しているオータくんは、まだ育成会組であるが、なかなか健闘していた。対局の合間に、今回不参加だったヨッシーに代わって、夜食のおにぎりを握ったりしてくれていた。
対局していないときは、それぞれ内湯に入ったり、おにぎりを食べたり、対局を観戦したり。そろそろ四更に入るに及んで、ようやく終局となった。トータルのトップは総長、2位がスガイくん、3位オーツボくん、4位オノちゃん、5位オータくん、6位支部長、7位カンキくんという結果だった。

8月25日(水)
「湯楽」の朝食が、これまたおいしい。思わず、ご飯を3杯おかわり。
朝食後は、ヨッシーが「きっと朝はコーヒーを飲みますよね」と用意してくれたインスタントコーヒーを部屋で飲みながら団欒。この時間が得難い。先生からいろんなお話をうかがって、大笑いしているうちにチェックアウトの時間となる。
「湯楽」を後にして、これまたいつもの円山川沿いの「海の駅」にて土産物を購入。山陰と言えば、鳥取の梨なのだ。
そのまま、福知山から舞鶴道に入って、六人部のPAで休憩。ここで、先生たちとはお別れ。「ではまた10月に」と言い残して、先生のBMWは神戸方面へと走り去っていった。
こちらは大阪ミナミで途中下車して昼食。スガイくんは、奥方から連絡があって、早めに帰らねばならなくなったとのことで、昼食もそこそこに難波から地下鉄で新大阪まで、そこから新幹線で一足早く帰ることになった。
残った4人の帰浜は午後6時。今年も、心の奥にじんと残るものがあった神戸・城崎への旅だった。
先生、お忙しいところ、ご同行いただきほんとうにありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします。

8月26日(木)
昨日までの旅の余韻が抜けきらないままに、終日日直で出勤。昨日のことがまるで夢の中のことであったような感じがする。

8月27日(金)
終日出勤。2学期の準備。

8月28日(土)
「夏休みパート2」初日。終日蟄居。読書と昼寝。夕刻より、城崎に行けなかったメンバーを中心に支部定例会。支部長、ようやく2勝。

8月29日(日)
「夏休みパート2」二日目。この日から1泊2日で、今年で4年目になる妻の誕生日小旅行。
一年目は、伊勢志摩へ。小さな民宿に泊まって、海の幸を満喫した。二年目は伊豆の戸田。露天風呂付きの部屋に泊まった。三年目の昨年は伊豆の北川温泉。ホテルは古かったのだが、料理が豪快だった。そして今年。木曽の音楽祭に行こうとも考えていたのだが、どうも適当な宿がなく、んじゃ手取り早く行ける西伊豆にしようかあということになって、R天トラベルで検索していたところ、戸田に「全6室、全室オーシャンビュー、露天風呂付きの部屋!」なる触れ込みの宿を発見。値段もリーズナブルということで即決、かくして二度目の戸田行きとなったのであった。
せっかく戸田に行くのだから、周辺でまだ行ったことない場所を探していたところ、沼津・三島間の長泉町に「クレマチスの丘」なる場所があることを知る。ネットで見てみると、ベルナール・ビュフェ美術館なども併設されている。というわけで、初日はクレマチスの丘へ、そこで昼食後に戸田へ、時間が早ければ海水浴も、という日程が決定された。
日曜日であったが、東名はそんなに混んではいなかった。沼津インターを出て、すぐに新しくできた東駿河湾環状道路へ。長泉インターで降りて一路クレマチスの丘へ。
まずはビュフェ美術館。こういうときは、JAFの会員証がモノを言う。二人で300円ほど割引となって入館。ビュフェの絵は、何よりまっすぐな線が特徴だ。先日の城崎への車中で、内田先生からお聞きした「どんな樹の下で寝るのがよろしいか」というお話を思い出した。サルスベリの樹の下で寝てはいけないのだそうだ。なぜなら、幹や枝がねじ曲がっているからだ。反対に、柳の木の下はよろしいとのこと。三軸修正法と関連がありそうだ。ビュフェの絵も、きっと部屋の何処かに掛けておくと、軸を修正する働きがあるのかもしれない。そんな気がした。そんな思いもあって、絵葉書を一枚購入してきた。
美術館を出ると、ちょうどお昼過ぎ。付設のレストランにも行ったのだが、どうも値段がよろしくない。そこで、地元沼津のスガイ先生に電話を入れる。すぐに、「清水町の丸天はどうですか?」と紹介された。え?清水町にも丸天あるの?というわけで、すぐにナビをセットして丸天に直行。
日曜日だというのに、店内はすいていた。ラッキーだった。妻は残り一つという「お好み定食」を、自分はいつものお刺身盛り合わせ定食をそれぞれ頼んだ。
もちろん、そこでビールを飲んだ夫に代わってプリウスを駆るのは妻。修善寺道路→修善寺→戸田峠を経て、目指す戸田の宿舎に到着。まるで個人の家のような宿だった。何より、庭から見える景色がいい。すぐに庭の一角に設えられているジャグジーへ。夕食は和洋折衷料理。駿河湾に沈む夕陽を眺めながらいただく夕食は、また格別であった。

8月30日(月)
部屋には半露天風呂が用意されていた。朝、朝日のあたる戸田港を見下ろしながら、朝湯に浸かるこの上ない幸福感。ああ、やっぱり伊豆だと実感させられた。
朝食は、開け放たれた庭から駿河湾をゆく漁船を眺めながら。朝の駿河湾は、潮が幾筋も濃淡を描いていた。海も秋の粧を始めていると実感させられた。
そのまま沼津へ出るのも芸がないので、いつも通り過ぎるだけの修善寺へ立ち寄ってみることにした。地名のとおり、修善寺という由緒ある寺がちゃんとあるのだ。これは落ち着いた雰囲気のいいお寺だった。寺のすぐ下を流れる桂川には、ちょうど川の中央に「独鈷の湯」なる史跡がある。実際に足湯に浸かることができる。そうやって、のんびりと修善寺の風情を楽しでいると、既にお昼を過ぎている。
んじゃ、いつものとおり沼津港でお鮨でも食べて帰ろうやということになった。
でも、その前に、沼津K学園高男子ソフトテニス部顧問であるハラ先生から紹介されていた干物屋さんに寄って、鯵の干物を買って帰るつもりであった。
お店は「アキシン商店」という。沼津からだと、あわしまマリンパークの手前の海沿いにお店がある。「ハラ先生からご紹介されて」とあいさつをして、干物を買いたい旨お伝えすると、「これ食べてみな」といきなり生シラスが出てきただけでなく、七輪で鰯のみりん干しを焼き始めた。「あ、ありがとうございます、じゃ、ちょっとだけ」といただいたのだが、これがまたうまいのなんの!「こ、これも買います」とお願いする。
あれこれ話をする中で、どうやらご子息は中学生で、バレーボールの県選抜チームに選ばれた優秀な選手であるということがわかった。「そうなんですか、実は、ボクもソフトテニスの県選抜の監督してるんです」と言うと、今度は鯵の刺身が出てきた。「今朝取れたばかりだからおいしいよ」と。
「あのお、今から沼津港お鮨を食べようかと思ってるんですけど、どこかオススメのお店あります?」と尋ねると、親父さんは奥からホタテ貝を両手に持って現われ、「今からこれ焼いてやっから。ご飯も出すし、ビールもあるから、ここでお昼にすりゃいいんだよう」とおっしゃる。さすがにホタテはいけません。「あわわわ、い、いえ、けっこうです、とりあえず、鯵と鰯の干物だけ買って帰りますから。ほな、さいなら〜」と逃げるように店を後にしたのであった。
いやはや、「アキシン商店」の親父さん、恐るべし!
今回の旅行では、この親父さんがいちばん印象に残った。
みなさま、「アキシン商店」の干物は、ほんとうにおいしいです!「んじゃ、買ってみっか」という方は、以下のHPでご注文を。決して損はさせません。
http://www.e-akishin.com/cyumon.html

2010年09月08日

スーさん、Power Balanceを装着する

9月6日(月)

二学期が始まった。
ご承知のとおり、最高気温は毎日32度を超えている。風があればそれでも何とか凌げるのだけれど、風のない日の教室はまるでサウナだ。さすがにこれではということで、校長の鶴の一声で、大型扇風機を1ヶ月間レンタルして教室に設置するようにしたのだが、これとていたずらに熱風をかき回すだけで、「ないよりマシ」程度の効力しか発揮できていない。ともかくも、この炎熱地獄が少しでも終熄の方向に向かってくれることを祈るばかりだ。

そんな中で授業もスタートしたからというわけではないのだが、週末の土曜日はひどい腰痛に苛まれた。
実は、神戸に行くころから、多少は右腰の痛みが気にはなっていたのだが、歩行に支障を来すとか、椅子から立ち上がるのに困難を伴うといったほどではなかったし、西伊豆に行ったときも車の乗り降りの際に多少痛む程度だったから、そのまま放っておいたのである。
ところが、土曜日の午前中に部活動の指導をしていると、途中から右腰に鈍痛が走るようになってきた。あれこれ姿勢を変えながら座ってみたりもしたのだが、痛みは一向に収まる気配がない。部活動が終わって、テニスコートから駐車場まで戻るときには、右足を多少引きずらないと歩けないほどだった。
そのまま家に戻って、その日仕事が休みだった妻と昼食に出かけたのだが、やはり車の乗り降りが辛い状況だった。仕方がないので、とりあえず効能書きに「腰痛」と記されていたアリナミンEXを飲むことにした。

この日は、夕方から静岡市に出かける予定であった。年に一度の中・高体連ソフトテニス部懇親会に参加することになっていたのである。午後4時半に自宅までオノちゃんが迎えに来ることになっていた。でも、どうやらそれまでには到底痛みは収まりそうになかった。
4時半きっかりに、オノちゃんが迎えに来た。腰が痛い旨を伝え、車の運転は困難なためそのままアルファードに乗っけてもらって、静岡まで行ってもらうようお願いした。
道中も、ちょっと姿勢を変えるだけで痛みが走る。オノちゃんからは、「まあ、年齢と共に筋肉も衰えてきますからねえ。腹筋や背筋を鍛えた方がいいっすよ」と言われていた。

1時間ほどで静岡市に到着、宿舎のホテルにチェックインして懇親会の時間を待つ。懇親会は静岡センチュリーホテルにて、6時半からと聞いていた。宿舎のホテルからは歩いて5分ほどのところだ。その移動の最中も、やはり腰の痛みは気になった。
宴会場に入ると、見知った顔がちらほら。すぐ隣のテーブルに座っていた高体連委員長と互いに太ったことを揶揄しながら久闊を叙したり、先日アキシン商店でたいへんお世話になった沼津K学園高男子ソフトテニス部監督のハラ先生にお礼を言ったりしているうちに開会。
宴会は2時間ほど。次期県中体連ソフトテニス専門部長であるタカシくんがどうしてもやりたいということだったので、ハラ先生、オノちゃんの計4人で宿舎近くの雀荘へ。この日のタカシくんは強かった。東回しを4回ほどやったのだが、ほとんど一人勝ち状態であった。そのままおとなしく宿舎へと戻る。

その帰り道。「まだ腰が痛いんだよなあ」とぼやいていると、ハラ先生が「だったら、これ付けてみてくださいよ」と自身の腕に装着していた一見時計のような腕輪を見せた。
「なにこれ?」と聞くと、どうやらそれはPOWER BALANCEなる代物であるらしかった。「余分に持ってますから」と車まで取りに行ってくれたので、半信半疑で腕に付けてみることにした。そのまま部屋に戻って、お風呂に入って就寝。
そうして翌朝。
ベッドから恐る恐る起き上がってみた。痛くない。昨日まであれほど痛かった右腰が痛くないのだ!小躍りしたい気分だった。一刻も早く、ハラ先生にそのことを知らせたかった。
朝食時、まずそのことをハラ先生に告げた。「腰、痛くないんだよ。やっぱ効いたのかのかねえ?」と言うと、「合う人と合わない人があるみたいですから。合ったんですね」とのこと。まだ余分に持っているとのことだったので、妻の分も実費でいただいて帰ることにした。
もちろん、POWER BALANCEのおかげで腰痛が治ったということではないのかもしれない。前日に飲んだアリナミンEXの効果があったのかもしれないし、ちょうど自然治癒する時期だったのかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいいのだ。たまたまPOWER BALANCEを装着したところ、腰痛が治まった。その因果関係だけが重要なのである。

そのままPOWER BALANCEを装着して帰宅。すぐに着替えて部活動へ。昨日のことがあるから、またいつ痛みが再発するかと多少は気にしていたが、痛みは出ることはなかった。
いやはや。
ハラ先生には、アキシンでお世話になり、今度はまたPOWER BALANCEでお世話になった。何とお礼を申してよいのやら。これからは毎朝、沼津西浦方面を遥拝することを心に固く誓った。ハラ先生、ありがとうございました。

日曜日の午後は、先日神戸にて購入してきた『ネット・バカ』(ニコラス・G・カー、篠儀直子訳、青土社)を読んでいた。
これは、たいへんに示唆に富む著作であった。帯にはこうある。
「グーグルで知らないことを検索し、ツイッターで日常をつぶやき、iPadで本を買って読む。さまざまなインターネットメディアを当たり前のように使う日常のなかで、実は私たちの脳は少しずつ変化しているのだ」
ん?これって、iPadを除けばオイラの日常じゃん。で、脳はどうなってしまうんだ?と思うと、つい頁を繰らずにはいられなくなった。

筆者の結論は、実際に本を購入して読んでほしいが、人間の知的作業の歴史的な変遷を丁寧に検証しながら、現今のインターネットをめぐる状況が知的生産活動にいかなる影響を及ぼしているかということ、そうしてそれとどのようにつき合っていけばよいかという提案には、かなりの説得力があった。

筆者の結論が絶対的なものであるかどうかはわからないが、この著作を読みながら、自分の場合はインターネットにアクセスしている時間が長くなるにつれ、なぜかひどく文学作品を読みたくなったということを思い出した。
ツイッター関連のアクセスが増えていくにつれ、宮沢賢治や高村光太郎の詩集や正岡子規の俳句、川端康成や中島敦、魯迅らの小説を、それこそむさぼるように読んだのだ。どうも自分の中では、それらが関連あるように思えてきた。たぶん、脳がそれを欲していたのだと思われる。

いずれにしても、これからはますますインターネットなしの生活というものが考えられなくなっていくであろう。だからこそ、その功罪も、後世への影響も指摘していく必要がある。そういう意味では、この著作は多くの人に読まれるべきであろうと信じる。

かように、日曜日の午後は、たいへんに気持ちのいい午睡の後で、思いのほか頭が冴えた状態で読書もすることができた。
もちろん、POWER BALANCEを装着していたからである。いやはや。

2010年09月28日

スーさん、モレスキンを語る

9月27日(月)

モレスキンを使い始めている。
きっかけは、夏休みに読んだ『ツイッターノミクス』(タラ・ハント著、文藝春秋刊)だった。
「著名な作家や芸術家や科学者が愛用していたという小型の手帳。きっと彼らはそこに小説の構想や、気ままなスケッチや、天才的な閃きをメモしていたにちがいない。この手帳を持つだけで天才たちと時空を超えてつながり、創造性が刺激される。手帳を持つことを誇らしくさせる正統的な手帳、それがMoleskineだ。」(156頁)
こんなふうに書かれてしまうと、「ん?そんなにすんごい手帳なの?一度見てみたい!」とか思ってしまったのだ。

さっそくググッてみると、たーくさん種類のあることと同時に、とても高価な手帳だということが判明した。「密林」で確認してみたが、あまりディスカウントはされない手帳らしかった(でも最近はディスカウントされているみたいです)。しかも、「密林」からの直接販売ではなく文具店の販売だったため、別途送料もかかるらしかった。これではとてもネットでは買えない。
ちょうどその頃、神戸に行った。これ幸いとばかりに、三宮のジュンク堂内文具売り場でモレスキンを探してみた。あったあった、ネットで見たのと同様にたくさんの種類が並べられていた。
それぞれの違いがよくわからなかったことと、実際に使うのかどうかも定かではなかったこと、そして何より高価だったことで、その場でモレスキンを購入することはなかった。でも、気になる手帳であることだけは確かだった。

夏休みが終わって2学期が始まった。
そんなある日、「密林」から新刊お知らせメールが入った。『モレスキン「伝説のノート」活用術』(ダイヤモンド社刊)が発売されるというのだ。どんな種類のノートがあるのか、具体的にどうやって使っているのかとか、俄然知りたくなった。すかさずポチしてみた。
程なく本が届いた。一気読みした。モレスキンが欲しくなった。
本を読みながら、もしも自分が使うとしたら「インフォブック」かなあと考えていた。旅行に行ったときのあれやこれやを記録しておくのに使えそうだと思ったからだ。
浜松で直接購入できそうなお店を探した。どうやら、自宅近くの文房具店で手に入りそうな感じがした。すぐに電話を入れてみた。「あのお、モレスキンのインフォブック買いたいんですが。お店にあります?」と尋ねると、インフォブックは置いてないが、問屋からはすぐに手に入るので、翌日の午後にはご用意できますとの返事だった。すかさず注文した。

その日、職場でモレスキンの話をしていると、「え?確か〇〇書店で売ってたと思うけど」と教えてくれた先生がいた。
こうなると居ても立ってもいられない。とりあえず、実物を見てみようと思い、帰りにその書店に立ち寄ってみた。どこにあるのかとさんざん探した挙句、何とレジのすぐ横にけっこう何種類か置いてあるのに気がついた。手に取ってじっくりと見てみた。インフォブックもあった。心の中の声は、「買うしかない」と告げていた。最もオーソドックスなルールド(横罫)のポケットブックを購入した。

さっそく家に帰り、今春東京に行った際、上野のアメ横にて購入してきたペリカーノ・ジュニアで、表紙を開いたところの「In case of loss, please return to :」を書いてみた。
ああ、ペリカーノはこういう紙に書くための筆記具だったんだ、と深く実感した。ペン先の滑らかさといい、インクの発色といい、いかにもいい感じなのだ。紙質とのマッチングが絶妙なのである。ヨーロッパ文化の奥深さを感じた。
で、何を書いたか。
日記を書いたのだ。大学時代以来、日記など凡そ付けようなどとはつゆ思ったことさえなかったというのに。
その翌日、指定されたお店にインフォブックを取りに行った。こちらは、購入前から決めていたとおり、「旅行用」として使用することにした。これでモレスキンは2冊になった。なんだかうれしくなった。

件の『…活用術』には、「モレスキンと相性のいい文房具」も紹介されていた。それを見ていると、ついそれらの文房具も使ってみようかしらという気にさせられた。で、文具店であれこれと物色してみた。
例えば、スタンプ。今までは文具店に行ってもそんなコーナーには見向きもしなかったのだが、何と多くのスタンプが売られていることか!スタンプ台もいろんな色のものがあった。とりあえず、天気のスタンプと三色のスタンプ台を購入した。
さらには、マスキングテープ。これは、もともとは何かに塗装する際に塗料がはみ出さないよう隠すために使用されていたものだ。ところが、どうやら簡単にはがせる性質を利用して、最近はこれを手帳のインデックスにしたり、マーカーの代わりに使用したりするようになってきたらしいのだ。種類も驚くほどたくさんある。これも薄緑無地と、紺レジメンタルの2種類を購入。
あとは、モレスキンにペンを装着するためのペンホルダー。ホルダー部分が伸縮するため、ペリカーノ・ジュニアのような太めの万年筆でもきっちりホールドしてくれる。
これらを使ってモレスキンに日記を書く。
ああ、これがどれほどの快感であることか!
かように、モレスキンの実物を手に入れたその日から、かなり敬虔な「モレスキン信者」となってしまったのだった。

ここ10年ほど使用してきた手帳は、著名な経済学者が考案したという、A4横四つ折の細長い手帳であった。8週間が一覧できるジャバラ式のスケジュールシートを、手帳に差し込んで使用するものである。
これはこれで、自分にとっては使い勝手のよい手帳であった。もともと、あまり細かいスケジュールをいちいち手帳に書き込む人間ではない。イベントなど、主なものだけを書いて俯瞰できるようにしておけばそれで済んでいたのだ。A4用紙をたたんで挟んでおけるというのも便利だった。だから、ネットで専用の革のカバーなども購入したりして、かなり愛用はしていたのだった。
例年、新しいリフィルが発売される11月頃になると書店で買い求めていたのだが、1年分のジャバラ式スケジュール4本で1、300円くらいはしたと思う。決して安価ではないとは思っていた。

そこへモレスキンだ。
スケジュール帳もモレスキンを使用してみようかと思い付いた。あれこれ検討した結果、「18ヶ月ダイアリー」がよかろうという結論に達した。
たぶん、実物がすぐ手に入るところは、「ルールド」を購入した書店であろうと思った。仕事の帰りに寄ってみた。はたして、何冊かの「18ヶ月ダイアリー」があった。ハードカバーより多少は安価なソフトカバーを購入することにした。
こうなると、ダイアリー専用の筆記具も欲しくなる。ああ、何という物欲の権化であろうか。でもそうなってしまうほどにモレスキンは魅力的なのである。
これも『…活用術』に紹介されていた、LAMYのSafari。ダイアリーにはこれしかないと思った。幸い、これはディスカウント文具店にも置いてあった。迷わず購入。

かくして、計3冊のモレスキンとの生活が始まったのであった。
ゴムバンドを外して記入し、記入し終わってゴムバンドを「ぴちん」とかける。ああ、何という幸せ!

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